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土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。
私の友達のMと私と妹とはお名残だといって海水浴にゆくことにしました。お婆様が波が荒くなって来るから行かない方がよくはないかと仰有ったのですけれども、こんなにお天気はいいし、風はなしするから大丈夫だといって仰有ることを聞かずに出かけました。
丁度昼少し過ぎで、上天気で、空には雲一つありませんでした。昼間でも草の中にはもう虫の音がしていましたが、それでも砂は熱くって、裸足だと時々草の上に駈け上らなければいられないほどでした。Mはタオルを頭からかぶってどんどん飛んで行きました。私は麦稈帽子を被った妹の手を引いてあとから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人は気息を切って急いだのです。
紆波といいますね、その波がうっていました。ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長い小山のような波が出来て、それが陸の方を向いて段々押寄せて来ると、やがてその小山のてっぺんが尖って来て、ざぶりと大きな音をたてて一度に崩れかかるのです。そうすると暫らく間をおいてまたあとの波が小山のように打寄せて来ます。そして崩れた波はひどい勢いで砂の上に這い上って、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。三人はそうした波の様子を見ると少し気味悪くも思いました。けれども折角そこまで来ていながら、そのまま引返すのはどうしてもいやでした。で、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。
「ひきがしどいね」
とMがいいました。本当にその通りでした。ひきとは水が沖の方に退いて行く時の力のことです。それがその日は大変強いように私たちは思ったのです。踝くらいまでより水の来ない所に立っていても、その水が退いてゆく時にはまるで急な河の流れのようで、足の下の砂がどんどん掘れるものですから、うっかりしていると倒れそうになる位でした。その水の沖の方に動くのを見ていると眼がふらふらしました。けれどもそれが私たちには面白くってならなかったのです。足の裏をくすむるように砂が掘れて足がどんどん深く埋まってゆくのがこの上なく面白かったのです。三人は手をつないだまま少しずつ深い方にはいってゆきました。沖の方を向いて立っていると、膝の所で足がくの字に曲りそうになります。陸の方を向いていると向脛にあたる水が痛い位でした。両足を揃えて真直に立ったままどっちにも倒れないのを勝にして見たり、片足で立ちっこをして見たりして、三人は面白がって人魚のように跳ね廻りました。
その中にMが膝位の深さの所まで行って見ました。そうすると紆波が来る度ごとにMは脊延びをしなければならないほどでした。それがまた面白そうなので私たちも段々深味に進んでゆきました。そして私たちはとうとう波のない時には腰位まで水につかるほどの深味に出てしまいました。そこまで行くと波が来たらただ立っていたままでは追付きません。どうしてもふわりと浮き上らなければ水を呑ませられてしまうのです。
ふわりと浮上ると私たちは大変高い所に来たように思いました。波が行ってしまうので地面に足をつけると海岸の方を見ても海岸は見えずに波の脊中だけが見えるのでした。その中にその波がざぶんとくだけます。波打際が一面に白くなって、いきなり砂山や妹の帽子などが手に取るように見えます。それがまたこの上なく面白かったのです。私たち三人は土用波があぶないということも何も忘れてしまって波越しの遊びを続けさまにやっていました。
「あら大きな波が来てよ」
と沖の方を見ていた妹が少し怖そうな声でこういきなりいいましたので、私たちも思わずその方を見ると、妹の言葉通りに、これまでのとはかけはなれて大きな波が、両手をひろげるような恰好で押寄せて来るのでした。泳ぎの上手なMも少し気味悪そうに陸の方を向いていくらかでも浅い所まで遁げようとした位でした。私たちはいうまでもありません。腰から上をのめるように前に出して、両手をまたその前に突出して泳ぐような恰好をしながら歩こうとしたのですが、何しろひきがひどいので、足を上げることも前にやることも思うようには出来ません。私たちはまるで夢の中で怖い奴に追いかけられている時のような気がしました。
後から押寄せて来る波は私たちが浅い所まで行くのを待っていてはくれません。見る見る大きく近くなって来て、そのてっぺんにはちらりちらりと白い泡がくだけ始めました。Mは後から大声をあげて、
「そんなにそっちへ行くと駄目だよ、波がくだけると捲きこまれるよ。今の中に波を越す方がいいよ」
といいました。そういわれればそうです。私と妹とは立止って仕方なく波の来るのを待っていました。高い波が屏風を立てつらねたように押寄せて来ました。私たち三人は丁度具合よくくだけない中に波の脊を越すことが出来ました。私たちは体をもまれるように感じながらもうまくその大波をやりすごすことだけは出来たのでした。三人はようやく安心して泳ぎながら顔を見合せてにこにこしました。そして波が行ってしまうと三人ながら泳ぎをやめてもとのように底の砂の上に立とうとしました。
ところがどうでしょう、私たちは泳ぎをやめると一しょに、三人ながらずぼりと水の中に潜ってしまいました。水の中に潜っても足は砂にはつかないのです。私たちは驚きました。慌てました。そして一生懸命にめんかきをして、ようやく水の上に顔だけ出すことが出来ました。その時私たち三人が互に見合せた眼といったら、顔といったらありません。顔は真青でした。眼は飛び出しそうに見開いていました。今の波一つでどこか深い所に流されたのだということを私たちはいい合わさないでも知ることが出来たのです。いい合わさないでも私たちは陸の方を眼がけて泳げるだけ泳がなければならないということがわかったのです。
三人は黙ったままで体を横にして泳ぎはじめました。けれども私たちにどれほどの力があったかを考えて見て下さい。Mは十四でした。私は十三でした。妹は十一でした。Mは毎年学校の水泳部に行っていたので、とにかくあたり前に泳ぐことを知っていましたが、私は横のし泳ぎを少しと、水の上に仰向けに浮くことを覚えたばかりですし、妹はようやく板を離れて二、三間泳ぐことが出来るだけなのです。
御覧なさい私たちは見る見る沖の方へ沖の方へと流されているのです。私は頭を半分水の中につけて横のしでおよぎながら時々頭を上げて見ると、その度ごとに妹は沖の方へと私から離れてゆき、友達のMはまた岸の方へと私から離れて行って、暫らくの後には三人はようやく声がとどく位お互に離ればなれになってしまいました。そして波が来るたんびに私は妹を見失ったりMを見失ったりしました。私の顔が見えると妹は後の方からあらん限りの声をしぼって
「兄さん来てよ……もう沈む……苦しい」
と呼びかけるのです。実際妹は鼻の所位まで水に沈みながら声を出そうとするのですから、その度ごとに水を呑むと見えて真蒼な苦しそうな顔をして私を睨みつけるように見えます。私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。幾度も妹のいる方へ泳いで行こうかと思いました。けれども私は悪い人間だったと見えて、こうなると自分の命が助かりたかったのです。妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流されて命がないのは知れ切っていました。私はそれが恐ろしかったのです。何しろ早く岸について漁夫にでも助けに行ってもらう外はないと思いました。今から思うとそれはずるい考えだったようです。
でもとにかくそう思うと私はもう後も向かずに無我夢中で岸の方を向いて泳ぎ出しました。力が無くなりそうになると仰向に水の上に臥て暫らく気息をつきました。それでも岸は少しずつ近づいて来るようでした。一生懸命に……一生懸命に……、そして立泳ぎのようになって足を砂につけて見ようとしたら、またずぶりと頭まで潜ってしまいました。私は慌てました。そしてまた一生懸命で泳ぎ出しました。
立って見たら水が膝の所位しかない所まで泳いで来ていたのはそれからよほどたってのことでした。ほっと安心したと思うと、もう夢中で私は泣声を立てながら、
「助けてくれえ」
といって砂浜を気狂いのように駈けずり廻りました。見るとMは遥かむこうの方で私と同じようなことをしています。私は駈けずりまわりながらも妹の方を見ることを忘れはしませんでした。波打際から随分遠い所に、波に隠れたり現われたりして、可哀そうな妹の頭だけが見えていました。
浜には船もいません、漁夫もいません。その時になって私はまた水の中に飛び込んで行きたいような心持ちになりました。大事な妹を置きっぱなしにして来たのがたまらなく悲しくなりました。
その時Mが遥かむこうから一人の若い男の袖を引ぱってこっちに走って来ました。私はそれを見ると何もかも忘れてそっちの方に駈け出しました。若い男というのは、土地の者ではありましょうが、漁夫とも見えないような通りがかりの人で、肩に何か担っていました。
「早く……早く行って助けて下さい……あすこだ、あすこだ」
私は、涙を流し放題に流して、地だんだをふまないばかりにせき立てて、震える手をのばして妹の頭がちょっぴり水の上に浮んでいる方を指しました。
若い男は私の指す方を見定めていましたが、やがて手早く担っていたものを砂の上に卸し、帯をくるくると解いて、衣物を一緒にその上におくと、ざぶりと波を切って海の中にはいって行ってくれました。
私はぶるぶる震えて泣きながら、両手の指をそろえて口の中へ押こんで、それをぎゅっと歯でかみしめながら、その男がどんどん沖の方に遠ざかって行くのを見送りました。私の足がどんな所に立っているのだか、寒いのだか、暑いのだか、すこしも私には分りません。手足があるのだかないのだかそれも分りませんでした。
抜手を切って行く若者の頭も段々小さくなりまして、妹との距たりが見る見る近よって行きました。若者の身のまわりには白い泡がきらきらと光って、水を切った手が濡れたまま飛魚が飛ぶように海の上に現われたり隠れたりします。私はそんなことを一生懸命に見つめていました。
とうとう若者の頭と妹の頭とが一つになりました。私は思わず指を口の中から放して、声を立てながら水の中にはいってゆきました。けれども二人がこっちに来るののおそいことおそいこと。私はまた何の訳もなく砂の方に飛び上りました。そしてまた海の中にはいって行きました。如何してもじっとして待っていることが出来ないのです。
妹の頭は幾度も水の中に沈みました。時には沈み切りに沈んだのかと思うほど長く現われて来ませんでした。若者も如何かすると水の上には見えなくなりました。そうかと思うと、ぽこんと跳ね上るように高く水の上に現われ出ました。何んだか曲泳ぎでもしているのではないかと思われるほどでした。それでもそんなことをしている中に、二人は段々岸近くなって来て、とうとうその顔までがはっきり見える位になりました。が、そこいらは打寄せる波が崩れるところなので、二人はもろともに幾度も白い泡の渦巻の中に姿を隠しました。やがて若者は這うようにして波打際にたどりつきました。妹はそんな浅みに来ても若者におぶさりかかっていました。私は有頂天になってそこまで飛んで行きました。
飛んで行って見て驚いたのは若者の姿でした。せわしく深く気息をついて、体はつかれ切ったようにゆるんでへたへたになっていました。妹は私が近づいたのを見ると夢中で飛んで来ましたがふっと思いかえしたように私をよけて砂山の方を向いて駈け出しました。その時私は妹が私を恨んでいるのだなと気がついて、それは無理のないことだと思うと、この上なく淋しい気持ちになりました。
それにしても友達のMは何所に行ってしまったのだろうと思って、私は若者のそばに立ちながらあたりを見廻すと、遥かな砂山の所をお婆様を助けながら駈け下りて来るのでした。妹は早くもそれを見付けてそっちに行こうとしているのだとわかりました。
それで私は少し安心して、若者の肩に手をかけて何かいおうとすると、若者はうるさそうに私の手を払いのけて、水の寄せたり引いたりする所に坐りこんだまま、いやな顔をして胸のあたりを撫でまわしています。私は何んだか言葉をかけるのさえためらわれて黙ったまま突立っていました。
「まああなたがこの子を助けて下さいましたんですね。お礼の申しようも御座んせん」
すぐそばで気息せき切ってしみじみといわれるお婆様の声を私は聞きました。妹は頭からずぶ濡れになったままで泣きじゃくりをしながらお婆様にぴったり抱かれていました。
私たち三人は濡れたままで、衣物やタオルを小脇に抱えてお婆様と一緒に家の方に帰りました。若者はようやく立上って体を拭いて行ってしまおうとするのをお婆様がたって頼んだので、黙ったまま私たちのあとから跟いて来ました。
家に着くともう妹のために床がとってありました。妹は寝衣に着かえて臥かしつけられると、まるで夢中になってしまって、熱を出して木の葉のようにふるえ始めました。お婆様は気丈な方で甲斐々々しく世話をすますと、若者に向って心の底からお礼をいわれました。若者は挨拶の言葉も得いわないような人で、唯黙ってうなずいてばかりいました。お婆様はようやくのことでその人の住っている所だけを聞き出すことが出来ました。若者は麦湯を飲みながら、妹の方を心配そうに見てお辞儀を二、三度して帰って行ってしまいました。
「Mさんが駈けこんで来なすって、お前たちのことをいいなすった時には、私は眼がくらむようだったよ。おとうさんやお母さんから頼まれていて、お前たちが死にでもしたら、私は生きてはいられないから一緒に死ぬつもりであの砂山をお前、Mさんより早く駈け上りました。でもあの人が通り合せたお蔭で助かりはしたもののこわいことだったねえ、もうもう気をつけておくれでないとほんに困りますよ」
お婆様はやがてきっとなって私を前にすえてこう仰有いました。日頃はやさしいお婆様でしたが、その時の言葉には私は身も心もすくんでしまいました。少しの間でも自分一人が助かりたいと思った私は、心の中をそこら中から針でつかれるようでした。私は泣くにも泣かれないでかたくなったままこちんとお婆様の前に下を向いて坐りつづけていました。しんしんと暑い日が縁の向うの砂に照りつけていました。
若者の所へはお婆様が自分で御礼に行かれました。そして何か御礼の心でお婆様が持って行かれたものをその人は何んといっても受取らなかったそうです。
それから五、六年の間はその若者のいる所は知れていましたが、今は何処にどうしているのかわかりません。私たちのいいお婆様はもうこの世にはおいでになりません。私の友達のMは妙なことから人に殺されて死んでしまいました。妹と私ばかりが今でも生き残っています。その時の話を妹にするたんびに、あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思ったと妹はいつでもいいます。波が高まると妹の姿が見えなくなったその時の事を思うと、今でも私の胸は動悸がして、空恐ろしい気持ちになります。 | 底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年12月16日改版第1刷
親本:「一房の葡萄」叢文閣
1922(大正11)年6月
初出:「婦人公論」
1921(大正10)年7月
入力:鈴木厚司
校正:地田尚
1999年9月27日公開
2005年11月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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彼は、秋になり切った空の様子をガラス窓越しに眺めていた。
みずみずしくふくらみ、はっきりした輪廓を描いて白く光るあの夏の雲の姿はもう見られなかった。薄濁った形のくずれたのが、狂うようにささくれだって、澄み切った青空のここかしこに屯していた。年の老いつつあるのが明らかに思い知られた。彼はさきほどから長い間ぼんやりとそのさまを眺めていたのだ。
「もう着くぞ」
父はすぐそばでこう言った。銀行から歳暮によこす皮表紙の懐中手帳に、細手の鉛筆に舌の先の湿りをくれては、丹念に何か書きこんでいた。スコッチの旅行服の襟が首から離れるほど胸を落として、一心不乱に考えごとをしながらも、気ぜわしなくこんな注意をするような父だった。
停車場には農場の監督と、五、六人の年嵩な小作人とが出迎えていた。彼らはいずれも、古手拭と煙草道具と背負い繩とを腰にぶら下げていた。短い日が存分西に廻って、彼の周囲には、荒くれた北海道の山の中の匂いだけがただよっていた。
監督を先頭に、父から彼、彼から小作人たちが一列になって、鉄道線路を黙りながら歩いてゆくのだったが、横幅のかった丈けの低い父の歩みが存外しっかりしているのを、彼は珍しいもののように後から眺めた。
物の枯れてゆく香いが空気の底に澱んで、立木の高みまではい上がっている「つたうるし」の紅葉が黒々と見えるほどに光が薄れていた。シリベシ川の川瀬の昔に揺られて、いたどりの広葉が風もないのに、かさこそと草の中に落ちた。
五、六丁線路を伝って、ちょっとした切崕を上がるとそこは農場の構えの中になっていた。まだ収穫を終わらない大豆畑すらも、枯れた株だけが立ち続いていた。斑ら生えのしたかたくなな雑草の見える場所を除いては、紫色に黒ずんで一面に地膚をさらけていた。そして一か所、作物の殻を焼く煙が重く立ち昇り、ここかしこには暗い影になって一人二人の農夫がまだ働き続けていた。彼は小作小屋の前を通るごとに、気をつけて中をのぞいて見た。何処の小屋にも灯はともされずに、鍋の下の囲炉裡火だけが、言葉どおりかすかに赤く燃えていた。そのまわりには必ず二、三人の子供が騒ぎもしないできょとんと火を見つめながら車座にうずくまっていた。そういう小屋が、草を積み重ねたように離れ離れにわびしく立っていた。
農場の事務所に達するには、およそ一丁ほどの嶮しい赤土の坂を登らなければならない。ちょうど七十二になる彼の父はそこにかかるとさすがに息切れがしたとみえて、六合目ほどで足をとどめて後をふり返った。傍見もせずに足にまかせてそのあとに※(足へん+徙)いて行った彼は、あやうく父の胸に自分の顔をぶつけそうになった。父は苦々しげに彼を尻目にかけた。負けじ魂の老人だけに、自分の体力の衰えに神経をいら立たせていた瞬間だったのに相違ない。しかも自分とはあまりにかけ離れたことばかり考えているらしい息子の、軽率な不作法が癪にさわったのだ。
「おい早田」
老人は今は眼の下に見わたされる自分の領地の一区域を眺めまわしながら、見向きもせずに監督の名を呼んだ。
「ここには何戸はいっているのか」
「崕地に残してある防風林のまばらになったのは盗伐ではないか」
「鉄道と換え地をしたのはどの辺にあたるのか」
「藤田の小屋はどれか」
「ここにいる者たちは小作料を完全に納めているか」
「ここから上る小作料がどれほどになるか」
こう矢継ぎ早やに尋ねられるに対して、若い監督の早田は、格別のお世辞気もなく穏やかな調子で答えていたが、言葉が少し脇道にそれると、すぐ父からきめつけられた。父は監督の言葉の末にも、曖昧があったら突っ込もうとするように見えた。白い歯は見せないぞという気持ちが、世故に慣れて引き締まった小さな顔に気味悪いほど動いていた。
彼にはそうした父の態度が理解できた。農場は父のものだが、開墾は全部矢部という土木業者に請負わしてあるので、早田はいわば矢部の手で入れた監督に当たるのだ。そして今年になって、農場がようやく成墾したので、明日は矢部もこの農場に出向いて来て、すっかり精算をしようというわけになっているのだ。明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという意識が、父の胸にはわだかまっているのだ。いわば公私の区別とでもいうものをこれほど露骨にさらけ出して見せる父の気持ちを、彼はなぜか不快に思いながらも驚嘆せずにはいられなかった。
一行はまた歩きだした。それからは坂道はいくらもなくって、すぐに広々とした台地に出た。そこからずっとマッカリヌプリという山の麓にかけて農場は拡がっているのだ。なだらかに高低のある畑地の向こうにマッカリヌプリの規則正しい山の姿が寒々と一つ聳えて、その頂きに近い西の面だけが、かすかに日の光を照りかえして赤ずんでいた。いつの間にか雲一ひらもなく澄みわたった空の高みに、細々とした新月が、置き忘れられた光のように冴えていた。一同は言葉少なになって急ぎ足に歩いた。基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道をやや広くしたくらいのもので、畑から抛り出された石ころの間なぞに、酸漿の実が赤くなってぶら下がったり、轍にかけられた蕗の葉がどす黒く破れて泥にまみれたりしていた。彼は野生になったティモシーの茎を抜き取って、その根もとのやわらかい甘味を噛みしめなどしながら父のあとに続いた。そして彼の後ろから来る小作人たちのささやきのような会話に耳を傾けた。
「夏作があんなだに、秋作がこれじゃ困ったもんだ」
「不作つづきだからやりきれないよ全く」
「そうだ」
ぼそぼそとしたひとりごとのような声だったけれども、それは明らかに彼の注意を引くように目論まれているのだと彼は知った。それらの言葉は父に向けてはうっかり言えない言葉に違いない。しかし彼ならばそれを耳にはさんで黙っているだろうし、そしてそれが結局小作人らにとって不為めにはならないのを小作人たちは知りぬいているらしかった。彼には父の態度と同様、小作人たちのこうした態度も快くなかった。東京を発つ時からなんとなくいらいらしていた心の底が、いよいよはっきり焦らつくのを彼は感じた。そして彼はすべてのことを思うままにぶちまけることのできない自分をその時も歯痒ゆく思った。
事務所にはもう赤々とランプがともされていて、監督の母親や内儀さんが戸の外に走り出て彼らを出迎えた。土下座せんばかりの母親の挨拶などに対しても、父は監督に対すると同時に厳格な態度を見せて、やおら靴を脱ぎ捨てると、自分の設計で建て上げた座敷にとおって、洋服のままきちんと囲炉裡の横座にすわった。そして眼鏡をはずす間もなく、両手を顔にあてて、下の方から、禿げ上がった両鬢へとはげしくなで上げた。それが父が草臥れた時のしぐさであると同時に、何か心にからんだことのある時のしぐさだ。彼は座敷に荷物を運び入れる手伝いをした後、父の前に座を取って、そのしぐさに対して不安を感じた。今夜は就寝がきわめて晩くなるなと思った。
二人が風呂から上がると内儀さんが食膳を運んで、監督は相伴なしで話し相手をするために部屋の入口にかしこまった。
父は風呂で火照った顔を双手でなで上げながら、大きく気息を吐き出した。内儀さんは座にたえないほどぎごちない思いをしているらしかった。
「風呂桶をしかえたな」
父は箸を取り上げる前に、監督をまともに見てこう詰るように言った。
「あまり古くなりましたんでついこの間……」
「費用は事務費で仕払ったのか……俺しのほうの支払いになっているのか」
「事務費のほうに計上しましたが……」
「矢部に断わったか」
監督は別に断わりはしなかった旨を答えた。父はそれには別に何も言わなかったが、黙ったまま鋭く眼を光らした。それから食膳の豊かすぎることを内儀さんに注意し、山に来たら山の産物が何よりも甘いのだから、明日からは必ず町で買物などはしないようにと言い聞かせた。内儀さんはほとほと気息づまるように見えた。
食事が済むと煙草を燻らす暇もなく、父は監督に帳簿を持って来るように命じた。監督が風呂はもちろん食事もつかっていないことを彼が注意したけれども、父はただ「うむ」と言っただけで、取り合わなかった。
監督は一抱えもありそうな書類をそこに持って出た。一杯機嫌になったらしい小作人たちが挨拶を残して思い思いに帰ってゆく気配が事務所の方でしていた。冷え切った山の中の秋の夜の静まり返った空気の中を、その人たちの跫音がだんだん遠ざかって行った。熱心に帳簿のページを繰っている父の姿を見守りながら、恐らく父には聞こえていないであろうその跫音を彼は聞き送っていた。彼には、その人たちが途中でどんなことを話し合ったか、小屋に帰ってその家族にどんな噂をして聞かせたかがいろいろに想像されていた。それが彼にとってはどれもこれも快いと思われるものではなかった。彼は征服した敵地に乗り込んだ、無興味な一人の将校のような気持ちを感じた。それに引きかえて、父は一心不乱だった。監督に対してあらゆる質問を発しながら、帳簿の不備を詰って、自分で紙を取りあげて計算しなおしたりした。監督が算盤を取りあげて計算をしようと申し出ても、かまいつけずに自分で大きな数を幾度も計算しなおした。父の癖として、このように一心不乱になると、きわめて簡単な理屈がどうしてもわからないと思われるようなことがあった。監督が小言を言われながら幾度も説明しなおさなければならなかった。彼もできるだけ穏やかにその説明を手伝った。そうすると父の機嫌は見る見る険悪になった。
「そんなことはお前に言われんでもわかっている。俺しの聞くのはそんなことじゃない。理屈を聞こうとしとるんではないのだ。早田は俺しの言うことが飲み込めておらんから聞きただしているのじゃないか。もう一度俺しの言うことをよく聞いてみるがいい」
そう言って、父は自分の質問の趣意を、はたから聞いているときわめてまわりくどく説明するのだったが、よく聞いていると、なるほどとうなずかれるほど急所にあたったことを言っていたりした。若い監督も彼の父の質問をもっとありきたりのことのように取っていたのだ。監督は、質問の意味を飲み込むことができると礑たと答えに窮したりした。それはなにも監督が不正なことをしていたからではなく会計上の知識と経験との不足から来ているのに相違ないのだが、父はそこに後ろ暗いものを見つけでもしたようにびしびしとやり込めた。
彼にはそれがよく知れていた。けれども彼は濫りなさし出口はしなかった。いささかでも監督に対する父の理解を補おうとする言葉が彼の口から漏れると、父は彼に向かって悪意をさえ持ちかねないけんまくを示したからだ。彼は単に、農場の事務が今日までどんな工合に運ばれていたかを理解しようとだけ勉めた。彼は五年近く父の心に背いて家には寄りつかなかったから、今までの成り行きがどうなっているか皆目見当がつかなかったのだ。この場になって、その間の父の苦心というものを考えてみないではなかった。父がこうして北海道の山の中に大きな農場を持とうと思い立ったのも、つまり彼の将来を思ってのことだということもよく知っていた。それを思うと彼は黙って親子というものを考えたかった。
「お前は夕飯はどうした」
そう突然父が尋ねた。監督はいつものとおり無表情に見える声で、
「いえなに……」
と曖昧に答えた。父は蒲団の左角にひきつけてある懐中道具の中から、重そうな金時計を取りあげて、眼を細めながら遠くに離して時間を読もうとした。
突然事務所の方で弾条のゆるんだらしい柱時計が十時を打った。彼も自分の時計を帯の間に探ったが十時半になっていた。
「十時半ですよ。あなたまだ食わないんだね」
彼は少し父にあたるような声で監督にこう言った。
それにもかかわらず父は存外平気だった。
「そうか。それではもういいから行って食うといい。俺しもお前の年ごろの時分には、飯も何も忘れてからに夜ふかしをしたものだ。仕事をする以上はほかのことを忘れるくらいでなくてはおもしろくもないし、甘くゆくもんでもない。……しかし今夜は御苦労だった。行く前にもう一言お前に言っておくが」
そういう発端で明日矢部と会見するに当たっての監督としての位置と仕事とを父は注意し始めた。それは懇ろというよりもしちくどいほど長かった。監督はまた半時間ぐらい、黙ったまま父の言いつけを聞かねばならなかった。
監督が丁寧に一礼して部屋を引き下がると、一種の気まずさをもって父と彼とは向かい合った。興奮のために父の頬は老年に似ず薄紅くなって、長旅の疲れらしいものは何処にも見えなかった。しかしそれだといって少しも快活ではなかった。自分の後継者であるべきものに対してなんとなく心置きのあるような風を見せて、たとえば懲しめのためにひどい小言を与えたあとのような気まずい沈黙を送ってよこした。まともに彼の顔を見ようとはしなかった。こうなると彼はもう手も足も出なかった。こちらから快活に持ちかけて、冗談話か何かで先方の気分をやわらがせるというようなタクトは彼には微塵もなかった。親しい間のものが気まずくなったほど気まずいものはない。彼はほとんど悒鬱といってもいいような不愉快な気持ちに沈んで行った。おまけに二人をまぎらすような物音も色彩もそこには見つからなかった。なげしにかかっている額といっては、黒住教の教主の遺訓の石版と、大礼服を着ていかめしく構えた父の写真の引き延ばしとがあるばかりだった。そしてあたりは静まり切っていた。基石の底のようだった。ただ耳を澄ますと、はるか遠くで馬鈴薯をこなしているらしい水車の音が単調に聞こえてくるばかりだった。
父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来た東京新聞の地方版をいじくりまわしていた。北海道の記事を除いたすべては一つ残らず青森までの汽車の中で読み飽いたものばかりだった。
「お前は今日の早田の説明で農場のことはたいてい呑みこめたか」
ややしばらくしてから父は取ってつけたようにぽっつりとこれだけ言って、はじめてまともに彼を見た。父がくどくどと早田にいろいろな報告をさせたわけが彼にはわかったように思えた。
「たいていわかりました」
その答えを聞くと父は疑わしそうにちらっともう一度彼を鋭く見やった。
「ずいぶんめんどうなものだろう、これだけの仕事にでも眼鼻をつけるということは」
「そうですねえ」
彼はしかたなくこう答えた。父はすぐ彼の答えの響きの悪さに感づいたようだった。そしてまたもや忌わしい沈黙が来た。彼には父の気持ちが十分にわかっていたのだ。三十にもなろうとする息子をつかまえて、自分がこれまでに払ってきた苦労を事新しく言って聞かせるのも大人気ないが、そうかといって、農場に対する息子の熱意が憐れなほど燃えていないばかりでなく、自分に対する感恩の気持ちも格別動いているらしくも見えないその苦々しさで、父は老年にともすると付きまつわるはかなさと不満とに悩んでいるのだ。そして何事もずばずばとは言い切らないで、じっとひとりで胸の中に湛えているような性情にある憐れみさえを感じているのだ。彼はそうした気持ちが父から直接に彼の心の中に流れこむのを覚えた。彼ももどかしく不愉快だった。しかし父と彼との間隔があまりに隔たりすぎてしまったのを思うと、むやみなことは言いたくなかった。それは結局二人の間を彌縫ができないほど離してしまうだけのものだったから。そしてこの老年の父をそれほどの目に遇わせても平気でいられるだけの自信がまだ彼のほうにもできてはいなかった。だから本当をいうと、彼は誰に不愉快を感じるよりも、彼自身にそれを感じねばならなかったのだ。そしてそれがますます彼を引込み思案の、何事にも興味を感ぜぬらしく見える男にしてしまったのだ。
今夜は何事も言わないほうがいい、そうしまいに彼は思い定めた。自分では気づかないでいるにしても、実際はかなり疲れているに違いない父の肉体のことも考えた。
「もうお休みになりませんか。矢部氏も明日は早くここに着くことになっていますし」
それが父には暢気な言いごとと聞こえるのも彼は承知していないではなかった。父ははたして内訌している不平に油をそそぎかけられたように思ったらしい。
「寝たければお前寝るがいい」
とすぐ答えたが、それでもすぐ言葉を続けて、
「そう、それでは俺しも寝るとしようか」
と投げるように言って、すぐ厠に立って行った。足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。
父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立った。その晩は彼にも寝つかれない晩だった。そして父が眠るまでは自分も眠るまいと心に定めていた。
二時を過ぎて三時に近いと思われるころ、父の寝床のほうからかすかな鼾が漏れ始めた。彼はそれを聞きすましてそっと厠に立った。縁板が蹠に吸いつくかと思われるように寒い晩になっていた。高い腰の上は透明なガラス張りになっている雨戸から空をすかして見ると、ちょっと指先に触れただけでガラス板が音をたてて壊れ落ちそうに冴え切っていた。
将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたりながら、言いようのない孤独に攻めつけられてしまった。
物音に驚いて眼をさました時には、父はもう隣の部屋で茶を啜っているらしかった。その朝も晴れ切った朝だった。彼が起き上がって縁に出ると、それを窺っていたように内儀さんが出て来て、忙しくぐるりの雨戸を開け放った。新鮮な朝の空気と共に、田園に特有な生き生きとした匂いが部屋じゅうにみなぎった。父は捨てどころに困じて口の中に啣んでいた梅干の種を勢いよくグーズベリーの繁みに放りなげた。
監督は矢部の出迎えに出かけて留守だったが、父の膝許には、もうたくさんの帳簿や書類が雑然と開きならべられてあった。
待つほどもなく矢部という人が事務所に着いた。彼ははじめてその人を見たのだった。想像していたのとはまるで違って、四十恰好の肥った眇眼の男だった。はきはきと物慣れてはいるが、浮薄でもなく、わかるところは気持ちよくわかる質らしかった。彼と差し向かいだった時とは反対に、父はその人に対してことのほか快活だった。部屋の中の空気が昨夜とはすっかり変わってしまった。
「なあに、疲れてなんかおりません。こんなことは毎度でございますから」
朝飯をすますとこう言って、その人はすぐ身じたくにかかった。そして監督の案内で農場内を見てまわった。
「私は実はこちらを拝見するのははじめてで、帳場に任して何もさせていたもんでございますから、……もっとも報告は確実にさせていましたからけっしてお気に障るような始末にはなっていないつもりでございますが、なにしろ少し手を延ばして見ますと、体がいくつあっても足りませんので」
そう言って矢部は快げに日の光をまともに受けながら声高に笑った。その言葉を聞くと父は意外そうに相手の顔を見た。そして不安の色が、ちらりとその眼を通り過ぎた。
農場内を一とおり見てまわるだけで十分半日はかかった。昼少し過ぎに一同はちょうどいい疲れかげんで事務所に帰りついた。
「まずこれなら相当の成績でございます。私もお頼まれがいがあったようなものかと思いますが、いかがな思召しでしょう」
矢部は肥っているだけに額に汗をにじませながら、高縁に腰を下ろすと疲れが急に出たような様子でこう言った。父にもその言葉には別に異議はないらしく見えた。
しかし彼は矢部の言葉をそのまま取り上げることはできなかった。六十戸にあまる小作人の小屋は、貸附けを受けた当時とどれほど改まっているだろう。馬小屋を持っているのはわずかに五、六軒しかなかったではないか。ただだだっ広く土地が掘り返されて作づけされたというだけで成績が挙がったということができるものだろうか。
玉蜀黍穀といたどりで周囲を囲って、麦稈を積み乗せただけの狭い掘立小屋の中には、床も置かないで、ならべた板の上に蓆を敷き、どの家にも、まさかりかぼちゃが大鍋に煮られて、それが三度三度の糧になっているような生活が、開墾当時のまま続けられているのを見ると、彼はどうしてもあるうしろめたさを感じないではいられなかったのだが、矢部はいったいそれをどう見ているのだろうと思った。しかし彼はそれについては何も言わなかった。
「ともかくこれから一つ帳簿のほうのお調べをお願いいたしまして……」
その人の癖らしく矢部はめったに言葉に締めくくりをつけなかった。それがいかにも手慣れた商人らしく彼には思われた。
帳簿に向かうと父の顔色は急に引き締まって、監督に対する時と同じようになった。用のある時は呼ぶからと言うので監督は事務所の方に退けられた。
きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中手帳を取り出して、かねてからの不審の点を、からんだような言い振りで問いつめて行った。彼はこの場合、懐手をして二人の折衝を傍観する居心地の悪い立場にあった。その代わり、彼は生まれてはじめて、父が商売上のかけひきをする場面にぶつかることができたのだ。父は長い間の官吏生活から実業界にはいって、主に銀行や会社の監査役をしていた。そして名監査役との評判を取っていた。いったい監査役というものが単に員に備わるというような役目なのか、それとも実際上の威力を営利事業のうえに持っているものなのかさえ本当に彼にははっきりしていなかった。また彼の耳にはいる父の評判は、営業者の側から言われているものなのか、株主の側から言われているものなのか、それもよくはわからなかった。もし株主の側から出た噂ならだが、営業者間の評判だとすると、父は自分の役目に対して無能力者だと裏書きされているのと同様になる。彼はこれらの関係を知り抜くことには格別の興味をもっていたわけではなかったけれども、偶然にも今日は眼のあたりそれを知るようなはめになった自分を見いだしたのだ。まだ見なかった父の一面を見るという好奇心も動かないではなかった。けれどもこれから展開されるだろう場面の不愉快さを想像することによって、彼の心はどっちかというと暗くされがちだった。
矢部は父の質問に気軽く答え始めた。その質問の大部分が矢部にとっては物の数にも足らぬ小さなことのように、
「さようですか。そういうことならそういたしても私どものほうではけっして差し支えございませんが……」
と言って、軽く受け流して行くのだった。思い入って急所を突くつもりらしく質問をしかけている父は、しばしば背負い投げを食わされた形で、それでも念を押すように、
「はあそうですか。それではこの件はこれでいいのですな」
と附け足して、あとから訂正なぞはさせないぞという気勢を示したが、矢部はたじろぐ風も見せずに平気なものだった。実際彼から見ていても、父の申し出の中には、あまりに些末のことにわたって、相手に腹の細さを見透かされはしまいかと思う事もあった。彼はそういう時には思わず知らずはらはらした。何処までも謹恪で細心な、そのくせ商売人らしい打算に疎い父の性格が、あまりに痛々しく生粋の商人の前にさらけ出されようとするのが剣呑にも気の毒にも思われた。
しかし父はその持ち前の熱心と粘り気とを武器にしてひた押しに押して行った。さすがに商魂で鍛え上げたような矢部も、こいつはまだ出くわさなかった手だぞと思うらしく、ふと行き詰まって思案顔をする瞬間もあった。
「事業の経過はだいたい得心が行きました。そこでと」
父は開墾を委託する時に矢部と取り交わした契約書を、「緊要書類」と朱書きした大きな状袋から取り出して、
「この契約書によると、成墾引継ぎのうえは全地積の三分の一をお礼としてあなたのほうに差し上げることになってるのですが……それがここに認めてある百二十七町四段歩なにがし……これだけの坪敷になるのだが、そのとおりですな」
と粗い皺のできた、短い、しかし形のいい指先で数字を指し示した。
「はいそのとおりで……」
「そうですな。ええ百二十七町四段二畝歩也です。ところがこれっぱかりの地面をあなたがこの山の中にお持ちになっていたところで万事に不便でもあろうかと……これは私だけの考えを言ってるんですが……」
「そのとおりでございます。それで私もとうから……」
「とうから……」
「さよう、とうからこの際には土地はいただかないことにして、金でお願いができますれば結構だと存じていたのでございますが……しかし、なに、これとてもいわばわがままでございますから……御都合もございましょうし……」
「とうから」と聞きかえした時に父のほうから思わず乗り出した気配があったが、すぐとそれを引き締めるだけの用意は欠いていなかった。
「それはこちらとしても都合のいいことではあります。しかし金高の上の折り合いがどんなものですかな。昨夜早田と話をした時、聞きただしてみると、この辺の土地の売買は思いのほか安いものですよ」
父は例の手帳を取り出して、最近売買の行なわれた地所の価格を披露しにかかると、矢部はその言葉を奪うようにだいたいの相場を自分のほうから切り出した。彼は昨夜の父と監督との話を聞いていたのだが、矢部の言うところは(始終札幌にいてこの土地に来たのははじめてだと言ったにもかかわらず)けっしてけたをはずれたようなものではなかった。それを聞く父は意外に思ったらしかったが、彼もちょっと驚かされた。彼は矢部と監督との間に何か話合いがちゃんとできているのではないかとふと思った。まして父がそううたぐるのは当然なことだ。彼はすぐ注意して父を見た。その眼は明らかに猜疑の光を含んで、鋭く矢部の眼をまともに見やっていた。
最後の白兵戦になったと彼は思った。
もう夕食時はとうに過ぎ去っていたが、父は例の一徹からそんなことは全く眼中になかった。彼はかくばかり迫り合った空気をなごやかにするためにも、しばらくの休戦は都合のいいことだと思ったので、
「もうだいぶ晩くなりましたから夕食にしたらどうでしょう」
と言ってみた。それを聞くと父の怒りは火の燃えついたように顔に出た。
「馬鹿なことを言うな。この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」
と矢部の前で激しく彼をきめつけた。興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前において、自分の股肱を罵る将軍が何処にいるだろうと憤ろしかった。けれども彼は黙って下を向いてしまったばかりだった。そして彼は自分の弱い性格を心の中でもどかしく思っていた。
「いえ手前でございますならまだいただきたくはございませんから……全くこのお話は十分に御了解を願うことにしないとなんでございますから……しかし御用意ができましたのなら……」
「いやできておっても少しもかまわんのです」
父は矢部の取りなし顔な愛想に対してにべなく応じた。父はすぐ元の問題に返った。
「それは早田からお聞きのことかもしれんが、おっしゃった値段は松沢農場に望み手があって折り合った値段で、村一帯の標準にはならんのですよ。まず平均一段歩二十円前後のものでしょうか」
矢部は父のあまりの素朴さにユウモアでも感じたような態度で、にこやかな顔を見せながら、
「そりゃ……しかしそれじゃ全く開墾費の金利にも廻りませんからなあ」
と言ったが、父は一気にせきこんで、
「しかし現在、そうした売買になってるのだから。あなた今開墾費とおっしゃったが、こうっと、お前ひとつ算盤をおいてみろ」
さきほどの荒い言葉の埋合せでもするらしく、父はやや面をやわらげて彼の方を顧みた。けれども彼は父と同様珠算というものを全く知らなかった。彼がやや赤面しながらそこらに散らばっている白紙と鉛筆とを取り上げるのを見た父は、またしても理材にかけての我が子の無能さをさらけ出したのを悔いて見えた。けれども息子の無能な点は父にもあったのだ。父は永年国家とか会社銀行とかの理財事務にたずさわっていたけれども、筆算のことにかけては、極度に鈍重だった。そのために、自分の家の会計を調べる時でも、父はどうかするとちょっとした計算に半日もすわりこんで考えるような時があった。だから彼が赤面しながら紙と鉛筆とを取り上げたのは、そのまま父自身のやくざな肖像画にも当たるのだ。父は眼鏡の上からいまいましそうに彼の手許をながめやった。そして一段歩に要する開墾費のだいたいをしめ上げさせた。
「それを百二十七町四段二畝歩にするといくらになるか」
父はなお彼の不器用な手許から眼を放さずにこう追っかけて命令した。そこで彼はもうたじろいでしまった。彼は矢部の眼の前に自分の愚かしさを暴露するのを感じつつも、たどたどしく百二十七町を段に換算して、それに四段歩を加え始めた。しかし待ち遠しそうに二人からのぞき込まれているという意識は、彼の心の落ち着きを狂わせて、ややともすると簡単な九々すらが頭に浮かび上がって来なかった。
「そこは七じゃなかろうが、四だろうが」
父はこんな差出口をしていたが、その言葉がだんだん荒々しくなったと思うと、突然「ええ」と言って彼から紙をひったくった。
「そのくらいのことができんでどうするのか」
明らかと怒号だった。彼はむしろ呆気に取られて思わず父の顔を見た。泣き笑いと怒りと入れ交ったような口惜しげな父の眼も烈しく彼を見込んでいた。そして極度の侮蔑をもって彼から矢部の方に向きなおると、
「あなたひとつお願いしましょう、ちょっと算盤を持ってください」
とほとほと好意をこめたと聞こえるような声で言った。
矢部は平気な顔をしながらすぐさま所要の答えを出してしまった。
もうこれ以上彼のいる場所ではないと彼は思った。そしてふいと立ち上がるとかまわずに事務所の方に行ってしまった。
座敷とは事かわって、すっかり暗くなった囲炉裡のまわりには、集まって来た小作人を相手に早田が小さな声で浮世話をしていた。内儀さんは座敷の方に運ぶ膳のものが冷えるのを気にして、椀のものをまたもとの鍋にかえしたりしていた。彼がそこに出て行くと、見る見るそこの一座の態度が変わって、いやな不自然さがみなぎってしまった。小作人たちはあわてて立ち上がるなり、草鞋のままの足を炉ばたから抜いて土間に下り立つと、うやうやしく彼に向かって腰を曲げた。
「若い且那、今度はまあ御苦労様でございます」
その中で物慣れたらしい半白の丈けの高いのが、一同に代わってのようにこう言った。「御苦労はこっちのことだぞ」そうその男の口の裏は言っているように彼には感じられた。不快な冷水を浴びた彼は改めて不快な微温湯を見舞われたのだ。それでも彼は能うかぎり小作人たちに対して心置きなく接していたいと願った。それは単にその場合のやり切れない気持ちから自分がのがれ出たかったからだ。小作人たちと自分とが、本当に人間らしい気持ちで互いに膝を交えることができようとは、夢にも彼は望み得なかったのだ。彼といえどもさすがにそれほど自己を偽瞞することはできなかった。
けれどもあまりといえばあんまりだった。小作人たちは、
「さあ、ずっとお寄りなさって。今日は晴れているためかめっきり冷えますから」
と早田が口添えするにもかかわらず、彼らはあてこすりのように暗い隅っこを離れなかった。彼は軽い捨て鉢な気分でその人たちにかまわず囲炉裡の横座にすわりこんだ。
内儀さんがランプを座敷に運んで行ったが、帰って来ると父からの言いつけを彼に伝えた。それは彼が小作人の一人一人を招いて、その口から監督に対する訴訟と、農場の規約に関する希望とを聞き取っておく役廻りで、昨夜寝る時に父が彼に命令した仕事だった。小作人が次々に事務所をさして集まって来るのもそのためだったのだ。
事務所に薄ぼんやりと灯が点された。燻製の魚のような香いと、燃えさしの薪の煙とが、寺の庫裡のようにがらんと黝ずんだ広間と土間とにこもって、それが彼の頭の中へまでも浸み透ってくるようだった。なんともいえない嫌悪の情が彼を焦ら立たせるばかりだった。彼はそこを飛び出して行って畑の中の広い空間に突っ立って思い存分の呼吸がしたくてたまらなくなった。壁訴訟じみたことをあばいてかかって聞き取らねばならないほど農場というものの経営は入り組んでいるのだろうか。監督が父の代から居ついていて、着実で正直なばかりでなく、自分を一人の平凡人であると見切りをつけて、満足して農場の仕事だけを守っているのは、彼の歩いて行けそうな道ではなかったけれども、彼はそういう人に対して暖かい心を持たずにはいられなかった。その人を除けものにしておいて、他人にその噂をさせて平気で聞いていることはどうしても彼にはできないと思った。
ともかく、彼は監督に頼んで執務室に火を入れてもらって、小作人を一人一人そこに呼び入れた。そして農場の経営に関する希望だけを聞くことにした。五、六人の人が出はいりする前に、彼は早くもそんなことをする無益さを思い知らねばならなかった。頭の鈍い人たちは、申し立つべき希望の端くれさえ持ち合わしてはいなかったし、才覚のある人たちは、めったなことはけっして口にしなかった。去年も今年も不作で納金に困る由をあれだけ匂わしておきながら、いざ一人になるとそんな明らかなことさえ訴えようとする人はなかった。彼はそれでも十四、五人までは我慢したが、それで全く絶望してもう小作人を呼び入れることはしなかった。そして火鉢の上に掩いかぶさるようにして、一人で考えこんでしまった。なんということもなく、父に対する反抗の気持ちが、押さえても押さえても湧き上がってきて、どうすることもできなかった。
ほど経てから内儀さんが恐る恐るやって来て、夕食のしたくができたからと言って来た。食慾は不思議になくなっていたけれども、彼はしょうことなしに父の座敷へと帰って行った。そこはもうすっかりかたづけられていて、矢部を正座に、父と監督とが鼎座になって彼の来るのを待っていた。彼は押し黙ったまま自分の座についたが、部屋にはいるとともに感ぜずにはいられなかったのは、そこにただよっているなんともいえぬ気まずい空気だった。さきほどまで少しも物にこだわらないで、自由に話の舵を引いていた矢部がいちばん小むずかしい顔になっていた。彼の来るのを待って箸を取らないのだと思ったのは間違いらしかった。
矢部は彼が部屋にはいって来るのを見ると、よけい顔色を険しくした。そしてとうとうたまりかねたようにその眇眼で父をにらむようにしながら、
「せっかくのおすすめではございますが、私は矢張り御馳走にはならずに発って札幌に帰るといたします。なに、あなた一晩先に帰っていませば一晩だけよけい仕事ができるというものでございますから……私は御覧のとおりの青造ではございますが、幼少から商売のほうではずいぶんたたきつけられたもんで……しかし今夜ほどあらぬお疑いを被って男を下げたことは前後にございますまいよ。とにかく商売だって商売道と申します。不束ながらそれだけの道は尽くしたつもりでございますが、それを信じていただけなければお話には継ぎ穂の出ようがありませんです。……じゃ早田君、君のことは十分申し上げておいたから、これからこちらの人になって一つ堅固にやってあげてくださいまし。……私はこれで失礼いたします」
とはきはき言って退けた。彼にはこれは実に意外の言葉だった。父は黙ってまじまじと癇癪玉を一時に敲きつけたような言葉を聞いていたが、父にしては存外穏やかななだめるような調子になっていた。
「なにも俺しはそれほどあなたに信用を置かんというのではないのですが、事務はどこまでも事務なのだから明らかにしておかなければ私の気が済まんのです。時刻も遅いからお泊りなさい今夜は」
「ありがとうございますが帰らせていただきます」
「そうですか、それではやむを得ないが、では御相談のほうは今までのお話どおりでよいのですな」
「御念には及びません。よいようにお取り計らいくださればそれでもう結構でございます」
矢部はこのうえ口をきくのもいやだという風で挨拶一つすると立ち上がった。彼と監督とは事務所のほうまで矢部を送って出たが、監督が急がしく靴をはこうとしているのを見ると、矢部は押しかえすような手つきをして、
「早田君、君が送ってくれては困る。荷物は誰かに運ばせてください。それでなくてさえ且那はお互いの間を妙にからんで疑っておいでになるのだ。しかし君のことはよくお話ししておいたから……万事が落着するまでは君は私から遠退いているようにしてくれたまえ。送って来ちゃいけませんよ」
それから矢部は彼の方に何か言いかけようとしたが、彼に対してさえ不快を感じたらしく、監督の方に向いて、
「六年間只奉公してあげくの果てに痛くもない腹を探られたのは全くお初つだよ。私も今夜という今夜は、慾もへちまもなく腹を立てちゃった。じゃこちらがすっかりかたずいたうえで、札幌にも出ておいでなさい。その節万事私のほうのかたはつけますから。御免」
「御免」という挨拶だけを彼に残して、矢部は星だけがきらきら輝いた真暗なおもてへ駈け出すように出て行ってしまった。彼はそこに立ったまま、こんな結果になった前後の事情を想像しながら遠ざかってゆく靴音を聞き送っていた。
その晩父は、東京を発った時以来何処に忘れて来たかと思うような笑い顔を取りもどして晩酌を傾けた。そこに行くとあまり融通のきかない監督では物足らない風で、彼を対手に話を拡げて行こうとしたが、彼は父に対する胸いっぱいの反感で見向きもしたくなかった。それでも父は気に障えなかった。そしてしかたなしに監督に向きなおって、その父に当たる人の在世当時の思い出話などをして一人興がった。
「元気のいい老人だったよ、どうも。酔うといつでも大肌ぬぎになって、すわったままひとり角力を取って見せたものだったが、どうした癖か、唇を締めておいて、ぷっぷっと唾を霧のように吹き出すのには閉口した」
そんなことをおおげさに言いだして父は高笑いをした。監督も懐旧の情を催すらしく、人のいい微笑を口のはたに浮かべて、
「ほんとにそうでした」
と気のなさそうな合槌を打っていた。
そのうちに夜はいいかげん更けてしまった。監督が膳を引いてしまうと、気まずい二人が残った。しかし父のほうは少しも気まずそうには見えなかった。矢部の前で、十一、二の子供でも叱りつけるような小言を言ったことなどもからっと忘れてしまっているようだった。
「うまいことに行った。矢部という男はかねてからなかなか手ごわい悧巧者だとにらんでいたから、俺しは今日の策戦には人知れぬ苦労をした。そのかいあって、先方がとうとう腹を立ててしまったのだ。掛引きで腹を立てたら立てたほうが敗け勝負だよ。貸し越しもあったので実はよけい心配もしたのだが、そんなものを全部差し引くことにして報酬共に五千円で農場全部がこちらのものになったのだ。これでこの農場の仕事は成功に終わったといっていいわけだ」
「私には少しも成功とは思えませんが……」
これだけを言うのにも彼の声は震えていた。しかし日ごろの沈黙に似ず、彼は今夜だけは思う存分に言ってしまわなければ、胸に物がつまっていて、当分は寝ることもできないような暴れた気持ちになってしまっていたのだ。
「今日農場内を歩いてみると、開墾のはじめにあなたとここに来ましたね、あの時と百姓の暮らし向きは同じなのに私は驚きました。小作料を徴収したり、成墾費が安く上がったりしたことには成功したかもしれませんが、農場としてはいったいどこが成功しているんでしょう」
「そんなことを言ったってお前、水呑百姓といえばいつの世にでも似たり寄ったりの生活をしているものだ。それが金持ちになったら汗水垂らして畑をするものなどは一人もいなくなるだろう」
「それにしてもあれはあんまりひどすぎます」
「お前は百歩をもって五十歩を笑っとるんだ」
「しかし北海道にだって小作人に対してずっといい分割りを与えているところはたくさんありますよ」
「それはあったとしたら帳簿を調べてみるがいい、きっと損をしているから」
「農民をあんな惨めな状態におかなければ利益のないものなら、農場という仕事はうそですね」
「お前は全体本当のことがこの世の中にあるとでも思っとるのか」
父は息子の融通のきかないのにも呆れるというようにそっぽを向いてしまった。
「思ってはいませんがね。しかし私にはどうしても現在のようにうそばかりで固めた生活ではやり切れません。矢部という人に対してのあなたの態度なども、お考えになったらあなたもおいやでしょう。まるでぺてんですものね。始めから先方に腹を立てさすつもりで談判をするなどというのは、馬鹿馬鹿しいくらい私にはいやな気持ちです」
彼は思い切ってここまで突っ込んだ。
「お前はいやな気持ちか」
「いやな気持ちです」
「俺しはいい気持ちだ」
父は見下だすように彼を見やりながら、おもむろに眼鏡をはずすと、両手で顔を逆なでになで上げた。彼は憤激ではち切れそうになった。
「私はあなたをそんなかただとは思っていませんでしたよ」
突然、父は心の底から本当の怒りを催したらしかった。
「お前は親に対してそんな口をきいていいと思っとるのか」
「どこが悪いのです」
「お前のような薄ぼんやりにはわかるまいさ」
二人の言葉はぎこちなく途切れてしまった。彼は堅い決心をしていた。今夜こそは徹底的に父と自分との間の黒白をつけるまでは夜明かしでもしよう。父はややしばらく自分の怒りをもて余しているらしかったが、やがて強いてそれを押さえながら、ぴちりぴちりと句点でも切るように話し始めた。
「いいか。よく聞いていて考えてみろ。矢部は商人なのだぞ。商売というものはな、どこかで嘘をしなければ成り立たん性質のものなのだ。昔から士農工商というが、あれは誠と嘘との使いわけの程度によって、順序を立てたので、仕事の性質がそうなっているのだ。ちょっと見るとなんでもないようだが、古人の考えにはおろそかでないところがあるだろう。俺しは今日その商人を相手にしたのだから、先方の得手に乗せられては、みすみす自分で自分を馬鹿者にしていることになるのだ。といってからに俺しには商人のような嘘はできないのだから、無理押しにでも矢部の得手を封ずるほかはないではないか」
彼はそんな手にはかかるものかと思った。
「そんならある意味で小作人をあざむいて利益を壟断している地主というものはあれはどの階級に属するのでしょう」
「こう言えばああ言うそのお前の癖は悪い癖だぞ。物はもっと考えてから言うがいい。土地を貸し付けてその地代を取るのが何がいつわりだ」
「そう言えば商人だっていくぶん人の便利を計って利益を取っているんですね」
理につまったのか、怒りに堪えなかったのか、父は押し黙ってしまった。禿げ上がった額の生え際まで充血して、手あたりしだいに巻煙草を摘み上げて囲炉裡の火に持ってゆくその手は激しく震えていた。彼は父がこれほど怒ったのを見たことがなかった。父は煙草をそこまで持ってゆくと、急に思いかえして、そのまま畳の上に投げ捨ててしまった。
ややしばらくしてから父はきわめて落ち着いた物腰でさとすように、
「それほど父に向かって理屈が言いたければ、立派に一人前の仕事をして、立派に一人前の生活ができたうえで言うがいい。何一つようし得ないで物を言ってみたところが、それは得手勝手というものだぞ……聞いていればお前はさっきから俺しのすることを嘘だ嘘だと言いののしっとるが、お前は本当のことを何処でしたことがあるかい。人と生まれた以上、こういう娑婆にいればいやでも嘘をせにゃならんのは人間の約束事なのだ。嘘の中でもできるだけ嘘をせんようにと心がけるのが徳というものなのだ。それともお前は俺しの眼の前に嘘をせんでいい世の中を作ってみせてくれるか。そしたら俺しもお前に未練なく兜を脱ぐがな」
父のこの言葉ははっしと彼の心の真唯中を割って過ぎた。実際彼は刃のようなひやっとしたものを肉体のどこかに感じたように思った。そして凝り上がるほど肩をそびやかして興奮していた自分を後ろめたく見いだした。父はさらに言葉を続けた。
「こんな小さな農場一つをこれだけにするのにも俺しがどれほど苦心をしたかお前は現在見ていたはずだ。いらざる取り越し苦労ばかりすると思うかもしれんが、あれほどの用意をしても世の中の事は水が漏れたがるものでな。そこはお前のような理屈一遍ではとてもわかるまいが」
なるほどそれは彼にとっては手痛い刃だ。そこまで押しつめられると、今までの彼は何事も言い得ずに黙ってしまっていた。しかし今夜こそはそこを突きぬけよう。そして父に彼の本質をしっかり知ってもらおうと心を定めた。
「わからないかもしれません。実際あなたが東京を発つ前からこの事ばかり思いつめていらっしゃるのを見ていると、失礼ながらお気の毒にさえ感じたほどでした。……私は全くそうした理想屋です。夢ばかり見ているような人間です。……けれども私の気持ちもどうか考えてください。私はこれまで何一つしでかしてはいません。自体何をすればいいのか、それさえ見きわめがついていないような次第です。ひょっとすると生涯こうして考えているばかりで暮らすのかもしれないんですが、とにかく嘘をしなければ生きて行けないような世の中が無我無性にいやなんです。ちょっと待ってください。も少し言わせてください。……嘘をするのは世の中ばかりじゃもちろんありません。私自身が嘘のかたまりみたいなものです。けれどもそうでありたくない気持ちがやたらに私を攻め立てるのです。だから自分の信じている人や親しい人が私の前で平気で嘘をやってるのを見ると、思わず知らず自分のことは棚に上げて腹が立ってくるのです。これもしかたがないと思うんですが、……」
「遊んでいて飯が食えると自由自在にそんな気持ちも起こるだろうな」
何を太平楽を言うかと言わんばかりに、父は憎々しく皮肉を言った。
「せめては遊びながら飯の食えるものだけでもこんなことを言わなければ罰があたりますよ」
彼も思わず皮肉になった。父に養われていればこそこんなはずかしめも受けるのだ。なんという弱い自分だろう。彼は皮肉を言いながらも自分のふがいなさをつくづく思い知らねばならなかった。それと同時に親子の関係がどんな釘に引っかかっているかを垣間見たようにも思った。親子といえども互いの本質にくると赤の他人にすぎないのだなという淋しさも襲ってきた。乞食にでもなってやろう、彼はその瞬間はたとそう思ったりした。自分の本質のために父が甘んじて衣食を給してくれているとの信頼が、三十にも手のとどく自分としては虫のよすぎることだったのだと省みられた。
おそらく彼のその心の動きが父に鋭く響いたのだろう、父は今までの怒りに似げなく、自分にも思いがけないようなため息を吐いた。彼は思わず父を見上げた。父は畳一畳ほどの前をじっと見守って遠いことでも考えているようだった。
「俺しがこうして齷齪とこの年になるまで苦労しているのもおかしなことだが……」
父の声は改まってしんみりとひとりごとのようになった。
「今お前は理想屋だとか言ったな。それだ。俺しはこのとおりの男だ。土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには道楽という道楽も別段あるではなし、一家が暮らして行くのにはもったいないほどの出世をしたといってもいいのだ。今のようなぜいたくは実は俺しにとっては法外なことだがな。けれどもお前はじめ五人の子を持ってみると、親の心は奇妙なもので先の先まで案じられてならんのだ。……それにお前は、俺しのしつけが悪かったとでもいうのか、生まれつきなのか、お前の今言った理想屋で、てんで俗世間のことには無頓着だからな。たとえばお前が世過ぎのできるだけの仕事にありついたとしても、弟や妹たちにどんなやくざ者ができるか、不仕合わせが持ち上がるかしれたものではないのだ。そうした場合にこの農場にでもはいり込んで土をせせっていればとにもかくにも食いつないでは行けるだろうと思ったのが、こんなめんどうな仕事を始めた俺しの趣意なのだ。……長男となれば、日本では、なんといってもお前にあとの子供たちのめんどうがかかるのだから……」
父の言葉はだんだん本当に落ち着いてしんみりしてきた。
「俺しは元来金のことにかけては不得手至極なほうで、人一倍に苦心をせにゃ人並みの考えが浮かんで来ん。お前たちから見たら、この年をしながら金のことばかり考えていると思うかもしらんが、人が半日で思いつくところを俺しは一日がかりでやっと追いついて行くありさまだから……」
そう言って父は取ってつけたように笑った。
「今の世の中では自分がころんだが最後、世間はふり向きもしないのだから……まあお前も考えどおりやるならやってみるがいい。お前がなんと思おうと俺しは俺しだけのことはして行くつもりだ。……『その義にあらざれば一介も受けず。その義にあらざれば一介も与えず』という言葉があるな。今の世の中でまず嘘のないのはこうした生き方のほかにはないらしいて」
こう言って父はぽっつりと口をつぐんだ。
彼は何も言うことができなくなってしまった。「よしやり抜くぞ」という決意が鉄丸のように彼の胸の底に沈むのを覚えた。不思議な感激――それは血のつながりからのみ来ると思わしい熱い、しかし同時に淋しい感激が彼の眼に涙をしぼり出そうとした。
厠に立った父の老いた後姿を見送りながら彼も立ち上がった。縁側に出て雨戸から外を眺めた。北海道の山の奥の夜は静かに深更へと深まっていた。大きな自然の姿が遠く彼の眼の前に拡がっていた。 | 底本:「カインの末裔」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年10月30日改版初版発行
1991(平成3)年7月20日改版25版発行
初出:「泉」
1923(大正12)年5月
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2006年5月18日作成
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(一)
長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼れは黙りこくって歩いた。大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼れの妻は、少し跛脚をひきながら三、四間も離れてその跡からとぼとぼとついて行った。
北海道の冬は空まで逼っていた。蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤のように跡から跡から吹き払っていった。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。
二人は言葉を忘れた人のようにいつまでも黙って歩いた。馬が溺りをする時だけ彼れは不性無性に立どまった。妻はその暇にようやく追いついて背の荷をゆすり上げながら溜息をついた。馬が溺りをすますと二人はまた黙って歩き出した。
「ここらおやじ(熊の事)が出るずら」
四里にわたるこの草原の上で、たった一度妻はこれだけの事をいった。慣れたものには時刻といい、所柄といい熊の襲来を恐れる理由があった。彼れはいまいましそうに草の中に唾を吐き捨てた。
草原の中の道がだんだん太くなって国道に続く所まで来た頃には日は暮れてしまっていた。物の輪郭が円味を帯びずに、堅いままで黒ずんで行くこちんとした寒い晩秋の夜が来た。
着物は薄かった。そして二人は餓え切っていた。妻は気にして時々赤坊を見た。生きているのか死んでいるのか、とにかく赤坊はいびきも立てないで首を右の肩にがくりと垂れたまま黙っていた。
国道の上にはさすがに人影が一人二人動いていた。大抵は市街地に出て一杯飲んでいたのらしく、行違いにしたたか酒の香を送ってよこすものもあった。彼れは酒の香をかぐと急にえぐられるような渇きと食欲とを覚えて、すれ違った男を見送ったりしたが、いまいましさに吐き捨てようとする唾はもう出て来なかった。糊のように粘ったものが唇の合せ目をとじ付けていた。
内地ならば庚申塚か石地蔵でもあるはずの所に、真黒になった一丈もありそうな標示杭が斜めになって立っていた。そこまで来ると干魚をやく香がかすかに彼れの鼻をうったと思った。彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなくなった。鬣と尻尾だけが風に従ってなびいた。
「何んていうだ農場は」
背丈けの図抜けて高い彼れは妻を見おろすようにしてこうつぶやいた。
「松川農場たらいうだが」
「たらいうだ? 白痴」
彼れは妻と言葉を交わしたのが癪にさわった。そして馬の鼻をぐんと手綱でしごいてまた歩き出した。暗らくなった谷を距てて少し此方よりも高い位の平地に、忘れたように間をおいてともされた市街地のかすかな灯影は、人気のない所よりもかえって自然を淋しく見せた。彼れはその灯を見るともう一種のおびえを覚えた。人の気配をかぎつけると彼れは何んとか身づくろいをしないではいられなかった。自然さがその瞬間に失われた。それを意識する事が彼れをいやが上にも仏頂面にした。「敵が眼の前に来たぞ。馬鹿な面をしていやがって、尻子玉でもひっこぬかれるな」とでもいいそうな顔を妻の方に向けて置いて、歩きながら帯をしめ直した。良人の顔付きには気も着かないほど眼を落した妻は口をだらりと開けたまま一切無頓着でただ馬の跡について歩いた。
K市街地の町端れには空屋が四軒までならんでいた。小さな窓は髑髏のそれのような真暗な眼を往来に向けて開いていた。五軒目には人が住んでいたがうごめく人影の間に囲炉裡の根粗朶がちょろちょろと燃えるのが見えるだけだった。六軒目には蹄鉄屋があった。怪しげな煙筒からは風にこきおろされた煙の中にまじって火花が飛び散っていた。店は熔炉の火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て方向を変えさせられた風の脚が意趣に砂を捲き上げた。砂は蹄鉄屋の前の火の光に照りかえされて濛々と渦巻く姿を見せた。仕事場の鞴の囲りには三人の男が働いていた。鉄砧にあたる鉄槌の音が高く響くと疲れ果てた彼れの馬さえが耳を立てなおした。彼れはこの店先きに自分の馬を引張って来る時の事を思った。妻は吸い取られるように暖かそうな火の色に見惚れていた。二人は妙にわくわくした心持ちになった。
蹄鉄屋の先きは急に闇が濃かくなって大抵の家はもう戸じまりをしていた。荒物屋を兼ねた居酒屋らしい一軒から食物の香と男女のふざけ返った濁声がもれる外には、真直な家並は廃村のように寒さの前にちぢこまって、電信柱だけが、けうとい唸りを立てていた。彼れと馬と妻とは前の通りに押黙って歩いた。歩いては時折り思い出したように立停った。立停ってはまた無意味らしく歩き出した。
四、五町歩いたと思うと彼らはもう町はずれに来てしまっていた。道がへし折られたように曲って、その先きは、真闇な窪地に、急な勾配を取って下っていた。彼らはその突角まで行ってまた立停った。遙か下の方からは、うざうざするほど繁り合った濶葉樹林に風の這入る音の外に、シリベシ河のかすかな水の音だけが聞こえていた。
「聞いて見ずに」
妻は寒さに身をふるわしながらこううめいた。
「汝聞いて見べし」
いきなりそこにしゃごんでしまった彼れの声は地の中からでも出て来たようだった。妻は荷をゆりあげて鼻をすすりすすり取って返した。一軒の家の戸を敲いて、ようやく松川農場のありかを教えてもらった時は、彼れの姿を見分けかねるほど遠くに来ていた。大きな声を出す事が何んとなく恐ろしかった。恐ろしいばかりではない、声を出す力さえなかった。そして跛脚をひきひきまた返って来た。
彼らは眠くなるほど疲れ果てながらまた三町ほど歩かねばならなかった。そこに下見囲、板葺の真四角な二階建が外の家並を圧して立っていた。
妻が黙ったまま立留ったので、彼れはそれが松川農場の事務所である事を知った。ほんとうをいうと彼れは始めからこの建物がそれにちがいないと思っていたが、這入るのがいやなばかりに知らんふりをして通りぬけてしまったのだ。もう進退窮った。彼れは道の向側の立樹の幹に馬を繋いで、燕麦と雑草とを切りこんだ亜麻袋を鞍輪からほどいて馬の口にあてがった。ぼりりぼりりという歯ぎれのいい音がすぐ聞こえ出した。彼れと妻とはまた道を横切って、事務所の入口の所まで来た。そこで二人は不安らしく顔を見合わせた。妻がぎごちなそうに手を挙げて髪をいじっている間に彼れは思い切って半分ガラスになっている引戸を開けた。滑車がけたたましい音をたてて鉄の溝を滑った。がたぴしする戸ばかりをあつかい慣れている彼れの手の力があまったのだ。妻がぎょっとするはずみに背の赤坊も眼を覚して泣き出した。帳場にいた二人の男は飛び上らんばかりに驚いてこちらを見た。そこには彼れと妻とが泣く赤坊の始末もせずにのそりと突立っていた。
「何んだ手前たちは、戸を開けっぱなしにしくさって風が吹き込むでねえか。這入るのなら早く這入って来う」
紺のあつしをセルの前垂れで合せて、樫の角火鉢の横座に坐った男が眉をしかめながらこう怒鳴った。人間の顔――殊にどこか自分より上手な人間の顔を見ると彼れの心はすぐ不貞腐れるのだった。刃に歯向う獣のように捨鉢になって彼れはのさのさと図抜けて大きな五体を土間に運んで行った。妻はおずおずと戸を閉めて戸外に立っていた、赤坊の泣くのも忘れ果てるほどに気を転倒させて。
声をかけたのは三十前後の、眼の鋭い、口髭の不似合な、長顔の男だった。農民の間で長顔の男を見るのは、豚の中で馬の顔を見るようなものだった。彼れの心は緊張しながらもその男の顔を珍らしげに見入らない訳には行かなかった。彼れは辞儀一つしなかった。
赤坊が縊り殺されそうに戸の外で泣き立てた。彼れはそれにも気を取られていた。
上框に腰をかけていたもう一人の男はやや暫らく彼れの顔を見つめていたが、浪花節語りのような妙に張りのある声で突然口を切った。
「お主は川森さんの縁のものじゃないんかの。どうやら顔が似とるじゃが」
今度は彼れの返事も待たずに長顔の男の方を向いて、
「帳場さんにも川森から話いたはずじゃがの。主がの血筋を岩田が跡に入れてもらいたいいうてな」
また彼れの方を向いて、
「そうじゃろがの」
それに違いなかった。しかし彼れはその男を見ると虫唾が走った。それも百姓に珍らしい長い顔の男で、禿げ上った額から左の半面にかけて火傷の跡がてらてらと光り、下瞼が赤くべっかんこをしていた。そして唇が紙のように薄かった。
帳場と呼ばれた男はその事なら飲み込めたという風に、時々上眼で睨み睨み、色々な事を彼れに聞き糺した。そして帳場机の中から、美濃紙に細々と活字を刷った書類を出して、それに広岡仁右衛門という彼れの名と生れ故郷とを記入して、よく読んでから判を押せといって二通つき出した。仁右衛門(これから彼れという代りに仁右衛門と呼ぼう)は固より明盲だったが、農場でも漁場でも鉱山でも飯を食うためにはそういう紙の端に盲判を押さなければならないという事は心得ていた。彼れは腹がけの丼の中を探り廻わしてぼろぼろの紙の塊をつかみ出した。そして筍の皮を剥ぐように幾枚もの紙を剥がすと真黒になった三文判がころがり出た。彼れはそれに息気を吹きかけて証書に孔のあくほど押しつけた。そして渡された一枚を判と一緒に丼の底にしまってしまった。これだけの事で飯の種にありつけるのはありがたい事だった。戸外では赤坊がまだ泣きやんでいなかった。
「俺ら銭こ一文も持たねえからちょっぴり借りたいだが」
赤坊の事を思うと、急に小銭がほしくなって、彼れがこういい出すと、帳場は呆れたように彼れの顔を見詰めた、――こいつは馬鹿な面をしているくせに油断のならない横紙破りだと思いながら。そして事務所では金の借貸は一切しないから縁者になる川森からでも借りるがいいし、今夜は何しろ其所に行って泊めてもらえと注意した。仁右衛門はもう向腹を立ててしまっていた。黙りこくって出て行こうとすると、そこに居合わせた男が一緒に行ってやるから待てととめた。そういわれて見ると彼れは自分の小屋が何所にあるのかを知らなかった。
「それじゃ帳場さん何分宜しゅう頼むがに、塩梅よう親方の方にもいうてな。広岡さん、それじゃ行くべえかの。何とまあ孩児の痛ましくさかぶぞい。じゃまあおやすみ」
彼れは器用に小腰をかがめて古い手提鞄と帽子とを取上げた。裾をからげて砲兵の古靴をはいている様子は小作人というよりも雑穀屋の鞘取りだった。
戸を開けて外に出ると事務所のボンボン時計が六時を打った。びゅうびゅうと風は吹き募っていた。赤坊の泣くのに困じ果てて妻はぽつりと淋しそうに玉蜀黍殻の雪囲いの影に立っていた。
足場が悪いから気を付けろといいながら彼の男は先きに立って国道から畦道に這入って行った。
大濤のようなうねりを見せた収穫後の畑地は、広く遠く荒涼として拡がっていた。眼を遮るものは葉を落した防風林の細長い木立ちだけだった。ぎらぎらと瞬く無数の星は空の地を殊更ら寒く暗いものにしていた。仁右衛門を案内した男は笠井という小作人で、天理教の世話人もしているのだといって聞かせたりした。
七町も八町も歩いたと思うのに赤坊はまだ泣きやまなかった。縊り殺されそうな泣き声が反響もなく風に吹きちぎられて遠く流れて行った。
やがて畦道が二つになる所で笠井は立停った。
「この道をな、こう行くと左手にさえて小屋が見えようがの。な」
仁右衛門は黒い地平線をすかして見ながら、耳に手を置き添えて笠井の言葉を聞き漏らすまいとした。それほど寒い風は激しい音で募っていた。笠井はくどくどとそこに行き着く注意を繰返して、しまいに金が要るなら川森の保証で少し位は融通すると付加えるのを忘れなかった。しかし仁右衛門は小屋の所在が知れると跡は聞いていなかった。餓えと寒さがひしひしと答え出してがたがた身をふるわしながら、挨拶一つせずにさっさと別れて歩き出した。
玉蜀黍殻といたどりの茎で囲いをした二間半四方ほどの小屋が、前のめりにかしいで、海月のような低い勾配の小山の半腹に立っていた。物の饐えた香と積肥の香が擅にただよっていた。小屋の中にはどんな野獣が潜んでいるかも知れないような気味悪さがあった。赤坊の泣き続ける暗闇の中で仁右衛門が馬の背からどすんと重いものを地面に卸す音がした。痩馬は荷が軽るくなると鬱積した怒りを一時にぶちまけるように嘶いた。遙かの遠くでそれに応えた馬があった。跡は風だけが吹きすさんだ。
夫婦はかじかんだ手で荷物を提げながら小屋に這入った。永く火の気は絶えていても、吹きさらしから這入るとさすがに気持ちよく暖かった。二人は真暗な中を手さぐりであり合せの古蓆や藁をよせ集めてどっかと腰を据えた。妻は大きな溜息をして背の荷と一緒に赤坊を卸して胸に抱き取った。乳房をあてがって見たが乳は枯れていた。赤坊は堅くなりかかった歯齦でいやというほどそれを噛んだ。そして泣き募った。
「腐孩子! 乳首食いちぎるに」
妻は慳貪にこういって、懐から塩煎餅を三枚出して、ぽりぽりと噛みくだいては赤坊の口にあてがった。
「俺らがにも越せ」
いきなり仁右衛門が猿臂を延ばして残りを奪い取ろうとした。二人は黙ったままで本気に争った。食べるものといっては三枚の煎餅しかないのだから。
「白痴」
吐き出すように良人がこういった時勝負はきまっていた。妻は争い負けて大部分を掠奪されてしまった。二人はまた押黙って闇の中で足しない食物を貪り喰った。しかしそれは結局食欲をそそる媒介になるばかりだった。二人は喰い終ってから幾度も固唾を飲んだが火種のない所では南瓜を煮る事も出来なかった。赤坊は泣きづかれに疲れてほっぽり出されたままに何時の間にか寝入っていた。
居鎮まって見ると隙間もる風は刃のように鋭く切り込んで来ていた。二人は申合せたように両方から近づいて、赤坊を間に入れて、抱寝をしながら藁の中でがつがつと震えていた。しかしやがて疲労は凡てを征服した。死のような眠りが三人を襲った。
遠慮会釈もなく迅風は山と野とをこめて吹きすさんだ。漆のような闇が大河の如く東へ東へと流れた。マッカリヌプリの絶巓の雪だけが燐光を放ってかすかに光っていた。荒らくれた大きな自然だけがそこに甦った。
こうして仁右衛門夫婦は、何処からともなくK村に現われ出て、松川農場の小作人になった。
(二)
仁右衛門の小屋から一町ほど離れて、K村から倶知安に通う道路添いに、佐藤与十という小作人の小屋があった。与十という男は小柄で顔色も青く、何年たっても齢をとらないで、働きも甲斐なそうに見えたが、子供の多い事だけは農場一だった。あすこの嚊は子種をよそから貰ってでもいるんだろうと農場の若い者などが寄ると戯談を言い合った。女房と言うのは体のがっしりした酒喰いの女だった。大人数なために稼いでも稼いでも貧乏しているので、だらしのない汚い風はしていたが、その顔付きは割合に整っていて、不思議に男に逼る淫蕩な色を湛えていた。
仁右衛門がこの農場に這入った翌朝早く、与十の妻は袷一枚にぼろぼろの袖無しを着て、井戸――といっても味噌樽を埋めたのに赤鏽の浮いた上層水が四分目ほど溜ってる――の所でアネチョコといい慣わされた舶来の雑草の根に出来る薯を洗っていると、そこに一人の男がのそりとやって来た。六尺近い背丈を少し前こごみにして、営養の悪い土気色の顔が真直に肩の上に乗っていた。当惑した野獣のようで、同時に何所か奸譎い大きな眼が太い眉の下でぎろぎろと光っていた。それが仁右衛門だった。彼れは与十の妻を見ると一寸ほほえましい気分になって、
「おっかあ、火種べあったらちょっぴり分けてくれずに」
といった。与十の妻は犬に出遇った猫のような敵意と落着きを以て彼れを見た。そして見つめたままで黙っていた。
仁右衛門は脂のつまった大きな眼を手の甲で子供らしくこすりながら、
「俺らあすこの小屋さ来たもんだのし。乞食ではねえだよ」
といってにこにこした。罪のない顔になった。与十の妻は黙って小屋に引きかえしたが、真暗な小屋の中に臥乱れた子供を乗りこえ乗りこえ囲炉裡の所に行って粗朶を一本提げて出て来た。仁右衛門は受取ると、口をふくらましてそれを吹いた。そして何か一言二言話しあって小屋の方に帰って行った。
この日も昨夜の風は吹き落ちていなかった。空は隅から隅まで底気味悪く晴れ渡っていた。そのために風は地面にばかり吹いているように見えた。佐藤の畑はとにかく秋耕をすましていたのに、それに隣った仁右衛門の畑は見渡す限りかまどがえしとみずひきとあかざととびつかとで茫々としていた。ひき残された大豆の殻が風に吹かれて瓢軽な音を立てていた。あちこちにひょろひょろと立った白樺はおおかた葉をふるい落してなよなよとした白い幹が風にたわみながら光っていた。小屋の前の亜麻をこいだ所だけは、こぼれ種から生えた細い茎が青い色を見せていた。跡は小屋も畑も霜のために白茶けた鈍い狐色だった。仁右衛門の淋しい小屋からはそれでもやがて白い炊煙がかすかに漏れはじめた。屋根からともなく囲いからともなく湯気のように漏れた。
朝食をすますと夫婦は十年も前から住み馴れているように、平気な顔で畑に出かけて行った。二人は仕事の手配もきめずに働いた。しかし、冬を眼の前にひかえて何を先きにすればいいかを二人ながら本能のように知っていた。妻は、模様も分らなくなった風呂敷を三角に折って露西亜人のように頬かむりをして、赤坊を背中に背負いこんで、せっせと小枝や根っこを拾った。仁右衛門は一本の鍬で四町にあまる畑の一隅から掘り起しはじめた。外の小作人は野良仕事に片をつけて、今は雪囲をしたり薪を切ったりして小屋のまわりで働いていたから、畑の中に立っているのは仁右衛門夫婦だけだった。少し高い所からは何処までも見渡される広い平坦な耕作地の上で二人は巣に帰り損ねた二匹の蟻のようにきりきりと働いた。果敢ない労力に句点をうって、鍬の先きが日の加減でぎらっぎらっと光った。津波のような音をたてて風のこもる霜枯れの防風林には烏もいなかった。荒れ果てた畑に見切りをつけて鮭の漁場にでも移って行ってしまったのだろう。
昼少しまわった頃仁右衛門の畑に二人の男がやって来た。一人は昨夜事務所にいた帳場だった。今一人は仁右衛門の縁者という川森爺さんだった。眼をしょぼしょぼさせた一徹らしい川森は仁右衛門の姿を見ると、怒ったらしい顔付をしてずかずかとその傍によって行った。
「汝ゃ辞儀一つ知らねえ奴の、何条いうて俺らがには来くさらぬ。帳場さんのう知らしてくさずば、いつまでも知んようもねえだった。先ずもって小屋さ行ぐべし」
三人は小屋に這入った。入口の右手に寝藁を敷いた馬の居所と、皮板を二、三枚ならべた穀物置場があった。左の方には入口の掘立柱から奥の掘立柱にかけて一本の丸太を土の上にわたして土間に麦藁を敷きならしたその上に、所々蓆が拡げてあった。その真中に切られた囲炉裡にはそれでも真黒に煤けた鉄瓶がかかっていて、南瓜のこびりついた欠椀が二つ三つころがっていた。川森は恥じ入る如く、
「やばっちい所で」
といいながら帳場を炉の横座に招じた。
そこに妻もおずおずと這入って来て、恐る恐る頭を下げた。それを見ると仁右衛門は土間に向けてかっと唾を吐いた。馬はびくんとして耳をたてたが、やがて首をのばしてその香をかいだ。
帳場は妻のさし出す白湯の茶碗を受けはしたがそのまま飲まずに蓆の上に置いた。そしてむずかしい言葉で昨夜の契約書の内容をいい聞かし初めた。小作料は三年ごとに書換えの一反歩二円二十銭である事、滞納には年二割五分の利子を付する事、村税は小作に割宛てる事、仁右衛門の小屋は前の小作から十五円で買ってあるのだから来年中に償還すべき事、作跡は馬耕して置くべき事、亜麻は貸付地積の五分の一以上作ってはならぬ事、博奕をしてはならぬ事、隣保相助けねばならぬ事、豊作にも小作料は割増しをせぬ代りどんな凶作でも割引は禁ずる事、場主に直訴がましい事をしてはならぬ事、掠奪農業をしてはならぬ事、それから云々、それから云々。
仁右衛門はいわれる事がよく飲み込めはしなかったが、腹の中では糞を喰らえと思いながら、今まで働いていた畑を気にして入口から眺めていた。
「お前は馬を持ってるくせに何んだって馬耕をしねえだ。幾日もなく雪になるだに」
帳場は抽象論から実際論に切込んで行った。
「馬はあるが、プラオがねえだ」
仁右衛門は鼻の先きであしらった。
「借りればいいでねえか」
「銭子がねえかんな」
会話はぷつんと途切れてしまった。帳場は二度の会見でこの野蛮人をどう取扱わねばならぬかを飲み込んだと思った。面と向って埒のあく奴ではない。うっかり女房にでも愛想を見せれば大事になる。
「まあ辛抱してやるがいい。ここの親方は函館の金持ちで物の解った人だかんな」
そういって小屋を出て行った。仁右衛門も戸外に出て帳場の元気そうな後姿を見送った。川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけをして置かないと万事に損が行くから今夜にも酒を買って挨拶に行くがいいし、プラオなら自分の所のものを借してやるといっていた。仁右衛門は川森の言葉を聞きながら帳場の姿を見守っていたが、やがてそれが佐藤の小屋に消えると、突然馬鹿らしいほど深い嫉妬が頭を襲って来た。彼れはかっと喉をからして痰を地べたにいやというほどはきつけた。
夫婦きりになると二人はまた別々になってせっせと働き出した。日が傾きはじめると寒さは一入に募って来た。汗になった所々は氷るように冷たかった。仁右衛門はしかし元気だった。彼れの真闇な頭の中の一段高い所とも覚しいあたりに五十銭銀貨がまんまるく光って如何しても離れなかった。彼れは鍬を動かしながら眉をしかめてそれを払い落そうと試みた。しかしいくら試みても光った銀貨が落ちないのを知ると白痴のようににったりと独笑いを漏していた。
昆布岳の一角には夕方になるとまた一叢の雲が湧いて、それを目がけて日が沈んで行った。
仁右衛門は自分の耕した畑の広さを一わたり満足そうに見やって小屋に帰った。手ばしこく鍬を洗い、馬糧を作った。そして鉢巻の下ににじんだ汗を袖口で拭って、炊事にかかった妻に先刻の五十銭銀貨を求めた。妻がそれをわたすまでには二、三度横面をなぐられねばならなかった。仁右衛門はやがてぶらりと小屋を出た。妻は独りで淋しく夕飯を食った。仁右衛門は一片の銀貨を腹がけの丼に入れて見たり、出して見たり、親指で空に弾き上げたりしながら市街地の方に出懸けて行った。
九時――九時といえば農場では夜更けだ――を過ぎてから仁右衛門はいい酒機嫌で突然佐藤の戸口に現われた。佐藤の妻も晩酌に酔いしれていた。与十と鼎座になって三人は囲炉裡をかこんでまた飲みながら打解けた馬鹿話をした。仁右衛門が自分の小屋に着いた時には十一時を過ぎていた。妻は燃えかすれる囲炉裡火に背を向けて、綿のはみ出た蒲団を柏に着てぐっすり寝込んでいた。仁右衛門は悪戯者らしくよろけながら近寄ってわっといって乗りかかるように妻を抱きすくめた。驚いて眼を覚した妻はしかし笑いもしなかった。騒ぎに赤坊が眼をさました。妻が抱き上げようとすると、仁右衛門は遮りとめて妻を横抱きに抱きすくめてしまった。
「そうれまんだ肝べ焼けるか。こう可愛がられても肝べ焼けるか。可愛い獣物ぞい汝は。見ずに。今にな俺ら汝に絹の衣装べ着せてこすぞ。帳場の和郎(彼れは所きらわず唾をはいた)が寝言べこく暇に、俺ら親方と膝つきあわして話して見せるかんな。白痴奴。俺らが事誰れ知るもんで。汝ゃ可愛いぞ。心から可愛いぞ。宜し。宜し。汝ゃこれ嫌いでなかんべさ」
といいながら懐から折木に包んだ大福を取出して、その一つをぐちゃぐちゃに押しつぶして息気のつまるほど妻の口にあてがっていた。
(三)
から風の幾日も吹きぬいた挙句に雲が青空をかき乱しはじめた。霙と日の光とが追いつ追われつして、やがて何所からともなく雪が降るようになった。仁右衛門の畑はそうなるまでに一部分しか耡起されなかったけれども、それでも秋播小麦を播きつけるだけの地積は出来た。妻の勤労のお蔭で一冬分の燃料にも差支ない準備は出来た。唯困るのは食料だった。馬の背に積んで来ただけでは幾日分の足しにもならなかった。仁右衛門はある日馬を市街地に引いて行って売り飛ばした。そして麦と粟と大豆とをかなり高い相場で買って帰らねばならなかった。馬がないので馬車追いにもなれず、彼れは居食いをして雪が少し硬くなるまでぼんやりと過していた。
根雪になると彼れは妻子を残して木樵に出かけた。マッカリヌプリの麓の払下官林に入りこんで彼れは骨身を惜まず働いた。雪が解けかかると彼れは岩内に出て鰊場稼ぎをした。そして山の雪が解けてしまう頃に、彼れは雪焼けと潮焼けで真黒になって帰って来た。彼れの懐は十分重かった。仁右衛門は農場に帰るとすぐ逞しい一頭の馬と、プラオと、ハーローと、必要な種子を買い調えた。彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み放題に膿んだ畑から、恵深い日の光に照らされて水蒸気の濛々と立上る様を待ち遠しげに眺めやった。マッカリヌプリは毎日紫色に暖かく霞んだ。林の中の雪の叢消えの間には福寿草の茎が先ず緑をつけた。つぐみとしじゅうからとが枯枝をわたってしめやかなささ啼きを伝えはじめた。腐るべきものは木の葉といわず小屋といわず存分に腐っていた。
仁右衛門は眼路のかぎりに見える小作小屋の幾軒かを眺めやって糞でも喰えと思った。未来の夢がはっきりと頭に浮んだ。三年経った後には彼れは農場一の大小作だった。五年の後には小さいながら一箇の独立した農民だった。十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。その時彼れは三十七だった。帽子を被って二重マントを着た、護謨長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥しいように想像された。
とうとう播種時が来た。山火事で焼けた熊笹の葉が真黒にこげて奇跡の護符のように何所からともなく降って来る播種時が来た。畑の上は急に活気だった。市街地にも種物商や肥料商が入込んで、たった一軒の曖昧屋からは夜ごとに三味線の遠音が響くようになった。
仁右衛門は逞しい馬に、磨ぎすましたプラオをつけて、畑におりたった。耡き起される土壌は適度の湿気をもって、裏返るにつれてむせるような土の香を送った。それが仁右衛門の血にぐんぐんと力を送ってよこした。
凡てが順当に行った。播いた種は伸をするようにずんずん生い育った。仁右衛門はあたり近所の小作人に対して二言目には喧嘩面を見せたが六尺ゆたかの彼れに楯つくものは一人もなかった。佐藤なんぞは彼れの姿を見るとこそこそと姿を隠した。「それ『まだか』が来おったぞ」といって人々は彼れを恐れ憚った。もう顔がありそうなものだと見上げても、まだ顔はその上の方にあるというので、人々は彼れを「まだか」と諢名していたのだ。
時々佐藤の妻と彼れとの関係が、人々の噂に上るようになった。
一日働き暮すとさすが労働に慣れ切った農民たちも、眼の廻るようなこの期節の忙しさに疲れ果てて、夕飯もそこそこに寝込んでしまったが、仁右衛門ばかりは日が入っても手が痒くてしようがなかった。彼れは星の光をたよりに野獣のように畑の中で働き廻わった。夕飯は囲炉裡の火の光でそこそこにしたためた。そうしてはぶらりと小屋を出た。そして農場の鎮守の社の傍の小作人集会所で女と会った。
鎮守は小高い密樹林の中にあった。ある晩仁右衛門はそこで女を待ち合わしていた。風も吹かず雨も降らず、音のない夜だった。女の来ようは思いの外早い事も腹の立つほどおそい事もあった。仁右衛門はだだっ広い建物の入口の所で膝をだきながら耳をそばだてていた。
枝に残った枯葉が若芽にせきたてられて、時々かさっと地に落ちた。天鵞絨のように滑かな空気は動かないままに彼れをいたわるように押包んだ。荒くれた彼れの神経もそれを感じない訳には行かなかった。物なつかしいようななごやかな心が彼れの胸にも湧いて来た。彼れは闇の中で不思議な幻覚に陥りながら淡くほほえんだ。
足音が聞こえた。彼れの神経は一時に叢立った。しかしやがて彼れの前に立ったのはたしかに女の形ではなかった。
「誰れだ汝ゃ」
低かったけれども闇をすかして眼を据えた彼れの声は怒りに震えていた。
「お主こそ誰れだと思うたら広岡さんじゃな。何んしに今時こないな所にいるのぞい」
仁右衛門は声の主が笠井の四国猿奴だと知るとかっとなった。笠井は農場一の物識りで金持だ。それだけで癇癪の種には十分だ。彼れはいきなり笠井に飛びかかって胸倉をひっつかんだ。かーっといって出した唾を危くその面に吐きつけようとした。
この頃浮浪人が出て毎晩集会所に集って焚火なぞをするから用心が悪い、と人々がいうので神社の世話役をしていた笠井は、おどかしつけるつもりで見廻りに来たのだった。彼れは固より樫の棒位の身じたくはしていたが、相手が「まだか」では口もきけないほど縮んでしまった。
「汝ゃ俺らが媾曳の邪魔べこく気だな、俺らがする事に汝が手だしはいんねえだ。首ねっこべひんぬかれんな」
彼れの言葉はせき上る息気の間に押しひしゃげられてがらがら震えていた。
「そりゃ邪推じゃがなお主」
と笠井は口早にそこに来合せた仔細と、丁度いい機会だから折入って頼む事がある旨をいいだした。仁右衛門は卑下して出た笠井にちょっと興味を感じて胸倉から手を離して、閾に腰をすえた。暗闇の中でも、笠井が眼をきょとんとさせて火傷の方の半面を平手で撫でまわしているのが想像された。そしてやがて腰を下して、今までの慌てかたにも似ず悠々と煙草入を出してマッチを擦った。折入って頼むといったのは小作一同の地主に対する苦情に就いてであった。一反歩二円二十銭の畑代はこの地方にない高相場であるのに、どんな凶年でも割引をしないために、小作は一人として借金をしていないものはない。金では取れないと見ると帳場は立毛の中に押収してしまう。従って市街地の商人からは眼の飛び出るような上前をはねられて食代を買わねばならぬ。だから今度地主が来たら一同で是非とも小作料の値下を要求するのだ。笠井はその総代になっているのだが一人では心細いから仁右衛門も出て力になってくれというのであった。
「白痴なことこくなてえば。二両二貫が何高値いべ。汝たちが骨節は稼ぐようには造ってねえのか。親方には半文の借りもした覚えはねえからな、俺らその公事には乗んねえだ。汝先ず親方にべなって見べし。ここのがよりも欲にかかるべえに。……芸もねえ事に可愛くもねえ面つんだすなてば」
仁右衛門はまた笠井のてかてかした顔に唾をはきかけたい衝動にさいなまれたが、我慢してそれを板の間にはき捨てた。
「そうまあ一概にはいうもんでないぞい」
「一概にいったが何条悪いだ。去ね。去ねべし」
「そういえど広岡さん……」
「汝ゃ拳固こと喰らいていがか」
女を待ちうけている仁右衛門にとっては、この邪魔者の長居しているのがいまいましいので、言葉も仕打ちも段々荒らかになった。
執着の強い笠井も立なければならなくなった。その場を取りつくろう世辞をいって怒った風も見せずに坂を下りて行った。道の二股になった所で左に行こうとすると、闇をすかしていた仁右衛門は吼えるように「右さ行くだ」と厳命した。笠井はそれにも背かなかった。左の道を通って女が通って来るのだ。
仁右衛門はまた独りになって闇の中にうずくまった。彼れは憤りにぶるぶる震えていた。生憎女の来ようがおそかった。怒った彼れには我慢が出来きらなかった。女の小屋に荒れこむ勢で立上ると彼れは白昼大道を行くような足どりで、藪道をぐんぐん歩いて行った。ふとある疎藪の所で彼れは野獣の敏感さを以て物のけはいを嗅ぎ知った。彼れははたと立停ってその奥をすかして見た。しんとした夜の静かさの中で悪謔うような淫らな女の潜み笑いが聞こえた。邪魔の入ったのを気取って女はそこに隠れていたのだ。嗅ぎ慣れた女の臭いが鼻を襲ったと仁右衛門は思った。
「四つ足めが」
叫びと共に彼れは疎藪の中に飛びこんだ。とげとげする触感が、寝る時のほか脱いだ事のない草鞋の底に二足三足感じられたと思うと、四足目は軟いむっちりした肉体を踏みつけた。彼れは思わずその足の力をぬこうとしたが、同時に狂暴な衝動に駈られて、満身の重みをそれに托した。
「痛い」
それが聞きたかったのだ。彼れの肉体は一度に油をそそぎかけられて、そそり立つ血のきおいに眼がくるめいた。彼れはいきなり女に飛びかかって、所きらわず殴ったり足蹴にしたりした。女は痛いといいつづけながらも彼れにからまりついた。そして噛みついた。彼れはとうとう女を抱きすくめて道路に出た。女は彼れの顔に鋭く延びた爪をたてて逃れようとした。二人はいがみ合う犬のように組み合って倒れた。倒れながら争った。彼れはとうとう女を取逃がした。はね起きて追いにかかると一目散に逃げたと思った女は、反対に抱きついて来た。二人は互に情に堪えかねてまた殴ったり引掻いたりした。彼れは女のたぶさを掴んで道の上をずるずる引張って行った。集会所に来た時は二人とも傷だらけになっていた。有頂天になった女は一塊の火の肉となってぶるぶる震えながら床の上にぶっ倒れていた。彼れは闇の中に突っ立ちながら焼くような昂奮のためによろめいた。
(四)
春の天気の順当であったのに反して、その年は六月の初めから寒気と淫雨とが北海道を襲って来た。旱魃に饑饉なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事で、畑ばかりのK村なぞは雨の多い方はまだ仕やすいとしたものだが、その年の長雨には溜息を漏さない農民はなかった。
森も畑も見渡すかぎり真青になって、掘立小屋ばかりが色を変えずに自然をよごしていた。時雨のような寒い雨が閉ざし切った鈍色の雲から止途なく降りそそいだ。低味の畦道に敷ならべたスリッパ材はぶかぶかと水のために浮き上って、その間から真菰が長く延びて出た。蝌斗が畑の中を泳ぎ廻ったりした。郭公が森の中で淋しく啼いた。小豆を板の上に遠くでころがすような雨の音が朝から晩まで聞えて、それが小休むと湿気を含んだ風が木でも草でも萎ましそうに寒く吹いた。
ある日農場主が函館から来て集会所で寄合うという知らせが組長から廻って来た。仁右衛門はそんな事には頓着なく朝から馬力をひいて市街地に出た。運送店の前にはもう二台の馬力があって、脚をつまだてるようにしょんぼりと立つ輓馬の鬣は、幾本かの鞭を下げたように雨によれて、その先きから水滴が絶えず落ちていた。馬の背からは水蒸気が立昇った。戸を開けて中に這入ると馬車追いを内職にする若い農夫が三人土間に焚火をしてあたっていた。馬車追いをする位の農夫は農夫の中でも冒険的な気の荒い手合だった。彼らは顔にあたる焚火のほてりを手や足を挙げて防ぎながら、長雨につけこんで村に這入って来た博徒の群の噂をしていた。捲き上げようとして這入り込みながら散々手を焼いて駅亭から追い立てられているような事もいった。
「お前も一番乗って儲かれや」
とその中の一人は仁右衛門をけしかけた。店の中はどんよりと暗く湿っていた。仁右衛門は暗い顔をして唾をはき捨てながら、焚火の座に割り込んで黙っていた。ぴしゃぴしゃと気疎い草鞋の音を立てて、往来を通る者がたまさかにあるばかりで、この季節の賑い立った様子は何処にも見られなかった。帳場の若いものは筆を持った手を頬杖にして居眠っていた。こうして彼らは荷の来るのをぼんやりして二時間あまりも待ち暮した。聞くに堪えないような若者どもの馬鹿話も自然と陰気な気分に押えつけられて、動ともすると、沈黙と欠伸が拡がった。
「一はたりはたらずに」
突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるようになって、いう事をきかないではいられなかった。蓆が持ち出された。四人は車座になった。一人は気軽く若い者の机の上から湯呑茶碗を持って来た。もう一人の男の腹がけの中からは骰子が二つ取出された。
店の若い者が眼をさまして見ると、彼らは昂奮した声を押つぶしながら、無気になって勝負に耽っていた。若い者は一寸誘惑を感じたが気を取直して、
「困るでねえか、そうした事店頭でおっ広げて」
というと、
「困ったら積荷こと探して来う」
と仁右衛門は取り合わなかった。
昼になっても荷の回送はなかった。仁右衛門は自分からいい出しながら、面白くない勝負ばかりしていた。何方に変るか自分でも分らないような気分が驀地に悪い方に傾いて来た。気を腐らせれば腐らすほど彼れのやまは外れてしまった。彼れはくさくさしてふいと座を立った。相手が何とかいうのを振向きもせずに店を出た。雨は小休なく降り続けていた。昼餉の煙が重く地面の上を這っていた。
彼れはむしゃくしゃしながら馬力を引ぱって小屋の方に帰って行った。だらしなく降りつづける雨に草木も土もふやけ切って、空までがぽとりと地面の上に落ちて来そうにだらけていた。面白くない勝負をして焦立った仁右衛門の腹の中とは全く裏合せな煮え切らない景色だった。彼れは何か思い切った事をしてでも胸をすかせたく思った。丁度自分の畑の所まで来ると佐藤の年嵩の子供が三人学校の帰途と見えて、荷物を斜に背中に背負って、頭からぐっしょり濡れながら、近路するために畑の中を歩いていた。それを見ると仁右衛門は「待て」といって呼びとめた。振向いた子供たちは「まだか」の立っているのを見ると三人とも恐ろしさに顔の色を変えてしまった。殴りつけられる時するように腕をまげて目八分の所にやって、逃げ出す事もし得ないでいた。
「童子連は何条いうて他人の畑さ踏み込んだ。百姓の餓鬼だに畑のう大事がる道知んねえだな。来う」
仁王立ちになって睨みすえながら彼れは怒鳴った。子供たちはもうおびえるように泣き出しながら恐ず恐ず仁右衛門の所に歩いて来た。待ちかまえた仁右衛門の鉄拳はいきなり十二ほどになる長女の痩せた頬をゆがむほどたたきつけた。三人の子供は一度に痛みを感じたように声を挙げてわめき出した。仁右衛門は長幼の容捨なく手あたり次第に殴りつけた。
小屋に帰ると妻は蓆の上にペッたんこに坐って馬にやる藁をざくりざくり切っていた。赤坊はいんちこの中で章魚のような頭を襤褸から出して、軒から滴り落ちる雨垂れを見やっていた。彼れの気分にふさわない重苦しさが漲って、運送店の店先に較べては何から何まで便所のように穢かった。彼は黙ったままで唾をはき捨てながら馬の始末をするとすぐまた外に出た。雨は膚まで沁み徹ってぞくぞく寒かった。彼れの癇癪は更らにつのった。彼れはすたすたと佐藤の小屋に出かけた。が、ふと集会所に行ってる事に気がつくとその足ですぐ神社をさして急いだ。
集会所には朝の中から五十人近い小作者が集って場主の来るのを待っていたが、昼過ぎまで待ちぼけを喰わされてしまった。場主はやがて帳場を伴につれて厚い外套を着てやって来た。上座に坐ると勿体らしく神社の方を向いて柏手を打って黙拝をしてから、居合わせてる者らには半分も解らないような事をしたり顔にいい聞かした。小作者らはけげんな顔をしながらも、場主の言葉が途切れると尤もらしくうなずいた。やがて小作者らの要求が笠井によって提出せらるべき順番が来た。彼れは先ず親方は親で小作は子だと説き出して、小作者側の要求をかなり強くいい張った跡で、それはしかし無理な御願いだとか、物の解らない自分たちが考える事だからだとか、そんな事は先ず後廻しでもいい事だとか、自分のいい出した事を自分で打壊すような添言葉を付加えるのを忘れなかった。仁右衛門はちょうどそこに行き合せた。彼れは入口の羽目板に身をよせてじっと聞いていた。
「こうまあ色々とお願いしたじゃからは、お互も心をしめて帳場さんにも迷惑をかけぬだけにはせずばなあ(ここで彼れは一同を見渡した様子だった)。『万国心をあわせてな』と天理教のお歌様にもある通り、定まった事は定まったようにせんとならんじゃが、多い中じゃに無理もないようなものの、亜麻などを親方、ぎょうさんつけたものもあって、まこと済まん次第じゃが、無理が通れば道理もひっこみよるで、なりませんじゃもし」
仁右衛門は場規もかまわず畑の半分を亜麻にしていた。で、その言葉は彼れに対するあてこすりのように聞こえた。
「今日なども顔を出しよらん横道者もありますじゃで……」
仁右衛門は怒りのために耳がかァんとなった。笠井はまだ何か滑らかにしゃべっていた。
場主がまだ何か訓示めいた事をいうらしかったが、やがてざわざわと人の立つ気配がした。仁右衛門は息気を殺して出て来る人々を窺がった。場主が帳場と一緒に、後から笠井に傘をさしかけさせて出て行った。労働で若年の肉を鍛えたらしい頑丈な場主の姿は、何所か人を憚からした。仁右衛門は笠井を睨みながら見送った。やや暫らくすると場内から急にくつろいだ談笑の声が起った。そして二、三人ずつ何か談り合いながら小作者らは小屋をさして帰って行った。やや遅れて伴れもなく出て来たのは佐藤だった。小さな後姿は若々しくって青年のようだった。仁右衛門は木の葉のように震えながらずかずかと近づくと、突然後ろからその右の耳のあたりを殴りつけた。不意を喰って倒れんばかりによろけた佐藤は、跡も見ずに耳を押えながら、猛獣の遠吠を聞いた兎のように、前に行く二、三人の方に一目散にかけ出してその人々を楯に取った。
「汝ゃ乞食か盗賊か畜生か。よくも汝が餓鬼どもさ教唆けて他人の畑こと踏み荒したな。殴ちのめしてくれずに。来」
仁右衛門は火の玉のようになって飛びかかった。当の二人と二、三人の留男とは毬になって赤土の泥の中をころげ廻った。折重なった人々がようやく二人を引分けた時は、佐藤は何所かしたたか傷を負って死んだように青くなっていた。仲裁したものはかかり合いからやむなく、仁右衛門に付添って話をつけるために佐藤の小屋まで廻り道をした。小屋の中では佐藤の長女が隅の方に丸まって痛い痛いといいながらまだ泣きつづけていた。炉を間に置いて佐藤の妻と広岡の妻とはさし向いに罵り合っていた。佐藤の妻は安座をかいて長い火箸を右手に握っていた。広岡の妻も背に赤ん坊を背負って、早口にいい募っていた。顔を血だらけにして泥まみれになった佐藤の跡から仁右衛門が這入って来るのを見ると、佐藤の妻は訳を聞く事もせずにがたがた震える歯を噛み合せて猿のように唇の間からむき出しながら仁右衛門の前に立ちはだかって、飛び出しそうな怒りの眼で睨みつけた。物がいえなかった。いきなり火箸を振上げた。仁右衛門は他愛もなくそれを奪い取った。噛みつこうとするのを押しのけた。そして仲裁者が一杯飲もうと勧めるのも聴かずに妻を促して自分の小屋に帰って行った。佐藤の妻は素跣のまま仁右衛門の背に罵詈を浴せながら怒精のようについて来た。そして小屋の前に立ちはだかって、囀るように半ば夢中で仁右衛門夫婦を罵りつづけた。
仁右衛門は押黙ったまま囲炉裡の横座に坐って佐藤の妻の狂態を見つめていた。それは仁右衛門には意外の結果だった。彼れの気分は妙にかたづかないものだった。彼れは佐藤の妻の自分から突然離れたのを怒ったりおかしく思ったり惜んだりしていた。仁右衛門が取合わないので彼女はさすがに小屋の中には這入らなかった。そして皺枯れた声でおめき叫びながら雨の中を帰って行ってしまった。仁右衛門の口の辺にはいかにも人間らしい皮肉な歪みが現われた。彼れは結局自分の智慧の足りなさを感じた。そしてままよと思っていた。
凡ての興味が全く去ったのを彼れは覚えた。彼れは少し疲れていた。始めて本統の事情を知った妻から嫉妬がましい執拗い言葉でも聞いたら少しの道楽気もなく、どれほどな残虐な事でもやり兼ねないのを知ると、彼れは少し自分の心を恐れねばならなかった。彼れは妻に物をいう機会を与えないために次から次へと命令を連発した。そして晩い昼飯をしたたか喰った。がらっと箸を措くと泥だらけなびしょぬれな着物のままでまたぶらりと小屋を出た。この村に這入りこんだ博徒らの張っていた賭場をさして彼の足はしょう事なしに向いて行った。
(五)
よくこれほどあるもんだと思わせた長雨も一カ月ほど降り続いて漸く晴れた。一足飛びに夏が来た。何時の間に花が咲いて散ったのか、天気になって見ると林の間にある山桜も、辛夷も青々とした広葉になっていた。蒸風呂のような気持ちの悪い暑さが襲って来て、畑の中の雑草は作物を乗りこえて葎のように延びた。雨のため傷められたに相異ないと、長雨のただ一つの功徳に農夫らのいい合った昆虫も、すさまじい勢で発生した。甘藍のまわりにはえぞしろちょうが夥しく飛び廻った。大豆にはくちかきむしの成虫がうざうざするほど集まった。麦類には黒穂の、馬鈴薯にはべと病の徴候が見えた。虻と蚋とは自然の斥候のようにもやもやと飛び廻った。濡れたままに積重ねておいた汚れ物をかけわたした小屋の中からは、あらん限りの農夫の家族が武具を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれた。
鼻歌も歌わずに、汗を肥料のように畑の土に滴らしながら、農夫は腰を二つに折って地面に噛り付いた。耕馬は首を下げられるだけ下げて、乾き切らない土の中に脚を深く踏みこみながら、絶えず尻尾で虻を追った。しゅっと音をたてて襲って来る毛の束にしたたか打れた虻は、血を吸って丸くなったまま、馬の腹からぽとりと地に落ちた。仰向けになって鋼線のような脚を伸したり縮めたりして藻掻く様は命の薄れるもののように見えた。暫くするとしかしそれはまた器用に翅を使って起きかえった。そしてよろよろと草の葉裏に這いよった。そして十四、五分の後にはまた翅をはってうなりを立てながら、眼を射るような日の光の中に勇ましく飛び立って行った。
夏物が皆無作というほどの不出来であるのに、亜麻だけは平年作位にはまわった。青天鵞絨の海となり、瑠璃色の絨氈となり、荒くれた自然の中の姫君なる亜麻の畑はやがて小紋のような果をその繊細な茎の先きに結んで美しい狐色に変った。
「こんなに亜麻をつけては仕様がねえでねえか。畑が枯れて跡地には何んだって出来はしねえぞ。困るな」
ある時帳場が見廻って来て、仁右衛門にこういった。
「俺らがも困るだ。汝れが困ると俺らが困るとは困りようが土台ちがわい。口が干上るんだあぞ俺がのは」
仁右衛門は突慳貪にこういい放った。彼れの前にあるおきては先ず食う事だった。
彼れはある日亜麻の束を見上げるように馬力に積み上げて倶知安の製線所に出かけた。製線所では割合に斤目をよく買ってくれたばかりでなく、他の地方が不作なために結実がなかったので、亜麻種を非常な高値で引取る約束をしてくれた。仁右衛門の懐の中には手取り百円の金が暖くしまわれた。彼れは畑にまだしこたま残っている亜麻の事を考えた。彼れは居酒屋に這入った。そこにはK村では見られないような綺麗な顔をした女もいた。仁右衛門の酒は必ずしも彼れをきまった型には酔わせなかった。或る時は彼れを怒りっぽく、或る時は悒鬱に、或る時は乱暴に、或る時は機嫌よくした。その日の酒は勿論彼れを上機嫌にした。一緒に飲んでいるものが利害関係のないのも彼れには心置きがなかった。彼れは酔うままに大きな声で戯談口をきいた。そういう時の彼れは大きな愚かな子供だった。居合せたものはつり込まれて彼れの周囲に集った。女まで引張られるままに彼れの膝に倚りかかって、彼れの頬ずりを無邪気に受けた。
「汝がの頬に俺が髭こ生えたらおかしかんべなし」
彼れはそんな事をいった。重いその口からこれだけの戯談が出ると女なぞは腹をかかえて笑った。陽がかげる頃に彼れは居酒屋を出て反物屋によって華手なモスリンの端切れを買った。またビールの小瓶を三本と油糟とを馬車に積んだ。倶知安からK村に通う国道はマッカリヌプリの山裾の椴松帯の間を縫っていた。彼れは馬力の上に安座をかいて瓶から口うつしにビールを煽りながら濁歌をこだまにひびかせて行った。幾抱えもある椴松は羊歯の中から真直に天を突いて、僅かに覗かれる空には昼月が少し光って見え隠れに眺められた。彼れは遂に馬力の上に酔い倒れた。物慣れた馬は凸凹の山道を上手に拾いながら歩いて行った。馬車はかしいだり跳ねたりした。その中で彼れは快い夢に入ったり、面白い現に出たりした。
仁右衛門はふと熟睡から破られて眼をさました。その眼にはすぐ川森爺さんの真面目くさった一徹な顔が写った。仁右衛門の軽い気分にはその顔が如何にもおかしかったので、彼れは起き上りながら声を立てて笑おうとした。そして自分が馬力の上にいて自分の小屋の前に来ている事に気がついた。小屋の前には帳場も佐藤も組長の某もいた。それはこの小屋の前では見慣れない光景だった。川森は仁右衛門が眼を覚ましたのを見ると、
「早う内さ行くべし。汝が嬰子はおっ死ぬべえぞ。赤痢さとッつかれただ」
といった。他愛のない夢から一足飛びにこの恐ろしい現実に呼びさまされた彼れの心は、最初に彼れの顔を高笑いにくずそうとしたが、すぐ次ぎの瞬間に、彼れの顔の筋肉を一度気にひきしめてしまった。彼れは顔中の血が一時に頭の中に飛び退いたように思った。仁右衛門は酔いが一時に醒めてしまって馬力から飛び下りた。小屋の中にはまだ二、三人人がいた。妻はと見ると虫の息に弱った赤坊の側に蹲っておいおい泣いていた。笠井が例の古鞄を膝に引つけてその中から護符のようなものを取出していた。
「お、広岡さんええ所に帰ったぞな」
笠井が逸早く仁右衛門を見付けてこういうと、仁右衛門の妻は恐れるように怨むように訴えるように夫を見返って、黙ったまま泣き出した。仁右衛門はすぐ赤坊の所に行って見た。章魚のような大きな頭だけが彼れの赤坊らしい唯一つのものだった。たった半日の中にこうも変るかと疑われるまでにその小さな物は衰え細っていた。仁右衛門はそれを見ると腹が立つほど淋しく心許なくなった。今まで経験した事のないなつかしさ可愛さが焼くように心に逼って来た。彼れは持った事のないものを強いて押付けられたように当惑してしまった。その押付けられたものは恐ろしく重い冷たいものだった。何よりも先ず彼れは腹の力の抜けて行くような心持ちをいまいましく思ったがどうしようもなかった。
勿体ぶって笠井が護符を押いただき、それで赤坊の腹部を呪文を称えながら撫で廻わすのが唯一の力に思われた。傍にいる人たちも奇蹟の現われるのを待つように笠井のする事を見守っていた。赤坊は力のない哀れな声で泣きつづけた。仁右衛門は腸をむしられるようだった。それでも泣いている間はまだよかった。赤坊が泣きやんで大きな眼を引つらしたまま瞬きもしなくなると、仁右衛門はおぞましくも拝むような眼で笠井を見守った。小屋の中は人いきれで蒸すように暑かった。笠井の禿上った額からは汗の玉がたらたらと流れ出た。それが仁右衛門には尊くさえ見えた。小半時赤坊の腹を撫で廻わすと、笠井はまた古鞄の中から紙包を出して押いただいた。そして口に手拭を喰わえてそれを開くと、一寸四方ほどな何か字の書いてある紙片を摘み出して指の先きで丸めた。水を持って来さしてそれをその中へ浸した。仁右衛門はそれを赤坊に飲ませろとさし出されたが、飲ませるだけの勇気もなかった。妻は甲斐甲斐しく良人に代った。渇き切っていた赤坊は喜んでそれを飲んだ。仁右衛門は有難いと思っていた。
「わしも子は亡くした覚えがあるで、お主の心持ちはようわかる。この子を助けようと思ったら何せ一心に天理王様に頼まっしゃれ。な。合点か。人間業では及ばぬ事じゃでな」
笠井はそういってしたり顔をした。仁右衛門の妻は泣きながら手を合せた。
赤坊は続けさまに血を下した。そして小屋の中が真暗になった日のくれぐれに、何物にか助けを求める成人のような表情を眼に現わして、あてどもなくそこらを見廻していたが、次第次第に息が絶えてしまった。
赤坊が死んでから村医は巡査に伴れられて漸くやって来た。香奠代りの紙包を持って帳場も来た。提灯という見慣れないものが小屋の中を出たり這入ったりした。仁右衛門夫婦の嗅ぎつけない石炭酸の香は二人を小屋から追出してしまった。二人は川森に付添われて西に廻った月の光の下にしょんぼり立った。
世話に来た人たちは一人去り二人去り、やがて川森も笠井も去ってしまった。
水を打ったような夜の涼しさと静かさとの中にかすかな虫の音がしていた。仁右衛門は何という事なしに妻が癪にさわってたまらなかった。妻はまた何という事なしに良人が憎まれてならなかった。妻は馬力の傍にうずくまり、仁右衛門はあてもなく唾を吐き散らしながら小屋の前を行ったり帰ったりした。よその農家でこの凶事があったら少くとも隣近所から二、三人の者が寄り合って、買って出した酒でも飲みちらしながら、何かと話でもして夜を更かすのだろう。仁右衛門の所では川森さえ居残っていないのだ。妻はそれを心から淋しく思ってしくしくと泣いていた。物の三時間も二人はそうしたままで何もせずにぼんやり小屋の前で月の光にあわれな姿をさらしていた。
やがて仁右衛門は何を思い出したのかのそのそと小屋の中に這入って行った。妻は眼に角を立てて首だけ後ろに廻わして洞穴のような小屋の入口を見返った。暫らくすると仁右衛門は赤坊を背負って、一丁の鍬を右手に提げて小屋から出て来た。
「ついて来う」
そういって彼れはすたすたと国道の方に出て行った。簡単な啼声で動物と動物とが互を理解し合うように、妻は仁右衛門のしようとする事が呑み込めたらしく、のっそりと立上ってその跡に随った。そしてめそめそと泣き続けていた。
夫婦が行き着いたのは国道を十町も倶知安の方に来た左手の岡の上にある村の共同墓地だった。そこの上からは松川農場を一面に見渡して、ルベシベ、ニセコアンの連山も川向いの昆布岳も手に取るようだった。夏の夜の透明な空気は青み亘って、月の光が燐のように凡ての光るものの上に宿っていた。蚊の群がわんわんうなって二人に襲いかかった。
仁右衛門は死体を背負ったまま、小さな墓標や石塔の立列った間の空地に穴を掘りだした。鍬の土に喰い込む音だけが景色に少しも調和しない鈍い音を立てた。妻はしゃがんだままで時々頬に来る蚊をたたき殺しながら泣いていた。三尺ほどの穴を掘り終ると仁右衛門は鍬の手を休めて額の汗を手の甲で押拭った。夏の夜は静かだった。その時突然恐ろしい考が彼れの吐胸を突いて浮んだ。彼れはその考に自分ながら驚いたように呆れて眼を見張っていたが、やがて大声を立てて頑童の如く泣きおめき始めた。その声は醜く物凄かった。妻はきょっとんとして、顔中を涙にしながら恐ろしげに良人を見守った。
「笠井の四国猿めが、嬰子事殺しただ。殺しただあ」
彼れは醜い泣声の中からそう叫んだ。
翌日彼れはまた亜麻の束を馬力に積もうとした。そこには華手なモスリンの端切れが乱雲の中に現われた虹のようにしっとり朝露にしめったまま穢ない馬力の上にしまい忘られていた。
(六)
狂暴な仁右衛門は赤坊を亡くしてから手がつけられないほど狂暴になった。その狂暴を募らせるように烈しい盛夏が来た。春先きの長雨を償うように雨は一滴も降らなかった。秋に収穫すべき作物は裏葉が片端から黄色に変った。自然に抵抗し切れない失望の声が、黙りこくった農夫の姿から叫ばれた。
一刻の暇もない農繁の真最中に馬市が市街地に立った。普段ならば人々は見向きもしないのだが、畑作をなげてしまった農夫らは、捨鉢な気分になって、馬の売買にでも多少の儲を見ようとしたから、前景気は思いの外強かった。当日には近村からさえ見物が来たほど賑わった。丁度農場事務所裏の空地に仮小屋が建てられて、爪まで磨き上げられた耕馬が三十頭近く集まった。その中で仁右衛門の出した馬は殊に人の眼を牽いた。
その翌日には競馬があった。場主までわざわざ函館からやって来た。屋台店や見世物小屋がかかって、祭礼に通有な香のむしむしする間を着飾った娘たちが、刺戟の強い色を振播いて歩いた。
競馬場の埒の周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たちは決勝点の所に一段高く桟敷をしつらえてそこから見物した。松川場主の側には子供に付添って笠井の娘が坐っていた。その娘は二、三年前から函館に出て松川の家に奉公していたのだ。父に似て細面の彼女は函館の生活に磨きをかけられて、この辺では際立って垢抜けがしていた。競馬に加わる若い者はその妙齢な娘の前で手柄を見せようと争った。他人の妾に目星をつけて何になると皮肉をいうものもあった。
何しろ競馬は非常な景気だった。勝負がつく度に揚る喝采の声は乾いた空気を伝わって、人々を家の内にじっとさしては置かなかった。
仁右衛門はその頃博奕に耽っていた。始めの中はわざと負けて見せる博徒の手段に甘々と乗せられて、勢い込んだのが失敗の基で、深入りするほど損をしたが、損をするほど深入りしないではいられなかった。亜麻の収利は疾の昔にけし飛んでいた。それでも馬は金輪際売る気がなかった。剰す所は燕麦があるだけだったが、これは播種時から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍糧秣廠に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよりも割がよかったのだ。商人どもはこのボイコットを如何して見過していよう。彼らは農家の戸別訪問をして糧秣廠よりも遙かに高価に引受けると勧誘した。糧秣廠から買入代金が下ってもそれは一応事務所にまとまって下るのだ。その中から小作料だけを差引いて小作人に渡すのだから、農場としては小作料を回収する上にこれほど便利な事はない。小作料を払うまいと決心している仁右衛門は馬鹿な話だと思った。彼れは腹をきめた。そして競馬のために人の注意がおろそかになった機会を見すまして、商人と結托して、事務所へ廻わすべき燕麦をどんどん商人に渡してしまった。
仁右衛門はこの取引をすましてから競馬場にやって来た。彼れは自分の馬で競走に加わるはずになっていたからだ。彼れは裸乗りの名人だった。
自分の番が来ると彼れは鞍も置かずに自分の馬に乗って出て行った。人々はその馬を見ると敬意を払うように互にうなずき合って今年の糶では一番物だと賞め合った。仁右衛門はそういう私語を聞くといい気持ちになって、いやでも勝って見せるぞと思った。六頭の馬がスタートに近づいた。さっと旗が降りた時仁右衛門はわざと出おくれた。彼れは外の馬の跡から内埒へ内埒へとよって、少し手綱を引きしめるようにして駈けさした。ほてった彼の顔から耳にかけて埃を含んだ風が息気のつまるほどふきかかるのを彼れは快く思った。やがて馬場を八分目ほど廻った頃を計って手綱をゆるめると馬は思い存分頸を延ばしてずんずんおくれた馬から抜き出した。彼れが鞭とあおりで馬を責めながら最初から目星をつけていた先頭の馬に追いせまった時には決勝点が近かった。彼れはいらだってびしびしと鞭をくれた。始めは自分の馬の鼻が相手の馬の尻とすれすれになっていたが、やがて一歩一歩二頭の距離は縮まった。狂気のような喚呼が夢中になった彼れの耳にも明かに響いて来た。もう一息と彼れは思った。――その時突然桟敷の下で遊んでいた松川場主の子供がよたよたと埒の中へ這入った。それを見た笠井の娘は我れを忘れて駈け込んだ。「危ねえ」――観衆は一度に固唾を飲んだ。その時先頭にいた馬は娘の華手な着物に驚いたのか、さっときれて仁右衛門の馬の前に出た。と思う暇もなく仁右衛門は空中に飛び上って、やがて敲きつけられるように地面に転がっていた。彼れは気丈にも転がりながらすっくと起き上った。直ぐ彼れの馬の所に飛んで行った。馬はまだ起きていなかった。後趾で反動を取って起きそうにしては、前脚を折って倒れてしまった。訓練のない見物人は潮のように仁右衛門と馬とのまわりに押寄せた。
仁右衛門の馬は前脚を二足とも折ってしまっていた。仁右衛門は惘然したまま、不思議相な顔をして押寄せた人波を見守って立ってる外はなかった。
獣医の心得もある蹄鉄屋の顔を群集の中に見出してようやく正気に返った仁右衛門は、馬の始末を頼んですごすごと競馬場を出た。彼れは自分で何が何だかちっとも分らなかった。彼れは夢遊病者のように人の間を押分けて歩いて行った。事務所の角まで来ると何という事なしにいきなり路の小石を二つ三つ掴んで入口の硝子戸にたたきつけた。三枚ほどの硝子は微塵にくだけて飛び散った。彼れはその音を聞いた。それはしかし耳を押えて聞くように遠くの方で聞こえた。彼れは悠々としてまたそこを歩み去った。
彼れが気がついた時には、何方をどう歩いたのか、昆布岳の下を流れるシリベシ河の河岸の丸石に腰かけてぼんやり河面を眺めていた。彼れの眼の前を透明な水が跡から跡から同じような渦紋を描いては消し描いては消して流れていた。彼れはじっとその戯れを見詰めながら、遠い過去の記憶でも追うように今日の出来事を頭の中で思い浮べていた。凡ての事が他人事のように順序よく手に取るように記憶に甦った。しかし自分が放り出される所まで来ると記憶の糸はぷっつり切れてしまった。彼れはそこの所を幾度も無関心に繰返した。笠井の娘――笠井の娘――笠井の娘がどうしたんだ――彼れは自問自答した。段々眼がかすんで来た。笠井の娘……笠井……笠井だな馬を片輪にしたのは。そう考えても笠井は彼れに全く関係のない人間のようだった。その名は彼れの感情を少しも動かす力にはならなかった。彼れはそうしたままで深い眠りに落ちてしまった。
彼れは夜中になってからひょっくり小屋に帰って来た。入口からぷんと石炭酸の香がした。それを嗅ぐと彼れは始めて正気に返って改めて自分の小屋を物珍らしげに眺めた。そうなると彼れは夢からさめるようにつまらない現実に帰った。鈍った意識の反動として細かい事にも鋭く神経が働き出した。石炭酸の香は何よりも先ず死んだ赤坊を彼れに思い出さした。もし妻に怪我でもあったのではなかったか――彼れは炉の消えて真闇な小屋の中を手さぐりで妻を尋ねた。眼をさまして起きかえった妻の気配がした。
「今頃まで何所さいただ。馬は村の衆が連れて帰ったに。傷しい事べおっびろげてはあ」
妻は眠っていなかったようなはっきりした声でこういった。彼れは闇に慣れて来た眼で小屋の片隅をすかして見た。馬は前脚に重味がかからないように、腹に蓆をあてがって胸の所を梁からつるしてあった。両方の膝頭は白い切れで巻いてあった。その白い色が凡て黒い中にはっきりと仁右衛門の眼に映った。石炭酸の香はそこから漂って来るのだった。彼れは火の気のない囲炉裡の前に、草鞋ばきで頭を垂れたまま安座をかいた。馬もこそっとも音をさせずに黙っていた。蚊のなく声だけが空気のささやきのようにかすかに聞こえていた。仁右衛門は膝頭で腕を組み合せて、寝ようとはしなかった。馬と彼れは互に憐れむように見えた。
しかし翌日になると彼れはまたこの打撃から跳ね返っていた。彼れは前の通りな狂暴な彼れになっていた。彼れはプラオを売って金に代えた。雑穀屋からは、燕麦が売れた時事務所から直接に代価を支払うようにするからといって、麦や大豆の前借りをした。そして馬力を頼んでそれを自分の小屋に運ばして置いて、賭場に出かけた。
競馬の日の晩に村では一大事が起った。その晩おそくまで笠井の娘は松川の所に帰って来なかった。こんな晩に若い男女が畑の奥や森の中に姿を隠すのは珍らしい事でもないので初めの中は打捨てておいたが、余りおそくなるので、笠井の小屋を尋ねさすとそこにもいなかった。笠井は驚いて飛んで来た。しかし広い山野をどう探しようもなかった。夜のあけあけに大捜索が行われた。娘は河添の窪地の林の中に失神して倒れていた。正気づいてから聞きただすと、大きな男が無理やりに娘をそこに連れて行って残虐を極めた辱かしめかたをしたのだと判った。笠井は広岡の名をいってしたり顔に小首を傾けた。事務所の硝子を広岡がこわすのを見たという者が出て来た。
犯人の捜索は極めて秘密に、同時にこんな田舎にしては厳重に行われた。場主の松川は少からざる懸賞までした。しかし手がかりは皆目つかなかった。疑いは妙に広岡の方にかかって行った。赤坊を殺したのは笠井だと広岡の始終いうのは誰でも知っていた。広岡の馬を躓かしたのは間接ながら笠井の娘の仕業だった。蹄鉄屋が馬を広岡の所に連れて行ったのは夜の十時頃だったが広岡は小屋にいなかった。その晩広岡を村で見かけたものは一人もなかった。賭場にさえいなかった。仁右衛門に不利益な色々な事情は色々に数え上げられたが、具体的な証拠は少しも上らないで夏がくれた。
秋の収穫時になるとまた雨が来た。乾燥が出来ないために、折角実ったものまで腐る始末だった。小作はわやわやと事務所に集って小作料割引の歎願をしたが無益だった。彼らは案の定燕麦売揚代金の中から厳密に小作料を控除された。来春の種子は愚か、冬の間を支える食料も満足に得られない農夫が沢山出来た。
その間にあって仁右衛門だけは燕麦の事で事務所に破約したばかりでなく、一文の小作料も納めなかった。綺麗に納めなかった。始めの間帳場はなだめつすかしつして幾らかでも納めさせようとしたが、如何しても応じないので、財産を差押えると威脅した。仁右衛門は平気だった。押えようといって何を押えようぞ、小屋の代金もまだ事務所に納めてはなかった。彼れはそれを知りぬいていた。事務所からは最後の手段として多少の損はしても退場さすと迫って来た。しかし彼れは頑として動かなかった。ペテンにかけられた雑穀屋をはじめ諸商人は貸金の元金は愚か利子さえ出させる事が出来なかった。
(七)
「まだか」、この名は村中に恐怖を播いた。彼れの顔を出す所には人々は姿を隠した。川森さえ疾の昔に仁右衛門の保証を取消して、仁右衛門に退場を迫る人となっていた。市街地でも農場内でも彼れに融通をしようというものは一人もなくなった。佐藤の夫婦は幾度も事務所に行って早く広岡を退場させてくれなければ自分たちが退場すると申出た。駐在巡査すら広岡の事件に関係する事を体よく避けた。笠井の娘を犯したものは――何らの証拠がないにもかかわらず――仁右衛門に相違ないときまってしまった。凡て村の中で起ったいかがわしい出来事は一つ残らず仁右衛門になすりつけられた。
仁右衛門は押太とく腹を据えた。彼れは自分の夢をまだ取消そうとはしなかった。彼れの後悔しているものは博奕だけだった。来年からそれにさえ手を出さなければ、そして今年同様に働いて今年同様の手段を取りさえすれば、三、四年の間に一かど纏まった金を作るのは何でもないと思った。いまに見かえしてくれるから――そう思って彼れは冬を迎えた。
しかし考えて見ると色々な困難が彼れの前には横わっていた。食料は一冬事かかぬだけはあっても、金は哀れなほどより貯えがなかった。馬は競馬以来廃物になっていた。冬の間稼ぎに出れば、その留守に気の弱い妻が小屋から追立てを喰うのは知れ切っていた。といって小屋に居残れば居食いをしている外はないのだ。来年の種子さえ工面のしようのないのは今から知れ切っていた。
焚火にあたって、きかなくなった馬の前脚をじっと見つめながらも考えこんだまま暮すような日が幾日も続いた。
佐藤をはじめ彼れの軽蔑し切っている場内の小作者どもは、おめおめと小作料を搾取られ、商人に重い前借をしているにもかかわらず、とにかくさした屈托もしないで冬を迎えていた。相当の雪囲いの出来ないような小屋は一つもなかった。貧しいなりに集って酒も飲み合えば、助け合いもした。仁右衛門には人間がよってたかって彼れ一人を敵にまわしているように見えた。
冬は遠慮なく進んで行った。見渡す大空が先ず雪に埋められたように何所から何所まで真白になった。そこから雪は滾々としてとめ度なく降って来た。人間の哀れな敗残の跡を物語る畑も、勝ちほこった自然の領土である森林も等しなみに雪の下に埋れて行った。一夜の中に一尺も二尺も積り重なる日があった。小屋と木立だけが空と地との間にあって汚ない斑点だった。
仁右衛門はある日膝まで這入る雪の中をこいで事務所に出かけて行った。いくらでもいいから馬を買ってくれろと頼んで見た。帳場はあざ笑って脚の立たない馬は、金を喰う機械見たいなものだといった。そして竹箆返しに跡釜が出来たから小屋を立退けと逼った。愚図愚図していると今までのような煮え切らない事はして置かない、この村の巡査でまにあわなければ倶知安からでも頼んで処分するからそう思えともいった。仁右衛門は帳場に物をいわれると妙に向腹が立った。鼻をあかしてくれるから見ておれといい捨てて小屋に帰った。
金を喰う機械――それに違いなかった。仁右衛門は不愍さから今まで馬を生かして置いたのを後悔した。彼れは雪の中に馬を引張り出した。老いぼれたようになった馬はなつかしげに主人の手に鼻先きを持って行った。仁右衛門は右手に隠して持っていた斧で眉間を喰らわそうと思っていたが、どうしてもそれが出来なかった。彼れはまた馬を牽いて小屋に帰った。
その翌日彼れは身仕度をして函館に出懸けた。彼れは場主と一喧嘩して笠井の仕遂せなかった小作料の軽減を実行させ、自分も農場にいつづき、小作者の感情をも柔らげて少しは自分を居心地よくしようと思ったのだ。彼れは汽車の中で自分のいい分を十分に考えようとした。しかし列車の中の沢山の人の顔はもう彼れの心を不安にした。彼れは敵意をふくんだ眼で一人一人睨めつけた。
函館の停車場に着くと彼はもうその建物の宏大もないのに胆をつぶしてしまった。不恰好な二階建ての板家に過ぎないのだけれども、その一本の柱にも彼れは驚くべき費用を想像した。彼れはまた雪のかきのけてある広い往来を見て驚いた。しかし彼れの誇りはそんな事に敗けてはいまいとした。動ともするとおびえて胸の中ですくみそうになる心を励まし励まし彼れは巨人のように威丈高にのそりのそりと道を歩いた。人々は振返って自然から今切り取ったばかりのようなこの男を見送った。
やがて彼れは松川の屋敷に這入って行った。農場の事務所から想像していたのとは話にならないほどちがった宏大な邸宅だった。敷台を上る時に、彼れはつまごを脱いでから、我れにもなく手拭を腰から抜いて足の裏を綺麗に押拭った。澄んだ水の表面の外に、自然には決してない滑らかに光った板の間の上を、彼れは気味の悪い冷たさを感じながら、奥に案内されて行った。美しく着飾った女中が主人の部屋の襖をあけると、息気のつまるような強烈な不快な匂が彼れの鼻を強く襲った。そして部屋の中は夏のように暑かった。
板よりも固い畳の上には所々に獣の皮が敷きつめられていて、障子に近い大きな白熊の毛皮の上の盛上るような座蒲団の上に、はったんの褞袍を着こんだ場主が、大火鉢に手をかざして安座をかいていた。仁右衛門の姿を見るとぎろっと睨みつけた眼をそのまま床の方に振り向けた。仁右衛門は場主の一眼でどやし付けられて這入る事も得せずに逡みしていると、場主の眼がまた床の間からこっちに帰って来そうになった。仁右衛門は二度睨みつけられるのを恐れるあまりに、無器用な足どりで畳の上ににちゃっにちゃっと音をさせながら場主の鼻先きまでのそのそ歩いて行って、出来るだけ小さく窮屈そうに坐りこんだ。
「何しに来た」
底力のある声にもう一度どやし付けられて、仁右衛門は思わず顔を挙げた。場主は真黒な大きな巻煙草のようなものを口に銜えて青い煙をほがらかに吹いていた。そこからは気息づまるような不快な匂が彼れの鼻の奥をつんつん刺戟した。
「小作料の一文も納めないで、どの面下げて来臭った。来年からは魂を入れかえろ。そして辞儀の一つもする事を覚えてから出直すなら出直して来い。馬鹿」
そして部屋をゆするような高笑が聞こえた。仁右衛門が自分でも分らない事を寝言のようにいうのを、始めの間は聞き直したり、補ったりしていたが、やがて場主は堪忍袋を切らしたという風にこう怒鳴ったのだ。仁右衛門は高笑いの一とくぎりごとに、たたかれるように頭をすくめていたが、辞儀もせずに夢中で立上った。彼れの顔は部屋の暑さのためと、のぼせ上ったために湯気を出さんばかり赤くなっていた。
仁右衛門はすっかり打摧かれて自分の小さな小屋に帰った。彼れには農場の空の上までも地主の頑丈そうな大きな手が広がっているように思えた。雪を含んだ雲は気息苦しいまでに彼れの頭を押えつけた。「馬鹿」その声は動ともすると彼れの耳の中で怒鳴られた。何んという暮しの違いだ。何んという人間の違いだ。親方が人間なら俺れは人間じゃない。俺れが人間なら親方は人間じゃない。彼れはそう思った。そして唯呆れて黙って考えこんでしまった。
粗朶がぶしぶしと燻ぶるその向座には、妻が襤褸につつまれて、髪をぼうぼうと乱したまま、愚かな眼と口とを節孔のように開け放してぼんやり坐っていた。しんしんと雪はとめ度なく降り出して来た。妻の膝の上には赤坊もいなかった。
その晩から天気は激変して吹雪になった。翌朝仁右衛門が眼をさますと、吹き込んだ雪が足から腰にかけて薄ら積っていた。鋭い口笛のようなうなりを立てて吹きまく風は、小屋をめきりめきりとゆすぶり立てた。風が小凪ぐと滅入るような静かさが囲炉裡まで逼って来た。
仁右衛門は朝から酒を欲したけれども一滴もありようはなかった。寝起きから妙に思い入っているようだった彼れは、何かのきっかけに勢よく立ち上って、斧を取上げた。そして馬の前に立った。馬はなつかしげに鼻先きをつき出した。仁右衛門は無表情な顔をして口をもごもごさせながら馬の眼と眼との間をおとなしく撫でていたが、いきなり体を浮かすように後ろに反らして斧を振り上げたと思うと、力まかせにその眉間に打ちこんだ。うとましい音が彼れの腹に応えて、馬は声も立てずに前膝をついて横倒しにどうと倒れた。痙攣的に後脚で蹴るようなまねをして、潤みを持った眼は可憐にも何かを見詰めていた。
「やれ怖い事するでねえ、傷ましいまあ」
すすぎ物をしていた妻は、振返ってこの様を見ると、恐ろしい眼付きをしておびえるように立上りながらこういった。
「黙れってば。物いうと汝れもたたき殺されっぞ」
仁右衛門は殺人者が生き残った者を脅かすような低い皺枯れた声でたしなめた。
嵐が急にやんだように二人の心にはかーんとした沈黙が襲って来た。仁右衛門はだらんと下げた右手に斧をぶらさげたまま、妻は雑巾のように汚い布巾を胸の所に押しあてたまま、憚るように顔を見合せて突立っていた。
「ここへ来う」
やがて仁右衛門は呻くように斧を一寸動かして妻を呼んだ。
彼れは妻に手伝わせて馬の皮を剥ぎ始めた。生臭い匂が小屋一杯になった。厚い舌をだらりと横に出した顔だけの皮を残して、馬はやがて裸身にされて藁の上に堅くなって横わった。白い腱と赤い肉とが無気味な縞となってそこに曝らされた。仁右衛門は皮を棒のように巻いて藁繩でしばり上げた。
それから仁右衛門のいうままに妻は小屋の中を片付けはじめた。背負えるだけは雑穀も荷造りして大小二つの荷が出来た。妻は良人の心持ちが分るとまた長い苦しい漂浪の生活を思いやっておろおろと泣かんばかりになったが、夫の荒立った気分を怖れて涙を飲みこみ飲みこみした。仁右衛門は小屋の真中に突立って隅から隅まで目測でもするように見廻した。二人は黙ったままでつまごをはいた。妻が風呂敷を被って荷を背負うと仁右衛門は後ろから助け起してやった。妻はとうとう身を震わして泣き出した。意外にも仁右衛門は叱りつけなかった。そして自分は大きな荷を軽々と背負い上げてその上に馬の皮を乗せた。二人は言い合せたようにもう一度小屋を見廻した。
小屋の戸を開けると顔向けも出来ないほど雪が吹き込んだ。荷を背負って重くなった二人の体はまだ堅くならない白い泥の中に腰のあたりまで埋まった。
仁右衛門は一旦戸外に出てから待てといって引返して来た。荷物を背負ったままで、彼れは藁繩の片っ方の端を囲炉裡にくべ、もう一つの端を壁際にもって行ってその上に細く刻んだ馬糧の藁をふりかけた。
天も地も一つになった。颯と風が吹きおろしたと思うと、積雪は自分の方から舞い上るように舞上った。それが横なぐりに靡いて矢よりも早く空を飛んだ。佐藤の小屋やそのまわりの木立は見えたり隠れたりした。風に向った二人の半身は忽ち白く染まって、細かい針で絶間なく刺すような刺戟は二人の顔を真赤にして感覚を失わしめた。二人は睫毛に氷りつく雪を打振い打振い雪の中をこいだ。
国道に出ると雪道がついていた。踏み堅められない深みに落ちないように仁右衛門は先きに立って瀬踏みをしながら歩いた。大きな荷を背負った二人の姿はまろびがちに少しずつ動いて行った。共同墓地の下を通る時、妻は手を合せてそっちを拝みながら歩いた――わざとらしいほど高い声を挙げて泣きながら。二人がこの村に這入った時は一頭の馬も持っていた。一人の赤坊もいた。二人はそれらのものすら自然から奪い去られてしまったのだ。
その辺から人家は絶えた。吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った。
二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。
椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝いて、怒濤のような風の音を籠めていた。二人の男女は蟻のように小さくその林に近づいて、やがてその中に呑み込まれてしまった。
(一九一七、六、一三、鶏鳴を聞きつつ擱筆) | 底本:「カインの末裔 クララの出家」岩波文庫、岩波書店
1940(昭和15)年9月10日第1刷発行
1980(昭和55)年5月16日第25刷改版発行
1990(平成2)年4月15日第35刷発行
底本の親本:「有島武郎著作集 第三輯」新潮社
1918(大正7)年2月刊
初出:「新小説」
1917(大正6)年7月号
入力:鈴木厚司
校正:地田尚
2000年3月4日公開
2005年9月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000204",
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"底本名1": "カインの末裔 クララの出家",
"底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店",
"底本初版発行年1": "1940(昭和15)年9月10日、1980(昭和55)年5月16日第25刷改版",
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"底本の親本名1": "有島武郎著作集 第三輯",
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ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。
ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声をおこっているまもなく、真赤な火が目に映ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたらぼくのそばに寝ているはずのおばあさまが何か黒い布のようなもので、夢中になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれどもぼくはおばあさまの様子がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。
「おばあさま、どうしたの?」
と聞いてみた。おばあさまは戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。
部屋の中は、障子も、壁も、床の間も、ちがいだなも、昼間のように明るくなっていた。おばあさまの影法師が大きくそれに映って、怪物か何かのように動いていた。ただおばあさまがぼくに一言も物をいわないのが変だった。急に唖になったのだろうか。そしていつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。
これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは夢中になっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたらあんなに弱いおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたのでぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。
火事なんだ。おばあさまが一人で消そうとしているんだ。それがわかるとおばあさま一人ではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋を飛び出して、おとうさんとおかあさんとが寝ている離れの所へ行って、
「おとうさん……おかあさん……」
と思いきり大きな声を出した。
ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチがいつのまにかそこに来ていて、きゃんきゃんとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻きのままで飛び出して来た。
「どうしたというの?」
とおかあさんはないしょ話のような小さな声で、ぼくの両肩をしっかりおさえてぼくに聞いた。
「たいへんなの……」
「たいへんなの、ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「大変なの」きりであとは声が出なかった。
おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手を引いて、ぼくの部屋の方に行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。その時おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつ向いてぼくの耳の所に口をつけて、
「早く早くおとうさんをお起こしして……それからお隣に行って、……お隣のおじさんを起こすんです、火事ですって……いいかい、早くさ」
そんなことをおかあさんはいったようだった。
そこにおとうさんも走って来た。ぼくはおとうさんにはなんにもいわないで、すぐ上がり口に行った。そこは真暗だった。はだしで土間に飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、暗やみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外に飛び出した。戸外も真暗で寒かった。ふだんなら気味が悪くって、とても夜中にひとりで歩くことなんかできないのだけれども、その晩だけはなんともなかった。ただ何かにつまずいてころびそうなので、思いきり足を高く上げながら走った。ぼくを悪者とでも思ったのか、いきなりポチが走って来て、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知れると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけて来た。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐ変な鳴き声を立てながら家の方に帰っていってしまった。
ぼくも夢中で駆けた。お隣のおじさんの門をたたいて、
「火事だよう!」
と二、三度どなった。その次の家も起こすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまで真暗だったのに、屋根の下の所あたりから火がちょろちょろと燃え出していた。ぱちぱちとたき火のような音も聞こえていた。ポチの鳴き声もよく聞こえていた。
ぼくの家は町からずっとはなれた高台にある官舎町にあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影がぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、次の家から次の家へとどなって歩いた。
二十軒ぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分の家からずいぶん遠くに来てしまっていた。すこし気味が悪くなってぼくは立ちどまってしまった。そしてもう一度家の方を見た。もう火はだいぶ燃え上がって、そこいらの木や板べいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃えて、火の子が空の方に高く上がって行った。ぱちぱちという音のほかに、ぱんぱんと鉄砲をうつような音も聞こえていた。立ちどまってみると、ぼくのからだはぶるぶるふるえて、ひざ小僧と下あごとががちがち音を立てるかと思うほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思うと、とてもその先までどなって歩く気にはなれないで、いきなり来た道を夢中で走りだした。走りながらもぼくは燃え上がる火から目をはなさなかった。真暗ななかに、ぼくの家だけがたき火のように明るかった。顔までほてってるようだった。何か大きな声でわめき合う人の声がした。そしてポチの気ちがいのように鳴く声が。
町の方からは半鐘も鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日からは何を食べて、どこに寝るのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。
家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走って来るのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇にしっかりとかかえていた。妹も弟も大きな声を出して泣いていた。ぼくはいきなりその大きな男は人さらいだと思った。官舎町の後ろは山になっていて、大きな森の中の古寺に一人の乞食が住んでいた。ぼくたちが戦ごっこをしに山に遊びに行って、その乞食を遠くにでも見つけたら最後、大急ぎで、「人さらいが来たぞ」といいながらにげるのだった。その乞食の人はどんなことがあっても駆けるということをしないで、ぼろを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠くの方からぼくたちのにげるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食を何よりもこわがった。ぼくはその乞食が妹と弟とをさらって行くのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大変だと気がつくと、家に帰るのはやめて、大急ぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大きなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。
その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣のある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味が悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻をはしょったその人の後ろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて橋本さんという家の高い石段をのぼり始めた。見るとその石段の上には、橋本さんの人たちが大ぜい立って、ぼくの家の方を向いて火事をながめていた。そこに乞食らしい人がのぼって行くのだから、ぼくはすこし変だと思った。そうすると、橋本のおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。
「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」
そうしたら、その乞食らしい人が、
「子どもさんたちがけんのんだから連れて来たよ。竹男さんだけはどこに行ったかどうも見えなんだ」
と妹や弟を軽々とかつぎ上げながらいった。なんだ。乞食じゃなかったんだ。橋本のおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段を上って行った。
「あら、竹男さんじゃありませんか」
と目早くぼくを見つけてくれたおばさんがいった。橋本さんの人たちは家じゅうでぼくたちを家の中に連れこんだ。家の中には燈火がかんかんとついて、真暗なところを長い間歩いていたぼくにはたいへんうれしかった。寒いだろうといった。葛湯をつくったり、丹前を着せたりしてくれた。そうしたらぼくはなんだか急に悲しくなった。家にはいってから泣きやんでいた妹たちも、ぼくがしくしく泣きだすといっしょになって大きな声を出しはじめた。
ぼくたちはその家の窓から、ぶるぶるふるえながら、自分の家の焼けるのを見て夜を明かした。ぼくたちをおくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながらもくもくと立ち上っていた。
「安心なさい。母屋は焼けたけれども離れだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんなけがはなかったから……そのうちに連れて帰ってあげるよ。けさの寒さは格別だ。この一面の霜はどうだ」
といいながら、おじさんは井戸ばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白になっていた。
橋本さんで朝御飯のごちそうになって、太陽が茂木の別荘の大きな槙の木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連れられて家に帰った。
いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほど大ぜいの人がけんか腰になって働いていた。どこからどこまで大雨のあとのようにびしょびしょなので、ぞうりがすぐ重くなって足のうらが気味悪くぬれてしまった。
離れに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度も見たことのないような変な着物を着て、髪の毛なんかはめちゃくちゃになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見るといきなり駆けよって来て、三人を胸のところに抱きしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるように泣きはじめた。ぼくたちはすこし気味が悪く思ったくらいだった。
変わったといえば家の焼けあとの変わりようもひどいものだった。黒こげの材木が、積み木をひっくり返したように重なりあって、そこからけむりがくさいにおいといっしょにやって来た。そこいらが広くなって、なんだかそれを見るとおかあさんじゃないけれども涙が出てきそうだった。
半分こげたり、びしょびしょにぬれたりした焼け残りの荷物といっしょに、ぼくたち六人は小さな離れでくらすことになった。御飯は三度三度官舎の人たちが作って来てくれた。熱いにぎり飯はうまかった。ごまのふってあるのや、中から梅干しの出てくるのや、海苔でそとを包んであるのや……こんなおいしい御飯を食べたことはないと思うほどだった。
火はどろぼうがつけたのらしいということがわかった。井戸のつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀が一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、どろぼうでもするような人のやったことだと警察の人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんはようやく安心ができたといった。おとうさんは二、三日の間、毎日警察に呼び出されて、しじゅう腹をたてていた。おばあさまは、自分の部屋から火事が出たのを見つけだした時は、あんまり仰天して口がきけなくなったのだそうだけれども、火事がすむとやっと物がいえるようになった。そのかわり、すこし病気になって、せまい部屋のかたすみに床を取ってねたきりになっていた。
ぼくたちは、火事のあった次の日からは、いつものとおりの気持になった。そればかりではない、かえってふだんよりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾い出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。
火事がすんでから三日めに、朝目をさますとおばあさまがあわてるようにポチはどうしたろうとおかあさんにたずねた。おばあさまはポチがひどい目にあった夢を見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで、火事が起こったのを知ったので、もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまはいった。
そういえばほんとうにポチはいなくなってしまった。朝起きた時にも、焼けあとに遊びに行ってる時にも、なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは離れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきな友だちなんだ。居留地に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾のふさふさした大きな犬。長い舌を出してぺろぺろとぼくや妹の頸の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと笑いながら駆けつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。どうしてぼくはあのだいじな友だちがいなくなったのを、今日まで思い出さずにいたろうと思った。
ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手分けをして庭に出て、大きな声で「ポチ……ポチ……ポチ来いポチ来い」とよんで歩いた。官舎町を一軒一軒聞いて歩いた。ポチが来てはいませんか。いません。どこかで見ませんでしたか。見ません。どこでもそういう返事だった。ぼくたちは腹もすかなくなってしまった。御飯だといって、女中がよびに来たけれども帰らなかった。茂木の別荘の方から、乞食の人が住んでいる山の森の方へも行った。そして時々大きな声を出してポチの名をよんでみた。そして立ちどまって聞いていた。大急ぎで駆けて来るポチの足音が聞こえやしないかと思って。けれどもポチのすがたも、足音も、鳴き声も聞こえては来なかった。
「ポチがいなくなってかわいそうねえ。殺されたんだわ。きっと」
と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければいなくなってしまうわけがないんだ。でもそんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人が来たらかみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。いやになっちまうなあ。
……ぼくは腹がたってきた。そして妹にいってやった。
「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」
「あら、それは冗談にいったんだわ」
「冗談だっていけないよ」
「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」
「そうだい……そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい……そうれ見ろ」
「あっちに行けっていったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」
「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」
「でもにいさんだってポチをぶったことがあってよ」
「ぶちなんてしませんよだ」
「いいえ、ぶってよほんとうに」
「ぶったっていいやい……ぶったって」
ポチがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、ポチがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。……それを妹にいわれたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにもなってきた。でもぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。
「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」
「私だってかわいがってよ」
妹が山の中でしくしく泣きだした。そうしたら弟まで泣きだした。ぼくもいっしょに泣きたくなったけれども、くやしいからがまんしていた。
なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。
そこへ女中がぼくたちをさがしに来て、家ではぼくたちが見えなくなったので心配しているから早く帰れといった。女中を見たら妹も弟も急に声をはりあげて泣きだした。ぼくもとうとうむやみに悲しくなって泣きだした。女中に連れられて家に帰って来た。
「まああなたがたはどこをうろついていたんです、御飯も食べないで……そして三人ともそんなに泣いて……」
とおかあさんはほんとうにおこったような声でいった。そしてにぎり飯を出してくれた。それを見たら急に腹がすいてきた。今まで泣いていて、すぐそれを食べるのはすこしはずかしかったけれども、すぐ食べはじめた。
そこに、焼けあとで働いている人足が来て、ポチが見つかったと知らせてくれた。ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、大さわぎをして「どこにいました」とたずねた。
「ひどいけがをして物置きのかげにいました」
と人足の人はいって、すぐぼくたちを連れていってくれた。ぼくはにぎり飯をほうり出して、手についてる御飯つぶを着物ではらい落としながら、大急ぎでその人のあとから駆け出した。妹や弟も負けず劣らずついて来た。
半焼けになった物置きが平べったくたおれている、その後ろに三、四人の人足がかがんでいた。ぼくたちをむかえに来てくれた人足はその仲間の所にいって、「おい、ちょっとそこをどきな」といったらみんな立ち上がった。そこにポチがまるまって寝ていた。
ぼくたちは夢中になって「ポチ」とよびながら、ポチのところに行った。ポチは身動きもしなかった。ぼくたちはポチを一目見ておどろいてしまった。からだじゅうをやけどしたとみえて、ふさふさしている毛がところどころ狐色にこげて、どろがいっぱいこびりついていた。そして頭や足には血が真黒になってこびりついていた。ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。駆けこんでいったぼくは思わずあとずさりした。ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭を上げて血走った目で悲しそうにぼくたちの方を見た。そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、そのままねころんでしまった。
「かわいそうに、落ちて来た材木で腰っ骨でもやられたんだろう」
「なにしろ一晩じゅうきゃんきゃんいって火のまわりを飛び歩いていたから、つかれもしたろうよ」
「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」
人足たちが口々にそんなことをいった。ほんとうに血が出ていた。左のあと足のつけ根の所から血が流れて、それが地面までこぼれていた。
「いたわってやんねえ」
「おれゃいやだ」
そんなことをいって、人足たちも看病してやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうがぶるぶるふるえているのがわかった。
妹や弟もポチのまわりに集まって来た。そのうちにおとうさんもおかあさんも来た。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、あらう手をおしのけようとした。
「よしよし静かにしていろ。今きれいにしてきずをなおしてやるからな」
おとうさんが人間に物をいうようにやさしい声でこういったりした。おかあさんは人に知れないように泣いていた。
よくふざけるポチだったのにもうふざけるなんて、そんなことはちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから犬の医者をよんで来るといって出かけて行ったるすに、ぼくは妹たちに手伝ってもらって、藁で寝床を作ってやった。そしてタオルでポチのからだをすっかりふいてやった。ポチを寝床の上に臥かしかえようとしたら、いたいとみえて、はじめてひどい声を出して鳴きながらかみつきそうにした。人夫たちも親切に世話してくれた。そして板きれでポチのまわりに囲いをしてくれた。冬だから、寒いから、毛がぬれているとずいぶん寒いだろうと思った。
医者が来て薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんに連れて行かれてしまった。けれどもおとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、じっとその様子を見ていた。おかあさんが女中に牛乳で煮たおかゆを持って来させた。ポチは喜んでそれを食べてしまった。火事の晩から三日の間ポチはなんにも食べずにしんぼうしていたんだもの、さぞおかゆがうまかったろう。
ポチはじっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらの所が涙でしじゅうぬれていた。そして時々細く目をあいてぼくたちをじっと見るとまたねむった。
いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫だから家にはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんはしかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。
ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよく睡るので死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というとポチはめんどうくさそうに目を開いた。そしてすこしだけしっぽをふって見せた。
とうとう夜になってしまった。夕御飯でもあるし、かぜをひくと大変だからといっておかあさんが無理にぼくたちを連れに来たので、ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。
次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチは死んだよ」といった。ポチは死んでしまった。
ポチのお墓は今でも、あの乞食の人の住んでいた、森の中の寺の庭にあるかしらん。 | 底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
1952(昭和27)年3月10日初版発行
1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
1990(平成2)年5月30日改版37版発行
入力:鈴木厚司
校正:八木正三
1998年5月25日公開
2007年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000212",
"作品名": "火事とポチ",
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昔トゥロンというフランスのある町に、二人のかたわ者がいました。一人はめくらで一人はちんばでした。この町はなかなか大きな町で、ずいぶんたくさんのかたわ者がいましたけれども、この二人のかたわ者だけは特別に人の目をひきました。なぜだというと、ほかのかたわ者は自分の不運をなげいてなんとかしてなおりたいなおりたいと思い、人に見られるのをはずかしがって、あまり人目に立つような所にはすがたを現わしませんでしたが、その二人のかたわ者だけは、ことさら人の集まるような所にはきっとでしゃばるので、かたわ者といえば、この二人だけがかたわ者であるように人々は思うのでした。
いったいをいうと、トゥロンという町にはかたわ者といっては一人もいないはずなのです。その理由は、この町の守り本尊に聖マルティンというえらい聖者の木像があって、それに願をかけると、どんな病気でもかたわでもすぐなおってしまうからでした。ところが私の今お話しするさわぎが起こった年から五十年ほど前に、町のおもだった人々が、その聖者の尊像をないしょで町から持ち出して、五、六里もはなれた所にある高い山の中にかくまってしまったのです。なぜそんなことをしたかというと、ヨーロッパの北の方からおびただしい海賊がやって来て、フランスのどここことなくあばれまわり、手あたりしだいに金銀財宝をうばって行ってしまうので、もし聖者の尊像でもぬすまれるようなことがあったら、もったいないばかりか、町の名折れになるというので、だれも登ることのできないような険しい山のてっぺんにお移ししてしまったのです。
それからというもの、このトゥロンの町もかたわ者ができるようになったのです。で、さっき私がお話しした二人のかたわ者、すなわち一人のめくらと一人のちんばとは、自分たちが不幸な人間だということを悲しんで、人間なみになりたいと遠くからでも聖者に願かけをしたらよさそうなものを、そうはしないで、自分がかたわ者に生まれついたのをいいことにして、人の情けで遊んで飯を食おうという心を起こしました。
めくらの名まえをかりにジャンといい、ちんばの名まえをピエールといっておきましょう。このジャンとピエールとは初めの間は市場などに行って、あわれな声を出して自分のかたわを売りものにして一銭二銭の合力を願っていましたが、人々があわれがって親切をするのをいい事にしてだんだん増長しました。そしてめくらのジャンのほうは卜占者になり、ちんばのピエールのほうは巡礼になりました。
ジャンは卜占者にふさわしいようなものものしい学者めいた服装をし、目明きには見えないものが見え、目明きには考えられないものが考えられるとふれて回って、聖マルティンのおるすをあずかる予言者だと自分からいいだしました。さらぬだに守り本尊が町にないので心細く思っていた人々は、始めのうちこそジャンの広言をばかにしていましたが、そのいう事が一つ二つあたったりしてみると、なんだかたよりにしたい気持になって、しだいしだいに信者がふえ、ジャンはしまいにはたいそうな金持ちになって、町じゅう第一とも見えるような御殿を建ててそれに住まい、ぜいたくざんまいなくらしをするようになりましたが、その御殿もその中のいろいろなたから物も、聖マルティンの尊像がお山からお下りになったら、一まとめにして献上するのだといっていたものですから、だれもジャンのぜいたくざんまいをとがめ立てする人はありませんでした。そしてジャンはいつのまにか金の力で町のおもだった人を自分の手下のようにしてしまい、おそろしくえらい人間だということになってしまいました。そうなるとお金はひとりでのようにジャンのふところを目がけて集まって来ました。
ピエールはピエールで、ちがったしかたで金をためにかかりました。ピエールはジャンのようにえらいものらしくいばることをしないで、どこまでも正直でかわいそうなかたわ者らしく見せかけました。「私にはジャンのような神様から授かった不思議な力などはありません。あたりまえなけちな人間で、しかもいろいろな罪を犯しているのだから、神様がかたわになさったのも無理はありません。だから私は自分の罪ほろぼしに、何か自分を苦しめるようなことをして神様のおいかりをなだめなければなりません。この心持ちをあわれと思ってください」などと口ぐせのようにいいました。そこでピエールの仕事というのは大きなふくろを作って、それに町の人々が奉納するお金や品物を入れて、ちんばを引き引き聖マルティンの尊像の安置してある険しい山に登ることでした。足の達者な人でも登れないような所に、このかたわ者が命がけで登るというのですから、中には変だと思う人もありましたが、そういう人にはピエールはいつでも悲しげな顔をしてこう答えました。
「お疑いはごもっともです。けれどもいつか私の一心がどれほど強かったかを皆様はごらんくださるでしょう。海賊がせめこんで来なくなるような時代が来て聖マルティン様が山からお下りになる時になったら、おむかいに行った人たちは、尊像がどこにあるか知れないほど、町のかたがたの奉納品が尊像のまわりに積み上げてあるのを見ておどろきになるのでしょうから」
そのことばつきがいかにもたくみなので、しまいにはそれを疑う人がなくなって、ピエールがお山に登る時が来たということになると、だれかれとなくいろいろめずらしいものや金めのかかるものをピエールのふくろの中に入れてやりました。
ピエールは山のふもとまでは行きましたが、ほんとうは一度も山に登ったことはありません。人々の奉納したものはみんな自分がぬすんでしまって、知れないように思うままなぜいたくをしてくらしていました。
トゥロンにはたくさんのかたわ者ができた中にも、二人のえらいかたわ者がいる。一人は神様の心を知る予言者、一人は神様の忠義なしもべ、さすがにトゥロンは聖マルティンを守り本尊とあおぐ町だけあると、他の町々までうわさされるようになりました。
そうやっているうちに、海賊どもは商売がうまくいかないためか、だんだんと人数が減っていって、めったにフランスまではせめ入って来なくなり、おかげでフランスの町々はまくらを高くして寝ることができるようになりました。
ここでトゥロンでも年寄った人々がよりより相談して、長い間山の中にかくまっておいた尊像を町におむかえしようという事に決まりました。それにしてもその事がうっかり海賊のほうにでも聞こえれば、どんなさまたげをしないものでもないし、また一つにはいきなり町におむかえして不幸な人々に不意な喜びをさせようというので、二十人ほどの人がそっと夜中に山に登ることになりました。
そうとは知らないジャンとピエールは、かたわを売りものにしたばかりで、しこたまたくわえこんだお金を、湯水のように使ってぜいたくざんまいをしていましたが、尊像が山からお下りになるその日も、朝からジャンの御殿のおくに陣取って、酒を飲んだり、おいしい物を食べたりして、思うままのことをしゃべり散らしていました。
ジャンがいうには、
「こうしていればかたわも重宝なものだ。世の中のやつらは知恵がないからかたわになるとしょげこんでしまって、丈夫な人間、あたりまえな人間になりたがっているが、おれたちはそんなばかはできないなあ」
ピエールのいうには、
「丈夫な人間、あたりまえの人間のしていることを見ろ。汗水たらして一日働いても、今日今日をやっと過ごしているだけだが、おれたちはかたわなばかりで、なんにもしないで遊びながら、町の人たちがつくり上げたお金をかたっぱしからまき上げることができる。どうか死ぬまでちんばでいたいものだ」
「おれも人なみに目が見えるようになっちゃ大変だ。人なみになったらおれにも何一つ仕事という仕事はできないのだから、その日から乞食になるよりほかはない。もう乞食のくらしはこりごりだ」
とジャンは相づちをうちました。
ところが戸外が急ににぎやかになって、町の中を狂気のように馳せちがう人馬の足音が聞こえだしたと思うと、寺々のかねが勢いよく鳴りはじめました。町の人々は大きな声で賛美の歌をうたいはじめました。ジャンとピエールは朝から何がはじまったのかと思って、まどをあけて往来を見ると、年寄りも子どもも男も女も皆戸外に飛び出して、町の門の方を見やりながら物待ち顔に、口々にさけんでいます。よく聞いてみると聖マルティンの尊像がやがて山から町におはいりになるといっているのです。
それを聞いた二人は胆がつぶれんばかりにおどろいてしまいました。
「奉納したものが山の上に積んであると、おれのいいふらしたうそはすっかり知れてしまった。おれはもう町の人たちに殺されるにきまっている」
とピエールが頭の毛をむしると、
「おれのこの御殿もたからも今日から聖マルティンのものになってしまうのだ。おれの財産は今日からなんにもなくなるのだ。聖マルティンのちくしょうめ」
とジャンはジャンで見えない目からくやし涙を流します。
「でもおれは命まで取られそうなのだ」
とピエールがいうと、
「命を取られるのは、まだ一思いでいい。おれは一文なしになって、皆にばかにされて、うえ死にをしなければならないんだ。五分切り、一寸だめしも同様だ。ああこまったなあ、おまけに聖マルティンが町にはいれば、おれのかたわはなおるかもしれないのだ。かたわがなおっちゃ大変だ。おいピエール、おれを早くほかの町に連れ出してくれ」
とジャンはせかせかとピエールの方に手さぐりで近づきました。
町の中はまるで祭日の晩のようににぎやかになり増さってゆくばかりです。
「といって、おれはちんばだからとても早くは歩けない……ああこまったなあ。どうかいつまでもかたわでいたいものだがなあ。じゃあジャン、おまえは私をおぶってくれ。おまえはおれの足になってくれ、おれはおまえの目になるから」
ピエールはこういいながらジャンにいきなりおぶさりました。そしてジャンにさしずをすると、ジャンはあぶない足どりながらピエールを背負っていっさんに駆け出しました。
「ハレルーヤ ハレルーヤ ハレルーヤ」
という声がどよめきわたって聞こえます。
ジャンとピエールとを除いた町じゅうの病人やかたわ者は人間なみになれるよろこびの日が来たので、有頂天になって、聖マルティンのお着きを待ちうけています。
その間をジャンとピエールは人波にゆられながらにげようとしました。
そのうちにどうでしょう。ジャンの目はすこしずつあかるくなって、綾目が見えるようになってきました。あれとおどろくまもなくその背中でさしずをしていたピエールはいきなりジャンの背中から飛びおりるなり、足早にすたこらと門の反対の方に歩きだしました。
ジャンはそれを見るとおどろいて、
「やいピエール、おまえの足はどうしたんだ」
といいますと、ピエールも始めて気がついたようにおどろいて、ジャンを見かえりながら、
「といえばおまえは目が見えるようになったのか」
と不思議がります。二人は思わずかたずをのんでたがいの顔を見かわしました。
「大変だ」
と二人はいっしょにさけびました。たくさんの人々にとりかこまれた古い聖マルティンの尊像がしずしずと近づいて来ていたのです。その御利益で二人の病気はもうなおり始めていたのです。
二人のかたわ者はかたわがなおりかけたと気がつくと、ぺたんと地びたに尻もちをついてしまいました。そして二人は、
「とんでもないことになったなあ」
「情けないことになったなあ」
といい合いながら、一人は目をこすりながら、一人は足をさすりながら、おいおいといって泣きだしました。 | 底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
1952(昭和27)年3月10日初版発行
1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
1980(昭和55)年11月10日改版22版発行
初出:「良婦之友 創刊號」春陽堂
1922(大正11)年1月1日発行
入力:呑天
校正:きりんの手紙
2020年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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ドゥニパー湾の水は、照り続く八月の熱で煮え立って、総ての濁った複色の彩は影を潜め、モネーの画に見る様な、強烈な単色ばかりが、海と空と船と人とを、めまぐるしい迄にあざやかに染めて、其の総てを真夏の光が、押し包む様に射して居る。丁度昼弁当時で太陽は最頂、物の影が煎りつく様に小さく濃く、それを見てすらぎらぎらと眼が痛む程の暑さであった。
私は弁当を仕舞ってから、荷船オデッサ丸の舷にぴったりと繋ってある大運搬船の舷に、一人の仲間と竝んで、海に向って坐って居た。仲間と云おうか親分と云おうか、兎に角私が一週間前此処に来てからの知合いである。彼の名はヤコフ・イリイッチと云って、身体の出来が人竝外れて大きい、容貌は謂わばカザン寺院の縁日で売る火難盗賊除けのペテロの画像見た様で、太い眉の下に上睫の一直線になった大きな眼が二つ。それに挾まれて、不規則な小亜細亜特有な鋭からぬ鼻。大きな稍々しまりのない口の周囲には、小児の産毛の様な髯が生い茂って居る。下腭の大きな、顴骨の高い、耳と額との勝れて小さい、譬えて見れば、古道具屋の店頭の様な感じのする、調和の外ずれた面構えであるが、それが不思議にも一種の吸引力を持って居る。
丁度私が其の不調和なヤコフ・イリイッチの面構えから眼を外らして、手近な海を見下しながら、草の緑の水が徐ろに高くなり低くなり、黒ペンキの半分剥げた吃水を嘗めて、ちゃぶりちゃぶりとやるのが、何かエジプト人でも奏で相な、階律の単調な音楽を聞く様だと思って居ると、
睡いのか。
とヤコフ・イリイッチが呼びかけたので、顔を上げる調子に見交わした。彼に見られる度に、私は反抗心が刺戟される様な、それで居て如何にも抵抗の出来ない様な、一種の圧迫を感じて、厭な気になるが、其の眼には確かに強く人を牽きつける力を籠めて居る。「豹の眼だ」と此の時も思ったのである。
私が向き直ると、ヤコフ・イリイッチは一寸苦がい顔をして、汗ばんだだぶだぶな印度藍のズボンを摘まんで、膝頭を撥きながら、突然こう云い出した。
おい、船の胴腹にたかって、かんかんと敲くからかんかんよ、それは解せる、それは解せるがかんかん虫、虫たあ何んだ……出来損なったって人間様は人間様だろう、人面白くも無えけちをつけやがって。
而して又連絡もなく、
お前っちは字を読むだろう。
と云って私の返事には頓着なく、
ふむ読む、明盲の眼じゃ無えと思った。乙う小ましゃっくれてけっからあ。
何をして居た、旧来は。
と厳重な調子で開き直って来た。私は、ヴォルガ河で船乗りの生活をして、其の間に字を読む事を覚えた事や、カザンで麺麭焼の弟子になって、主人と喧嘩をして、其の細君にひどい復讐をして、とうとう此処まで落ち延びた次第を包まず物語った。ヤコフ・イリイッチの前では、彼に関した事でない限り、何もかも打明ける方が得策だと云う心持を起させられたからだ。彼は始めの中こそ一寸熱心に聴いて居たが、忽ちうるさ相な顔で、私の口の開いたり閉じたりするのを眺めて、仕舞には我慢がしきれな相に、私の言葉を奪ってこう云った。
探偵でせえ無けりゃそれで好いんだ、馬鹿正直。
而して暫くしてから、
だが虫かも知れ無え。こう見ねえ、斯うやって這いずって居る蠅を見て居ると、己れっちよりゃ些度計り甘めえ汁を嘗めているらしいや。暑さにもめげずにぴんぴんしたものだ。黒茶にレモン一片入れて飲め無えじゃ、人間って名は附けられ無えかも知れ無えや。
昨夕もよ、空腹を抱えて対岸のアレシキに行って見るとダビドカの野郎に遇った。懐をあたるとあるから貸せと云ったら渋ってけっかる。いまいましい、腕づくでもぎ取ってくれようとすると「オオ神様泥棒が」って、殉教者の様な真似をしやあがる。擦った揉んだの最中に巡的だ、四角四面な面あしやがって「貴様は何んだ」と放言くから「虫」だと言ってくれたのよ。
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気心でかヤコフ・イリイッチの声がふと淋しくなったと思ったので、振向いて見ると彼は正面を向いて居た。波の反射が陽炎の様にてらてらと顔から半白の頭を嘗めるので、うるさ相に眼をかすめながら、向うの白く光った人造石の石垣に囲まれたセミオン会社の船渠を見やって居る。自分も彼の視線を辿った。近くでは、日の黄を交えて草緑なのが、遠く見透すと、印度藍を濃く一刷毛横になすった様な海の色で、それ丈けを引き放したら、寒い感じを起すにちがいないのが、堪え切れぬ程暑く思える。殊にケルソン市の岸に立ち竝んだ例のセミオン船渠や、其の外雑多な工場のこちたい赤青白等の色と、眩るしい対照を為して、突っ立った煙突から、白い細い煙が喘ぐ様に真青な空に昇るのを見て居ると、遠くが霞んで居るのか、眼が霞み始めたのかわからなくなる。
ヤコフ・イリイッチはそうしたままで暫く黙って居たが、内部からの或る力の圧迫にでも促された様に、急に「うん、そうだ」と独言を云って、又其の奇怪な流暢な口辞を振い始めた。
処が世の中は芝居で固めてあるんだ。右の手で金を出すてえと、屹度左の手は物を盗ねて居やあがる。両手で金を出すてえ奴は居無え、両手で物を盗ねる奴も居無えや。余っ程こんがらかって出来て居やあがる。神様って獣は――獣だろうじゃ無えか。人じゃ無えって云うんだから、まさか己れっち見てえな虫でもあるめえ、全くだ。
何、此の間スタニスラフの尼寺から二人尼っちょが来たんだ。野郎が有難い事を云ったってかんかん虫手合いは鼾をかくばかりで全然補足になら無えってんで、工場長開けた事を思いつきやがった、女ならよかろうてんだとよ。
二人来やがった。例の御説教だ集まれてんで、三号の倉庫に狼が羊の檻の中に逐い込まれた様だった。其の中に小羊が二匹来やがった。一人は金縁の眼鏡が鼻の上で光らあ。狼の野郎共は何んの事はねえ、舌なめずりをして喉をぐびつかせたのよ。其の一人が、神様は獣だ……何ね、獣だとは云わ無えさ、云わ無えが人じゃ無えと云ったんだ。
其の神様ってえのが人間を創って魂を入れたとある。魂があって見れば善と悪とは……何んとか云った、善と悪とは……何んとかだとよ。そうして見ると善はするがいいし、悪はしちゃなら無え。それが出来なけりゃ、此の娑婆に生れて来て居ても、人間じゃ無えと云うんだ。
お前っちは字を読むからには判るだろう。人間で善をして居る奴があるかい。馬鹿野郎、ばちあたり。旨い汁を嘗めっこをして居やがって、食い余しを取っとき物の様に、お次ぎへお次ぎへと廻して居りゃ、それで人間かい。畢竟芝居上手が人間で、己れっち見たいな不器用者は虫なんだ。
見ねえ、死って仕舞やがった。
何処からか枯れた小枝が漂って、自分等の足許に来たのをヤコフ・イリイッチは話しながら、私は聞きながら共に眺めて、其の上に居る一匹の甲虫に眼をつけて居たのであったが、舷に当る波が折れ返る調子に、くるりとさらったので、彼が云う様に憐れな甲虫は水に陥って、油をかけた緑玉の様な雙の翊を無上に振い動かしながら、絶大な海の力に対して、余り悲惨な抵抗を試みて居るのであった。
私は依然波の間に点を為して見ゆる其の甲虫を、悲惨な思いをして眺めている。ヤコフ・イリイッチは忘れた様に船渠の方を見遣って居る。
話柄が途切れて閑とすると、暑さが身に沁みて、かんかん日のあたる胴の間に、折り重なっていぎたなく寝そべった労働者の鼾が聞こえた。
ヤコフ・イリイッチは徐ろに後ろを向いて、眠れる一群に眼をやると、振り返って私を腭でしゃくった。
見ろい、イフヒムの奴を。知ってるか、「癇癪玉」ってんだ綽名が――知ってるか彼奴を。
さすがに声が小さくなる。
イフヒムと云うのはコンスタンチノープルから輸入する巻煙草の大箱を積み重ねた蔭に他の労働者から少し離れて、上向きに寝て居る小男であった。何しろケルソン市だけでも五百人から居る所謂かんかん虫の事であるから、縦令市の隅から隅へと漂泊して歩いた私でも、一週間では彼等の五分の一も親交にはなって居なかったが、独りイフヒムは妙に私の注意を聳やかした一人であった。唯一様の色彩と動作との中にうようよと甲板の掃除をして居る時でも、船艙の板囲いにずらっと列んで、尻をついて休んで居る時でも、イフヒムの姿だけは、一団の労働者から浮き上った様に、際立って見えた。ぎりっと私を見据えて居るものがあると思って振り向くと、屹度イフヒムの大きな夢でも見て居る様な眼にぶつかったものである。あの眼ならショパンの顔に着けても似合うだろうと、そう思った事もある。然しまだ一遍も言葉を交えた事がない。私は其の旨を答えようとするとヤコフ・イリイッチは例の頓着なく話頭を進めて居る。
かんかん虫手合いで恐がられが己れでよ、太腐れが彼奴だ。
彼奴も字は読ま無えがね。
あの野郎が二三年以来カチヤと訳があったのを知って居た。知っては居たがそれが何うなるものかお前、イフヒムは見た通りの裸一貫だろう。何一つ腕に覚えがあるじゃなし、人の隙を窺って、鈎の先で船室小盗でもするのが関の山だ。何うなるものか。女って獣は栄燿栄華で暮そうと云う外には、何一つ慾の無え獣だ。成程一とわたりは男選みもしようし、気前惚れもしようさ。だがそれも金があって飯が食えて、べらっとしたものでもひっかけられた上の話だ。真っ裸にして日干し上げて見ろ、女が一等先きに目を着けるのは、気前でもなけりゃ、男振りでも無え、金だ。何うも女ってものは老者の再生だぜ。若死したものが生れ代ると男になって、老耄が生れ代ると業で女になるんだ。あり相で居て、色気と決断は全然無しよ、あるものは慾気ばかりだ。私は思わずほほ笑ませられた。ヤコフ・イリイッチを見ると彼は大真面目である。
又親ってものがお前不思議だってえのは、娘を持つと矢っ張りそんな気にならあ。己れにした処がまあカチヤには何よりべらべらしたものを着せて、頬っぺたの肉が好い色になるものでも食わせて、通りすがりの奴等が何処の御新造だろう位の事を云って振り向く様にしてくれりゃ、宿六はちっとやそっとへし曲って居ても構わ無えと思う様になるんだ。
それでもイフヒムとカチヤが水入らずになれ合って居た間は、己れだって口を出すがものは無え、黙って居たのよ。すると不図娘の奴が妙に鬱ぎ出しやがった。鬱ぐもおかしい、そう仰山なんじゃ無えが、何かこう頭の中で円い玉でもぐるぐる廻して見て居る様な面付をして居やあがる。変だなと思ってる中に、一週間もすると、奴の身の周りが追々綺麗になるんだ。晩飯でも食って出懸ける所を見ると、お前、頭にお前、造花なんぞ揷して居やあがる。何処からか指輪が来ると云うあんばいで、仕事も休みがちで遊びまわるんだ。偶にゃ大層も無え。お袋に土産なんぞ持って来やあがる。イフヒムといがみ合った様な噂もちょくちょく聞くから、貢ぐのは野郎じゃ無くって、これはてっきり外に出来たなとそう思ったんだ。そんなあんばいで半年も経った頃、藪から棒に会計のグリゴリー・ペトニコフが人を入れて、カチヤを囲いたい、話に乗ってくれと斯うだ。
之れで読めた、読めは読めたが、思わく違いに当惑いた。全くまごつくじゃ無えか。
虫の娘を人間が欲しいと云って来やがったんだ。
じりじりと板挾みにする様に照り付けて居た暑さがひるみそめて、何処を逃れて来たのか、涼しい風がシャツの汗ばんだ処々を撫でて通った。
其の晩だ、寝ずに考えたってえのは。
己れが考えたなんちゃ可笑しかろう。
可笑しくば神様ってえのを笑いねえ。考えの無え筈の虫でも考える時があるんだ。何を考えたってお前、己ら手合いは人間様の様に智慧がありあまんじゃ無えから、けちな事にも頭を痛めるんだ。話がよ、何うしてくれようと思ったんだ。娘の奴をイフヒムの前に突っ放して、勝手にしろと云ってくれようか。それともカチヤを餌に、人間の食うものも食わ無えで溜めた黄色い奴を、思うざま剥奪くってくれようか。虫っけらは何処までも虫っけらで押し通して、人間の鼻をあかさして見てえし、先刻も云った通り、親ってえものは意気地が無え、娘丈けは人間竝みにして見てえと思うんだ。
おい、「空の空なるかな総て空なり」って諺があるだろう。旨めえ事を云いやがったもんだ。己れや其の晩妙に瞼が合わ無えで、頭ばかりがんがんとほてって来るんだ。何の事は無え暗闇と睨めっくらをしながら、窓の向うを見て居ると、不図星が一つ見え出しやがった。それが又馬鹿に気になって見詰めて居ると、段々西に廻ってとうとう見えなくなったんで、思わず溜息ってものが出たのも其の晩だ。いまいましいと思ったのよ。
そうしたあんばいでもじもじする中に暁方近くなる。夢も見た事の無え己れにゃ、一晩中ぽかんと眼球をむいて居る苦しみったら無えや。何うしてくれようと思案の果てに、御方便なもんで、思い出したのが今云った諺だ。「空の空なるかな総て空なり」「空なるかな」が甘めえ。
神符でも利いた様に胸が透いたんで、ぐっすり寝込んで仕舞った。
おい、も少し其方い寄んねえ、己れやまるで日向に出ちゃった。
其の翌日嚊とカチヤとを眼の前に置いて、己れや云って聞かしたんだ。「空の空なるかな総て空なり」って事があるだろう、解ったら今日から会計の野郎の妾になれ。イフヒムの方は己れが引き受けた。イフヒムが何うなるもんか、それよりも人間に食い込んで行け。食い込んで思うさま甘めえ御馳走にありつくんだてったんだ。そうだろう、早い話がそうじゃ無えか。
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お前は見無えか知ら無えが、一と眼見ろ、カチヤって奴はそう行く筈の女なんだ。厚い胸で、大きな腰で、腕ったら斯うだ。
と云いながら彼は、両手の食指と拇指とを繋ぎ合わせて大きな輪を作って見せた。
面相だってお前、己れっちの娘だ。お姫様の様なのは出来る筈は無えが、胆が太てえんだからあの大かい眼で見据えて見ねえ、男の心はびりびりっと震え込んで一たまりも無えに極まって居らあ。そりゃ彼奴だってイフヒムに気の無え訳じゃ無えんだが、其処が阿魔だ。矢張り老耄の生れ代りなんだ。当世向きに出来て居やあがる。
そんな訳で話も何も他愛なく纏まっちゃって、己れのこね上げた腸詰はグリゴリー・ペトニコフの皿の上に乘っかったのよ。
それ迄はいい、それ迄は難は無えんだが、それから三日許り経つと、イフヒムの野郎が颶風の様に駆け込で来やがった。
「イフヒムの野郎」と云った時、ヤコフ・イリイッチは再び胴の間を見返った。話がはずんで思わず募った癇高な声が、もう一度押しつぶされて最低音になる。気が付いて見ると又日影が移って、彼は半身日の中に坐って居るので、私は黙ったまま座を譲ったが、彼は動こうとはしなかった。船員が食うのであろう、馬鈴薯と塩肉とをバタで揚げる香いが、蒸暑く二人に逼った。
海は依然として、ちゃぶりちゃぶりと階律を合せて居る。ヤコフ・イリイッチはもう一度イフヒムを振り返って見ながら、押しつぶした儘の声で、
見ろい、あの切目の長げえ眼をぎろっとむいて、其奴が血走って、からっきし狂人見てえだった。筋が吊ったか舌も廻ら無え、「何んだってカチヤを出した」と固唾をのみながらぬかしやがる。
「出したいから出した迄だ、別に所以のある筈は無え。親が己れの阿魔を、救主に奉ろうが、ユダに嫁にやろうが、お前っちの世話には相成ら無え。些度物には理解を附けねえ。当世は金のある所に玉がよるんだ。それが当世って云うんだ。篦棒奴、娘が可愛ければこそ、己れだってこんな仕儀はする。あれ程の容色にべらべらしたものでも着せて見たいが親の人情だ。誠カチヤを女房にしたけりゃ、金の耳を揃えて買いに来う。それが出来ざあ腕っこきでグリゴリー・ペトニコフから取り返しねえ。カチヤだって呼吸もすりゃ飯も喰う、ぽかんと遊ばしちゃおかれ無えんだから……お前っちゃ一体何んだって、そんな太腐れた眼付きをして居やあがるんだ」
とほざいてくれると、イフヒムの野郎じっと考えて居やがったけが、
と語を切ってヤコフ・イリイッチは雙手で身を浮かしながら、先刻私が譲った座に移って、ひたひたと自分に近づいた。乾きかけたオヴァオールから酸っぱい汗の臭いが蒸れ立って何とも云えぬ。
云うにゃ、
と更に声を低くした時、私は云うに云われぬ一種の恐ろしい期待を胸に感じて心を騒がさずには居られなかった。
ヤコフ・イリイッチは更めて周囲を見廻わして、
気の早い野郎だ……宜いか、是れからが話だよ、……イフヒムの云うにゃ其の人間って獣にしみじみ愛想が尽きたと云うんだ。人間って奴は何んの事は無え、贅沢三昧をして生れて来やがって、不足の云い様は無い筈なのに、物好きにも事を欠いて、虫手合いの内懐まで手を入れやがる。何が面白くって今日今日を暮して居るんだ。虫って云われて居ながら、それでも偶にゃ気儘な夢でも見ればこそじゃ無えか……畜生。
ヤコフ・イリイッチはイフヒムの言った事を繰返して居るのか、己れの感慨を漏らすのか解らぬ程、熱烈な調子になって居た。
畜生。其奴を野郎見付ければひったくり、見付ければひったくりして、空手にして置いて、搾り栄がしなくなると、靴の先へかけて星の世界へでも蹴っ飛ばそうと云うんだ。慾にかかってそんな事が見えなくなったかって泣きやがった……馬鹿。
馬鹿。己れを幾歳だと思って居やがるんだ。虫っけらの眼から贅沢水を流す様な事をして居やがって、憚りながら口幅ってえ事が云える義理かい。イフヒムの奴も太腐れて居やがる癖に、胸三寸と来ちゃからっきし乳臭なんだ。
だが彼奴の一念と来ちゃ油断がなら無え。
宜いか。
又肩からもたれかかる様にすり寄って、食指で私の膝を念入に押しながら、
宜いか、今日で此の船の鏽落しも全然済む。
斯う云って彼は私の耳へ口を寄せた。
全然済むんでグリゴリー・ペトニコフの野郎が検分に船に来やがるだろう。
イフヒムの奴、黙っちゃ居無え筈だ。
私は「黙っちゃ居ねえ」と云う簡単な言葉が、何を言い顕わして居るかを、直ぐ見て取る事が出来た。余りの不意に思わず気息を引くと、迸る様に鋭く動悸が心臓を衝くのを感じた。而してそわそわしながら、ヤコフ・イリイッチの方を向くと、彼の眼は巖の様な堅い輪廓の睫の中から、ぎらっと私を見据えて居た。思わず視線をすべらして下を向くと、世の中は依然として夏の光の中に眠った様で、波は相変らずちゃぶりちゃぶりと長閑な階律を刻んで居る。
私は下を向いた儘、心は差迫りながら、それで居て閑々として、波の階律に比べて私の動悸が何の位早く打つかを算えて居た。而してヤコフ・イリイッチが更に語を次いだのは、三十秒にも足らぬ短い間であったが、それが恐ろしい様な、待ち遠しい様な長さであった。
私は波を見つめて居る。ヤコフ・イリイッチの豹の様な大きな眼睛は、私の眼から耳にかけたあたりを揉み込む様に見据えて居るのを私はまざまざと感じて、云うべからざる不快を覚えた。
ヤコフ・イリイッチは歯を喰いしばる様にして、
お前も連帯であげられ無えとも限ら無えが、「知ら無え知ら無え」で通すんだぞ、生じっか……
此の時ぴーと耳を劈く様な響きが遠くで起った。其の方を向くと船渠の黒い細い煙突の一つから斜にそれた青空をくっきりと染め抜いて、真白く一団の蒸気が漂うて居る。ある限りの煉瓦の煙突からは真黒い煙がむくむくと立ち上って、むっとする様な暑さを覚えしめる。労働を強うる為めに、鉄と蒸気とが下す命令である。私は此の叫びを聞いて起き上ろうとすると、
待て。
とヤコフ・イリイッチが睨み据えた。
きょろきょろするない。
宜いか、生じっか何んとか云って見ろ、生命は無えから。
長げえ身の上話もこの為めにしたんだ。
と云いながら、彼は始めて私から視線を外ずして、やおら立ち上った。胴の間には既に眼を覚したものが二三人居る。
起きろ野郎共、汽笛が鳴ってらい。さ、今日ですっかり片付けて仕舞うんだ。
而して大欠伸をしながら、彼は寝乱れた労働者の間を縫って、オデッサ丸の船階子を上って行った。
私も持場について午後の労働を始めた。最も頭脳を用うる余地のない、而して最も肉体を苦しめる労働はかんかん虫のする労働である。小さなカンテラ一つと、形の色々の金槌二つ三つとを持って、船の二重底に這い込み、石炭がすでに真黒になって、油の様にとろりと腐敗したままに溜って居る塩水の中に、身体を半分浸しながら、かんかんと鉄鏽を敲き落すのである。隣近所でおろす槌の響は、狭い空洞の中に籠り切って、丁度鳴りはためいて居る大鐘に頭を突っ込んだ通りだ。而して暑さに蒸れ切った空気と、夜よりも暗い暗闇とは、物恐ろしい仮睡に総ての人を誘うのである。敲いて居る中に気が遠くなって、頭と胴とが切り放された様に、頭は頭だけ、手は手だけで、勝手な働きをかすかに続けながら、悪い夢にでもうなされた様な重い心になって居るかと思うと、突然暗黒な物凄い空間の中に眼が覚める。周囲からは鼓膜でも破り相な勢で鉄と鉄とが相打つ音が逼る。動悸が手に取る如く感ぜられて、呼吸は今絶えるかとばかりに苦しい。喘いでも喘いでも、鼻に這入って来るのは窒素ばかりかと思われる汚い空気である。私は其の午後もそんな境涯に居た。然し私は其の日に限って其の境涯を格別気にしなかった。今日一日で仕事が打切りになると云う事も、一つの大なる期待ではあったが、軈て現われ来るべき大事件は若い好奇心と敵愾心とを極端に煽り立てて、私は勇士を乘せて戦場に駆け出そうとする牡馬の様に、暗闇の中で眼を輝かした。
とうとう仕事は終った。其の日は三時半で一統に仕事をやめ、其処此処と残したところに手を入れて、偖て会社から検査員の来るのを待つ計りになった。私はかの二重底から数多の仲間と甲板に這い出して、油照りに横から照りつける午後の日を船橋の影によけながら、古ペンキや赤鏽でにちゃにちゃと油ぎって汚れた金槌を拭いにかかった。而して拭いながらいつかヤコフ・イリイッチが「法律ってものは人間に都合よく出来て居やがるんだ。シャンパンを飲み過ぎちゃなら無えとか、靴下を二十足の上持っちゃなら無えとかそんな法律は薬にし度くも無え。はきだめを覗いちゃなら無えとか、落ちたものを拾っちゃなら無えとか云うんなら、数え切れ無え程あるんだ。そんな片手落ちな成敗にへえへえと云って居られるかい。人間が法律を作れりゃあ、虫だって作れる筈だ」と云ったのを想い出して、虫の法律的制裁が今日こそ公然と行われるんだと思った。
丁度四時半頃でもあったろう、小蒸汽の汽笛が遠くで鳴るのを聞いた。間違なくセミオン会社所有の小蒸汽の汽笛だ。「来たな」と思うと胸は穏かでない。船階子の上り口には労働者が十四五人群がって船の着くのを見守って居た。
私の好奇心は我慢し切れぬ程高まって、商売道具の掃除をして居られなくなった。一つ見物してやろうと思って立ち上ろうとする途端に、
様あ見やがれ。
と云う鋭い声がかの一群から響いたので、私はもう遣ったのかと宙を飛んで、
ワハ…………
と笑って居る、其の群に近づいて見ると、一同は手に手に重も相な獲物をぶらさげて居た。而して瞬く暇にかんかん虫は総て其の場に馳せ集まって、「何んだ何んだ」とひしめき返して、始めから居たかんかん虫は誰と誰であるか更に判らなくなって居る。ナポレオンが手下の騎兵を使う時でも、斯うまでの早業はむずかしろう。
私は手欄から下を覗いて居た。
積荷のない為め、思うさま船脚が浮いたので、上甲板は海面から小山の様に高まって居る。其の甲板にグリゴリー・ペトニコフが足をかけようとした刹那、誰が投げたのか、長方形のクヅ鉄が飛んで行って、其の頭蓋骨を破ったので、迸る血烟と共に、彼は階子を逆落しにもんどりを打って小蒸汽の錨の下に落ちて、横腹に大負傷をしたのである。薄地セルの華奢な背広を着た太った姿が、血みどろになって倒れて居るのを、二人の水夫が茫然立って見て居た。
私の心にはイフヒムが急に拡大して考えられた。どんな大活動が演ぜられるかと待ち設けた私の期待は、背負投げを喰わされた気味であったが、きびきびとした成功が齎らす、身ぶるいのする様な爽かな感じが、私の心を引っ掴んだ。私は此の勢に乘じてイフヒムを先きに立てて、更に何か大きな事でもして見たい気になった。而してイフヒムがどんな態度で居るかと思って眼を配ったが、何処にまぎれたのか、其の姿は見当らなかった。
一時間の後に二人の警部が十数人の巡査を連れて来船した。自分等は其の厳しい監視の下に、一人々々凡て危険と目ざされる道具を船に残して、大運搬船に乘り込ませられたのであった。上げて来る潮で波が大まかにうねりを打って、船渠の後方に沈みかけた夕陽が、殆ど水平に横顔に照りつける。地平線に近く夕立雲が渦を巻き返して、驟雨の前に鈍った静かさに、海面は煮つめた様にどろりとなって居る。ドゥニパー河の淡水をしたたか交えたケルソンでも海は海だ。風はなくとも夕されば何処からともなく潮の香が来て、湿っぽく人を包む。蚊柱の声の様に聞こえて来るケルソン市の薄暮のささやきと、大運搬船を引く小蒸汽の刻をきざむ様な響とが、私の胸の落ちつかないせわしい心地としっくり調子を合わせた。
私は立った儘大運搬船の上を見廻して見た。
寂然して溢れる計り坐ったり立ったりして居るのが皆んなかんかん虫の手合いである。其の間に白帽白衣の警官が立ち交って、戒め顔に佩劔を撫で廻して居る。舳に眼をやるとイフヒムが居た。とぐろを巻いた大繩の上に腰を下して、両手を後方で組み合せて、頭をよせかけたまま眠って居るらしい。ヤコフ・イリイッチはと見ると一人おいた私の隣りに大きく胡坐をかいてくわえ煙管をぱくぱくやって居た。
へん、大袈裟な真似をしやがって、
と云う声がしたので、見ると大黒帽の上から三角布で頬被りをした男が、不平相にあたりを見廻して居たが、一人の巡査が彼を見おろして居るのに気が附くと、しげしげそれを見返して、唾でも吐き出す様に、
畜生。
と云って、穢らわし相に下を向いて仕舞った。
(一九〇六年於米国華盛頓府、一九一〇年十月「白樺」) | 底本:「日本プロレタリア文学大系 序」三一書房
1955(昭和30)年3月31日初版発行
1961(昭和36)年6月20日第2刷発行(入力)
1968(昭和43)年12月5日第3刷発行(校正)
※ファイル中の「乗」と「乘」の混在は、底本通りにしました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:Nana ohbe
校正:小林繁雄
2003年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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○
これも正しく人間生活史の中に起った実際の出来事の一つである。
○
また夢に襲われてクララは暗い中に眼をさました。妹のアグネスは同じ床の中で、姉の胸によりそってすやすやと静かに眠りつづけていた。千二百十二年の三月十八日、救世主のエルサレム入城を記念する棕櫚の安息日の朝の事。
数多い見知り越しの男たちの中で如何いう訳か三人だけがつぎつぎにクララの夢に現れた。その一人はやはりアッシジの貴族で、クララの家からは西北に当る、ヴィヤ・サン・パオロに住むモントルソリ家のパオロだった。夢の中にも、腰に置いた手の、指から肩に至るしなやかさが眼についた。クララの父親は期待をもった微笑を頬に浮べて、品よくひかえ目にしているこの青年を、もっと大胆に振舞えと、励ますように見えた。パオロは思い入ったようにクララに近づいて来た。そして仏蘭西から輸入されたと思われる精巧な頸飾りを、美しい金象眼のしてある青銅の箱から取出して、クララの頸に巻こうとした。上品で端麗な若い青年の肉体が近寄るに従って、クララは甘い苦痛を胸に感じた。青年が近寄るなと思うとクララはもう上気して軽い瞑眩に襲われた。胸の皮膚は擽られ、肉はしまり、血は心臓から早く強く押出された。胸から下の肢体は感触を失ったかと思うほどこわばって、その存在を思う事にすら、消え入るばかりの羞恥を覚えた。毛の根は汗ばんだ。その美しい暗緑の瞳は、涙よりももっと輝く分泌物の中に浮き漂った。軽く開いた唇は熱い息気のためにかさかさに乾いた。油汗の沁み出た両手は氷のように冷えて、青年を押もどそうにも、迎え抱こうにも、力を失って垂れ下った。肉体はややともすると後ろに引き倒されそうになりながら、心は遮二無二前の方に押し進もうとした。
クララは半分気を失いながらもこの恐ろしい魔術のような力に抵抗しようとした。破滅が眼の前に迫った。深淵が脚の下に開けた。そう思って彼女は何とかせねばならぬと悶えながらも何んにもしないでいた。慌て戦く心は潮のように荒れ狂いながら青年の方に押寄せた。クララはやがてかのしなやかなパオロの手を自分の首に感じた。熱い指先と冷たい金属とが同時に皮膚に触れると、自制は全く失われてしまった。彼女は苦痛に等しい表情を顔に浮べながら、眼を閉じて前に倒れかかった。そこにはパオロの胸があるはずだ。その胸に抱き取られる時にクララは元のクララではなくなるべきはずだ。
もうパオロの胸に触れると思った瞬間は来て過ぎ去ったが、不思議にもその胸には触れないでクララの体は抵抗のない空間に傾き倒れて行った。はっと驚く暇もなく彼女は何所とも判らない深みへ驀地に陥って行くのだった。彼女は眼を開こうとした。しかしそれは堅く閉じられて盲目のようだった。真暗な闇の間を、颶風のような空気の抵抗を感じながら、彼女は落ち放題に落ちて行った。「地獄に落ちて行くのだ」胆を裂くような心咎めが突然クララを襲った。それは本統はクララが始めから考えていた事なのだ。十六の歳から神の子基督の婢女として生き通そうと誓った、その神聖な誓言を忘れた報いに地獄に落ちるのに何の不思議がある。それは覚悟しなければならぬ。それにしても聖処女によって世に降誕した神の子基督の御顔を、金輪際拝し得られぬ苦しみは忍びようがなかった。クララはとんぼがえりを打って落ちながら一心不乱に聖母を念じた。
ふと光ったものが眼の前を過ぎて通ったと思った。と、その両肱は棚のようなものに支えられて、膝がしらも堅い足場を得ていた。クララは改悛者のように啜泣きながら、棚らしいものの上に組み合せた腕の間に顔を埋めた。
泣いてる中にクララの心は忽ち軽くなって、やがては十ばかりの童女の時のような何事も華やかに珍らしい気分になって行った。突然華やいだ放胆な歌声が耳に入った。クララは首をあげて好奇の眼を見張った。両肱は自分の部屋の窓枠に、両膝は使いなれた樫の長椅子の上に乗っていた。彼女の髪は童女の習慣どおり、侍童のように、肩あたりまでの長さに切下にしてあった。窓からは、朧夜の月の光の下に、この町の堂母なるサン・ルフィノ寺院とその前の広場とが、滑かな陽春の空気に柔らめられて、夢のように見渡された。寺院の北側をロッカ・マジョーレの方に登る阪を、一つの集団となってよろけながら、十五、六人の華車な青年が、声をかぎりに青春を讃美する歌をうたって行くのだった。クララはこの光景を窓から見おろすと、夢の中にありながら、これは前に一度目撃した事があるのにと思っていた。
そう思うと、同時に窓の下の出来事はずんずんクララの思う通りにはかどって行った。
夏には夏の我れを待て。
春には春の我れを待て。
夏には隼を腕に据えよ。
春には花に口を触れよ。
春なり今は。春なり我れは。
春なり我れは。春なり今は。
我がめぐわしき少女。
春なる、ああ、この我れぞ春なる。
寝しずまった町並を、張りのある男声の合唱が鳴りひびくと、無頓着な無恥な高笑いがそれに続いた。あの青年たちはもう立止る頃だとクララが思うと、その通りに彼らは突然阪の中途で足をとめた。互に何か探し合っているようだったが、やがて彼らは広場の方に、「フランシス」「ベルナルドーネの若い騎士」「円卓子の盟主」などと声々に叫び立てながら、はぐれた伴侶を探しにもどって来た。彼らは広場の手前まで来た。そして彼らの方に二十二、三に見える一人の青年が夢遊病者のように足もともしどろに歩いて来るのを見つけた。クララも月影でその青年を見た。それはコルソの往還を一つへだてたすぐ向うに住むベルナルドーネ家のフランシスだった。華美を極めた晴着の上に定紋をうった蝦茶のマントを着て、飲み仲間の主権者たる事を現わす笏を右手に握った様子は、ほかの青年たちにまさった無頼の風俗だったが、その顔は痩せ衰えて物凄いほど青く、眼は足もとから二、三間さきの石畳を孔のあくほど見入ったまま瞬きもしなかった。そしてよろけるような足どりで、見えないものに引ずられながら、堂母の広場の方に近づいて来た。それを見つけると、引返して来た青年たちは一度にときをつくって駈けよりざまにフランシスを取かこんだ。「フランシス」「若い騎士」などとその肩まで揺って呼びかけても、フランシスは恐しげな夢からさめる様子はなかった。青年たちはそのていたらくにまたどっと高笑いをした。「新妻の事でも想像して魂がもぬけたな」一人がフランシスの耳に口をよせて叫んだ。フランシスはついた狐が落ちたようにきょとんとして、石畳から眼をはなして、自分を囲むいくつかの酒にほてった若い笑顔を苦々しげに見廻わした。クララは即興詩でも聞くように興味を催おして、窓から上体を乗出しながらそれに眺め入った。フランシスはやがて自分の纏ったマントや手に持つ笏に気がつくと、甫めて今まで耽っていた歓楽の想出の糸口が見つかったように苦笑いをした。
「よく飲んで騒いだもんだ。そうだ、私は新妻の事を考えている。しかし私が貰おうとする妻は君らには想像も出来ないほど美しい、富裕な、純潔な少女なんだ」
そういって彼れは笏を上げて青年たちに一足先きに行けと眼で合図した。青年たちが騒ぎ合いながら堂母の蔭に隠れるのを見届けると、フランシスはいまいましげに笏を地に投げつけ、マントと晴着とをずたずたに破りすてた。
次の瞬間にクララは錠のおりた堂母の入口に身を投げかけて、犬のようにまろびながら、悔恨の涙にむせび泣く若いフランシスを見た。彼女は奇異の思いをしながらそれを眺めていた。春の月は朧ろに霞んでこの光景を初めからしまいまで照している。
寺院の戸が開いた。寺院の内部は闇で、その闇は戸の外に溢れ出るかと思うほど濃かった。その闇の中から一人の男が現われた。十歳の童女から、いつの間にか、十八歳の今のクララになって、年に相当した長い髪を編下げにして寝衣を着たクララは、恐怖の予覚を持ちながらその男を見つめていた。男は入口にうずくまるフランシスに眼をつけると、きっとクララの方に鋭い眸を向けたが、フランシスの襟元を掴んで引きおこした。ぞろぞろと華やかな着物だけが宙につるし上って、肝腎のフランシスは溶けたのか消えたのか、影も形もなくなっていた。クララは恐ろしい衝動を感じてそれを見ていた。と、やがてその男の手に残った着物が二つに分れて一つはクララの父となり、一つは母となった。そして二人の間に立つその男は、クララの許婚のオッタヴィアナ・フォルテブラッチョだった。三人はクララの立っている美しい芝生より一段低い沼地がかった黒土の上に単調にずらっとならんで立っていた――父は脅かすように、母は歎くように、男は怨むように。戦の街を幾度もくぐったらしい、日に焼けて男性的なオッタヴィアナの顔は、飽く事なき功名心と、強い意志と、生一本な気象とで、固い輪郭を描いていた。そしてその上を貴族的な誇りが包んでいた。今まで誰れの前にも弱味を見せなかったらしいその顔が、恨みを含んでじっとクララを見入っていた。クララは許婚の仲であるくせに、そしてこの青年の男らしい強さを尊敬しているくせに、その愛をおとなしく受けようとはしなかったのだ。クララは夢の中にありながら生れ落ちるとから神に献げられていたような不思議な自分の運命を思いやった。晩かれ早かれ生みの親を離れて行くべき身の上も考えた。見ると三人は自分の方に手を延ばしている。そしてその足は黒土の中にじりじりと沈みこんで行く。脅かすような父の顔も、歎くような母の顔も、怨むようなオッタヴィアナの顔も見る見る変って、眼に逼る難儀を救ってくれと、恥も忘れて叫ばんばかりにゆがめた口を開いている。しかし三人とも声は立てずに死のように静かで陰鬱だった。クララは芝生の上からそれをただ眺めてはいられなかった。口まで泥の中に埋まって、涙を一ぱいためた眼でじっとクララに物をいおうとする三人の顔の外に、果てしのないその泥の沼には多くの男女の頭が静かに沈んで行きつつあるのだ。頭が沈みこむとぬるりと四方からその跡を埋めに流れ寄る泥の動揺は身の毛をよだてた。クララは何もかも忘れて三人を救うために泥の中に片足を入れようとした。
その瞬間に彼女は真黄に照り輝く光の中に投げ出された。芝生も泥の海ももうそこにはなかった。クララは眼がくらみながらも起き上がろうともがいた。クララの胸を掴んで起させないものがあった。クララはそれが天使ガブリエルである事を知った。「天国に嫁ぐためにお前は浄められるのだ」そういう声が聞こえたと思った。同時にガブリエルは爛々と燃える炎の剣をクララの乳房の間からずぶりとさし通した。燃えさかった尖頭は下腹部まで届いた。クララは苦悶の中に眼をあげてあたりを見た。まぶしい光に明滅して十字架にかかった基督の姿が厳かに見やられた。クララは有頂天になった。全身はかつて覚えのない苦しい快い感覚に木の葉の如くおののいた。喉も裂け破れる一声に、全身にはり満ちた力を搾り切ろうとするような瞬間が来た。その瞬間にクララの夢はさめた。
クララはアグネスの眼をさまさないようにそっと起き上って窓から外を見た。眼の下には夢で見たとおりのルフィノ寺院が暁闇の中に厳かな姿を見せていた。クララは扉をあけて柔かい春の空気を快く吸い入れた。やがてポルタ・カプチイニの方にかすかな東明の光が漏れたと思うと、救世主のエルサレム入城を記念する寺の鐘が一時に鳴り出した。快活な同じ鐘の音は、麓の町からも聞こえて来た、牡鶏が村から村に時鳴を啼き交すように。
今日こそは出家して基督に嫁ぐべき日だ。その朝の浅い眠りを覚ました不思議な夢も、思い入った心には神の御告げに違いなかった。クララは涙ぐましい、しめやかな心になってアグネスを見た。十四の少女は神のように眠りつづけていた。
部屋は静かだった。
○
クララは父母や妹たちより少しおくれて、朝の礼拝に聖ルフィノ寺院に出かけて行った。在家の生活の最後の日だと思うと、さすがに名残が惜しまれて、彼女は心を凝らして化粧をした。「クララの光りの髪」とアッシジで歌われたその髪を、真珠紐で編んで後ろに垂れ、ベネチヤの純白な絹を着た。家の者のいない隙に、手早く置手紙と形見の品物を取りまとめて机の引出しにしまった。クララの眼にはあとからあとから涙が湧き流れた。眼に触れるものは何から何までなつかしまれた。
一人の婢女を連れてクララは家を出た。コルソの通りには織るように人が群れていた。春の日は麗かに輝いて、祭日の人心を更らに浮き立たした。男も女も僧侶もクララを振りかえって見た。「光りの髪のクララが行く」そういう声があちらこちらで私語かれた。クララは心の中で主の祈を念仏のように繰返し繰返しひたすらに眼の前を見つめながら歩いて行った。この雑鬧な往来の中でも障碍になるものは一つもなかった。広い秋の野を行くように彼女は歩いた。
クララは寺の入口を這入るとまっすぐにシッフィ家の座席に行ってアグネスの側に坐を占めた。彼女はフォルテブラッチョ家の座席からオッタヴィアナが送る視線をすぐに左の頬に感じたけれども、もうそんな事に頓着はしていなかった。彼女は座席につくと面を伏せて眼を閉じた。ややともすると所も弁えずに熱い涙が眼がしらににじもうとした。それは悲しさの涙でもあり喜びの涙でもあったが、同時にどちらでもなかった。彼女は今まで知らなかった涙が眼を熱くし出すと、妙に胸がわくわくして来て、急に深淵のような深い静かさが心を襲った。クララは明かな意識の中にありながら、凡てのものが夢のように見る見る彼女から離れて行くのを感じた。無一物な清浄な世界にクララの魂だけが唯一つ感激に震えて燃えていた。死を宣告される前のような、奇怪な不安と沈静とが交る交る襲って来た。不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆の葉のように細かくおののいていた。光りのようなその髪もまた細かに震えた。クララの手は自らアグネスの手を覓めた。
「クララ、あなたの手の冷たく震える事」
「しっ、静かに」
クララは頼りないものを頼りにしたのを恥じて手を放した。そして咽せるほどな参詣人の人いきれの中でまた孤独に還った。
「ホザナ……ホザナ……」
内陣から合唱が聞こえ始めた。会衆の動揺は一時に鎮って座席を持たない平民たちは敷石の上に跪いた。開け放した窓からは、柔かい春の光と空気とが流れこんで、壁に垂れ下った旗や旒を静かになぶった。クララはふと眼をあげて祭壇を見た。花に埋められ香をたきこめられてビザンチン型の古い十字架聖像が奥深くすえられてあった。それを見るとクララは咽せ入りながら「アーメン」と心に称えて十字を切った。何んという貧しさ。そして何んという慈愛。
祭壇を見るとクララはいつでも十六歳の時の出来事を思い出さずにはいなかった。殊にこの朝はその回想が厳しく心に逼った。
今朝の夢で見た通り、十歳の時眼のあたり目撃した、ベルナルドーネのフランシスの面影はその後クララの心を離れなくなった。フランシスが狂気になったという噂さも、父から勘当を受けて乞食の群に加わったという風聞も、クララの乙女心を不思議に強く打って響いた。フランシスの事になるとシッフィ家の人々は父から下女の末に至るまで、いい笑い草にした。クララはそういう雑言を耳にする度に、自分でそんな事を口走ったように顔を赤らめた。
クララが十六歳の夏であった、フランシスが十二人の伴侶と羅馬に行って、イノセント三世から、基督を模範にして生活する事と、寺院で説教する事との印可を受けて帰ったのは。この事があってからアッシジの人々のフランシスに対する態度は急に変った。ある秋の末にクララが思い切ってその説教を聞きたいと父に歎願した時にも、父は物好きな奴だといったばかりで別にとめはしなかった。
クララの回想とはその時の事である。クララはやはりこの堂母のこの座席に坐っていた。着物を重ねても寒い秋寒に講壇には真裸なレオというフランシスの伴侶が立っていた。男も女もこの奇異な裸形に奇異な場所で出遇って笑いくずれぬものはなかった。卑しい身分の女などはあからさまに卑猥な言葉をその若い道士に投げつけた。道士は凡ての反感に打克つだけの熱意を以て語ろうとしたが、それには未だ少し信仰が足りないように見えた。クララは顔を上げ得なかった。
そこにフランシスがこれも裸形のままで這入って来てレオに代って講壇に登った。クララはなお顔を得上げなかった。
「神、その独子、聖霊及び基督の御弟子の頭なる法皇の御許によって、末世の罪人、神の召によって人を喜ばす軽業師なるフランシスが善良なアッシジの市民に告げる。フランシスは今日教友のレオに堂母で説教するようにといった。レオは神を語るだけの弁才を神から授っていないと拒んだ。フランシスはそれなら裸になって行って、体で説教しろといった。レオは雄々しくも裸かになって出て行った。さてレオが去った後、レオにかかる苦行を強いながら、何事もなげに居残ったこのフランシスを神は厳しく鞭ち給うた。眼ある者は見よ。懺悔したフランシスは諸君の前に立つ。諸君はフランシスの裸形を憐まるるか。しからば諸君が眼を注いで見ねばならぬものが彼所にある。眼あるものは更に眼をあげて見よ」
クララはいつの間にか男の裸体と相対している事も忘れて、フランシスを見やっていた。フランシスは「眼をあげて見よ」というと同時に祭壇に安置された十字架聖像を恭しく指した。十字架上の基督は痛ましくも痩せこけた裸形のままで会衆を見下ろしていた。二十八のフランシスは何所といって際立って人眼を引くような容貌を持っていなかったが、祈祷と、断食と、労働のためにやつれた姿は、霊化した彼れの心をそのまま写し出していた。長い説教ではなかったが神の愛、貧窮の祝福などを語って彼がアーメンといって口をつぐんだ時には、人々の愛心がどん底からゆすりあげられて思わず互に固い握手をしてすすり泣いていた。クララは人々の泣くようには泣かなかった。彼女は自分の眼が燃えるように思った。
その日彼女はフランシスに懺悔の席に列る事を申しこんだ。懺悔するものはクララの外にも沢山いたが、クララはわざと最後を選んだ。クララの番が来て祭壇の後ろのアプスに行くと、フランシスはただ一人獣色といわれる樺色の百姓服を着て、繩の帯を結んで、胸の前に組んだ手を見入るように首を下げて、壁添いの腰かけにかけていた。クララを見ると手まねで自分の前にある椅子に坐れと指した。二人は向いあって坐った。そして眼を見合わした。
曇った秋の午後のアプスは寒く淋しく暗み亘っていた。ステインド・グラスから漏れる光線は、いくつかの細長い窓を暗く彩って、それがクララの髪の毛に来てしめやかに戯れた。恐ろしいほどにあたりは物静かだった。クララの燃える眼は命の綱のようにフランシスの眼にすがりついた。フランシスの眼は落着いた愛に満ち満ちてクララの眼をかき抱くようにした。クララの心は酔いしれて、フランシスの眼を通してその尊い魂を拝もうとした。やがてクララの眼に涙が溢れるほどたまったと思うと、ほろほろと頬を伝って流れはじめた。彼女はそれでも真向にフランシスを見守る事をやめなかった。こうしてまたいくらかの時が過ぎた。クララはただ黙ったままで坐っていた。
「神の処女」
フランシスはやがて厳かにこういった。クララは眼を外にうつすことが出来なかった。
「あなたの懺悔は神に達した。神は嘉し給うた。アーメン」
クララはこの上控えてはいられなかった。椅子からすべり下りると敷石の上に身を投げ出して、思い存分泣いた。その小さい心臓は無上の歓喜のために破れようとした。思わず身をすり寄せて、素足のままのフランシスの爪先きに手を触れると、フランシスは静かに足を引きすざらせながら、いたわるように祝福するように、彼女の頭に軽く手を置いて間遠につぶやき始めた。小雨の雨垂れのようにその言葉は、清く、小さく鋭く、クララの心をうった。
「何よりもいい事は心の清く貧しい事だ」
独語のようなささやきがこう聞こえた。そして暫らく沈黙が続いた。
「人々は今のままで満足だと思っている。私にはそうは思えない。あなたもそうは思わない。神はそれをよしと見給うだろう。兄弟の日、姉妹の月は輝くのに、人は輝く喜びを忘れている。雲雀は歌うのに人は歌わない。木は跳るのに人は跳らない。淋しい世の中だ」
また沈黙。
「沈黙は貧しさほどに美しく尊い。あなたの沈黙を私は美酒のように飲んだ」
それから恐ろしいほどの長い沈黙が続いた。突然フランシスは慄える声を押鎮めながらつぶやいた。
「あなたは私を恋している」
クララはぎょっとして更めて聖者を見た。フランシスは激しい心の動揺から咄嗟の間に立ちなおっていた。
「そんなに驚かないでもいい」
そういって静かに眼を閉じた。
クララは自分で知らなかった自分の秘密をその時フランシスによって甫めて知った。長い間の不思議な心の迷いをクララは種々に解きわずらっていたが、それがその時始めて解かれたのだ。クララはフランシスの明察を何んと感謝していいのか、どう詫びねばならぬかを知らなかった。狂気のような自分の泣き声ばかりがクララの耳にやや暫らくいたましく聞こえた。
「わが神、わが凡て」
また長い沈黙がつづいた。フランシスはクララの頭に手を置きそえたまま黙祷していた。
「私の心もおののく。……私はあなたに値しない。あなたは神に行く前に私に寄道した。……さりながら愛によってつまずいた優しい心を神は許し給うだろう。私の罪をもまた許し給うだろう」
かくいってフランシスはすっと立上った。そして今までとは打って変って神々しい威厳でクララを圧しながら言葉を続けた。
「神の御名によりて命ずる。永久に神の清き愛児たるべき処女よ。腰に帯して立て」
その言葉は今でもクララの耳に焼きついて消えなかった。そしてその時からもう世の常の処女ではなくなっていた。彼女はその時の回想に心を上ずらせながら、その時泣いたように激しく泣いていた。
ふと「クララ」と耳近く囁くアグネスの声に驚かされてクララは顔を上げた。空想の中に描かれていたアプスの淋しさとは打って変って、堂内にはひしひしと群集がひしめいていた。祭壇の前に集った百人に余る少女は、棕櫚の葉の代りに、月桂樹の枝と花束とを高くかざしていた――夕栄の雲が棚引いたように。クララの前にはアグネスを従えて白い髯を長く胸に垂れた盛装の僧正が立っている。クララが顔を上げると彼れは慈悲深げにほほえんだ。
「嫁ぎ行く処女よ。お前の喜びの涙に祝福あれ。この月桂樹は僧正によって祭壇から特にお前に齎らされたものだ。僧正の好意と共に受けおさめるがいい」
クララが知らない中に祭事は進んで、最後の儀式即ち参詣の処女に僧正手ずから月桂樹を渡して、救世主の入城を頌歌する場合になっていたのだ。そしてクララだけが祭壇に来なかったので僧正自らクララの所に花を持って来たのだった。クララが今夜出家するという手筈をフランシスから知らされていた僧正は、クララによそながら告別を与えるためにこの破格な処置をしたのだと気が付くと、クララはまた更らに涙のわき返るのをとどめ得なかった。クララの父母は僧正の言葉をフォルテブラッチョ家との縁談と取ったのだろう、笑みかまけながら挨拶の辞儀をした。
やがて百人の処女の喉から華々しい頌歌が起った。シオンの山の凱歌を千年の後に反響さすような熱と喜びのこもった女声高音が内陣から堂内を震動さして響き亘った。会衆は蠱惑されて聞き惚れていた。底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。花の間に顔を伏せて彼女は少女の歌声に揺られながら、無我の祈祷に浸り切った。
○
「クララ……クララ」
クララは眼をさましていたけれども返事をしなかった。幸に母のいる方には後ろ向けに、アグネスに寄り添って臥ていたから、そのまま息気を殺して黙っていた。母は二人ともよく寝たもんだというような事を、母らしい愛情に満ちた言葉でいって、何か衣裳らしいものを大椅子の上にそっくり置くと、忍び足に寝台に近よってしげしげと二人の寝姿を見守った。そして夜着をかけ添えて軽く二つ三つその上をたたいてから静かに部屋を出て行った。
クララの枕はしぼるように涙に濡れていた。
無月の春の夜は次第に更けた。町の諸門をとじる合図の鐘は二時間も前に鳴ったので、コルソに集って売買に忙がしかった村の人々の声高な騒ぎも聞こえず、軒なみの店ももう仕舞って寝しずまったらしい。女猫を慕う男猫の思い入ったような啼声が時折り聞こえる外には、クララの部屋の時計の重子が静かに下りて歯車をきしらせる音ばかりがした。山の上の春の空気はなごやかに静かに部屋に満ちて、堂母から二人が持って帰った月桂樹と花束の香を隅々まで籠めていた。
クララは取りすがるように祈りに祈った。眼をあけると間近かにアグネスの眠った顔があった。クララを姉とも親とも慕う無邪気な、素直な、天使のように浄らかなアグネス。クララがこの二、三日ややともすると眼に涙をためているのを見て、自分も一緒に涙ぐんでいたアグネス。……そのアグネスの睫毛はいつでも涙で洗ったように美しかった。殊に色白なその頬は寝入ってから健康そうに上気して、その間に形よく盛り上った小鼻は穏やかな呼吸と共に微細に震えていた。「クララの光の髪、アグネスの光の眼」といわれた、無類な潤みを持った童女にしてはどこか哀れな、大きなその眼は見る事が出来なかった。クララは、見つめるほど、骨肉のいとしさがこみ上げて来て、そっと掌で髪から頬を撫でさすった。その手に感ずる暖いなめらかな触感はクララの愛欲を火のようにした。クララは抱きしめて思い存分いとしがってやりたくなって半身を起して乗しかかった。同時にその場合の大事がクララを思いとどまらした。クララは肱をついて半分身を起したままで、アグネスを見やりながらほろほろと泣いた。死んだ一人児を母が撫でさすりながら泣くように。
弾条のきしむ音と共に時計が鳴り出した。クララは数を数えないでも丁度夜半である事を知っていた。そして涙を拭いもあえず、静かに床からすべり出た。打合せておいた時刻が来たのだ。安息日が過ぎて神聖月曜日が来たのだ。クララは床から下り立つと昨日堂母に着て行ったベネチヤの白絹を着ようとした。それは花嫁にふさわしい色だった。しかし見ると大椅子の上に昨夜母の持って来てくれた外の衣裳が置いてあった。それはクララが好んで来た藤紫の一揃だった。神聖月曜日にも聖ルフィノ寺院で式があるから、昨日のものとは違った服装をさせようという母の心尽しがすぐ知れた。クララは嬉しく有難く思いながらそれを着た。そして着ながらもしこれが両親の許しを得た結婚であったならばと思った。父は恐らくあすこの椅子にかけて微笑しながら自分を見守るだろう。母と女中とは前に立ち後ろに立ちして化粧を手伝う事だろう。そう思いながらクララは音を立てないように用心して、かけにくい背中のボタンをかけたりした。そしていつもの習慣通りに小箪笥の引出しから頸飾と指輪との入れてある小箱を取出したが、それはこの際になって何んの用もないものだと気が付いた。クララはふとその宝玉に未練を覚えた。その一つ一つにはそれぞれの思出がつきまつわっていた。クララは小箱の蓋に軽い接吻を与えて元の通りにしまいこんだ。淋しい花嫁の身じたくは静かな夜の中に淋しく終った。その中に心は段々落着いて力を得て行った。こんなに泣かれてはいよいよ家を逃れ出る時にはどうしたらいいだろうと思った床の中の心配は無用になった。沈んではいるがしゃんと張切った心持ちになって、クララは部屋の隅の聖像の前に跪いて燭火を捧げた。そして静かに身の来し方を返り見た。
幼い時からクララにはいい現わし得ない不満足が心の底にあった。いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方に小言をいわせた。さんざん小言をいってから独りになると何んともいえない淋しさに襲われて、部屋の隅でただ一人半日も泣いていた記憶も甦った。クララはそんな時には大好きな母の顔さえ見る事を嫌った。ましてや父の顔は野獣のように見えた。いまに誰れか来て私を助けてくれる。堂母の壁画にあるような天国に連れて行ってくれるからいいとそう思った。色々な宗教画がある度に自分の行きたい所は何所だろうと思いながら注意した。その中にクララの心の中には二つの世界が考えられるようになりだした。一つはアッシジの市民が、僧侶をさえこめて、上から下まで生活している世界だ。一つは市民らが信仰しているにせよ、いぬにせよ、敬意を捧げている基督及び諸聖徒の世界だ。クララは第一の世界に生い立って栄耀栄華を極むべき身分にあった。その世界に何故渇仰の眼を向け出したか、クララ自身も分らなかったが、当時ペルジヤの町に対して勝利を得て独立と繁盛との誇りに賑やか立ったアッシジの辻を、豪奢の市民に立ち交りながら、「平和を求めよ而して永遠の平和あれ」と叫んで歩く名もない乞食の姿を彼女は何んとなく考え深く眺めないではいられなかった。やがて死んだのか宗旨代えをしたのか、その乞食は影を見せなくなって、市民は誰れ憚らず思うさまの生活に耽っていたが、クララはどうしても父や父の友達などの送る生活に従って活きようと思う心地はなかった。その頃にフランシス――この間まで第一の生活の先頭に立って雄々しくも第二の世界に盾をついたフランシス――が百姓の服を着て、子供らに狂人と罵られながらも、聖ダミヤノ寺院の再建勧進にアッシジの街に現われ出した。クララは人知れずこの乞食僧の挙動を注意していた。その頃にモントルソリ家との婚談も持上って、クララは度々自分の窓の下で夜おそく歌われる夜曲を聞くようになった。それはクララの心を躍らしときめかした。同時にクララは何物よりもこの不思議な力を恐れた。
その時分クララは著者の知れないある古い書物の中に下のような文句を見出した。
「肉に溺れんとするものよ。肉は霊への誘惑なるを知らざるや。心の眼鈍きものはまず肉によりて愛に目ざむるなり。愛に目ざめてそを哺むものは霊に至らざればやまざるを知らざるや。されど心の眼さときものは肉に倚らずして直に愛の隠るる所を知るなり。聖処女の肉によらずして救主を孕み給いし如く、汝ら心の眼さときものは聖霊によりて諸善の胎たるべし。肉の世の広きに恐るる事勿れ。一度恐れざれば汝らは神の恩恵によりて心の眼さとく生れたるものなることを覚るべし」
クララは幾度もそこを読み返した。彼女の迷いはこの珍らしくもない句によって不思議に晴れて行った。そしてフランシスに対して好意を持ち出した。フランシスを弁護する人がありでもすると、嫉妬を感じないではいられないほど好意を持ち出した。その時からクララは凡ての縁談を顧みなくなった。フォルテブラッチョ家との婚約を父が承諾した時でも、クララは一応辞退しただけで、跡は成行きにまかせていた。彼女の心はそんな事には止ってはいなかった。唯心を籠めて浄い心身を基督に献じる機ばかりを窺っていたのだ。その中に十六歳の秋が来て、フランシスの前に懺悔をしてから、彼女の心は全く肉の世界から逃れ出る事が出来た。それからの一年半の長い長い天との婚約の試練も今夜で果てたのだ。これからは一人の主に身も心も献げ得る嬉しい境涯が自分を待っているのだ。
クララの顔はほてって輝いた。聖像の前に最後の祈を捧げると、いそいそとして立上った。そして鏡を手に取って近々と自分の顔を写して見た。それが自分の肉との最後の別れだった。彼女の眼にはアグネスの寝顔が吸付くように可憐に映った。クララは静かに寝床に近よって、自分の臥ていた跡に堂母から持帰った月桂樹の枝を敷いて、その上に聖像を置き、そのまわりを花で飾った。そしてもう一度聖像に祈祷を捧げた。
「御心ならば、主よ、アグネスをも召し給え」
クララは軽くアグネスの額に接吻した。もう思い残す事はなかった。
ためらう事なくクララは部屋を出て、父母の寝室の前の板床に熱い接吻を残すと、戸を開けてバルコンに出た。手欄から下をすかして見ると、暗の中に二人の人影が見えた。「アーメン」という重い声が下から響いた。クララも「アーメン」といって応じながら用意した綱で道路に降り立った。
空も路も暗かった。三人はポルタ・ヌオバの門番に賂して易々と門を出た。門を出るとウムブリヤの平野は真暗に遠く広く眼の前に展け亘った。モンテ・ファルコの山は平野から暗い空に崛起しておごそかにこっちを見つめていた。淋しい花嫁は頭巾で深々と顔を隠した二人の男に守られながら、すがりつくようにエホバに祈祷を捧げつつ、星の光を便りに山坂を曲りくねって降りて行った。
フランシスとその伴侶との礼拝所なるポルチウンクウラの小龕の灯が遙か下の方に見え始める坂の突角に炬火を持った四人の教友がクララを待ち受けていた。今まで氷のように冷たく落着いていたクララの心は、瀕死者がこの世に最後の執着を感ずるようにきびしく烈しく父母や妹を思った。炬火の光に照らされてクララの眼は未練にももう一度涙でかがやいた。いい知れぬ淋しさがその若い心を襲った。
「私のために祈って下さい」
クララは炬火を持った四人にすすり泣きながら歎願した。四人はクララを中央に置いて黙ったままうずくまった。
平原の平和な夜の沈黙を破って、遙か下のポルチウンクウラからは、新嫁を迎うべき教友らが、心をこめて歌いつれる合唱の声が、静かにかすかにおごそかに聞こえて来た。
(一九一七、八、一五、於碓氷峠) | 底本:「カインの末裔 クララの出家」岩波文庫、岩波書店
1940(昭和15)年9月10日第1刷発行
1980(昭和55)年5月16日第25刷改版発行
1990(平成2)年4月15日第35刷発行
底本の親本:「有島武郎著作集」第三輯、新潮社
1918(大正7)年2月刊
初出:「太陽」
1917(大正6)年9月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2001年2月14日公開
2005年9月24日修正
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八っちゃんが黒い石も白い石もみんなひとりで両手でとって、股の下に入れてしまおうとするから、僕は怒ってやったんだ。
「八っちゃんそれは僕んだよ」
といっても、八っちゃんは眼ばかりくりくりさせて、僕の石までひったくりつづけるから、僕は構わずに取りかえしてやった。そうしたら八っちゃんが生意気に僕の頬ぺたをひっかいた。お母さんがいくら八っちゃんは弟だから可愛がるんだと仰有ったって、八っちゃんが頬ぺたをひっかけば僕だって口惜しいから僕も力まかせに八っちゃんの小っぽけな鼻の所をひっかいてやった。指の先きが眼にさわった時には、ひっかきながらもちょっと心配だった。ひっかいたらすぐ泣くだろうと思った。そうしたらいい気持ちだろうと思ってひっかいてやった。八っちゃんは泣かないで僕にかかって来た。投げ出していた足を折りまげて尻を浮かして、両手をひっかく形にして、黙ったままでかかって来たから、僕はすきをねらってもう一度八っちゃんの団子鼻の所をひっかいてやった。そうしたら八っちゃんは暫く顔中を変ちくりんにしていたが、いきなり尻をどんとついて僕の胸の所がどきんとするような大きな声で泣き出した。
僕はいい気味で、もう一つ八っちゃんの頬ぺたをなぐりつけておいて、八っちゃんの足許にころげている碁石を大急ぎでひったくってやった。そうしたら部屋のむこうに日なたぼっこしながら衣物を縫っていた婆やが、眼鏡をかけた顔をこちらに向けて、上眼で睨みつけながら、
「また泣かせて、兄さん悪いじゃありませんか年かさのくせに」
といったが、八っちゃんが足をばたばたやって死にそうに泣くものだから、いきなり立って来て八っちゃんを抱き上げた。婆やは八っちゃんにお乳を飲ませているものだから、いつでも八っちゃんの加勢をするんだ。そして、
「おおおお可哀そうに何処を。本当に悪い兄さんですね。あらこんなに眼の下を蚯蚓ばれにして兄さん、御免なさいと仰有いまし。仰有らないとお母さんにいいつけますよ。さ」
誰が八っちゃんなんかに御免なさいするもんか。始めっていえば八っちゃんが悪いんだ。僕は黙ったままで婆やを睨みつけてやった。
婆やはわあわあ泣く八っちゃんの脊中を、抱いたまま平手でそっとたたきながら、八っちゃんをなだめたり、僕に何んだか小言をいい続けていたが僕がどうしても詫ってやらなかったら、とうとう
「それじゃよう御座んす。八っちゃんあとで婆やがお母さんに皆んないいつけてあげますからね、もう泣くんじゃありませんよ、いい子ね。八っちゃんは婆やの御秘蔵っ子。兄さんと遊ばずに婆やのそばにいらっしゃい。いやな兄さんだこと」
といって僕が大急ぎで一かたまりに集めた碁石の所に手を出して一掴み掴もうとした。僕は大急ぎで両手で蓋をしたけれども、婆やはかまわずに少しばかり石を拾って婆やの坐っている所に持っていってしまった。
普段なら僕は婆やを追いかけて行って、婆やが何んといっても、それを取りかえして来るんだけれども、八っちゃんの顔に蚯蚓ばれが出来ていると婆やのいったのが気がかりで、もしかするとお母さんにも叱られるだろうと思うと少し位碁石は取られても我慢する気になった。何しろ八っちゃんよりはずっと沢山こっちに碁石があるんだから、僕は威張っていいと思った。そして部屋の真中に陣どって、その石を黒と白とに分けて畳の上に綺麗にならべ始めた。
八っちゃんは婆やの膝に抱かれながら、まだ口惜しそうに泣きつづけていた。婆やが乳をあてがっても呑もうとしなかった。時々思い出しては大きな声を出した。しまいにはその泣声が少し気になり出して、僕は八っちゃんと喧嘩しなければよかったなあと思い始めた。さっき八っちゃんがにこにこ笑いながら小さな手に碁石を一杯握って、僕が入用ないといったのも僕は思い出した。その小さな握拳が僕の眼の前でひょこりひょこりと動いた。
その中に婆やが畳の上に握っていた碁石をばらりと撒くと、泣きじゃくりをしていた八っちゃんは急に泣きやんで、婆やの膝からすべり下りてそれをおもちゃにし始めた。婆やはそれを見ると、
「そうそうそうやっておとなにお遊びなさいよ。婆やは八っちゃんのおちゃんちゃんを急いで縫い上ますからね」
といいながら、せっせと縫物をはじめた。
僕はその時、白い石で兎を、黒い石で亀を作ろうとした。亀の方は出来たけれども、兎の方はあんまり大きく作ったので、片方の耳の先きが足りなかった。もう十ほどあればうまく出来上るんだけれども、八っちゃんが持っていってしまったんだから仕方がない。
「八っちゃん十だけ白い石くれない?」
といおうとしてふっと八っちゃんの方に顔を向けたが、縁側の方を向て碁石をおもちゃにしている八っちゃんを見たら、口をきくのが変になった。今喧嘩したばかりだから、僕から何かいい出してはいけなかった。だから仕方なしに僕は兎をくずしてしまって、もう少し小さく作りなおそうとした。でもそうすると亀の方が大きくなり過て、兎が居眠りしないでも亀の方が駈っこに勝そうだった。だから困っちゃった。
僕はどうしても八っちゃんに足らない碁石をくれろといいたくなった。八っちゃんはまだ三つですぐ忘れるから、そういったら先刻のように丸い握拳だけうんと手を延ばしてくれるかもしれないと思った。
「八っちゃん」
といおうとして僕はその方を見た。
そうしたら八っちゃんは婆やのお尻の所で遊んでいたが真赤な顔になって、眼に一杯涙をためて、口を大きく開いて、手と足とを一生懸命にばたばたと動かしていた。僕は始め清正公様にいるかったいの乞食がお金をねだる真似をしているのかと思った。それでもあのおしゃべりの八っちゃんが口をきかないのが変だった。おまけに見ていると、両手を口のところにもって行って、無理に口の中に入れようとしたりした。何んだかふざけているのではなく、本気の本気らしくなって来た。しまいには眼を白くしたり黒くしたりして、げえげえと吐きはじめた。
僕は気味が悪くなって来た。八っちゃんが急に怖わい病気になったんだと思い出した。僕は大きな声で、
「婆や……婆や……八っちゃんが病気になったよう」
と怒鳴ってしまった。そうしたら婆やはすぐ自分のお尻の方をふり向いたが、八っちゃんの肩に手をかけて自分の方に向けて、急に慌てて後から八っちゃんを抱いて、
「あら八っちゃんどうしたんです。口をあけて御覧なさい。口をですよ。こっちを、明い方を向いて……ああ碁石を呑んだじゃないの」
というと、握り拳をかためて、八っちゃんの脊中を続けさまにたたきつけた。
「さあ、かーっといってお吐きなさい……それもう一度……どうしようねえ……八っちゃん、吐くんですよう」
婆やは八っちゃんをかっきり膝の上に抱き上げてまた脊中をたたいた。僕はいつ来たとも知らぬ中に婆やの側に来て立ったままで八っちゃんの顔を見下していた。八っちゃんの顔は血が出るほど紅くなっていた。婆やはどもりながら、
「兄さんあなた、早くいって水を一杯……」
僕は皆まで聞かずに縁側に飛び出して台所の方に駈けて行った。水を飲ませさえすれば八っちゃんの病気はなおるにちがいないと思った。そうしたら婆やが後からまた呼びかけた。
「兄さん水は……早くお母さんの所にいって、早く来て下さいと……」
僕は台所の方に行くのをやめて、今度は一生懸命でお茶の間の方に走った。
お母さんも障子を明けはなして日なたぼっこをしながら静かに縫物をしていらしった。その側で鉄瓶のお湯がいい音をたてて煮えていた。
僕にはそこがそんなに静かなのが変に思えた。八っちゃんの病気はもうなおっているのかも知れないと思った。けれども心の中は駈けっこをしている時見たいにどきんどきんしていて、うまく口がきけなかった。
「お母さん……お母さん……八っちゃんがね……こうやっているんですよ……婆やが早く来てって」
といって八っちゃんのしたとおりの真似を立ちながらして見せた。お母さんは少しだるそうな眼をして、にこにこしながら僕を見たが、僕を見ると急に二つに折っていた背中を真直になさった。
「八っちゃんがどうかしたの」
僕は一生懸命真面目になって、
「うん」
と思い切り頭を前の方にこくりとやった。
「うん……八っちゃんがこうやって……病気になったの」
僕はもう一度前と同じ真似をした。お母さんは僕を見ていて思わず笑おうとなさったが、すぐ心配そうな顔になって、大急ぎで頭にさしていた針を抜いて針さしにさして、慌てて立ち上って、前かけの糸くずを両手ではたきながら、僕のあとから婆やのいる方に駈けていらしった。
「婆や……どうしたの」
お母さんは僕を押しのけて、婆やの側に来てこう仰有った。
「八っちゃんがあなた……碁石でもお呑みになったんでしょうか……」
「お呑みになったんでしょうかもないもんじゃないか」
お母さんの声は怒った時の声だった。そしていきなり婆やからひったくるように八っちゃんを抱き取って、自分が苦しくってたまらないような顔をしながら、ばたばた手足を動かしている八っちゃんをよく見ていらしった。
「象牙のお箸を持って参りましょうか……それで喉を撫でますと……」婆やがそういうかいわぬに、
「刺がささったんじゃあるまいし……兄さんあなた早く行って水を持っていらっしゃい」
と僕の方を御覧になった。婆やはそれを聞くと立上ったが、僕は婆やが八っちゃんをそんなにしたように思ったし、用は僕がいいつかったのだから、婆やの走るのをつき抜て台所に駈けつけた。けれども茶碗を探してそれに水を入れるのは婆やの方が早かった。僕は口惜しくなって婆やにかぶりついた。
「水は僕が持ってくんだい。お母さんは僕に水を……」
「それどころじゃありませんよ」
と婆やは怒ったような声を出して、僕がかかって行くのを茶碗を持っていない方の手で振りはらって、八っちゃんの方にいってしまった。僕は婆やがあんなに力があるとは思わなかった。僕は、
「僕だい僕だい水は僕が持って行くんだい」
と泣きそうに怒って追っかけたけれども、婆やがそれをお母さんの手に渡すまで婆やに追いつくことが出来なかった。僕は婆やが水をこぼさないでそれほど早く駈けられるとは思わなかった。
お母さんは婆やから茶碗を受取ると八っちゃんの口の所にもって行った。半分ほど襟頸に水がこぼれたけれども、それでも八っちゃんは水が飲めた。八っちゃんはむせて、苦しがって、両手で胸の所を引っかくようにした。懐ろの所に僕がたたんでやった「だまかし船」が半分顔を出していた。僕は八っちゃんが本当に可愛そうでたまらなくなった。あんなに苦しめばきっと死ぬにちがいないと思った。死んじゃいけないけれどもきっと死ぬにちがいないと思った。
今まで口惜しがっていた僕は急に悲しくなった。お母さんの顔が真蒼で、手がぶるぶる震えて、八っちゃんの顔が真紅で、ちっとも八っちゃんの顔みたいでないのを見たら、一人ぼっちになってしまったようで、我慢のしようもなく涙が出た。
お母さんは僕がべそをかき始めたのに気もつかないで、夢中になって八っちゃんの世話をしていなさった。婆やは膝をついたなりで覗きこむように、お母さんと八っちゃんの顔とのくっつき合っているのを見おろしていた。
その中に八っちゃんが胸にあてがっていた手を放して驚いたような顔をしたと思ったら、いきなりいつもの通りな大きな声を出してわーっと泣き出した。お母さんは夢中になって八っちゃんをだきすくめた。婆やはせきこんで、
「通りましたね、まあよかったこと」
といった。きっと碁石がお腹の中にはいってしまったのだろう。お母さんも少し安心なさったようだった。僕は泣きながらも、お母さんを見たら、その眼に涙が一杯たまっていた。
その時になってお母さんは急に思い出したように、婆やにお医者さんに駈けつけるようにと仰有った。婆やはぴょこぴょこと幾度も頭を下て、前垂で、顔をふきふき立って行った。
泣きわめいている八っちゃんをあやしながら、お母さんはきつい眼をして、僕に早く碁石をしまえと仰有った。僕は叱られたような、悪いことをしていたような気がして、大急ぎで、碁石を白も黒もかまわず入れ物にしまってしまった。
八っちゃんは寝床の上にねかされた。どこも痛くはないと見えて、泣くのをよそうとしては、また急に何か思い出したようにわーっと泣き出した。そして、
「さあもういいのよ八っちゃん。どこも痛くはありませんわ。弱いことそんなに泣いちゃあ。かあちゃんがおさすりしてあげますからね、泣くんじゃないの。……あの兄さん」
といって僕を見なすったが、僕がしくしくと泣いているのに気がつくと、
「まあ兄さんも弱虫ね」
といいながらお母さんも泣き出しなさった。それだのに泣くのを僕に隠して泣かないような風をなさるんだ。
「兄さん泣いてなんぞいないで、お坐蒲団をここに一つ持って来て頂戴」
と仰有った。僕はお母さんが泣くので、泣くのを隠すので、なお八っちゃんが死ぬんではないかと心配になってお母さんの仰有るとおりにしたら、ひょっとして八っちゃんが助かるんではないかと思って、すぐ坐蒲団を取りに行って来た。
お医者さんは、白い鬚の方のではない、金縁の眼がねをかけた方のだった。その若いお医者さんが八っちゃんのお腹をさすったり、手くびを握ったりしながら、心配そうな顔をしてお母さんと小さな声でお話をしていた。お医者の帰った時には、八っちゃんは泣きづかれにつかれてよく寝てしまった。
お母さんはそのそばにじっと坐っていた。八っちゃんは時々怖わい夢でも見ると見えて、急に泣き出したりした。
その晩は僕は婆やと寝た。そしてお母さんは八っちゃんのそばに寝なさった。婆やが時々起きて八っちゃんの方に行くので、折角眠りかけた僕は幾度も眼をさました。八っちゃんがどんなになったかと思うと、僕は本当に淋しく悲しかった。
時計が九つ打っても僕は寝られなかった。寝られないなあと思っている中に、ふっと気が附いたらもう朝になっていた。いつの間に寝てしまったんだろう。
「兄さん眼がさめて」
そういうやさしい声が僕の耳許でした。お母さんの声を聞くと僕の体はあたたかになる。僕は眼をぱっちり開いて嬉しくって、思わず臥がえりをうって声のする方に向いた。そこにお母さんがちゃんと着がえをして、頭を綺麗に結って、にこにことして僕を見詰めていらしった。
「およろこび、八っちゃんがね、すっかりよくなってよ。夜中にお通じがあったから碁石が出て来たのよ。……でも本当に怖いから、これから兄さんも碁石だけはおもちゃにしないで頂戴ね。兄さん……八っちゃんが悪かった時、兄さんは泣いていたのね。もう泣かないでもいいことになったのよ。今日こそあなたがたに一番すきなお菓子をあげましょうね。さ、お起き」
といって僕の両脇に手を入れて、抱き起そうとなさった。僕は擽ったくってたまらないから、大きな声を出してあははあははと笑った。
「八っちゃんが眼をさましますよ、そんな大きな声をすると」
といってお母さんはちょっと真面目な顔をなさったが、すぐそのあとからにこにこして僕の寝間着を着かえさせて下さった。 | 底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年12月16日改版第1刷発行
底本の親本:「一房の葡萄」叢文閣
1922(大正11)年6月
入力:鈴木厚司
校正:地田尚
2000年10月18日公開
2005年11月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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八月十七日私は自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、左の告別の言葉を述べた。これはいわば私の私事ではあるけれども、その当時の新聞紙が、それについて多少の報道を公けにしたのであるが、また聞きのことでもあるから全く誤謬がないとはいえない。こうなる以上は、私の所言を発表して、読者にお知らせしておくのが便利と考えられる。
農繁の時節にわざわざ集まってくださってありがたく思います。しかし今日はぜひ諸君に聞いていただかねばならぬ用事があったことですから悪しからず許してください。
私がこの農場を何とか処分するとのことは新聞にも出たから、諸君もどうすることかといろいろ考えておられたろうし、また先ごろは農場監督の吉川氏から、氏としての考えを述べられたはずだから、私の処分についての、だいたいの様子はわかっておられたかとも思います。けれどもこの事柄は私の口ずから申し出ないと落ち着かない種類のものと信じますから、私は東京から出て来ました。
第一、第二の農場を合して、約四百五十町歩の地積に、諸君は小作人として七十戸に近い戸数をもっています。今日になってみると、開墾しうべきところはたいてい開墾されて、立派に生産に役立つ土地になっていますが、開墾当初のことを考えると、一時代時代が隔たっているような感じがします。ここから見渡すことのできる一面の土地は、丈け高い熊笹と雑草の生い茂った密林でした。それが私の父がこの土地の貸し下げを北海道庁から受けた当時のこの辺のありさまだったのです。食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。それが明治三十三年ごろのことです。爾来諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美しい農作地を見るに至りました。もとより開墾の初期に草分けとしてはいった数人の人は、今は一人も残ってはいませんが、その後毎年はいってくれた人々は、草分けの人々のあとを嗣いで、ついにこの土地の無料付与を道庁から許可されるまでの成績を挙げてくれられたのです。
この土地の開墾については資金を必要としたことに疑いはありません。父は道庁への交渉と資金の供給とに当たりました。そのほか父はその老躯をたびたびここに運んで、成墾に尽力しました。父は、私が農学を研究していたものだから、私の発展させていくべき仕事の緒口をここに定めておくつもりであり、また私たち兄弟の中に、不幸に遭遇して身動きのできなくなったものができたら、この農場にころがり込むことによって、とにかく餓死だけは免れることができようとの、親の慈悲心から、この農場の経営を決心したらしく見えます。親心としてこれはありがたい親心だと私は今でも考えています。けれども、私は親から譲られたこの農場を持ち続けていく気持ちがなくなってしまったのです。で、私は母や弟妹に私の心持ちを打ち明けた上、その了解を得て、この土地全部を無償で諸君の所有に移すことになったのです。
こう申し出たとて、誤解をしてもらいたくないのは、この土地を諸君の頭数に分割して、諸君の私有にするという意味ではないのです。諸君が合同してこの土地全体を共有するようにお願いするのです。誰でも少し物を考える力のある人ならすぐわかることだと思いますが、生産の大本となる自然物、すなわち空気、水、土のごとき類のものは、人間全体で使用すべきもので、あるいはその使用の結果が人間全体に役立つよう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私有さるべきものではありません。しかるに今の世の中では、土地は役に立つようなところは大部分個人によって私有されているありさまです。そこから人類に大害をなすような事柄が数えきれないほど生まれています。それゆえこの農場も、諸君全体の共有にして、諸君全体がこの土地に責任を感じ、助け合って、その生産を計るよう仕向けていってもらいたいと願うのです。
単に利害勘定からいっても、私の父がこの土地に投入した資金と、その後の維持、改良、納税のために支払った金とを合算してみても、今日までの間毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。私がこれ以上諸君から収めるのは、さすがに私としても忍び難いところです。それから開墾当時の地価と、今日の地価との大きな相違はどうして起こってきたかと考えてみると、それはもちろん私の父の勤労や投入資金の利子やが計上された結果として、価格の高まったことになったには違いありませんが、そればかりが唯一の原因と考えるのは大きな間違いであって、外界の事情が進むに従って、こちらでは手を束ねているうちに、いつか知らず地価が高まった結果を来たしているのです。かく高まった地価というものは、いわば社会が生み出してくれたもので、私の功績でないばかりでなく、諸君の功績だともいいかねる性質のものです。このことを考えてみれば、土地を私有する理窟はますます立たないわけになるのです。
しかしながら、もし私がほかに何の仕事もできない人間で、諸君に依頼しなければ、今日今日を食っていけないようでしたら、現在のような仕組みの世の中では、あるいは非を知りながらも諸君に依頼して、パンを食うような道に従って生きようとしたかもしれません。ところが私には一つの仕事があって、他の人はどういおうと、私としてはこの上なく楽しく思う仕事ですし、またその仕事から、とにかく親子四人が食っていくだけの収入は得られています。明日はどうなるか知らず、今日は得られています。かかる保証を有ちながら、私が所有地解放を断行しなかったのは、私としてはなはだ怠慢であったので、諸君に対しことさら面目ない次第です。
だいたい以上の理由のもとに、私はこの土地の全体を諸君全体に無償で譲り渡します。ただし正確にいうと、私の徴集した小作料のうち過剰の分をも諸君に返済せねば無償ということができぬのですが、それはこの際勘弁していただくことにしたいと思います。
なおこの土地に住んでいる人の中にも、永く住んでいる人、きわめて短い人、勤勉であった人、勤勉であることのできなかった人等の差別があるわけですが、それらを多少斟酌して、この際私からお礼をするつもりでいます。ただし、いったんこの土地を共有した以上は、かかる差別は消滅して、ともに平等の立場に立つのだということを覚悟してもらわねばなりません。
また私に対して負債をしておられる向きもあって、その高は相当の額に達しています。これは適当の方法をもって必ず皆済していただかねばなりません。私はそれを諸君全体に寄付して、向後の費途に充てるよう取り計らうつもりでいます。
つまり今後の諸君のこの土地における生活は、諸君が組織する自由な組合というような形になると思いますが、その運用には相当の習練が必要です。それには、従来永年この農場の差配を担任していた監督の吉川氏が、諸君の境遇も知悉し、周囲の事情にも明らかなことですから、幾年かの間氏をわずらわして(もとより一組合員の資格をもって)実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。永年の交際において、私は氏がその任務をはずかしめるような人ではないと信じますから一言します。
けれどもこれら巨細にわたった施設に関しては、札幌農科大学経済部に依頼し、具体案を作製してもらうことになっていますから、それができ上がった時、諸君がそれを研究して、適当だと思ったらそれを採用されたなら、少なからず実際の上に便利でしょう。
具体案ができ上がったら、私は全然この農場から手を引くことにします。私も今後は経済的には自分の力だけの範囲で生活する覚悟でいますが、従来親譲りの遺産によって衣食してきた関係上、思うようにいかない境遇に追いつめられるかもしれません。そんな時が来ても、私がこの農場を解放したのを悔いるようなことは断じてないつもりです。昔なつかしさに、たまに遊びにでもやって来た時、諸君が私に数日の宿を惜しまれなかったら、それは私にとって望外の喜びとするところです。
この上いうことはないように思います。終わりに臨んで諸君の将来が、協力一致と相互扶助との観念によって導かれ、現代の悪制度の中にあっても、それに動かされないだけの堅固な基礎を作り、諸君の精神と生活とが、自然に周囲に働いて、周囲の状況をも変化する結果になるようにと祈ります。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「泉」
1922(大正11)年10月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000213",
"作品名": "小作人への告別",
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"初出": "「泉」1922(大正11)年10月",
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その日も、明けがたまでは雨になるらしく見えた空が、爽やかな秋の朝の光となっていた。
咳の出ない時は仰向けに寝ているのがよかった。そうしたままで清逸は首だけを腰高窓の方に少しふり向けてみた。夜のひきあけに、いつものとおり咳がたてこんで出たので、眠られぬままに厠に立った。その帰りに空模様を見ようとして、一枚繰った戸がそのままになっているので、三尺ほどの幅だけ障子が黄色く光っていた。それが部屋をよけい小暗く感じさせた。
隣りの部屋は戸を開け放って戸外のように明るいのだろう。そうでなければ柿江も西山もあんな騒々しい声を立てるはずがない。早起きの西山は朝寝の柿江をとうとう起してしまったらしい。二人は慌てて学校に出る支度をしているらしいのに、口だけは悠々とゆうべの議論の続きらしいことを饒舌っている。やがて、
「おい、そのばか馬をこっちに投げてくれ」
という西山の声がことさら際立って聞こえてきた。清逸の心はかすかに微笑んだ。
ゆうべ、柿江のはいているぼろ袴に眼をつけて、袴ほど今の世に無意味なものはない。袴をはいていると白痴の馬に乗っているのと同じで、腰から下は自分のものではないような気がする。袴ではないばか馬だと西山がいったのを、清逸は思いだしたのだ。
隣のドアがけたたましく開いたと思うと清逸のドアがノックされた。
「星野、今日はどうだ。まだ起きられんのか」
そう廊下から不必要に大きな声を立てたのは西山だった。清逸は聞こえる聞こえないもかまわずに、障子を見守ったまま「うん」と答えただけだった。朝から熱があるらしい、気分はどうしても引き立たなかった。その上清逸にはよく考えてみねばならぬことが多かった。
けれども西山たちの足音が玄関の方に遠ざかろうとすると、清逸は浅い物足らなさを覚えた。それは清逸には奇怪にさえ思われることだった。で、自分を強いるようにその物足らない気分を打ち消すために、先ほどから明るい障子に羽根を休めている蝿に強く視線を集めようとした。その瞬間にしかし清逸は西山を呼びとめなければならない用事を思いついた。それは西山を呼びとめなければならないほどの用事であったのだろうか。とにかく清逸は大きな声で西山を呼んでしまった。彼は自分の喉から老人のようにしわがれた虚ろな声の放たれるのを苦々しく聞いた。
「さあ園の奴まだいたかな」
そう西山は大きな声で独語しながら、けたたましい音をたてて階子段を昇るけはいがしたが、またころがり落ちるように二階から降りてきた。
「星野、園はいたからそういっておいたぞ」
その声は玄関の方から叫ばれた。傍若無人に何か柿江と笑い合う声がしたと思うと、野心家西山と空想家柿江とはもつれあってもう往来に出ているらしかった。
清逸の心はこのささやかな攪拌の後に元どおり沈んでいった。一度聞耳を立てるために天井に向けた顔をまた障子の方に向けなおした。
十月の始めだ。けれども札幌では十分朝寒といっていい時節になった。清逸は綿の重い掛蒲団を頸の所にたくし上げて、軽い咳を二つ三つした。冷えきった空気が障子の所で少し暖まるのだろう、かの一匹の蝿はそこで静かに動いていた。黄色く光る障子を背景にして、黒子のように黒く点ぜられたその蝿は、六本の脚の微細な動きかたまでも清逸の眼に射しこんだ。一番前の両脚と、一番後ろの両脚とをかたみがわりに拝むようにすり合せて、それで頭を撫でたり、羽根をつくろったりする動作を根気よく続けては、何んの必要があってか、素早くその位置を二三寸ずつ上の方に移した。乾いたかすかな音が、そのたびごとに清逸の耳をかすめて、蝿の元いた位置に真白く光る像が残った。それが不思議にも清逸の注意を牽きつけたのだ。戸外では生活の営みがいろいろな物音を立てているのに、清逸の部屋の中は秋らしくもの静かだった。清逸は自分の心の澄むのを部屋の空気に感ずるように思った。
やはりおぬいさんは園に頼むが一番いい。柿江はだめだ。西山でも悪くはないが、あのがさつさはおぬいさんにはふさわしくない。そればかりでなく西山は剽軽なようで油断のならないところがある。あの男はこうと思いこむと事情も顧みないで実行に移る質だ。人からは放漫と思われながら、いざとなると大掴みながらに急所を押えることを知っている。おぬいさんにどんな心を動かしていくかもしれない。……
蝿が素早く居所をかえた。
俺はおぬいさんを要するわけではない。おぬいさんはたびたび俺に眼を与えた。おぬいさんは異性に眼を与えることなどは知らない。それだから平気でたびたび俺に眼を与えたのだ。おぬいさんの眼は、俺を見る時、少し上気した皮膚の中から大きくつやつやしく輝いて、ある羞みを感じながらも俺から離れようとはしない。心の底からの信頼を信じてくださいとその眼は言っている。眼はおぬいさんを裏切っている。おぬいさんは何にも知らないのだ。
蝿がまた動いた。軽い音……
おぬいさんのその眼のいうところを心に気づかせるのは俺にとっては何んでもないことだ。それは今までも俺にはかなりの誘惑だった。……
清逸はそこまで考えてくると眼の前には障子も蝿もなくなっていた。彼の空想の魔杖の一振りに、真白な百合のような大きな花がみるみる蕾の弱々しさから日輪のようにかがやかしく開いた。清逸は香りの高い蕊の中に顔を埋めてみた。蒸すような、焼くような、擽るような、悲しくさせるようなその香り、……その花から、まだ誰も嗅がなかった高い香り……清逸はしばらく自分をその空想に溺れさせていたが、心臓の鼓動の高まるのを感ずるやいなや、振り捨てるように空想の花からその眼を遠ざけた。
その時蝿は右の方に位置を移した。
清逸の心にある未練を残しつつその万花鏡のような花は跡形もなく消え失せた。
園ならばいい。あの純粋な園にならおぬいさんが与えられても俺には不服はない。あの二人が恋し合うのは見ていても美しいだろう。二人の心が両方から自然に開けていって、ついに驚きながら喜びながら互に抱き合うのはありそうなことであって、そしていいことだ。俺はとにかく誘惑を避けよう。俺はどれほど蠱惑的でもそんなところにまごついてはいられない。しかも今のところおぬいさんは処女の美しい純潔さで俺の心を牽きつけるだけで、これはいつかは破れなければならないものだ。しかしそれは誘惑には違いないが、それだけの好奇心でおぬいさんの心を俺の方に眼ざめさすのは残酷だ。……
清逸はくだらないことをくよくよ考えたと思った。そして前どおりに障子にとまっている一匹の蝿にすべての注意を向けようとした。
しかも園が……清逸が十二分の自信をもって掴みうべき機会を……今までの無興味な学校の課業と、暗い淋しい心の苦悶の中に、ただ一つ清浄無垢な光を投げていた処女を根こそぎ取って園に与えるということは……清逸は何んといっても微かな未練を感じた。そして未練というものは微かであっても堪えがたいほどに苦い……。清逸はふとこの間読み終ったレ・ミゼラブルを思いだしていた。老いたジャン・ヷルジャンが、コーセットをマリヤスに与えた時の心持を。
階子段を規律正しく静かに降りてくる足音がして、やがてドアが軽くたたかれた。
その瞬間清逸は深く自分を恥じた。それまで彼を困らしていた未練は影を隠していた。
顔は十七八にしか見えないほど若く、それほど規則正しい若さの整いを持っているが、二十二になったばかりだと思えないくらい落ちつきの備わった園の小さな姿が、清逸の寝床近くきちんと坐ったらしかった。
清逸は園が側近く来たのを知ると、なぜともなく心の中が暖まるのを覚えて、今までの物臭さに似ず、急いで窓から戸口の方に寝返った。が、それまで眩ゆい日の光に慣れていた眼は、そこに瞳を痛くする暗闇を見出だすばかりだった。その暗闇のある一点に、見つづけていた蝿が小さく金剛石のように光っていた。
「学校は休んだの」
眼をつぶりながら、それと思わしい方に顔を向けて清逸はいってみた。
「一時間目は吉田さんだから……僕に用というのは何?」
低いけれど澄んだ声、それは園のものだ。
「そうか。吉田のペンタゴンか。カルキュラスもあんないい加減ですまされては困るな。高等数学はしっかり解っておく必要があるんだが……」
清逸は当面の用事をそっちのけにしてこんなことをいった。そんなことを言いながら、吉田教授をぺンタゴンという異名で呼んだのが園に対して気がひけた。吉田というのは、まだ若くって頭のいい人だったが、北海道というような処に赴任させられたのが不満であるらしく、ややともすると肝心な授業を捨てておいて、旧藩主の奥御殿に起ったという怪談めいた話などをして、学生を笑わせている人だった。そうした人に対しても、園は異名を用いて噂することなどは絶えてしなかった。
「ほんとに困る。しかしどうせ何んでも自分でやらないじゃならない学校だからかまわないといえばかまわないことだが……今日は少しはいいの」
澄んで底力のある声が、清逸の眼にだんだん明瞭な姿を取ってゆく園の方から静かに響いた。健康を尋ねられると清逸はいつでも不思議にいらだった。それに答える代りに、何んとなくいい渋っていた肝心の用事を切りだすほかはなくなった。清逸は首をもたげ加減にして、机の方に眼をやった。そしてその引き出しの中にある手紙を出してくれと頼んでしまった。
園はすぐ机の方に手を延ばして、引き出しを開けにかかった。その時清逸は、自分の瞳が光って、園の方にある鋭い注意を投げているのを気づかずにはいられなかった。園が手紙を取りだした時、星野とだけ書いてある封筒の裏が上になっていたので、名宛人が誰であるかはもとより判りようはずがないのに、園の顔にはふとある混乱が浮んだようにも思え、少しもそんなことがないようにも清逸には思えた。清逸はまたかかることに注意する自分を腑甲斐なく思った。そして思わずいらいらした。
「僕はたぶん明日親父に会いに千歳まで帰ってくる。都合ではむこうの滞在が少し長びくかもしれない。できるなら僕は秋のうちに……冬にならないうちに東京に出たいと思っているんだがね。そんなことは貧乏な親父に相談してみたところで埒は明くまいけれども、順序だから話だけはしてみるつもりなのだ。……でその手紙をおぬいさんにとどけてくれないか。僕は熱があるようだから行かれないと思うから……おぬいさんが聞いたら千歳の番地を知らせてやってくれたまえ、……聞かなかったらこっちからいうには及ばないぜ……それからね、手紙にも書いておいたが、僕の留守の間、おぬいさんの英語を君に見てもらうわけにはいかないかね」
いらいらしさにまかせて、清逸はこれだけのことを畳みかけるようにいって退けた。すべてを清逸は今まで園にさえ打ち明けないでいたのだった。清逸にとってはこれだけの言葉の中に自分を苦しめたり鞭ったりする多くのものが潜んでいるのだ。
清逸は何んということなく園から眼を放して仰向けに天井を見た。白い安西洋紙で張りつめた天井には鼠の尿ででもあるのか、雲形の汚染がところどころにできている。象の形、スカンディナヴィヤ半島のようにも、背中合せの二匹の犬のようにも見える形、腕のつけ根に起き上り小法師の喰いついた形、醜い女の顔の形……見なれきったそれらの奇怪な形を清逸は順々に眺めはじめた。
さすがの園もいろいろな意味で少し驚いたらしかった。最後の瞬間までどんなことでも胸一つに納めておいて、切りだしたら最後貫徹しないではおかない清逸の平生を知らない園ではないはずだ。だがあの健康で明日突然千歳に帰るということも、おぬいさんに英語を教えろということも、すべてがあまりに突然に思えたらしかった。清逸が、象の形、スカンディナヴィヤ半島のようにも、背中合せの二匹の犬のようにも見える形、腕のつけ根に起き上り小法師の喰いついた形から醜い女の顔の形へ視線を移したころ、
「では君もいよいよ東京に行くの」
と園が言った。そしておぬいさんの手紙を素直に洋服の内衣嚢にしまいこんだ。
園はおぬいさんに牽きつけられている、おぬいさんについては一言もいわないではないか。……清逸はすぐそう思った。それともおぬいさんにはまったく無頓着なのか。とにかくその人の名を園の口から聞かなかったのは……それはやはり物足らなかった。園の感情がいくらかでも動くのを清逸は感じたかったのだ。
「西山君も行くようなことをいっていたが……」
園は間をおいてむりにつけ足すようにこれだけのことをいった。
西山がそんなたくらみをしているとは清逸の知らないことだった。清逸は心の奥底ではっと思った。自分の思い立ったことを西山づれに魁けされるのは、清逸の気性として出抜かれたというかすかな不愉快を感じさせられた。
「もっとも西山君のことだから、言いたい放題をいっているかもしれないが……」
清逸の心の裏をかくとでもいうような言葉がしばらくしてからまた園の唇を漏れた。清逸はかすかに苦しい顔をせずにはいられなかった。
二時間目の授業が始まるからといって園が座を立ったあと、清逸は溜息をしたいような衝動を感じた。それが悪るかった。自然に溜息が出たあとに味われるあの特殊な淋しいくつろぎは感ずることができなかった。園が出ていった戸口の方にもの憂い視線を送りながら、このだだ広い汚ない家の中には自分一人だけが残っているのだなとつくづく思った。
ふと身体じゅうを内部から軽く蒸すような熱感が萌してきた。この熱感はいつでも清逸に自分の肉体が病菌によって蝕まれていきつつあるということを思い知らせた。喀血の前にはきっとこの感じが先駆のようにやってくるのだった。
清逸はわざと没義道に身体を窓の方に激しく振り向けてみた。窓の障子はだいぶ高くなった日の光で前よりもさらに黄色く輝いていた。
しかしどこに行ったのか、かの一匹の蝿はもうそこにはいなかった。
* * *
“Magna est veritas,et praevalebit.”
それが銘だった。園はその夜拉典語の字書をひいてはっきりと意味を知ることができた。いい言葉だと思った。
段と段との隔たりが大きくておまけに狭く、手欄もない階子段を、手さぐりの指先に細かい塵を感じながら、折れ曲り折り曲りして昇るのだ。長い四角形の筒のような壁には窓一つなかった。その暗闇の中を園は昇っていった。何んの気だか自分にもよくは解らなかった。左手には小さなシラーの詩集を持って。頂上には、おもに堅い木で作った大きな歯車や槓杆の簡単な機械が、どろどろに埃と油とで黒くなって、秒を刻みながら動いていた。四角な箱のような機械室の四つ角にかけわたした梁の上にやっと腰をかけて、おずおず手を延ばして小窓を開いた。その小窓は外から見上げると指針盤の針座のすぐ右手に取りつけられてあるのを園は見ておいたのだ。窓はやすやすと開いた。それは西向きのだった。そこからの眺めは思いのほか高い所にあるのを思わせた。じき下には、地方裁判所の樺色の瓦屋根があって、その先には道庁の赤煉瓦、その赤煉瓦を囲んで若芽をふいたばかりのポプラが土筆草のように叢がって細長く立っていた。それらの上には春の大空。光と軟かい空気とが小さな窓から犇めいて流れこんだ。
機械室から暗窖のように暗みわたった下の方へ向けて、太い二本の麻縄が垂れ下り、その一本は下の方に、一本は上の方に静かに動いていた。縄の末端に結びつけられた重錘の重さの相違で縄は動くのだ。縄が動くにつれて歯車はきりきりと低い音を立てて廻る。
左の足先は階子の一番上のおどり段に頼んだが、右の足は宙に浮かしているよりしようがなかった。その不安定な坐り心地の中で詩集が開かれた。「鐘の賦」という長い詩のその冒頭に掲げられた有名な鐘銘に眼がとまると、園はここの時計台の鐘の銘をも知りたいと思った。ふと見ると高さ二尺ほどの鐘はすぐ眼の先に塵まぶれになって下っていた。“Magna est veritas,et praevalebit.”……園にはどうしても最後の字の意味が考えられなかった。写真で見る米国の自由の鐘のように下の方でなぞえに裾を拡げている。その拡がり方といい勾配の曲線の具合といい、並々の匠人の手で鋳られたものでないことをその鐘は語っていた。
農学校の演武場の一角にこの時計台が造られてから、誰と誰とが危険と塵とを厭わないでここまで昇る好奇心を起したことだろう。修繕師のほかには一人もなかったかもしれない。そして何年前に最後の修繕師がここに昇ったのだろう。
札幌に来てから園の心を牽きつけるものとてはそうたくさんはなかった。ただこの鐘の音には心から牽きつけられた。寺に生れて寺に育ったせいなのか、梵鐘の音を園は好んで聞いた。上野と浅草と芝との鐘の中で、増上寺の鐘を一番心に沁みる音だと思ったり、自分の寺の鐘を撞きながら、鳴り始めてから鳴り終るまでの微細な音の変化にも耳を傾け慣れていた。鐘に慣れたその耳にも、演武場の鐘の音は美しいものだった。
ことに冬、真昼間でも夕暮れのように天地が暗らみわたって、吹きまく吹雪のほかには何の物音もしないような時、風に揉みちぎられながら澄みきって響いてくるその音を聞くと、園の心は涼しくひき締った。そして熱いものを眼の中に感ずることさえあった。
夢中になってシラーの詩に読み耽っていた園は、思いもよらぬ不安に襲われて詩集から眼を放して機械を見つめた。今まで安らかに単調に秒を刻んでいた歯車は、きゅうに気息苦しそうにきしみ始めていた。と思う間もなく突然暗い物隅から細長い鉄製らしい棒が走りでて、眼の前の鐘を発矢と打った。狭い機械室の中は響だけになった。園の身体は強い細かい空気の震動で四方から押さえつけられた。また打つ……また打つ……ちょうど十一。十一を打ちきるとあとにはまた歯車のきしむ音がしばらく続いて、それから元どおりな規則正しい音に還った。
あまりの厳粛さに園はしばらく茫然としていた。明治三十三年五月四日の午前十一時、――その時間は永劫の前にもなければ永劫の後にもない――が現われながら消えていく……園は時間というものをこれほどまじまじと見つめたことはなかった。
心から後悔して園は詩集を伏せてしまった。この学校に学ぶようになってからも、園には別れがたい文学への憧憬があった。捨てよう捨てようと思いながら、今までずるずるとそれに引きずられていた。一事に没頭しきらなければすまない。一人の科学者に詩の要はない。科学を詩としよう。歌としよう。園は読みなれた詩集を燔牲のごとくに機械室の梁の上に残したまま、足場の悪い階子段を静かに下りた。
“Magna est veritas,et praevalebit.”
その夜彼はこの鐘銘の意味をはっきり知った。いい言葉だと思った。「真理は大能なり、真理は支配せん」と訳してみた。一人の科学者にとってはこれ以上に尊い箴言はない。そして科学者として立とうとしている以上、今後は文学などに未練を繋ぐ姑息を自分に許すまいと決心したのだった。
* * *
札幌に来る時、母が餞別にくれた小形の銀時計を出してみると四時半近くになっていた。その時計はよく狂うので、あまりあてにはならなかったけれど、反射鏡をいかに調節してみても、クロモゾームの配列の具合がしっかりとは見極められないので、およその時間はわかった。園は未練を残しながら顕微鏡の上にベル・グラスを被せた。いつの間にか助手も学生も研究室にはいなかった。夕闇が処まだらに部屋の中には漂っていた。
三年近く被り慣れた大黒帽を被り、少しだぶだぶな焦茶色の出来合い外套を着こむともうすることはなかった。廊下に出ると動物学の方の野村教授が、外套の衣嚢の辺で癖のように両手を拭きながら自分の研究室から出てくるのに遇った。教授は不似合な山高帽子を丁寧に取って、煤けきったような鈍重な眼を強度の近眼鏡の後ろから覗かせながら、含羞むように、
「ライプチッヒから本が少しとどきましたから何んなら見にいらっしゃい」
と挨拶して、指の股を思い存分はだけた両手で外套をこすり続けながら忙しそうに行ってしまった。何んのこだわりもなく研究に没頭しきっているような後姿を見送りながら、園は何んとなく恥を覚えた。それは教授に向けられたのか、自分に向けられたのか、はっきりしないような曖昧なものであったが。
時計台のちょうど下にあたる処にしつらえられた玄関を出た。そこの石畳は一つ一つが踏みへらされて古い砥石のように彎曲していた。時計のすぐ下には東北御巡遊の節、岩倉具視が書いたという木の額が古ぼけたままかかっているのだ。「演武場」と書いてある。
芝生代りに校庭に植えられた牧草は、三番刈りの前でかなりの丈けにはなっているが、一番刈りのとはちがって、茎が細々と痩せて、おりからのささやかな風にも揉まれるように靡いていた。そして空はまた雨にならんばかりに曇っていた。何んとなく荒涼とした感じが、もう北国の自然には逼ってきていた。
園の手は自分でも気づかないうちに、外套と制服の釦をはずして、内衣嚢の中の星野から託された手紙に触れていた。表に「三隅ぬい様」、裏に「星野」とばかり書いてあるその封筒は、滑らかな西洋紙の触覚を手に伝えて、膚ぬくみになっていた。園は淋しく思った。そして気がついてゆるみかかった歩度を早めた。
碁盤のように規則正しい広やかな札幌の往来を南に向いて歩いていった。ひとしきり明るかった夕方の光は、早くも藻巌山の黒い姿に吸いこまれて、少し靄がかった空気は夕べを催すと吹いてくる微風に心持ち動くだけだった。店々にはすでに黄色く灯がともっていた。灯がともったその低い家並で挾まれた町筋を、仕事をなし終えたと思しい人々がかなり繁く往来していた。道庁から退けてきた人、郵便局、裁判所を出た人、そう思わしい人人が弁当の包みを小脇に抱えて、園とすれちがったり、園に追いこされたりした。製麻会社、麦酒会社からの帰りらしい職工の群れもいた。園はそれらの人の間を肩を張って歩くことができなかった。だから伏眼がちにますます急いだ。
大通りまで出ると、園は始めて研究室の空気から解放されたような気持ちになった。そして自分が憚らねばならぬような人たちから遠ざかったような心安さで、一町にあまる広々とした防火道路を見渡した。いつでも見落すことのできないのは、北二条と大通りとの交叉点にただ一本立つエルムの大樹だった。その夕方も園は大通りに出るとすぐ東の方に眼を転じた。エルムは立っていた。独り、静かに、大きく、寂しく……大密林だった札幌原野の昔を語り伝えようとするもののごとく、黄ばんだ葉に鬱蒼と飾られて……園はこの樹を望みみると、それが経てきた年月の長さを思った。その年月の長さがひとりでにその樹に与えた威厳を思った。人間の歴史などからは受けることのできない底深い悲壮な感じに打たれた。感激した時の癖として、園はその樹を見るごとに、右手を鍵形に折り曲げて頭の上にさしかざし、二度三度物を打つように烈しく振り卸ろすのだった。
その夕方も園は右手を振ろうとする衝動をどこかに感じたけれども、何かまたはばむものがあってそれをさせなかった。衝動はいたずらに内訌するばかりだった、彼は急いだ、大通りを南へと。
三隅の家の軒先で、園はもう一度衣嚢の手紙に手をやった。釦をきちんとかけた。そして拭掃除の行き届いた硝子張りの格子戸を開けて、黙ったまま三和土の上に立った。
待ち設けたよりももっと早く――園は少し恥らいながら三和土の片隅に脱ぎ捨ててある紅緒の草履から素早く眼を転ぜねばならなかった――しめやかながらいそいそ近づく足どりが入口の障子を隔てた畳の上に聞こえて、やがて障子が開いた。おぬいさんがつき膝をして、少し上眼をつかって、にこやかに客を見上げた。つつましく左手を畳についた。その手の指先がしなやかに反って珊瑚色に充血していた。
意外なというごくごくささやかな眼だけの表情、かならずそうであるべきはずのその人ではなかったという表情、それが現われたと思うとすぐ消えた。園はとにもかくにもおぬいさんに微かながらも失望を感じさせたなと思った。それはまた当然なことでなければならない。園を星野以上に喜んで迎えるわけがおぬいさんにはあるはずがない。おまけにその日は星野が英語を教えに来べき日なのだ。
「まあ……どうぞ」
といっておぬいさんは障子の後に身を開いた。園に対しても十分の親しみを持っているのを、その言葉や動作は少しの誇張も飾りもなく示していた。……園は上り框に腰をかけて、形の崩れた編上靴を脱ぎはじめた。
いつ来てみても園はこの家に女というものばかりを感じた。園の訪れる家庭という家庭にはもちろん女がいた。しかしそこには同時に男もいるのだ。けれどもおぬいさんは産婆を職業としているその母と二人だけで暮しているのだから。
客間をも居間をも兼ねた八畳は楕円形の感じを見る人に与えた。女の用心深さをもってもうストーヴが据えつけてあった。そしてそれが鉛墨でみごとに光っていた。柱のめくり暦は十月五日を示して、余白には、その日の用事が赤心の鉛筆で細かに記してあった。大きな字がお母さんで、小さな字がおぬいさんだということさえきちんと判っていた。部屋の中央にあるたものちゃぶ台には読みさしの英語の本が開いたまま伏せてあったが、その表紙には反物のたとう紙で綿密に上表紙がかけてあった。男である園は、その部屋の中では異邦人であることをいつでも感じないではいられなかった。
けれどもその感じは彼を不愉快にしないばかりでなく、反対に彼を慰めた。ただ若いおぬいさんが普通の処女であったなら、その処女と二人でさし向いに永く坐っているということは、園には自分の性癖から堪えがたいことだったろう。彼はどんなに無害なことでも心にもない口をきくことができなかったから。また処女に特有な嬌羞というものをあたりさわりなく軟らげ崩して、安気な心持で彼と向い合うようにさせる術をまったく知らなかったから。そして一般に日本の処女が持ち合わしている話題は一つとして園の生活の圏内にはいってくるような性質のものではなかったから。童貞でありながら園は女性に対してむだなはにかみはしなかった。しかし相手がはにかむ場合には園は黙って引きさがるほかはなかった。
けれどもおぬいさんの処ではそんな心配は無用だったから園はなぐさめられたのだ。彼は持ちだされた座蒲団の処にいって坐った。おぬいさんは机の上の読みさしの本を慌てて押し隠すようなこともせずに、静かにそれを取り上げて部屋の隅に片づけた。
「学校の方で星野さんにお遇いになりまして」
簡単な挨拶が終るとおぬいさんの尋ねた言葉はこれだった。園はまず星野のことが尋ねられるのがことのほか快かった。その理由は自分にも解らなかったけれども。
「星野君は今日も学校を休みました。この二三日また身体の具合がよくないそうで」
「まあ……」
おぬいさんの顔には痛ましいという表情が眼と眉との間にあからさまに現われて、染まりやすい頬がかすかに紅く染まった。園はそれをも快く思った。
「だから今日の英語は休みたいからといって、今朝白官舎を出る時この手紙を頼まれてきたんですが……」
そういいながら園は内衣嚢から星野の手紙を取りだした。取りだしてみると自分の膚の温みがそれに沁みついていたのに気がついた。園はそのまま手紙をおぬいさんに渡すのを躊躇した。そしてそれを手渡しする代りに、そっとちゃぶ台の冷たい板の上においた。
何んの気なしに少しいそがしく手をさしだしたおぬいさんは、園の軽い心変りにちょっと度を失ってみえたが、さしだした手の向きをかえて机の上からすぐ手紙を拾い上げた。すぐ拾い上げはしたが、自分の膚の温みはあの手紙からは消えているなと園は思った。園はそう思った。園は右手の食指に染みついているアニリン染色素をじっと見やった。
おぬいさんは園のいる前で何んの躊躇もなく手紙の封を切った。封筒の片隅を指先で小さくむしっておいて、結いたての日本髪(ごくありきたりの髷だったが、何という名だか園は知らなかった)の根にさした銀の平打の簪を抜いて、その脚でするすると一方を切り開いた。その物慣れた仕草から、星野からの手紙が何通もああして開かれたのだと園に思わせた。それもしかし彼にとってゆめゆめ不快なことではなかった。
おぬいさんは立ってラムプに灯をともした。おぬいさんは生まれ代ったようになった……すべての点において。部屋の中も著しく変った。おそらく夜の灯の下で変らないのはその場合園一人であったに違いない。
藍がかってさえ見える黒い瞳は素ばしこく上下に動いて行から行へ移ってゆく。そしてその瞳の働きに応ずるように、「まあ」というかすかな驚きの声が唇の後ろで時々破裂した。半分ほど読み進んだころおぬいさんはしっかりと顔を持ち上げてその代りに胸を落した。
「星野さんは明日お家にお帰りなさるそうですのね」
「そういっていました」
園もまともにおぬいさんを見やりながら。
「だいじょうぶでしょうか」
「僕も心配に思っています」
この時園とおぬいさんとは生れて始めてのように深々と顔を見合わせた。二人は明かに一人の不幸な友の身の上を案じ合っているのを同情し合った。園はおぬいさんの顔に、そのほかのものを読むことができなかったが、おぬいさんには園がどう映ったろうか。と不埒にも園の心があらぬ方に動きかけた時は、おぬいさんの眼はふたたび手紙の方へ向けられていた。園はまた自分の指先についている赤い薬料に眼を落した。
おぬいさんがだんだん興奮してゆく。きわめて薄手な色白の皮膚が斑らに紅くなった。斑らに紅くなるのはある女性においては、きわめて醜くそして淫らだ。しかしある女性においては、赤子のほかに見出されないような初々しさを染めだす。おぬいさんのそれはもとより後者だった。高低のある積雪の面に照り映えた夕照のように。
読み終ると、おぬいさんは折れていたところで手紙を前どおりに二つに折って、それを掌の間に挾んでしばらくの間膝の上に乗せて伏眼になっていたが、やがて封筒に添えてそれを机の上に戻した。そして両手で火照った顔をしっかりと押えた。互に寄せ合った肘がその人の肩をこの上なく優しい向い合せの曲線にした。
園はおぬいさんのいうままに星野の手紙を読まねばならなかった。
「前略この手紙を園君に託してお届けいたし候連日の乾燥のあまりにや健康思わしからず一昨日は続けて喀血いたし候ようの始末につき今日は英語の稽古休みにいたしたくあしからず御容赦くださるべく候なお明日は健康のいかんを問わず発足して帰省いたすべき用事これあり滞在日数のほども不定に候えば今後の稽古もいつにあいなるべきやこれまた不定と思召さるべく候ついては後々の事園君に依頼しおき候えば同君につきせいぜい御勉強しかるべくと存じ候同君は御承知のとおり小生会心の一友年来起居をともにしその性格学殖は貴女においても御知悉のはず小生ごときひねくれ者の企図して及びえざるいくたの長所あれば貴女にとりても好箇の畏友たるべく候(この辺まで進んだ時、おぬいさんが眼を挙げて自分を見たのだと思いながらなお読みつづけた)とかくは時勢転換の時節到来と存じ候男女を問わず青年輩の惰眠を貪り雌伏しおるべき時には候わず明治維新の気魄は元老とともに老い候えば新進気鋭の徒を待って今後のことは甫めてなすべきものと信じ候小生ごときはすでに起たざるべからざるの齢に達しながら碌々として何事をもなしえざること痛悔の至りに候ことに生来病弱事志と違い候は天の無為を罰してしかるものとみずから憫むのほかこれなく候貴女はなお弱年ことに我国女子の境遇不幸を極めおり候えば因習上小生の所存御理解なりがたき節もやと存じむしろ御同情を禁じがたく候えどもけっして女子の現状に屏息せず艱難して一路の光明を求め出でられ候よう祈りあげ候時下晩秋黄落しきりに候御自護あいなるべく御母堂にもくれぐれもよろしく御伝えくださるべく候
一八九九年十月四日夜
星野生
三隅ぬい様
どんな境遇をも凌ぎ凌いで進んでいこうとするような気禀、いくらか東洋風な志士らしい面影、おぬいさんをはるかの下に見おろして、しかも偽らない親切心で物をいう先生らしい態度が、蒼古とでも評したいほど枯れた文字の背ろに燃えていると園は思った。
同時に園の心はまた思いも寄らぬ方に動いていた。それはある発見らしくみえた。星野とおぬいさんとの間柄は園が考えていたようではないらしい。おぬいさんは平気で園の前でこの手紙を開封した。そしてその内容は今彼がみずから読んだとおりだ。もし以前におぬいさんに送った星野の手紙がもっと違った内容を持っていたとすれば、おぬいさんがこの手紙を開封する時、ああまで園の存在に無頓着でいられるだろうか。
園はまたくだらぬことにこだわっていると思ったが、心の奥で、自分すら気づかぬような心の奥で、ある喜びがかすかに動くのをどうすることもできなかった。それは何んという暖かい喜びだったろう。その喜びに対する微笑ましい気持が顔へまで波及するかと思われた。園は愚かなはにかみを覚えた。
園は自分の前にしとやかに坐っているおぬいさんに視線を移すのにまごついた。彼は自分がかつて持たなかった不思議な経験のために、今まで女性に対して示していた態度の劇変しようとしているのを感ぜずにはいられなかった。少なくともおぬいさんという女性に対しては。
星野のおぬいさんに対する態度はお前が考えたようであるかもしれない。しかしながらおぬいさんの心が星野の方にどう動いているかをたしかに見窮めて知っているか……
園ははっと思った。そしてふと動きかけた心の奥の喜びを心の奥に葬ってしまった。それはもとより淋しいことだった。しかしむずかしいことではないように園には思えた。それらのことは瞬きするほどの短かい間に、園の心の奥底に俄然として起り俄然として消えた電光のようなものだったから。そしておぬいさんがそれを気取ろうはずはもとよりなかった。
けれどもそれまで何んのこだわりもなく続いてきた二人の会話は、妙にぽつんと切れてしまった。園は部屋の中がきゅうに明るくなったように思った、おぬいさんが遠い所に坐っているように思った。
その時農学校の時計台から五時をうつ鐘の声が小さくではあるが冴え冴えと聞こえてきた。
おぬいさんの家の界隈は貧民区といわれる所だった。それゆえ夕方は昼間にひきかえて騒々しいまでに賑やかだった。音と声とが鋭角をなしてとげとげしく空気を劈いて響き交わした。その騒音をくぐりぬけて鐘の音が五つ冴え冴えと園の耳もとに伝わってきた。
それは胸の底に沁み透るような響きを持っていた。鐘の音を聞くと、その時まで考えていたことが、その時までしていたことが、捨ておけない必要から生まれたものだとは園には思われなくなってきた。来なければならぬところに来ているのではない。会わなければならぬ人に会っているのではない。言わなければならぬことを言っているのではない。上ついた調子になっていたのだ。それはやがて後悔をもって報いられねばならぬ態度だったのではないか。園は一人の勤勉な科学者であればそれで足りるのに、兄のように畏敬する星野からの依頼だとはいえ、格別の因縁もない一人の少女に英語を教えるということ。ある勇みをもって……ある喜びをすらもって……柄にもない啓蒙的な仕事に時間を潰そうとしていること。それらは呪うべき心のゆるみの仕事ではなかったか。……園は自分自身が苦々しく省みられた。
やがて園は懺悔するような心持で、努めて心を押し鎮めて、いつもどおりの静かな言葉に還りながら言いだした。
「話が途切れましたが、……僕は今学校の鐘の音に聞きとれていたもんですから……あれを聞くと僕は自分の家のことを思いだします。僕の家は浄土宗の寺です。だから小さい時から釣鐘の音やあの宗旨で使う念仏の鉦の音は聞き慣れていたんです。それは今でも耳についていて忘れません。そのためか鐘の音を聞くと僕は妙に考えさせられます。特別、学校のあの鐘には僕はある忘れられない経験を持っています。……そうですね、その話はやめておきましょう……とにかく僕はあの鐘を聞くと、父と兄とにむりに頼んで、こんな所に修業に出てきたのを思いだすんです。……」
ここまで重いながら言葉を運んでくると、園はまた言わないでもいいことを言い続けているような気尤めがした。園は今日は自分ながらどうかしていると思った。それでこれまでの無駄事の取りかえしをするようにと、
「そんなわけで僕は研究室にさえいればいい人間ですし、そうしていなければいけない人間です。ですから星野君はこの手紙のようなことを言っていますが、僕は辞退したいと思います。どうか悪しからず」
とできるだけ言葉少なに思いきっていってしまった。
伏目になったおぬいさんの前髪のあたりが小刻みに震えるのを見たけれども、そして気の毒さのあまり何か言い足そうとも思ってみたけれども、園の心の中にはある力が働いていてどうしてもそうさせなかった。
園は静かに茶を啜り終った。星野の手紙をおぬいさんの方に押しやった。古ぼけた黒い毛繻子の風呂敷に包んだ書物を取り上げた。もう何んにもすることはなかった。座を立った。
暗い夜道を急ぎ足で歩きながら園は地面を見つめてしきりに右手を力強く振りおろした。
きゅうに遠くの方で急雨のような音がした。それがみるみる高い音をたてて近づいてきた。と思う間もなく園の周囲には霰が篠つくように降りそそいだ。それがまた見る間に遠ざかっていって、かすかな音ばかりになった。
第二陣、第三陣が間をおいて襲ってきた。
大通りまで来て園は突然足をとどめた。おぬいさんの家から遠ざかるにしたがって、小刻みに震う前髪がだんだんはっきりと眼につきだして、とうとうそのまま歩きつづけてはいられなくなったからだ。星野の行ってしまうということだけであの感じやすい心は十分に痛んでいるのだった。それは十分に察していた。察していながら、自分は断りをいうにしても断りのいいようもあろうに、あんな最後の言葉を吐いてしまったのだ。けれどもあんな最後の言葉を吐かせたのは誰の罪だろう。たんに英語を園に教えろといった星野にその罪はない。もとよりおぬいさんでもない。あの座敷にいた間じゅう、始終あらぬ方にのみ動揺していた自分の心がさせた仕業ではなかったか。自分自身を鞭たなければならないはずであったのに、その笞を言葉に含めて、それをおぬいさんの方に投げだしたのではなかったか。そういえば園は千歳の星野の番地をおぬいさんに教えることをせずにあの家を出た。おぬいさんはそれを尋ねはしなかった。尋ねなければ教えるには及ばないと星野はいっていた。だから園は平気でいてもいいようにも思われる。しかし園にあの最後の言葉を投げつけられたおぬいさんがそれを尋ねる余裕を持ちえられるかどうか。……それよりも園はおぬいさんがそれを尋ねるだろうと最後の瞬間まで待ち設けていたのだ。そのことは始めからしまいまで気にかけていたのだ……ある好奇心なしにではなく……しかもとうとう教えずにしまった。そうした仕打ちの後ろには何んにもないといいきることができるか。……園はぐっと胸に手を重くあてがわれたように思った。
またのついでの時に知らせようか。……それではいけない。気がすまない。園は大通りの暗闇の中に立って真黒な地面を見つめながら、右の腕をはげしく三度振り卸ろした。
園はそのままもと来た道に取って返した。
* * *
坂というものの一つもない市街、それが札幌だ。手稲藻巌の山波を西に負って、豊平川を東にめぐらして、大きな原野の片隅に、その市街は植民地の首府というよりも、むしろ気づかれのした若い寡婦のようにしだらなく丸寝している。
白官舎はその市街の中央近いとある街路の曲り角にあった。開拓使時分に下級官吏の住居として建てられた四戸の棟割長屋ではあるが、亜米利加風の規模と豊富だった木材とがその長屋を巌丈な丈け高い南京下見の二階家に仕立てあげた。そしてそれが舶来の白ペンキで塗り上げられた。その後にできた掘立小屋のような柾葦き家根の上にその建物は高々と聳えている。
けれども長い時間となげやりな家主の注意とが残りなくそれを蝕んだ。ずり落ちた瓦は軒に這い下り、そり返った下見板の木目と木節は鮫膚の皺や吹出物の跡のように、油気の抜けきった白ペンキの安白粉に汚なくまみれている。けれども夜になると、どんな闇の夜でもその建物は燐に漬けてあったようにほの青白く光る。それはまったく風化作用から来たある化学的の現象かもしれない。「白く塗られたる墓」という言葉が聖書にある……あれだ。
深い綿雲に閉ざされた闇の中を、霰の群れが途切れては押し寄せ、途切れては押し寄せて、手稲山から白石の方へと秋さびた大原野を駈け通った。小躍りするような音を夜更けた札幌の板屋根は反響したが、その音のけたたましさにも似ず、寂寞は深まった。霰……北国に住み慣れた人は誰でも、この小賢かしい冬の先駆の蹄の音の淋しさを知っていよう。
白官舎の窓――西洋窓を格子のついた腰高窓に改造した――の多くは死人の眼のように暗かったが、東の端れの三つだけは光っていた。十二時少し前に、星野の部屋の戸がたてられて灯が消えた。間もなく西山と柿江とのいる部屋の破れ障子が開いて、西山がそこから頭を突きだして空を見上げながら、大きな声で柿江に何か物を言った。柿江が出てきて、西山と頭をならべた。二人は大きな声をたてて笑った。そして戸をたてた。灯が消えた。
二階の園の部屋は前から戸をたててあったが、その隙間から光が漏れていた。針のように縦に細長い光が。
霰はいつか降りやんでいた。地の底に滅入りこむような寒い寂寞がじっと立ちすくんでいた。
農学校の大時計が一時をうち、二時をうち、三時をうった。遠い遠い所で遠吠えをする犬があった。そのころになって園の部屋の灯は消えた。
気づかれのした若い寡婦ははじめて深い眠りに落ちた。
* * *
「おたけさんのクレオパトラの眼がトロンコになったよ。もう帰りたまえ。星野のいない留守に伴れてきたりすると、帰ってから妬かれるから」
「柿江、貴様はローランの首をちょん切った死刑執行人が何んという名前の男だったか知っているか」
前のは人見が座を立ちそうにしながら、抱きよせたクレオパトラの小さな頭を撫でつつ、にやりと愛嬌笑いをしているおたけにいった言葉だが、それをおっ被せるように次の言葉は西山が放った。めちゃくちゃだった。けれども西山は愉快だった。隅の方で、西山が図書館から借りてきたカアライルの仏蘭西革命史をめくっていた園が、ふと顔を上げて、まじまじと西山の方を見続けていた。濛々と立ち罩めた煙草の烟と、食い荒した林檎と駄菓子。
柿江は腹をぺったんこに二つに折って、胡坐の膝で貧乏ゆすりをしながら、上眼使いに指の爪を噛んでいた。
ほど遠い所から聞こえてくる鈍い砲声、その間に時々竹を破るように響く小銃、早拍子な流行歌を唄いつれて、往来をあてもなく騒ぎ廻る女房連や町の子の群れ、志士やごろつきで賑いかえる珈琲店、大道演説、三色旗、自由帽、サン・キュロット、ギヨティン、そのギヨティンの形になぞらえて造った玩具や菓子、囚人馬車、護民兵の行進……それが興奮した西山の頭の中で跳ね躍っていた。いっしょに演説した奴らの顔、声、西山自身の手振り、声……それも。
「おい、何とか言いな、柿江」
「貴様の演説が一番よかったよ」
柿江は爪を噛みつづけたまま、上眼と横眼とをいっしょにつかって、ちらっと西山を見上げながら、途轍もなくこんなことをいった。
猿みたいだった。少しそねんでいることが知れる。西山は無頓着であろうとした。
「そんなことを聞いているんじゃない。知らずば教えてつかわそう。サムソンというんだ」
綺麗な疳高い、少し野趣を帯びた笑声が弾けるように響いた。皆んながおたけの方を見た。人見がこごみ加減に何か話しかけていた。異名ガンベ(ガンベッタの略称)の渡瀬がすぐその側にいて、声を出さずに、醜い顔じゅうを笑いにしていた。
「皆んなちょっと聴けちょっと聴け、人見が今西山の真似をしているから……うまいもんだ」
ガンベが両手を高くさし上げて、手の先だけを「お出でお出で」のように振り動かした。部屋じゅうが一時静になった。
声の色はまるで違っていた。人見はしかし西山の癖だけは腹立たしいほどよく呑みこんでいた。
「けれどもです、仏国革命の血はむだに流されはしなかった。人間全体の解放ではなかったかしれない。商工業者のために一般の人民は利用されたのだったかしれない。けれどもです、貴族と富豪と僧侶とは確実にこの地面の上から、この……地面の上から一掃され……」
「ばか! 幇間じみた真似をするない」
西山は呶鳴らないではいられなかった。今日の演説を座興も座興、一人の女を意識に上せて座興にしようとしている人見の軽薄さにはまったく腹が立った。第一似すぎるほど似ているのが癪に障った。
「けれどもだ、まったくうまいもんだな」
ガンベがそういった。そうして一同が高く笑い崩れるにしたがって、片方の牡蠣のように盲いた眼までを輝かして顔だけでめちゃめちゃに笑った。
西山はせきこんでうっかり「けれどもだ」と言おうとしたが、危くそれを呑みこんだ。そしていった。
「俺は不愉快だよこの場合。俺は今日は練習のために演説をやったんじゃないからな。冗談と冗談でない時とはちっと区別して考えるがいいんだ」
園が西山のいきまくのを少し恥じるように書物の方に眼を移した。おたけはぎごちなさそうに人見から少し座をしざった。たった今までの愉快さは西山から逃げていった。西山自身があまりな心のはずみ方に少し不安を抱きはじめた時ではあったが……
「それはそうだ。ひとつ西山のいったことを話題にして話し合ってみよう」
いつも部屋の中でも帽子を取ることをしない小さな森村が、眉と眉との間をびくびく動かしながら、乾ききった唇を大事そうに開け閉てした。
「私もう帰りますわ」
おたけはきゅうにつつましくなった。肉感的に帯の上にもれ上った乳房をせめるようにして手をついていた。西山のけんまくに少し怖れを催したらしい。クレオパトラは七歳になったばかりの大きな水晶のような眼を眠そうにしばたたいて、座中の顔を一つ一つ見廻わしていた。
「誰か送ってやれ」
人見が送りたがっているのを知っているから西山はこういった。人見には送らせたくなかったのだ。西山にそういわれると人見はたった今の失敗で懲りたらしく自分を薦めようとはしなかった。
送り手の資格について六人の青年の間にしばらく冗談口が交わされた。六人といっても園だけは何んにもいわなかった。ガンベがいった。
「一番資格のない俺の発言を尊重しろ。人見の奴は口を拭っていやがるが貴様は偽善者だからなあ。柿江は途中で道を間違えるに違いないしと。西山、貴様はまた天からだめだ。気まぐれだから送り狼に化けぬとも限らんよ。おたけさん、まあ一番安全なのは小人森村で、一番思いやりの深いものは聖人園だが、どっちにするかい」
おたけは送ってもらわないでもいいといって、森村と園とを等分に流し眄で見やった。西山はもう万事そんなことに興味を失ってしまった。園が送ることになっておたけといっしょに座を立っていった。その時星野からの葉書を自分の側に坐っていた柿江に何かいいながら手渡した。
とにかく一人の娘の見送手などに選ばれるというのはブルジョア風の名誉にすぎない。
「園にはいやにブルジョア臭いところがあるね」
自分の言葉が侮蔑的に発せられたのを西山は感じた。
「そりゃ貴様、氏と生れださ。貴様のような信州の山猿、俺のようなたたき大工の倅には考えられないこった。ブルジョアといえば森村も生れは土百姓のくせにいやに臭いな」
ガンベはつけつけこういった。
けれどもおたけがいなくなると部屋の調子がいわば一オクターヴ低くなった。その代り誰も彼もが、より誰も彼もらしくなった。会話は自然に纏まって本筋に流れこんだ。人見は軽い機智の使いどころがなくなって蔭に廻った。西山の気分はまた前どおりの黙って坐ってはいられないような興奮に帰っていった。
「そうかなあ」
三時下ってから独語のような返事をして、森村は眠そうな薄眼をしながらすましていた。
マラーは彼が宮殿と呼ぶ襤褸籠のような借家の浴室で、湯にひたりながら書きものをしている。その眼の前の壁には、学校で使い古したらしい仏蘭西の大掛図が、皺くちゃのまま貼りつけてある。突然玄関の方で、彼の情婦が、聞き慣れない美しい声を持った婦人と烈しくいい争っているけはいがする。マラーはしばらくの間眉をひそめて聞耳を立てていたが、仰向に浴漕に浸っているままで大声に情婦を呼びたてる。そして聞き慣れない美しい声の持主というのはジロンド党員の陰謀を密告するために、わざわざカンヌから彼を訪れたのだといって、昨日以来面会を求めている年の若い婦人だと知れる。その婦人に対してある好奇心が動く。破格の面会を許す。
もうそこにはマラーはいない。醜い死骸になって、浴槽から半身を乗りだしたまま、その胸は短剣に貫かれて横わっている。カンヌから来たという美しい処女シャーロット・コルデーは血の気の失せた唇から「私は自分の仕事を仕遂げてしまった。今度はあなた方の仕事をする番が来た」と言いながら、悪魔のように殺気立った群衆に取り囲まれて保安裁判所に引かれていく……
仏国革命に現われでる代表的人物の中でことに気に入ったマラーの最後のありさまは、これだけ込み入った光景をただ一瞬間に集めて、ともすれば西山の頭にまざまざと浮びでた。それは西山にとってはどっちから見てもこの上なく厳粛な壮美な印象だった。西山はしばしばそれに駆りたてられた。
「そうかなあ」と森村が言ったあとに、言い合わしたような沈黙が来た。その時西山の頭をこの印象が強く占領した。
「西山は本当に東京に行くつもりなのか」
睫の明かなくなったような眼の上に皺を寄せながら森村は西山の方に向いた。それが部屋の沈黙をわずかに破った。西山は声よりも首でよけいうなずいた。今までのばか騒ぎに似ず、すべての顔には今までのばか騒ぎに似ぬまじめさと緊張さとが描かれた。
「学資はどうする」
渡瀬が泣きだすとも笑いだすともしれないような顔をした。稀にではあるが彼もその奇怪な性格の中からみごとなものを顔まで浮きださせることがある。その時の顔だ。
西山はそれを感ずると妙に感傷的にさせられていた。
「労働者になるつもりでいればどうにかなるだろう」
もう一度長い沈黙が来た。
「貴様は夢を見ているんじゃあるまいな」
と渡瀬がついに本気になって口を開き始めた。
「今日の演説を聞きながらもそう思ったんだが、社会運動なんてことは実際をいうと、余裕のある人間がすることじゃないかな。ブルジョア気分のものじゃないかな。俺なんかはそんなことは考えもしないがなあ。学問だって俺ゃ勘定ずくでしているんだ。むりでも何んでも大学程度の学問だけはしておかないと、これからはうそだと思うもんだから俺はこうやっているんで、学問の尊厳なんて、そんなものがあるもんかい。それは余裕のある手合いがいうことだ。照り降りなしに一生涯家族まで養おうというにはこれが一番元資のかからない近道なんだ。俺にはそれ以上を考える余裕はないよ。俺と同じ境遇の人間を救ってやるの、来るべき時代をどうするのというような余裕は俺には正直なところ出てこないよ。……貴様このカアライルにでもかぶれているととんだ間違いになるぜ。貴様の考えはばかに平民的だが、考え方……考えじゃない、考え方だ……その考え方にどこかブルジョア臭いところがあるんじゃないかなあ」
人見はおかしな男だった。西山には何んとなく気を兼ねていたが、西山がどうかすると受身になりたがるガンベの渡瀬に対してつけつけと無遠慮をいった。つまり三人は三すくみのような関係にあったのだ。
「新井田の細君の所に行って酒ばかり飲んでうだっているくせに余裕がないはすさまじいぜ」
「貴様はそれだからいけねえ。あれも勘定ずくでやっている仕事なんだ。いまに御利益が顕われるから見てろ」
「じゃここに来て油を売るのも勘定ずくなのか」
「ばかあいえ。俺だって貴様、俺だって貴様……とにかく貴様みたいな偽善者は千篇一律だからだめだよ……なあ西山」
牡蠣のような片目が特別に光って西山の方に飛んできた。不思議だった。西山は涙を感じた。
森村が眠そうな顔をしながら会心の笑みのようなものを漏らした。そしてしびれでも切らしたようにゆっくり立ち上って、ろくろく挨拶もせずに帰っていった。十時近いことが知れた。森村はどんなことがあっても十時にはきっと寝る男だったから。西山の演説を主題にして論じようといっておきながら、知らん顔をして帰っていった。
「ガンベのいうことはそりゃあんまり偽悪的じゃないか。そうだろう。俺が今日いったような考えはすべての階級の人間が多少ずつは持ってるんだ。そう俺は思うな――というより断言できる。俺は何しろ星野に今日の演説を聞いてもらいたかった。とにかく俺はやってみる。こんな処で神妙に我慢していることはもう俺には、どうしてもできんよ。ちっとやそっとの横文字の読める百姓になったところで貴様、それが何んの足しになるかさ。東京に行ってひとつ俺は暴れ放題に暴れるだ。何をやったっても人間一生だ。手ごたえのある処にいって暴れてみないじゃ腹の虫が承知しないからな。けれどもだ。ペンタゴンなんか相手にしていたんじゃなあ……柿江なんぞも、田舎新聞にひとりよがりな投書ぐらい載せてもらって得意になっていないで、ちっと眼を高所大所に向けてみろ。……何んといってもそこに行くと星野は話せるよ」
ガンベは実際どこかに堅実なところがあって、それが言葉になるとうっかり矢面には立てなかった。今の言葉にも西山はちょっとたじろいたので、いっそう心の奥のありさまそのままを誰を相手ともなくいい放った。それはかえって彼の心をすがすがしくした。そして演壇に立って以来鎮まらずにいる熱い血液が、またもや音を立てて皮膚の下を力強く流れるのを感じた。
西山は奇行の多い一人の暴れ者として教師からも同窓からも取り扱われ、勉強はするが、さして独創的なところのない青年として見られているのを知っていた。彼は何んとなくその中に軽侮を投げられているような気がして、その裏書を否定するような言動をことさらに試みていたのだが、今日の演説と今の言葉とで、それをはっきり言い現わしたのを感じた時、心臓へのある力の注入を自覚せずにはいられなかった。生涯の進路の出発点が始めて定まったと思えた。彼の周囲が彼を見なおしたのは、彼が彼の周囲を見なおす結果になっていた。たとえばおたけだ。おたけが星野に対して特別な好意を示すのを見極めたある夜に、彼は一晩じゅう寝なかったことがあった。愚かな屈辱……ところが今日は人見がおたけを意識しながら彼の演説の真似をしたりするのを見ると、ある忌わしい羨望の代りに唾棄すべき奴だと思わずにはいられなくなっていた。女性――彼を待っている女性は一人よりいない。そしてその一人はおたけなどとどの点においても比較になるような人ではなかった。それがゆえに彼の未来を切り開いて、自分の立場に一日でも早く立ち上がろうとする焦躁は激しくなった。万事につけて彼の気持はそんな風に動いていった。
突然柿江が能弁になった。彼が能弁になるのは一種の発作で、無害な犬が突然恐水病にかかるようなものだ。じくじくと考えている彼の眼がきゅうに輝きだして、湯気を立てんばかりな平べったい脂手が、空を切って眼もとまらぬ手真似の早業を演ずる。そういう時仲間のものは黙ってそれが自然に収まるのを待っているよりほかはない。彼は貧乏ゆすりをしながら園から受取った星野の葉書を手脂だらけにして丸めたり延ばしたりしていた。それを棒のように振り廻わし始めた。
高所大所とはいったい何を意味するつもりだというところから柿江は始めた。高所は札幌の片隅にもある、大所は女郎屋の廻し部屋にもあると叫んだ。よく聞けよく聞けといって彼はだんだん西山の方に乗りだしていった。西山は自分の机に腰をかけたまま受太刀になってあっけに取られてそれを眺めていなければならなかった。
「教授の手にある講義のノートに手垢が溜まるというのは名誉なことじゃない。クラーク、クラークとこの学校の創立者の名を咒文のように称えるのが名誉なことじゃない。当世の学問なるものが畢竟何に役立つかを考えてみないのは名誉なことじゃない。現代の社会生活の中心問題が那辺にあるかを知らないのは名誉なことじゃない。それを知って他を語るのはさらに名誉なことじゃない。日清戦争以来日本は世界の檜舞台に乗りだした。この機運に際して老人が我々青年を指導することができなければ、青年が老人を指導しなければならない。これでありえねばあれだ。停滞していることは断じてできない。……言葉は俺の方が上手だが、貴様もそんなことを言ったな。けれども貴様、それは漫罵だ。貴様はいったい何を提唱した。つまりくだらないから俺はこんな沈滞した小っぽけな田舎にはいないと言うただけじゃないか。なるほど貴様は社会主義労働運動の急を大声疾呼したさ。けれども、貴様の大声疾呼の後ろはからっぽだったじゃないか。そうだとも。よく聞け。ガンベの眼玉みたいなもんだ。神経の連絡が……大脳と眼球との神経の連絡が(ガンベが『貴様は』といって力自慢の拳を振り上げた。柿江は本当に恐ろしがって招き猫のような恰好をした)乱暴はよせよ。……貴様の議論には、その議論を統一する哲学的背景がまったく欠けてるんだ。軽薄な……」
「何が軽薄だ。軽薄とは貴様のように自分にも訳の判らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴わないのを軽薄というんだ。けれどもだ、俺はとにかく実行はしているぞ。哲学はその後に生れてくるものなんだ」
西山は軽薄という言葉を聞くと癪にさわったが、柿江の長談義を打ち切るつもりで威かし気味にこういった。
けれども柿江はほとんど泥酔者のようになってしまっていた。その薄い唇は言葉を巧妙に刻みだす鋭い刃物のように眼まぐるしく動いた。人見はいつの間にかこそこそと二階の自分の部屋に行ってしまった。
そこに園が静かにはいってきた。夜寒で赤らんだ頬を両手で撫でながら、笑みかけようとしたらしかったが、少し殺気だったその場の様子にすぐ気がついたらしく、部屋の隅をぐるっと廻って窓の方に行って坐った。
柿江はまだ続けていた。西山はもう実際うるさくなった。自分の生活とは何んの関係もない一つの空想的な生活が石ころのようにそこに転がっているように思った。
「寒いか」
戸外の方を頤でしゃくりながら、柿江には頓着なく園に尋ねた。
その拍子に柿江がぷっつりと黙った。憑いていた狐が落ちでもしたように。そしてきまり悪るげにそこにいた三人の顔に眼を走らすと慌てて爪を噛みはじめた。
「渡瀬君まだいたんだね。僕はもし帰ってしまうといけないと思ってかなり急いだ」
「おたけさんから何か伝言があったろう」
「いいえ」
園はまるでおとなしい子供のようににこついた。
「柿江君さっきの葉書はどうしたろう。渡瀬君に見せてくれたの」
笑うべきことが持ち上っていた。星野の葉書は柿江の手の中に揉みくだかれて、鼠色の襤褸屑のようになって、林檎の皮なぞの散らかっている間に撒き散らされていた。
「困るなあ、それにね、三隅のおぬいさんの稽古を君に頼みたいからと書いてあったんだのに……それだから渡瀬君に渡してくれって頼んでおいたじゃないか」
「君にとは俺にかい」
園に顔を見つめられながら、半分は剽軽から、半分は実際合点がいかない風でガンベは聞き返した。法螺吹で、頭のいいことは無類で、礼儀知らずで、大酒呑で、間歇的な勉強家で、脱線の名人で、不敵な道楽者……ガンベはそういう男だったのだから、少なくとも人が彼をそう見ていることを知っていたから。
「そうだ、君にだ」
そう園のいうのを聞くと、ガンベは指の短かい、そして恐ろしく掌の厚ぼったい両手を発矢と打ち合せて、胡坐のまま躍り上がりながら顔をめちゃくちゃにした。
「星野って奴は西山、貴様づれよりやはり偉いぞ」
西山は日ごろの口軽に似ず返答に困った。西山が星野を推賞した、その矛を逆まにしてガンベは切りこんできた。星野が衆評などをまったく眼中におかないで、いきなり物の中心を見徹していくその心の腕の冴えかたにたじろいたのだ。しかたなしに彼は方向転換をした。そして、
「園君、君が最初に頼まれたんだろう」
と搦手からガンベの陣容を崩そうとした。
「いいえ別に、僕は手紙をおぬいさんにとどけるように頼まれただけだった」
それが園の落ち着いた答えだった。
「俺が札幌にいりゃ、この幕は貴様なんぞに出しゃばらしてはおかなかったんだが」
そういって西山は取ってつけたように傍若無人に高笑いするよりのがれ道がなかった。
柿江は三人の顔にかわるがわる眼をやりながら爪をかみ続けていた。あのままで行くと狂癲にでもなるんではないかとふと西山は思った。とにかく夜は更けていった。何かそこには気のぬけたようなものがあった。六年近く兄弟以上の親しさで暮してきたこの男たちとも別れねばならぬ四辻に立つようになった……その淡い無常を感じて、机からぬっくと立ち上りながら西山は高笑いを収めた。そして大きな欠伸をした。
* * *
その時清逸は茶の間に母といっしょにいたのだが、おせいの綿入を縫っていた母は針を置いて迎えに立っていった。清逸は膝の上に新井白石の「折焚く柴の記」を載せて読んでいた。年老いた父が今麦稈帽子を釘にひっかけている。十月になっても被りつづけている麦稈帽子、それは狐が化けたような色をしている。そしてそれは父が自分の家族のためにどれほど身をつめているかを人に見せびらかすシムボルなのだ。清逸はそれをまざまざと感ずることができた。そればかりではない。今日の父は用向きがまったく失敗に終ったこと、父が侮蔑だと思いこみそうなことを先方からいわれて胸を悪くして帰ってきたこと、それをも手に取るように感ずることができた。清逸にはその結果は前から分っていることだった。
わざとらしい咳払いを先立てて襖を開き、畳が腐りはしないかと思われるほど常住坐りっきりなその座になおると、顔じゅうをやたら無性に両手で擦り廻わして、「いやどうも」といった。それは父が何か軽い気分になった時いつでもいう言葉だ。しかしそれを今日はてれ隠しにいっている。
母が立ったついでにラムプを提げてはいってきた。そしてそれを部屋の真中にぶらさがっている不器用な針金の自在鍵にかけながら、
「降られはしなかったけえ」と尋ねた。
「なに」
といったぎりでまた顔を撫でた。と、思いだしたように探りを入れるような大きな眼を母の方にやりながら、
「時雨れた時分にはちょうど先方にいたもんだから何んともなかった」
とつけ加えた。父は一度も清逸の方を見ようとはしない。
札幌のような静かな処に比べてさえ、七里隔たったこの山中は滅入るほど淋しいものだった。ことに日の暮には。千歳川の川音だけが淙々と家のすぐ後ろに聞こえていた。清逸は煮えきらない部屋の空気を身に感じながら、その川音に耳をひかれた。こっちの方から話の糸口を引きだして、父の失敗が気にかけるほどのものではないのを納得させたものだろうか、それとも話の出ないのをいいことにしてうやむやにすましてしまったものだろうかと考えた。久しぶりで戸外に出た父は、むだ話の材料をしこたま持って帰っているに違いない。思出話ばかりを繰り返している反動に、それを一つ一つ持ちだされるのは清逸にはちょっと我慢のできないことらしかった。さらぬだにいらいらしがちな気分と、消耗熱のために我慢が薄くなっているのとで、清逸はそれを恐れた。清逸はつまらぬこととは思いながら白石の父の賢明さを思い浮べた。父子で身にしみじみと話しこんで顔にとまった蚊が血に飽きすぎて、ぽたりと膝の上に落ちるまで払いもせずにいたという、そういう父子の間柄であったのを思い浮べた。その挿話は前から清逸の心を強く牽いていたものだった。
父は煙草をのんではしきりに吐月峰をたたいた。母も黙ったまま針を取り上げている。
店の方に物を買いに来た人があった。母はすぐ立っていった。
「どうもやはり北海道米はなあ増えが悪るうて。したら内地米の方に……何等どこにしますかなあ」
買手の声は聞こえないけれども、母のそういう声ははっきりと聞こえた。父は例の探りを入れるような眼をちょっとそっちに向けた。そしてこの機会にと思ったか始めて清逸の眼をさけるようにしながら忙がしく話しかけた。
中島は会わないでその養子というのが会ったのだが、老爺が齢がいっているので、そんな話はうるさいと言って聞きたがらないし、自分の一存としていうと、当節東京に出ての学問は予想以上の金がかかるから、こちらは話によっては都合しないものでもないけれども、何しろ学問が百姓とはまったく縁のないことだし、長い間にはそちらが当惑なさるようにでもなると、せっかく今までの交際にひびが入ってかえっておもしろくないから、子息さんがそれほどの秀才なら、卒業の上採用されるという条件で話しこんだら、会社とか銀行とかが喜んで学資を出しそうなものだ。ひとつ校長の方からでもかけ合ってもらうのが得策だろうとの返辞だったと父は言った。
そこに母が前掛についた米の粉をはたきながらはいってきた。父は話を途切らそうか続けようかと躇らった風だったが、きゅうに調子を変えて、中島の養子というのを眼下扱いにして話を続けた。
「中島に養子にはいるについちゃあれはわしが口をきいてやったようなものだ。ろくな元資も持たず七年前に富山から移住してきた男だったが、水田にかけては経験もあるし、人間もばかではないようだったから、……その……何んとかいったなあもう一人の養子は……何んとかいった、それにわしが推薦したのがもとになったんだ。それをおみさ(と今度は母の方に)今日会うとな、『金でもありあまっていることならとにかく、さもなければ学問はまあ常識程度にしておいて、実地の方を小さい時から仕込むに限りまっさ』とこうだ」
そして惘れはてたという顔を母にしてみせた。
それはしかし父が清逸の弟について噂する時誰にでも言って聞かせる言葉ではないか。清逸の学資の補助(清逸は自分の成績によって入校二年目から校費生になって授業料を免除されている上毎月五円の奨学金を受けていた)を送金する時にも、父は母に向ってたまには同じようなことを言ったかもしれないのだ。
清逸はもうそのほかに何んにも聞く必要はなかった、札幌に学んでいることすらも清逸の家庭にとっては十二分の重荷であるのを清逸はよく知っている。弟の純次は低能に近いといっていいから尋常小学だけで学校生活をやめたのはまずいいとしても、妹のおせいに小樽で女中奉公をさせておかねばならぬというのは、清逸の胸には烈しくこたえていた。清逸が会社か銀行にでも勤めていたら(そんな所にいる自分を想像するほど矛盾と滑稽とを感ずることはなかったが)おせい一人くらいを家庭に取りかえすのは何んでもないことだったろう。一人の妹、清逸がことに愛している一人の妹の身を長い間不自由な境界において我慢しているのは、清逸だからできるのだと清逸は考えていた。しかしどうかすると清逸はそのためにおそくまで眠りを妨げられることがあった。けれどもどんな時でも、清逸が学問をするために牽き起される近親の不幸(父も母もそのためにたしかに老後の安楽から少なからぬものを奪われてはいるが)は、清逸をますます学問の方に駆りたてはしても、躊躇させるようなことは断じてなかった。
清逸は小学校の三年を卒業する時から、自分は優れた天分を持って生れた人間だとの自覚を持ちはじめたことを記憶している。田舎の小学校のことだから、卒業式の時には尋常三年でも事々しい答辞を級の代表生に朗読させるのが常だった。その時その役に当ったのは加藤という少年だったが清逸は加藤の依頼に応じて答辞の文案を作ってやった。受持教員はそれを読んで仰天した。そしてそれが当日郡長や、孵化場長や、郡農会の会長やの列座の前で読み上げられた時、清逸は自分の席からその人たちが苦々しい顔をして聞いているのを観察した。彼らのすべては、その答辞が、教師の代作でなければ、剽竊に相違ないと信じきっているのが清逸にはよく知れた。清逸はその時子供らしい誇りは感じなかった。ただ、一般に偉い人といわれる人が、かならずしも偉いというほどの人ではないとはっきり感じたのだった。偉人として、人の称讃を受けるくらいのことはそうむずかしいことではないとはっきり感じたのだった。それ以来清逸の自分に対する評価は渝ることがない。そしてそれに特別の誇りを感じないのもまた同じだった。この心持がすべての思想と行動を支配した。家族の人たちに対しても彼はそれに手加減をする理由は露ほども見出さないのだ。
清逸は上京の相談で家に帰りはしたが、自分の健康が掘りだしたばかりの土塊のような苛辣な北海道の気候に堪えないからとは言いたくなかったので、さらに修業を続けたいのだというよりしかたがなかった。父は清逸が物をいいだす以上は、自分の智慧ではとても突き崩せないだけの考慮をめぐらした上で物をいうと知りぬいていたから、母に向う時のように、頭からけなしつけて二の句を吐かせないというようなやり方はしようにもできなかった。しかしながら今度の事は父にとってたしかに容易ならぬ難題であったに相違ない。清逸は始めから学資は自分で何んとかするといってみたが、父としてはそれが堪えられないことだったらしい。清逸のことだから元来羸弱な健康を害ねても何んとかするであろうが、それまでの苦心を息子一人にさせておくのは親の本能が許さなかったろう。しかしそれにも増して父に不安を与えたのは、かくては清逸がだんだん父母から離れていくだろうということだったに違いないのだ。
父は自分が一種の怠け者で、精いっぱいに生活をしてこなかったのを気づいている。始終窮境に滅入りこむその生活は、だから不運ばかりの仕業ではない。清逸への仕送りの不足がちなのも、一人娘を女中奉公に出さねばならなかったのも、人知れぬ針となってその良心を刺しているのだ。それを清逸が知っているのを父は知っていた。それをまた清逸は知っていた。清逸はそのことを責める気持はけっしてなかったけれども、父が軽薄な手段をめぐらしてその非を蔽い、あわよくば自分の要求すべき資格のないものを家族のものに要求しようとするのを見つけだすと快くなかった。
父が三里も道程のある島松まで出かけていって、中島の養子に遇った気持にはそうしたものがあったはずだ。清逸はそれには及ばないと幾度となくとめてみたけれども、かならず吉報を持って帰るからといいながら一人で勇んで出かけていったのだ。そしてその結果は清逸の思ったとおりだった。
ラムプに黄色く灯がついてから、弟の純次は腰から下をぐっしょり濡らして、魚臭くなって孵化場から帰ってきた。彼は店の方に行って駄菓子を取ってきてそれを立ち喰いしながら、駄々子のように母に手伝わせて和服に着かえた。清逸に挨拶一つしなかった。清逸一人が都会に出て、手足にあかぎれ一つ切らさず、楽をしながら出世する。その犠牲になっているのだぞという素振りを、彼は機会あるごとに言葉にも動作にも現わした。それは清逸の心を暗くした。
貧しい気づまりな食卓を四人の親子は囲んだ。父の前には見なれた徳利と、塩辛のはいった蓋物とが据えられて、父は器用な手酌で酒を飲んだ。しかし不断ならば、盃を取った場合に父の口から繰りだされるはずの「いやどうも」という言葉は一つも出てこなかった。純次は食卓から胸にかけて麦たくさんなためにぽろぽろする飯をこぼし散らかすと、母は丹念にそれを拾って自分の口に入れた。母はいい母だがまったく教育がない。教育のないのを自分のひけめにして、父から圧制されるのを天から授かった運命のように思っているらしかった。末子の純次に対しては無智な動物のような溺愛を送っていた。その母が清逸に対しての態度は知れている。
「もう鮭はたくさん上ってきだしたのか」
清逸はたまりかねて純次にこう尋ねてみた。
「うむ」
という答えが飯を頬張った口の奥から出るだけだった。
「今年は何台卵を孵えすんだね」
「知らねえ」
母がさすがに気をかねて、
「知らねえはずはあるめえさ」
と口添えすると、純次は低能者に特有な殺気立った眼を母の額の辺に向けて、
「知らねえよ」
と言いながら持ち合わせた箸で食卓を二度たたいた。
大食の純次はまだ喰いつづけていたし、父はまだ飯にしないので、母も箸を取らずにいたが、清逸は熱感があって座に堪えないので、軽く二杯だけむりに喰うと、父の自慢の蓬茶という香ばかり高くて味の悪い蓬の熱い浸液をすすりこんで中座した。
純次の部屋にあててある入口の側の独立した三畳の小屋にはいってほっとした。母がつづいてはいってきた。丸々と肥えた背の低い母は、清逸を見上げるようにして不恰好に帯を揺りあげながら、
「やっぱりよくないとみえるね」
と心配を顔に現わしていってくれた。
「寒さが増してくるとどうしてもよくないさ。けれどもそんなにひどいことはない。熱があるようだから先に寝かしてもらいます」
「そだそだ、それがいいことだ」
そして純次の床を部屋の上に、清逸の床を部屋の下にとったほど無智であるが、愛情の偏頗も手伝っていた。清逸が横になると、まめまめしく寝床をまわり歩いて、清逸の身体に添うて掛蒲団をぽんぽんと敲きつけてくれた。
清逸は一昨日ここに帰ってきてから割合によく眠ることができた。海岸のように断続して水音のするのはひどく清逸の心をいらだたせたが、昼となく夜となく変化なしに聞こえる川瀬の音は、清逸の神経を按摩するようだった。清逸はややともすると読みかけている書物をばたっと取り落して眼がさめたりした。それは生れてからないことだった。
清逸は寝たまま含嗽をすると、頸に巻きつけている真綿の襟巻を外して、夜着を深く被った。そして眼をつぶって、じっと川音に耳をすました。そこから何んの割引もいらぬ静かな安息がひそやかに近づいてくるようにも思いながら。
その夜はしかし思うようには寝つかれなかった。彼の疲労が恢復したのかもしれなかった。あるいは神経がさらに鋭敏になり始めたのかもしれなかった。
ふと眼がさめた。清逸はやはりいつの間にか浅い眠りを眠っていたのだった。盗汗が軽く頸のあたりに出ているのを気持ち悪く手の平に感じた。
川音がしていた。
何時ごろだろうと思って彼はすぐ枕許のさらし木綿のカーテンに頭を突っこんで窓の外を覗いてみた。
珍らしく月夜だった。夜になると曇るので気づかずにいたが、もう九日ぐらいだろうかと思われる上弦というより左弦ともいうべきかなり肥った櫛形の月が、川向うの密生した木立の上二段ほどの所に昇っていた。月よりも遠く見える空の奥に、シルラス雲がほのかな銀色をして休らっていた。寂びきった眺めだった。裏庭のすぐ先を流れている千歳川の上流をすかしてみると、五町ほどの所に火影が木叢の間を見え隠れしていた。瀬切りをして水車がかけてあって、川を登ってくる鮭がそれにすくい上げられるのだ。孵化場の所員に指揮されてアイヌたちが今夜も夜通し作業をやっているのに違いない。シムキというアイヌだった。その老人が樺炬火をかざして、その握り方で光力を加減しながら、川の上に半身を乗りだすような身構えで、鰭や尾を水から上に出しながら、真黒に競合って鮭の昇ってくる具合を見つめていた……それは清逸が孵化場の給仕をしていたころに受けた印象の一つだったが、火影を見るにつけてそれがすぐに思いだされた。気を落ちつけて聞くと淙々と鳴りひびく川音のほかに水車のことんことんと廻る音がかすかに聞こえるようでもある。窓のすぐ前には何年ごろにか純次やおせいと一本ずつ山から採ってきて植えた落葉松が驚くほど育ち上がって立っていた。鉄鎖のように黄葉したその葉が月の光でよく見えた。二本は無事に育っていたが、一本は雪にでも折れたのか梢の所が天狗巣のように丸まっていた。そんなことまで清逸の眼についた。
突然清逸の注意は母家の茶の間の方に牽き曲げられた。ばかげて声高な純次に譲らないほど父の声も高く尖っていた。言い争いの発端は判らない。
「中島を見ろ、四十五まであの男は木刀一本と褌一筋の足軽風情だったのを、函館にいる時分何に発心したか、島松にやってきて水田にかかったんだ。今じゃお前水田にかけては、北海道切っての生神様だ。何も学問ばかりが人間になる資格にはならないことだ」
「じゃ何んで兄さんにばっか学問をさせるんだ」
「だから言って聞かせているじゃないか。清逸が学問で行くなら、お前は実地の方で兄さんを見かえしてやるがいいんだ」
純次は黙ってしまった。父は少し落ち着いたらしく、半分は言い聞かすような、半分は独語をいうような調子になった。
「中島は水田をやっているうちに、北海道じゃ水が冷っこいから、実のりが遅くって霜に傷められるとそこに気がついたのだ。そこで田に水を落す前に溜を作っておいて、天日で暖める工夫をしたものだが、それが図にあたって、それだけのことであんな一代分限になり上ったのだ。人ってものは運賦天賦で何が……」
そのあとは声が落ち着いていくので、かすれかすれにしか聞こえなくなった。
「兄さんは悪い病気でねえか」
しばらくしてから突然純次のこう激しく叫ぶ声が聞こえた。今度は純次は母と言い争いを始めたらしい。母も何か言ったようだったが、それは聞こえなかった。
「肺病はお母さんうつるもんだよ」
純次の声がまた。それは聞こえよがしといってよかった。
「そうしたわけのものでもあるまいけんど」
「うんにゃそうだ」
そのあとはまた静かになった。清逸は早く寝入ってしまうに限ると思って夜着の中に顔を埋めた。寝入りばなの咳がことに邪魔になった。
純次が鼻緒のゆるんだ下駄を引きずってやってくる音がした。清逸は今夜はもう相手になっていたくなかったので寝入ったことにしていようと思った。
思いやりもなく荒々しく引戸を開けて、ぴしゃりと締めきると、錠をおろすらしい音がした。純次は必要もない工夫のようなことをして得意でいるのだが、その錠前もおそらくその工夫の一つなのだろう。こんな空家同然な離れに錠前をかけて寝る彼の心持が笑止だった。
やがて純次は、清逸の使いふるしの抽出も何もない机の前に坐った。机の上には三分芯のラムプがホヤの片側を真黒に燻らして暗く灯っていた。机の片隅には「青年文」「女学雑誌」「文芸倶楽部」などのバック・ナムバアと、ユニオンの第四読本と博文館の当用日記とが積んであるのを清逸は見て知っていた。机の前の壁には、純次自身の下手糞な手跡で「精神一到何事不成陽気発所金石亦透」と半紙に書いて貼ってあった。
純次は博文館の日記を開いて鉛筆で何か書いているらしかったが、もぞもぞと十四五字も書いたと思う間もなく、ぱたんとそれを伏せて、吐きだすごとく、
「かったいぼう」
とほざいて立ちあがった。そして手取り早く巻帯を解くと素裸かになって、ぼりぼりと背中を掻いていたが、今まで着ていた衣物を前から羽織って、ラムプを消すやいなや、ひどい響を立てて床の中にもぐりこんだ。
純次はすぐ鼾になっていた。
清逸の耳にはいつまでも単調な川音が聞こえつづけた。
* * *
何んという不愛想な人たちだろうと思って、婆やはまたハンケチを眼のところに持っていった。
上りの急行列車が長く横たわっているプラットフォームには、乗客と見送人が混雑して押し合っていた。
西山さんは機関車に近い三等の入口のところに、いつもとかわらない顔つきをしていつもとかわらない着物を着て立っていた。鳥打帽子の袴なしで。そのまわりを白官舎の書生さんをはじめ、十四五人の学生さんたちが取りまいて、一人が何かいうかと思うと、わーっわーっと高笑いを破裂させていた。夜学校から見送りに来たらしい男の子が一人と女の子が二人、少し離れた所で人ごみに揉まれながら、それでも一心にその人たちの様子を見つめていた。三隅さんのお袋とおぬいさんとは、妹を連れてきたおたけさんと一かたまりになって、混雑を避けるように待合室の外壁に身をよせて立っていた。西山さんはその人たちを見向こうともしなかった。ほかの書生さんたちもそういう見送人に対して遠慮するらしい気振も見せようとはしない。
婆やはもう一度西山さんをつかまえて何かもっと物をいいたいと思って、書生さんたちの後から隙をうかがっているけれども、容易にその機会は来そうもなかった。人の心も察しないで何んという不愛想な人たちだろうと思って腹立たしかった。その時軟かく自分の肩に手を置く人があった。振り向いてみるとおぬいさんだった。娘心はおびただしい群衆のぞよめきに軽く酔ったらしく頬のあたりを赤くしていた。
「あなたそんな所にいるとあぶのうございます。こちらにいらっしゃいな」
そういっておぬいさんは誘ってくれた。婆やはそれをしおに諦めて、おぬいさんにやさしくかばわれながら三隅さんのお袋の所にいっしょになって、相対よりも少し自分を卑下したお辞儀をした。おぬいさんは婆やの涙ぐんだ眼を見るといっそう赤くなったようだった。婆やは、近ごろの若い人に似ぬ何んといういとしい娘さんだろうと思った。とにかく婆やは黙ってはいられなかった。いいたいことは山ほどあるのだが、書生さん相手では、婆やのいうことなどは上の空に聞き流されるのだから腹が立つばかりだった。誰かに聞いてもらいたいと思っている矢先だったので、婆やは何事をおいても能弁になった。
「星野さんはお留守だし、西山さんはきゅうに東京にな、お発ちなさるし、婆やは淋しいこんです。いい人でな、あなた。あんな人並外れて大きいがに、赤坊のような人でなもし。婆や婆やたらいって、大事にしておくれなさったが……ま、行く行くは皆ああして羽根が生えて飛んでいかれるは定なれど、何んとやら悲しゅうてなもし。私もお知りのたんだ一人の息子を二十九年になもし、台湾で死なしてから、一人ぽっちになりましたけに、世話をしとる若い衆がどれも我が子同様に思われてな、すまんことじゃけれどなもし。それゆえ離れるがどうもなりません。……それがなもし、若い衆の不思議というたら、家を出るさいには、私の頬げたをこう敲いてな、あなた『婆やきつい世話』……ではのうて『婆やいろいろに世話をかけてありがとう。達者でいてくれや、東京に行ったら甘いものを送るぞよ』……」
婆やは西山さんの口調を真似ようとしたら、涙で物がいえなくなってしまった。ところが次のことを考えると腹が立ってきた。それでまた言葉がつげた。
「と涙の出るようなことをいうてだったが、ここに来たら最後、見なさるとおり、婆やなどは眼にも入らぬげでなもし」
婆やはそこにいる四人に万遍なく聞き取らせようとするので容易でなかった。肥った身体を通りすがりの人にこづかれながら、手真似をまじえて大きな声になった。
おたけさんが我慢がしきれなくなったらしく、きゅうに口もとに派手な模様の袖口を持っていった。三隅さんのお袋はさすがに同情するらしく神妙にうなずいていたが、おぬいさんもだいぶ怪しかった。婆やは今度はおたけさんの方に鉾を向けた。
「あなたも年をとってみるとこの味は分ってきなさるが……」
皆まで聞かずにおたけさんはとうとう顔を真赤にして笑いだしてしまったが、ふと眼を西山の方にやると驚いたらしく、
「まあ新井田の奥さんが」
と仰山にいった。
ガンベさんが取りなすように三十恰好に見える立派な奥さん風の婦人と西山さんとの間にいて、ほかの書生さんたちは少し輪を大きくしてそれを傍観していた。奥さんというのは西山さんに何か餞別物を渡そうとしているところだった。そこらにいる群衆の眼は申し合わせたように奥さんの方に吸い寄せられていた。
婆やも驚いておたけさんに尋ねた。
「あれはどなただなもし」
「あなた知らないの。あれがそら渡瀬さんのよく行く新井田さんの奥さんなのよ」
とおたけさんは奥さんから眼を放さない。重そうな黒縮緬の羽織が、撫で肩の円味をそのままに見せて、抜け上るような色白の襟足に、藤色の半襟がきちんとからみついて手絡も同じ色なのが映りよく似合っていた。着物の地や柄は婆やにはよく見えなかったが、袖裏に赤いものがつけてあるのはさだかに知れた。斜め後ろから見ただけでも珍らしく美しそうな人に思われた。
駅夫が鈴を鳴らして構内を歩きまわりはじめた。それとともに場内は一時にざわめきだして、人々はひとりでに浮足になった。婆やはもう新井田の奥さんどころではなかった。「危ない」と後ろからかばってくれたおぬいさんにも頓着せず、一生懸命に西山さんの方へと人ごみの中を泳いだ。
人波の上に頭だけは優に出そうな大きな西山さんがこっちに向いて近づいてきた。婆やはさればこそと思いながら寄っていって取りすがろうとするのを西山さんは見も返らずにどんどん三隅さんたちの方に行って、鳥打帽子を取った。そして大きな声でこう挨拶をした。
「じゃ行ってきます。万事ありがとうございました。さようなら。御大事に」
婆やはつくづく西山さんが恨めしくなった。あれほど長い間世話を焼かせておきながら、やはり若い娘の方によけい未練が残るとみえる。齢を取るというのは何んという情ないことだろう。……婆やは西山さんから顔を背けてしまった。
いきなり痛いほど婆やの左の肩を平手ではたくものがいた。それが西山さんだった。
「じゃ婆やいよいよお別れだ。寒くなるから体を大事にするんだ」
そういうわけだったのかと思うと婆やはありがたいほど嬉しくなって、西山さんの手を握って何んにもいわずにお辞儀をした。
「もういいから」
西山さんは手を振りきってどんどん列車の方に行く。婆やはそのすぐあとから楽々と跟いていくことができた。
人見さんが列車の窓から、
「おいここだ、ここだ」
といって西山さんを招いていた。
「危ないよ婆さん」
知らない学生が婆やを引きとめた。婆やは客車の昇降口のすぐそばまで来てまごついていたのだ。そこから人見さんが急いで降りてきた。
見ると人見さんの顔を出していた窓の所には西山さんの顔があった。がやがやいい罵る人ごみの中を駅員があっちでもこっちでも手を上げたり下げたりしたかと思うと、婆やは飛び上らんばかりにたまげさせられた。汽笛がすぐ側で鳴りはためいたのだ。婆やは肥った身体をもみまくられた。手の甲をはげしく擦る釘のようなものを感じた。「あ痛いまあ」といって片手で痛みを押えながらも、延び上って西山さんを見ようとした。と押しあいへしあいされながら婆やの体はすうっと横の方に動いていった。それはしかしそうではなかった。汽車が動きだしたのだった。窓という窓から突きだされたたくさんな首の中に、西山さんも平気な顔をして、近眼鏡を光らせながら白い歯を出して笑っていた。それがみるみる遠ざかって見えなくなってしまった。それだけのことだった。
三隅さんのお袋とおぬいさんとが親切に介抱してくれるので、婆やは倒れもせずに改札口を出たが、きゅうに張りつめていた気がゆるんで涙がこみあげてきそうになった。送りに来た書生さんたちはと見ると、まるでのんきな風で高笑いなどをしながら遠くから冗談口を取りかわしたりして、思い思いに散らばっていってしまった。何んの気で見送りに来たのか分らないような人たちだと婆やは思った。白官舎の人たちも、柿江さんは夜学校の生徒の手を引いて行ってしまうし、そのほかの人の姿はもうどこにも見えなかった。
停車場前のアカシヤ街道には街燈がともっていた。おたけさんとはぐれたので婆やは三隅さん母子と連れ立って南を向いて歩いた。
「星野さんがお帰りてから何んとかお便りがありましたか」
と大通り近くに来てからお袋が婆やに尋ねた。
「何があなた。皆んな鉄砲丸のような人たちでな」
婆やはそう不平を訴えずにいられなかった。
「私の方にもありませんのよ」
とおぬいさんがいった。
大通りから婆やは一人になった。これでようやく帰りついたと思うと、書生さんたちはとうの昔に帰ってきていて、早く飯にしろとせがみたてるに違いない。これから支度をするのにそう手早くできてたまることかなと婆やは思いながらもせわしない気分になって丸っこい体を転がるように急がせた。
きゅうに手の甲がぴりぴりしだした。見ると一寸ばかり蚯蚓脹れになっていた。涙がまたなんとなく眼の中に湧いてきた。
* * *
おぬいは手さぐりで夢中に母にすがりつこうとしていたらしかった。眼をさましてみると、母は背面向きになってはいるが、自分のすぐ側に、安らかな鼾を小さくかきながら寝入っていた。
ほっと安心はした。けれどもどうしてこんないやな夢ばかり見るのだろうとおぬいは情けなかった。枕紙に手をやってみるとはたしてしとどに濡れていた。夢の中で絶え入るように泣いてしまったのだから、濡れていると思ったらやはり濡れていた。眼のあたりを触ってみると、右の眼頭から左の眼に、左の眼尻から鬢の髪へとかけて、涙の跡はそこにも濡れたまま残っていた。おぬいは袖口を指先にまるめてそっと押し拭った。それとともに、泣じゃくりのあとのような溜息が唇を漏れた。
覚めてから覚えている夢も覚えていない夢も、母にはぐれたり、背いたり、厭われたりするような夢ばかりなことはたしかだった。今見た夢もはっきり覚えていないのだったが、覚えていないのは覚えているよりもいっそう悲しい夢であるような気がした。
今のおぬいの身の上として、天にも地にも頼むものは母一人きりなのだ、その母がおぬいをまったく見忘れている夢らしかった。怖いものを見窮めたいあの好奇心と同じような気持で、おぬいは今見た夢のそこここを忘却の中から拾いだそうとし始めた。
母があれはおぬいではありませんときっぱり人々にいっていた。おかしなことをいう娘だといいそうな快活な笑いを唇のあたりに浮べながら。まわりにいる人たちもおぬいに加勢して、あれはあなたのお嬢さんですよといい張ってくれているのに母は冗談にばかりしているらしかった。おぬいはもしやと思って自分を見ると、たしかにいつものとおりの着物を着て、それは情けなそうな顔つきはしていたけれど自分の顔に相違なかった。(おかしなことには他人の顔を見るように自分の顔をはっきりと見ることができた)……おぬいは家に留守をして私の帰るのを待っていますから、家にさえ帰れば会えるにきまっていますと母は平気であるけれども、それはとんでもない間違だということをおぬいは知り抜いていた。家に帰ってみてどれほど驚きもし悲みもするだろうと思うと、母が不憫でもあり残される自分がこの上もなくみじめだった。その不幸な気持には、おぬいが不断感じている実感が残りなく織りこまれていた。もし万一母を失うようなことがあったらどうしようと思うとおぬいはいつでも動悸がとまるほどに途方に暮れるのだが、そのみじめさが切りこむように夢の中で逼ってきた。それからその夢の続きはただ恐ろしいということのほかにははっきりと思いだされない。おぬいが母を見ている前で、おぬいでないものにだんだん変っていくので、我を忘れてあせったようでもある。母がどんどん行ってしまうのであとを追いかけようとするけれども、二人の間にはガラスのかけらがうざうざするほど積まれていて、脚を踏み入れると、それが磁石に吸いつく鉄屑のように蹠にささりこんだようでもある。
とにかくおぬいは死物狂いに苦しんだ。眼も見えないまでに心が乱れて、それと思わしい方に母恋しさの手を延ばしてすがり寄った。そして声を立ててひた泣きに泣いたのだった。
夢が覚めてよかったと安堵するその下からもっと恐ろしい本物の不吉が、これから襲ってくるのではないかとも危ぶまれた。緑色の絹笠のかかったラムプは、海の底のような憂鬱な光を部屋の隅々まで送って、どこともしれない深さに沈んでいくようなおぬいの心をいやが上にも脅かした。
おぬいは思わず肘を立てた。そしてそうすることが隠れている災難を眼の前に見せる結果になりはしないかと恐れ惑いながらも、小さな声で、
「お母さん」
と呼んでみないではいられなかった。十二時ごろ病家から帰ってきた母の寝息は少しもそのために乱れなかった。
もう一度呼んでみる勇気はおぬいにはなかった。自分の声におびえたように彼女はそっと枕に頭をつけた。濡れた枕紙が氷のごとく冷えて、不吉の予覚に震えるおぬいの頬を驚かした。
おぬいの口からはまた長い嘆息が漏れた。
身動きするのも憚られるような気持で、眼を大きく開いて、老境の来たのを思わせるような母の後姿を見やりながらおぬいはいろいろなことを思い耽った。
何かに不安を感ずるにつけていつまでも思うのは、おぬいが十四の時に亡くなった父のことだった。細面で痩せぎすな彼女の父は、いつでも青白い不精髯を生やした、そしてじっと柔和な眼をすえて物を見やっている、そうした形でおぬいには思いだされるのだった。ある小さな銀行の常務取締だったが、銀行には一週に一度より出勤せずに、漢籍と聖書に関する書物ばかり読んでいた。煙草も吸わず、酒も飲まず、道楽といっては読書のほかには、書生に学資を貢ぐぐらいのものだった。その関係から白官舎やそのほかの学生たちも今だに心おきなく遊びに来たりするのだった。
父はおぬいの十二の時に脊髄結核にかかって、しまいには半身不随になったので、床にばかりついていた。気丈な母は良人の病が不治だということを知ると、毎晩家事が片づいてから農学校の学生に来てもらって、作文、習字、生理学、英語というようなものを勉強し始めた。そして三月の後には区立病院の産婆養成所の入学試験に及第した。その名前が新聞に載せられた時、それを父に気づかれまいとして母が苦心したのを、おぬいは昨日のことのように思いだすことができる。
その父はいい父だった。少なくともおぬいにとっては汲みつくせない慈愛を恵んでくれた親だった。
「あれはどこからどこまであまり美しいから早死をしなければいいが」
そう父が母に言っているのを偸み聞きしたこともあった。そして病気がちなおぬいが加減でも悪くすると、自分の床の側におぬいの床を敷かせて、自分の病気は忘れたように検温から薬の世話まで他人手にはかけなかった。
それよりも何よりも、おぬいが父を思いだす時思いださずにはいられないのは、父が死ぬちょうど一週間前、突然おぬいに、部屋の中を一まわり歩いてみたいから肩を貸してくれといいだした時のことだった。おぬいももとより驚いたが、母はそれを思いもよらぬことだとさえいってとめて聴かなかった。父は母とおぬいとを静かに見やりながらいった。
「お前がたは分らないかもしれないが、男には、一生に一度、自分の力がどれほどあるものだか、それを出しきらなければ死ねないような気持が起るものだ。わしは今までお前がたに牽かれてそれをようしなかった。……もうしかしわしは死ぬものとほぼ相場がきまった。今日はひとつわしの心にどれほど力があるかやってみるのだ。腰から下に通う神経は腐って死んでいると医者もいうが、わしはお前がたに奇蹟を見せてやろう。案じることはない」
父は歩いた。おぬいも自分の肩に思ったより軽い父の重みを感じながら歩いた。歩きながら父はいった。
「おぬい、お前はもう十四になるなあ。強い肩になった。立派にお父さんの力になってくれる。……お前もやがて人の妻になるのだが、なったら、今日の心持を忘れないで良人といっしょに歩くんだぞ。忘れちゃあいけないよ」
父の手がおぬいの肩でかすかに震えはじめた。
父が首尾よく部屋を一周して病床に腰を卸すと親子三人はひとりでに手を取り合っていた。そして泣いていた。
「お前がたは何をそう泣くのだ。わしは喜んで涙を流しているのに。……今日のような嬉しい日はない。……だがこんなことは医者にさえいう必要はないことだよ。こんな嬉しいことはめいめいの心の中に大事にしまっておくべきことだからな」
苦しい呼吸の間から父はようやくこれだけのことをいって横になった。
この出来事については母もおぬいも父の言葉どおり誰にもいわないでいる。いわないでいるうちにおぬいにとっては、それがとても口には出せないほど尊いものになっていた。
おぬいは老境に来たのを思わせるような母の後姿を見つめながら、これを思いだすと、涙がまたもや眼頭から熱く流れだしてきた。啜泣きになろうとするのをじっと堪えた。……不断は柔和で打ち沈んだ父だったけれども何んという男らしい人だったろう。あの強い烈しい底力、それはもうこの家には、どの隅にも塵ほども残っていない。……淋しい、父が欲しい。父がもう一度欲しい。父のあの骨ばった手をもう一度自分の肩に感じてみたい。
力の不足、自分一人ではどうしようもない力の不足――倚りすがることのできるものに何もかも打ち任かして倚りすがりたい憧れ、――そしてどこにもそんなもののない喰い入るような物足らなさ。……気を鎮めて眠ろうとすればするほど、悲しみはあとからあとからと湧き返って、涙のために痛みながらも眠が冴えるばかりだった。
おぬいはとうとうそっと起き上った。そして箪笥の上に飾ってある父の写真を取って床に帰った。父がまだ達者だったころのもので、細面の清々しい顔がやや横向きになって遠い所をじっと見詰めていた。おぬいはそれを幾度も幾度も自分の頬に押しあてた。冷たいガラスの面が快い感触をほてった皮膚に伝えた。おぬいはその感触に甘やかされて、今度は写真を両手で胸のところに抱きしめた。
涙がまた新たに流れはじめた。
二度と悪夢に襲われないために、このままで夜の明けるのを待とうとおぬいは決心した。
夜は深いのだろう。母の寝息は少しも乱れずに静かに聞こえつづけていた。おぬいはようこそ母を起さなかったと思った。
* * *
夜学校を教えるために、夜食をすますとすぐ白官舎を出た柿江は、創成川っぷちで奇妙な物売に出遇った。
その町筋は車力や出面(労働者の地方名)や雑穀商などが、ことに夕刻は忙がしく行き来している所なのだが、その奇妙な物売だけはことに柿江の注意を牽いた。
鉢巻の取れた子供の羅紗帽を長く延びたざんぎり頭に乗せて、厚衣の恰好をした古ぼけたカキ色の外套を着て、兵隊脚絆をはいていた。二十四五とみえる男で支那人のような冷静で悧巧な顔つきをしていた。それが手ごろの風呂敷包を二枚の板の間に挾んで、棒を通して挾み箱のように肩にかついでいた。そして右の手には鼠色になった白木綿の小旗を持っているのだが、その小旗には「日本服を改良しましょう。すぐしましょう」と少しも気取らない、しかもかなり上品な書体で黒く書いてあった。
その小旗が風に靡いて拡がれば拡がったまま、風がなくなって垂れれば垂れたままで、少しの頓着もなく売声はもとより立てずに悠々と歩いていくのだった。
柿江も二十五だった。彼は何んとなくその物売に話しかけたくなった。そしてつかつかとその方に寄っていこうとした。その時彼は先夜西山と闘わした議論のことを思った。
「貴様のように自分にも訳の判らない高尚ぶったことをいいながら実行力の伴わないのを軽薄というんだ」と西山の言った言葉がどうも耳の底に残っていて離れないでいた。それとこれとは何んの関係もないようだが、柿江にはきゅうにその物売に話しかけるのに気がひけだした。それゆえ彼は物売をやり過ごして創成川を渡ってしまった。
次の瞬間に、柿江は今夜の夜学校の修身の時間にはあの物売の話をして聞かせようと考えていた。実行家とはああいう人間のことをいうのだと教えてみよう。そしてもしうまく書けたら新聞の寄書としても十分役立つに違いないとも思いめぐらしていた。左手を深々と内懐から帯の下にさし入れて、右手の爪をぶつりぶつりと囓み切りながら。
* * *
柿江は自分でまた始まったなと思った。けれども何んといっても、その興奮が来ると、むりに抑えつける気持にはなれなかった。自分の眼には、二十四五人の高等科の男女の生徒が、柿江の興奮に誘われてめいめいの度合いに興奮しながら、眼を輝かして柿江の能弁に聞き入っていた。それに誘われて柿江は自分がさらに興奮してゆくのを感じた。
「いいか、その旗には『日本服を改良しましょう。すぐしましょう』と書いてあるんだ。とうとうその男は先生が一生懸命に介抱してやったにもかかわらず、だんだん気息が細って死んでしまった。……何しろ深い谷の底のことではあるし、堅雪にはなっていたが、上部の解けた所に踏みこむと胸まで埋まるくらい積もっているのだから、先生にはどうしていいか分らなかった。……とうとうそのえらあい若者は、日本服の改良を仕遂げないうちに、無残にも谷底へすべり落ちて死んでしまったんだ。なんぼう気の毒なことではないか」
醜いほど血肥りな、肉感的な、そしてヒステリカルに涙脆い渡井という十六になる女の生徒が、穢ない手拭を眼にあてあて聞いていたが、突然教室じゅうに聞こえわたるような啜泣きをやり始めた。その女の生徒は谷底で死んだというえらあい男を、自分の心の中で情人に仕立てあげてしまって、その死んだのを誠に自分の恋人の上のことのように痛み悲しんでいる……そうだなと柿江は直感すると、嫉妬というのではないが、何か苦々しい感情を胸の中に湧き立たせた。男の生徒たちはおおっぴらに女の方を見やる機会を得て、等しく物好きらしい眼を、渡井のしゃくり上げる肩のところから、手拭の下に真赤にしている横顔へと向けた。
とにかく柿江はまた一つのセンセーションを惹き起した。柿江はじっと渡井を見やりながら、今までの感傷的な顔色をやわらげて、なだめるような笑顔を見せた。
「はははは、何もそう泣かんでもいいよ。……その男は気の毒な死に方をしたけれども、いわば自分の大切な使命のために死んだんだから、悔むこともなかったろう……」
「それだでなおのこと気の毒だ、わし」
と渡井が涙の中から無分別げな、自分の感情に溺れきったような声を出した。男の生徒たちは、「おおげさなまねをする奴だ」というように、柿江の笑いに同じた。
その時尋常四年生の教室――それは壁一重に廊下を隔てた所にあるのだが――がきゅうに賑やかになって、砂きしみのする引戸を開くとがやがやと廊下に飛びだす子供らの跫音がうるさく聞こえだした。めいめいが硯を洗いに、ながしに集まるのだった。柿江は話の腰を折られて……
「先生その人はそれからどうかして生き返るんだろう」
と一人の男生がその騒がしさの中から中腰に立ち上って柿江に尋ねた。
終業の拍子木が鳴った。
「いや死んでしまったんだ」
大半の生徒は拍子木の声に勇みを覚えたように、机の蓋をばたんばたんと音させて風呂敷包を作りはじめる。その中にも今まで聞いていた話の後を知ろうとあせるものがあった。
「先生、先生はどうしてその人を谷底から上に持ち上げた?」
「先生か、先生は持ち上げられなかったから、一人で崕を這い上って、村の人に告げた」
「先生、その旗を見せてくれえよ」
柿江は話の都合上、自分は一枚の珍らしい旗を持っている。その旗の持主がまた珍らしい人なのだと前置きをして、その夜の修身を語りはじめたのだった。
「よしよし次の晩旗も見せてやるし、先生がその男の死んだのを村の人に告げてからの話もしてやる。村の人がどれほどその男の偉さに感心したか……」
柿江はそういうと、耳を聾がえらせるような騒々しさの中で、今までの話を続けたい気持にされていた。自分でも思い設けぬような戯曲的な光景があとから口を衝いて出てきそうな気がした。その時突然、
「先生それは皆んな作り話だなあ」
というものがあった。柿江はぎょっとした。そしてその声のする方を見ると、少し低能じみた、そんな見分けのつきそうにもない小柄な少年の戸沢だった。柿江は安心して大胆になった。
「いいや、本当も本当、先生が自分で遇ってきた出来事なんだ」
この会話で教室内の空気がちょっと鎮まった。生徒たちは隙でも窺うように柿江の顔つきに注意した。
「だって俺今夜こけへ来る時、その人に往来で遇ったもの」
柿江はしまった……と思ったが、思った瞬間に努力したのはそれを顔色に現さないことだった。そして咄嗟に、習慣的になっている彼の不思議な機智は彼をこの急場からも救いだした。
「戸沢は夢でも見たんだろう。……あ、解った。戸沢はその男の似而非者に遇ったんだな。その男のことが先生の生れた釧路の方で評判になると、似而非者が五六人できて、北海道をあちこちと歩き廻るようになったんだ。……それに違いない。それにお前は遇ったんだ」
その少年はまだ疑わしそうな顔をしながら黙ってしまった。そしてそこにはもう、その問題をなお追究しようというような生徒はなかった。一同は立ったりいたりして帰り支度にせわしかったから。
柿江はとにかく戸沢が疑わしげながら納得するのを見ると、自分の今まで能弁に話して聞かせていたまったくの作り話がいよいよ本当の出来事のように思えだした。
そこの貧民小学校の教師をして農学校に通う学生の二三人が自炊している事務所を兼ねた一室に来ると、尋常四年を受持っている森村が一人だけ、こわれかかった椅子に腰をかけて、いつでも疲れているような痩せしょびれた小さな顔を上向き加減にして、股火鉢をしていた、干からびた唇を大事そうに結びながら。
煤けたホヤのラムプがそこにも一つの簡単な鉄条の自在鍵にぶら下って、鈍い光を黄色く放っていた。柿江はそれを見ると、ふとまた考えてはならぬものを考えだしてしまっていた。自分だけに向って送ってよこす女の笑顔、自分と女とのほかには侵入者のない部屋、すべてを忘れさす酒、その香い、化粧の香い……そしてそれらのすべてを淫らに包む黄色い夜の燈火。……柿江は思わずそれを考えている自分の顔つきが、森村という鏡に映ってでもいるように、素早くその顔を窃みみた。しかし森村の顔は木彫のようだった。
「おい貴様この包を帰り途に白官舎に投げこんでおいてくれないか」
と何げない風にいいながら、柿江はぼろぼろになった自分の袴を脱いで、それに書物包みをくるみ始めた。森村は見向きもせずに前どおりな無表情な顔を眼の前の窓の鴨居あたりに向けたままで、
「これからまたどこかに行くんか」
とぼんやりいった。柿江は、
「うむ」
と事もなげに答えるつもりだったが、自分ながら悒鬱だと思われるような返事になっていた。
「そこにおいとけ」
ややしばらくして森村がこういった。
まだ生徒たちは帰りきらないで、廊下で取組合いをするものもあるし、玄関に五六人ずつかたまって、教師といっしょに帰ろうと待ちながら、大声でわめいているものもあるし、煤掃きのような音を立てて、教室の椅子卓を片づけているものもあった。柿江が戸外に出れば、「先生」と呼びかけて、取りすがってくる生徒が十四五人もいるのはわかりきっていた。柿江はそわそわした気分で、低い天井とすれすれにかけてある八角時計を見た。もう九時が十七分過ぎていた。しかしぐずぐずしていると、他の教師たちがその部屋にはいってくるのは知れている。それは面倒だ。柿江は已むを得ず、
「それじゃ貴様頼むぞ」
と言い残して、留守番の台所口に乱雑に脱ぎ捨ててある教師たちの履物の中から、自分の分を真暗らな中で手さぐりに捜しあてて、戸外に出た。
戸外は寒く真暗らだった。するとそこで柿江は自分の顔がきゅうにあつくなって、酔った時のように赤らんだのを感じた。心臓が音を立てんばかりに強く打ちだしたのを感じた。なるべく生徒の眼に触れぬようにと、生垣に沿うて素早く歩きだしたが、小さな生徒たちの鋭い眼はもちろんそれを見のがしはしなかった。柿江の身のまわりには鈴なりに子供たちがからみついていた。
「ゆんべはおっかなかったよ、先生、酔っぱらいのおやじが、両手を拡げて追ってくるんだもの」
「なあ」
「先生は今夜わしの方へと廻っておくれよ」そのほかいろいろな言葉が一度に、不思議な後ろめたさに興奮している柿江の耳に騒々しく響いてきた。柿江はわざと例のとぼけたような声を取りだして、生徒たちからなるべく早くのがれようと試みつつ、暗い貧乏町の往来に出た。
自分にまつわりついている生徒たちのほかに、そこにもここにも子供がいて、ややともすると柿江に話しかけようとした。
「先生は今日は用事があるんだから、明日の晩……じゃない、明後日の晩には皆なを送ってやるから、今日はめいめいで帰ってくれ、な。おい、いかんよ、そんなにからまりついちゃ」
そんなことを言って柿江はとうとう子供たちから離れて夜道を西へ向いて急いだ。
創成川を渡ると町の姿が変ってきゅうに小さな都会の町らしくなっていた。夜寒ではあるけれども、町並の店には灯が輝いて人の往来も相当にあった。
ふと柿江の眼の前には大黒座の絵看板があった。薄野遊廓の一隅に来てしまったことを柿江は覚った。そこには一丈もありそうな棒矢来の塀と、昔風に黒渋で塗られた火の見櫓があった。柿江はまた思わず自分の顔が火照るのを痛々しく感じた。
ガンベだった、その奇怪な世界の中に柿江を誘っていったのは。おそらく彼は何んの意味もない酔興から柿江をそこに連れていったのだろう。しかし柿江にとっては、この上もない迷惑なことであって、この上もない蠱惑的な冒険だった。「俺はいやだよ、よせよ」と自分にからみついてくるガンベの鉄のような力強い腕を払い退けながら、柿江の足は我にもなくガンベの歩く方に跟いていった。二人はいつの間にか制帽を懐ろの中にたくしこんでいた。昼間見たら垢光りがしているだろうと思われるような、厚織りの紺の暖簾を潜った。白官舎のとは反対に、新しくはあるけれども、踏むたびごとにしないきしむ階子段を登って、油じみと焼けこげだらけな畳の上に坐らせられた。眼をそむけたいほど淫らな感じのする女が現われて、べたべたと柿江の膝の上に乗りかからんばかりに横とんびに坐った。ガンベが何か大声で一人ではしゃいでいるうちに酒が出た。柿江は早く自分を忘れたいばかりに、さされる盃を受けつづけた。飲むというほど飲んだことのない酒はすぐ頭へとひどくこたえだした。眼の中が熱くなって、そこに映るものが不断とは変ってきた。こんな場合、当然起ってくべきはずの性慾はますます退縮して、ただわくわくするような興奮で身の内が火のように震えだした。そして時々氷が……それは言葉どおりに氷だった……氷の小さい塊が溶けながら喉許から胸の奥にと薄気味悪く流れ下った。
「どうだ、ありがたかろう」
床の正面に、半分枯れかかった樺色と白との野菊を生けて、駄菓子でこね上げたような花瓶のおいてあったのを、障子の隅におろしてしまって、その代りに自分の懐ろから制帽を取りだして恭しく飾りながら、ガンベが拝むような様子をしてこういったっけ。柿江はいやな夢でも見ているような心持になったが、どういうつもりだったか、奇怪にも我れ知らず笑いだした。大声を上げていつまでもげらげらと。女たちがそれをおかしがるとなお笑った。
柿江は大黒座を左に折れて、遊廓の大門を大急ぎで通り越しながら、こんなことを不安に満たされた胸の中で回想していた。
柿江は自分が何の気なしにすることが、どうかすると人には頓狂に見えて、それが一つの愛嬌にされているのを意識していた。あの時もそんな気持が動いていたのだなと思った。取り返しのつかないようないやな心持がした。どうせああいう種類の女だ。かまうものかとも思った。それから今考えても自分に愛想の尽きるような気持を起させるのはその翌日のことだ。眼を覚ますと、もう朝日がいっぱいに射していたが、小恥かしい気分の中で真先に意識に上ってきたのはガンベのあの醜い皮肉な片眼の顔だった。彼奴は憎々しいほくそ笑みを今ごろどこかで漏らしているのだろう。しかも話の合う仲間の処に行って、三文にもならないような道徳面をして、女を見てもこれが女かといったような無頓着さを装っている柿江の野郎が、一も二もなく俺の策略にかかって、すっかり面皮を剥がれてしまったと、仲間をどっと笑わすことだろう。そう思うと柿江は自分というものがめちゃくちゃになってしまったのを感じた。そういえばかんかんと日の高くなった時分に、その家の閾を跨いで戸外に出る時のいうに言われない焦躁がまのあたりのように柿江の心に甦った。
それでも柿江の足は依然として行くべき方に歩いていた。いつの間にか彼は遊廓の南側まで歩いてきていた。往来の少ない通りなので、そこには枯れ枯れになった苜蓿が一面に生えていて、遊廓との界に一間ほどの溝のある九間道路が淋しく西に走っていた。そこを曲りさえすれば、鼻をつままれそうな暗さだから、人に見尤められる心配はさらになかった。柿江は眼まぐろしく自分の前後を窺っておいて、飛びこむようにその道路へと折れ曲った。溜息がひとりでに腹の底から湧いてでた。
何、かまうものか。ガンベは日ごろからちゃらっぽこばかりいっている男だから、あいつが何んといったって、俺がそんなことをしたと信ずる奴はなかろう。もしガンベが何か言いだしたら俺はそうだガンベのいうとおり昨夕薄野に行って女郎というものと始めて寝てみたと逆襲してやるだけのことだ。それを信ずる奴があったら「へえ柿江がかい」と愛嬌にしないとも限らないし、しかしたいていの奴は「ガンベのちゃらっぽこもいい加減にしろ」と笑ってしまうに違いない。こう柿江は腹をきめて何喰わぬ顔で教室に出てみた。ガンベも教室に来ていた。が彼は昨夜のことなどはまったく忘れてしまったようなけろりとした顔をしていた。柿江はガンベを野放図もない男だと思って、妙なところに敬意のようなものを感じさえした。そしてその日はできるだけさしひかえて神妙にしていた。いつガンベに小賢かしいという感じを与えて、油を搾られないとも限らない不安がつき纏って離れなかったから。
「俺はその時、こんな経験は一度だけすればそれでいいと決めていたんだ。まったくそれに違いないのだ。これ以上のことをしたら俺はたしかに堕落をし始めたのだといわなければならない」
淋しい道路に折れ曲るときゅうに歩度をゆるめた柿江は、しんみりした気持になってこう自分にいい聞かせた。彼は始めて我に返ったように、いわば今まで興奮のために緊張しきっていたような筋肉をゆるめて、肩を落しながらそこらを見廻わした。夜学校を出た時真暗らだと思われていた空は実際は初冬らしくこうこうと冴えわたって、無数の星が一面に光っていた。道路の左側は林檎園になっていて、おおかた葉の散りつくした林檎の木立が、高麗垣の上にうざうざするほど枝先を空に向けて立ち連なっていた。思いなしか、そのずっと先の方に恵庭の奇峰が夜目にもかすかに見やられるようだ。柿江にはその景色は親しましいものだった。彼がひとりで散策をする時、それはどこにでもいて彼を待ち設けている山だった。習慣として彼は家にいるより戸外にいる方が多かった。そして一人でいる方が多かった。そういう時にだけ柿江は朋輩たちの軽い軽侮から自由になって、自分で自分の評価をすることができるのだった。慣れすぎて、今は格別の感激の種にはならなかったけれども、それだけ札幌の自然は彼の心をよく知り抜いてくれていた。
「そうだ、もう帰ろう」
柿江はかなり強い決心をもって、西の方を向いてゆるゆると歩みを続けた。そして道路の右側にはなるべく眼をやるまいとした。
しかしそれはできない相談だった。窓という窓には眼隠しの板が張ってあって、何軒となく立ちならんでいる妓楼は、ただ真黒なものの高低の連なりにすぎないけれども、そのどの家からも、女のはしゃぎきった、すさんだ声が手に取るように聞こえていた。本通りの大まがきの方からは、拍子をはずませて打ちだす太鼓の音が、変に肉感と冒険心とをそそりたてて響いてきた。ただ一度の遊興は柿江の心をよけい空想的にして、わずかな光も漏らさない窓のかなたに催されている淫蕩な光景が、必要以上にみだらな色彩をもって思いやられた。彼よりも先に床にあって、彼の方に手をさし延べて彼を誘った女、童貞であるとの彼の正直な告白を聞くと、異常な興味を現わして彼を迎えた女、少しの美しさも持ってはいないが、女であるだけに、柿江がかつて触れてみなかった、皮膚の柔らかさと、滑らかさと、温かさと、匂いとをもって彼を有頂天にした女、……柿江はたんなる肉慾のいかに力強いかを感じはじめねばならなかった。彼は自分が恐ろしくなった。自分がこんなものだとはゆめにも思わなかったのだから。これはいけないとみずからをたしなめながら、すがりつくように左の方の淋しい林檎園を見入ったけれども、それは何んの力にもならなかった。自分の家のことを大急ぎで思いだしてみた。何んの感じもない。白官舎のものたちの思わくを考えてみた。何んの利き目もない。夜学校の教師たる自分の立場を省みてみた。ところが驚くべきことには、そこにいる女の生徒の顔や、襟足や、手足が、今までにもある感じを与えられていないことはなかったが、すぐ無視することのできたそれらのものが……柿江は本当に恐ろしくなってきた。……全身は悪寒ではなく、病的な熱感で震えはじめていた。頭の中には血綿らしいものがいっぱいにつまって、鼻の奥まで塞がっていた。頭の重さというものが感ぜられるほど何かでいっぱいになっていた。そして柿江が何かを反省しようとすると、弾ね返すように断定的な答えを投げつけてよこした。たとえば、世の中にはずっと清潔な心と自制心とを持った男がと考える暇もなく、それは嘘だ、皆んな貴様と同様なのだ、たぶん貴様以上なのだ。法螺吹きのくせに正直者の貴様には今までそれが見えなかっただけだ、と彼の頭は断定的に答えるのだ。彼はそしてその答えに一言もないような気がした。
それなら行こう、と柿江が実際自分の体を遊廓の方にふり向けようとすると、まあ待ってくれと引きとめるものがどこかにいた。女に引きとめられたらそんな感じがするのだろうか、その力は弱いけれども、何かしら没義道にふりきることができなかった。今度が二度目だ。二度行ったら三度行くだろう。三度行ったら四度、五度、六度と度重なるだろう。どこからそんなことをする金が出てくるか。そのうちにすべての経緯が人に知れわたったらいったいどうする。
柿江はきゅうに頭から寒くなった。何んといってもそれは重大な問題だ。柿江は自分がどういう骨組で成り立っているかを知りぬいているのだから。彼奴は妙に並外れた空想家で、おまけに常識はずれの振舞いをする男だが、あれできまりどころは案外きまっていて、根が正直で生れながらの道徳家だ、そういう印象を誰にでも与えている。彼はそれを意識していた。そしてそれに倚りかかって自分というものの存在を守っていた。万一、人々が彼に対して持っているこの印象を我から進んで崩したら、彼は立つ瀬がなくなるのだ。
柿江はいつの間にか遊廓に沿うてその西の端れまで歩いてきてしまっていた。そこには新川という溝のような細い川がせせらぎを作って流れている、その川音が上ずった耳にも響いてきた。柿江はその川を越して遊廓から離れるべきだったのに、離れる代りに、また東の方に向いて元と来た道を歩きはじめた。柿江の心がどっちに傾いてもその足は目指すところを離れようとはしなかった。のみならず、彼は吸い寄せられるように、遊廓に沿うて流れている溝川の方へとだんだん寄っていって、右手の爪を血の出るほど深くぶつりぶつりと噛みながら少し歩いては立ち停り、また少し歩いては立ち停った。そしてとうとう一本だけ渡してある小さな板橋の所に来て動かなくなってしまった。
柿江は自分をそこに見出すと、また窃むようにきょときょととあたりを見廻した。人通りはまったく途絶えていた。そこいらには煙草の吸殻や、菓子の包んであったらしい折木や、まるめた紙屑や、欠けた瀬戸物類が一面に散らばっていた。柿江はその一つずつに物語を読んだ。すべてがすでに乱れきった彼の心をさらにときめかすような物語だった。
突然柿江は橋の奥の路地をこちらに近寄ってくる人影らしいものに気がついた。はっと思った拍子に彼は、たった今大急ぎでそこに来かかったのだというような早足で、驀地に板橋を渡りはじめていた。そして危くむこうからも急ぎ足で来る人――使い走りをするらしい穢ない身なりの女だったが――に衝きあたろうとして、その側を夢中ですりぬけながら、ガンベといっしょに来た時のように制帽を懐ろにたくしこんだ。廓内の往来に出ると、暖かい黄色い灯の光に柿江は眩しく取り巻かれていた。彼は慌てて袖の中を探った。財布はたしかに左の袖の底にあった。今夜はよその家にはいるのが得策だと心であせったが、どういうものかそれができないで、まずいことだとは知りながら、彼はひとりでにガンベに誘いこまれた敷波楼の暖簾を飛びこむようにして潜った。
「日本服を改良しましょう、すぐしましょう」と書いた旗が、どういうきっかけだったか、その瞬間に柿江の眼にまざまざと映って、それが見る間に煙のようにたなびいて消えていった。
* * *
「星野清逸兄。
「俺はやっぱり東京はおもしろい所だと思うよ。室蘭か、函館まで来る間に、俺は綺麗さっぱり北海道と今までの生活とに別れたいと思って、北海道の土のこびりついている下駄を、海の中に葬ってくれた。葬っても別に惜しいと思うほどの下駄ではむろんないがね。あれは柿江と共通にはいていたんだが、柿江の奴今ごろは困っているだろう。青森では夜学校の生徒の奴らが餞別にくれた新しい下駄をおろして、久しぶりで内地の土を歩いた。けれどもだ、北海道に行ってから足かけ六年内地は見なかったんだが、ちっとも変ってはいない。貴様にはまだ内地は Virgin soil なんだな。
「郷里にもちょっと寄ったがね、おやじもおふくろも、額の皺が五六本ふえて少ししなびたくらいの変化だった。相変らずぼそぼそと生きるにいいだけのことをして、内輪に内輪にと暮している。何をいって聞かせたってろくろく分りはしないのだから、俺は札幌の方を優等で卒業したから、これから東京に出て、もっとえらい大学で研きをかけるんだといい聞せておいた。何しろ英語を三つ四つ話の中にまぜれば、何をいっても偉いことのように聞こえるんだから、じつに簡単で気持がいいよ。たとえばこういう具合だ。
『おとうさまは知るまいが東京には University という大学があって、象山先生の学問に輪をかけたような偉い学問ができる。そこに行くと俺でも Student という名前を貰って、Sociology and English grammar and Chinese literature というようなむずかしいものを習うだ。どうだね、もう二三年がところ留守にしてもいいずら』
『げえもねえことを……象山先生より偉くなったらどうする気だ』
俺の方では佐久間象山より偉い人間は出てこようがないとしてあるんだ。けれどもだ、おやじは俺が大の自慢で、長男は俺の後嗣ぎ相当に生れついているが、次男坊はやくざな暴れ者だで、よその空でのたれ死でもしくさるだろうと、近所の者をつかまえて眼を細くしている。おふくろは六年も留守にしていた俺がいとしくって手放しかねるようだが、何一つ口を出さない。そして土間の隅で洗いものなどをしながら、鼻水を盥に垂らして、大急ぎですすり上げたりしていた。
「けれどもだ、何をいうにも東京なら近いからということで、俺はとうとう郷里を出た。 Student になると学資ぐらいは自分で働きだすのだといって聞かせたら感心していたようだった。
「東京は俺にとっては Virgin soil だ。俺は真先に神田の三崎町にあるトゥヰンビー館に行って円山さんに会った。ちょうど昼飯時だったが、先生、台所の棚の上に膳を載せて、壁の方に向いて立ったなりで飯を喰っていた。湯づけにでもしていたのだろう、それをかっこむ音が上り口からよくきこえた。東京にこんなことをやって生きている人間があろうとは俺は思わなかったよ。トゥヰンビー館といえば、札幌の演武場くらいを俺は想像していたんだが、行ってみたら、白官舎を半分にして黴を生やしたような建物だった。俺もやはり英語に出喰わすと、国のおやじにひけを取らない田舎者だと思って感心した。
『ダントン小伝』を寄稿したのは俺だといって自分を紹介したら、円山さんは仏頂面に笑い一つ見せないで、そんなら上れといった。俺もそんなら上った。とにかく西洋館で、――とにかく西洋窓のついた日本座敷で、日曜学校で使いそうな長い腰かけと四角なテーブルがおいてあった。円山さんというのがいったい西洋窓のついた日本座敷みたいに、こちんこちんした無愛想な男だ。『何しに来た』、『修業に来た』、『何んの修業に来た』、『社会問題の修業に来た』、『学資がないんだろう』、『そうだ』、『俺に周旋しろというのか』、『まあそうだ』、『家は貧乏か』、『信州の土百姓だ』、『俺たちといっしょに働く気か』、『それはまだ分らない』、『その答はよし』(なんだべらぼうめ――べらぼうという言葉は東京の書生がことごとに使う言葉で、俺はその後に使い覚えた。けれどもだ、この場合の俺の心持を現わすにはじつに都合がいい。本当は俺はその時、円山さんは恐ろしく高飛車に出たもんだなと、胸の中で長たらしく感心していたんだ)。円山曰く『どこで修業するつもりだ』、『W専門学校に行って矢部さんの講義を聞こうとおもう』、『札幌から紹介状でも貰ってきたか』、『来ん』、『じゃ俺が書くからこれから行ってみろ』……辞儀を一つする……貰いものの下駄をはく……歩く(ここは長し)……早稲田という所は田圃の多いところだ。名詮自称だ。……大隈の大きな屋敷を外から見た。W専門学校に着いた……他の奇なし。
「矢部さんは円山さんよりよほど愛想がいい。写真で片眼のべっかんこなのは知っていたが、ひどい若白髪だ。これはだいぶクリスチャンらしかった。俺も相当鞠躬如たらざるを得なかった。知合いの信者の家に空間があるかもしれないからいっしょに出かけてみようといって、学校から七八町くらいだ、表書きの家は、そこに連れていってくれた。そこのお内儀さんが矢部さんを見るとマルタが基督にでも出喰わしたように頭を下げるので、俺は困った。俺は白状すると矢部さんよりもマルタの方によけい頭が下げたいぐらいだったから。東京の女は俺の眼から見ると皆な天使のようだぞ。
「俺の部屋は四畳半で二階の西角だ。東隣りは大きな部屋だが畳を上げて物置になっていて、どういうものか鼠の奴がうんといる。夜になると盛んに遊弋をやって賑やかでいい。けれどもだ、俺の所には喰うものはないからややもすれば足の先および耳鼻の類が危険だから、俺はかじられないだけの用心はしている。これより先、じつは俺は足の先をすでにかじられかかったんだ。けれどもだ、縁の先には大きな葡萄棚があって、来年新芽を吹きだしたら、俺は王侯の気持になれそうだ。
「何しろ学校で袴と草履をはかないのは俺だけだ。足の裏が丈夫なら草履ははかなくともいいが袴ははかなければいかんといやがる。けれどもだ、袴をはけとは規則書に書いてないから勝手じゃないかと俺はいうた。足の裏はもとより丈夫だが、脛っぷし――というものがあるかないか、腕っぷしがある以上はありそうなものだ――だって丈夫だからな。俺はこれをサンキロティズムに対してサンバカミズム(Sansbakamism)と呼ぶだ。
「矢部さんの講義は何んといっても異色だ。嶄然足角を現わしている。経済学史を講じているんだが『富国論』と『資本論』との比較なんかさせるとなかなか足角が現われる。馬脚が現われなければいいなと他人ながら心配がるくらいだ。図書館の本も札幌なんかのと比べものにならない。俺は今リカードの鉄則と取っ組合をしている。
「さてこれからまた取っ組むかな。
「大事にしろよ。
西山犀川
十月二十五日夜
* * *
「ガンベさん、あなた今日から三隅さんの所に教えにいらしったの」
渡瀬は教えに行った旨を答えて、ちょうど顔のところまで持ち上げて湯気の立つ黄金色を眺めていた、その猪口に口をつけた。
「おぬいさんって可愛いい方ね」
そういうだろうと思って、渡瀬は酒をふくみながらその答えまで考えていたのだから、
「あなたほどじゃありませんね」
とさそくに受けて、今度は「憎らしい」と来るだろうと待っていると、新井田の奥さんは思う壷どおり、やさ睨みをしながら、
「憎らしい」
といった。そこで渡瀬はおかしくなってきて、片眼をかがやかして鬼瓦のような顔をして笑った。笑う時にはなお鬼瓦に似てくるのを渡瀬はよく知っていた。
「この女は俺の顔の醜いのを見て、どんなに気をゆるしてふざけても、遠慮からめったなことはしないくらいに俺を見くびっているな。醜い奴には男の心がないとでも思っているのか。ひとついきなり囓りついてどのくらい俺が苦しめられているか思い知らしてやろうかしらん」
渡瀬は真剣にそうおもうことがよくあった。そのくらい新井田の夫人は渡瀬に対して開けっ放しに振舞ったし、渡瀬は心の中で、ありえない誘惑に誘惑されていたのだ。この瞬間にも彼にはそうした衝動が来た。渡瀬は笑いからすぐ渋い顔になった。
「あら変ね、何がそんなにおかしいこと」
といいながら、銚子の裾の方を器用に支えて、渡瀬の方にさし延べた。渡瀬もそれを受けに手を延ばした。親指の股に仕事疣のはいった巌丈な手が、不覚にも心持ち戦えるのを感じた。
「でもおぬいさんは星野さんに夢中なんですってね」
女郎上りめ……渡瀬は不思議に今の言葉で不愉快にされていた。「おぬいさん」と「夢中」という二つの言葉がいっしょに使われるのが何んということなしに不愉快だった。人の噂からおぬいさんを弁護する、そんなしゃら臭い気持は渡瀬には頭からなかったけれども、やはり不愉快だった。
「焼けますかね」
渡瀬は額越しに睨みかえした。
「それはお門違いでしょう」
今度は奥さんの方が待ち設けていたようにぴったりと迫ってきた。
「ははあん、この女はやはり俺をすっかり虜にした気で得意なんだが、おぬいさんに少々プライドを傷けられているな……ひとつやってやるかな」
渡瀬の胸の中でいたずら者がむずむずし始めた。奥さんが、ごくわずかの間であったけれども、苦界というものに身を沈めていて、今年の始に新井田氏の後妻として買い上げられたのだという事実は渡瀬の心をよけい放埓にした。うんと翻弄してやろう……もしも冗談から駒が出たら――何かまうもんか、その時はその時のことだ……という万一の僥倖をも、心の奥底では度外視してはいなかった。
「図星をさされたね」
渡瀬はまたからからと笑って、酒に火照ってきた顔から、五分刈が八分ほどに延びた頭にかけて、むちゃくちゃに撫でまわした。
「ところが奥さん、あれは高根の花です。ピュリティーそのものなんです。さすがの僕もおぬいさんの前に出ると、慎みの心が無性に湧き上るんだから手がつけられない……そんなに笑っちゃだめですよ、奥さん、それはまったくの話です。……何、信用しない……それはひどいですよ、奥さん。僕なんざあとてもおぬいさんのマッチではない。マッチですか。マッチというと相方かな(これはしまったと思って、渡瀬は素早く奥さんの顔色を窺ったが、案外平気なので、おっかぶせて言葉を続けた)相手かな……相手になれないと諦める気ばかり先に立つのです。おぬいさんの前に出ると、このガンベもまったく前非を後悔しますね」
「そんなに後悔することがたくさんおありなさるの」
「ばかにしちゃいけません。ばかにしちゃあ……」
渡瀬はまたあとを高笑で塗りつぶした。この女は生れてから満足した男に出遇ったことがないに違いない。ずいぶんいろいろな男の手から手に渡ったらしいのに、それだからたまには不愉快なほど人擦れがしているくせに、どこかさぐり寄るような人なつっこいところも持っている。こういう女に限って若い男が近づくと、どんなにしゃんとしているように見えても、変に誘惑的な隙を見せる。おまけにこの女は少し露骨すぎる。星野に対してはあの近づきがたいような頭の良さと、色の青白い華車な姿とに興味をそそられているらしいし、俺を見ると、遠慮っ気のない、開けっ放しな頑強さにつけ入ろうとしている。そのくせいい加減なところに埒を造って、そこから先にはなかなか出てこようとはしない。いわば星野でも、俺でも、そのほかあの女の側に来る若い男たちは、一人残らず体のいいおもちゃにされているんだ。おもちゃにされるのが不愉快じゃないが、それですまされたのでは間尺に合わない。埒に手をかけて揺ぶってやるくらいの事はしても、そしてこの女がぎょっとして後すざりをするくらいなことになっても、薬にはなるとも毒にはなるまい。渡瀬は片眼をかがやかしながら、膳から猪口を取り上げて、無遠慮に奥さんの方にそれをつきだした。奥さんは失礼だという顔もせずに、すぐに銚子を近づけた。
「奥さん、あなたも杯を持ってきませんか。一人で飲んでるんじゃ気がひけますよ」
渡瀬はそう無遠慮に出かけてみた。
「私、飲めないもの」
酌をしながら、美しい眼が下向きに、滴り落ちる酒にそそがれて、上瞼の長い睫毛のやや上反りになったのが、黒い瞳のほほ笑みを隠した。やや荒んだ声で言われた下卑たその言葉と、その時渡瀬の眼に映った奥さんの睫毛の初々しさとの不調和さが、渡瀬を妙に調子づかせた。
「飲めないことがあるものか、始終晩酌の御相伴はやっているくせに」
「じゃそれで一杯いただくわ」
渡瀬はこりゃと思った。埒がゆさゆさと揺ぶられても、この女は逃げを張らないのみか、一と足こっちに近づこうとするらしい。構えるように膝の上に上体を立てなおして、企みもしないのに、肩から、膝の上に上向きに重ねた手の平までの、やや血肥りな腕に美しい線を作って、ほほ笑んだ瞳をそのままこちらに向けて、小首をかしげるようにしたその姿は、自分のいいだした言葉、しようとしていることを、まったく知らない無邪気さかとみえるほど平気なものだった。渡瀬に残されたただ一つのことは、どたん場で背負投げを喰わない用心だけだ。
「いいんですか」
「何がよ」
すぐこういう答えが出た。
「ははは、何がっていわれればそれまでだが、じゃいいんですね」
「だから何がっていってるじゃありませんか」
「だから何がっていわれればそれまでだが……それまでだから一つあげましょう。循環小数みたいですね」
もとよりそこに盃洗などはなかった。渡瀬は膳の角でしずくを切って……もう俺の知ったことじゃないぞ……胡座から坐りなおって、正面を切って杯を奥さんの方にさしだしかかった。
「一人で飲んでいちゃ気が引けるとおっしゃられるとね」
と落着いた調子でいいながら奥さんは躇らいもせず手を出すのだった。
「御同情いたみ入ります」
渡瀬は冗談じゃないぞと心の中でつぶやきながら急場で踏みこたえた。そして杯にちょっと黙礼するような様子をして手を引きこめた。
「あら」
「味が変っているといけないと思ってね、はははは……奥さん、僕はこれで己惚れが強いから、たいていの事は真に受けますよ。これから冗談はあらかじめ断ってからいうことにしましょう」
「まったくあなたは己惚れが強いわねえ」
といいきらないうちに奥さんは口許に袖口を持っていって漣のように笑った……眼許にはすぎるほどの好意らしいものを見せながら。思ったより手ごわいぞと考えつつも、渡瀬はやはりその眼の色に牽かれていた。そして奥さんの今の言葉は、渡瀬を大きなだだっ子にしていっているもののようにも取れば取れないこともなかった。渡瀬はしかし面倒臭くなってきた。いわば結局互に何んの結果に来るものではないのを知り抜いていながら、しいて不意な結果でも来るかのごとくめいめいの心に空想を描いて、けち臭い操りっこをしているのが多少ばからしくなってきた。そして渡瀬の腹には、どうせほんものにはなる気づかいはないという諦めも働いていないではなかった。おまけに新井田氏の帰宅が近づいているのも考えの中に入れなければならなかった。
ちょうどその時、渡瀬の後ろのドアがせわしなく開いたとおもうと、そこに新井田氏が小柄な痩せた姿を現わしたらしかった。渡瀬は前のように考えながらも、やはり奥さんに十分の未練を持っている自分を見出ださねばならなかった。なぜというと新井田氏がはいってきた瞬間に、その眼は思わず鋭くなって、奥さんが良人をどういう態度で迎えるかを観察するのを忘れなかったからだ。
「お帰りなさいまし」
と簡単にいうと、奥さんは体全体で媚びながらいそいそと立ち上った。渡瀬が注意せずにいられなかったのは立ち上った奥さんの節長に延びた腰から下に垂れ下っている前垂の、いうにいわれないなまめかしい感じだけだった。そんなものが眼に焼きつくほどに、奥さんは平生と少しも異ならない奥さんにすぎなかった。彼は坐りなおした自分の膝頭を見やりながら俯つ向いて、苦笑いの影を唇に漂わせるほかはなかった。
強い黄色い光を部屋じゅうに送る大きな空気ラムプの下にいても、新井田氏は血色の悪い人だった。一種の空想家らしくぎらぎらとかがやく大きな眼が、強度の眼鏡越しに、すわり悪く活き活きと動いた。
「どうも失礼。おはじめでしたか。え、どうぞ。ちょっと用が片づかなかったもんですからおそくなって。……日が短かくなりましたなあ。それに戸外はずいぶん寒うござんすよ」
新井田氏は蛇の皮のように上光りのする綿入の上ん前を右手できりりと引張りつけながら奥さんの今まで坐っていたところにきちんと坐った。そして煙管筒を大きな音をさせて抜き取ると、女持ちのような華車な煙管を摘みだした。
三十分ほどの後、新井田氏と渡瀬とは夕食をすませて、二人の間に研究室と呼びならされる暗室のような窓のない小部屋に、四角な粗末な卓を隔てて向いあっていた。小さなラムプのえがらっぽいような匂いと、今まで人気のなかったための寒さとが重くよどんでいた。
渡瀬は、代数の計算と下手な機械のダイヤグラムとが一面に書きつづられているフールス・キャップ四枚を自分の前において、イーグル鉛筆を固く握りしめながら新井田氏に項式の説明を試みているのだった。新井田氏はそのころ流行し始めた活動写真機に興味を持って、その研究なるものをやっていたのだ。自分の手で発声蓄音機を組立ててみたいというのが氏の野心だった。映画用のフィルムの運動の遅速によって蓄音機の方の速度が調節されるようにするのがあたり前だと渡瀬は考えた。しかし日本に来ている蓄音機は簡単な機械であるために、勢い蓄音機の方の改造は諦めて、それが有する速さに応じて写真機の方の速度を調節するように研究せねばならなかった。これならしかし割合に簡単なことで、渡瀬の工夫になる小さな中間機を使用すれば、実際においてある程度までの効果を挙げることができたのだ。新井田氏はその成功に喜び勇んで早く実用的な機械の製作にかかりたいとあせるのだけれども、渡瀬にとってはそれはさして興味のあることではなかった。渡瀬は蓄音機の機械をどれだけ複雑にすれば、最小限度の複雑化によって最大の効果を挙げうるかを数理的に解決したかったのだ。それゆえ彼は毎日その計算にばかり熱中して、新井田氏が機械の製作に取りかかろうというのを一日延ばしに延ばさせていた。始めの間こそは新井田氏もより進んだ発見が工作費用を節減するものと感じて根気よくその成就を待っているようだったが、計算の仕事がいつまで経っても片づかないのを知ると、そしてその問題が解決されても、日本ではそういう蓄音機を実際に製作するのが困難らしいということをほのめかされると、だんだん性急になってきた。計算計算といって長びいているのは、たんに仕事を長びかせるための渡瀬の魂胆ではないかと邪推しだしたらしいのを渡瀬は感じた。いい加減に切り上げようかと渡瀬の思ったのもたびたびだったが、そうするとこの方の研究は早速打ち切りになって、他の研究がはじまるのを覚悟せねばならない。それは彼にとっては惜しいことだった。それゆえ彼は新井田氏の思わくをできるだけ無視しようとした。
渡瀬は今日もまた新井田氏と罫紙とをかたみ代りに見やりながら続けた。
「これがシャッターの回転数と蓄音機の円盤の回転数との関係を示した項式です。こういう具合にシャッターの方をAとし、円盤の方をBとすると、AとTとの積は、一定時間におけるAのヴェロシティすなわちVだから、それからこの項式が出てくるのです。そこに持ってきてBの方はこうなるでしょう」
新井田氏は半分解らないながらも、中腰になったまま、卓によりかかって神妙に渡瀬の説明に耳を傾けているらしくみえた。渡瀬はできるだけ解りやすくと、噛みくだくようにものをいっていたが符号や数字が眼の前に数限りなくならんでいるのを辿っていくと、新井田氏の存在などはだんだん薄ぼやけてきた。今まで奥さんを眼の前にすえてふやけていた彼の頭はみるみる緊張して、水晶のような透明さを持ちはじめた。数字がたんなる数字ではなくなった。いわばそれらは大きな兵士の群のようだった。そのおのおのが持っている任務と力量とを彼は指揮官のように知っていた。彼はそれを用いてある勝敗を争おうとするのだ。彼の得意とする将棋や囲碁以上にこれは興味のあるものだった。どんな弱い敵に向っても、どんな優秀な立場にあっても、天運というものが思わざる邪魔をしないとも限らない、そこに自分の力量をだけ信用してはいられない投機的な不思議があるとともに、そうした場合自分の力量が、どれほどしなやかに機変に応じうるかを見きわめたい誘惑は大きかった。
渡瀬は説明を続けているうちに、だんだん一つの不安心な箇所に近づいていった。その個所を突破しさえすれば問題の解決は著しくはかどるのだ。そこにもう一度ぶつかって、それを征服してしまおうとの熱意がいよいよ燃えてきた。彼の眼の前で数字が堂々たる陣容を整えて展開した。それが罫紙の上をあるいは右に、あるいは左に、前後上下に働きはじめた。渡瀬は仕事たこのできた太い指の間にイーグル鉛筆を握って、数字と数字との間を縦横に駈けめぐった。しばらくの間鉛筆は紙の余白に細かい数字を連ねていたが、そして渡瀬は神文でも現われてくるのを見る人のように夢中で鉛筆のあとを追っていたが、やがて鉛筆ははたととまってしまった。その瞬間に渡瀬は眼がさめたようになって、今まで書き続けていたところを読み辿ってみた。計算に間違はなかったけれども、項式はもう発展できないように横道に来ていた。
「奇体だなあ」
彼は思わず鉛筆を心もち紙の表面からもち上げて、自分に対して必死の抵抗を試みようとする項式をまじまじと眺めた。
「そこがどうなんです」
新井田氏が依然としてそこにいたのを渡瀬は知った。新井田氏の存在をおぼろげながら意識すると彼がその顧問(新井田氏自身は渡瀬を助手と呼んでいたが)となって、学資の大部分を得ているのを考え合わさないわけではなかったが、それが他人事のようにしか感じられなかった。渡瀬は「え」といってちょっと新井田氏を見上げただけで、またもや手をかえてその難問題にぶつかろうとした。大きな数がみごとに割り切れた時のような、あのすがすがしい気持を味うまでは、渡瀬の胸のこだわりはどうしても晴れようとはしなかった。彼は鞭つように罫紙を裏返した。それは見るまに数字で埋まってしまった。また一枚を裏返した。それもたちまち埋まっていこうとする。しかし計算はますます迷宮に入るばかりで、いつそこから抜けでられるのか予想はとてもつかなくなるばかりだった。
「変だなあ」
そう渡瀬の唇はおのずから言葉となった。そして鉛筆は堅くその手に握られたまま停止してしまった。
「そんなむずかしい計算をしなければこれは分らないのですか」
と新井田氏がそのきっかけをさらって口を入れた。すぐ癇癪を立てる、こらえ性のない調子が今度の言葉には明かに潜んでいた。渡瀬はそれを聞くと、これはいけないぞと思った。そしてはじめて新井田氏の存在を正当に意識の中に入れてその人を見やりながらつくろうような笑顔を見せた。口をゆるめると、今まで固く噛み合っていた歯なみが歯齦からゆるみでるい軽い痛みを感じた。
不断はいかにも平民的で、高等学府に学んでいる秀才を十分に尊敬しているといいたげな態度を示している新井田氏でありながら、こういう場合になると、にわかに顔つきまで変ってしまって、少し加減してみせるとすぐつけあがってきやがると言わんばかりの、傲慢な、見くだしたような眼の色を、遠慮もなく渡瀬の顔に投げてよこすのだった。しかしながら渡瀬はそれしきのことで自分の仕事を中止する気にはなれなかった。彼は好んでとぼけた様子をしながら、
「それはできないことはありませんがね……ま、もう少し待ってください。じきです。これさえ解ければ完全なものになるんですから……」
といって、ふたたび罫紙に眼を落した。新井田氏はそれに対して別に何んともいわなかった。けれどもしぶとい奴だと言わんばかりな眼が、渡瀬の額の生えぎわのあたりを意地悪くさまよっているのは、明かに渡瀬の神経にこたえてきた。まだだいじょうぶと渡瀬は思った。そこで彼はふたたび新井田氏をそっちのけにして、行きづまった計算の緒口をたぐりだしにかかった。
今度こそはと意気組を新たにしてかかった。数字がだんだんとその眼の前で生きかえり始めた。彼は今度は同じ項式の分解を三角法によってなし遂げようと企てた。彼の頭の中にはこの難問題の解決に役立つかとおもわれるいくつかの定理が隠見した。鉛筆を下す前にその中からこれこそはと思われる一つを選み取らねばならぬ。彼は鉛筆の尻についているゴムを噛みちぎって、弾力の強い小さな塊を歯の間に弄びながらいろいろと思い耽った。
突然インスピレーションのように一つの定理が思いだされた。胸にこみ上げてくる喜びをじっと押し殺して、参謀の提出した方略を採用する指揮官のように、わざと落ちつき払いながら鉛筆を動かし始めた。今度こそはすべてが予期どおりに都合よく行きそうにみえた。一度分解した項式が結合をしなおして、だんだん単純化されていくところからみると、ついには単一の結論的項式に落ちつきそうにみえた。渡瀬は今まで口の中に入れていたゴムを所きらわず吐き捨てて、噛りつくように罫紙の上にのしかかった。
けれどもやはりむだだった。八分というところに来て、ようやく二つに纏め上げた項式をいよいよ一つに結び合せようとする段になって、どうしてもそれが不可能であるのを発見してしまった。
「畜生」
思わず渡瀬は鉛筆を紙の上にたたきつけてこう叫んだ。
「渡瀬さん、私はもう行きます」
その瞬間にこう鋭くいい放された新井田氏の声を聞いて、渡瀬はまたもや現実の世界に引き戻された。もうそこいらには新井田氏の癇癪の気分がいっぱいに漂っていた。渡瀬は思わず突っ立った。
「どうも私はこういうことは困りますな。なるほど研究には違いなかろうけれども、私のは機械がともかくできてさえくれればそれでいいんです。君のなさるようなことを、ここでこうしてぼんやり眺めていたところが、何んの薬にもなりませんから、私はごめん蒙ります。すっかり冷えこんでしまいましたお蔭で……」
「ははん、先生、腹立ちまぎれに明日から俺を抛りだそうと考えているな。こりゃこうしちゃいられないぞ」……渡瀬の頭に咄嗟に浮んだのはこれだった。しかし彼は驚きはしなかった。彼にはこの危地から自分を救いだす方策はすぐにでき上っていた。彼は得意先を丸めこもうとする呉服屋のような意気で、ぴょこぴょこと頭を下げた。そのくせその言葉はずうずうしいまでに磊落だった。
「やあすみませんまったく。こちらに来るまでに計算はこのとおりやっておいて、結果が出るばかりになっていたのだから、すぐできるとたかをくくっていたんですが、……これで計算という奴は曲者ですからなあ。今日はそれじゃ僕は失敬して家でうんと考えてみます。作るくらいならあんまり不器用な……」
「そりゃそうですとも、作る以上は完全なものにしたいのは私も同じことじゃありますが、計算までここでやってるんじゃ、私は手持無沙汰で、まどろっこしくって困りますよ」
計算だって研究の一つだい。道具を家で研ぎすましておいて仕事場に来る大工があってたまるものか。いい加減な眼腐れ金をくれているのにつけあがって、我儘もほどほどにしろ。渡瀬は腹の中でこう思いながらも、顔つきにはその気配も見せなかった。
「じつは僕もこの仕事は早く片をつけたいんです。学校のラボラトリーでやっている実験ですが、五升芋(馬鈴薯の地方名)から立派なウ※(小書き片仮名ヰ)スキーの採れる方法に成功しそうになっているんです。これがうまくゆきさえすれば、それもひとつ見ていただきたいと思っているもんだから……」
新らしがりと、好奇心と、慾との三調子で生きているような新井田氏にこれが訴えていかないはずがない。渡瀬は新井田氏の顔が、今までの冷やかにも倨傲な表情から、少し取り入るような――しかもその急激な変化に自分自身多少のうしろめたさを示さないではない――それに変っていくのを見てしすましたりと思った。
「それもまあそれでしょうがね。それにつけてもこっちの方を片づけていただかないじゃあね」
渋い顔には相違なかったが、それは喉の奥から手の出そうな渋い顔だった。発声蓄音機の方は成功したところが、そう需用のたくさんありそうなものではない。日本酒が高価になるばかりな時節に、ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーは当るに違いない。これは新井田氏がすぐ気のつきそうなことだ。ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーという新時代のものらしい名前そのものも、新井田氏には十分の誘惑になっているはずだ。
渡瀬は計算用の原稿紙を一まとめにして懐ろにしまいこみながら、馬鈴薯から安価な焼酎と、そのころ恐ろしく高価なウ※(小書き片仮名ヰ)スキーとが造りだされる化学上の手続を素人わかりがするように話して聞かせた。新井田氏の顔はだんだん和らいできた。投機者には通有らしい、めまぐるしく動く大きな眼――それはもう一歩というところで詐欺師のそれと一致するものだが――の眼尻に、この人に意外な愛嬌を添える小皺ができはじめた。それは自分の意見に他人を牽き寄せようとする時には、いつでも自然に現われてくるのだった。人相見にでもいわせたら、これはこの人が天から授かった徳相だとでもいうのだろう。
研究室はまったく寒い部屋だった。渡瀬は計算に夢中でいる間は少しも気がつかなかったが、これでは新井田氏が不平をこぼしたのもむりがないと思った。火鉢一つでは、こんな天井の高い家ではもう凌げる時節ではない。それに宵もだいぶふけたらしかった。おまけに酒の酔いもさめぎわになっていた。
玄関に来て帰りの挨拶をしかけると、新井田氏がきゅうに思いついたように、ちょっと待ってくれといってそそくさと奥にはいっていった。渡瀬はやむを得ずそこに突立って自分の下駄と新井田氏が脱ぎ捨てた履物とを較べなどしていた。その時頭のすぐ上で突然音がした。ちょっと驚いて見上げてみると玄関のつきあたりの少しすすけた白壁に、金縁の大きな丸時計がかかっていて、その金色の針がちょうど九時を指していた。玄関に時計をおくとは変な贅沢をしたもんだなあと思いながら、渡瀬はまじまじと大ぎょうな金色に輝くその懸時計を見守って値ぶみをしていた。
間もなく新井田氏が奥さんにつきまとわれるようにして出てきた。渡瀬が夕食の馳走になった部屋のドアが開けぱなしにしてあるので、生暖かい空気とともに、今まで女がいたらしいなまめかしい匂いが、遠慮なく寒い玄関の空気の中に漂いでてきた。
「どうもお待たせしてすみませんでした」
新井田氏の口調は、第三者の前でいつでも新井田氏が渡瀬に対してみせるあの尊大で同時に慇懃な調子になっていた。
「今月の何んです、今月のお礼ですが、都合がいいから今夜お渡ししておきます。で、と、明日はおいでのない日でしたな。ところが明後日は私ちょっとはずせない用があるんですが、どうでしょう明日に繰り上げていただいちゃ、おさしさわりになりますか」
「ははん、活動写真は明日から廃業だな。先生ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーで夢中になっているな。子供だなあ」
月末にはまだ三日もある今夜報酬をくれるというのもそれで読めた。ところで俺の方からいうと、報酬を貰った以上、今月はもう来ないというのは予定の行動だ。
「ええ差支えありません。来ますとも」
「どうぞいらしってちょうだいね」
奥さんが……主人の加勢をするように主人には聞こえ、渡瀬を誘惑するように渡瀬には聞こえるそんな調子で。
「何しろ新井田は果報者だて」
渡瀬は往来に出て、寒い空気に触れるにつけて、暖かそうな奥さんの笑顔と肉体とを実感的に想像して、こう心の中で呟いた。けれども同時に、彼の懐ろの内も暖いのを彼は拒むことができなかった。あれだけをおっかあに渡して、あれだけを卯三公にやって、あれだけであの本を買って……と、残るぞ。二晩は遊べるな。……と、待てよ。きゅうにさっきまで考えつめていた計算のことが頭に浮んだ。ふむ……待てよ。渡瀬はたちまちすべてを忘れてしまった。数字の連なりが眼の前で躍りはじめた。渡瀬はしたり顔に一度首をかしげると、堅く腕を胸高に組合せて霜の花でもちらちら飛び交わしているかと冴えた寒空の下を、深く考えこみながら、南に向いてこつりこつりと歩いていった。
* * *
ガンベが「園にそうたびたびねだるのだけはやめろ、よ。あんなお坊ちゃんをいじめるのは貴様可哀そうじゃねえか。貴様ああんまりけちだぞそれじゃ。俺なんざあこれで一度だって園にせびったことはないんだ。それに、まさかという時の用意に一人くらいとっときを作っておかないとうそだぞ貴様、はははは」といって笑ったことがあった。人見は隣りの園の部屋に行こうかと思って座を立ちかけた瞬間にこれを思いだした。しかし今の場合、園の所に行って話を持ちかけるほかに道がないのだ。
人見は痩せてひょろ長い体を机の前に立ちあがらせると、気持の悪い生欠伸をした。彼は自体、園にこんなことをたびたび頼むのは、自分の見識からいっても、いかがなものだとは知っていたんだが、まず何んといっても一番無事に話のつきそうなのは、園のほかにはないのだからしかたがない。取りあってくれない奴だの、ばかにして話に乗らない奴だの、自分の金の不足になったことだけを知っていて、油を搾ろうとする奴だのにかかってはまったく面倒だ……それとももう一度婆やを泣かせようかとも思ったが、はした金にありつくのに、婆やの長たらしい泣き言を辛抱して聞いているのはやりきれない。やはり園が一番いい。すべての点において抵抗力が最も少ない。よかろう……人見は自分の部屋を出て、隣りの部屋のドアに手をかけた。また生欠伸が出た。
「園君いる?」
「ああ、はいりたまえ」
すぐこういう返事が小さく響いたが、机に向いたままでいっているらしく、声がゆがんで聞こえてきた。勉強をしているなとおもいながら、人見はそっと戸を開いた。
きちんと整頓した広い部屋の一隅に小さな机があって、ホヤの綺麗に掃除された置ラムプの光の下で、園ははたして落ち着いて書見していた。戸外では雨も雪もまじえない風がもの凄く吹きすさんでいたが、この部屋はしんみりとなごいていた。人見は音のしないように戸をたてると、静かに机の方によっていった。やがて園ははじめて顔を挙げて人見を見かえった。光に背いて暗らくはあったけれどもその顔には格別不快らしい色は見えないようにみえた。そして「ひどい風になったねえ」といいながら、静かに座を立って、座蒲団の上に敷きそえていた、毛布の畳んだのを火鉢の向うにおきなおした。人見はちょっと遠慮するような恰好でそれに坐った、それは園の体温でちょうどよく暖たまっていた。
綺麗に掃除されたラムプの油壷は瑠璃色のガラスで、その下には乳色のガラスの台がついていた。ありきたりの品物だけれども、大事に取り扱われているためか、その瑠璃色の部分が透明で、美しい光沢を持っていた。骨を入れて蝙蝠傘のような形に作った白紙の笠、これとてもありきたりのものだが、何んとなく清々しくって、注意してみると、一カ所、針の先でいくつとなく孔を明けた所があった。園が何か深く考えこみながら、無意識にその辺にあった縫針でいたずらをしたものに違いない。あの子供のように澄んだ眼でじっとラムプを見つめながら、ぷつりぷつりと乾いた西洋紙に孔を明けている園の様子が見えるようだった。
「何を勉強しているの」
園に対してはどうもひとりでに人見は声を柔らげなければならなかった。
「僕には少し方面ちがいのものだけれども、星野君が家に帰る時、読んでみろっておいていったものだから」と答えながら園は書物を裏返して表紙を人見に見せた。濃い藍の表紙に、金文字でたんに“Mutual Aid”とだけ書いてあった。
「倫理学の問題でも取りあつかったものかい」
「著者は Prince P. Kropotkin という人で……」
「何、クロポトキン……それじゃ君、それは露西亜の有名な無政府主義者だ」
人見は星野や西山たちが議論する座に加わって、この人の名はたびたび耳に入れたのだが、自分は学校で「農政および農業経済科」を選んでいるくせに、その人にどんな著書があるかをさえ調べてみたことはなかったのだ。
「そうだってね。僕にはその無政府主義のことはよく分らないけれども、この本の序文で見るとダーウ※(小書き片仮名ヰ)ン派の生物学者が極力主張する生存競争のほかに、動物界にはこの mutual aid ……何んと訳すんだろう、とにかくこの現象があって、それはダーウ※(小書き片仮名ヰ)ンもいっているのだそうだ。……そうだ、いってはいるね。『種の起源』にも『旅行記』にも僕は書いてあったと思うが……。それがこの本の第一編にはかなり綿密に書いてあるようだよ」
「科学的にも価値がありそうかい」
「ずいぶんダータはよく集めてあるよ」
そういいながら園はそこにあった葉書をしおりにはさんで書物を伏せた。柿江――彼は驚くべき多読者だが――などが書物を読んでいるのを見ても、そうは思わないが、園の前に書物があるのを見ると、人見はある圧迫を感じないわけにはいかなかった。園はあの落ち着いた態度で書物の言葉の重さを一つずつ計りながら、そこに蓄えられている滋養分を綺麗に吸い取ってしまいそうに見えた。そして読み終えられた書物には少しの油気も残ってはいまいと思わされた。実際園が書物に見入っているところを傍から見ていると、一刻一刻園が成長してゆくのが見えるようで、人見はおいてきぼりを喰いそうで、不安になるくらいだった。といって彼の書見に反対を称える理由はさらにないのだ。
話題が途切れると、園は静かな口調で、今まで読んだところを人見に話し始めたが、人見にとっては初耳で珍らしい事実が次から次へと語りだされるのだった。そして園は著者の提供した議論に対しても相当に見識があると思われる批評を下すのを忘れなかった。生娘のように単純らしく思われる園の頭がよくこれだけのことを吸収しうるものだ。つまりあいつの頭は学者という特別な仕事に向くようにできているんだと人見は(自分の持っている実際的の働きにある自信を加えて)思った。したがって園の話すところは、珍らしく、驚くべき事実であるには相違ないけれども、人見にとっては直接何んの関係もないことだった。そんなことを覚えていたところが、それは彼にとっては鶏肋のようなもので、捨てるにもあたらないけれども、しまいこんでおくにはどこにおくにも始末の悪い代物だった。結局その場のばつを合わせるために、そうかといって聞いておけば、それですむような事柄なのだ。で、人見は聞きながらもだんだん興味からは遠ざかっていった。それよりも機を見計らってこっちから切りだそうとする問題が、ややともすると彼の頭をよけい支配した。
人見の顔からは興味の薄らいでゆくのを見て取ってか、園はやがて話を途中で切って黙ってしまった。それがしかし人見を軽蔑しての上のことでないのはその顔色にもよく窺われるし、かえって自分で出すぎたことをいって退けたと反省して遠慮するらしい様子が見えた。
この辺でこっちが今度は切りだす番だ。ちょうどいい潮時だと人見は思ったが、園に向っていると変にぎごちない気分が先き立った。彼は自分を促したてるように、明日に迫る月末の苦しさを一度に思い起してみた。それと同時に、何度も園からせびり取りながら、そして一時的な融通を頼むようなことをいつでもいいながら、一度も返済したことのない後ろめたさが思い起されるのだった。今度借りたら、今度こそは一度でも綺麗に返金しておかないとまずいことになる。そうしよう。そうして借りようととうとう人見は腹をきめた。
人見は星野の真似をして襟首に巻いていた古ぼけたハンケチに手をやって結びなおしながら上眼で園を見やった。
「時に園君どうだろう。君の所に少しでもよぶんの金はないだろうか。(おっかぶせるように)じつは君にはたびたび迷惑をかけているのですまないんだが、またすっかり行きつまっちゃったもんだから……西山か星野でもいるとどうにかさせるんだが(こりゃ少しうそがすぎたかなと思ったが園がその言葉には無関心らしく見えるのですぐ追っかけて)ちょうどいないもんだから切羽つまったのさ。本屋の払いが嵩みすぎて……もう三月ほど支払を滞らしているから今度は払っておいてやらないとあとがきかなくなるんだ。……そうだねえ五円もあれば(五円といえば一カ月の食費だが少し大きくいいすぎたかしらんと思って人見はまた園の様子を窺った)……何、それだけがむずかしければ内輪になってもかまわないんだが……」
園は人見の眼に射られると、かえって自分で恥じるように視線をそらして、火鉢の火のあたりを見やったが、じっとそれを見やってしばらく考えているらしく、返事をしなかった。
人見は園が格別裕福な書生であるとは思われなかった。が、少なくとも白官舎にまがりこまねばならぬほどの書生ではなく、ここに来たのは星野がいっしょにいようと勧めたからのことであるのを知っていた。それにしても、足りないながらも国許から毎月自分に送ってくる学資をよそに消費しておいて――消費するというと大きく聞こえるが、ほんの少しばかりをおたけとクレオパトラのために消費するだけなのだ――不足を園にぶちかけるのは少し虫がよすぎるようだ。しかしこの場合金がいることだけはたしかなのだ。園が何んと返事をするかと人見はそれに興味をさえかけた。
「だいぶ切迫して必要なの」
とややしばらくして園がはじめて顔を上げて静かに人見を見た。これはまた園があまり真剣に考えすぎたなと思うと、人見には即座に返事をするのが躊躇された。その時ふっと考えついた思案をすぐ実行に移した。彼は懐中を探って蟇口を取りだした。そしてその中からありったけの一円五十銭だけ、大小の銀貨を取りまぜて掴みだした。
「もっともこれだけはあるんだが、これは何んの足しにもならないが、僕の君に対する借金の返済の一部とするつもりで取っておいたんだ。ところが昨日本屋の奴が来やがって、いやに催促がましいことをいうもんだから、ひとまず君にはすまないが――そっちを綺麗にして鼻をあかしてやれという気になったのさ。で、これをまず君の方に納めて、あらためて五円にして貸してくれるわけにはいくまいかな」
「いいとも」
園はその長口上を少しまどろこしそうに聞いているらしかったが、人見の言葉が終るとすぐにこういって、机の方に向きなおった。園は例のとおり、ポッケットの中から、机の抽出しから、手帳の間から、札びらや銀貨を取りだした。あの几帳面に見える園には不思議な現象だと人見の思うのはこのことだけだった。あれで園はいつどこにいくら入れたということをちゃんと諳記しているのかもしれないとも思った。園は取りだした金を机の上で下手糞に勘定していたが、やがてちょうど五円だけにしてそれを人見の前においた。そして自分の方が金を借りでもしたかのように、男には珍らしい滑らかな頬の皮膚をやや紅くした。
「どうもすまないよ。どうもありがとう」
人見は思わずせきこんでこういったが、何か自分の言葉が下品に響いたようだった。
戸外では寒いからっ風が勢いこんで吹きすさんでいるらしく、建てつけの悪るい障子が磨りへらされた溝ときしり合って、けたたましい音を立てていた。この時始めてそれに気がつくと、人見は話の糸目を探りあてたように思って、落着きを見せて畳の上の金を蟇口にしまいこみながら、
「こりゃいよいよ冬が来るんだよ。また今年も天長節には大雪だろうね。星野はどうしているかしらん」
と園の心を占めているらしくみえる名前の方に漕ぎ寄せていった。
「星野君からは昨日手紙を貰ったっけ。すっかり冬が来るまでは千歳にいるのだそうだ。別に健康が悪いというのでもなさそうだが、気候の変り目はあの病気にやはりよくないのだろうね」
そういって園は静かに人見を見上げたが、その眼は人見を見ているというよりも、遠い千歳の方を見すかしているように見えた。人見は人見で、今蟇口をしまいこんだポッケットの中に、おたけから来た手紙が二つに折ってしまいこまれてあるのを意識していた。彼はそれを撫でてみた。園に対して感じるとはまったく違った暖かい、ふくよかな感じが、みるみる胸いっぱいに漲ってきた。
「君はこのごろはどうなの」
園がしばらくしてからこういった。園の眼は今度はまさしく人見を見やっていた。人見は不意を衝かれたように思って、ちょっと尻ごみをしていたが、慌て気味に手が襟巻のところに行ったと思うと、今まで少しも出なかった咳が軽く喉許を擽るのを覚えた。しかし人見はわざとその咳を呑みこんでしまった。
「なあに、僕のはたいしたことはないんだよ」
まったく医者が見てくれるたびごと、たいしたことはないというのだが、それが何か物足らないのだけれども、この場合やはり医者がいうようにいうのが恰好だと人見は思ったのだ。そして園という男は変にストイックじみた奴だなと思った。
* * *
紺の上っぱりを着て、古ぼけた手拭で姉さんかぶりをした母が、後ろ向きに店の隅に立って、素麺箱の中をせせりながら、
「またこの寒いにお前どこかに出けるのけえ」
というのを聞き流しにして清逸は家を出た。
夕方だった。道を隔てて眼の前にふさがるように切り立った高い崕の上に、やや黄味を帯びた青空が寒々と冴えて、ガラス板を張りつめたように平らに広がっていた。家の中にいても火種の足りない火鉢にしがみついて、しきりに盗風の忍びこむのに震えていなければならぬ清逸にとっては、屋外の寒さもそう気にならなかったが、とにかく冬が紙一重に逼ってきた山間の空気は針を刺すように身にこたえた。彼は首をすくめ、懐ろ手をしながら、落葉や朽葉とともにぬかるみになった粘土質の県道を、難渋し抜いて孵化場の方へと川沿いを溯っていった。
風は死んだようにおさまっている。それだのに枝頭を離れて地に落ちる木の葉の音は繁かった。かさこそと雑木の葉が、ばさりと朴の木の広葉が、……朴の木の葉は雪のように白く曝らされていた。
自分の家からやや一町も離れた所まで来ると、清逸は川べりの方に自分で踏みならした細道を見出して、その方へと下りていった。赤に、黄に、紫に、からからに乾いて蝕まれた野葡萄の葉と、枯蓬とが虫の音も絶えはてた地面の上に干からびて縦横に折り重なっていた。常住湿り気の乾ききらないような黒土と混って、大小の丸石が歩む人の足を妨げるようにおびただしく転がっていた。その高低を体の中心を取りながら辿っていくと、水嵩の減った千歳川が、四間ほどの幅を眼まぐるしく流れていた。清逸はいつもの所に行って落葉をかきのけた。一夜の間に落ちる木の葉の数はそれほどおびただしかった。袂の中から紙屑をつぎつぎに取りだしてそれをそこの穴に捨てた。夕方のかすかな光の中に青白い印象を清逸の眼に残して、その紙屑は一つ一つ地に落ちた。喀痰の中に新鮮な血の交ったのがいくつも出てくるのを見ると、知らず知らず溜息が出た。古い紙屑の上に新しい紙屑がぼろぼろと白く重なっていった。清逸はやがて大儀そうにその上をまた落葉で掩うて立ち上った。そして何んということもなくそこに佇んで川面を眺めやった。半年という長い眠りにはいりこもうとするような自然は、それを眺める人の心を、寒く閉ざしていく静かさをもって、静かに最後の呼吸をしているようだった。枝を離れた一枚の木の葉が、流れに漂う小舟のように、その重く澱んだ空気の中を落ちもせず、ひらひらと辷っていくのを見た。清逸はふとそれに気を取られて、どこまでもその静かに動いていく行く手を見とどけようとした。たくさんな落葉の中でその木の葉だけは、動くともなく岸から遠ざかっていったが、およそ十間近くも下流の方に下って、一つの瀬に近づいたとおもうころ、その瀬によって惹き起される空気の動揺に捲きこまれたのだろうか、たちまち慌だしく動き始め、もんどりを打って、横さまに二三度閃いたと思うと、みるみる水の方へと吸いこまれて見えなくなった。そこまで見とどけると清逸は胸の奥に何かなしに淋しいほほ笑みを感じた。そしてまた溜息が出た。
どこもここも住み憂い所のようにこのごろ清逸は感ずるのだった。札幌にいて、入らざる費用をかけていながら学校に出ないのはばからしいし、学校に出るのもばからしかった。彼が専門に研究している農政の講義などは、一日引籠って読書すれば、半月分の講義の材料ができるほど稀薄なものだった。自然科学の研究なども、プレパラートと見取り図とを作ることに彼は不器用だったが、それさえ除けば、あまり分りきった事実の排列にすぎなかった。応用農学は学というべきものではなかった。百姓のしていることに秩序を立てて、それに章節を加えたまでのものと思われた。語学だの数学だのという基礎学は、癇癪にさわるほど同級の者たちが呑込みがおそいのでただもどかしさをそそられるばかりだった。それゆえ彼は第一学期の試験が来るまで、じっと自分の家にいて養生をしながら過ごそうと思いついたのだ。しかしながらここも住みよい所ではなかった。あの父、あの母、あの弟。父は暇さえあれば母をつかまえて小言と自慢話ばかりしているし、弟は誰の神経でもいらだたせずにはおかないような鈍いしぶとさを臆面もなくはだけて、一日三界人々の侮蔑と嘆きとの種になっている。そしてその上に、健康を著しく損じて、自分でさえかなり我儘で気むずかしくなったと思うような清逸自身が加わるのだ。自分の家に帰ると、清逸は一人の高慢な無用の長物にすぎないのだ。しかもそれは恐ろしい伝染性の血を吐く危険な厄介物でもあるのだ。朋友の間には畏敬をもって迎えられる清逸だけれども、自分の家では掃除一つしようともしない怠け者になってしまうのだ。彼の帰ったのは彼の家にどれだけの不愉快な動揺を与える結果になったか。そのために父の酒はまずくなる。母と弟とはいい争いをする。これまでとにもかくにも澱んだなりで静かだった家の内が、きゅうにいらいらした気分でかき乱されはじめた。清逸はその不愉快な気持を舌の上に乗せているように思った。彼の口は自然に唾を吐いて捨てたいような衝動を感じた。
といって彼は即刻東京に出かけてゆく手段を持ってはいないのだ。神経衰弱の養生のために、家族を挙げて亜米利加に行っている戸田教授でもいたら、相談に乗ってくれるかもしれない。新井田氏でも、三隅のおばさんでも頼んでみたら、考えてくれないこともないかもしれないが、清逸としてはかりにもそんな所に頼むのはいやだった。それにつけて、清逸はその瞬間ふと農学校の一人の先輩の出世談なるものを思いだした。品川弥二郎が農商務大臣をしていたころ、その人は省の門の側に立って大臣の退出を待っていた。大臣が勢いよく馬車に乗って出てくるのを見ると、すぐ駈けだしていって、否応なしにその馬車に飛び乗った。そして馬車が官舎に着くまで滔々と意見を披露して大臣に口をきく暇をさえ与えなかった。官舎に着くと大臣に先立って官舎に駈けこんで、自分がその家の主人ででもあるように大臣を迎えた。そして自分の意見の続きをしゃべりこくった。大臣もとうとう根気負けがして、注意深くその人のいうことを傾聴するようになったが、その結果としてその人は欧米への視察旅行を命ぜられ、帰朝すると、すぐいわゆる要路の位置についたというのだ。清逸はそれを聞いた時、木下藤吉郎の出世談と甲乙のないほど卑劣不愉快なものだと思った。実力がないのではない、実力があればこそ、そんな突飛な冒険にも成功したのだ。けれども藤吉郎もその人も、自分の実力を認めさせないで、認められようとした。それが悪いことだとはいわれない。結局認めさせるのも、認められるのも同じようなことだ。それにもかかわらず、清逸にはそれがとても我慢のできない悪い趣味だとより思えなかった。この気持は三隅にも新井田氏にも彼自身を訴えてみる企てをどこまでも否定させた。渡瀬にでもさせておけば似合わしいことかもしれないと清逸は思った。清逸は、どんどん夜になっていこうとする河の面をじっと見つめ続けながら考えた。
「俺は世話を焼くのも嫌いだ。世話を焼かれるのも嫌いだ。……俺はエゴイストに違いない。ところが俺のエゴイズムは、俺の頭が少し優れているというところから来ていると誰もが考えそうなことだが、そんな浅薄なものではないんだ。たとえ頭は少しは優れていようとも、俺は貧乏でしかも死病に取りつかれているんだから、喜んで世話を焼いてもらう資格は十分にあるんだ。それにもかかわらず、俺は世話を焼かれるのはいやだ。……俺はもっと自然に近くありたいのだ。自然は俺をこんなに生みつけた、こんなに病気にした。しかもそれは自然の知ったことじゃないんだ。自然というものは心憎い姿を持っている」
清逸はどんどん流れてゆく河の水を見つめながらこんなことを考えた。そしてそのとたん、気がついたように眼をあげてあたりを眺めまわした。実際清逸に見やられる自然は、清逸とは何んのかかわりもないもののように、ただ忙がしく夜につながろうとしていた。河は思い存分に流れていた。空は思い存分に暗くなりまさっていた。木の葉は思い存分に散っていた。枯枝は思い存分に強直していた。その間には何らの連絡もないもののように。清逸は深い淋しさを感じた。同時に強いいさぎよさを感じた。長く立ちつづけていた彼の足は少ししびれて、感覚を失うほど冷えこんでいた。それに反してその頭は勇ましい興奮をもって熱していた。
昂奮が崇ったのか、寒い夜気がこたえたのか、帰途につこうとしていた清逸はいきなり激しい咳に襲われだした。喀血の習慣を得てから咳は彼には大禁物だった。死の脅しがすぐ彼には感ぜられた。彼はほとんど衝動的にその場にうずくまって、胸をかがめて、膝頭に押しつけるようにして、なるべく軽く咳をせこうと勉めたが、胸の中から破裂するようにつきあげてくる力には容易に勝てないで、二三十度も続けさまに重い気息をはげしく吐きださねばならなかった。一度血管が破れたら、そこからどれほどの血が流れでるか、それは誰も知ることができない。もし四合五合という血が出たら、それで命は彼からやすやすと離れていくのだ。清逸は喀血のたびごとにそれをもの凄く感ぜねばならなかった。
「兄さんでねえか」
道の方から木叢ごしにこう呼びかける弟の声がした。清逸は面倒なところで嗅ぎつけられたと思って、もちろん答えることもできなかったが、答えようともしなかった。
やがて咳をしるべに純次が小道を下りてきた。孵化場から今帰りがけのところとみえて、彼が近づくと生臭い香いがあたりに香った。ぼんやりした黒い影が清逸の後ろに突っ立った。
「今ごろ何んだってこんな所に来るだ。病気が悪るくなるにきまってるに。兄さんはまるで自分の病気を考えねえからだめだよ。皆んな迷惑するだ」
いかにも突慳貪にその声はほざかれた。
「背中をさすってくれ」
清逸はきれぎれな気息の中からそういった。ごつごつした手がぶきっちょうに清逸の背中を上下に動いた。清逸はその手の下でしばらくの間咳きつづけた。
咳がやんでも純次はやはりさすり続けていた。清逸は喀痰を紙に受けていくらかの明るみにすかしてみた。黒い色に見えて血がかなり多量に吐きだされていた。彼は咄嗟にそれを丸めて水中に投げようとしたが、思いかえして自分の下駄の下に踏みにじった。この川下に住む人たちは河の水をそのまま飲料に用いているからだ。
純次はまだ懸命に兄の背中をさすり続けていた。清逸は一種の親しみを純次に感じて、
「もうよくなった。さあ帰ろう。お前は仕事が終えるとずいぶん疲れるだろうな」
といってやった。
「あたりまえよ」
純次の答えはこうだった。そして河岸まで行って、清逸の背中を撫でていた両手をごしごしと洗った。清逸は同情なしにではなく、じっと淋しくそれを見やった。
弟が泥靴のままでぬかるみの中をかまわず歩いてゆく間に、清逸は下駄をいたわりながら、遅れがちに続いた。たそがれというべき暗らさになって、行く手には清逸の家の灯だけが、枯れた木叢の間にたった一つ見やられた。純次は時々立ち停っては、もどかしそうに兄の方を顧みた。先に帰れと清逸がいってもそうはしなかった。
「兄さん、お前はまた札幌に帰るのか」
とある所で純次は兄を待ちながら突然にいった。清逸はそうだと答えた。
「死んでしまうぞ。帰らねえがいい」
それがいつか、母に向って、「肺病はうつるもんだよ」といった弟の言葉だった。純次はどうせ辻褄の合わないことをいう低能者ではあった。しかし今の言葉に清逸は、低能でない何人からも求められない純粋な親切を感ぜずにはいられなかった。
純次は兄の近づくのを待ってまたこういった。
「お前は偉くなろうとそんなことばかり思っているから肺病に取りつかれるんだ。田舎にいろよ、じきなおるに」
「そうだなあ、俺もこのごろは時々そう思う。おせいにも可哀そうだしな」
「そんだとも、皆んな可哀そうだな。姉さん泣いてべえさ」
清逸は不思議にも黙って考えこみたいような気分になった。そしてすべての人から軽蔑されているだらしない純次の姿が、何となくなつかしいものに眺めやられた。その上彼の偶然な言葉には一つ一つ逆説的な誠があると思った。純次はどことなく締りのない風をして、無性に長い足をよじれるように運ばせながら、両手を外套の衣嚢に突っこんだまま、おぼつかなく清逸の眼の前を歩いていった。人生というものが暗く清逸の眼に映った。
その夜清逸は純次の部屋でおそくまで働いた。純次の机の上からつまらぬ雑誌類やくだらぬ玩具じみたものを払いのけて、原稿用紙に向った。純次はそのすぐそばで前後も知らず寝入っていた。丹前を着て、その上に毛布を被ってもなお滲み透ってくるような寒さを冒して、清逸は「折焚く柴の記と新井白石」という論文をし上げようとした。物に熱中した時の徴候のように、不思議にも咳は出てこなかった。たまさかに木の葉の落ちる音と、遠い川音とのほかには、純次の鼾がいぎたなく聞こえるばかりだった。清逸は時おりぺンを措いて、手を火鉢にかざさねばならなかった。そのたびごとに弟の寝顔をふりかえってみた。仰向けに寝て(清逸には仰向けに寝るということがどうしてもできなかった。仰向けに寝る奴は鈍物だときめていた)放図なく口を開いて、鼻と口との奥にさわるものでもあるらしい、苦しそうな呼吸を大きくしていた。うす眼を開いているのだが、その瞳は上瞼に隠れそうにつり上っていた。helpless という感じが、そのしぶとそうな顔の奥に積み重なっているように見えた。
清逸は手のあたたまる間、それを熟視して、また原稿紙に向った。清逸は白石は徳川時代における傑出した哲学者であり、また人間であると思った。儒学最盛期の荻生徂徠が濫りに外来の思想を生嚼りして、それを自己という人間にまで還元することなく、思いあがった態度で吹聴しているのに比べると、白石の思想は一見平凡にも単調にも思えるけれども、自分の面目と生活とから生れでていないものは一つもなく、しかもその範囲においては、すべての人がかりそめに考えるような平凡な思想家ではけっしてなかったということを証明したかったのだ。徂徠が野にいたのも、白石が官儒として立ったのも、たんなる表面観察では誤りに陥りやすいことを論定したかった。この事業は清逸にとってはたんなる遊戯ではなかった。彼はこの論文において彼自身を主張しようとするのだ。これは西山、および西山一派の青年に対する挑戦のようなものだった。
白石文集、ことに「折焚く柴の記」からの綿密な書きぬきを対照しながら、清逸はほとんど寒さも忘れはてて筆を走らせた。彼はあらゆる熱情を胸の奥深く葬ってしまって、氷のように冷かな正確な論理によって、自分の主張を事実によって裏書きしようとした。ややもすれば筆の先に迸りでようとする感激を、しいて呑みくだすように押えつけた。彼のペンは容易にはかどらなかった。
アイヌと、熊と、樺戸監獄の脱獄囚との隠れ家だとされているこの千歳の山の中から、一個の榴弾を中央の学界に送るのだ。そしてそれは同時に清逸自身の存在を明瞭にし、それが縁になって、東京に遊学すべき手蔓を見出されないとも限らない。清逸は少し疲れてきた頭を休めて、手を火鉢に暖ためながらこう思った。そして何事も知らぬげに眠っている純次の寝顔を、つくづくと見守った。それとともに小樽にいる妹のことを考えた。三人のきょうだいの間にはさまったおびただしい距離……人生の多様を今更ながら恐ろしく思いやってみねばならぬ距離……。けれども彼はすぐその心持を女々しいものとして鞭った。とにかく彼は彼の道を何物にも妨げられることなく突き進まねばならない。小さな顧慮や思いやりが結局何になる。木の葉がたった一つ重い空気の中を群から離れて漂っていく。そうだ自然のように、あの大自然のように。清逸は冷然として弟の顔から眼を原稿紙の方に振り向けた。そこには余白が彼の頭の支配を待つもののように横たわっていた。彼はいずまいを正して、掩いかぶさるようにその上にのしかかった。そして彼は書いて書いて書き続けた。
ふとラムプの光が薄暗くなった。見ると、小さな油壷の中の石油はまったく尽きはてて、灯は芯だけが含んでいる油で、盛んな油煙を吐きだしながら、真黄色になってともっていた。芯の先には大きな丁子ができて、もぐさのように燃えていた。気がついてみると、小さな部屋の中はむせるような瓦斯でいっぱいになっていた。それに気がつくと清逸はきゅうに咳を喉許に感じて、思わず鼻先で手をふりながら座を立ち上った。
純次は何事も知らぬげに寝つづけていた。
石油を母屋まで取りに行くにはいろいろの点で不都合だった。第一清逸は咳が襲ってきそうなのを恐れた。しかも今、清逸の頭の中には表現すべきものが群がり集まって、はけ口を求めながら眼まぐるしく渦を巻いているのだ。この機会を逸したならば、その思想のあるものは永遠に彼には帰ってこないかもしれないのだ。清逸は慌てて机の前に坐ってみたが、灯の寿命はもう五分とは保つように見えなかった。芯をねじり上げてみた。と、光のない真黄色な灯がきゅうに大きくなって、ホヤの内部を真黒にくすべながら、物の怪のように燃え立った。
もうだめだ。清逸は思いきって芯を下げてからホヤの口に気息をふきこんだ。ぶすぶすと臭い香いを立てて燃える丁子の紅い火だけを残して灯は消えてしまった。煙ったい暗黒の中に丁子だけがかっちりと燃え残っていた。絶望した清逸は憤りを胸に漲らしながら、それを睨みつけて坐りつづけていた。
「おい純次起きろ。起きるんだ、おい」
と清逸は弟の蒲団に手をかけてゆすぶった。しばらく何事も知らずにいた純次は気がつくといきなりがばと暗闇の中に跳び起きたらしかった。
「純次」
返事がない。
「おい純次。お前母屋まで行って、ラムプの油をさしてこい」
「ラムプをどうする?」
「このラムプに石油をさしてくるんだ。行ってこい」
清逸は我れ知らず威丈け高になって、そう厳命した。
「お前、行ってくればいいでねえか」
薄ぼんやりと、しかもしぶとい声で純次がこう答えた。清逸は夜気に触れると咳が出るし、石油のありかもよく知らないから、行ってきてくれと頼むべきだったのだ。しかしそんなことをいうのはまどろしかった。
「ばか、手前は兄のいうことを聞け」
弟は何んとも答えなかった。少しばかりの沈黙が続いた。と思うと純次はいきなり立ち上って、清逸の方に近づくが早いか、拳を固めて清逸の頭から顔にかけてところきらわず続けさまになぐりつけた。それは思わず清逸をたじろがすほどの意外な素早さだった。
「出ていけ、これは俺の部屋だい。出ていかねばたたき殺すぞ」
やがて牛のうめき声のような口惜し泣きが、立ったままの純次の口からおめきだされた。
清逸は体じゅうがしびれるのを覚えて、俯向いたまま黙っているほかはなかった。
「出ていかねえか」
純次は泣きじゃくりの中から、こう叫んでいらだちきったように激しく地だんだを踏んだ。次の瞬間には何をしだすか分らないような狂暴さが清逸に迫ってきた。
清逸はしんとした心の中で、孵化場あたりから来るらしい一番鶏の啼き声をかすかに聞いたように思った。部屋の中はしかし真暗闇だった。
純次は何か手ごろの得物をさぐっているのらしくごそごそと臥床のまわりを動きはじめていた。だんだん激しくなり増さるような泣きじゃくりの声だけがもの凄く部屋じゅうに響いていた。
「待て純次、俺は母屋に行くから待て」
清逸は不思議な恐怖に襲われ、不意の襲撃に対して用心をしながら座を立って二三歩入口の方に動かねばならなかった。しかしその瞬間に、しかけていた仕事のことを考えると、慌てて立った所から上体を机の方に延ばして、手に触れるにまかせて原稿紙をかき集めた。そしてそれを大事に小脇にかかえて、板壁によりそいながら入口へとさぐり寄った。
部屋の中では純次が狂暴に泣きわめいていた。清逸は誰のともしれない下駄を突っかけて、身を切るような明け方近い空気の中に立った。
その時清逸はまたある一種の笑いの衝動を感じた。しかし彼の顔は笑ってはいなかった。
* * *
隣りの間で往診の支度をしていた母が、
「ぬいさん」
と言葉をかけた。おぬいはユニオンの第四読本からすぐ眼を放して、母のいる方に少し顔を向け気味にして、
「はい」
と答えたが、母はしばらく言葉をつがなかった。
「今日は渡瀬さんがいらっしゃる日ね」
やがてそういった。おぬいは母が何か胸に持ちながらものをいっているのをすぐ察することができた。
「あなたはあの方をどう思ってだえ」
おぬいがそうだと答えると、母はまたややしばらくしてからいった。
おぬいは変なことを尋ねられるとおもった。そして渡瀬さんに対する自分の考えをいおうとしているうちに、母は支度をすまして茶の間にはいってきた。いつものとおり地味すぎるような被布を着て、こげ茶のショールと診察用の器具を包んだ小さい風呂敷包とを、折り曲げた左の肘のところに上抱きにしていた。いっさいの香料を用いないで、綺麗さっぱりとした身だしなみは母にふさわしいものだった。母はストーヴの火具合を見てから、親しみ深くおぬいのそばに来て坐った。そして遊んでいる右の手でおぬいの羽織の衣紋がぬけかけているのを引き上げながら、
「どう思うの」
ともう一度静かに尋ねた。
「快活なおもしろい方だと思いますわ」
とおぬいは平気で思ったとおりを答えた。
「あなたにあっては誰でもいい方になってしまうのね」
ほほえみながらそういって母はちょっと言葉を途切らしたが、
「私もほんとはあなたの思ってるとおりに思うのだけれども、世間ではそうはいっていないらしい。中にも教会の方などには聞き苦しいとおもうほどひどい評判をなさるのもあって、どうして星野さんが、あんな人を推薦なさったんでしょうと、星野さんまで疑うらしい口ぶりでした。私としてもあなたのようにあの方をいい方だとばかり極めるわけにはいかないと思うところもあるのだけれども、星野さんがおっしゃってくださるのだから私は信じていていいと思います。……けれども噂というものもあながちばかにはできないから、あなたもその辺は考えておつきあいなさいよ。遊廓なんぞにも平気でいらっしゃるという人もあるんだから……」
おぬいは遊廓という言葉を母の口から聞くと、身がすくみそうに恥じらわしくなって、顔の火照るのを覚えた。母はそれを見て少し違った意味に取ったらしい。
「そうね、私は星野さんや渡瀬さんを信ずるよりあなたを信じましょうね。渡瀬さんに用心するより、あなたが真直な心をさえ持っていれば少しもこわいことはありませんよ。どんなことがあっても人様を疑うのはよくないものね。正しい心がけで、そのほかは神様におまかせしておけば安心です。……ではこれから出かけてきますからね、渡瀬さんがいらしったらよろしく」
こういい残して母はかいがいしく、雪のちらちら降る中を病家へと出かけていった。
母を送りだして茶の間に帰ったおぬいは、ストーヴに薪を入れ添えて、火口のところにこぼれ落ちた灰を掃除しながら時計を見るともう三時になっていた。部屋の中は綺麗に片づいていて、客を迎えるのに少しの手落ちもなかった。自分の身なりをも調べてみて、ふたたび机の前に坐ろうとした時、ふと母のいい残した言葉が気になった。渡瀬さんの来る時には今までいつでもおりよく母がいたのに今日は留守になるので、それであれだけのことをいいおいたのかと思えた。そう思ってみると、その言葉の一つ一つにはかりそめに聞き流してはいられないものがあるようだった。そういえば渡瀬さんという人は、星野さんや園さん、そのほか農学校にいる書生さんたちとは少し違ったところがある。あの人の前に出るとはじめから自由な気持で何んでもいえそうだけれども。そして困ったことでもあった時、相談をしかけたら、すぐてきぱき始末をつけてくれそうだけれども、その先の先がどう変ってゆくのか、渡瀬さん自身でさえ無頓着でいるようにも見える。他人のことはすぐ見ぬいてしまって、しかもけっして急所を突くようなことはしない代りに、自分のことになると自由すぎるほどのんきなようにも見える。そうかと思うと、どんな些細なことでも自分を中心にしなければ取り合わないようなところもある。けれどもあの人は真から悪い人ではない、そして真から悪いという人が世の中には本当にあるものだろうか。……おぬいは読本に眼をやりながら、その一語をも読むことなしに、こんなことを考えた。渡瀬はがさつで下品でいけないと家に来られる書生さんたちはよくいうけれども……私にはついぞそうしたようなことは見当らない。……私はいったい、他の人たちとは生れつきがちがうのだろうか。少しぼんやりしすぎて生れてきたのではないだろうか。あまりに人々と自分との考え方はかけちがっている。……本当にかけちがっている。まだ何んにも知らないからなのだろう。……おぬいは非常に恥かしいところに突きあたったような気がした。そして知らず識らず体じゅうが熱くなった。
そんなことを思っていると、ふとおぬいは心の中に不思議な警戒を感じた。彼女は緋鹿の子の帯揚が胸のところにこぼれているのを見つけだすと、慌てたように帯の間にたくしこんで、胸をかたく合せた。藤紫の半襟が、なるべく隠れるように襟元をつめた。束髪にはリボン一つかけていないのを知って、やや安心しながら、後れ毛のないようにかき上げた。そして袖口をきちんと揃えて、坐りなおすと、はじめて心が落着くのを感じた。おぬいはしんみりと読本に向いて勉強をしはじめた。
ややしばらくしてから、格子戸が力強く引き開けられた。それは渡瀬さんに違いなかった。おぬいは別に慌てることもなく、すなおな気持で立ち上って迎いに出ようとしたが、部屋の出口の柱に、母とおぬいとの襷がかけてあるのを見ると、派手な色合いの自分の襷を素早くはずして袂の中にしまいこんだ。
「いつものとおり胡坐をかきますよ。敲き大工の息子ですから、几帳面に長く坐っていると立てなくなりますよ」
渡瀬さんはそういって、片眼をかがやかしながら、からからと笑って膝を崩した。からからといっても、渡瀬さんの笑いには声は出なかった。
「茶なんざあ、あとでいいですよ。さあやりましょう」
おぬいは渡瀬さんのいうとおりにして、その人と向合いに坐った。渡瀬さんの気息はいつものように酒くさかった。飲んだばかりの酒の匂いではなく、常習的な酒癖のために、体臭になったかと思われるような匂いだった。おぬいはそのすえたような匂いをかぐと、軽い嘔気さえ催すのだった。けれども、それだからといって渡瀬さんを卑しむ気にはなれなかった。父の時代から一滴の酒も入れない家庭に育ちながら、そして母も自分も禁酒会の会員でありながら、他人の飲酒をいちがいに卑しむ心持は起らなかった。これは自分の心持に忠実な態度だろうかとおぬいはよく考えてみるのだった。禁酒会員である以上は、自分の力の及ぶかぎり飲酒を諫めなければならないとも思った。その人が溺れている悪い習慣の結果を考えるなら、不愉快を忍んでも諫めだてをするのが当然だった。けれどもおぬいには心持としてそれがどうしてもできなかった。なぜだかおぬい自身には判らないけれどもどうしてもできなかった。自分が卑怯だからそうなのかと考えてもみたが、あながちそうでもない。面倒だからか。そうでもない。どういう心持なのだろう……おぬいはその解決を求めるように渡瀬さんの方を見た。酒焼けというのだろうか、きめの荒そうな皮膚が紫がかっていて、顔全体にむくみが来て、鋭い光を放ってかがやく眼だけれども、その白眼は見るも痛々しいほど充血していた。……酷たらしい、どうして渡瀬さんは酒なんぞお飲みなさるのだろう。それにしても、あれほどの害をまざまざと受けながら、飲みつづけていられるのは、自分たちには分らない訳があることに違いない。私は渡瀬さんが何んだかお気の毒だ。けれども何も知らない私の力ではどうしようもないではないか……つまりこれだけしか分らなかった。
「さてと、今日はどこから……おや、あなた僕の顔を見ていますね。はははは。僕の顔は出来損いですよ。それとも何かついていますか」
渡瀬さんはいきなりそのこね固めたような奇怪な顔を少し突きだすようにした。おぬいは大変な悪いことをしたとおもった。人の醜い部分に臆面もなく注意を向けていたのを……そのつもりではなかったのだが……すまなく思った。といっても、いい訳もできなかった。ただ渡瀬さんの顔の醜いのを物好きに眺めていたのではない。それを知らせたいために、十分の好意をもって、かすかに微笑んだ。
すると渡瀬さんは途轍もなく、
「失礼、あなたはいくつになりますね」
と尋ねた。素直に十九だと答えると感心したように、
「ふーむ、珍らしいな、奇体だなあ」
と嘆息するようにいいながら、今度は渡瀬さんがしげしげとおぬいの顔を見た。おぬいは軽い羞恥と、さらにかすかな恐れをも感ぜずにはいられなかった。けれどもその場合、恥かしがることも恐れることも少しもないはずだと思うと、すぐに不断のとおりの気持に帰ることができて、
「それでは始めていただきます」
といいながら、書物を机の真中の方に持っていった。渡瀬さんもそのつもりらしく、上体を机の上に乗りだした。
おぬいは何もかも忘れて、懸命にこの前教えられたところを復習した。第四読本は少し力にあまるのだけれども、書いてあることが第三読本よりはるかに身があるので、読むには励みがあった。アーヴィングという人の「悲恋」(Broken Heart)という条りだった。星野さんがこの書物を始める時、目次によって内容をあらかた話してくれた時、この章に書いてあるのは、アイルランドのある若い勇ましい愛国者と、その婚約の娘との間に起った実際の出来事だといったので、おぬいにはよけい興味のあるものだった。渡瀬さんがこの前それを講義してくれた時も、おぬいは幾度となく美しい悲しさを覚えて、涙のこぼれ落ちそうになるのをじっと我慢しながら、平気な顔をして、数学でも解くように講義している渡瀬さんを不思議に思った。そして渡瀬さんが帰ってから、その一伍一什を母に話して聞かせようとして、ふと母の境涯を考えると、とんでもないことをいいかけたと思って、そのまま口には出さないでしまったのだった。
今日その章を声を出して読むことは、おぬいにはかなり苦しいことだった。もしもこの前のように感情が書いてあることに誘いこまれたら、どうしようと危ぶまずにはいられなかった。どこまでも作り話だと思って読もうと勉めながら、おぬいは始めの方から意訳していった。けれども冒頭からもう涙ぐましい気持にされていた。おぬいはかねてから、自分の身の上にも、いつかは恋愛が来るだろうとは覚悟していた。けれどもそれは、本当に来るのだろうかと疑わねばならぬほど遠いところにあるもので、しかもそれに襲われたが最後、知りながら否応なしに、苦しみと悲しみとに落ちこんでいかねばならぬものとなぜとはなく思いこんでいた。彼女の心の底をゆり動かす怖れといっては実際それだけだった。今おぬいの眼の前には、彼女の心の怖れを裏書きするような事実が語られているのだ。読んでゆくうちにおぬいの心は幾度となく悲しさと悩ましさとのために戦いた。あるところでは言葉が震え、あるところでは涙が溢れでようとしたけれども、おぬいは露ほどもそれを渡瀬さんに気取られたくはなかった。そういうところに来ると彼女は已むを得ず口を噤んで、解らないところに出遇したように装った(おお何という悪いことだろう、私はこのごろ人様の前で自分を偽らねばいられないようになってきた、とおぬいは心の中で嘆息するのだった)。
「そこですか。それは何んでもないじゃありませんか」
と渡瀬さんは無遠慮にいって、頭のいい人らしくはっきり解るように教えてくれた。おぬいはその間にようやく感情を抑えつけて、また先きを読みつづけてゆくことができた。そしてこういうことが二度三度と重なっていった。おぬいはまた烈しい感情で心を揺り動かされて、胸のところに酸っぱく衝き上げてくるようなものを感じながら黙ってしまった。しかし渡瀬さんは今度は即座には教えてくれなかった。不思議には思いながらも、しばらくたってから、ようやく顔を上げてみると、渡瀬さんは充血して、多少ぼんやりしたような顔つきで、おぬいの額ぎわをじっと見つめていたのだと知れた。おぬいは不思議にもそれを知ると本能的にはっと思った。渡瀬さんも日ごろの渡瀬さんに似合わず、少し慌てながら顔を紅くして、すぐに書物に眼を落したが、
「ええと、それは……どこでしたかね」
といいながら、やきもきと顔を書物の方につきだした。
おぬいはその時はからず母のいいおいていった言葉を思いだしていた。そして渡瀬さんに対して、恐ろしい不安を感じないではいられなくなった。渡瀬さんと向い合って人気のない家にいるのがたまらないほど無気味になった。おぬいは思わず「天にある父様」と念じながら(神様という言葉はきらいだった。父が亡くなってからは天にある父様という言葉がこの上もなくなつかしかった)、力でも求めるように、素早くあたりを見まわした。「もし私が知らずに渡瀬さんを誘惑しましたら、どうかどうかお許しくださいまし」
「正しい心がけで、そのほかは神様におまかせしておけば安心です」……その母の言葉、それがまた思いだされた。おぬいは眼がさめたように自分の今までの卑怯な態度を思い知った。自分の心の姿を渡瀬さんに見せまいとしていたのが間違いだったと気がついた。そこに気がつくと、きゅうにすがすがしく力を感じた、落着いてふたたび書物に向うことができた。読んでゆく間に、もちろん感情は昂められたけれども、口を噤むほどのことはなくて、しまいまで読みつづけた。渡瀬さんもそれからはかなり注意しておぬいの訳読を見ていてくれた。
読み終えるとおぬいは眼に涙をためていた。もうそれを渡瀬さんに隠そうとはしなかった。
「たびたび読みつかえたのをごめんくださいまし。意味が分らなかったのではないんですけれども、あんまり悲しいことが書いてあるものですから、つい黙ってしまいましたの。作り話ではどんな悲しいことが書いてあっても、私そんなに悲しいとは思いませんけれども、こんな本当のお話を読みますと……」
ハンケチで涙を拭いながら何事も打ち明けてこういった。
「これは本当の話ですか」
渡瀬さんは恥かしげもなくこう聞き返した。
「星野さんがそういうようにおっしゃってでしたけれども」
「本当であったところが要するに作り話ですよ。文学者なんて奴は、尾鰭をつけることがうまいですからね」
渡瀬さんはこだわりなさそうに笑ったが、やがていくらかまじめになって、
「今日はお母さんは……お留守ですか」
「診察に出かけました……よろしくと申していました」
正しい心がけで……おぬいは怖れることは露ほどもないと心を落ちつけた。
「じゃ先をやりますかな……」
渡瀬さんは書物を手に取り上げて、しばらくどこともなく頁をくっていたが、少し失礼だと思うほどまともにおぬいを見やりながら、
「おぬいさん」
といった。渡瀬さんから自分の名を呼ばれるのはおぬいには始めてだった。
「はい」
おぬいもまじろがずに渡瀬さんを見た。
「やあ困るな、そうまじめに出られちゃ……あなたは今の話で涙が出るといいましたが、……あなたにもそんな経験があったんですか」
「いいえ」
おぬいはここぞと思って、きっぱりと答えた。
「それで泣くというのは変ですねえ」
渡瀬さんは少し大ぎょうにこういいながら、立ち上ってストーヴに薪をくべに行こうとした。おぬいも反射的に立ち上ってその方に行きかけたが、二人が触れあわんばかりに互に近寄った時、渡瀬の全身から何か脅かすようなものが迸りでるのを感じて、急いで身をひるがえしてもとの座になおった。
渡瀬さんは薪をくべると手をはたき合せながら机の向うに帰った。
「経験のないところに感動するってわけはないでしょう」
この二の句を聞くと、おぬいはあまりに押しつけがましいと思った。噂のとおり少し無遠慮すぎると思った。
「これはただそう思うだけでございますけれども、恋というものは恐ろしい悲しいもののように思います。私にもそんな時が来るとしたら、私は死にはしないかと、今から悲しゅうございます。だもんですから、ああいうお話を読みますと、つい自分のように感じてしまうのでございましょうか」
「あなたは実際、たとえば星野か園かに恋を感じたことはないのかなあ」
おぬいはもうこの上我慢がしていられなかった。母がいてくれさえすればと思った。口惜涙を抑えようとしても抑えることができなかった。そしてハンケチを取りだす暇もないので、両方の中指を眼がしらのところにあてて、俯向いたままじっと涙腺を押えていた。
渡瀬さんはしばらくぼんやりしていたが、きゅうに慌てはじめたようだった。
「悪かったおぬいさん。僕が悪かった。……僕はどうもあなたみたいな人を取りあつかったことがないものだから……失敬しました。……僕はこんな乱暴者だが、今日という今日は、我を折りました。……許してください。僕はこうやって心からあやまるから」
おぬいは眼をふさいでいたけれども、渡瀬さんが坐りなおって、頭を下げているのがよくわかった。そして切れ切れにいいだされた今の言葉がけっして出まかせでないのが一つ一つ胸にこたえた。
しかしおぬいが一たび受けた感じは容易に散りそうにはなかった。で、しかたなしにはずみ上る言葉をようやく抑えつけながら、
「ええもう何んとも思ってはいませんから……いませんから、私をこそお許しくださいまし。けれども今日は、もうこれで、お帰りを願いとうございますの」
とだけようやくいって退けた。
「え、……帰ります」
渡瀬さんはそういったなり、立ち上って部屋を出た。おぬいは何かもっと和解の心を現わして、渡瀬さんの心をやすめたいと思ったけれども、何かいうのがどうしても不自然だったので何もいわないことにして、上り口まで送ってでた。
「どうか許してください」
下駄をはくと、渡瀬さんはこっちを向いてこう挨拶した。おぬいも好意をもって眼を上げた。渡瀬さんはにこにこしていた。そして意外だったのは、つぶれていない方の眼に涙がたまっているのではないかと思えたことだった。
たった一人になるとおぬいはほっと溜息が出た。何か自分が思いもかけない結果を渡瀬さんに与えたのではないかと思うと、自分というものが怖ろしいようだった。彼女の知らない力があって、ともすると願いもしないところに彼女を連れこんでいこうとするかにさえ感じられた。そういう時に父のいないのがこの上なく淋しかった。おぬいは障子を半ば締めたまま、こんこんと大降りになりだした往来の雪を、ぼんやりと瞬きもせずに眺めながら、渡瀬さんを送りだしたその姿勢から立ち上りえずにいた。
ややしばらくして、何という弱々しいことだと自分をたしなめて、おぬいは立ち上ると、障子を締め、その足でラムプを茶の間に運んで火をともした。時計はもう五時半近くになっていた。夕方の支度がおそくなりかけていた。
おぬいは大急ぎで書物をしまい、机を片づけ、台所に出て、白いエプロンを袂ごと胸高に締め、しばられた袂の中からようようの思いで襷をさぐりだすと、それをつむりに潜らせようとしたが、華やかなその色が、夕暗の中で痛いように眼に映った。おぬいは一度のばしたその襷を、ぐちゃぐちゃに丸めて、それを柱にあてがって顔を伏せると、誰のためにとも、誰にともなく祈りたい気持でいっぱいになった。
おぬいはそうしたまま、灯もともさない台所の隅で、しばらくの間慄えるような胸をじっと抑えて、何んとなくそこにつき上げてくるえたいの知れない不安を逐い退けようとして佇んでいた。
* * *
創成川を渡る時、一つ下の橋を自分と反対の方向に渡ってゆく婦人は、降りはじめた雪のためにいくらかぼんやりしていたけれども、三隅のおばさんに違いないと渡瀬は見て取った。今日こそはおぬいさん一人だぞという意識がすぐいたずららしい微笑となって彼の頬を擽った。
行ってみるとおぬいさん一人らしかった。脱ぎ取った帽子の雪をその人が丁寧に払ってくれた。いつものとおり茶の間はストーヴでいい加減に暖まっていた。そして女世帯らしい細やかさと香いとが、家じゅうに満ちていて、どこからどこまで乱雑で薄汚ない彼の家とは雲泥の相違だった。渡瀬はその茶の間にしめやかな落着きを感ずるよりも、ある強い誘惑を感じた。けれども机に向っておぬいさんと対坐すると、どうしてもいつもの彼の調子が出にくかった。道々彼が思いめぐらしてきたような気持は否応なしに押しひしゃがれそうだった。いつ見てもおぬいさんはきちんとしすぎるほどつつましく身だしなみをしていた。そんな気持でしているのではないかもしれないが、そしてそうでない証拠にはすべての挙止がいかにもこだわりのない自然さを持っているのだが、後れ毛一つ下げていないほどそれを清く守っているのを見ると、どこといってつけ入る隙もないように見えた。けれども、それが渡瀬にとってはかえって冒険心をそそる種になった。何、おぬいさんだって女一疋にすぎないんだ。びくびくしているがものはない。崩せるだけ崩してみてやれという気がむらむらと起ってきて、彼はいきなり胡坐をかきながら。
「いつものとおり胡坐をかきますよ。敲き大工の息子ですから、几帳面に長く坐っていると立てなくなりますよ」
といって思いきり彼らしい調子を上げて笑い崩した。おぬいさんはその時立って茶棚の前に行っていたが、肩越しにこちらを振り返って、別に驚きもしないようににこにこしながら「どうぞ」といった。
茶なんぞ飲むよりもおぬいさんと一分でも長く向い合っていたかった。茶はいらないというと、せっかく茶器を取りだしかけていたおぬいさんは素直にそのままそれをそこにおいて、机の座に戻ってきた。ここで彼は新井田の奥さんとおぬいさんとを眼まぐるしく心の中で比較していた。とてもだめだ、比べものなんぞになるものか。二十近い年までこんなに色気というものなしに育ってきた娘がいったいあるものだろうか。新井田の奥さんの方が顔の造作は立ち勝っているかもしれないが……待てよそういちがいにはいえないぞ。第一こっちはまるで化粧なしだ。おまけにコケトリなしだ。それだのにこの娘から滴り落ちる……滴り落ちる何んだな……滴り落ちるX、そのXの量ときたらどうだ。それがしかも今のところまるっきりむだになって滴り落ちているんだ。おぬいさんはそれを惜しいものとも思ってはいないのだ。そこにいくと新井田の奥さんの方はさもしさの限りだ。一滴落すにもこれ見よがしだ。あれで色気が出なかったら出る色気はない。中央寺の坊主のいい草ではないが珍重珍重だ。おぬいさんがあのXの全量を誰かに滴らす段になってみろ……。渡瀬は思わず身ぶるいを感じた。
まず作戦はあと廻わしにして、
「さてと、今日はどこから……」
といいながらおぬいさんを見ると、書物に見入っているとばかり思っていたその人は、潤いの細やかなその眼をぱっちりと開けて、探るように彼を見ているのだった。渡瀬はこの不意撃ちにちょっとどぎまぎしたが、すぐ立ちなおっていかなる機会をも掴もうとした。
「おやあなた僕の顔を見ていますね。ははは。僕の顔は出来損いですよ。それとも何かついていますか」
そういって彼は剽軽らしくわざと顔をつきだしてみせた。この場合あたりまえの娘ならば、真紅な顔になってはにかんでしまうか、おたけさん級の娘なら、低能じみた高笑いをして、男に隙を見せるか、悧巧を鼻にかけた娘なら、己惚れはよしてくださいといわんばかりにつんとするに極っているのだった。渡瀬はそのどれをも取りひしぐ自信を持っていた。ところがおぬいさんは顔をあからめもせず、すましもせず、高笑いもせずに、不断のとおりの心置きない表情に少しほほ笑みながら「いいえ」とだけいって、俯向き加減になった。
似而非物では断じてない。俺がいったんでは不似合だが、まず神々しい innocence だ。そういうことを許してもいい。十九……十九……まったくこれが十九という娘の仕業だろうか。渡瀬は少し憚りながらも、まじまじとおぬいさんを眺めなおさずにはいられなくなった。骨節の延び延びとした、やや痩せぎすのしなやかさは十六七の娘という方が適当かもしれないが、争われないのは胸のあたりの暖かい肉づき、小鼻と生えぎわの滑かな脂肪だった。そしてその顔にはちょっと見よりも堅実な思慮分別の色が明かに読まれた。それにしてもあまり自然に見える、子供のように神々しい無邪気。渡瀬は承知しながらもおぬいさんの齢を聞いてみたくなった。そして突然、
「失礼、あなたはいくつになりますね」
と尋ねてみた。さすがにおぬいさんは少し顔を赤らめたが、少しも隠し隔てなく、渡瀬を信頼しきっているように、
「もう十九になりますの」
とおとなしやかに答えた。Xはつねに滴り落ちている。しかしながら渡瀬は容易にそこに近寄れないのを知らねばならなかった。そして感歎のあまり、
「ふーむ、珍らしいな、奇体だなあ」
と口に出してしまった。実際考えてみると、渡瀬が今まで交渉を持ったのは、多少の程度こそあれ男というものを知った娘ばかりだった。本当に男を知らない女性が、こんなに不思議なものを秘していようとはまったく思いもかけなかった。渡瀬にはその宝に触れてみる資格が取り上げられているようにさえみえた。彼は少しあっけに取られた。
「それでは始めていただきます」
そうおぬいさんが凛々しく響くような声でいって、書物をぼんやりしかけた渡瀬の前にひろげたので渡瀬はようやく我に返った。おぬいさんの復習したのは、アーヴィングの「スケッチ・ブック」の中にある、ある甘ったるい失恋の場面を取りあつかったもので、渡瀬がこの前読んで聞かせた時には、くだらない夢のようなことを、男のくせによくこうのめのめ書いたものだと思ったのだが、今日おぬいさんがそれを復習しているのを聞いてみると、あながち夢のようなことには思えなかった。誰にもっぱら聞かそうというそれは声なのだろう。どこまでも澄みきっていながら、しかも震いつきたいほどの暖かみを持ったそのしなやかな声は、悲しい物語を、見るように渡瀬の耳の奥に運んできた。始めのうちは、おぬいさんがつかえるとすぐに見てやっていたが、だんだんそんな注意は遠退いて、ほれぼれとその声に聴き入らずにはいられなくなった。おぬいの声にもしだいに熱情が加わってくるようにみえた。渡瀬は知らず知らず書物から眼を離して、自分のすぐ前にあるおぬいさんの髪、額、鼻筋、細長い眉、睫毛、物いうごとにかすかに動くやや上気した頬の上部、それらを見るともなく見やりはじめた。すべてが何んという憎むべき蠱惑だろう。これはやりきれない御馳走だ。耳と眼とが酔ったくれていうことを聴かなくなってしまう、と渡瀬はわくわくしながら考えた。それが渡瀬には容易に専有することのできない宝だと考えれば考えるほど、無体な欲求は激しくなった。教師としてこれほど信頼されているのをという後ろめたさを彼は知らず知らずだんだんに踏み越えていった。しびれるような欲望の熱感が健康すぎるほどな彼の五体をめぐり始めた。
色慾の遊戯に慣れた渡瀬には、恋愛などというしゃら臭いものは、要するに肉の接触に衣をかけたまやかしものにすぎない。男女の間の情愛は肉をとおして後に開かれるのだと、今までの経験からも決めている渡瀬には、これほど嵩じてきた恐ろしい衝動を堰きとめる力はもうなくなりかけていた。彼は顔にまで充血を感じながら、「おぬいさん逃げるなら今のうちだ。早く逃げないと僕は何をするか、自分でも分らないよ」と憫れむがごとくに自分の前にうずくまる豊麗な新鮮な肉体に心の中でささやいたが、同時に、「逃げるなら逃げてみろ。逃げようとて逃がしてたまるか」と頑張るものがますます勢いを逞しくした。眼の前がかすみ始めた。
いつの間にかおぬいさんの声がしなくなっていた。それに気づくとさすがに渡瀬は我れに返った。そしてさすがに自分を恥じた。おぬいさんは渡瀬が今まで妄想していたところよりあまりかけ離れた清いところにいた。彼は書物の方に顔を寄せながら、ともかく、
「ええと、それは」
といったが、どこに不審の箇所があるのか皆目知れなかった。
「どこでしたかね」
自分ながら薄のろい声で彼はこう尋ねねばならなかった。
おぬいさんはきっとした、少し恨めしそうに青ざめた顔を心もち震わせながら、つかえたところを指さした。それがまたむやみにやさしいところだった。渡瀬は、今日はおぬいさんも変だなと思った。
復習を終えたおぬいさんはひどく顔色を青くしていた。しかも眼には涙がたまっていた。渡瀬はそれを見ると自分の心持が気取られたなと思った。できない相談には決っているが、たとえおぬいさんとの結婚をおばさんに打ちだしてみたところが、ひと弾きに弾かれるのは知れきっている。万が一おぬいさんを彼の力の下においてみたところが、どこまでいっしょにやっていけるかそれもおぼつかない。なぜというに渡瀬はおぬいさんのような人をどう取り扱えばいいかの自信がありえなかったから。それだからといって、この気持を捨てられないのも知れきっている。いっそう……そう思った時、おぬいさんが静かに、
「たびたび読みつかえたのをごめんくださいまし。意味が解らなかったのではないんですけれども、あんまり悲しいことが書いてあるものですから、つい黙ってしまいましたの」
といって、少し恥じらうようにこちらに瞳を定めた、渡瀬は背負投を喰ったように思った。たとえば憎悪でもかまわない、自分についておぬいさんが悩んでいてくれたら渡瀬は嬉しかったろう。彼は思い存分の皮肉がいい放ちたくなった。そしてわざと高笑いをしながら、
「文学者なんて奴は、尾鰭をつけることがうまいですからね」
といった。もちろんそれだけでは復讐がし足りなかった。何らの手管もなく、たった純潔一つで操られていると思うと渡瀬は心外でたまらなかった。純潔――そんなものの無力を心でつねに主張している彼には(そして彼は十七歳の時から立派に純潔を踏みにじってきているのだ)小癪にさわった。それにしても何んという可憐な動物だ。彼の酷たらしい抱擁の下に、死ぬほどに苦しみ悶えながら彼女の純潔が奪われていく瞬間を想像すると、渡瀬はふたたび眩惑するような欲望の衝動を感じないではいられなかった。その後に彼女が彼から離れてしまおうと、ますます牽きつけられてこようと、それはたいした問題ではなかった。
渡瀬は茶の間を見廻わした。そして真剣な準備を仮想的に目論見ながら、
「今日はお母さんはお留守ですか」
と尋ねてみた。この言葉はおぬいさんを(もし彼女があたり前の事を知った女なら)怖れさすに十分だと同時に、反抗か屈服かの覚悟を強いるに十分な言葉なはずだ。
ところがおぬいさんはその言葉にすら怖れる様子は見せなかった。そして自分の教師を頼みきっているように、
「診察に出かけました……よろしく申していました」
と他意なく母の留守を披露した。赤子の手をねじり上げることができようか。渡瀬はまた腰を折られてしょうことなしに机の上にある読本を取り上げて、いじくりまわした。
けれども渡瀬はどうしてもそのまま引き下る気にはなれなかった。彼は無恥らしい眼を挙げておぬいさんを見上げ見おろした。その時、ふと考えついたのは、おぬいさんがすでに意中の人を持っているなということだった。恋に酔っている女性ほど、他の男に対して無慾に見えるものはない。おぬいさんの無邪気らしさに欺かれかけたのはあまりばからしいことだった。十九の女に恋がない……彼は何を考えていたのだろうと思った。
彼はおぬいさんを見やりながら、
「おぬいさん」
と呼んだ。彼はばかばかしい嫉妬の情の中にも、自分の声に酔いしれたようになった。おぬいさんに向ってその名を呼びかけたのはこれが始めてなのだ。
「あなたは今の話で涙が出るといいましたが、……あなたにもそんな経験があったんですか」
今度はとっちめてみせるぞ。
即座に、
「いいえ」
と答えた彼女の答えは、少しの隠しだてもなく、きっぱりとしたものだった。渡瀬は明かにそれを感じないではいられなかった。何んという、簡単な敗北を見なければならないだろう。あまりに簡単だ。しかしあまりに明快だ。何もかも素直に投げだして、背水の陣を布いたらしく見える彼女を思うと、渡瀬はふと奇怪な涙ぐましさをさえ感じた。渡瀬はもとよりおぬいさんを憎んでいるのではない。けれども一日おきに向い合っているうちに、二人の距離と、彼自身の中に否応なしに育っていく無体な欲念との間に、ほとんど憎しみともいえそうな根深い執着を感じはじめていた。ある残虐な心さえ萌していた。けれどもおぬいさんと面と向って、その清々しい心の動きと、白露のような姿とに接すると、それを微塵に打ち壊そうとあせる自分の焦躁が恐ろしくさえあった。すべてが終ったあとにおぬいさんが受けるであろうその悩みと苦しみとを考えてみただけでも、心が寒くなった。不思議な女もあったものだと思うほかはなかった。不思議な自分の心だと思うほかはなかった。……それにつけても渡瀬はいらだった。
かまうものか、もっといじめてやれ。渡瀬は何んとなしに残虐なことをしてみたい心になっていた。そして自分で自分をけしかけるように、大ぎょうな表情を見せながら、
「それで泣くというのは変じゃありませんか」
とむりに追窮した。
「経験のないところに感動するってわけはないでしょう」
彼は自分ながら皮肉な気持の増長するのを感じた。
おぬいさんはほっと小さく気息をついた。そしてしばらくしてから、やや俯向いたまま震えた声で、しかしはっきりといいだした。
「これはただそう思うだけでございますけれども、恋というものは恐ろしい悲しいもののようにおもいます。私にもそんな時が来るとしたら、私は死にはしないかと今から悲しゅうございます。だもんですからああいうお話を読みますと、つい自分のことのように感じてしまうのでございましょうか」
この女は俺の説でも承ろうとするがいいんだ。そんな抽象論で引きさがるかい。
「あなたは実際、たとえば星野か園かに恋を感じたことはないのかなあ」
このくらいいっても応えないか。
と、今まで素直に素直にとしていたらしいおぬいさんの顔色がさっと変って、死んだもののように青ざめた。俯向けた前髪が激しく震えだした。今度こそは真から腹を立てて、貞女らしい口をきくだろう、そう渡瀬が思っていると、おぬいさんは忙がしく袂を探ろうとしたが、それも間に合わなかったか、いきなり両手を眼のところにもっていって、じっと押えた。石になったかと思われるほど彼女は身動きもしなかった。
渡瀬は不意を喰ってきょとんとした。……はじめて彼は今まで自分が何をしていたかを知った。彼は自分がこれほど酷たらしい男だとは思わなかった。どうして残虐な気持があとからあとから湧きだして、彼に露骨な言葉を吐かしたかが怪しまれだした。俺は悪党だ。俺は悪人だ。その俺にもおぬいさんが善人なのはよくわかる。何、それは前からわかっていたんだ。それだのに俺は何んのためにおぬいさんに嫌われるようなことをたて続けにしゃべっていたのだろう。俺は悪党だが善人を悪党の群に引張りこむほどの悪党ではないんですよ、おぬいさん。
「悪かったおぬいさん、僕が悪るかった。……僕はどうもあなたみたいな人を取りあつかったことがないもんだから……失敬しました。……僕はこんな乱暴者だが、今日という今日は我を折りました。……許してください。僕はこうやって心からあやまるから」
そういって、彼は几帳面に坐りなおると、膝の上に両手をついて、頭をちょっと下げた。彼はまったくそうした気持にされていたのだ。
何をどういったか、そのあとはよく分らなかったが、渡瀬はとにかく居心地がいやに悪くなって、尻から追いたてられるように急いでおぬいさんの家を飛びだした。
とっぷりと日が暮れて、雪は本降りに降りはじめていた。北海道にしては大粒の雪が、ややともすると襟頸に飛びこんで、そのたびごとに彼は寒けを感じた。
彼はとっとと新井田氏の家の方を指して歩いた。「ああいけねえ」と独りごちた。何んだか打ちのめされたようだった。力が抜けてしまった。ばかばかしく淋しかった。寒いように淋しかった。
「新井田の方はあと廻わしだ」そう彼はまた独りごちて、狸小路のいきつけの蕎麦屋にはいった。そして煮肴一皿だけを取りよせて、熱燗を何本となく続けのみにした。十分に酔ったのを確めると彼は店を出た。
しかし渡瀬は酔いがすぐ覚めそうで不安だった。で酒屋の店に出喰わすと、そのたびごとに立ち寄って盛切をひっかけた。
「何、俺は結局おぬいさんとどうしようというのではなかった。ただ何んとしてもおぬいさんが可愛いいんだ。可愛いい犬ころをいじくり廻わして、きゃんといわさなければ、気がすまなくなるあれなんだ。いわばあれなんだな。だが待てよ、そうでもないのかな」
ある酒屋では小僧がからかうように、
「学生さん、お前さん酔っていますね」
といった。ふむ、俺の酔ってるのが分るのは感心な小僧だ。
「お前はまだ女郎買いはしめえな」
「冗談じゃないよ、学生さん」
渡瀬は十三四らしいその小僧の丸っこい坊主頭を撫でまわした。
「お前は俺が酔ったまぎれに泣いてるとでも思うんか。……よし、泣いてると思うなら思え。涙は水の一種類で小便と同じもんだ」
こういいながら彼は、またふらふらとその店を出た。
彼は人通りの少ないアカシヤ通の広い道を、何んだか弱りしょびれた気持になって、北の空から吹きつける雪に刃向って歩いていった。彼は自分が忠義深い士のような心持だった。伏姫にかしずく八房のようでもあった。ああ俺はまったくあの畜生だな。まったく涙がほろりと流れてきた。何んだかばかばかしいと彼は思った。
新井田氏の玄関によろけこむと、渡瀬は拳固で涙と鼻水とをめちゃくちゃに押しぬぐいながら、
「奥さあん」
と大声を立てて、式台にどっかと尻餅をついた。
奥さんはすぐドアを開けて駈けだしてきた。
「あら大変。あなた、戸も締めないで雪が吹きこむじゃないの」
といいながら、そこにあった下駄を片方の足だけにはいて、斜に身を延ばして、玄関の戸を締めた。股をはだけた奥さんの腰から下が渡瀬のすぐ眼の前にちらついた。
「無礼者……とは、かく申す拙者のことですよ……酔っている? 酔っているかと問われれば、酔っています。……ガンベの酔ったのを見たことがありますか……現在ははは……現在を除いてさ……」
奥さんのしなやかな手が、渡瀬の肩の雪を軽く払っていた。
「いた、……いた、……痛いですよ、奥さん」
「あなた今日は本当にどうかしているわね……さあお上りなさいな」
渡瀬は奥さんの手のさわったところをさすりながら、情けなくなって、そのあでやかな、そのくせ性というものばかりででき上っているような顔を見上げた。
「情けないねまったく……あなたの顔を見るとガンベは……まあいい、……それはそれとして、と……奥さん、僕は今日は、こんなへべれけの酔っぱらいになっちまったから、レコ……じゃないあなたにだ……あなたのいう『あなた』さ……はははは、その『あなた』に、へべれけの酔っぱらいになっちまったから、今日は休む……休むといってください。さようなら」
渡瀬はやおら腰を上げにかかったが、また酔のさめるのが不安になった。彼は腰をすえた。
「奥さん、ウ※(小書き片仮名ヰ)スキーを一杯後生だから飲ませてください」
「あなた、そんなに飲んでいいの」
奥さんは本当に心配らしく、立ちながら、眉を寄せて渡瀬の顔を覗きこむようにした。渡瀬は確信をもって黙ったまま深々とうなずいた。物をいうと泣き声になりそうだった。
「いけませんよ……じゃあ待っていらっしゃいよ」
待っている間、涙がつづけさまに流れ落ちた。
渡瀬の眼の前につきだされたのは、なみなみと水を盛った大きなコップだった。渡瀬はめちゃくちゃに悲しくなってきた。それを一呑みに飲み干したい欲求はいっぱいだったが、酔いがさめそうだから飲んではならないのだ。
「や、さようなら」
あっけに取られて、コップを持ったまま見送っている奥さんに胸の中で感謝しながら、渡瀬は玄関を出て往来に立った。
雪はますます降りしきっていたが、渡瀬はどうしても自分の家に帰る気にはなれなかった。薄野薄野という声は、酒を飲みはじめた時から絶えず耳許に聞こえていたけれども、手ごわい邪魔物がいて――熊のような奴だった、そいつは――がっきりと渡瀬を抱きとめた。渡瀬の足はひとりでに白官舎の方に向いた。
「おぬいさん……僕は君を守る……命がけで守るよ……守ってくれなくってもいいって……そんなことをいうのは残酷だ……僕は君みたいな神様をまだ見たことがなかったんだ……何んにも知らなかったんだ……星野って奴はひどいことをしやがる奴だな……あいつのお蔭で俺は、……俺は今日、救われない俺の堕落を見せつけられっちまったんだ。美しいなあおぬいさんは……涙が出るぞ。土下座をして拝みたくならあ……それだのに、今でも俺は、今でも俺は……機会さえあれば、手ごめにしてでも思いがとげたいんだ。俺はいったい、気狂か……けだものか……はははは、けだものがどうしたというんだ。俺だって、おぬいさんくらい美しく生れついて、銀行の重役の家に育って、いい加減から貧乏になってみろ、俺だって今ごろは神様になっているんだ……神様もけだものもあるかい。……おぬいさんが可哀そうだ……俺は何んといってもおぬいさんが可哀そうだ。……理窟なしに可哀そうだ……可愛さあまって可哀そうだ……俺は何んといっても悪かったなあ……生れ代ってでもこなければ、おぬいさんの指の先きにも、……現在触ってみたところが結局触ったにならない俺なんだ……俺は自分までが可哀そうになってきたぞ……」
いつの間にか彼は白官舎の入口に立っていた。
暗いラムプの下のチャブ台で五人ほどの頭が飯を食っていた。渡瀬はいきなりそれらの間に割りこんで坐った。
「ガンベか。ただ今食事中だ、あすこの隅にいって遠慮していろ。今夜はばかに景気がいいじゃないか」
といったのは人見だった。そこには園もいた。あとは誰と誰だかよく解らなかった。
「貴様は誰だ。(顔を近づけると知れた)うむ柿江か。誰だそこにいる貴様二人は」
「森村と石岡じゃないか。西山の代りに今度白官舎にはいったんだよ。臭いなあ……貴様はまた石岡にやられるぞ。そっちにいってろったら」
とまた人見がいった。渡瀬は動かなかった。
「何をいうかい。今日は石岡も石金もあるもんか……酔ったぐらいで人をばかにしやがると承知しないぞ、ははは……おい人見、ここには酒はないのか、酒は。……ねえ? ねえとくりゃ買うだけだ。おい婆や……もっとよく顔を見せろ。ふむ、お前も末座ながら善人の顔だ……酒を買ってきてくれ。誰かそこいらに金を持っている奴はないか。俺の寿命を延ばすとおもって買ってきてくれ。飯なんぞもぞもぞと食ってる奴があるかい、仙人みたい奴らだな」
柿江がそうそうに飯をしまって立とうとした。それを見ると渡瀬はぐっと癪にさわった。
「柿江……貴様あ逃げかくれをするな。俺は今日は貴様の面皮を剥ぎに来たんだ。まあいいから坐ってろ。……俺は柿江の面皮を剥ぎに来た、と。……だ、そうでもねえ。俺は皆んなに泣いてもらいに来たんだ。石岡、貴様はだめだ。貴様のようなファナティックはだめだとしてだ、……おい、皆んな立つなよ。……何んだ、試験だ……試験ぐらい貴様、教場に行って居眠りをしていりゃあ、その間に書けっちまうじゃねえか」
「俺に用がなければ行くぞ」
石岡が顔色も動かさずにそういいながら座をはずしかけた。
「石岡、貴様はクリスチャンじゃねえか。一人の罪人が……貴様はいつでも俺のことをそういうな。いんやそういう。……罪人が泣いてもらいたいといっているのが聞こえなかったんか。……たとえ俺がだめだといったところが、貴様の方で……まあ坐れ、坐ってくれ。……一人でも減ると俺はおもしろくないんだ……坐れえおい。俺が命令するぞ」
婆やが何かいいながらチャブ台を引いた。壁ぎわに行ってばらばらにそれに倚りかかっている五人が、朦朧と渡瀬の眼に映った。ただ何んということもなく涙が湧いてきた。彼はばかばかしくなって大声を揚げて笑った。
「園君じゃねえ、園はいるか園は。それか。君……君はじゃねえ貴様はおぬいさんに惚れているだろう。白状しろ。うむ俺は惚れてる。悲しいかな惚れている。悲しいかなだ。真に悲しいかなだ。俺は罪人だからなあ。悔い改めよ、その人は天国に入るべければなり……へへ、悔い改めら、ら、られるような罪人なら、俺は初めから罪なんか犯すかい。わたくしは罪人でございます。へえ悔い改めました。へえ天国に入れてもらいます……ばか……おやじが博奕打の酒喰らいで、お袋の腹の中が梅毒腐れで……俺の眼を見てくれ……沢庵と味噌汁だけで育ち上った人間……が僣越ならけだものでもいい。追従にいってるんでねえぞ。俺は今日け――だ――も――のということがはっきり分ったんだから。星野の奴がたくらみやがったことだ」
「おいガンベ、そんなに泣き泣き物をいったって貴様のいうことはよく分らんよ。今日はこれだけにして酔っていない時にあとを聞こうじゃないか」
それが石岡の声らしかった。
「ばかいえ貴様、そうきゅうにわかってたまるものか。飲んだくれ本性たがわずということを知らんな。……婆や、酒はどうした、酒は……。けれどもだ……貴様のけれどもだ、おい西山……ふむ、西山はもういねえのか。とにかくけれどもだ、貴様たちは俺が罪人なることを悲しんでいないと思うと間違ってるぞ。……はははそんなことはどうでもいい。それは第一貴様たちの知ったこっちゃないや、なあ。……とにかく……皆んな貴様たちはおぬいさんを知ってるな。けれども、貴様たちは一人だって、どれほどあの娘が天使であるかってことは知るまい。俺は今日それを知ったんだ。この発見のお蔭で俺はこのとおり酔った。わかるか」
「わからないな」
それは人見だった。申し合わせたように二三人が笑った。
「ははは……(彼はやたらに涙を拭った)俺にもわからんよ。……園、貴様はおぬいさんに惚れてるんだろう」
園はほほえみながら静かに頭をふった。
「そんなことはない」
「じゃ惚れろ。断じて惚れろ。いいか。俺は万難を排して貴様たちに加勢してやる。俺は死を賭して加勢してやる。……園、俺は今日一つの真理を発見した。人生は俺が思っていたよりはるかに立派だった。ところが……じゃいかん……だからだ。whereas じゃない。therefore だ。それゆえにだ……俺のようなやつが、住むにはあまり不適当だ。こういうんだ。悲観せざるを得ないじゃないか。……しかし俺は貴様たちを呪うようなことは断じてしないぞ。……安心しろ貴様たちを祝福してやるんだ、俺は死を賭して貴様たちに加勢してやる。……ははは……とか何んとかいったもんだ。どうだ石岡。石金先生、……相変らず貴様はせわしいんか。貴様が俺に酒の小言さえいわなけりゃ、一枚男が上るんだがなあ……しかし貴様の老爺親切には俺はひそかに泣いてるぞ。……余子碌々……おいおい貴様たちは何んとか物をいえよ、俺にばかりしゃべらしておかずに……園、貴様惚れろ。いいか惚れろ」
「ガンベはだめだよ。貴様いつでも独りぎめだからなあ。他人の自由意志を尊重しろ、園君には園君の考えがあるだろう」
帽子を被ったままのが言ったんで、森村だと渡瀬にも分った。
「ふむ、そうか。……そんなものかなあ……」
「園君、君はもうあっちに行くといい……。そしてガンベもう帰れ、俺が送っていってやるから。今夜は雪だからおそくなると難儀だ」
そう人見がとりなし顔にいったけれども、園は座を立とうともしなかった。渡瀬はどうしてもうんといわせたかった。園が不断から言葉少なで遠慮がちな男だとは知っていたけれども、これだけいうのに黙っていられるのは、癪にさわらないでもなかった。それよりも渡瀬はすべてが頼りなくなってきた。自分でも知らずに長く抑えつけていた孤独の感じが一度に堰を切って迸りでたかと淋しかった。
「園、貴様何んとかいってもいいじゃないか。俺は酔っぱらっているさ。……酔っぱらっているからって渡瀬作造は渡瀬作造だ。それとも渡瀬作造なるものに……まあいい園、俺と握手をしろ。そうだもっと握れ。俺が貴様の自由意志を尊重していないとしたらだな……俺はあやまる……。どうだ」
澄んだ眼を持った園の顔はすぐ眼の前にあった。それを涙がぼやかしてしまった。園の手が堅く渡瀬の手を握ったかと思うと、
「僕は君の言葉をありがたくさっきから聞いていたんだよ。よく考えてみよう」
「考えてみよう?……好男子、惜しむらくは兵法を知らず……まあいい、もう行け」
「僕も人見君といっしょに君を送ろう」
「酔不成歓惨欲別か……柿江、貴様ははじめから黙ったまま爪ばかり噛んでいやがるな……皆な聞け、あいつは偽善者だ。あいつは俺といっしょに女郎を買ったんだ」
「おいおいガンベ、酔うのはいいが恥を知れ」
それはすべてを冗談にしてしまおうとするような調子だった。
「恥を知れ? はははは、うまいことを言いやがるな。……」
まだいい募りたかったが、その時渡瀬は酔のさめてくるのを感じた。それは何よりも心淋しかった。寝こんでしまって自然に酔いがさめるのでなければ、酔ざめの淋しさはとても渡瀬には我慢ができなかった。彼は立ち上った。
「便所か」
と人見も同時に立ってきた。廊下に出るときゅうに刺すような寒気が襲ってきた。婆やまでが心配そうにして介抱しに来た。渡瀬は用を足しながら、
「婆や、小便は涙の一種類で、水と同なじもんだ……じゃなかったかな……とにかくそういうことを知ってるか、はははは」
といってしいて笑ってみたが、自分ながら少しもおかしくはなかった。何しろ酒にありつかなければもういられなくなった。
彼は人見と園とにつき添われて、白官舎から、真白に雪の降りつもった往来へとよろけでた。
* * *
どうしても気の許せないようなところのある男だった。それが、ともかく表向は信じきっているように見える父の前に書類をひろげてまたしゃべりだした。(父は実際はその言葉を少しも信じてはいないのに、おせいの前をつくろって信じているらしくみせているのではないか。つまり父までがぐるになっているのではないかとさえ疑った)
「こうした依頼を受けているんです。土地としては立派なもんだし、このとおり七十三町歩がちょっと切れているだけだから、なかなかたいしたものだが、金高が少し嵩むので、勧業が融通をつけるかどうかと思っているんですがね……もっともこのほかにもあの人の財産は偉いもので、十勝の方の牧場には、あれで牛馬あわせて五十頭からいるし、自分の住居というのがこれまたなかなかなことでさあ。このほか有価証券、預金の類をひっくるめると、十五万はたしかなところですから、銀行の方でも信用をしてくれるとは思っているんですが」
そういう間にも、その男は金縁の眼鏡の奥から、おせいの様子をちらりちらりと探るように見た。優しいかと思うときゅうに怖くなるような眼だった。
「で、その金を借りだしてどうなさろうというのかな」
父は書類を取り上げながらこう尋ねた。待っていたと言わんばかりに、その男はまた折鞄の中から他の書類を取りだした。
「それがこれになろうと言うんです。これがまた偉いもんですぜ。胆振国長万部字トナッブ原野ですな。あすこに百町歩ほどの貸下げを道庁に願いでて、新たに開墾を始めようというんです。今日来がけにちょっと道庁に寄っていただいたが、その用というのがこれです。たいていだいじょうぶ行きます。……何しろあの若さでこれだけの事をやり上げようというんだから……若さといっても四十だが、なあに男の四十じゃあなた、これから花というところです。やあ、どうも話がわき道に外れちゃったが、どうでしょうな、お嬢さんのお考えは……ただどうも問題になりそうなのは年のちがいじゃあるが」
と、まともにおせいの方を見て、
「あなたが三十におなんなさる時を思やあ、むこうはやっと四十九だ。ちょうどいいつり合いになりまさあ。どうも男って奴は、これで五十やそこらのうちに細君が四十だ四十一だなんてことになると、つい浮気になりたがるものですよ。……ねえお父さん、お互にまんざら覚えのないことでもないしさ」
おせいはこんなことをいわれるのを聞いていると、とてもこの話は承諾はできないと思った。聞いているうちに、その人が憎らしくなって、いっそ帰ってしまおうかと思った。父は袖の下に腕を組んでじっと考えこむようにしていた。おせいは二日前に兄の清逸から届いた手紙のことを心の中で始終繰り返していた。お父さんは家のものに何んにも相談しないが、お前の結婚のことを考えているらしい。昨日も浅田という元孵化場で同僚だった鞘取のような男が札幌から来て、長いこと話していった。お母さんが立ち聴きした様子から考えると、どうもそうらしい。しかもお前を貰いたいというのは札幌の梶という男じゃないかと思う。それならその男は評判な高利貸でしかも妾を幾人も自分の家の中に置いているという男だ。どんなことがあってもいうことを聴いてはいけない。自分のところは極端に貧乏している。しかも自分がいつまでも書生生活をしているばかりで、お前にまで長い間苦労をかける。お前の婚期がおくれるくらいになっているのを知りながら、それをどうすることもできない自分を思うと、自分は苦しい。けれども今度のだけは是が非でも断れ。そんなことが書いてあった。
「どうでしょうな」
五つ紋の古い紬の羽織を着たその男は、おせいの方をも一度じっと見て、その眼を父の方に移した。
「どうだな、おせい」
父はまたその男の眼を避けるようにおせいを見るのだった。おせいは身がすくむような気がして、恨めしそうに父を見かえした。
「浅田さんもさっきからこれほど事をわけて話してくださるんだから、お前、何んとか御挨拶をしないじゃならんぞ。お父さんもそうたびたび千歳からかけて足を運ぶわけにはいかないしよ」
と父は、いっそう腕を固く組んで、顔を落して説き伏せるように一語一語に力を入れた。
それでもおせいは何んと答えようもなかった。ようやくのことで唾を呑みこんで、居住まいをなおしながら下を向いた。
「いや、こりゃ私がいちゃかえって御相談がまとまりますまい。私は勧業の方の人に用もありますししますから、これでひとまずお暇とします。……じゃお嬢さん、ひとつよくお考えなすって。仲人口と取られちゃ困りますが、お父さんと私とは古いおなじみだから、けっして仇やおろそかに申すんじゃないんですから、どうか、そこんところをお忘れなく……」
そしてその人は父と簡単な挨拶を取り交わすと、そこにあった書類をいちいち綿密に鞄の中にしまいこんで座を立った。おせいが父のあとについて送りだそうとすると、浅田は、
「お嬢さん、もうようございます。何、星野さんちょっとお顔を」
いったので、おせいはわざと遠慮した。二人は部屋の外の階子段の上で、あれこれ十分ほどもほそぼそと話をしていた。なぜともなく五体が震えるのを、寒さのせいかと思って、腰を折って火鉢の上に手をかざした。壁が崩れ落ちたと思うところに、日章旗を交叉した間に勘亭流で「祝開店、佐渡屋さん」と書いたびらをつるして隠してあるような六畳の部屋だった。建てつけの悪いガラス窓が風のためにひどい音を立てて、盗風が屋外のように流れこんだ。
父はやがて小むずかしい顔をして帰ってきた。「寒い家だどうも」とあたりを見まわしているのが、千歳の家を知りぬいているおせいには気恥かしいくらいだった。
「どうだ」
「私はいやです」
おせいは即座に答えた。父はむっとしたらしかったが、やがてしいて言葉を和らげながら、
「そう膠なくいっては話も何もできはしないがな。浅田さんのいうとおり、年のところに行くと少し明きすぎるようだが、わしらのような暮しでは一から十まで註文どおりにいかないのは覚悟していてくれんと埒はあくものではないぞ。……先方では支度も何もいらないと言うのだ。支度がいるようでは恥かしい話だが、今のところお父さんには何んとも工面がつかんからなあ」
「先様は何んという人です」
「先方はお前、今も浅田さんがいうとおりなかなか○持ちで、自分が貧乏から仕上げたのだから、嫁は学問がなくてもやはり苦労して育ったしとやかなのが欲しいと、まず当世に珍らしい……」
「何という人なんです」
「名か、名はその、梶といって、札幌では……」
はたして兄からいってきたとおりだった。おせいはあまりといえば父もあまりだと思った。
「そんなら私はどうしてもいやです。幾人も妾を持っているような高利貸のところになんぞ……お父さんもちっと考えてくださればいいに」
といううちに、彼女は胸が熱くなって涙ぐんでしまった。兄さんですら、小さい時、あれほど自分を可愛がってくれた兄さんですら、まるで自分の事しか考えてはいないし、お父さんはお父さんで、自分の娘だか、他人の娘だか区別のないような仕向け方をする、と思うと、おせいは誰にたよる的もないのを感じた。彼女はこの五年の間の苦しい女中奉公の生活――それは光明も何もない、長い苦しみの一つらなりだった――を思いめぐらした。始めて小樽に連れだされたのは十七だった。まるで山の中から拾ってきた猿のようなあしらいを受けた。箸の上げおろしにも笑いさいなまれ、枕につくたびごとに、家恋しさと口惜しさのために忍び泣きで通した半年ほど。貰った給金は残らず家の方に仕送って家からたまに届けてよこす衣類といっては、とても小樽では着られないものばかりなので、奥さんからは皮肉な眼を向けられ、朋輩からは蔭口をたたかれる。それをじっと堪らえて、はいはいといっていなければならぬ辛らさ。月日は経ったけれども、小学校で少しばかり習い覚えた文字すら忘れがちになるのに、そこのお嬢さんたちが裕かに勉強して、一日一日と物識りになり、美しくなっていくのを、黙って見ていなければならぬ恨めしさ。七時過ぎまでは食事もできないで、晩食後の片づけに小皿一つ粗匇をしまいと血眼になっている時、奥では一家の人たちが何んの苦労もなく寄り合って、ばか騒ぎと思われるほどに笑い興じているのを聞かなければならぬ妬ましさ。それにも増して苦しかったのは奥さんの意地悪だ。妙な癖で、奥さんは家内のものの中にかならず一人は目のかたきになる人を作っておかなければ気がすまないのだ。その呪いの的になる人は時々変りはしたけれども、どういうものかおせいは貧乏籤をひいた。露ほどの覚えもないことをひがんで取って、奥様一流の針のような皮肉で、いたたまれないほど責めさいなむのだった。これが嵩じると自分までヒステリーのようになって、暇を取ったくらいでは気がすまないで、面あてに首でも縊ろうかと思う時さえあった。さらにそれにも増していやらしかったのは旦那様の淫らなことだった。奥さんの目褄を忍んでその老人のしかけるいたずらはまるで蛇に巻かれるようだった。それをおせいは軽く受け流して逃げなければならなかった。誰に訴えようもないような醜いことだった。さらにさらに、それにも増して苦しかったのは、若様といわれるその家の長男の情けだった。その人は誰が見ても綺麗な男というような人だ。おまけに旦那とはうらはらに、上品で、感情の強い人で、家の人たちには何んとなく憚られているらしかった。淋しい感じの人だ。おせいは住みこんだ時からこの若様という人に惹き寄せられた。朋輩がその人の噂を好いたらしくするのを聞くと、心がひとりでにときめいて、思わず顔が紅くなった。けれども何を思っても及ばないこととしてすっかり諦めていた。諦めようと苦しんでいた。ところが去年のこと、ふとしたおりにその人からおせいは挑みかけられた。おせいは眼をつぶるようにして一生懸命にその誘惑からのがれた。そして底のないような淋しさから声を立てて泣いてしまった。二十という年までじっと、じっと押えつけ、守りぬいていた火のような悲しい思いが、それからのたびたびの危い機会に一度に流れでようとしたのだったが、そしてその人が苦しんでいる様子をみると、いとしくなって何もかも忘れようとさえ思う瞬間はいつもあったのだけれども、彼女はいつでも自分の家の貧しさを思った。健康の弱い兄を思った。白痴同様な弟を思った。貧乏はしても父の名に泥を塗るなと、千歳を出る時きびしくいいわたした父の言葉も思った。自分の心をゆがめきってしまいはしないかと思われるようなこれらの辛らさ、悲しさ、妬ましさ、苦しさを今まで堪えに堪えてきたのはいったい何のため。
おせいは水月に切りこむようにこみ上げてくる痛みを、帯の間に手をさしこんでじっと押えた。父はおせいのあまりに思い入った様子に思わず躊らって、しばらくは言葉をつぐこともできなかった。
二人はお互の間に始めてこんな気づまりな気持を味いながら、顔を見合せるのも憚って対座していた。
「どうしてもお前はいやというのか」
おせいはもう涙も出なかった。乾いたままで唇が無性に震えた。
「お父さん、それだけはどうか勘忍してください」
父は地声になって口をとがらした。
「勘忍してくださいといったところが、これはお前のことだからお前の勝手にするがいいのだが、どういう訳だか訳を言わにゃ、ただ許してくれではお父さんも困るじゃないか」
「お父さんは私を……私を高利貸の……妾になさるつもりなんですか」
「とんでもないことを……お前はさっきから高利貸高利貸と言うが、それは働きのない人間どもが他人の成功を猜んでいうことで、泥棒をして金を儲けたわけじゃなし、お前、金を儲けようという上は、泥棒をしない限り、手段に選み好みがあるべきわけがない。金儲けがいやだとなれば、これはまた別で、お父さんのようになるよりしかたのないことだ。安田でも岩崎でも同じこった、妾囲いとてもそうだ。妾を持ってる手合いは世間ざらにある。あの人は同じ妾囲いをしても、隠しだてなどをしないから、世の中でとやかくいうのだが、お父さんは梶はそこはかえって見上げたものだと思ってるくらいだて。それもお前を妾にくれというのじゃなしさ……」
「けれども、あの人にはちゃんと奥さんがあるんじゃありませんか」
「そ、それだが……先方では妻にくれろというのだから、今の細君をどうするとかこうするとかそれはむこうに思わくがあってのことに違いないとお父さんは思ってるがどうだ。何しろこっちは先方の言い分を信用して……」
おせいは惘れるばかりだった。父がどうしてこんなになったのか、どう思ってみようもなかった。いくらなんにも知らないおせいにも、自分のような貧乏な、無学な、知り合いもないような人間を正妻に迎えるわけがないのは分りきっているのに、しらじらしい顔つきをして、自分の娘をごまかそうとするらしい父が邪慳の鬼のようにも思えた。
「お前は何んでも世間の見るとおりに物を見ようとするからいけない。高利貸といえばすぐ鬼のような無慈悲な奴、妾を持つといえばすぐ腭の左の方にちょっと眼に立つほどの火傷のあとがあるそうだが……」
おせいはそれを聞くと身がすくむようだった。体がかたくなった。肩が凝りきった時のように、頸筋から背中がこわばって、血のめぐりが鈍く重く五体の奥の方だけを動くようで、それが胸のところを下の方から気味悪るく衝き上げた。眼界がだんだん狭まって、火鉢にかざされた、長い指の先がぶるぶる震えどおしている。皺くちゃな父の両手だけが、切り放したようにぼんやり見えていた。「いつ私はその人に見られていたんだろう」と思うと、怖ろしさと無気味さに気息がとまった。
「お前見たことはないか」
「いいえ」
おせいの眼は父の手から辷り落ちて、膝の上に乗せてある自分の手の方に行った。涙にしとったハンケチを丸めてぎゅっと握りつめているそのかぼそい手も他人の手のようだった。若様が自分の手の間に挾んで、やさしく撫でてくださろうとした手だ。それをむりにふり放した手だ。……涙がはらはらと彼女の眼から新しくこぼれでた。
気まずい沈黙がそのあとに続いた。
いっそ……ああ若様と私とは身分がちがう。
すぐ見棄てられるにきまっている。その時の苦しさを思うとどうしても今までどおりにしているほかはない……といって、私はきっといつかは敗けてしまうに決っている……たとえ、見棄てられても、一度だけでも……おせいは切羽つまった気持の中で、悲しい嬉しい瞬間を心に描いた。それがせめてもの腹いせだった。……そして死んでしまえばそれでいいんじゃないか……
「お父さんはたってと勧めるんじゃない……が、お前はどうしても気が向かないというのだな……」
おせいはびくりとして夢のようなところから没義道にひきもどされた。彼女はいつの間にかハンケチを眼にあてていた。
「まあお父さんの胸の中もひととおり聞いてくれ。俺も五十二になる。昔なら殿様に隠居を願いでて楽にくつろぐ時分だが、時世とはいい条……また、清逸の奴がどういうつもりなのか、あの年になっていて、見さかいのなさ加減はない。このごろもお前、家にいて、毎日の家の様子は見ているくせに、箒一つ取るでもなく、家いっぱいにひろがって横着をきめている始末だ。学問ができるのなんのって人がちやほやするのを真に受けてしまってからに、有頂天になっている。あんな病気を背負いこんで薬代だけでもなみたいていでないのに、東京へ出かけようといってさらに聞かんのだ。俺もこうやってはいるがいざとなればそのくらいの工面はつくから、苦しいながらあちこち世話をやいてやってみると、そんなところから金を出してもらうのは嫌だとか何んとか、つべこべいいくさる。……」
こういう不平をきっかけに父は母が少しも甲斐性のないことや、純次がますます物わかりが悪くなって、親を睨めかえすしぶとさばかりが募るということや、孵化場の所長が代ると経費が節減されて、店の方の実入りが思わしくないということや、今度の所長の人格が下司のようだということや、あらん限りの憤懣を一時にぶちまけ始めた。それをじっとして聞いているおせいはさすがに父が哀れになった。五十二というのに、その人は六十以上に老い耄けていた。これほどの貧乏に陥るのももとはといえば何んといっても父の不精から起ったことだと、苦しいにつけ、辛らいにつけ、おせいは父を恨めしく思う気持になるのだったが、眼前世の中が力にあまって、当惑しているような父の姿を見ると、母も母だ、兄も兄だという心が起った。
「愚痴には違いない……愚痴には違いないがお前にでも聞いてもらわにゃお父さんは愚痴をこぼすせきもないような身柄になったよ、いやどうも……それに、これもお前だけに聞いてもらうことだが、じつは俺も、その、苦しさから浅田さんに頼んで、金をば六百円ほど融通してもらっているので……」
おせいはそれが崇っているのだと始めて始終が見えきったように思った。
「もっともあれはあれで親切人だから、そのことを根に持つような人柄ではないが、俺は頑固な昔気質だから、どうも寝ざめがようないのだ。俺は困っとるよ……」
と父は膝のまわりを尋ねまわして、別々になっている煙草入と煙管とを拾い上げると、慌てるようにして煙草をつめたが、吸うかと思うと火もつけずに、溜息とともにそれを畳の上に戻してしまった、おせいはおずおず父の顔を窺った。垢染みて、貧乏皺のおびただしくたたまれた、渋紙のような頬げたに、平手で押し拭われたらしい涙のあとが濡れたままで残っている。そこには白髪の三本ほど生えた大きな疣もあった。小さい時、きょうだいで寄ってたかって、おちちだといってしゃぶった疣だ。……思案にあまるというのはこれだろうか。彼女の心はしーんとしたなりで少しも働こうとはしなかった。おせいはひとりでに襟の中に顔を埋めた。無性に悲しくなるばかりだった。
力がなえきってみえた父は、最後の努力でもするように、おせいの方に向きなおって、膝の上に両肱をついて丸っこくかごまった。
「おせい……」
鼻をすすりながらそれを横撫でにした。
「甲斐性のないおやじと下げすんでくれるなよ。俺も若い時に、なまじっかな楽な暮しをしたばかりに、この年になっての貧乏が、骨身にこたえるのだ。俺一人が楽をしようというではけっしてないがな、何しろ、今日日々の米にも困ってな……この四年あまりというもの、お前のしてきた苦労も、俺は胸の中でよっく察している。親というものは子にかけちゃ神様のように何んでも分る。お前は小さい時から素直な子だったが、素直であればあるほど……」
「お父さんそんなことをいうのはもうよしてください……」
おせいはほとんど憤りたいような悲哀に打たれて思わずこう叫んでしまった。
とにかく二三日中にはっきりした返事をすると約束しておせいはようやく父の宿を出た。
もうまったく日が暮れていた。ショールに眼から下をすっかり包んで、ややともすると足をさらおうとする雪の坂道を、つまさきに力を入れながらおせいはせっせと登っていった。港の方からは潮騒のような鈍い音が流れてきた。その間に汽船の警笛が、耳の底に沁みこむように聞こえている。空荷になった荷物橇が、大きな鈴を喉にぶらさげて毛の長い馬に引かれながら何台も何台もおせいのそばを通りぬけた。顔をすっかり頭巾で包んで、長い手綱で遠くの方から橇を操っている馬方は、寄り道をするようにしておせいを覗きこみに来た。幾人となく男女の通行人にも遇った。吠えつきに来た犬もあった。けれどもおせいにはそれらのものが、どれもこの世界のものではないようだった。今まで父といっしょにいたというのも嘘のようだった。万人が行ったり来たりする賑かな往来、そこでおせいが何百人何千人となく行き遇った人々、その中には、おせいが歩いているような気持で歩いている人がやはりいたのだろうか。それにしては自分は今まで何んというのんきな自分だったろう。そんな苦労を持っているらしい人は一人だって見当らないようだったが。……人間っていうものはやはりこんな離れ離れな心で生きてゆくものなのだ。底のないような孤独を感じて彼女はそう思った。
主家の大きな門の前に来た。朋輩たちがおせいの帰りの遅いのをぶつぶつ言いながら、彼女の分までも働いているだろうと思うと気が気でなかった、大急ぎで門を駈けこんだ。
こちらから挨拶もしないうちに、台所で働いてる女中の一人が、
「早かったわね。奥さんがお待ちかねよ」
といった。
「若様もお待ちかねよ」
ともう一人のがいった。おせいは何んともいえない淫りがましいいやなことをいう人だと思った。
おせいは取りあえず奥の間に行って、講談物か何かを読み耽っているらしい奥様の前に手をついた。そして、
「ただいま戻りました。おそくなりまして相すみません。父がよろしくと申されました」
というと、いつもの癖の眼鏡の上の方から眼を覗かせて、睨むようにこっちを見ていた奥様は、
「父がよろしくと申されましたかね。あの(といって柱時計を見かえりながら)お前もう御飯を召しあがりましたろうね」
と憎さげにまた書物を取り上げた。どうかすると気味が悪るいほど親切で、どうかするとこちらがヒステリーになりそうに皮肉なのがこの人の癖だとは知りながらおせいは涙ぐまずにはいられなかった。
奥様に釘を打たれて、その夜おせいは食事を取らなかった。実際喰べたくもなかった。
けれども夜中になると、何んとしても我慢ができないほど餓じくなってきた。そっと女中部屋を出て、手さぐりで冷えきった台所に行って、戸棚を開けた。そしてそこにあるものを盗み喰いをしようとした。
その瞬間におせいはどっと悲しくなった。そしてそこに体を倚せかけたまま、両袖を顔にあてて声をひそめながら泣きはじめた。
* * *
父が死んだという電報を受け取ったのは、園がおぬいさんの所に教えに行って、もう根雪になった雪道を、灯がともってから白官舎に帰ってきた時だった。
隣りの人見の部屋には柿江と森村とが集っているらしく、話声で賑わっていたが、園はそこを覗いてみる気持にもなれないで、そっと素通りして自分の部屋にはいった。
渡瀬がひどく酔払って白官舎に訪ねてきた翌日から、どうしてもおぬいさんを教えるのはいやだといいだしたので、そしてしきりに園に教えに行けといって聴かないので、彼は已むを得ず、一日おきにまたその家に通うようになったのだった。それがもう半カ月のあまりも続いていた。
幾度も玄関に出てその帰りを待っていたという婆やが、何か不吉の予感らしいものを顔に現わして園にその電報を手渡した時、園も一種の不安を覚えないではなかったが、まさかあの頑丈な父が死ぬものとは思っていなかった。文言を読んだ時でも父が死んだようには考えられなかった。ただ眼の前に自分の家の様子が普段のままな姿で明かに思いだされたばかりだった。
何か変ったことがあったのではないかと婆やが尋ねるのに対しても、はっきりしたことは告げ知らせもしないで、自分の部屋に帰ってきたのだった。
不思議なことには……と園がふと思ったほど……自分の部屋は何んの変化もない自分の部屋だった。机の側には婆やのいけておいてくれた炭火がかすかに光っていた。園はいつものとおり、ドアの蔭になっている釘に、外套と帽子とをかけて、本箱の隅におきつけてあるマッチを手探りに取りだしてラムプに灯をともした。机の上には二三通の手紙がおいてあった。その中の一つは明かに父からの手紙だった。園は坐りも得せず、その手紙を取り上げてみた。たしかに父の手蹟に相違なかった。ちびた筆で萎縮したように十一月二十三日と日附がしてあった。それを見るとややあわてたような気持になって、衣嚢の中から電報を取りだして、今度はその日附を調べてみた。十一月二十五日午前九時四十分の発信になっていた。
園は手紙と電報とを机の上に戻しながら始めて座についた。そしてしばらくは手紙を開封することもなく、人さし指を立てて机の小端を軽く押えるように続けさまにたたきながら、じっと眼の前の壁を見つめていた。自分ながらそれが何んの真似だかよく解らなかった。しかしながらかねてからある不安なしにではなく考えていたことが、驀地に近づいてきているような一種の心の圧迫を感じ始めているのは明かだった。自分の研究に一頓挫が来そうな気持がしだいに深まっていった。
園は父の手紙をわざと避けて、他の一通を取り上げてみた。それは絶えて久しい幼友だちの一人から送られたもので、園にとってはこの場合さして興味あるものではなかった。他の一通は書体で星野から来たものであるのが明かだった。園はせわしく封を破って、中から細字で書きこまれてある半紙三枚を取りだした。長い手紙であればあるほどその場合の園には便りが多かった。園は念を入れてその一字一句を読みはじめた。
「皚々たる白雪山川を封じ了んぬ。筆端のおのずから稜峭たるまた已むを得ざるなり」
とそれは書きだしてあった。
「昨夜二更一匹の狗子窓下に来ってしきりに哀啼す。筆硯の妨げらるるを悪んで窓を開きみれば、一望月光裡にあり。寒威惨として揺がず。かの狗子白毛にて黒斑、惶々乎とし屋壁に踞跼し、四肢を側立て、眼を我に挙げ、耳と尾とを動かして訴えてやまず。その哀々の状諦観視するに堪えず。彼はたして那辺より来れる。思うに村人ことごとく眠り去って、灯影の漏るるところたまたま我が小屋あるのみ。彼行くに所なくして、あえてこの無一物裡に一物を庶幾し来れるにあらざらんや。庭辺一片の食なし。かりに彼を屋内に招かば、狂弟の虐殺するところとならんのみ。我れの有するものただ一編の文章のみ。文章は畢竟彼において何するところぞ。我れついに断じて窓を閉ず。翌、かの狗子命を我が窓下に絶ちぬ。
ああ何んぞ独り狗子を言わんや。自然の物を遇するすべてまさにこのごとし。我が茅屋の中つねにかの狗子にだに如かざるものを絶たず。日夜の哭啾聞こえざるに聞こゆ。筆を折って世とともに濁波を挙げて笑いかつ生きんとしたること幾度なりしを知らざるは、たまたま我が耿々の志少なきを語るものにすぎずといえども、あるいは少しく兄の憐みを惹くものなきにしもあらじ。しかも古人の蹟を一顧すれば、たちまち慚汗の背に流るるを覚ゆ。貧窮、病弱、菲才、双肩を圧し来って、ややもすれば我れをして後えに瞠若たらしめんとすといえども、我れあえて心裡の牙兵を叱咤して死戦することを恐れじ。『折焚く柴の記と新井白石』はかろうじて稿を了るに近し。試験を終らば兄は帰省せん。もししからば幸いに稿を携え去って、四宮霜嶺先生に示すの機会を求むるの労を惜しまざれ。先生にして我が平生忖度するところのごとくんば、この稿によって一点霊犀の相通ずるあるを認めん。我が東上の好機もまたこれによって光明を見るに至らんやも保しがたし。さらに兄に依嘱しえべくんば、我が小妹のために一顧を惜しまざれ。彼女は我が一家の犠羊なり。兄の知れるごとく今小樽にありてつぶさに辛酸を嘗めつつあり。もしさらに一二年を放置せば、心身ともに萎靡し終らんとす。坐視するに忍びざるものあり。幸いにして東京に良家のあるありて、彼女のために適所を供さば、たんに心身の更生を僥倖しうるのみならず、その生得の才能を発揮するの機縁に遇いうるやも計るべからず。我が望むところは、彼女が東上して円山氏につき、勤労に服するのかたわら、現代的智識の一班に通ずるを得ば、きわめて幸いなり」
園はこれだけのことを読む間にも、幾度も自家の方のありさまを想像していた。想像したというよりは自分がずっと育ってきた東京郊外の田舎じみた景色や、父、母、兄などの面影やが、見るように現われたり隠れたりしていた。そのために園は星野からの手紙を静かに読み終ることができないで、それを机の上に置いたなりで、細かく書連ねられた達者な字を見入りながら、だんだんと自分の家のことを思い耽りはじめた。
あるかないかに薄い眉の上に、深い横皺を一本たたんで、黒白半ばするほどの髪毛のまだらに生え残った三分刈りの大きな頭を少し前こごみにして、じろりと横ざまに眼を走らしながら人の顔を見る父の顔……今年の夏休暇の終に見たその時の顔……その時、父と兄との間にはもう大きな亀裂が入っていて、いつも以上に不機嫌になっていた。兄は病気の加減もあったのかことさらに陰鬱だった。若いくせに喘息が嵩じて肺気腫の気味になっていたが、ややともすると誰にも口をきかないで一日でも二日でも頑固に押し黙っているようなことがあった。園に対しては舐めるような溺愛を示すのに引きかえて、兄に対してはことごとに気持を悪るくしているらしい愛憎の烈しい母が、二人の中に挾まって、二人の間をかえってかき乱していた。いらいらしているのが指の先までも伝っているような様子で、驚くほど烈しく煙管で吐月峰をたたきつけながら、自分のすぐ後ろにある座敷金庫から十円札を二枚取りだし、乞食にでもやるように、それを園の前に抛りだして苦がりきっていた父の顔、それを取り上げるまでに園は自分でも解らぬような複雑した気持を味わねばならなかった。園が黙ったままお辞儀一つして、それに手を延ばすまでの一挙一動はもとより、どういう風に気持が動いているかを厳しく看守しながら、いささかでも父の権威を冒すような風があったら、そのままにはしておかないぞというように見えた父の顔……自分の生みの父ながら、あの眉の上の深い横皺は園にはこの上なくいやなものだった。どうかして鏡に向うようなことのあるたびごとに、園は自分の顔にそれが現われではしないかと神経質に注意した。年のせいか園にはなかった。しかし兄には明かにそれが出ていた。そういう父の顔……それが何よりも色濃く園の眼の前を離れなかった。死顔などはどうしても現われては来なかった。父の死んだということが第一不思議なほど信ぜられなかった。毎日葬式や命日というような儀式は見慣れてきてはいたけれども、自分の家から死者の出たのは、園が生まれてから始めてのことなので、よけいそうした感じが起らないのかもしれなかった。母の顔も平生のとおりの母の顔、兄の顔も今年の夏別れる時に見たままの兄の顔。玄関からなだら上りになった所に、重い瓦を乗せてゆがみかかった寺門がある。その寺門の左に、やや黄になった葉をつけたまま、高々とそそり立つ名物の「香い桜」。朝の光の中で園がそれを見返った時、荒くれて黝ずんだその幹に千社札が一枚斜に貼りつけられてあって、その上を一匹の毛虫が匐っていた。そんなことまでが、夏見たままの姿で園の眼の前に髣髴と現われでた。
しかもこれらのあまりといえば変化のなさすぎるような心の印象の後には、何か忌々しい動揺が起ろうとしているように思えた。実際をいうと、園は帰京せずに、札幌で静かに父の死を弔らいもし、一家の善後ということも考えてみたかったのだが「スグカエレ」という電文に背くべき何らの理由もなかった。
園は星野の手紙の下から父の手紙を取りだしてみた。封を切ろうとしたが何んのゆえともなくそれができなかった。どうもその中からは不意な事件が飛びだしてきて、準備のない園の心に、簡単に片づけることのできない混乱を与えそうでしかたがなかった。園はまた父の手紙を見つめたまま、右手の指で机の木端を敲きながら長く考えつづけた。
「とにかく今夜すぐ帰ろう」
ふっとそういう考えが断定的にその心に起った。それだけのことを決心するのに何んでこれほど長く考えねばならなかったかというようなそれは簡単な決心だった。
しかしそう決心すると同時に、園は心臓がきゅうに激しく打ちだして、顔が火照るまでに慌ただしい心持になっていた。彼はそれをいまいましく思いながらもすぐ立ち上って部屋の中を片づけはじめた。しかしそこには別に片づけるというようなものもなかった。ズック製の旅鞄に、二枚の着換えを入れて、四冊の書物と日記帳とを加えて、手拭の類を収めると、そのほかにすることといっては、鍵のかかるところに鍵をかって、本箱の上に自分のと別にしてならべてある借用の書物を人見か柿江に頼んで返却してもらえばそれでいいのだった。彼は心の中にわくわくするようないやな気分を持ちながらも、割合に落ち着いた挙止でそれだけの仕事をすませた。そして机の上にあった三通の手紙を洋服の内衣嚢に大事にしまいこんだ。机の上にはラムプとインキ壷と硯箱とのほかに何んにもなかった。そこで園はもう一度思い落しはないかと考えてみた。欠席届があった。彼はふたたび机の引出の錠を開けて、半紙を取りだしてそれを書いた。そしてそのついでに星野にあてて一枚の葉書を書いた。
「兄の手紙今夕落手。同時に父死去の電報を受取ったので今夜発ちます。御返事はあとから」
しかし園はそう書いてくると、もう一つ書き添うべき大事なことのあるのに気づいた。それはおぬいさんのことだった。しかしそれは葉書には書きうることではなかった。すべてのことを知らせるのはあとからにしよう、そう思いながら園は星野への葉書を破って屑籠に抛りこんだ。
隣の部屋では人見たちが盛んに笑いながら大きな声で議論めいた話をしている。それに引きかえて、ずっと見廻わしてみた園の部屋は森閑として、片づきすぎるほど隅まで片づいていた。それを見ると園は父の死んだという事実をちらっと実感した。何んの意味もなく胸の迫るのを覚えた。しかしそれはすぐ通り過ぎてしまった。
隣の部屋をノックして急な帰京を知らせると、そこにい合わせた三人は等しく立ち上って、少し頓狂なほど興奮して園を玄関まで送ってきた。婆やは、食事がもうできるから食べていったらいいだろうと勧めながら、慌てて下駄を引っかけて門の外まで送ってでた。そして袖口を顔に押しあてながら、遠くなるまで見送っていた。
園は鞄一つをぶら下げて、もう十分に踏み固まっている雪道を足早に東に向いて歩いた。肘を押しまげて頭の上から強く打ち下そうとする衝動が、鞄を不必要に前後に揺り動かさした。彼は今夜という今夜、すべてのことをおぬいさんとその母とに申しでようという決心をやすやすとしてしまっていたのだ。それは東京に帰ろうと決めたと同時に、特別な考慮を廻らさないでも自然にでき上った決心だった。園はもとよりおぬいさんが彼をどう考えているかも知らなかった。その母がどう考えるかも考えてはみなかった。園はただおぬいさんを愛していることをこの十日ほどの間にはっきりと発見したのだ。彼は幾度かできるだけ冷静になって自分の気持を考えてもみ、容赦なく解剖してもみた。しかしそこに何らか軽薄な気持が動いていることを認めることができなかった。渡瀬が酔ったまぎれに「おぬいさんに惚れろ」といい続けた時、園はそういう問題を取り上げる気持は少しもなかったが、その後四五日経ってから、どうした機会だったか、園はふとおぬいさんに対する自分の心持を徹底的に決めておかなければならぬという強い要求を感じ始めた。そのために昼は研究ができず、夜は眠ることのできない三日四日が続いたが、それには何らの焦燥も苦悩も伴いはしなかった。彼はただ神聖な存在の前に引きだされたような気分で、何事をも偽ることなく心をこめて考えた。そして最後に彼はおぬいさんにこの上なく深い愛と親しみとを持っていることをはっきり見出だした。そうなることが園にとってはきわめて自然ないいことだった。この発見は園の心をかつて覚えのない暖かさと快さとに誘いこんだ。ふとその時星野のことを思い浮べてみた。しかしこれはもう園にとっていささかの暗らい影にもなってはいなかった。すべての良心においてこの上なく深く、この上なく暖かくおぬいさんを愛している、そのすがすがしい満足に障りとなるものは一つもなかった。おぬいさんが園を愛していない、その疑いすらも気にはならなかった。実際そうであったところが、園はおそらく平気だったろうと思われるほど園の心は静かに満ち足っていた。
ただし、残された一つのことは、自分の気持をゆがめずに三隅母子に伝える時機と方法とをつくることだけだった。しかしそれさえ園にとっては格別むずかしいことではなくみえた。父死亡の電報を見た時でも、この場合その問題をどう片づけるかさえ考えはしなかったのだが、欠席届を書き終えた時、保証人なる槍田氏は三隅の小母さんの知り合いだから、通知かたがた三隅家に立ち寄ってその判を貰うように頼もうと思いつくと同時に、自分の心持もそのついでにいってしまおうと決心したのだ。
園は往来を歩きながら、不思議な力が、徐かに、しかしたしかに自分の体じゅうに満ちてくるのを感じた。かつて知らなかった大きな事業、それが成功しようとも失敗しようとも、事業そのものの値打をいささかも傷つけないような大きな事業が、今眼の前に行われようとしているのだ。そしてこの事業に手をつけるについては、はたしてそれに当るだけの力量のあるなしは分らないとしても、あらゆる点において残るところなく考えぬき、しかも露ほどの心の後ろめたさも感じてはいないということにかけて、園の心は小ゆるぎもしなかった。一種の勇気をもってその五体は波打った。彼の眼に映る大通りの雪景色は、その広さと潔さにおいて彼の心に等しかった。夜の闇が逼り近づいて紫がかった雪の平面を、彼は親しみの吐息をもって果て遠く眺めやった。
さっきのとおりに小母さんもおぬいさんも家にいて、台所で夕食の支度をしているところだった。二人はさっき帰ったばかりの園が、不意にまた訪ずれてきたのを驚きながらも喜ぶように、もつれ合って入口に走りでた。毎日同じようなことを繰り返しながら、淋しく暮している母子二人にとっては、これほどいささかな不意なことも、これほどに気を引き立たせるのだろう。少なくとも園がこの家で邪魔物あつかいにされていないのを知るのは彼にとっても限りなく快いことだった。
おぬいさんは慌て気味に襷とエプロンとを外ずしながら、茶の間に行ってラムプの芯をねじ上げた。その釣りラムプの下には彼の見慣れたチャブ台の上に、小さずくめの食器がつつましく準備されていた。小母さんを見、おぬいさんを見、その可憐なチャブ台の上の様を見ると、園の心は思いもかけず小さく激しく沸き立ちはじめた。
「その鞄は」
と小母さんは怪しむように尋ねた。
「今お話します」
園は小母さんの怪訝そうな顔に曖昧な答えをしながら、美しい楕円の感じのする茶の間に通って、いつもの所に、……柱を背にして倚りかかることのできる……胸の動悸を気にしながら坐った。
「どうなすったのです……明りのせいかしらん、……お顔の色がお悪いようですが……」
火鉢のわきに小母さんが、園からずっと離れて茶箪笥の前におぬいさんが座をしめた時には、園の前にはチャブ台は片づけられていた。園は自分の顔が醜いほど充血しているだろうとばかり信じていたのに、そう小母さんにいわれてみると、手の先までが寒さのためばかりでなく冷えきっているのを感じた。自分の気持をそのまま先方に移すことができるだろうか、そういう不安がかすかに動いた。彼はその場になって、かすかにでもそう感ぜねばならぬのが苦しかった。それゆえ彼は已むを得ずますます口少なになった。何もかも一度に二人に言いきってしまった時に感じるだろう心のすがすがしさと、それを曲って取られはしないかという不安とが、もどかしく心の中で戦い合った。
いつものとおりの落ち着いたしとやかさでおぬいさんが茶を入れていた。小母さんは茶を飲み終るまでも、大事な問題は延ばしておこうとでもするように、途中が寒かったろうなどと、世間なみの口をきいていた。園は自分の気持が何んとなく小母さんに通じているのだなと思った。長い生活の経験と、親というものの力が美しく働いているらしいのを感じて、その月並な会話にもけっして不快は感じなかった。
園はおぬいさんが進めてくれた茶を静かにすすった。少しそれは熱すぎた。彼は冷えた両手でほとぼりの沁み残った茶碗を握りしめてみた。そこからも快い感触が神経の奥に暖かく移っていった。ふと眼を挙げるとそこにおぬいさんの眼があった。何んの恐れ気もなく、平和に、純潔な、そして園の心におのずと涙ぐましさを誘うような淋しさ、――淋しさではない。淋しさということはできない。淋しさに似てもっと深いもの、いい言葉はない――を籠めた、黒眼がちな眼。慎しみ深い顔の中にその眼だけがほのかにほほえんで、そこにつぎつぎに開けてゆく世界をより深く眺めようとするように見えた。おぬいさんのその眼があった。そしてそれがやわらかく、まともに園の方に寒いまでに澄んでしかもこの上なく暖かい光を送っていた。園はその眼を思わずじっと眺めやった。その瞬間に園の覚悟は定まった。彼は柱から身を起して端坐した。そして臆することなく小母さんの方に面を向けた。口を切ろうとする時、父のことをまずいいだそうとしたが、すぐそれが間違っているのを自分で悟った。
「こんなことをいうのはまだ早すぎはしないかと思いますのですけれども、事情がこれ以上躊躇するのを許さないようですから……」
園は両手に握っている茶碗を感じた。そしてその茶碗の中にさらに一杯の茶を欲した。けれども彼は続けた。
「僕は自分としてはこれ以上は考えられないというところまで考えたつもりです。もし失礼に当ったら許してくださいまし。僕はおぬいさんとお約束をすることができたらと思うんです……そう願っています」
園はおぬいさんに向っても同じことをいいたかったのだ。しかしそれを聞きつつあるおぬいさんの苦痛を察すると、どうしてもそちらに眼をやることができなかった。それにもかかわらずおぬいさんが処女らしい羞じらいのために、深々と顔を伏せたのが痛むほどきびしく園の感覚に伝ってきた。
小母さんは切れ切れな園の言葉を聞くと、思わずはっと胸をつかれたらしく、かすかに口をゆるめて、鋭い色を眼にひらめかしたが、やがて、というほどもなく、園をしげしげと見やりながら黙ったままで深くうなずいてみせた。そしてかすかな血の気をその疲れたような頬に現わした。自分は今答えようにも答えられないから、もっと何んとかいえとその顔は促がしていた。園は何か言おうとした。しかしそこには言うべき何事も残ってはいなかった。それ以上をいうのは冒涜にすら感じられた。
園と小母さんとは無言のままで互いの眼から離れて下を向いてしまった。ストーヴの中の薪がゆるく燃えている。その音だけがしめやかに狭い部屋の中に拡がっていた。
と、おぬいさんが無言のままで立ち上って、間の襖を開けて静かに隣の部屋に去った。小母さんはそのきっかけにおぬいさんに何かいおうとしたらしかったが、思い返したか、心許なげな眼つきでその後姿を目送しただけで何もいわなかった。
襖が静かに締まった。
園はもう一つ言っておかねばならぬものを思いついた。それゆえふたたび顔を上げて小母さんを見た。小母さんは園を避けながら、いらだっているような風で火鉢の炭をせせっていた。しかしそれはいらだっているのではなく、少し心の落ち着きを失っているのだということが園にはよく解った。彼は小母さんの引きしまった横顔を見やりながら口を切った。
「僕ははじめこのことをあなただけの所で申しあげようか、おぬいさんだけに聞いていただこうかと迷いました……しかし結局お二人の前で申しあげるのが一番いいとおもいました。……本当は槍田さんにでもお願いするのがいいのかもしれません……けれども、そうお願いして万一僕の気持がそのまま現われないようなことがあると……苦しいことだと思ったものですから……どうか僕を信じてくださいまし。僕はどんな御返事をいただいても……それは十分に覚悟しています……」
そういいだしてみると、今度は言っておきたいことが後から後からと無限にあるように感じられた。どこまで行っても果てしがあろうとは思われなかった。園は少し自分に惘れてまた黙ってしまった。そして気がついて、手にしていた茶碗を茶托に戻した。
ややしばらく思案しているらしかった小母さんは、きゅうに居住まいをなおして園の方にまともに顔を向けた。
「園さん。おっしゃることはいちいち私にもよく解りました。それだけおっしゃってくださるのを私は親として誠にありがたく存じますけれども、娘は不束かで、そういうことを考えてみたこともないようでございますし、……もっともゆっくりよく尋ねてはみましょうけれども、……それによく考えてみなければならないことでもございますししますから……今夜はそれを伺っておくだけにさせていただきとうございますが……悪るくお取りくださいますなよ……あなたのようにそう隠しだてなく言っていただくと、私は嬉しゅうございます、本当に。……どんな仕合せになりましょうとも、ぬいもあなたのお志はうれしく存じますでしょう」
小母さんの声は意外にも曇って震えていた。園はもとより今夜の告白からすぐ結果を望もうとなどはしていなかったのだ。心の中では、もちろんそんなことを即座に伺おうなどとは思っていませんといいたかったけれども、それが言葉にはならなかった。
隣の部屋でおぬいさんが忍び泣きをしている……それを園ははっきり感じた。彼は身の内が氷のように引き締まるのを覚えた。強い緊張のために、肩の凝りきった時のような感じが体全体に漲った。自分の少しばかりの言葉がおぬいさんを泣くほどに苦しめたかと思うと、園は今夜の浅慮を悔いるような気にもなった。しかしながらそれはけっして浅慮ではないと園は思い返した。おぬいさんを本当に愛するなら、おぬいさんの気持に絶対自由を与えなければならない。何らかの義務を感じさせておぬいさんを苦しめては忍んでいられない。そういう気持が何よりも先きに立った。
「何んだか僕は自分のしたことが乱暴すぎたかとも思いもします……もしそうでしたら、ごめんください。僕はけっしてどんな結果をも恐れてはいませんから、どうか十分自由なお気持で今までのことをお聞きくださいまし。……僕は今夜きゅうに東京に帰らなければなりません。少し思いがけない不幸に遇いましたから。そのことはいずれ手紙で申しあげます。……それではもう時間がありませんからお暇します。……英語の方をまた休まなければならなくなって……」
とできるだけ冷静な言葉で言おうとしたが、自分ながら意気地なく声が震えを帯びた。もし事が破れたら、この家にはもう来られないのだ。ふと彼はそう思うと限りなく淋しかった。
園は欠席届書を小母さんに託し、不幸というのは父が頓死したのだということを簡単に告げて、座を立つことになった。彼は見納めをするような気持で、きちんと整頓されたその茶の間を眼早く見まわした。時計の下の柱暦に小母さんとおぬいさんとの筆蹟がならんでいるのも――彼が最初にその家に英語を教えるのを断りに来た時に気がついたものだけに――なつかしかった。彼は自分のしたことが、思った以上に彼にとって致命的であるのを知った。
「ぬいさん、園さんがお帰りだからお見送りなさいな。東京の方にお帰りだというから――」
小母さんは立ち上って園を入口に送りだしながら、奥の方にこう声をかけた。けれどもおぬいさんの出てきそうな様子はなかった。園はそれがおぬいさんらしいと思った。そう思いはしたものの、言いようのない物足らなさが胸の奥底に濃く澱むのをどうすることもできなかった。
園が編上靴を穿き終って、外套を着て、もう一度小母さんに簡単な別れの挨拶をして格子戸を開けようとした時、おぬいさんが奥から出てくるのを感づいて、彼は思わず後を振り向いた。はたしておぬいさんが小刻みに駈けるようにして母の後ろまで来ると、その蔭に倚りそって坐るが早いか頭を下げた。園も黙って帽子を取った。その時見えた小母さんの眼には涙がいっぱいたまっていた。
園は格子戸を立ててから、未練だとは思いながらもちらっとおぬいさんを見た。おぬいさんは、畳についた両手をしゃんと延ばして寄せ合わせて、肩さえいつもより細々と見えるのに、襟足がのぞかれるまで顔を重く伏せていた。眼上のものに心から詫び入る姿のように。かと思うと死ぬほどの口惜しさをじっと堪らえる形のように。園にはもどかしいほどに、そのいずれであるかがどうしても分らなかった。
園は歩きながら、我にもなくややともすると、熱い涙が眼に迫るのを感じた。そして振り払うように眼を瞑って、雪になるらしく曇った夜の空に、幾度も顔を仰向けねばならなかった。
思いもかけぬ重い苦痛と疑惑とが、若い心を老いしめると思うほどに押し寄せてきた。彼は自分の腑甲斐なさに呆れるほどだった。市街のここかしこに立つ老いた楡の樹を見るごとに、彼はそれによって自分の心を励まそうとした。……科学のために一身を献げようとするものに何んという不覚なことだ。昔から学者の生活が世の常の立場から見て、淋しく暗らいものであるのは知れきったことだ。それは始めからある誇りをもって覚悟していたことではなかったか。誰にも省みられないけれども、春が来るごとに黙って葉を連ねているあの楡の大樹、あの老木が一度でも分外な涙を流したか。貴様にはまだ文学者じみたセンティメンタリズムが影を潜めてはいないのだ。科学者らしい雄々しさを持て。真理の前には何事を犠牲にしても、微笑していられるだけの熱情を持て。その熱情を誰にも見えない胸の深みに静かに抱いていろ。おぬいさんを愛するのを止めろというのではない。貴様の愛し方は間違っているとはいえない。その愛がその人の前に明かに表明された以上、貴様の心は朗に晴れていかねばならぬはずだ。それだのに結果は反対ではないか。何んという愚かな苦しみを喜ぼうとしているのだ。……貴様の科学は今どこに行ってしまったのだ。そんな風に園はむちゃくちゃに停車場の方に向って歩きながら、自分で自分を鞭ってみた。
そうだったと眼が覚めるように思い上る瞬間もあった。同時に、玄関で別れぎわに見たいたいたしいおぬいさんの姿が、手を延ばせば掴めそうに眼の前にちらついて離れない瞬間もあった。しまいには園は自分を憐みたくさえなった。しかもそれが父の死を知ったばかりの悲しみの中にあるべき身でありながら――園はさながら魍魎の巣の中を喘ぎ喘ぎ歩いていくもののように歩いた。
停車場には白官舎の書生だけが三人で送りに来ていてくれた。柿江は夜学校の日だというので顔を見せなかった。婆やも来てはいなかった。人見が「東京に行くとおもしろい議会が見られるね。伊藤が政友会を率いてどう元老輩をあやつるかが見ものだよ」といっていた。その言葉が特別に園に縁遠い言葉としてかえっていつまでも耳底に残った。
三等車の中央部にあるまん丸な鋳鉄製のストーブは真赤に熱して、そのまわりには遠くから来た旅客がいぎたなく寝そべっていた。八時に札幌を発った列車は、雪さえ黒く見えるような闇の中を驀地に走りだした。園はストーブからかなり離れた席に腰かけて外套の襟を立てて、黙然として坐っていた。床の上を足を動かすたびに、先客の喰荒らした広東豆(南京豆のこと)の殻が気味悪くつぶれて音をたてた。車内の空気はもとより腐敗しきって、油燈の灯が震動に調子を合わせて明るくなったり暗くなったりした。 | 底本:「日本文学全集25 有島武郎集」集英社
1968(昭和43)年4月12日発行
※底本の誤記と思われる部分は、角川文庫「星座」と筑摩書房「有島武郎全集 第5巻」中の「星座」を元に修正した。
入力:大野晋
校正:地田尚
2000年5月15日公開
2005年11月21日修正
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私には口はばったい云い分かも知れませんが聖書と云う外はありません。聖書が私を最も感動せしめたのは矢張り私の青年時代であったと思います。人には性の要求と生の疑問とに、圧倒される荷を負わされる青年と云う時期があります。私の心の中では聖書と性慾とが激しい争闘をしました。芸術的の衝動は性欲に加担し、道義的の衝動は聖書に加担しました。私の熱情はその間を如何う調和すべきかを知りませんでした。而して悩みました。その頃の聖書は如何に強烈な権威を以て私を感動させましたろう。聖書を隅から隅にまですがりついて凡ての誘惑に対する唯一の武器とも鞭撻とも頼んだその頃を思いやると立脚の危さに肉が戦きます。
私の聖書に対する感動はその後薄らいだでしょうか。そうだとも云えます。そうでないとも云えます。聖書の内容を生活としっかり結び付けて読む時に、今でも驚異の眼を張り感動せずに居られません。然し今私は性欲生活にかけて童貞者でないように聖書に対してもファナティックではなくなりました。是れは悪い事であり又いい事でした。楽園を出たアダムは又楽園に帰る事は出来ません。其処には何等かの意味に於て自ら額に汗せねばならぬ生活が待って居ます。私自身の地上生活及び天上生活が開かれ始めねばなりません。こう云う所まで来て見ると聖書から嘗て得た感動は波の遠音のように絶えず私の心耳を打って居ます。神学と伝説から切り放された救世の姿がおぼろながら私の心の中に描かれて来るのを覚えます。感動の潜入とでも云えばいいのですか。
何と云っても私を強く感動させるものは大きな芸術です。然し聖書の内容は畢竟凡ての芸術以上に私を動かします。芸術と宗教とを併説する私の態度が間違って居るのか、聖書を一箇の芸術とのみ見得ない私が間違って居るのか私は知りません。(大正五年十月) | 底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社
1999(平成11)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「有島武郎全集 第七巻」筑摩書房
1980(昭和55)年4月
初出:「新潮」
1916(大正5)年10月号
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
2014年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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思想と実生活とが融合した、そこから生ずる現象――その現象はいつでも人間生活の統一を最も純粋な形に持ち来たすものであるが――として最近に日本において、最も注意せらるべきものは、社会問題の、問題としてまた解決としての運動が、いわゆる学者もしくは思想家の手を離れて、労働者そのものの手に移ろうとしつつあることだ。ここで私のいう労働者とは、社会問題の最も重要な位置を占むべき労働問題の対象たる第四階級と称せられる人々をいうのだ。第四階級のうち特に都会に生活している人々をいうのだ。
もし私の考えるところが間違っていなかったら、私が前述した意味の労働者は、従来学者もしくは思想家に自分たちを支配すべきある特権を許していた。学者もしくは思想家の学説なり思想なりが労働者の運命を向上的方向に導いていってくれるものであるとの、いわば迷信を持っていた。そしてそれは一見そう見えたに違いない。なぜならば、実行に先立って議論が戦わされねばならぬ時期にあっては、労働者は極端に口下手であったからである。彼らは知らず識らず代弁者にたよることを余儀なくされた。単に余儀なくされたばかりでなく、それにたよることを最上無二の方法であるとさえ信じていた。学者も思想家も、労働者の先達であり、指導者であるとの誇らしげな無内容な態度から、多少の覚醒はしだしてきて、代弁者にすぎないとの自覚にまでは達しても、なお労働問題の根柢的解決は自分らの手で成就さるべきものだとの覚悟を持っていないではない。労働者はこの覚悟に或る魔術的暗示を受けていた。しかしながらこの迷信からの解放は今成就されんとしつつあるように見える。
労働者は人間の生活の改造が、生活に根ざしを持った実行の外でしかないことを知りはじめた。その生活といい、実行といい、それは学者や思想家には全く欠けたものであって、問題解決の当体たる自分たちのみが持っているのだと気づきはじめた。自分たちの現在目前の生活そのままが唯一の思想であるといえばいえるし、また唯一の力であるといえばいえると気づきはじめた。かくして思慮深い労働者は、自分たちの運命を、自分たちの生活とは異なった生活をしながら、しかも自分たちの身の上についてかれこれいうところの人々の手に託する習慣を破ろうとしている。彼らはいわゆる社会運動家、社会学者の動く所には猜疑の眼を向ける。公けにそれをしないまでも、その心の奥にはかかる態度が動くようになっている。その動き方はまだ幽かだ。それゆえ世人一般はもとよりのこと、いちばん早くその事実に気づかねばならぬ学者思想家たち自身すら、心づかずにいるように見える。しかし心づかなかったら、これは大きな誤謬だといわなければならない。その動き方は未だ幽かであろうとも、その方向に労働者の動きはじめたということは、それは日本にとっては最近に勃発したいかなる事実よりも重大な事実だ。なぜなら、それは当然起こらねばならなかったことが起こりはじめたからだ。いかなる詭弁も拒むことのできない事実の成り行きがそのあるべき道筋を辿りはじめたからだ。国家の権威も学問の威光もこれを遮り停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事実によってどれほどの混乱に陥ろうとも、それだといって、当然現わるべくして現われ出たこの事実をもみ消すことはもうできないだろう。
かつて河上肇氏とはじめて対面した時(これから述べる話柄は個人的なものだから、ここに公言するのはあるいは失当かもしれないが、ここでは普通の礼儀をしばらく顧みないことにする)、氏の言葉の中に「現代において哲学とか芸術とかにかかわりを持ち、ことに自分が哲学者であるとか、芸術家であるとかいうことに誇りをさえ持っている人に対しては自分は侮蔑を感じないではいられない。彼らは現代がいかなる時代であるかを知らないでいる。知っていながら哲学や芸術に没頭しているとすれば、彼らは現代から取り残された、過去に属する無能者である。彼らがもし『自分たちは何事もできないから哲学や芸術をいじくっている。どうかそっと邪魔にならない所に自分たちをいさしてくれ』というのなら、それは許されないかぎりでもない。しかしながら、彼らが十分の自覚と自信をもって哲学なり、芸術なりにたずさわっていると主張するなら、彼らは全く自分の立場を知らないものだ」という意味を言われたのを記憶する。私はその時、すなおに氏の言葉を受け取ることができなかった。そしてこういう意味の言葉をもって答えた。「もし哲学者なり芸術家なりが、過去に属する低能者なら、労働者の生活をしていない学者思想家もまた同様だ。それは要するに五十歩百歩の差にすぎない」。この私の言葉に対して河上氏はいった、「それはそうだ。だから私は社会問題研究者としてあえて最上の生活にあるとは思わない。私はやはり何者にか申しわけをしながら、自分の仕事に従事しているのだ。……私は元来芸術に対しては深い愛着を持っている。芸術上の仕事をしたら自分としてはさぞ愉快だろうと思うことさえある。しかしながら自分の内部的要求は私をして違った道を採らしている」と。これでここに必要な二人の会話のだいたいはほぼ尽きているのだが、その後また河上氏に対面した時、氏は笑いながら「ある人は私が炬燵にあたりながら物をいっていると評するそうだが、全くそれに違いない。あなたもストーヴにあたりながら物をいってる方だろう」と言われたので、私もそれを全く首肯した。河上氏にはこの会話の当時すでに私とは違った考えを持っていられたのだろうが、その時ごろの私の考えは今の私の考えとはだいぶ相違したものだった。今もし河上氏があの言葉を発せられたら、私はやはり首肯したではあろうけれども、ある異なった意味において首肯したに違いない。今なら私は河上氏の言葉をこう解する、「河上氏も私も程度の差こそあれ、第四階級とは全く異なった圏内に生きている人間だという点においては全く同一だ。河上氏がそうであるごとく、ことに私は第四階級とはなんらの接触点をも持ちえぬのだ。私が第四階級の人々に対してなんらかの暗示を与ええたと考えたら、それは私の謬見であるし、第四階級の人が私の言葉からなんらかの影響を被ったと想感したら、それは第四階級の人の誤算である。第四階級者以外の生活と思想とによって育ち上がった私たちは、要するに第四階級以外の人々に対してのみ交渉を持つことができるのだ。ストーヴにあたりながら物をいっているどころではない。全く物などはいっていないのだ」と。
私自身などは物の数にも足らない。たとえばクロポトキンのような立ち優れた人の言説を考えてみてもそうだ。たといクロポトキンの所説が労働者の覚醒と第四階級の世界的勃興とにどれほどの力があったにせよ、クロポトキンが労働者そのものでない以上、彼は労働者を活き、労働者を考え、労働者を働くことはできなかったのだ。彼が第四階級に与えたと思われるものは第四階級が与えることなしに始めから持っていたものにすぎなかった。いつかは第四階級はそれを発揮すべきであったのだ、それが未熟のうちにクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれないのだ。第四階級者はクロポトキンなしにもいつかは動き行くべき所に動いて行くであろうから。そしてその動き方の方がはるかに堅実で自然であろうから。労働者はクロポトキン、マルクスのような思想家をすら必要とはしていないのだ。かえってそれらのものなしに行くことが彼らの独自性と本能力とをより完全に発揮することになるかもしれないのだ。
それならたとえばクロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば、私の信ずるところによれば、クロポトキンが属していた(クロポトキン自身はそうであることを厭ったであろうけれども、彼が誕生の必然として属せずにいられなかった)第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えたという点にある。マルクスの資本論でもそうだ。労働者と資本論との間に何のかかわりがあろうか。思想家としてのマルクスの功績は、マルクス同様資本王国の建設に成る大学でも卒業した階級の人々が翫味して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も著しいものだ。第四階級者はかかるものの存在なしにでも進むところに進んで行きつつあるのだ。
今後第四階級者にも資本王国の余慶が均霑されて、労働者がクロポトキン、マルクスその他の深奥な生活原理を理解してくるかもしれない。そしてそこから一つの革命が成就されるかもしれない。しかしそんなものが起こったら、私はその革命の本質を疑わずにはいられない。仏国革命が民衆のための革命として勃発したにもかかわらず、ルーソーやヴォルテールなどの思想が縁になって起こった革命であっただけに、その結果は第三階級者の利益に帰して、実際の民衆すなわち第四階級は以前のままの状態で今日まで取り残されてしまった。現在のロシアの現状を見てもこの憾みはあるように見える。
彼らは民衆を基礎として最後の革命を起こしたと称しているけれども、ロシアにおける民衆の大多数なる農民は、その恩恵から除外され、もしくはその恩恵に対して風馬牛であるか、敵意を持ってさえいるように報告されている。真個の第四階級から発しない思想もしくは動機によって成就された改造運動は、当初の目的以外の所に行って停止するほかはないだろう。それと同じように、現在の思想家や学者の所説に刺戟された一つの運動が起こったとしても、そしてその運動を起こす人がみずから第四階級に属すると主張したところが、その人は実際において、第四階級と現在の支配階級との私生子にすぎないだろう。
ともかくも第四階級が自分自身の間において考え、動こうとしだしてきたという現象は、思想家や学者に熟慮すべき一つの大きな問題を提供している。それを十分に考えてみることなしに、みずから指導者、啓発者、煽動家、頭領をもって任ずる人々は多少笑止な立場に身を置かねばなるまい。第四階級は他階級からの憐憫、同情、好意を返却し始めた。かかる態度を拒否するのも促進するのも一に繋って第四階級自身の意志にある。
私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生の一人である。私は新興階級者になることが絶対にできないから、ならしてもらおうとも思わない。第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう。したがって私の仕事は第四階級者以外の人々に訴える仕事として始終するほかはあるまい。世に労働文芸というようなものが主張されている。またそれを弁護し、力説する評論家がある。彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそうした態度を採ることは断じてできない。
もし階級争闘というものが現代生活の核心をなすものであって、それがそのアルファでありオメガであるならば、私の以上の言説は正当になされた言説であると信じている。どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、頭領であれ、第四階級な労働者たることなしに、第四階級に何者をか寄与すると思ったら、それは明らかに僭上沙汰である。第四階級はその人たちのむだな努力によってかき乱されるのほかはあるまい。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「改造」
1922(大正11)年1月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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私が改造の正月号に「宣言一つ」を書いてから、諸家が盛んにあの問題について論議した。それはおそらくあの問題が論議せらるべく空中に漂っていたのだろう。そして私の短文がわずかにその口火をなしたのにすぎない。それゆえ始めの間の論駁には多くの私の言説の不備な点を指摘する批評家が多いようだったが、このごろあれを機縁にして自己の見地を発表する論者が多くなってきた。それは非常によいことだと思う。なぜならばあの問題はもっと徹底的に講究されなければならないものであって、他人の言説のあら探しで終わるべきはずのものではないからである。
本当をいうと、私は諸家の批評に対していちいち答弁をすべきであるかもしれない。しかし私は議論というものはとうてい議論に終わりやすくって互いの論点がますます主要なところからはずれていくのを、少しばかりの議論の末に痛切に感じたから、私は単に自分の言い足らなかった所を補足するのに止めておこうと思う。そしてできるなら、諸家にも、単なる私の言説に対する批評でなしに――もちろん批評にはいつでも批評家自身の立場が多少の程度において現われ出るものではあるが――この問題に対する自分自身の正面からの立場を見せていただきたいと思う。それを知りたいと望む多数の人の一人として私もそれから多分の示唆を受けうるであろうから。
従来の言説においては私の個性の内的衝動にほとんどすべての重点をおいて物をいっていた。各自が自己をこの上なく愛し、それを真の自由と尊貴とに導き行くべき道によって、突き進んで行くほかに、人間の正しい生活というものはありえないと私自身を発表してきた。今でも私はこの立場をいささかも枉げているものではない。人間には誰にもこの本能が大事に心の中に隠されていると私は信じている。この本能が環境の不調和によって伸びきらない時、すなわちこの本能の欲求が物質的換算法によって取り扱われようとする時、そこにいわゆる社会問題なるものが生じてくるのだ。「共産党宣言」は暗黙の中にこの気持ちを十分に表現しているように見える。マルクスは唯物史観に立脚したと称せられているけれども、もし私の理解が誤っていなかったならば、その唯物史観の背後には、力強い精神的要求が潜んでいたように見える。彼はその宣言の中に人々間の精神交渉(それを彼はやさしいなつかしさをもって望見している)を根柢的に打ち崩したものは実にブルジョア文化を醸成した資本主義の経済生活だと断言している。そしてかかる経済生活を打却することによってのみ、正しい文化すなわち人間の交渉が精神的に成り立ちうる世界を成就するだろうことを予想しているように見える。結局彼は人間の精神的要求が完全し満足される環境を、物質価値の内容、配当、および使用の更正によって準備しうると固く信じていた人であって、精神的生活は唯物的変化の所産であるにすぎないから、価値的に見てあまり重きをおくべき性質のものではないと観じていたとは考えることができない。一つの種子の生命は土壌と肥料その他唯物的の援助がなければ、一つの植物に成育することができないけれども、そうだからといって、その種子の生命は、それが置かれた環境より価値的に見て劣ったものだということができないのと同じことだ。
しかるに空想的理想主義者は、誤っていかなる境界におかれても、人間の精神的欲求はそれ自身において満たされうると考える傾きがある。それゆえにその人たちは現在の環境が過去にどう結び付けられてい、未来にどう繋がれようとも、それをいささかも念とはしない。これは一見きわめて英雄的な態度のように見える。しかしながら本当に考えてみると、その人の生活に十分の醇化を経ていないで、過去から注ぎ入れられた生命力に漫然と依頼しているのが発見されるだろう。彼が現在に本当に立ち上がって、その生命に充実感を得ようとするならば、物的環境はこばみえざる内容となってその人の生命の中に摂受されてこなければならぬ。その時その人にとって物的環境は単なる物ではなく、実に生命の一要素である。物的環境が正しく調節されることは、生命が正しく生長することである。唯物史観は単なる精神外の一現象ではなくして、実に生命観そのものである。種子を取りまいてその生長にかかわるすべての物質は、種子にとって異邦物ではなく、種子そのものの一部分となってくるのと同様であろう。人は大地を踏むことにおいて生命に触れているのだ。日光に浴していることにおいて精神に接しているのだ。
それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクスはその生命観において、物心の区別を知らないほどに全的要求を持った人であったということができると私は思う。私はマルクスの唯物史観をかくのごとく解するものである。
ところが資本主義の経済生活は、漸次に種子をその土壌から切り放すような傾向を馴致した。マルクスがその「宣言」にいっているように、従来現存していたところの人々間の美しい精神的交渉は、漸次に廃棄されて、精神を除外した単なる物的交渉によっておきかえられるに至った。すなわち物心という二要素が強いて生活の中に建立されて、すべての生活が物によってのみ評定されるに至った。その原因は前にもいったように物的価値の内容、配当、使用が正しからぬ組立てのもとに置かれるようになったからである。その結果として起こってきた文化なるものは、あるべき季節に咲き出ない花のようなものであるから、まことの美しさを持たず、結実ののぞみのないものになってしまった。人々は今日今日の生活に脅かされねばならなくなった。
種子は動くことすらできない。しかしながら人は動くことと、動くべく意志することができる。ここにおいてマルクスは「万国の労働者よ、合同せよ」といった。唯物史観に立脚するマルクスは、そのままに放置しておいても、資本主義的経済生活は自分で醸した内分泌の毒素によって、早晩崩壊すべきを予定していたにしても、その崩壊作用をある階級の自覚的な努力によって早めようとしたことは争われない(一面に、それを大きく見て、かかる努力そのものがすでに崩壊作用の一現象ということができるにしても)。そして彼はその生活革命の後ろに何を期待したか。確かにそれは人間の文化の再建である。人々間の精神的交渉の復活である。なぜなら、彼は精神生活が、物的環境の変化の後に更生するのを主張する人であるから。結局唯物史観の源頭たるマルクス自身の始めの要求にして最後の期待は、唯物の桎梏から人間性への解放であることを知るに難くないであろう。
マルクスの主張が詮じつめるとここにありとすれば、私が彼のこの点の主張に同意するのは不思議のないことであって、私の自己衝動の考え方となんら矛盾するものではない。生活から環境に働きかけていく場合、すべての人は意識的であると、無意識的であるとを問わなかったら、ことごとくこの衝動によって動かされていると感ずるものである。
私はかつて、この衝動の醇化された表現が芸術だといった。この立場からいうならば、すべての人はこの衝動を持っているがゆえにブルジョアジーとかプロレタリアートとかを超越したところに芸術は存在すべきである。けれども私は衝動がそのまま芸術の萌芽であるといったことはない。その衝動の醇化が実現された場合のみが芸術の萌芽となりうるのだ。しからば現在においてどうすればその衝動は醇化されうるであろうか。知識階級の人が長く養われたブルジョア文化教養をもって、その境界に到達することができるであろうか。これを私は深く疑問とするのである。単なる理知の問題として考えずに、感情にまで潜り入って、従来の文化的教養を受け、とにもかくにもそれを受けるだけの社会的境遇に育ってきたものが、はたして本当に醇化された衝動にたやすく達することができるものであろうか。それを私は疑うものである。私は自分自身の内部生活を反省してみるごとにこの感を深くするのを告白せざるをえない。
かかる場合私の取りうる立場は二つよりない。一つは第三階級に踏みとどまって、その生活者たるか、一つは第四階級に投じて融け込もうと勉めるか。衝動の醇化ということが不可能であるをもって、この二つに一つのいずれかを選ぶほかはない。私はブルジョア階級の崩壊を信ずるもので、それが第四階級に融合されて無階級の社会(経済的)の現出されるであろうことを考えるものであるけれども、そしてそういう立場にあるものにとっては、第四階級者として立つことがきわめて合理的でかつ都合のよいことではあろうけれども、私としては、それがとうてい不可能事であるのを感ずるのだ。ある種の人々はわりあいに簡単にそうなりきったと信じているように見える。そして実際なりきっている人もあるのかもしれない。しかし私は決してそれができないのを私自身がよく知っている。これは理窟の問題ではなく実際そうであるのだからしかたない。
しからば第三階級に踏みとどまっていることに疚しさを感じないか。感ずるにしても感じないにしてもそうであるのだから、私には疚しさとすらいうことはできない。ある時まではそれに疚しさを感ずるように思って多少苦しんだことはある。しかしそれは一個の自己陶酔、自己慰藉にすぎないことを知った。
ただし第三階級に踏みとどまらざるをえないにしても、そこにはおのずからまた二つの態度が考えられる。踏みとどまる以上は、極力その階級を擁護するために力を尽くすか、またはそうはしないかというそれである。私は後者を選ばねばならないものだ。なぜというなら、私は自分が属するところの階級の可能性を信ずることができないからである。私は自己の階級に対してみずから挽歌を歌うものでしかありえない。このことについては「我等」の三月号にのせた「雑信一束」(「片信」と改題)にもいってあるので、ここには多言を費やすことを避けよう。
私の目前の落ち着きどころはひっきょうこれにすぎない。ここに至って私は反省してみる。私のこの態度は、全く第三階級に寄与するところがないだろうか。私がなんらかの意味で第三階級の崩壊を助けているとすれば、それは取りもなおさず、第四階級に何者をか与えているのではないかと。
ここに来て私はホイットマンの言葉を思い出す。彼が詩人としての自覚を得たのは、エマソンの著書を読んだのが与って力があると彼自身でいっている。同時に彼は、「私はエマソンを読んで、詩人になったのではない。私は始めから詩人だった。私は始めから煮えていたが、エマソンによって沸きこぼれたまでの話だ」といっている。私はこのホイットマンの言葉を驕慢な言葉とは思わない。この時エマソンはホイットマンに向かって恩恵の主たることを自負しうるものだろうか。ホイットマンに詩人がいなかったならば、百のエマソンがあったとしても、一人のホイットマンを創り上げることはできなかったのだ。ホイットマンは単に自分の内部にある詩人の本能に従ってたまたまエマソンを自分の都合のために使用したにすぎないのだ。ホイットマンはあるいはエマソンに感謝すべき何物をか持つことができるかもしれない。しかしながらエマソンがホイットマンに感謝を要求すべき何物かがあろうとは私には考えられない。
第三階級にのみおもに役立っていた教養の所産を、第四階級が採用しようとも破棄しおわろうともそれは第四階級の任意である。それを第四階級者が取り上げたといったところが、第四階級の賢さであるとはいえても、第三階級の功績とはいいえないではないか。この意味において私は第四階級に対して異邦人であると主張したのである。
明日になって私のこの考え、この感じはどう変わっていくか、それは自分でも知ることができない。しかしながら「宣言一つ」を書いて以来今日までにおいては、諸家の批判があったにかかわらず、他の見方に移ることができないでいる。私はこの心持ちを謙遜な心持ちだとも高慢な心持ちだとも思っていない。私にはどうしてもそうあらねばならぬ当然な心持ちにすぎないと思っている。
すでにいいかげん閑文字を羅列したことを恥じる。私は当分この問題に関しては物をいうまいと思っている。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「我等」
1922(大正11)年5月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映るか、それは想像も出来ない事だ。恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私の古臭い心持を嗤い憐れむのかも知れない。私はお前たちの為めにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。
お前たちは去年一人の、たった一人のママを永久に失ってしまった。お前たちは生れると間もなく、生命に一番大事な養分を奪われてしまったのだ。お前達の人生はそこで既に暗い。この間ある雑誌社が「私の母」という小さな感想をかけといって来た時、私は何んの気もなく、「自分の幸福は母が始めから一人で今も生きている事だ」と書いてのけた。そして私の万年筆がそれを書き終えるか終えないに、私はすぐお前たちの事を思った。私の心は悪事でも働いたように痛かった。しかも事実は事実だ。私はその点で幸福だった。お前たちは不幸だ。恢復の途なく不幸だ。不幸なものたちよ。
暁方の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡がったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪も吹雪、北海道ですら、滅多にはないひどい吹雪の日だった。市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋から退かなかった。電燈の消えた薄暗い中で、白いものに包まれたお前たちの母上は、夢心地に呻き苦しんだ。私は一人の学生と一人の女中とに手伝われながら、火を起したり、湯を沸かしたり、使を走らせたりした。産婆が雪で真白になってころげこんで来た時は、家中のものが思わずほっと気息をついて安堵したが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣いの色が見え出すと、私は全く慌ててしまっていた。書斎に閉じ籠って結果を待っていられなくなった。私は産室に降りていって、産婦の両手をしっかり握る役目をした。陣痛が起る度毎に産婆は叱るように産婦を励まして、一分も早く産を終らせようとした。然し暫くの苦痛の後に、産婦はすぐ又深い眠りに落ちてしまった。鼾さえかいて安々と何事も忘れたように見えた。産婆も、後から駈けつけてくれた医者も、顔を見合わして吐息をつくばかりだった。医師は昏睡が来る度毎に何か非常の手段を用いようかと案じているらしかった。
昼過ぎになると戸外の吹雪は段々鎮まっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯れるまでになった。然し産室の中の人々にはますます重い不安の雲が蔽い被さった。医師は医師で、産婆は産婆で、私は私で、銘々の不安に捕われてしまった。その中で何等の危害をも感ぜぬらしく見えるのは、一番恐ろしい運命の淵に臨んでいる産婦と胎児だけだった。二つの生命は昏々として死の方へ眠って行った。
丁度三時と思わしい時に――産気がついてから十二時間目に――夕を催す光の中で、最後と思わしい激しい陣痛が起った。肉の眼で恐ろしい夢でも見るように、産婦はかっと瞼を開いて、あてどもなく一所を睨みながら、苦しげというより、恐ろしげに顔をゆがめた。そして私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた。若し私が産婦と同じ程度にいきんでいなかったら、産婦の腕は私の胸を押しつぶすだろうと思う程だった。そこにいる人々の心は思わず総立ちになった。医師と産婆は場所を忘れたように大きな声で産婦を励ました。
ふと産婦の握力がゆるんだのを感じて私は顔を挙げて見た。産婆の膝許には血の気のない嬰児が仰向けに横たえられていた。産婆は毬でもつくようにその胸をはげしく敲きながら、葡萄酒葡萄酒といっていた。看護婦がそれを持って来た。産婆は顔と言葉とでその酒を盥の中にあけろと命じた。激しい芳芬と同時に盥の湯は血のような色に変った。嬰児はその中に浸された。暫くしてかすかな産声が気息もつけない緊張の沈黙を破って細く響いた。
大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那に忽如として現われ出たのだ。
その時新たな母は私を見て弱々しくほほえんだ。私はそれを見ると何んという事なしに涙が眼がしらに滲み出て来た。それを私はお前たちに何んといっていい現わすべきかを知らない。私の生命全体が涙を私の眼から搾り出したとでもいえばいいのか知らん。その時から生活の諸相が総て眼の前で変ってしまった。
お前たちの中最初にこの世の光を見たものは、このようにして世の光を見た。二番目も三番目も、生れように難易の差こそあれ、父と母とに与えた不思議な印象に変りはない。
こうして若い夫婦はつぎつぎにお前たち三人の親となった。
私はその頃心の中に色々な問題をあり余る程持っていた。そして始終齷齪しながら何一つ自分を「満足」に近づけるような仕事をしていなかった。何事も独りで噛みしめてみる私の性質として、表面には十人並みな生活を生活していながら、私の心はややともすると突き上げて来る不安にいらいらさせられた。ある時は結婚を悔いた。ある時はお前たちの誕生を悪んだ。何故自分の生活の旗色をもっと鮮明にしない中に結婚なぞをしたか。妻のある為めに後ろに引きずって行かれねばならぬ重みの幾つかを、何故好んで腰につけたのか。何故二人の肉慾の結果を天からの賜物のように思わねばならぬのか。家庭の建立に費す労力と精力とを自分は他に用うべきではなかったのか。
私は自分の心の乱れからお前たちの母上を屡々泣かせたり淋しがらせたりした。またお前たちを没義道に取りあつかった。お前達が少し執念く泣いたりいがんだりする声を聞くと、私は何か残虐な事をしないではいられなかった。原稿紙にでも向っていた時に、お前たちの母上が、小さな家事上の相談を持って来たり、お前たちが泣き騒いだりしたりすると、私は思わず机をたたいて立上ったりした。そして後ではたまらない淋しさに襲われるのを知りぬいていながら、激しい言葉を遣ったり、厳しい折檻をお前たちに加えたりした。
然し運命が私の我儘と無理解とを罰する時が来た。どうしてもお前達を子守に任せておけないで、毎晩お前たち三人を自分の枕許や、左右に臥らして、夜通し一人を寝かしつけたり、一人に牛乳を温めてあてがったり、一人に小用をさせたりして、碌々熟睡する暇もなく愛の限りを尽したお前たちの母上が、四十一度という恐ろしい熱を出してどっと床についた時の驚きもさる事ではあるが、診察に来てくれた二人の医師が口を揃えて、結核の徴候があるといった時には、私は唯訳もなく青くなってしまった。検痰の結果は医師たちの鑑定を裏書きしてしまった。そして四つと三つと二つとになるお前たちを残して、十月末の淋しい秋の日に、母上は入院せねばならぬ体となってしまった。
私は日中の仕事を終ると飛んで家に帰った。そしてお前達の一人か二人を連れて病院に急いだ。私がその町に住まい始めた頃働いていた克明な門徒の婆さんが病室の世話をしていた。その婆さんはお前たちの姿を見ると隠し隠し涙を拭いた。お前たちは母上を寝台の上に見つけると飛んでいってかじり付こうとした。結核症であるのをまだあかされていないお前たちの母上は、宝を抱きかかえるようにお前たちをその胸に集めようとした。私はいい加減にあしらってお前たちを寝台に近づけないようにしなければならなかった。忠義をしようとしながら、周囲の人から極端な誤解を受けて、それを弁解してならない事情に置かれた人の味いそうな心持を幾度も味った。それでも私はもう怒る勇気はなかった。引きはなすようにしてお前たちを母上から遠ざけて帰路につく時には、大抵街燈の光が淡く道路を照していた。玄関を這入ると雇人だけが留守していた。彼等は二三人もいる癖に、残しておいた赤坊のおしめを代えようともしなかった。気持ち悪げに泣き叫ぶ赤坊の股の下はよくぐしょ濡れになっていた。
お前たちは不思議に他人になつかない子供たちだった。ようようお前たちを寝かしつけてから私はそっと書斎に這入って調べ物をした。体は疲れて頭は興奮していた。仕事をすまして寝付こうとする十一時前後になると、神経の過敏になったお前たちは、夢などを見ておびえながら眼をさますのだった。暁方になるとお前たちの一人は乳を求めて泣き出した。それにおこされると私の眼はもう朝まで閉じなかった。朝飯を食うと私は赤い眼をしながら、堅い心のようなものの出来た頭を抱えて仕事をする所に出懸けた。
北国には冬が見る見る逼って来た。ある時病院を訪れると、お前たちの母上は寝台の上に起きかえって窓の外を眺めていたが、私の顔を見ると、早く退院がしたいといい出した。窓の外の楓があんなになったのを見ると心細いというのだ。なるほど入院したてには燃えるように枝を飾っていたその葉が一枚も残らず散りつくして、花壇の菊も霜に傷められて、萎れる時でもないのに萎れていた。私はこの寂しさを毎日見せておくだけでもいけないと思った。然し母上の本当の心持はそんな所にはなくって、お前たちから一刻も離れてはいられなくなっていたのだ。
今日はいよいよ退院するという日は、霰の降る、寒い風のびゅうびゅうと吹く悪い日だったから、私は思い止らせようとして、仕事をすますとすぐ病院に行ってみた。然し病室はからっぽで、例の婆さんが、貰ったものやら、座蒲団やら、茶器やらを部屋の隅でごそごそと始末していた。急いで家に帰ってみると、お前たちはもう母上のまわりに集まって嬉しそうに騷いでいた。私はそれを見ると涙がこぼれた。
知らない間に私たちは離れられないものになってしまっていたのだ。五人の親子はどんどん押寄せて来る寒さの前に、小さく固まって身を護ろうとする雑草の株のように、互により添って暖みを分ち合おうとしていたのだ。然し北国の寒さは私たち五人の暖みでは間に合わない程寒かった。私は一人の病人と頑是ないお前たちとを労わりながら旅雁のように南を指して遁れなければならなくなった。
それは初雪のどんどん降りしきる夜の事だった、お前たち三人を生んで育ててくれた土地を後にして旅に上ったのは。忘れる事の出来ないいくつかの顔は、暗い停車場のプラットフォームから私たちに名残りを惜しんだ。陰鬱な津軽海峡の海の色も後ろになった。東京まで付いて来てくれた一人の学生は、お前たちの中の一番小さい者を、母のように終夜抱き通していてくれた。そんな事を書けば限りがない。ともかく私たちは幸に怪我もなく、二日の物憂い旅の後に晩秋の東京に着いた。
今までいた処とちがって、東京には沢山の親類や兄弟がいて、私たちの為めに深い同情を寄せてくれた。それは私にどれ程の力だったろう。お前たちの母上は程なくK海岸にささやかな貸別荘を借りて住む事になり、私たちは近所の旅館に宿を取って、そこから見舞いに通った。一時は病勢が非常に衰えたように見えた。お前たちと母上と私とは海岸の砂丘に行って日向ぼっこをして楽しく二三時間を過ごすまでになった。
どういう積りで運命がそんな小康を私たちに与えたのかそれは分らない。然し彼はどんな事があっても仕遂ぐべき事を仕遂げずにはおかなかった。その年が暮れに迫った頃お前達の母上は仮初の風邪からぐんぐん悪い方へ向いて行った。そしてお前たちの中の一人も突然原因の解らない高熱に侵された。その病気の事を私は母上に知らせるのに忍びなかった。病児は病児で私を暫くも手放そうとはしなかった。お前達の母上からは私の無沙汰を責めて来た。私は遂に倒れた。病児と枕を並べて、今まで経験した事のない高熱の為めに呻き苦しまねばならなかった。私の仕事? 私の仕事は私から千里も遠くに離れてしまった。それでも私はもう私を悔もうとはしなかった。お前たちの為めに最後まで戦おうとする熱意が病熱よりも高く私の胸の中で燃えているのみだった。
正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明かされねばならぬ羽目になった。そのむずかしい役目を勤めてくれた医師が帰って後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだろう。真蒼な清々しい顔をして枕についたまま母上には冷たい覚悟を微笑に云わして静かに私を見た。そこには死に対する Resignation と共にお前たちに対する根強い執着がまざまざと刻まれていた。それは物凄くさえあった。私は凄惨な感じに打たれて思わず眼を伏せてしまった。
愈々H海岸の病院に入院する日が来た。お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟の臍を堅めていた。二度とは着ないと思われる――そして実際着なかった――晴着を着て座を立った母上は内外の母親の眼の前でさめざめと泣き崩れた。女ながらに気性の勝れて強いお前たちの母上は、私と二人だけいる場合でも泣顔などは見せた事がないといってもいい位だったのに、その時の涙は拭くあとからあとから流れ落ちた。その熱い涙はお前たちだけの尊い所有物だ。それは今は乾いてしまった。大空をわたる雲の一片となっているか、谷河の水の一滴となっているか、太洋の泡の一つとなっているか、又は思いがけない人の涙堂に貯えられているか、それは知らない。然しその熱い涙はともかくもお前たちだけの尊い所有物なのだ。
自動車のいる所に来ると、お前たちの中熱病の予後にある一人は、足の立たない為めに下女に背負われて、――一人はよちよちと歩いて、――一番末の子は母上を苦しめ過ぎるだろうという祖父母たちの心遣いから連れて来られなかった――母上を見送りに出て来ていた。お前たちの頑是ない驚きの眼は、大きな自動車にばかり向けられていた。お前たちの母上は淋しくそれを見やっていた。自動車が動き出すとお前達は女中に勧められて兵隊のように挙手の礼をした。母上は笑って軽く頭を下げていた。お前たちは母上がその瞬間から永久にお前たちを離れてしまうとは思わなかったろう。不幸なものたちよ。
それからお前たちの母上が最後の気息を引きとるまでの一年と七箇月の間、私たちの間には烈しい戦が闘われた。母上は死に対して最上の態度を取る為めに、お前たちに最大の愛を遺すために、私を加減なしに理解する為めに、私は母上を病魔から救う為めに、自分に迫る運命を男らしく肩に担い上げるために、お前たちは不思議な運命から自分を解放するために、身にふさわない境遇の中に自分をはめ込むために、闘った。血まぶれになって闘ったといっていい。私も母上もお前たちも幾度弾丸を受け、刀創を受け、倒れ、起き上り、又倒れたろう。
お前たちが六つと五つと四つになった年の八月の二日に死が殺到した。死が総てを圧倒した。そして死が総てを救った。
お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を飜さなかった。それは病菌をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。又お前たちを見る事によって自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母上は書いている。
「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」
とも詠じている。
母上が亡くなった時、お前たちは丁度信州の山の上にいた。若しお前たちの母上の臨終にあわせなかったら一生恨みに思うだろうとさえ書いてよこしてくれたお前たちの叔父上に強いて頼んで、お前たちを山から帰らせなかった私をお前たちが残酷だと思う時があるかも知れない。今十一時半だ。この書き物を草している部屋の隣りにお前たちは枕を列べて寝ているのだ。お前たちはまだ小さい。お前たちが私の齢になったら私のした事を、即ち母上のさせようとした事を価高く見る時が来るだろう。
私はこの間にどんな道を通って来たろう。お前たちの母上の死によって、私は自分の生きて行くべき大道にさまよい出た。私は自分を愛護してその道を踏み迷わずに通って行けばいいのを知るようになった。私は嘗て一つの創作の中に妻を犠牲にする決心をした一人の男の事を書いた。事実に於てお前たちの母上は私の為めに犠牲になってくれた。私のように持ち合わした力の使いようを知らなかった人間はない。私の周囲のものは私を一個の小心な、魯鈍な、仕事の出来ない、憐れむべき男と見る外を知らなかった。私の小心と魯鈍と無能力とを徹底さして見ようとしてくれるものはなかった。それをお前たちの母上は成就してくれた。私は自分の弱さに力を感じ始めた。私は仕事の出来ない所に仕事を見出した。大胆になれない所に大胆を見出した。鋭敏でない所に鋭敏を見出した。言葉を換えていえば、私は鋭敏に自分の魯鈍を見貫き、大胆に自分の小心を認め、労役して自分の無能力を体験した。私はこの力を以て己れを鞭ち他を生きる事が出来るように思う。お前たちが私の過去を眺めてみるような事があったら、私も無駄には生きなかったのを知って喜んでくれるだろう。
雨などが降りくらして悒鬱な気分が家の中に漲る日などに、どうかするとお前たちの一人が黙って私の書斎に這入って来る。そして一言パパといったぎりで、私の膝によりかかったまましくしくと泣き出してしまう。ああ何がお前たちの頑是ない眼に涙を要求するのだ。不幸なものたちよ。お前たちが謂れもない悲しみにくずれるのを見るに増して、この世を淋しく思わせるものはない。またお前たちが元気よく私に朝の挨拶をしてから、母上の写真の前に駈けて行って、「ママちゃん御機嫌よう」と快活に叫ぶ瞬間ほど、私の心の底までぐざと刮り通す瞬間はない。私はその時、ぎょっとして無劫の世界を眼前に見る。
世の中の人は私の述懐を馬鹿々々しいと思うに違いない。何故なら妻の死とはそこにもここにも倦きはてる程夥しくある事柄の一つに過ぎないからだ。そんな事を重大視する程世の中の人は閑散でない。それは確かにそうだ。然しそれにもかかわらず、私といわず、お前たちも行く行くは母上の死を何物にも代えがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ。世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。それは恥ずべきことじゃない。私たちはそのありがちの事柄の中からも人生の淋しさに深くぶつかってみることが出来る。小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。それは心一つだ。
何しろお前たちは見るに痛ましい人生の芽生えだ。泣くにつけ、笑うにつけ、面白がるにつけ淋しがるにつけ、お前たちを見守る父の心は痛ましく傷つく。
然しこの悲しみがお前たちと私とにどれ程の強みであるかをお前たちはまだ知るまい。私たちはこの損失のお蔭で生活に一段と深入りしたのだ。私共の根はいくらかでも大地に延びたのだ。人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。
同時に私たちは自分の悲しみにばかり浸っていてはならない。お前たちの母上は亡くなるまで、金銭の累いからは自由だった。飲みたい薬は何んでも飲む事が出来た。食いたい食物は何んでも食う事が出来た。私たちは偶然な社会組織の結果からこんな特権ならざる特権を享楽した。お前たちの或るものはかすかながらU氏一家の模様を覚えているだろう。死んだ細君から結核を伝えられたU氏があの理智的な性情を有ちながら、天理教を信じて、その御祈祷で病気を癒そうとしたその心持を考えると、私はたまらなくなる。薬がきくものか祈祷がきくものかそれは知らない。然しU氏は医者の薬が飲みたかったのだ。然しそれが出来なかったのだ。U氏は毎日下血しながら役所に通った。ハンケチを巻き通した喉からは皺嗄れた声しか出なかった。働けば病気が重る事は知れきっていた。それを知りながらU氏は御祈祷を頼みにして、老母と二人の子供との生活を続けるために、勇ましく飽くまで働いた。そして病気が重ってから、なけなしの金を出してして貰った古賀液の注射は、田舎の医師の不注意から静脈を外れて、激烈な熱を引起した。そしてU氏は無資産の老母と幼児とを後に残してその為めに斃れてしまった。その人たちは私たちの隣りに住んでいたのだ。何んという運命の皮肉だ。お前たちは母上の死を思い出すと共に、U氏を思い出すことを忘れてはならない。そしてこの恐ろしい溝を埋める工夫をしなければならない。お前たちの母上の死はお前たちの愛をそこまで拡げさすに十分だと思うから私はいうのだ。
十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。それはお前たちから親としての報酬を受けるためにいうのではない。お前たちを愛する事を教えてくれたお前たちに私の要求するものは、ただ私の感謝を受取って貰いたいという事だけだ。お前たちが一人前に育ち上った時、私は死んでいるかも知れない。一生懸命に働いているかも知れない。老衰して物の役に立たないようになっているかも知れない。然し何れの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩わされていてはならない。斃れた親を喰い尽して力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。
今時計は夜中を過ぎて一時十五分を指している。しんと静まった夜の沈黙の中にお前たちの平和な寝息だけが幽かにこの部屋に聞こえて来る。私の眼の前にはお前たちの叔母が母上にとて贈られた薔薇の花が写真の前に置かれている。それにつけて思い出すのは私があの写真を撮ってやった時だ。その時お前たちの中に一番年たけたものが母上の胎に宿っていた。母上は自分でも分らない不思議な望みと恐れとで始終心をなやましていた。その頃の母上は殊に美しかった。希臘の母の真似だといって、部屋の中にいい肖像を飾っていた。その中にはミネルバの像や、ゲーテや、クロムウェルや、ナイティンゲール女史やの肖像があった。その少女じみた野心をその時の私は軽い皮肉の心で観ていたが、今から思うとただ笑い捨ててしまうことはどうしても出来ない。私がお前たちの母上の写真を撮ってやろうといったら、思う存分化粧をして一番の晴着を着て、私の二階の書斎に這入って来た。私は寧ろ驚いてその姿を眺めた。母上は淋しく笑って私にいった。産は女の出陣だ。いい子を生むか死ぬか、そのどっちかだ。だから死際の装いをしたのだ。――その時も私は心なく笑ってしまった。然し、今はそれも笑ってはいられない。
深夜の沈黙は私を厳粛にする。私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。よく眠れ。不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床の中から跳り出して来い。私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽すだろう。私の一生が如何に失敗であろうとも、又私が如何なる誘惑に打負けようとも、お前たちは私の足跡に不純な何物をも見出し得ないだけの事はする。きっとする。お前たちは私の斃れた所から新しく歩み出さねばならないのだ。然しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から探し出す事が出来るだろう。
小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。 | 底本:「小さき者へ・生れ出づる悩み」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年1月30日初版
1980(昭和55)年2月10日改版49刷
1986(昭和61)年4月30日発行改版63刷
初出:「新潮」
1918(大正7)年1月
入力:鈴木厚司
校正:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2019年11月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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燕という鳥は所をさだめず飛びまわる鳥で、暖かい所を見つけておひっこしをいたします。今は日本が暖かいからおもてに出てごらんなさい。羽根がむらさきのような黒でお腹が白で、のどの所に赤い首巻きをしておとう様のおめしになる燕尾服の後部みたような、尾のある雀よりよほど大きな鳥が目まぐるしいほど活発に飛び回っています。このお話はその燕のお話です。
燕のたくさん住んでいるのはエジプトのナイルという世界中でいちばん大きな川の岸です――おかあ様に地図を見せておもらいなさい――そこはしじゅう暖かでよいのですけれども、燕も時々はあきるとみえて群れを作ってひっこしをします。ある時その群れの一つがヨーロッパに出かけて、ドイツという国を流れているライン川のほとりまで参りました。この川はたいそうきれいな川で西岸には古いお城があったり葡萄の畑があったりして、川ぞいにはおりしも夏ですから葦が青々とすずしくしげっていました。
燕はおもしろくってたまりません。まるでみなで鬼ごっこをするようにかけちがったりすりぬけたり葦の間を水に近く日がな三界遊びくらしましたが、その中一つの燕はおいしげった葦原の中の一本のやさしい形の葦とたいへんなかがよくって羽根がつかれると、そのなよなよとした茎先にとまってうれしそうにブランコをしたり、葦とお話をしたりして日を過ごしていました。
そのうちに長い夏もやがて末になって、葡萄の果も紫水晶のようになり、落ちて地にくさったのが、あまいかおりを風に送るようになりますと、村のむすめたちがたくさん出て来てかごにそれを摘み集めます。摘み集めながらうたう歌がおもしろいので、燕たちもうたいつれながら葡萄摘みの袖の下だの頭巾の上だのを飛びかけって遊びました。しかしやがて葡萄の収穫も済みますと、もう冬ごもりのしたくです。朝ごとに河面は霧が濃くなってうす寒くさえ思われる時節となりましたので、気の早い一人の燕がもう帰ろうと言いだすと、他のもそうだと言うのでそろそろ南に向かって旅立ちを始めました。
ただやさしい形の葦となかのよくなった燕は帰ろうとはいたしません。朋輩がさそってもいさめても、まだ帰らないのだとだだをこねてとうとうひとりぽっちになってしまいました。そうなるとたよりにするものは形のいい一本の葦ばかりであります。ある時その燕は二人っきりでお話をしようと葦の所に行って穂の出た茎先にとまりますと、かわいそうに枯れかけていた葦はぽっきり折れて穂先が垂れてしまいました。燕はおどろいていたわりながら、
「葦さん、ぼくは大変な事をしたねえ、いたいだろう」
と申しますと葦は悲しそうに、
「それはすこしはいたうございます」
と答えます。燕は葦がかわいそうですからなぐさめて、
「だっていいや、ぼくは葦さんといっしょに冬までいるから」
すると葦が風の助けで首をふりながら、
「それはいけません、あなたはまだ霜というやつを見ないんですか。それはおそろしいしらがの爺で、あなたのようなやさしいきれいな鳥は手もなく取って殺します。早く暖かい国に帰ってください、それでないと私はなお悲しい思いをしますから。私は今年はこのままで黄色く枯れてしまいますけれども、来年あなたの来る時分にはまたわかくなってきれいになってあなたとお友だちになりましょう。あなたが今年死ぬと来年は私一人っきりでさびしゅうございますから」
ともっともな事を親切に言ってくれたので、燕もとうとう納得して残りおしさはやまやまですけれども見かえり見かえり南を向いて心細いひとり旅をする事になりました。
秋の空は高く晴れて西からふく風がひやひやと膚身にこたえます。今日はある百姓の軒下、明日は木陰にくち果てた水車の上というようにどこという事もなく宿を定めて南へ南へとかけりましたけれども、容易に暖かい所には出ず、気候は一日一日と寒くなって、大すきな葦の言った事がいまさらに身にしみました。葦と別れてから幾日めでしたろう。ある寒い夕方野こえ山こえようやく一つの古い町にたどり着いて、さてどこを一夜のやどりとしたものかと考えましたが思わしい所もありませんので、日はくれるししかたがないから夕日を受けて金色に光った高い王子の立像の肩先に羽を休める事にしました。
王子の像は石だたみのしかれた往来の四つかどに立っています。さわやかにもたげた頭からは黄金の髪が肩まで垂れて左の手を帯刀のつかに置いて屹としたすがたで町を見下しています。たいへんやさしい王子であったのが、まだ年のわかいうちに病気でなくなられたので、王様と皇后がたいそう悲しまれて青銅の上に金の延べ板をかぶせてその立像を造り記念のために町の目ぬきの所にそれをお立てになったのでした。
燕はこのわかいりりしい王子の肩に羽をすくめてうす寒い一夜を過ごし、翌日町中をつつむ霧がやや晴れて朝日がうらうらと東に登ろうとするころ旅立ちの用意をしていますと、どこかで「燕、燕」と自分をよぶ声がします。はてなと思って見回しましたがだれも近くにいる様子はないから羽をのばそうとしますと、また同じように「燕、燕」とよぶものがあります。燕は不思議でたまりません。ふと王子のお顔をあおいで見ますと王子はやさしいにこやかな笑みを浮かべてオパールというとうとい石のひとみで燕をながめておいでになりました。燕はふと身をすりよせて、
「今私をおよびになったのはあなたでございますか」
と聞いてみますと王子はうなずかれて、
「いかにも私だ。実はおまえにすこしたのみたい事があるのでよんだのだが、それをかなえてくれるだろうか」
とおっしゃいます。燕はまだこんなりっぱなかたからまのあたりお声をかけられた事がないのでほくほく喜びながら、
「それはお安い御用です。なんでもいたしますからごえんりょなくおおせつけてくださいまし」と申し上げました。
王子はしばらく考えておられましたがやがて決心のおももちで、
「それではきのどくだが一つたのもう、あすこを見ろ」
と町の西の方をさしながら、
「あすこにきたない一軒立ちの家があって、たった一つの窓がこっちを向いて開いている。あの窓の中をよく見てごらん。一人の年老った寡婦がせっせと針仕事をしているだろう、あの人はたよりのない身で毎日ほねをおって賃仕事をしているのだがたのむ人が少いので時々は御飯も食べないでいるのがここから見える。私はそれがかわいそうでならないから何かやって助けてやろうと思うけれども、第一私はここに立ったっきり歩く事ができない。おまえどうぞ私のからだの中から金をはぎとってそれをくわえて行って知れないようにあの窓から投げこんでくれまいか」
とこういうたのみでした。燕は王子のありがたいお志に感じ入りはしましたが、このりっぱな王子から金をはぎ取る事はいかにも進みません。いろいろと躊躇しています。王子はしきりとおせきになります。しかたなく胸のあたりの一枚をめくり起こしてそれを首尾よく寡婦の窓から投げこみました。寡婦は仕事に身を入れているのでそれには気がつかず、やがて御飯時にしたくをしようと立ち上がった時、ぴかぴか光る金の延べ板を見つけ出した時の喜びはどんなでしたろう、神様のおめぐみをありがたくおしいただいてその晩は身になる御飯をいたしたのみでなく、長くとどこおっていたお寺のお布施も済ます事ができまして、涙を流して喜んだのであります。燕も何かたいへんよい事をしたように思っていそいそと王子のお肩にもどって来て今日の始末をちくいち言上におよびました。
次の朝燕は、今日こそはしたわしいナイル川に一日も早く帰ろうと思って羽毛をつくろって羽ばたきをいたしますとまた王子がおよびになります。昨日の事があったので燕は王子をこの上もないよいかたとしたっておりましたから、さっそく御返事をしますと王子のおっしゃるには、
「今日はあの東の方にある道のつきあたりに白い馬が荷車を引いて行く、あすこをごらん。そこに二人の小さな乞食の子が寒むそうに立っているだろう。ああ、二人はもとは家の家来の子で、おとうさんもおかあさんもたいへんよいかたであったが、友だちの讒言で扶持にはなれて、二、三年病気をすると二人とも死んでしまったのだ、それであとに残された二人の小児はあんな乞食になってだれもかまう人がないけれども、もしここに金の延べ金があったら二人はそれを御殿に持って行くともとのとおり御家来にしてくださる約束がある。おまえきのどくだけれども私のからだからなるべく大きな金をはがしてそれを持って行ってくれまいか」
燕はこの二人の乞食を見ますときのどくでたまらなくなりましたから、自分の事はわすれてしまって王子の肩のあたりからできるだけ大きな金の板をはがして重そうにくわえて飛び出しました。二人の乞食は手をつなぎあって今日はどうして食おうと困じ果てています。燕は快活に二人のまわりを二、三度なぐさめるように飛びまわって、やがて二人の前に金の板を落としますと、二人はびっくりしてそれを拾い上げてしばらくながめていましたが、兄なる少年は思い出したようにそれを取上げて、これさえあれば御殿の勘当も許されるからと喜んで妹と手をひきつれて御殿の方に走って行くのを、しっかり見届けた上で、燕はいい事をしたと思って王子の肩に飛び帰って来て一部始終の物語をしてあげますと、王子もたいそうお喜びになってひとかたならず燕の心の親切なのをおほめになりました。
次の日も王子は燕の旅立ちをきのどくだがとお引き留めになっておっしゃるには、
「今日は北の方に行ってもらいたい。あの烏の風見のある屋根の高い家の中に一人の画家がいるはずだ。その人はたいそう腕のある人だけれどもだんだんに目が悪くなって、早く療治をしないとめくらになって画家を廃さねばならなくなるから、どうか金を送って医者に行けるようにしてやりたい。おまえ今日も一つほねをおってくれまいか」
そこで燕はまた自分の事はわすれてしまって、今度は王子の背のあたりから金をめくってその方に飛んで行きましたが、画家は室内には火がなくてうす寒いので窓をしめ切って仕事をしていました。金の投げ入れようがありません。しかたなしに風見の烏に相談しますと、画家は燕が大すきで燕の顔さえ見ると何もかもわすれてしまって、そればかり見ているからおまえも目につくように窓の回りを飛び回ったらよかろうと教えてくれました。そこで燕は得たりとできるだけしなやかな飛びぶりをしてその窓の前を二、三べんあちらこちらに飛びますと、画家はやにわに面をあげて、
「この寒いのに燕が来た」
と言うや否や窓を開いて首をつき出しながら燕の飛び方に見ほれています。燕は得たりかしこしとすきを窺って例の金の板を部屋の中に投げこんでしまいました。画家の喜びは何にたとえましょう。天の助けがあるから自分は眼病をなおした上で無類の名画をかいて見せると勇み立って医師の所にかけつけて行きました。
王子も燕もはるかにこれを見て、今日も一ついい事をしたと清い心をもって夜のねむりにつきました。
そうこうするうちに気候はだんだんと寒くなってきました。青銅の王子の肩ではなかなかしのぎがたいほどになりました。しかし王子は次の日も次の日も今まで長い間見て知っている貧しい正直な人や苦しんでいるえらい人やに自分のからだの金を送りますので、燕はなかなか南に帰るひまがありません。日中は秋とは申しながらさすがに日がぽかぽかとうららかで黄金色の光が赤いかわらや黄になった木の葉を照らしてあたたかなものですから、燕は王子のおおせのままにあちこちと飛び回って御用をたしていました。そのうちに王子のからだの金はだんだんにすくなくなってかわいそうにこの間までまばゆいほどに美しかったおすがたが見る影もないものになってしまいました。ある日の夕方王子は静かに燕をかえり見て、
「燕、おまえは親切ものでよくこの寒いのもいとわず働いてくれたが、私にはもう人にやるものがなくなってしまってこんなみにくいからだになったからさぞおまえも私といっしょにいるのがいやになったろう。もうお帰り、寒くなったし、ナイル川には美しい夏がおまえを待っているから。この町はもうやがて冬になるとさびしいし、おまえのようなしなやかなきれいな鳥はいたたまれまい。それにしてもおまえのようなよい友だちと別れるのは悲しい」とおっしゃいました。燕はこれを聞いてなんとも言えないここちになりまして、いっそ王子の肩で寒さにこごえて死んでしまおうかとも思いながらしおしおとして御返事もしないでいますと、だれか二人王子の像の下にある露台に腰かけてひそひそ話をしているものがあります。
王子も燕も気がついて見ますとそこには一人のわかい武士と見目美しいおとめとが腰をかけていました。二人はもとよりお話を聞くものがあろうとは思いませんので、しきりとたがいに心のありたけを打ち明かしていました。やがて武士が申しますのには、
「二人は早く結婚したいのだけれどもたいせつなものがないのでできないのは残念だ。それは私の家では結婚する時にきっと先祖から伝えてきた名玉を結婚の指輪に入れなければできない事になっています、ところがだれかがそれをぬすんでしまいましたからどうしても結婚の式をあげることはできません」
おとめはもとよりこの武士がわかいけれども勇気があって強くってたびたびの戦いで功名てがらをしたのをしたってどうかその奥さんになりたいと思っていたのですから、涙をはらはらと流しながら嘆息をして、なんのことばの出しようもありません。しまいには二人手を取りあって泣いていました。
燕は世の中にはあわれな話もあるものだと思いながらふと王子をあおいで見ますと、王子の目からも涙がしきりと流れていました。燕はおどろいてちかぢかとすりよりながら「どうなさいました」と申しますと王子は、
「きのどくな二人だ。かのわかい武士の言う名玉というのは今は私のひとみになっている、二つのオパールの事であるが、王が私の立像を造られようとなされた時、私のひとみに使うほどりっぱな玉がどこにもなかったので、たいそう心をいためておいでなさると悪いへつらいずきな家来が、それはおやすい御用でございますと言ってあのわかい武士の父上をおとずれてよもやまの話のまぎれにそっとあの大事な玉をぬすんでしまったのだ。私はもう目が見えなくなってもいいからどうか私の目からひとみをぬき出してあの二人にやってくれ」
とおっしゃりながらなお涙をはらはらと流されました。およそ世の中でめくらほどきのどくなものはありません。毎日きれいに照らす日の目も、毎晩美しくかがやく月の光も、青いわか葉も紅い紅葉も、水の色も空のいろどりも、みんな見えなくなってしまうのです。試みに目をふさいで一日だけがまんができますか、できますまい。それを年が年じゅう死ぬまでしていなければならないのだから、ほんとうに思いやるのもあわれなほどでしょう。
王子はありったけの身のまわりをあわれな人におやりなすったのみか、今はまた何よりもたいせつな目までつぶそうとなさるのですもの。燕はほとほとなんとお返事をしていいのかわからないでうつぶいたままでこれもしくしく泣きだしました。
王子はやがて涙をはらって、
「ああこれは私が弱かった。泣くほど自分のものをおしんでそれを人にほどこしたとてなんの役にたつものぞ。心から喜んでほどこしをしてこそ神様のお心にもかなうのだ。昔キリストというおかたは人間のためには十字架の上で身を殺してさえ喜んでいらっしたのではないか。もう私は泣かぬ。さあ早くこの玉を取ってあのわかい武士にやってくれ、さ、早く」
とおせきになります。燕はなおも心を定めかねて思いわずらっていますうちに、わかい武士とおとめとは立ち上がって悲しそうに下を向きながらとぼとぼとお城の方に帰って行きます。もう日がとっぷりとくれて、巣に帰る鳥が飛び連れてかあかあと夕焼けのした空のあなたに見えています。王子はそれをごらんになるとおしかりになるばかり、燕をせいて早くひとみをぬけとおっしゃいます。燕はひくにひかれぬ立場になって、
「それではしかたがございません、御免こうむります」
と申しますと、観念して王子の目からひとみをぬいてしまいました。おくれてはなるまいとその二つをくちばしにくわえるが早いか、力をこめて羽ばたきしながら二人のあとを追いかけました。王子はもとのとおり町を見下ろした形で立っていられますが、もうなんにも見えるのではありませんかった。
燕がものの四、五町も走って行って二人の前にオパールを落としますとまずおとめがそれに目をつけて取り上げました。わかい武士は一目見るとおどろいてそれを受け取ってしばらくは無言で見つめていましたが、
「これだ、これだ、この玉だ。ああ私はもう結婚ができる。結婚をして人一倍の忠義ができる。神様のおめぐみ、ありがたいかたじけない。この玉をみつけた上は明日にでも御婚礼をしましょう」
と喜びがこみ上げて二人とも身をふるわせて神にお礼を申します。
これを見た燕はどんなけっこうなものをもらったよりもうれしく思って、心も軽く羽根も軽く王子のもとに立ちもどってお肩の上にちょんとすわり、
「ごらんなさい王子様。あの二人の喜びはどうです。おどらないばかりじゃありませんか。ごらんなさい泣いているのだかわらっているのだかわかりません。ごらんなさいあのわかい武士が玉をおしいただいているでしょう」
と息もつかずに申しますと、王子は下を向いたままで、
「燕や私はもう目が見えないのだよ」
とおっしゃいました。
さて次の日に二人の御婚礼がありますので、町中の人はこの勇ましいわかい武士とやさしく美しいおとめとをことほごうと思って朝から往来をうずめて何もかもはなやかな事でありました。家々の窓からは花輪や国旗やリボンやが風にひるがえって愉快な音楽の声で町中がどよめきわたります。燕はちょこなんと王子の肩にすわって、今馬車が来たとか今小児が万歳をやっているとか、美しい着物の坊様が見えたとか、背の高い武士が歩いて来るとか、詩人がお祝いの詩を声ほがらかに読み上げているとか、むすめの群れがおどりながら現われたとか、およそ町に起こった事を一つ一つ手に取るように王子にお話をしてあげました。王子はだまったままで下を向いて聞いていらっしゃいます。やがて花よめ花むこが騎馬でお寺に乗りつけてたいそうさかんな式がありました。その花むこの雄々しかった事、花よめの美しかった事は燕の早口でも申しつくせませんかった。
天気のよい秋びよりは日がくれると急に寒くなるものです。さすがににぎやかだった御婚礼が済みますと、町はまたもとのとおりに静かになって夜がしだいにふけてきました。燕は目をきょろきょろさせながら羽根を幾度か組み合わせ直して頸をちぢこめてみましたが、なかなかこらえきれない寒さで寝つかれません。まんじりともしないで東の空がぼうっとうすむらさきになったころ見ますと屋根の上には一面に白いきらきらしたものがしいてあります。
燕はおどろいてその由を王子に申しますと、王子もたいそうおおどろきになって、
「それは霜というもので――霜と言う声を聞くと燕は葦の言った事を思い出してぎょっとしました。葦はなんと言ったか覚えていますか――冬の来た証拠だ、まあ自分とした事が自分の事にばかり取りまぎれていておまえの事を思わなかったのはじつに不埒であった。長々御世話になってありがたかったがもう私もこの世には用のないからだになったからナイルの方に一日も早く帰ってくれ。かれこれするうちに冬になるととてもおまえの生命は続かないから」
としみじみおっしゃいました。燕はなんでいまさら王子をふりすてて行かれましょう。たとえこごえ死にに死にはするともここ一足も動きませんと殊勝な事を申しましたが、王子は、
「そんなわからずやを言うものではない。おまえが今年死ねばおまえと私の会えるのは今年限り。今日ナイルに帰ってまた来年おいで。そうすれば来年またここで会えるから」
と事をわけて言い聞かせてくださいました。燕はそれもそうだ、
「そんなら王子様来年またお会い申しますから御無事でいらっしゃいまし。お目が御不自由で私のいないために、なおさらの御不自由でしょうが、来年はきっとたくさんのお話を持って参りますから」
と燕は泣く泣く南の方へと朝晴れの空を急ぎました。このまめまめしい心よしの友だちがあたたかい南国へ羽をのして行くすがたのなごりも王子は見る事もおできなさらず、おいたわしいお首をお下げなすったままうすら寒い風の中にひとり立っておいででした。
さてそのうちに日もたって冬はようやく寒くなり雪だるまのできる雪がちらちらとふりだしますと、もうクリスマスには間もありません。欲張りもけちんぼうも年寄りも病人もこのころばかりは晴れ晴れとなって子どものようになりますので、かしげがちの首もまっすぐに、下向きがちの顔も空を見るようになるのがこのごろです。で、往来の人は長々見わすれていた黄金の王子はどうしていられる事かとふりあおぎますと、おどろくまい事かすき通るほど光ってござった王子はまるで癩病やみのように真黒で、目は両方ともひたとつぶれてござらっしゃります。
「なんだこのぶざまは、町のまん中にこんなものは置いて置けやしない」
と一人が申しますと、
「ほんとうだ、クリスマス前にこわしてしまおうじゃないか」
と一人がほざきます。
「生きてるうちにこの王子は悪い事をしたにちがいない。それだからこそ死んだあとでこのざまになるんだ」とまた一人がさけびます。
「こわせこわせ」
「たたきこわせたたきこわせ」
という声がやがてあちらからもこちらからも起こって、しまいには一人が石をなげますと一人はかわらをぶつける。とうとう一かたまりのわかい者がなわとはしごを持って来てなわを王子の頸にかけるとみんなで寄ってたかってえいえい引っぱったものですから、さしもに堅固な王子の立像も無惨な事には礎をはなれてころび落ちてしまいました。
ほんとうにかわいそうな御最期です。
かくて王子のからだは一か月ほど地の上に横になってありましたが、町の人々は相談してああして置いてもなんの役にもたたないからというのでそれをとかして一つの鐘を造ってお寺の二階に収める事にしました。
その次の年あの燕がはるばるナイルから来て王子をたずねまわりましたけれども影も形もありませんかった。
しかし今でもこの町に行く人があれば春でも夏でも秋でも冬でもちょうど日がくれて仕事が済む時、灯がついて夕炊のけむりが家々から立ち上る時、すべてのものが楽しく休むその時にお寺の高い塔の上から澄んだすずしい鐘の音が聞こえて鬼であれ魔であれ、悪い者は一刻もこの楽しい町にいたたまれないようにひびきわたるそうであります。めでたしめでたし。 | 底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
1952(昭和27)年 3月10日初版発行
1967(昭和42)年 5月30日39版発行
1987(昭和62)年11月10日改版32版発行
初出:「婦人の国」1926(大正15)年4月
入力:土屋隆
校正:鈴木厚司
2003年6月26日作成
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ドモ又の死
(これはマーク・トウェインの小話から暗示を得て書いたものだ)
人物
花田 ┐
沢本 (諢名、生蕃) │
戸部 (諢名、ドモ又) ├若き画家
瀬古 (諢名、若様) │
青島 ┘
とも子 モデルの娘
処
画室
時
現代 気候のよい時節
沢本と瀬古とがとも子をモデルにして画架に向かっている。戸部は物憂そうに床の上に臥ころんでいる。
沢本 (瀬古に)おい瀬古、ドモ又がうなっているぞ、死ぬんじゃあるまいな。
瀬古 僕も全くうなりたくなるねえ、死にたくなるねえ。……ともちゃん、おまえもおなかがすいたろう。
とも子 もう物をいってもいいの、若様。
瀬古 いいよ。おなかがすいたろう。
とも子 そんなでもないことよ。
戸部うなる。
どうしたの、戸部さん、あなた死ぬとこなの。まだ早いわ。
瀬古 ともちゃんはここに来る前に何か食べて来たね。
とも子 ええ食べてよ、おはぎを。
沢本 黙れ黙れ。ああ俺はもうだめだ。(腹をかかえる)つばも出なくなっちまいやがった。
瀬古 ふうん、おはぎを……強勢だなあ、いくつ食べたい。
とも子 まあいやな瀬古さん。
瀬古 そうしておはぎはあんこのかい、きなこのかい、それとも胡麻……白状おし、どれをいくつ……
沢本 瀬古やめないか、俺はほんとうに怒るぞ。飢じい時にそんな話をする奴が……ああ俺はもうだめだ。三日食わないんだ、三日。
瀬古 沢本は生蕃だけに芸術家として想像力に乏しいよ。僕が今ここにおはぎを出すから見てろ――じゃない聞いてろ。ともちゃんが家を出ようとすると、お母さんが「ともや、ここにこんなものが取ってあるから食べておいでな」といって、鼠入らずの中から、ラーヴェンダー色のあんこと、ネープルス・エローのきなこと、あのヴェラスケスが用いたというプァーリッシ・グレーの胡麻……
戸部うなり声を立てる。
沢本 だから貴様は若様だなんて軽蔑されるんだ。そんなだらしのない空想が俺たちの芸術に取ってなんの足しになると思ってるんだ。俺たちは真実の世界に立脚して、根強い作品を創り出さなければならないんだ。だから……俺は残念ながら腹がからっぽで、頭まで少し変になったようだ。
とも子 生蕃さんはふだんあんまり大食いをするから、こんな時に困るんだわ。……それにしてもどうしてここにいる人たちの画はこんなに売れないんでしょうねえ。
沢本 わかり切っているじゃないか。俺たちがりっぱなものを描くからだ……世の中の奴には俺たちの仕事がわからないんだ……ああ俺はもうだめだ。
瀬古 ともちゃん、そのおはぎの舌ざわりはいったいどんなだったい……僕には今日はおはぎがシスティン・マドンナの胸のように想像されるよ。ともちゃん、おまえのその帯の間に、マドンナの胸の肉を少しばかり買う金がありゃしないか。
とも子 なかったわ。私ずいぶん長い間なんにももらわないんですもの。
瀬古 許しておくれ、ともちゃん、僕たちはおまえんちの貧乏もよく知ってるんだが……
沢本 悪い悪い。そんなに長くなんにも君にやらなかったかい。俺たちは全く悪いや。待てよ、と。ない。ないはずだ。今ごろやる物があるくらいなら遠の昔にやっているんだ。
戸部 お母さん怒らないか。
とも子 偶にいやな顔はしてよ。
戸部 じゃ君は、もうここには寄りつかなくなるね。(うなる)
とも子 そんなこと……よけいなお世話よ。私のしたいようにするんだから。
沢本 瀬古の若様がひかえている間は大丈夫だが……
とも子 人聞きの悪い……よしてください。
戸部うなる。
瀬古 ともちゃん、頼むから毎日来ておくれ。頼むよ。僕たちは一人残らずおまえを崇拝しているんだ。おまえが帰ると、この画室の中は荒野同様だ。僕たちは寄ってたかっておまえを讃美して夜を更かすんだよ。もっともこのごろは、あまり夜更かしをすると、なおのこと腹がすくんで、少し控え気味にはしているがね。
とも子 なんて讃美するの。ともの奴はおかめっ面のあばずれだって。
瀬古 だが収入がなくっちゃおまえんちも暮らせないね。
とも子 知れたこってすわ、馬鹿馬鹿しい。
沢本 じゃやはりドモ又がいったように、君はどこかに岸をかえるんだな。
とも子 さあねえ。そうするよりしかたがないわね。私はいったい画伯とか先生とかのくっ付いた画かきが大きらいなんだけれども、……いやよ、ほんとうにあいつらは……なんていうと、お高くとまる癖にひとの体にさわってみたがったりして……けれどもお金にはなるわね。あなたがたみたいに食べるものもなくなっちゃ私は半日だってやり切れないわ。大の男が五人も寄ってる癖に全くあなたがたは甲斐性なしだわ。
戸部 畜生……出て行け、今出て行け。
とも子 だからよけいなお世話だってさっきも言ったじゃないの。いやな戸部さん。
(悔しそうに涙をためる)
戸部うなる。
言われなくたって、出たけりゃ勝手に出ますわ、あなたのお内儀さんじゃあるまいし。
戸部 俺たちの仕事が認められないからって、裏切りをするような奴は……出て行け。
瀬古 腹がすくと人は怒りっぽくなる。戸部の気むずかしやの腹がすいたんだから、いわばペガサスに悪魔が飛び乗ったようなもんだよ。おまえ、気を悪くしちゃいけないよ。
とも子 だって戸部さんみたいなわからず屋ってないんだもの。画なんてちっとも売れない画かきばかりの、こんな穢い小屋に、私もう半年の余も通っていてよ。よほどありがたく思っていいわけだわ。それを人の気も知らないで……
戸部 貴様は(瀬古を指さして)こいつの顔が見たいばかりで……
とも子 焼餅やき。
戸部 馬鹿。(うなる)
沢本 ああ俺はもうだめだ。死ぬくらいなら俺は画をかきながら死ぬ。画筆を握ったままぶっ倒れるんだ。おい、ともちゃん、悪態をついてるひまにモデル台に乗ってくれ。……それにしても花田や青島の奴、どうしたんだ。
瀬古 全くおそいね。計略を敵に見すかされてむざむざと討ち死にしたかな。いったい計略計略って花田の奴はなにをする気なんだろう。
沢本 おい、ともちゃん……乗るんだ。君は俺たちのモデルじゃないか。若様も描けよ。
瀬古 うん描こう。いったい計画計画って……おい生蕃、ガランスをくれ。
沢本 その色こそは余が汝に求めんとしつつあったものなのだ。貴様のところにもないんか。
とも子 ドモ又さんもお描きなさいな。人ってものはうなってばかりいたってお金にはならないわ、自動車じゃあるまいし。
沢本 ドモ又ガランスを出せ。
戸部 (自分の画箱のほうに這いずって行って中を捜しながら)ない。
瀬古 ペガサスの腰ぬけはないぜ。おまえも起き上がって描けよ。花田の画箱はどうだ。(隣の部屋から画箱を持ち出して捜しながら歌う)
「一本ガランスをつくせよ
空もガランスに塗れ
木もガランスに描け
草もガランスに描け
天皇もガランスにて描き奉れ
神をもガランスにて描き奉れ
ためらうな、恥じるな
まっすぐにゆけ
汝の貧乏を
一本のガランスにて塗りかくせ」
村山槐多も貧乏して死んだんだ。あああ、あいつの画箱にもガランスはなかったろうな。描き奉ってしまったんだから。
「天にまします我らの神よ」途中はぬかします。「我らに日用の糧を今日も」じゃない「今日こそは与えたまえ」。ついでに我らにガランスを与えたまえ。あとは腹がへっているからぬかします。「アーメン」。ええと我らにガランスを与えたまえ。ガランスを与えたまえ。我らに日用の糧を与えたまえ。(銀紙に包んだものを探り出す)我らに(銀紙を開きながら喜色を帯ぶ)日用……糧を……我らに日用の糧を……(急におどり上がって手に持った紙包みをふりまわす)……ブラボーブラボーブラビッシモ……おお太陽は昇った。
一同思わず瀬古の周囲に走りよる。
沢本 食えそうなものが出てきたんか。
戸部 ガランスか。
瀬古 沢本、おまえはさもしい男だなあ、なんぼ生蕃と諢名されているからって、美術家ともあろうものが「食えそうなもの」とはなんだね。
沢本 食えそうなものが出てきたんかといっただけで、なんでさもしい。ああ俺はもうだめだ。食えそうなものなんて言ったらだめになった……畜生、俺は画を描く。ガランスがなけりゃ血で描くんだ。
画架のほうに行きかける。
瀬古 いい覚悟だ。そこでともちゃん、これをなんだと思う。これはもったいなくもチョコレットの食い残りなんだ。
沢本と戸部と勢い込んで瀬古に逼る。
戸部 俺によこせ。
瀬古 これはガランスじゃないよ。
戸部 ガランスかって聞いたのは、ガランスだと困ると思ってそう聞いたんだ。俺はガランスくらいほしくはない。それは俺のだ。俺によこせ。
沢本 ガランスがなけりゃ、俺だって食えそうなものを辞退するわけじゃないぞ。ドモ又いいかげんをいうな。これは俺んだ。
瀬古 そうがつがつするなよ。待て待て。今僕が公平な分配をしてやるから。(パレットナイフでチョコレットに筋をつける)これで公平だろう。
沢本 四つに分けてどうするんだ。
瀬古 (沢本と戸部にチョコレットを食いかかせながら)最後の一片はもちろん僕たちの守護女神ともちゃんに献げるのさ。僕はなんという幻滅の悲哀を味わわねばならないんだ。このチョコレットの代わりにガランスが出てきてみろ、君たちはこれほど眼の色を変えて熱狂しはしなかろう。ミューズの女神も一片のチョコレットの前には、醜い老いぼれ婆にすぎないんだ。(こんどは自分が食いかく)ミューズを老いぼれ婆にしくさったチョコレットめ、芸術家が今復讐するから覚悟しろ。(ぼりぼりとうまそうに食う。とも子のほうに向け最後の一片をさし出しながら)ともちゃん、さあ。
とも子 まあいやだ、誰がひとの食べかいたものなんか食べるもんですか。
瀬古 (驚いたようすをしながら)え、食べない。これを。食べないとはおまえ偉いねえ。おまえの趣味がそれほどノーブルに洗練されているとは思わなかった。全くおまえは見上げたもんだねえ。おまえは全くいい意味で貴族的だねえ。レデイのようだね。それじゃ僕が……
沢本と戸部とが襲いかかる前に瀬古逸早くそれを口に入れる。
瀬古 来た来た花田たちが来たようだ。早く口を拭え。
花田と青島登場。
花田 (指をぽきんぽきん鳴らす癖がある)おまえたちは始終俺のことを俗物だ俗物だといっていやがったな。若様どうだ。
瀬古 僕は汚されたミューズの女神のために今命がけの復讐をしているところだ。待ってくれ。(口をもがもがさせながら物を言う)
花田 貴様、俺のチョコレットを食ってるな。この画室にはそのほかに食うものはないはずだ。俺はそれを昨日画箱の中にちゃんとしまっておいたんだ。
沢本 隠し食いをしておきながら……貴様はチョコレットで画が描けるとでも思ってるんか。神聖なる画箱にチョコレットを……だから貴様は俗物だよ。
花田 なんとでもいえ。しかし俺がいなかったら、おまえたちは飢え死にをするよりしかたないところだったんだ。
沢本 まあいいから、貴様の計画というものの報告を早くしろ。
花田 そうだ。ぐずぐずしちゃいられない。おい青島、堂脇は九頭竜の奴といっしょに来るといってたか。
青島 そんなことをいってたようだ。なにしろ堂脇のお嬢さんていうのには、俺は全く憧憬してしまった。その姿にみとれていたもんで、おやじの言葉なんか、半分がた聞き漏らしちゃった。
沢本 馬鹿。
青島 あの娘なら芸術がほんとうにわかるに違いない。芸術家の妻になるために生まれてきたような処女だ。あの大俗物の堂脇があんな天女を生むんだから皮肉だよ。そうしてかの女は、芸術に対する心からの憧憬を踏みにじられて、ついには大金持ちの馬鹿息子のところにでも片づけられてしまうんだ……あんな人をモデルにつかって一度でも画が描いて見たいなあ。
瀬古 そんなか。
青島 そんなだとも。
とも子 今日はもう私、用がないようだから帰りますわ。
戸部 俺に用があるよ。くだらないことばかりいってやがる。俺が描くから……
とも子 またうなりを立てて、床の上にへたばるんじゃなくって。
戸部 いいから……こいつら、うっちゃっておけ。
戸部ひとりだけ、とも子をモデルにして描きはじめる。その間に次の会話が行なわれる。
花田 全くともちゃんに帰られちゃ困るよ。青島、貴様よけいなことをいうからいかんよ。……とにかくみんな気を落ちつけて俺の報告を聞け。ドモ又もともちゃんも、そこで聞いてるんだぜ……待てよ。(時計を出して見ようとして、なくなっているのを発見)時計もセブンか。セブンどころじゃないイレブンくらいだろう。もういそがないと間に合わない。今朝俺は青島と手分けをして、青島は堂脇んちの庭に行き、俺は九頭竜の店に行った。とてもたまらない奴だ。はじめの間は、なかなか取りつく島もなかったが、とうとう利をもっておびき出してやった。名は今ちょっといえないが私どもの仲間に一人、ずぬけてえらい天才がいる。油でもコンテでも全然抜群で美校の校長も、黒馬会の白島先生も藤田先生も、およそ先生と名のつく先生は、彼の作品を見たものは一人残らず、ただ驚嘆するばかりで、ぜひ展覧会に出品したらというんだが、奴、つむじ曲がりで、うんといわないばかりか、てんで今の大家なんか眼中になく、貧乏しながらも、黙ってこつこつと画ばかり描いていた。だから世間では、俺たちの仲間のほかに、奴のことを知ってるものは一人だっていやあしない。
沢本 うん全くそれはそのとおりだ。
花田 ところがその男が貧に逼り、飢えに疲れてとうとう昨日死んでしまった。
沢本 馬鹿をいうない。俺はとにかくまだ生きてるぞ。
花田 誰が死んだのはおまえだってそういったい……ところで俺たちは実に悲嘆に暮れてしまった。いったい俺たちが、五人そろって貧乏のどんづまりに引きさがりながらも、鼻歌まじりで勇んで暮らしているのは、誰にもあずけておけない仕事があるからだ。その仕事をし遂げるまでは、たとい死に神が手をついて迎えに来ても、死に神のほうをたたき殺すくらいな勢いでやっているんだ。その中でもがんばり方といい、力量といい一段も二段も立ちまさっていたのは奴だった。東京のすみっこから世界の美術をひっくり返すような仕事が出るのを俺たちは彼において期待していた。だのに、あまりにすぐれたものは神もねたむのだろう。奴は倒れてしまった。奴は火だった。焔だった。奴の燃えることは奴の滅びることだったんだ。
戸部 貴様そういったか。
花田 うむ。
戸部 よくいった。
花田 俺はまだこうもいった。奴には一人の弟があって、その弟の細君というのが、心と姿との美しい女だった。そうしてその女が毎日俺たちの画室に来てモデルになってくれた。俺たちのような、物質的には無能力に近いグループのために尽くしてくれるその女の志は美しいものだった。奴はひそかにその弟の細君に恋をしていた。けれども定められた運命だからどうすることもできない。奴は苦しんだ。そしてその苦しみと無限の淋しみとを、幾枚もの画に描き上げた。風景や静物にもすばらしいのはあるが、その女の肖像画にいたっては神品だというよりほかに言葉がない。
瀬古 おいおいそれは誰の事だい。ともちゃん、おまえ覚えがある。
花田 まあ、あとでわかるから黙って聞け。……ところで、奴が死んでみると、俺たち彼の仲間は、奴の作品を最も正しい方法で後世に遺す義務を感ずるのだ。ところで、俺は九頭竜にいった。いやしくもおまえさんが押しも押されもしない書画屋さんである以上、書画屋という商売にふさわしい見識を見せるのが、おまえさんの誉れにもなるし沽券にもなる。ひとつおまえさんあれを一手に引き受けて遺作展覧会をやる気はありませんか。そうしたら、九頭竜の野郎、それは耳よりなお話ですから、私もひとつ損得を捨てて乗らないものでもありませんが、それほど先生がたがおほめになるもんなら、展覧会の案内書に先生がたから一言ずつでもお言葉を頂戴することにしたらどんなものでしょうといやがった。
瀬古 僕はいやだよ、そんなのは。僕らの芸術に先生がたの裏書きをしてもらうくらいなら、僕は野末でのたれ死にをしてみせる。
とも子 えらいわ若様。
瀬古 ひやかすなよ。
花田 全くだ。第一僕たちのような頸骨の固い謀叛人に対して、大家先生たちが裏書きどころか、俺たちと先生がたとなんのかかわりあらんやだ。……ところで俺はいった。そんなら、こちらでお断わりするほかはない。奴の画はそんなけちな画ではない。大手をふって一人で通ってゆく画だ。そういうものを発見するのが書画屋の見識というものではないか。そういう見識から儲けが生まれてこなければ、大きな儲けは生まれはしない。
沢本 俗物の本音を出したな。
花田 俺がそんなことでもして大きな儲けをしたら俗物とでもなんとでもいうがいい。融通のきかないのをいいことにして仙人ぶってるおまえたちとは少し違うんだから。……ところで九頭竜が大部頭を縦にかしげ始めた。まあ来てごらんなさいといったら、それではすぐ上がりますといった。……ところで、これからがほんとうの計略になるんだが、……おいみんな厳粛な気持ちで俺のいうことを聞け。おまえたちのうち誰でも、この場に死んだとして、今まで描いたものを後世に遺して恥じないだけの自信があるか、どうだ。生蕃どうだ。
沢本 なくってどうする。
花田 よし。瀬古はどうだ。
瀬古 僕は恥じる恥じないで画を描いてるんじゃないよ。僕は描きたいから描くんだ。
花田 わかった。じゃその気持ちは純粋だな。
瀬古 いまさらそんなことを……水くさい男だなあ。
花田 ドモ又はどうだ。
戸部 できたものはみんないやだ。けれども人のに比べれば、俺のほうがいいと俺は思っている。俺はそれを知っている。
花田 青島の心持ちはもう聞いた。青島も俺も、自分の仕事を後世に残して恥ずかしいとは思わない。俺たちはみんないわば子供だ。けれども子供がいつでも大人の家来じゃないからな。
一同 そうだとも。
花田 じゃいいか。俺たち五人のうち一人はこの場合死ななけりゃならないんだ。あとの四人が画を描きつづけて行く費用を造り出すための犠牲となって俺たちのグループから消え去らなければならないんだ。
瀬古 おいおい花田、おまえ気でも違ったのか。僕たちは芸術家だよ。殉教者じゃないよ。
花田 芸術のために殉死するのさ。そのくらいの意気があってもいいだろう。その代わり死んだ奴の画は九頭竜の手で後世まで残るんだ。
沢本 なんという智慧のない計略を貴様は考え出したもんだ。そんなことを考え出した奴は、自分が先に死ぬがいいんだ。
花田 俺が死んでいいかい。……そうだもう一ついうことを忘れていたが、死ぬ番にあたった奴は、その褒美としてともちゃんを奥さんにすることができるんだ。このだいじな条件をいうのを忘れていた。おいともちゃん……ドモ又、もう描くのをやめろよ……ともちゃん、おまえ頼むから俺たち五人の中の誰でもいい、おまえの気に入った人とほんとうに結婚してくれないか。
とも子 なんですねえ途轍もない。
花田 俺たち五人の中に一人、おまえの旦那にしてもいいと思うのがいるっておまえいつかのろけていたじゃないか。
とも子 そりゃ……そりゃいないこともないことよ。
花田 待てよ。「いないこともないことよ」というのは結局、いるということだね。
とも子 知らないわ。
花田 女が「知らないわ」といったら、もうしめたもんだ。おまえが一人選んだら、俺たちあとに残された四人は、きれいに未練を捨てて、二人がいっしょになれるように、極力奔走する。成功させるためにきっと尽力する。だからおまえ、本気になってこの五人の中から選ぶんだ。そこに行くと俺たちボヘミヤンは自由なものだ。ともちゃんだって、俺たちの仲間になってくれてる以上はボヘミヤンだ。ねえ。そうだろう。かまわないから選びたまえ。俺たちはたとい選にもれても、ストイックのように忍ぶから……心配せずに。俺たちのほうにはともちゃんを細君に持つのに反対する奴は一人もいまい。どうだみんないいか。よければ「よし」といえ。
一同 よし。
とも子 選んだらどうするの。
花田 そいつが残る四人のために死ななければならないんだ。
とも子 冗談もいいかげんにするものよ、人を馬鹿にして。(涙ぐむ)
花田 なあに、冗談じゃない。わけはない、ころっと死にさえすればいいんだよ。
戸部 花田、貴様は残酷な奴だ。……ともちゃんをすぐ寡婦にする……そんな……貴様。
花田 (初めて思いついたようにたまらないほど笑う)なんだ貴様たちはともちゃんのハズがほんとうに……
瀬古 死ななけりゃならないんだろう。
花田 死ぬことになるんださ。
瀬古 同じじゃないか。
花田 同じじゃないさ。
青島 花田のいい方が悪いんだよ。死ぬことになるんじゃない、つまり死んだことにするんだよ。わかったろう。つまり死ぬんじゃない、死んでしまうこと……でもないかな。
花田 つまり、こうだ、いいか。頭を冷静にしてよく聞け。いいか。ともちゃんに選ばれた奴は実はその選ばれた奴の弟なんだ。いいか。そしてともちゃんとその弟とは前から夫婦なんだ。ともちゃんは、俺たちに理解と同情とを持っていて、モデルも傭えないほど貧乏な俺たちのためにモデルになってくれたのだ。いいか。ところでともちゃんのハズの兄貴にあたるのが、ほんとうは俺たち五人の仲間の一人で、それがともちゃんに恋をして、貧乏と恋とのために業半ばにして死ぬことになるんだ。こんどはわかったろう。……まだわからないのか……済度しがたい奴だなあ。じゃ青島、実物でやって見せるよりしかたがない、あれを持ち込もう。
花田と青島、黒布に被われたる寝棺をかつぎこむ。
とも子 いや……縁起の悪い……
沢本 全く貴様はどうかしやしないか。
花田 さあ、ともちゃん、俺たちの中から一人選んでくれ。俺が引き受けた、おまえの旦那は決して死なしはしないから。
とも子 だってそんな寝棺を持ち込む以上は……
花田 死骸になってここにはいる奴はこれだ。(といいながら、壁にかけられた石膏面を指さす)こいつに絵の具を塗っておまえの選んだ男の代わりに入れればいいんだよ。たとえば俺がおまえに選ばれたとするね。ほんとうにそうありたいことだが。すると俺は俺の弟となっておまえと夫婦になるんだ。そうしてこいつ(石膏面)が俺の身代わりになってこの棺の中にはいるんだ。
とも子 ははあ……少しわかってきてよ。
花田 わかったかい。天才画家の花田は死んでしまうんだ。ほんとうにもうこの世の中にはいなくなってしまうんだ。その代わり花田の弟というのがひょっこりできあがるんだ。それが俺さ。そうしておまえのハズさ。
とも子 ははあ……だいぶわかってきてよ。
花田 な。そこに大俗物の九頭竜と、頭の悪い美術好きの成金堂脇左門とが、娘でも連れてはいってくる。花田の弟になり切った俺がおまえといっしょにここにいて愁歎場を見せるという仕組みなんだ。どうだ仙人どももわかったか。花田の弟になる俺は生きて行くが、花田の兄貴なるほんとうの花田は死んだことにするんだ。じゃない死ぬことになるんだ。現在死なねばならないんだ。それだから俺は始めから死ぬんだ死ぬんだといって聞かせているのに、貴様たちはまるで木偶の坊見たいだからなあ。……ところで俺の弟は、兄貴の志をついで天才画家になるとしても、とにかく俺が死なねばならぬというのは悲壮な事実だよ。死にさえすれば、ことに若死にさえすればたいていの奴は天才になるに決まっているんだ。(石膏面をながめながら)死はいかなる場合においても、おごそかな悲しいもんだ。だからかかる犠牲を払うからには、俺がともちゃんのハズとして選ばれるくらいのことが必要になるんだ。
とも子 なにもあなたなんかまだ選びはしないことよ。
花田 そうつけつけやり込めるもんじゃないよ、女ってものは。
沢本 俺はもうだめだ。俺はある女を恋していた。そうして飢えが逼ってきた。ああ俺は死んだほうがいい。俺は天才画家として画筆を握ったまま死にたいよ。
とも子 花田さん、私、死ぬ人を旦那さんにするんじゃないのね。私の旦那さんが死ぬことになるんでしょう。
沢本 そうつけつけやり込めるものじゃないよ、女ってものは。
花田 みんな俺の計略がわかったな。俺たちは今俺たちの共同の敵なるフィリスティンと戦わねばならぬ時が来た。青島、おまえと堂脇との遭遇戦についても簡単に報告しろよ。
青島 僕はかまわず堂脇の家の広い庭にはいりこんで画を描いていてやった。そうしたら堂脇がお嬢さんを連れて散歩にやってきた。堂脇はこんなふうに歩いて、お嬢さんはこんなふうに歩いてそうして俺の脇に突っ立って画を描くのをじっと見ていたっけが、庭にはいりこんだのを怒ると思いのほか、ふんと感心したような鼻息を漏らした。お嬢さんまでが「まあきれいだこと」と御意遊ばした。僕はしめたと思って、物をいい出すつぎ穂に苦心したが、あんな海千山千の動物には俺の言葉はとてもわからないと思って黙っていた。全くあんな怪物の前に行くと薄気味の悪いもんだね。そうしたら堂脇が案外やさしい声で、「失礼ながらどちらでご勉強です、たいそうおみごとだが」と切り出した。僕は花田に教えられたとおり、自分の画なんかなんでもないが、昨日死んだ仲間の画は実に大したものだ、もしそれが世間に出たら、一世を驚かすだろうと、一生懸命になって吹聴したんだ。いかもの食いの名人だけあって堂脇の奴すぐ乗り気になった。僕は九頭竜の主人が来て見ることになっているから、なんなら連れ立っておいでなさいといって飛び出してきた。なにしろお嬢さんがちかちか動物電気を送るんで、僕はとても長くいたたまれなかった。どうして最も美を憧憬する僕たちの世界には、ナチュール・モルトのほかに美がとりつかないんだろうかなあ。
瀬古 どうかしてそのお嬢さんを描こうじゃないか。
青島 あの人がモデルになってくれれば僕はモナリザ以上のものを描いてみせるよ、きっと。
瀬古 僕はワットーの精神でそのデカダンの美を見きわめてやる。
青島 見もしないでなにをいうんだい。
瀬古 君は芸術家の想像力を……
花田 報告終わり。事務第一。さ、みんな覚悟はいいか。ともちゃん、さあ選んでくれ。
とも子 私……恥ずかしいわ。
瀬古 おまえの無邪気さでやっちまいたまえ。なに、ひと言、誰っていってしまえば、それだけのことだよ。
とも子 じゃ一生懸命で勇気を出して……けど、私がこれっていった人は、いやだなんていわないでちょうだいね。でないと、私ほんとうに自殺してよ。
花田 誓いを立てたんだからみんな大丈夫だ。
瀬古は自信をもって歩きまわる。花田は重いものをたびたび落として自分のほうに注意を促す。沢本は苦痛の表情を強めて同情をひく。青島はとも子の前にすわってじっとその顔を見ようとする。戸部は画箱の掃除をはじめる。
とも子 (人々から顔をそむけ)では始めてよ。……花田さん、あなたは才覚があって画がお上手だから、いまにりっぱな画の会を作って、その会長さんにでもおなりなさるわ。お嫁にしてもらいたいって、学問のできる美しい方が掃いて捨てるほど集まってきてよきっと。沢本さんは男らしい、正直な生蕃さんね。あなたとはずいぶん口喧嘩をしましたが、奥さんができたらずいぶんかわいがるでしょうね、そうしてお子さんもたくさんできるわ。そうして物干し竿におしめがにぎやかに並びますわ。青島さんは花田さんといっしょに会をやって、きっと偉くなるわ。いまにみんながあなたの画を認めて大騒ぎする時が来てよ。そうして堂脇さんとやらが、美しいお嬢さんをもらってくださいって、先方から頭をさげてくるかもしれないわ。けれどもあんまり浮気をしちゃいけなくってよ。瀬古さん……あなた若様ね。きさくで親切で、顔つきだっていちばん上品できれいだし、お友達にはうってつけな方ね。でもあなた、きっと日本なんかいやだって外国にでも行っちまうんでしょう。おだいじにお暮らしなさい。戸部さんは吃りで、癇癪持ちで、気むずかしやね。いつまでたってもあなたの画は売れそうもないことね。けれどもあなたは強がりなくせに変に淋しい方ね。……
戸部 畜生……
とも子 悪口になったら、許してちょうだい。でも私は心から皆さんにお礼しますわ。私みたいながらがらした物のわからない人間を、皆さんでかわいがってくださったんですもの。お金にはちっともならなかったけれども、私、どこに行くよりも、ここに来るのがいちばんうれしかったの。ともどもに苦労しながら銘々がいちばん偉いつもりで、仲よく勉強しているのを見ていると、なんだか知らないが、私時々涙がこぼれっちまいましたわ。……でも私、自分の旦那さんを決めなければならないんだわ。いやになるねえ。私がいい人を選んでも、どうか怒らないでちょうだいよ。私、これでも身のほどをわきまえて選ぶつもりですから……(急に戸部の前にかけ寄り、ぴったりそこにすわり頭を下げる)戸部さん、私あなたのお内儀さんになります。怒らないでちょうだいよ。私あなたのことを思うと、変に悲しくなって、泣いちまうんですもの……
戸部 君……冗談をいうない、冗談を……
花田 ともちゃん、でかしたぞ。全くおまえに似合わしい選び方だ。だがドモ又におはちが廻ろうとは俺も実は今の今まで思わなかったよ。ともちゃんが戸部一人のものになって、明日から来なくなると思うと、急に俺たちの上には秋が来たようだなあ……しかしもう何もいうな。勇ましく運命に黙従するほかはない。そうして戸部とともちゃんとの未来を祝福しようじゃないか。
戸部 俺はともちゃんをなぐったことがある。
とも子 ええ、たしか二度なぐられてよ。
戸部 それでも、俺のところに来る気か。
とも子 行きます。その代わり、こんどこそはなぐられてばかりいないわ。
瀬古 夫婦喧嘩の仲裁なら僕がしてやるよ。
戸部 よけいな世話だ。
とも子 (同時)よけいなお世話よ。
青島 気が強くなったなあ。
花田 それどころじゃない。もうおっつけ九頭竜らがやってくる。おい若夫婦、おまえたちは今日は花形だから忙しいぞ。ともちゃん……じゃない、奥さんは庭にお出でなすって、お兄さんの棺を飾る花をお集めくださいませんか。ドモ又、おまえが描いたという画はなんでもかんでも持ち出してサインをしろ。そうして青島、おまえひとつこの石膏面に絵の具を塗ってドモ又の死に顔らしくしてくれ。それから沢本と瀬古とは部屋を片づけて……ただし画室らしく片づけろよ。芸術家の尊厳を失うほどきちんと片づけちゃだめだよ。美的にそこいらを散らかすのを忘れちゃいかんぜ。そこで俺はと……俺はドモ又をドモ又の弟に仕立て上げる役目にまわるから……おまえの画はたいてい隣の部屋にあるんだろう。これはおまえんだ。これもこれもみんな持って行こう。
とも子は庭に、戸部と花田別室にはいり去る。
青島 こんなアポロの面にいくら絵の具をなすりつけたって、ドモ又の顔にはなりゃしないや。も少し獅子鼻ででこぼこのある……まあこれだな、ベトーヴェンで間に合わせるんだな。
青島、塗りはじめる。
沢本 ああ俺はもうだめだ。興奮が過ぎ去ったら急にまた腹がへってきた。いったい花田の奴よけいなことをしやがる奴だ。あの可憐な自然児ともちゃんも、人妻なんていう人間じみたものに……ああ、俺はもうだめだ。若様、貴様勝手に掃除しろ。
瀬古 僕もすっかり悲観したよ。もとはっていえば青島が悪いんだ。堂脇のお嬢さんのモデル事件さえなければ、運命はもっと正しい道筋を歩いていたんだ。
青島 僕が悪いんじゃない、堂脇のお嬢さんが存在していたのが悪いんだ。お嬢さんの存在が悪いんじゃない、その存在を可能ならしめた堂脇のじじいの存在していたのが悪いんだ。つまり堂脇のじじいが僕たちの運命をすっかり狂わしてしまったんだよ……どうだ少しドモ又に似てきたか……他人の運命を狂わした罪科に対して、堂脇は存分に罰せらるべきだよ。
沢本 そうだとも。なにしろあいつの金力が美の標準をめちゃくちゃにするために使われていたんだ。そのために俺たちは三度のものも食えないほどに飢えてしまうんだ。ドモ又が死んで色づけのベトーヴェンになる結果に陥ったんだ。ドモ又の命が買いもどせるくらいの罰金を出させなけりゃ、俺たちの腹の虫は納まらないや。
瀬古 そうしてそれが結局堂脇や九頭竜を教育することになるんだからなあ。いくら高く買わせたってドモ又の画は高くはないよ。こんどあいつらは生まれてはじめて画というものを拝むんだ。うんと高く売りつけてやるんだなあ。
沢本 そうすると、俺たちはうんと飯を食って底力を養うことができるぞ。
青島 そうだ。
沢本 ああ早く我らの共同の敵なるフィリスティンどもが来るといいなあ。おい若様、少し働こう。
二人であらかた画室を片づける。花田と戸部とがはいってくる。戸部は頭を虎斑に刈りこまれて髭をそり落とされている。
花田 諸君、ドモ又の戸部が死んだについて、その令弟が急を聞いて尋ねてこられたんだ。諸君に紹介します。
一同笑いながら頭を下げる。
戸部 俺……じゃない、俺の兄貴の死に顔をちょっと見せてくれ。
青島 どうだこれで。(石膏面を見せる)
戸部 俺の兄貴は醜男だったなあ。
花田 醜男はいいが髭が生えていないじゃないか。近所の人が悔みに来るとまずいから、そり落して髭を植えてやろう。それから体のほうも造らなきゃ……この棺を隣に持っていって……おいドモ又の弟、おまえそこで残ったのにサインをしろ。
戸部を残し一同退場。戸部しきりとサインをしている。とも子花を持ちて入場。
とも子 (戸部とは気がつかず次の部屋に行こうとする)あの、ごめんくださいまし……
戸部 ともちゃん……俺だ……俺だ……
とも子 あら……あなた戸部さんじゃなくって。
戸部 俺は君のハズで……戸部の弟だよ。
とも子 あらそうだわ。まあそれに違いないわ。戸部さんの弟って、戸部さんよりは若い方ねえ。
戸部 ともちゃん……俺は君に遇った時から……君が好きだった。けれども俺は、女なんかに縁はないと思って……あきらめていたんだが……
とも子 ごめんなさいよ。私、はじめてここに来た時、あなたなんて、黙りこくって醜男な人、いるんだかいないんだかわからなかったんですけど、だんだん、だんだあん好きになってきてしまいましたわ。花田さんが私の旦那さんに誰でも選んでいいっていった時は、ほんとうはずいぶんうれしかったけれど、あなたはきっと私がきらいなんだと思ってずいぶん心配したわ。
戸部 なにしろ俺は幸福だ……俺は自分の芸術のほかには、もうなんにも望みはないよ。……俺はもう君をなぐらないよ。
とも子 (うれしさに涙ぐみつつ)なぐってもいいことよ。いいから私をかわいがってくださいね。私も一生懸命であなたをかわいがりますわ。あなたは宝の珠のように、かわいがればかわいがるほど光が出てくる人だってことを、私ちゃんと知っててよ。あなたは泥だらけな宝の珠だわ。
戸部 俺は口がきけないから……思ったことがいえない……
とも子の手を取って引き寄せようとする。沢本、突然戸をあけて登場。
沢本 おうい、ドモ又……と、あの、貴様のその上衣をよこせ、貴様の兄貴に着せるんだから。その代わりこれを着ろ……ともちゃん花が取れたかい。それか。それをおくれ、棺を飾るんだから……
沢本退場。……戸部ととも子寄り添わんとす。別室にて哄笑の声二人くやしそうに離れたところにすわる。
とも子 今夜帰ったら、私すぐお母さんにそういって、いやでも応でも承知させますわ。で、こんどのあなたの名まえは……
戸部 俺はなんという名まえにするかな……
とも子 いいわ、私の名を上げるから、戸部友又じゃいけない……それじゃおかしいわね。あのね……あなたまた画かきになるんでしょう……
とも子近づこうとする。瀬古登場。
瀬古 ちょっとちょっと。ここにおまえの画がまだ残っていたから……
戸部 うるさい奴だなあ……
瀬古退場。別室にて哄笑の声、やがて一同飾りを終わって棺をかついで登場。
花田 早く早く……もうやってくるぞ。棺のこっちにこの椅子をおいて……これをここに、おい青島……それをそっちにやってくれ……おいみんな手伝えな……一時間の後には俺たちはしこたまご馳走が食える身分になるんだ。生蕃、そんな及び腰をするなよ。みっともない。……これでだいたいいい……さあみんな舞台よきところにすわれ。若夫婦はその椅子だ。なにしろ俺たちは、一人のだいじな友人を犠牲に供して飯を食わねばならぬ悲境にあるんだ。ドモ又は俺たち五人の仲間から消えてなくなるのだ。ドモ又の弟はその細君のともちゃんと旅の空に出かけることになるだろう。俺たちのように良心をもって真剣に働く人間がこんな大きな損失を忍ばねばならぬというのは世にも悲惨なことだ。しかし俺たちは自分の愛護する芸術のために最後まで戦わねばならない。俺たちの主張を成就するためには手段を選んではいられなくなったんだ。俺たちはこの棺の中に死んで横たわるドモ又の霊にかけて誓いを立てよう。俺たちはこの友人の死に値いするだけのりっぱな芸術を生み出すことを誓う。
一同 誓う。
花田 俺たちは力を協せて、九頭竜という悪ブローカーおよび堂脇という似而非美術保護者の金嚢から能うかぎりの罰金を支払わせることを誓う。
一同 誓う。
花田 そのためには日ごろの馬鹿正直をなげうって、巧みに権謀術数を用うることを誓う。
一同 誓う。
花田 ただし尻尾を出しそうな奴は黙って引っ込んでいるほうがいいぜ。それでは俺たち四人は戸部とともちゃんとに最後の告別をしようじゃないか。……戸部、おまえのこれまでの芸術は、若くして死んだ天才戸部の芸術として世に残るだろう。しかしそこでおまえの生活が中断するのを俺たちはすまなく思う。しかしその償いにともちゃんを得た以上、不平をいわないでくれ。な、そうしておまえは新たに戸部の弟として新生面を開いてくれ。俺たちはそれを待っているから。じゃさよなら。
一同かわるがわる握手する。
花田 ともちゃん、おまえは俺たちの力だった、慰めだった、お母さんだった、かわいい娘だった。おまえと別れるのは俺たち全くつらいや。だからおまえの額に一度だけみんなで接吻するのを許しておくれ。なあ戸部いいだろう。
戸部 よし、一度限り許してやる。
花田 ともちゃんさよなら。(額に接吻する)
とも子 さよなら花田さん。
沢本 俺はまあやめとく。握手だけしとく。
とも子 さよなら生蕃さん。
青島 さよなら。(額に接吻する)
とも子 おだいじに浮気屋さん。
瀬古 唇をよくお見せ。あああ。(額に接吻する)
とも子 さよならかわいい若様。
とも子さすがに感情せまって泣き出す。
花田 よし。それからドモ又の弟にいうが、不精をしていると、頭の毛と髭とが延びてきて、ドモ又にあともどりする恐れがあるから、今後決して不精髭を生やさないことにしてくれ。
とも子 そんなこと、私がさせときませんわ。
戸外にて戸をたたく音聞こゆ。
人の声 ええ、ごめんくださいまし、九頭竜でございますが、花田さんはおいででございましょうか。
他の人の声 私は堂脇ですが……
花田 そら来やがった。……みんないいか大丈夫か……俺たちは非常な不幸に遇ったんだぞ。悲しみのどん底にいるんだぞ。この際笑いでもした奴は敵に内通した謀叛人としてみんなで制裁するからそう思え。九頭竜も堂脇も……今あけます、ちょっと待ってください……九頭竜も堂脇もたまらない俗物だが、政略上向かっ腹を立てて事をし損じないようにみんな誓え。
一同 誓う。
花田 泣ける奴は時々涙をこぼすようにしろ、いいか……じゃあけるぞ。
沢本 花田、ちょっと待て……(茶碗に二杯水を入れて戸部の所に持って行く)おいドモ又、貴様の涙をこの中に入れとくぞ。これはともちゃんのだ。尻の後ろにやっとけ。あわててこぼすな。
花田 しいっ。(観客のほうに向いて笑うのを制する)じゃあけるぞ。みんなしかめっ面をしてろ。
とも子はさっきからほんとうに泣いている。戸部、茶碗から水をすくって眼のふちに塗る。花田、戸をあけに行く。
――幕―― | 底本:「ドモ又の死」角川書店
1954(昭和29)年1月30日初版発行
1968(昭和43)年12月30日16版発行
1969(昭和44)年8月30日改版初版発行
入力:青空文庫
校正:富田倫生
2012年6月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "047220",
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"作品名読み": "ドモまたのし",
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青黄ろく澄み渡った夕空の地平近い所に、一つ浮いた旗雲には、入り日の桃色が静かに照り映えていた。山の手町の秋のはじめ。
ひた急ぎに急ぐ彼には、往来を飛びまわる子供たちの群れが小うるさかった。夕餉前のわずかな時間を惜しんで、釣瓶落としに暮れてゆく日ざしの下を、彼らはわめきたてる蝙蝠の群れのように、ひらひらと通行人にかけかまいなく飛びちがえていた。まともに突っかかって来る勢いをはずすために、彼は急に歩行をとどめねばならなかったので、幾度も思わず上体を前に泳がせた。子供は、よけてもらったのを感じもしない風で、彼の方には見向きもせず、追って来る子供にばかり気を取られながら、彼の足許から遠ざかって行った。そのことごとく利己的な、自分よがりなわがままな仕打ちが、その時の彼にはことさら憎々しく思えた。彼はこうしたやんちゃ者の渦巻の間を、言葉どおりに縫うように歩きながら、しきりに急いだ。
眼ざして来た家から一町ほどの手前まで来た時、彼はふと自分の周囲にもやもやとからみつくような子供たちの群れから、すかんと静かな所に歩み出たように思って、あたりを見廻してみた。そこにも子供たちは男女を合わせて二十人くらいもいるにはいたのだった。だがその二十人ほどは道側の生垣のほとりに一塊りになって、何かしゃべりながらも飛びまわることはしないでいたのだ。興味の深い静かな遊戯にふけっているのであろう。彼がそのそばをじろじろ見やりながら通って行っても、誰一人振り向いて彼に注意するような子供はなかった。彼はそれで少し救われたような心持ちになって、草履の爪さきを、上皮だけ播水でうんだ堅い道に突っかけ突っかけ先を急いだ。
子供たちの群れからはすかいにあたる向こう側の、格子戸立ての平家の軒さきに、牛乳の配達車が一台置いてあった。水色のペンキで塗りつぶした箱の横腹に、「精乳社」と毒々しい赤色で書いてあるのが眼を牽いたので、彼は急ぎながらも、毒々しい箱の字を少し振り返り気味にまでなって読むほどの余裕をその車に与えた。その時車の梶棒の間から後ろ向きに箱に倚りかかっているらしい子供の脚を見たように思った。
彼がしかしすぐに顔を前に戻して、眼ざしている家の方を見やりながら歩みを早めたのはむろんのことだった。そしてそこから四、五間も来たかと思うころ、がたんとかけがねのはずれるような音を聞いたので、急ぎながらももう一度後を振り返って見た。しかしそこに彼は不意な出来事を見いだして思わず足をとめてしまった。
その前後二、三分の間にまくし上がった騒ぎの一伍一什を彼は一つも見落とさずに観察していたわけではなかったけれども、立ち停った瞬間からすぐにすべてが理解できた。配達車のそばを通り過ぎた時、梶棒の間に、前扉に倚りかかって、彼の眼に脚だけを見せていた子供は、ふだんから悪戯が激しいとか、愛嬌がないとか、引っ込み思案であるとかで、ほかの子供たちから隔てをおかれていた子に違いない。その時もその子供だけは遊びの仲間からはずれて、配達車に身をもたせながら、つくねんと皆んなが道の向こう側でおもしろそうに遊んでいるのを眺めていたのだろう。一人坊っちになるとそろそろ腹のすいたのを感じだしでもしたか、その子供は何の気なしに車から尻を浮かして立ち上がろうとしたのだ。その拍子に牛乳箱の前扉のかけがねが折り悪しくもはずれたので、子供は背中から扉の重みで押さえつけられそうになった。驚いて振り返って、開きかかったその扉を押し戻そうと、小さな手を突っ張って力んでみたのだ。彼が足を停めた時はちょうどその瞬間だった。ようよう六つぐらいの子供で、着物も垢じみて折り目のなくなった紺の単衣で、それを薄寒そうに裾短に着ていた。薄ぎたなくよごれた顔に充血させて、口を食いしばって、倚りかかるように前扉に凭たれている様子が彼には笑止に見えた。彼は始めのうちは軽い好奇心にそそられてそれを眺めていた。
扉の後には牛乳の瓶がしこたましまってあって、抜きさしのできる三段の棚の上に乗せられたその瓶が、傾斜になった箱を一気にすべり落ちようとするので、扉はことのほかの重みに押されているらしい。それを押し返そうとする子供は本当に一生懸命だった。人に救いを求めることすらし得ないほど恐ろしいことがまくし上がったのを、誰も見ないうちに気がつかないうちに始末しなければならないと、気も心も顛倒しているらしかった。泣きだす前のようなその子供の顔、……こうした suspense の状態が物の三十秒も続けられたろうか。
けれども子供の力はとても扉の重みに打ち勝てるようなものではなかった。ああしているとやがておお事になると彼は思わずにはいられなくなった。単なる好奇心が少しぐらつきだして、後戻りしてその子供のために扉をしめる手伝いをしてやろうかとふと思ってみたが、あすこまで行くうちには牛乳瓶がもうごろごろと転げ出しているだろう。その音を聞きつけて、往来の子供たちはもとより、向こう三軒両隣の窓の中から人々が顔を突き出して何事が起こったかとこっちを見る時、あの子供と二人で皆んなの好奇的な眼でなぶられるのもありがたい役廻りではないと気づかったりして、思ったとおりを実行に移すにはまだ距離のある考えようをしていたが、その時分には扉はもう遠慮会釈もなく三、四寸がた開いてしまっていた。と思う間もなく牛乳のガラス瓶があとからあとから生き物のように隙を眼がけてころげ出しはじめた。それが地面に響きを立てて落ちると、落ちた上に落ちて来るほかの瓶がまたからんからんと音を立てて、破れたり、はじけたり、転がったりした。子供は……それまでは自分の力にある自信を持って努力していたように見えていたが……こういうはめになるとかっとあわて始めて、突っ張っていた手にひときわ力をこめるために、体を前の方に持って行こうとした。しかしそれが失敗の因だった。そんなことをやったおかげで子供の姿勢はみじめにも崩れて、扉はたちまち半分がた開いてしまった。牛乳瓶はここを先途とこぼれ出た。そして子供の胸から下をめった打ちに打っては地面に落ちた。子供の上前にも地面にも白い液体が流れ拡がった。
こうなると彼の心持ちはまた変わっていた。子供の無援な立場を憐んでやる心もいつの間にか消え失せて、牛乳瓶ががらりがらりととめどなく滝のように流れ落ちるのをただおもしろいものに眺めやった。実際そこに惹起された運動といい、音響といい、ある悪魔的な痛快さを持っていた。破壊ということに対して人間の抱いている奇怪な興味。小さいながらその光景は、そうした興味をそそり立てるだけの力を持っていた。もっと激しく、ありったけの瓶が一度に地面に散らばり出て、ある限りが粉微塵になりでもすれば……
はたしてそれが来た。前扉はぱくんと大きく口を開いてしまった。同時に、三段の棚が、吐き出された舌のように、長々と地面にずり出した。そしてそれらの棚の上にうんざりと積んであった牛乳瓶は、思ったよりもけたたましい音を立てて、壊れたり砕けたりしながら山盛りになって地面に散らばった。
その物音には彼もさすがにぎょっとしたくらいだった。子供はと見ると、もう車から七、八間のところを無二無三に駈けていた。他人の耳にはこの恐ろしい物音が届かないうちに、自分の家に逃げ込んでしまおうと思い込んでいるようにその子供は走っていた。しかしそんなことのできるはずがない。彼が、突然地面の上に現われ出た瓶の山と乳の海とに眼を見張った瞬間に、道の向こう側の人垣を作ってわめき合っていた子供たちの群れは、一人残らず飛び上がらんばかりに驚いて、配達車の方を振り向いていた。逃げかけていた子供は、自分の後に聞こえたけたたましい物音に、すくみ上がったようになって立ち停った。もう逃げ隠れはできないと観念したのだろう。そしてもう一度なんとかして自分の失敗を彌縫する試みでもしようと思ったのか、小走りに車の手前まで駈けて来て、そこに黙ったまま立ち停った。そしてきょろきょろとほかの子供たちを見やってから、当惑し切ったように瓶の積み重なりを顧みた。取って返しはしたものの、どうしていいのかその子供には皆目見当がつかないのだ、と彼は思った。
群がり集まって来た子供たちは遠巻きにその一人の子供を取り巻いた。すべての子供の顔には子供に特有な無遠慮な残酷な表情が現われた。そしてややしばらく互いに何か言い交していたが、その中の一人が、
「わーるいな、わるいな」
とさも人の非を鳴らすのだという調子で叫びだした。それに続いて、
「わーるいな、わるいな。誰かさんはわーるいな。おいらのせいじゃなーいよ」
という意地悪げな声がそこにいるすべての子供たちから一度に張り上げられた。しかもその糺問の声は調子づいてだんだん高められて、果ては何処からともなくそわそわと物音のする夕暮れの町の空気が、この癇高な叫び声で埋められてしまうほどになった。
しばらく躊躇していたその子供は、やがて引きずられるように配達車の所までやって来た。もうどうしても遁れる途がないと覚悟をきめたものらしい。しょんぼりと泣きも得せずに突っ立ったそのまわりには、あらん限りの子供たちがぞろぞろと跟いて来て、皮肉な眼つきでその子供を鞭ちながら、その挙動の一つ一つを意地悪げに見やっていた。六つの子供にとって、これだけの過失は想像もできない大きなものであるに違いない。子供は手の甲を知らず知らず眼の所に持って行ったが、そうしてもあまりの心の顛倒に矢張り涙は出て来なかった。
彼は心まで堅くなってじっとして立っていた。がもう黙ってはいられないような気分になってしまっていた。肩から手にかけて知らず知らず力がこもって、唾をのみこむとぐっと喉が鳴った。その時には近所合壁から大人までが飛び出して来て、あきれた顔をして配達車とその憐な子供とを見比べていたけれども、誰一人として事件の善後を考えてやろうとするものはないらしく、かかわり合いになるのをめんどうくさがっているように見えた。そのていたらくを見せつけられると彼はますます焦立った。いきなり飛びこんで行って、そこにいる人間どもを手あたりしだいになぐりつけて、あっけにとられている大人子供を尻眼にかけながら、
「馬鹿野郎! 手前たちは木偶の棒だ。卑怯者だ。この子供がたとえばふだんいたずらをするからといって、今もいたずらをしたとでも思っているのか。こんないたずらがこの子にできるかできないか、考えてもみろ。可哀そうに。はずみから出たあやまちなんだ。俺はさっきから一伍一什をここでちゃんと見ていたんだぞ。べらぼうめ! 配達屋を呼んで来い」
と存分に痰呵を切ってやりたかった。彼はいじいじしながら、もう飛び出そうかもう飛び出そうかと二の腕をふるわせながら青くなって突っ立っていた。
「えい、退きねえ」
といって、内職に配達をやっている書生とも思わしくない、純粋の労働者肌の男が……配達夫が、二、三人の子供を突き転ばすようにして人ごみの中に割りこんで来た。
彼はこれから気のつまるようないまいましい騒ぎがもちあがるんだと知った。あの男はおそらく本当に怒るだろう。あの泣きもし得ないでおろおろしている子供が、皆んなから手柄顔に名指されるだろう。配達夫は怒りにまかせて、何の抵抗力もないあの子の襟がみでも取ってこづきまわすだろう。あの子供は突然死にそうな声を出して泣きだす。まわりの人々はいい気持ちそうにその光景を見やっている。……彼は飛び込まなければならぬ。飛び込んでその子供のためになんとか配達夫を言いなだめなければならぬ。
ところがどうだ。その場の様子がものものしくなるにつれて、もう彼はそれ以上を見ていられなくなってきた。彼は思わず眼をそむけた。と同時に、自分でもどうすることもできない力に引っ張られて、すたすたと逃げるように行手の道に歩きだした。しかも彼の胸の底で、手を合わすようにして「許してくれ許してくれ」と言い続けていた。自分の行くべき家は通り過ぎてしまったけれども気もつかなかった。ただわけもなくがむしゃらに歩いて行くのが、その子供を救い出すただ一つの手だてであるかのような気持ちがして、彼は息せき切って歩きに歩いた。そして無性に癇癪を起こし続けた。
「馬鹿野郎! 卑怯者! それは手前のことだ。手前が男なら、今から取って返すがいい。あの子供の代わりに言い開きができるのは手前一人じゃないか。それに……帰ろうとはしないのか」
そう自分で自分をたしなめていた。それにもかかわらず彼は同じ方向に歩き続けていた。今ごろはあの子供の頭が大きな平手でぴしゃぴしゃはたき飛ばされているだろうと思うと、彼は知らず識らず眼をつぶって歯を食いしばって苦い顔をした。人通りがあるかないかも気にとめなかった。噛み合うように固く胸高に腕ぐみをして、上体をのめるほど前にかしげながら、泣かんばかりの気分になって、彼はあのみじめな子供からどんどん行く手も定めず遠ざかって行った。 | 底本:「カインの末裔」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年10月30日改版発行
1988(昭和63)年6月10日改版23版発行
初出:「現代小説選集」
1920(大正9)年11月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000209",
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一
僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行きかえりにはいつでもホテルや西洋人の会社などがならんでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵に描いて見ようとしました。けれどもあの透きとおるような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。
ふと僕は学校の友達の持っている西洋絵具を思い出しました。その友達は矢張西洋人で、しかも僕より二つ位齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄の実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに霽れわたった日でした。僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに坐っている生徒と話をしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。
二
僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。昼御飯がすむと他の子供達は活溌に運動場に出て走りまわって遊びはじめましたが、僕だけはなおさらその日は変に心が沈んで、一人だけ教場に這入っていました。そとが明るいだけに教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした。自分の席に坐っていながら僕の眼は時々ジムの卓の方に走りました。ナイフで色々ないたずら書きが彫りつけてあって、手垢で真黒になっているあの蓋を揚げると、その中に本や雑記帳や石板と一緒になって、飴のような木の色の絵具箱があるんだ。そしてその箱の中には小さい墨のような形をした藍や洋紅の絵具が……僕は顔が赤くなったような気がして、思わずそっぽを向いてしまうのです。けれどもすぐ又横眼でジムの卓の方を見ないではいられませんでした。胸のところがどきどきとして苦しい程でした。じっと坐っていながら夢で鬼にでも追いかけられた時のように気ばかりせかせかしていました。
教場に這入る鐘がかんかんと鳴りました。僕は思わずぎょっとして立上りました。生徒達が大きな声で笑ったり呶鳴ったりしながら、洗面所の方に手を洗いに出かけて行くのが窓から見えました。僕は急に頭の中が氷のように冷たくなるのを気味悪く思いながら、ふらふらとジムの卓の所に行って、半分夢のようにそこの蓋を揚げて見ました。そこには僕が考えていたとおり雑記帳や鉛筆箱とまじって見覚えのある絵具箱がしまってありました。なんのためだか知らないが僕はあっちこちを見廻してから、誰も見ていないなと思うと、手早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅との二色を取上げるが早いかポッケットの中に押込みました。そして急いでいつも整列して先生を待っている所に走って行きました。
僕達は若い女の先生に連れられて教場に這入り銘々の席に坐りました。僕はジムがどんな顔をしているか見たくってたまらなかったけれども、どうしてもそっちの方をふり向くことができませんでした。でも僕のしたことを誰も気のついた様子がないので、気味が悪いような、安心したような心持ちでいました。僕の大好きな若い女の先生の仰ることなんかは耳に這入りは這入ってもなんのことだかちっともわかりませんでした。先生も時々不思議そうに僕の方を見ているようでした。
僕は然し先生の眼を見るのがその日に限ってなんだかいやでした。そんな風で一時間がたちました。なんだかみんな耳こすりでもしているようだと思いながら一時間がたちました。
教場を出る鐘が鳴ったので僕はほっと安心して溜息をつきました。けれども先生が行ってしまうと、僕は僕の級で一番大きな、そしてよく出来る生徒に「ちょっとこっちにお出で」と肱の所を掴まれていました。僕の胸は宿題をなまけたのに先生に名を指された時のように、思わずどきんと震えはじめました。けれども僕は出来るだけ知らない振りをしていなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場の隅に連れて行かれました。
「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給え。」
そういってその生徒は僕の前に大きく拡げた手をつき出しました。そういわれると僕はかえって心が落着いて、
「そんなもの、僕持ってやしない。」と、ついでたらめをいってしまいました。そうすると三四人の友達と一緒に僕の側に来ていたジムが、
「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失くなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」と少し言葉を震わしながら言いかえしました。
僕はもう駄目だと思うと急に頭の中に血が流れこんで来て顔が真赤になったようでした。すると誰だったかそこに立っていた一人がいきなり僕のポッケットに手をさし込もうとしました。僕は一生懸命にそうはさせまいとしましたけれども、多勢に無勢で迚も叶いません。僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球(今のビー球のことです)や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが掴み出されてしまいました。「それ見ろ」といわんばかりの顔をして子供達は憎らしそうに僕の顔を睨みつけました。僕の体はひとりでにぶるぶる震えて、眼の前が真暗になるようでした。いいお天気なのに、みんな休時間を面白そうに遊び廻っているのに、僕だけは本当に心からしおれてしまいました。あんなことをなぜしてしまったんだろう。取りかえしのつかないことになってしまった。もう僕は駄目だ。そんなに思うと弱虫だった僕は淋しく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。
「泣いておどかしたって駄目だよ。」とよく出来る大きな子が馬鹿にするような憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引張って行こうとしました。僕は出来るだけ行くまいとしたけれどもとうとう力まかせに引きずられて階子段を登らせられてしまいました。そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋があるのです。
やがてその部屋の戸をジムがノックしました。ノックするとは這入ってもいいかと戸をたたくことなのです。中からはやさしく「お這入り」という先生の声が聞えました。僕はその部屋に這入る時ほどいやだと思ったことはまたとありません。
何か書きものをしていた先生はどやどやと這入って来た僕達を見ると、少し驚いたようでした。が、女の癖に男のように頸の所でぶつりと切った髪の毛を右の手で撫であげながら、いつものとおりのやさしい顔をこちらに向けて、一寸首をかしげただけで何の御用という風をしなさいました。そうするとよく出来る大きな子が前に出て、僕がジムの絵具を取ったことを委しく先生に言いつけました。先生は少し曇った顔付きをして真面目にみんなの顔や、半分泣きかかっている僕の顔を見くらべていなさいましたが、僕に「それは本当ですか。」と聞かれました。本当なんだけれども、僕がそんないやな奴だということをどうしても僕の好きな先生に知られるのがつらかったのです。だから僕は答える代りに本当に泣き出してしまいました。
先生は暫く僕を見つめていましたが、やがて生徒達に向って静かに「もういってもようございます。」といって、みんなをかえしてしまわれました。生徒達は少し物足らなそうにどやどやと下に降りていってしまいました。
先生は少しの間なんとも言わずに、僕の方も向かずに自分の手の爪を見つめていましたが、やがて静かに立って来て、僕の肩の所を抱きすくめるようにして「絵具はもう返しましたか。」と小さな声で仰いました。僕は返したことをしっかり先生に知ってもらいたいので深々と頷いて見せました。
「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか。」
もう一度そう先生が静かに仰った時には、僕はもうたまりませんでした。ぶるぶると震えてしかたがない唇を、噛みしめても噛みしめても泣声が出て、眼からは涙がむやみに流れて来るのです。もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。
「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次ぎの時間には教場に出ないでもよろしいから、私のこのお部屋に入らっしゃい。静かにしてここに入らっしゃい。私が教場から帰るまでここに入らっしゃいよ。いい。」と仰りながら僕を長椅子に坐らせて、その時また勉強の鐘がなったので、机の上の書物を取り上げて、僕の方を見ていられましたが、二階の窓まで高く這い上った葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎって、しくしくと泣きつづけていた僕の膝の上にそれをおいて静かに部屋を出て行きなさいました。
三
一時がやがやとやかましかった生徒達はみんな教場に這入って、急にしんとするほどあたりが静かになりました。僕は淋しくって淋しくってしようがない程悲しくなりました。あの位好きな先生を苦しめたかと思うと僕は本当に悪いことをしてしまったと思いました。葡萄などは迚も喰べる気になれないでいつまでも泣いていました。
ふと僕は肩を軽くゆすぶられて眼をさましました。僕は先生の部屋でいつの間にか泣寝入りをしていたと見えます。少し痩せて身長の高い先生は笑顔を見せて僕を見おろしていられました。僕は眠ったために気分がよくなって今まであったことは忘れてしまって、少し恥しそうに笑いかえしながら、慌てて膝の上から辷り落ちそうになっていた葡萄の房をつまみ上げましたが、すぐ悲しいことを思い出して笑いも何も引込んでしまいました。
「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたはお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。屹度ですよ。」
そういって先生は僕のカバンの中にそっと葡萄の房を入れて下さいました。僕はいつものように海岸通りを、海を眺めたり船を眺めたりしながらつまらなく家に帰りました。そして葡萄をおいしく喰べてしまいました。
けれども次の日が来ると僕は中々学校に行く気にはなれませんでした。お腹が痛くなればいいと思ったり、頭痛がすればいいと思ったりしたけれども、その日に限って虫歯一本痛みもしないのです。仕方なしにいやいやながら家は出ましたが、ぶらぶらと考えながら歩きました。どうしても学校の門を這入ることは出来ないように思われたのです。けれども先生の別れの時の言葉を思い出すと、僕は先生の顔だけはなんといっても見たくてしかたがありませんでした。僕が行かなかったら先生は屹度悲しく思われるに違いない。もう一度先生のやさしい眼で見られたい。ただその一事があるばかりで僕は学校の門をくぐりました。
そうしたらどうでしょう、先ず第一に待ち切っていたようにジムが飛んで来て、僕の手を握ってくれました。そして昨日のことなんか忘れてしまったように、親切に僕の手をひいてどぎまぎしている僕を先生の部屋に連れて行くのです。僕はなんだか訳がわかりませんでした。学校に行ったらみんなが遠くの方から僕を見て「見ろ泥棒の譃つきの日本人が来た」とでも悪口をいうだろうと思っていたのにこんな風にされると気味が悪い程でした。
二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックしない前に、戸を開けて下さいました。二人は部屋の中に這入りました。
「ジム、あなたはいい子、よく私の言ったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまって貰わなくってもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手に握手をなさい。」と先生はにこにこしながら僕達を向い合せました。僕はでもあんまり勝手過ぎるようでもじもじしていますと、ジムはいそいそとぶら下げている僕の手を引張り出して堅く握ってくれました。僕はもうなんといってこの嬉しさを表せばいいのか分らないで、唯恥しく笑う外ありませんでした。ジムも気持よさそうに、笑顔をしていました。先生はにこにこしながら僕に、
「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真赤にして「ええ」と白状するより仕方がありませんでした。
「そんなら又あげましょうね。」
そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。
それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。 | 底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年6月25日発行
1974(昭和49)年9月10日29刷改版
1984(昭和59)年10月10日44刷
初出:「赤い鳥 第五巻第二号」
1920(大正9)年8月
※表題は底本では、「一房《ひとふさ》の葡萄《ぶどう》」となっています。
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2018年10月15日修正
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私が正月号の改造に発表した「宣言一つ」について、広津和郎氏が時事紙上に意見を発表された。それについて、お答えする。
広津氏は、芸術は超階級的超時代的な要素を持っているもので、よい芸術は、いかなる階級の人にも訴える力を持っている。それゆえ私が芸術家としての立場を、ブルジョア階級に定め、その作品はブルジョアに訴えるために書かれるものだと、宣言したに対して、あまりに窮屈な平面的な申し出であると言っていられる。芸術に超階級的超時代的の要素があるのは、広津氏を待たないでも知れきった事実である。その事実は芸術に限られたことでもない。政治の上にも、宗教の上にも、その他人間生活のすべての諸相の上にかかる普遍的な要素は、多いか少ないかの程度において存在している。それを私は無視しているものではない。それはあまりに明白な事実であるがゆえに、問題にしなかっただけのことだ。
私の考えるところによれば、おのずから芸術家と称するものをだいたい三つに分けることができる。第一の種類に属する人は、その人の生活全部が純粋な芸術境に没入している人で、その人の実生活は、周囲とどんな間隔があろうと、いっこうそれを気にしない。そうして自己独得の芸術的感興を表現することに全精力を傾倒するところの人だ。もし、現在の作家の中に、例を引いてみるならば、泉鏡花氏のごときがその人ではないだろうか。第二の人は、芸術と自分の実生活との間に、思いをさまよわせずにはいられないたちの人である。自分の芸術に没入することは、第一の人のようにあることはどうしてもできない。自分の実生活と周囲の実生活との間に或る合理的な関係をつくらなければ、その芸術すら生み出すことができないと感ずる種類の人である。第三の種類に属する人は、自分の芸術を実生活の便宜に用いようとする人である。その人の実生活は周囲の実生活と必ずしも合理的な関係にある必要はない。とにかく自分の現在の生活が都合よくはこびうるならば、ブルジョアのために、気焔も吐こうし、プロレタリアのために、提灯も持とうという種類の人である。そしてその人の芸術は、当代でいえば、その人をプティ・ブルジョアにでも仕上げてくれれば、それで目的をはたしたと言ってもいいような芸術である。芸術家というものの立場より言うならば第一の種類の人は最も敬うべき純粋な芸術家であり、第二の種類の人は、芸術家としては、いわゆる素人芸術家をもって目さるべきものであり、第三の種類の人は悪い意味の大道芸人とえらぶ所がない人である。
ところで、私自身は第一の種類に属する芸術家でありうるかというのに、不幸にしてそうではない。私は常に自分の実生活の状態についてくよくよしている。そして、その生活と芸術との間に、正しい関係を持ちきたしたいと苦慮している、これが私の心の実状である。こういう心事をもって、私はみずからを第一の種類の芸術家らしく装うことはできない。装うことができないとすれば、勢い「宣言一つ」で発表したようなことを言わねばならぬのは自然なことである。「宣言一つ」には、できるだけ平面的にものを言ったつもりだが、それでもわからない人にはわからないようだから、なおいっそう平面的に言うならば、第一、私は来たるべき文化がプロレタリアによって築き上げらるべきであり、また築き上げられるであろうと信ずるものである。ブルジョアジーの生活圏内に生活したものは、誰でも少し考えるならば、そこの生活が、自壊作用をひき起こしつつあることを、感じないものはなかろう。その自壊作用の後に、活力ある生活を将来するものは、もとよりアリストクラシーでもなければ、富豪階級でもありえぬ。これらの階級はブルジョアジー以前に勢力をたくましゅうした過去の所産であって、それが来たるべき生活の上に復帰しようとは、誰しも考えぬところであろう。文芸の上に階級意識がそう顕著に働くものではないという理窟は、概念的には成り立つけれども、実際の歴史的事実を観察するものは、事実として、階級意識がどれほど強く、文芸の上にも影響するかを驚かずにはいられまい。それを事実に意識したものが文芸にたずさわろうとする以上は、いかなる階級に自分が属しているかを厳密に考察せずにはいられなくなるはずだ。
しからば、来たるべき時代においてプロレタリアの中から新しい文化が勃興するだろうと信じている私は、なぜプロレタリアの芸術家として、プロレタリアに訴えるべき作品を産もうとしないのか。できるならば私はそれがしたい。しかしながら、私の生まれかつ育った境遇と、私の素養とは、それをさせないことを十分意識するがゆえに、私は、あえて越ゆべからざる埓を越えようは思わないのだ。私のこんな気持ちに対する反証として、よくロシアの啓蒙運動が例を引かれるようだ。ロシアの民衆が無智の惰眠をむさぼっていたころに、いわゆる、ブルジョアの知識階級の青年男女が、あらゆる困難を排して、民衆の蒙を啓くにつとめた。これが大事な胚子となって、あのすばらしい世界革命がひき起こされたのだ。この場合ブルジョアジーの人々が、どれだけ民衆のために貢献したかは、想像も及ばないものがある。悔い改めたブルジョアは、そのままプロレタリアの人になることができるのだ。そう、ある人は言うかもしれない。しかし、この場合における私の観察は多少一般世人と異なっている。ロシアの民衆はその国の事情が、そのまま進んでいったならば、いつかは革命を起こすに、ちがいなかったのだ。
インテリゲンチャの啓蒙運動はただいくらかそれを早めたにすぎない。そして、それを早めたことが、実際ロシアの民衆にとって、よいことであったか、悪いことであったかは、遽かに断定さるべきではないと私は思うものだ。もし、私の零細な知識が、私をいつわらぬならば、ロシアの最近の革命の結果からいうと、ロシアの啓蒙運動は、むしろ民衆の真の勃興にさまたげをなしていると言っても差し支えないようだ。始めは露国のプロレタリアのためにいかにも希望多く見えた革命も、現在までに収穫された結果から見るならば、大多数の民衆よりも、ブルジョア文化によって洗礼を受けた帰化的民衆によって収穫されている。そして大多数のプロレタリアは、帝政時代のそれと、あまり異ならぬ不自由な状態にある。もし、ブルジョアとプロレタリアとの間に、はじめから渡るべき橋が絶えていて、プロレタリア自身の内発的な力が、今度の革命をひき起こしていたのならば、その結果は、はるかに異なったものであることは、誰でも想像するに難くないだろう。
しかしこうはいったとて、実際の歴史上の事実として、ロシアには前述したような経路が起こり来たったのだから、私はその事実をも否定しようとするものではない。ブルジョアジーをなくするためには、この階級が自己防衛のために永年にわたって築き上げたあらゆる制度および機関(ことに政治機関)をプロレタリアの手中に収め、矛を逆にしてブルジョアジーを亡滅に導かねばならぬ。ブルジョアジーが亡滅すれば、その所産なるすべての制度および機関はおのずから亡滅して、新たなる制度および機関が発生するであろうとは、レニン自身が主張するところで、実際において、歴史的事実としては、かくのごとき経路が今行なわれつつあるようだ。無産者の独裁政治とは、おそらくかかるものを意味するのであろう。まことに一つの生活様式が他の生活様式に変遷する場合において、前代の生活様式が一時に跡を絶って、全く異なった生活様式が突発するという事実はない。三つの生活様式の中間色をなす、過渡期の生活が起滅する間に、新しい生活様式が甫めて成就されるであろう。歴史的に人類の生活を考察するとかくあることが至当なことである。
しかしながら思想的にかかる問題を取り扱う場合には必ずしもかくある必要はない。人間の思想はその一特色として飛躍的な傾向をもっている。事実の障礙を乗り越して或る要求を具体化しようとする。もし思想からこの特色を控除したら、おそらく思想の生命は半ば失われてしまうであろう。思想は事実を芸術化することである。歴史をその純粋な現われにまで還元することである。蛇行して達しうる人間の実際の方向を、直線によって描き直すことである。もし社会主義の思想が真理であったとしても、もし実行という視角からのみ論ずるならば、その思想の実現に先だって、多くの中間的施設が無数に行なわれねばならぬ。いわゆる社会政策と称せられる施設、温情主義、妥協主義の実施などはすべてそれである。これらの修正策が施された後に、社会主義的思想ははじめて実現されるわけになるのだ。それならば社会政策的の施設する未だ行なわれようとはしなかった時代に、何を苦しんで社会主義の思想は説かれねばならなかったか。私はそれに答えて、社会主義はその背景に思想的要素をたぶんに含んでいたからだといわねばならぬ。そしてこの思想がかくばかり早く唱えだされたということは、決して無益でも徒労でもないといいたい。なぜならば、かくばかり純粋な人の心の趨向がなかったならば、社会政策も温情主義も人間の心には起こりえなかったであろうから。
以上の立場からして私は思想的にいいたい。「来たるべき文化がプロレタリアによって築かれるものならば、それは純粋にプロレタリア自身が有する思想と活力とによって築かれねばならぬ。少なくともそういう覚悟をもってその文化を築こうという人は立ち上がらねばならぬ。同時に、その文化の出現を信ずる者にして、躬ずからがその文化と異なった生活をしていることを発見した者は、たといどれほど自分が拠ってもって生活した生活の利点に沐浴しているとしても、新しい文化の建立に対する指導者、教育者をもってみずから任ずべきではなく、自分の思想的立場を納得して、謹んでその立場にあることをもって満足しなければならない。もし誤って無思慮にも自分の埓を越えて、差し出たことをするならば、その人は純粋なるべき思想の世界を、不必要なる差し出口をもって混濁し、なんらかの意味において実際上の事の進捗をも阻礙するの結果になるだろう」と。この立場からして私は何といっても、自分がブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である以上、濫りに他の階級の人に訴えるような芸術を心がけることの危険を感じ、自分の立場を明らかにしておく必要を見るに至ったものだ。そう考えるのが窮屈だというなら、私は自分の態度の窮屈に甘んじようとする者だ。
私のいった第一の種類に属する芸術家は階級意識に超越しているから、私の提起した問題などはもとより念頭にあろうはずがない。その人たちにとっては、私の提議は半顧の価値もなかるべきはずのものだ。私はそれほどまでに真に純粋に芸術に没頭しうる芸術家を尊もう。私はある主義者たちのように、そういう人たちを頭から愚物視することはできない。かかる人はいかなる時代にも人間全体によっていたわられねばならぬ特種の人である。しかし第二の種類に属する芸術家である以上は、私のごとく考えるのは不当ではなく、傲慢なことでもなく、謙遜なことでもなく、爾かあるべきことだと私は信じている。広津氏は私の所言に対して容喙された。容喙された以上は私の所言に対して関心を持たれたに相違ない。関心を持たれる以上は、氏の評論家としての素質は私のいう第一の種類に属する芸術家のようであることはできないのだ。氏は明らかに私のいう第二か第三かの芸術家的素質のうちのいずれかに属することをみずから証明していられるのだ。しかもその所説は、私の見る所が誤っていないなら、第一の種類に属する芸術家でも主張しそうなことを主張していられる。もし第一の種類に属する芸術家がそれを主張するようなことを仮想したら、(その芸術家はそんなことを主張するはずはないけれども)あるいはそれは実感として私の頭に響くかもしれない。しかしながら広津氏の筆によって教えられることになると、私にはお座なりの概念論としてより響かなくなる。なぜならば、それは主張さるべからざる人によって主張された議論だからである。
さらに私の芸術家として作品を生かそうとする意味はどこにあるかということについては、「改造」誌上で一とおり申し出ておいたから、ここには再言しない。なにしろ私は私の実情から出発する。私がもし第一の芸術家にでもなりきりうる時節が来たならば、この縷説は鶏肋にも値せぬものとして屑籠にでも投じ終わろう。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「東京朝日新聞」
1922(大正11)年1月19日
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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一
二つの道がある。一つは赤く、一つは青い。すべての人がいろいろの仕方でその上を歩いている。ある者は赤い方をまっしぐらに走っているし、ある者は青い方をおもむろに進んで行くし、またある者は二つの道に両股をかけて欲張った歩き方をしているし、さらにある者は一つの道の分かれ目に立って、凝然として行く手を見守っている。揺籃の前で道は二つに分かれ、それが松葉つなぎのように入れ違って、しまいに墓場で絶えている。
二
人の世のすべての迷いはこの二つの道がさせる業である、人は一生のうちにいつかこのことに気がついて、驚いてその道を一つにすべき術を考えた。哲学者と言うな、すべての人がそのことを考えたのだ。みずから得たとして他を笑った喜劇も、己れの非を見いでて人の危きに泣く悲劇も、思えば世のあらゆる顕われは、人がこの一事を考えつめた結果にすぎまい。
三
松葉つなぎの松葉は、一つなぎずつに大きなものになっていく。最初の分岐点から最初の交叉点までの二つの道は離れ合いかたも近く、程も短い。その次のはやや長い。それがだんだんと先に行くに従って道と道とは相失うほどの間隔となり、分岐点に立って見渡すとも、交叉点のありやなしやが危まれる遠さとなる。初めのうちは青い道を行ってもすぐ赤い道に衝当たるし、赤い道を辿っても青い道に出遇うし、欲張って踏み跨がって二つの道を行くこともできる。しかしながら行けども行けども他の道に出遇いかねる淋しさや、己れの道のいずれであるべきかを定めあぐむ悲しさが、おいおいと増してきて、軌道の発見せられていない彗星の行方のような己れの行路に慟哭する迷いの深みに落ちていくのである。
四
二つの道は人の歩むに任せてある。右を行くも左を行くもともに人の心のままである。ままであるならば人は右のみを歩いて満足してはいない。また左のみを辿って平然としていることはできない。この二つの道を行き尽くしてこそ充実した人生は味わわれるのではないか。ところがこの二つの道に踏み跨がって、その終わるところまで行き尽くした人がはたしてあるだろうか。
五
人は相対界に彷徨する動物である。絶対の境界は失われた楽園である。
人が一事を思うその瞬時にアンチセシスが起こる。
それでどうして二つの道を一条に歩んで行くことができようぞ。
ある者は中庸ということを言った。多くの人はこれをもって二つの道を一つの道になしえた努力だと思っている。おめでたいことであるが、誠はそうではない。中庸というものは二つの道以下のものであるかもしれないが、少なくとも二つの道以上のものではない。詭弁である、虚偽である、夢想である。世を済う術数である。
人を救う道ではない。
中庸の徳が説かれる所には、その背後に必ず一つの低級な目的が隠されている。それは群集の平和ということである。二つの道をいかにすべきかを究めあぐんだ時、人はたまりかねて解決以外の解決に走る。なんでもいいから気の落ち付く方法を作りたい。人と人とが互いに不安の眼を張って顔を合わせたくない。長閑な日和だと祝し合いたい。そこで一つの迷信に満足せねばならなくなる。それは、人生には確かに二つの道はあるが、しようによってはその二つをこね合わせて一つにすることができるという迷信である。
すべての迷信は信仰以上に執着性を有するものであるとおり、この迷信も群集心理の機微に触れている。すべての時代を通じて、人はこの迷信によってわずかに二つの道というディレンマを忘れることができた。そして人の世は無事泰平で今日までも続き来たった。
しかし迷信はどこまでも迷信の暗黒面を腰にさげている。中庸というものが群集の全部に行き渡るやいなや、人の努力は影を潜めて、行く手に輝く希望の光は鈍ってくる。そして鉛色の野の果てからは、腐肥をあさる卑しい鳥の羽音が聞こえてくる。この時人が精力を搾って忘れようと勉めた二つの道は、まざまざと眼前に現われて、救いの道はただこの二つぞと、悪夢のごとく強く重く人の胸を圧するのである。
六
人はいろいろな名によってこの二つの道を呼んでいる。アポロ、ディオニソスと呼んだ人もある。ヘレニズム、ヘブライズムと呼んだ人もある。Hard-headed, Tender-hearted と呼んだ人もある。霊、肉と呼んだ人もある。趣味、主義と呼んだ人もある。理想、現実と呼んだ人もある。空、色と呼んだ人もある。このごときを数え上げることの愚かさは、針頭の立ちうる天使の数を数えんとした愚かさにも勝った愚かさであろう。いかなるよき名を用いるとも、この二つの道の内容を言い尽くすことはできまい。二つの道は二つの道である。人が思考する瞬間、行為する瞬間に、立ち現われた明確な現象で、人力をもってしてはとうてい無視することのできない、深奥な残酷な実在である。
七
我らはしばしば悲壮な努力に眼を張って驚嘆する。それは二つの道のうち一つだけを選み取って、傍目もふらず進み行く人の努力である。かの赤き道を胸張りひろげて走る人、またかの青き道をたじろぎもせず歩む人。それをながめている人の心は、勇ましい者に障られた時のごとく、堅く厳しく引きしめられて、感激の涙が涙堂に溢れてくる。
いわゆる中庸という迷信に付随しているような沈滞は、このごとき人の行く手にはさらに起こらない。その人が死んで倒れるまで、その前には炎々として焔が燃えている。心の奥底には一つの声が歌となるまでに漲り流れている。すべての疲れたる者はその人を見て再びその弱い足の上に立ち上がる。
八
さりながらその人がちょっとでも他の道を顧みる時、その人はロトの妻のごとく塩の柱となってしまう。
九
さりながらまたその人がどこまでも一つの道を進む時、その人は人でなくなる。釈迦は如来になられた。清姫は蛇になった。
一〇
一つの道を行く人が他の道に出遇うことがある。無数にある交叉点の一つにぶつかることがある。その時そこに安住の地を求めて、前にも後ろにも動くまいと身構える向きもあるようだ。その向きの人は自分の努力に何の価値をも認めていぬ人と言わねばならぬ。余力があってそれを用いぬのは努力ではないからである。その人の過去はその人が足を停めた時に消えてなくなる。
一一
このディレンマを破らんがために、野に叫ぶ人の声が現われた。一つの声は道のみを残して人は滅びよと言った。あまりに意地悪き二つの道に対する面当てである。一つの声は二つの道を踏み破ってさらに他の知らざる道に入れと言った。一種の夢想である。一つの声は一つの道を行くも、他の道を行くも、その到達点にして同一であらばかまわぬではないかと言った。短い一生の中にもすべてを知り、すべてたらんとする人間の欲念を、全然無視した叫びである。一つの声は二つの道のうち一つの道は悪であって、人の踏むべき道ではない、悪魔の踏むべき道だと言った。これは力ある声である。が一つの道のみを歩む人がついに人でなくなることは前にも言ったとおりである。
一二
今でもハムレットが深厚な同情をもって読まれるのは、ハムレットがこのディレンマの上に立って迷いぬいたからである。人生に対して最も聡明な誠実な態度をとったからである。雲のごとき智者と賢者と聖者と神人とを産み出した歴史のまっただ中に、従容として動くことなきハムレットを仰ぐ時、人生の崇高と悲壮とは、深く胸にしみ渡るではないか。昔キリストは姦淫を犯せる少女を石にて搏たんとしたパリサイ人に対し、汝らのうち罪なき者まず彼女を石にて搏つべしと言ったことがある。汝らのうち、心尤めされぬ者まずハムレットを石にて搏つべしと言ったらばはたして誰が石を取って手を挙げうるであろう。一つの道を踏みかけては他の道に立ち帰り、他の道に足を踏み入れてなお初めの道を顧み、心の中に悶え苦しむ人はもとよりのこと、一つの道をのみ追うて走る人でも、思い設けざるこの時かの時、眉目の涼しい、額の青白い、夜のごとき喪服を着たデンマークの公子と面を会わせて、空恐ろしいなつかしさを感ずるではないか。
いかなる人がいかに言うとも、悲劇が人の同情を牽くかぎり、二つの道は解決を見いだされずに残っているといわねばならぬ。
その思想と伎倆の最も円熟した時、後代に捧ぐべき代表的傑作として、ハムレットを捕えたシェクスピアは、人の心の裏表を見知る詩人としての資格を立派に成就した人である。
一三
ハムレットには理智を通じて二つの道に対する迷いが現われている。未だ人全体すなわちテムペラメントその者が動いてはいない。この点においてヘダ・ガブラーは確かに非常な興味をもって迎えられるべき者であろう。
一四
ハムレットであるうちはいい。ヘダになるのは実に厭だ。厭でもしかたがない。智慧の実を味わい終わった人であってみれば、人として最上の到達はヘダのほかにはないようだ。
一五
長々とこんなことを言うのもおかしなものだ。自分も相対界の飯を喰っている人間であるから、この議論にはすぐアンチセシスが起こってくることであろう。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「白樺」
1910(明治43)年5月
入力:鈴木厚司
校正:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2011年1月9日修正
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たけなわな秋のある一夜。
光の綾を織り出した星々の地色は、底光りのする大空の紺青だった。その大空は地の果てから地の果てにまで広がっていた。
淋しく枯れ渡った一叢の黄金色の玉蜀黍、細い蔓――その蔓はもう霜枯れていた――から奇蹟のように育ち上がった大きな真赤なパムプキン。最後の審判の喇叭でも待つように、ささやきもせず立ち連なった黄葉の林。それらの秋のシンボルを静かに乗せて暗に包ませた大地の色は、鈍色の黒ずんだ紫だった。そのたけなわな秋の一夜のこと。
私たちは彼女の家に近づいた。末の妹のカロラインが、つきまとわるサン・ベルナール種のレックスを押しのけながら、逸早く戸を開けると、石油ランプの琥珀色の光が焔の剣のような一筋のまぶしさを広縁に投げた。私と連れ立った彼女の兄たちと妹とは、孤独の客のいるのも忘れて、蛾のように光と父母とを目がけて駆け込んだ。私は少し当惑してはいるのをためらった。ばね仕掛けであるはずの戸が自然にしまらないのを不思議に思ってふと気がつくと、彼女が静かにハンドルを握りながら、ほほえんで立っていた。私は彼女にはいれと言った。彼女は黙ったまま軽くかぶりをふって、少しはにかみながらそれでもじっと私の目を見詰めて動こうとはしなかった。私は心から嬉しく思って先にはいった。その瞬間から私は彼女を強く愛した。
フランセス――しかし人々は彼女を愛してファニーと呼ぶのだ。
その夜は興ある座談に時が早く移った。ファニーとカロラインの眠る時が来た。ブロンドの巻髪を持ったカロラインはもう眠がった。栗色の癖のない髪をアメリカ印度人のように真中から分けて耳の下でぶつりと切ったファニーの眼はまだ堅かった。ファニーはどうしてもまだ寝ないと言い張った。齢をとったにこやかな母が怒るまねをして見せた。ファニーは父の方に訴えるような眼つきを投げたが、とうとう従順に母の膝に頭を埋めた。母は二人の童女の項に軽く手を置き添えて、口の中で小さな祝祷を捧げてやった報酬に、まず二人から寝前の接吻を受け取った。それから父と兄らとが接吻を受けた。二人が二階にかけ上がろうとすると母が呼びとめて、お客様にも挨拶をするものだと軽くたしなめた。カロラインは飛んで帰ってきて私と握手した。ファニーは――ファニーは頸飾りのレースだけが眼立つほど影になった室の隅から軽く頸をかしげて微笑を送ってよこした。そして二人は押し合いへし合いしながらがたがたと小さい階子段をかけ上って行った。その賑やかな音の中に「ファニーのはにかみ屋め、いたずら千万なくせに」と言う父のひとり言がささやかれた。
* * *
寒く、淋しく、穏やかに、晩秋の田園の黎明が来た。窓ガラスに霜華が霞ほど薄く現われていた。衣服の着代えをしようとしてがんじょう一方な木製の寝台の側に立っていると、戸外でカロラインと気軽く話し合うファニーの弾むような声が聞こえた。私はズボンつりをボタンにかけながら窓ぎわに倚り添って窓外を見下ろした。
一面の霜だ。庭めいた屋前の芝生の先に木柵があって、木柵に並行した荷馬車の通うほどな広さの道の向こうには、かなり大きな収穫小屋が聳えて見えた。収穫小屋の後ろにはおおかた耡き返されて大きな土塊のごろごろする畑が、荒れ地のように紫がかって広がっていた。その処々は、落葉した川柳が箒をさかしまに立て連ねたようにならんでいる。轍の泥のかんかんにこびりついたままになっている収穫車の上には、しまい残された牧草が魔女の髪のようにしだらなく垂れ下がっていた。それらすべての上に影と日向とをはっきり描いて旭が横ざしにさしはじめていた。烏の声と鶏の声とが遠くの方から引きしまった空気を渡ってガラス越しに聞こえてきた。自然は産後の疲れにやつれ果てて静かに産褥に眠っているのだ。その淋しさと農人の豊かさとが寛大と細心の象徴のように私の眼の前に展けて見えた。
私はファニーを探し出そうとした。眼の届く限りに姿は見えないなと思う間もなく収穫小屋の裏木戸が開いて、斑入りの白い羽を半分開いて前に行くものの背を乗り越し乗り越し走り出た一群の鶏といっしょに、二人の童女が現われ出た。二人は日向に立った。そのまわりには首を上に延ばしたりお辞儀をしたりする鶏が集まった。一羽はファニーの腕にさえとまった。カロラインがかかげていたエープロンをさっと振り払うと、燕麦が金の砂のように凍った土の上に散らばった。一羽の雄鶏は群れから少し離れて高々と時をつくった。
ファニーのエープロンの中には小屋のあちこちから集めた鶏卵があった。彼女はそれを一つ一つ大事そうに取り出して、カロラインと何か言い交わしながら、木戸を開いて母屋の方に近づいてきた。朝寒がその頬に紅をさして、白い歯なみが恥ずかしさを忘れたように「ほほえみの戸口」から美しく現われていた。私はズボンつりを左手に持ちなおして、右の中指で軽く窓のガラスをはじいた。ファニーは笑みかまけたままの顔を上げて私の方を見た。自然に献げた微笑を彼女は人間にも投げてくれた。私の指先はガラスの伝えた快い冷たさを忘れて熱くなった。
* * *
夏が来てから私はまたこの農家を訪れた。私は汽車の中でなだらかな斜面の半腹に林檎畑を後ろにしてうずくまるように孤立するフランセスの家を考えていた。白く塗られた白堊がまだらになって木地を現わした収穫小屋、その後ろに半分隠れて屋根裏ともいえる低い二階を持った古風な石造りの母屋、その壁面にならんで近づく人をじっと見守っているような小さな窓、前さがりの庭に立ちそぼつ骨ばった楡ととねりこ、そして眼をさすように上を向いて尖った灌木の類、綿と棘とに身よそおいした薊の亡骸、針金のように地にのたばった霜枯れの蔓草、風にからからと鳴るその実、糞尿に汚れ返ったエイシャー種の九頭の乳牛、飴のような色に氷った水たまり、乳を見ながら飲もうともしない病児のように、物うげに日光を尻目にかけてうずくまった畑の土……。
しかしその家に近づいた私の眼は私の空想を小気味よく裏切ってくれた。エメラルドの珠玉を連ねわたしたように快い緑に包まれたこの小楽園はいったい何処から湧いて出たのだ。母屋の壁の鼠色も収穫小屋のまだらな灰白色も、緑蔭と日光との綾の中にさながら小跳りをしているようだ。木戸はきしむ音もたてずに軽々と開いた。私はビロードの足ざわりのする芝生を踏んで広縁に上がった。虫除けの網戸を開けて戸をノックした。一度。二度。三度。応える者がない。私はなんの意味もなくほほえみながら静かに立ってあたりを見廻した。縁の欄干から軒にかけて一面に張りつめた金網にはナスターシャムと honey-suckle とが細かくからみ合って花をつけながら、卵黄ほどな黄金の光を板や壁の所々に投げ与えていた。その濃緑の帷からは何処ともなく甘い香りと蜂の羽音とがあふれ出てひそやかな風に揺られながら私を抱き包んだ。
突然裏庭の方で笑いどよめく声が起こった。私はまた酔い心地にほほえみながら、楡の花のほろほろと散る間をぬけて台所口の方に廻った。冬の間に燃き捨てた石炭殻の堆のほかには、靴のふみ立て場もないほどにクロヴァーが茂って、花が咲きほこっていた。よく肥った猫が一匹人おじもせずにうずくまって草の間に惜しげもなく流れこぼれた牛の乳をなめていた。
台所口をぬけるとむっとするほどむれ立った薔薇の香りが一時に私を襲ってきた。感謝祭に来た時には荊棘の迷路であった十坪ほどの地面が今は隙間もなく花に埋まって、夏の日の光の中でいちばん麗しい光がそれを押し包んでいた。私は自分の醜さを恥じながらその側を通った。ふと薔薇の花がたわわに動いた。見返る私の眼にフランセスの顔が映った。彼女は薔薇といっしょになってほほえんでいた。
腕にかけた経木籃から摘み取った花をこぼしこぼしフランセスの駈け出す後に私も従った。跣足になった肉づきの恰好な彼女の脚は、木柵の横木を軽々と飛び越して林檎畑にはいって行った。私は彼女の飛び越えた所にひとかたまり落ち散った花を、気ぜわしく拾い上げた。見るとファニーは安楽椅子に仰向きかげんに座を占めた母に抱きついて処きらわず続けさまに接吻していた。蜘の巣にでも悩まされたように母が娘を振り離そうとするのを、スカルキャップを被った小柄な父は、読みかけていた新聞紙をかいやって鉄縁の眼鏡越しに驚いて眺めていた。此処ではまた酒のような芳醇な香が私を襲った。シャツ一枚になって二の腕までまくり上げた兄らの間には大きな林檎圧搾機が置かれて、銀色の竜頭からは夏を煎じつめたようなサイダーの原汁がきらきらと日に輝きながら真黒に煤けた木槽にしたたっていた。その側に風に吹き落とされた未熟の林檎が累々と積み重ねられていた。兄らは私を見つけると一度に声を上げた。そして蜜蜂に体のめぐりをわんわん飛び廻らせながら一人一人やってきて大きな手で私の手を堅く握ってくれた。その手はどれも勤労のために火のように熱していた。私は少し落ち着いてからファニーの方を見た。彼女は上気した頬を真赤にさせて、スカーツから下はむきだしになった両足をつつましく揃えて立っていた。あの眼はなんという眼だ。この何もかにも明らさまな夏の光の下で何を訝り何を驚いているのだ。
* * *
ある朝両親はいつものとおり古ぼけた割幌の軽車を重い耕馬に牽かせて、その朝カロラインが集めて廻った鶏卵を丹念に木箱に詰めたのを膝掛けの下に置いて、がらがらと轍の音をたてながら村の方に出かけて行った。帰りの馬車は必要な肉類と新聞紙と一束の手紙類とをもたらしてくるのだ。私は朝の読書に倦んでカロラインを伴れて庭に出た。花園の側に行くとその受持ちをしているファニーが花の中からついと出てきて私たちをさしまねいた。そして私を連れて林檎畑にはいって行った。カロラインと何かひそひそ話をした彼女の眼はいたずらそうな光を輝かしていた。少し私を駆け抜けてから私の方を向いて立ち止まって私にも止まれと言った。私は止まった。自分の方を真直に見てほかに眼を移してはいけないと言った。私はどうして他見をする必要があろう。一、二、三、兵隊のように歩調を取って自分の所まで歩いてこい、そう彼女は私に厳命を下した。私はすなおにも彼女を突き倒すほどの意気込みで歩きだした。五歩ほど来たと思うころ私は思わず跳り上がった。跣足になった脚の向脛に注射針を一どきに十筒も刺し通されたほどの痛みを覚えたからだ。ファニーとカロラインが体を二つに折って笑いこけているのをいまいましくにらみつけながら足許を見ると、紫の花をつけた一茎の大薊が柊のような葉を拡げて立っていた。私はいきなり不思議な衝動に駆られた。森の中に逃げ込むニンフのようなファニーを追いつめて後ろから抱きすくめた私はバッカスのようだった。ファニーは盃に移されたシャンパンが笑うように笑い続けて身もだえした。頭の上に広がった桜の葉蔭からは桜桃についた一群の椋鳥が驚いてうとましい声を立てながら一時に飛び立った。私ははっと恥を覚えてファニーを懐から放した。私の胸は小痛いほどの動悸にわくわくと恐れおののいていた。ファニーは人の心の嶮しさを知らないのだ。踊る時のような手ぶりをして事もなげに笑い続けていた。
* * *
書棚とピアノとオルガンと、にわか百姓の素性を裏切る重々しい椅子とで昼も小暗い父の書斎は都会からの珍客で賑わっていた。すべてが煤けて見える部屋の一隅に、盛り上げた雪のように純白なリンネルを着た貴女はなめらかな言葉で都会人らしく田園を褒め讚えていた。今日はカロラインまでが珍しく靴下と靴とをはいていた。ふと其処にファニーが素足のままで手に一輪の薔薇を捧げて急がしくはいってきた。彼女は貴女のいるのに気づくと手持ち無沙汰そうに立ちすくんだ。貴女とファニーとがこの部屋の二つの極のように見えた。母が母らしく立ち上がって無作法を責めながら髪をけずり衣物を整えに二階にやろうとするのを、貴女は椅子から立ち上がりさえして押しとどめた。そして飾り気のない姿の可憐さと、野山に教えられた無邪気な表情とをあくまで賞めそやした。ファニーはもう通常の快活さを取りかえして、はにかみもせずに父に近づいて、その皺くちゃな手に薔薇の花を置いた。
「パパ、これがこの夏咲いた花の中でいちばん大きなきれいな花です」
父はくすぐったいようにほほえみながら、茎を指先につまんでくるくるとまわしてみた。都会人の田舎人を讃美すべきこの機会を貴女はどうしてのがしていよう。
「ファニー貴女は小さな天使そのものですね」
ときれいな言葉で言いながら父の方に手を延ばした。父は事もなげに花を貴女に渡すと、貴女はちょっと香をかいで接吻して、驚いた表情をしながらその花に見とれてみせた。ファニーははじめてほがらかな微笑を頬に湛えて貴女の方を見た。そして脚の隠れそうな物蔭に腰から上だけを見せて座を占めた。貴女は続けてときどき花の香をかぎかぎ、ファニーを相手に、怜悧らしくちょいちょい一座を見渡しながら、
「この薔薇は紅いでしょう。なぜ世の中には紅いのと白いのとあるか知っておいで?」
と首を華やかにかしげて聞いた。ファニーは「知りません」とすなおに答えて頭をふった。「それでは教えてあげましょうね。その代わりこれをくださいよ。昔ある所にね」という風にナイチンゲールが胸を棘にかき破られてその血で白の花弁を紅に染めたというオスカー・ワイルドの小話を語り始めた。ファニーばかりでなく母までが感に入ってそのなめらかな話し振りに聞き惚れた。話がしまわないうちに台所裏で鶏がけたたましくなき騒いだ。鶏の世話を預かるカロラインは大きな眼を皿のようにして跳り上がった。家内じゅうも一大事が起こったように聞き耳を立てた。カロラインが部屋を飛び出しながら、またレックスが悪戯をしたんだと叫ぶと、犬好きのファニーは無気になって大きな声で「レックスがそんなことをするもんですか。猫よきっとそれは」と口惜しそうに叫んだ。「ミミーなもんですか」と口返しする癇高な妹の声はもう台所口の方で聞こえた。一座が鎮まると貴女は薔薇の話は放りやって、父や母とロスタンのシャンテクレールの噂を始めだした。ファニーはもう会話の相手にはされていなかった。その当時売り出した、バリモアというオペラ女優の身ぶりなどを巧みにまねながら貴女は手に持っていた薔薇を無意識に胸にさしてしまった。しばらく黙って聞いていたファニーが突然激しくパパと呼びかけた。私はファニーを見た。いやにまじめくさった彼女の頬はふくれていた。父はたしなめるように娘を見やった。ファニーは負けていなかった。ちょっと言葉を途切らした貴女がまた話し続けようとすると、ファニーはまた激しくパパと言う。父は貴女の手前怒って見せなければならなくなった。
「不作法な奴だな、なんだ」
「That rose was given to you, Papa dear !」
「I know it.」
「You don't know it !」
しまいの言葉を言った時ファニーの唇は震えていた。涙が溜ったのじゃあるまい。しかし眼は輝いていた。父は少し自分の弱味が裏切られたような苦笑いをしている。貴女はほほえんでしばらく口をつぐんでいたが、また平気で前の話を始めだした。父と母とはこの場の不作法を償い返そうとでもするように、いっそう気を入れて貴女の話に耳を傾けた。繊細な情緒にいつでもふるえているように見えた貴女の心は、ファニーの胸の中を汲み取ってはやらぬらしい。田舎娘は矢張り田舎娘だとさえも思ってはいないようだ。私は可哀そうになってファニーを見た。その瞬間に彼女も私を見た。私は勉めて好意をこめた微笑を送ってやろうとしたが、それは彼女のいらいらと怒った眼つきのために打ちくだかれた。ファニーは軽蔑したように二度とは私を見返らなかった。そしてしばらくしてからふと立って外に出て行った。入れちがいにカロラインがはいってきて鶏の無事だったことを事々しく報告した。貴女は父母になり代わったように、笑みかまけてカロラインの報告にうなずいて見せた。
しばらくしてから戸がまた開いたと思うとファニーがそっとはいってきた。忠義を尽くしながらかえって主人に叱られた犬のような遠慮と謙遜とを身ぶりに見せながら父の側に近づいて、そっとその手にまた一輪の薔薇の花を置いた。話の途切れるのをおとなしく待ちつけて、
「これが二番目にきれいな薔薇なの、パパ」
と言いながら柔和な顔をして貴女を見た。一生懸命に柔和であろうとする小さな努力が傍目にもよく見えた。
「そうか」無口な父は微笑を苦笑いに押し包んだような顔をして言った。
「これを○○夫人にあげましょうか」
父はただうなずいた。
「これが貴女のです」
ファニーはそれを貴女に渡した。貴女は軽く挨拶してそれを受け取るとさきほどのに添えて胸にさした。ファニーは貴女が最初の薔薇と取り代えてくれるに違いないと思い込んでいたらしいのに、貴女はまたそれには気がつかないらしい。ファニーがいつまでもどかないので挨拶がし足りないと思ったのか、
「Thank you once more, dear.」
とまた軽く辞儀をした。ファニーもその場の仕儀で軽く頭を下げたものだから、もうどうすることもできなかった。うつむいたままでまた室を出て行った。その姿のいたいたしさは私の胸を刺すばかりだった。
私はしばらくじっとして堪えていたが、なんだかファニーが哀れでならなくなって、静かに部屋をすべり出た。食堂と居間とを兼ねた隣の部屋にも彼女はいなかった。静かな台所でことことと音のするのを便りに其処の戸を開けてみると、ファニーが後ろ向きになって洗い物をしていた。人の近づくのに気がついて振り返った彼女の眼は、火のように燃えていた。そして気でも狂ったように手にしたたった水を私の顔にはじきかけた。
貴女が暇乞いをして立つ時、父は物優しくファニーの無礼をことわって、いちばん美しい薔薇を返してもらった。客の帰ったのを知って台所から出て来たファニーが父の手にその薔薇のあるのをちらと見ると、もうたまらないというようにかけ寄ってその胸に顔を埋めた。父が何かたしなめると、
「This rose is yours anyhow, Papa.」
とファニーが震え声で言った。そして堪え堪えしていたすすり泣きがややしばらく父の胸と彼女の顔との間からメロディーのように聞こえていた。
* * *
次の年の春に私はまたこの一つの家を訪れた。桜の花が雪のように白くなって散り始め、ライラックがそのろうたけた紫の花房と香とで畑の畦を飾り、林檎が田舎娘のような可憐な薄紅色の蕾を武骨な枝に処せまきまで装い、菫と蒲公英が荒土を玉座のようにし、軟らかい牧草の葉がうら若いバッカスの顔の幼毛のように生え揃い、カックーが林の静かさを作るために間遠に鳴き始めるころだった。空には鳩がいた。木には木鼠がいた。地には亀の子がいた。
すべての物の上に慈悲のような春雨が暖かく静かに降りそそいでいた。私の靴には膏薬のように粘る軟土が慕いよった。去年の夏訪れた時に誰もいなかった食堂を兼ねた居間には、すべての家族がいた。私の姿を見ると一同は総立ちになって「ハロー」を叫んだ。ファニーがいつもの快活さで飛んできて戸を開けてくれた。遠慮のなくなった私は、日本人のするように戸口で靴をぬぎ始めた。毛の毯のようなきれいな仔猫が三匹すぐ背をまるめて靴の紐に戯れかかった。
母と握手した。彼女は去年のままだった。父と握手した。彼はめっきり齢をとって見えた。ファニーの兄たちは順繰りに去年の兄ぐらいずつの背たけになっていた。カロラインはベビーと呼ばれるのが似合わぬくらいになった。ファニーは――今までいたはずのファニーは見えなかった。少しせっかちな父は声を上げてその名を呼んだが答えがない。父はしばらく私と一別以来のことを話し合ったりしていたが、矢張り気になるとみえて、また大声でファニーを呼び立てた。その声の大きさに背負投げを喰わしてファニーの「Here you are」という返事は、すぐ二階に通う戸の後ろから来た。そして戸が開いた。ファニーは前から戸の間ぎわまで来ていたのにきっかけを待って出てこなかったのだと知った私は、ちょっと勝手が違うような心持ちがした。顔じゅう赤面しながらそれでも恥ずかしさを見せまいとするように白い歯なみをあらわにほほえんでファニーはつかつかと私の前に来て、堅い握手をした。
「めかして来たな」
兄から放たれたこの簡単なからかいは、しかしながらファニーの心を顛倒させるのに十分だった。顔を火のように赤くしてその兄をにらんだと思うと戸口の方に引き返した。部屋じゅうにどっと笑いが鳴りはためいた。ファニーの眼にはもう涙の露がたまっていた。
ファニーはけっして素足を人に見せなくなった。そして一年の間に長く延びた髪の毛は、ファウストのマーガレットのように二つに分けて組み下げにされていた。それでもその翌日から彼女は去年のとおりな快活な、無遠慮な、心から善良なファニーになった。私たちはカロラインと三人でよく野山に出て馬鹿馬鹿しい悪戯をして遊んだ。
其処に行ってから三日目に、この家で決めてある父母の誕生日が来た。兄たちは鶏と七面鳥とを屠った。私と二人の娘とは部屋の装飾をするために山に羊歯の葉や草花を採りに行った。
木戸を開けて道に出ると、収穫小屋の側の日向に群がって眼を細くしながら日の光を浴びていた乳牛が、静かに私たちを目がけて木柵のきわに歩みよってきた。毛衣を着かえたかと思うようにつやつやしい毛なみは一本一本きらきらと輝いた。生まれてほどもない仔牛は始終驚き通しているような丸い眼で人を見やりながら、柵から首を長く延ばして、さし出す二本の指を、ざらざらした舌で器用に巻いてちゅうちゅう吸った。私たちは一つかみずつの青草をまんべんなく牛にやって、また歩きだした。カロラインは始終大きな声で歌い続けた。その声が軽い木魂となって山から林からかえってくる。
カロラインはまた電信をしようと言いだした。ファニーはいやだと言った。末子のカロラインはすぐ泣き声になってどうしてもするのだと言い張る。ファニーは姉らしく折れてやって三人は手をつないだ。私は真中にいてカロラインからファニーにファニーからカロラインに通信をうけつぐのだ。カロラインが堅く私の手を握ると私もファニーの手を堅く握らねばならぬ。去年までは私がファニーの手を堅くしめるとファニーも負けずにしめ返したのに、今年はどうしても堅く握り返すことをしない。そしてその手は気味の悪いほど冷たかった。ファニーから来る通信がいつでもなまぬるいので、カロラインは腹を立ててわやくを言いだした。ファニーは「それではやめる」と言ったきり私の手を放してしまった。カロラインがいかに怒ってみても頼んでみても、もうファニーは私と手をつなごうとはしなかった。
森にはいると森の香が来て私たちを包んだ。樫も、楡もいたやもすべての葉はライラックの葉ほどに軟らかくて浅い緑を湛えていた。木の幹がその特殊な皮はだをこれ見よがしに葉漏りの日の光にさらして、その古い傷口からは酒のような樹液がじんわりと浸み出ていた。樹液のにじみ出ている所にはきっと穴を出たばかりの小さな昆虫が黒くなってたかっていた。蜘蛛も巣をかけはじめたけれども、その巣にはまだ犠牲になった羽虫がからまっているようなことはない。露だけが宿っていた。静かに立って耳をそばだてるとかすかに音が聞こえる。落葉が朽ちるのか、根が水を吸うのか、巻き葉が拡がるのか、虫がささやくのか、風が渡るのか、その静かな音、音ある静かさの間に啄木鳥とむささびがかっかっと聞こえ、ちちと聞こえる声を立てる。頭を上げると高い梢をすれずれにかすめて湯気のような雲が風もないのに飛ぶように走る。その先には光のような青空が果てしもなく人の視力を吸い上げて行く。
私たち三人は分かれ分かれになって花をあさり競った。あまりに遠く隔てると互いに呼びかわすその声が、美しい丸みを持って自分の声とは思えないほどだ。私は酔い心地になって、日あたりのいい斜面を選んで、羊歯を折り敷いて腰をおろした。村の方からは太鼓囃しをごく遠くで聞くような音がかすかにほがらかに伝わってくる。足の下に踏みにじられた羊歯の青くさい香を私は耳でかいでいるような気がした。私はごく上面なセンチメンタルな哀傷を覚えた。そして長いとも短いとも定めがたい時が過ぎた。
ふと私は左の耳に人の近づく気配を感じた。足音を忍んでいるのを知ると私は一種の期待を感じた。そしてその足音の主がファニーであれかしと祈った。足音はやや斜め後ろから間近になると突然私の眼の前に、野花をうざうざするほど摘み集めた見覚えのある経木の手籃が放り出された。私はおもむろに左を見上げた。ファニーが上気して体じゅうほほえんで立っていた。
しばらく躊躇していたがファニーはやがて私の命ずるままに私の側近くすわった。二人きりになると彼女はかえって心のぎごちなさを感じないようにも見えた。何か話し合っているうちに二人はいつしか兄弟のような親しみに溶け合った。彼女は手籃を引きよせて、花を引き出しながらその名を教えてくれた。蕃紅花、毛莨、委蕤、Bloodroot, 小田巻草、ふうりん草、Pokeweed …… Bloodroot はこのとおり血が出る。蕃紅花は根が薬になる。Pokeweed の芽生えはアスパラガスの代わりに食べられるけれども根は毒だから食べてはいけない。毛莨は可愛いではないか、王の酒杯という名もある。小田巻草は心変わりの花だ。そういう風に言ってきてふとしばらく黙った。そして私をじっと見た。私は彼女の足許に肱をついて横たわりながら彼女の顔を見上げた。今までついぞ見たことのなかった人に媚びるような表情が浮かんでいた。彼女はそれを意識せずにやっている。それはわかる。しかし私は不快に思わずにはいられなかった。
There's Fennel for you, and Columbsines ……
ふと彼女は狂気になったオフェリヤが歌う小歌を口ずさんで小田巻草を私に投げつけた。ファニーはとうとう童女の境を越えてしまったのだ。私は自然に対して裏切られた苦々しさを感じて顔をしかめた。私はもう一度顔を挙げて「ファニー」と呼んだ。ファニーはいそいそとすぐ「なに?」と応えたが、私の顔にも声にも今までとは違った調子の現われたのを見て取って、自分も妙に取りかたづけた顔になった。
「お前はもう童女じゃない、処女になってしまったんだね」
ファニーは見る見る額のはえぎわまで真赤になった。自分の肢体を私の眼の前に曝すその恥ずかしさをどうしていいのかわからないように、深々とうなだれて顔を挙げようとはしなかった。手も足も胴も縮められるだけ縮めて私の眼に触れまいとするように彼女は恥に震えた。
火のようなものが私の頭をぬけて通った。ファニーは私の言葉に勘違いをしたな。私はそんなつもりで言ったのじゃないと気が付くと、私はたまらないほどファニーがいじらしく可哀そうになった。
「そんなに髪を伸ばして組んだりなんぞするからいけないんだ。元のようにおし」
しかしその言葉は、落葉が木の枝から落ちて行くように、彼女の心に触れもしないですべり落ちた。
帰り路にカロラインは私たち二人の変わり果てた態度にすぐ気がついて訝りだした。幼心に私たちは口喧嘩でもしたと思ったのだろう、二人の間を行きつもどりつしてなだめようと骨折った。
この日から私は童女の清浄と歓喜とに燃えた元のようなファニーの顔を見ることができなくなってしまった。
* * *
永久にこの家から暇乞いをすべき日が来た。ファニーは朝から私の前に全く姿を見せなかった。昼ごろ馬車の用意ができたので、私は家族のものに離別の握手をしたが、ファニーは矢張りいなかった。兄らは広縁に立って大きな声でその名を呼んでみた。むだだった。私は庭に降りて収穫小屋の方に行ってみた。その表戸によりかかって春の日を浴びながら彼女はぼんやり畑の方を見込んで立っていた。私のひとりで近づくのを見ると彼女ははっと思いなおしたようにずかずかと歩み寄ってきた。私はせめてはこの間の言いわけをして別れたいと思っていた。二人は握手した。冷え切ったファニーの手は堅く私の手を握った。私がものを言う前にファニーは形ばかり口の隅に笑みを見せながら「Farewell !」と言った。
「ファニー」
私の続ける暇も置かせずファニーはまた「Farewell !」とたたみかけて言った。そしてもう一度私の手を堅く握った。 | 底本:「生まれ出づる悩み」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年5月10日改版初版発行
1980(昭和55)年11月10日改版22版発行
初出:「新家庭 第一巻第一号」玄文社
1916(大正5)年3月1日発行
※「私の目」と「私の眼」、「処々」と「所々」、「延」と「伸」、「無作法」と「不作法」、「蜘蛛《くも》」と「蜘《くも》」、「荊棘《いばら》」と「棘《いばら》」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の註釈は省略しました。
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
入力:呑天
校正:えにしだ
2019年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "056503",
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"初出": "「新家庭 第一巻第一号」玄文社、1916(大正5)年3月1日",
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A兄
近来出遇わなかったひどい寒さもやわらぎはじめたので、兄の蟄伏期も長いことなく終わるだろう。しかし今年の冬はたんと健康を痛めないで結構だった。兄のような健康には、春の来るのがどのくらい祝福であるかをお察しする。
僕の生活の長い蟄眠期もようやく終わりを告げようとしているかに見える。十年も昔僕らがまだ札幌にいたころ、打ち明け話に兄にいっておいたことを、このごろになってやっと実行しようというのだ。自分ながら持って生まれた怯懦と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。
ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。
結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に処理していくほかに、周囲に対しての本当に親切なやり方というものを見いだすことができない。僕自身を離れたところに何事かを成就しうると考える軽業のような仕事はできない。僕の従来の経験から割り出されたこの人生哲学がどこまで立証されるかは、僕の経験をさらに続行することによってのみ立証されることで、そのほかには立証のしようがないのだから仕方がない。
さて僕の最近の消息を兄に報じたついでに、もう一つお知らせするのは、僕がこの一月の「改造」に投じた小さな感想についてである。兄は読まなかったことと思うが「宣言一つ」というものを投書した。ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽いて、いろいろの批評や駁撃に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致したもので、両階級の間には、生活様式の上にも、それから醸される思想の上にも、容易に融通しがたい懸隔のあることを感じ、現在においてはそれがブルジョアとプロレタリアの二階級において顕著に現われているのを見るという前提を頭に描いて筆を執ったものだ。そして僕の感ずるところが間違っていなければ、プロレタリアの人々は、在来ブルジョアの或るものを自分らの指導者として仰いでいる習慣を打破しようとしている。これは最近に生活の表面に現われ出た事実のうち最も注意すべきことだ。ところが芸術にたずさわっているものとしての僕は、ブルジョアの生活に孕まれ、そこに学び、そこに行ない、そこに考えるような境遇にあって今日まで過ごしてきたので不幸にもプロレタリアの生活思想に同化することにほとんど絶望的な困難を感ずる。生活や思想にはある程度まで近づくことができるとしても、その感情にまで自分をし向けていくことは不可能といって差し支えない。しかも僕はブルジョアは必ず消滅して、プロレタリアの生活、したがって文化が新たに起こらねばならぬと考えているものだ。ここに至って僕は何処に立つべきであるかということを定める立場を選ばねばならぬ。僕は芸術家としてプロレタリアを代表する作品を製作するに適していない。だから当然消滅せねばならぬブルジョアの一人として、そうした覚悟をもってブルジョアに訴えることに自分を用いねばならぬ。これがだいたい僕の主張なのである。僕にとっては、これほど明白な簡単な宣言はないのだ。本当をいうと、僕がもう少し謙遜らしい言葉遣いであの宣言をしたならば、そしてことさら宣言などいうたいそうな表現を用いなかったら、あの一文はもう少し人の同情を牽いたかもしれない。しかし僕の気持ちとしては、あれ以上謙遜にも、あれ以上大胆にも物をいうことができなかったのだ。この点においては反感を買おうとも、憐れみを受けようとも、そこは僕がまだ至らないのだとして沈黙しているよりいたしかたがない。
僕の感想文に対してまっ先に抗議を与えられたのは広津和郎氏と中村星湖氏とであったと記憶する。中村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於菟吉氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが、僕はついにそれを見る機会を持たなかった。
そこでこれらの数氏の所説に対する僕の感じを兄に報ずることになるのだが、それは兄にはたいして興味のある問題ではないかもしれない。僕自身もこんなことは一度言っておけばいいことで、こんなことが議論になって反覆応酬されては、すなわち単なる議論としての議論になっては、問題が問題だけに、鼻持ちのならないものになると思っている。しかし兄に僕の近況を報ずるとなると、まずこんなことを報ずるよりほかに事件らしい事件を持ち合わさない僕のことだから、兄の方で忍耐してそれを読むほかに策はあるまい。
僕の言ったことに対してとにかく親切な批評を与えたのは堺氏と片山氏とだった。堺氏は社会主義者としての立場から、片山氏は文明批評家としての立場から、だいたいにおいて立論している。この二氏の内の意見についての僕の考えを兄に報ずるに先立って、しつこいようだけれども、もう一度繰り返しておかなければならないのは、あの宣言なるものは僕一個の芸術家としての立場を決めるための宣言であって、それをすべての他の人にまであてはめて言おうとしているのではない、ということだ。それなら、なぜクロポトキンやマルクスや露国の革命をまで引き合いに出して物をいうかとの詰問もあろうけれども、それは僕自身の気持ちからいうならば、前掲の人人または事件をああ考えねばならなくなるという例を示したにすぎない。気持ちで議論をするのはけしからんといわれれば、僕も理窟だけで議論するのはけしからんと答えるほかはない。
堺氏は「およそ社会の中堅をもってみずから任じ、社会救済の原動力、社会矯正の規矩標準をもってみずから任じていた中流知識階級の人道主義者」を三種類に分け、その第三の範囲に、僕を繰り入れている。その第三の範囲というのは「労働階級の立場を是認するけれども、自分としては中流階級の自分、知識階級の自分としては、労働階級の立場に立って、その運動に参加するわけにはいかない。そこで彼らは、別に自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人たちであるというのだ。ここで問題になるのは「立場に立つ」という言葉だ。立場に立つとは単に思いやりだけで労働者の立場に立っていればいいのか、それとも自分が労働者になるということなのか。もし前者だとすると堺氏はいかにも労働者の立場に立っているのであり、後者だとすると堺氏といえども労働者の立場に立っているとは僕には思われない(僕に思われないばかりでなく、堺氏自身後者にあるものではないと僕に言明した)。今度は「運動に参加する」という言葉だ。堺氏はこれまで長い間運動に参加した人である。誰でもその真剣な努力に対しての功績を疑う人はなかろう。しかしながら以前と違って、労働階級が純粋に自分自身の力をもって動こうとしだしてきた現在および将来において、思いやりだけの生活態度で、労働者の運動に参加しようとすることが、はたして労働階級の承認するところとなるであろうか。僕はここに疑問を插むものである。結局堺氏は、末座ながら氏が「中流階級の人道主義者」とある軽侮なしにではなく呼びかけたところの人々の中に繰り入れられることになるのではなかろうか。すなわち、「自分の中流階級的立場から、自分のできるだけのことをする」人々の一人となるのではなかろうか。もし僕の堺氏について考えているところが誤っていないとしたら、そして僕が堺氏の立場にいたら、労働者の労働運動は労働者の手に委ねて、僕は自分の運動の範囲を中流階級に向け、そこに全力を尽くそうとするだろうというまでだ。そういう覚悟を取ることがかえって経過の純粋性を保ち、事件の推移の自然を助けるだろうと信ずるのだ。かかる態度が直接に万が一にも労働階級のためになることがあるかもしれない。中流階級に訴える僕の仕事が労働階級によって利用される結果になるかもしれない。しかしそれは僕が甫めから期待していたものではないので、結果が偶然にそうなったのにすぎないのだ。ある人が部屋の中を照らそうとして電燈を買って来た時、路上の人がそれを奪って往来安全の街燈に用いてさらに便利を得たとしても、電燈を買った人はそれを自分の功績とすることはできない。その「することはできない」という覚悟をもって自分の態度にしたいものだと僕は思うのだ。ここが客観的に物を見る人(片山氏のごときはその一人だと思う)と、前提しておいたように、僕自身の問題として物を見ようとする人との相違である。ここに来ると議論ではない、気持ちだ。兄はこの気持ちを推察してくれることができるとおもう。ここまでいうと「有島氏が階級争闘を是認し、新興階級を尊重し、みずから『無縁の衆生』と称し、あるいは『新興階級者に……ならしてもらおうとも思わない』といったりする……女性的な厭味」と堺氏の言った言葉を僕自身としては返上したくなる。
次に堺氏が「ルソーとレーニン」および「労働者と知識階級」と題した二節の論旨を読むと、正直のところ、僕は自分の申し分が奇矯に過ぎていたのを感ずる。
しかしながら僕はもう一度自分自身の心持ちを考えてみたい。僕が即今あらん限りの物を抛って、無一文の無産者たる境遇に身を置いたとしても、なお僕には非常に有利な環境のもとに永年かかって植え込まれた知識と思想とがある。外見はいかにも無一文の無産者であろうけれども、僕の内部には現在の生活手段としてすこぶる都合のよい武器が潜んでいる。これは僕が失おうとしてもとうてい失うことのできないものだ。かかる優越的な頼みを持っていながら、僕ははたして内外ともに無産に等しい第四階級の多分の人々の感情にまではいりこむことができるだろうか。それを実感的にひしひしと誤りなく感ずることができるだろうか。そして私の思うところによれば、生命ある思想もしくは知識はその根を感情までおろしていなければならない。科学のようなごく客観的に見える知識でさえが、それを組み上げた学者の感情によって多少なり影響されているのを見ることがあるではないか。いわんやそれが人事に密接な関係をもつ思想知識になってくると、なおのことであるといわなければならない。この事実が肯定されるなら、私がクロポトキンやレーニンやについて言ったことは、奇矯に過ぎた言い分を除去して考えるならば、当然また肯定さるべきものであらねばならない。これらの偉大な学者や実際運動家は、その稀有な想像力と統合力とをもって、資本主義生活の経緯の那辺にあるかを、力強く推定した点においては、実に驚嘆に堪えないものがある。しかしながら彼らの育ち上がった環境は明らかに第四階級のそれではない。ブルジョアの勢いが失墜して、第四階級者が人間生活の責任者として自覚してきた場合に、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、その自覚の発展に対して決して障碍にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰がいいきることができるか。今は所有者階級が倒れようとしつつある時代である。第四階級の人々は文化的にある程度までブルジョアジーに妥協し、その妥協の収穫物を武器としてブルジョアジーに当たっている時である。僕の言葉でいうならば第四階級と現在の支配階級との私生児が、一方の親を倒そうとしている時代である。そして一方の親が倒された時には、第四階級という他方の親は、血統の正しからぬ子としてその私生児を倒すであろう。その時になって文化ははじめて真に更新されるのだ。両階級の私生児がいちはやく真の第四階級によって倒されるためには、すなわち真の無階級の世界が闢かれるためには、私生児の数および実質が支配階級という親を倒すに必要なだけを限度としなければならない。もしその数なり実質なりが裕かに過ぎたならば、ここに再び新たな容易ならざる階級争闘がひき起こされる憂いが十分に生じてくる。なぜならば私生児の数が多きに過ぎたならば、ここにそれを代表する生活と思想とが生まれ出て、第四階級なる生みの親に対して反駁の勢いを示すであろうから。
そして実際私生児の希望者は続々として現われ出はじめた。第四階級の自覚が高まるに従ってこの傾向はますます増大するだろう。今の所ではまだまだ供給が需要に充たない恨みがある。しかしながら同時に一面には労働運動を純粋に労働者の生活と感情とに基づく純一なものにしようとする気勢が揚りつつあるのもまた疑うべからざる事実である。人はあるいはいうかもしれない。その気勢とても多少の程度における私生児らがより濃厚な支配階級の血を交えた私生児に対する反抗の気勢にすぎないのだと。それはおそらくはそうだろう。それにしてもより稀薄に支配階級の血を伝えた私生児中にかかる気勢が見えはじめたことは、大勢の赴くところを予想せしめるではないか。すなわち私生児の供給がやや邪魔になりかかりつつあるのを語っているのではないか。この実状を眼前にしながら、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、第四階級の自覚の発展に対して決して障礙にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰が言いきることができるだろう。だから私は第四階級の思想が「未熟の中にクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれない」といったのだった。そして「クロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば……第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えた点にある……資本王国の大学でも卒業した階級の人々が翫味して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も苦しいものだ」といったのだ。
そこで私生児志願者が続々と輩出しそうな今後の形勢に鑑みて、僕のようにとてもろくな私生児にはなれそうもないものは、まず観念の眼を閉じて、私の属するブルジョアの人々にもいいかげん観念の眼を閉じたらどうだと訴えようというのだ。絶望の宣言と堺氏がいったのはその点において中っている。兄は堺氏の考えに対する僕の考えをどう思うだろう。
この手紙も今までにすでに長くなり過ぎたようだ。しかしもう少し我慢してくれたまえ。今度は片山氏の考えについてだ。「いかに『ブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である』にしても、そのために心の髄まで硬化していないかぎり、狐のごとき怜悧な本能で自分を救おうとすることにのみ急でないかぎり、自分の心の興奮をまで、一定の埓内に慎ませておけるものであろうか。……この辺の有島氏の考えかたはあまりに論理的、理智的であって、それらの考察を自己の情感の底に温めていない憾みがある。少なくとも、進んで新生活に参加する力なしとて、退いて旧生活を守ろうとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と片山氏はあるところで言っている。兄よ、前に述べたところから兄も察するであろうごとく、もし僕に狐のような怜悧な本能があったならば、おそらく第四階級的作品を製造し、第四階級的論文を発表して、みずから第四階級の同情者、理解者をもって任じていたろうと思うよ。相当にぜいたくのできる生活をして、こういう態度に出るほど今の世に居心地のよい座席はちょっとあるまいと思われるから。自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないかとの氏の詰問には一言もない。僕は氏が希望するほどにそうした心持ちを動かしてはいなかったようだ。ここで僕は氏に「己れはあえて旧生活を守りながら、進んで新生活の思想に参加せんとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と尋ねてみたいとも思うが、それは少し僭越過ぎることだろうか。
次に氏は社会主義的思想が第四階級から生まれたもののみでないことを言っているが、今までに出た社会主義思想家と第四階級との関係は僕が前述したとおりだから、重複を厭うことにする。ただ一言いっておきたいのは僕たちは第四階級というと素朴的に一つの同質な集団だと極める傾向があるが、これはあまりに素朴過ぎると思う。ブルジョア階級と擬称せられる集団の中にも、よく検察してみるとブルジョア風のプロレタリアもいれば、プロレタリア風のブルジョアもいるというように、第四階級も決して全部同質なものでないと僕は信ずるのだ。第四階級をいうならば、ブルジョアジーとの私生児でない第四階級に重心をおいて考えなければ間違うと僕は考えるものだ。そして在来の社会主義的思想は、私生児的第四階級とおもに交渉を持つもので、純粋の第四階級にとっては、あるいは邪魔になる者ではないかと考えうるということを付言しておく。そんな区別をするのは取り越し苦労だ。現在の問題だけを(すでに起こりかかりつつある将来の事実などは度外視して)考えていれば、それでいいのだといわれれば、僕はそういった人と、考えの基礎になる気持ちが違うからしかたがないと答えるほかはない。
それからロシアにおけるプロレタリアの芸術に関する考察が挙げてあるが、これは格別僕の「宣言一つ」と直接関係のあるものではない。これは氏のロシア文学に対する博識を裏書きするだけのものだ。僕が「大観」の一月号に書いた表現主義の芸術に対する感想の方が暗示の点からいうと、あるいは少し立ち勝っていはしないかと思っている。
とにかく片山氏の論文も親切なものだと思ってその時は読んだが、それについて何か書いてみようとすると、僕のいわんとするところは案外少ない。もっとも表題が「階級芸術の問題」というので、あながち僕を教えようとする目的からのみ書かれたものでないからであろう。これを要するに氏の僕に言わんとするところは、第四階級者でなくとも、その階級に同情と理解さえあれば、なんらかの意味において貢献ができるであろうに、それを拒む態度を示すのは、臆病な、安全を庶幾する心がけを暴露するものだということに帰着するようだ。僕は臆病でもある。安全も庶幾している。しかし僕自身としては持って生まれた奇妙な潔癖がそれをさせているのだと思う。僕は第四階級が階級一掃の仕事のために立ちつつあるのに深い同情を持たないではいられない。そのためには僕はなるべくその運動が純粋に行なわれんことを希望する。その希望が僕を柄にもないところに出しゃばらせるのを拒むのだ。ロシアでインテリゲンチャが偉い働きをしたから、日本でもインテリゲンチャが働くのに何が悪いなどの議論も聞くが、そんなことをいう人があったら現在の日本ではたいていはみずから恥ずべきだと僕は思うのだ。ロシアの人たちはすべての所有を賭し、生命を賭して働いたのだそうだ。日本にもそういう人がいたら、その人のみがインテリゲンチャの貢献のいかによきかを説くがいい。それほどの覚悟なしに口の先だけで物をいっているくらいなら、おとなしく私はブルジョアの気分が抜けないから、ブルジョアに対して自分の仕事をしますといっているのが望ましいことに私には見えるのだ。近ごろ少しあることに感じさせられたからついあんな宣言をする気になったのだ。
三上氏が、僕のいったようなことをいう以上は、まず自分の生活をきれいに始末してからいうべきだと説いたのはごもっともで、僕は三上氏の問いに対してへこたれざるをえない。同時に三上氏もその詰問を他人に対して与えた以上は自分の立場についても立つべき所を求めなければならぬともおもう。すでに求め終わっているのなら幸甚である。
A兄
くたびれたろうな。もう僕も饒舌はいいかげんにする。兄は僕が創作ができないのをどうしたというが、あの「宣言一つ」一つを吐き出すまでにもいいかげん胸がつかえていたのでできなかったのだ。僕の生活にも春が来たらあるいは何かできるかもしれない。反対にできないかもしれない。春が来たら花ぐらいは咲きそうなものだとは思っているが。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:『我等』大正11年3月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000208",
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「僕の帽子はおとうさんが東京から買って来て下さったのです。ねだんは二円八十銭で、かっこうもいいし、らしゃも上等です。おとうさんが大切にしなければいけないと仰有いました。僕もその帽子が好きだから大切にしています。夜は寝る時にも手に持って寝ます」
綴り方の時にこういう作文を出したら、先生が皆んなにそれを読んで聞かせて、「寝る時にも手に持って寝ます。寝る時にも手に持って寝ます」と二度そのところを繰返してわはははとお笑いになりました。皆んなも、先生が大きな口を開いてお笑いになるのを見ると、一緒になって笑いました。僕もおかしくなって笑いました。そうしたら皆んながなおのこと笑いました。
その大切な帽子がなくなってしまったのですから僕は本当に困りました。いつもの通り「御機嫌よう」をして、本の包みを枕もとにおいて、帽子のぴかぴか光る庇をつまんで寝たことだけはちゃんと覚えているのですが、それがどこへか見えなくなったのです。
眼をさましたら本の包はちゃんと枕もとにありましたけれども、帽子はありませんでした。僕は驚いて、半分寝床から起き上って、あっちこっちを見廻わしました。おとうさんもおかあさんも、何にも知らないように、僕のそばでよく寝ていらっしゃいます。僕はおかあさんを起そうかとちょっと思いましたが、おかあさんが「お前さんお寝ぼけね、ここにちゃあんとあるじゃありませんか」といいながら、わけなく見付けだしでもなさると、少し耻しいと思って、起すのをやめて、かいまきの袖をまくり上げたり、枕の近所を探して見たりしたけれども、やっぱりありません。よく探して見たら直ぐ出て来るだろうと初めの中は思って、それほど心配はしなかったけれども、いくらそこいらを探しても、どうしても出て来ようとはしないので、だんだん心配になって来て、しまいには喉が干からびるほど心配になってしまいました。寝床の裾の方もまくって見ました。もしや手に持ったままで帽子のありかを探しているのではないかと思って、両手を眼の前につき出して、手の平と手の甲と、指の間とをよく調べても見ました。ありません。僕は胸がどきどきして来ました。
昨日買っていただいた読本の字引きが一番大切で、その次ぎに大切なのは帽子なんだから、僕は悲しくなり出しました。涙が眼に一杯たまって来ました。僕は「泣いたって駄目だよ」と涙を叱りつけながら、そっと寝床を抜け出して本棚の所に行って上から下までよく見ましたけれども、帽子らしいものは見えません。僕は本当に困ってしまいました。
「帽子を持って寝たのは一昨日の晩で、昨夜はひょっとするとそうするのを忘れたのかも知れない」とふとその時思いました。そう思うと、持って寝たようでもあり、持つのを忘れて寝たようでもあります。「きっと忘れたんだ。そんなら中の口におき忘れてあるんだ。そうだ」僕は飛び上がるほど嬉しくなりました。中の口の帽子かけに庇のぴかぴか光った帽子が、知らん顔をしてぶら下がっているんだ。なんのこったと思うと、僕はひとりでに面白くなって、襖をがらっと勢よく開けましたが、その音におとうさんやおかあさんが眼をおさましになると大変だと思って、後ろをふり返って見ました。物音にすぐ眼のさめるおかあさんも、その時にはよく寝ていらっしゃいました。僕はそうっと襖をしめて、中の口の方に行きました。いつでもそこの電燈は消してあるはずなのに、その晩ばかりは昼のように明るくなっていました。なんでもよく見えました。中の口の帽子かけには、おとうさんの帽子の隣りに、僕の帽子が威張りくさってかかっているに違いないとは思いましたが、なんだかやはり心配で、僕はそこに行くまで、なるべくそっちの方を向きませんでした。そしてしっかりその前に来てから、「ばあ」をするように、急に上を向いて見ました。おとうさんの茶色の帽子だけが知らん顔をしてかかっていました。あるに違いないと思っていた僕の帽子はやはりそこにもありませんでした。僕はせかせかした気持ちになって、あっちこちを見廻わしました。
そうしたら中の口の格子戸に黒いものが挟まっているのを見つけ出しました。電燈の光でよく見ると、驚いたことにはそれが僕の帽子らしいのです。僕は夢中になって、そこにあった草履をひっかけて飛び出しました。そして格子戸を開けて、ひしゃげた帽子を拾おうとしたら、不思議にも格子戸がひとりでに音もなく開いて、帽子がひょいと往来の方へ転がり出ました。格子戸のむこうには雨戸が締まっているはずなのに、今夜に限ってそれも開いていました。けれども僕はそんなことを考えてはいられませんでした。帽子がどこかに見えなくならない中にと思って、慌てて僕も格子戸のあきまから駈け出しました。見ると帽子は投げられた円盤のように二、三間先きをくるくるとまわって行きます。風も吹いていないのに不思議なことでした。僕は何しろ一生懸命に駈け出して帽子に追いつきました。まあよかったと安心しながら、それを拾おうとすると、帽子は上手に僕の手からぬけ出して、ころころと二、三間先に転がって行くではありませんか。僕は大急ぎで立ち上がってまたあとを追いかけました。そんな風にして、帽子は僕につかまりそうになると、二間転がり、三間転がりして、どこまでも僕から逃げのびました。
四つ角の学校の、道具を売っているおばさんの所まで来ると帽子のやつ、そこに立ち止まって、独楽のように三、四遍横まわりをしたかと思うと、調子をつけるつもりかちょっと飛び上がって、地面に落ちるや否や学校の方を向いて驚くほど早く走りはじめました。見る見る歯医者の家の前を通り過ぎて、始終僕たちをからかう小僧のいる酒屋の天水桶に飛び乗って、そこでまたきりきり舞いをして桶のむこうに落ちたと思うと、今度は斜むこうの三軒長屋の格子窓の中ほどの所を、風に吹きつけられたようにかすめて通って、それからまた往来の上を人通りがないのでいい気になって走ります。僕も帽子の走るとおりを、右に行ったり左に行ったりしながら追いかけました。夜のことだからそこいらは気味の悪いほど暗いのだけれども、帽子だけははっきりとしていて、徽章までちゃんと見えていました。それだのに帽子はどうしてもつかまりません。始めの中は面白くも思いましたが、その中に口惜しくなり、腹が立ち、しまいには情けなくなって、泣き出しそうになりました。それでも僕は我慢していました。そして、
「おおい、待ってくれえ」
と声を出してしまいました。人間の言葉が帽子にわかるはずはないとおもいながらも、声を出さずにはいられなくなってしまったのです。そうしたら、どうでしょう、帽子が――その時はもう学校の正門の所まで来ていましたが――急に立ちどまって、こっちを振り向いて、
「やあい、追いつかれるものなら、追いついて見ろ」
といいました。確かに帽子がそういったのです。それを聞くと、僕は「何糞」と敗けない気が出て、いきなりその帽子に飛びつこうとしましたら、帽子も僕も一緒になって学校の正門の鉄の扉を何の苦もなくつき抜けていました。
あっと思うと僕は梅組の教室の中にいました。僕の組は松組なのに、どうして梅組にはいりこんだか分りません。飯本先生が一銭銅貨を一枚皆に見せていらっしゃいました。
「これを何枚呑むとお腹の痛みがなおりますか」
とお聞きになりました。
「一枚呑むとなおります」
とすぐ答えたのはあばれ坊主の栗原です。先生が頭を振られました。
「二枚です」と今度はおとなしい伊藤が手を挙げながらいいました。
「よろしい、その通り」
僕は伊藤はやはりよく出来るのだなと感心しました。
おや、僕の帽子はどうしたろうと、今まで先生の手にある銅貨にばかり気を取られていた僕は、不意に気がつくと、大急ぎでそこらを見廻わしました。どこで見失ったか、そこいらに帽子はいませんでした。
僕は慌てて教室を飛び出しました。広い野原に来ていました。どっちを見ても短い草ばかり生えた広い野です。真暗に曇った空に僕の帽子が黒い月のように高くぶら下がっています。とても手も何も届きはしません。飛行機に乗って追いかけてもそこまでは行けそうにありません。僕は声も出なくなって恨めしくそれを見つめながら地だんだを踏むばかりでした。けれどもいくら地だんだを踏んで睨みつけても、帽子の方は平気な顔をして、そっぽを向いているばかりです。こっちから何かいいかけても返事もしてやらないぞというような意地悪な顔をしています。おとうさんに、帽子が逃げ出して天に登って真黒なお月様になりましたといったところが、とても信じて下さりそうはありませんし、明日からは、帽子なしで学校にも通わなければならないのです。こんな馬鹿げたことがあるものでしょうか。あれほど大事に可愛がってやっていたのに、帽子はどうして僕をこんなに困らせなければいられないのでしょう。僕はなおなお口惜しくなりました。そうしたら、また涙という厄介ものが両方の眼からぽたぽたと流れ出して来ました。
野原はだんだん暗くなって行きます。どちらを見ても人っ子一人いませんし、人の家らしい灯の光も見えません。どういう風にして家に帰れるのか、それさえ分らなくなってしまいました。今までそれは考えてはいないことでした。ひょっとしたら狸が帽子に化けて僕をいじめるのではないかしら。狸が化けるなんて、大うそだと思っていたのですが、その時ばかりはどうもそうらしい気がしてしかたがなくなりはじめました。帽子を売っていた東京の店が狸の巣で、おとうさんがばかされていたんだ。狸が僕を山の中に連れこんで行くために第一におとうさんをばかしたんだ。そういえばあの帽子はあんまり僕の気にいるように出来ていました。僕はだんだん気味が悪くなってそっと帽子を見上げて見ました。そうしたら真黒なお月様のような帽子が小さく丸まった狸のようにも見えました。そうかと思うとやはり僕の大事な帽子でした。
その時遠くの方で僕の名前を呼ぶ声が聞こえはじめました。泣くような声もしました。いよいよ狸の親方が来たのかなと思うと、僕は恐ろしさに脊骨がぎゅっと縮み上がりました。
ふと僕の眼の前に僕のおとうさんとおかあさんとが寝衣のままで、眼を泣きはらしながら、大騒ぎをして僕の名を呼びながら探しものをしていらっしゃいます。それを見ると僕は悲しさと嬉しさとが一緒になって、いきなり飛びつこうとしましたが、やはりおとうさんもおかあさんも狸の化けたのではないかと、ふと気が付くと、何んだか薄気味が悪くなって飛びつくのをやめました。そしてよく二人を見ていました。
おとうさんもおかあさんも僕がついそばにいるのに少しも気がつかないらしく、おかあさんは僕の名を呼びつづけながら、箪笥の引出しを一生懸命に尋ねていらっしゃるし、おとうさんは涙で曇る眼鏡を拭きながら、本棚の本を片端から取り出して見ていらっしゃいます。そうです、そこには家にある通りの本棚と箪笥とが来ていたのです。僕はいくらそんな所を探したって僕はいるものかと思いながら、暫くは見つけられないのをいい事にして黙って見ていました。
「どうもあれがこの本の中にいないはずはないのだがな」
とやがておとうさんがおかあさんに仰有います。
「いいえそんな所にはいません。またこの箪笥の引出しに隠れたなりで、いつの間にか寝込んだに違いありません。月の光が暗いのでちっとも見つかりはしない」
とおかあさんはいらいらするように泣きながらおとうさんに返事をしていられます。
やはりそれは本当のおとうさんとおかあさんでした。それに違いありませんでした。あんなに僕のことを思ってくれるおとうさんやおかあさんが外にあるはずはないのですもの。僕は急に勇気が出て来て顔中がにこにこ笑いになりかけて来ました。「わっ」といって二人を驚かして上げようと思って、いきなり大きな声を出して二人の方に走り寄りました。ところがどうしたことでしょう。僕の体は学校の鉄の扉を何の苦もなく通りぬけたように、おとうさんとおかあさんとを空気のように通りぬけてしまいました。僕は驚いて振り返って見ました。おとうさんとおかあさんとは、そんなことがあったのは少しも知らないように相変らず本棚と箪笥とをいじくっていらっしゃいました。僕はもう一度二人の方に進み寄って、二人に手をかけて見ました。そうしたら、二人ばかりではなく、本棚までも箪笥まで空気と同じように触ることが出来ません。それを知ってか知らないでか、二人は前の通り一生懸命に、泣きながら、しきりと僕の名を呼んで僕を探していらっしゃいます。僕も声を立てました。だんだん大きく声を立てました。
「おとうさん、おかあさん、僕ここにいるんですよ。おとうさん、おかあさん」
けれども駄目でした。おとうさんもおかあさんも、僕のそこにいることは少しも気付かないで、夢中になって僕のいもしない所を探していらっしゃるんです。僕は情けなくなって本当においおい声を出して泣いてやろうかと思う位でした。
そうしたら、僕の心にえらい智慧が湧いて来ました。あの狸帽子が天の所でいたずらをしているので、おとうさんやおかあさんは僕のいるのがお分かりにならないんだ。そうだ、あの帽子に化けている狸おやじを征伐するより外はない。そう思いました。で、僕は空中にぶら下がっている帽子を眼がけて飛びついて、それをいじめて白状させてやろうと思いました。僕は高飛びの身構えをしました。
「レデー・オン・ゼ・マーク……ゲッセット……ゴー」
力一杯跳ね上がったと思うと、僕の体はどこまでもどこまでも上の方へと登って行きます。面白いように登って行きます。とうとう帽子の所に来ました。僕は力みかえって帽子をうんと掴みました。帽子が「痛い」といいました。その拍子に帽子が天の釘から外れでもしたのか僕は帽子を掴んだまま、まっさかさまに下の方へと落ちはじめました。どこまでもどこまでも。もう草原に足がつきそうだと思うのに、そんなこともなく、際限もなく落ちて行きました。だんだんそこいらが明るくなり、神鳴りが鳴り、しまいには眼も明けていられないほど、まぶしい火の海の中にはいりこんで行こうとするのです。そこまで落ちたら焼け死ぬ外はありません。帽子が大きな声を立てて、
「助けてくれえ」
と呶鳴りました。僕は恐ろしくて唯うなりました。
僕は誰れかに身をゆすぶられました。びっくらして眼を開いたら夢でした。
雨戸を半分開けかけたおかあさんが、僕のそばに来ていらっしゃいました。
「あなたどうかおしかえ、大変にうなされて……お寝ぼけさんね、もう学校に行く時間が来ますよ」
と仰有いました。そんなことはどうでもいい。僕はいきなり枕もとを見ました。そうしたら僕はやはり後生大事に庇のぴかぴか光る二円八十銭の帽子を右手で握っていました。
僕は随分うれしくなって、それからにこにことおかあさんの顔を見て笑いました。 | 底本:「一房の葡萄 他四篇」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年12月16日改版第1刷発行
底本の親本:「一房の葡萄」叢文閣
1922(大正11)年6月
入力:鈴木厚司
校正:石川友子
2000年4月29日公開
2005年11月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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私は前後約十二年北海道で過した。しかも私の生活としては一番大事と思われる時期を、最初の時は十九から二十三までいた。二度目の時は三十から三十七までいた。それだから私の生活は北海道に於ける自然や生活から影響された点が中々多いに違いないということを思うのだ。けれども今までに取りとめてこれこそ北海道で受けた影響だと自覚するようなものは持っていない。自分が放慢なためにそんなことを考えて見たこともないのに依るかも知れないが、一つは十二年も北海道で過しながら、碌々旅行もせず、そこの生活とも深い交渉を持たないで暮して来たのが原因であるかも知れないと思う。
然し兎に角あの土地は矢張り私に忘られないものとなってしまっている。この間も長く北海道にいたという人に会って話した時、あすこにいる間はいやな処だと思うことが度々あったが、離れて見ると何となくなつかしみの感ぜられる処だなといったら、その人も思っていたことを言い現わしてくれたというように、心から同意していた。長く住んでいた処はどんな処でもそういう気持を起させるものではあろうが、北海道という土地は特にそうした感じを与えるのではないかと私は思っている。
北海道といってもそういうことを考える時、主に私の心の対象となるのは住み慣れた札幌とその附近だ。長い冬の有る処は変化に乏しくてつまらないと人は一概にいうけれども、それは決してそうではない。変化は却ってその方に多い。雪に埋もれる六ヶ月は成程短いということは出来ない。もう雪も解け出しそうなものだといらいらしながら思う頃に、又空が雪を止度なく降らす時などは、心の腐るような気持になることがないではないけれど、一度春が訪れ出すと、その素晴らしい変化は今までの退屈を補い尽してなお余りがある。冬の短い地方ではどんな厳冬でも草もあれば花もある。人の生活にも或る華やかさがついてまわっている。けれども北海道の冬となると徹底的に冬だ。凡ての生命が不可能の少し手前まで追いこめられる程の冬だ。それが春に変ると一時に春になる。草のなかった処に青い草が生える。花のなかった処にあらん限りの花が開く。人は言葉通りに新たに甦って来る。あの変化、あの心の中にうず〳〵と捲き起る生の喜び、それは恐らく熱帯地方に住む人などの夢にも想い見ることの出来ない境だろう。それから水々しく青葉に埋もれてゆく夏、東京あたりと変らない昼間の暑さ、眼を細めたい程涼しく暮れて行く夜、晴れ日の長い華やかな小春、樹は一つ〳〵に自分自身の色彩を以てその枝を装う小春。それは山といわず野といわず北国の天地を悲壮な熱情の舞台にする。
或る冴えた晩秋の朝であった。霜の上には薄い牛乳のような色の靄が青白く澱んでいた。私は早起きして表戸の野に新聞紙を拾いに出ると、東にあった二個の太陽を見出した。私は顔も洗わずに天文学に委しい教授の処に駈けつけた。教授も始めて実物を見るといって、私を二階窓に案内してくれた。やがて太陽は縦に三つになった。而してその左右にも又二つの光体をかすかながら発見した。それは或る気温の関係で太陽の周囲に白虹が出来、なお太陽を中心として十字形の虹が現われるのだが、その交叉点が殊に光度を増すので、真の太陽の周囲四ヶ所に光体に似たものを現わす現象で、北極圏内には屡〻見られるのだがこの辺では珍らしいことだといって聞かせてくれた。又私の処で夜おそくまで科学上の議論をしていた一人の若い科学者は、帰途晴れ切った冬の夜空に、探海燈の光輝のようなものが或は消え或は現われて美しい現象を呈したのを見た。彼は好奇心の余り、小樽港に碇泊している船について調べて見たが、一隻の軍艦もいないことを発見した。而してその不思議な光は北極光の余翳であるのを略々確めることが出来た。北海道という処はそうした処だ。
私が学生々活をしていた頃には、米国風な広々とした札幌の道路のこゝかしこに林檎園があった。そこには屹度小さな小屋があって、誰でも五六銭を手にしてゆくと、二三人では喰い切れない程の林檎を、枝からもぎって籃に入れて持って来て喰べさせてくれた。白い粉の吹いたまゝな皮を衣物で押し拭って、丸かじりにしたその味は忘れられない。春になってそれらの園に林檎の花が一時に開くそのしみ〴〵とした感じも忘れることが出来ない。
何処となく荒涼とした粗野な自由な感じ、それは生面の人を威脅するものではあるかも知れないけれども、住み慣れたものには捨て難い蠱惑だ。あすこに住まっていると自分というものがはっきりして来るかに思われる。艱難に対しての或る勇気が生れ出て来る。銘々が銘々の仕事を独力でやって行くのに或る促進を受ける。これは確かに北海道の住民の特異な気質となって現われているようだ。若しあすこの土地に人為上にもっと自由が許されていたならば、北海道の移住民は日本人という在来の典型に或る新しい寄与をしていたかも知れない。欧洲文明に於けるスカンディナヴィヤのような、又は北米の文明に於けるニュー・イングランドのような役目を果たすことが出来ていたかも知れない。然しそれは歴代の為政者の中央政府に阿附するような施設によって全く踏みにじられてしまった。而して現在の北海道は、その土地が持つ自然の特色を段々こそぎ取られて、内地の在来の形式と選む所のない生活の維持者たるに終ろうとしつゝあるようだ。あの特異な自然を活かして働かすような詩人的な徹視力を持つ政治家は遂にあの土地には来てくれないのだろうか。
最初の北海道の長官の黒田という人は、そこに行くと何といっても面白いものを持っていたようだ。あの必要以上に大規模と見える市街市街の設計でも一斑を知ることか出来るが、米国風の大農具を用いて片っ端からあの未開の土地を開いて行こうとした跡は、私の学生時分にさえ所在に窺い知ることが出来た。例えば大木の根を一気に抜き取る蒸気抜根機が、その成効力の余りに偉大な為めに、使い処がなくて、鏽びたまゝ捨てゝあるのを旅行の途次に見たこともある。少女の何人かを逸早く米国に送ってそれを北海道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米国の公使として令名のあった森有礼氏に是非米国の婦人を細君として迎えろと勤めたというのもその人だ。然し黒田氏のかゝる気持は次代の長官以下には全く忘れられてしまった。惜しいことだったと私は思う。
私は北海道についてはもっと具体的なことが書きたい。然し今は病人をひかえていてそれが出来ない、雑誌社の督促に打ちまけて単にこれだけを記して責をふさいでおく。 | 底本:「北海道文学全集 第3巻」立風書房
1980(昭和55)年3月10日初版第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中敬三
校正:染川隆俊
2010年3月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "050502",
"作品名": "北海道に就いての印象",
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"名読みソート用": "たけお",
"姓ローマ字": "Arishima",
"名ローマ字": "Takeo",
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"没年月日": "1923-06-09",
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私の家は代々薩摩の国に住んでいたので、父は他の血を混えない純粋の薩摩人と言ってよい。私の眼から見ると、父の性格は非常に真正直な、また細心なある意味の執拗な性質をもっていた。そして外面的にはずいぶん冷淡に見える場合がないではなかったが、内部には恐ろしい熱情をもった男であった。この点は純粋の九州人に独得な所である。一時にある事に自分の注意を集中した場合に、ほとんど寝食を忘れてしまう。国事にでもあるいは自分の仕事にでも熱中すると、人と話をしていながら、相手の言うことが聞き取れないほど他を顧みないので、狂人のような状態に陥ったことは、私の知っているだけでも、少なくとも三度はあった。
父の教育からいえば、父の若い時代としては新しい教育を受けた方だが、その根柢をなしているものはやはり朱子学派の儒学であって、その影響からは終生脱することができなかった。しかしどこか独自なところがあって、平生の話の中にも、その着想の独創的なのに、我々は手を拍って驚くことがよくあった。晩年にはよく父は「自分が哲学を、自分の進むべき路として選んでおったなら、きっと纏まった仕事をしていたろう」と言っていた。健康は小さい時分にはたいへん弱い子で、これで育つだろうかと心配されたそうだが、私が知ってからは強壮で、身体こそ小さかったが、精力の強い、仕事の能く続けてできる体格であった。仕事に表わす精力は、我々子供たちを驚かすことがしばしばあったくらいである。芸術に対しては特に没頭したものがなかったので、鑑識力も発達してはいなかったが、見当違いの批評などをする時でも、父その人でなければ言われないような表現や言葉使いをした。父は私たちが芸術に携わることは極端に嫌って、ことに軽文学は極端に排斥した。私たちは父の目を掠めてそれを味わわなければならなかったのを記憶する。
父の生い立ちは非常に不幸であった。父の父、すなわち私たちの祖父に当たる人は、薩摩の中の小藩の士で、島津家から見れば陪臣であったが、その小藩に起こったお家騒動に捲き込まれて、琉球のあるところへ遠島された。それが父の七歳の時ぐらいで、それから十五か十六ぐらいまでは祖父の薫育に人となった。したがって小さい時から孤独で(父はその上一人子であった)ひとりで立っていかなければならなかったのと、父その人があまり正直であるため、しばしば人の欺くところとなった苦い経験があるのとで、人に欺かれないために、人に対して寛容でない偏狭な所があった。これは境遇と性質とから来ているので、晩年にはおいおい練れて、広い襟懐を示すようになった。ことにおもしろがったり喜んだりする時には、私たちが「父の笑い」と言っている、非常に無邪気な善良な笑い方をした。性質の純な所が、外面的の修養などが剥がれて現われたものである。
母の父は南部すなわち盛岡藩の江戸留守居役で、母は九州の血を持った人であった。その間に生まれた母であるから、国籍は北にあっても、南方の血が多かった。維新の際南部藩が朝敵にまわったため、母は十二、三から流離の苦を嘗めて、結婚前には東京でお針の賃仕事をしていたということである。こうして若い時から世の辛酸を嘗めつくしたためか、母の気性には濶達な方面とともに、人を呑んでかかるような鋭い所がある。人の妻となってからは、当時の女庭訓的な思想のために、在来の家庭的な、いわゆるハウスワイフというような型に入ろうと努め、また入りおおせた。しかし性質の根柢にある烈しいものが、間々現われた。若い時には極度に苦しんだり悲しんだりすると、往々卒倒して感覚を失うことがあった。その発作は劇しいもので、男が二、三人も懸られなければ取り扱われないほどであった。私たちはよく母がこのまま死んでしまうのではないかと思ったものである。しかし生来の烈しい気性のためか、この発作がヒステリーに変わって、泣き崩れて理性を失うというような所はなかった。父が自分の仕事や家のことなどで心配したり当惑したりするような場合に、母がそれを励まし助けたことがしばしばあった。後に母の母が同棲するようになってからは、その感化によって浄土真宗に入って信仰が定まると、外貌が一変して我意のない思い切りのいい、平静な生活を始めるようになった。そして癲癇のような烈しい発作は現われなくなった。もし母が昔の女の道徳に囚れないで、真の性質のままで進んでいったならば、必ず特異な性格となって世の中に現われたろうと思う。
母の芸術上の趣味は、自分でも短歌を作るくらいのことはするほどで、かなり豊かにもっている。今でも時々やっているが、若い時にはことに好んで腰折れを詠んでみずから娯んでいた。読書も好きであるが、これはハウスワイフということに制せられて、思うままにやらなかったようであるが、しかし暇があれば喜んで書物を手にする。私ども兄弟がそろってこういう方面に向かったことを考えると、母が文芸に一つの愛好心をもっていたことが影響しているだろうと思う。
母についても一つ言うべきは、想像力とも思われるものが非常に豊かで、奇体にないことをあるように考える癖がある。たとえば人の噂などをする場合にも、実際はないことを、自分では全くあるとの確信をもって、見るがごとく精細に話して、時々は驚くような嘘を吐くことが母によくある。もっとも母自身は嘘を吐いているとは思わず、たしかに見たり聞いたりしたと確信しているのである。
要するに、根柢において父は感情的であり、母は理性的であるように想う。私たちの性格は両親から承け継いだ冷静な北方の血と、わりに濃い南方の血とが混り合ってできている。その混り具合によって、兄弟の性格が各自異なっているのだと思う。私自身の性格から言えば、もとより南方の血を認めないわけにはいかないが、わりに北方の血を濃く承けていると思う。どっちかといえば、内気な、鈍重な、感情を表面に表わすことをあまりしない、思想の上でも飛躍的な思想を表わさない性質で、色彩にすれば暗い色彩であると考えている。したがって境遇に反応してとっさに動くことができない。時々私は思いもよらないようなことをするが、それはとっさの出来事ではない。私なりに永く考えた後にすることだ。ただそれをあらかじめ相談しないだけのことだ。こういう性質をもって、私の家のような家に長男に生まれた私だから、自分の志す道にも飛躍的に入れず、こう遅れたのであろうと思う。
父は長男たる私に対しては、ことに峻酷な教育をした。小さい時から父の前で膝をくずすことは許されなかった。朝は冬でも日の明け明けに起こされて、庭に出て立木打ちをやらされたり、馬に乗せられたりした。母からは学校から帰ると論語とか孝経とかを読ませられたのである。一意意味もわからず、素読するのであるが、よく母から鋭く叱られてめそめそ泣いたことを記憶している。父はしかしこれからの人間は外国人を相手にするのであるから外国語の必要があるというので、私は六つ七つの時から外国人といっしょにいて、学校も外国人の学校に入った。それがために小学校に入った時には、日本の方が遅れているので、速成の学校に通った。
小さい時には芝居そのほかの諸興行物に出入りすることはほとんどなかったと言っていいくらいで、今の普通の家庭では想像もできないほど頑固であった。男がみだりに笑ったり、口を利くものではないということが、父の教えた処世道徳の一つだった。もっとも父は私の弟以下にはあまり烈しい、スパルタ風の教育はしなかった。
父も若い時はその社交界の習慣に従ってずいぶん大酒家であった。しかしいつごろからか禁酒同様になって、わずかに薬代わりの晩酌をするくらいに止まった。酒に酔った時の父は非常におもしろく、無邪気になって、まるで年寄った子供のようであった。その無邪気さかげんには誰でも噴き出さずにはいられなかった。
父の道楽といえば謡ぐらいであった。謡はずいぶん長い間やっていたが、そのわりに一向進歩しないようであった。いったい私の家は音楽に対する趣味は貧弱で、私なども聴くことは好きであるが、それに十分の理解を持ちえないのは、一生の大損失だと思っている。 | 底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:「中央公論」
1918(大正7)年2月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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ずっと早く、まだ外が薄明るくもならないうちに、内じゅうが起きて明りを附けた。窓の外は、まだ青い夜の霧が立ち籠めている。その霧に、そろそろ近くなって来る朝の灰色の光が雑って来る。寒い。体じゅうが微かに顫える。目がいらいらする。無理に早く起された人の常として、ひどい不幸を抱いているような感じがする。
食堂では珈琲を煮ている。トンミイ、フレンチ君が、糊の附いた襟が指に障るので顫えながら、嵌まりにくいシャツの扣鈕を嵌めていると、あっちの方から、鈍い心配気な人声と、ちゃらちゃらという食器の触れ合う音とが聞える。
「あなた、珈琲が出来ました。もう五時です。」こう云うのはフレンチの奥さんである。若い女の声がなんだか異様に聞えるのである。
フレンチは水落を圧されるような心持がする。それで息遣がせつなくなって、神経が刺戟せられる。
「うん。すぐだ。」不機嫌な返事をして、神経の興奮を隠そうとしている。さて黒の上衣を着る。髯を綺麗に剃った顋の所の人と違っている顔が殊更に引き立って見える。食堂へ出て来る。
奥さんは遠慮らしく夫の顔を一寸見て、すぐに横を向いて、珈琲の支度が忙しいというような振をする。フレンチが一昨日も昨日も感じていて、友達にも話し、妻にも話した、死刑の立会をするという、自慢の得意の情がまた萌す。なんだかこう、神聖なる刑罰其物のような、ある特殊の物、強大なる物、儼乎として動かざる物が、実際に我身の内に宿ってでもいるような心持がする。無論ある程度まで自分を英雄だと感じているのである。奥さんのような、かよわい女のためには、こんな態度の人に対するのは、随分迷惑な恐ろしいわけである。しかしフレンチの方では、神聖なる義務を果すという自覚を持っているのだから、奥さんがどんなに感じようが、そんな事に構まってはいられない。
ところが不思議な事には、こういう動かすべからざる自覚を持っているくせに、絶えず体じゅうが細かく、不愉快に顫えている。どんなにして已めようと思っても、それが已まない。
いつもと変らないように珈琲を飲もうと思って努力している。その珈琲はちっとも味がない。その間奥さんは根気好く黙って、横を向いている。美しい、若々しい顔が蒼ざめて、健康をでも害しているかというように見える。
「もう時間だ。」フレンチは時計を出して一目見て、身を起した。
出口のところで、フレンチが靴の上に被せるものを捜しているときになって、奥さんはやっと臆病げに口を開いた。
「あなた御病気におなりなさりはしますまいね。」
フレンチは怒が心頭より発した。非常なる侮辱をでも妻に加えられたように。
「なんだってそんな事を言うのだ。そんな事を己に言って、それがなんになるものか。」肩を聳やかし、眉を高く額へ吊るし上げて、こう返事をした。
「だって嫌なお役目ですからね。事によったら御気分でもお悪くおなりなさいますような事が。」奥さんはいよいよたじろきながら、こう弁明し掛けた。
フレンチの胸は沸き返る。大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。
「そりゃあ己だって無論好い心持はしないさ。しかしみんながそんな気になったら、それこそ人殺しや犯罪者が気楽で好かろうよ。どっちかに極めなくちゃあならないのだ。公民たるこっちとらが社会の安全を謀るか、それとも構わずに打ち遣って置くかだ。」
こんな風な事をもう少ししゃべった。そして物を言うと、胸が軽くなるように感じた。
「実に己は義務を果すのだ」と腹の内で思った。始てそこに気が附いたというような心持で。
そしてまた自分が英雄だ、自己の利害を顧みずに義務を果す英雄だと思った。
奥さんは夫と目を見合せて同意を表するように頷いた。しかしそれは何と返事をして好いか分からないからであった。
「本当に嫌でも果さなくてはならない義務なのだろう。」奥さんもこんな風に自ら慰めて見て、深い溜息を衝いた。
夫を門の戸まで送り出すとき、奥さんはやっと大オペラ座の切符を貰っていた事を思い出して臆病げにこう云った。
「あなた、あの切符は返してしまいましょうかねえ。」
「なぜ。こんな事を済ましたあとでは、あんな所へでも行くのが却って好いのだ。」
「ええ。そうですねえ。お気晴らしになるかも知れませんわねえ。」こう云って、奥さんは夫に同意した。そして二人共気鬱が散じたような心持になった。
夫が出てしまうと、奥さんは戸じまりをして、徐かに陰気らしく、指の節をこちこちと鳴らしながら、部屋へ帰った。
* * *
外の摸様はもうよほど黎明らしくなっている。空はしらむ。目に見えない湿気が上からちぎれて落ちて来る。人道の敷瓦や、高架鉄道の礎や、家の壁や、看板なんぞは湿っている。都会がもう目を醒ます。そこにもここにも、寒そうにいじけた、寐の足りないらしい人が人道を馳せ違っている。高架鉄道を汽車がはためいて過ぎる。乗合馬車が通る。もう開けた店には客が這入る。
フレンチは車に乗った。締め切って、ほとんど真暗な家々の窓が後へ向いて走る。まだ寐ている人が沢山あるのである。朝毎の町のどさくさはあっても、工場の笛が鳴り、汽車ががたがた云って通り、人の叫声が鋭く聞えてはいても、なんとなく都会は半ば死しているように感じられる。
フレンチの向側の腰掛には、為事着を着た職工が二三人、寐惚けたような、鼠色の目をした、美しい娘が一人、青年が二人いる。
フレンチはこの時になって、やっと重くるしい疲が全く去ってしまったような心持になった。気の利いたような、そして同時に勇往果敢な、不屈不撓なような顔附をして、冷然と美しい娘や職工共を見ている。へん。お前達の前にすわっている己様を誰だと思う。この間町じゅうで大評判をした、あの禽獣のような悪行を働いた罪人が、きょう法律の宣告に依って、社会の安寧のために処刑になるのを、見分しに行く市の名誉職十二人の随一たる己様だぞ。こう思うと、またある特殊の物、ある暗黒なる大威力が我身の内に宿っているように感じるのである。
もしこいつ等が、己が誰だということを知ったなら、どんなにか目を大きくして己の顔を見ることだろう。こう思って、きょうの処刑の状況、その時の感じを、跡でどんなにか目に見るように、面白く活気のあるように、人に話して聞かせることが出来るだろうということも考えて見た。
同時にフレンチは興味を持って、向側の美しい娘を見ている。その容色がある男性的の感じを起すのである。あの鼠色の寐惚けたような目を見ては、今起きて出た、くちゃくちゃになった寝牀を想い浮べずにはいられない。あのジャケツの胸を見ては、あの下に乳房がどんな輪廓をしているということに思い及ばずにはいられない。そんな工合に、目や胸を見たり、金色の髪の沢を見たりしていて、フレンチはほとんどどこへ何をしに、この車に乗って行くのかということをさえ忘れそうになっている。いやいやただ忘れそうになったと思うに過ぎない。なに、忘れるものか。実際は何もかもちゃんと知っている。
車は止まった。不愉快な顫えが胸を貫いて過ぎる。息がまた支える。フレンチはやっとの事で身を起した。願わくはこのまま車に乗っていて、恐ろしい一件を一分時間でも先へ延ばしたいのである。しかしフレンチは身を起した。そして最後の一瞥を例の眠たげな、鼠色の娘の目にくれて置いて、灰色の朝霧の立ち籠めている、湿った停車場の敷石の上に降りた。
* * *
「もう五分で六時だ。さあ、時間だ。」検事はこう云って立ち上がった。
十二人の名誉職、医者、警部がいずれも立つ。のろのろと立つのも、きさくらしく立つのもある。顔は皆蒼ざめて、真面目臭い。そして黒い上衣と光るシルクハットとのために、綺麗に髯を剃った、秘密らしい顔が、一寸廉立った落着を見せている。
やはり廉立ったおちつきを見せた頭附をして検事の後の三人目の所をフレンチは行く。
監獄の廊下は寂しい。十五人の男の歩く足音は、穹窿になっている廊下に反響を呼び起して、丁度大きな鉛の弾丸か何かを蒔き散らすようである。
処刑をする広間はもうすっかり明るくなっている。格子のある高い窓から、灰色の朝の明りが冷たい床の上に落ちている。一間は這入って来た人に冷やかな、不愉快な印象を与える。鼠色に塗った壁に沿うて、黒い椅子が一列に据えてある。フレンチの目を射たのは、何よりもこの黒い椅子であった。
さて一列の三つ目の椅子に腰を卸して、フレンチは一間の内を見廻した。その時また顫えが来そうになったので、フレンチは一しょう懸命にそれを抑制しようとした。
広間の真中にやはり椅子のようなものが一つ置いてある。もしこの椅子のようなものの四方に、肘を懸ける所にも、背中で倚り掛かる所にも、脚の所にも白い革紐が垂れていなくって、金属で拵えた首を持たせる物がなくって、乳色の下鋪の上に固定してある硝子製の脚の尖がなかったなら、これも常の椅子のように見えて、こんなに病院臭く、手術台か何かのようには見えないのだろう。実際フレンチは一寸見て、おや、手術台のようだなと思ったのである。
そしてこう思った。「実際これも手術だ。社会の体から、病的な部分を截り棄ててしまうのだ。」
忽ち戸が開いた。人の足音が聞える。一同起立した。なぜ起立したのだか、フレンチには分からない。一体立たなくてはならなかったのか知らん。それともじっとして据わっていた方が好かったのか知らん。
一秒時の間、扉の開かれた跡の、四角な戸口が、半明半暗の廊下を向うに見せて、空虚でいた。そしてこの一秒時が無窮に長く思われて、これを見詰めているのが、何とも言えぬ苦しさであった。次の刹那には、足取り行儀好く、巡査が二人広間に這入って来て、それが戸の、左右に番人のように立ち留まった。
次に出たのが本人である。
一同の視線がこの一人の上に集まった。
もしそこへ出たのが、当り前の人間でなくて、昔話にあるような、異形の怪物であっても、この刹那にはそれを怪み訝るものはなかったであろう。まだ若い男である。背はずっと高い。外のものが皆黒い上衣を着ているのに、この男だけはただ白いシャツを着ているので、背の高いのが一層高く見えるのである。
この刹那から後は、フレンチはこの男の体から目を離すことが出来ない。この若々しい、少しおめでたそうに見える、赤み掛かった顔に、フレンチの目は燃えるような、こらえられない好奇心で縛り附けられている。フレンチのためには、それを見ているのが、せつない程不愉快である。それなのに、一秒時間も目を離すことが出来ない。この男が少しでも動くか、その顔の表情が少しでも変るのを見逃してはならないような心持がしているのである。
罪人は諦めたような風で、大股に歩いて這入って来て眉を蹙めてあたりを見廻した。戸口で一秒時間程躊躇した。「あれだ。あれだ。」フレンチは心臓の鼓動が止まるような心持になって、今こそある事件が始まるのだと燃えるようにそれを待っているのである。
罪人は気を取り直した様子で、広間に這入って来た。一刹那の間、一種の、何物をか期待し、何物をか捜索するような目なざしをして、名誉職共の顔を見渡した。そしてフレンチは、その目が自分の目と出逢った時に、この男の小さい目の中に、ある特殊の物が電光の如くに耀いたのを認めたように思った。そしてフレンチは、自分も裁判の時に、有罪の方に賛成した一人である、随って処刑に同意を表した一人であると思った。そう思うと、星を合せていられなくなって、フレンチの方で目をそらした。
短い沈黙を経過する。儀式は皆済む。もう刑の執行より外は残っていない。
死である。
この刹那には、この場にありあわしただけの人が皆同じ感じに支配せられている。どうして、この黒い上衣を着て、シルクハットを被った二十人の男が、この意識して、生きた目で、自分達を見ている、生きた、尋常の人間一匹を殺すことが出来よう。そんな事は全然不可能ではないか。
こう思って見ていると、今一秒時間の後に、何か非常な恐ろしい事が出来なくてはならないようである。しかしその一秒時間は立ってしまう。そしてそれから処刑までの出来事は極めて単純である。可笑しい程単純である。
獄丁二人が丁寧に罪人の左右の臂を把って、椅子の所へ連れて来る。罪人はおとなしく椅子に腰を掛ける。居ずまいを直す。そして何事とも分からぬらしく、あたりを見廻す。この時熱を煩っているように忙しい為事が始まる。白い革紐は、腰を掛けている人をらくにして遣ろうとでもするように、巧に、造作もなく、罪人の手足に纏わる。暫くの間、獄丁の黒い上衣に覆われて、罪人の形が見えずにいる。一刹那の後に、獄丁が側へ退いたので、フレンチが罪人を見ると、その姿が丸で変ってしまっている。革紐で縦横に縛られて、紐の食い込んだ所々は、小さい、深い溝のようになって、その間々には白いシャツがふくらんでいて、全体は前より小さくなったように見えるのである。
多分罪人はもう少しも体を動かすことは出来ないのであろう。首も廻らないのであろう。それに目だけは忙しく怪しげな様子で、あちこちを見廻している。何もかも見て置いて、覚えていようとでも思うように、またある物を捜しているかと思うように。
フレンチは罪人の背後から腕が二本出るのを見た。しかしそれが誰の腕だか分からなかった。黒い筒袖を着ている腕が、罪人の頭の上へ、金属で拵えた、円い鍪のようなものを持って来て、きちょうめんに、上手に、すばやく、それを頸の隠れるように、すっぽり被せる。
その時フレンチは変にぎょろついて、自分の方を見ているらしい罪人の目を、最後に一目見た。そして罪人は見えなくなった。
今椅子に掛けている貨物は、潜水器械というものを身に装った人間に似ていて、頗る人間離れのした恰好の物である。怪しく動かない物である。言わば内容のない外被である。ある気味の悪い程可笑しい、異様な、頭から足まで包まれた物である。
フレンチは最後の刹那の到来したことを悟った。今こそ全く不可能な、有りそうにない、嫌な、恐ろしい事が出来しなくてはならないのである。フレンチは目を瞑った。
暗黒の裏に、自分の体の不工合を感じて、顫えながら、眩暈を覚えながら、フレンチはある運動、ある微かな響、かすめて物を言う人々の声を聞いた。そしてその後は寂寞としている。
気の狂うような驚怖と、あらあらしい好奇心とに促されて、フレンチは目を大きく開いた。
寂しく、広間の真中に、革紐で縛られた白い姿を載せている、怪しい椅子がある。
フレンチにはすぐに分かった。この丸で動かないように見えている全体が、引き吊るように、ぶるぶると顫え、ぴくぴくと引き附けているのである。その運動は目に見えない位に微細である。しかし革紐が緊しく張っているのと、痙攣のように体が顫うのとを見れば、非常な努力をしているのが知れる。ある恐るべき事が目前に行われているのが知れる。
「待て。」横の方から誰やらが中音で声を掛けた。
広間の隅の、小さい衝立のようなものの背後で、何物かが動く。椅子の上の体は依然として顫えている。
異様な混雑が始まる。人が皆席を立って動く。八方から、丁度熱に浮かされた譫語のような、短い問や叫声がする。誰やらが衝立のような物の所へ駆け附けた。
「電流を。電流を。」押えたような検事の声である。
ぴちぴちいうような微かな音がする。体が突然がたりと動く。革紐が一本切れる。何だかしゅうというような音がする。フレンチは気の遠くなるのを覚えた。髪の毛の焦げるような臭と、今一つ何だか分からない臭とがする。体が顫え罷んだ。
「待て。」
白い姿は動かない。黒い上衣を着た医者が死人に近づいてその体の上にかぶさるようになって何やらする。
「おしまいだな」とフレンチは思った。そして熱病病みのように光る目をして、あたりを見廻した。「やれやれ。恐ろしい事だった。」
「早く電流を。」丸で調子の変った声で医者はこう云って、慌ただしく横の方へ飛び退いた。
「そんなはずはないじゃないか。」
「電流。電流。早く電流を。」
この時フレンチは全く予期していない事を見て、気の狂う程の恐怖が自分の脳髄の中に満ちた。動かないように、椅子に螺釘留にしてある、金属の鍪の上に、ちくちくと閃く、青い焔が見えて、鍪の縁の所から細い筋の烟が立ち升って、肉の焦げる、なんとも言えない、恐ろしい臭が、広間一ぱいにひろがるようである。
フレンチが正気附いたのは、誰やらが袖を引っ張ってくれたからであった。万事済んでしまっている。死刑に処せられたものの刑の執行を見届けたという書きものに署名をさせられるのであった。
茫然としたままで、フレンチは署名をした。どうも思慮を纏めることが出来ない。最早死の沈黙に鎖されて、死の寂しさをあたりへ漲らしている、鍪を被った、不動の白い形から、驚怖のために、眶のひろがった我目を引き離すことが出来ない。
フレンチは帰る途中で何物をも見ない。何物をも解せない。丁度活人形のように、器械的に動いているのである。新しい、これまで知らなかった苦悩のために、全身が引き裂かれるようである。
どうも何物をか忘れたような心持がする。一番重大な事、一番恐ろしかった事を忘れたのを、思い出さなくてはならないような心持がする。
どうも自分はある物を遺却している。それがある極まった事件なので、それが分かれば、万事が分かるのである。それが分かれば、すべて閲し来った事の意義が分かる。自己が分かる。フレンチという自己が分かる。不断のように、我身の周囲に行われている、忙わしい、騒がしい、一切の生活が分かる。
はてな。人が殺されたという事実がそれだろうか。自分が、このフレンチが、それに立ち会っていたという事実がそれだろうか。死が恐ろしい、言うに言われぬ苦しいものだという事実がそれであろうか。
いやいや。そんな事ではない。そんなら何だろう。はて、何であろうか。もう一寸の骨折で思い附かれそうだ。そうしたら、何もかもはっきり分かるだろうに。
ところで、その骨折が出来ない。フレンチはこの疑問の背後に何物があるかを知ることが出来ない。
それは実はこうであった。鍪が、あのまだ物を見ている、大きく開けた目の上に被さる刹那に、このまだ生きていて、もうすぐに死のうとしている人の目が、外の人にほとんど知れない感情を表現していたのである。それは最後に、無意識に、救を求める訴であった。フレンチがあれをさえ思い出せば、万事解決することが出来ると思ったのは、この表情を自分がはっきり解したのに、やはり一同と一しょに、じっと動かずにいて、慾張った好奇心に駆られて、この人殺しの一々の出来事を記憶に留めたという事実であって、それが思い出されないのであった。
(明治四十三年五月) | 底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:米田
2010年8月1日作成
2011年5月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "050919",
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"姓読みソート用": "あるちはしえつふ",
"名読みソート用": "みはいるへとろおういち",
"姓ローマ字": "Artsybashev",
"名ローマ字": "Mikhail Petrovich",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1878-11-05",
"没年月日": "1927-03-03",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "於母影 冬の王 森鴎外全集12",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1996(平成8)年3月21日",
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「釣なんというものはさぞ退屈なものだろうと、わたしは思うよ。」こう云ったのはお嬢さんである。大抵お嬢さんなんというものは、釣のことなんぞは余り知らない。このお嬢さんもその数には漏れないのである。
「退屈なら、わたししはしないわ。」こう云ったのは褐色を帯びた、ブロンドな髪を振り捌いて、鹿の足のような足で立っている小娘である。
小娘は釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て、屹然として立っている。そして魚を鉤から脱して、地に投げる。
魚は死ぬる。
湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の匀、日に蒸されて腐る水草の匀がする。ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊をおどる。未開人民の踊のような踊である。そして死ぬる。
小娘は釣っている。大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。
直き傍に腰を掛けている貴夫人がこう云った。
「ジュ ヌ ペルメットレエ ジャメエ ク マ フィイユ サドンナアタ ユヌ オキュパシヨン シイ クリュエル」
“Je ne permettrais jamais, que ma fille s'adonnât à une occupation si cruelle.”
「宅の娘なんぞは、どんなことがあっても、あんな無慈悲なことをさせようとは思いません」と云ったのである。
小娘はまた魚を鉤から脱して、地に投げる。今度は貴夫人の傍へ投げる。
魚は死ぬる。
ぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬる。
単純な、平穏な死である。踊ることをも忘れて、ついと行ってしまうのである。
「おやまあ」と貴夫人が云った。
それでも褐色を帯びた、ブロンドな髪の、残酷な小娘の顔には深い美と未来の霊とがある。
慈悲深い貴夫人の顔は、それとは違って、風雨に晒された跡のように荒れていて、色が蒼い。
貴夫人はもう誰にも光と温とを授けることは出来ないだろう。
それで魚に同情を寄せるのである。
なんであの魚はまだ生を有していながら、死なねばならないのだろう。
それなのにぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬるのである。単純な、平穏な死である。
小娘はやはり釣っている。釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。大きな目を睜って、褐色を帯びた、ブロンドの髪を振り捌いて、鹿の足のような足で立っているのがなんともいえないほど美しい。
事によったらこの小娘も、いつか魚に同情を寄せてこんな事を言うようになるだろう。
「宅の娘なんぞは、どんな事があっても、あんな無慈悲なことをさせようとは思いません」などと云うだろう。
しかしそんな優しい霊の動きは、壊された、あらゆる夢、殺された、あらゆる望の墓の上に咲く花である。
それだから、好い子、お前は釣をしておいで。
お前は無意識に美しい権利を自覚しているのであるから。
魚を殺せ。そして釣れ。
(明治四十三年一月) | 底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:米田
2010年8月5日作成
2011年4月23日修正
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目次
序1
Ⅰ 宇宙の生成に関する自然民の伝説9
最低度の自然民には宇宙成立に関する伝説がない/原始物質は通例宇宙創造者より前からあると考えられた/多くの場合に水が原始物質と考えられた/インドの創造神話/渾沌/卵の神話/フィンランドの創造伝説/洪水伝説/創造期と破壊期/アメリカの創造伝説/オーストラリアの創造神話/科学の先駆者としての神話/伝説中の外国的分子
Ⅱ 古代文化的国民の宇宙創造に関する諸伝説27
カルデア人の創造伝説/その暦と占星術/ユダヤ人の創造説話、天と地に対する彼らの考え/エジプト人の観念/ヘシオドによるギリシア人の開闢論と、オヴィドのメタモルフォセスによるローマ人の開闢論
Ⅲ 最も美しきまた最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説59
アメンホテプ王第四世/太陽礼拝/ツァラトゥストラの考え方/ペルシア宗派のいろいろな見方/宇宙進化の周期に関するインド人の考え/「虚無」からの創造/スカンジナビアの創造に関する詩
Ⅳ 最古の天文観測78
時間算定の実用価値/時の計測器としての太陰/時間計測の目的に他の天体使用/長い時間の諸周期/カルデア人の観測と測定/エジプト暦/エジプト天文学者の地位/ピラミッドの計量/支那人の宇宙観/道教/列子の見方/孔子の教え
Ⅴ ギリシアの哲学者と中世におけるその後継者97
泰西の科学は特権僧侶階級の私有物/ギリシアの自然哲学者たち/タレース、アナキシメネス、アナキシマンドロス、ピタゴラス派/ヘラクリトス、エムペドクレス、アナキサゴラス、デモクリトス/自然科学に対するアテン人の嫌忌/プラトン、アリストテレス、ヒケタス、アルキメデス/アレキサンドリア学派/ユードキソス、エラトステネス、アリスタルコス、ヒッパルコス、ポセイドニオス/プトレマイオス/ローマ人/ルクレチウス/アラビア人の科学上の位置/科学に対する東洋人の冷淡/アルハーゼンの言明
Ⅵ 新時代の曙光。生物を宿す世界の多様性…118
ラバヌス・マウルス/ロージャー・ベーコン/ニコラウス・クサヌス/レオナルド・ダ・ヴィンチ/コペルニクス/ジョルダノ・ブルノ/ティコ・ブラーヘ/占星術/ケプラー/ガリレオ/天文学に望遠鏡の導入/教会の迫害/デカルトの宇宙開闢論/渦動説/遊星の形成/地球の進化に関するライブニッツとステノ/デカルト及びニュートンに対するスウェデンボルグの地位/銀河の問題/他の世界の可住性に関する諸説/ピタゴラス、ブルノ/スウェデンボルグとカントの空想
Ⅶ ニュートンからラプラスまで。太陽系の力学とその創造に関する学説158
ニュートンの重力の法則/彗星の行動/天体運動の起源に関するニュートンの意見に対しライブニッツの抗議/ビュッフォンの衝突説/冷却に関する彼の実験/ラプラスの批評/カントの宇宙開闢論/その弱点/土星環形成に関するカントの説/「地球環」の空想/銀河の問題についてカント及びライト/太陽の最期に関するカントの説/カントとラプラスとの宇宙開闢論の差異/ノルデンスキェルドとロッキャー並びにG・H・ダーウィンの微塵説/ラプラスの宇宙系/それに関する批評/星雲に関するハーシェルの研究/太陽系の安定度についてラプラス及びラグランジュ
Ⅷ 天文学上におけるその後の重要なる諸発見。恒星の世界185
恒星の固有運動/ハレー、ブラドリー、ハーシェルの研究/カプタインの仕事/恒星の視差/ベッセル/分光器による恒星速度の測定/太陽と他の太陽または恒星星雲との衝突/星団及び星雲の銀河に対する関係/天体の成分と我々の太陽の成分との合致/マクスウェルの説/輻射圧の意義/隕石/彗星/スキアパレリの仕事/ステファン及びウィーンの輻射の法則/雰囲気の意義/地球並びに太陽系中諸体の比重/光の速度/小遊星/二重星/シーの仕事/恒星の大きさ/恒星の流れ/恒星光度に関するカプタインの推算/二重星の離心的軌道/その説明/恒星の温度/太陽系における潮汐の作用/G・H・ダーウィンの研究/遊星の回転方向/ピッケリングの説/天体に関する我々の観念の正しさの蓋然性
Ⅸ 宇宙開闢説におけるエネルギー観念の導入225
太陽並びに恒星の輻射の原因に関する古代の諸説/マイヤー及びヘルムホルツの考え/リッターの研究/ガス状天体の温度/雰囲気の高さ/太陽の温度/エネルギー源としての太陽の収縮/天体がその雰囲気中のガスを保留し得る能力/ストーネー及びブライアンの仕事/天体間の衝突の結果に関するリッターの説/銀河の問題/星雲/恒星の進化期/太陽の消燼とその輻射の復活に関するカントの考え/デュ・プレルの叙述
Ⅹ 開闢論における無限の観念252
空間は無限で時は永久である/空間の無限性に関してリーマン及びヘルムホルツ/恒星の数は無限か/暗黒な天体や星雲が天空一面に輝くことを阻止する/物質の不滅/スピノザ及びスペンサーの説/ランドルトの実験/エネルギーの不滅/器械的熱学理論/この説の創設者等の説は哲学的基礎の上に立つものである/「熱的死」に関するクラウジウスの考え/死んだ太陽の覚醒に関するカント及びクロルの説/ハーバート・スペンサーの説/化学作用の意義、太陽内部の放射性物質と爆発性物質/天体内のヘリウム/地球の年齢/クラウジウスの説における誤謬/クラウジウスの学説に代わるもの/時間概念の進化/地球上に生命の成立/原始生成か、外からの移住か/難点/この問題に対する哲学者の態度/キューヴィエーの大変動説/これに関するフレッヒの意見/生物雑種の生成に関するロェブの研究/生命の消失に及ぼす温度の影響に関する新研究/原始生成説と萌芽汎在説との融和の可能性/無限の概念に関する哲学上並びに科学上の原理の比較/観念の自然淘汰
訳者付記297
人名索引
序
先年私がスウェーデンの読者界のために著した一書『宇宙の成立』“Das Werden der Welten”(Världarnas Utveckling)が非常な好意をもって迎えられたのは誠に感謝に堪えない次第である。その結果として私は旧知あるいは未知の人々からいろいろな質問を受けることになった。これらの質問の多くは、現今に比べると昔は一般に甚だ多様であったところのいろいろの宇宙観の当否に関するものであった。これに答えるには、有史以前から既にとうにすべての思索者たちの興味を惹いていた宇宙進化の諸問題に関するいろいろな考え方の歴史的集成をすれば好都合なわけである。
ところが今度ある別な事情のために、ニュートンの出現以前に行われた宇宙開闢論的観念の歴史的発達を調べるような機縁に立至ったので、このついでにこの方面における私の知識を充実させれば、それによって古来各時代における宇宙関係諸問題に対する見解についての一つのまとまった概念を得ることが可能となった。この仕事は私にとっては多大な興味のあるものであったので、押し付けがましいようではあるが、恐らく一般読者においても、この方面に関する吾人の観照が、野蛮な自然民の当初の幼稚なまとまらない考え方から出発して現代の大規模な思想の殿堂に到達するまでに経由してきた道程について、多少の概念を得ることは望ましいであろうと信じるようになった。ヘッケル(Häckel)が言っているように『ただそれの成り立ち(Werden)によってのみ、成ったもの(das Gewordene)が認識される。現象の真の理解を授けるものはただそれの発達の歴史だけである。』
この言葉には多少の誇張はある――たとえば現代の化学を理解するために昔の錬金術者のあらゆる空想を学び知ることは必要としない――しかしともかくも、過去における思考様式を知るということは、我々自身の時代の観照の仕方を見る上に多大の光明を与えるという効果があるのである。
最も興味のあるのは我々現在の観念の萌芽が最古の最不完全な概念形式の中に既に認められることである。これらの観念がその環境の影響を受けながら変遷してきた宿命的経路を追跡してみるとこれらがいかにいろいろの異説と闘ってきたかが分り、また一時はその生長を阻害されることがあっても、やがてまた勢いよく延び立って、その競争者等を日陰に隠し、結局ただ自己独りが生活能力をもつものだという表章を示してきたことを知るであろう。このような歴史的比較研究によって我々の現代の見解の如何に健全であるか、いかに信頼するに足るかということを一層痛切に感得することができるであろう。
この研究からまた現代における発達が未曾有の速度で進行しているということを認めて深き満足を味わうことができるであろう。まず約一〇万年の間人類は一種の精神的冬眠の状態にあったのでいかなる点でも現在の最未開な自然民俗に比べて相隔ることいくばくもない有様であった。いわゆる文化民俗の発達史が跨がっている一万年足らずの間における進歩はもちろん有史以前のそれに比べてははるかに著しいものにちがいない。中世においては、この時代の目標となるくらいに、文化関係の各方面における退歩がありはしたが、それにかかわらず過去一〇〇〇年の間における所得はその以前の有史時代全部を通じての所得に比べてはるかに顕著なものであると断言しても差支えはないであろう。最後にまた、今から一〇〇年以前におけるラプラス並びにウィリアム・ハーシェルの宇宙進化に関する卓抜な研究はしばらくおいて、ともかくも最近一〇〇年間のこの方面における収穫はその前の九〇〇年間のそれに比べて多大なものであるということは恐らく一般の承認するところであろうと思われる。単に器械的熱学理論がこの問題に応用されただけでも、それ以前一切の研究によって得られたと同じくらいの光明を得たと言ってもいいのであるが、その上に分光器の助けによって展開された広大な知識の領土に考え及び、またその後熱輻射や輻射圧や、豊富なるエネルギーの貯蔵庫たる放射性物質やこれらに関する諸法則の知識の導入などを考慮してみれば、天秤は当然最後の一世紀の勝利の方に傾くのである。もっともこのような比較をするには我々は余りに時代が近すぎる。そのために一〇〇年以前の世紀との比較に正鵠を失する恐れがないとは言われないが、しかしともかくも自然界に関する吾人の知識が今日におけるほど急激な進歩をしたことは未だかつてなかったということについてはいかなる科学者にも異議はあるまいと信ずるのである。
自然科学的認識(特に宇宙の問題の解釈におけるそれの有効な応用)の進歩がこれほどまで異常な急速度を示すに至るというのはいかにして可能であろうか。これに対する答はおよそ次のように言われるであろう。文化の最初の未明時代における人間は、もともと家族から発達したいわゆる種族の小さな範囲内に生活していた。それで一つ一つの種族が自分だけでこの広大な外界から獲得することのできた経験の総和は到底範囲の大きいものにはなり得なかった。そうして種族中で一番知恵のある人間がいわゆる「医術者」(Medizinmann)となってこの経験を利用し、それよって同族の人間を引回していた。彼のこの優越観の基礎となる知識の宝庫を一瞥することを許されるのはただ彼の最近親の親戚朋友だけであった。この宝庫が代々に持ち伝えられる間に次第に拡張されるにしてもそれはただ非常に緩徐にしか行われなかった。種族が合同して国家を形成する方が有利だということが分ってきた時代には事情はよほど改善されてきた。すなわち、知識の所有者等は団結して比較的大きな一つの僧侶階級を形成した。そうして彼らは実際本式の学校のようなものを設けて彼らの仲間入りをするものを教育し、古来の知恵を伝授したものらしい。そのうちにも文化は進んで経験の結果を文字で記録することができるようになってきた。しかしその文字の記録を作るのはなかなかの骨折りであったので、そういうものは僅少な数だけしかなく、寺院中に大事に秘蔵されていた。このようにして僧侶の知恵の宝物は割合に速やかに増加していったが、その中から一般民衆の間に漏れ広がったのは実に言うにも足りないわずかな小部分にすぎなかった。のみならず民衆の眼には博識ということは一種超自然的なもののようにしか見えないのであった。しかしそのうちにも偉大な進歩は遂げられた。そうした中でも最も先頭に進んでいたのは多分エジプトの僧侶たちであったらしく、彼らがギリシアの万有学者たちに自分たちの知識の大部分を教えたというのは疑いもないことである。そうして一時素晴らしい盛花期が出現した。その後に次いで来た深甚な沈退時代を見るにつけてもなおさら我々はこの隆盛期に対して完全な賛美を捧げないわけにはゆかないのである。この時代にはもはや文字記録は寺院僧侶という有権階級のみに限られた私有財産ではなくなって普通の人民階級中にも広がっていた。ただしそれは最富有な階級の間だけに限られてはいたのである。ローマとギリシアの国家の隆盛期には奴隷の数が人民の大多数を占めていたのであるが、彼らの中の少数な学識ある奴僕たとえば写字生のようなもの以外のものは精神文化の進歩を享受することを許されていなかった。特にまた、手工、従って実験的な仕事などをするのは自由人の体面に関わることであってただ奴隷にのみふさわしいものであるというような考えがあったことが不利な影響を生じたのであった。その後にまた自然探究の嫌いなアテンの哲学学派のために自然研究は多大の損害を被ることとなった。その上に彼らの教理はキリスト教寺院の管理者の手に渡って、そうしてほとんど現代までもその文化の進歩を阻害するような影響を及ぼしてきたのである。この悲しむべき没落期は新時代のはじめに人間の本性が再びその眠りから覚めるまで続いた。この時に至って印刷術というものが学問の婢僕として働くようになり、また実験的の仕事を軽侮するような有識者の考え方も跡を絶つようになった。しかし初めのうちはやはり昔からの先入的な意見の抵抗があり、またいろいろな研究者間に協力ということが欠けていたためにあまりはかばかしくはゆかなかった。その後この障害が消失し、同時にまた科学のために尽くす研究者の数も、彼らの利器の数も矢つぎ早に増加した。最近における大規模の進歩はかくして行われたのである。
我々は今『最上の世界』に住んでいるという人が折々ある。これについては余り確かな根拠からは何事も言い兼ねるのであるが、しかし我々は――少なくも科学者たちは――最上の時代に生活していると主張しても大丈夫である。それで我々は次のようなことを歌ったかの偉大なる自然と人間の精通者ゲーテとともに、未来は更に一層より善くなるばかりであろうという堅い希望を抱いても差支えはないであろう。
げに大なる歓びなれや、
世々の精神に我を移し置きて、
昔の賢人の考察の跡を尋ねみて、
かくもうるわしくついに至りし道の果て見れば。
ストックホルムにて 一九〇七年八月
―――――――――――――――――――――――――――
ここで一言付加えておきたいことは、この改訂版で若干の補遺と修正を加えたことである。これはその後にこの方面に関して現われた文献と並びに個人的の示教によったものである。それらの示教に対してはここで特に深謝の意を表しておきたいと思う、また教養ある読者界がこの書中に取り扱われた諸種の問題に対して示された多大の興味は今度もなお減ずることなく持続することを敢て希望する次第である。また断っておきたいことは、死者並びに神々の住みかに関する諸問題である。これら問題に対する解答を与えるということが、ずっと古代の開闢論的宇宙像の形成には何らかの貢献をしたであろうし、従ってまたここでも問題とすべきではないかと考えさせるだけの理由もないではないが、しかしこの書では少しもこれらの点に立入らないことにした。これについては読者の多数からは了解してもらわれるであろうと信じる。これらの問題の考察は実際全然この書の目的とする科学的考究の圏外に属するものなのである。
ストックホルムにて 一九一〇年一〇月
Ⅰ 宇宙の生成に関する自然民の伝説
発達の最低段階にある民族はただその日その日に生きてゆくだけのものである。明日何事が起ろうが、また昨日何事が起ったにしたところが、それが何か特別なその日その日の暮らしむきに直接関係しない限り、彼らにとってそれは何らの興味もないことである。宇宙というものについて、あるいはその不断の進展について、何らかの考察をしてみるというようなこともなければまたこの地球の過去の状態がおよそいかなるものであったかということについて何らかの概念をもつということすら思いも寄らないのである。今でも互いに遠く隔った地球上のところどころに、このような低い程度の民族が現存している。たとえばブリントン博士(Du. Brinton)は、北米の氷海海岸に住むエスキモーが、世界の起源ということについて未だかつて考え及んだことすらなかったということを伝えている。同様にアルゼンチンのサンタ・フェー(Santa Fé)にいる、昔は戦争好きで今は平和なインディアンの一族アビポン人(Abiponer)や、また南アフリカのブッシュメン族(Buschmänner)もかつて宇宙開闢の問題に思い及んだことはないようである。
しかし、生活に必需なものを得るための闘争がそれほどにひどくない地方では、既に遠い昔から、地球の起源について、少し後れてはまた、天の起源――換言すればこの地球以外にある物象の起源――に関する疑問に逢着する。こういう場合には、たいてい、世界の起源について何かしら人間的な形を備えた考え方をしているのが通例である。すなわち、世界は何かの人間的な『者』によって製造されたと考えられているのである。この『者』は何かしらある材料を持合わしていて、それでこの世界を造り上げたというのである。世界が虚無から創造されるというような観念は一般には原始的な概念中にはなかったものらしく、これにはもっと高級な抽象能力が必要であったものと見える(注)。こういう考えの元祖はインドの哲学者たちであったらしく、それがブラーマ(すなわち、精霊)の伝説中に再現しているのを発見する。ブラーマは彼の観念の力によって原始の水を創造したというのである。同じ考えはまたペルシア、イスマエルの伝説にも現われ、ここでは世界は六つの時期に区切られて出発したことになっている。物質が何らかの非物質的なものから、ある意志の作用、ある命令、またはある観念によって生成し得るものであるという考えは、上記の伝説におけるものと同様に、『超自然的』あるいは『非自然的』と名づけてもしかるべきものである。これは物質の総量が不変であるという現代科学の立場と撞着するのみならず、また野蛮民等がその身辺から収集した原始的の経験とさえも融和しないものである。また実際多くの場合に、物質の永遠性という観念の方が、物質から世界を形成した人間的の創造者すなわち神が無窮の存在であるという考えよりも、もっと深いところに根源をもっているらしく見える。従ってその宇宙創造者は原始物質から生成したものと考えられているのが常例である。もちろんこのような宇宙始源に関する観念を形成しようとする最初の試みにおいて、余り筋道の立った高級なものを期待するわけにはゆかないのであるが、しかしかえってこれらの最も古い考え方の中に進化論(すなわち、本来行われ来った既知の諸自然力の影響の下に宇宙の諸過程が自然的に進展するという学説)の胚子のようなものが認められること、またこの進化論と反対に超自然的の力の作用を仮定するような、従って自然科学的考察の対象とはなり得ないような形而上学的宇宙創造論の胚子と言ったようなものが認められないということは観過し難い点である。
(注) オーストラリアの海岸に住む非常に文化の低い程度にある民俗ブーヌーロン(Bu-nu-rong)の言うところでは、鷲の形をして現われた神ブンジェル(Bun-jel)が世界を作ったことになっている。何者から作ったか、それは分らない。
かの偉大な哲学者ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)は進化という概念について次のように言っている。すなわち『進化とは非均等から均等へ、不定から決定へ、無秩序から秩序への変化である』というのである。もっともこの意見は全く正当ではない――特に分子の運動に関係しては――が、それでもこれは宇宙の進化に関するこの最初の概念に全然該当するものである。この概念はなおまたラプラスの仮説の一般に行われたために現代までも通用してきたものである。形態もなく、秩序もなく、全く均等な原始要素としては普通に水が考えられていた。最古からの経験によって洪水の際には泥土の層が沈澱することが知られており、この物はいろいろな築造の用途に都合の良い性質によって特別の注意を引かれていたものである。タレース(Thales)は、また実に(西暦紀元前約五五〇年)万物は水より成ると言っているのである。煮沸器内の水を煮詰めてしまうと、あとには水中に溶けていた塩類と、浮遊していた固体の微粒子から成る土壌様の皮殻を残すということの経験は恐らく既に早くからあったのであろう。
この考えを裏書するものとして引用してもよいかと思われるものは、後に述べるようなエジプト、カルデア、フィンランドの創造神話の外に、万物の起源に関するインドの物語の一つである。すなわち、それはリグヴェーダ(Rig-Veda)の第一〇巻目の中にある見事な一二九番の賛美歌で、訳してみるとこうである。
一つの「有」もなく一つの「非有」もなかった、
空気で満たされた空間も、それを覆う天もなかった。
何物が動いていたか、そして何処に。動いていたのは誰であったか。
底なしの奈落を満たしていたのは水であったか。
死もなく、また永遠の生というものもなかった。
昼と夜との分ちも未だなかった。
ある一つの名のない「物」が深い溜息をしていた、
その外にはこの宇宙の渾沌の中に何物もなかった。
そこには暗闇があった、そして暗闇に包まれて、
形なき水が、広い世界があった、
真空の中に介在する虚無の世界があった。
それでもその中の奥底には生命の微光の耀いはあった。
動いていた最初のものは欲求であった、
それが生命の霊の最初の象徴であった、
霊魂の奥底を探り求めた賢人等、
彼らは「非有」と「有」との相関していることを知った。
とは言え、時の始めの物語を知る人があろうか。
この世界がいかにして創造されたかを誰が知っていよう。
その当時には一人の神もなかったのに。
何人も見なかったことを果して誰が語り伝えようか。
原始の夜の時代における世界の始まりはいかなるものであったか。
そもそもこれは創造されたものか、創造されたのではなかったのか。
誰か知っているものがあるか、ありとすれば、それは万有を見守る
「彼」であるか、
天の高きに坐す――否恐らく「彼」ですら知らないであろう。
この深きに徹した詩的の記述は本来原始民の口碑という部類に属すべきものではなく、むしろ甚だ高い発達の階級に相当するものである。しかしこの中に万物の始源として原始の水を持出したところは、疑いもなくインド民族の最古の自然観に根ざしていると思われる。
種々な開闢の物語の多数の中に繰返して現われる(中にも、カルデア及びこれと関連しているヘブライまたギリシアのそれにおいても)観念として注目すべきものは、一体ただ光明の欠如を意味するにすぎないと思われる暗黒あるいは夜をある実在的なものだとする観念である。「有」と「非有」とは一体正反対なものであるのを連関したもののように見なしている。ここでこのような考えの根底となっているのは疑いもなく、全然均等な渾沌の中にはいかなる物にもその周囲のものとの境界がなく、従って何物も存在しないという観念であろう。
通例無秩序の状態を名づけるのにギリシア語のカオス(Chaos)を用いるが、これは元来物質の至る所均等な分布を意味する。カントの宇宙開闢論もやはり、宇宙はその始め質点の完全に均等な渾沌的分布であったということから出発している。この原始状態はまたしばしば、たとえば日本の神話におけるごとく、原始エーテルという言語で言い表わされる。その神話にはこうある。『天と地とが未だ互いに分れていなかった昔にはただ原始エーテルがあったのみで、それはあたかも卵子のような混合物であった。清澄なものは軽いために浮び上がって天となった。重いもの濁ったものは水中に沈んでしかして地となった。』またもう一つの日本の伝説でタイラー(Tylor)の伝えているものによると、大地は始めには泥のように、また水に浮ぶ油のように粘流動性であった。『そのうちにこの物質の中からアシと名づけるイチハツあるいは葦のようなものが生長し、その中から地を作る神が現われ出た』というのである。
自然の生物界においては、一見生命のないような種子あるいは卵から有機生物が出てくる。この事実の観察からして、しばしば宇宙の起源には卵子がある重要な役目を務めたという観念が生じた。これは上述の日本の物語にもまたインド、支那、ポリネシア、フィンランド、エジプト、及びフェニシア伝説においてもそうである。
宇宙の生成に一つまたは数個の卵が主役を務めたということで始まるいろいろな創造伝説の中で最もよく知られており、また最もよく仕上げのかかっているのはフィンランドのそれである。それはロシアのアルハンゲルスク州に住む比較的未開なフィンランド種族の物語によって記録されている。この伝説によると『自然の貞淑な娘』であるところのイルマタール(Ilmatar)が蒼い空間の中に浮び漂うていた。そして折々気をかえるために海の波の上に下り立った、というのである。これで見ると海は始めから存在していたので、その上には広い空間があり、のみならずイルマタールがあり、彼女は自然の中から生れたものである。これはいろいろな野蛮民族に通有な考え方に該当しているのである。
そこでイルマタールは嵐に煽られて七〇〇年の間波の上を浮び歩いている。そこへ一羽の野鴨が波の上を飛んできてどこかへ巣を作ろうとして場所を捜す。イルマタールが水中から臑を出すと鴨がその上に金の卵を六つ生み、七番目には鉄の卵を生む。それから鴨は二日間それを抱いてあたためた後、イルマタールが動いたために卵は落ちて深海の底に陥る。
しかし卵は海の
水で砕けなかった、
それは、これから天が
地が生れて出た。
卵の下の部分から
母なる低い地が生じ
しかし卵の上の方から
高い天の堅めができた。
しかして残りの黄味は
日中を照らす太陽となり
そして残った白味は
夜の冴えた月となった。
しかし卵の中でいろいろなものは
天の多くの星になった。
そうして卵で黒い部分は
風に吹かれる雪になった。
そこでイルマタールは海から上がり、そうして岬や島々や山々小山を作り出した。それから、賢い歌手で風の息子であるところのウェイネモェイネン(Wäinämöinen)を生んだ。ウェイネモェイネンは月と太陽の光輝を歓喜したが、しかし地上に植物の一つもないのはどうも本当でないと思った、そこで農業の神ペルレルヴォイネン(Pellervoinen)を呼び寄せ野に種を播かせた。野は生き生きした緑で覆われ、その中から樹々も生い出た。ただ樫樹だけは出なかった。これはその後に植えられたのである。しかるにこの樫は余りに大きく生長しすぎて太陽や月の光を遮り暗くするので伐り倒さなければならなかったというのである。
ここで見るようにこれらの話の運びの中で神々や人間、動物や植物が現われてくるが、これらがどこからどうして出てきたかについては何ら立入った説明の必要も考えられていない。この特徴はすべての創造伝説に典型的なものではあるが、このフィンランドの伝説ほどにこれが顕著に現われているのは珍しい。多分この伝説はその部分がそれぞれ違った人々によってでき上ったものらしく思われる。しかしこれらを批評的に取扱って一つのまとまった宇宙生成の伝説に仕立て上げようとしたものはなかった。言い換えればこれは畢竟伝説の形となって現われた自然児の詩にすぎないのであって理知に富む思索家の宇宙を系統化せんとする考えではないのである。
ヒルシュ(E. G. Hirsch)が言っている通り、『原始的の宇宙開闢論はいずれも民族的空想の偶発的産物であって、したがって非系統的である。それらは通例ただ神統学(Theogony)の一章、すなわち、神々の系図の物語であるにすぎない。』
諸方の民族の伝説中で大洪水の伝説が顕著な役目をつとめている。これには科学者の側からも多大の注意を向けられている。最もよく知られているのは聖書に記された大洪水で、この際に大地はことごとく水中に没し、最高の山頂でさえ一五エルレンの水底にあったことになっている。一八七〇年代のころにこれと全く同様な内容を楔形文字で記した物語が発見され、その中に英雄シト・ナピスティム(Sit-napistim)(すなわち、バビロン人のいわゆるクシスストロス Xisusthros)の名が出ていることが分って以来、このユダヤの伝説の源はアッシリアのものであると考えらるるに至った。ヘブライの本文に『大洪水を海より襲い来らしむべし』とあるところから、有名な地質学者ジュース(Suess 一八八三年)は、この大洪水が火山爆発に起因する津波によって惹起されたもので、この津波がペルシア湾からメソポタミアの低地の上を侵入していったものであろうと考えた。
リイム(I. Riem)は種々な民族の大洪水に関する伝説で各々独立に創作されたらしく思われるものを六八ほど収集した。この中でわずかに四つだけがヨーロッパの国民のものである。すなわち、ギリシアのデゥカリオンとピュルラ(Deukalion, Pyrrha)の伝説、エッダ(Edda)中の物語、リタウェン人(Littauer)の伝説及び北東ロシアに住むウォグーレン人(Wogulen)の伝説である。アフリカのが五、アジアのが一三、オーストラリア及びポリネシアが九、南北アメリカのが三七である。ニグロやカフィール族(Kaffer)の黒人やアラビア人はこの種の伝説を知らないのである。この大氾濫の原因について各種民族の伝うるところは甚だまちまちである。氷雪の融解によるとするもの(スカンジナビア人)、雨によるとするもの(アッシリア人)、降雪(山地インド人 Montagnais-Indianer)、支柱の折れたために天の墜落(支那)、水神の復仇(ソサイティー諸島 Gesellschaftsinseln)によるもの等いろいろある。中には洪水が幾度も繰返されたことになっているのもある。
たとえばプラトン(Plato)はティマイオス(Timäos)の中で、あるエジプトの僧侶が、天の洪水は一定の周期で再帰するものだと彼に話したと記している。
通例天地創造の行為は単に物質の整頓であると考えられ、大多数の場合にはそれが地と原始水あるいは大洋との分離であったと考えられている(太平洋諸島中の若干の民族は地が大洋から漁獲されたと考えている)。それでその前の渾沌状態は氾濫すなわち、いわゆる『大洪水』によって生じたものであろうと考えられ、それがまた後に繰返されたものと考えられるのは、極めてありそうなことである。たとえばアリアン人種に属しないサンタレン人(Santalen)などがこれに類した考え方をしていたもののようである。
この考えはまた、近代の若干の学者によって唱えられたごとく、現在生物の生息する地球の部分は、いつかは一度荒廃して住まわれなくなってしまい、また後に再び生物の住みかとなるであろうという意見とも一致する。野蛮人の間では、この荒廃をきすものは水か火かあるいは風(しばしばまた神々の怒り)である。そうして後にまたこの土地が新たに発育し生命の住みかとなる。こういう輪廻は幾度も繰返されたと考えるのである。この考え方は、輓近の宇宙観は別として、なかなか広く拡がっているものであって、その最も顕著に表明されているものはインドの伝説中にも(プラナ Purana の諸書中に)、また後に再説すべき仏教哲学の中にも見出される。
宇宙の再生に関する教理は普通にまた一般に広く行われている霊魂の移転に関する教理と結び付けられているのが常であるが、ここではこの方の関係について立入る必要はあるまい。
アメリカの宇宙開闢神話は、恐らく旧世界とは没交渉にできたものと思われるのである格別の興味がある。ところがこれがまた旧世界の伝説と著しい肖似を示している。ただアメリカの伝説では動物の類が主要な役割をつとめている。大多数の狩猟民族と同様にアメリカ・インディアンもまた動物も自分らの同輩のように考えているのである。一体世界の製作者というのは、きまって土か泥を手近に備えていたもののようである。通例地は水から分れ出たことになっている。最も簡単な考え方によると、大洋の中の一つの小島がだんだんに大きくなってそれが世界になったということになっている。英領コロンビアのタクル人(Takullier)の観念は独特なものであって、すなわち、始めには水と一匹の麝香鼠の外には何もなかった。この麝香鼠が海底で食餌を求めていた。その間にこの鼠の口中に泥がたまったのを吐き出したのがだんだんに一つの島となり、それが生長してついに陸地となったというのである。もっと独特な神話はイロケース人(Irokesen)によって物語られている。すなわち、一人の女神が天国から投げ出されたのが海中に浮遊している亀の上に落ちてきた。そしてその亀が生長して陸地になったというのである。この亀は明らかに前述の神話における小さな大洋島に相当するものであり、女神の墜落はその島の生長を促す衝動になっているのである。ティンネーインド人(Tinneh-Indianer)の信ずるところでは一匹の犬があって、それはまた美しい若者の姿にもなることができた。その犬の身体が巨人のために引き裂かれて、それが今日世界にある種々の物象に化生したというのである。このごとく、世界が一人の人間あるいは動物の肢体から創造されたとする諸神話は最も多様な野蛮人のこの世界の起源に関する伝説中に見出されるのである。時には宇宙創造者は、たとえばウィンネバゴインド人(Winnebago-Indianer)の『キッチ、マニトゥ(Kitschi Manitou)』(偉大なる精霊)のように、自分の肢体の一部と一塊の土壌とから最初の人間を造り上げた。この神話はエヴァの創造に関するユダヤ人の伝説を思い出させるものであるが、とにかく明白に初めからこの土地が存在していたものと仮定されている。この点はナヴァヨインド人(Navajo-Indianer)、ディッガーインド人(Digger, Gräber-Indianer)またはグァテマラの原始住民の宇宙始源に関する物語においても同様である。
オーストラリアの原始住民は甚だ低級な文化の段階に立っている。一般には彼らは世界の始まりについて何らの考えをも構成しなかったように見える。彼らにとっては、大多数の未開民族の場合と同様に、天というものは、平坦な円板状の地を覆う固定的の穹窿である。ウォチョバルーク族(Wotjobaluk)の信ずるところでは、天は以前は地に密着して押しつけられていたので太陽はこの二つの間を運行することができなかったが、一羽の鵲が一本の長い棒によって天を空高く押し上げたのでようやく太陽が自由に運行するようになったのである。この甚だ幼稚な神話はこれに類似した古代エジプト人の神話のあるものを切実に想起させるのである(これについては更に後に述べる)。
上記の諸例から知らるるように、宇宙構成の原始的観念は宗教的の観念と密接に結合されている。野蛮人は、何でも動くもの、また何かの作用を及ぼす一切のものは、ある意志を賦与された精霊によって魂を持たされていると見なす。こういう見方を名づけてアニミスムス(Animismus 万物霊動観)という。『もしも一つの河流が一人の人間と同じように生命をもっているならば、自分一個の意志次第で、あるいは潅漑によって祝福をもたらすことも、また大洪水によって災害を生ずることもできるはずである。そうだとなれば、河がその水によって福を生ずるように彼を勧め、また災害の甚だしい洪水を控えてくれるように彼をなだめることが必要になってくる。』
野蛮な自然民はこの有力な精霊を魔法によって動かそうと試みる。その法術にかけては玄人であるところの医者または僧侶が他の人間には手の届かない知恵をもっているのである。現在我々が自然現象の研究によって得んとするもの、すなわち、自然力の利用ということを野蛮人は魔術によって獲んとするのである。それである点から見れば魔術は自然科学の先駆者であり、また魔術使用の基礎となる神話や伝説は種々の点で今日の自然科学上の理論に相当するものである。そこでアンドリウ・ラング(Andrew Lang)に言わせると、『諸神話は一方では原始的な宗教的観念に基づくと同時にまた他方では当て推量によって得られた原始的の科学に基づいたものである。』これらの推量なるものも多数の場合には、しょせん日常の観察に基づいたものであろうということは考えやすいことである、また実際いかなる観察に基因したかを推定することも困難でない場合がしばしばある。もっとも中には幾分偶然のおかげであった場合も多いであろう。
これらの神話は口碑によって草昧の時代から文化の進んだ時代まで保存されてきた。その間に次第に人間の教養は高くなってきても祖先伝来のこれらの考え方に対する畏敬の念は、これらの神話を改作したり、また進歩した観察と相容れないと思わるる部分を除去する障害となりがちであった。このことは次章に再説するヘシオド(Hesiod)及びオヴィド(Ovid)の記した宇宙開闢の叙述において特に明瞭に現われているのである。
時にはまたもう一つ他の影響があった。すなわち、野蛮人の伝説は通例高い教養のある、しかも特にそれに興味をもった人々によって描き出されている。それで全く無意識にその人たち自身の考え方が蛮人の簡単な物語の上に何らかの着色をする。そういうことはその伝説の中に何か明白な筋道の立ちにくい箇所のあるような場合に一層起りやすい、そういう時にはそれを記述する収集家はその辻褄を合わせようという気に誘われやすいからである。その収集家が人種の近親関係または他の理由からその自然民に対して特別好意ある見方をしている場合には特にそうである。こういう場合にはその記述は往々その野蛮人から借りてきたモティーヴで作り上げた美しい詩になってしまうのである。
もちろんそういうことは、何ら筆紙に書き残された典拠のない場合のことである。しかしそんなものの存するためにはかなり高い文化が必要であるから、野蛮人からそういうものが伝わろうとは思われない。それで記録によって伝わっている開闢観についてはもっと後に別に一節を設けて述べることとする。それらの中で特に吾人の注意を引く二つの部類がある、その一は吾人今日の文化の重要な部分をそこから継承した諸国民のものであり、その二は高級な理解力と考察の深さをもった他の民族のそれである。
この第一の部類は、後に古代の哲学者によりまたその後代の思索家によって追究され改造された考えと直接に連関しているものである。実際古代文化民族の宇宙開闢伝説の遺骸のようなものが現代の文明諸国民の宇宙観中の重要な部分となっているのである。
第二の部類のものは、科学の力によって非常に拡張された外界の知識から我々の導き出した考えと種々な点で相通ずるものがあるというところに主要な興味があるのである。
Ⅱ 古代文化的国民の宇宙創造に関する諸伝説
近代文明の淵源は古代のカルデアとエジプトであって、そこには約七千年の昔から保存された文化の記念物がかなり多量にある。もっともまだまだもっと古いほとんど五万年も昔の文化の遺跡が、南フランスや北部スペインの石灰洞の壁に描かれた、おもにマンモスや馴鹿や馬などの、着色画に残ってはいるが、しかしこの時代の芸術家の頭に往来していた夢は実にただ好もしい狩猟の獲物の上にあり、そして獲物が余分に多かったときに、それを分ち与える妻の上にも少しは及んだくらいのものであった。この『マグダレニアン時代』(Magdalenien Zeit)と名づけられた時代が現代の文明に及ぼした影響については何らの確信もないのであるが、これに反して、かのカルデア及びエジプトにおける古典的地盤の時代に遡ってこのような影響を求めてみると、得るところがなかなか多いのである。
『高きには天と名づくる何物もなく、下には地と呼ぶ何物もなかったときに、』すなわち、天地開闢以前に、カルデアの神話に従えば『ただこれらの父なるアプスー(Apsu 大洋)と、万物の母なるティアマート(Tiamat 渾沌)があるのみであった。』この大洋の水と渾沌とが交じり合い、その混合物の中に我々の世界の原始的要素が含まれていたので、その中から次第次第に生命が芽生えてきた。しかしてまた『その以前には創造されていなかった』神々も成り出で、しかして数多い子孫を生じた。ティアマートはこの神々の群衆が次第に自分の領域を我がもの顔に侵すのを見て、己が主権を擁護するために、人首牛身、犬身魚尾などという怪物どもの軍勢を作り集めた。神々は相談をしてこの怪物を勦滅することに決議はしたが、誰も敢て手を下そうとするものがない中にただ一人知恵の神エア(Ea)の息子のマルドゥクがこれに応じた。ただし彼は勝ったときの賞として彼らに対する主権を与えるという約束を仲間の神々たちに求めた。事態切迫の際この望みは容れられたので、彼は弓と槍と稲妻という武器を提げてティアマートの在所を捜しあて、これに一つの網を投げかけた。ティアマートが巨口を開いてマルドゥクを飲もうとしたときに彼はその口と臓腑の中に暴風を投げ込んだ。その結果としてティアマートは破裂してしまった。ティアマートに従うものどもは恐れて逃げようとしたが捕らえられ枷をかけられてエアの神の玉座の前に引き出された。そこでマルドゥクは渾沌として乱れたティアマートの五体の変形を行った。すなわち、それを『干物にしようとするときに魚を割くように』二つに切り割いた。『そうして、その一半を高く吊るしたのが天となり、残る半分を脚下に広げたのが地となった。そうして、かようにして彼の造った世界がすなわち以来の人間のよく知る世界である。』
第一図 電光を揮ってティアマートを殺すマルドゥク、大英博物館所蔵ニムロッドの浮彫の一部、フォーシェー・ギューダンの描図による。この図と次の第三図はマスペロの著書より。
マスペロの『古典的東洋民族の古代史』(Maspéros “Histoire ancienne des peuples de l'Orient classique”)の中にカルデア人の宇宙観を示す一つの絵がある(第二図)。地は八方大洋で取り囲まれた真ん中に高山のように聳え、その頂は雪に覆われ、そこからユーフラテス(Euphrat)河が源を発している。地はその周囲を一列の高い障壁で取り囲まれ、そして地とこの壁との中間のくぼみに何人も越えることのできない大洋がある、壁の向こう側には神々のために当てられた領域がある。壁の上にはこれを覆う穹窿すなわち天が安置されている、これはマルドゥクが堅硬な金属で造ったもので、昼間は太陽の光に輝いているが、夜は暗碧の地に星辰をちりばめた釣鐘に似ている。この穹窿の北の方の部分には、一つは東、一つは西に、都合二つの穴の明いた半円形の管が一本ある。朝になると太陽がその東の穴から出てきて、徐々に高く昇ってゆき、天の南を過ぎて西方の穴へと降ってゆき、そこへ届くのが夜の初めである。夜の間は太陽はこの管の中をたどっていって、翌朝になると再びその軌道の上に運行を始めるのである。マルドゥクは太陽の運行によって年序を定め、年を一二の月に分ち、毎月が一〇日すなわちデセードを三つずつもつことにした。それで一年が三六〇日になる。毎六年目に閏月が一つあてはさまることにしたので一年は平均するとやはり三六五日ということになったのである。
第二図 カルデア人の宇宙観。フォーシェー・ギューダンの描図。中央に大陸が横たわり、それから四方に向かって高まり、いわゆる「世界の山」アララットになっている。大陸の周囲は大洋が取り巻きその向こう側に神々の住みかがある。『世界の山』の上には釣鐘形の天(マルドゥクが造った)が置かれてある。これが昼間は日光で輝き、夜は暗青色の地に星辰が散布される。北の方の部分には管が一本あってその二つの口が図に見えている。朝は太陽がその東の口から出て蒼穹に昇り、午後には再び沈下して夜になるとついに管の西口の中に入ってしまう。夜の間はこの管の中を押しすすみ翌朝になると、また再び東口に現われる。
カルデア人の文化は季節の交互変化と甚だ深い関係があるので、彼らは暦の計算を重要視した。始めには、多数の民族と同様に、算暦の基礎を太陰の運行においたものらしい。しかしそのうちに太陽の方がもっと重要な影響を及ぼすことに気付いたので、上記のごとき太陽年を採用した。それがマルドゥクの業績として伝えられたのであろう。その後、間もなく、星の位置を観測すると種々な季節を決定するのに特別有用であるということを発見した。季節は動植物界を支配する。しかるに人類の存続は結局全くこの有機界による。そういうわけで、結局星辰の力というものが過重視されるようになり、そのために爾後約二〇世紀の間、現代の始まりまでも自然研究の衝動を麻痺させるという甚だ有害な妄信を生ずるに至った。この教理はジュリアス・シーザーと同時代のディオドルス・シクルス(Diodorus Siculus)によって次のように述べられている。『彼ら(カルデア人)は長い年月の間星辰を注目してきて、しかしてあらゆる他国民よりも仔細にその運動と法則とを観察してきたおかげで、将来起るべきいろいろのことを人々に予言することができた。予言をしたり未来を左右したりするのに最も有効なものは、吾人が遊星と名づくる五つの星(水星、金星、火星、木星、土星)であると考えた。もっとも彼らはこれらの星を『通訳者』(Dolmetscher)という名で総称していた。――しかしこれらの星の軌道には、彼らのいうところでは、『助言する神々』と呼ばれる三〇の別の星がある。そのうちでの首座の神々として一二を選み、その一つ一つに一二ヶ月の一つと並びに黄道状態における十二宮星座の一つずつを配布した。これらの中を通って太陽太陰並びに五つの遊星が運行するものと彼らは信じていたのである。』
カルデアの僧侶たちの占星術はなかなか行届いたものであった。彼らは毎日の星の位置を精細に記録し、また直後の未来におけるその位置を算定することさえできた。いろいろの星はそれぞれ神々を代表し、あるいは全く神々そのものと見なされていた。それで誰でもいかなる神々が自分の生涯を支配しているかを知りたいと思う人は、星のことに明るい僧侶について、自分の誕生日における諸星の位置を尋ねる。そうして潤沢な見料と引換に、自分の運勢の大要を教わるのである。何か一つの企てをある決まった日に遂行しようという場合ならば、その成功の見込についてあらかじめ教えを受けることができた。もしこのカルデアの僧侶についてよほど善意な判断を下してみるとすれば、多分こういうふうに言われるであろう。すなわち、彼らの考えの基礎には、すべてのできごとは外界の条件の必然の結果として起るものである、という、今日でも一般に通用している確信があったのであろう。
しかしこの考えと編み交ぜられていたもう一つの考えは全く間違ったものであって、簡単な吟味にも堪えないものであった。すなわち、それは太陰や諸遊星の位置が自然界や人間界にかなりな影響を及ぼすと考えたことである。諸天体は神々であるとの信仰のために天文学は神様に関する教え、すなわち、宗教の一部になった。しかしてその修行はただ主宰の位置にある僧侶階級にのみ限られていた。誰でもこの僧侶階級の先入的な意見に疑いを挿むような者はこの僧侶たちと利害を同じうしていた主権者から最も苛酷な追究を受けた。この忌まわしい風習が一部分古典時代の民族に移り伝わり、そうして中世の半野蛮人において最も強く現われたのである。
カルデアの宇宙構成神話はまた他の方面から見ても吾人にとって重要な意義がある。すなわちそれは、少し違った形でユダヤ人によって採用され、従ってまたキリスト教徒に伝えられたからである。近代の研究において一般に認容されている宇宙創造伝説の推移に関する考えは、ドイツの読者間には『バベルとバイブル』(Babel und Bibel)という書物によって周知のことと思うから、ここではすべてをその書に譲りたいと思う。渾沌はユダヤ人にとってもやはり原始的のものであった。地は荒涼で空虚であった。しかして深きもの(すなわち、原始の水)の上には一面の闇があった。バビロニアの僧侶ベロスース(Berosus)の言葉として伝えられているところでは『始めにはすべてが闇と水であった』ことになっている。この深きものテホム(Tehom)というのがユダヤの宇宙創造の物語では人格視されており、また語源的にティアマートに相当している。その有り合わせた材料から神エロヒーム(Elohim)が天と地とを創造した(あるいは、本当の意味では、形成した)のである。
エロヒームは水を分けた。その上なるものは天の中に封じ込められ、しかしてその下なるものの中に地が置かれた。地は平坦、あるいは半球形であって、その水の上に浮んでいるものと考えられていた。その上方には不動な天の穹窿が横たわり、それに星辰が固定されていた。しかしこの天蓋までの高さは余り高いものではなく、鳥類はそこまで翔け昇り、それに沿うて飛行することができるのである。エノーク(Enoch)は、多くの星が地獄(Gehennas)の火に焼き尽くされたさまを叙している。それはエロヒームの神がこれらの星に光れと命じたときに光り始めなかったからである。このように星辰は『不逞の天使』すなわち、主上の神から排斥された神々であったのである。
カルデアの創世記物語とユダヤのそれとの相違する主要の点は、後者が一神的であるに反し前者が多神的であることである。ただし前者でも太陽神マルドゥクが万象並びにまた諸神の主権者として現われている点から見ればやはり一神的の傾向をも帯びている。
ユダヤの宇宙開闢説の中にはまた世界の卵という考えに関するフェニシアの創世伝説の痕跡のあることは『エロヒームの精霊が水の上に巣籠りした(brütete. 通例「浮揺していた」schwebte と訳してある)』という文句からうかがわれる。またマルドゥクとティアマートの争闘の物語の片影はヤフヴェ(Jahve)が海の怪物レヴィアターン(Leviathan)すなわち、ラハーブ(Rahab)を克服する伝説の中に認められる。宇宙開闢論の見地から見ると、ユダヤ、従ってキリスト教における世界の始源に関する表現には何ら特別優れた創意というものはないのである。
世界の始めに関するこの最初のカルデアの記述よりは幾分後になるが、それでもやはり随分古いものとしては、これに対応するエジプトのいろいろの物語である。中で最も重要な、ここでの問題に関する神話を、マスペロ(Maspéro)の集録によって紹介することとする。すなわち、当時『虚無』の概念はまだ抽象的なものにはなっていなかった。それで、「暗き水の中に」、形は渾沌たるものではあったがとにかく物質的な材料があった。そこで特別な首座の神様が――国が違えばこの神も一々違っているが――世界にありとあらゆる生物無生物を造り出した。その造り方は、その神の平生の仕事次第でいろいろであって、例えば織り出すとか、あるいは陶器の壷などのように旋盤の上でこねて造ったりしている。ナイル川のデルタの東部地方では創世記神話が最もよく発達していた。すなわち、始めには天(ヌイト Nuit)と地(シブ Sibu)とが互いにしっかりと絡み合って原始の水(ヌー Nu)の中に静止していた。創世の日に一つの新しい神シュー(Shu)が原始水から出現し、両手で天の女神ヌイトをかかえてさし上げた、それでこの女神は両手と両足――これが天の穹窿の四本柱である――を張って自分のからだを支え、それが星をちりばめた天穹となったのである(第三図)。
第三図 シューの神がヌイト(天)とシブ(地)を分つ図。チューリン博物館所蔵のミイラの棺に描かれたものをフォーシェー・ギューダンの模写したもの。
そこでシブは植物の緑で覆われ、それから動物と人間が成り出でた。太陽神ラー(Ra)もまた原始水の中で一つの蓮華の莟の中に隠されていたが、創世の日にこの蓮の花弁が開きラーが出現して天における彼の座を占めた。このラーはしばしばシューと同一視せられたものである。太陽がヌイトとシブの上を照らしたので、そこで一列の神々たちが生れ、その中にはナイルの神のオシリスもいた。暖かい日光の下に、あらゆる生けるもの、すなわち、植物も動物も人間も発達した。ある二三の口碑によるとこれは温められたナイルの泥の中での一種の醗酵作用、すなわち、ある自生的過程によって起ったものとされており、この過程は歴史時代に至ってもまだ全く終っていなかったもののように考えられている。多くの人々の信じていたところでは、この最初の人間たち、すなわち、太陽の子供たちは完全なものであり幸福であった。そして後代のものは出来損なったものばかりで、本来の幸福を失ってしまったものである。またある人々の信じていたところでは、この最古の人間たちは動物のような性状のもので、まだ言語をもたず、ただ曲折のない音声で心持を表わしていたのを、トート(Thot)の神が初めてこれに言語と文字とを教えたということになっている。このように、ダーウィンの学説でさえも、ここに見らるるごとく、既にこの文化の幼年時代においてその先駆者をもっているのである。
第四図 太陽神が創造の際開きかかった蓮華から出現する図。フォーシェー・ギューダンの描図。この神は頭上に神聖な蛇を乗せた太陽円盤の象徴を頂いている。蓮華と二つの莟とは一つの台から立上がっている、これは通例水盤の象徴であるがここでは暗黒な原始水ヌーをかたどっていると思われる。
古典時代における宇宙始源に関する観念は甚だ幼稚なものであった。ヘシオド(Hesiod 西暦紀元前約七〇〇年)が彼の神統記(Theogonie)及び『日々行事』(Werke und Tage)の中でギリシアの創世記神話を語っている。それによると、すべては渾沌をもって始まった。そのうちに地の女神ゲーア(Gäa)が現われ、これが万物の母となった。同様にその息子の天の神ウラノス(Uranos)が通例万物の父と名づけられたものである。天と地とが神々の祖先だという考えは原始民族の間ではよくあることである。ここでこの初心な、子供らしい、また往々野蛮くさい詩を批評的に精査しても大した価値はないのであるから、これをフォッス(Voss)の訳した音律詩形で紹介することとしておく。すなわち、神統記、詩句一〇四―一三〇及び三六四―三七五にこうある。
幸いあれ、ツォイスの子らよ、美しき歌のしらべに、
いざや、永遠に不死なる神々の聖族を讃めたたえよ。
地より、また星に輝く天より成り出で、
暗く淋しき夜よりも。さてはまた海の潮に養われし神々の族をたたえよ。
始めに神々、かくて地の成り出でしことのさまを語れ、
また河々の、果てなき波騒ぐ底ひなき海の、
また輝く星の、遠く円かなる大空の始めはいかなりしぞ。
この中より萌え出でて善きものを授くる幸いある神々は、
いかにその領土を分ち、その光栄を頒ちしか、
またいかに九十九折なすオリンポスをここに求めしか、
時の始めよりぞ、語れ、かの神々の中の一人が始めに生り出でしさまを。
見よ、すべての初めにありしものは渾沌にてありし、さどその後に広がれる
地を生じ、永久の御座としてすべての
永遠なる神たち、そは雪を冠らすオリンポスの峯に住む神の御座となりぬ。
遠く広がれる地の領土の裾なるタルタロスの闇も生じぬ。
やがてエロスはあらゆる美しさに飾られて永遠の神々の前に出できて、
あらゆる人間にも永遠なる神々にも、静かに和らぎて
胸の中深く、知恵と思慮ある決断をも馴らし従えぬ。
渾沌よりエレボス(注一)は生れ、暗き夜もまた生れ、
やがて夜より灝気(注二)、と光の女神ヘメーラは生れぬ、
両つながらエレボスの至愛の受胎によりて夜より生れたり。
されど地は最初に己が姿にかたどりて
彼の星をちりばめし天を造り、そは隈なく地を覆い囲らして
幸いある神々の動がぬ永久の御座とはなりぬ。
(注一) エレボス。原始の闇、陰影の領土。
(注二) エーテル。上層の純粋な天の気、後に宇宙エーテルとして、火、空気、土、水の外の第五の元素とされたもの。
次にゲーアは『沸き上る、荒涼な海』ポントス(Pontos)を生んだ。彼女とウラノスは六人の男子と六人の女子を生じた。それはいわゆるティタンたち(Titanen)で、すなわち『渦巻深き』大洋のオケアノス(Okeanos)、コイオス(Koios)(注一)とクレイオス(Kreios)(注二)ヤペツス(Japetus)(注三)、ヒュペリオン(Hyperion)(注四)、テイア(Theia)(注五)、レイア(Rheia)(注六)、ムネモシュネ(Mnemosyne)(注七)、テミース(Themis)(注八)、テティース(Thetis)、フォエベ(Phoebe)、及びクロノス(Kronos)(注九)、などその外にキュクロープたち(Zyklopen)(注一〇)などである。ここで、一部は多分ヘシオドのこしらえたと思われるいろいろな名前を目録のように詩句の形でならべたものを紹介しても余り興味はあるまい。――このような単純な詩の種類、すなわち、名前の創作といったようなものは北国民の詩スカルド(Skalden)にも普通である。――ただ星と風との生成に関する次の数行だけはここに掲げてもよいかと思う。
(注一) コイオス。多分光の神、これはヘシオドにだけ出てくる名である。
(注二) クレイオス。半神半人、ポントスの娘の一人、ユウリュビア(Eurybia)の婿である。
(注三) ヤペツス。神々の火を盗んで人類に与えたかのプロメテウス(Prometheus)の父。
(注四) この名の意味は『高く漂浪するもの』である。
(注五) 立派なものの意。
(注六)『神母』、これがすなわちツォイス(Zeus)の母であった。
(注七) 追憶の女神、歌謡の女神たちの母。
(注八) 秩序と徳行の女神。
(注九) 首座の神で、自分の子のツォイスに貶された。
(注一〇) アポローに殺された一つ目の巨人たち。
テイアは光り輝く太陽ヘリオスと太陰セレネを生みぬ、
また曙の神エオスも。これらはあまねく地に住むものを照らし
さては広く円かに覆える天に在す不死なる神をも照らしぬ。
これはかつてヒュペリオンの愛の力によりてテイアより生れぬ。
されど、クリオスはユウリュビアを娶りて力強き御子たち
パルラス(Pallas)とアストレオス(Asträos)(注一)を生みぬ、この高く秀でし女神は。
またペルセス(Perses)も、そは、別けて知恵優れし神なりき。
エオスはアストレオスと契りて、制し難き雄心に勇む風の神を生みぬ。
ゼフューロス(Zefyros)(注二)は灰色にものすさまじ、ボレアス(Boreas)(注三)は息吹きも暴し。
ノトス(Notos)(注四)は女神と男神の恋濃かに生みし子なればこそ。
また次に聖なる爽明の女神はフォスフォロス(Fosforos)(注五)を生みぬ。
天に瓔珞とかがやく星の数々も共に。
(注一) 天の神で風の神々の父。
(注二) 西風。
(注三) 北風。
(注四) 南風。
(注五) 暁の明星―金星(venus)。
『日々行事』(Werke und Tage)において、ヘシオドはいかにして人間が神々によって創造させられたかを述べている。始めには人間は善良で完全で幸福で、しかして豊富な地上の産物によって何の苦労もなく生活していた。その後にだんだんに堕落するようになったのである。
ギリシアの宇宙開闢説はローマ人によって踏襲されたが、しかしそのままで著しい発展はしなかった。オヴィドがその著メタモルフォセス(Metamorphoses)の中に述べているところによると始めにはただ秩序なき均等な渾沌、“rudis indigestaque moles”があった。それは土と水と空気との形のない混合物であった。自然が元素を分離した。すなわち、地を天(空気)と水から分ち、精微な空気(エーテル)を粗鬆な(普通の)空気から取り分けた。『重量のない』火は最高の天の区域に上昇した。重い土はやがて沈澱して水によって囲まれた。次に自然は湖水や河川、山、野、谷を地上に形成した。以前は渾沌の闇に隠されていた星も光り始め、そうして神々の住みかとなった。植物、動物、しかして最後に人類も創造された。彼らはそこで黄金時代の理想的の境地に生活していた。永遠の春の支配のもとに地は耕作を待たずして豊富な収穫を生じた(“Fruges tellus inarata ferebat”)。河々には神の美酒と牛乳が流れ、槲樹からは蜂蜜が滴り落ちた。ジュピター(ツォイス)がサターン(クロノス)を貶してタルタロスに閉じ込めたときから、時代は前ほどに幸福でない白銀時代となり、既に冬や夏や秋が春と交代して現われるようになった。それで厳しい天候に堪えるために住家を建てる必要を生じた。すべてのものが悪くなったのが銅時代にはますます悪くなり、ついに恐ろしい鉄時代が来た。謙譲、忠誠、真実は地上から飛び去り、虚偽、暴戻、背信、そして飽くことを知らぬ黄金の欲望並びに最も粗野な罪悪の数々がとって代った。
第五図 ギリシア神話における大河オケアノスの概念。
オヴィドの宇宙開闢説はヘシオドのといくらも違ったところはない。本来の稚拙な味は大部分失われ、そしてこれに代わって、実用的なローマ人の思考過程にふさわしいずっと生真面目な系統化が見えているのである。
部分的にはなかなか見事であると思われるオヴィドの叙述の見本を少しばかり、ブレ(Bulle)の翻訳したメタモルフォセス(『変相』)の中から下に紹介する。
海と陸の成りしときよりも前に
天がこの両つの上に高く広がりしときよりも古く
全世界はただ一様の姿を示しぬ、
渾沌と名づくる荒涼なる混乱にてありし。
重きものの中に罪深く集いて隠れしは
後の世に起りし争闘の萌芽なりき。
日の神は未だその光を世に現わさず、
フォエベの鎌はまだ望月と成らざりき。
地は未だ今のごとく、
己と釣合いて空際に浮ばず
またアムフィトリートの腕は未だ我が物と
遠く広がる国々の果てを抱かざりき。(注一)
空気あるところにはまた陸あり、陸にはまた
溢るる水ありて空気に光もなく
陸には立ち止まるべきわずかの場所もなく
水には泳ぐべき少しの流動さえなかりき。
いかなる物質にも常住の形はなく、
何物も互いに意のままにならざりき。
一つの体内に柔と剛は戦い、
寒は暖と、軽は重と争いぬ。
ただ、物の善き本性と
一つの神性とによりてこの醗酵は止みぬ。(注二)
陸と海、地と蒼穹とは分たれ、
輝くエーテルと重き空気は分たれぬ。
かくて神がこの荒涼を分ちて
万物をその在所に置きしとき
すべての中に一致と平和を作り出しぬ。
上に高く天の幕を張り巡らせし
そは重量なき火の素質にてありき、
下には深くやがてまた重く空気を伴いぬ。
更に深く沈みて粗なる質量より作られて
地はありぬ、その周囲には水を巡らしぬ。
かく神が物質を分ちしとき――
そは誰なりしか――これに肢節を作り始めぬ。
これが均衡を得るためにまず
地を球形(注三)として空中に浮べたりき。
嵐に慄く海の潮を
次に湖沼を泉を河を造りぬ、
河は谷に従い、岸の曲るに任せて流れぬ。
多くの流れは成りてその波は
海へと逆巻きて下り、多くの河は
やがて再びまた地を呑み尽くし、
また多くは勢いのままに溢れ漲り
渚は化して弓なりに広き湖となり
岸辺は波打ちぬ。神の定めに
また谷々も広き野原も
また岩山も緑茂る森も出できぬ。
神はまた天の左手の側に
二つの帯を作りまた右手に二つ
真ん中には火光に燃ゆる第五帯を作りまた
地にも同じく五つの帯の環を巡らしぬ。
中なる帯は暑さのために住み難く
さらばとて外側の帯は氷雪の虐げあり、
ただ残る二帯のみ暖と冷と
幸いあるほどに正しく交じり合えり。
空気はそのエーテルより重きことはなお
水の土よりも軽きがごとし、
神はこれを雷電の座と定めければ、このときより
多くの人の心はそのために安からず恐れ悩めり。
また神は霧を撒き散らしまた霞と雲を
空中に播き、また稲妻を引連れて、
風の軍勢はかしこに氷の息吹きと飛び行く、
されど神はその止度なく暴るることは許さじ。
(注一) ここで海神ポセイドン(Poseidon)の配偶アムフィトリートが地の縁辺を腕で抱えるとあるところから見ると、オヴィドは地が球形でなくて円板の形をしていると考えていたことが分る。しかしオヴィドの時代に、教養ある人々の間には一般に地は球状をなすものと考えられていた。
(注二) この神は「温和な自然」である。Hanc deus et melior litem natura diremit.
(注三) この言語 orbis は本来円板の義で、後にはまた球の意にも使われた。
この次には各種の風とその出発点に関する記述があって、それからこの詩人は次のように続けている。
澄めるエーテル、そは明るき遠方に
重量なくまた地にあるごとき限界を知らず
昇りたり――エーテルに今は星も輝き初めぬ。
それまでは荒涼なる濁りの中に隠されし群も。
この数々の星にこそ人間の目は自ら
神々の顔と姿を認むるなれ。
この神々は生のすべてのいかなる部分にも
過ち犯すことなからんために、エーテルの中に光り浮ぶ。
かくて空気は鳥の住みかとなり
魚には海、他の生けるものには陸ありき。
ただ一つの存在、そは理性を享け有ちて
すべての他のものの主たるべきものは
未だこの全眷屬の中にあらざりき、
人だねの生れしまでは、そはこの世界を飾らんため(注)
恐らくは主の命により胚子より
形作られて、秩序をもたらすべき人類の生れしまでは。
恐らくはまた地の土の中にエーテルの
取り残されし一片の火花ありしか、
この土を水に柔らげて神々の姿と容を
プロメテウスの堅き手に作り上げしときに。
その外のあらゆる者は下なる地の方に
眼をこそ向くれ、その暇に人のみこそ振り仰ぎ
その眼は高く永遠の星の宮居に、
かくてぞ人のくらいは類いなきしるしなるらん。
あわれ黄金時代よ、その世は信心深き族の
何の拘束も知らず、罰というものの恐れもなく
ただ己が心のままに振舞いてやがて善く正しかりき。
厳しき言葉に綴られし誡めの布告もなくて
自ら品よき習わしと秩序とは保たれぬ。
また判官の前に恐れかしこまる奴隷もなかりし。
人は未だ剣も鎧も知らず
喇叭も戦を呼ぶ角笛も人の世の外なりし。
未だ都を巡らす堀もなく
人はただ己に隣る世界の外を知らざりき。
檜の船は未だかつて浪路を凌がず、
人は世界の果てを見んとて船材に斧を入るることもなかりき。
静かに平和に世はおさまりて
土はその収穫を稔れよと
鶴嘴と鋤とに打砕かるることもなかりき。
(注)“Sanctius his animal mentisque capacius altae-Deerat adhuc et quod dominari in cetera posset- Natus homo est.”
この後に来たのが白銀時代で、黄金時代の永久の春はやみ、ジュピターによって四季が作られた。人間は夏の焼くような暑さ、冬の凍てつく寒さを防ぐために隠れ家を求めることが必要となった。土地の天然の収穫で満足していられなくなったので人間は耕作の術を発明した。
世は三度めぐりて黄銅のときとなりぬ。
心荒々しく武器を取る手もいと疾く、
されどなお無慚の心はなかりき。恥知る心、規律と正義の
失せ果てしは四度目の世となりしとき、
そは鉄の時代、嘘と僞りの奴とて
掠め奪わん欲望に廉恥を忘れしときのことなり。
このときより腐れたる世界の暴力は
入りきぬ、詭計や陥穽も。
山の樅樹は斧に打たれて倒れ、
作れる船の艗は知られざる海を進みゆく。
船夫は風に帆を張るすべを知れど
行方は何處とさだかには知り難し。
農夫は心して土地の仕切り定めぬ、
さなくば光や空気と同じく持主は定め難からん。
今はこの土も鋤鍬の責苦のみか
人はその臓腑の奥までも掻きさぐりぬ。
宝を求めて人は穴を掘りぬ、最も深き縦坑に
悪きものを誘わんとて神の隠せし宝なり。
災いの種なる鉄は夜より現われ
更に深き災いと悩みをもたらして黄金も出できぬ。
これらとともに戦争は生れ
二つの金属はこれに武器を貸し与えぬ。
そは血潮に染みし手に打ち振られて鳴りひびきぬ。
世は掠奪に生き奪えるものを貪り食らいぬ。
かくて客人の命を奪う宿の主も
舅姑の生命に仇する婿も現われ、
夫に慄く妻、妻に慄く夫も出できぬ。
兄弟の間にさえ友情は稀に、
継子は継母に毒を飼われ、
息子は父親の死ぬべき年を数う。
愛の神は死し、ついにアストレアは逃げ去りぬ。
神々の最後のもの、血を好むゲーアさえ。
ジュピターが大洪水を起してこの眷属を絶滅させ、後にデゥカリオン(Deukalion)とピュルラ(Pyrrha)とが生き残った。その前に二人はデゥカリオンの父なるプロメテウスの教えに従って一艘の小船を造ってあったので、それに乗って九日の間漂浪した後にパルナッソス(Parnassos)の山に流れ着いた。そこで二人が後向きに石を投げると、それが皆人間になった。他の万物は、日光が豊沃な川の泥を温めたときに自然に発生した、というのである。この伝説は大洪水に関する楔形文字で記された伝説や、聖書にあるノア(Noah)の物語やまた生物の起源に関するエジプトの神話と非常によく似たところがある。
神々の数はたくさんにあるが、それはほとんど全部余り栄えた役割は勤めていない。ただ神の名で呼ばれている『温柔な自然』がすべて全部を秩序立てまた支配しているのである。
Ⅲ 最も美しきまた最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説
相当に開けていた諸民族もまた一般には前条に述べたような考えの立場に踏み止まっていた。耶蘇の生れる前の時代においてローマは既に高い文化をもっていたにかかわらず、その当時にオヴィドが世界の起源について書いていることは、七〇〇年前にヘシオドの書いていることとほとんど同じことなのである。これから見るとこの永い年月の間において自然の研究は一歩も進まなかったかと思われるのであるが、もっとも、後に述べるように、この期間に多くの研究者、思索家の間には、この宇宙の謎に関する一つの考え方が次第に熟しつつあったので、その考えは今日我々の時代から見ても実に驚嘆すべきものであったのである。しかしこの研究の成果はただ若干の少数な選ばれたる頭脳の人々の間にのみ保留されていたようである。誰でも大衆に対して述べようという場合となると、国家の利害に対する責任上、数百年来の昔から伝わり、そして公認の宗教と合体し、従って神聖にして犯し難いものになっている在来の観念を唱道しなければならなかった。恐らくまた多くの人々は――ルクレチウスの想像によると――自然研究の諸結果は詩的の価値が余りに少ないと考えたのかも知れない。このように科学の成果が一般民衆の思考過程中に浸潤し得ないでいたということが、他のいかなる原因よりも以上に、古代の文化が野蛮人の侵入のためにあれほどまでにかたなしに破壊された原因となったのかも知れない。
また、多分、エジプト僧侶の中に若干の思索家があって、それらは前述のエジプトの創世伝説に現われたような原始的な立場をとうに脱却していたであろうと考えられる。しかし彼らはこの知識を厳重にただ自分らの階級の間にのみ保留し、それによって奴隷的な民衆に対する彼らの偉大な権力を獲得していたのである。
ところが、西暦紀元前約一四〇〇年ごろに、アメンホテプ四世(Amenhotep Ⅳ)と名づくる開けた君主が現われて一大改革を施し、エジプト古来の宗教を改めて文化の進歩に適応させようとした。彼はかなり急進的の手段を採った。すなわち、古来の数限りもない神々の眷属は一切これを破棄し、唯一の神アテン(Aten)、すなわち、太陽神のみを認めようという宣言を下した。そして古い神々の殿堂を破壊し、また忌まわしい邪神の偶像に充たされたテーベ(Thebe)の旧都を移転してしまった。しかしそれがために当然彼は権勢に目のない僧侶たちから睨まれた。そして盲目な民衆もまた疑いもなく彼らの宗教上の導者たちに追従したに相違ない。それでこのせっかく強制的に行われた真理の発揚もこの賢王の死後跡方もなく消滅してしまった。しかしてその王婿アイ(Ai)は『余は余の軽侮する神々の前に膝を屈しなければならない』と歎ずるようなはめに立至ったのである。
アメンホテプ――またクト・エン・アテンス(Chut-en-atens)すなわち『日輪の光輝』――の宗教の偉大であった点は、天然の中で太陽を最高の位に置いたことである。これは吾人の今日の考えとほとんど一致する。地球上におけるあらゆる運動は、ただ僅少な潮汐の運動だけを除いて、全部そのエネルギーを太陽に仰いでいる。またラプラスの仮説から言っても、地球上のすべての物質は、ただその中の比較的僅少な分量が小さな隕石の形で天界から落下しただけで、他は全部その起源を太陽にもっている。それで、言わば、太陽は『すべての物の始源』であって、これは野蛮人の考えるように地上の物だけについてもそう言われ、また全太陽系についても言われ得ることである。以下に太陽神に対する美しい賛美歌を挙げる。ここではこの神はレー(Re)及びアトゥム(Atum)という二つの違った名で呼ばれている。
汝をこそ拝め、あわれ、レーの神の昇るとき、アトゥムの神の沈むとき。
汝は昇り、汝は昇る。汝は輝き、汝は輝く。
光の冠に、汝こそ神々の王なれ。
天の、地の君にて汝は在す。
汝は、かしこに高く星、ここに低く人の数々を作りぬ。
汝こそは、時の始めに既に在せし唯一の神なれ。
地の国々を汝は生み、国々の民を汝は作りぬ。
汝は大空の雨を、やがてニイルの流れを我らがために作り賜いぬ。
河々の水を汝は賜い、その中に住む生物を賜いぬ。
山々の尾根を連ねしは汝、かくて人類とこの地上の世を作りしは汝ぞありし。
ラプラスの仮説によっても、やはり、太陽がエジプト人の最も重要な星と見なしたもの、すなわち、遊星の創造者であると見なすことができる。もし遊星を神的存在であるとするならば、太陽は当然一番始めに存在した唯一の神と言ってもよいわけである。
それから一〇〇年ないし二〇〇年の後に現われたツァラトゥストラ(Zarathustra)の宇宙観は正にこのアメンホテプのそれを想出させるものである。この考えによると、無窮の往昔から、いわゆる渾沌に該当する、無限大の空間が存在し、また光と闇との権力が存在していた。そして、光の神なるオルムズド(Ormuzd)は当時有り合わせた材料によって、次のような順序で、万物を形成した。この順序を、バビロニア及びユダヤの伝説による創造の順序と比較してみよう。
オルムズド マルドゥク エロヒーム(創世記、一)
1 アムシャスパンデン(注) 1 天 1 天
2 天 2 諸天体 2 地
3 太陽、太陰及び星 3 地 3 植物
4 火 4 植物 4 諸天体
5 水 5 動物 5 動物
6 地と生物 6 人間 6 人間
(注) アムシャスパンデン(Amschaspanden)はオルムズドに次いで最高位にある六つの神々である。彼らは一人一人重要な倫理的概念を代表している。
ツァラトゥストラの信徒にとっては、太陽が、最も重要な光として、その崇拝の主要な対象であったことは、ちょうどバビロニア人における太陽神マルドゥクと同様であった。他のいろいろの民族でもまた本能的に多神崇拝から太陽礼拝に移っていったので、その一例は日本人である。
時代の移るとともに、ペルシアにおけるツァラトゥストラの教えは変化を受け、数多の分派を生じた。その中で次第にツァラトゥストラの帰依者の大多数を従えるに至ったゼルヴァニート教の人たち(Zervaniten)の説いたところによると、世界を支配する原理は無窮の時“zervane akerene”であって、これから善(Ormuzd)の原理もまた悪(アフリメン Ahrimen)の原理も生じたというのである。
ツァラトゥストラの教理は回々教及びグノスチック教の要素と融合して更に別の分派を生じた。すなわち、イスマイリズム(Ismailismus)と称するものであって、一種の哲学的神秘主義の匂いをもったものである。その教えによると、世界の背後にはある捕えどころのない、名の付けようもない、無限の概念に該当する存在が控えている。この者に関しては我々は言うべき言葉を知らず、従ってまたこれを祈念し礼拝することもできない。この者から、一種の天然自然の必要によって、いわゆる放射(Emanationen)と称するものが順次に出てくる。すなわち(一)全理性(Allvernunft)、(二)全精神(Allseele)、(三)秩序なき原始物質、(四)空間、(五)時間及び(六)秩序組織の整えられた物質的の世界、この中の最高の位置に人間がいるのである。この宗教では物質、空間及び時間の方が、秩序立った組織を有し、従って知覚され得る感覚の世界よりももっと高級な存在価値のあるものとしようというのであるらしい。これはあたかも物質、空間及び時間を無限なりとする近代の考えに相当しているのである。またいわゆる全精神なるものにも同様な属性があるものとされている、これは同じ考えを生命の方へそのまま引き写しに持ち込んでいったものと見ることができよう。
ツァラトゥストラ教に従えば、アストヴァド・エレタ(Astvad-ereta)がすべての死者を呼びさまし、そしてすべてが幸福な状態に復するということになっている。イスマイル教徒に言わせると、この復活並びに最後の審判に関するゾロアスター教の教えは、単に宇宙系における周期的変転を表現する影像にすぎないというのである。この後者の考えはことによるとインド哲学の影響によって成立ったのかも知れないと思われる。
東洋の諸民族の中で、インド人はその古い宗教をもつ点で他民族の中に独自の地位にある。この宗教は永い間に僧侶階級によってだんだんに作り上げられ、永遠に関する一つの教理となった。この教理は哲学的に深遠な意義のあるものであり、また現代の自然科学研究の基礎を成す物質並びに勢力不滅の観念と本質的に該当し、また、その永遠に関する概念は現代の宇宙開闢説の主要な部分を成すものと同じである。
世界万有の中に不断の進化の行われているということは誰が見ても明らかである。それで、この進化は周期的に行われるものであって、何度となく同じことを繰返すものだということを仮定して、始めてこの世界の永遠性ということが了解される。昔のインドの哲学者らがこの過程をどういうふうに考えていたかということは次の物語から分るのである。
マヌ(Manu ヴェダの歌謡の中に現われるマヌは人類の元祖、すなわち、一種のノアである)はじっと考えに沈んでいた。そこへマハルキーン(Maharchien)がやってきて、恭しく御辞儀をしてこう言った。『主よ、もし御心に叶わば、どうか、物の始まりがいかなる法則によって起ったか。またそれが混じり合ってできた物はいかなる法則に支配されたか、こと細かに、順序を立てて御話して下さるように願います。主よ。この普遍な法則の始まり、それの意味またその結果を知っているのはあなたばかりであります。この根元の法則は捕えどころもなく、その及ぶ範囲も普通の常識ではとても測り知ることができません。ただヴェダであらせられるあなただけが御分りでありましょう。』これに対してこの全能なるものの賢い返答は次の通りであった。『では話して聞かそう。この世界はその昔暗黒に包まれて、捕えどころなく、物と物とを差別すべき目標もなかった。悟性によってその概念を得るということもできず、またそれを示現することもできず、全く眠りに沈んだような有様であった。この溶合の状態(宇宙はここでは完全に均質に溶け合った溶解物のように考えられているのである)がその終期に近づいたときに、主(ブラーマ Brahma)、すなわち、この世界の創造者でしかも吾人の官能には捕え難い主は、五つの元素と他の原始物質とによってこの世界を知覚し得るようにした。彼は至純な光で世を照らし闇を散らし、天然界の発展を始めさせた。彼は自己の観念の中に思い定めた上で、様々の創造物を自生的に発生させることとした。そして第一に水を創造し、その中に一つの種子を下ろした。この種子がだんだん生長して、黄金のように輝く卵となった。それは千筋の星の光のように光っていた。そしてそれから生れ出たのが、万物の始源たる、男性、ブラーマの形骸を備えた至高の存在であった。彼がこの卵の中で神の年の一年間(人間の年で数えると約三〇〇〇〇億年余)休息した後に、主はただ自分の観念の中でこの卵を二分し、それで天と地とを造った。そして両者の中間に気海と八つの星天(第六図、対一〇五頁)と及び水を容るべき測り難い空間を安置した。かくして、永遠の世界から生れたこの無常の世界が創造されたのである。』なお主なる彼はこの外にたくさんの神々と精霊と時期とを創造した。この永遠の存在にもまた同時にあらゆる生ける存在にも覚醒と安息との期間が交互に周期的にやってくる。人間界の一年は霊界の一日に当り、霊界の一二〇〇年(この毎年が人間の三六〇年を含む)が神界の一紀であり、この二千紀が一ブラーマ日に当る。この――八六億四〇〇〇万年の長きに当る――日の後半の間はブラーマもまたすべての生命も眠っている。しかして彼が眼を覚ますとそれからまたその創造欲を満足させるのである。この創造作業と世界破壊作業との行われる回数は無限である。そうしてこの永遠の存在なる神はこれをほとんど遊び仕事にやってのけるのである。
第六図 プトレマイオスの宇宙系
このインド哲学の偉大な点は、永遠の概念の構成の当を得ている点である。すなわち、天然の進展に周期的交代すなわち輪廻があるとする点にある。もっともその他の点では、その考え方はペシミスティックである。すなわち、毎周期の進展は不断の後退であって、特に道徳的方面で堕落に向かうものと見なされているのである。
このペシミスティックな考え方は既に前述のエジプトの伝説にもあり、また元は人間に黄金時代があったとする古典的ギリシアの昔にもあったものであり、更にまた天上の楽園並びに罪過による失墜に関するカルデアの伝説にも見出さるるものであるが、これは自然の研究に基づいて構成された近代の進化論の学説とは甚だしく背馳する考えである。この説の先駆者とも見るべきものはエジプト伝説の中にもまたホーマーの中にもあるのであるが、これによると事物(人間)は次第次第に改善されていくのである。進化論によるとただ最も力強くかつ最も良く環境に適応するもののみが生存競争に堪え、従って絶えずますます生存に適する物が現われてくるというのである。
一つの観念、あるいは意志の働きが、何ら以前から存在するエネルギーあるいは物質を消費することなしに作業あるいは物質の生因となるという考え、換言すれば全くの虚無から本当の意味での創造が可能であるという考えの明白に表明されているのは前に紹介した物語が最初のものである。この信仰には以来多数の追従者ができた。しかして彼らはこの考えの方が、すべての民族に本来共通な、ただ改造のみが行われたという考えよりはるかに優れたものと考えた。しかしある物が虚無から生じ得るという(本文一〇頁を見よ)この考えは単に科学的のみならずまた哲学的の見地からも支持し難いものである。ここではただこの問題に関するスピノザとハーバート・スペンサーの意義明瞭な表出を挙げるだけで十分であると思う。すなわち、スピノザはその著倫理学(Ethik)の第三篇の緒言の中でこう言っている。『すべての出来事並びにすべての物の形の変転を支配する自然界の法則と規則は常にかつ至る所同一である。』スペンサーはその生物学原理(Principles of Biology 第一巻三三六及び三四四頁)において次のように言っている。『恐らく多くの人々は虚無からある新しい有機物が創造されると信じているであろう。もしそういうことがあるとすれば、それは物質の創造を仮定することで、これは全く考え難いことである。この仮定は結局虚無とある実在物との間にある関係が考えられるということを前提するもので、関係を考えようというその二つの部分の一方が欠如しているのである。こういう関係は全く無意味である。エネルギーの創造ということも物質の創造と同様にまた全く考え難いことである。』また『生物が創造されたという信仰は最も暗黒な時代の人類の間に成立った考えである。』もっともこの終りの判断は幾分修正を要するかも知れない。なぜかと言えば、虚無からの創造が可能であるという考えはかなり進んだ発達の段階において始めて現われたものであるからである。
あらゆる宇宙創造伝説中で最も立派に仕立て上げられているのは、不思議なことに、スカンジナビアの古代の民のそれである。これは奇妙なことと思われるかも知れない。しかしこの北方における我々の祖先が既に石器時代以来、すなわち、数千年間スカンジナビアに住居していたということ、また青銅器時代の遺物の発見されたものから考えても、この時代にスカンジナビアに特別な高級の文化の存在したことが分るということを忘れてはならない。それで疑いもなく彼らもまた古代の文化民族の種々の観念を継承し、かつ独自にそれを敷衍してきたものに相違ない。
古代のカルデア人とエジプト人の場合では、大概の原始民族の場合と同様に、水が最も主要な元素であって、固体の地はこれの対象として造られたものとなっているのであるが、我が北方民族の祖先の場合では、温熱が一番本質的なものであって、これの対象として寒冷が対立させられているのである。ところが温度というものは疑いもなく物理学的の世界で最も重要な役目を務めるものである。従ってこの北国人の宇宙創造説は自然界の真理という点から見て、これまでに述べたすべての説よりも傑出している。この伝説が我々の現今の考えといかに良く適合するかは実に驚くべきほどである。この説の中には東洋起源また古典時代の思想の継承と思われる成分も多数に見出されはするが、しかしこの北方の創造伝説の特徴と見るべきものは自然界の諸特性を異常に理知的に把握していることである。
この伝説を紹介するに当って私は主としてヴィクトル・リュドベルク(Viktor Rydberg)の『祖先の神話』(Göttersage der Väter)によることにする。我々の生息するこの世界は永遠に継続するものではない。これにはある始めがあった。そしてまたある終りがあるであろう。時の朝ぼらけには
砂もなく海もなく
冷たき波もなく
またその上を覆う天もなかりき。
空間(ギンヌンガガップ Ginnungagap)があった。しかしてその北の方の部分に寒冷の泉が生じ、その付近を氷のような霧が包囲していた。――この地方をニーフェルハイム(Nifelheim 霧の世界)と名付けたのはそのためである――。また、この空間には温熱の泉、ウルド(Urd)が生じた。この二つの中間の真ん中に知恵の泉、ミーメス・ブルン(Mimes Brunn)が流れていた。ニーフェルハイムからは霧のような灰色をした寒冷の波が空間に流れ出し、そこでウルドの泉からの温熱の波と出合った。この二つの混合によって基礎物質が生成し、それからこの世界、またそのあとから神々や巨人たちが発生した。ミーメス・ブルンの横たわっている空虚の空間から人間の目には見えぬ世界の樹イュグドラジール(Yggdrasil)がその種子から生長し、その根は延びてこの三つの泉に達していた。
この伝説の偉大な点は、この生物の住家としての世界を温熱と寒冷の泉(太陽と雲霧とに相当する)に影響さるるとしたところにある。生物の生息する世界はこの二つの間に存し、生命はこの二つに依帰する、すなわち、現代の考え方に従えば、熱い太陽からの温熱の供給と、並びに寒冷な雲霧へのそれの流動に依帰するのである。
北方の伝説は、それから先では、一つの死体の肢節から世界が創造されたという普通の考え方に結び付いている。一つの神ウォータン(Wotan これはカルデアのマルドゥクに当る)が巨人イューメル(Ymer すなわち、ティアマートに当る)を殺し、その体躯から天と地を造りまたその血から大洋を造ったというのである。しかし、ここで北国民は一つの独創的な変更を加えている。すなわち、イューメルの五体が生命あるもののよりどころとなり得るためには、その前に一度微塵に粉砕されなければならなかった。その目的のために特別な洞窟仕掛の粉磨水車が造られ、これは寒冷の泉から来る水の力で運転され、その水は一つの溝渠を通って大洋の中へ流れ込むようになっていた。これは明らかに、水の作用によって堅い岩石が磨り削られて土壌と成る、いわゆる風化の現象を詩化して表現したものである。この大きな巨人的水車はまた天の蒼穹とその数々の恒星を回転させるためにも役立ったことになっているのである。
バビロニアの伝説では、体躯が魚で頭と腕と足は人の形を備えた海の怪物オアンネス(Oannes)が海の波から出現し、人間にあらゆる技芸や学術を教えた後に再び海中深く消えたというのであるが、それと同様にこの巨人的磨臼の石の火花から生れた、優しい金髪の若者の貌をした、驚くべく美しい火の神ハイムダル(Heimdall)が、小船に乗って人間界をおとずれ、そうして文明の祝福をもたらしたことになっている。この船で五穀の禾束や、いろいろの道具や、武器などが運ばれてきた。彼はだんだんに成人して人間の首長となり、発火錐で作った火を彼らに授け、また種々のルーネン(Runen)や芸術を教えた。農業、牧畜、鍛冶その他の手工、パン製造、それから建築術や狩猟やまた防御の術を授けた。彼は結婚の制を定め、国家の基礎を置き、また宗教を創設した。多年の賢明な治世の後にハイムダルがある冬の日に永遠の眠りについたときに、始めに彼を人間界に載せてきた小船が海岸で見出された。彼の恩を忘れぬ人間たちは、霜の花で飾られたこの小船にハイムダルの亡骸を収め、それに様々な高貴な鉄工品や金銀細工を満載した。小船は、始めに来たときと同じように、目に見えぬ橈の力で矢のように大海に乗り出して遠く水平線の彼方に消え失せた。そこでハイムダルは神々の宮居に迎えられ、そうして輝くような神の若者の姿に復活した。その後、彼の息子のスコェルド・ボルゲル(Sköld-Borger)が彼に次いで人間の首長となったのである。
スコェルド・ボルゲルの治世の間に世界は著しく悪くなってきた、そしてその末期に近いころに、光の神バルデル(Balder)の死に際会した。そのために恐ろしいフィムブルの冬(Fimbul-Winter)が襲来して、氷河と氷原がそれまでは人の住んでいた土地を覆い、氷を免れた部分では収穫はだんだんに乏しくなった。飢餓は人間を支配し彼らを駆って最も恐ろしい罪業に陥れた。『暴風時代』『斧と刀の時代』(Sturm-Zeit, Axt-und Messer-Zeit)という名で呼ばれる時代がこのときから始まった。北国人は剣戟を手にして彼らの近親民族をその住居から放逐したためにこれら民族はやむを得ず次第に南下して新しい住みかを求めなければならなかった。それからある時期の後に始めてこのフィムブルの冬が過ぎ去って氷雪が消え失せたというのである。
誰でも気の付く通り、この伝説は著しい気候の悪化、その結果として氷河が陸地を覆い、民族の移動の起ったことを最も如実に表現している。それで、北国人らが、いつかはまたもう一度フィムブルの冬が襲来して、彼らがラグナロク(Ragnarok)と名づけるところの没落期となるであろうと信じていたのは怪しむに足りない。この時代が近よると無秩序の不安な状態が再び立帰ってくるであろう。氷雪の国から巨人らが現われて神々の宮殿に攻め寄せ、人間は寒冷と飢餓と疫病と争闘のために死んでゆくであろう。太陽はそのときでもやはり同じ弧状の軌道を天上に描きはするが、その光輝は次第に薄らぐであろう。いよいよ巨人軍と神々との戦闘が始まると双方に夥しい戦没者ができる。そうしてかの火の神ハイムダルも瀕死の重傷を受けるであろう。すると太陽もまた光を失い、天の穹窿は割れ、地底の火を封じていた山嶽は破れ、火焔はこの戦場を包囲するであろう。この世界的大火災の跡から、新しく、より善く、麗しい緑で覆われた地が出現するであろう。ただミーメの泉の傍のホッドミンネの神苑(Hoddminnes Hain)だけがこの世界的の火災を免れるので、そこに隠れていた若干の神々と、人間の一対ライフトラーゼルとリーフ(Leiftraser und Lif)とだけが救われるであろう。この二人がこの地上に帰ってくる。地は労耕せずして豊富な収穫を生ずるので、何の苦労もない幸福な新時代が始まるであろう。
あるいは古代ギリシア、ローマ並びにキリスト教関係の説話からの影響を受けたかと思われるこの注意すべき伝説は、太陽が徐々に消え、そのために地球上の生物が減少するという近代の観念と全く一致している。太陽(神々)は寒冷の世界(巨人)すなわち、宇宙星雲及びその中に包有せらるる数多の消えた太陽と衝突するであろう。その衝突の際に地殻内に封じられた火焔が噴出しそのために地上は荒廃に帰する。しかしある時期の後にはまた新しい地が形成され、そして生命(神々)は宇宙空間にある不死の霊木イュグドラジール(Yggdrasil)から再び地上に広がるであろう。
この驚くべく美しい、しかもまた真実なエッダ(Edda)の世界伝説は、他の自然民族間に伝わったあらゆる同種類の伝説に比べてはるかに優れたものである。この美しいハイムダル伝説が暗示するように、最初の文明、並びにこれと一緒に、世界創造伝説の原始的要素が、外国、多分東洋から海を越えて渡来したものであることには疑いない。しかしいかなる創造伝説でも自然に対する見方の忠実さという点においてこの北方民族のそれに匹敵するものは一つもないであろう。
以上私は、自然現象の経過に関する知識を得るために直接観察の方法を講じるというようなことは何もしなかったような、そういう時代における自然の見方がいかなるものであったかを述べたつもりである。こういう時代には自然科学はおのずから神話の衣裳を着ている。もっと程度が高くなればそれは褶襞の多い哲学の外套を着ているのである。しかしひとたび人間が観察と経験の収集を始めるようになってくると事情は全く変ってくる。そうなるとたくさんの事実与件の、手の付けられぬ、一目に見渡せないような集団を簡単に把握し表現し得るような一般法則を求めるようになってくる。換言すれば、経験を有用ならしめるためには、理論家の、ものを系統化する作業の必要が痛切に感ぜられてくる。それでまず、最初の、多分余り正確でない法則が見付かったとすると、それによって試しに事柄の経過を予報してみる。そうしてその予言が正しいかどうかを検査するというようなことを始めることができる。そういうことをしているうちにそれら既定の法則、従って自然に対する認識がだんだんに改良されてゆくのである。
人間にとって特別に重要であるために最も周到な観察の目的物となるものはまず第一に時間の知識であった。そこから多分各種天体の本性に関する観念が生れ、これらを手近な地上の物体のそれと分りやすく比較するようになったものと思われる。このようにして次第に最も簡単な天文、物理及び化学的の概念が形成されたのである。こういう時代になると以前の時代におけるとは反対に、多様な考え方の中で最も秀でた代表的のもののみが挙げられ、そうしてこれら概念の発達を歴史的に通覧することができるようになってくるのである。
以下に述べる宇宙の見方は、これまで述べてきた神話時代に属するものと反対に、いずれも歴史時代に属するものである。
Ⅳ 最古の天文観測
開化程度の最も低い人間にとっては暦などというものの必要がなく、従ってまた時の尺度を自然界に求めようとする機縁にも接しないのである。最古の人間は疑いもなく狩猟と漁労によって生活していたであろう。ただ飢餓に迫られ、しかも狩猟の獲物の欠乏のために他の栄養物を求めるような場合に至って、そこで初めて草木の実や、食用に適する根の類をも珍重することを覚えたのであろう。もっともこれらはただ応急のものであって、多分主として婦人たちがそれで間に合わせなければならなかったかも知れない。男子らはその仕留めた野獣や魚の過剰なものよりしか婦人たちには与えなかったろうと思われるからである。それでこれら民族は野獣の放浪するに従って放浪しなければならなかった。そうして、ただ差し当ったその日その日の要求ということだけしか考えなかったのである。その後に人間がもう少し常住一様な栄養品の供給を確保するために、なかんずく必要な野獣を飼い馴らすことを覚えるようになっても、事情はまだ大して変らなかった。ところがこの獣類を飼養するには、季節に応じて変ってゆく牧場を絶えず新たに求める必要があるので、こういう遊牧民の居所は彼らの家畜によって定まることになっていった。決してその逆ではなかったのである。
しかし人口が増殖してきたために、気紛れでなしに本式に土地の耕作をする必要が起るとともに、事情は全くちがってきた。すなわち、固定した住居をもつ必要を生じ、また本来の目的とする収穫を得るための準備として一定の季節にいろいろな野良仕事をしなければならなくなった。しかるに季節の循環は地球に対する太陽の位置の変化によるのであるから、この変化を詳しく知ることが望ましくなってきた。そのうちに間もなく、季節によっていろいろな星の出没の時刻の違うことに気が付き、しかしてこれを正確に観察する方がずっと容易であることを知った。すでに古い昔から、新月と満月との規則正しい交代が、二九・五三日という短い周期で起るので、これが短い期間の時の決定に特に好都合なものとして人間の注意をひいたに相違ない。この周期に基づいて一月の長さを定め、端数を切り上げて三〇日とした。更にこの一ヶ月を各々一〇日ずつの三つの期間に区分した。一年の長さはほぼ一二ヶ月に当るので、最初はこれを三六〇日と定めたのであった。
最古の文明は、時の決定、すなわち、暦と最も密接な関係をもっている。この決定は非常に規則正しく復帰する各種の周期的現象に基づくものである。既に述べた通り、中でも太陰の光度の交互変化は自然民にとっては最も目に付きやすいものであった。それは比較的短い期間に同一の現象が立帰ってくるために特にそうであったのである。アリアン系の言語では、計量(Mass)、測定する(messen)及び太陰(Mond)の観念を表わす言葉は同一の語根からできている。梵語で太陰をマース(Mâs)というが、これは計量者、計量器(der Messer)の意でラテンの月(mensis)及び計量器(mensura)と関係している。我々の国語でのこの言葉もやはり古くここから導かれてきたものである。すなわち、太陰はその規則正しくかつ観察に恰好な光度の輪回のために最初の測定術の出発点を与えた。一方また太陰は昔バビロニア人の間では神々の中での首長と見なされていたものである。ある古い楔形文字で記された古文書に、こんなことがある。
おお、シン(月神)の神よ、汝のみひとり高きよりの光を
汝こそ光を人の世に恵み給わめ、
………………………………………
汝が光は、汝の初めの御子なるシャマシュ(太陽)の輝きのごとく麗わしく、
汝が御前には神々も塵の中に横たわる。
おお汝よ、おお運命の支配者よ。
このシン(Sin)というのは月の神で、シャマシュ(Shamash)は太陽神である。紀元前二〇〇〇年ころに至って、初めて、以前にあの木星の支配者であったところの、バビロンでは特別に大事な神様マルドゥクが、シンやシャマシュに取って代わり、自ら太陽神として何よりも崇ばれるようになったのである。
もう少し長い周期が望ましくなってくるので、何かしら太陰周期すなわち、太陰の一ヶ月と関係の付けられるものを求めるようになった。そこで一ヶ年、すなわち、太陽の輪回を、近似的に一二ヶ月に等しいと定めた。古代メキシコ人の間に行われた、トナラマトル(Tonalamatl)と名づける二六〇日の珍しい周期はほとんど太陰月の九ヶ月(すなわち、二六五・七日)に等しい。これは多分二〇で割り切れるために二六〇日としたものであるらしい。
太陰が暦の決定に役に立つということが分ると同時に、これと同じ目的に役に立つような他の天体を求めるようになったのは当然のことである。この目的には金星は特に全くあつらえ向きにできていた。この星の光は強くて、暗夜には物の陰影を投げるほどであり、またその一周の周期はかなり短くてわずかに五八四日(すなわち、一・六年)である。文化の進歩するにつれて、数年という長さの期間で年代を数えるようになったころには、太陽の輪回八回が金星の周期の五倍にほとんど等しいという事実が非常に便利に感ぜられた。またメキシコ人はこれよりもずっと長い、一〇四太陽年という周期を設定した。これは一四六トナラマトル、あるいは金星周期の六五倍に当るのである。
上記三つの計測術の支配者とも言うべき天体は、いわゆる旧世界でも新世界でも、最古の文化民族の間で神々の中の首長として尊崇せられていた。バビロニア人はシン、シャマシュ及びイシュタール(Ishtar 金星に当るアスタルテ Astarte)の三神を仰いでいた。アラビア人は太陰(ワッド Wadd ホバル Hobal またはハウバス Haubas)を父として、太陽(シャムシュ Shamsh)を母、また金星(アッタール Atthar)をその子として礼拝した。アッシリアの諸王はその尊貴の表象として掛けていた首輪から三つの護符を胸に垂らしていたが、その一つは月の鎌の形をしており、第二のものは輻を具備した車輪か、あるいは十字(太陽の象徴)の形をしており、また第三のものは一つの輪で囲まれた星の形(金星の象徴)をしていた。
最古の文化民族の宗教は確かに、暦日の予算という、すなわち、最古の科学というべきものを神聖視し尊崇したところから発達したものと思われる。このようにして星の学問が始まって以来、次第に他の遊星も観察されまた神々の数に加えられるようになった。そしてこれら遊星の天上の位置を定めるために星辰を幾つかの星座に区分するようになった。その分け方となると、もはやバビロニア人の区分法とメキシコ人のそれとが全く一致するはずのないことは言うまでもない。
カルデア人が最古の規則正しい天文観察を行ったのは耶蘇紀元前四〇〇〇年ないし五〇〇〇年前に遡るものと推測される。ローマ人やギリシア人の考えではこれが数十万年の昔にあったとさえされている。すなわち、かの大天文学者ヒッパルコス(Hipparchos)は二七万年、キケロ(Cicero)は四七万年という、もちろん甚だ荒唐なる推定をしているのである。
カリステネス(Kallistheness)はアリストテレスのために、紀元前二三〇〇年に亘るこの種の観測資料を収集した。カルデアの僧侶たちは毎夜の星辰の位置とその光輝の強弱を粘土版に記銘し、またこれらの星の出没並びに最も高くなるときの時刻をも合わせ記録した。いわゆる恒星は規則正しい運動をするから、その将来の位置を完全に正確に予言することができた。また太陽が一年の間に黄道に沿うて運行する時々の位置もまた特に規則正しく、すなわち、毎日約一度ずつ前進する。カルデア人が円周を三六〇度に分けたのは畢竟ここから起ったことである。その後になって、太陽は冬(近日期)は夏よりも早く動くということに気が付いたので、この不規則を勘定に入れるために、太陽は冬期は毎日一・〇一五九度。夏期はこれに反して毎日〇・九五二四度ずつの円弧を描いて進行するものであると仮定した。最も著名なバビロニアの星の研究者キディンヌ(Kidinnu)は紀元前第二世紀の初めごろの人であるが、彼は太陽の速度が月毎に変るという仮定をしてこの算暦法に重要な改良を加えた。彼は重要な観測を非常にたくさんに行った。彼がこの観測に基づいて作った太陰の運行に関する表は特別に正確なものである。
諸遊星の運行を予報する立派な暦表ができていて、その中のあるものは今日まで保存されている。たとえば紀元前五二三年の分がそうである。この暦を作るために使われた長い周期は、太陽とある遊星とが地球並びに相互に対して全く同じ位置に復帰するまでの期間である。たとえば八太陽年は金星の五周行に当る、従ってこの金星と太陽とに関する長周期は八年の長さをもっている。木星に関する同様の周期は八三太陽年である。それでこのような周期の間における当該遊星の位置を一度詳細に記しておけば、次の周期の間のその星の位置を完全に予報することができた。もっとも周期の長さが全く精密でないために少しの食違いがあるが、これは精細な観測に基づいた補正を加えることになっていたのである。
これらの周期中に最も重要なるものは太陰の運行に関するもので、これはメトンの周期(Metonische Periode)と名付けられていた。太陰が地球の周りを二三五回運行する期間が六九三九・六日に当り、これを一九年と比べるとその差は一日の一〇分一程度である。すなわち一九年経過すれば太陽と太陰との地球に対する位置はほとんど初めの状態に帰ってくる。それで一度月食があったとすれば、それから一九年後にまた同じ現象を期待することができる。この周期がバビロニア人の間に良く知られていたということは、クーグラー(Kugler)が紀元前四世紀の初めにおけるバビロニア時代の天文学上の計算によって確証した。この時代は、同じ周期がメトン(Meton 紀元前四三二年)によってギリシアに紹介されてから約五〇年後に当る。当時ギリシアとバビロンの間には、主にフェニシアを通じて、交通があるにはあったが、恐らくこの周期は両国で独立に見出されたものであろうと思われる。ミレトスのタレース(Thales von Milet)がバビロンの天文学の知識を得たのはやはりフェニシアを経てのものであったらしい。後年アレキサンドリアでギリシア人がバビロニアの科学を学んだのも同様であった。
日食についても同様であるが、この場合の予報はそれほど容易く確実にはできない。食の現象、特に日食はただに人間のみならずあらゆる生物に異常な深い印象を与えるものであるから、もし天文に通じた僧侶があって、この自然現象を正確に予言することができたとしたら、その人に対する一般の尊崇の念は甚だしく高まったに相違ない。日食が地球と太陽との中間における太陰の位置によるものであるということはよほどの昔から既に天文学者には明らかに分っていたはずである。このことを認めれば次にはまた、月食の起るのは太陰が地球の陰影の中に進入するためであるということに気が付く順序になるはずである。しかるに月面に投じた影の輪郭が円形であるから、従って地球は円いものであるという結論をしたに相違ない。ところが地球のどちら側が月に面していても月面における影は円形であるということから、更に進んで、地球は円板のようなものではなくて球形のものであるという結論を得たであろう。これらの観察の結果として、地球の形並びに地球が天体として太陽太陰に対する近親関係についても正しい観念を作り上げる端緒を得たわけである。カルデア人が地球大円周の長さの測定を行ったらしいと思われることがある。紀元前五世紀の人でアレキサンドリア出のギリシアの著者アキレス・タティオス(Achilles Tatios)の記したところによると、カルデア人はこういうことを主張していた。それは、もし少しも休むことなしに毎時間三〇スタディア(すなわち、約五キロメートル)の速度で歩きつづけることのできる人があったとしたら、一年で地球を一回りすることができるというのである。この見積りに従えば、地球の大円周の長さは四三八〇〇キロメートルになるが、これは実にほとんど正しいのである。
カルデア人の宇宙の構造に関する観念はこれ以上には進まなかったらしい。遊星の運動は実際ある点までは確かに規則正しいのであるが、しかしそれらの位置に関する一定の法則を設定することはできなかった。それでこれらの星は多分自由意志をもっており、その出現は人間の企図や出産、死亡またそれに次いで起る相続問題などに際して幸運あるいは不幸の兆を示すものと信じられていた。こういう吉凶の前兆は必ず事実となって現われるもので避けることは不可能であるが、しかし呪法や祈願や犠牲を捧げることによって幾分かその効果を柔らげ、ともかくも一寸延ばしにすることはできると考えられた。こういう方法を知っているものは天文に通じた僧侶だけであったので、彼らは王侯や人民に対して無上の権力を得るようになった。この信仰は実に今から数世紀前までも迷信的な人類を支配し、そのためにこれら輪廻現象の本然の解説の探求、従ってほとんどあらゆる科学的の研究を妨げたのである。
カルデア人が、もっと短い時間を測るに用いたものはクレプシュドラ(Clepsydra)と名付ける水時計と、それからポロス(Polos)と名づける日時計である。後者は一本の垂直な棒の下へその棒と同長の半径を有する凹半球に度盛をした盤を置いたものである。水時計は水かあるいは他の液体が大きな容器から一つの小さな穴を通じて流出するようになっており、その流出した液量を測って経過時間を測定するのであった。ポロスは南北の方位を定め、また冬期夏期における太陽の高度や世界の回転軸の位置を定め、また正午における陰影の長さから春分秋分の季節を定めるために使われた。メソポタミアの都市の廃墟で水晶のレンズが発見されたことから考えると、当時の学者は光学に関する知識もかなりにもっていたことが分かる。しかし外の学問の方面までも余り進んでいたわけではないらしい。
エジプトの伝説ではトート(Thot)の神が人間に天文、占筮と魔術、医療、文字、画法を教えたことになっている。太陽や遊星が十二宮の獣帯に各一〇日ずつに配された三六の星宿の間を縫うて運行する経路が図表中に記入され、そういうものが最も古い時代から太陽神ラー(Ra)の神殿に仕える僧侶たちによって集積された。後にはまた他の神々の神殿にも天文学者等が仕えるようになり、彼らは『夜の番人』として天界の現象を精確に観察しそれを記録する役目を務めた。彼らはちゃんとした星界図さえ作っていたので、それが彼らの図表と同様に一部分現在保存されている。エジプトでも暦法の基礎としてやはり一年は一二月、一ヶ月は三〇日より成るとしてある。歳の初めは今の八月に当る。一年を三六五日にするために歳の終りへもってきて『五日の剰余日』を置いた。太陽の一周行の期間は三六五日より五時間四分の三だけ長いから、だんだんと食違いができるので、時々、天体、特に『狼星』シリウスの観測によって修正を行っていた。
以上述べたことから考えてみると、エジプトの暦年はある点で我々現在のよりも優れていた。すなわち、毎月一様に三〇日という長さであったのに反して、我々の暦では二八日ないし三一日といういろいろな月の不合理な混乱が支配している。よく知られている通り、元来二月は三〇日であったのが、そのうちの一日を取り去り、それを、ジュリアス・シーザーの名誉のために七月(Juli)へ持って行ったのである。そこでオーガスタス大帝も負けてはならぬとばかり、二月から更にもう一日を引抜いて八月(August)へ持ってきた。後代のものの眼から見るとこの仕方は彼らのせっかくの目的とは反対の効果を招くことになってしまったのである。
太陽の周期が正しく三六五日でないために生ずる困難は時が進むに従って加わる。これを避けるために、エジプトでは、初めのうちは、折々に暦をずらせ狂わせて間に合わせていた。そうしてナイル河の氾濫期がちょうど歳の初めにくるように合わせたのである。しかしこの方法はかなり出任せであるので、プトレミー(Ptolemy)朝に至って閏年(四年目毎に三六六日の年)というものを定めた。この暦法の改正がローマでは少し後れて、ジュリアス・シーザーの命令で行われた。これにはギリシア-エジプト派の天文学者、ソシゲネス(Sosigenes)が参与したのである。それでこの改正暦のことをジュリアン暦と名づける。しかしこの暦も永い間には不完全なことが分ってくるので、紀元一五八二年に法王グレゴリー一三世の命令で更に新しい暦が設定された。この暦の誤差は三千年経ってわずかに一日となるだけである。
エジプトでは天文学者は非常な尊崇を受けていた。彼らは天文学の方ではカルデア人を凌駕するほどではなかったであろうが、彼らの知識はそれだけではなかった。その上に医術や化学を知っていてこれらの科学でははるかにカルデア人よりも進んでいたらしい。アジアの王侯たとえばバクタン(Bakhtan)王のごとき人々すら、わざわざエジプトの医師の処方を求めによこしたくらいである。後代にはまたペルシアの諸王も彼らの医学上の知識の助けを求めた。ホーマーはエジプトの医師を当代の最も熟達したものとして賞讃している。彼らの処方は今日でもかなりたくさんに残っている。彼らの医薬の処方や健康回復法の心得書のあるものはラテン語の詩句中にそのままの言語で出ており、これは中世における最高の医学専門学校であったサレルノ(Salerno)の大学で教授されたものである。そういうわけで部分的には民衆医術の中にも伝わり今日まで保存されてきたのである。彼らの用いた薬剤は、現今でも支那の薬屋で売っているような無気味な調剤とかなりよく似た品物であったらしい。
しかしあらゆるエジプトの学問のうちでも一番珍重されたのは占筮術と魔術であった。エジプトの学者たちは、ある一定の方式の呪文を唱えると河の水をその源へ逆流させ、太陽の運行を止めたりまた早めたり、またまじないを施した蝋製の人間や動物の姿を生かし動かすことができたとされている。彼らは宮廷に出入し、往々『天の秘密の司官』という官名で奉職していた。彼らの位階は近衛兵の司令官や枢密顧問官(『王室の秘密の司官』)と同様であった。そしてこれらの高官と同様に、階級の低い役人等とは反対に、王宮の中でサンダルを履いたまま歩くことを許され、またファラオの足でなくて膝に接吻してもいいという光栄を享楽していた。そしてこの大きな栄誉を担う人々の徽章として豹の毛皮(今ならヘルメリンの毛皮に当る)をまとうことを許されていたのである。
これらの学者たちには、およそ大概のことでできないということはないと、民衆が信じていたという証拠としてマスペロ(Maspéro)に従って次の物語をしよう。ケオプス王(Cheops)が彼らの一人に『お前は切り取った首を再び胴体につなぐことができるという話だが、それは本当か』と聞いた。その通りだと答えたので、ファラオは、その実験をさせるために牢屋から一人の囚人を連れてくるように命じた。すると、この宮廷占星官は、こういう実験に人間を使うのは惜しいことである、これには動物一匹あればたくさんである、という、甚だ人間味のある返答をした。そこで鵝鳥を一羽連れてきて、その首を切り放して室の一方に、その胴体を他方の側に置いた。占星官はかねて魔術書で学んでいた二三の呪文を唱えた。すると鵝鳥の胴体は首のある方へと飛び飛びをしながら動き始める、首の方でもまた胴の方へ動いてゆき、結局両方が一緒にくっついて、しかしてこの鵝鳥がガアガアと鳴き立てた。もちろん、たいていの伝説で御定まりのように、こういうことは三遍行われなければならないので、次には一羽のペリカン次には一頭の牡牛でこの術を行い、完全に成功してみせたというのである。王子たちのみならずファラオ自身も時々この宮中占星官から科学や魔術の教授を受けたという話である。
エジプト人は地中海から紅海へかけてかなり手広く航海を営んでいた。それには彼らの星学の知識が航路を定める役に立った。ホーマーがオディセイのカリュプソ(Kalypso)の島からコルフ(Korfu)への渡航を歌っているが、全くあの通りであった。疑いもなく当時は、ことにまだ十分な経験を得なかったころは、なるべく沿岸航路に限るようにしていたではあろうが、しかし時には嵐のために船が沖合へ流されるようなこともあったであろう。そういうときに航海者等は、陸地に近づくに従って海岸が次第に波の彼方から持上ってくるということや、また甲板で見るよりも帆柱の上で見た方が早く陸が見え初めるということを観察したに相違ない。同様にまた陸から見ている人には初めに船体の低い部分が海に隠れ最後に帆柱の先端が隠れることを知ったであろう。これらの事実から船乗りやまた海岸の住民らが、海面は中高に盛り上っており、多分球形をしているであろうという考えを抱くようになったのは明白である。
エジプト人がケオプスの大金字塔(紀元前約三〇〇〇年)を建築したとき、その設計のために、彼らの中でも最も優れた大知識にのみ知られていた科学的経験の一部を役立ててその跡を止めたという、スコットランドの星学者ピアッチ・スミス(Piazzi Smyth)の説は多くの自然科学者も同意したところである。この金字塔は、他の同種の建築物と同様に、その精密に正方形をした底面の辺が正しく東西にまた南北に向かうような位置に置かれていて、その誤差はわずかに七五〇分の一にすぎない。この金字塔は、緯度三〇度に甚だ近く、ただ二キロメートルだけ南に外れている。その北側の真ん中に入口があって、そこから長い、狭い、水平線に対して三〇度傾斜した通路に入る。従ってこの通路はほとんど地球の回転軸と並行していることになる。すなわち、この通路の長さの方向はちょうど天の極に向かう。しかも極は、大気による光線の屈折のためにわずかばかり実際よりも地平線に対して浮上って見えるから、なおさらちょうどよく極を指すことになるのである。それで、エジプト人が耶蘇紀元前ほとんど三〇〇〇年前に既にかなり進んだ数学並びに星学上の知識をもっていたということは、この通路の位置から見てもまた金字塔の辺の南北方位の正確さから考えても、疑いもないことである。しかしピアッチ・スミスとその賛成者たちの考えにはこの点について甚だしい誇張があるようである。この大金字塔の当初の高さは一四五メートル、またその四辺の周縁の全長が九三一メートルであった。この二つの数量の比は一対六・四二で、すなわち、円の半径と円周との長さの比、一対六・二八よりも約二パーセント強だけ小さい。このことからして、スミスは、金字塔の高さと周囲との比をもって円の半径と円周との比を表わそうとしたものであるということを、十分な根拠らしいものなしに結論している。ヤロリメク(Jarolimek)の調べたところによると、ケオプス金字塔の建築者は、その造営に当っていわゆる黄金截(〇・六一八)の比例を使ったらしいが、それにはともかくも一通りならぬ幾何学の知識がなくてはならないはずである。
我々が人間文化の最古の表象の跡を尋ねるような場合には、いつも、自然に支那の方に注目することになるのであるが、しかしかの国の思索家らは宇宙創造の問題に関しては割合に少ししか手を着けていない。孔夫子は紀元前五五一―四七八年の人であるが、彼自身に、自分はただ古い知識を集めただけだと断っている。彼は全く道徳問題だけを取扱って宇宙成立の問題というような非実用的な事柄に係わることは故意に避けたのである。紀元前六〇四年に生れて孔子と同時代であり道教の始祖となった老子の方にはいくらかの材料が見付かる。一体『道』とは何であるかということは余り簡単に説明ができない。近ごろ古代支那哲学の通覧を著わした鈴木の説に従えば『道は宇宙に形を与える原理であると同時に、また「天と地の未生以前に存在した渾沌たる組成のある物」、すなわち原始物質を意味するもののようである。』(この「 」の文句は老子の道徳教の第二五章の引用である。)『道』は『道路』の義であるが、しかし単に道路だけでなくまた『さまよう者』を意味する。道はあらゆる生あるものと生なきものの放浪すべき無窮の道路である。これは何ら他の物から成立ったのではなくそれ自身に永遠の物である。それはすべてであるが、しかしまた虚無でもある。それは天地万有の原因であり始源である。老子自身の言葉によれば『道は深く不可思議で、万有の始源である。道は静かに明らかで永遠に輝く一つの観念である。道は何者の子として生れたものか、私は知らない。彼は神(Ti)よりも以前からあったように見える。』『天地は不朽である。それは自分自身を作り出したものでもなく、また自身のために存在するものでもないからである。』道はまたしばしば玄妙中のまた玄妙なるものと名付けられる。この天地が不朽だとするその理由がまたよほど特別なものである。道は自分自体から生ぜられたものでないという命題を与えて、それからまずこれは絶滅することのできないものであるという結論を引き出すことができるというのである。
紀元前五世紀の道教学者列子は『始めに、一つの組織のない団塊、すなわち、渾沌があった。これは、後に形態、精神及び物質に進化し得る可能性を備えた混合物であった』と書いている。この哲学者は自分自身について次のような話をしている。『杞の国にある男があった。彼は天と地が崩壊するかも知れない、しかしてそれがために自分が破滅するかも知れないということを心配して寝食を廃するに至った。一人の友人がやってきて、こう言って彼を慰めた。「天地はただ一種の霊気の凝結したものにすぎない。しかして日月星辰はただこの霊気の中に輝く団塊である。これらが地上に墜ちたところで大した損害はないであろう。」こういって二人とも安心していた。ところが、この考えに対して長廬子という男が反対説を出した。その説によると、天地は実際にいつか一度は粉微塵に砕けなければならないというのである。この話を聞いたときに列子は大いに笑ってこう言った。天地が砕けるというのも、砕けないというのも、いずれも大きな間違いである。我々はそれを判断すべき手段を一切持っていない。……世界が破壊しようがしまいが、それは何も自分に関係したことではない。』鈴木が言っているように『支那人はギリシア人やインド人のように空想的な性質ではない。彼らは決して物事を実用的道徳的に見ることを忘れない。彼らは、危なっかしい足元がやはり地上に縛られている癖に星の世界ばかり覗きたがるこれらの人を笑うであろう。』要するに支那人の万有に対する見方は古代ローマ人のと同じである。そうして孔子の教えの中にこの特徴が結晶しているのである。
こういう哲学的な霧中のまぼろしはこのくらいに切り上げてもいいと思う。これらは畢竟、前提なしの抽象的思索で宇宙の謎を解こうとしてもそれは不可能だということを示すだけである。
支那でも寺院に職を奉ずる天文学者らがいて、星の運行を追跡して日月食を予報する役目を司っていた。吾人の知る限りでは彼らの天文学は余り大して科学的に進んだものではなかったらしい。多分カルデア人が西洋の知識と接触する以前とほぼ同程度のものであったかと思われる。
Ⅴ ギリシアの哲学者と中世におけるその後継者
エジプト、バビロニアのみならず一体に西方諸国の科学がついに民衆の共有物とならずにしまったのは非常な損失であった。もしこれがそうなっていたとしたら、これら国民の文化は疑いもなく今日我々が賛歎しているあの程度よりも一層高い程度に発達したであろうし、また我々の今日の文化もまたそれによって現在よりももっと優れたものになったかも知れない。
紀元前四〇〇年から六〇〇年に亘る、最古のギリシア文化の盛期における最も古い文化圏はエジプトであった。しかして、当代における最高の知識を修めようと思う若いギリシア人、タレース、ピタゴラス(Pythagoras)、デモクリトス(Demokrit)、ヘロドトス(Herodot)のごとき人々は皆このナイル河畔の古き国土をたずね、その知恵の泉を汲んで彼らの知識に対する渇きをいやそうとした。そうして古代における科学の最盛期というべきものはアレキサンドリアのプトレミー朝時代に当って見られる。ここでギリシア文化がこの古典的地盤の上でエジプト文化と融合されたのであった。
紀元前六四〇―五五〇年の人、ミレトスのタレースがあるとき日食を予言して世人の耳目を驚かしたという話が伝えられている。疑いもなく彼はこの日月食を算定するバビロニア人の技術をフェニシア人から学んだであろう。また彼がエジプト人から当代科学の諸学説を学んだという説もある。実際、万物の始源は水なりとする彼の学説は、世界の原始状態に関するエジプト人の観念に縁を引いているようである。このタレースの弟子であったと思われるアナキシマンドロス(Anaximandros 紀元前六一一―五四七年)は、各種元素より成る無限に広大な一団の渾沌たる混合物から無数の天体が生ぜられたと説いている。もう一人の哲学者アナキシメネス(Anaximenes 紀元前五〇〇年ころ)は、これもタレースと同じくいわゆるイオニア学派の人であるが、空気を始源元素であると考えた。彼はこの空気が密集して大地となったと考え、この大地は盤状のものであって、圧縮された空気の塊の上に安置されていると考えた。太陽も太陰も星もまた同様な形状をしたものであって、しかしてこれらが地の周囲を回っているとした。このアナキシメネスの説にはエジプト派の痕跡が全くない。
ピタゴラスは紀元前六世紀の後半(五六〇―四九〇年)の人でいわゆるピタゴラス学派の元祖であるが、この人となるとまたエジプトの学風の余弊がかなりに強くひびいているようである。彼はサモス(Samos)島に生れたが後に南イタリアのクロトン(Kroton)に移った。彼もエジプトの学者たちと同様に、自分の知識をただ弟子の間だけに秘伝するつもりであったが、弟子の方ではもっと西洋流の気分があったのでこれらの秘密をかまわず周囲に漏らし伝えた。これらの自然科学者の諸説(多くはフィロラオス Philolaos の説として伝えられたもの)については遺憾ながら原著は伝わらず、ただ二度あるいは三度他人の手を経たものしか知ることができない。これらの所伝によると、宇宙におけるあらゆるものの関係は数によって表わすことができる。そうしてそれには調和と名付ける一定の厳密な法則が存在している。この規則正しい関係があたかも種々な楽音の高さの間の関係と同様であるから、こう名付けたのである。宇宙はすべての方向に一様に広がっている。すなわち、一つの球である。その真ん中に中心の火があるが、我々はこれと反対側の地上にいるために火を見ることはできない。しかしその反映を太陽に見ることができる。この中心火の周囲を地球、太陰、太陽及び諸遊星が運行している。これらのものも地球と同じようなものでやはり雰囲気をもっているものと考えられるようになった。地球は円いもので、中心火のまわりを一日に一周する――すなわちどういう風にかとにかく自身の軸のまわりに二四時間に一回転する。同様に太陰は一ヶ月にその軌道を、太陽は一年の間にその軌道を一周するのである。これらの三つの天体の周期はかなり精密に知られていた。もしピタゴラス派の人々が、この中心火の代りに太陽を置き換えさえしたら、太陽系というもののかなり正しい概念が得られたに相違ない。恒星をちりばめた天球はどうかというと、これもまた巨大な中空の球であって同じ中心火のまわりを回っているものと考えられた。その上にまた地球が一日に自分の軸で一回転すると思ったのであるから最初の仮定は単に無駄であるばかりでなく、かえって全く矛盾することになるのである。
ピタゴラス派の学説は次第に進歩するとともにその明瞭の度を増した。現象の物理的原因にだんだん立ち入るようになった。エフェソス(Ephesos)のヘラクリトス(Heraklit 紀元前約五〇〇年)は何物も完全に不変ではないと説いた。シシリア人エムペドクレス(Empedokles 紀元前約四五〇年)は、何物でも虚無から実際に生成されること(すなわち、創造)はあり得ないということ、また物質的なものである以上何物でもそれを滅亡させることは不可能であるという、我々現代の考えと全く相当する定理に到達している。すべての物は土、空気、火及び水の四元素から成立つ。ある物体がなくなるように見えるのは、ただその物の組成(この四元素の混合関係)が変るためにすぎない、というのである。ペリクレス(Perikles)の師であったアナキサゴラス(Anaxagoras)は紀元前約五〇〇年に小アジアで生れ、ペルシア戦争後アテンに移った人であるが、彼は以上の考えを宇宙全体に適用し、すなわち、宇宙の永遠不滅を唱道した。原始の渾沌が次第に一定の形をもつようになった、太陽は巨大な灼熱された鉄塊であり、その他の星もやはり灼熱していた――それはエーテルとの摩擦のためであったというのである。アナキサゴラスはまた太陰にも生物が住んでいるという意見であった。また彼が、地球は諸天体の中で何ら特別に選ばれたる地位を占めるものでないという説の最初の言明をしているのは注意すべきことである。これは後代復興期の天文学者らによって唱えられた考えと非常に接近したものである。
プラトンやアリストテレスを読めば分る通り、アテン人は星を神様だと思っていたのであるから、アナキサゴラスは、彼の弟子クレアンテス(Kleanthes)の申立てによって、神の否認者として告訴され監獄へ投げ込まれ、あのソクラテスと同じ運命に陥るはずであったのをペリクレスの有力な仲介によってようやく免れることができた。そこで彼は用心のために亡命しランプサコス(Lampsakos)の地で一般の尊敬を受けつつ七二歳の寿を保った。アテンにおける最も優秀な人たちが彼らの哲学上の意見に対する刑罰(死罪)を免れるために次々に亡命したという史実を読んでみていると彼の賛歎されたアテンの文化というものがはなはだ妙なものに思われてくるのである。ソクラテスは亡命を恥としたために毒杯を飲み干さなければならなかった。彼の死後プラトンはその師と同じ厄運を免れるために一二年の歳月を異境に過ごさなければならなかった。それで彼の教えはピタゴラス派と同様イタリアで世に知られるようになった。プラトンの弟子のアリストテレスはあるデメーテル僧から神を冒涜したといって告訴され、大官アレオパガスから死刑を宣告されたが、際どくもユーボェア(Euböa)のカルキス(Chalkis)に逃れることを得て、そこに流謫の余生を送り六三歳で死んだ(紀元前三二二年)。神々の存在を否認したディアゴラス(Diagoras)もやはり死刑を宣告された後に亡命し、またかの哲学者プロタゴラス(Protagoras)もその著書は公衆の前で焼かれ、その身は国土から追われた。神々は自然力を人格化したものだと主張したプロディコス(Prodikos)は処刑された。――自由の本場として称えられてきたアテンがこういう有様であったのである。当時のアテン人の間には奴隷使役が広く行われていた。それで今日保存されている古代の文書の大部分も、遺憾ながら、そういう自然研究などには縁の薄い人々の手になったものである。思うに、当時アテンに在住していた哲学者らは、狂信的な多数者の迫害を避けるために、自分の所説に晦渋の衣を覆っていたものらしい。
エムペドクレスとアナキサゴラスの次にデモクリトス(Demokrit)が現われた。彼は後日我々の承継するに至った原子観念の始祖である。アナキサゴラスの生後約四〇年にトラキア(Thrakien)のアブデラ(Abdera)に生れ長寿を保って同地で死んだ。巨額の財産を相続したのを修学のための旅行に使用した。そして、彼自身の言うところによると、同時代の人で彼ほどに広く世界を見、彼ほどにいろいろな風土を体験し、また彼ほどに多くの哲学者に接したものは一人もなかった。幾何学上の作図や証明にかけては誰一人、しかもまた彼が満五ヶ年も師事していたエジプト数学者でさえも匹敵するものがなかった。彼は古代の思索者中での第一人者であったらしいが、しかし数多い彼の著述のうちで今日に伝わっているものはただわずかな断片にすぎない。彼の考えによると、原子は不断に運動をしており、また永遠不滅のものである。原子の結合によって万物が成立し、そうして万象は不変の自然法則によって支配される。また、デモクリトスの説では、太陽の大きさは莫大なものであり、また銀河は太陽と同様な星から成立っている。世界の数は無限であり、それらの世界は徐々に変遷しながら廃滅しまた再生する運命をもっている、というのである。ところが、このデモクリトスに至って他の哲学者からはとうに捨てられていた、大地は平坦で海に囲まれた円板だという考えが再現されているのである。
この哲学者に関して知られている事柄の大部分は、たとえばアリストテレス(紀元前三八五―三二三年)のごとく、彼の学説に反対したアテン派その他の学者らの仲介によるものである。ソクラテスなどは、天文学というものは到底理解ができないものである、こんなことにかかわり合っているのは愚かなことであると言っている。プラトン(紀元前四二八―三四七)はデモクリトスの七二種の著書を焼払いたいという希望を言明している。プラトンの自然科学の取扱い方は目的論的であって、我々の見地から言えば根本的に間違っている。一体彼がこの偉大な自然科学者デモクリトスの説を正当に理解し得たかどうか疑わしいと言われても仕方がない。当時の哲学は我々の目からは到底把握しがたい形而上学となってしまっていた。天が球のごとく丸く、星の軌道が円形であることの原因としてはたとえばアリストテレスはこう言っている。『天は神性を有する物体である。それゆえにこれらの属性をもつべきはずである。』彼はまた、遊星は運動器官をもたないから自分で動くことはできないと言っている。世界の中心点に位する大地が球形であるということは、彼もまた、月食のときに見える地球の影の形から正しく認めてはいたが、しかし地球が動いているという説には反対した。プラトンはまた地球が天界の中で最古の神的存在であると言っている。大先生たちがこういう意見を述べているくらいであるから、その余の人々から期待されることはたいてい想像ができるであろう。自然科学的の内容はなくていたずらに威圧的の言辞を重ねるのが一般の風潮であった。詭弁学者らはすべてのもの、各々のものを、何らの予備知識なしに証明するということを問題としていた。これらの哲学者の書物は中世に伝わり、そうしてほとんど神のごとく尊崇された。アリストテレスの諸説は全く間違のないものと見なされた。そうしてこれが中世における自然界の考え方の上に災の種を植付けた。――たとえばスコラ学派の奇妙な空想を見ただけでも分ることである――そうしてこれが科学的の考察方法に与えた深い影響は実に僅々数十年前までも一般に支配していたのである。
シラクス(Syrakus)とアレキサンドリア(Alexandria)における自然研究は、これから見るとずっと健全に発達していた。キケロ(Cicero)に従えば、シラクスのヒケタス(Hicetas)は、天は静止している、しかし地球が自軸の周りに回転していると主張したそうである。しかしこれ以上のことは伝わっていない。彼の偉大な同郷人アルキメデス(Archimedes 紀元前二八七―二一二年)についても伝わっていることは更に少ない。彼は平衡状態にある液体は球形となり、また一つの重心をもつことちょうど地球も同様であると説いた。この理由によって海面は平面ではないというのである。
地球の形とその宇宙における位置に関してついに明瞭な観念を得るに至ったのはアレキサンドリアの自然科学者の功に帰せられねばならない。クニドス(Knidos)のユウドキソス(Eudoxus 紀元前四〇九―三五六年)は初めエジプトで人に教えていたが、後にアテンで一学派を立てた人である。この人は遊星運動に関する一つのまとまった系統を立てた。エラトステネス(Eratosthenes 紀元前二七五―一九四年)はアレキサンドリアで、夏至と冬至の正午における太陽の高度を測定し、それを基にして南北回帰線間の距離が地球大円周の八三分の一一に当るということを算定した(この値は実際より約一パーセント強だけ大きい)。またアレキサンドリアとエジプトのシェナ(Syene)とで太陽の高度を測定し、両所間の緯度の差が地球周囲の約五〇分の一に等しいことを知った(この値は約一五パーセント小さすぎる)。この二ヶ所の距離を、駱駝を連れた隊商の旅行日数から推定し、それによって地球の円周を二五万スタディア(四二〇〇〇キロメートル)と算定した。これはかなり実際とよく合っている(アリストテレスは四〇万、アルキメデスは三〇万スタディアを得た、とあるが何を根拠にしての算定であるか分っていない)。ポセイドニオス(Poseidonios 紀元前一三五年シリアに生れ、同五一年ローマで死んだ)はアレキサンドリアで恒星カノプス(Canopus)の最大高度を測って七・五度を得た。ロドス(Rhodos)島ではこの星が最も高く上ったときにちょうど地平線上に来る。ところがロドスとアレキサンドリア間の距離はあるいは五〇〇〇あるいは三七五〇スタディアと言われていたので、これから計算して地球の周径は二四万、あるいは一八万スタディア(四万あるいは三万キロメートル)となった。
第七図 エジプトのデンデラー(Denderah)の獣帯。西暦紀元の初めごろのもの。
アリスタルコス(Aristarchos 紀元前約二七〇年生)は食の観測と、太陰がちょうどその半面を照らされているときのその位置とから太陽と太陰との大きさを定めた。しかして太陰の直径としては地球直径の〇・三三(正当の値は〇・二七であるから、〇・三三にかなり近い)を得たが、しかし太陽の直径としては一九・一を得た(実は一〇八であるからアリスタルコスのこの値は余り小さすぎる)。
アレキサンドリア学派とは密接な関係のあったアルキメデスがアリスタルコスに関してこういっている。『彼は恒星及び太陽を静止するものと考え、地球は太陽を中心とする円形の軌道に沿うて運行すると仮定している。』プルターク(Plutarch)の著として誤伝されている一書によると、アリスタルコスは、天を不動とし、地球はその軸のまわりに自転しつつ黄道に沿うて太陽の周囲を運行すると説いたというので、神を冒涜するものとしてギリシアで告訴されたとある。恒星は太陽からばく大な距離にあると考えられていて、この書には七八万スタディアとなっている。――一三万キロメートル、すなわち、地球半径の二〇倍に当り、これは全く事実に合わない(アレキサンドリアのヒッパルコス(Hipparchos)紀元前約一九〇―一二五年――は古代天文観測者中の最も優秀な者であったが、この人は太陰の距離をほぼ正しく地球半径の五九倍と出している)。そうしておもしろいことには太陽の距離の方はほとんど正しく八〇四〇〇万スタディア(一三四六六六〇〇〇キロメートルに当る、実際は一四九五〇万キロメートル)となっている。ヒッパルコスの方は地球半径の一二〇〇倍という、すなわち、ずっと不当な値を出しているのである。ポセイドニオスは水時計の助けを借りて太陽の直径を測り、角度にして二八分という値を得、それから長さに換算して地球半径の七〇倍を得ている。これはいくらかよく合っている方である。彼はまた太陰が潮汐の現象の原因であるということも説いているのである。
これらの記事を読んでみると、アレキサンドリアにおけるギリシア人の天文学がいかに程度の高いものであったかということに驚かざるを得ない。しかるに他の方面の科学、特に物理化学の方の知識は到底これとは比較にならない劣等なものであった。アリスタルコスはコペルニクスに先立つことほとんど二〇〇〇年にして既にいわゆるコペルニクス説の系統の基礎をおいたのであるが彼の考えはいったんすっかり忘れられてしまった。彼の同時代の人々は彼の宣言した偉大な真理を正当に了解することができなかったのである。その著書アルマゲスト(Almagest 紀元一三〇年ころの著)によって天文学方面での唯一の権威となっていた――また優れた光学者でもあった――プトレマイオス(Ptolemäus)は、これに反して、地球は太陽系の中心にあり諸遊星も太陽もまた太陰もこの中心の周囲をいわゆるエピチケル形軌道を描いて運行すると考えたのである(第六図)。その後ローマ帝政の抑圧が世界を支配するようになって、科学にも悪い影響を及ぼした。ローマ人らは科学に対して何らの正当な理解がなかった。――彼らの眼をつけたのはただ直接の実利だけであった。ランゲ(F. A. Lange)はその著マテリアリズムの歴史中に次のように述べている。『彼らの宗教は深く迷信に根ざしていた。彼らの全公生活は迷信的な方式で規約されていた。伝統的な習俗を頑固に保守するローマ人には、芸術や科学は感興を刺激することが少なかった。まして自然そのものの本質に深く立入るようなことはなおさらそうであった。彼らの生活のこの実用的な傾向はまたすべての方面にも及んだ。……初めてギリシア人と接触して以来、数世紀の後までも、国民性の相違から来る忌避の感情が持続していた。』しかしギリシア国土の征服後掠奪された貴重な芸術品や書籍がたくさんにローマへ輸入され、またそれらと一緒に、この戦敗者ではあるが文化の方でははるかに優れた国民の種が入り込んできた。ローマ人中にもまた精選された分子はあったので、それらの人々はこの自分らよりも優れた教養に心を引かれ、しかしてそれを自分のものにしようと勉め、また昔の先覚者に倣おうと努力した。その一例としてはルクレチウス(Lucrez 紀元前九九―五五年)の驚嘆すべき詩『物の本性』(De Rerum Natura)がある。彼はこの書中にエピキュリアン派(Epicur)の人生哲学と、エムペドクレス及びデモクリトスの宇宙観自然観を賛美し唱道している、その中に物質の磁性に関する記事解説もある。これに関する彼の知識は多分デモクリトスから得たものらしい。このように、ギリシアの哲学ことにかの巨匠デモクリトスの哲学を賛美していた美なるものの愛好者中には、ポセイドニオスの弟子であったキケロ(Cicero 紀元前一〇六―四三年)もいた。また兄の方のプリニウス(Plinius 紀元二三―七九年)やセネカ(Seneca 紀元一二―六六年)もいた。
第六図 プトレマイオスの宇宙系
しかしこれらの人々も結局はただ師匠を模倣するに止まっていた。ローマ人らは自分らに独特なものは何も持出さなかった。自然科学的教養はただ薄い仮漆にすぎなかったのである。そうして国民の先導者らは文化に対する最も野蛮な暴行を犯した。たとえばシーザーはアレキサンドリア市を占領した後でそこの図書館を焼払った。彼の後継者たる代々の皇帝はひたすらに狂気じみた享楽欲に耽溺の度を深めていった。こうして自然の研究者らは次第に跡を絶ってゆくのであった。キリスト教徒らはまた一層自然科学に無関心であった。シーザーから三〇〇年後に彼らは大僧正テオフィロス(Theophilos)の指図によっていったん復興されていたアレキサンドリアの図書館を掠奪し、更に三〇〇年後にはアラビアの酋長カリフ・オマール(Chalif Omar)がこの図書館のわずかに残存していた物を灰燼に委してしまった。もっともアラビア人らは、後に彼らの文化が洗練されるようになってからは、科学に対する趣味を生じ、そうして特にアレキサンドリア学派の著述、もちろん断片のようなものではあったが、それを収集するようになった。しかしアラビア人一般の心情は、元来異教に対して容赦のなかった僧侶らのために大分違った方へ導かれていたために、決して科学向きにはなっていなかった。そうして聖典コーランこそ完全に誤りのない典拠だということになっていたのである。しかし本来から言えばマホメットの教えは科学に対して敵意をもたないはずのものである。すなわち、この預言者が弟子たちにこう言ったという話がある。『知識の学問が全く滅亡される日が来れば、そのときにこの世の最後の日が来るであろう。』ハルン・アル・ラシード(Harun al Raschid)は東ローマ皇帝に哲学書の下賜を願った。その望みは快く聞き届けられたのでこの賢明な君主はこれらの書をことごとく翻訳させ、特にそれを読むための役人を定め、また外に三〇〇人以上の人々を遊歴のために派遣して知識を四方に求めさせた。その子アブダラー・アル・マムン(Abdallah al Mamuu)は古典的の手写本を求めて、それを翻訳し、図書館や学校を創設して民衆の教養の普及に努めた。紀元八二七年にはまたアラビア湾に臨むシンガール(Singar)の砂漠で、子午線測量を行わせ、一度の長さがアラビアの里程で五六・七里に当るという結果を得ている。遺憾ながらアラビアの一里は四〇〇〇エルレに当るというだけで、それ以上のことが知られていない。この子午線測量は前に述べたものよりはずっと優れたものであったのかも知れない。またこれと同時に赤道に対する黄道の傾斜角を測定した結果が二八度三五分となっている。
当時の最も顕著な天文学者はシリアの代官を務めていたアルバタニ(Albatani 約紀元八五〇―九二九年)であった。彼は一年の長さを算定して三六五日と五時間四六分二二秒とした(これは二分二四秒だけ短すぎる)。また諸遊星を観測しその結果から計算してそれらの星の軌道に関する立派な表を作った。この人より少し後れてペルシアにアブド・アル・ラフマン・アル・スフィ(Abd-al-rahman Al-Sufi 紀元九〇三-九八六年)がいた。彼は一〇二二個の星のカタローグを編成したが、彼のこの表はかのプトレマイオスのものよりもずっと価値の高いものとされ、彼我ともに古代から伝わったものの中で最も良いものとされている。彼はまた今日のいわゆる歳差を六六年毎に角度一度の割だと推算している(七一年半が正しい)。
第八・九・十・及び第十一図
四つの星座図――蛇遣い、大熊、オリオン、龍――アル・スフィの恒星表による。
これよりも以前に、メソポタミア生れのジャファル・アル・ソフィ(Dschafar al Sofi 七〇二―七六五年)という人が、化学の学問を従来考え及ばなかった程度に進歩させていた。彼はセヴィリア(Sevilla)の高等学校の教師として働いていたのである。
アル・マムンの後約一〇〇年を経て、バクダットにおけるカリフの権勢が地に堕ちて、アラビア文化の本場はスペインのコルドヴァ(Cordova)に移った。ハーケム(Hakem)第二世はこの地に(多分誇張されたとは思われる報告によると)蔵書六〇万巻を算する図書館を設立したことになっている。この時代にかの偉大なアラビア人の天文学者イブン・ユニス(Ibn Junis)が活動していてこの人はガリレオより六〇〇年余の昔既に時間の測定に振子を使った。彼はまた非常に有名な天文学上の表を算出している。これとほとんど同時代にまたアルハーゼン(Alhazen)が光学に関する大著述を出しているが、これは彼の先進者らがこの学問に関して仕遂げたすべてを凌駕したものと言われている。
紀元一二三六年にコルドヴァはスペイン人に侵略され、この有名な図書館の蔵書は次第に散逸した。そうして、それまで幾多のキリスト教徒らがそこから科学的の教養を汲んでいたところの文化の源泉は枯渇してしまったのである。
現代の回教国民その他の東方諸国民は、個人または国家にとって何ら実益のありそうにもないことにはかなり無関心である。こういう環境では科学の進歩は不可能である。著しい一例としては、トルコの法官イマウム・アリ・ザデ(Imaum Ali Zadé)が、何か天界の驚異について彼に話したある西洋の天文学者に答えた言葉を挙げることができる。プロクトル(Proctor)に従えば、アリ・ザデは正にこう言ったそうである。『まあまあ、お前には何の係わりもない物を捜し求めるのは止したがよい。お前はよくこそ尋ねてきてくれた。が、もう平和に御帰りなさい。本当にいろいろのことを話してくれた。話す人は話す人で聞く人は聞く人で別々だから何も差支えないようなものであった。お前はお前の国の風習に従って、それからそれと遍歴しながらどこまで行っても結局得られぬ幸福で住みよい土地を求めて歩いているのだ。まあ、御聞きなさい。神の信仰に対抗するような学問など一体あるべきはずがない。神が世界を造ったのだ。その神と力比べしようとか天地創造の神秘をあばこうとか、そういうことをしていいものだろうか。この星は他の星の周囲を回るとか、かの星は尻尾を引いて動いていって、しかして何年経つとまた帰ってくるとか、そういうことを言っていいものかどうか。よしてもらいたい。星を造った神はまたそれを指導するのだ。私は神を賛美するだけだ。そうして自分に用のないものを得ようなどと努力はしない。お前はいろいろのことに通じているようだが、それはみんな私には何のかかわりもないことなのだ。』
これが東洋人独特の根本原理である。幸いに我々西方国民はこれとは違った考えをもっているのである。しかし、古代科学の遺物を我々のために保存し伝えてくれた中世のアラビア人らが、これとはまた一種全く違った考えをもっていたということは、かの有名なイブン・アル・ハイタム(Ibn al Haitam これは前記アルハーゼンと同人である。アイルハルト・ウィーデマン Eilhard Wiedemann の研究によると、この人は日食の観測に針孔暗箱を用いた。また一〇三九年ころに没したとある)の言った言葉からも明らかに知ることができる。すなわち、アラビアの物理学者中で最も優秀であった彼はこう言っている。『私はずっと若いころから真理の問題に関する人間の考え方を注意して見てきたが、各々の学派は銘々に自分らの意見を固執して他の派の考え方に反対している。私はそのいずれもを疑わないわけにはゆかなかった。真理はただ一つしかないはずである。それで私は真理の源を探求し始めた。そうして、現象の真の内容を発見するためにあらん限りの観察と努力を尽くした。そうした末に私はちょうどガレヌス(Galenus)がその医術書の第七巻に次のように書いている、あれとちょうど同じようになってしまった。すなわち、私は愚昧な民衆を見下し軽侮した。彼ら(彼らの考え方)などには頓着しないで、ひたすらに真理と知識の探求に努力した。そうして結局、この世で我々人間に賦与されたもののうちでこれに勝るものは他にはないということを確認するようになった。』このアラビアの学者の経験したところは、昔の学者に特有な大衆を軽視するという悪い傾向を除いては現時の科学者のそれと完全に一致するものである。しかし、このアリ・ザデとアルハーゼンとの考えの相違は、アルハーゼンの時代に満開の花盛りを示したかの回教文化がなにゆえに今日もはや新しい芽を出し得ないかという理由を明白に認めさせるものである。
Ⅵ 新時代の曙光。生物を宿す世界の多様性
ローマ人は科学に対して余り興味をもたなかったが、特に純理論的の諸問題に対してそうであった。彼らの仕事は主にギリシアの諸書の研究と注釈に限られていた。帝政時代の間に国民は急速に頽廃の道をたどったためにたださえ薄かった科学への興味はほとんど全く消滅した。それでローマ帝国の滅亡した際に征服者たるゲルマン民族の科学的興味を啓発するような成果の少なかったことは怪しむに足りない。それでもテオドリヒ王(König Theodorich 四七五―五二六年)が科学を尊重しボエティウス(Boëthius)という学者としきりに交際したという話がある。カール大帝もまた事情の許す限りにおいて学術の奨励を勉めた。その時代に、フルダの有名な寺院にラバヌス・マウルス(Rhabanus Maurus 七八八―八五六年)という博学な僧侶がいて、一種の百科全書のようなものを書いている。これを見るとおよそ当時西欧における学問的教養の程度の概念が得られる。これは、すべての物体は原子からできていること、地は円板の形をして世界の中央に位し大洋によって取り囲まれていること、この中心点のまわりを天がそれ自身の軸で回転していることが書いてある。
中世の僅少な学者の中で、特に当代に抜きんでたものとして、フランチスカーネル派の僧侶ロージャー・ベーコン(Roger Bacon 一二一四―一二九四年)を挙げることができる。彼は特に光学に関しては全く異常な知識をもっていて、既に望遠鏡の構造を予想していた。また珍しいほど偏見のない頭脳をもったドイツ人クサヌス(Cusanus トリール Trier の近くのクエス Cues で一四〇一年に生れ、トーディ Todi の大僧正になって一四六四年に死んだ)もまた当代に傑出した人であった。彼は、地は太陰よりは大きく太陽よりは小さい球形の天体で、自軸のまわりに回転し、自分では光らず、他の光を借りている、また空間中に静止してはいない、と説いている。彼は他の星にもまた生住者がいると考えた。物体は消滅することはない、ただその形態をいろいろ変えるだけであるとした。同様な考えはまたかの巨人的天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 一四五二―一五一九年)も述べている。彼は、月から地球を見れば地球から月を見たとほぼ同じように見えるだろうということ、また地球は太陽の軌道の中心にもいないしまた宇宙の中心にもいないと言っている。レオナルド・ダ・ヴィンチは、地球は自軸のまわりに回転していると考えた。彼もまたニコラウス・クサヌスと同様に、地球も他の遊星とほぼ同種の物質から成立っており、アリストテレスやまたずっと後にティコ・ブラーヘに至ってもまだそう言っていたように、他の星よりも粗悪な素材でできているなどというようなことはないという意見であった。レオナルドは重力についてもかなりはっきりした観念をもっていた。彼は、もし地球が破裂して多数の断片に分れたとしても、それらの破片は再び重心に向かって落ちかかってくる、しかして重心の前後の往復振動をするが、たびたび衝突した後に結局は再び平衡状態に復するだろうと言っている。彼の巧妙な論述の中でも最も目立ったものはかの燃焼現象に関する理論である。その説によると、燃焼の際には空気が消費される。また燃焼を支持することのできないような気体中では動物は生きていられないというのである。レオナルドは非常に優れたエンジニアであって、特に治水工事に長じていた。彼の手になった運河工事は今でもなお存して驚嘆の的となっているものである。
彼はまた流体静力学、静力学、航空学、透視法、波動学、色彩論に関する驚嘆すべき理論的の研究を残している。その上に彼は古今を通じての最も偉大な画家であり、彫刻家であり、まだおまけに築城師であり、また最も優雅な著作者でもあった。
この有力な人物は中世の僧侶たちとは余りにも型のちがったものであった。当時既に時代は一新しており、すなわち、レオナルドの生れたときには既に印刷術が発明されており、コロンブスは既にアメリカを発見していた。復興期の新気運は力強くみなぎり始めていたのである。しかもまだ教会改革に対する反動が思想の自由を抑制するには至らなかった時代なので、クサヌスやダ・ヴィンチは自由に拘束なく意見を発表することができた。その学説というのは、およそアリスタルコス―コペルニクスの説と同じであったが、ただ地球が太陽のまわりを回るのではないとした点だけが違っていた。この二人の一人は大僧正になり、一人は最も有力な王侯の寵を受けた(彼は芸術の愛好者フランシス一世に招かれてフランスに行き、その国のアムボアズ Amboise で死んだ)。当時派手好きの法王たちはミラン、フェララ、ネープルス等、また特にフロレンスの事業好きな諸公侯と競争して芸術と科学の保護奨励に勉めていた。シキスツス第五世は壮麗なヴァチカン宮の図書館を建設し充実した。新興の機運は正に熟していて、同時に既に始まっていた彼の残忍な宗教裁判を先頭に立てた反動運動も、これを妨げることはできなかった。コペルニクス(Kopernikus 一四七三―一五四三年)はトルン(Thorn)に生れ、フラウエンブルク(Frauenburg)でカノニクス(Kanonikus)の僧職を勤めていたドイツ種の人であるが、彼は昔アレキサンドリアのプトレマイオス(Ptolemäus 約紀元二世紀)がその当時の天文学上の成果を記した著述を研究し、また自分でも観測を行った結果として、彼一流の系統(第一二図)を一つの仮説として構成した。この説を記述した著書は彼の死んだ年に発行されている。死んだおかげで彼は彼の熱心な信奉者ジョルダノ・ブルノ(Giordano Bruno イタリアのノラ Nola で生れたドミニカン僧侶)のような運命に遭うのを免れることができた。このブルノはその信条のために国を追われ、欧州の顕著な国々を遊歴しながらコペルニクスの説を弁護して歩いた。しかして、恒星もそれぞれ太陽と同様なもので、地球と同様な生住者のある遊星で囲まれていると説いた。彼はまた、太陽以外の星が自然と人間に大いなる影響を及ぼすというような、科学の発展に有害な占星学上の迷信に対しても痛烈な攻撃を加えた。
第十二図 コペルニクスの太陽系図。彗星の軌道をも示す。現時の知識に相当する第十三図と比較せよ。
第十三図 諸遊星とその衛星の運動方向を示す。太陽中心の北側の遠距離から見た形。真ん中が太陽、次が水星(Me)と金星(V)、それから地球(T)とその衛星(L)、その外側には火星(Ms)と二衛星、次には木星(J)とガリレオの発見した四衛星がある。近代になってから木星を巡る小衛星が更に三つ発見された。すべてこれらの天体は一番外側のものを除いては矢の示すように右旋すなわち時計の針と反対に回っている。一番外側に示すのは土星(S)でこれは九つの右旋する衛星――図にはただ一つを示す――と逆旋する一つの衛星、それはピッケリングの1898年の発見にかかるフォエベ(Phoebe)がいる。なおこの外にはハーシェルとルヴェリエとの発見した天王星と海王星がある。この二星の太陽からの距離は土星までの距離の約二倍と、三倍余とである。天王星には四つの衛星があるが、その軌道は黄道面にほとんど直角をなしている。その上に逆旋である。海王星には逆旋の衛星が一つある。天王、海王二遊星は右旋である。また火星と木星の軌道間にある多数の小遊星もやはり右旋である。
彼は、諸天体は無限に広がる透明なる流体エーテルの海の中に浮んでいると説いた。この説のために、またモーゼの行った奇蹟も実はただ自然の法則によったにすぎないと主張したために、とうとうヴェニスで捕縛せられ、ローマの宗教裁判に引き渡された上、そこでついに焚殺の刑を宣告された。刑の執行されたのはブルノが五二歳の春二月の一七日であった。当時アテンにおけると同じような精神がローマを支配していて、しかもそれが一層粗暴で残忍であったのである。要するにブルノの仕事の眼目はアリストテレスの哲学が科学的観照に及ぼす有害な影響を打破するというのであった。
宗教裁判の犠牲となって尊い血を流したのはこれが最後であって、これをもって旧時代の幕は下ろされたと言ってもよい。ケプラーまた特にガリレオの諸発見によって我々の知識は古代とは到底比較にならないほど本質的に重要な進歩を遂げるに至ったのである。
通例コペルニクスの考えは古代における先輩の考えとは全く独立なものであったように伝えられているが、これが間違いだということは、彼自身に次のように述べているのでも明らかである。すなわち、『私は天圏の円運動の計算に関するこれらの数理的学説の不確実な点について永い間考えてみた末に、これらの哲学者らがこの円運動について些細な点までもあれほど綿密に研究しておりながら、このあらゆる良匠中の最良にしてまた最も系統的な巨匠の手によって我等のために造られた宇宙機関の運動について何らの確実なものをも把握しなかったことに愛想を尽かすようになった。それで私は手の届く限りあらゆる哲学者の著書を新たに読み直し、そうして、もしやいつかの昔に誰かが、この数理学派の学徒が考えているとは違ったふうに天体運動を考えていた人がありはしないかを探索しようとして骨を折った。すると、まず第一に、キケロの書いたものの中にニケツス(Nicetus)またヒケタス(Hicetas)という人が、地球自身が運動していると信じていたということが見付かった。その後にまたプルタークを読んでみると、この外にも同様な意見をもっていたものが若干あることを知った。参照のためにここに彼の言葉を引用する、「しかしまた地球が動くと考える人々もあった。たとえばピタゴラス派のフィロラオス(Philolaos)は、地球も太陽太陰と同様に傾斜した軌道に沿うて中心火のまわりを運行していると言った。ポントスのヘラクリド(Heraklid von Pontus)とピタゴラス派のエクファントス(Ekphantus)の二人は、地球の進行運動は考えなかったが、しかし一種の車輪のような具合に、自身の中心のまわりに東西の方向に回転していると考えた。」こういうことが見付かったので私もまた地球の運動していることについて熟考してみるようになった。これは一見常識に反したことのように思われるが、しかし私の先輩たちが星辰の現象を説明するために勝手ないろいろの円運動を仮定している、あの自由さに想い及んだ末に、敢てこの考えを進めてみることにした。』コペルニクスはまた、既に前にアリスタルコスが考えたと同様に、地球の軌道は恒星の距離に比しては非常に小さいということも考えていたのである。
コペルニクスの死後間もなくティコ・ブラーヘ(Tycho Brahe)がショーネン(Schonen)の地に生れた。彼は若いときから非常な熱心をもって天文学を勉強していたが、あるとき日食皆既に遭って深い印象を受けたために更に熱心の度を加えるようになった。しかして多数の非常に綿密な測定を行った(主にフウェン Hven 島のウラニーンブルク Uranienburg の観測所で)。この測定はまた後日彼の共同研究者であったケプラー(Kepler)の観測の基礎を成したもので、また後世ベッセル(Bessel)をしてティコ・ブラーヘを『天文学者の王』と名付けさせた所以である。ティコはもう一遍地球を我々の遊星系の中心点へ引き戻した。しかして地球の周囲を太陽太陰が回るとし、また後には諸遊星も同様であると考え、恒星は緩やかに回る球形の殻に固着されているものと考え、そうして地球は二四時間に一回転すると考えたのである。このティコがいかに当時行われていた謬見にとらわれていたかということは、彼が人と決闘して鼻の尖端を切り落されたときに、これは彼の生れどきに星がこうなるべき運命を予言していたからだといってあきらめてしまったという一事からでも明らかである。また地球は恒星や諸遊星よりももっと粗大な物質からできている、そのために遊星系の中心に位しなければならないというその説もまた彼の考え方に特異な点である。しかし、コペルニクス系が、既に当時でも、ティコ・ブラーヘのそれに比して明らかに優っているものと考えられたことは、デカルトが特に力を入れて強調している通り『この方が著しく簡単で、また明瞭である』からである。いかに優れた観測の天才をもっていかに骨を折ってみても、理論上の問題に対して明晰で偏見なき洞察力が伴わなければ、比較的つまらない結果しか得られないものだということは、このティコが一つの適例を示すであろう。ティコは一六〇一年にプラーグで没した。
ティコ・ブラーヘはあらゆる先入謬見を執拗に固執しながら、また一方先入にとらわれない批判的検索を行うという、実に不思議な取り合わせを示している。惜しいことに彼の方法は古代バビロニア人の方法に類していて、結局古い不精密な観測を新しい未曾有の精密なもので置き換えたというだけで、それから何ら理論上の結論をも引き出さないで、それ切りになってしまったのである。彼はコペンハーゲン大学における彼の大演説の中で占星術に関する意見を述べているが、これは古代バビロニア流の占星術の面影を最も明瞭に伝えるものであり、我々には珍しくもまた不思議に思われるものであるから、有名なデンマークの史家トロェルス・ルンド(Troels Lund)の記すところによってここにその演説の一部の抜粋を試みようと思う。
ティコはこう言った。『星の影響を否定する者はまた神の全知と摂理を抗議するものでもあり、また最も明白な経験を否認するものである。神がこの燦然たる星辰に飾られた驚嘆すべき天界の精巧な仕掛けを全く何の役に立てる目的もなしに造ったと考えるのは実に不条理なことである。いかに愚鈍な人間のすることでも何かしら一つの目的はあるのである。これに対してある人は、天界はただ年月を知らせる時計にすぎないと答えるかもしれない。しかしそれだけならば太陽と太陰とだけあればたくさんである。それならば一体いかなる目的のために他の五つの遊星が各自別々の圏内に動いているのであろうか。歩みの遅い土星は一周に三〇年を要し、かの光り瞬く木星の軌道は一二年を要する。また二年を要する火星水星、それから太陽の侍女としてあるときは宵の明星あるときは暁の明星として輝くかの美しい金星などは何のためであるか。その上にまだ恒星の天圏が八つもあるのは何のためであろうか。またこれらの無数の恒星の中で最小なものでもその大きさは地球の若干倍、大きいものはその一〇〇倍以上もあることを忘れてはならない。しかもこれが何の考えも何の目的もなく神によって創造されたというのであるか。』
『諸天体はそれぞれある力の作用をもち、それを地球に及ぼしているということは、経験によって実証される。すなわち、太陽は四季の循環を生じる。太陰の盈虚に伴って動物の脳味噌、骨や樹の髄、蟹や蝸牛の肉が消長する。太陰は不可抗な力をもって潮汐の波を起こすが、太陽がこれを助長するときは増大し、これが反対に働くときはその力を弱められる。火星と金星が出会うと雨が降り、木星と水星とが出くわせば雷電風雨となる。またもしこれらの遊星の出現が特定の恒星と一緒になるときにはその作用が一層強められる。湿潤をもたらすような遊星が、湿潤な星座に会合するとその結果として永い雨が続く。乾燥な遊星が暑い星座に集まれば甚だしい乾燥期が来る。これは日常の経験からよく分ることである。一五二四年にあんな雨が多かったのは、当時魚星座に著しい遊星の集合があったためである。一五四〇年には初めに牡羊座で日食が起り、次に天秤座で土星と火星の会合、次には獅子座で太陽と木星の会合があったが、この年の夏は珍しいほど暑気の劇烈な夏であった。また一五六三年に、土星と木星とが獅子座において、しかも蟹座のおぼろな諸星のすぐ近くで会合した、そのときにどんな影響があったかを忘れる人はあるまい。既に昔プトレマイオスはこれらの星が人を窒息させ、また疫病をもたらすものだとしているが、まさにその通りに、これに次ぐ年々の間欧州では疫病が猖獗を極めて数千の人がそのために墓穴に入ったではないか。』
『さて、星は人間にもまた直接の影響を及ぼすものであろうか。これはもちろんのことである。人間の体躯はかの四元素から組成されたものだから当然のことである。一人の人間の本質中に火熱性の元素、寒冷性、乾燥性、湿潤性等の元素がいかに混合されているか、その程度の差によってその人の情操、根性が定まり、また罹りやすい病もきまり、生死も定まるのである。このいろいろな混合の仕方は、出生の瞬間における諸星の位置によってその子供の上に印銘されるもので、一生の間変えることのできぬものである。子供の栄養と発育によって成熟はするが改造はできない。ある混合の仕方では生活が不可能になるような場合さえもある。そういう場合には子供は死んで産まれる。たとえば、太陰と太陽の位置が不利で、火星が昇りかけており、土星が十二獣帯の第八宮に坐するという場合には、子供はほとんどきまって死産である。一般に、太陽と太陰の合の場合、ことに太陰が太陽に近よりつつあるときに生れた子は虚弱で短命である。この厄運は他の星の有利な位置によって幾分か緩和されることはあるが、結局は必ず良くないにきまっている。このことは一般に周知のことであって既にアリストテレスが、太陽太陰の合に際して生れた者の身体は虚弱だと言っているのみならず、経験のある産婆や母親は、こういう場合に子供が生れると、その子の将来必ず虚弱であることを予想して不安な想いをするのである。この理由は容易に了解される。すなわち、人の知る通り、太陰はある異常な力をもっていて、生れた子供の体内の液体を支配する。それでもし太陰が生れたものの身体にその光を注いでやらないとその体内の液体が全く干上ってしまわなければならない。そうして多血性の性情とその良い効果はほとんど失われてしまわなければならないということは明らかである。またこの結果としてはいろいろの病気、たとえば肺癆、癩病のようなものが起る。特に土星と火星がその毒を混入するような位置にいるときはなおさらである。このような物理的関係は容易に了解することができるのである。』
『身体の各部分は一つ一つ特別な遊星に相応していて、たとえば温熱の源たる心臓は太陽に相応し、脳は太陰に、肝臓は木星に、腎臓は金星に、また黒い胆汁を蔵する脾臓は憂鬱の支配たる土星に、胆嚢は火星に、肺臓は水星に相応している。』
ティコ・ブラーヘは占星術の反対者に対して最期まで闘った。『これらの人々、特に神学者や哲学者らを寛恕すべき点があるとすれば、それは彼らがこの術(占星)について絶対に無知識であるということと、彼らが常識的な健全なる判断力を欠いていることである』と言っている。
以上は、中世を通じて行われ、ごく近いころまでもなお折々行われてきた目的論的の見方を筋道とした論法の好適例である。
ティコの観測の結果から正しい結論を引き出す使命はケプラー(Kepler 一五七一―一六三〇年)のために保留されていた。彼は諸遊星は各々楕円を描いて太陽の周囲を運行することを証明し、またその速度と太陽よりの距離との関係を示す法則を決定した。彼は初め当時全盛のワルレンスタインのためにその運勢を占う占星図を作製したのであるが(第十四図)、後にはついに占星学上の計算をすることを謝絶するに至ったということはケプラーのために特筆すべき事実である。それにかかわらず一方ではまた彼は自分の子供らの運勢をその生誕時の星宿の位置によって読み取ろうとしているのである。ケプラーの家族はプロテスタントの信徒であったためにいろいろの煩累に悩まされなければならなかった。
第十四図 ケプラーの作ったワルレンスタインの運勢を占う占星図。
ケプラーの研究によって、天文学はアリスタルコス以来初めての目立った一大進歩を遂げたが、これは更にまたかの偉大なガリレオ(Galilei 一五六四―一六四二年)の諸発見によってその基礎を堅めるようになった。ガリレオはケプラーと文通していたのであるが、一五九七年のある手紙に自分は永い以前からコペルニクスの所説の賛成者であるということを書いている。一六〇四年に彼はオランダで発明された望遠鏡の話を聞き込んだ。そうして自分でそれを一本作り上げ、当時の有力な人々から多大な賞賛を受けた。そこでこの器械を以て天界を隈なく捜索して、肉眼では見られない星を多数に見付け出した。これで覗くと遊星は光った円板のように見えた。一六一〇年には木星を観測してこの遊星の衛星中の最大なもの四個を発見した。そうしてあたかも遊星が太陽を回ると同様な関係に、木星に近い衛星ほど回転速度が大きいことを見た。彼はこれらの衛星をトスカナ(Toscana)に君臨していた侯爵家の名に因んで『メディチ(Medici)の星』と名づけたのであるが、この衛星の運動の仕方が正しくコペルニクスの所説の重要なる証拠となることを認めた。彼はまた土星の形がときによって変化すること(この星を取巻く輪の位置による変化)、また金星(水星も同様であるが)が太陰と同様に鎌の形に見えることをも発見した。また太陽の黒点をも発見し(一六一一年)そうしてその運動の具合から、太陽もまた自軸のまわりに自転するものであると結論した。これらの発見は当時僧侶学校で教えられていたようなアリストテレスの学説とはすべて甚だしく相反するものであった。それでガリレオはローマへ行って親しく相手を説き付けるのが得策であると考えた。ところが相手の方では科学上の論議では勝てないものだから、ガリレオの説は犯すべからざる聖書の教えと矛盾するものだという一点張りで反対した。
ガリレオが公然とコペルニクスの信奉者であるということを告白しているのは太陽黒点のことを書いた一書において初めて(一六一三年)見られる。教会方面の権威者らも初めのうちは敢て彼に拘束を加えるようなことはなかったが、一六一四年に至って『神聖会議』の決議により、地球が公転自転と二様の運動をするというコペルニクスの説は聖書の記すところと撞着するということになった。もっともこのコペルニクスの説を一つの仮説として述べ、それを科学上の推論に応用するだけならば差支えはないが、しかしそれを真理と名付けることは禁ずるというのであった。
今日から考えるとこういうことは想像もし難いようであるが、その当時ではこれは全く普通のことであった。自分の主張していることを自分で信じているのではないとごく簡単に証言すればよいのであった。しかし実際は信じているのだということは誰でも知っていたのである。最も著しい例は、三〇年後(一六四四年)にデカルト(Descartes 一五九六―一六五〇年)が次のような宣言をしていることである。『世界が初めから全く完成した姿で創造されたということには少しも疑わない。太陽、地球、太陰及び諸星もそのときに成立し、また地上には植物の種子のみならず植物自身ができ、またアダムとイヴも子供として生れたのではなく、成長した大人として創造されたに相違はない。実際キリスト教の信仰はそう我々に教え、また我々の自然の常識からも容易に納得されるのである。しかし、それにもかかわらず、植物や人間の本性を正当に理解しようとするには、これらが最初から神の手で創造されたと考えてしまうよりも、種子からだんだんに発育してきたと考えてその発達の筋道を考察して見る方がはるかに有益で便利である。それで、もちろん実際は万物は上に述べたようにして成立したものだということをちゃんと承知しているとして、もし若干のごく簡単で分りやすい原理を考え出し、その助けによって星や地球やその他この世界で見られる万物が、すべて種子から発育してできたかも知れないということを示すことができたとしたならば、その方が、これら万物をただあるがままに記載するよりもはるかによく了解することができるだろう。今私はそういう原理を見付けたと信じるから、ここで簡単にそれを述べようと思う。』
当時の宗教裁判は蚤取眼で新思想や学説が正統の教理と撞着する点を捜し出そうとしていたから、その危険な陥穽を避ける必要上から、こういう不思議な態度をとるのもやむを得なかったのである。それでガリレオも七年間はおとなしくいたが、しかしとうとうジェシュイット教父のグラッシ(Grassi)と学説上の論争に引っかかった。グラッシはちゃんと正当に彗星を天体であると考えていたのに、ガリレオの方はこれが地上のものだという旧来の考えを守っていたのである。それでついにジェシュイット教徒はガリレオを告訴するに至ったので、彼は一六三三年に老齢と病気のために衰弱していたにかかわらずローマへ召喚され、宗教裁判の訊問に答えなければならなかった。彼はできる限り論争を避けようと務めたが結局やはり不名誉な禁錮の刑を宣告され、その上に地動説の否定を誓わさせられた。しかしてそれ以来、太陽系中における地球の位置に関するコペルニクス、ケプラー及びガリレオの著書は最高神聖の法門の権威によって禁制され、それが実に一八三五年までつづいたのである。
ガリレオはその著書の中でピタゴラス及びアリスタルコスが地球は太陽のまわりを回ると説いたことを引用している。彼は物体の運動に関する学説を発展させ、物体に力が働けばその運動に変化を生ずることを立証した。何らの力も働かなければ運動は何らの変化もなく持続するというのである。アリストテレスは墜落しつつある物体の背後には空気が押し込んできて物体の運動を早めると考えたが、ガリレオはこれに反して、空気はただ落体運動を妨げるだけだということを証明した。
コペルニクスの学説に対する教会の反抗はしかし結局は無効であった。デカルトは一刻も狐疑することなくコペルニクスの考えに賛成した。もちろんそのために彼は敵を得たが、しかし新教国たるオランダ及びスウェーデンに安全な逃げ場所を見出した。惜しいことには彼はスウェーデンへ来ると間もなく罹った病気のために倒れたのであった。コペルニクスの説いた通りすべての遊星は、太陽の北極の方から見ると右から左へ回っている。それと同様にまた太陰は地球を、ガリレオの発見した木星の衛星は木星を、また太陽黒点は太陽を回っている。その上にまたこれらのものはほとんど皆黄道の平面の上で回っている。この規則正しさを説明するためにデカルトは、ブルノと同様に、一種のエーテルの海を想像し、その中に諸遊星が浮んでいると考えた。デカルトはこのエーテルが太陽を中心としてそのまわりに渦巻のような運動をしており、そして諸遊星はこの運動に巻き込まれて、ちょうど枯葉が渦に巻かれて回るように回っているのだと信じていた。この考えは、諸遊星を神性あるものによってその軌道の上を動かされているというケプラーの考えに比べれば疑いもなくはるかに優れたものである。彗星は遊星とは違った運動をするが、これについてのデカルトの説は、これらもやはり天体であって、土星よりも外側を運行しているものだというのである。ところがティコ・ブラーヘは、彼の観測の証するところでは彗星は太陰軌道の外側を動きはするがしかし時々は金星や水星よりも遠くない距離に来ることがあると言っている。これについてデカルトは、ティコのこの観測はそういう結論をしてもいいほどに精確なものではなかったと主張している。
デカルトはモルス(Morus)への手紙の中でこう言っている。『我々は宇宙に限界があるということを観念の上で了解することができないから、宇宙の広がりは無限大だと言う。しかし空間の無限ということから時の無限ということの推論はできない。宇宙に終局があってはならないとしても神学者らはそれが無限の昔に成立したとは主張していない。』宇宙は物質を以て充たされている。それゆえにすべてのものは円形の環状軌道の上を運行しなければならない。神は物質とその運動とを創造した。宇宙には三つの元素がある。その第一は光の元素でこれから太陽と恒星が作られた。第二は透明な元素でこれから天が作られた。第三は暗く不透明でしかして光を反射する元素で、遊星や彗星はこれからできている。第一の元素は最小な粒子から、第三のものは最も粗大な分子からできている。
初めには物質はできるだけ均等に広がっていた。それが運動するためにいくつかの中心のまわりに環状軌道を描くようになり、その中心には発光物質が集まり、そのまわりを上記の第二第三の物質が旋転するようになった。それらの暗黒な物体の中で若干のものは運動が烈しく質量が大きくてこの旋渦の中心から非常に遠く離れてしまって、そのためにいかなる力もそれを控えることができなくなってしまった。こういうものが一つの渦から他の渦へと移ってゆく、これがすなわち、彗星である。これよりも質量が小さくまた速度の小さいもののうちで、同様な遠心力を有するものが一群となって、それが前記の第二の要素の一つとなった(この中で質量の最小な群が一番内側へ来た)。これがすなわち、遊星である。これら遊星の運動とはちがった運動をする物質粒の運動のために、遊星は西から東へ回るような回転運動を得た。
第十五図及び第十六図 デカルトによる、地球半球の横断様式図。Iは地心で太陽と同じ物質でできている。初め地球は全部この物質でできていた。この物質の周囲を包んで太陽黒点に相当する。しかしもっと厚い殻Mがある。これができたために地球は光らなくなって一つの遊星となり太陽系旋渦に巻き込まれた。日光の作用によって空気Fと水Dとが分れ、最後には空気の中に石、土、砂等の固形の皮殻Eを析出した。これが現在の地殻である。この殻が図の2、3、4のようなところで破れて落ち込み、しかして下の図にあるような状態になった。それで水がしみ出して図の右と左の部分に示すように大洋を生じた。他のところでは1や4の示すように山岳を生じた。空気の一部分は山と地殻の下(たとえば図のF)に閉じ込められた。
最小な粒子の運動によって熱が生ずる。それは、一部は、日光がこの物質粒子に衝突するために生じ、また一部は、他の方法でもできる。この熱は我々の感覚に作用する。太陽や恒星に黒点が増すとその光は暗くなり、反対にこの黒点が消えると明るくなる。黒点の強さが消長すると一つの星の光力は減ったり増したりする、というのである。この、種々の星の光力の変化に対する説明は、ごく最近まで多数の天文学者によってそのままに受継がれてきたものである。
ときにはまた一つの恒星の周囲を回る上記第二種及び第一種の粒子から成る旋渦が、その近くにある他のいくつかの渦に吸込まれることがある。そのときにはこの渦の中心の恒星も一緒にもぎ取られて他のどれかの渦に引き込まれ、その中の彗星かあるいは遊星となるのである。
デカルトは、このように恒星から遊星に変る過渡の段階については、地球に関する記載中にこれよりも一層詳しく述べている。すなわち、地球も初めには第一種の元素からできていて、強大な渦に取り巻かれた太陽のようなものであったのが、だんだんに黒点に覆われ、それが一つに繋がって一種の皮殻となった。それで地球の灼熱した表面が冷却すると、もう渦の外の方の部分へ粒子を送り出すことができなくなるので、従ってこの渦動が次第に衰える。すると今までは灼熱した地球から出る粒子のために押戻されていた近所の他の渦からの粒子が押寄せてくる。そのために、この光の消えた地球は近所の太陽旋渦の中へ引込まれ、そうして一つの遊星になったのである。地球の心核はしかし灼熱状態を持続しながら第三種の粒子から成る固形の殻で包まれている。この殻の中には気層と水層とがありその上を固体の地殻が覆っている(第十五図及び第十六図)。この殻がしばしば破れて下の水層中に落ち込み、そのために水が地表に表われて大洋を作り、また破れた殻が山岳を生じる。水は脈管のように固体地殻の中を流動しているというのである。この考えは後にまた幾分敷衍された形でバーネット(Burnet)が説述した(一六八一年)ものである。
これが宇宙系に関するデカルトの考え方の大要である。諸恒星は我々の太陽系を取り巻く諸渦動のそれぞれの中心であるが、その距離が莫大であるために、それが運動していても、地球に対する位置は変るように見えないのである。
当時化学の進歩はまだ極めて幼稚なものであった。物体の種々な性質はそれを構成する最小粒子の形状によるものと信じられていた。デカルトはこれら粒子が大きいか小さいか、軽いか重いか丸いか角張っているか、卵形か円形か、あるいはまた分岐しているか平坦であるかによって、どういうふうに物の性質の相違が起るかということを、真に哲学者らしく徹底的細密に記述しているが、こういう事柄の煩わしい記述のために、せっかく彼の構成した系統の明瞭さがかえって著しく弱められているのである。
ニュートン(Newton)と同時代の偉人で、また彼の競争者であったライブニッツ(Leibniz 一六四六―一七一六年)は当時の科学雑誌『アクタ・エルディトルム』(Acta Eruditorum)誌上で一六八三年に発表した論文『プロトガィア』(Protogaea)中に地球の進化を論じているが、その所説は現今定説と考えられているものとかなりに一致している。当時一般に信ぜられていたところでは、既に昔の北国民の考えていたと同様に、地球はその最後の日には灼熱状態となって滅亡するだろうということになっていた。多分太陽が他の天体と衝突でもすればそうなるであろうと思われるのである。ところが、ライブニッツはデカルトと同様に地球の初期もまた強く灼熱された状態にあったと考えた。これが――ライブニッツの言葉によれば――燃料の欠乏のために消燼して地球はガラス状の皮殻で覆われ、そうしてそれまで蒸発していた水はその後にようやく凝結して海となった。このガラスのような皮殻から砂ができた。しかして――水と塩類との作用を受けて――その他の地層ができた。海は初め全地球を覆っていたから今日至る所で古昔の貝殻が発見される。地殻の陥落のために表面の高低ができて、その最も低い部分を大洋が占めることになったのである。
有名なデンマーク人ステノ(Steno 一六三一―一六八六年)の業績は、いったん世人から忘れられていたのを、一八三一年に至って初めてエリー・ド・ボーモン(Elie de Beaumont)によって紹介された。このステノの意見によると、水平な地層、特に水産動物の化石を含有するものは、もと水中で沈積したものと考えられなければならない。こういう地層がしばしばもとの水平な位置から隆起しているところから見ると、これは何か外力の作用によって起ったことに相違ない。ステノはその外力のうちでもなかんずく火山作用が最も著しい役目をつとめたものと考えた。
当時一般の考えでは地球の内部は水をもって満たされ、それが脈管を通じて大洋と連絡していると思われていた。デカルトの説の中にも既にそういう意味のことが暗示されている。この誤った考えの著しい代表者はウドワード(Woodward 一六六五―一七二二年)とウルバン・ヒエルネ(Urban Hjärne 一七一二年)であった。この後者の説では地心の水は濃厚で濁っていて、しかして沸騰するほど熱いということになっている。
デカルトの考えは当代から非常な驚嘆をもって迎えられた。そして諸大学におけるアリストテレスの哲学に取って代ろうとする形勢を示した。この説はまたウプザラにおいても盛んな論争を惹起し、それが多分スウェーデンで科学の勃興を促す動機となったようである。宗教方面の人々はこの新説を教壇で宣伝することを妨圧しようと努めたが、これに対する政府の承認を得ることができなかった。
このデカルトの学説から強い刺激を受けた若い人々の中に、スウェデンボルク(Swedenborg)がいた。彼はデカルトの宇宙生成説にある変更を加えた。彼の説では太陽系のみならず原子までも、すべてのものが渦動からできているとする。万物はすべて唯一の様式に従って構成されているのであって、最も簡単な物質粒子は非物質的な点の渦動によって成立すると考えるのである。この考えは甚だ薄弱である。なぜかといえば、広がりをもたない一つの点がたとえどれほど急速に渦動をしても、それによっていくらかの空間を占有することはできないからである。スウェデンボルクは恐らくこの仮説によって、宇宙が虚無から成立したことを説明しようと試みたものらしい。彼は数学的の点は永劫の昔から存在しているという意味のことをしばしば言っているが、しかしこの点について徹底的に一貫してはいないで、ある箇所ではまたこれが創造されたものだとも言っているのである。スウェデンボルクの宇宙生成説がデカルトのと異なる主要な点は、遊星が外から太陽系の渦動中に迷い込んだものだとしないで、反対に太陽から放出されたものだとしたことである。スウェデンボルクの想像したところでは、太陽黒点がだんだんに増してついには太陽の光っている表面全体を暗くしてしまった。中に閉込められた火は膨張しようとして周囲の外殻を伸張したためについに殻が破れた。そうしてこの暗黒な外皮が太陽赤道のまわりに環状をなして集まった。渦動は止みなく旋転を続けているうちにこの固態の輪は破れて小片となり、それらが円く丸められて各々球形の質塊となり、種々の遊星、衛星(並びに太陽黒点)となったものである。このようにして一つの太陽がその殻を破裂させるとこれが急に我々の眼に見えるようになる。これがいわゆる『新星』の出現に相当するものであるとスウェデンボルクは考えた。
第十七、十八、十九及び第二十図 スウェデンボルクの考えた、太陽旋渦から遊星系の生成。第十七図Sは太陽旋渦、ABCはそれを囲む球状の固形皮殻。これが破れて(十八図)渦の極からそれの赤道の方に落ちて赤道のまわりに一つの帯を作る(十九図)。OIKLM等は太陽物質より成る。最後にこの帯が破れてその部分から球状の遊星CFM等また衛星Dghkができる。遊星はSのまわりの渦動につれて旋転しているうちにあるところまで来ると周囲と均衡の位置に達する。
遊星や衛星は渦動につれて動いているうちにある位置に達するとその周囲を包んで回っているエーテルと釣合いの状態になる。ここまで来ると、この距離でほとんど円形の軌道を描きながら運行する。この関係はあたかも、空気中を上昇する軽い物体が、その周囲が自分と同じ比重であるようなところへ来て初めて落ち付くのと全く同様である。それでスウェデンボルクの考えに従えば一番比重の大きい遊星が一番内側に来るわけであるが、デカルトの考えだと最大質量を有する遊星が一番外側に来ることになるのである。
この二人の考えは、いずれも、いくらかはあたっているが、しかし全く正しくはないということは次の表(アメリカ人シー See の計算による)を見れば分る。
天体 半径 質量 平均距離 比重
太陽 109.100 332750.0000 0.00 0.256
水星 0.341 0.0224 0.39 0.564
金星 0.955 0.8150 0.72 0.936
地球 1.000 1.0000 1.00 1.000
太陰 0.273 0.0123 1.00 0.604
火星 0.536 0.1080 1.52 0.729
木星 11.130 317.7000 5.20 0.230
土星 9.350 95.1000 9.55 0.116
天王星 3.350 14.6000 19.22 0.390
海王星 3.430 17.2000 30.12 0.430
スウェデンボルクの著述中には概して我々今日の科学者には諒解し難いような晦渋曖昧な点が甚だ多い。彼は自分の書いていることを十分によく考え尽くしたのではあるまいという感じを読者に起させるのである。彼の『プリンキピア』(Principia)の終りにはこの渦動を数学的に表象している――すなわち、ここでは完全な明瞭を期待してもいいはずである。この渦の外側には自ら他の渦と区別するに足るべき判然たる境界があることになっている。ところで、スウェデンボルクは、この渦の外側の境界からの距離が1と2の比にあるような二つの遊星の速度の比は1と2でなければならない、と主張している。これから推論すると、遊星を中心に引く力は、この渦の外郭から遊星への距離に正比例し、太陽から遊星への距離に反比例することになる。しかしこの力は正しくニュートンの導いた通り太陽から遊星への距離の自乗に反比することいわゆる重力であるべきであって、すなわち、スウェデンボルクの所説は全く事実に合わないのである。しかしスウェデンボルクはニュートンの仕事を良く承知していたはずで、自著の中の所々で彼に対する賛美の辞を述べ『いくら褒めても褒め足りない』と言っている。それでスウェデンボルクは自説と、一般によく事実に相当するものと認められたニュートンの説との折合をつけるために、こう言っている。すなわち、この渦動が渦の外縁の方に行くほど増加するものとすれば、ちょうどニュートンの説のようになるというのである。しかしこれではニュートンの法則に従う遊星の運動とは全く合わないし、要するに全く不可解である。
スウェデンボルクの著書中に暗示されているところによると、彼の考えでは、銀河が眼に見える星の世界に対する役目は、あたかも太陽の回転軸が遊星系に対するのと同様である。従って数多の太陽は各自の遊星系を従えてこの銀河の真ん中を貫く大宇宙軸のまわりに群を成している。それで銀河は実は輪状であるがちょうど天上に半円形の帯のように見えることになる。このようにして、スウェデンボルクの考えたように、この銀河系をその唯一小部分とするような更に大なる系を考えることができるのである。後にライト(Wright)がまたこれと同様な考えをまとめ上げた(一七五〇年)。彼は多分スウェデンボルクの考えの筋道は知らなかったらしいが、銀河を太陽系に相当するものだと考えた。カント(Kant 一七五五年)も同様であったが、ライトの所説以上には大した新しいものは付加えなかった。またラムベール(Lambert)も同様であったが、彼は太陽がいくつも集まって星団となり、星団が集まって銀河その他になると考えた(一七六一年)。
そこで我々は、スウェデンボルクがニュートンを賛美しながら、なにゆえに彼の驚天動地の発見を自分の体系中に取り入れなかったかを疑わなければならない。これに対する答はこうである。すなわち、スウェデンボルクの頭には、宇宙間の万物は、大きいものも小さいものも、すべて画一的な設計に従って造られたものだという考えがすっかりしみ亘っていた。彼には天体相互の間に距離を隔てて働く作用を考えることは明らかに不可能だとしか思われなかった。それは、我々はどこでもそういう作用を経験しないからである。実際この点についての論難は種々の方面からニュートンの大発見に対して向けられ、ニュートン自身もまたそれに対して全く無関心ではなかったのである。そこでスウェデンボルクはデカルトの渦動説を取って自分の宇宙生成説の基礎としたのであるが、スウェデンボルクは自分の仮定が物理学的に不可能なこと、特にそれがニュートンの法則と全然相容れないものだということには少しも気が付かなかったように見える。これは実にスウェデンボルクの体系の重大な欠点であるが、しかし彼のこの体系の中には若干の健全な考えが含まれていて、これが後日他の人によって敷衍され発展されるようになったのである。
その中で特に著しいものは、遊星の生成は太陽に因るものであり、従って遊星は本来から太陽系に属するものだという仮定である。この考えは通例はカントのだとされているものである。しかしまた銀河は一つの大きな恒星系だという考えも、スウェデンボルク自身はわずかしか発展はさせなかったけれども、これもかなりに価値のあるものである。彼の考えの筋道の中で独特な点は、我々の太陽の近くに存する多くの太陽系の軸はすべてほとんど同じ方向を指していなければならない、としたことである。しかしこの方向が銀河の軸と並行でなければならないとしたのは必ずしも事実と合わない。それでも近ごろボーリン(Bohlin)の研究によると、我々に近い二重星の軌道面や、最大の(すなわち、最も近い)星雲の平均の平面が黄道とほぼ並行しているということが、ある度までは確からしい。ライト及びラムベールの考えたように銀河系の諸太陽についてもまた同様な規則正しさが存すると期待してもよいかも知れない。
ピタゴラスは彼の弟子たちに対して、他の遊星にもまた地球と同様に生息者がいると言明したと伝えられている。吾人の地球は宇宙の中心点ではないとするコペルニクスの学説が一般に承認されるようになってからは、当然の結果として他の世界もまた我々のと同様に生息者を有すると見なされるようになった。
ジョルダノ・ブルノもまたこの説を熱心に唱道した。この説は当時の神学者から見ると非常な危険思想であってその罪を贖うにはただ焚殺の刑あるのみと考えられたのである。ガリレオ及び他のコペルニクス説の信奉者等に対して教会を激昂させたものもやはり疑いもなく主として正にこの説のこの帰結であったのである。それにかかわらず、この説が普及してしまったころには、今度はまた反対の極端に走ってしまって、すべての天体には生物がいると考えられるようになった。そうしてそれら天体の上で物理的条件がはたして生物の生存に適するかどうかを深く追究しようとはしなかった。当時月の世界の住民に関するいろいろな空想が流行したと見えて、そういうものが通俗的な各種の描写の上に現われている。かの偉大な天文学者ウイリアム・ハーシェル(William Herschel)でさえ、太陽には住民があると信じ、また太陽黒点は、太陽の空に浮ぶ輝く雲の隙間から折々見える太陽の固形体の一部だと信じていたくらいである。この種の空想の中でも最も著しいものは恐らくスウェデンボルクの夢みた幻想であろう。スウェデンボルクは異常に正直な人であったので、彼が主張したことを実際に確信していたということには少しも疑いはないのである。彼の言うところによると、彼は他の世界の精霊や天使と交通していて、それらと数日、数週、ときとしては数ヶ月も一緒にいた。『私は彼らから彼らの住む世界についていろいろのことを聞いた、かなたの風俗習慣や宗教に関すること、それから他のいろいろな興味ある事柄の話を聞いた。このようにして私の知り得たすべてを私自身に見聞したことのような体裁で記述してみようと思う。』『このように大きな質量を有し、そのあるものは大きさにおいて我が地球を凌ぐようなこれらの遊星は、単に太陽のまわりを周行しその乏しい光でたった一つの地球を照らすというだけの目的で造られたものではなくて、外に別な目的があるであろうということを考えるのは合理的な結論である。』この考えをスウェデンボルクは他の世界の精霊から伝えられたことにしているが、これはしかしかなりに一般的な考えであって、天文学が他の学問よりも多く一般の興味を引くゆえんは疑いもなくまた主としてこの点に関係しているかと思われる。スウェデンボルクの精霊はまたこう言っている。『遊星は自軸のまわりに回転するために昼夜の別を生ずる。多くはまた衛星を伴っていてこれがちょうど我々の太陰が地球のまわりを回るように、遊星のまわりを回っている。』
遊星のうちでも土星は、『太陽から一番遠く離れていて、しかも非常に大きい輪をもっている。この輪がこの遊星に、反射された光ではあるが、多くの光を供給する。これらの事実を知っていて、そうして合理的にものを考える能力のある人ならば、どうしてこれらの天体に生住者がいないと主張することができようか。』『この精霊や天使等の間では、太陰やまた木星土星を巡る月、すなわち、衛星にも住民がいることは周知のことである。』その住民というのは知恵のある、人間と類似の存在であるとして記載されている。『誰でもこの精霊たちの話を聞けば、これらの天体に生息者のあることを疑うものはあるまい。なぜかといえば、これら天体は皆「地球」であり、そうして「地球」がある以上はそこに人間がなければならない。地球の存在する最後の目的は結局人間だからである。』スウェデンボルクはこのようにして、単に我々の太陽系に属する諸遊星に関してのみならず、また眼に見える宇宙の果てまでの間に介在する他の太陽を取り巻く生住者ある世界に関する知識を得た。彼の肉体がこの地球に止まっている間に彼の霊魂がそういう他の世界に行ってきたのである。また彼は我々の太陽が天上の他の諸太陽よりも大きいということを悟った。すなわち、彼が他の世界の遊星の一つから空を眺めたときに他の星よりも大きい一つの星を認め、そうして、それが我々の太陽だということを『天から』教えられたからである。彼はまたあるとき宇宙系中で最小だと称せられる遊星に行ったことがあるが、その周囲はわずかに五〇〇ドイツ哩(三七六〇キロメートル)にも足りなかったそうである。彼はまたしばしば他の遊星の動植物のことについても話している。
このごとき記述はスウェデンボルク時代の教養ある人士の間で一般に懐かれていた宇宙の概念の特徴を示すものと見ることができる。上記はプロクトル(Proctor)の著から引用したのであるが、この人も注意したように、この概念は現代の見方とは大分懸けはなれたものである。現に我々の太陽は確かにすべての恒星中の最大なものではない。またスウェデンボルクの挙げた遊星は決して宇宙間で最小のものでもない。紀元一八〇〇年以来発見された七〇〇の小遊星の中で最大なセレスは周囲二〇〇〇キロメートルであった。ヴェスタとパルラスはその半分にも足らず、またその光度から判断して最小のものとして知られているのは、周囲わずかに三〇キロメートルにも足りないらしいのである。
それにしてもスウェデンボルクが二九ヶ年交際していた精霊たちが誰一人これら小遊星のことを知らなかったというのはよほど不思議なことである。また彼らが土星を最外側の遊星だとしたのも間違っている。それは、その後に天王星と海王星(一七八一年と一八四六年)とが発見されたからである。もっとも天王星は実は一六九〇年、すなわち、スウェデンボルクの生れたころ(一六八八年)に、既にフラムステード(Flamsteed)によって観測されていた。それは肉眼にも見えていたので疑いもなく多数の人の眼に触れていたのであろうが、ただハーシェル以前には誰もそれが遊星であるとは思わなかったのである。
また、水星では太陽からの輻射が酷烈である(地球上よりも六・六倍ほど)のにかかわらず、その住民が安易な気候を享有していると主張しているのも大いに注意すべき点である。その理由は雰囲気の比重が小さいからだというのである。しかして稀薄な雰囲気が冷却作用をもつことを、スウェデンボルクは、高山では、たとえ熱帯地であっても、著しく寒冷だという事実から推論している。そういうことをスウェデンボルクが水星の住民に話してやったことになっている。彼らは余り知恵のない住民として記されているのである。今日我々の考えでは、水星の上で生物の存在は到底不可能としなければならない。
これから見ると、スウェデンボルクがその幻覚中に会談したと信じていた精霊や天使たちも、結局彼自身が既に知っていたことか、または確からしいと考えていたこと以外には何も教えることができなかったということが明白に分る。それで、この啓示によって授かった知識を現代の考えに照らしてみたときの誤謬は、そのままに当時の宇宙に対する全体の知識の誤謬を示すものである。それで私がここで精霊の所説に関するスウェデンボルクの報告を列挙したのは、ただ当時の学者が宇宙系をどういうふうに考えていたかを示すためであって、この顕著な一人物の深遠な、そして彼自身の信じるところでは、超自然的な方法で得た知識の概観を示そうとしたわけではないのである。
カントでさえ、多分スウェデンボルクの先例に刺激されたと見えて、その著『天界の理論』(Theorie des Himmels)中で、他の遊星にいる理性を備えた存在の属性に関して長々しい論弁を費やしているのもまた当時一般の傾向を示すものとして注意するに足りるのである。もっとも彼はただ太陽系だけを取り扱っている。しかして『この関係はある度まで信じるに足るものであって、決定的に確実という程度からもそれほど遠くないものである』と言っているが、これは遺憾ながら、彼には往々珍しくない批判力の鋭さの欠乏を示すものである。
すなわち、彼の説によると、諸遊星のうちで、太陽に近いものほど比重が大きいので(この仮定が既に間違っている)、太陽から遠い遊星であればあるほど、その遊星の生住者もまたその動植物も、それを構成する物質の性質は、それだけ、軽く細かなものでなければならない。同時にまた、太陽からの距離が大きいほど、これらのものの体躯の組織の弾性も増し、またその体躯の構造も便利にできていなければならない。同様にまた、これらのものの精神的の性能、特にその思考能力、理解の早さ、概念の鋭さ活発さ、連想の力、処理の早さ等、要するに天賦の完全さは、彼らの住所が太陽から遠いほど増加するはずである、というのである。
木星の一日はわずかに一〇時間である。これは『粗末な本性』を有する地球の住民にとっては十分な睡眠をするにも足りない時間である。そういう点から考えて彼は、上記のことは必然でなければならないとした。またスウェデンボルクのみならずカントの考えでも、太陽系の外方にある遊星に多数の衛星のあるのは、つまりそれら遊星の幸福な住民を喜ばせるためである。それはなぜかと言えば、彼らの間では恐らく美徳が無際限に行われていて、罪悪などというものはかつて知られていないからだというのである。
このようなことを書いているのを見ると、当代で最も偉大であったこの哲学者でも、なお同時代の学者間に一般に行われていた幼稚な形而上的でかつ目的論的な考え方から解放されることができなかったのである。すべてのものに便利ということを要求する目的論的の見方では、スウェデンボルクの言葉を借りて言えば、『人間が目的物であって、それぞれの地球はそのために存在する』ということになるのである。
Ⅶ ニュートンからラプラスまで。
太陽系の力学とその創造に関する学説
遊星運動の法則に関するケプラーの発見によって諸遊星の位置をある期間の以前に予報することができるようにはなった。しかしまだこれでは、いわば進歩の大連鎖の一節が欠けているようなものであった。しかしてそれを見付けるのにはニュートンを待たなければならなかった。彼はケプラーの三つの法則が、ただ一つの法則、すなわち、今日ニュートンの重力の法則としてよく知られている法則から演繹され得ることを証明した、この法則に従えば、二つの質量間に働く力はこれら質量の大きさに比例し相互距離の自乗に反比例するのである。当時既にガリレオ(Galilei)及びホイゲンス(Huyghens)の周到な計測によって地球表面における重力の大きさがよく知られていた。ニュートンの考えに従えば、これと同じ力、すなわち、地球の引力が太陰にも働き、そうしてそれをその軌道に拘束しているはずであるから、従って、太陰の距離における重力の強さは算定され、またそれを太陰軌道の曲率を決定するに必要な力と比較することができるはずである。それでニュートンは一六六六年にこの計算を試みたのであるが、余り良い結果を得ることができなかった。
ニュートンは――フェイー(Faye)も言っているように――この計算の結果がうまくなかったために重力の普遍的意義を疑うようになったではないかということも想像されなくはない。とにかく彼が、それきり一六八二年まで再びこの計算を試みなかったということは確実である。しかし、この年になって彼は地球の大きさに関する新しい材料を得たのでこれを使って計算を仕直し、そうして望み通りの結果を得た。当時この発見が現われるべき時機が熟し切っていたと思われるのは、ニュートンの同国人が四人までもほとんど彼に近いところまで漕ぎ付けていたことからも想像される。そのためもあろうが、とにかくこの発見はニュートンの同時代の学者のすべてから盛んに歓迎された。もっとも、遠距離にある物体間に力の作用があるということ、また遊星が真空の中を運行しているということを心に描くのはなかなか困難であった。しかしまた一方で、遊星の運動が非常に規則正しいから、いくら稀薄であるとしてもガス状のものの中を通っていると考えることは不可能であると思われた。のみならず空気の密度が高きに登るほど急激に減ずるということが気圧計の観測によって証明されたのであった。従って最早デカルトの渦動説は捨てなければならないことになった。すべての天体は、あの、円形とは甚だしくちがった形の軌道をとるために、甚だしくデカルトを困らせた彗星でさえも、すべてが厳密にニュートンの法則に従った軌道を運行していることになったのである。
遊星系内に行われている著しい規則正しさが強くニュートンの注意を引いた。すなわち、当時知られていた六つの遊星もまたその一〇個の衛星もいずれも同じ方向にその軌道を運行し、その軌道は皆ほとんど同一平面、すなわち、黄道面にあって、しかもいずれもほとんど円形だということである。彼は天体を引きずり動かす渦動の存在は信じなかったから、こういう特異な現象を説明するに苦しんだ。特に困難なのは、やはり太陽の引力によって軌道を定められているはずの彗星が、往々遊星と同方向には動かないということであった。それでニュートンは(何ら格別の理由はなかったが)遊星運動の規則正しさについては力学的の原因はあり得ないだろうという推定を下した。そうしてこう言っている。『そうではなくて、このように遊星が皆ほとんど円形軌道を運行し、そのために互いに遠く離れ合っていること、また多くの太陽が互いに十分遠く離れているために彼らの遊星が相互に擾乱を生ずる恐れのないこと、こういう驚嘆すべき機構は、何ものか一つの智恵ある全能なる存在によって生ぜられたものに相違ない。』ニュートンの考えでは、遊星はその創造に際してこうした運動の衝動を与えられたのである。この考え方は、実は説明というものではなくてその反対である。これに対してライブニッツは強硬に反対を唱えたが、それかと言って、彼もこの謎に対して何ら積極的の解答を与えることはできなかった。
これに対する説明を得んとして努力したらしい最初の人は『博物史』(Histoire naturelle 一七四五年)の多才なる著者として知られたビュッフォン(Buffon)であった。ビュッフォンはデカルトやスウェデンボルクの著述を知っていた。そうしてスウェデンボルクの考えたような太陽からの遊星の分離の仕方は物理的の立場から見て余り感心できないということを、正当に認知し、そうして別に新しい説明を求めた。彼はまず第一に、諸遊星の軌道面と黄道面との間の角が自然に、全く偶然に、七度半以内(すなわち、最大可能の傾斜角一八〇度の二四分の一)にあるという蓋然性は非常にわずか少なものであるということを強調した。
このことは前に既にベルヌーイ(Bernoulli)が指摘している。一つの遊星について偶然にこうなる確率はわずかに二四分の一である。それで当時知られた五個の遊星がことごとくそうであるという確率は24-5すなわち、約八〇〇万分の一という小さなものである。その上でまだ、当時知られていた限りのすべての衛星(土星に五個、木星に四個、それに地球の月と土星の輪がある)もまた黄道からわずかに外れた軌道を運行している。それでどうしても、何か必然そうなるべき力学的の理由を求めないわけには行かなくなってくるのである。
ビュッフォンは遊星の運動を説明するために次のような仮定をした。すなわち、これら遊星は太陽がある彗星と衝突したために生じたものである。その衝突の際に、太陽質量の約六五〇分の一だけが引きちぎられて横に投げ出され、それが諸遊星とその衛星とになった、というのである(第二十一図)。このようにほとんど切線的な衝突が実際に起り得るものだということは次の事実からも考えられた。すなわち、一六八〇年に現われた彗星の軌道をニュートンが算定したところによると太陽の輝いた表面からわずかに太陽半径の三分の一くらいの距離を通過した。それで予期のごとくこの彗星が二二五五年に再び帰って来るときには太陽の上に落ちかかるであろうということも十分に可能であると思われたからである。
第二十一図 太陽と彗星の衝突(ビュッフォンの博物史中の銅版画)
この説に対して、それら衝突によって生じた破片が再び元の所に落ちはしないかという抗議があるかも知れない。これに対するビュッフォンの答は、彗星が太陽を横の方に押しやってしまい、また投げ出された物質の初めの軌道は後から投げ出された破片のために幾分か移動するから差支えはないというのである。後にこのビュッフォンの仮説を批判したラプラスはこの逃げ道を肯定している。ビュッフォンの考えは全く巧妙である。仮に一つの円い木板があるとして、これに鋭利な刃物を打ち込んで、第二十二図に示すように削り屑を飛び出させるとすれば、木片は矢で示す方向に回転するであろう。
第二十二図
打ち出された削り屑もまた同じ方向に回転する、のみならず、刃物との摩擦のために右方に動く、すなわち、板の赤道の運動方向と同じ方向に並行して進む。大きな屑の破片と見なされる小破片は、もしその小破片と細い繊維ででも繋がっていればその周囲を同じ方向に旋転しなければならない。これと全く同様に、彗星が太陽の面に斜めに入り込んだ際に分離した太陽の破片はすべて同じ方向に回り、衝突後の太陽の赤道と同じような軌道を描くはずである。ビュッフォンは太陽を灼熱された固体であると考え、また地球と同じように雰囲気で囲まれていると考えた。小さい屑を大きい屑に繋ぐ繊維に相当するものが重力である。
ここまでは至極結構である。しかしビュッフォンは更に一歩を進めて次のように推論した。すなわち、比重の最小な破片は最大な速度を得る、従ってその軌道を曲げるような抑制を受けるまでには太陽から最も遠い距離まで投げ出されるというのである。彼は土星の比重が木星のよりも小さく、また木星のが地球のよりも小さいことを知っていたので、そこからして、遊星の比重はそれが太陽に近いほど一般に大きいと結論した。この結論はスウェデンボルクもしたものであり、また後にカントも再びしたものであるが、しかし我々の今日の知識とは全く合わないものである。また太陽から分離するときに最大な赤道速度を得たような破片は、また最も小破片すなわち、衛星を投げ出しやすいはずである。これはその当時の経験とは一致するが、今日の知識とは合わない。当時知られていたのは、ただ、木星の赤道速度が地球のそれよりも大きく、地球のが火星のよりも大きいということだけであった。当時木星の衛星四個、地球のが一個知られていたが、火星のは一つも知られていなかった。それで、五個の衛星を有する土星は最大の赤道速度をもつべきはずであると考えられた。しかるに今日では赤道速度による順位は木星、土星、地球、火星となり、それら各々の衛星の知られている数は、それぞれ七、一〇、一、二ということになり、従ってビュッフォンの言う順位はもはや適用しない。
ビュッフォンの考えでは、遊星は、衝突の際発生した多大の熱のために一度液化したが、その体積の小さいために急激に冷却したものであって、同様に太陽もまたいつかは冷却して光を失うであろう。種々の遊星はその大きさによってあるいは永くあるいは短い期間灼熱して光を放っていたものであろう。それで種々な大きさの鉄の球を灼熱してその冷却速度を測ってみた結果から、彼は次の結論を引き出してもいいと信じた。すなわち、地球が現在の温度まで冷却するには七五〇〇〇年を要し、太陰は一六〇〇〇年、木星は二〇万年、土星は一三一〇〇〇年を要した。太陽が冷却するまでには、木星の場合よりも約一〇倍の時間を要するであろう、というのである。
遊星が分離する際に太陽の雰囲気の中を通過している間に、そこから空気と水蒸気を持ち出した。そうしてこの蒸気から後に海ができた。地球の中心は速くに灼熱の状態を失っていなければならない。なぜかと言えば地心の火を養うべき空気が侵入することができないからである(この点はデカルト及びライブニッツと反対である)。しかしそれにかかわらず、ビュッフォンは、地球の温熱のただ二パーセントだけが太陽の輻射によって支給され、あとは皆地球自身の熱によるものと信じていた。地球は全部均等な比重を有しなければならない、さもなければその回転軸が対称的の位置になり得ない――しかるに地球の形は、地球と同じ回転速度を有する液体の球が取るべき形と全く同じ形をしているのである。地球はまた中空ではない、もしそうであったら、高山の上での重力は通常よりも大きくなければならない。
投げ出された破片の平均比重は太陽の比重とほとんど同じである。何となれば、この破片の総質量の大部分(約七五パーセント)を占める木星の比重はほとんど太陽のと同じで、その大きさにおいてその次に来る土星のは少し小さいのである。それ以内にある諸遊星の比重はこれに反して太陽のより少し大きい。これらの事実が彼の説を確かめるものと彼には思われた。しかし以上の二つの点に関して次のようなことを指摘することができる。すなわち、まず、もし地球内部の比重がその中心からの距離に応じて定まったある方式に従って内部に行くほど大きくなっているとしても、その回転軸はやはりその中心と両極を通るのである。それで地球の内部の比重はその外層のよりも大きいと仮定しても、それに対する反証は何もない。実際――今日我々の知る通り――この比重の比は二と一の割合になっているのである。次に、地球の冷却が、特に良く熱を導く鉄の球の場合のように急速であると考えるべきはずはない。それで地球内部には、何らの燃焼過程が行われなくとも、今でも灼熱状態が存していると考えることができる。最後に、今日我々の知るところでは、太陽も、また多分、木星以外の外側の諸遊星も、それから、内側の諸遊星の内部も、いずれもガス体であって、ビュッフォンの信じたように固体ではない。このような次第で、彼の論証の一部は根拠を失ってしまった。しかし後にカントの提出した説に比べるとこれでもまだ比較にならないほど良いのである。
ビュッフォンは真個の科学者自然探究者であって、その考察様式は今日の科学者のそれと同じである。彼は不幸にしてラプラスから、当を得ない批判を受けたために、彼の名の挙げられることはまれであり、これに反してカント、ラプラスの名のみが常に先頭に置かれている。しかし私の見るところでは、ビュッフォンの研究は、ことにそれがラプラスのよりも約五〇年ほど早かったことから言っても、とにかくもラプラスのと同等の価値を認めてもいいと思われる。そしてこのラプラスの方がまた彼のケーニヒスベルクの哲学者のよりははるかに優れているのである。
ビュッフォンは彼の時代の、筆数ばかり多くて一向要領を得ない宇宙創造論者に対して次のような言葉で、かなり辛辣なしかも当を得た批評をしている。『私でも、もし上に述べた意見をもっと長たらしく敷衍しようと思えば、バーネット(Burnet)やウィストン(Wiston)のように大きな書物を書けば書けないことはない。また一方で彼らのしたようにこれに数学的の衣裳を着せて貫目を付けようと思えばできないこともない。しかし仮説というものは、たとえそれがどれほど確からしいとしても、こういう何となくこけおどしの匂いのする道具で取扱うべきものではないと思う。』
ラプラスがこの系統に対して与えた批評には正当なものがある。そのためにビュッフォンの仮説が信用を失ったのは疑いもないことである。ビュッフォン自身こう言っている。もし地球上の一点から弾丸を打ち出すとすれば、それが閉鎖した曲線軌道を描く場合ならば再び元の出発点に帰ってくるであろう。すなわち、ただ短時間だけ(せいぜい一周期だけ)地球から離れていることになる。同様に太陽から飛び出した削り屑も太陽に戻らなければならない。それがそうならないのはいろいろな付加条件のせいである。これについて天体力学の方面における一大権威者たるラプラスはこう言っている。『種々の破片はそれが墜落する際に互いに衝突し、また互いに引力を及ぼすためにそれらの運動方向に変化を生じ、そのためにそれらの近日点(すなわち、軌道の上で太陽に最も近い点)は太陽から遠ざかることがあり得る。』それでここまではビュッフォンの考えは正しい。『しかし』と、ラプラスは続けて言う。『それならばそれらの軌道の離心率は甚だ大きいものでなくてはならない。少なくともそれらがすべてほとんど円形軌道をもつという蓋然性は非常に少ないであろうと思われる。』ビュッフォンも遊星軌道がほとんど円形であるということは多分知っていたに相違ないが、しかしこの規則正しさについては何の説明も与えていない。それで彼の系統を事実に相当させるためには著しい変更を加えなければならない。それにしてもラプラスが、ビュッフォンは彗星軌道の非常に離心的で細長いことを説明することができなかったろうと言っているのは了解に苦しむことである。実際ビュッフォンは決して(後にカントがしたように)彗星が太陽系に属するものとは仮定しなかったので、むしろラプラスと同様に外側の空間から迷い込んできたものと考えていたのである。そうだとすれば、ラプラスが証明したようにその軌道は著しく離心的でなければならないはずである。ビュッフォンはこの問題については余り深入りはしていない。しかしこれは彼の説の不完全な点であるとしても誤謬とすることはできないのである。
次にカントの仕事について述べようと思う。彼はビュッフォンより一二歳若く、しかもビュッフォンに刺激されてやった仕事であるが、ビュッフォンのとは到底比較に堪えないものだということは以下に記すところから分るであろうと思われる。カントは一七五五年に『自然史及び天界の理論』(Naturgesch chte und Theorie des Himmels)という一書を著したときは、わずかに三一歳の若者であって、哲学者としての光輝ある生活はまだ始まらないころであった。この書において彼はニュートンの研究の結果を応用して上記の問題を論じている。彼の考えによると天の空間は真空であって、遊星はデカルトの考えたように、一つの渦動に巻き動かされるということはない。その代りこれら遊星はいったん運行を始めれば、この真空な空間の中では何の動力を与えてやらなくてもその運行を続けるであろう。
それで、かつて一度は渦動が存在したが、それが諸遊星の運行を始めさせた後に消滅したと考えても差支えないではないか。カントはこういうふうに考えを進めて行った。これは良い考え方であって、ややアナキシマンドロスの考えに似たところがある(九八頁参照)。
カントはこう言っている。『それで私はこう仮定する。すなわち、現在、太陽、諸遊星及び彗星となっているすべての物質は、最初には、これら諸天体の現に運行している空間の中に拡散していた。』この微塵のような物質の中点、そこは今太陽のある点であるが、この点へ向けて残りの微粒子の引力が働いた。それでこの物質微粒子は、間もなく微塵体の中心に向かって落下し始める(この粒子を、カントは、固体か液体であると考えたようである。その中で比重の最大なものが太陽に落下する確率もまた最大であると言っているのである)。その墜落の途中で時々相互間の衝突が起り、そのために横に投げ飛ばされる。従って中点を取巻くような閉鎖軌道を運行するようになる。こういう軌道を動いている物体が更にまた幾度も互いに衝突する。そのために段々に軌道が整理され、その結果はすべてが円形軌道を同じ方向に同じ中心のまわりに回ることになる。また中心に向かって落下する一部の物体も、やはり同じ回転方向をもっているために、その衝突の結果として太陽もまた同じ方向に、自転するようになったのである。
しかし中心のまわりの分布が最初に均等であったのに、どうして最後に右から左へ回るような運動を生じたか、左から右へ回っても同じでありそうなのに、どうしてそうはならなかったか。昔アリストテレスは地球のまわりを諸天体が左から右へ回ると考えたのであるが、彼の考えではこの回転方向の方が典雅であり神性にふさわしいものと思われたためであった。カントもまたこの二つの方向の中で一方が優勢であるというふうに考えた。これはデカルトの仮定したように諸質点が当初からある特定の一点のまわりに一定の方向に渦動をしていたという場合に限って言われることである。カントはこの仮定はしなかったのであるから、彼の学説では特に一方に偏した回転方向をもつような遊星系の生成は不可能である。妙なことにはカントから一〇〇年後にかの大哲学者スペンサーがまたこれと同じ誤謬を犯しているのである。
更に、カントの考えでは、いったん渦動を始めた物質の中でも一番重いものが中心へ向かって一番早く落ちてくるので、結局の円運動をするようにならないうちに中心近くまで来てしまうという確率が一番大きい。こういう理由で、太陽に最も近い遊星の比重が最大でなければならぬというのである。これはスウェデンボルクもビュッフォンも唱えたことであるが、しかしこれは事実に合わない。カントはまた中心にある物体の比重はそのすぐ近くを回っている物体のそれよりも小さくなければならないと主張している。しかし実際は太陰は地球よりも比重が小さい。カントはもちろんこれを反対に考えていたのである。
そこでこのように太陽のまわりを回っている流星微塵環の中に所々に比重がよそより大きいところがあると、各環内の他の場所の物質がだんだんそこへ集中してくるはずである。このようにして遊星や彗星ができたのであろう。もしも、このようにだんだんに集団を作るような部分が完全に対称的に配置されているならば、これらが皆同一平面上にある以上は、すべての遊星が皆完全な円形軌道を取るようになるはずである。それでカントの考えでは、遊星軌道が円形でなくまた黄道面に対して傾斜しているのは、一番初めから対称の欠陥があったとして説明することができるというのである。しかし将来太陽となるべき中心点の周囲に物質が均等に分布していたという前提をしたのであるから、最初からこういう対称の欠乏がどうして存在したかを説明することはできない。また一方では、他の場所でこういう意味のことも言っている。すなわち、重力の弱いほど、すなわち、太陽から遊星までの距離が大きいほど、その遊星の軌道の離心率も大きくなければならないというのである。これは、カントの例証した通り、土星、木星、地球及び金星については適合する。しかし彼は水星と火星のことは何とも言っていない。ところがこの二星は、小遊星は別として、最大の離心率を有しているので、従って彼の系統には全く合わない。カントは、デカルトと同様に、彗星は土星の外側に位するものとし、その離心率の大きいのはそのためであると考えた。
この考えは、しかし、既に前にニュートン並びにハレー(Halley)も示したように全然事実と適合しないものである。それは、カントの考えに従えば彗星もまた土星よりも比重が小さくなければならないからである。(これは少なくとも彗星の中核については多分事実でない。)
以上述べたところから考えてみてもカントの宇宙開闢説の基礎には実際の関係とは一致しないような空想的な仮定がたくさんに入っていることが分るであろう。まだこの外にも同様な箇条を挙げればいくらも挙げられるのであるが、しかしそうしたところで別に大した興味はないからまずこのくらいにしておく。ただ一つ付記しておく必要のあることは、フェイー(Faye)が証明したように、もし一つの遊星がカントの言ったようにして一つの輪から変じて団塊となったとすればその回転方向は太陽のそれとは反対にならなければならず、従ってすべての(カント時代に知られていた)遊星に特有な回転方向は逆にならなければならない、ということである。
第二十三図 遊星Pが、Pの下方にある或る中心点のまわりに回転する流星の流れから生成されんとしているさまを示す様式図である。中央の四つの矢はこの流れの中の各所の速度を示す。これは図のごとく下から上へ行くほど小さい。Pの下方の回転速度は上よりも大きいからいくつかの輪の流星が一所に集まってしまう場合には下の方の輪の速度が上の方のに勝つから従ってPは流星環の方向(右から左へ)とは反対の方向に(左から右へ)回転しなければならない。
第二十三図がこのような輪を表わすものとすると一番外側の微塵物質は、遊星運動の法則に従って内側にある太陽に近いものよりも小さな速度で通行する。従ってもしこのような微塵が集まって一団塊となるとすれば、その内側すなわち、太陽に面した方が、外側よりも急速に右から左へ動かなければならない。換言すればその遊星は左から右へ、すなわち、太陽並びに当時知られていた諸遊星と反対の方向に回ることになるのである。
カントは土星の輪の生成に関する力学的説明を与えているのであるが、それが我々の遊星系の生成に関してラプラスの与えた説明とかなりまで近く一致しているのは注意すべきことである。すなわち、始めに土星の全物質が広い区域に広がって、しかして軸のまわりに回転していたという仮定から出発している。それが次第に収縮していくうちにある微粒子は余りに大きな速度を得るために表面まで落下することができなくなる。そのために途中に取り残され、そうして環状に集まった衛星群となるというのである。彼はまた土星の衛星も多分同様にして成立し得たであろうと考えた。彼が太陽系の発生を論ずる場合にこういう始めからの回転は仮定しないでおいて、ここでそういうものを仮定していることから見ても、彼の考察の行き届いていないことが分かるのである。また彼の考えでは黄道光なるものは太陽のまわりに生じた薄い輪である。――すなわち、彼の考えによれば、この輪の最も内側にある粒子は元は諸遊星の赤道付近にあったのが、そこから飛び出して、その速度をそのままに保ちながら現在の空際に上昇したというので、これは直接に重力の法則に背反する。こういう考えは薄弱と言われても仕方がないのである。次に彼は輪の回転周期からして土星の赤道における速度を計算し、その自転周期を六時間二三分五三秒としている。彼はこの結果に対してよほど得意であったと見えて、この結果は『恐らく正真の科学の範囲内でのこの種の予言としては唯一のものである』と言っている。しかし土星の自転周期は実際は一〇時間一三分である。これに連関してカントはまたノアの洪水の説明をしようと試みている。これは当時の科学者らの間に大分もてはやされた問題であったのである。カントの説によれば、モーゼの書の第一巻すなわち創世記に『天蓋の下なる水』と記されているのは、多分地球を取り囲む、あたかも土星の輪のごとき『水蒸気』の環状分布を指すものである。この地球の輪は地球上を照らす役目をつとめるものであるが、また人間がこの特権を享有する価値のないようなことをした場合にはそれが洪水を起して刑罰を課する役にも立つものである。このような洪水はこの輪が急に地球上に落下する際に起るというのである。このように聖書や古典書中の諸伝説を自然科学的に説明しようとする努力は当時の科学的研究の中にしばしば見出されるものである。
第二十四図 ラプラスの説によって星雲から輪の生ずる状を示す様式図。中心には中央体すなわち太陽があって星雲の冷却する際そのまわりに輪ができる。輪のある部分は破れている。またある輪では星雲物質の凝縮したところを示してある、これが後に遊星になるものである。「宇宙と人間」所載。
カントは一七五〇年にライト(Wright)の発表している一つの考えを採用した。それは、銀河の平均面は我々の遊星系の黄道面に相当するだろうということである。太陽のまわりを回る諸遊星が黄道の平面から余り遠く離れないと同様に、諸恒星も大多数は皆銀河の平均平面からわずかしか離れないような軌道の上を動いているであろう。これらの恒星は、その一員たる太陽をも含めて、皆一つの中心物体のまわりを運行しているはずであるが、その中心体の位置は未知である。しかしそれは多分観測によって決定することができるであろうというのである。ニーレン(Nyrén)に従えば、ライトはこの説のすべての重要な諸点をカントと同じように明瞭に述べているそうである。
最後にカントはまた太陽の冷却に関する説を述べている。すなわち、空気が欠乏するために、また、燃え殻の灰が堆積するためにこの燃焼している天体(当時は普通にそう考えられていた)の火焔が消滅するというのである。
燃焼している間に、太陽の組成分中で最も揮発性のもの、また最も精微なものが失われる。そうして、そういうものが集まって微塵となり、この所在が黄道光を示すものと考えられる。カントは甚だ漠然と次のようなことを暗示している。すなわち、彼の設定した『太陽の滅亡の法則の中には、四散した微粒子の再度の集合の萌芽を含んでいる。たとえこの粒子はいったんは渾沌と混合してしまったとしても』とこう言うのである。この言葉や、また後に述べようとする彼の他の叙述から考えてみると、カントは、物質には一つの輪廻過程があって、あるときはそれが太陽に近く集合し、またあるときは再び四散して渾沌たる無秩序に帰ると考えていたらしい(一〇二頁デモクリトスの説参照)。
カントの宇宙開闢論もやはり、遊星系が宇宙微塵あるいは小流星群から進化したとする諸仮説中の一つである。この考えは後にノルデンスキェルド(Nordenskiöld)及びロッキャー(Lockyer)によって採用され、そうしてダーウィン(Darwin)によって数学的に展開された。ダーウィンの示した結果によれば、こういう小さい物体の群は、いろいろの関係から見て、あたかも一つのガスの団塊と同様な性質をもっているのである。しかるにラプラスは、彼の『宇宙系』の巻末において太陽系の進化の器械的説明を試みるに当って以上の考えとは反対に、灼熱したガスの団塊を仮定して、そこから出発している。そうしてその団塊が初めから、その重心を通る一つの軸のまわりに右から左(北から見て)の方向に旋転運動を有したものと考えている。この点の相違は甚だ著しいものであるにかかわらずしばしば一般に観過されているのである。これは多分ツェルナー(Zöllner)が『星雲説』に関して述べたことに帰因していると思われる。この著によって彼は『この仮説が、ラプラスではなくて、ドイツの哲学者たるカントによって基礎をおかれたものだという証拠を見せよう』としたのである。
ラプラスはこういうふうにその説を述べている。『我々の仮説によれば、太陽の原始状態はちょうど星雲と同様なものであった。望遠鏡で見ると(この点に関するハーシェルの研究参照、一八二頁)星雲には幾らか光った中核がありその周囲を一種の霧のようなものが取り囲んでいる。この霧が中核のまわりに凝縮するとそれが一つの恒星に変るのである。』『太陽は無限大に広がることはできない。回転によって生ずる遠心力がちょうど重力と釣合う点がその限界を決定する。』太陽のガス塊が冷却するために徐々に収縮すれば従ってこの遠心力が増大する。ケプラーの第二法則に従えば、各粒子が一秒間に描く円弧の大きさはその太陽中心からの距離に反比例する。それで、収縮の際に、遠心力は中心からの距離の三乗に反比例するのに対して中心に向かう重力の方は同じ量の自乗に反比例する。その結果として、この灼熱ガス塊の収縮に際して一つのガス状の円板が分離し、それがちょうど同じ距離にある一つの遊星のように太陽のまわりを運行する。そこで、ラプラスはまた次のように仮定した。この円板はいくつかの灼熱したガスの輪に分裂しその各々が一つの全体として回転し、そうして、それが冷却して固体また液体の輪となったというのである。
しかし、これは物理学的に不可能である。冷却の際に微細な塵の粒が析出すると、それはガスの中に浮游するであろう。ガスの冷却凝縮が進行するに従って多分これらの塵はだんだんに集合してもう少し大きい集団を作るであろう。このようにしてちょうどカントが土星について考えたと同じように一つの微塵の輪ができると考えられる。そうして、それがもしかたまって遊星になるとすればやはり実際とは反対の回転運動をすることになるであろう。のみならず、ストックウェル(Stockwell)及びニューカム(Newcomb)が示した通り、このようにただ一つの大きな団塊のできるということはなくて、土星の輪の中で回っていると同様な小さな隕石の群しかできないはずである。更にまたキルクウード(Kirkwood)に従えば、海王星の輪が一つの遊星に凝縮するには少なくとも一億二〇〇〇万年かかるというのである。
更にまた彼の説に従えば、すべての遊星の軌道は円形で同一平面上になければならないことになる。もっとも、これについてラプラスは『言うまでもなく、各輪の各部の比重や温度に著しい不同があったとすればこの軌道の偏差を説明することができるであろう』とは言っているが、しかし恐らくラプラス自身にもこの原因については余りはっきりした確信がなかったらしいということは、後でまた次のように言っていることからも推察される。すなわち、彗星(彼の考えではこれは太陽系に属しない)が近日点近くへ来たときに、そこに今正にできかかっている遊星に衝突し、そのためにその遊星軌道の偏差を生じた。またある他の彗星は、ガス塊の凝縮がほとんど完了した頃に太陽系に侵入してきた。しかして著しく速度を減殺されたために太陽系中に併合されてしまったが、それでもその著しく円形とはちがった長みのある軌道を保っている、というのである。
ラプラスの仮説に対する最も重大な異義として挙げられることは天王星及び海王星の衛星がその他の遊星の衛星と反対の方向に回っているという事実である。一八九八年にピッケリング(Pickering)の発見した土星の衛星フォエベも、また木星の衛星の一番外側のものもまた同様である。ただしこの二遊星に属する衛星のうちで内側にある他のものは皆普通の方向に回っているのである。
このようにして、ラプラスは、ビュッフォンの仮説に免れ難い困難(すなわち、軌道が円形に近いことを説明する)を避けることはできたが、その代りにまたこれに劣らぬ他の困難に逢着した。しかしラプラスの仮説は土星の輪の生成については非常に明瞭な考えを与えたものである。
ラプラスと同時代に英国にはハーシェルが活動していた。彼は大望遠鏡で星雲を研究した結果としてこれらの星雲は一種の進化の道程にあるものだという意見に到達した(一八一一年)。彼の観測した星雲の中に極めて漠然とした緑色がかった蛍光様の光を放つものがあった、これが原始状態であると彼は考えた。そうしてスペクトル分析の結果は彼の考えを確かめた。後にこの発光体はガス体、それは主に水素とヘリウム並びによそでは見られないネビュリウムと称する元素から成立しているということが分ってきた。ハーシェルはまた他の星雲についてその霧のようなものの真ん中にいくらか光の強い所のあるのを観測した。また他のものでは中にちゃんとした若干の恒星があることを認めることができた、のみならずまたあるものでは霧のような部分はほとんど全くなくなって一つの星団となっているものもあった。
この簡単ではあるが内容の甚だ大きい観測の結果は、かつては非常な驚嘆の的となったラプラスの仮説よりも、ずっとよく時の批評に堪えることができたのである。もっともラプラス自身にはその仮説を彼の仕事のうちの重要なものとは考えていなかったらしいということは、それを彼の古典的大著『宇宙体系』(Exposition du Système du Monde)の最後に注のような形で出していることからも判断される。このことは彼のために一言断っておく必要があると思うのである。
この大著の中で彼は我々の遊星系の安定を論じて次の結論を得ている。『諸遊星の質量がどんなであっても、それらが皆同方向に、しかもまた相互にわずかにしか傾斜しないほとんど円形な軌道を動いているという、それだけの事実から自分はこういうことを証明することができた。すなわち、遊星軌道の永年変化は周期的であって、しかも狭い範囲内に限られているということである。従って遊星系はただある平均状態から周期的に変化してはいるが、しかしいつもほんのわずかしかそれから離れない。』彼はまた一日の長さが、耶蘇紀元前七二九年以来当時までの間に一〇〇分の一秒だけも変っていないということを証明している。
このごとくラプラスは、一部分はラグランジュ(Lagrange)の助けによって、太陽系の安定が驚くべく強固なものであるというニュートンの考えを更に深く追究し立証した。それでこの遊星系は永遠の存立を保証されたかのように見えるのであるが、しかしこの系においても、ともかくもある始めがあったということを仮定するとすれば、これに終りのないというのは、実に不思議なことと言わなければならない。
この点に関しては確かにカントの考えの方が正当である、それは少なくとも我々の現代の考えに相応するところがあるのである。
Ⅷ 天文学上におけるその後の重要なる諸発見。恒星の世界
ラプラスの前述の研究は我々の遊星系に限られていた。またスウェデンボルクやライトやカントもその他の天体についてはただ概括的な考えを述べているにすぎない。もっともライトが、銀河の諸星もまた我々の太陽も運動していると考えたのはなかんずく顕著なものであった。しかるにハーシェル(Herschel 一七三三―一八二二年)に至ってはばく大な恒星界全部を取って彼の研究範囲としたのである。これより先ハレー(Halley 一六五六―一七四二年)は彼の観測の結果から、若干の恒星は数世紀の間にはその位置を変ずること、そうしてわずかティコ・ブラーヘのときから一七世紀の終までの間にさえ既に位置の変化が認められるということを発見した。その後間もなくブラドリー(Bradley 一六九二―一七六二年)が従来には類のない精密な恒星表を編成した。ハーシェルはこの表の助けによって恒星の位置変化に関する研究をすることができたのであるが、その結果として、この位置変化がかなり著しい程度に生じていることを発見した。また諸恒星は天の一方の部分に向かって互いに近より、またそれと反対の点から互いに遠ざかるような運動をしていることを認めた。そうしてこの現象の説明として、物体の視角がその物に近寄る人にはだんだん大きくなり、遠ざかる人には小さくなるという事実を引用した。ここでその物体に相当するものは恒星間を連結する線なのである。ハーシェルはこの考えに基づいて太陽とこれに属する諸天体がいかなる点に向かって動いているかを決定することができた。
始めハレー、後にハーシェルによって認められた恒星のこの運動を名づけてその固有運動と称する。この運動を測定するには通例星空を背景としてそれに対する恒星の変位を測るのであるが、この際背景となる星空には非常に遠距離にあるたくさんの恒星が散布されており、それらの星の大多数はその距離の過大なためにその運動が認められないのである。
大発見というものは始めには大概抗議を受けるものである。人もあろうにベッセルのごとき人でさえ、ハーシェルの発見は疑わしいと言明した。これに反してアルゲランダー(Argelander)はハーシェルの説に賛同した。この人は、恒星の位置及び光度について綿密な測定をして偉大な功績を挙げた人である。そうして彼の説はこの方面におけるすべての後の研究者によって確かめられた。なかんずくカプタイン(Kapteyn)のごときはその著しいものである。以下に述べるところも一部分はこの人の叙述によることにする。
一八八頁図(第二十五図)は天の一部分、すなわち、三角、アンドロメダ、牡羊、及び魚の各星座付近における恒星の運動を示すものである。
第二十五図
図の小黒圏は諸星の現在の位置を示す。この圏点から引いた直線はその星が最近三五〇〇年間に動いた軌道を示すものである。これから分る通り、三五〇〇年前にはこれらの星座はよほど今とはちがった形をしていたはずである。これら諸星の軌道は決して並行していないし、またその速度も決して一様でない。しかし、全体として見ると右上から斜めに左下に向かった方向が多いということだけは明らかに認められる。今これらのいろいろな方向の線を第二十六図のように、同一の点から引いてみると、この特に数多い方向が一層目立って認められる。この特異の方向を二重線の矢で示してある(第二十六図)。
第二十六図
このような運動方向の『合成方向』を天球の上に記入すると第二十七図のようになる。これらの矢は皆天球上のある一点から輻射するように見える。この特殊な点を『皆向点』(Apex)と名付ける。この点は明らかに太陽の進行している目標点である。何となればすべての恒星はこの点から四方に遠ざかって行くように見えるからである。もっともこれはもちろん諸恒星の平均運動についてのみ言われることであって、各自の星の固有運動について言えばそれはこの平均とは多少ずつ皆違っているのである。これからも分る通り諸恒星もまた互いに相対的に運動しているので、恒星の群の中で特に太陽だけが運動しているのではない。
第二十七図
カプタインによるこの図は非常に明瞭な観念を与えるものである。これを見ればハーシェルの考えの正しいということは到底否定することができない。太陽は天上の(A)点、すなわち、ヘルクレス星座中で、琴座との境界に近い一点に向かって進んでいる。そうしてこれと正反対の位置にある大犬星座から遠ざかりつつあるのである。
銀河中の諸恒星が――太陽系中の諸遊星のごとく――同一方向に動いているというライトの説は、シェーンフェルト(Schönfeld)並びにカプタインによって吟味せられた。しかしこのような規則的な運動をしているような形跡は見付けることができなかった。これに反してカプタインはこれとはちがったある規則正しさを認めた。すなわち、彼の見るところでは、これら恒星の固有運動は、二つの恒星群が存在することを暗示する。その一群はオリオン星座中のカイ(χ)星の方向に、他の一群はこれとほとんど正反対の方向に進んでいるように見えるというのである。なお、今後の研究によってこの規則正しさに関していろいろ新しい興味ある発見が現われることであろう。
この現象が一層著しい興味を引くようになったというのは、これによって、恒星が天球上を一年間に動く見掛け上の速度からして、その星の太陽からの距離を決定することができるようになったからである。アリスタルコス及びコペルニクスの説の通り地球は空間を動いているのであるから、一年中のある季節には他の季節におけるよりもある特定の恒星に近くなっているはずである。従って上に述べたと同様な現象が、ただし周期的ではあるが、認められるだろうと予期してもいいわけである。すなわち、多くの星の大きさが毎年一回ずつ大きくなったり小さくなったりするように見えるであろうという見込をつけても不都合はないはずである。
しかしこの期待はなかなか安易には満たされなかった。既にアリスタルコスはこの変化の見えないという事実から、諸恒星の距離は余りに大きいために、それが無限大であるように見え、従って星座の視角の年変化が到底認め得られないのであると考えた。コペルニクスもまた同じ意見であった。しかしティコ・ブラーヘにはこの考えが信じ難く思われた。そうして彼はこの事実をもって、地球は静止し宇宙の中点にあるという説の論拠としたのである。しかしその後、天文学者等はこの期待された現象を発見しようとしていよいよ熱心に努力をつづけていた。そうして、ついに一八三八年に至って、ベッセルが白鳥星座の第六一番と称する星が一年の周期でわずかな往復運動をしていることを確かめることに成功した。この運動からこの恒星の距離を算定することができたが、それは実にばく大なものであって、光線がこの星から太陽まで届くのに一〇年掛るということが分った。それでこの距離を表わすのに一〇光年という言葉を使う。一光年の距離は9.5×1012すなわち、約一〇万億キロメートルであって、地球から太陽への距離の六三〇〇〇倍に当るのである。その後他の恒星の距離もますます精密な方法で測定されるようになった。ケンタウル星座のアルファ星が一番太陽に近いものとなっているが、それですら四・三光年の距離にある。シリウスも入れて八つの星の距離が一〇光年で、これらがまず近い方の星である。星空中で我々に近い部分では恒星間相互距離の平均は一〇光年より少し大きいくらいである。二〇光年以内の距離にある恒星が二八個、三〇光年以下のものが五八個だけ知られている。それで結局アリスタルコスとコペルニクスの考えが正しかったわけになり、従って地動説に対する最後の抗議が片付けられたわけである。さてこのようにして恒星の固有運動、すなわち、角速度が分り、また距離が分れば、それから容易にその実際の速度を計算することができる。ただし視線に対して直角の方向における分速度だけしか得られないのである。このようにして得られた速度の数例を挙げてみると、毎秒キロメートルを単位として、ヴェガが一〇、ケンタウル座のアルファ星が二三、カペルラが三五、白鳥座の六一番星が六〇、アルクトゥルスが四〇〇という数を示す。
それで、もし、視線の方向における恒星の速度をも知ることができれば、その星の運動を完全に決定することができるはずである。ところが、一八五九年以来応用され、恒星に関する天文学に根本的な改革を促したスペクトル分析は、またこの視線方向の速度の測定法を授けるに至った。これによって測定された上記五個の星のこの分速度は毎秒キロメートル単位で、-19,-20,+20,-62,-5となる。ここで(+)記号は星が太陽から遠ざかることを示し(-)記号は近づきつつあることを示す。これらの数値が示す通り、恒星間の相対速度にはなかなか大きいものがあるのである。――地球の軌道上の速度は毎秒約三〇キロメートルであるから、これと比較することができよう。
視線の方向における恒星の運動が分ると、太陽が天のどの点に向かって近づきつつあるかということを算出することができる。この方がいわゆる固有運動から算定するよりも一層容易である。キャムベル(Campbell)はこういう計算を行ったがそのために彼はこういう仮定をした。すなわち、比較の基準となる諸恒星は、平均の上では静止している、換言すれば、これらの星の中で太陽に近づくものもあればまた同じ速度で遠ざかっているものもあるとする。そうして計算すると、太陽は彼の恒星固有運動から計算された点とほとんど同じ点に向かって毎秒二〇キロメートルの速度で空間の中を飛行しているという結果になる。これでみてもこれらの観測された現象に対する以上の説明が正しいということはもはや疑う余地のないことである。次に起ってくる最も興味のある問題は、太陽が常に天上の同一の点を目掛けて動いているか、すなわち、一直線に動いているか、あるいは少し曲った軌道を動いているかということである。もしその軌道の曲率の大きさが分れば、それからして太陽の軌道がいかなる力によって支配されているかを算定することができるはずである。しかしこの種の観測が始まって以来まだ余り時日がたたないから、今のところこの非常に重要な問題に対して何らの解答を与えることはできない。
しかし、ライトやカントが考えたように、すべての目の届く限りの恒星がある共通の大きな中心体のまわりを、遊星が太陽を回るように、回っているのではなくて、諸恒星相互の運動はかなりに不規則なものであるというだけは確実である。してみると、太陽がそういう冒険的に旅行をしているうちに、いつか一度はある恒星かあるいは星雲と衝突するようなことがないとは限らない。ただし太陽が自分と同じくらい大きい光った恒星と衝突するまでには約一〇兆年の旅を続けなければならない勘定である。もっともことによると空間中には冷却して光を失った恒星が、光っているものよりもずっと多数にあるかも知れないので、そうだとすると、この無事な旅行の期間は著しく短縮されるかも知れない。しかるに太陽がある星雲の中に進入するという機会の方は非常に多い。なぜかと言えば空間中にある星雲の数はかなり多いのみならず、またそれが星天の中を占める空間はなかなか大きなものでこれに比べては恒星の体積などは全く無に近いと言ってもいいほど小さなものだからである。
太陽が運行中にこのような星雲に出会って進行を阻止され、そのために灼熱される、するとそれがいわゆる新星と称するものになる。たとえば一九〇一年にペルセウス星座に突然出現したようなのがそれである。こういう説がしばしば称えられたものである。
この考えは特にゼーリーガー(Seeliger)によって発展されたものである。この説は衝突する星雲が比較的局部に集中されたものであった場合には疑いもなく適合する。たとえば遊星状星雲の場合には多分そうであろうと思われる。しかしこの考えは一般にすべての新星には適用されないように見える。少なくも従来詳しく研究された若干の場合から見てそう思われる。ペルセウス星座の新星の場合にはその出現後に一つの星雲が発見されたが、しかしその直径の視角は三〇分以上もあり、従ってその大きさはばく大なものであった。これは疑いもなく非常に広く拡散した稀薄な星雲の部類に属するものである。
一つの太陽型の恒星がある稀薄な星雲中に突入したときに何事が起るであろうかということは、星雲中における侵入者によって生じた道筋を示すウォルフ及びバーナード(Wolf und Barnard)の写真(『宇宙の成立』中の第五四図と第五五図)を見ればおおよその概念を得ることができるであろう。このような太陽が毎秒二八・三キロメートルの相対速度(注)で星雲中に進入するとすれば、それはその途上のすべての物質を薙ぎさらっていくのみならず、約一五〇〇万キロメートル以内のすべての物を掃除してゆくはずである。つまりそれだけの半径の溝渠を穿つわけになる。また相対速度が遅いほどこの溝は広くなるのである。しかるにウォルフ及びバーナードの写真に撮った物はその距離が余りに遠いために上述のような溝があってもそれは到底写真には現われないはずである。しかし実際の写真に現われた『道筋』は非常に顕著なものであってその大きさは上記の幾百倍のものであるとしなければならない。またこの写真で見るとこの侵入者のまわりにはばく大な広がりをもったかなり不規則な形をした星雲が取り囲んでいることが分る(近所にある恒星の写真像が皆規則正しい円盤の形をしているのと比較せよ)。これで見るとこの侵入者はこの稀薄な星雲の一部を、集中的な規則正しい星雲塊に変ずるものと思われる。その変化の過程については次のような具合に考えることができる。すなわち、まず、この稀薄な星雲の密度が侵入者の軌道の各々の側で一様でないと仮定する。これはもちろん一般にそうあるべきである。この侵入者の後側へすべての方向から落下してくる物質は互いに衝突してその運動は大部分相い消却してしまうのであるが、しかし密度が非対称的であるために若干の運動が残留し、そのためにこの落下した物質は侵入者のまわりを楕円形の軌道に沿うて動くようになる。このようにして星雲物質が集積されるために一種の巨大な環状星雲ができる。これが侵入者の軌道の付近の稀薄な星雲を掃除するのに役に立つのである。このように中心物体から著しい距離に星雲物質が拘留されるために温度の過大な上昇が妨げられる。もしそうでなかったとしたらこの侵入者は多分、彼のペルセウス星座のと同様な新星として強い光輝を発したであろうと思われる。薄く拡散した星雲中の物質は非常に稀薄なものでたまたまその中に侵入する物体があってもそれを灼熱させることはむずかしいように思われる。
(注) この数値はそれぞれ周囲に対して毎秒二〇キロメートルの速度で動いている太陽と星雲との間の蓋然値として得られたものである。キャムベルの測定では星雲の速度は太陽のと同じくらいである。
ただ、太陽がある他の太陽か、あるいは多分星雲中の特に集中した部分に侵入する場合に限って、それが新星として現われ、その光度は衝突以前に比べてもまたその後に衰えたときに比べても数百倍あるいは数千倍大きいものとなるであろう。
しかるにまた、星雲は太陽相互の衝突を早めることもできるように思われる。すなわち、星雲中には星空の各方面から隕石や彗星や特に宇宙微塵などのような多数の物質が迷い込んできてその中に集積する。これら天界の放浪者の質量は微小なものであるために皆星雲中に捕えられて残り、そこで上に凝縮する星雲物質とともに次第に大きな物体に成長し、そしてそれが収縮するために熱を生じて小さな恒星として光り始める。そのうちに漂浪する太陽が近所にやってきて衝突すると、その太陽から多量なガスが放出され、これが太陽の速度を減少させ、また星雲中の運動に対する抵抗を増加する。このようにして、あるいはまた非常に広く広がった星雲中を長く続けて放浪するために、太陽は星雲に捕獲されてしまう。それでこのようにある星雲中に入り込んだ太陽は、他のほとんど真空な空間中の特定な軌道を進んでいるものに比べると、同じ星雲中に捕われた他の太陽と衝突する機会がはるかに大きいわけである。
これら種々の理由から、太陽が他と衝突することなく自由に天空を漂浪し得る期間はずっと短く見積らなければならないことになる。前に計算したものの一〇〇分の一、すなわち約一〇〇〇万億年と見ても長すぎはしないであろう。もちろんこの数字は余り当てにはならないものであってただ一つの天体の寿命の概略の程度を示すにすぎないのである。
我らの太陽ぐらいの大きさの天体が二つ衝突した場合におよそいかなる事柄が起るであろうかということについては、著者の『宇宙の成立』中に詳しく述べておいた。互いに衝突する太陽から二つの猛烈なガスの流れが放出され、これが空間中にばく大な距離まで広がって、そうして、星雲に特有な二つ巴のような二重螺旋形を形成する。その噴出物質は主として最も凝縮しにくいガス体、特にヘリウムと水素、並びにまたそれよりは凝縮しやすい物質の微粒子からできている。これらは皆噴出の際に過大の速度を得たために、中心体の引力の余り利かなくなるほど遠い範囲に逸出してしまう。同時にその速度を失ってしまうために、長い間ほとんど位置を変えずに、螺旋状の形を保っているのである。これに反して、もっと小さい速度で放出された物質は再び元の噴出の場所に帰ってくる。その途中で、その後に放出されたもの、特にガス体に出逢う。これらの物質全体は結局は、中心体のまわりに広く広がった、固体並びに液体の微粒に満たされたガス星雲を形成する。同時にこの中心体は(かつてビュッフォンが想像したように)衝突によって激しい回転を生じているのである。一番内部の中心体は強く灼熱され、衝突前に比べると、著しくその体積を増している。そうして外側へ行くに従って、これを取巻いて渦動するガス塊へと徐々に移りゆくのである。
ラプラスが太陽系の始源となった元の星雲に対して抱いていた考えは正にこの通りであった。それで実際観測された事実に応ずるように適当にラプラスの説を修正すれば、今新たに星雲中で太陽系の進化が始まるとしたときそれがいかなる経過をとるかということの概念を描き出すことができる。そうして得られた新しい説はビュッフォンの説とラプラスの説とを適宜に混合したものとも見られるのである。
光輝の強い恒星アルクトゥルス(Arkturus)の速度は最も大きく毎秒約四〇〇キロメートルの割合で進行している。この星は太陽から約二〇〇光年の距離にあり、その送り出す光は太陽の光と非常によく似ている。従ってこの星の大きさはばく大なものであって、計算の結果では、多分太陽の五万倍もあるだろうと言われるくらいである。このような巨星が二つあって、それがアルクトゥルスと同様に大きな速度で相互に衝突したとしたらその結果がどうなるかを考えてみよう。噴出されるガスは一つの渦動となって広がってゆくであろうが、それは多分ほとんど同一平面内ですべての方向に無限に伸びてゆくであろう。銀河は多分このようにしてできたものであろうとも考えられるが、しかしこの銀河系には中心物体となるべきものが知られていない(後述リッターの説参照)のがこの説の難点となるわけである。幾百万年経過する間にはこのような巨大な星雲中に多数な小恒星が集積され、それらがまた互いに衝突して、そうして新しい渦動を生ずるはずである。ほとんどすべての新星は銀河の近くに出現するが、ここでは空間中の他の場所に比べると恒星間相互の距離が比較にならぬほど密接しているのである。新星が消えてしまった後では、ただ、一つのガス状星雲が見えるだけであるが、銀河付近にはこういうガス状星雲がやはり著しく集中しているのである。時の経過とともに星雲物質が、その中に入り込んだ微塵物質の上に再び集積されるとそれが星団になる。実際これも主としてこの同じ銀河区域に見られるのである。螺状星雲もそのスペクトルを検すると星団であることが分る。しかし距離が余り大きいためにその中の個々の星を認めることができないのである。この種の星雲は主に星の数の最も稀少な天の区域、すなわち、銀河からは最もはなれた銀河の極の方にある。この部分にはこの種のものが非常に多く、たとえば、ウォルフが、ベレニケ(Berenike)の髪毛と名づける星座の一局部を写したただ一枚の写真の中に一五二八個という多数の星雲を見付け出した。このうちの大多数は多分螺状星雲であると考えられる。
恒星の組成分に関する知識が得られるのは全くスペクトル分析のおかげである。その恒星という中には我々の太陽もその一つとして数えられているのである。ハーシェルは星雲をその外見上の進化の程度に従って分類したが、それと同様にして恒星もまず一番熱いもの(すなわち、輝線スペクトルを示すもの、従って、こういう星の前身と想像されるガス状星雲に最も近似したもの)から始めて、最後には既に消えかかっていると考えられる暗赤色のものに終るという等級を作ったのである。これらの光った星の次に来るのが暗黒な天体で、その中で最初に来るのはまだ固体の殻をもたないもの――木星は多分この種に属する――で、その次は地球のように固体の皮殻をかぶったものである(『宇宙の成立』一六七頁参照)。恒星中に最も多く現われる物質を列挙してみると次のようなものである。最も高温の星にはヘリウム、それに次いで高温で白色光を放つものには水素、中等程度の高温で黄色の光を放つ、たとえば我々の太陽のようなのではカルシウム、マグネシウム、鉄並びに他の金属元素が多く、最後に最も温度の低い赤色の星では炭素化合物なかんずくシアンが現われる。既に地球上で知られている組成物質以外のものはどの星にもないという説は当っていない。たとえばピッケリングはいろいろの星のスペクトルの中で、地球上のいかなる物質のそれとも違った線を発見した。もっともこの線は多分水素の出すものであろうという説があるが、しかし実験的に水素からこういう輻射を出せることはできなかった。太陽のスペクトル中にも従来知られた物質のスペクトル線のどれとも一致しない線がかなりたくさん見い出されている。やっと近ごろになって知られた線の中で最も重要なものはヘリウムの線である。そして多数の未知の線の中にはいわゆるコロニウムの線と称するのがある。これは太陽のコロナの内側の部分に特有なものである。しかし全体としてみれば星のスペクトル線の地上元素のそれとはかなりまでよく一致しているのは事実である。マクスウェルは一八七三年にこう言っている。『宇宙間にある恒星の存在を我々はその光の助けによって、そしてただそれによってのみ発見する。これらの星の相互の距離は余りに遠くていかなる物質的なものもかつて一つの星から他のものに移るということはあり得なかったであろう。それにかかわらず、この光の物語るところによってこれらの星が皆我々の地球上にあると同種の諸原子から成立っていることが分るのである。』
こう言っているこの学者が、しかも同じ年、星から星へ物質を輸送することの可能なある力――すなわち、輻射圧――の存在を予言しているのはいささか奇異の感じがある。それから三年後にバルトリ(Bartoli)は、ただに熱線や光線のみならず輻射エネルギーのあらゆる種類のものは皆圧力を及ぼすということを証明した。しかしこの新しい普遍的な力によって宇宙物理学的諸現象の説明を試みようとする人は案外になかったので、一九〇〇年に至って始めて私がこの問題に手をつけて、従来不可解と考えられていた各種多様の諸現象が、これによって非常に簡単に説明されるということを示したのである。
太陽雰囲気中で凝縮した液体の小さな滴は輻射圧の作用で太陽から追いやられ、そうして光の速度の幾パーセントかの速度で空間中を飛んでゆく。太陽よりも、もっと輻射の強い恒星(多数の恒星は、太陽のような黄色光ではなくて、白色光を放っており、従ってそれだけ輻射も強いと考えられるから、一般にその方が普通と考えられる)の場合には、この細滴の速度は更に一層大きくなり得るであろうが、しかしいずれにしても決して光の速度には届かないわけである。このようにして多くの太陽は無限の過去以来微粒子を放出している結果として彼ら相互の間に不断に物質の交換が行われる。そのために、最初は組成分に多少の差別があったとしても、それはとうの昔に均等になっていなければならないはずである。この場合にも、一般自然界に通有であるように、低温な物質、ここでは低温な恒星、が高温なものの方から、また大きい方が小さい方から養われ供給されるのである。
前に『宇宙の成立』九八頁にも暗示しておいたように、別世界から折々おとずれてくる不思議な使者、いわゆる隕石なるものは、あるいはこのように宇宙間に駆り出された細滴から成立したものかも知れない。隕石は全く特殊な構造と成分をもっていて、あらゆる地球上で知られた岩石の類とは本質的な差違を示しており、地球内部の液体の固まってできたいわゆる火成岩とも、また海水の作用で海底に堆積してできた水成岩とも全くちがったものである。隕石中にしばしばガラス質の粒の含まれていることから見ると、急激な冷却を受けたことが分る。また他の場合には大きな結晶を含んでいるから、これは永い間均等な高温度に曝されていたであろうと考えられる。また同じ隕石の二つの隣り合った破片を比べてみると組成や構造の著しい相違を示すことがある。これは隕石の素材が非常に多様な来歴をもつものであることを証明する。水や水化物(水を含む化合物)は少しも含まれていない。隕石の粒が形成されたと思われる太陽の付近では酸素と水素はまだ水となって結合していないであろうから、これは当然である。これに反して炭素水素の化合物が含まれているが、これは光の弱い恒星やまた太陽黒点中にしばしば現われるものである。また地球上では不安定で、水素と酸素を含まない雰囲気中にのみ成立し得るような塩化物、硫化物、燐化物を含んでいる。また一方隕石中には、地上の火成岩中に頻出する鉱物、すなわち、石英、正長石、酸性斜長石、雲母、角閃石、白榴石、霞石を含んでいない。これらは地球内部から来る熔岩からいわゆる分化作用によって生ずるものである。
この分化作用の起り得るためには多量な熔融塊の内部で永い間持続的に拡散が行われるという条件が必要である。従って小さな滴粒の中ではこれはできない。隕石のあらゆる特性、なかんずくしばしば見られる微粒状のいわゆるコンドリート構造と称するものなども、これが小さな液滴からできたものとすれば容易に説明される。時としてまた大きな結晶のあるわけは、何かある溶媒(たとえば鉄やニッケルに対する酸化炭素のごとき)が存在したためか、あるいはそういう隕石が長い間高温度に曝されたためかであろう。彗星が太陽に極めて近い所に来たような場合にはそういう高温度にさらされるわけである。この方面に関するスキアパレリ(Schiaparelli)の古典的な研究によると、彗星が分裂して隕石群に変るのは、特に近日点付近に多い現象だということが明らかになった。
太陽から放出された細滴は主に星雲の一番外側の部分に広く広がったガス体の中に集積し、そうして多くの場合に荷電されている宇宙微塵の作用で光を放つ、それが星雲に特有なガススペクトルを与えるのである。星雲内は至る所非常に寒冷であるので滴粒の表面には星雲ガス特に炭水化合物や酸化炭素の一部が凝縮する、そうして滴粒が互いに衝突するとそれが膠着してしまう。このようにして滴粒から次第に隕石に成長し、そうして空間中の旅を続けてゆくのである。
このように諸太陽は光圧のために微粒子を放出するために相互の物質を交換する以外に、また衝突の際に広く空間に飛散するガス塊の一部を互いに交換する。また星雲の外縁にあるガス分子が遠方の太陽から受取る輻射のために高速度を得てその星雲から離脱し空間に放出されるためにも諸太陽の間に物質の交換が起るのである(『宇宙の成立』一七五頁参照)。それで『物質的な何物も一つの恒星から他の恒星に移動することはできない』と言ったマクスウェルの言葉は、詳しい研究の結果から見ればもはや当てはまらなくなるものである。
最近二〇年間に熱輻射の本性に関する我々の知識は非常に豊富になった。その中でもステファン(Stefan)及びウィーン(Wien)の発見した法則は最も重要なものである。前者の法則によれば、外からの輻射を全く反射せずまた通過させない物体が自分自身で輻射する熱量はその物体の絶対温度(すなわち、摂氏零下二七三度を基点として数えた温度)の四乗に比例する。また後者の法則はこのような物体の出す全体の輻射が種々なスペクトルの色に相当する熱輻射のいろいろの種類からいかに構成されているかを教えるものである。前者の法則を使えば固体の皮殻をかぶっている遊星や衛星の温度を計算することができる。これを始めて計算したのがクリスチアンゼン(Christiansen)である。ある遊星あるいは衛星が太陽から受取っている熱量は知られている。しかして、これらの物体は固体の皮殻をもっているから、太陽から受取っているとほとんど同量の熱を天の空間に放散し、そうすることによってほとんど恒同な温度を保っている。しかるに、上記の法則によって物体の出す輻射とその温度との関係が規定されているから、従ってその温度を計算することができるわけである(『宇宙の成立』四二頁)。水星や太陰のように全く雰囲気をもたない遊星や衛星の場合にはこの計算によって完全に正しい数値が得られるのである。しかし、雰囲気の存在する場合にはこの関係はある点で少し変ってくるので、このことは既に十九世紀の初めにフリェー(Fourier)が指摘しているところである。その理由は、雰囲気がこれに入射する太陽の輻射を通過させる程度は暗黒物体の表面から出る熱輻射を通過させる程度と同一でなく、前者よりも後者が多いからである。これには雰囲気中の水蒸気と炭酸ガスが重要な役目をつとめるので、これについては既に各種の自著論文で詳細に論じておいた。大多数の地質学者の間で承認されている通り、過去の地質時代における生物の遺跡によって確証される地質時代の交代は主として大気中炭酸ガスの含有量の変化に帰因するものであって、これはまた当時における火山作用活動の強弱によって支配されたのである。
我々の遊星系に関する知識は、地球の重量の絶対値が測定され、それから容易にその比重が算出されるようになったために、更に著しく豊富の度を加えることとなった。この測定を最初に行ったのはキャヴェンディッシ(Cavendish 一七九八年)であった。彼は直径三〇センチメートルの大きな鉛の球が小さな振子の球に及ぼす引力を地球がこの振子球に及ぼす引力と比較した。その結果から出した地球の比重は五・四五となった。その後キャヴェンディッシの実験は多くの学者によって著しい改良を加えられて繰り返された。そうして最後の結果として得られた地球平均密度は五・五二である。しかるに地殻の外側の比重は約二・六(すなわち、普通岩石の比重)であることから考えると、地球の内部の比重はよほど大きいものとしなければ勘定が合わない。しかるに、鑿井内の温度が深さ一キロメートルを加える毎に約三〇度ずつ上昇することから推して、地下約五〇キロメートルの深さまで行けば地球内部は流動体となっていると仮定されるのであるが、これは地震波の伝播速度に関する観測の結果からも、また振子による重力測定の結果からも裏書きされる(『宇宙の成立』三三頁参照)。もっとずっと深く――約三〇〇キロメートルも――行けば、それ以下の地心全体はガス状態にあるかも知れない。しかし地心における非常な高圧のために、そこの物質の比重はそれが固体であるか液体またガス体にあるかにはほとんど無関係と考えてよい。しかしてこの際問題を決定するものはただ温度の高低である。それで、もし、太陽に最も近い遊星が、これと遠く離れた遊星よりもまた太陽自身よりも大きい平均密度をもつとすれば、それは多分前者が後者よりもずっと低い平均温度をもつためであり、また後者は多分(前者とは反対に)固体の皮殻をもたないであろうと考えられる。この後者のような天体の、表面と我々が称するものは、畢竟我々が望遠鏡でうかがい得る部分であって、その星の最外部に位する軽いガス層中に浮ぶ雲のようなものであると考えられる。地球の平均密度の大きいという事実は、その心殻が重い金属を含んでいることを暗示する。そうしてなかんずく鉄が――隕石や太陽におけると同様に――最重要な成分であろうと思われる根拠がある。
一六七五年に、パリで有名な天文学者カッシニ(Cassini)の助手を勤めていたデンマーク人ロェーマー(Römer)が、天文学上重大な意義のある発見をした。すなわち、光の速度の測定を可能ならしめる一方法を案出した。彼はガリレオの発見した木星の衛星を観測した。この衛星は木星の陰影中に没すると暗くなるのであるが、この食現象は非常に精密に観測することができる。天体の一周行に要する周期は不変であるから、相次ぐ二つの食の間の時間は不変であるはずである。しかし実測の結果ではそうでないように見える。もし地球ができるだけ木星に接近した位置にあり、両遊星が静止していれば衛星の食は精密に同じ時間間隔たとえば一日と一八時間で繰返されるはずであるとする。そこでもし地球が一つの食の起った後直ちに地球軌道の反対の側に行ってしまったとすれば、当然また一日と一八時間後に起る食現象が、地球上でそれと認められるのは、ちょうど光が地球軌道の直径を通過するに要する時間だけ後れるわけである。これに要する時間は平均九九七秒である。これに対してロェーマーの実測した数値ははるかに大きなもの――一三二〇秒――であった。もちろん実際は一日と一八時間くらいの短時間に地球の進む道は所要の距離すなわち、軌道の半分に足りないことは明らかである。この地球半周行の間に、衛星自身の運動だけのためにも一〇五回の食が起るはずであるのを、その上に木星の運動があるために更に一一回余計の食が起る。しかし時間の差違の関係はこれでも同じことである。そこで、今もし、地球上で光の速度を測定することができれば、上記の食の時間の後れからして地球軌道の直径を算出することができるわけである。この種の測定中で最もよく知られたものは、フィゾー(Fizeau)、フーコー(Foucault)及びマイケルソン(Michelson)の実験である。これらの結果によれば、真空中における光の速度は毎秒三〇万キロメートルである。これから計算すると地球軌道の半径は一四九五〇万キロメートルとなる。一方で直接天文学的方法で測定された結果を比べるとほぼこれと一致するのである。
ラプラス時代以来二大遊星、すなわち、天王星(一七八一年)と海王星(一八四六年)が発見されまた火星と木星との中間に多数の小遊星が発見された(現在では約七〇〇個知られている)。その中の最初のものセレス(Ceres)は一八〇一年の一月一日にピアッツィ(Piazzi)によって見付けられた。これらの運動は皆右回りで、その軌道の傾斜は甚だ多様である。傾斜の最大なのは三四・八三度である。また軌道の離心率も甚だまちまちである(最大〇・三八三)。
特に興味の深いものはいわゆる二重星である。これについては初めハーシェル(W. Herschel)次にストルーヴェ(W. Struve)近ごろではシー(See)によって熱心に研究されたものである。そして多くの場合にこれら恒星の共有重心のまわりの運動を測定することができた。その結果からしてまたこの星の軌道の離心率を算定することも可能になってきた。近ごろになって恒星のスペクトルの研究から、大多数の恒星はあるときは前進しあるときは後退する往復運動を示していることが分った。このような場合にその軌道の離心率を決定することのできる場合もしばしばあった。そうして、我々の遊星の軌道がほぼ円形であるのに反して、これらの星はよほど違った形の軌道を描いていることが分った。これら恒星軌道の離心率の直接に観測されたものは〇・一三と〇・八二の間にあり平均値は約〇・四五(シーによる)になる。
スペクトルによって観測される二重星の離心率はやや小さく、ニューカムの教科書『通俗天文学』に挙げてある一八個について言えば〇と〇・五二の間にあり、平均値は〇・一八(注)である。
(注) シーのその後の算定では、以上二種の二重星について各々〇・五〇と〇・二二となっている。
若干の二重星ではその二つの物体の質量を決定することができた。太陽の質量を単位とすると、ケンタウル星座のアルファ星については一と一、天狼星シリウスでは二・二と一、プロキオンでは三・八と〇・八、蛇遣い星座の第七〇番星は一・四と〇・三四、ペガスス座の第八五番では二・一と一・二である。これらの数値からわかる通りこれらの恒星はほとんどすべて我々の太陽よりは大きい。また『スペクトル二重星』の観測の結果もやはり同様である。多くの場合に二つの恒星の一方は光輝が弱くて認められない。そういうのを名づけて『暗黒随伴体』という。甚だ珍しいのは変光星アルゴールであってこの星の質量は比較的小さく、そして時々暗黒随伴体で掩蔽される。アルゴールの直径は二一三万キロメートル、その随伴体のが一七〇万キロメートルと算定されている。すなわち、太陽の直径一三九一〇〇〇キロメートルに比して両方とも著しく大きい。それにかかわらずその周期から計算される質量は太陽のそれの〇・三六と〇・一九である。従ってこれらの比重は太陽のそれの〇・一にすぎないのである。
また別の変光星、ヘルクレス座のZ星は、ハルトウィク(Hartwig)の計算によると、二個の巨大な太陽より成り、両者は四五〇〇万キロメートルの距離を保って旋転しその直径はそれぞれ一五〇〇万キロメートル及び一二〇〇万キロメートル、その質量はそれぞれ太陽の一七四倍と九四倍を超過し、比重は〇・一三八と〇・一四六である。不思議なことには小さい暗黒な方の物体が大きい方とほとんど同じくらいの小さい比重をもっているのである。ペガスス座の二重星Uは、マイヤース(Myers)の研究によると、太陽の比重の〇・三くらいの平均比重をもっている。またロバート(Robert)の推算による、プッピス星座の二重星Vは太陽の三四八倍の質量をもっているが、その比重は太陽のそれのわずかに五〇分の一にすぎない。また有名な変光星、琴座のベータ星はマイヤースの計算では太陽の三〇倍の質量をもっているのにその比重は一六〇〇分の一にすぎない。
光輝の強いカノプス(これは天の南方にある)、リーゲル(オリオン座の)及びデネブ(白鳥座の)もまた太陽より数千倍大きいものと推定されている。
最近に発見された最重要な事実は、明らかに一つの団体に属すると思われる一群の恒星が天の一方にある共通な集合点に向かって、互いに並行な軌道を同様な速度で進行していることである。たとえばアルデバランと昴すなわちプレヤデスとの中にある牡牛座の多くの明るい星は互いに並行に東方に移動している。また同様に大熊星座のベータ、ガムマ、デルタ、エプシロン及びゼータの諸星は一群を成していていずれも同じ鳩座のガムマ星に向かって動いている。近ごろになってヘルツスプルング(Hertzsprung)はまた、これとは遠く離れた天空にある若干の恒星、なかんずくシリウスなどもやはり同一群に属するということを証明した。
このような『漂浪星群』についてその距離を算定することができる。すなわち、ポッツダムのルーデンドルフ(Ludendorff)は、上述の大熊星座の五星は太陽よりも六〇〇万倍の距離にあり、シリウスより一〇倍遠いという結果を得た。大熊星座の他の二つの明るい星、アルファとエータとは前とは別な天空上の一点(射手座の)に向かって動いているが、この二つの距離は前述の隣の諸星と同一である。これから計算するとこれらの星は平均して太陽よりも約八〇倍明るいということになる。その中最も明るいアルファ星は太陽の一二六倍に当る。この星は太陽と同じく黄色であってその大きさは太陽の約一〇〇〇倍に当ると思われる。しかし他の諸星はシリウスのように白色であって、到底上記の大きさには達しないであろうが、それでもとにかくシリウスよりは比較にならぬほど大きいものである。
これらの算定の結果はまだ全く決定的のものではないかも知れないが、しかしこれから明らかに次のようなことは証明される。すなわち、我々の太陽は質量から見ればむしろ恒星中でも小さい方であるということ、また太陽はその比重においてかなり高い程度に達しており、すなわち、星の進化の段階から見て比較的進んだ段階にあるということである。太陽が光輝の弱い星であるということは、諸恒星の距離が詳しく知られるにつれて明らかに認められてきた。もし太陽がアルクトゥルスあるいはベテルギュースと同じ距離にあったとしたら肉眼ではとても認められないであろう。一等星の距離の平均に相当する距離にあったとしたら、太陽はまず五等星くらい、すなわち、肉眼で見える中では最も光輝の弱いものに見えるであろう。
このように、我らの太陽がその同類中で比較的末席を占めているというのは、もちろん、我々が主として最も大きく最も光った星を調べたためだということにも帰因する。カプタイン(Kapteyn)はこの点を考慮に入れて釣合を取ろうと試みた。すなわち、彼は種々の光度――太陽の光度を単位として――の多数の恒星が、太陽を中心として五六〇光年を半径とする球内にいかに分布されているかを計算した。そうして次の結果を得た。
光度 星の数
一〇〇〇〇以上 一
一〇〇〇〇ないし一〇〇〇 二六
一〇〇〇ないし一〇〇 一三〇〇
一〇〇ないし一〇 二二〇〇〇
一〇ないし一 一四〇〇〇〇
一ないし〇・一 四三〇〇〇〇
〇・一ないし〇・〇一 六五〇〇〇〇
この表は光力の減ずるに従って星の数が著しく増加することを示す。これから見ると暗黒な天体の数は光輝あるものの数をはるかに凌駕するであろうと考えないわけにはゆかなくなる。もっともこれらの暗い星は必ずしも質量が小さいとは限らないであろう。しかし最も明るい星はその容積が大きくまた高温度のためにその比重が甚だ小さいにかかわらず大きな質量をもつであろうと考えるのはむしろ穏当であろう。
二重星の軌道が遊星のそれとは反対に非常に離心的であるという事実は、我々の遊星系の著しい規則正しさがむしろ例外の場合だということの証拠とも見られる。しかしこれは決して必然な証拠にはならない。二星間の衝突の際に中心体の周囲に拡散する星雲状の円板は、一般には全質量のただの一小部分を成すにすぎない。中心体の外側の物質の大部分は、放出された微粒の速度のために、また一方高速度な分子の逸出のために空間に向かって飛散する、同時にこの旋転する円板は宇宙空間から輻射を受け取るために絶えず拡大される。今外部の宇宙空間から一物体がこの旋転する板中に陥入したとすれば、そこに二つの場合が起り得る。もしこの物体の質量が、たとえば彗星のように、板のに比べて小さいときには、物体は板によって円運動をするように強制される。そこで一つの遊星ができ、これはほとんど円形の軌道に沿って円板の平面内を運行するであろう。しかるに、もし侵入体が円板に比して大きい質量であった場合にはどうかというと、この物体の速度はやはり減殺され、そうして、ときにはこの星雲の中心体から再び離れ去ることができなくなる場合もあり得る。しかし円板物質のために侵入体の軌道はわずかしか変化しないから、その結果として軌道は甚だしく離心的となり、また軌道面の板面に対する傾斜角もいろいろ勝手になり得るわけである。この後の場合はちょうどラプラスの考えた太陽系に対する彗星の関係に相当する。これに反して上記二つの場合の最初のものでは新たにできた遊星の質量は比較的小さいからそれが冷却するために元来たださえ微弱な光力を速やかに減じ直接には認められなくなってしまう。また物体が小さいために光った中心体の運動に及ぼす影響も甚だ僅少であり、またこれのために生ずる往復運動もささいなものであって、それによって暗黒随伴星の存在を証し得るほどのものにはならないのである。こういう場合の方が、大きな天体の捕えられる場合よりも多数であろう。これは第一、小さな天体、たとえば彗星のようなものが比較的多数であることからそう思われる。『その数は海中の魚の数ほど多い』とケプラーが言っているくらいである。大きな天体はたいていの場合に星雲体を貫通して、しかも余り著しくその速度を減殺されずに更に宇宙の旅を続けることができるであろうと思われる。こういう普通の場合にはしかし我々の観測を免れるのである。大きな天体がその侵入によって生じた二重星の一員となるような場合には、それ以前から存在した遊星は多分非常に複雑な軌道を取るようになりがちであろうと思われる。
スペクトルの色と温度との関係を与えるウィーンの法則は恒星の温度の決定にも応用された。しかしこれを応用するには厳重な吟味をした上でなければならないというのは、我々の観測する星の光はその星の全輻射ではなくて、その外部雰囲気の吸収によって弱められたものだからである(『宇宙の成立』六四頁参照)。
星の温度は、また、その光のスペクトル線の強さからも判断される。ガスの吸収スペクトル中の多くの線は温度が昇るに従って強められ、またある他の線はかえって弱められる。ヘール(Hale)とその共同研究者等は、カリフォルニアのウィルソン山で金属のスペクトルを研究したが、それには一一〇ボルトの電圧で二アンペアと三〇アンペアと二通りの電流を通じた弧光の中でこれら金属を気化させた。この後者すなわち電流の強い方がもちろん温度が高い(その金属の尖端の間に通ずる火光放電の方が一層高温である)。それでこの方法によって温度の上昇に伴うスペクトル線の変化を確定することができた。その結果から、二つのスペクトルを比べると、どちらが高温に属するかということが言われるようになった。従ってたとえば一つの恒星あるいは太陽黒点上の光が太陽光面上に比べて高温であるかまた低温であるかを判断することができるようになったのである。ヘールの結果によれば、太陽黒点の光を吸収しているガスの温度は、太陽光面の光を吸収するものよりも低い。これは疑いもなく黒点上のガス体の密度が他所よりも大きいことによるのであろうが、しかしこれは黒点の基底の輻射層が、太陽の一体の光面の光を出す光球雲よりも低温だという証拠にはならない。ヘールの研究室で行われた比較研究の結果によると、アルクトゥルス、それよりもなおベテルギュースのスペクトルが太陽のスペクトルと相違する諸点がちょうど黒点のそれと同様である。従ってこれらの巨星、なかんずくベテルギュースの光を吸収するガスは太陽の光球雲よりも低温度にあることを推定することができる。しかしこれらの異常に巨大な星の輻射層の温度が太陽のそれよりも低いとは限らない。むしろこの場合には多分それと反対であって、その外側のガス被層の低温なのはこの光を吸収するガス体の比重の大きいためであるらしく思われる。
英国人G・H・ダーウィン(G. H. Darwin)がその古典的名著中に述べたように、遊星系の進化には潮汐の作用が多大の影響を及ぼしたに相違ない。彼の証明したところによると太陰は昔は多分地球から著しい近距離にあってしかしてこの両者は一つの運動系として四時間足らずの周期で回転していたものである。これがために潮汐作用は非常に強かったので地球の回転周期は次第に延長され、その際に消失する回転のエネルギーの一部は、太陰を徐々に現在の距離に持ってゆくために使われた。これと同様なわけで、太陽もその進化の初期に、まだその直径がずっと大きかったころにはその潮汐作用によって諸遊星に甚大な影響を及ぼしたであろう。なぜかと言えばこの作用の強さは直径の三乗に比例するからである。
この作用のために太陽も諸遊星もその自転速度を減じ、また諸遊星と太陽間の距離も変ったであろう。火星の衛星のうちでフォボスと称するものはその軌道の周期が火星の自転周期よりも短い。これは特異な現象であるが、ダーウィンはこれを次のように説明した。すなわち、火星の自転周期は以前は――ラプラスの仮説の通り――フォボスの公転よりも短かったのであるが、しかし太陽の潮汐作用のために長くなって、今では二四時間三七分となり、フォボスの周期七時間三九分に対して著しい長さになったというのである。土星の輪についても同様なことが言われる。この輪の最内側の微塵環の回転周期は五・六時間くらいであるのにこの遊星自身のそれは一〇時間と四分の一である。普通の仮定からすると、土星の太陽からの距離は余りに大きすぎるので火星の場合と同様な説明はここには適用されない。しかし、この最内側の土星環はだんだん遊星に接近したためにその回転速度を増したということも可能ではあるまいか。もし遊星にわずかな雰囲気の残余があってこれと環物質との間に摩擦があるとすれば、こういうことになったかも知れない。これはラプラス自身既に暗示したことであるが、後にウォルフ(C. Wolf)がこの説を継承した。
前に述べた通り、ラプラスの仮説の当面の難点は、この説によると、カントの場合も同様に、諸遊星の回転方向が太陽のそれと反対になり、いわゆる逆転とならなければならないと言うことである。ピッケリングはこれに対して次のように考えた。すなわち、すべての遊星は初めには実際逆転をしていたが(注)、しかし太陽の潮汐作用のためにこの運動を減殺され、ついにはいつも同じ側を太陽に向けるように、すなわち、右回りの回転をするようになり、その自転周期は公転周期と同一になった。その後に諸遊星がだんだん収縮したためにその自転が加速されるに至ったというのである。最外側の二遊星海王星と天王星とは太陽から余りの遠距離にあるために太陽の潮汐作用も非常に弱く、従ってこの作用が十分の効果を遂げないうちに収縮してしまい、ついに全くこの作用を受けなくなってしまったものである。これらの遊星の質量はその次の遊星すなわち土星の約六分の一にすぎないくらいであるから、その冷却もまた土星に比べてはるかに急激であったはずである。そういうわけでこの二星は一般の規則に外れたものとなった。土星については、その衛星中九番目のものヤペツスまでは右回りである。これは土星から三五〇万キロメートルの距離にある。これに反して、ピッケリングによって発見された第一〇番目の衛星フォエベは、これよりも三倍半の距離にあってその回転は逆転である。ピッケリングは、この衛星は土星自身がまだ逆転をしていた時代にできたものであろうと考えた。しかしこれの離心率が大きいこと(〇・二二)から考えるとむしろこれはこの遊星系の彗星に相当するものであって、この付近の星雲物質が既によほど稀薄になった頃になって土星の引力の領域に入り込んだものであると、こう考えた方がもっともらしく思われるのである。木星の衛星でもやはり一番外側のは逆転であるがそれ以内の遊星の衛星はすべて一般の規則通りである。
(注) 我々の説からみれば、最初の回転方向は、外界から侵入した最初の凝縮核の運動次第で任意なものと考えられる。
この章で述べてきた諸発見の大部分は、我々の太陽系以外の天体に関するものであった。強度の望遠鏡が使用されるようになり、ことに分光器(一八五九年以後)の助けを得るようになってから始めてこれらの極めて遠隔した物象の特異な性質に関して立ち入った研究をすることが可能となったわけである。それだのにデモクリトスは紀元前四〇〇年の昔既に銀河の諸星は我らの太陽と同様なものだと考えていた。また近世の初期にジョルダノ・ブルノは恒星を太陽としてその周囲を回る遊星を夢想していた。彼らがこういう考えを抱くに至ったのは、すべての科学者の研究に際して指針となる信念、すなわち、比較的未知なるものも、根本的には、我々の手近で詳しく研究されたものと同様であるという信念に追従したまでである。その後の経験はデモクリトスとブルノの考えの正当であることを示すと同時に、また上記の自然科学根本原理が一般に正しい結論に導くものだということを示した。それで諸恒星は我らの太陽と同じようなものであるが、ただあるものは我らの日の星より大きく、あるものは小さくまたあるものはもっと高温、あるものは寒冷なのである。
しかし、ハーシェルの発見したように、彼の研究した星雲中の多くのものは種々な点、たとえばその光やまたその広がり方において太陽とは相違している。これらの星雲は遠く広がった稀薄なガス塊から成り立っているのであるが我らの太陽系にはこれに類似のものは一つも存在しない。しかし彼はこれら星雲を他の類似の形成物と比較研究した結果として星雲と太陽との間の過渡形式と見られるべきものの系列を発見し、そこから、これらの多様な形式は天体の変化における進化の段階を示すものであるという結論に達した。
ラプラスの有名な太陽系の起源に関する仮説はその基礎の一部を上記の研究においている。その後に得られた非常に豊富な観測資料はすべての主要な点についてハーシェルの考えを確かめると同時に天体の本質に関する我々の観念を著しく明瞭にした。
疑いもなく我々は現在でもまだわずかに星の世界の知識の最初の略図を得たにすぎない。それで我々もまたデモクリトス、ブルノ、ハーシェル、ラプラス等と同様に、まだ研究の届かぬ空間も、根本的には、完備した器械の助けによって既にある度まで研究の届いた空間と同様であると仮定する外はない。多分将来における一層深い洞察の結果も、あらゆる主要の点においては我々の考えを確かめるであろうと信ぜられるが、またそれは同時に今日我々の夢想することもできないような新しい大胆な観念構成の可能性を産み出すであろう。そうして我々の知識は絶えず完成され、我々の考え方は先代の研究者の見い出したものから必然的論理的に構成の歩を進めてゆくであろう。皮相的な傍観者の眼には、一つの思考体系が現われると、他のものが転覆するように見えることが往々ある。そのために、科学研究の圏外にある人々からは、明解を求めんとする我々の努力は畢竟無駄であるという声を聞くことがしばしばある。しかし誰でも発達の経路を少し詳しく調べてみさえすれば、我々の知識は最初は目にも付かないような小さな種子からだんだん発育した威勢の良い大樹のようなものであることに気が付いて安心するであろう。樹の各部分ことに外側の枝葉の着物は不断に新たにされているにもかかわらず、樹は常に同じ一つの樹として生長し発育している。それと同様にまた我々の自然観についても、数百千年に亘るその枝葉の変遷の間に常に一貫して認められる指導観念のあることに気が付くであろう。
Ⅸ 宇宙開闢説におけるエネルギー観念の導入
ラプラスが太陽系の安定に関する古典的著述を完成して満悦の感に浸っていたときには、太陽は未来永劫不断にそれを巡る諸遊星に生命の光を注ぐであろうという希望に生きていたことであろう。彼には太陽系内における状態は常に現在とほぼ同様に持続するであろうと思われた。この偉大な天文学者も、また彼と同時代で恐らく一層偉大であったハーシェルでも、太陽の強大な不変な輻射に対して何らの説明を下そうとも思い及ばなかったのである。
しかし太陽の高温また恒星の灼熱の原因が何であるかという問題は十分研究の価値のあることである。既にアナキサゴラスは恒星の灼熱はエーテルとの摩擦によるものという考えを出している。更にライブニッツ及びカントは太陽の熱が燃焼によって持続されていると言明しており、またビュッフォンは遊星が灼熱状態から冷却してしまうまでの時間について注意すべき計算をしている。ラプラス自身でさえ、遊星を構成する物質は始めは灼熱されていて後に冷却したものだと仮定しているくらいである。
しかし、この種の観察が一つの安全な基礎を得るようになったのは、熱に関する器械的学説が現われて、前世紀の中ごろ、自然科学の各方面で着々成功を収めるようになってからのことである。この学説によれば、エネルギーもまた物質と同様に不滅である。物質の量の不変ということは、昔から宇宙進化の謎について考察したほどのすべての人によって暗黙のうちに仮定されたことであったが、一八世紀の終りに至ってラボアジェーによって始めて完全に正当なものとして証明されたのであった。
太陽は生命を養う光線を無限の空間に放散しているから、これによるエネルギーの消費を何らかの方法で補充しているか、さもなければ急速に冷却しなければならないはずである。しかし地質学者の教うるところではこの後者の方は事実と合わない。すなわち、幾十億年の昔から今日まで太陽の光熱はほとんどいつも同じ程度に豊富な恩恵を地球に授けてきたに相違ないと説くのである。それで、マイヤー(Mayer)はエネルギーの源の一つを隕石の落下に求めようという最初の試みをした後に、ヘルムホルツ(Helmholtz)が現われてこのマイヤーの考えを改良した。ヘルムホルツの考えでは、太陽の各部は次第にその中心に向かって落下するのでそのために熱が発生するというのである。この考えはこの問題の答解として最良で最も満足なものと考えられてきたが、現代に至って地質学上のいろいろの発見から、このエネルギーの源では到底不十分であるということが明白に見すかされるようになった(『宇宙の成立』第三章参照)。
この物理学的の問題は次第に多く注意を引くようになった。物体、特にガス体の、圧力並びに温度の変化に対する性能が次第に詳細に知られてくるに従って、天体の温度とその容積変化並びにその受取りまた放出する輻射によるエネルギーとの収支の関係もまた次第に精細に研究されるようになってきた。この方面に関する研究の中で最も顕著なのはリッター(Ritter)のである。これについては更に後に述べることとする。
天体の問題について、温度並びに重力の及ぼす純物理学的の変化に関して憶測を試みる際に、また一方で天体の諸成分間に可能な化学作用に及ぼす温度の影響に関する我々の知識をも借りてここに利用すれば本質的な参考となるわけであるが、我々は今正にそれをしようとしているのである。ヘルムホルツはただ純物理学的な過程のために遊離発生する比較的僅少なエネルギーのみを問題として、これよりはるかに有力な化学的過程によるエネルギーの源泉を閑却したためにそこに困難が残されていたのであるが、しかしこの場合における諸関係を十分に研究すれば多分この困難からの活路を見出すことができるであろう(これについては次章で更に述べる)。
重力の法則と物理的過程に際するエネルギー不滅の法則とを応用してどこまで行けるかということは、リッター(A. Ritter)のこの二原理を基礎とした非常に行届いた研究によって見ることができよう。彼はまた普通のガス態の法則がこの際適用するものと仮定したのであるが、しかし熱伝導と輻射とは余り重要でないものと見なしている。もっとも彼より八年前にレーン(Lane)がほぼ同様な研究をしているがこれはそれほど行届いたものではない。その後にケルヴィン卿(Lord Kelvin)や、シー(See)やまた特にエムデン博士(Dr. Emden 一九〇七)がこの問題の解決について有益な貢献をした。なかんずくこの最後の人のは数学的にこの問題を取り扱った大著であって、将来この方面の研究をする者にとって有益な参考となるものであろう。しかし物理的の点では彼の考えは余りリッター以上には及んでいない。輻射の影響については近ごろになってシュワルツシルト(Schwarzschild)の研究の結果がある。しかしここではただリッターの研究の主要な結果を述べるに止めようと思う。
リッターの考えでは、彼の仮定したような法則に従うガス塊は、一般にある限界によってその外側を限られ、そこでは温度が絶対零度まで降下しており、そこから内側へ行くほどだんだんに温度が高まり、そうして各点における温度は任意のガス塊が前記の限界からその点まで落下したときの温度と精密に同一であるというのである。これを分りやすくするために地球雰囲気の場合を例に取って考えてみよう。今地球表面の温度を摂氏一六度(絶対温度の二八九度)とする。これは実際地球上の平均温度である。すると、リッターの仮定に従えば、雰囲気の高さは二八・九キロメートルということになる。なぜかと言えば、今一キログラムの水が一キロメートルの高さから落ちるとすればその温度は1000÷426すなわち二・三五度だけ上昇する。ところが空気の比熱は〇・二三五である。それで一キログラムの水を〇・二三五度だけ温め得る熱量は、一キログラムの空気ならば一度だけ温度を高めることができる。従って、一キログラムの空気が一キロメートルの高さを落ちるとその温度は一〇度高くなる(ここでは、リッターの考えに従って等圧の場合の空気の比熱を使って計算した)。それゆえに気温が絶対零度から二八九度まで昇るためには二八・九キロメートルの高さから落ちるとしなければならない。従って地球表面から測った雰囲気の高さはちょうどそれだけである、というのである。
雰囲気がもし水素でできているとしたら、その比熱は三・四二であるからその高さは四二一キロメートルとなるであろう。同様にもし雰囲気が飽和水蒸気とその中に浮遊する水滴とで成り立っているとしてもその気層の高さはかなり著しいものになるであろう。なぜかと言えば、こういう混合物の温度を一度だけ上昇させるためには、ただ蒸気を温めるだけでなく、その上に水滴の蒸発に要する熱を供給しなければならないからである。すなわち、あたかもこのような混合物の比熱が比較的大きいものであると考えればよいことになる。リッターも計算した通り、地面の温度が〇度であるとすると、水蒸気でできた雰囲気の高さは三五〇キロメートルとなる。それで実際の場合において空気中にはその凝縮し難い成分以外に水蒸気と雲とを含んでいるために雰囲気の高さは前に計算した二八・九キロメートルよりも二キロメートルだけ大きく取らなければならないことになる。
しかるに、リッターの言う通り、この結果は全く事実に合わない。隕石の観測の結果から見ると地上二〇〇キロメートル以上の高さで光り始める場合がしばしばある――この灼熱して光るのは空気との摩擦の結果である。北光の弧光は空気中における放電によるものであるが、これの最高点は約四〇〇キロメートルの高さにある。また近年気球で観測された結果では、約一〇キロメートルの高さから以上は気温はほとんど均等であって、上方に行くに従って毎キロメートル一〇度ずつの減少を示すようなことはない(注)。
(注) このように温度が均一になり始める限界の高さは赤道地方では二〇キロメートル以上、中部ヨーロッパでは一一ないし一二キロメートル、また緯度七〇度付近では八キロメートルである。
リッターは彼の計算と事実との齟齬の原因を説明するために、非常に高い所では空気のガスが、ちょうど下層における水蒸気のように、凝縮して雲となり、その結果として著しく雰囲気の高さを増しているものと考えた(注)。しかし今日では、この凝縮は零下二〇〇度以上では起り得ないことが知られている。すなわち、気球が到達し得られるような高さで、そして温度の上方への減少がほとんど分らなくなる高さなどよりははるかに高い所でなくては起り得ないはずである。気象学者の中でもこの現象の説明はまだ一致していない。私自身の考えとしては大気中の炭酸ガスと水蒸気またあるいはオゾンによる熱輻射とその吸収とがこの際重要な役目をつとめているものと信じている。
(注) ゴルドハムマー(Goldhammer)の計算によると、窒素では六二キロメートル、酸素では七〇キロメートルとなる。
リッターは、更に、地球を貫通する幅広い竪穴を掘ったとしたら地球中心での気温がどれだけになるかを計算した。もちろんその際重力は竪穴内の深さとともに変化し地球中心では〇となるということを考慮に入れて計算した結果は、竪穴内の地心における温度は約三二〇〇〇度ということになった。なお彼のその後の計算では地球中心の温度は約一〇万度となっている。これから見てもガス状天体では中心に近づくに従って温度が増すということが了解されるであろう。しかるに地球は表面から四〇〇キロメートル以上の深さではきっとガス態にあると思われるから、この場合のリッターの計算はある程度までは当を得たものと考えられる。もっとも地球内にあるガスの比熱は、リッターの計算に用いたガス比熱よりは著しく大きいに相違ないから、地心の温度は彼の得た値よりもむしろ低くなるはずであって、たとえ化学作用のことを勘定に入れてみても彼の値の半分にも達しないかも知れないのである。一方で地心における圧力はというと、それは約三〇〇万気圧と推定されている。
次に太陽に関する考察に移ることとする。太陽の最外層における重力は地球のそれの二七・四倍であるから、もし太陽の雰囲気が空気でできているとしたら、その温度は高さ一キロメートルを下る毎に二七四度ずつ増すはずである。しかるに太陽の外側の雰囲気は主に水素から成立し、しかも、地球上では水素原子が二つずつ結合して一分子となっているのに反して太陽では一つ一つの原子に分離されているのである。単原子状態にある水素の比熱は、太陽表面におけるような高温度に於ては約一〇ですなわち〇度における空気の比熱の四二・五倍と見積られている。従って太陽の最高層における温度は一キロメートル昇る毎に約六・五度ずつ降るわけである。ところが太陽の光を放出しているかの太陽雲の温度は約七五〇〇度と推定されているから、それから推算すると、この光った雲以上の雰囲気の高さは約一二〇〇キロメートルに達しなければならないはずである。それにもかかわらず、ジュウェル(Jewell)が、太陽光球雲外側のガスに於ける吸収スペクトル線の位置から算定した結果で見ると、これだけ高い雰囲気の及ぼす圧力はわずかに約五ないし六気圧しかないことになる。もしこれが地球の上であったとしたらこの圧力は二七・四分の一、すなわち約〇・二〇気圧となるはずである。それで、太陽の光雲以上のガスの質量は、地球表面から一二キロメートル、すなわち、一番高い巻雲の浮んでいるくらいの高さ以上にある空気の質量よりも大きくはないのである。
太陽上層のいわゆる色球、すなわち、太陽光雲の上にあって水素ガスに特有な薔薇紅色を呈しているガス層の高さを日食の際に測定した結果は約八〇〇〇キロメートルとなっていて、上に計算した数値の六倍以上になる。すなわち、地球の場合と同様に雰囲気の高さはリッターの計算から期待されるよりは数倍も高いという結果になるのである。
太陽の最外層の温度が零度あるいはそれ以下に降るであろうという仮定もまた妥当ではないと思われる。そこでは強い輻射を受けているからそれほどまで冷却するということは疑問であろう。太陽雰囲気のこの部分には凝縮によって生じた微粒が恐らく多量に存するであろうということは、太陽板面の周縁に近づくほど光輝が弱くなることから推定される。すなわち、縁に近いほどそれだけ厚い気層を光が通過してくると考えられるからである。これらの微滴粒は太陽体の輻射によって熱せられ、かくして得た高温度をその周囲のガスに付与するであろう。この点では地球の雰囲気にも同様なことがある、すなわち、多数の塵埃の粒が太陽からの輻射を吸収して約五〇ないし六〇度の温度となり、そうしてその温度をガスに分与するのである。それで両者いずれの場合でも、温度が高さとともに減ずる割合はリッターの計算したよりももっと少なくなるわけであり、従って雰囲気の高さもリッターの数字が示すよりも数倍高いのが本当であろうと思われる。
さて再びリッターの研究に立ち帰るのであるが、彼は球状のガス体星雲の表面から内部へ進むに従って温度、圧力及び比重がいかに変化すべきかを計算した。この計算をシュスター(A. Schuster)が少しばかり改算したものを、私は『宇宙の成立』の一七九頁に紹介しておいた。その結果によると、もし太陽内部が原子の状態にある水素ガスからできているものとすれば、その中心には約二五〇〇万度という温度が存することになり、そこの圧力は八五億気圧、比重は八・五(水を一として)となる勘定である。もっとも同書に掲げた表は、もし太陽が現在の半径の一〇倍を半径とする星雲に広げられたとしたらその中心点の温度が二五〇万度になるはずだということを示しているのであるが、しかしそういうものが太陽の実際の大きさまで収縮するとその重力は一対一〇〇の比に増大し従って深さ一キロメートルに対する温度増加率もまたこれに相当する割合で増すべきである。しかるに半径がもとの一〇分の一に減ずるからこの質塊の中心における温度はもとの値に対して一〇分の一の一〇〇倍となる。すなわち、星雲のときの一〇倍になるはずである。太陽の中心以外の他の点についても同様のことが言われるので、従って収縮の際における温度増加の結果として温度は半径に逆比例することになるのである。しかるに太陽を構成するガスは甚だしく圧縮された状態にあるのだから多分簡単なガス法則には従わないであろうと信ぜられるので、この理由から太陽内部の温度はリッターの考えたほど高いものではないと思われる。彼に従えば、もし太陽が鉄のガスでできていると仮定するとこの温度は一三億七五〇〇万度となるのである。太陽の収縮によって起る温度上昇の結果多量の熱を吸収するような化学作用が始まり、それによって再び温度の著しい低下が惹起されるのであろうと考えられる。それでまずざっと見積ったところで太陽の温度を平均一〇〇〇万度くらいと見てもよいかと思うのである(注)。
(注) しかしエクホルム(Ekholm)はもう少し小さい値五四〇万度を出した。
さて前述の星雲のようなガス団塊が収縮すると、前述の通りその温度が昇る。そうしてその上昇の際に、ヘルムホルツの考えたように収縮に伴って離遊してくる熱量の大部分は消費されることになる。仮に何らの化学作用が起らないとしてみても上記の値の八一%は加熱のために割当てられ、一九%だけがわずかに外方への輻射として残ることになる。もっともここでリッターは水素二原子より成るH2について計算したのであるが、もし単原子のHだとすると輻射が五〇%に達することになる。この結果として言われることは、太陽は約五〇〇万年(後の場合ならば約一二〇〇万年)以上現在のままの輻射エネルギーを放出し続けることはできないということである。のみならず実際は太陽の輻射は過去において既に著しく減少したものと考えなければならない。もっともリッターももちろん地質学者の方では地球上における生物存在の期間に対してこれよりもずっと永い年数を要求しているということを承知していたであろうが、しかし彼もまた多くの物理学者と同様にヘルムホルツの考えた熱源が何よりも一番主要なものだと確信していたために地質学者らの推定の結果には余り重きをおかなかったのである。しかしその後に至って行われた諸研究の結果はかえって地球の年齢を地質学者の推定よりも更に長くするようなことになってきたのである。種々の地質時代に塩類の層が生成された際にそれがいかなる温度の下に行われたかに関するヴァントフ(van 't Hoff)の研究があるが、その結果から見ても、またそれらの時代における珊瑚礁の地理的分布の跡から見ても、地球上の気温並びに太陽の輻射は当時と今とでそれほど目立つように変っていないということが証明される。それで太陽の収縮に際して生ずる熱よりも、もっと多量な、またもっと変化の少ない熱量を供給するような熱源をどこかに求めることがぜひとも必要になってきた。この熱源は多分太陽が徐々に冷却する際に起る化学作用に帰すべきであろう。この作用の過程は太陽星雲の収縮する際には逆の方向に行われたはずであるから、それから考えると、この後者の収縮はリッターが考えたよりももっと急速に行われたはずだということになる。太陽が他の太陽と衝突した後広大な星雲片から現状までに収縮するまでに要した時間は、もしその輻射が昔も今も同強度であったとすれば、やっと一〇〇万年足らずの程度になる。しかし太陽はそれがまだ星雲状の段階にあった際に外界からの輻射を吸収することによってばく大なエネルギーの量を蓄蔵したに違いない。後にこの太陽の平均温度が下降し始めるようになってからこのエネルギーが熱量の消耗を補給するために徐々に使用され、そのおかげで温度もまた従って大きさもまた輻射も非常に永い時間ほとんど不変に保たれてきたのであろう。これと同じわけでまた星雲状段階の継続時間もリッターの計算から考えられるよりもはるかに永いものであったということになるのである。
リッターは更に計算の歩を進めて次のような場合をも論じている。すなわち、ある我らの地球と同様に表面が固結した天体があって、その雰囲気の高さが甚だ高く、もはやその中での重力を至る所同大と見なすことができないような場合である。この場合の計算の結果は、その天体の固態表面の温度がある一定の値を越えるとその雰囲気はもはや一定の限界をもつことができなくなり、ガスは散逸してしまうということになる。この計算を水素ガスに適用した結果として、もし太陰に水素の雰囲気があるとすると、それはその温度が常に零度以下八五度よりも低い場合に限って保有され得るということになった。ところが太陰表面の温度は平均してほぼ地球のそれに等しくまた最も温かい所では一五〇度にも達するのであるから、従って太陰には水素雰囲気はあり得ないということになる。同様にしてまたリッターは太陰の表面には水も存在し得ないということを示した。同様なことはまた、太陰よりも著しく小さい小遊星についても当然一層強い程度に適用されるのである。
リッターのこの方面の研究には多数の後継者があった。中でもジョンストーン・ストーネー(Johnstone Stoney)とブライアン(Bryan)が最も顕著な代表者であった。彼らは分子の運動速度に関する器械的ガス体論の仮定を基礎とした。ストーネーの結果だと地球はその雰囲気中に水素を保有し得ないことになるが、これはあるいは正しそうにも思われる。しかし彼の意見ではヘリウムもまたその運動速度の過大であるために地球のような小さな天体には永住しかねるべきだというのであるが、計算の結果はストーネーのこの考えに余り好都合ではないように見える。もっともこれに対しては地球がはるかな過去のある時代に、今に比べてはるかに高温でありまた巨大であった時分に、ヘリウムが既に地球雰囲気から逸散してしまったであろうということも考えられないことではない。
衝突の効果に関するリッターの研究は甚だ興味のあるものである。既にマイヤー(Mayer)が示した通り、ある一つの隕石がたとえば海王星あたりの非常な遠距離から、初速零で太陽に向かって墜落してくるとすると、これが太陽表面に届いたときの速度は毎秒六一八キロメートルを下らず、しかしてそのために隕石の質量一グラム毎に約四五〇〇万カロリーだけずつのエネルギーを太陽に貢献する勘定である。従ってもしも二個の太陽が衝突するとすれば当然非常な熱量を発生する。そうしてこの熱がかくして生じた新天体の膨張に使用され得るわけである。リッターの計算によると、もし二つの同大の天体が初速度零で無限大の距離から相互に墜落すれば、その際に生じる熱はこの二つのガス団塊を元の容積の四倍に膨張させるに十分である。衝突後の膨張が甚だしくなれば全質量が無限の空間中に拡散されるのであるが、この程度の膨張を生ずるためには、この二つの各々の初速度が毎秒三八〇キロメートルの程度でなければならない。かような速度は恒星にしてはとにかく過大だと思われようが、しかしカプタイン(Kapteyn)が鳩星座中に発見したある小さな八等星の速度はこれより大きく毎秒八〇〇キロメートル以上にも達するらしい。またかの巨星アルクトゥルスの毎秒四〇〇キロメートルにしてもやはり前記の速度を凌駕している。それにしてもかような大きな速度はやはり稀有の例外であるかも知れない。しかるにもしも太陽が尺度の比にして現在の一〇〇倍の大きさであってこれが同様なガス球と衝突したのだとすれば、その初速が毎秒わずかに三八キロメートルだけあれば、その結果は全質量を無限の空間まで拡散させるに十分である。そうしてそれはリッターのいわゆる『遠心的』星雲を形成して次第にますます膨張を続けつつ徐々に空間中に瀰散するであろう。『かの螺旋形星雲と称せられ、通例斜向の衝突の結果生じたものとして説明されているものも、多分この遠心系の一種と見なしてもいいものであろう。』この天体は本来はすべての方向に無限に拡散すべきであったろう。しかしこれが拡散の途中で出遭う微粒子のために運動を妨げられ、そのために進行を止めてしまったであろうということも考えられなくはない。環状星雲の生成も多分これと同様なふうに考えてよいであろう。クロル(Croll)によると、二つの天体の衝突の際に太陽の場合ほどの熱の発生を説明するためには毎秒一〇〇マイル(七四二キロメートル)の速度を要することになっているが、リッターに従えば何もそれほどの速度の必要はない。これについては特に次の点を考慮してみれば分る。すなわち、太陽と同質量を有し、しかもその一〇〇倍の半径を有する一つのガス星雲があったとすれば、それは別の同様な天体と衝突しなくても、ただそれが現在の太陽の大きさまで収縮するだけで光輝の強い白光星となるに十分な高温度を得るということである。
さて、もしも二つの天体衝突の際における速度が前記の特別な値よりも小さかったとするとその場合にはいわゆる求心系が生じる。すなわち、生じたガス球は次第に収縮して一つの恒星に成るのである。リッターの説によると、このような星はある平衡の位置に対して周期的に膨張しまた収縮することがあり得るので、彼はこれによって変光星の光の周期的変化を説明しようとした。しかし、思うに、かような脈動は輻射放出の結果として多分急速に阻止されてしまうであろう。のみならず、かような星の光度の変化は通例リッターの計算から考えられるようなそう規則正しいものではないのである。それでこの点に関する彼の意見はついに一般の承認を得るには至らなかった。
リッターはまた遠心系中にも所々に密集した所はでき得るのであろうと考え、それらが小さな恒星として認められるようになるであろうと考えた。星団はこのようにしてできたかも知れないのである。実際またかの螺状星雲は大部分かような星団からできていると考えられる根拠はあるのである。最後にリッターの持ち出した問題は、銀河も恐らく同様に一つの遠心系から形成された星団でありはしないかということである。しかるにこれに対する彼の説では、もしそうであったとすると銀河系がその付近一体に存する物質の量の主要な部分を占めるということは不可能だということになる。すなわち、衝突後に一つの遠心系を生ずるために必要なような大きな速度を得るためには、彼の考えでは、この二つの互いに衝突するガス団はあらかじめそれよりもずっと大きな質量の引力を受けなければならなかったはずであり、またその後にもやはりその引力の範囲に止まっていなければならないのである。
リッターの研究によれば、二つの光を失った太陽が互いに衝突した際に遠心系が形成されるということは、双方の太陽が異常な高速度を有しているという稀有な例外の場合に限って確実に起るのである。ところが実際上、太陽系の一部分、多分はその小さい方の部分が遠心系を作り残る主要部分が求心系を作ったという考えに矛盾するような事実はどこにも見当らない。こういう経過の方が正常であるということは既にずっと前に特記しておいた通りである。すなわち、遠心系は求心系を中心として一つの螺旋形星雲を形成し、そうしてその求心系はちょうどラプラスがガス状星雲から遊星系への変化について詳細に考究したのと同じようなふうにして徐々に形成されてゆくのである。
リッターはまた我々の太陽くらいの大きさの恒星がその進化の種々の段階において経過してきた時間を計算した。それには四つの期間を区別した。その第一期は星雲期に相応するものである。従ってこの星の温度は比較的低くて初めはいわゆる星雲型のスペクトルを示し、次では赤味がかった光を放つ。ロッキャー(Lockyer)その他の諸天文学者も理論上の根拠からこの考えを共にしているが、しかし観測の結果はこれに相応しない。星雲は水素とヘリウムの輝線スペクトルを示す。しかしまた多くの恒星はこれらの輝線を示し、従ってこの星雲に近似しているが、ただしその色は赤ではなくて白光を呈している。それであたかも、リッターが必要と考えたような星雲と白光星との中間段階(赤色光を放つ星雲状恒星)が欠如していると言ったような体裁である。しかしこれは、たとえそういう過渡的の形式のものがあるにはあっても、それが非常にまれであるということかも知れない(『宇宙の成立』一六七頁参照)。リッターもまたこの中間期の長さが白光星から赤光星への過渡期に比べて比較にならぬほど短かったと考えている。――ベテルギュースのように著しく光の強い赤色の星もあるにはあるがしかしこの赤い色はこの星の雰囲気かあるいはその付近にある微塵の吸収によるものと想像される(『宇宙の成立』六四頁及び一六三頁参照)。――輻射がその最大値に達するまでの第一期間の長さは一六〇〇万年に亘ると考えられる。
その後にも温度は上昇してゆく――ただしその輻射面が急速に減少するために全体の輻射は温度が上ってもこれとともに増すわけにゆかない――そうしてついに最高温度に達する。この期間は比較的短くわずかに四〇〇万年である。第三期にはこの星の光力は続いて減じ温度は降るのであるがこの期間に三八〇〇万年が経過する。そうしてその次に最後の第四期としてこの星の光らない消えた状態が非常に永く継続するというのである。これらの計算はすべて、太陽の熱はその収縮によってのみ発生するという仮定に基づいたものであって、そうしてこの仮定は多分かなり本質的に事実に合わないものだと思われる。それは、この場合に一番重要な役目をつとめるものは恐らく収縮ではなくて化学的の過程であろうと思われるからである。
リッターの計算の結果では、太陽がある遊星と衝突しても、それが既に光の消えた状態にあった場合にはそれによって再び新生命に目覚めるということはできないことになっている。それで遊星が太陽に墜落衝突することによって太陽系が再び覚醒するというカントの詩的な夢想は実現し難いようである。この有名な哲学者はこう言っている。『燃えない、また燃え切ってしまった物質、たとえば灰のようなものが表面に堆積し、最後にはまた空気が欠乏するために太陽には最後の日がくる。そうしてその火焔が一度消えてしまえば今まで全宇宙殿堂の光と生命の中心であった太陽の所在は永遠の闇が覆うであろう。いよいよ没落してしまうまでにはその火焔は幾度か新しい裂罅を開いて再び復活しようとあせり、多分幾度かは持ち直すこともあるであろう。これは二三の恒星が消失したりまた再現したりする事実を説明するかも知れない。』『神の製作物の偉大なものにさえも無常を認めたと言っても別に驚くには当らない。有限なるもの、始めあり根源あるもののすべてはそれ自身の中にその限定的な本質の表徴を備えている。それは滅亡――終局をもたなければならない。神の製作の完全性に現われた神の属性を賛美する人々の中でも最も優れたかのニュートンは、自然界の立派さに対する最も深い内察と同時に神の全能の示顕に対する最大の畏敬をもっていたのであるが、そのニュートンですら、運動の力学によって示された本来の趨向によってこの自然の没落の日のくることを予言しなければならなかった。』『永遠なるものの無限の経過にも、ついにはこの漸近的な減少の果てに、すべての活動が終熄してしまう最後の日が来ないわけにはゆかない。』
『さらばと言ってある一つの宇宙系が滅亡してもそれが自然界における実際の損失であると考えるには及ばない。この損失は他の場所における過剰によって償われるのである。』すなわち、カントの考えでは、銀河の中心体付近にある諸太陽が消燼する一方で、はるかに離れた宇宙星雲から新しい太陽が幾つも生れるので、生命の所在たる世界の総数は絶えず増加しようとしているというのである。それでも、カントにとっては、太陽とそれを取り巻く諸遊星がこの銀河の中央で未来永劫死んだままで止っていると考えるのはやはり遺憾に思われた。それは合理的な天然の施設の行き方と矛盾するように彼には思われるのであった。『しかしなお最後にここにもう一つの考え方があって、それは確からしくもあり、また神の製作の記述にふさわしいものでもあって、そうしてこの考え方が許されるのであったならば、自然の変化のかような記述によって生じる満足の念は愉悦の最高度に引き上げられるであろう。渾沌の中から整然たる秩序と巧妙な系統を作り出すだけの能力をもった自然が、その運動の減少のために陥った第二の渾沌状態から前と同様に再び建て直され最初の組織を更生するであろうと信ずることはできないであろうか。かつて拡散した物質の素材を動かしこれを整頓したところの弾条が、器械の止ったために、いったんは静止した後に、更に新たな力で再び運動を起すということはできないであろうか。――これは大して深く考えるまでもなく次のことを考慮してみれば容易に首肯されるであろう。すなわち、宇宙構造内における回転運動が末期に至って衰退しついには諸遊星も彗星もことごとく太陽に墜落衝突してしまう。するとこれらの夥しい巨大な団塊が混合するために太陽の火熱は莫大な増加を見るべきである。ことに、太陽系中でも遠距離にある諸球体は、我々の理論の証明した通り、全自然界中でも最も軽くまた最も火の生成に効果ある材料を含んでいるからなおさらそうである。』このようにして、材料の追加によって養われたために非常な勢いで燃え上る新しい太陽の火熱は、カントの考えでは、すべてを最初の状態に引き戻すに十分であって、これによってこの新しい渾沌から再び新しい遊星系が形成せられ得るというのである。もしこういう芸当が幾度も繰返して行われるものだとすれば、もっと大きな系、それに比べて我々の太陽系はほんの一部分にすぎないような銀河系でも、やはり同じようにして、あるいは静止しあるいはまた呼び覚まされて荒涼な空間中に新生命を付与するようになるであろう。『このごとくその死灰の中から再び甦生せんがためにのみ我と我が身を燃き尽くすこの自然の不死鳥(Phönix)の行方を時と空間の無限の果まで追跡してみれば、これらのすべてを考え合わせるところの霊性は深い驚嘆の淵に沈むであろう。』
当時はまだ器械的熱学理論は知られていなかった。それでカントはとうに太陽熱が燃焼(化学作用)によって保たれなければならないということをおぼろ気にでも予想していながら、一度燃え切ってしまった物質がまた何度も何度も燃え直して、幾度も新しいエネルギーを生ずるという仮定の矛盾には気がつかなかった。しかしこの美しい哲学的詩に物理学の尺度をあてがうのは穏当ではあるまい。カントでさえこの詩の美しさの余りにしばらくいつもの書きぶりを違えたのである。このカントの立派な創作は畢竟自然の永遠性に対する彼の熱烈な要求を表わすもので、しかもよほどまでは真理に近いものであるが、自然科学的批判の下にはいわゆる烏有に帰してしまうのである。我々がカントの宇宙開闢論の著述を賛美するのは物理学的見地から見てではなくて、むしろその企図の規模の偉大な点にある。この企図を細密に仕上げることはけだしカントの任ではなかったのである。
カントの考えをほとんどそのままに継承したのが心霊派哲学者のデュ・プレル(Du Prel 一八八二年)である。彼はしかしこれをもう少しやさしい形で表現し、またカント以後における天文学の著しい進歩の成果をも考慮に加え、そうしてまたカントの素朴な目的論的の見方を避けた。しかし、消燼した太陽に遊星を墜落衝突させ、それによって太陽を復活させたことは同様である。彼はこう言っている。『冷却したこの宇宙の死骸が、ついにはエーテルの抵抗のために無運動状態に移りゆくべき中心系と合体するまで、空間を通して幽霊のような歩みを続けるであろうとは考えられない。むしろ星団形成の根原となるべき原始星雲は一つの星団のすべての星が合致したもので、それらの運動が熱と光に変化しその結果としてすべての物質が再び星雲状態となるような温度を生じたと考えた方がよい。――ここで我々は仏教徒のいわゆるカルパス(Kalpas)の輪廻を思い出さないわけにはゆかない。それは実に一〇〇万年の何十億倍というような永い期間であって、宇宙が一時絶滅しては幾度となく相い次いでそういう輪廻を繰り返すものである。』しかし、――デュ・プレルの説では――更に詳しく考究してみると、全宇宙が同時に静止してしまうということはないので、ある場所で生命の消滅した所があれば他のどこかでは見事な生命の花が咲き盛っているということが分る。『ペネロペが昼間自分の織った織物を夜の間に解きほごすと同様に、自然もまた時々自分の制作したものを破壊する。そうしてその織物を完成しようという意思があるかどうか我々にはうかがい知ることができない。』
『壊滅の後に各々の星では新しく進化が始まる。そうして、過去の彼方に退場する宇宙諸天体を引っくるめた全歴史は、地球上の我々の立場からは回想することもできぬ深い闇に覆われてしまう。そうしていつの日になっても、我々とは違った人種、我々よりももっと高い使命をもった生物が地球の遺産を相続するようなことはないであろうし、また人間のこれまでに成就した何物もそのままに他の者の手に渡ることはないであろう。』このデュ・プレルもまたメードラー(Mädler)と同様にプレヤデスの七星(Plejaden 昴宿)が、宇宙中心系であって、我が太陽はその周囲を回っているものとした。しかしこの考えは後にペータース(A. F. Peters)の研究の結果から全く捨てられなければならなかった。
『このように、宇宙間には、重力による運動から熱へ、熱からまた空間運動へと無窮に変転を続けている。その変遷の途中のいろいろの諸相が相い並んで共存するのを見ることができる。すなわち、一方には火焔に包まれた天体の渾沌たる一群が光輝の絶頂で輝いているかと思うと、また一方では凋落しかかった星団があってその中に見える変光星は衰亡の近づいたことを示している。またその傍にはもう光を失った太陽が最後の努力でもう一度燃え上りそうして凍結の運命を免れようとしているのが見られる。またある場所では輪郭の明白な星雲球の中に、もう既に最初の太陽の萌芽が見え始めているかと思うと、他の方面では精緻な構造をもっていた諸太陽系が、再び不定型のガス団となって空間に拡散されている。しかも、この「自然」の仕事はちょうどかのシシフォス(Sisyphus)のそれのように、いつまでもいつまでも始めからやり直しやり直しされるのである。』
デュ・プレルは星雲から遊星系へ、また星団への進化を考究するに際してダーウィン流の見方を導入した。我々の遊星系の諸球体は実に驚嘆すべき安定度を享有している。それは彼らの軌道がほとんど同心円に近く、従って相互衝突の心配がないからである。しかしちょうどこういう都合の良い軌道の関係をもたなかった遊星があったとすればそれらは互いに衝突を来たし、その結果はもっと都合の良い軌道をもった新しい天体を作るか、さもなくば、結局また太陽に墜落し没入してしまったであろう。このようにして、衝突の保険のつかないような軌道を動いていた遊星はだんだんに除去され、そうして最後に現在の非常に『合目的』な系統ができ上った。この系統の余りに驚くべき安定度から、ニュートンは、何物か理性を備えたある存在が初めからこれらすべてを整理したものだという仮定を必要と考えたのであった。このデュ・プレルの思考の経路は甚だもっともらしく見えるのであるが実はカントの考えに近代的で、しかも特に美しく人好きのする衣裳を着せたにすぎないのである。
デュ・プレルの考えはまたルクレチウスが次の諸行を書き残した考えにも通じるものがある(『物の本性について』De Rerum Natura 巻一、一〇二一―一〇二八)。
『まことは、原始諸物資は何らの知恵ある考慮によってそれぞれ適宜の順序に排列されたものではなく、また相互の運動に関しても何らの予定計画があったわけではない。これらの多くのものは様々に変化し相互の衝突によって限りもなきあらゆる「すべて」に追いやられ結び合い、あらゆる運動あらゆる結合の限りを尽くしつつ、最後に到達した形態と位置が、今の眼前の創造物としての森羅万象の総和である。』
カントやデュ・プレルの考えたように諸遊星が将来その運動を阻止する抵抗のためにいつかは太陽に向かって墜落するものとしても、ローシュ(Roche)が証明したように、太陽からの距離を異にする各部分に及ぼす重力の作用の不同なために、たとえば太陽近くまで来るかのビエラ彗星(Bielas Komet)のごとき彗星と同様に破砕されるであろう。この破砕に当って疑いもなく猛烈な火山噴出が起りその結果として、当時太陽は既に消燼していてもそれにかかわらず、砕けた破片は一時灼熱状態に達するであろう。しかしこの灼熱による光は多分弱いものであって我々の遊星系外からは望見することのできない程度にすぎないであろう。しかしもしそのときに太陽がまだ光を失っていなかったとしたら、遊星は熔融して灼熱された粘撓性の質塊となるであろうから、余り激烈な変動を起さずに楽にその破片を分離することができるであろう。いずれにしても破砕された遊星は隕石塵のように静かに太陽に落下するので、そのために太陽の物理的状態に著しい変化を生じるようなことはないであろう。それで我々はカント並びにデュ・プレルの開闢論を嘆美はするが、その物理学的根拠を承認するわけにゆかない。彼らの体系は彼らが考えたとはどうにか違ったふうにして実現されなければならない。
Ⅹ 開闢論における無限の観念
以上の諸章では主として科学的な方面の問題を論じてきたが、ここでは少し方面をかえて、哲学的の問題、ことに無限の観念について述べようと思う。この問題の解釈については従来哲学者の貢献も甚だ多いのである。今、たとえばシリウスのごとき恒星がどれほど遠距離にあるとしても、それよりもなお遠い恒星がやはり存在する。そうして、もしある恒星が最遠で最後のものであると考えるとしても、その背後にはやはり空間のあるという考えが前提となっている。これはどこまで行っても同じことである。それで空間の際限が考えられないと同様にまた時の限界も考えることはできない。どれほど遠い昔に遡ってみても、やはりその以前にも時があったと考える外はない。同様にまた時の終局というものも考えることができない。換言すれば空間は無限であり時は永久である。
しかるに我々の思考力では無限の空間や無限の時間という観念を把握することがどうしてもできない。それでこそ人間はしばしば宇宙を有限と考え、時には初めのあるものと考えようと試みたであろう。これについては古代バビロニア人の考え方を挙げることができる。
空間は無限なように見えるけれども実は有限であり得るという意見は奇妙にもこれまでいろいろの人によって唱道された。その中に有名な数学者のリーマン(Riemann)のごときまた偉大な物理学者ヘルムホルツのような優れた頭脳の所有者もいた。地球が球形をしているために海面が曲って見え、数マイルの沖にある島を対岸から見ると浜辺は見えないで、高い所の樹の頂や岩などが見えるだけだということはよく知られたことである。しかし折々は大気が特殊な状態になるために島の浜辺までも対岸から見えるようになることがある。これは空気の密度が上層から下層へ増すその増し方が急なために光線があたかもプリズムを通るときのように曲るためである。このように気層密度の下方への増加が、特別な場合にちょうど好都合な状態になれば、地面に平行に発した光線が屈折されながら絶えず地面に平行しつづけ、そうして海面と同じ曲率をもって進むようになることも可能である。そこで、もしある人が地平線の方を見ようとすればその視線はぐるりと地球をひと回りする。そうして、言わば自分で自分の背中を眺めることができるわけである。もちろん実際は自分の姿を見付けることはできないであろうが、しかしこの人にとっては地球は、あるいは正しく言えば海面は、全く平板な、そうしてすべての方向に無限の遠方に広がる面であるように見えるであろう。
ここで我々は次のようなことを想像することができる。すなわち、光線が空間を通る際になんらかの原因で屈折するとする。そうしてたとえば真上を見ようと思うときにその視線は真っ直ぐに無限の上方に向かわないで地球のまわりに彎曲するために地球の反対側を見るようになる。もちろんこの場合でも我々は実際視線上に地球を目撃することはできないであろう。なぜかと言えば地球の反対側からの光が、そうして我々の目に達するまでに経過する道程は、我々の見るいかなる恒星の距離よりも遠いからである。しかしともかくもこの際光線が描くと考えられる円上の最も遠い点よりももっと遠くにある恒星はいかにしても我々に見えないであろうということはこれで容易に了解されるであろう。
かように我々はある一定の距離――もちろん非常に大きいがともかくも有限な距離――以内にあるような宇宙の一部分だけを見ている場合でも、我々のつもりでは、地球上からすべての方向に真っ直ぐに無限の空間をのぞいているように思われるであろう。それで、我々は空間が無限であると主張することはできないはずである。少なくとも我々の知覚の可能の範囲内ではそんなことは言われないわけである。
ヘルムホルツの考えによればここに考えたような可能性が実存するかどうかは天文学者の手によって検査することができるはずである。しかもこの考えは実際上恒星の観測とは符号し難いのである。しかしこのような検査は初めから不必要であろうと思われる。地球上でその表面に沿って光線の屈曲するのは、温度分布の関係から視線の上と下とで空気の密度と屈折率の差違のあるために生ずる現象であるが、光を運ぶエーテルの場合にはその密度や屈折率が光の放射方向に対していかなる向きにでも、少しでも不同を示すであろうと考えさせるような確証は一つも考えられないのである。それで、空間中で視線が徐々に曲るであろうという仮定は全く不自然なものである。従って、この考えは前世紀の中ごろしばらくの間は非常な注目をひいたけれどもその後は全く捨てられてしまった。ことにこの考えは科学的見地から見て新しいものを生み出すという生産能力が欠けていたからである。これに関して興味をもつ人はデンマーク人クローマン(Kroman)、米人スタロ(Stallo)並びに有名な仏国数学者ポアンカレ(Poincaré)の著書を見ればこの問題に関する総括的批判的の研究を見い出すであろう。ここではただこの古い考えの筋道だけを述べるに止めておく。
恒星の数が無限であるかどうかということも昔から論争の種であった。アナキシマンドロス、デモクリトス、スウェデンボルク及びカントはこれが無限であると考えた。しかしもし恒星がほぼ一様に空間中に分布されており、そうして我々の太陽付近に甚だしく集中しているのではないとしたらどうであるか、その場合には満天が恒星と同じ光輝で、多分太陽よりも強い光輝で照らされ、そうして地球上のすべてのものは焼き尽されてしまうであろう。我々の観測する諸恒星の温度は一般に太陽より高いのであるが、すべての天体の平均温度がそうであったとしたら、かくなる外はないのである。しかるに実際は地球が焼き尽くされないで済んでいるのはなぜか。この理由は二通りだけ考えられる。まず、恒星は我々の太陽の付近だけに集中していて、空間の彼方に遠ざかるほどまれになっているのかも知れない。不思議なことには、大概の天文学者はこの甚だ非哲学的な考えに傾いているように見える。しかしこの考えは輻射圧というものの存在が認められてからはもはや支持されなくなった。それは、たとえすべての太陽恒星がかつて一度はある一点、たとえば銀河の中心の付近に集中していたとしても無限な時の経過のうちにはこの圧力のために無際限の空間に撒き散らされてしまったはずだからである。
それでこの第一の理由がいけないとすればもう一つの仮定による外はない。すなわち、輻射線を発している諸恒星に比べて非常に低温度で、またばく大な広がりをもった暗黒な天体が多数に空間内に存在すると考える。すなわち、寒冷な星雲である。これは外から来る輻射熱を吸収して膨張し、そうして冷却するという奇妙な性質をもっている。膨張する際に最大の速度をもっているようなガス分子は弾き出され、その代りにこの星雲内部のもっと密集した部分からのガス質量が入れ代わる。このようにして外方へ流出するガスは付近にある恒星の上に集められ、エネルギーはだんだん多くこの流出ガスに集積され、同時にエントロピーは減少するというのである(『宇宙の成立』一七五頁参照)。
それでもはや無限空間中における恒星の数は無限であると考えるより外に道はないことになる。ところが、暗黒体に遮られ隠されているもの以外のすべての星を我々が現在知っているかと言うと決してそうではない。光学器械の能力が増すに従って次第に常に新しい宇宙空間が新しい恒星の大群を率いて我々の眼前に見参してくる。もっともこれらの恒星の増加は器械の能力で征服される空間の増加と同じ率にはならないでそれよりも著しく少ない割合で増してゆく。これは多分、少なくも一部は、暗黒体の掩蔽作用によるかも知れない。
物質界が不滅あるいは永遠であるという考えが、原始的民族の間にもおぼろ気ながら行われていたということは、彼らの神話の構成の中にうかがうことができる。一般に永遠の昔から存在する渾沌、もしくは原始の水と言ったようなものが仮定されているのが常である。この考えのもう少し熟したものがデモクリトス並びにエムペドクレスの哲学の帰結に導いたのである、ところが中世の間に、物質界はある創造所業によって虚無から成立したという形而上学的の考えが次第に勢力を得てきた。このような考えはデカルト――もっとも彼自身それを信じていたかどうかは不明であるが――にも、かの不朽のニュートンにも、またかの偉大な哲学者カントにも、またずっと後代ではフェイー(Faye)にもウォルフ(C. Wolf)にもうかがわれる。しかしともかくも物質はその全量を不変に保存しながら徐々に進化を経たものであるという主導的観念はあらゆる開闢論的叙説に共通である。それが突然に存在を開始したという仮定には奇妙な矛盾が含まれている。一体宇宙に関する諸問題を総てただ一人の力で解決しようというのは無理な話である。それで、ラプラスが、自分はただ宇宙進化のある特別な部分がいかに行われたかを示すにすぎないので、他の部分は他の研究者に任せると言っている、あの言葉の意味はよく分っている。しかしこういう明白な縄張りを守ることを忘れて超自然的な解説を敢てした人も少なくない。そういう人々は自然法則の不変(六九頁並びに注参照)という明白なスピノザの規準を見捨ててしまっているのである。スペンサー(Spencer)もこの点についてははっきりしていて『この可視世界に始めがあり終りがあるとはどうしても考えることはできない』と言っている(六九頁参照)。
(注) 大哲学者スピノザは一六三二年にアムステルダムに生れ一六七七年に同市で死んだ。彼の生涯の運命は彼時代以来文明の進歩がいかに甚だしいものであるかを証明すると思われるからここに簡単な物語を記しておこう。彼の両親はもとポルトガルのユダヤ人で、宗教裁判の追及を逃れてオランダに来た。この異常な天才をもった青年は当時のユダヤ教の教理に対する疑惑に堪えられなかったので、そのために同教徒仲間から虐待されていた。とうとう彼らはたくさんな賠償金まで出してうわべだけでもユダヤ教理を承認するように無理に説得しようと試みた。しかし彼はこの申し出を軽侮とともに一蹴したので、彼らはついに刺客の手で片付けようとさえした。そうして彼をユダヤ教徒仲間から駆逐したのである。その後は光学用のレンズを磨いたりして辛うじて生計を営みながら、彼の大規模の哲学的著述を創造した。
スペンサーがこれを書いたときには、既にエネルギー(当時は力と言っていた)の不滅説も、またラボアジェー(Lavoisier)の実験によって証明された物質不滅の法則も十分に承知していた。この物質不滅という考えは実はあらゆる時代に行われてきたのであるがしかしもとよりこれに関して何ら明瞭な考えはなかったのである。過去一〇年の間に、物質(重量で測られる)が破壊されることもあるいは可能ではないかという疑問が折々提出された。これに関する主要な仕事としては、ランドルト(Landolt)の行った二、三の非常に精密な実験がある。それは二つの物体が相互に化学的作用をする際にその全重量が果して不変であるかどうかを験しようというのであった。ランドルトは若干の場合に僅少な、しかし実験誤差よりはいくらか大きいくらいの変化を認めたのであるが、更に繰返し実験を続けた末に、この重量変化は単に見掛け上のものであり、実は化合作用の間に起る温度上昇が緩徐に終熄するためにそうなるのである。という意見に到達した。それで我々は十分完全な根拠をもって、化学者の多様な経験の結果は物質不滅という古来の哲学者の考えを確証すると明言することができるのである。
開闢論に関する問題を論ずるに当って物質が突然に成立したものと仮定する学者たちがいずれもその物質系統に時間的終局を認めないのは妙なことである。これは実に了解し難い自家撞着である。たとえば黄道の北側にある恒星の数は無限だが南側のは有限だと主張するのと同じくらい了解しにくい考えである。これに対してあるいは次のような異議を称える人があるかも知れない。すなわち、ある種の概念ではある一点からある一つの方向には無限を仮定するが、同点から反対の方向には全く継続がないと仮定する場合がある。たとえば温度は絶対零度から上方へは無制限であるのに、零度以下すなわち反対の方には温度は存在しない、これと同じことではないかというのである。
これに対しては次のように言われる。まず、負の方向に無限大の温度が存在するという仮定を含めるような温度の尺度を作ることは決して不可能ではない。それにはたとえば、摂氏零下二七三度から数えた温度の対数を取って、これを温度の示度とすればそれだけでもよいのである。しかし、また一方から考えると、温度なるものは分子のある運動に帰因するものと想像されており、負の方向へのある運動は正の方向への同じ運動と完全に同価値としなければならないので、この理由からして、絶対的無運動よりも以下の状態となるということは不可能である。これはちょうど負の質量というものを考えることができないと同様である。しかるに負の時(すなわち、過ぎ去った時)というものは考え得られるのみならずむしろ考えないわけにはゆかない。それだから、物質の未来における永遠性を口にしながら、過去におけるそれを言わないのは自家撞着の甚だしいものだというのである。
前に引用したスペンサーの所論の中にも言ってある通り、物質の創造を考えることが不可能なのと同様にまたエネルギー(力)の創造を考えることも不可能である。この点についても、自然科学によって諸概念がまだ精算されなかったころの哲学者の頭には曖昧な観念が浮動していた。デカルト、ビュッフォン、カントのみならず大概の古の開闢論者の著述の中にはエネルギーの不滅に関する暗い予感の痕跡といったようなものが見出されるのが常である。デカルト並びにカントは、太陽の灼熱状態が持続されるためにはどうしても何らかの火の存在が必要であることを述べている。そうしてこの火を燃やすには空気が必要欠くべからざるものと考えられていたのである。ビュッフォンはまた『やはり灼熱している他の諸太陽は我々の太陽から取っていると同じだけの光熱を送り返している』とさえ考えていた。すなわち、彼は一種の熱平衡を考えていたのであるが、惜しいことには、この関係についてこれ以上に立ち入った研究はしなかった。
この関係について始めてこれ以上の深い省察を仕遂げたのは前世紀の初めに現われた天才サディ・カルノー(Sadi Carnot)である。しかし彼の夭死のために彼の著述は一部分しか出版されず従って世に知られるに至らなかった。そうしてエネルギー不滅の原理はその後マイヤー(Mayer)、ジュール(Joule)、コールディング(Colding)によって再び新生に呼び覚まされ、そうしてヘルムホルツによって追究され完成されなければならなかった。注意すべきことはこの五人の中で最後の一人は数理的科学の十分な教養をもっていたが、いずれもとにかく職業的専門科学者ではなかったことである。カルノーとコールディングは工学者、マイヤーとヘルムホルツは医者、ジュールは麦酒醸造業者であった。それでこの発見に導いた根拠をよくよく調べてみると、それは主に哲学的なものであった。しかもこれらの新原理の開拓者等はその余りに自然哲学的な考えのために厳しい攻撃をさえ受けなければならなかったのである。科学者等はずっと以前から、熱が物体最小部分の運動に帰因するものであると考えていた。この考えはデカルト、ホイゲンス、ラボアジェーとラプラス、またルムフォード(Rumford)とデヴィー(Davy)によって言明されている。この考えに対立して、また熱は物質的なものであるという意見があった。器械的熱学理論の創立者は既にある度までかなり明瞭にこの理論構成の第一段階を把握していたのである。しかしカルノーの研究では熱機関の本性に関する考察が主要な役目を勤めている。その熱機関では熱が高温の物体から低温の物体に移ることによって仕事が成される。カルノーに従えば、一定の熱量が移動する際に、それが最大可能な仕事をするような具合に移動する場合には、その熱を伝える媒介物が何であっても、それには無関係に、ただその高温体と低温体の温度が不変に保たれる限りは、成される仕事の量はすべての場合に同一でなければならない。この原理はまた、『永久運動』(Perpetuum mobile)をする器械の構成は不可能である、という言葉で言い表わしてもよい。この言葉の中には、仕事というものは無償では得られないものだ、ということに対するこの工学者の堅い信念が現われているのである。マイヤーの論文の中には『虚無からは虚無しか出てこない』と言ったような文句がうようよするほどある。彼は頭から爪先まで仕事の実体性という観念に浸されていたのである。またコールディングは次のように言っている。『私はこう確信する。我々がここで有機界にも無機界にも、また植物界にも動物界にも、同様にまた無生の自然界にも出会う諸自然力は宇宙の初めから成立したのみならず、また創成当時に定められた方向へこの宇宙を進展させるために不断に今日まで作用しつづけてきたものである。』ジュールはある通俗講演の中で次のように言っている。『活力(vis viva)mv2/2 の絶対的絶滅は決して起り得ないということは先験的に結論することができる。何とならば神の物質に付与したこれらの力が人間の手段で滅亡させられたりまた創成されようとは考えられないからである。』四、五年後れて現われたヘルムホルツの論文は今日から見れば実に物理学上の第一流の業績と見るべきものであるが、しかしその当時最高の専門雑誌であったところの『ポッゲンドルフス・アンナーレン』(Poggendorfs Annalen)へ掲載を拒まれた。これで見ると、当時の人がこの著述の物理学的の重要な意味を認めなくて、単に哲学的な論説としか見なさなかったことは明白である。ところが、この研究は最近半世紀の間において物理学のみならず化学更に生理学の方向においても行われた非常に多産的な革命の基礎となった。これによってエネルギーの不滅、永遠から永遠へのその存立ということは、あらゆる未来へかけて確立されたのである。
奇妙なことにはこの科学の一分派の発達はそれ自身の中に永劫の原理に対する否定の胚芽を含んでいるのである。熱学理論の帰結としては、熱は自分だけでは(すなわち、その際仕事が成されない限りは)いつでも高温物体から低温物体に移るはずである。従って、宇宙進化の徐々にたどり行く道程としては、あらゆるエネルギーが分子運動に変ってしまい、そうして全宇宙の温度差は全く平均されるような方向に向かわねばならないはずである。もしそうなってしまえば、分子運動以外のあらゆる運動は停止し、そうしてあらゆる生命は死滅してしまう。それこそインド哲学者の夢想した完全な涅槃である。クラウジウス(Clausius)はこの窮極状態を『熱的死』(Wärmetod)と名づけた。もし宇宙が真にこの熱的死に向かって急いでいたとすれば、無限の昔から成立していたはずの宇宙は、その無限の時間の間に、既にこの状態に達していなければならないはずである。しかるに我々の日常の経験するところから見るとこの現世界はまだこの悲運に出会っていない。それで当然の帰結として永劫観念は根拠のないものだということになり、宇宙は無限の過去から存在しているのではなくて、初まりがある、すなわち創成されたものでありその際に物質もエネルギーも成立したものであるということになるのである。ケルヴィン卿もまたこの熱的死の学説に重要な貢献をしたのであるが彼はこれをエネルギーの『散逸』(Zerstreuung Dissipation)と呼んでいる。これは器械的熱学論の基礎を成している永劫観念に全然矛盾するものである。それで我々は何とかしてこの困難を切り抜ける活路を求めなければならない。
宇宙がともかくもある進化をするということが疑いないことであって、しかもその進化が常に同じ方向に進行するとすれば、いつかはどうしてもその終局に達しなければならない。もし終局が来ないとすれば、それは、進化が最後の停止を狙っているのでなくて一種の往復運動のようなふうに行われているためだとする外はない。こういうふうな考え方の暗示のようなものが、もちろん甚だぼんやりしたものではあるが、既にデモクリトス(一〇三頁参照)にも、またカントにも見受けられる。カントは、燃え切った太陽が『渾沌と混淆する』ことによって、すなわち、太陽から放出された最も揮発性な最も微細な物質が、往昔の渾沌の死骸と思われる黄道光物質中に突入することによって『更新』するという考えを述べているのである。
カントは、次のような注目すべき考えを述べている。『もしもこのように創造物が空間的に無限であるとしたら、……、宇宙空間には無数の世界があり、そうして無終にこれらの住みかとなるであろう。』更にまた彼は、太陽が消燼してしまって、中心体(可視の星界にあると彼の仮定した)の周囲の諸世界は滅亡するが、ずっとそこから離れた遠方の所で再び生命を喚び覚まされ、かようにして生命の宿る世界の数は増すばかりであると言っている。『しかしかようにして死滅した世界の物質の始末は一体どうなるであろうか。かつて一度はこれほどまでに精巧な系統を整頓することのできた自然のことであるから、もう一度立上って、そうして、運動の消失したために陥ったこの新しい渾沌の中から甦生することも容易だろうと信じてもよくはないか。大して熟考するまでもなくこの考えは肯定されるであろう。』カントは、遊星並びに彗星が太陽に墜落衝突すればその際に生ずる高熱のために物質は再びあらゆる方向に放出される、そうしてその際に高熱は消失するので以前のと同種の新しい遊星系が形成される、というふうに考えた。これと同様にしていつか一度はこれより大規模な銀河系も衝突合体してそうして新たに作り直されるであろう。彼は、こういう過程は幾度となく繰り返され得るわけで、かくして『永遠な時を通じ、あらゆる空間を通じて至る所にこの驚異が行われるであろう』と信じていた。この大規模な空想には、しかし、物理学的の根拠が欠けている(二五一頁参照)。クロル(Croll 一八七七年)はこれに反して、原始的星雲が再生するためには消燼した二つの太陽が相互に衝突することが必要だと考えた。この考えはその後リッター、ケルツ(Kerz)、ブラウン(Braun)、ビッカートン(Bickerton)、エクホルム(Ekholm)等の諸学者によって追究されたのであるが、しかしこの考え方の帰結は、次のようになる。すなわち、全宇宙は結局『寒冷で暗黒なただ一塊の団塊になろう』としてその方へ歩みを進めているというのである。この必然の帰結を避けるためには、何か別に物質を離散させるような力を想像する必要がある。
この点について最も明瞭な意見を述べているのはハーバート・スペンサー(一八六四年)で、彼の考え方は次のようなものである。遊星系の進化には異種の力が協力していて、一方では物質を集合させ、他方ではこれを離散させようと勤めている。星雲から太陽、遊星及びその衛星へ推移するようなそういう特定の進化期間では、この集合させる方の諸力が勝っている。しかし、いつかある日には、この離散させる力の方が優勢を占めるようになり、そうして遊星系は、もともとそれから進化してきた昔の状態、すなわち稀薄な星雲状態に立帰るであろう。永い間集合的な諸力の支配を受けていた期間と入れ代って今度は離散的諸力の旺盛な永い期間が続く。『物質が集合すると運動の方は離散してしまう。運動が吸収され集積すると物質が飛散する。』『律動はあらゆる運動の特徴である。』スペンサーは明らかに、物質が集中する際はその相互接近のために位置のエネルギーが失われ、また物質が離散する際には再び位置のエネルギーが蓄積される。そうして運動のエネルギーではちょうどこれと反対の関係になると信じていたのである。ニーチェ(Nietzsche)もやはり同様な意見を述べたことがある。
スペンサーの所説は確かに大体においては正当である。しかし物理学者の方では、スペンサーの要求しているような離散的な力のいかなるものをも実際に見い出さなかったので、彼の言葉は誰も注意しないでそれ切りになっていた。しかし今日ではこういう力がよく知られている。すなわち、こういう力は主として爆発物類似の物体の中に蓄積されているのであって、こういうものが太陽内部の高熱高温のために形成されると考えられる。なおこれに加えて、星雲状態の時代においては稀薄なガス圏中の微塵が熱を吸収し、従ってその分子運動が増勢するためにこのガスは空間中のすべての方向に飛散する。そうしてそれが結局は近くにある重い質量、特に恒星のエネルギーを増すことになるのであろう。この過程は、何よりもまずいわゆるエントロピーの増大ということに主要な影響を及ぼすことになる。換言すれば、諸天体間での温度の平均を妨げ、そうして『熱的死』の到来を防御するという作用をするのである(『宇宙の成立』一七四―一九〇頁参照)。なおこれ以外にも、輻射圧なるものがあって、これも太陽から微塵を空気中に駆逐する作用をするのである。
エネルギー不滅という新しい概念を獲得した結果として科学者たちは全く新しいいろいろな問題を提供されることになった。まず、太陽が、あのようにエネルギーを浪費しているにも拘らず目立って冷却するような形跡を見せないのはなぜかという疑問を起さなければならなくなった。この疑問に対する答解としてマイヤーは早速、太陽の熱は太陽中に隕石の墜落することによって恒同に保たれるという仮定を出した。しかしこの勢力の源泉だけでは到底不十分であるということが、その後これに関して行われた討論の結果明らかになった(『宇宙の成立』六一頁参照)。ヘルムホルツはマイヤーの仮説に修整を加え、太陽の全質量がその中心に向かって落下する、すなわち、全体が収縮するために熱を生じると考えたが、これも同様に不十分である。このヘルムホルツの考えは通例、太陽が星雲のような状態から収縮してできたものであるというラプラスの仮説の最上の根拠とされているのである。しかしこの考えに従えば、太陽が現在のような強度で熱を輻射するようになって以来今日まで約二〇〇〇万年より多くは経過しなかったということになる。
しかしこれは、地質学者の推算に従えば、最古(カンブリア紀)の化石類が海底に沈積して以来今日までに経過したはずの時間と全然一致しない。すなわち、この方の推算では一億年ないし一〇億年かかったはずであり、そうして人類の出現以来約一〇万年たっているらしいのである。これが動機となって英国では地質学者と物理学者の間に激しい論争が起り、物理学者の中でも地質学者の方に加担する人々があった。この論争はしかし当然地質学者の勝利に終った。彼らがちゃんとした積極的な論拠を握っているのに対して、その反対者の方は、主として、太陽がかような事情の下にどこからどうしてそのエネルギーを得ているか了解ができないという消極的な論拠しか持ち出せなかったのである。私はこの問題に対する解釈の鍵として、一般化学作用はそれが高温で行われるほどますます多量の熱を発生し得るということを指摘しようとした。一例としてここに一グラムの氷の温度を零下一〇度から次第に高めてゆく場合にいかなる過程をとるかを考えてみる。零度になると融けて水になり、そのとき約八〇カロリーを消費する。一〇〇度では蒸発して約五四〇カロリーを消費する。更に高温になって約三〇〇〇度となると水蒸気は水素と酸素とに分解してそのために約三八〇〇カロリーの熱を使用する。しかるにこれだけでもう化学作用が終ったと考えるのは間違いであるかも知れない。何とならば、これ以上の高温度を得ようとしても我々の実験的手段では達することができないからである。しかし非常な高温度になれば水素も酸素も何十万カロリーを使用してそれぞれ原子状態に分解するであろうということは殆ど確実と思われるのである。そこで、原子というものはもはやそれ以上分解することのできないものである以上、これまでで、もうあらゆる化学的過程は終局したのだ、と多くの人は言うであろう。しかし科学はこれに答えて否という。原子はまた別に新しい結合を始めそうしてばく大の熱量を使用することになるかも知れない。ラジウムが不断に熱を発生するという事実をキュリー(Curie)が発見したのはようやく数年前のことであった。それ以来、ラジウム化合物はヘリウムを放出し、その際ラジウム一グラム毎に約二〇〇億カロリーの熱量を発生することが発見された。高温度においては、この過程がこれだけの途方もないエネルギーを消費して、逆の方向に行われなければならない。もっとも、この過程については極く最近にやっとその端緒を知ったばかりであるからこれに関してまだ十分明確なことは分っていないが、しかしともかくも、なお一層高温度においては、参与物質の毎グラムにつきなお一層著しく多量な熱量を消費するような化学作用が起るかも知れないということの蓋然性を否定するようなものは絶対に何もないのである。ラザフォード(Rutherford)及びラムゼー(Ramsay)の画期的な化学上の発見はこの方面の空想にかなり自由な余地を与えるものである。
放射性物質は常温では崩壊するが、高温度では、もしその崩壊によって生じた生産物が所要の分量だけ存在すれば、再びこれらの生産物から逆に合成される。温度が昇れば昇るほど、この崩壊の産物の量は減じ、そうして恰好な高温では殆どなくなってしまう。ストラット(Strutt)の研究によると、地表下約七〇キロメートルの深さにおいて達せられるくらいの比較的に低い温度において既にこういうことになるらしい。ストラットは地球の温度が内部に行くほど上昇する事実を、地球内に含有されたラジウムが徐々に崩壊することによって説明しようと試みた。彼は地殻を構成する普通の岩石中には一〇〇万立方キロメートル毎に平均八グラムのラジウムを含んでいるという結果を得た。そこで、もしも地球全体が平均してこれと同じ割合でラジウムを含んでいるとしたら、これが崩壊するために発生される熱は、地球が外方に熱を放出しているために失う熱の約三〇倍になる勘定である。ところが、ラジウムが地球の三〇分の一、すなわち七〇キロメートルの深さの最外層だけに含まれていると仮定するのもいかがわしいことである。それで、ずっと深い所へ行って、もしもそこにラジウムの崩壊産物が十分多量にあれば、それからラジウムが合成されるかも知れないという蓋然性も考慮に入れないわけにはゆかなくなる。上記の深さでは温度は約摂氏二〇〇〇度くらいである。もちろんまたある温度ではウラニウムもまたその崩壊産物――ラジウムもその一つであるが――から形成せられるであろう。こう考えてみると、摂氏六〇〇〇度以上の温度にある太陽の可視的な部分にラジウムの存在が見い出されないという事実もそう不思議とは思われなくなるのである。
ウラニウムは、常温では、その崩壊産物から目に見えるほど合成されるようなことはなくて、ラザフォードの測定した速度、すなわち、一〇億年で半減するような割合で崩壊してゆく。ラザフォードは、これから、一グラムのウラニウムから七六〇ミリメートルの圧力と零度におけるヘリウム一立方センチメートルを生ずるには一六〇〇万年かかるという結果を得た。ところがある鉱物フェルグソニート(Fergusonit)を調べてみるとその中に含まれたウラニウム一グラム毎に二六立方センチメートルずつのヘリウムが含まれている。これから計算してみると、この鉱物中のウラニウムは一六〇〇万年の二六倍、すなわち、四億一六〇〇万年の間崩壊をつづけてきたことになる。それでこの鉱物が地球内部から放出された灼熱した質塊から形成されて以来、これだけの長年月が経過したということになるのである(『宇宙の成立』三八頁参照)。
急激な噴火によって太陽から空間中に放出されそうして冷却した放射性物質の質塊は当然甚だ豊富にその放射線を発射するであろう。そうしてその中には非常に急速に崩壊するような、従って、もし地球上にかつてはあったとしても、もうとうに変化してしまったために、我々には知られていないような、そういう放射性化合物もあるかも知れない。新星の現われたときにその周囲にある星雲状の部分で著しい光線の吸収が観測されるが、これは単にその新星から放出された帯電微塵によるだけではなくて、このように急激に崩壊する放射性物質の輻射によるものであろうという想像は必ずしも蓋然性がないとは言われない。
新星が発光出現する際に形成される星雲は空間中の諸恒星からの輻射を吸収することによって、その中のヘリウムを失う、そうしてこのヘリウムは宇宙微塵に凝着して、再びもっと密度の大なる部分へと復帰してゆく。この部分では物質の密度を増すためにその温度が高まり、そうして強度な放射性物質が再び形成される。放射性でない、しかし爆発性の物質についても、これと同様なことが行われる。かようにして、星雲は単に輻射圧によって太陽から運ばれてそこに到達する微塵やその他一切の太陽から放出された物質を集積するばかりでなく、また同時に太陽が空間中に送出している一切の輻射のエネルギーをも収集する。この微塵並びにエネルギーの量はその後次第に星雲の中心体に最も近い部分、すなわち、その内部に集合して高温度をもつようになるであろう。そこでこれらのものは法外なエネルギーの放射性ないし爆発性物体に変化し、そうしてこの星雲が太陽に成って、周囲から受取るよりも多量のエネルギーを失うようになってくると、そのときにこれらの物体は温度が徐々に降るにつれてだんだんに崩壊してゆく。しかしそのエネルギーの貯蓄がばく大であるためにその冷却を適宜な程度に限定し、そうして一〇億年、あるいは恐らく一〇〇〇〇億年という永年月に亘ってほとんど不変な輻射を持続させるのである。
以上簡単に述べたような具合にして、宇宙間のエネルギーも物質も、ほんの露ばかりでも消失するということはない。太陽の失ったエネルギーは星雲に再現し、次に星雲がまた太陽の役目をつとめる順番が来る。かようにして物質は交互にエネルギーの収入と支出を繰返して止むときはない。これには星雲のうちで寒冷な部分にあるガス体と、そこに迷い込んできた太陽微塵とが、太陽の輻射で失われつつある莫大なエネルギーを取り込んでいればよい。最近数年の間に我々が放射性物質の性質について知り得ただけから考えても、極めて少量な物質の中にでも非常に多量なエネルギーを包蔵し得るものだということがわかるのである。
それで、太陽の内部はこの種の熱を貯蔵する非常に大きな倉庫であると考えなければならない。これが冷却している間は、それが収縮している際とは反対の方向の化学作用が進行し、毎グラムにつき幾万億カロリーという熱量を発生する。ところが太陽がその輻射によって一年間に失う熱量は太陽質量の一グラムにつき二カロリーの割合であるから、今後もまだまだ万億年くらいは現状をつづけるであろうし、また過去においても、地質学者が地球上における生物の存続期間と認めている一〇億年くらいの間には、太陽の輻射はいくらも目立って変るようなことなしに永く現状を続けてきたであろうということは明白である。従って、カムブリア紀の化石に痕跡を残している既知の生物中で最古のものは、今日とはそう大して著しくは違わない温度関係の下に生息していたに相違ない。しかもこれらの生物が既にあれほどまでの進化の程度に達している所からみると、始めて単細胞生物が地球上に定住して以来カムブリア紀までに経過した歳月は、少なくも同紀から近代までのそれと同じくらいであると考えても差支えはない。もっと古い地質学的の層位中に埋没された諸生物は、いかなる化石も保存されなかったほどに一時的なものであったか、それともまた、それらの地層が数百万年に亘って受け続けてきた高圧あるいは高温、もしくはその両方の作用の著しいために壊滅してしまったかであろう。
以上述べてきたようなわけで、宇宙進化の道程はただひたすらに避くべからざる熱的死を目指して進むのみだと主張するケルヴィン及びクラウジウスの考えとは反対に、宇宙を構成する各部分は周期的に交互に変転することができるということが分ったと思う。それで次には、最近にこの問題の討論に際して発表された若干の意見がいかなるものであるかを注目してみようと思う。これには下に述べるような図示的方法を利用することにする。また無限の宇宙全体に亘って考察を延長することはできないから我々の観察の届く限りの部分について考えることにする。もっとも部分と言ったところで、その大きさはばく大なもので、それが星雲、宇宙微塵、暗黒体、及び諸太陽から組立てられている有様は多分宇宙の他の等大の部分におけると大した相違はないと考えられる。それで、この部分について得た結論は、殆ど間違いなく宇宙の他の部分のどれにも、従ってまた無限空間全体にも適用して差支えはない。そこでまず考究すべきことは、今考えている空間中の温度がその平均温度からいかなる程度までの異同を示すかという全偏差の算定である。たとえば太陽の平均温度が一〇〇〇万度であるとする。そこで眼に見られる宇宙の部分内の物質の平均温度が一〇〇万度であるとすれば、この平均からの太陽温度の開き、すなわち偏差は九〇〇万度である。この数値に太陽の質量を乗じた積が、上記の全偏差への太陽の分担額である。しかし厳密に計算するためには太陽を二つの部分に分けて考えなければならない。すなわちその一つは内部でその温度は一〇〇万度以上であり、もう一つは外側の部分でこの温度はそれ以下である。そうして、この各々の部分につき、その質量と、平均温度(一〇〇万度)からの偏差の相乗積を求め、そうして、その二つの積の一つは正の量、一つは負であるが、それには構わずにその絶対値の総和を求めるのである。
星雲、たとえばオリオン星座の剣帯にある大星雲のようなものについても同様な計算をする。星雲は低温であるからこの場合には、上記の相乗積は疑いもなく負号をもつであろう。このような計算をすべての恒星、星雲、遊星並びに空間内に漂浪している微塵や隕石について行った後に、かくして得られた相乗積の総和を求める、この非常に大きい和をAと名づける。挿図において0と記した点が現在を示し、従って過去への時間は負、未来へは正の値で表わされる。
そこでどういうことになるか。まずクラウジウス流の考え方を追究してみよう。エントロピーの法則によれば温度は不断に平均状態に近付こうとする傾向をもっている。換言すれば上記の全偏差は今日ではAであるが明日はこれより小さくなり、そうしていつかは、たとえば一〇〇〇万年の後にはBまで減ってしまう。その以後もその過程はますます進行するが、しかし現在に比べると温度差が小さくなっているためにこの均等への進み方は多分今よりは緩徐に行われるであろう。すなわち、時間とともにAの変化する状を示す曲線はB点ではA点よりも緩い傾斜を示すであろう。しかしともかくもこの曲線は下降し、そうして平均温度からの全偏差はますます減少し、数学者の言葉で言えば漸近的に極限値の零に接近してゆく。十分永い時間さえたてばこの偏差は任意の小さな数値となることができ、換言すればこれは無限大の時間の後には零に等しくなるのである。
今度は時間を過去へ遡ってみる。前記の理由からA曲線は過去においては現在よりも急傾斜で上っていなければならない。ある特定な時期、仮に一〇〇〇万年前において全偏差の値がCであったとする。それよりもまだまだずっと遠い昔に遡って考えれば、Aより大きくて、およそ考え得られる限りの任意の大きい値に達するであろう。すなわち、数学者の言い方をすれば、無限大の時間以前には温度偏差は無限大であったと言われる。しかしそうであるためには、我々の可視宇宙の若干の部分が無限大の高温度をもっていたとする外はない。従ってまたその可視宇宙の平均温度も、更にまたそのエネルギーも無限大の時間の昔にはやはり無限大であったという結果になる。これはそれ自体において考え得べからざることである。のみならず一方で我々はこの宇宙の部分内のエネルギーがいかに大きくともともかくも有限な値をもっており、またこのエネルギーの量が不変であるということを知っている。それゆえに非常に永い過去にあらゆる任意の大数値以上であったというはずがないのである。
それでこの仮説は到底持ち切れないものである。二三の科学者は次のようにしてこの困難からの活路を求めた。すなわち、過去における温度の不同は現在よりは大きかったとしても、その不同の減じ方が今よりは緩やかであった、と言うよりもむしろあり得る限りの緩やかさであって、挿図の曲線のDAの部分に相当するものであったと、こう考えることもできはしないか。そうだとすると、温度偏差の速度は、最初のうちは無限に緩やかであるが、図のDの所で曲線はその当初の有限値からやや急に降り始め、そうして現在では更に急速度で進行しそうして次第に零に近よるであろう。すなわち、この世界は無限に永い間死んだような状態にあったのが、地質学上地層堆積物によって見当のつけられるような時代至って急に目覚ましい速度で進化し、そうしてその後は徐々に再び永遠の死の静寂に沈んでゆくというのである。しかしこれは第一常識的にも考えられないことであるのみならず、またあらゆる科学的考察にも背反する。そうしてクリスチアンゼン(Christiansen)の挙げた次の例に相当する。すなわち、ここに一塊の火薬が、永い間、見たところでは何の変化もしないで置かれてある。そこで、誰かがこの火薬に火をもってくるかあるいは落雷のためにこれが点火する。するとこれは一度に燃え上る。そうして以前にはあれほど極端に緩徐に行われていた変化は高温のために著しく速度を増し一秒の何分の一かの間に非常に急激な変化を完了する。その後数分間は、燃焼によって生じた物が空気中の湿気に接触するために緩やかな化学作用が継続するが、それが済めばもうこの進化は見掛け上終局する。この火薬の燃え上る一秒の分数は永久に対しては殆ど無に等しいもので、これがちょうど、我々がいくらかでも知っている宇宙進化の期間に相当するというのである。しかし熟考の末にこの説に賛成する科学者は恐らく一人もないであろう。この説にはなお次の困難がある。すなわち、化学者の教うるところでは、火薬は低温で貯蔵される際にも緩徐な変化を受け、到底実現し難い絶対零度に至って始めてその変化がなくなるからである。そうかと言ってまた、往昔は平均温度が非常に低かったために宇宙進化が非常に緩やかであったはずだと考えるわけにもゆかない。こういう仮定は全然根拠がないものである。これがためには証拠の代りに、クリスチアンゼンの言った通り『宇宙進化には本性未知のある作用が行われた』と仮定する外はない。『かような可能性は全然我々の経験の範囲外のものである。』こういうものを当てにしているわけにはゆかないのである。
エントロピーについてもまた同様な議論をすることができるし、またこちらが一層科学的に厳密な証明をすることができるが、ただ少し常識的に分りにくいだけである。宇宙進化に関してこれから得られる結果が全く前と同じになるということは容易に見通しがつくであろう。すなわち、我々の観察する宇宙空間部分の平均温度からの偏差は時間の経過に対して多分殆ど不変の値を保有してきたと思われる。太陽ではこの偏差は次第に減少するが、しかしそれは、一方でまた、星雲が恒星に変る際に起る温度上昇によって補充されるのである、同様なことはまたエントロピーの値についても言われる。すなわち、全体としては、この量もまたほとんど不変の値を保有するはずである。一方では太陽から寒冷な星雲への輻射のためにこの量は不断に増加しているが、他方ではまた星雲ガス中で最大速度を有する分子がこのガス団塊から逸出し、そうしてそれがもっと密度の大きい物質集団の上に集積するために、不断に減少するのである。
上記のごとく限られた宇宙部分の中から更にまた太陽系のような一小部分だけを取り離してみると、その中での平均温度は決して恒同ではなくて、現在では降下の傾向をもっている。この降下は、最後に太陽が消燼してしまえば、非常に緩徐になるであろうが、いつかまたこの消えた太陽が衝突のために星雲に変るような日が来れば、そのときは今と反対に温度の上昇する状態に変り、その上昇は、新しい太陽期の成立後もなおしばらく継続するであろう。
それで、それぞれ個々の太陽系については、宇宙の進化は不断に前進また後退し、すなわち、周期的交代を示すというスペンサーの考えが適用される。もっとも、この交代し方は律動的とは名づけ難いかも知れない。それは、この太陽の世界における交代の周期は、分子の往復運動のそれと同じくらいに不規則だからである。この周期の長さ、またその変化の経路は、他の物体――太陽あるいは分子――との予測し難い偶然な衝突によって決定され、しかもその衝突の仕方によって、いちいちその後の進化が影響されるのである。
時間の概念の漸次に変ってきた道程は奇妙なものである。カルデア人が三、四万年の昔に既に天文学的観測を行ったはずだということをキケロが推算したのは前に述べたが、これから見ても、昔の人々は何の躊躇もなくこの世界が非常に古くから存立していたという仮定をしたことがわかる。インドの哲学でもやはり世界の存在に対して永い時間を仮定している。中世に至ってはこの考え方は全然すたれてしまった。ラバヌス・マウルス(Rhabanus Maurus)はその大著『宇宙』“De universo”(九世紀の始めころ)の中に次の意見を述べている。すなわち、今日山の上の高所に発見される化石類は三回の世界的大洪水に帰因するものであって、その第一回はノア(Noah)のときに起り、第二回目はオグ王(Og)の治下長老ヤコブ並びにその仲間の時代に起り、最後の第三回目はモーゼ(Moses)とその時代仲間のアムフィトリオン(Amfitryon)のときに起った、というのである(アムフィトリオンは伝説的人物でペルセウス(Perseus)の孫に当る)。すなわち、世界の年齢は甚だ少なく見積られているのである、スナイダー(Snyder)が『世界の機械』(“The world's machine”)の中に報告しているところによると、シェークスピア(Shakespeare)やベーコン(Bacon)と同時代の大僧正アッシャー(Usher)が、ユダヤの物語に基づいて算定した結果では、この世界は耶蘇紀元前四〇〇四年の正月の最初の週間に創造されたことになっており、この算定数は現に今日まで英国の聖書に印刷されているのである。ビュッフォンはまた、地球が太陽から分離したときの灼熱状態から現在の温度に冷却するまでの時間を約七六〇〇〇年と推定している。ところがバビロニアやエジプトからの発掘物を研究した結果から、これらの地方では西暦紀元前七〇〇〇ないし一万年ころに既にかなり広く発展した文明の存在したことが証明される。南フランスやスペインにおけるいわゆるマグダレニアン時代(Magdalenien-Zeit)の洞穴で発見された非常に写実的な絵画の類は約五万年昔のものと推定されている。そうして、確かに人間の所産と考えられる物での最古の発見物は一〇万年前のものと推定されている。第三紀の終局後ヨーロッパの北部を襲った氷河期よりも前、またその経過中において既に人類が生息していたことは確実である。そうして最後に地質学者等の信ずるところでは、約一〇億年以前から既にかなり高度の進化状態にある生物が存在していたのであり、また一番初めに生物が地球上に現われたのは多分それの二倍の年数ほども昔のことであろうというのである。それでインドの哲学者等が地球上における生命の進化について想像したような長い年数に手の届くのは造作もないのである。
ここで起ってくる最後の問題は、一般生命の存在を考えるに当って、この永劫の概念をいかに応用すべきかということである。一般の化学者の考えでは、生物は今日でも行われているような物理的並びに化学的の力によって地球上に生成されたことになっている。この点についてはこの多数の人の考え方は野蛮民の考え方(第二章参照)と格別違ったところはないのである。しかしまた生命は宇宙空間から地球上へやってきたものだという学説がある。この考えは既に北方伝説において多数の神々と一対の人間とがミーメの泉(Mimes Brunn)の側の林苑(すなわち、宇宙空間に相当する所)からこの地上に移住してきたという物語にも現われているが、この説には有名な植物学者のフェルディナンド・コーン(Ferdinand Cohn)やまた恐らく現代の最大なる物理学者ケルヴィン卿のような顕著な賛成者を得た。この説には従来確かに大きな困難が付きまとっていたのであるが、私は輻射圧の推進力によって生命の萌芽が宇宙空間中を輸送されたという考えを入れてこの困難を取り去ろうと試みた。この説にはまだまだ克服すべき多大の困難があるにもかかわらず、それが多数の賛成者を得るに至ったというのは、畢竟、ほとんど年々のように向う見ずの人間が現われて、萌芽なしに無生の物質から生物を作り出すことにとうとう成功したというようなことを宣言するものがある、それをその都度いちいちその誤謬を摘発し説明するのにくたびれ果ててしまったためと考えられる。この問題はちょうど半世紀前における『永久運動』の問題とほぼ同じような段階にある。それで現在の形における『原始生成』の問題は昔の『永久運動』と同様に多分科学のプログラムから削除されてしまうにちがいないと思われる。それで結局、生命は宇宙空間、すなわち地球よりも前から生命を宿していた世界から地球上に渡来したものと考え、また物質やエネルギーと同様に生命もまた永遠なものであると、こう考えるより外に道はほとんどなくなってしまう。しかし少なくも現在のままでは、この生命の永遠性の証明が困難であるというのは、物質やエネルギーの場合に比べて、一つの本質的の差別があるためである。すなわち千差万別の形における生命を量的に測定することができないからである。見ただけでは生命が突然死滅してもその代りの生命が現われたとは証明できないようなことが実際にあるからである。――ビュッフォンは『生命原子』の不滅性に関してこれとはまたちがった独特の意見を唱道した。
生命の量的測定と言ったような驚天動地の発見は恐らく将来もできないであろうが、しかし、もし、自然界の永久の輪廻の間には、いつでも、どこかに、生命に都合のよい、従ってともかくも生物を宿しているような天体があるであろうと考えれば、生命の永久継続ということの観念を得るのは容易である。この生命萌芽汎在説(Die Lehre von der Panspermie)はおいおいに勝利を博するに至るであろうと想像するが、もしそうなれば、それから引き出される種々の有益な結論は恐らく生物科学の発達上重要な意義のあるものとなるであろう。それはあたかも物質不滅の学説が近代において精密科学の豊富な発達に非常な重要な役目をつとめたと同様なことになるであろう。
この考えから今すぐにでも言われる重要な結論はこうである。すなわち、宇宙間のあらゆる生物は皆親族関係にあるということ、またある一つの天体で生命の始まる場合には、知られている限りの最も低級な形から始めて、そうして進化の経過につれて次第に高級な形に成り上ってゆくはずだということである。事情いかんにかかわらず生命の物質的基礎はたんぱく質であるに相違ない。それで、たとえば太陽の上にも生物があると言ったような考えは永久に妄想の領土に放逐されるべきである。
哲学者は一般に生命永久継続説の信奉者であり、自生説の反対者であった。これはよく知られたことである。それでここにはただ、自然科学のすぐ近くまで肉迫していたと思われるかの大哲学者ハーバート・スペンサーの前記の所説(六九頁参照)に注意を促すに止めておく。彼はこれと同様なことをまた別の所で次のように言い表わしている。『彼ら(生物は無生物体あるいは虚無から成立し得ると主張する人々)に懇願したいのは、一体いかなる筋道によって新しい有機物が成立するかを詳細に説明してもらいたい。しかも必ず納得のゆくように説明してもらいたいということである。そうすれば彼らは、そういうふうのことまではまだ考え尽くさなかったということ、また到底それはできないことに気が付くであろう。』
キューヴィエーは生命創造論ではあらゆる他の人よりも先へ踏み出している。すなわち、彼もドルビニー(d'Orbigny)と同様に、ある大規模な自然界の革命が、彼の考えでは火山噴出があってその際にあらゆる生物が死滅し、そうしてこの絶滅したものに代って新しい種類のものが創造されたと考えた。この考えは今では全く見捨てられてしまっているが、しかし近ごろフレッヒ(Frech)が指摘したように、この考えの中にもまた一つの健全な核がある。すなわち、火山噴出の代りにいわゆる氷河期と名づけられる大規模の気候変化を持ってくれば救われるのである。この時期に多種の動物や植物は絶滅したが、その後間もなく寒冷が退却したときに、その期間中に発達しあるいは生き残っていたような新しい形態のものが豊富に現われてこれに代ったのである。
有名なドイツ出のアメリカ人で生理学者のジャック・ロェブ(Jacques Loeb)は海水の塩基度について学者の注意を促し、ある地質学的時期にはこれが雑種生物の発生に強い影響を及ぼし、従ってまた、雑種から生成するものとしばしば考えられている新種の発生にも影響し得るということを指摘した。普通の海水中では Strongylocentrotus purpuratus と名づけられるウニの卵は Asterias ochracea という海盤車の精虫では受胎しないことになっている。しかし四パーセントの苛性ソーダ溶液を三―四立方センチメートルだけ一リットルの海水中に混ずると、その中では反対に雑種の生成が顕著に成功する。そこで、空気中の炭酸含有量が少ない時代には海水の塩基度は増すはずであるから、生物界が著しく衰退していた氷河期に新しい形態のものが生成されたであろうということは余り無稽な想像ではあるまい。このようにして、再び温暖な気候が復帰したときに、氷河期の退いた後に開放された生息所の上で、これら新種族間に言わば一種の生存競争場が開かれることになった。そうしてそのために生活に最も良く適応するような形態の著しい発達を促したことは言うまでもない。
生命萌芽汎在説の問題に筆をおく前に、ここでこれと連関して、最近の実験的研究によって釈明されるようになった若干の事柄に触れておくのも無用ではあるまいと思う。
生物が輻射圧の助けを借りて一つの遊星からずっと遠方に隔絶した他の太陽系中の一つの遊星に移るということが可能であるためには、太陽系の境界以外の宇宙空間が至る所低温であり、そのために生命の機能が著しく低下し、そうしてそのために幾百万年の間生命が保存されるということが必要条件である。マードセン(Madsen)とニューマン(Nyman)、またパウル(Paul)とプラル(Prall)とは、生命の消滅に対する温度の影響に関して多数の非常に注目すべき実験を行った。前の二人は種々の温度で脾脱疽菌の対抗力を試験したが、低温度(たとえば氷室の中)では幾日もの間貯蔵しておいても大してその発芽能力を失うようなことはないが、一〇〇度においてはわずか数時間でことごとく死滅してしまう。ここで注目すべき事実は、この場合における温度の影響は他の生活機能の場合とほとんど同程度であって、すなわち、温度一〇度を増す毎に変化速度は約二倍半だけ増すということである。前に私が低温度における発芽能力の寿命に関する計算をしたときにはこの関係を基礎としたわけである。
この実験は零度以上の温度で行われたのであるが、パウルとプラルの方の実験の一部は液体空気の沸騰点(零下一九五度)で行われた。そうしてスタフィロコッケン(Staphylococcen 一種の黴菌)の植物状のもの(胞子ではなく)を、十分乾燥された状態で使用した。これは室温においては、約三日間にその半数だけが死滅するのであるが、液体空気の温度では、その生活能力は四ヶ月たっても目に立つほどは減退しない。このことは実に、極度な低温(諸太陽系間の宇宙空間においてはこの実験よりも一層そうである)は生命の維持に対して異常な保存作用を及ぼすということの最も好い証拠である。
なお、永久運動と原始生成との比較は、もう一つの方面に延長することができる。経験的知識からの避け難い帰結として我々は、永久運動によって仕事をさせることは地球上並びに太陽系におけるような事情の下には不可能であると考える外はない。しかし同時にまた、マクスウェルの案出したこの規則からの除外例が、星雲という、ある点では諸太陽と正反対の関係にある天体では顕著な役目を勤めるということも考えないわけにはゆかない。それで、いかなる点から判断しても、原始生成は現在の地球上ではできないし、また多分かなりまで今と同様な条件を備えていたと思われる過去にもできなかったであろうが、しかしこの現象が宇宙空間中のどこかの他の場所で、著しく違った物理的化学的関係の下に起り得るかも知れないということも想像されないことはない。この測るべからざる空間の中には疑いもなくそういうところがあるかもしくはあったと考えられるのである。原始生成の可能な一点あるいは諸点があればそこから生命が他の生息に適する諸天体へ広げられたであろう。それでこの原始生成という観念も、こういうふうに考えさえすれば、無限に多数としか思われない諸天体の一つ一つに、それぞれに特有な生物の種子が皆別々に発生したと想像するよりはずっともっともらしくなってくるのである。
また一方ではこういうことも明白である。それは、宇宙はこれを全体として引っくるめてみれば、無限の過去から存在し、またすべて現在と同様な諸条件に支配されていたのであるから、従ってまた生命も、すべて考え得られる限りの昔においてもやはり存在していたであろうということである。
この最後の章で述べたことから分るように、科学上の諸法則(エネルギー並びに物質不滅則のような)が方式的に設定される以前既に、これらの法則は、それが意識された程度こそまちまちではあったが、いろいろの哲学者の宇宙観の根底となっていたのである。ここで多分こういう抗議が出るかも知れない。すなわち、そんなことならば、むしろ始めからこれらの哲学者の直観的な考えを無条件に正当として承認した方が合理的ではないか、それがあとから科学者によって証明されるのをわざわざ待たなくてもよいではないかというのである。それも一応もっともな抗議ではあるが、実際はこのように後日正当として確認された哲学的の主張と同時にまたこれと正反対の意見が他の主要な思索者等によって熱心に主張され抗弁されたのであるから、結局はこういう科学的の検証が絶対に必要であったのである。
のみならずこのような哲学的の考え方と、後日それから導かれた科学上の法則との間には実は大きな懸隔があるのである。たとえばエンペドクレスあるいはデモクリトスが、当時の一般の意見に反して、物質は不滅なりと説いてはいるが、しかしこれを、彼ラボアジェーの、ある金属が空気中から酸素を取って重量を増す際、その増加は精密に金属と結合した酸素の重量に等しいということを実証したのと比較すると、その間に非常な相違がある。のみならず、このラボアジェーの実験は化学者の日常不断の経験によって補足されるのであって、物質不滅の説から導かれた結論に頼ってさえいれば決して間違いの起る気遣いはないのである。
デカルト、ライブニッツ並びにカントが太陽の徐々に燃え尽くすことに関して行った哲学的考察も、やはりエネルギーは虚無からは生成し得ないという概念をおぼろ気に暗示してはいるが、これについても同様なことが言われる。しかしマイヤー並びにジュールの研究によって、ある一定量のエネルギー(たとえば仕事としての)が消失すると同時に必ず同一量がある他の形で(たとえば熱として)現われるということが実証されてからこそはじめて、太陽のエネルギーの量は輻射のために不断に減ずる。従って、もし何らかの方法で補給されない限り結局は全部消耗してしまうはずだということを、安心して主張することができるようになったのである。それより以前では、ラプラスやハーシェルのような明敏な人々でも、今日一般の人がただ日常の経験によって直観的にそう考えていると同様に、太陽の輻射は、何か変ったことのない限り、未来永劫今のままで減少することなく持続するはずだという考えになんらの矛盾をも感じなかったのである。宇宙過程の不断の革新に関するカントの意見は非常に賞賛すべきものである――一般にそういうことになっている――が、しかしその考えの筋道にはエネルギー不滅の原理に撞着するものがある。同様なことはまたデュ・プレルの甚だ興味ある仮説についても言われるのである。
宇宙の過程は繰り返すというこの観念は、カントの場合ではある倫理学的原理に基づいている。すなわち、彼はこの宇宙はいつまでもどこまでも生命ある有機物の住みかであるという観念の中に『安堵』を感じた。のみならず、彼の考えでは、太陽が永久に消燼してしまうということは円満具足の神の本性に矛盾すると思われるのである。――スペンサーはこれよりはもう少し客観的な見地から出発している。すなわち、宇宙進化の過程はある特定の規律に従って行われると仮定してかかった。彼は宇宙が無限の過去以来存在しており――カントは創造されたと信じたに反して――また終局をももたぬという近代的な見地に立っていた。彼が物質の集中する時期と散逸する時期とが交互に来ると考えたのはインドにおける静止と発達の両時期の考えを思い出させるものがある。スペンサーはこう言っている。『太陽系は可動的平衡状態にある体系であって、その最後の分布状態においては、かつて自身にそこから発生してきたようなもとの稀薄な物質になってしまうであろう。』しかし当時は拡散を生ぜしめるような動力としてはニュートンの重力以外のものは知られなかったのであるから、このような散逸がいかにして起ったかについては何も述べていない。もっとも、スペンサーも天体間の衝突に言及してはいるが、これがこの拡散現象に対して何らかの意義あるものとは認めていなかったのである。もし何らの斥力もなかったとしたら、すべてのものは集中してしまったであろう。
輻射圧の概念が導入され、またある特定の場合におけるエントロピーの減少が証明されるようになってから、そこで始めて、天体の発達に前進的と後退的の推移があるという、インドの哲学者等が悠遠な昔から既に夢みていた観念を徹底的に追究することが可能となったのである。
観念についても生物と同じようなことがある。たくさんの種子が播かれるがその中のほんの少数のものが発芽する。そうしてそれから発育する生物の中でも多数は生存競争のために淘汰されただわずかな少数のものだけが生き残る。これと同様にしてまた、自然界に最も良く適応するような考えが選び出されたのである。学説などというものはせっかくできてもやがてまた放棄されるにきまったものであるから、こういうものに力を入れるのは全然無駄骨折りであるというような説を時々耳にすることがあるが、そういう人は、ものの進化発達ということに盲目な人である。今日行われている諸学説も、以上述べたことから了解されるであろうように、往々最古の時代に既に存在したことの確証されるような意見に基づいていることがある。しかしこれらも、もとはおぼろ気な想像から徐々に発達して、次第にその明瞭の度と適用の正しさとを増してきたものである。たとえばデカルトの渦動説でも、ニュートンが出てきて、空間中には、あると言われるほどの分量の物質は存在しないということを明確に証明すると同時に見捨てられてしまったが、しかしデカルトの抱いていた考えのうちのいろいろのものが今日でもなお生存能力を保留している。たとえば太陽系の進化の出発点たる星雲の当初からの回転運動に関する考えなどがそれである。同様にまた遊星が空間中から太陽系に迷い込んできたものだという彼の考えは、迷い込んできた彗星が遊星の形式に参与しまた遊星の運行に影響したというラプラスの考えの中に認識され、また太陽星雲から諸遊星が形成される際にその牽引の中心となった物は外界から来たものだという前記の想像の中にも認知されるのである。
それで、開闢論の問題に関する理論的の仕事は無駄骨折りであるとか、あるいはまた、昔の哲学者のあるものの既に言明している意見がかなりまで真実に近づいており、従って近代の開闢論中に再現されているわけであるから、それ以上に進むことはないであろうとか、こういう臆断ほど間違ったものはないのである。それどころではない、最近におけるこの方面の研究の発達は正にいかなる過去におけるよりも急速度で進行した。科学研究は現在その盛花期にあって、いかなる過去における盛況でも到底これとは比較することさえできない有様であるから、これはもとより当然のことと言わなければならない。
顧みて過去数世紀の経過の間に人道の発達もまたますます急速な歩を進めてきたことを知るのは誠に喜ばしいことである。これについては既に少なからざる実例を挙げてきた。全体の上から見れば、万有を包含する自然界に関する諸概念は自由と人間価値とに関する諸概念と常に同時に進みまた停止したということは否み難い事実である。これは畢竟人類が進歩するにつれて、種々な方面の文化が全体にその領土を拡張するということに帰因するのはもちろんであるが、しかしまたここにもう一つの事情が関係している。すなわち、目の届く限りの過去において、一般に科学者というものが常に人道の味方としてその擁護に務めてきたからである。これは既に前に述べたファラオ並びに奇蹟を見せるその宮廷占星術者との伝説の中にも自ら現われているのである。
自然が我々に提供する進化の無限の可能性を曇らぬ目で認め得るほどの人々は恐らく、自分のため、またその近親、朋友、同志あるいは同国人のみの利害のために、詭計あるいは暴力によって四海同胞たる人類を犠牲にするようなことをしようとはしないであろう。
訳者付記
スワンテ・アウグスト・アーレニウス(Svante August Arrhenius)は一八五九年にウプザラの近くのある土地管理人の息子として生れた。ウプザラ大学で物理学を学び、後にストックホルム大学に移ってそこで溶液の電気伝導度、並びにその化学作用との関係について立ち入った研究をした。一八八七年に発表した電解の理論は真に画期的のものであって、言わば近代物理化学の始祖の一人としての彼の地位を決定するに至ったその基礎を成したものである。その間にドイツやオランダに遊歴して、オストワルト、ヴァントフ、ボルツマンのごとき大家と共同研究を続行しながら次第にこの基礎を固めていった。ギーセン大学からの招聘を辞退して一八九一年故国スウェーデンに帰り、ストックホルム工科大学の講師となり、後にそこの教授となった。一九〇五年にはまたベルリンからの招聘があったがこれも断った。同年にノーベル研究所長となり、一九二七年一〇月二日の最後の日に至るまでその職を保っていた。これより先一九〇三年に彼はその業績のために化学に関するノーベル賞を獲たのであるが、その他にも欧米の諸所の大学や学会から種々の栄誉ある賞や称号を授けられた。
溶液の研究は言わば彼の本筋の研究であって彼の世界的の地位を確保したのもまたこの研究であったことは疑いもないことであるが、しかし彼の研究的の趣味は実に広くいろいろの方面に亘っていた。この訳書の原書に示された宇宙開闢論に関しては遊星雰囲気の問題、太陽系生成の問題、輻射圧による生命萌芽移動の問題、また地球物理学方面では北光の成因、気温に及ぼす炭酸ガスの影響、その他各種自然現象の周期性等が彼の興味を引いた。その外にも生理学方面における定量的物理化学の応用、血清療法の理論及び実験的研究などもある。思うに彼は学界における一つの彗星のようなものであった。
訳者は一九一〇年夏ストックホルムに行ったついでをもって同市郊外電車のエキスペリメンタル・フェルデット停留場に近いノーベル研究所にこの非凡な学者を訪ねた。めったに人通りもない閑静な田舎の試作農場の畑には、珍しいことに、どうも煙草らしいものが作ってあったりした。その緑の園を美しい北国の夏の日が照らしていた。畑の草を取っている農夫と手まねで押問答した末に、やっとのことでこの世界に有名な研究所の所在を捜しあてて訪問すると、すぐプロフェッサー自身で出迎えて、そうして所内を案内してくれた。西洋人にしては短躯で童顔鶴髪、しかし肉つき豊かで、温乎として親しむべき好紳士であると思われた。住宅が研究所と全く一つの同じ建物の中にあって、そうして家庭とラボラトリーとが完全に融合しているのが何よりも羨ましく思われた。別刷などいろいろもらって、お茶に呼ばれてから、階上の露台へ出ると、そこは小口径の望遠鏡やトランシットなどが並べてあった。『これで a little astronomy もできるのです』と言って、にこやかな微笑をその童顔に浮ばせてみせた。真に学問を楽しむ人の標本をここに目のあたりに見る心持がしたのであった。
この現在の翻訳をするように勧められたときに訳者が喜んで引き受ける気になったのも、一つにはこの短時間の会見の今はなつかしい思い出が一つの動力としてはたらいたためである。訳しながらも時々この二〇年の昔に見た童顔に浮ぶ温雅な微笑を思い浮べるのであった。
この書の翻訳としては先に亡友一戸直蔵君の『宇宙開闢論史』がある。これは久しく絶版となっているのであるが、それにしてもともかくも現在の訳がいろいろな点でなるべくこの先駆者と違った特色をもつようにして、そうして両々相扶けて原著の全豹を伝え得るようにしたいと思って、そういう意識をもってこの仕事に取りかかった。
一番当惑したことは原著に引用されたインドや古典の詩歌の翻訳であった。原書のドイツ訳が既にオリジナルから必然的に懸け離れているであろうと思われるのを、更にもう一度日本語に意訳するのではどこまで離れてしまうか分らないであろうと思われた。それでできる限り原書ドイツ訳を逐語的に、そうしてできるだけ原書の詩一行分はやはり一行に訳するように努めた。その結果は見られる通りの甚だ拙劣で読みづらいものになってしまったのである。読者もしこの拙訳と同時にまた一戸君の書に採録された英訳や同君の達意の訳詩を参照されれば、より明らかに原詩の面影を髣髴させることを得られるであろうと思われるのである。
古事記や道徳教やの引用もわざとドイツ語をなるべく直訳した。そうした方が原著者の頭に映じたそれらの古典の面影を伝えるからである。訳しているうちに、時々『訳者注』を付加したいという衝動を感じた。一方では一般読者の理解を便にするための科学的注釈のようなものも付けたいのであるが、それよりも一層必要に感じたことは、原著の最後の改訂以来物理学天文学の方面における急速な進歩のために原著中の叙説に明らかに若干の修補を加えるか、少なくも注釈を付けなければならぬと思う箇所が気づかれるのであった。たとえば宇宙空間における光線の彎曲についてはアインシュタインの一般相対性原理の帰結について一言する方がよいと思われ、また宇宙の限界やエネルギーの変転の問題についてもその後に行われたいろいろの研究の大要を補った方がいいと思われるのであった。しかし熟考してみると、こういう注釈を合理的に全部に亘って遺漏なく付けるということはなかなか容易な業ではなく、また到底現訳者の任でもないことが分った。のみならずこの原著の本来の主旨が、著者の序文にも断ってある通り、歴史的の系統を追跡するにあるのであって、決して最新の学説を紹介するためではないのであるから、むしろここで下手な訳者注などを付けることは断念して、その代りにできる限り原著の面影をその純粋の姿において読者に伝えることに心を尽くした方が、少なくも現在の訳者には適当であると考えた次第である。しかし結果においてはやはり訳者の力の足りないために、この実に面白い書物の面白さの幾分をも伝え得ないであろうということを考えて切に読者の寛容を祈る次第である。
若干の訳述上の難点について、友人小宮豊隆君の示教を仰いだことについて、ここに改めて感謝の意を表しておきたいと思う。
昭和六年八月下旬 本郷曙町に於て寺田寅彦 | 底本:「宇宙の始まり」第三書館
1992(平成4)年11月1日初版発行
底本の親本:「史的に見たる科学的宇宙観の変遷」岩波文庫、岩波書店
1944(昭和19)年
※底本には、同書の由来に関する以下の記述があります。「本書は、S・A・アーレニウス著、岩波文庫版『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田寅彦訳、一九四四年岩波書店刊)を底本に、一部文字表記を現代の読者が読みやすくなるように改めた。」
※各章の内容説明を含む目次は、見出しとページ数を結ぶ三点リーダーを省いて入力しました。人名索引は、入力しませんでした。
※第六図と第七図の掲載順を、底本と入れ替えました。
※図版は、底本の親本からとりました。
入力:手嶋善成
校正:トレンドイースト
2010年8月2日作成
2012年5月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001150",
"作品名": "宇宙の始まり",
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"分類番号": "NDC 440",
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"姓読み": "アレニウス",
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"姓読みソート用": "あれにうす",
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"姓ローマ字": "Arrhenius",
"名ローマ字": "Svante",
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私が子供の時に見たり聞いたりしたことを雑然とお話しようが、秩序も何もありませんよ。その上子供の時の事ですから、年代などは忘れてしまってる。元治慶応明治の初年から十五、六年までの間です。私が住っていた近くの、浅草から両国馬喰町辺の事ですか――さようさね、何から話して好いか――見世物ですな、こういう時代があった。何でもかんでも大きいものが流行って、蔵前の八幡の境内に、大人形といって、海女の立姿の興行物があった。凡そ十丈もあろうかと思うほどの、裸体の人形で、腰には赤の唐縮緬の腰巻をさして下からだんだん海女の胎内に入るのです。入って見ると彼地此地に、十ヶ月の胎児の見世物がありましたよ。私は幾度も登ってよくその海女の眼や耳から、東京市中を眺めましたっけ。当時「蔵前の大人形さぞや裸で寒かろう」などいうのが流行った位でした。この大人形が当ったので、回向院で江の島の弁天か何かの開帳があった時に、回向院の地内に、朝比奈三郎の大人形が出来た。五丈ほどありまして、これは中へ入るのではなく、島台が割れると、小人島の人形が出て踊るというような趣向でした。それから浅草の今パノラマのある辺に、模型富士山が出来たり、芝浦にも富士が作られるという風に、大きいもの〳〵と目がけてた。可笑かったのは、花時に向島に高櫓を組んで、墨田の花を一目に見せようという計画でしたが、これは余り人が這入りませんでした。今の浅草の十二階などは、この大きいものの流行の最後に出来た遺物です。これは明治前でしたが、当時の両国橋の繁華といったら、大したもので、弁天の開帳の時などは、万燈が夥しく出て、朝詣の有様ったらありませんでしたよ。松本喜三郎の西国三十三番観音の御利益を人形にして、浅草で見世物にしたのなど流行った。何時だったか忘れたが、両国の川の中で、水神祭というのがあった。これには、の組仕事師中の泳ぎの名人の思付きで、六間ばかりの油紙で張った蛇体の中に火を燈し、蛇身の所々に棒が付いてあるのを持って立泳ぎをやる。見物がいくばくとも数知れず出たのでしたから、ちょっと見られぬ有様でして、終いには柳橋の芸者が、乙姫になってこの水神祭に出るという騒ぎでした。確か言問団子が隅田川で燈籠流しをした後で、その趣向の変形したもののようでした。当時の両国は、江戸錦絵などに残っているように大したもので、当時今の両国公園になっている辺は西両国といって、ここに村右衛門という役者が芝居をしていた。私の思うのには、村右衛門が河原物といわれた役者の階級打破に先鞭を附けたものです。というのは、この村右衛門は初め歌舞伎役者でしたのが、一方からいえば堕落して、小屋ものとなって西両国の小屋掛で芝居をしていた。一方では真実の役者がそれぞれ立派に三座に拠っていたが、西両国という眼抜きの地に村右衛門が立籠ったので素破らしい大入です。これがその後一座を率いて、人形町の横にあった中島座となりまた東両国の阪東三八の小屋、今の明治座の前身の千歳座のなお前身である喜昇座の根底を為したので、まず第一歌舞伎役者と小屋ものとの彼らの仲間内の階級を打ち破ったのが、この阪東(後改め)大村村右衛門でした。その外の見世物では、東両国の橋袂には「蛇使」か「ヤレ突けそれ突け」があった。「蛇使」というのは蛇を首へ巻いたり、腕へ巻いたりするのです。「ヤレ突けそれ突け」というのは、――この時代の事ですから、今から考えると随分思い切った乱暴な猥雑なものですが――小屋の表には後姿の女が裲襠を着て、背を見せている。木戸番は声を限りに木戸札を叩いて「ヤレ突けそれ突け八文じゃあ安いものじゃ」と怒鳴っている。八文払って入って見ると、看板の裲襠を着けている女が腰をかけている、その傍には三尺ばかりの竹の棒の先きが桃色の絹で包んであるのがある。「ヤレ突けそれ突け」というのは、その棒で突けというのです。乱暴なものだ。また最も流行ったのは油壺に胡麻油か何かを入れて、中に大判小判を沈ましてあって、いくばくか金を出して塗箸で大判小判を取上げるので、取上げる事が出来れば、大判小判が貰えるという興行物がありました。また戊辰戦争の後には、世の中が惨忍な事を好んだから、仕掛物と称した怪談見世物が大流行で、小屋の内へ入ると薄暗くしてあって、人が俯向いてる。見物が前を通ると仕掛けで首を上げる、怨めしそうな顔をして、片手には短刀を以って咽喉を突いてる、血がポタポタ滴れそうな仕掛になっている。この種のものは色々の際物――当時の出来事などが仕組まれてありました。が、私の記憶しているのでは、何でも心中ものが多かった。こんなのを薄暗い処を通って段々見て行くと、最後に人形が引抜きになって、人間が人形の胴の内に入って目出たく踊って終になるというのが多かったようです。この怪談仕掛物の劇しいのになると真の闇の内からヌーと手が出て、見物の袖を掴んだり、蛇が下りて来て首筋へ触ったりします。こんなのを通り抜けて出ることが出来れば、反物を景物に出すなどが大いに流行ったもので、怪談師の眼吉などいうのが最も名高かった。戦争の後ですから惨忍な殺伐なものが流行り、人に喜ばれたので、芳年の絵に漆や膠で血の色を出して、見るからネバネバしているような血だらけのがある。この芳年の絵などが、当時の社会状態の表徴でした。
見世物はそれ位にして、今から考えると馬鹿々々しいようなのは、郵便ということが初めて出来た時は、官憲の仕事ではあり、官吏の権威の重々しかった時の事ですから、配達夫が一葉の端書を持って「何の某とはその方どもの事か――」といったような体裁でしたよ。まだ江戸の町々には、木戸が残ってあった頃で、この時分までは木戸を閉さなかったのが、戦争の前後は世の中が物騒なので、町々の木戸を閉したのでしたが、木戸番は番太郎といって木戸傍の小屋で、荒物や糊など売っていたのが、御維新後番兵というものが出来て、番太郎が出世して番兵となって、木の棒を持って町々を巡廻し出して、やたらに威張り散し、大いに迷惑がられたものでしたが、これは暫時で廃されてしまった。その番兵の前からポリスというものがあって、これが邏卒となり、巡邏となり、巡査となったので、初めはポリスって原語で呼んでいた訳ですな。こういうように巡査が出来る前は世の中は乱妨で新徴組だとか、龍虎隊だとかいうのが乱妨をして、市中を荒らしたので、難儀の趣を訴えて、昼夜の見廻りが出来、その大取締が庄内の酒井左右衛門尉で、今の警視総監という処なのです。このポリスが出来るまでは、江戸中は無警察のようでした。今商家などに大戸の前の軒下に、格子の嵌めてある家の残っているのは、この時に格子を用心のために作ったので、それまでは軒下の格子などはなかったものだ。
世の中がこんなに動乱を極めている明治元年の頃は、寄席などに行くものがない。ぺいぺい役者や、落語家やこの種の芸人が食うに困り、また士族などが商売を初める者が多く、皆々まず大道商人となって、馬喰町四丁内にギッシリと露店の道具屋が出ました。今考えると立派なものが夜店にあったものです。その大道商人の盛んに出たことは、こういうことで当時の夜店の様が察しられる。夕方に商人が出る時分に「おはよ〳〵」の蝋燭屋の歌公というのが、薩摩蝋燭を大道商人に売り歩いて、一廉の儲があった位だということでした。「おはよ〳〵」とは、歌公が「おはよ〳〵の蝋燭で御座いかな」と節を附けて歌い、変な身ぶりで踊りながら売歩いたので、「おはよ〳〵の歌公」ッて馬喰町辺では有名な男で、「おはよ〳〵の――で御座いかな」という言葉が流行った位だ。
売声で今一つ明治前に名高かったのは、十軒店の治郎公というのが、稲荷鮨を夜売り歩いた。この治郎公は爺でしたが、声が馬鹿に好い、粋な喉でしたので大流行を極めた。この男の売声というのは、初めに「十軒店の治郎公」とまず名乗りを上げて、次にそれは〳〵猥褻な歌を、何ともいえぬ好い喉で歌うのですが、歌は猥褻な露骨なもので、例を出すことも出来ないほどです。鮨売の粋な売声では、例の江鰶の鮨売などは、生粋の江戸前でしたろう。この系統を引いてるものですが、治郎公のは声が好いというだけです。この治郎公の息子か何かが、この間まで本石町の人形屋光月の傍に鮨屋を出していましたっけ。市区改正後はどうなりましたか。
この時分、町を歩いて見てやたらに眼に付いて、商売家になければならぬように思われたのは、三泣車というのです。小僧が泣き、車力が泣き、車が泣くというので、三泣車といったので、車輪は極く小くして、轅を両腋の辺に持って、押して行く車で、今でも田舎の呉服屋などで見受ける押車です。この車が大いに流行ったもので、三泣車がないと商家の体面にかかわるという位なのでした。それから明治三、四年までは、夏氷などいうものは滅多に飲まれない、町では「ひやっこい〳〵」といって、水を売ったものです。水道の水は生温いというので、掘井戸の水を売ったので、荷の前には、白玉と三盆白砂糖とを出してある。今の氷屋のような荷です。それはズット昔からある水売りで、売子は白地の浴衣、水玉の藍模様かなんかで、十字の襷掛け、荷の軒には風鈴が吊ってあって、チリン〳〵の間に「ひやっこい〳〵」という威勢の好いのです。砂糖のが文久一枚、白玉が二枚という価でした。まだ浅草橋には見附があって、人の立止るを許さない。ちょっとでも止ると「通れ」と怒鳴った頃で、その見附のズット手前に、治郎公(鮨やの治郎公ではない)という水売が名高かった。これは「ひやっこい〳〵」の水売で、処々にあった水茶屋というのは別なもの、今の待合です。また貸席を兼ねたものです。当時水茶屋で名高かったのは、薬研堀の初鷹、仲通りの寒菊、両国では森本、馬喰町四丁目の松本、まだ沢山ありましたが、多くは廃業しましたね。
この江戸と東京との過渡期の繁華は、前言ったように、両国が中心で、生馬の眼をも抜くといった面影は、今の東京よりは、当時の両国に見られました。両国でも本家の四ツ目屋のあった加賀屋横町や虎横町――薬種屋の虎屋の横町の俗称――今の有名な泥鰌屋の横町辺が中心です。西両国、今の公園地の前の大川縁に、水茶屋が七軒ばかりもあった。この地尻に、長左衛門という寄席がありましたっけ。有名な羽衣せんべいも、加賀屋横町にあったので、この辺はゴッタ返しのてんやわんやの騒でした。東両国では、あわ雪、西で五色茶漬は名代でした。朝は青物の朝市がある。午からは各種の露店が出る、銀流し、矢場、賭博がある、大道講釈やまめ蔵が出る――という有様で、その上狭い処に溢れかかった小便桶が並んであるなど、乱暴なものだ。また並び床といって、三十軒も床屋があって、鬢盥を控えてやっているのは、江戸絵にある通りです。この辺の、のでん賭博というのは、数人寄って賽を転がしている鼻ッ張が、田舎者を釣りよせては巻き上げるのですが、賭博場の景物には、皆春画を並べてある。田舎者が春画を見てては釣られるのです。この辺では屋台店がまた盛んで、卯之花鮨とか、おでんとか、何でも八文で後には百文になったです。この両国の雑踏の間に、下駄脱しや、羽織脱しがあった。踵をちょっと突くものですから、足を上げて見ている間に、下駄をカッ払ったりする奴があった。それから露店のイカサマ道具屋の罪の深いやり方のには、こういうのがある。これはちょっと淋しい人通りのまばらな、深川の御船蔵前とか、浅草の本願寺の地内とかいう所へ、小さい菰座を拡げて、珊瑚珠、銀簪、銀煙管なんかを、一つ二つずつ置いて、羊羹色した紋付を羽織って、ちょっと容体ぶったのがチョコンと坐っている。女や田舎ものらが通りかかると、先に男がいくばくかに値をつけて、わざと立去ってしまうと、後で紋付のが「時が時ならこんな珠を二円や三円で売るのじゃないにアア〳〵」とか何とか述懐して、溜呼吸をついている。女客は立止って珠を見て、幾分かで買うと、イカサマ師はそのまま一つ処にはいない、という風に、維新の際の武家高家の零落流行に連れて、零落者と見せかけてのイカモノ師が多かったなどは、他の時代には見られぬ詐偽商人です。また「アラボシ」といって、新らしいものばかりの露店がある。これは性が悪くて、客が立止って一度価を聞こうものなら、金輪際素通りの聞放しをさせない、袂を握って客が値をつけるまで離さない。買うつもりで価を聞いたのだろうから、いくばくか値を附けろ、といったような剣幕で、二円も三円もとの云価を二十銭三十銭にも附けられないという処を見込んだ悪商人が多く「アラボシ」にあった。今夜店の植木屋などの、法外な事をいうのは、これらアラボシ商人の余風なのでしょう。一体がこういう風に、江戸の人は田舎者を馬鹿に為切っていた。江戸ッ子でないものは人でないような扱いをしていたのは、一方からいうと、江戸が東京となって、地方人に蹂躙せられた、本来江戸児とは比較にもならない頓馬な地方人などに、江戸を奪われたという敵愾心が、江戸ッ子の考えに瞑々の中にあったので、地方人を敵視するような気風もあったようだ。
散髪になり立てなども面白かった。若い者は珍らしい一方で、散髪になりたくても、老人などの思惑を兼ねて、散髪の鬘を髷の上に冠ったのなどがありますし、当時の床屋の表には、切った髷を幾つも吊してあったのは奇観だった。
また一時七夕の飾物の笹が大流行で、その笹に大きいものを結び付けることが流行り、吹流しだとか、一間もあろうかと思う張子の筆や、畳一畳敷ほどの西瓜の作ものなどを附け、竹では撓まって保てなくなると、屋の棟に飾ったなどの、法外に大きなのがあった。また凧の大きなのが流行り、十三枚十五枚などがある。揚げるのは浅草とか、夜鷹の出た大根河岸などでした。秩父屋というのが凧の大問屋で、後に観音の市十七、八の両日は、大凧を屋の棟に飾った。この秩父屋が初めて形物の凧を作って、西洋に輸出したのです。この店は馬喰町四丁目でしたが、後には小伝馬町へ引移して、飾提灯即ち盆提灯や鬼灯提燈を造った。秩父屋と共に、凧の大問屋は厩橋の、これもやはり馬喰町三丁目にいた能登屋で、この店は凧の唸りから考えた凧が流行らなくなると、鯨屋になって、今でも鯨屋をしています。
それから東京市の街燈を請負って、初めて設けたのは、例の吉原の金瓶大黒の松本でした。燈はランプで、底の方の拡がった葉鉄の四角なのでした。また今パールとか何とかいって、白粉下のような美顔水というような化粧の水が沢山ありますが、昔では例の式亭三馬が作った「江戸の水」があるばかりなのが、明治になって早くこの種のものを売出したのが「小町水」で、それからこれはずっと後の話ですが、小川町の翁屋という薬種屋の主人で安川という人があって、硯友社の紅葉さんなんかと友人で、硯友社連中の文士芝居に、ドロドロの火薬係をやった人でして、その化粧水をポマドンヌールと命けていた。どういう意味か珍な名のものだ。とにかく売れたものでしたね。この翁屋の主人は、紅葉さんなんかと友人で、文墨の交がある位で、ちょっと変った面白い人で、第三回の博覧会の時でしたかに、会場内の厠の下掃除を引受けて、御手前の防臭剤かなんかを撒かしていましたが、終には防臭剤を博覧会へ出かけちゃ、自分で撒いていたので可笑しかった。その人も故人になったそうですが、若くって惜しいことでしたね。
(明治四十二年八月『趣味』第四巻第八号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
初出:「趣味 第四巻第八号」
1909(明治42)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
2012年1月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "003241",
"作品名": "江戸か東京か",
"作品名読み": "えどかとうきょうか",
"ソート用読み": "えとかとうきようか",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「趣味 第四巻第八号」1909(明治42)年8月",
"分類番号": "NDC 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-02-14T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000388/card3241.html",
"人物ID": "000388",
"姓": "淡島",
"名": "寒月",
"姓読み": "あわしま",
"名読み": "かんげつ",
"姓読みソート用": "あわしま",
"名読みソート用": "かんけつ",
"姓ローマ字": "Awashima",
"名ローマ字": "Kangetsu",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1859-11-17",
"没年月日": "1926-02-23",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "梵雲庵雑話",
"底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年8月18日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年8月18日第1刷",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "小林繁雄",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000388/files/3241_ruby_8542.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-01-07T00:00:00",
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日本の活動写真界の益々進歩隆盛に赴いて来るのは、私のような大の活動写真好きにとっては誠に喜ばしい事である。私は日本製のものは嫌いで見ないから一向知らないが、帝国館や電気館あるいはキネマ倶楽部などの外国物専門の館へは、大概欠かさず見に行く。しかして回を追って、筋の上にも撮影法の上にも、あらゆる点において進歩しつつあるのを見るにつけて、活動写真も茲十年ほどの間に急速の進歩をしたものだと感心せずにはおられない。
一番初め錦輝館で、そもそも活動写真というものを興行した事がある。その時は、海岸へ波が打上げる所だとか、犬が走る所だとかいったような、誠に単純なもののみのフィルムで、随って尺も短いから、同じものを繰り返し繰り返しして映写したのであった。しかしながら、それでさえその時代には物珍らしさに興を催したのであった。今日の連続物などと比較して考えて見たならば、実に隔世の感があるであろう。
ところで、かつて外人の評として、伊太利製のものはナポリだとかフローレンだとかローマとかを背景にするから、クラシカルなものには適当で、古代を味うには頗る興味があるが、新らしい即ち現代を舞台とする筋のものでは、やはり米国製のものであろうといっているけれども、米国製品にしばしば見るカウボーイなどを題材にしたものは、とかくに筋や見た眼が同一に陥りやすくて面白味がない。けれども探偵物となるとさすがに大仕掛で特色を持っている。しかしこれらの探偵物は、ただほんのその場限りの興味のもので、後で筋を考えては誠につまらないものである。
三、四年前位に、マックス、リンダーの映画が電気館あたりで映写されて当りをとった事がある。ちょっとパリジァンの意気な所があって、今日のチャプリンとはまた異った味いがあった。チャプリンはさすがに米国一流の思い切った演出法であるから、それが現代人の趣味に適ってあれだけの名声を博したのであろう。
それで近頃では数十巻連続ものなどが頗る流行しているが、これは新聞小説の続きもののように、後をひかせるやり方で面白いかも知れないが、やはり一回で最後まで見てしまう方がかえって興味があるように思われる。数十巻連続物などになると、自ずと筋の上にも場面の上にも同じようなものが出来て、その結局はどれもこれも芽出たし〳〵の大団円に終るようで、かえって興味がないようである。そこへ行くと、伊太利周遊だとか、東印度のスマトラを実写したものだとかいう写真は、一般にはどうか知らないが、真の活動通はいつも喜ぶものである。
よく端役という事をいうが、活動写真には端役というべきものはないように思われる。どれもこれも総てが何らかの意味で働いているように思われる。それから室の装飾の如き物は総てその場に出ているものに調和したものが、即ち趣味を以って置かれている。決してお義理一遍になげやりにただ舞台を飾るというだけに置かれてあるような事はない。総てにおいてその時代やその人物やその他に調和するよう誠実に舞台が造られているのである。この点においては正直にいえば西洋物だとても、どれもこれもいいとはいえないが、しかし日本物に較べたら、さすがに一進歩を示している。日本物もこういう舞台装置の点についても一考をわずらわしたいものである。しかしこういう事は、趣味性の発達如何に依ることであるから、茲暫くは西洋物のようになる事はむずかしいであろう。
近頃フィルムに現われる諸俳優について、一々の批評をして見た所で、その俳優に対する好き好きがあろうから無駄な事だが、私は過日帝国館で上場された改題「空蝉」の女主人公に扮したクララ・キンベル・ヤング嬢などは、その技芸において頗る秀でたものであると信じている。もっとも私は同嬢の技芸以外この「空蝉」全篇のプロットにも非常に感興を持って見たし、共鳴もしたのであった。そもそもこの「空蝉」というのは、原名をウイザウト・エ・ソールといい、精神的に滅んで物質的に生きたというのが主眼で、この点に私が感興を持ち共鳴を持って見たのであった。筋はクララ・ヤング嬢の扮するローラという娘の父なる博士は「死」を「生」に返すことを発明したのであった。その博士の娘は、誠に心掛けのやさしいもので、常に慈善事業などのために尽力していたが、或る日自動車に轢かれて死んでしまった。博士は自分の発明した術を以って、娘を生き返えらせたのであった。ところが人間という物質としては再びこの世に戻って来たが、かつての優しい心根は天に昇ってまた帰すすべもなかった。物質的に生き返って来た娘の精神もまた、物質的となって再生後の彼女は前と打って変った性格の女となって世にあらゆる害毒を流すのであった。その中ある医者から、あなたは激怒した場合に、必らず死ぬということをいわれた。彼女はこの事が気にかかって、或る時父なる博士に向って、もし私がまた死んだ場合には、前のように生き返らせてくれと頼んだけれども、父は前に懲りて拒絶したので、彼女は再三押問答の末終に激怒したのであった。その瞬間彼女の命は絶えた。博士はさすがに我が子のことであるから、再び生き返らせようとして、彼女の屍に手を掛けたが、またも世に出る彼女の前途を考えて、終に思い止まり、かつその発明をも捨ててしまったのであった。
要するに物質的の進歩が、精神的に何んの効果も齎らさないという宗教的の画面に写し出されたものであったが、私の見たのはそれ以外に何か暗示を与えられたように感じたのであった。後から後からといろいろな写真を見ていると、大方は印象を残さずに忘れてしまうのであるが、こういうトラヂエデーは、いつまでも覚えていて忘れないのである。しかしこういうものよりも、もっと必要と感ずるのは、帝国館などで紹介している「ユニバーサル週報」の如く、外国の最近の出来事を撮影紹介するものである。これらこそ最も活動写真を実益の方面に用いたものであって、世界的となった今日の我々のレッスンとして、必らず見ておかなければならないものであると思う。
先頃キネマ倶楽部で上場されたチェーラル・シンワーラーの「ジャンダーク」は大評判の大写真で、別けてもその火刑の場は凄惨を極めて、近来の傑作たる場面であった。こういう大仕掛な金を掛けたものは、米国でなければ出来ぬフィルムである。時折露西亜の写真も来るが、これは風俗として非常に趣味あるものであるが、とかくに不鮮明なのが遺憾である。それからかつて「キネマトスコープ」即ち蓄音機応用の活動写真が、米国のエヂソン会社に依って我が国へ輸入された事があった。これは蓄音機の関係から、総て短尺物で、「ドラマ」を主としていて、今日流行しているような長いものはなかったが、これが追々進歩発達したならば、頗る面白いと思っていた所、ついそのままで姿を隠してしまったのは残念である。しかし米国エヂソン社では、更らに研究して、更らに進歩させんとしているに相違ないと思うのである。
(大正六年十二月『趣味之友』第二十四号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
2003年5月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "004953",
"作品名": "活動写真",
"作品名読み": "かつどうしゃしん",
"ソート用読み": "かつとうしやしん",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「趣味之友」第24号、1917(大正6)年12月",
"分類番号": "NDC 778 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-02-14T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000388",
"姓": "淡島",
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今日でも「銀座」といえば何に限らず目新らしいもののある所とされていますが、以前「煉瓦」と呼ばれた時代にもあの辺は他の場所よりも一歩進んでいて、その時分の珍らしいものや、珍らしい事の多くはこの「煉瓦」にありました。いわば昔からハイカラな所だったのです。
伊太利風景の見世物
明治七、八年の頃だったと思いますが、尾張町の東側に伊太利風景の見世物がありました。これは伊太利人が持って来たもので、長いカンバスへパノラマ風に伊太利のベニスの風景だとか、ナポリの景だとかあるいはヴェスビアス火山だとかいったものが描いてあって、それを機械で一方から一方へ巻いて行くに連れてそれらの景色が順次正面へ現れて来ます。そうするとその前の方へ少し離れた所に燈火の仕掛があってこれがその絵に依って種々な色の光を投げかけるようになっています。例えばベニスの景の時には月夜の有様を見せて青い光を浴せ、ヴェスビアス火山噴火の絵には赤い光線に変るといった具合です。今から考えれば実に単純なつまらないものですが、その時分にはパノラマ風の画風と外国の風景と光線の応用とが珍らしくって、評判だったものです。これを私の父が模倣して浅草公園で興行しようと計画したことがありましたが都合でやめました。
西洋蝋燭
明治五年初めて横浜と新橋との間に汽車が開通した時、それを祝って新橋停車場の前には沢山の紅提灯が吊るされましたが、その時その提灯には皆舶来蝋燭を使用して灯をつけたものです。その蝋燭の入っていた箱が新橋の傍に山のように積んで捨ててあったのを覚えています。これが恐らく西洋蝋燭を沢山に使った初めでしたろう。その頃は西洋蝋燭を使うなどということは珍らしかった時代ですから大分世間の評判に上りました。
舶来屋
その頃から西洋臭いものを売る店が比較的多くありました。こういう店では大抵舶来の物を種々雑多取り交ぜて、また新古とも売っておりました。例えばランプもあれば食器類もあり、帽子もあればステッキのようなものもあるといった具合で、今日のように専門的に売っているのではなかったのです。それでこういう店を俗に舶来屋と呼んでいました。私の今覚えていますのは、当時の読売新聞社と大倉組との間あたりにこの舶来屋がありました。尤もこの店は器物食器を主に売っていました。それから大倉組の処からもう少し先き、つまり尾張町寄りの処にもありました。現に私がこの店で帽子を見てそれが非常に気に入り、父をせびって買いに行った事がありましたが、値をきいて見ると余り高価だったのでとうとう買わずに帰って口惜しかった事を覚えています。とにかくこういうように舶来の物を売る店があったということは、横浜から新橋へ汽車の便のあったことと、築地に居留地のあったためと、もう一つは家屋の構造が例の煉瓦で舶来品を売るのに相当していたためでしょう。
オムニバス
明治七年頃でしたが、「煉瓦」の通りを「オムニバス」というものが通りました。これは即ち二階馬車のことですが、当時は原語そのままにオムニバスと呼んだものです。このオムニバスは紀州の由良という、後に陛下の馭者になった人と私の親戚に当る伊藤八兵衛という二人が始めたもので、雷門に千里軒というのがあって此処がいわば車庫で、雷門と芝口との間を往復していたのです。この車台は英国の物を輸入してそのまま使用したので即ち舶来品でした。ですから数はたった二台しかありませんでした。馬は四頭立で車台は黒塗り、二階は背中合せに腰掛けるようになっていて梯子は後部の車掌のいる所に附いていました。馭者はビロードの服にナポレオン帽を戴いているという始末で、とにかく珍らしくもあり、また立派なものでした。乗車賃は下が高く二階は安うございました。多分下の方の乗車賃は芝口から浅草まで一分だったかと思います。ところがなにしろその時分の狭い往来をこんな大きな、しかも四頭立の馬車が走ったものですから、度々方々で人を轢いたり怪我をさせたので大分評判が悪く、随って乗るのも危ながってだんだん乗客が減ったので、とうとうほんの僅かの間でやめてしまいました。その後このオムニバスの残骸は、暫く本所の緑町に横わっていたのですが、その後どうなりましたかさっぱり分らなくなってしまいました。これから後に鉄道馬車が通るようになったのです。
釆女ヶ原で風船
これは銀座通りとは少し離れていますが、今の精養軒の前は釆女ヶ原でした。俗にこれを海軍原と呼んで海軍省所属の原でしたが、ここで海軍省が初めて風船というものを揚げました。なにしろ日本で初めてなのですから珍らしくって大した評判で、私などもわざわざ見に行きました。
こんな風に今の銀座界隈その時分の「煉瓦」辺が、他の場所よりも早く泰西文明に接したというわけは、西洋の文明が先ず横浜へ入って来る、するとそれは新橋へ運ばれて築地の居留地へ来る。その関係から築地と新橋にほど近い「煉瓦」は自然と他の場所よりもハイカラな所となったのでありましょう。(大正十年十月『銀座』資生堂) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
初出:「銀座」資生堂
1921(大正10)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
2012年1月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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水族館の近所にある植込を見ると茶の木が一、二本眼につくでしょう。あれは昔の名残で、明治の初年には、あの辺一帯茶畠で、今活動写真のある六区は田でした。これが種々の変遷を経て、今のようになったのですから、浅草寺寺内のお話をするだけでもなかなか容易な事ではありません。その中で私は面白い事を選んでお話しましょう。
明治の八、九年頃、寺内にいい合わしたように変人が寄り集りました。浅草寺寺内の奇人団とでも題を附けましょうか、その筆頭には先ず私の父の椿岳を挙げます。私の父も伯父も浅草寺とは種々関係があって、父は公園の取払になるまで、あの辺一帯の開拓者となって働きましたし、伯父は浅草寺の僧侶の取締みたような役をしていました。ところで父は変人ですから、人に勧められるままに、御経も碌々読めない癖に、淡島堂の堂守となりました。それで堂守には、坊主の方がいいといって、頭をクリクリ坊主にした事がありました。ところで有難い事に、淡島堂に参詣の方は、この坊主がお経を出鱈目によむのを御存知なく、椿岳さんになってから、お経も沢山誦んで下さるし、御蝋燭も沢山つけて下さる、と悦んで礼をいいましたね。堂守になる前には仁王門の二階に住んでいました。(仁王門に住むとは今から考えたら随分奇抜です。またそれを見ても当時浅草寺の秩序がなかったのが判ります。)この仁王門の住居は出入によほど不自由でしたが、それでもかなり長く住んでいました。後になっては画家の鏑木雪庵さんに頼んで、十六羅漢の絵をかいて貰って、それを陳列して参詣の人々を仁王門に上らせてお茶を飲ませた事がありました。それから父は瓢箪池の傍で万国一覧という覗眼鏡を拵えて見世物を開きました。眼鏡の覗口は軍艦の窓のようで、中には普仏戦争とか、グリーンランドの熊狩とか、そんな風な絵を沢山に入れて、暗くすると夜景となる趣向をしましたが、余り繁昌したので面倒になり知人ででもなければ滅多にこの夜景と早替りの工夫をして見せませんでした。このレンズは初め土佐の山内侯が外国から取寄せられたもので、それが渡り渡って典物となり、遂に父の手に入ったもので、当時よほど珍物に思われていたものと見えます。その小屋の看板にした万国一覧の四字は、西郷さんが、まだ吉之助といっていた頃に書いて下さったものだといいます。それで眼鏡を見せ、お茶を飲ませて一銭貰ったのです。処で例の新門辰五郎が、見世物をするならおれの処に渡りをつけろ、といって来た事がありました。しかし父は変人ですし、それに水戸の藩から出た武士気質は、なかなか一朝一夕にぬけないで、新門のいう話なぞはまるで初めから取合わず、この興行の仕舞まで渡りをつけないで、別派の見世物として取扱われていたのでした。
それから次には伊井蓉峰の親父さんのヘヾライさん。まるで毛唐人のような名前ですが、それでも江戸ッ子です。何故ヘヾライと名を附けたかというと、これにはなかなか由来があります。これは変人の事を変方来な人といって、この変方来を、もう一つ通り越したのでヘヾライだという訳だそうです。このヘヾライさんは、写真屋を始めてなかなか繁昌しました。写真師ではこの人の他に、北庭筑波、その弟子に花輪吉野などいうやはり奇人がいました。
次に、久里浜で外国船が来たのを、十里離れて遠眼鏡で見て、それを注進したという、あの名高い、下岡蓮杖さんが、やはり寺内で函館戦争、台湾戦争の絵をかいて見せました。これは今でも九段の遊就館にあります。この他、浅草で始めて電気の見世物をかけたのは広瀬じゅこくさんで、太鼓に指をふれると、それが自然に鳴ったり、人形の髪の毛が自然に立ったりする処を見せました。
曲馬が東京に来た初めでしょう。仏蘭西人のスリエというのが、天幕を張って寺内で興行しました。曲馬の馬で非常にいいのを沢山外国から連れて来たもので、私などは毎日のように出掛けて、それを見せてもらいました。この連中に、英国生れの力持がいて、一人で大砲のようなものを担ぎあげ、毎日ドンドンえらい音を立てたので、一時は観音様の鳩が一羽もいなくなりました。
それから最後に狸の騒動があった話をしましょう。ただ今の六区辺は淋しい処で、田だの森だのがありました。それを開いたのは、大橋門蔵という百姓でした。森の木を伐ったり、叢を刈ったりしたので、隠れ家を奪われたと見えて、幾匹かの狸が伝法院の院代をしている人の家の縁の下に隠れて、そろそろ持前の悪戯を始めました。ちょっと申せば、天井から石を投げたり、玄関に置いた下駄を、台所の鍋の中に並べて置いたり、木の葉を座敷に撒いたり、揚句の果には、誰かが木の葉がお金であったらいいといったのを聞いたとかで、観音様の御賽銭をつかみ出して、それを降らせたりしたので、その騒ぎといったらありませんでした。前に申したスリエの曲馬で大砲をうった男が、よし来たというので、鉄砲をドンドン縁の下に打込む、それでもなお悪戯が止まなかったので、仕方がないから祀ってやろうとなって、祠を建てました。これは御狸様といって昔と位置は変っていますが、今でも区役所の傍にあります。
(明治四十五年四月『新小説』第十七年第四巻)
◇
その御狸様のお告げに、ここに祀ってくれた上からは永く浅草寺の火防の神として寺内安泰を計るであろうとのことであったということです。
今浅草寺ではこのお狸様を鎮護大使者として祀っています。当時私の父椿岳はこの祠堂に奉納額をあげましたが、今は遺っていないようです。
毎年三月の中旬に近い日に祭礼を催します。水商売の女性たちの参詣が盛んであるようですが、これは御鎮護様をオチンボサマに懸けた洒落参りなのかも知れません。
(大正十四年十一月『聖潮』第二巻第十号より追補) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "004909",
"作品名": "寺内の奇人団",
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"初出": "「新小説」第17年第4巻、1912(明治45)年4月、「聖潮」第2巻第10号、1925(大正14)年11月",
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"姓読みソート用": "あわしま",
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"姓ローマ字": "Awashima",
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例の珍らしいもの、変ったもの、何んでもに趣味を持つ僕の事ですから、この間三越の小児博覧会へ行った。見て行く中に、印度のコブラ(錦蛇あるいは眼鏡蛇)の玩具があったが、その構造が、上州の伊香保で売っている蛇の玩具と同じである。全く作り方が同じである処から見ると、この玩具は初め印度辺りから渡ったものらしい。もっとも今は伊香保だけしか売っていないようですが、昔は東京にでも花時などに売っているのを往々見かけた。昔東京で僕らが見たのは、胴と同じように、頭も木で出来てあったが、伊香保のは、頭が張子で、形は段々と巧みになっている。それからこの間、『耽奇漫録』から模したのですが、日向国高鍋の観音の市に売るという鶉車の玩具や、また筑後柳河で作る雉子車、この種の物は形が古雅で、無器用な処に面白味がある。この節では玩具一つでも、作方が巧みになって来たのは勿論であるが、面白味がなくなった。例えていえば昔の狐の面を見ると、眼の処に穴が空いていないが、近頃のはレースで冠って見えるようになっているなども、玩具の変遷の一例でしょう。面といえば昔は色々の形があった。僕の子供の時代であるから、安政度であるが、その時分の玩具には面が多くあって、おかめ、ひょっとこ、狐は勿論、今一向見かけない珍らしいのでは河童、蝙蝠などの面があったが、近頃は面の趣味は廃ったようだ。元来僕は面が大好きでしてね。その頃の僕の家ですから、僕が面が好きだというので、僕の室の欄間には五、六十の面を掛けて、僕のその頃の着物は、袂の端に面の散し模様が染めてあって、附紐は面継の模様であったのを覚えています位、僕が面好きであったと共に、玩具屋にも種々あったものです。清水晴風さんの『うなゐのとも』という玩具の事を書いた書の中にも、ベタン人形として挙げてあるのはこれで、肥後熊本日奈久で作られます。僕は上方風にベッタ人形といっているが、ベタン人形と同じものですよ。それからこの間仲見世で、長方形の木箱の蓋が、半ば引開になって、蓋の上には鼠がいて、開けると猫が追っかけて来るようになっている玩具を売ってますのを見たが、これは僕の子供の時分に随分流行って、その後廃たれていたのが、この頃またまた復活して来たのですな。今は到底売れないが昔亀戸の「ツルシ」といって、今張子の亀の子や兵隊さんがありますが、あの種類で、裸体の男が前を出して、その先きへ石を附けて、張子の虎の首の動くようなのや、おかめが松茸を背負っているという猥褻なのがありましたっけ。こんな子供の玩具にも、時節の変遷が映っているのですからな。僕の子供の頃の浅草の奥山の有様を考えると、暫くの間に変ったものです。奥山は僕の父椿岳さんが開いたのですが、こんな事がありましたっけ。確かチャリネの前かスリエという曲馬が――明治五年でしたか――興行された時に、何でもジョーワニという大砲を担いで、空砲を打つという曲芸がありまして、その時空鉄砲の音に驚かされて、奥山の鳩が一羽もいなくなった事がありました。奥山見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院の庭で、土州山内容堂公の持っていられた眼鏡で、普仏戦争の五十枚続きの油画を覗かしたのでした。看板は油絵で椿岳が描いたのでして、確かその内三枚ばかり、今でも下岡蓮杖さんが持っています。その覗眼鏡の中でナポレオン三世が、ローマのバチカンに行く行列があったのを覚えています。その外廓は、こう軍艦の形にして、船の側の穴の処に眼鏡を填めたので、容堂公のを模して足らないのを駒形の眼鏡屋が磨りました。而して軍艦の上に、西郷吉之助と署名して、南洲翁が横額に「万国一覧」と書いたのです。父はああいう奇人で、儲ける考えもなかったのですが、この興行が当時の事ですから、大評判で三千円という利益があった。
当時奥山の住人というと奇人ばかりで、今立派な共同便所のある処辺に、伊井蓉峰のお父さんの、例のヘベライといった北庭筑波がいました。ヘベライというのは、ヘンホーライを通り越したというのでヘベライと自ら号し、人はヘベさん〳〵といってました。それから水族館の辺に下岡蓮杖さん、その先に鏑木雪庵、広瀬さんに椿岳なんかがいました。古い池の辺は藪で、狐や狸が住んでいた位で、その藪を開いて例の「万国一覧」の覗眼鏡の興行があったのです。今の五区の処は田圃でしたから今の池を掘って、その土で今の第五区が出来たというわけで、これはその辺の百姓でした大橋門蔵という人がやったのです。
その後椿岳は観音の本堂傍の淡島堂に移って、いわゆる浅草画十二枚を一揃として描いて、十銭で売ったものです。近頃では北斎以後の画家として仏蘭西などへ行くそうです。奇人連中の寄合ですから、その頃随分面白い遊びをやったもので、山門で茶の湯をやったり、志道軒の持っていた木製の男根が伝っていたものですから、志道軒のやったように、辻講釈をやろうなどの議があったが、これはやらなかった。また椿岳は油絵なども描いた人で、明治初年の大ハイカラでした。それから面白いのは、父がゴム枕を持っていたのを、仮名垣魯文さんが欲しがって、例の覗眼鏡の軍艦の下を張る反古がなかった処、魯文さんが自分の草稿一屑籠持って来て、その代りに欲しがっていたゴム枕を父があげた事を覚えています。ツマリ当時の奇人連中は、京伝馬琴の一面、下っては種彦というような人の、耽奇の趣味を体得した人であったので、観音堂の傍で耳の垢取りをやろうというので、道具などを作った話もあります。本郷玉川の水茶屋をしていた鵜飼三二さんなどもこの仲間で、玉川の三二さんは、活きた字引といわれ、後には得能さんの顧問役のようになって、毎日友人の間を歴訪して遊んでいました。父の椿岳が油絵を教ったのは、横浜にいましたワグマンという人で、この人の油絵は山城宇治の万碧楼菊屋という茶屋に残っています。このワグマンという人も奇人で、手を出して雀を呼ぶと、鳥が懐いて手に止りに来たというような人柄でした。ポンチ画なども描いて、今僕の覚えていて面白かったと思うのは、ポストの口に蜘蛛の巣の張っている処の画などがありました。(明治四十二年六月『趣味』第四巻第六号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "004955",
"作品名": "諸国の玩具",
"作品名読み": "しょこくのがんぐ",
"ソート用読み": "しよこくのかんく",
"副題": "――浅草奥山の草分――",
"副題読み": "――あさくさおくやまのくさわけ――",
"原題": "",
"初出": "「趣味」第4巻第6号、1909(明治42)年6月",
"分類番号": "NDC 759 914",
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凧の話もこれまで沢山したので、別に新らしい話もないが、読む人も違おうから、考え出すままにいろいろな事を話して見よう。
凧の種類には扇、袢纏、鳶、蝉、あんどん、奴、三番叟、ぶか、烏、すが凧などがあって、主に細工物で、扇の形をしていたり、蝉の形になっていたりするものである。これらの種類のものは支那から来たもののようである。また普通の凧の絵は、達磨、月浪、童子格子、日の出に鶴、雲龍、玉取龍、鯉の滝上り、山姥に金太郎、或いは『三国志』や『水滸伝』の人物などのものがある。また字を書いたのでは、鷲、獅子、虎、龍、嵐、魚、鶴、などと大体凧の絵や字は定まっている。けれども『三国志』や『水滸伝』の人物の二人立三人立などの細かい絵になると、高く揚った場合、折角の絵も分らないから、それよりも月浪とか童子格子とか、字なら龍とか嵐などがいいようである。長崎の凧は昔葡萄牙や和蘭の船の旗を模したと見えて、今日でも信号旗のようなものが多い。
糸目のつけ方にはいろいろあって、両かしぎ、下糸目、上糸目、乳糸目、三本糸目、二本糸目、本糸目などがある。両かしぎというのは、左右へかしぐようにつける糸目で、凧の喧嘩には是非これに限る。下糸目にすれば手繰った時凧が下を向いて来るし、上糸目にすれば下って来る。乳糸目というのは普通糸目の他に乳のように左右へ別に二本殖やすのである。二本糸目というのは、うら張りの具合で、上下二本の糸目でも充分なのである。本糸目というと、即ち骨の重った所及び角々全部へ糸目をつけたものである。骨は巻骨即ち障子骨、六本骨、七本骨などがあって、巻骨は骨へ細い紙を巻いたもので、障子の骨のようになっているので、障子骨の名もある。六本骨七本骨は、普通の骨組みで、即ちX形に組んだ骨が這入っているのである。そうしてこの巻骨の障子骨は丈夫で良い凧としてある。なお上等の凧は、紙の周囲に糸が這入っているのが例である。
糸は「いわない」またの名を「きんかん」というのが最もよいとしている。この凧に附随したものは、即ち「雁木」と「うなり」だが、長崎では「ビードロコマ」といって雁木の代りにビードロの粉を松やにで糸へつけて、それで相手の凧の糸を摺り切るのである。「うなり」は鯨を第一とし、次ぎは籐であるが、その音がさすがに違うのである。また真鍮で造ったものもあったが、値も高いし、重くもあるので廃ってしまった。今日では「ゴムうなり」が出来たようだ。それからこの「うなり」を、凧よりも長いのを付けると、昔江戸などでは「おいらん」と称えて田舎式としたものである。
凧にも随分大きなものがあって、阿波の撫養町の凧は、美濃紙千五百枚、岡崎の「わんわん」という凧も、同じく千五百枚を張るのであるという。その他、大代の「菊一」というのが千四百枚、北浜の「笹」というのが千枚、吉永の「釘抜」が九百枚、木津新町の「菊巴」が九百枚の大きさである。
珍らしいものでは、飛騨に莨の葉を凧にしたものがある。また南洋では袋のような凧を揚げて、その凧から糸を垂れて水中の魚を釣るという面白い用途もある。朝鮮の凧は五本骨で、真中に大きな丸い穴が空いていて、上に日、下に月が描いてある。真中に大きな穴が空いていてよく揚ると思うが、誠に不思議である。前にいった「すが凧」というのは「すが糸」であげる精巧な小さな凧で、これは今日では飾り凧とされている。これは江戸の頃、秋山正三郎という者がこしらえたもので、上野の広小路で売っていたのである。その頃この広小路のすが凧売りの錦絵が出来ていたと思った。
さて私の子供の時分のことを思い出して話して見よう。その頃、男の子の春の遊びというと、玩具では纏や鳶口、外の遊びでは竹馬に独楽などであったが、第一は凧である。電線のない時分であるから、初春の江戸の空は狭きまでに各種の凧で飾られたものである。その時分は町中でも諸所に広場があったので、そこへ持ち出して揚げる。揚りきるとそのまま家々の屋根などを巧みに避けて、自分の家へ持ち帰り、家の内に坐りながら、大空高く揚った凧を持って楽しんでいたものである。大きいのになると、十四、五枚のものもあったが、それらは大人が揚げたものであった。
私のいた日本橋馬喰町の近くには、秩父屋という名高い凧屋があって、浅草の観音の市の日から、店先きに種々の綺麗な大きな凧を飾って売り出したものであった。昔は凧の絵の赤い色は皆な蘇枋というもので描いたので、これはやはり日本橋の伊勢佐という生薬屋で専売していたのだが、これを火で温めながら、凧へ塗ったものである。その秩父屋でも何時も店で、火の上へ蘇枋を入れた皿を掛けて、温めながら凧を立て掛けて置いて、いろいろな絵を描いていたが、誠にいい気分のものであった。またこの秩父屋の奴凧は、名優坂東三津五郎の似顔で有名なものだった。この秩父屋にいた職人が、五年ばかり前まで、上野のいとう松坂の横で凧屋をしていたが、この人の家の奴凧も、主家のを写したのであるから、やはり三津五郎の顔であった。
それからもう一つ、私の近所で名高かったものは、両国の釣金の「堀龍」という凧であった。これは両国の袂の釣竿屋の金という人が拵らえて売る凧で、龍という字が二重になっているのだが、これは喧嘩凧として有名なもので、随って尾などは絶対につけずに揚げるいわゆる坊主凧であった。
今日でも稀には見掛けるが、昔の凧屋の看板というものが面白かった。籠で蛸の形を拵らえて、目玉に金紙が張ってあって、それが風でくるりくるりと引っくり返るようになっていた。足は例の通り八本プラリブラリとぶら下っていて、頭には家に依って豆絞りの手拭で鉢巻をさせてあるのもあり、剣烏帽子を被っているものもあったりした。
この凧遊びも二月の初午になると、その後は余り揚げる子供もなくなって、三月に這入ると、もう「三月の下り凧」と俗に唱えて、この時分に凧を揚げると笑われたものであった。
さておしまいに、手元に書きとめてある凧の句を二ツ三ツ挙げて見よう。
えた村の空も一つぞ凧 去来
葛飾や江戸を離れぬ凧 其角
美しき凧あがりけり乞食小屋 一茶
物の名の鮹や古郷のいかのぼり 宗因
糸つける人と遊ぶや凧 嵐雪
今の列子糸わく重し人形凧 尺草
(大正七年一月『趣味之友』第二十五号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※「ぶか」のあとに編集部の注記がありますが、除きました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一
玩具と言えば単に好奇心を満足せしむる底のものに過ぎぬと思うは非常な誤りである。玩具には深き寓意と伝統の伴うものが多い。換言すれば人間生活と不離の関係を有するものである。例えば奥州の三春駒は田村麻呂将軍が奥州征伐の時、清水寺の僧円珍が小さい駒を刻みて与えたるに、多数の騎馬武者に化現して味方の軍勢を援けたという伝説に依って作られたもので、これが今日子育馬として同地方に伝わったものである。日向の鶉車というのは朝鮮の一帰化人が一百歳の高齢に達した喜びを現わすために作ったのが、多少変形して今日に伝ったのである。米沢の笹野観音で毎年十二月十七、八日の両日に売出す玩具であって、土地で御鷹というのは素朴な木彫で鶯に似た形の鳥であるが、これも九州太宰府の鷽鳥や前記の鶉車の系統に属するものである。
鷹山上杉治憲公が日向高鍋城主、秋月家より宝暦十年の頃十歳にして、米沢上杉家へ養子となって封を襲うた関係上、九州の特色ある玩具が奥州に移ったものと見られる。仙台地方に流行するポンポコ槍の尖端に附いている瓢には、元来穀物の種子が貯えられたのである。これが一転して玩具化したのである。
二
かく稽えて見ると、後世全く無意味荒唐と思われる玩具にも、深き歴史的背景と人間生活の真味が宿っている事を知るべきである。アイヌの作った一刀彫の細工ものにも、極めて簡素ではあるが、その形態の内に捨て難き美を含んでいるのである。
地方僻遠の田舎に、都会の風塵から汚されずに存在する郷土的玩具や人形には、一種言うべからざる簡素なる美を備え、またこれを人文研究史上から観て、頗る有意義なるものが多いのであるが、近来交通機関が益々発達したると、都会風が全く地方を征服したるとに依り、地方特有の玩具が益々影が薄れて来て、多くは都会化した玩具や、人形を作るようになって来たのは如何にも遺憾である。
郷土的な趣味や雅致あるものも、購買者が少なければ、製作者もこれに依って生活が出来ぬという経済的原因に支配されて、保存さるべきものが、保存されずに亡び行くことは惜みても余りあることである。
三
都会的趣味は、一面地方を侵害しては行くが、物価の高い都会生活では、到底製作出来ぬようなものを、比較的生活費が低いのと、生活環境が安定しているのとで、非常に面白味のある玩具が、或る地方には今なお製作されている処もある。
かくの如きものは是非とも保存して、その地方の一特産としたいものである。その他に趣味上保存すべき郷土的人形や、玩具に対しても保護を加えて存続させたいものである。近来市井に見かける俗悪な色彩のペンキ塗のブリキ製玩具の如きは、幼年教育の上からいうも害あって益なかるべしと思うのである。
玩具及び人形は単に一時の娯楽品や、好奇心を満足せしむるを以ってやむものでない事は、人類最古の文明国たりし埃及時代に已に見事なものが存在したのでも知られる。英国の博物館には、四、五千年前のミイラの中から発見された玩具が陳列されてあるのである。これに依って見ても玩具は人類の生活と共に存在したことが想われる。
玩具は人類の思想感情の表現されたものである事は、南洋の蛮人の玩具が怪奇にして、文明国民の想像すべからざる形態を有するに見ても知るべきである。概して野蛮人は人を恐怖せしむるが如きものを表現して喜ぶ傾向を有するのである。されば玩具や人形は、単に無智なる幼少年の娯楽物に非ずして、考古学人類学の研究資料とも見るべきものである。茲において我が地方的玩具の保護や製作を奨励する意味が一層深刻になるのである。(大正十四年九月『副業』第二巻第九号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
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江戸趣味や向島沿革について話せとの御申込であるが、元来が不羈放肆な、しかも皆さんにお聞かせしようと日常研究し用意しているものでないから、どんな話に終始するか予めお約束は出来ない。
◇
人はよく私を江戸趣味の人間であるようにいっているが、決して単なる江戸趣味の小天地に跼蹐しているものではない。私は日常応接する森羅万象に親しみを感じ、これを愛玩しては、ただこの中にプレイしているのだと思っている。洋の東西、古今を問わず、卑しくも私の趣味性を唆るものあらば座右に備えて悠々自適し、興来って新古の壱巻をも繙けば、河鹿笛もならし、朝鮮太鼓も打つ、時にはウクレルを奏しては土人の尻振りダンスを想って原始なヂャバ土人の生活に楽しみ、時にはオクライナを吹いてはスペインの南国情緒に陶酔もする、またクララ・キンベル・ヤングやロンチャニーも好愛し、五月信子や筑波雪子の写真も座臥に用意して喜べる。こういう風に私は事々物々総てに親愛を見出すのである。
◇
オモチヤの十徳
一、トーイランドは自由平等の楽地也。
一、各自互に平和なり。
一、縮小して世界を観ることを得。
一、各地の風俗を知るの便あり。
一、皆其の知恵者より成れり。
一、沈黙にして雄弁なり。
一、朋友と面座上に接す。
一、其の物より求めらるゝの煩なし。
一、依之我を教育す。
一、年を忘れしむ。
皆おもちや子供のもてるものゝみを
それと思へる人もあるらむ
これが、私が応接する総てを愛玩出来る心で、また私の哲学である。従って玩具を損失したからとて、少しも惜いとは思わない。私は這般の大震災で世界の各地から蒐集した再び得がたい三千有余の珍らしい玩具や、江戸の貴重な資料を全部焼失したが、別して惜しいとは思わない。虚心坦懐、去るものを追わず、来るものは拒まずという、未練も執着もない無碍な境地が私の心である。それ故私の趣味は常に変遷転々として極まるを知らず、ただ世界に遊ぶという気持で、江戸のみに限られていない。私の若い時代は江戸趣味どころか、かえって福沢諭吉先生の開明的な思想に鞭撻されて欧化に憧れ、非常な勢いで西洋を模倣し、家の柱などはドリックに削り、ベッドに寝る、バタを食べ、頭髪までも赤く縮らしたいと願ったほどの心酔ぶりだった。そうはいえ私は父から受け継いだのか、多く見、多く聞き、多く楽しむという性格に恵まれて、江戸の事も比較的多く見聞きし得たのである。それもただ自らプレイする気持だけで、後世に語り伝えようと思うて研究した訳ではないが、お望みとあらばとにかく漫然であるが、見聞の一端を思い出づるままにとりとめもなくお話して見よう。
◇
古代からダークとライトとは、文明と非常に密接な関係を持つもので、文明はあかりを伴うものである。元禄時代の如きは非常に明い気持があったがやはり江戸時代は暗かった。
◇
花火について見るも、今日に較ぶればとても幼稚なもので、今見るような華やかなものはなかった。何んの変哲も光彩もないただの火の二、三丈も飛び上るものが、花火として大騒ぎをされたのである。一体花火は暗い所によく映ゆるものであるから、今日は化学が進歩して色々のものが工夫されているが、同時に囲りが明るくされているので、かえってよく環境と照映しない憾みがある。
◇
昔から花火屋のある処は暗いものの例となっている位で、店の真中に一本の燈心を灯し、これを繞って飾られている火薬に、朱書された花火という字が茫然と浮出している情景は、子供心に忘れられない記憶の一つで、暗いものの標語に花火屋の行燈というが、全くその通りである。当時は花火の種類も僅かで、大山桜とか鼠というような、ほんのシューシューと音をたてて、地上にただ落ちるだけ位のつまらない程度のもので、それでもまたミケンジャクや烏万燈等と共に賞美され、私たちの子供の時分には、日本橋横山町二丁目の鍵屋という花火屋へせっせと買いに通ったものである。
◇
芝居について見るも、今日の如く照明の発達した明るい中で演ずるのではなく、江戸時代は全くの暗闇で芝居しているような有様であったので、昔は面あかりといって長い二間もある柄のついたものを、役者の顔前に差出して芝居を見せたもので、なかなか趣きがあった。人形芝居にしても、今日は明るいためにかえって人形遣いの方が邪魔になってよほど趣きを打壊すが、昔は暗い上に八つ口だけの赤い、真黒な「くろも」というものを着附けていたので目障りではなかった。あるいは木魚や鐘を使ったり、またバタバタ音を立てるような種々の形容楽器に苦心して、劇になくてはならない気分を相応に添えたものである。芝居の時間も長くはねは十二時過ぎから一時過ぎに及び、朝も暗い中から押かけて行くという熱心さで、よく絵に見かける半身を前に乗り出すようにして行く様があるが、どんなに一生懸命であったかを実証している。
◇
昔はまた役者の簪とか、紋印がしてある扇子や櫛などを身に飾って狂喜したものだ。で役者の方でも、狂言に因んだ物を娘たちに頒って人気を集めたもので、これを浅草の金華堂とかいうので造っていた。当時の五代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座へ通う人も少くなかった。
◇
前述もしたように、とにかく江戸時代は暗かった。だが文明は光を伴うものである。我国には古くから八間という燈があった。これは寺院などに多くあるもので、実際は八間はなかったが、かなり大きいのでこの名がある。また当時よく常用されたものに蝋台がある。これは蝋燭を灯すに用い多く会津で出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも東本願寺など浄土宗派のお寺ではこれを用いている。中には筍形をしたのもあった。また行燈に入れるものに「ひょうそく」というものを用いた。それから今でも奥州方面の山間へ行くとある「でっち」というものが使われた。それは松脂の蝋で練り固めたもので、これに類似した田行燈というものを百姓家では用いた。これは今でも一の関辺へ行くと遺っている。
◇
支那から伝来して来た竹紙という、紙を撚合せて作った火縄のようなものがあったが、これに点火されておっても、一見消えた如くで、一吹きすると火を現わすのでなかなか経済的で、煙草の火附に非常に便利がられた。また明治の初年には龕燈提灯という、如何に上下左右するも中の火は常に安定の状態にあるように、巧に造られたものがあったが、現に熊本県下にはまだ残存している。また当時の質屋などでは必らず金網のボンボリを用いた。これはよそからの色々な大切なものを保管しているので、万一を慮かって特に金網で警戒したのである。
◇
明治時代のさる小説家が生半可で、彼の小説中に質屋の倉庫に提灯を持って入ったと書いて識者の笑いを招いた事もある。越えて明治十年頃と思うが、始めて洋燈が移入された当時の洋燈は、パリーだとか倫敦辺で出来た舶来品で、割合に明いものであったが、困ることには「ほや」などが壊れても、部分的な破損を補う事が不可能で、全部新規に買入れねばならない不便があった。石油なども口を封蝋で缶してある大きな罎入を一缶ずつ購めねばならなかった。
◇
そんな具合でランプを使用する家とては、ほんの油町に一軒、人形町に一軒、日本橋に一軒という稀なものであったが、それが瓦斯燈に変り、電燈に移って今日では五十燭光でもまだ暗いというような時代になって、ランプさえもよほどの山間僻地でも全く見られない、時世の飛躍的な推移は驚愕の外はない。瓦斯の入来したのは明治十三、四年の頃で、当時吉原の金瓶大黒という女郎屋の主人が、東京のものを一手に引受けていた時があった。昔のものは花瓦斯といって焔の上に何も蔽わず、マントルをかけたのは後年である。
◇
江戸から東京への移り変りは全く躍進的で、総てが全く隔世の転換をしている。この向島も全く昔の俤は失われて、西洋人が讃美し憧憬する広重の錦絵に見る、隅田の美しい流れも、現実には煤煙に汚れたり、自動車の煽る黄塵に塗れ、殊に震災の蹂躙に全く荒れ果て、隅田の情趣になくてはならない屋形船も乗る人の気分も変り、型も改まって全く昔を偲ぶよすがもない。この屋形船は大名遊びや町人の札差しが招宴に利用したもので、大抵は屋根がなく、一人や二人で乗るのでなくて、中に芸者の二人も混ぜて、近くは牛島、遠くは水神の森に遊興したものである。
◇
向島は桜というよりもむしろ雪とか月とかで優れて面白く、三囲の雁木に船を繋いで、秋の紅葉を探勝することは特によろこばれていた。季節々々には船が輻輳するので、遠い向う岸の松山に待っていて、こっちから竹屋! と大声でよぶと、おうと答えて、お茶などを用意してギッシギッシ漕いで来る情景は、今も髣髴と憶い出される。この竹屋の渡しで向島から向う岸に渡ろうとする人の多くは、芝居や吉原に打興じようとする者、向島へ渡るものは枯草の情趣を味うとか、草木を愛して見ようとか、遠乗りに行楽しようとか、いずれもただ物見遊山するもののみであった。
◇
向島ではこれらの風流人を迎えて業平しじみとか、紫鯉とか、くわいとか、芋とか土地の名産を紹介して、いわゆる田舎料理麦飯を以って遇し、あるいは主として川魚を御馳走したのである。またこの地は禁猟の域で自然と鳥が繁殖し、後年掟のゆるむに従って焼き鳥もまた名物の一つになったのである。如上捕捉する事も出来ない、御注文から脱線したとりとめもないものに終ったが、予めお断りして置いた通り常にプレイする以外に研究の用意も、野心もない私に、組織的なお話の出来ようはずがないから、この度はこれで責をふさぐ事にする。(大正十四年八月二十四、五、六日『日本新聞』) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※「ミケンジャク」のあとに編集部の注記がありますが、除きました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
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"作品ID": "004944",
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幼い頃の朧ろげな記憶の糸を辿って行くと、江戸の末期から明治の初年へかけて、物売や見世物の中には随分面白い異ったものがあった。私はそれらを順序なく話して見ようと思う。
一
まず第一に挙げたいのは、花見時の上野に好く見掛けたホニホロである。これは唐人の姿をした男が、腰に張子で作った馬の首だけを括り付け、それに跨ったような格好で鞭で尻を叩く真似をしながら、彼方此方と駆け廻る。それを少し離れた処で柄の付いた八角形の眼鏡の、凸レンズが七個に区画されたので覗くと、七人のそうした姿の男が縦横に馳せ廻るように見えて、子供心にもちょっと恐ろしいような感じがしたのを覚えている。
その頃の上野には御承知の黒門があって、そこから内へは一切物売を厳禁していたから、元の雁鍋の辺から、どんどんと称していた三枚橋まで、物売がずっと店を出していたものだったが、その中で残っているのは菜の花の上に作り物の蝶々を飛ばせるようにした蝶々売りと、一寸か二寸四方位な小さな凧へ、すが糸で糸目を長く付けた凧売りとだけだ。この凧はもと、木挽町の家主で兵三郎という男が拵らえ出したもので、そんな小さいものだけに、骨も竹も折れやすいところから、紙で巻くようにしていわゆる巻骨ということも、その男が工夫した事だという。
物売りではないが、紅勘というのはかなり有名なものだった。浅黄の石持で柿色の袖なしに裁布をはいて、腰に七輪のアミを提げて、それを叩いたり三味線を引いたりして、種々な音色を聞かせたが、これは芝居や所作事にまで取り入れられたほど名高いものである。
二
それから両国の広小路辺にも随分物売りがいたものだった。中で一番記憶に残っているのは細工飴の店で、大きな瓢箪や橋弁慶なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤を引かせて、当ったものにそれを遣るというので、私などもよく買いに行ったものだが、いつも詰らない飴細工ばかり引き当てて、欲しいと思う橋弁慶なぞは、何時も取ったことがなく落胆したものだった。
物売りの部へ入れるのは妙だが、神田橋本町の願人坊主にも、いろいろ面白いのがいた。決してただ銭を貰うという事はなく、皆何か芸をしたものだけに、その時々には様々な異ったものが飛出したもので、丹波の荒熊だの、役者の紋当て謎解き、または袋の中からいろいろな一文人形を出して並べ立てて、一々言い立てをして銭を貰うのは普通だったが、中には親孝行で御座いといって、張子の人形を息子に見立てて、胸へ縛り付け、自分が負ぶさった格好をして銭を貰うもの――これは評判が好くて長続きした。半身肌脱ぎになって首から上へ真白に白粉を塗って、銭湯の柘榴口に見立てた板に、柄のついたのを前に立て、中でお湯を使ったり、子供の人形を洗ってやったりするところを見せたものなぞがあったものである。
三
私の生れた馬喰町の一丁目から四丁目までの道の両側は、夜になるといつも夜店が一杯に並んだものだった。その頃は幕府瓦解の頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人が、一時に微禄して生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になったり、従って芝居なぞも火の消えたようなので、役者の中にはこれも困って夜店を出す者がある位で、実に賑やかなものだったが、それらの夜店商人が使う蝋燭は、主に柳橋の薩摩蝋燭といって、今でも安いものを駄蝋という位、酷いものだが、それを売りに来る男で歌吉というのがあった。これがまた、天性の美音で「蝋燭で御座いかな」と踊るような身ぶりをして売って歩いたが、馬喰町の夜店が寂れると同時に、鳥羽絵の升落しの風をして、大きな拵らえ物の鼠を持って、好く往来で芸をして銭を貰っていたのを覚えている。美音で思い出したが、十軒店にも治郎公なぞと呼んでいた鮨屋が、これも美い声で淫猥な唄ばかり歌って、好く稲荷鮨を売りに来たものだった。
四
明治も十年頃になると物売りもまた変って来て、隊長の鳥売りなぞといって、金モールをつけた怪しげな大礼服を着て、一々言立てをするのや、近年まであったカチカチ団子と言う小さい杵で臼を搗いて、カチカチと拍子を取るものが現われた。また、それから少し下っては、落語家のへらへらの万橘が、一時盛んな人気だった頃に、神田台所町の井戸の傍だったかに、へらへら焼一名万橘焼というものを売り出したものがいて、これが大層好く売れたものであったそうだ。
昔のことをいえば限りがないが、物価も今より安かっただけ、いろいろ馬鹿げた事を考え出す者が多かった故か、物売りにまで随分変ったものがあった。とにかくその頃の女の髪結銭が、島田でも丸髷でも百文(今の一銭に当る)で、柳橋のおもとといえば女髪結の中でも一といわれた上手だったが、それですら髪結銭は二百文しか取らなかった。今から思えば殆んど夢のような気がする。忙しく余裕のない現代に生活している若い人たちが聞いたら、そこには昼と夜ほどの懸隔を見出す事であろうと思われる位だった。
(大正十二年四月『七星』第一号)
五
私の今住んでいる向島一帯の土地は、昔は石が少かったそうである。それと反対に向河岸の橋場から今戸辺には、石浜という名が残っている位に石が多かった。で、江戸もずっと以前の事であろうが、石浜に住んでいる人たちは、自分の腕の力を試すという意味も含ませて、向島の方へ石を投げてよこしたという伝説がある。その代りという訳でもあるまいが、この辺の土地は今でも一間も掘り下げると、粘土が層をなしていて、それが即ち今戸焼には好適の材料となるので、つまり暗黙のうちに物々交換をする訳なのである。
この石投げということは、俳諧の季題にある印地打ということなので、この風習は遠い昔に朝鮮から伝来したものらしく、今でも朝鮮では行われているそうだが、それが五月の行事となったのも、つまりは男子の節句という、勇ましいというよりもむしろ荒々しい気風にふさわしい遊戯であるからではなかろうか。既に近松門左衛門の『女殺油地獄』の中に――五月五日は女は家と昔から――という文句があるが、これも印地打のために女子供が怪我をするといけないから表へ出るなと、戒めたものであるらしい。
またそれほど烈しければこそ、多くの怪我人も出来て、後には禁止されたのである。
六
荒々しいといえば、五月人形の内、鍾馗にしろ金時にしろ、皆勇ましく荒々しいものだが、鍾馗は玄宗皇帝の笛を盗んだ鬼を捉えた人というし、金時は今も金時山に手玉石という大きな石が残っている位強かったというが、その子の金平も、きんぴら牛蒡やきんぴら糊に名を残したばかりか、江戸初期の芝居や浄瑠璃には、なくてはならない大立者だ。この浄瑠璃を語り初めた和泉太夫というのは、高座へ上るには二尺余りの鉄扇を持って出て、毎晩舞台を叩きこわしたそうだが、そんな殺伐なことがまだ戦国時代の血腥い風の脱け切らぬ江戸ッ子の嗜好に投じて、遂には市川流の荒事という独特な芸術をすら生んだのだ。
荒事といえば二代目の団十郎にこんな逸話がある。それは或る時座敷に招ばれて、その席上で荒事を所望されたので、立上って座敷の柱をゆさゆさと揺ぶり、「これが荒事でございます」といったら、一同喝采して悦んだという事が或る本に書いてあった。
七
印地打が朝鮮渡来の風習だという事は前に言ったが、同じ節句の柏餅も、やはり支那かもしくは印度あたりから伝えられたものであろう。というのは、今でも印度辺りでは客に出す食物は、大抵木の葉に盛って捧げられる風習がある。つまり木の葉は清浄なものとしてあるのだが、それらのことが柏餅を生み椿餅を生み、そして編笠餅や乃至桜餅を生んだと見ても差支えないように考える。
殊に昔、支那や朝鮮の種族が、日本へ移住した数は尠なからぬので、既に僧行基が奈良のある寺で説教を試みた時、髪に豚の脂の匂いのする女が来て聴聞したという話がある位、従ってそれらの部落で膳椀の代りに木の葉を用いたのが、伝播したとも考えられぬ事はない。唯幸いにして日本人は肉が嫌いであったがため、あの支那料理のシュウマイみたようなものを包む代りに、餡の這入った柏餅が製されて、今に至るも五月になれば姿が見られ得るのは、甘党の私などに取って悦ばしい事の一つかも知れない。呵々。
(大正十二年五月『七星』第二号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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明治十年前後の小説界について、思い出すままをお話してみるが、震災のため蔵書も何も焼き払ってしまったので、詳しいことや特に年代の如きは、あまり自信をもって言うことが出来ない。このことは特にお断りして置きたい。
一体に小説という言葉は、すでに新しい言葉なので、はじめは読本とか草双紙とか呼ばれていたものである。が、それが改ったのは戊辰の革命以後のことである。
その頃はすべてが改った。言い換えれば、悉く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋』よりも、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが持て囃されたのである。草双紙の挿絵を例にとって言えば、『金花七変化』の鍋島猫騒動の小森半之丞に、トンビ合羽を着せたり、靴をはかせたりしている。そういうふうにしなければ、読者に投ずることが出来なかったのである。そうしてさまざまに新しさを追ったものの、時流には抗し難く、『釈迦八相記』(倭文庫)『室町源氏』なども、ついにはかえり見られなくなってしまった。
戯作者の殿りとしては、仮名垣魯文と、後に新聞記者になった山々亭有人(条野採菊)に指を屈しなければならない。魯文は、『仮名読新聞』によって目醒ましい活躍をした人で、また猫々道人とも言ったりした。芸妓を猫といい出したのも、魯文がはじめである。魯文は後に『仮名読新聞』というものを創設した。それは非常に時流に投じたものであった。つづいて前田夏繁が、香雪という雅号で、つづきものを、『やまと新聞』のはじめに盛んに書き出した。
その頃は作者の外に投書家というものがあって、各新聞に原稿を投じていた。彼らのなかからも、注目すべき人が出た。『読売』では中坂まときの時分に、若菜貞爾(胡蝶園)という人が出て小説を書いたが、この人は第十二小区(いまの日本橋馬喰町)の書記をしていた人であった。その他、投書家でもよいものは作者と同じように、原稿料をとっていたように記憶する。(斎藤緑雨なども、この若菜貞爾にひきたてられて、『報知』に入ったものである。)
これらの人々によって、その当時演芸道の復活を見たことは、また忘れることの出来ない事実である。旧物に対する蔑視と、新らしき物に対する憧憬とが、前述のように烈しかったその当時は、役者は勿論のこと、三味線を手にしてさえも、科人のように人々から蔑しめられたものであった。それ故、演芸に関した事柄などは、新聞にはちょっぴりとも書かれなかった。そうした時代に、浮川福平は都々逸の新作を矢継早に発表し、また仮名垣魯文の如きは、その新聞の殆んど半頁を、大胆にも芝居の記事で埋めて、演芸を復活させようとつとめた。
そのうち、かの『雪中梅』の作者末広鉄腸が、『朝日新聞』に書いた。また服部誠一翁がいろいろなものを書いた。寛(総生)は寛でさまざまなもの、例えば秘伝の類、芸妓になる心得だとか地獄を買う田地だとかいうようなものを書いて一しきりは流行ったものである。
読物はこの頃になっては、ずっと新しくなっていて、丁髷の人物にも洋傘やはやり合羽を着せなければ、人々がかえり見ないというふうだった。二代目左団次が舞台でモヘルの着物をつけたり、洋傘をさしたりなどしたのもこの頃のことである。が、作は随分沢山出たが、傑作は殆んどなかった。その折に出たのが、坪内逍遥氏の『書生気質』であった。この書物はいままでの書物とはくらべものにならぬ優れたもので、さかんに売れたものである。
版にしないものはいろいろあったが、出たものには山田美妙斎が編輯していた『都の花』があった。その他硯友社一派の『文庫』が出ていた。
劇評では六二連の富田砂燕という人がいた。この人の前には梅素玄魚という人がいた。後にこの人は楽屋白粉というものをつくって売り出すような事をしたものである。
話が前後したが、成島柳北の『柳橋新誌』の第二篇は、明治七年に出た。これは柳暗のことを書いたものである。その他に『東京新繁昌記』も出た。新しい西欧文明をとり入れ出した東京の姿を書いたもので、馬車だとか煉瓦だとかが現われ出した頃のことが書かれてある。これはかの寺門静軒の『江戸繁昌記』にならって書かれたものである。
一体にこの頃のものは、話は面白かったが、読んで味いがなかった。
◇
明治十三、四年の頃、西鶴の古本を得てから、私は湯島に転居し、『都の花』が出ていた頃紅葉君、露伴君に私は西鶴の古本を見せた。
西鶴は俳諧師で、三十八の歳延宝八年の頃、一日に四千句詠じたことがある。貞享元年に二万三千五百句を一日一夜のうちによんだ。これは才麿という人が、一日一万句を江戸でよんだことに対抗したものであった。散文を書いたのは、天和二年四十二歳の時で、『一代男』がそれである。
幸い私は西鶴の著書があったので、それを紅葉、露伴、中西梅花(この人は新体詩なるものを最初に創り、『梅花詩集』という本をあらわした記念さるべき人である。後、不幸にも狂人になった)、内田魯庵(その頃は花の屋)、石橋忍月、依田百川などの諸君に、それを見せることが出来たのである。
西鶴は私の四大恩人の一人であるが、私が西鶴を発見したことに関聯してお話ししたいのは、福沢先生の本のことである。福沢先生の本によって、十二、三歳の頃、私ははじめて新らしい西欧の文明を知った。私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政、天明の通人たちの作ったもの、一九、京伝、三馬、馬琴、種彦、烏亭焉馬などの本が沢山にあった。特に京伝の『骨董集』は、立派な考証学で、決して孫引きのないもので、専ら『一代男』『一代女』古俳諧等の書から直接に材料をとって来たものであった。この『骨董集』を読んでいるうちに、福沢先生の『西洋旅案内』『学問のすゝめ』『かたわ娘』によって西洋の文明を示されたのである。(この『かたわ娘』は古い従来の風俗を嘲ったもので、それに対抗して万亭応賀は『当世利口女』を書いた。が私には『当世利口女』はつまらなく『かたわ娘』が面白かったものである。)
新らしい文明をかくして福沢先生によって学んだが、『骨董集』を読んだために、西鶴が読んでみたくなり出した。が、その頃でも古本が少なかったもので、なかなか手には入らなかった。私の知っていた酒井藤兵衛という古本屋には、山のようにつぶす古本があったものである。何せ明治十五、六年の頃は、古本をつぶしてしまう頃だった。私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、池の端の「バイブル」、駒形の「小林文七」「鳥吉」などから頻りに西鶴の古本を漁り集めた。(この「鳥吉」は、芝居の本を多く扱っていたが、関根只誠氏がどういう都合かで売払った本を沢山私のところにもって来てくれたものである。)中川徳基が、昔の研究はまず地理から始めなければならぬ、といって『紫の一本』『江戸咄』『江戸雀』『江戸真砂六十帖』などいう書物や、古絵図類を集めていたのもこの頃であった。
西鶴の本は沢山集った。それらを私は幸田、中西、尾崎の諸君に手柄顔をして見せたものであった。
そうして西鶴を研究し出した諸君によって、西鶴調なるものが復活したのである。これは、山田美妙斎などによって提唱された言文一致体の文章に対する反抗となったものであって、特に露伴君の文章なぞは、大いに世を動かしたものであった。
内田魯庵君の著『きのふけふ』(博文館発行)の中に、この頃の私のことは書いてあるから、私の口から申すのはこれくらいで差控えて置きたいと思う。
私も愛鶴軒と言って『読売新聞』に投書していたが、あまり続けて書かなかった。(私は世の中がめんどうになって、愛鶴軒という雅号なども捨ててしまった。そして幸田君にわけを話すと、幸田君は――愛鶴軒は歿したり――と新聞に書いてくれた。)その後、中西君も『読売』に入社し、西鶴の口調で盛んに小説を書いた。その前、饗庭篁村氏がさかんに八文字屋で書かれ、また幸堂得知氏などが洒落文を書かれたものである。純粋に西鶴風なものは誰も書かなかったが、誰からともなく西鶴が世の中に芽をふいたのである。
◇
私は元来小説よりも、新らしい事実が好きだった。ここに言う新らしいとは、珍らしいということである。西鶴の本は、かつて聞いたことのない珍らしいもので満ちていた。赤裸々に自然を書いたからである。人間そのものを書いたからである。ただ人間そのものを書いたきりで、何とも決めていないところに西鶴の妙味がある。これは俳諧の力から来たものである。
私は福沢先生によって新らしい文明を知り、京伝から骨董のテエストを得、西鶴によって人間を知ることが出来た。いま一つは一休禅師の『一休骸骨』『一休草紙』などによって、宗教を知り始めたことである。そして無宗教を知り――無というよりも空、即ち昨日は無、明日は空、ただ現在に生き、趣味に生きる者である――故にバラモン教からも、マホメット教からも、何からも同一の感じをもつことが出来るようになった。
私は江戸の追憶者として見られているが、私は江戸の改革を経て来た時代に生きて来た者である。新しくなって行きつつあった日本文明の中で生きて来た者であって、西欧の文明に対して、打ち克ち難い憧憬をもっていた者である。私は実に、漢文よりはさきに横文字を習った。実はごく若い頃は、あちらの文明に憧れたあまり、アメリカへ帰化したいと願っていたことがある。アメリカへ行くと、日本のことを皆から聞かれるだろうと思ったものだ。そこで、実は日本のことを研究し出したのである。私の日本文学の研究の動機の一つは、まったくそこにあったのである。
二十二、三歳の頃――明治十三、四年頃――湯島へ移り、図書館で読書している間に、草双紙を読み、『燕石十種』(六十冊)――これは達磨屋吾一が江戸橋の古本屋で写生して、東紫(後で聞けば関根只誠氏)に贈ったものであった。――を読み、毎日々々通って写本した。その頃石橋思案、幸田成行の諸君と知己になったのである。私は明治二十二年頃、一切の書物から離れてしまったが、それまでには、私の口からこんなことを申すのは口幅広いことのようであるが、浮世草紙の類は、一万巻は読んでいると思う。この頃『一代男』を一円で買ったものであるが、今日でも千円はしている。思えば私は安く学問をしたものである。
黒髪をあだには白くなしはせじ、わがたらちねの撫でたまひしを、という愚詠をしたが、今白髪となって何の功もないことを恥じている。
(大正十四年三月『早稲田文学』二二九号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※「六二連」は第1刷では「二六連」となっていました。
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
2003年5月11日修正
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御存じの通り私の父の椿岳は何んでも好きで、少しずつかじって見る人でありました。で、芸術以外に宗教にも趣味を持って、殊にその内でも空也は若い頃本山から吉阿弥の号を貰って、瓢を叩いては「なアもうだ〳〵」を唱えていた位に帰依していたのでありました。それから後には神官を望んで、白服を着て烏帽子を被った時もありましたが、後にはまた禅は茶味禅味だといって、禅に凝った事もありました。或る時芝の青松寺へ行って、和尚に対面して話の末、禅の大意を聞いたら、火箸をとって火鉢の灰を叩いて、パッと灰を立たせ、和尚は傍の僧と相顧みて微笑んだが、終に父にはその意が分らずにしまったというような話もあります。その頃高崎の大河内子と共に、東海道の旅をした事があって、途中荒れに逢って浜名で橋が半ば流れてしまった。その毀れた橋の上で坐禅を組んだので、大河内子が止めたそうでした。それから南禅寺に行った時にも、山門の上で子にすすめられて坐禅をしたという話でした。ところがこれほど凝った禅も、浅草の淡島堂にいた時分には、天台宗になって、僧籍に身を置くようになりました。しかしてその時「本然」という名を貰ったのでした。父はその名を嫌って余り名乗らなかったのでしたが、印形がありました。これは明治十年頃の事でした。その後今の向島の梵雲庵へ移って「隻手高声」という額を掲げて、また坐禅三昧に日を送っていたのでした。けれども真実の禅ではなく、野狐禅でもありましたろうか。しかし父の雅の上には総て禅味が加わっていた事は確かでした。
私も父の子故、知らず識らず禅や達磨を見聞していましたが、自分はハイカラの方だったので基督教が珍らしくもあったし、日本で禁止されたこの宗教に興味も唆られて、実は意味は分らなかったが、両国の島市という本屋で、金ピカのバイブルを買って来て、高慢な事をいっていたものでした。またその頃駿河台にクレツカという外国人がいまして、その人の所へバイブルの事を聞きに行った事もありました。明治十年頃でもありましたろうか。その後森下町へ移ってから友人にすすめられて、禅を始めて、或る禅師の下に入室した事もありました。とにかく自分も凝り性でしたから、その頃には自室で坐禅三昧に暮したものでした。また心に掛けて語録の類や宗教書を三倉や浅倉で買った事もありました。その宗教書も、菎蒻本や黄表紙を売った時、一緒に売ってしまいました。かく禅以外にもいろいろの宗教をやって見ました。そして常に大精進でしたから、或る時友人と全生庵に坐禅をしに行った帰りに、池の端仲町の蛤鍋へ這入ったが、自分は精進だから菜葉だけで喰べた事がありました。それから当庵に来た時分からまた友人にすすめられて、とうとうクリスチャンになってしまいました。ところがかつて基督教に興味を持ってバイブルを読んでいましたから、外人の牧師とも話が合って、嘱望されてそれらの外人牧師と一緒に廃娼問題を説いた事もありました。こんな具合でしたから高橋の本誓寺という寺の和尚などは、寒月氏が基督信者とはどういうわけだろう、といって不思議にしていましたが、自分のは豊公がイエズス教に入って、それを仲介者として外国の智識を得たように、宗教そのものよりも、それに依って外人の趣味に接しようとして遣るのです。かくして私はクリスチャンだったが、今日ではこういう意味で、どんな宗教にも遊びたいと思っています。いわば宗教を趣味の箱に入れてしまうと同じです。それ故マホメット教もバラモン教も、ジャイナ教もいずれも面白いと思います。私のは宗教を信ずるのでなくって味うのです。ラマヤナという宗教書の中に、ハンマンという猿の神様があって、尻尾へ火を付けてボンベイとセイロンの間を走ったという話がありますが、そのハンマンなどいうものを見聞きする事などが楽しみだったり、面白いので、つまり宗教を通じて外国の趣味を感得したいというのが自分の主義です。されば信ずるものは何かといえば、「眼鏡は眼鏡、茶碗は茶碗」とこの一言で充分でしょう。以上が私の宗教観です。此処に一首あります。
我が心遊ぶはいづこカイラーサ
山また山の奥にありけり
カイラーサというのは、印度神話にある空想の楽園です。
(大正六年十一月『趣味之友』第二十三号) | 底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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川に張り出した道頓堀の盛り場は、仇女の寝くたれ姿のように、たくましい家裏をまざまざと水鏡に照し出している。
太左衛門橋の袂。
舟料理の葭すだれは、まき上げられたままゆうべの歓楽の名残をとどめている。
宗右衛門町の脂粉の色を溶かしたのであろうか、水の上に臙脂を流す美しい朝焼けの空。
だが、宵っ張りの町々は目ぶた重く、まだ眼ざめてはいない。
「朝は宮、昼は料理屋、夜は茶屋……」という大阪の理想である生活与件。そのイの一番に大切な信心の木履の音もしない享楽の街の東雲。
瓦灯が淡くまたたいている。
私は、安井道頓の掘ったこの掘割に目をおとして、なんとなく、
――どおとん。
と、つぶやく。そしてフッと
――秋
というフランスの言葉を連想する。
左様、巴里の空の下をセーヌが流れるように、わが大阪の生活の中を道頓堀川が流れているのだ。
間もなく秋が来る。 | 底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい
1995(平成7)年8月15日初版発行
底本の親本:「安西冬衛全集 4」寶文館出版
1983(昭和58)年
初出:「サンデー毎日」
1952(昭和27)年8月
入力:大久保ゆう
校正:Juki
2016年3月4日作成
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光は東方から
かわらぬ真理の曙に立つて
今、大淀の流れに影を映すわれらの都大大阪。
私は思う。
この水に生きるわれらの姿こそ
かのハドソンの河口に立つ自由の女神の精神に協う
永遠の平和の象徴であることを。
そして又それは告げる。
キユーバの島から砂糖を
カンガルーの国から羊毛を
ともどもに齎し
私たちを繁栄に導く博い愛の道に通うことを。
やがてそれは私たちの内で
燃えあがる一つの力となり
私たちの手で
世界の人々を外から温く包む物を創り出す大きい役目を果すだろう。
水はめぐり水は育む
宇宙は一体で文化は一環だ。
水に生き水に育つわれらの都大大阪の黎明。
私たちのゆくては限りなく洋く
私たちの未来は涯もなく巨きい。 | 底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい
1995(平成7)年8月15日初版発行
底本の親本:「安西冬衛全集 3」寶文館出版
1983(昭和58)年
初出:「大阪新聞」
1948(昭和23)年1月1日
入力:大久保ゆう
校正:Juki
2016年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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中央公会堂の赤煉瓦
緑青色の高裁のドーム
中洲の葉柳をかすめて
とび去る水中翼船の渦巻から
ムツとするような水苔の匂い。
ついさつきまで
ランチ・タイムを愉しんでいた
BGやホワイト・カラー達も
みんな今は引き揚げていつてしまい
あとには
濡れ手で銭勘定の
貸ボート屋ののどかな浮世哲学。
上げ潮にむつかしい家裏をみせた川魚料理の
昼もほのぐらい煤天井に
うららかな水かげろうの文
軒場に張り出した
巣箱のようなエア・コンの上に
かえりそびれた
新聞社の伝書鳩が
ちよこなんと一つ
そろそろ夕刊の
降版の時間だというのに。 | 底本:「ふるさと文学館 第三三巻 【大阪※[#ローマ数字2、1-13-22]】」ぎょうせい
1995(平成7)年8月15日初版発行
底本の親本:「安西冬衛全詩集」思潮社
1966(昭和41)年
入力:大久保ゆう
校正:Juki
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "057436",
"作品名": "水の上",
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あるところに、ちいさい女の子がいました。その子はとてもきれいなかわいらしい子でしたけれども、貧乏だったので、夏のうちははだしであるかなければならず、冬はあつぼったい木のくつをはきました。ですから、その女の子のかわいらしい足の甲は、すっかり赤くなって、いかにもいじらしく見えました。
村のなかほどに、年よりのくつ屋のおかみさんが住んでいました。そのおかみさんはせっせと赤いらしゃの古切れをぬって、ちいさなくつを、一足こしらえてくれていました。このくつはずいぶんかっこうのわるいものでしたが、心のこもった品で、その女の子にやることになっていました。その女の子の名はカレンといいました。
カレンは、おっかさんのお葬式の日に、そのくつをもらって、はじめてそれをはいてみました。赤いくつは、たしかにおとむらいにはふさわしくないものでしたが、ほかに、くつといってなかったので、素足の上にそれをはいて、粗末な棺おけのうしろからついていきました。
そのとき、年とったかっぷくのいいお年よりの奥さまをのせた、古風な大馬車が、そこを通りかかりました。この奥さまは、むすめの様子をみると、かわいそうになって、
「よくめんどうをみてやりとうございます。どうか、この子を下さいませんか。」と、坊さんにこういってみました。
こんなことになったのも、赤いくつのおかげだと、カレンはおもいました。ところが、その奥さまは、これはひどいくつだといって、焼きすてさせてしまいました。そのかわりカレンは、小ざっぱりと、見ぐるしくない着物を着せられて、本を読んだり、物を縫ったりすることを教えられました。人びとは、カレンのことを、かわいらしい女の子だといいました。カレンの鏡は、
「あなたはかわいらしいどころではありません。ほんとうにお美しくっていらっしゃいます。」と、いいました。
あるとき女王さまが、王女さまをつれてこの国をご旅行になりました。人びとは、お城のほうへむれを作ってあつまりました。そのなかに、カレンもまじっていました。王女さまは美しい白い着物を着て、窓のところにあらわれて、みんなにご自分の姿が見えるようになさいました。王女さまはまだわかいので、裳裾もひかず、金の冠もかぶっていませんでしたが、目のさめるような赤いモロッコ革のくつをはいていました。そのくつはたしかにくつ屋のお上さんが、カレンにこしらえてくれたものより、はるかにきれいなきれいなものでした。世界じゅうさがしたって、この赤いくつにくらべられるものがありましょうか。
さて、カレンは堅信礼をうける年頃になりました。新しい着物ができたので、ついでに新しいくつまでこしらえてもらって、はくことになりました。町のお金持のくつ屋が、じぶんの家のしごとべやで、カレンのかわいらしい足の寸法をとりました。そこには、美しいくつだの、ぴかぴか光る長ぐつだのがはいった、大きなガラス張りの箱が並んでいました。そのへやはたいへんきれいでしたが、あのお年よりの奥さまは、よく目が見えなかったので、それをいっこういいともおもいませんでした。いろいろとくつが並んでいるなかに、あの王女さまがはいていたのとそっくりの赤いくつがありました。なんという美しいくつでしたろう。くつ屋さんは、これはある伯爵のお子さんのためにこしらえたのですが、足に合わなかったのですといいました。
「これはきっと、エナメル革だね。まあ、よく光ってること。」と、お年よりはいいました。
「ええ。ほんとうに、よく光っておりますこと。」と、カレンはこたえました。そのくつはカレンの足に合ったので、買うことになりました。けれどもお年よりは、そのくつが赤かったとは知りませんでした。というのは、もし赤いということがわかったなら、カレンがそのくつをはいて、堅信礼を受けに行くことを許さなかったはずでした。でも、カレンは、その赤いくつをはいて、堅信礼をうけにいきました。
たれもかれもが、カレンの足もとに目をつけました。そして、カレンがお寺のしきいをまたいで、唱歌所の入口へ進んでいったとき、墓石の上の古い像が、かたそうなカラーをつけて、長い黒い着物を着たむかしの坊さんや、坊さんの奥さんたちの像までも、じっと目をすえて、カレンの赤いくつを見つめているような気がしました。それからカレンは、坊さんがカレンのあたまの上に手をのせて、神聖な洗礼のことや、神さまとひとつになること、これからは一人前のキリスト信者として身をたもたなければならないことなどを、話してきかせても、自分のくつのことばかり考えていました。やがて、オルガンがおごそかに鳴って、こどもたちは、わかいうつくしい声で、さんび歌をうたいました。唱歌組をさしずする年とった人も、いっしょにうたいました。けれどもカレンは、やはりじぶんの赤いくつのことばかり考えていました。
おひるすぎになって、お年よりの奥さまは、カレンのはいていたくつが赤かった話を、ほうぼうでききました。そこで、そんなことをするのはいやなことで、れいぎにそむいたことだ。これからお寺へいくときは、古くとも、かならず黒いくつをはいていかなくてはならない、と申しわたしました。
その次の日曜は、堅信礼のあと、はじめての聖餐式のある日でした。カレンははじめ黒いくつを見て、それから赤いくつを見ました。――さて、もういちど赤いくつを見なおした上、とうとうそれをはいてしまいました。その日はうららかに晴れていました。カレンとお年よりの奥さまとは、麦畑のなかの小道を通っていきました。そこはかなりほこりっぽい道でした。
お寺の戸口のところに、めずらしいながいひげをはやした年よりの兵隊が、松葉杖にすがって立っていました。そのひげは白いというより赤いほうで、この老兵はほとんど、あたまが地面につかないばかりにおじぎをして、お年よりの奥さまに、どうぞくつのほこりを払わせて下さいとたのみました。そしてカレンも、やはりおなじに、じぶんのちいさい足をさし出しました。
「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。踊るとき、ぴったりと足についていますように。」と、老兵はいって、カレンのくつの底を、手でぴたぴたたたきました。
奥さまは、老兵にお金を恵んで、カレンをつれて、お寺のなかへはいってしまいました。
お寺のなかでは、たれもかれもいっせいに、カレンの赤いくつに目をつけました。そこにならんだのこらずの像も、みんなその赤いくつを見ました。カレンは聖壇の前にひざまずいて、金のさかずきをくちびるにもっていくときも、ただもう自分の赤いくつのことばかり考えていました。赤いくつがさかずきの上にうかんでいるような気がしました。それで、さんび歌をうたうことも忘れていれば、主のお祈をとなえることも忘れていました。
やがて人びとは、お寺から出てきました。そしてお年よりの奥さまは、自分の馬車にのりました。カレンも、つづいて足をもちあげました。すると老兵はまた、
「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。」と、いいました。
すると、ふしぎなことに、いくらそうしまいとしても、カレンはふた足三足、踊の足をふみ出さずにはいられませんでした。するとつづいて足がひとりで、どんどん踊りつづけていきました。カレンはまるでくつのしたいままになっているようでした。カレンはお寺の角のところを、ぐるぐる踊りまわりました。いくらふんばってみても、そうしないわけにはいかなかったのです。そこで御者がおっかけて行って、カレンをつかまえなければなりませんでした。そしてカレンをだきかかえて、馬車のなかへいれましたが、足はあいかわらず踊りつづけていたので、カレンはやさしい奥さまの足を、いやというほどけりつけました。やっとのことで、みんなはカレンのくつをぬがせました。それで、カレンの足は、ようやくおとなしくなりました。
内へかえると、そのくつは、戸棚にしまいこまれてしまいました。けれどもカレンはそのくつが見たくてたまりませんでした。
さて、そのうち、お年よりの奥さまは、たいそう重い病気にかかって、みんなの話によると、もう二どとおき上がれまいということでした。たれかがそのそばについて看病して世話してあげなければなりませんでした。このことは、たれよりもまずカレンがしなければならないつとめでした。けれどもその日は、その町で大舞踏会がひらかれることになっていて、カレンはそれによばれていました。カレンは、もう助からないらしい奥さまを見ました。そして赤いくつをながめました。ながめたところで、べつだんわるいことはあるまいとかんがえました。――すると、こんどは、赤いくつをはきました。それもまあわるいこともないわけでした。――ところが、それをはくと、カレンは舞踏会にいきました。そして踊りだしたのです。
ところで、カレンが右の方へ行こうとすると、くつは左の方へ踊り出しました。段段をのぼって、げんかんへ上がろうとすると、くつはあべこべに段段をおりて、下のほうへ踊り出し、それから往来に来て、町の門から外へ出てしまいました。そのあいだ、カレンは踊りつづけずにはいられませんでした。そして踊りながら、暗い森のなかへずんずんはいっていきました。
すると、上の木立のあいだに、なにか光ったものが見えたので、カレンはそれをお月さまではないかとおもいました。けれども、それは赤いひげをはやしたれいの老兵で、うなずきながら、
「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。」と、いいました。
そこでカレンはびっくりして、赤いくつをぬぎすてようとおもいました。けれどもくつはしっかりとカレンの足にくっついていました。カレンはくつ下を引きちぎりました。しかし、それでもくつはぴったりと、足にくっついていました。そしてカレンは踊りました。畑の上だろうが、原っぱの中だろうが、雨が降ろうが、日が照ろうが、よるといわず、ひるといわず、いやでもおうでも、踊って踊って踊りつづけなければなりませんでした。けれども、よるなどは、ずいぶん、こわい思いをしました。
カレンはがらんとした墓地のなかへ、踊りながらはいっていきました。そこでは死んだ人は踊りませんでした。なにかもっとおもしろいことを、死んだ人たちは知っていたのです。カレンは、にがよもぎが生えている、貧乏人のお墓に、腰をかけようとしました。けれどカレンは、おちつくこともできなければ、休むこともできませんでした。そしてカレンは、戸のあいているお寺の入口のほうへと踊りながらいったとき、ひとりの天使がそこに立っているのをみました。その天使は白い長い着物を着て、肩から足までもとどくつばさをはやしていて、顔付きはまじめに、いかめしく、手にははばの広いぴかぴか光る剣を持っていました。
「いつまでも、お前は踊らなくてはならぬ。」と、天使はいいました。「赤いくつをはいて、踊っておれ。お前が青じろくなって冷たくなるまで、お前のからだがしなびきって、骸骨になってしまうまで踊っておれ。お前はこうまんな、いばったこどもらが住んでいる家を一軒、一軒と踊りまわらねばならん。それはこどもらがお前の居ることを知って、きみわるがるように、お前はその家の戸を叩かなくてはならないのだ。それ、お前は踊らなくてはならんぞ。踊るのだぞ――。」
「かんにんしてください。」と、カレンはさけびました。
けれども、そのまに、くつがどんどん門のところから、往来や小道を通って、畑の方へ動き出していってしまったものですから、カレンは、天使がなんと返事をしたか、聞くことができませんでした。そして、あくまで踊って踊っていなければなりませんでした。
ある朝、カレンはよく見おぼえている、一軒の家の門ぐちを踊りながら通りすぎました。するとうちのなかでさんび歌をうたうのが聞こえて、花で飾られたひつぎが、中からはこび出されました。それで、カレンは、じぶんをかわいがってくれたお年よりの奥さまがなくなったことを知りました。そして、じぶんがみんなからすてられて、神さまの天使からはのろいをうけていることを、しみじみおもいました。
カレンはそれでもやはり踊りました。いやおうなしに踊りました。まっくらな闇の夜も踊っていなければなりませんでした。くつはカレンを、いばらも切株の上も、かまわず引っぱりまわしましたので、カレンはからだや手足をひっかかれて、血を出してしまいました。カレンはとうとうあれ野を横ぎって、そこにぽつんとひとつ立っている、小さな家のほうへ踊っていきました。その家には首切役人が住んでいることを、カレンは知っていました。そこで、カレンはまどのガラス板を指でたたいて、
「出て来て下さい。――出て来て下さい。――踊っていなければならないので、わたしは中へはいることはできないのです。」と、いいました。
すると、首切役人はいいました。
「お前は、たぶんわたしがなんであるか、知らないのだろう。わたしは、おのでわるい人間の首を切りおとす役人だ。そら、わたしのおのは、あんなに鳴っているではないか。」
「わたし、首を切ってしまってはいやですよ。」と、カレンはいいました。「そうすると、わたしは罪を悔い改めることができなくなりますからね。けれども、この赤いくつといっしょに、わたしの足を切ってしまってくださいな。」
そこでカレンは、すっかり罪をざんげしました。すると首斬役人は、赤いくつをはいたカレンの足を切ってしまいました。でもくつはちいさな足といっしょに、畑を越えて奥ぶかい森のなかへ踊っていってしまいました。
それから、首切役人は、松葉杖といっしょに、一ついの木のつぎ足を、カレンのためにこしらえてやって、罪人がいつもうたうさんび歌を、カレンにおしえました。そこで、カレンは、おのをつかった役人の手にせっぷんすると、あれ野を横ぎって、そこを出ていきました.
(さあ、わたしは十分、赤いくつのおかげで、苦しみを受けてしまったわ。これからみなさんに見てもらうように、お寺へいってみましょう。)
こうカレンはこころにおもって、お寺の入口のほうへいそぎましたが、そこにいきついたとき、赤いくつが目の前でおどっていました。カレンは、びっくりして引っ返してしまいました。
まる一週間というもの、カレンは悲しくて、悲しくて、いじらしい涙を流して、なんどもなんども泣きつづけました。けれども日曜日になったとき、
(こんどこそわたしは、ずいぶん苦しみもしたし、たたかいもしてきました。もうわたしもお寺にすわって、あたまをたかく上げて、すこしも恥じるところのない人たちと、おなじぐらいただしい人になったとおもうわ。)
こうおもいおもい、カレンは勇気を出していってみました。けれども墓地の門にもまだはいらないうちに、カレンはじぶんの目の前を踊っていく赤いくつを見たので、つくづくこわくなって、心のそこからしみじみ悔いをかんじました。
そこでカレンは、坊さんのうちにいって、どうぞ女中に使って下さいとたのみました。そして、なまけずにいっしょうけんめい、はたらけるだけはたらきますといいました。お給金などはいただこうとおもいません。ただ、心のただしい人びととひとつ屋根の下でくらさせていただきたいのです。こういうので、坊さんの奥さまは、カレンをかわいそうにおもってつかうことにしました。そしてカレンはたいそうよく働いて、考えぶかくもなりました。夕方になって、坊さんが高い声で聖書をよみますと、カレンはしずかにすわって、じっと耳をかたむけていました。こどもたちは、みんなとてもカレンが好きでした。けれども、こどもたちが着物や、身のまわりのことや、王さまのように美しくなりたいなどといいあっているとき、カレンは、ただ首を横にふっていました。
次の日曜日に、人びとはうちつれてお寺にいきました。そして、カレンも、いっしょにいかないかとさそわれました。けれどもカレンは、目にいっぱい涙をためて、悲しそうに松葉杖をじっとみつめていました。そこで、人びとは神さまのお声をきくために出かけましたが、カレンは、ひとりかなしく自分のせまいへやにはいっていきました。そのへやは、カレンのベットと一脚のいすとが、やっとはいるだけの広さしかありませんでした。そこにカレンは、さんび歌の本を持っていすにすわりました。そして信心ぶかい心もちで、それを読んでいますと、風につれて、お寺でひくオルガンの音が聞こえてきました。カレンは涙でぬれた顔をあげて、
「ああ、神さま、わたくしをお救いくださいまし。」と、いいました。
そのとき、お日さまはいかにもうららかにかがやきわたりました。そしてカレンがあの晩お寺の戸口のところで見た天使とおなじ天使が、白い着物を着て、カレンの目の前に立ちました。けれどもこんどは鋭い剣のかわりに、ばらの花のいっぱいさいたみごとな緑の枝を持っていました。天使がそれで天井にさわりますと、天井は高く高く上へのぼって行って、さわられたところは、どこものこらず金の星がきらきらかがやきだしました。天使はつぎにぐるりの壁にさわりました。すると壁はだんだん大きく大きくよこにひろがっていきました。そしてカレンの目に、鳴っているオルガンがみえました。むかしの坊さんたちやその奥さまたちの古い像も見えました。信者のひとたちは、飾りたてたいすについて、さんび歌の本を見てうたっていました。お寺ごとそっくり、このせまいへやのなかにいるかわいそうな女の子のところへ動いて来たのでございます。それとも、カレンのへやが、そのままお寺へもっていかれたのでしょうか。――カレンは、坊さんのうちの人たちといっしょの席についていました。そしてちょうどさんび歌をうたいおわって顔をあげたとき、この人たちはうなずいて、
「カレン、よくまあ、ここへきましたね。」といいました。
「これも神さまのお恵みでございます。」とカレンはいいました。
そこで、オルガンは、鳴りわたり、こどもたちの合唱の声は、やさしく、かわいらしくひびきました。うららかなお日さまの光が、窓からあたたかく流れこんで、カレンのすわっているお寺のいすを照らしました。けれどもカレンのこころはあんまりお日さまの光であふれて、たいらぎとよろこびであふれて、そのためはりさけてしまいました。カレンのたましいは、お日さまの光にのって、神さまの所へとんでいきました。そしてもうそこではたれもあの赤いくつのことをたずねるものはありませんでした。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年6月3日作成
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ポルトガルから、一羽のアヒルがやってきました。もっとも、スペインからきたんだ、という人もありましたがね。でも、そんなことは、どっちでもいいのです。ともかく、そのアヒルは、ポルトガル種と呼ばれました。卵を生みましたが、やがて殺されて、料理されました。これが、そのアヒルの一生でした。
その卵から生れてきたものは、みんな、ポルトガル種と呼ばれました。ポルトガル種と言われるだけで、もうかなり重要なことなのです。
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「あのけたたましい鳴き声を聞くと、気分がわるくなってしまうわ」と、ポルトガル種の奥さんは言いました。「でも、見たところはきれいね。それは、うそとはいえないわ。アヒルじゃないけどもさ。もうすこし、自分をおさえりゃいいのに。だけど、自分をおさえるってことは、むずかしいことだから、高い教養がなくちゃできないわ。
でも、おとなりの庭の、ボダイジュにとまっている、歌うたいの小鳥さんたちには、それがあるわ。あのかわいらしい歌いかたといったら! あの歌の中には、なにかしら、しみじみとした調子があるわ。あれこそ、ポルトガル調よ! ああいう歌をうたう小鳥が、一羽でも、わたしの子供になってくれたら、わたしはやさしい、親切なおかあさんになってやるわ。だって、そういう性質は、わたしの血の中に、このポルトガル種の血の中にあるんですもの」
こんなふうに、ポルトガル奥さんが、おしゃべりをしていると、その歌をうたう小鳥が落ちてきました。小鳥は、屋根の上から、まっさかさまに落ちてきました。ネコに、うしろからおそわれたのです。でも、羽を一枚折られただけで、逃げだすことができたのです。そうして、このアヒルの庭の中へ、落ちてきたのでした。
「そりゃあ、あのならず者の、ネコらしいやりかただよ」と、ポルトガル奥さんは言いました。「あいつは、わたしの子どもたちが生きていたときから、ああいうふうなんだよ。あんなやつが、大きな顔をして、屋根の上を歩きまわっていられるんだからねえ! ポルトガルなら、こんなことはないと思うわ」
そして、その歌うたいの小鳥を、かわいそうに思いました。ポルトガル種でない、ほかのアヒルたちも、同じようにかわいそうに思いました。
「かわいそうにねえ」と、ほかのアヒルたちが、あとからあとからやってきては、言いました。
「わたしたちは、自分で歌をうたうことはできないけれど」と、みんなは言いました。「でも、からだの中に、歌の下地というようなものを持っているわ。わたしたちは、それを口に出して言いはしないけど、みんなそう感じてはいるのよ」
「それじゃ、わたしが言いましょう」と、ポルトガル奥さんは言いました。「わたしはね、この小鳥のために、なにかしてやりたいんですよ。それが、わたしたちの義務なんですもの」
こう言うと、ポルトガル奥さんは、水桶の中にはいって、水をピシャピシャはねかしました。おかげで、歌をうたう小鳥は、頭から水をかぶって、もうすこしで、おぼれそうになりました。けれども、それは、親切な気持からしたことでした。
「これは、親切な行いというものよ」と、ポルトガル奥さんは言いました。「ほかのかたも、まねをなさるといいわ」
「ピー、ピー」と、小鳥は鳴きました。羽根が一枚折れているので、からだを、ぶるっとふるわすことはできませんでした。でも、親切な気持から、水をかけられたのだということは、よくわかりました。「奥さんは、ほんとにおやさしいかたですね」と、小鳥は言いましたが、もう、水をあびるのは、たくさんでした。
「わたしは、自分の気持なんて、考えてみたこともないわ」と、ポルトガル奥さんは言いました。「だけど、わたしは、どんな生き物をも愛しているわ。それは、自分でもよく知っていてよ。でも、ネコだけはべつ。わたしに、ネコを愛せと言ったって、それはだめだわ。だって、あいつは、わたしの家族のものを、二羽も食べてしまったんですもの。
ところで、おまえさん、自分の家にいるつもりで、らくになさいね。すぐ、なれるわよ。わたし自身は、外国生れなのよ。そりゃあ、おまえさんだって、わたしの身のこなしや、羽のぐあいを見れば、おわかりだろうけどね。わたしの夫は、ここの土地のもので、わたしと同じ血すじじゃないの。だからといって、わたしは、いばったりはしないけど。――もし、ここで、おまえさんの気持をわかってくれるものがあるとしたら、それは、わたしのほかにはいないことよ」
「あの奥さんの頭の中には、ほら吹き貝がはいってるのさ!」と、ふつうの、若いアヒルが言いました。このアヒルは、とんち者だったのです。ほかの、ふつうのアヒルたちは、「ほら吹き貝」という音が、「ポルトガル」に似ているので、それを、たいそうおもしろがりました。そこで、みんなは、押しっこをして、ガー、ガー、このひとは、ほんとにとんちがあるよ、と言いました。それからは、みんなは、歌をうたう小鳥と、仲よしになりました。
「ポルトガル奥さんは、まったく話がうまいんだよ」と、みんなは言いました。「わたしたちのくちばしには、大げさな言葉はないけども、同情する気持においては、負けやしないよ。わたしたちは、あんたのために、なんにもしていないときは、だまっていることにしているんだよ。それが、いちばんいいことだと、わたしたちは思っているんだもの」
「おまえさんは、いい声をしておいでだね」と、みんなの中で、いちばん年とったアヒルが言いました。「おまえさんのように、ずいぶん大ぜいのひとたちを、よろこばせていたら、さぞかし、自分も楽しいだろうね。わたしにゃ、そんなことは、とってもできないよ。だから、わたしは、だまっているのさ。ほかのものが、ばかばかしいことを、おまえさんに言ってきかせるよりは、そのほうが、よっぽどましさ」
「その子を、いじめないでちょうだい」と、ポルトガル奥さんが言いました。「休ませて、看護してやらなくちゃならないのよ。ねえ、歌をうたう小鳥さん、もう一度水をあびせてあげましょうか?」
「いえ、いえ、それよりも、どうか、かわくようにさせてください!」と、小鳥はたのみました。
「水あびする、なおしかただけが、わたしにはきくんだけどね」と、ポルトガル奥さんは言いました。「気ばらしも、いいものよ。もうすぐ、おとなりのニワトリさんたちが、お客に来るわ。その中には、回教どれいとおつきあいしていた、中国のメンドリさんも、二羽いるわ。あのひとたちは、たいそう教育もあるし、それに、よその国からきたひとたちだから、つい、わたしは、尊敬したくなってしまうのよ」
やがて、そのメンドリたちが、やってきました。オンドリも、やってきました。オンドリは、きょうは、失礼なふるまいをしないように、たいそうぎょうぎよくしていました。
「きみは、ほんものの歌をうたう小鳥だね」と、オンドリは言いました。「そしてきみは、そのかわいらしい声で、そのかわいらしい声にふさわしいことを、なんでもやっているんだね。しかし、男性であることを、ひとに聞いてもらうのには、もっと機関車のような力を、持たなくちゃだめだね」
二羽の中国のニワトリは、歌うたいの小鳥をひとめ見ると、すっかり夢中になってしまいました。小鳥は、水をあびたために、羽がくしゃくしゃになっていました。そのようすが、なんとなく、中国のひよこに似ているように思われました。
「まあ、かわいらしいこと!」と、ニワトリたちは言って、小鳥と仲よしになりました。そして、ひそひそ声で、上流の中国人たちの話す言葉をつかって、チーチーおしゃべりをはじめました。
「わたしたちは、あなたとおんなじ種類なのよ。あのポルトガル奥さんにしたってそうだけど、アヒルさんたちは、みんな水鳥なのよ。あなただって、もう気がついているでしょう。わたしたちのことは、あなたは、まだ知らないわね。もっとも、わたしたちのことを知ってるものが、いったい、どのくらいあるでしょう! そうでなくても、知ろうとつとめるものが、どのくらいあるでしょう! ひとりも、いやしないわ。メンドリたちの中にだって、そんなひとはいないわ。わたしたちは、たいていのニワトリよりも、高い横木にとまるように、生れついているんだけどねえ。――
そんなことは、どっちだっていいわ。わたしたちは、ほかのひとたちのあいだにまじって、自分たちの静かな道を進んで行くのよ。ほかのひとたちは、わたしたちとは、考えがちがうわ。だけど、わたしたちは、いいほうばかりを見て、いいことだけを話しあうようにしているの。そうは言っても、なんにもないところに、なにかを見つけることは、できっこないけどね。
わたしたち二羽と、オンドリさんのほかには、才能があって、しかも正直なひとなんて、わたしたちのトリ小屋には、だれもいなくってよ! このアヒルの庭には、そんなひとは、ひとりもいやしないわ。
ねえ、歌うたいの小鳥さん。あなたに忠告しておくけど、あそこにいる、しっぽなしさんを信用しちゃいけないわよ。あのひとったら、ずるいんだから。それから、あそこの、羽に、ゆがんだ点々のある、まだらさんはね、ものすごいりくつやで、おまけに負けん気なのよ。それでいて、言うことは、いつもまちがいだらけだわ。――
あのでぶっちょのアヒルさんは、なんについてもわるく言うのよ。わたしたちの性質は、そういうのとはまるっきり反対よ。いいことが言えないんなら、だまっているべきだと思うわ。ポルトガル奥さんだけがすこしは教養もあって、つきあってもいいひとなのよ。だけど、あのひとは、すぐにかっとなりやすいし、それに、ポルトガルのことばっかし話しているんですもの」
「あの中国のニワトリさんたちは、ずいぶんひそひそ話をしているねえ」と、アヒルの夫婦が言いました。「まったく、うんざりするよ。わたしたちなんか、あのひとたちと、まだ一度も話したことはないけど」
そこへ、おすのアヒルが、やってきました。そして、歌をうたう小鳥を見ると、スズメだと思いこんでしまいました。
「うん、区別ができんね」と、おすのアヒルは言いました。「とにかく、どっちにしても、おんなじことさ。つまりは、おもちゃみたいなものだよ。そして、おもちゃは、やっぱり、おもちゃなのさ」
「あのひとの言うことなんか、気にしないでいらっしゃい!」と、ポルトガル奥さんがささやきました。「あれで、仕事にかけちゃ、なかなか感心なひとなのよ。なにしろ、仕事をいちばんだいじにしているんだからね。さてと、わたしは、ひと休みするとしよう。わたしたちは、まるまるふとらなくちゃならないんだからね。そうすりゃ、死んでからリンゴとスモモをつめて、ミイラにしてもらえるのよ」
こう言うと、ポルトガル奥さんは、日なたに寝ころんで、かたほうの目をパチパチやりました。寝ごこちはたいへんよく、気分もたいへんよく、そのうえ、たいへんよく眠れました。歌をうたう小鳥は、折れたつばさをそろえると、自分をまもってくれる、奥さんのそばにすりよって、寝ました。お日さまは、暖かく、キラキラとかがやいていました。そこは、ほんとうにすてきな場所でした。
おとなりのニワトリたちは、そのへんを歩きまわっては、地面をひっかいていました。このニワトリたちは、ほんとうは、ただえさがほしくて、ここへやってきていたのです。そのうちに、中国のニワトリが、まず出ていき、つづいて、ほかのニワトリたちも出ていきました。あのとんち者の、若いアヒルは、ポルトガル奥さんのことを、あのおばあさんは、もうすぐ、また「アヒルっ子」になるぜ、と言いました。すると、ほかのアヒルたちが、おもしろがって、ガー、ガー、さわぎたてました。
「アヒルっ子か! あいつは、まったくとんち者だよ」
それから、みんなは、また前のじょうだんの、「ほら吹き貝」をくりかえしました。そのようすは、ほんとにおもしろそうでした。それから、アヒルたちは、寝ころがりました。
みんなは、しばらくのあいだ、じっとしていました。と、とつぜん、なにか食べ物が、アヒルの庭に投げこまれました。バチャッ、と音がしました。すると、いままで眠っていた連中が、みんないっせいにはね起きて、羽をバタバタやりました。ポルトガル奥さんも、目をさまして、ころげまわりました。そのひょうしに、歌をうたう小鳥のからだを、いやというほど、ふみつけました。
「ピー、ピー!」と、小鳥は鳴きました。「いたいじゃありませんか、奥さん」
「なんだって、通り道なんかに、寝ているのさ!」と、奥さんは言いました。「そんなに神経質じゃだめだよ! わたしだって、神経はあるよ。でも、わたしは、一度だってピーなんて鳴いたことはないよ」
「おこらないでください」と、小鳥は言いました。「ピーって、つい、くちばしから出ちゃったんです」
ポルトガル奥さんは、もう、そんなことは聞いてもいませんでした。いそいで食べ物のほうへかけて行って、おいしいごちそうをひろいました。奥さんが食べおわって、また横になったとき、歌うたいの小鳥がそばへやってきました。そして、かわいらしいと言われるように、いっしょうけんめい歌をうたいました。
ピー ピー ピー!
あなたの心のやさしさを、
大空高く飛びながら、
いつもわたしはうたいます。
「わたしはね、これから、食後のひと休みをするところなんだよ」と、奥さんは言いました。「おまえも、ここの習慣をおぼえなけりゃいけないよ。さあ、わたしは、ひと眠りしよう」
歌うたいの小鳥は、すっかりびっくりしてしまいました。だって、自分では、すごくいいことをしたつもりでいたんですもの。しばらくして、奥さんが目をさますと、小鳥は、自分で見つけてきた、小さなムギのつぶをくわえて、立っています。そして、それを、奥さんの前に置きました。ところが、奥さんは、まだたっぷり、寝ていなかったものですから、気分がいらいらしていました。
「そんなものは、ひよっこにでも、やったらいいじゃないの」と、奥さんは言いました。「そんなところにつっ立って、わたしのじゃまをしないでおくれ」
「奥さんは、ぼくをおこっているんですね」と、小鳥は言いました。「ぼく、なにかしたんでしょうか?」
「したって!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「そういう言いかたは、じょうひんじゃないよ。気をつけるんだね」
「きのうは、ここには、お日さまが照っていたのに」と、小鳥が言いました。「きょうは、灰色にくもっている。ぼくは、悲しくてたまんない」
「おまえは、時のかぞえかたも知らないんだね」と、ポルトガル奥さんは言いました。「まだ、一日たっちゃいないんだよ。そんなまぬけな顔をして、つっ立ってるもんじゃないよ」
「奥さんが、そんなにおこって、こわい目つきで、ぼくをにらむところは、ぼくがこの庭の中へ落っこちたときに、にらんだ目つきにそっくりですよ」
「はじ知らず!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「おまえは、このわたしを、あのけだもののネコとくらべる気かい! わたしのからだの中にはね、わるい血なんか、一てきも、ありゃしないんだよ。わたしは、おまえをひきとったんだから、おぎょうぎも、ちゃんと教えてやらなくちゃならないんだよ」
こう言うと、奥さんは、小鳥の頭をつっつきました。小鳥はたおれて、死んでしまいました。
「おやまあ、どうしたんだろう!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「これっぱかしのことで、死んでしまうなんて! ほんとに、こんなことじゃ、この世の中には、むかないわね。わたしは、この小鳥にとっては、母親のようなものだった。それは、わたしも知っているわ。だって、わたしには、こころというものがあるんですもの」
そのとき、おとなりのオンドリが、アヒルの庭の中に頭をつっこんで、機関車のような力で鳴きました。
「あなたの、その鳴き声を聞くと、命がちぢまるような思いがしますよ」と、ポルトガル奥さんは言いました。
「こんなことになったのも、みんな、あなたのせいなんですよ。この子は、気をうしなってしまったんです。わたしだって、もうすこしで、そうなりそうでしたよ」
「そんなのがたおれたって、たいして場所を取りはしないさ」と、オンドリは言いました。
「もっと、ていねいな言いかたをしてください」と、ポルトガル奥さんは言いました。「この子は、声を持っていました! 歌を持っていました! 高い教養も、持っていました! そして、やさしくって、かわいらしい子でしたよ。こういうことは、動物にも、人間と呼ばれるものにも、ふさわしいことですわ」
まもなく、アヒルたちが、一羽のこらず死んだ小鳥のまわりに、集まってきました。アヒルたちは、はげしい情熱を持っています。いつも、ねたみか、同情かの、どちらかを、持っているのです。今、ここには、べつに、ねたむようなことは何もありませんので、みんなは、同情の気持をいだきました。あの、二羽の中国のニワトリたちも、やっぱりそうでした。
「こんなかわいい歌うたいの鳥は、もう二度と、わたしたちの仲間になることはないわ。この子は、まるで、中国のニワトリのようだったわ」
こう言って、二羽とも、泣きました。そして、クックッと言いました。すると、ほかのニワトリたちも、みんな、クックッと言いました。けれども、アヒルたちは、目をまっかにして、歩きまわっていました。
「わたしたちは、こころを持っている」と、みんなは言いました。「それは、だれも、うそだとは言えない」
「こころ!」と、ポルトガル奥さんは言いました。「そうよ、わたしたちは、こころを持っているわ。――ちょうど、ポルトガルで持っているのと、同じくらいに」
「さあ、なにか食べ物でもひろうことを、考えようじゃないか」と、おすのアヒルが言いました。「そのほうが、ずっとだいじだからな。おもちゃの一つぐらい、こわれたって、そんなものは、まだいくらでもあるさ」 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年2月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "060069",
"作品名": "アヒルの庭で",
"作品名読み": "アヒルのにわで",
"ソート用読み": "あひるのにわて",
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"分類番号": "NDC K949",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2021-03-20T00:00:00",
"最終更新日": "2021-02-26T00:00:00",
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"名": "ハンス・クリスチャン",
"姓読み": "アンデルセン",
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"姓読みソート用": "あんてるせん",
"名読みソート用": "はんすくりすちやん",
"姓ローマ字": "Andersen",
"名ローマ字": "Hans Christian",
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"生年月日": "1805-04-02",
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"底本名1": "人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ",
"底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社",
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アンネ・リスベットは、まるで、ミルクと血のようです。若くて、元気で、美しい娘です。歯はまっ白に、ピカピカ光り、目はすみきっています。足は、ダンスをしているように、軽々としています。気持は、それよりももっと軽くて、陽気です。
で、このアンネ・リスベットは、どうなったでしょうか。赤ん坊の、おかあさんになりました。「みにくい赤ん坊」のおかあさんに。――そうです。赤ん坊は、きれいな子ではありませんでした。その子は、生れるとすぐ、みぞほり人夫の、おかみさんのところに、あずけられてしまいました。
おかあさんのアンネ・リスベットは、伯爵さまのお屋敷に、働きに行きました。アンネ・リスベットは、絹とビロードの着物を着て、りっぱな部屋の中に、すわっていました。アンネ・リスベットのところには、すきま風一つ、吹きこんではきませんでした。だれも、アンネ・リスベットに、らんぼうな言葉をかけてはなりませんでした。そんなことをすれば、アンネ・リスベットのからだに、さわるかもしれませんから。なにしろ、アンネ・リスベットは、伯爵さまの、赤ちゃんの、うばなのですから。
赤ちゃんは、王子のようにじょうひんで、天使のようにきれいでした。アンネ・リスベットは、この赤ちゃんを、心から、かわいがりました。ところが、自分の赤ん坊は、みぞほり人夫の家にいました。この家では、おなべがにたって、ふきこぼれるようなことは、ありませんでした。けれども、赤ん坊の口だけは、しょっちゅうあわをふきこぼしていました。
この家には、たいていのとき、だれもいませんでした。赤ん坊が泣きわめいても、それを聞きつけて、あやしてやろうとする者がいないのです。赤ん坊のほうは、泣いているうちに、いつのまにか、寝いってしまいます。眠ってさえいれば、そのあいだは、おなかがへっていることも、のどがかわいていることも、感じないものです。ほんとうに、眠りというものは、すばらしい発明ですよ。
それから、何年もたちました。時がたてば、草ものびる、と、よく言われますが、アンネ・リスベットの子供も、そのとおり、すくすくと大きくなりました。もっとも、あの子は、どうも、発育がよくない、と、人々は言いましたが。
さて、その子は、おかあさんがお金をやってあずけた、みぞほり人夫の家の人間に、すっかりなりきっていました。おかあさんのほうは、子供とは、まったく、えんがなくなってしまいました。町の奥さんになって、気持のよい、楽しい暮しをしていたのです。よそへ出かけるときには、ちゃんと、帽子をかぶって行ったものです。しかし、みぞほり人夫の家には、一度も行ったことがありませんでした。なぜって、その家は、町からたいへん離れていたからです。それに、用事もありませんからね。
男の子は、みぞほり人夫の家の、家族のひとりになっていました。うちの人たちは、
「この子は、がつがつ食うなあ」と、言っていました。
そこで、食べるものぐらい、自分で働いて、かせがなければなりません。こうして、男の子は、マッス・イェンセンさんの、赤いウシのせわをすることになりました。じっさい、もうこんなふうに、家畜のせわをして、手伝いをすることができるほどになっていたのです。
伯爵のお屋敷の布さらし場では、くさりにつながれたイヌが、イヌ小屋の上に、えらそうにすわりこんで、お日さまの光をあびています。だれかが、そばを通りかかると、きまって、ワンワンほえたてます。雨の日には、このイヌは、自分の小屋の中にもぐりこんで、一しずくの雨にもぬれずに、暖かにしています。
いっぽう、アンネ・リスベットの子供も、お日さまの光をあびながら、みぞのふちにすわって、くいをけずっています。春のころ、花の咲いている野イチゴのかぶを、三つばかり見つけました。そのときは、きっと今に実がなるぞ、と思って、楽しみにしたものです。ところが、実は一つもなりませんでした。霧雨がふってきました。雨の中にすわっていると、びしょぬれになってしまいました。けれども、まもなく、強い風が吹いてきました。ぬれて、からだにくっついている着物を、かわかしてくれました。
男の子は、お屋敷へ行くと、みんなに、つつかれたり、ぶたれたりしました。
「なんてきたない子だ。いやらしい子だ」と、下女も、下男も、言うのです。
でも、この子は、そういうことには、なれっこになっていました。かわいそうに、だれにも、かわいがられたことはないのです。
さて、それから、アンネ・リスベットの男の子は、どうなったでしょうか。ほかに、どうなるはずもありません。「だれにも、かわいがられたことはない」これが、この子の運命だったのです。
この子は、陸から船に乗りうつって、海に出ました。といっても、ちっぽけな船です。男の子は、船頭がお酒を飲んでいるあいだ、かじのところにすわっていました。いつも、きたならしい、よごれたかっこうをしていました。それに、寒そうに、ぶるぶるふるえていて、がつがつしていました。そのようすを見れば、だれでも、この子は、腹いっぱい、食べたことがないんだろう、と、思いそうです。いや、ほんとうに、そのとおりだったのです。
秋のおわりのことでした。風が吹きだして、雨もまじりはじめました。荒れもようの天気になってきました。
つめたい風が、あつい着物をとおして、はだまでしみ入りました。ことに、海の上ではそうです。いま、その海の上を、小さな帆かけ船が一そう、走っていました。船には、ふたりの人間しか、乗っていません。いや、もっと正しく言えば、ひとりと、はんぶんです。というのは、乗っていたのは、船頭と、小僧でしたから。
この日は一日じゅう、うす暗い天気でした。それが今は、ますます暗くなって、寒さも身を切るようでした。
船頭は、からだの底から、暖まろうと思って、ブランデーを飲みました。ブランデーのびんは、古いものでした。コップも、古いものでした。コップは、上のほうはなんでもありませんでしたが、足が折れていました。それで、木をけずって、青くぬったのを、足のかわりにしていました。一ぱいのブランデーでも、よくきくんだから、二はい飲めば、もっと、よくきくだろう、と、船頭は思いました。
小僧は、かじのところにすわっていました。タールでよごれた、かじかんだ手で、かじにしがみついていました。それにしても、みにくい小僧です。かみの毛はぼうぼう、からだは、ずんぐりむっくりです。この小僧は、いうまでもなく、みぞほり人夫の子供でした。教会の名簿では、アンネ・リスベットの子供となっていましたが。
風は、ヒューヒュー吹きまくり、小船は、波にもまれました。帆は、風を受けてふくれました。船は、飛ぶように走っていきました。――まわりは、はげしい雨と風です。けれども、それだけではすみませんでした。――ストップ。――なんでしょう? なにが、ぶつかったんでしょう? なにが、くだけちったんでしょう? なにが、船の中に、なだれこんできたんでしょう?
船は、くるくると、まわっています。大雨が、ザアッと降ってきたんでしょうか? それとも、大波が、もりあがってきたんでしょうか?
少年は、かじのところで、大声にさけびました。
「イエスさま!」
船は、海の底にある大きな岩に、ぶつかったのです。そして、村の沼にしずんでいる、古靴みたいに、海の底にしずんでしまいました。世間でよく言うように、人間はもちろん、ネズミ一ぴき、生きのこりませんでした。船には、たくさんのネズミのほかに、人間もひとり半、つまり、船頭と、みぞほり人夫の子供がいたのですが。
船のしずんでいくありさまを見ていたのは、ただ、鳴きさけぶカモメと、水の中の、さかなたちだけでした。けれども、そのカモメやさかなたちも、ほんとうは、よくは見ていなかったのです。なぜって、みんなは、水がどっと、船の中に流れこんで、船がしずんだとき、びっくりして、わきへ逃げてしまったのですから。
船は、水面からたった二メートルぐらいのところに、しずみました。ふたりは、海の底にほうむられました。ほうむられて、忘れられました。ただ、コップだけは、しずみませんでした。青くぬった、木の足のおかげで、ぷかり、ぷかりと、波のまにまに、浮んでいたのです。やがて、波にはこばれて、海岸に打ちあげられると、くだけてしまいました。
いったい、どこにでしょう? そして、いつのことでしょう?
いや、いや、その話は、もう、やめにしましょう。そのコップは、コップとしての、役目もりっぱにはたし、人にかわいがられてもきたのですから。
しかし、アンネ・リスベットの子供は、そういうわけにはいきませんでした。けれども、天国では、どんな魂も、「だれにも、かわいがられることはない」などとは、言われないでしょう。
アンネ・リスベットは、それからも、町に住んでいました。もう、なん年も住んでいます。人からは、奥さんと、呼ばれていました。奥さんは、むかし、伯爵の家で、働いていたころのことを思い出しては、よく、人に話しました。そういうときには、とくべつに、ぐっと、胸をはったものでした。よそへ馬車で出かけたり、伯爵の奥さまや、男爵の奥さまがたと、話をしたことを、うれしそうに話しました。
あの、かわいらしい、伯爵のぼっちゃまは、それはそれは愛らしくて、神さまの天使のようでした。この上もなく心のやさしい子供でした。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットに、とてもなついていました。アンネ・リスベットも、ぼっちゃまが大好きでした。ふたりは、キスをしたり、ふざけあったりしました。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットにとっては、大きなよろこびでした。自分の命のつぎに、だいじなものでした。
そのぼっちゃまも、今は大きくなって、十四歳になっています。勉強もよくできる、美しい少年です。
アンネ・リスベットは、赤ちゃんのときに、だいてあげてから、ぼっちゃまには、一度も、会ったことがありませんでした。それもそのはず、伯爵のお屋敷へは、もう何年も、行ったことがなかったのです。お屋敷へ行くのには、かなりの旅行をしなければならなかったのです。
「一度、思いきって行ってこよう」と、アンネ・リスベットは、言いました。「すてきな、わたしのかわいい、ぼっちゃまのところへ、すぐ行ってこよう。きっと、ぼっちゃまも、わたしのことをこいしがって、心にかけていてくださるにちがいないわ。むかしは、天使のような、小さな腕を、わたしの首にまきつけて、『アン・リス』とおっしゃったものだわ。そうそう、あのころは、バイオリンのような、声をしていらっしゃったわ。そうだわ、思いきって、お目にかかりに行ってこよう」
アンネ・リスベットは、しばらく、ウシ車に乗せていってもらいました。それからは、自分の足で歩いて、伯爵のお屋敷にきました。大きなお屋敷は、むかしのままで、光りかがやいています。おもてのお庭も、むかしのとおりです。
けれども、家の中にいる人たちは、アンネ・リスベットの見たこともない人ばかりです。むこうでも、だれひとり、アンネ・リスベットを知っている者はありません。もちろん、アンネ・リスベットが、むかし、うばとして、このお屋敷でたいせつな人だった、ということなどは、夢にも知りません。
「いいわ。もうすぐ奥さまが、わたしのことを、みんなに話してくださるわ。ぼっちゃまだって、きっと。ああ、早く、ぼっちゃまにお目にかかりたい」と、アンネ・リスベットは思いました。
とうとう、アンネ・リスベットは、このお屋敷にきたのです。でも、長いこと、待たなければなりませんでした。その、待っているあいだが、どんなに長く感じられたことでしょう。
うちのかたたちが、食卓につく前に、アンネ・リスベットは、奥さまのところに呼ばれました。奥さまは、やさしい言葉をかけてくださいました。かわいいぼっちゃまには、食事のあとで、お目にかかることになりました。しばらくしてから、また、呼ばれました。
ああ、ぼっちゃまは、すっかり大きくなって、ひょろ長くなっています。でも、美しい目と、天使のような口もとだけは、むかしのままです。ぼっちゃまは、アンネ・リスベットを見ました。けれども、ひとことも、言いませんでした。はっきりとは、おぼえがなかったのです。ぼっちゃまは、すぐに、くるりとふりむいて、むこうへ行こうとしました。アンネ・リスベットは、その手をとって、口にあてました。
「ああ、もう、いいよ」と、ぼっちゃまは言って、部屋から出ていってしまいました。
このぼっちゃまこそ、アンネ・リスベットが、どんなものよりも、強く愛してきた人です。今でもやっぱり、愛している人です。この世での、いちばんのほこりなのです。ところが、そのぼっちゃまは、さっさと行ってしまったのです。
アンネ・リスベットは、お屋敷を出て、広い大通りを歩いていきました。心の中は、悲しくてたまりません。
「ぼっちゃまは、あんなによそよそしくなってしまった。わたしのことなどは、なんにも考えていらっしゃらないし、ひとことも、話しかけてはくださらなかった。ああ、わたしは、あのぼっちゃまを、小さいころ、昼も夜も、だいてあげたのに。それに、今だって、心の中では、ずうっと、だいてあげているのに」
そのとき、大きな、黒いカラスが、目の前の道の上に、おりてきました。カラスは、カー、カー、鳴きたてました。
「まあ、いやだこと。おまえは、ほんとに、えんぎのわるい鳥だねえ」と、アンネ・リスベットは言いました。
それから、みぞほり人夫の家によりました。入り口に、おかみさんが立っていました。そこで、ふたりは話をはじめました。
「おまえさん。なかなか、たいしたもんらしいじゃないか」と、みぞほり人夫のおかみさんが、話しかけました。「まんまるく、ふとってさ。さぞかし、ぐあいがいいんだね」
「ええ、まあねえ」と、アンネ・リスベットは、言いました。
「あのとき、ふたりの乗ってた船が、しずんじゃってね」と、おかみさんは言いました。
「船頭のラルスも、あの子も、おぼれちゃったんだよ。ふたりとも、もう、おしまいさ。わたしは、今に、あの子が、いくらかは、暮しをたすけてくれると思ってたんだがねえ。あんたも、もう、あの子のために、お金をつかう必要はなくなったよ、アンネ・リスベットさん」
「ふたりとも、おぼれてしまったんですか!」と、アンネ・リスベットは言いました。でもそれきり、そのことについては、なんにも言いませんでした。
いま、アンネ・リスベットの心は、悲しみで、いっぱいだったのです。アンネ・リスベットは、伯爵のぼっちゃまを、心から愛していました。そのぼっちゃまに、会いたいばかりに、遠い道を歩いていったのです。それなのに、ぼっちゃまは、ひとことも、アンネ・リスベットに、話しかけてくれなかったではありませんか。それに、今度の旅行では、お金もずいぶんかかりました。しかも、それにくらべて、大きなよろこびは、えられなかったのです。けれども、そのことは、今は、なんにも言いませんでした。こんなことを、みぞほり人夫のおかみさんに話して、それで、気持を軽くしたいとは、思わなかったのです。それどころか、こんな話をすれば、おかみさんは、この人は、もう、伯爵さまのお屋敷では、だいじにされてはいないんだ、と思うにきまっています。
そのとき、カラスがまたもや、カーカー鳴きながら、頭の上を飛んでいきました。
「あの、えんぎのわるい鳴き声のおかげで」と、アンネ・リスベットは言いました。「きょうは、わたし、ほんとに、びっくりさせられたわ」
アンネ・リスベットは、おかみさんへのおみやげに、コーヒーまめとキクヂシャを持ってきました。おかみさんは、コーヒーが飲めるので、大よろこびです。さっそく、いれることにしました。アンネ・リスベットも、一ぱい、たのみました。そこで、おかみさんは、コーヒーをいれに、むこうへ行きました。アンネ・リスベットは、椅子に腰をおろしましたが、そのうちに、うとうと眠ってしまいました。
眠っているあいだに、アンネ・リスベットは、ふしぎな夢を見ました。いままで、一度も夢になど見たことのない人が、その夢の中にあらわれたのです。それは、アンネ・リスベットの子供でした。この家で、おなかをすかして、泣きわめいていた、あの男の子です。だれにも、かまってもらえなかった、あの子です。そして今は、神さまだけがごぞんじの、深い海の底に、横たわっている、あの子の夢を見たのです。夢の中でも、アンネ・リスベットは、いま、腰かけている部屋の中に、やっぱり、腰かけていました。おかみさんも、同じように、コーヒーをいれに行っています。コーヒー豆をいるにおいが、ぷんぷんしてきました。
そのとき、戸口に、きれいな子供があらわれました。伯爵のぼっちゃまのように、美しい子供です。その子はこう言いました。
「いま、世界はほろびます。さあ、ぼくに、しっかり、つかまってください。なんといっても、あなたは、ぼくのおかあさんですからね。あなたは、天国に、ひとりの天使を持っているんですよ。さあ、ぼくに、しっかりつかまってください」
こう言うと、天使は、アンネ・リスベットのほうへ、手をさしのべました。と、そのとたんに、すさまじいひびきがとどろきました。まぎれもなく、世界がはれつした音です。天使は、空へ浮びあがりました。しかし、その手は、アンネ・リスベットのはだ着のそでを、しっかりと、つかんでいます。アンネ・リスベットは、なんだか、足が地面から離れたような気がしました。ところが、そのとき、なにかおもたいものが、足にぶらさがりました。いや、背中のほうまで、よじのぼってくるものもあります。まるで、何百人もの女に、しがみつかれているみたいです。その女たちは、口々に、こう言っているではありませんか。
「あんたが、すくわれるんなら、わたしたちだって、すくわれてもいい。つかまろう、つかまろう」
こうして、みんなが、われもわれもと、すがりつくのです。でも、あんまり大ぜいすぎます。
「ビリ、ビリ」と、音がしました。そでが、ちぎれました。とたんに、アンネ・リスベットは、ものすごいいきおいで、落ちていきました。そのとき、はっと目がさめました。もうすこしで、腰かけていた、椅子といっしょに、ひっくりかえるところでした。頭の中が、すっかり、ごちゃごちゃになっていました。それで、どんな夢を見たのか、ちょっと思い出すこともできませんでした。けれども、いやな夢だったことだけは、たしかです。
それから、おかみさんといっしょに、コーヒーを飲みながら、いろんな話をしました。
やがて、アンネ・リスベットは、別れをつげて、近くの町に行きました。その町で、荷馬車の御者に会って、その人の車に乗せてもらって、その晩のうちに、自分の住んでいる町へ、帰ろうと思ったのです。ところが、御者に会ってみると、あくる日の夕方でなければ、出かけない、ということでした。
アンネ・リスベットは、もし今夜、この町にとまるとすれば、どのくらいのお金がかかるかを考えてみました。それから、自分の町までの、道のりを考えてみました。そして、大通りを行かないで、海べにそっていけば、三キロぐらいは近そうだ、と心に思いました。
空を見れば、きれいに晴れわたっていて、お月さまが、まんまるくかがやいています。そこで、アンネ・リスベットは、歩いていくことにきめました。あしたは、うちに帰ることができるでしょう。
お日さまが、しずみました。夕べをつげる鐘が、まだ鳴っています。おやおや、それは、鐘ではありません。沼の中で、大きなカエルが鳴いているのでした。
やがて、そのカエルたちも、鳴くのをやめました。あたりは、しーんと、しずかになりました。鳥の鳴き声一つ、聞えません。今は、すべてのものが、しずかに眠っているのです。フクロウだけは、まだ、巣にかえっていませんでした。森は、ひっそりとしています。アンネ・リスベットの歩いている浜べも、しーんとしています。聞えるものといえば、ただ、砂をふむ、自分の足音ばかりです。海のおもてには、さざなみ一つ、立っていません。深い水の中からは、音一つ聞えません。海の底にあるものは、生きているものも、死んでいるものも、みんなひっそりと、だまりこくっています。
アンネ・リスベットは、どんどん歩いていきました。世間でよく言うように、なんにも考えてはいませんでした。今のアンネ・リスベットは、考えるということから、離れていました。けれども、考えのほうでは、アンネ・リスベットから、離れてはいませんでした。考えというものは、わたしたちから、離れるようにみえても、離れているのではありません。ただ、うつらうつらしているだけなのです。いきいきと働いていた考えが、うつらうつらしていることもあります。まだ、働きださない考えが、うつらうつらしていることもあるのです。しかし、考えというものは、いつかはきっと、おもてにあらわれてきます。それは、わたしたちの心の中で、動きだすこともありますし、頭の中でうごめくこともあります。それから、わたしたちの上に、降ってわいてくることもあります。
「よい行いは、祝福をもたらす」という言葉があります。また、「罪をおかせば、死にいたる」という言葉もあります。ほかにも、書かれたり、言われたりしている言葉は、たくさんあります。けれども、人はそれを知らないのです。思い出せないのです。アンネ・リスベットが、やはり、そうでした。けれども、そういうものが、ふっと、おもてにあらわれて、心に浮んでくることがあります。
罪も、徳も、すべて、わたしたちの心の中にあります。あなたの心の中にも、わたしの心の中にも! それらは、目に見えない小さな穀物のつぶのように、ひそんでいるのです。そこへ、外から、お日さまの光が一すじ、さしてきます。でなければ、わるい手がさわりにきます。あなたは、町かどを、右か左にまわります。ええ、それだけで、きまってしまうのです。小さなつぶは、ゆすぶられているうちに、ふくらんできて、はじけとびます。そして、そのしるを、あなたの血の中にそそぎこみます。そうなると、あなたはもう、走りつづけなければなりません。
人の心を不安にする考えも、夢を見ているときには、気がつかないものです。しかし、そのあいだも、働きつづけているのです。アンネ・リスベットも、夢を見ながら、歩いていました。心の中では、いろいろな考えが動いていました。
二月二日の、聖母おきよめの祝日から、つぎの祝日のあいだまでに、心には、たくさんの借りができます。一年のあいだの、決算ですが、忘れられてしまうものも、たくさんあります。たとえば、わたしたちは、神さまをはじめ、となりの人や、わたしたち自身の良心にたいしても、罪をおかしています。口に出しておかしているときもあれば、心の中でおかしていることもあるのですが、そういうものは、たいてい、忘れられてしまいます。
わたしたちは、ふつう、そんなことは考えません。アンネ・リスベットも、同じでした。そのはずです。アンネ・リスベットは、国の法律や、規則に合わないようなことは、なに一つ、していないのですから。それどころか、アンネ・リスベットは、みんなから、正直で感心な、りっぱな女だと思われているのです。そのことは、アンネ・リスベット自身も、ちゃんと知っていました。
さて、アンネ・リスベットは、海べにそって歩いていきました。――おや、むこうに、なにかがありますよ。アンネ・リスベットは、あゆみをとめました。波に打ちあげられているのは、なんでしょう? 古い、男の帽子です。どこか、海の上で、船から落ちたものでしょう。
アンネ・リスベットは、なおも、近づいていきました。立ちどまって、それをながめました。――おや、まあ、横たわっているのは、なんでしょう? 一瞬、アンネ・リスベットは、ぎょっとしました。けれども、よくよく見れば、べつに、びっくりするほどのものではありません。海草とヨシが、大きな細長い石の上に、まつわりついているだけではありませんか。もっとも、それが、人間のからだそっくりに見えたのです。
ただの海草と、ヨシにすぎませんが、それでも、アンネ・リスベットは、すっかり、おどろいてしまいました。なおも、先へ歩いていくうちに、今度は、子供のころ聞いた話が、いろいろ頭に浮んできました。
たとえば、「浜のゆうれい」についての迷信です。これは、さびしい海べに打ちあげられて、ほうむられずに、そのままになっている、死人のゆうれいの話です。それから、「浜にさらされたもの」というのも、あります。こちらは、死んだ人の、からだのことです。べつに、だれにも、わるいことをするわけではありません。ところが、「浜のゆうれい」のほうは、旅人が海べを、ひとりきりで歩いていると、そのあとをつけてきます。そして、その人の背中に、しっかりとしがみついて、
「どうか、墓地へ、連れていってください。ちゃんと、教会の土の中にうめてください」と、たのむそうです。そのときに、「つかまろう、つかまろう」と、言うのだそうです。
アンネ・リスベットは、なんの気なしに、この言葉をくりかえして、つぶやきました。と、とつぜん、昼間見た夢が、はっきりと、目の前に浮んできました。夢の中では、大ぜいの母親が、「つかまろう、つかまろう」と、さけびながら、しがみついてきたのです。世界はしずみ、はだ着のそではちぎれて、自分は、子供の天使の手から離れて、落ちていったのです。その天使は、最後のさばきのときに、自分を天国へと引きあげにきてくれたのですが。
いっぽう、自分の子、血をわけた、自分のほんとうの子は、どうでしょう。その子は、いま、海の底に横たわっているのです。一度も、愛したことのない、いいえ、それどころか、思ってさえもみたことのない子です。もしかしたら、その子が、浜のゆうれいとなって出てきて、「つかまろう、つかまろう。墓地へ、連れていってください」と、さけぶかもしれません。
こんなことを考えると、なんだか、心配でたまらなくなってきました。ぐんぐん、足を速めました。おそろしさが、つめたい、ぬらぬらした手のように、せまってきました。みぞおちの上に、しっかりとくっつきました。アンネ・リスベットは、もうすこしで、気が遠くなりそうでした。
海の上をながめると、なんだか、ぼうっと、かすんできました。こい霧が、押しよせてきて、草むらや木々のまわりに、からみつきました。すると、その草むらや、木々は、なんともいえない、気味のわるい形になりました。お月さまを見ようとして、うしろをふりかえってみました。お月さまは、光をうしなった、青白いえんばんみたいです。
そのとき、何かおもたいものが、手や足にくっついてきました。「つかまろう、つかまろう」という、あのゆうれいだな、と心の中で思いました。
もう一度、ふりむいて、お月さまを見ると、お月さまの青白い顔が、まるで、すぐ目の前にせまっているようです。霧が、白いリンネルのように、肩にかかってきました。そのとき、「つかまろう、つかまろう。墓地へ、連れていってください」という声が、したようです。それといっしょに、すぐ近くで、うつろな声がしました。沼のカエルや、カラスどもの声ではありません。なぜなら、そんなものの姿は、どこにも見えないのですから。
すると、今度は、「わたしを、ちゃんと、土の中に、うめてください。ちゃんと、土の中に、うめてください」という声が、はっきり、聞えてきたではありませんか。たしかに、これは、海の底に横たわっている、自分の子供が、浜のゆうれいとなって、出てきたのにちがいありません。この子は、墓地に連れていって、教会の土の中に、ちゃんとうめてやらないうちは、心の平和がえられないのです。
そこで、アンネ・リスベットは、墓地へ子供を連れていって、うめてやろうと思いました。教会のあるほうにむかって、歩きだしました。ところが、しばらく歩いていくと、しがみついているゆうれいが、だんだん軽くなってきました。しまいには、とうとう、重みを感じなくなってしまいました。
そこで、アンネ・リスベットは、また考えをかえて、さっきの近道に引きかえそうとしました。ところが、そのとたんに、また、あのゆうれいに、しっかりと、しがみつかれてしまいました。「つかまろう、つかまろう」そういう声は、まるで、カエルの鳴き声のようでした。悲しそうな、鳥の鳴き声のようでもありました。しかし、たしかに、はっきりと聞えました。「わたしを、ちゃんと、土の中に、うめてください。ちゃんと、土の中に、うめてください」
霧は、つめたく、ぬらぬらしていました。けれども、アンネ・リスベットの手や顔が、つめたく、ぬらぬらしていたのは、そのためではありません。おそろしさのためだったのです。アンネ・リスベットは、おそろしさを、ひしひしと身に感じました。心のうちには、大きな場所が、ぽっかり口を開きました。そこに、今まで、一度も感じたことのない、考えがあらわれてきました。
北の国のデンマークでは、春になると、たった一晩のうちに、ブナの森が、いっせいに、みどりの芽を出すことがあります。そして、あくる日、お日さまの光を受けると、若々しい美しさに、光りかがやくことがあります。わたしたちの生活の中に、まかれている罪のたねも、それと同じように、あっというまにふくらんで、考えや言葉や、行いのうちに、芽を出すことがあります。良心が目をさますと、それは、またたくうちに、ぐんぐんのびて大きくなります。
神さまは、わたしたちが思いもしないときに、良心を呼びさまします。そうなれば、もう、言いわけはゆるされません。行いが証明となり、考えは言葉となって、その言葉は、広く世の中にひびきわたるのです。わたしたちは、こういうものが、自分のうちにあって、しかも、よく、押しころされなかったものだと、おどろきます。また、わたしたちは、ごうまんな気持から、考えなしにまきちらしたものを見て、おどろきます。心の中には、徳も、ひそんでいます。そのいっぽう、悪も、ひそんでいます。それらは、どんなひどい土地でも、芽を出して、のびていくものです。
今、ここに言いあらわしたことが、アンネ・リスベットの頭の中に、芽を出してきました。アンネ・リスベットは、おそろしさにうちのめされて、地べたにくずおれました。しばらくは、ただ、そのまま、地べたをはっていきました。
「わたしを、地の中にうめてください。地の中にうめてください」という声がしました。アンネ・リスベットは、いっそ、自分を、地の中にうめてしまいたいと思いました。もしも、お墓にはいることによって、なにもかも忘れることができるものならば。――
アンネ・リスベットにとっては、しんけんに目ざめる、ひとときでした。もちろん、おそろしさと、不安とは、つきまとっています。迷信は、アンネ・リスベットの血を、ときには、つめたくひやし、ときには、あつく燃やしました。今まで、口にしたこともないようなことが、つぎつぎと、頭に浮んできました。まぼろしのようなものが、お月さまの光をうけた、雲のかげのように、音もなくそばを通りすぎました。それは、前に、話には聞いていたものです。
四頭のウマが、目や鼻からほのおをはきながら、燃える馬車を、ひいていました。馬車の中には、何百年も前に、このあたりをおさめていた、わるい殿さまが乗っていました。なんでも、この殿さまは、毎晩、ま夜中に馬車に乗って、自分の領地に行き、すぐまた引きかえすのだという話です。けれども、この殿さまは、わたしたちが、よく、死神について思い浮べるように、青白くはありません。それどころか、炭のように、それも、火の消えた炭のように、まっ黒でした。
殿さまは、アンネ・リスベットにむかって、うなずいて手まねきしました。
「つかまろう、つかまろう。そうすれば、また、伯爵の馬車に乗って、自分の子供のことも、忘れられるぞ」
アンネ・リスベットは、いっそう、足を速めました。墓地にたどりつきました。ところが、黒い十字架と、黒いカラスたちが、目の前に入りみだれていて、その見わけが、はっきりとつきません。カラスたちは、昼間と同じように、カー、カー、鳴きさけんでいます。けれども、いまは、ようやく、カラスたちの言おうとしている意味が、わかりました。
「わたしは、カラスのおかあさん。わたしは、カラスのおかあさん」と、カラスたちは、口々にさけんでいるのでした。
カラスのおかあさんは、子供が、まだ飛べないうちに、巣からつき落すということです。それで、カラスのおかあさんというのは、なさけしらずのひどいおかあさんのことなのです。アンネ・リスベットは、自分も、カラスのおかあさんと同じだと、気がつきました。きっと、いまに、自分も、こういう黒いカラスに、かえられてしまうでしょう。そして、お墓がほってやれないといって、このカラスたちと同じように、しょっちゅう、鳴きわめかなければならないかもしれません。
はっとして、アンネ・リスベットは、地べたに身を投げだし、かたい土を、手でほりはじめました。たちまち、指からは血がほとばしり出ました。
「わたしを、地の中にうめてください。地の中にうめてください」という声が、たえず聞えました。
アンネ・リスベットは、ニワトリが鳴いて、東の空が赤くそまってくるのを、おそれました。なぜって、それまでに、自分の仕事をやりおえないと、なにもかも、だめになってしまうのです。
そのとき、ニワトリが鳴いて、東の空が赤くなってきました。――けれども、お墓はまだ、半分しかほれていないのです。氷のようにつめたい手が、頭から顔へすべりおりて、胸までさがってきました。
「お墓は、まだ、やっと半分!」と、ため息まじりに、言う声がしました。なにかが、アンネ・リスベットのからだから、ふわふわと離れて、海の底へもどっていきました。いうまでもなく、浜のゆうれいです。アンネ・リスベットは、打ちのめされて、地べたにたおれました。もう、考える力も、感じる力も、ありません。
アンネ・リスベットが、気がついたときには、もう、すっかり明るくなっていました。ふたりの男が、自分をだきおこしてくれています。見れば、そこは墓地ではなくて、海べでした。しかも、その海べの砂の中に、アンネ・リスベットは、深い穴をほっていたのです。それに、指もけがをして、血が出ていました。青くぬった、木の足のコップがくだけていて、それで、指を切ったのです。
アンネ・リスベットは、病気でした。良心のカードの中に、迷信のカードがまぜられて、その中から一枚、引きぬかれたのです。そのため、いまは、はんぶんの魂しか、持っていませんでした。あとのはんぶんは、自分の子供が、海の底に持っていってしまったのです。その魂のはんぶんは、いま、海の底に、しっかりと、しばりつけられています。それを取りもどさないうちは、天国にのぼっていって、神さまのおめぐみを受けることはできないでしょう。
アンネ・リスベットは、やっとの思いで、家に帰ってきました。けれども、今までとは、がらりと、人がかわってしまいました。頭の中は、もつれた糸玉のように、もつれにもつれていました。けれどもその中を、一つの考えだけが、はっきりとつらぬいていました。それは、浜のゆうれいを教会の墓地に連れていって、お墓をほってやり、そうすることによって、魂の全部をとりもどすということでした。
アンネ・リスベットは、幾晩も、幾晩も、家から、姿をけすようになりました。そういうときには、きまって、海べにいるところを、人に見つけられました。もちろん、アンネ・リスベットは、浜のゆうれいが出てくるのを、待っていたのです。
こんなふうにして、まる一年たちました。
ある晩のこと、とつぜん、アンネ・リスベットは、また、姿をけしてしまいました。ところが、今度は、なかなか、見つからないのです。あくる日は、一日じゅう、みんなで、さがしまわりました。でも、やっぱり、だめでした。
夕方になって、役僧が、夕べの鐘を鳴らすために、教会の中へはいっていきました。ふと見ると、聖壇の前に、アンネ・リスベットが、ひざまずいているではありませんか。アンネ・リスベットは、朝早くから、ずっとここにいたのです。からだの力は、もう、ほとんど抜けきっているようでした。けれども、目は光りかがやき、顔にも生き生きとした、赤みがさしています。お日さまの最後の光が、アンネ・リスベットの上を照らしました。聖壇の上にひろげられている聖書のかざり金を、キラキラと照らしました。そこには、預言者ヨエルの言葉が書いてありました。「なんじら、ころもをさかずして、心をさき、なんじらの神にかえるべし」――
「それは、ぐうぜんだよ」と、人々は言いました。世の中のたいていのことは、ぐうぜんだと言われるものですね。
お日さまに照らされているアンネ・リスベットの顔には、はっきりと、平和とおめぐみが、あらわれていました。
「とても、よい気持です」と、アンネ・リスベットは、言いました。
とうとう、アンネ・リスベットは、うちかったのです。ゆうべは、自分の子供の、浜のゆうれいがそばにやってきて、こう言いました。
「おかあさん。あなたはぼくのために、お墓をはんぶんしか、ほってくれませんでした。でも、この一年間というものは、あなたの心の中に、しっかりと、ぼくを入れておいてくれましたね。子供にとっては、おかあさんが、自分の心の中に、入れておいてくれるのが、なによりもうれしいことなんですよ」
こう言って、前にとっていった魂のはんぶんを、アンネ・リスベットにかえしました。それから、アンネ・リスベットを、この教会に案内してきたのです。
「いまは、わたしは、神さまのおうちにいます。ここでは、どんな人も、しあわせです」と、アンネ・リスベットは言いました。
お日さまが、すっかりしずみました。そのとき、アンネ・リスベットの魂は、高く高く、天にのぼっていきました。そこでは、もうおそろしいと思うことはありません。この世で、りっぱにたたかいぬいた人にとってはです。アンネ・リスベットこそ、そういう、りっぱにたたかいぬいた人なのです。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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「あたしのお花がね、かわいそうに、すっかりしぼんでしまったのよ」と、イーダちゃんが言いました。「ゆうべは、とってもきれいだったのに、今は、どの花びらも、みんなしおれているの。どうしてかしら?」
イーダちゃんは、ソファに腰かけている学生さんに、こうたずねました。イーダちゃんは、この学生さんが大好きでした。だって、学生さんは、それはそれはおもしろいお話を、たくさんしてくれますからね。それに、おもしろい絵も、いろいろ、切りぬいてくれるのです。たとえば、ハート形の中で、かわいらしい女の人たちがダンスをしているところだの、いろいろなお花だの、それから、戸のあいたりしまったりする大きなお城だのを。ほんとうに、ゆかいな学生さんでした!
「きょうは、お花たち、どうしてこんなに元気がないの?」と、イーダちゃんは、もう一度聞きながら、すっかりしおれている花たばを見せました。
「うん、お花たちはね、気持がわるいんだよ」と、学生さんは言いました。「みんな、ゆうべ、舞踏会へ行っていたんで、きょうは、くたびれて、頭をぐったりたれているのさ」
「でも、お花は、ダンスなんかできやしないわ」と、イーダちゃんは言いました。
「ところが、できるんだよ」と、学生さんは言いました。「あたりが暗くなってね、ぼくたちみんなが寝てしまうと、おもしろそうにとびまわるんだよ。毎晩のように、舞踏会を開いているんだから」
「その舞踏会へは、子供は行けないの?」
「行けるとも」と、学生さんは言いました。「ちっちゃなヒナギクや、スズランだってね」
「いちばんきれいなお花たちは、どこでダンスをするの?」と、イーダちゃんがたずねました。
「イーダちゃんは、町の門の外にある、大きなお城へ行ったことがあるだろう。ほら、夏になると、王さまがおすまいになるところ。お花がたくさん咲いているお庭もあったじゃないの。あそこのお池には、ハクチョウもいたね。イーダちゃんがパンくずをやると、みんな、イーダちゃんのほうへおよいできたっけね。あそこで舞踏会があるんだよ。ほんとうだよ」
「あたし、きのう、おかあさんといっしょに、あのお庭へ行ったのよ」と、イーダちゃんは言いました。「でも、木の葉は、すっかり落ちてしまって、お花なんか一つもなかったわ。みんな、どこへ行っちゃったのかしら。夏、行ったときには、あんなにたくさんあったのに」
「みんな、お城の中にいるんだよ」と、学生さんは言いました。「王さまやお役人たちが町へ帰ってしまうとね、お花たちは、すぐにお庭からお城の中へかけこんで、ゆかいにあそぶんだよ。イーダちゃんに、そういうところを一度見せてあげたいねえ。いちばんきれいなバラの花が二つ、玉座について、王さまとお妃さまになるの。すると、まっかなケイトウが、両側にずらりと並んで、おじぎをするよ。これが、おつきのものというわけさ。
それから、すごくきれいなお花たちが、あとからあとからはいってくる。さて、そこで、いよいよ大舞踏会のはじまりはじまり。青いスミレの花は、かわいらしい海軍士官の候補生で、ヒヤシンスやサフランに、『お嬢さん』と呼びかけては、ダンスにさそうんだよ。チューリップや大きな黄色いユリの花は、お年よりの奥さまがたで、みんなじょうずに踊って、舞踏会がうまくいくようにと、気をつけているんだよ」
「でもね、お花たちは、王さまのお城でダンスなんかして、だれにもしかられないの?」と、イーダちゃんはたずねました。
「ちゃあんと、それを見た人がないからねえ」と、学生さんは言いました。「夜になると、ときどき、年とった番人が、見まわりにやってくるよ。大きなかぎたばを持ってね。だけど、そのかぎたばのガチャガチャいう音が聞えると、お花たちはすぐにひっそりとなって、長いカーテンのうしろにかくれてしまうんだよ。そして、カーテンのすきまから顔だけそっと出して、のぞいているの。そうすると、年よりの番人は、『おやおや、ここには花があるんだな。ぷんぷんにおうぞ』と言うけれども、なんにも見えやしないのさ」
「まあ、おもしろい!」と、イーダちゃんは手をたたいて、言いました。「じゃ、あたしにもお花は見えないかしら?」
「見えるさ」と、学生さんは言いました。「今度行ったら、忘れないで、窓からのぞいてごらん。そうすれば、きっと見えるからね。ぼくが、きょう、のぞいてみたら、長い黄色いスイセンが、ソファに長々と横になっていたよ。あれは、女官なんだねえ」
「植物園のお花たちも行けるの? 遠い道を歩いていける?」
「もちろん、行けるよ」と、学生さんは言いました。「行きたいと思えば、飛んでいけるんだからね。イーダちゃんは、赤いのや、黄色いのや、白いのや、いろんな色の、きれいなチョウチョウを見たことがあるだろう。まるで、お花のようだね。ところが、ほんとうは、あれもお花だったんだよ。だって、お花たちが、くきからはなれて、空に飛びあがり、ちょうど小さな羽を動かすように、花びらをひらひらさせると、舞えるようになるんだもの。そうして、じょうずに飛べるようになると、今度は、昼間でも、飛んでいいというおゆるしがもらえるんだよ。そうなれば、うちへもどって、くきの上にじっとすわっていなくてもいいの。こうして、花びらは、やがては、ほんものの羽になってしまうんだよ。イーダちゃんが見ているのは、それなのさ。
だけどね、ひょっとしたら、植物園のお花たちは、まだ王さまのお城へ行ったことがないかもしれないよ。いや、もしかしたら、毎晩、そんなおもしろいことがあるのを知らないかもしれないよ。
そうだ、イーダちゃんにいいこと教えてあげよう。きっと、あの人、びっくりするよ。ほら、おとなりに住んでる植物の先生さ。イーダちゃんも知ってるね。今度、先生のお庭へ行ったら、お花の中のどれか一つに、『お城で、大きな舞踏会があるわよ』って言ってごらん。そうすれば、そのお花がほかのお花たちにおしゃべりして、みんなで飛んでいってしまうよ。だから、先生がお庭へ出てきても、お花は一つもないってわけさ。でも、先生には、お花たちがどこへ行ってしまったのか、さっぱりわからないんだよ」
「でも、お花たちは、どうしてお話ができるの? 口がきけないのに」
「うん、たしかに、口はきけないね」と、学生さんは答えました。「だけど、お花たちは身ぶりで話せるんだよ。イーダちゃん、知ってるだろう。ほら、風がそよそよと吹いてくると、お花たちがうなずいたり、青い葉っぱがゆれたりするじゃないの。あれが、お花たちの言葉なんだよ。ぼくたちがおしゃべりするのとおんなじなんだよ」
「植物の先生には、お花たちの身ぶりの言葉がわかる?」と、イーダちゃんはたずねました。
「むろん、わかるさ。ある朝のこと、先生がお庭に出ると、大きなイラクサがきれいな赤いカーネーションにむかって、葉っぱで身ぶりのお話をしていたんだって。イラクサは、こんなことを言ってたんだよ。
『きみは、とってもかわいらしいね。ぼくは、きみが大好きだよ』
ところが、先生はそんなことは大きらい。それで、すぐにイラクサの葉をぶったのさ。なぜって、葉は、ぼくたちの指みたいなものだからね。そしたら、ぶった先生の手が、ひりひりと痛くなってきたんだよ。だから、先生は、それっきり、イラクサにはさわらないことにしているんだってさ」
「まあ、おかしい!」と、イーダちゃんは笑いました。すると、そのときです。
「そんなでたらめを、子供に教えちゃいかん」と、ソファに腰をおろしていた、お客さまの、こうるさいお役人が言いだしました。この人は、学生さんが大きらいで、学生さんがふざけた、おもしろおかしい絵を切りぬいているのを見ると、いつもぶつぶつ言うのでした。もっとも、その絵というのは、たいへんなもの。たとえば、心のどろぼうというわけで、ひとりの男が首つり台にぶらさがって、手に心臓を持っているところとか、年とった魔女がほうきの上にまたがって、だんなさんを鼻の上に乗っけているところ、といったようなものでした。
お役人は、こういうものが大きらいでした。それで、さっきのように言うのでした。
「そんなでたらめを教えちゃいかん。そんなばかばかしい、ありもしないことを!」
けれども、イーダちゃんには、学生さんのしてくれたお花の話が、とってもおもしろく思われました。それで、お花のことばかり考えていました。お花たちは、頭をぐったりたれています。それというのも、ゆうべ一晩じゅう、ダンスをして、つかれきっているからです。きっと、病気なのでしょう。
そこで、イーダちゃんはお花を持って、ほかのおもちゃのところへ行きました。おもちゃたちは、きれいな、かわいいテーブルの上にならんでいましたが、引出しの中にも、きれいなものがいっぱいつまっていました。お人形のベッドには、お人形のソフィーが眠っていました。でも、イーダちゃんはソフィーにむかって、こう言いました。
「ソフィーちゃん、起っきしてちょうだい。あなた、お気の毒だけど、今夜は、引出しの中で、がまんしてねんねしてちょうだいね。かわいそうに、お花たちが病気なのよ。だから、あなたのベッドに寝かせてあげてね。そしたら、きっとまた、よくなってよ」
こう言って、イーダちゃんはお人形を取り出しました。けれども、お人形はすねたようすをして、ひとことも言いません。なぜって、お人形とすれば、自分のベッドを取りあげられてしまったものですから、すっかりおこっていたのです。それから、イーダちゃんはお花たちをお人形のベッドに寝かせて、小さな掛けぶとんを、かけてやりました。そして、
「おとなしくねんねするのよ。いまに、お茶をこさえてあげましょうね。そしたら、すぐによくなって、あしたは起っきできてよ」と、言いきかせました。
それから、朝になっても、お日さまの光が目にあたらないように、かわいいベッドのまわりに、カーテンを引いてやりました。
その晩は、学生さんのしてくれたお話のことが、イーダちゃんの頭から、一晩じゅうはなれませんでした。そのうちに、イーダちゃんの寝る時間になりました。イーダちゃんは、寝るまえに、窓のまえにたれているカーテンのうしろをのぞいてみました。そこには、おかあさまのきれいなお花がありました。ヒヤシンスやチューリップです。イーダちゃんは、お花たちにむかって、そっとささやきました。
「あなたたち、今夜、舞踏会へ行くんでしょう。あたし、ちゃんと知ってるわよ」
ところが、お花たちのほうは、なんにもわからないようなふりをして、葉っぱ一まい動かしません。でもイーダちゃんは、自分の言ったとおりにちがいないと思いました。
イーダちゃんは、ベッドにはいってからも、しばらくのあいだは、寝たまま、きれいなお花たちが、王さまのお城でダンスをしているところが見られたら、どんなにすてきだろう、と、そんなことばかり考えていました。
「あたしのお花たちも、ほんとに、あそこへ行ったのかしら?」
けれども、イーダちゃんは、いつのまにか眠ってしまいました。夜中に、目がさめました。ちょうど、お花たちのことや、でたらめなことを教えるといって、お役人からしかられた学生さんのことを、夢にみていました。イーダちゃんの寝ている部屋は、しーんと静まりかえっていました。テーブルの上に、ランプがついていました。おとうさまとおかあさまは、よく眠っていました。
「あたしのお花たちは、ソフィーちゃんのベッドに寝ているかしら?」と、イーダちゃんは、ひとりごとを言いました。「どうしているかしら?」
そこで、イーダちゃんは、ちょっとからだを起して、ドアのほうをながめました。ドアは、すこしあいていました。そのむこうに、お花だの、おもちゃだのが、置いてありました。耳をすますと、その部屋の中から、ピアノの音が聞えてくるようです。たいそう低い音でしたが、今までに聞いたことがないくらい、美しいひびきでした。
「きっと今、お花たちがみんなで、ダンスをしているのね。ああ、ちょっとでいいから、見たいわ」と、イーダちゃんは言いました。でも、起きあがるわけにはいきません。だって、そんなことをすれば、おとうさまとおかあさまが、目をさますかもしれませんもの。
「みんな、こっちへはいってきてくれればいいのに」と、イーダちゃんは言いました。しかし、お花たちは、はいってきませんし、音楽はあいかわらず美しく鳴りつづけています。あんまりすばらしいので、とうとう、イーダちゃんはがまんができなくなりました。小さなベッドからすべりおりると、音をたてないように、そっとドアのほうへしのんでいきました。むこうの部屋をのぞいてみました。と、まあ、なんというおもしろい光景でしょう!
その部屋には、ランプは一つもついていませんでした。けれども、お月さまの光が窓からさしこんで、部屋のまんなかまで照らしていましたので、部屋の中はたいへん明るくて、まるでま昼のようでした。
ヒヤシンスとチューリップが、一つのこらず、ずらりと二列にならんでいました。窓のところには、お花はもう、一つもありません。はちが、からっぽになって、のこっているだけです。床の上では、お花たちが、みんなでぐるぐるまわりながら、いかにもかわいらしげにダンスをしています。そして、くさりの形を作ったり、くるりとまわって、長いみどりの葉っぱをからみあわせたりしていました。
ピアノにむかって腰かけているのは、大きな、黄色いユリの花です。このお花は、まちがいなく、イーダちゃんがこの夏見たお花にちがいありません。なぜって、あのとき、学生さんが、「ねえ、あのお花は、リーネさんによく似ているじゃないの」といった言葉まで、はっきりと思い出したのですから。あのときは、学生さんはみんなに笑われましたが、今、こうして見ますと、この長い、黄色いお花は、ほんとうに、どこから見てもリーネさんにそっくりです。おまけに、ピアノのひきかたまで、よく似ているではありませんか。長めの黄色い顔を一方へかしげるかと思うと、今度は、反対側へかしげたりして、美しい音楽に拍子を合せているのです。
イーダちゃんがいるのには、だれも気のついたものはありません。
さて今度は、大きな青いサフランが、おもちゃの置いてあるテーブルの上に飛びあがりました。そして、お人形のベッドのところへ行って、カーテンをあけました。そこには、病気のお花たちが寝ていました。
お花たちは、すぐにからだを起して、下にいるお花たちにむかって、いっしょにダンスをしたいというように、うなずいてみせました。すると、下唇のない、おじいさんの煙出し人形が立ちあがって、このきれいなお花たちにむかって、おじぎをしました。お花たちは、もう、病気らしいようすは、どこにもありません。それどころか、ほかのお花たちの中へ飛びおりていって、いかにもうれしそうなようすをしていました。
そのとき、なにか、テーブルから落ちたような音がしました。見れば、謝肉祭のむちが、ちょうど飛びおりたところでした。これも、やっぱり、お花たちの仲間の気でいたのです。ですから、たいそうおしゃれをしていました。頭のところには、小さなろう人形が、あのこうるさいお役人の帽子にそっくりの、つばの広い帽子をかぶって、すわっていました。謝肉祭のむちは、赤くぬった、木の三本足で、お花たちの中を飛びまわって、トントンと、床をふみ鳴らしました。こうして、マズルカというダンスを踊ったのです。でも、このダンスは、ほかのお花たちにはできません。だって、ほかのお花たちは、からだが軽すぎて、トントンと、床をふむことなどはできませんからね。
むちの頭のところにすわっていたろう人形が、みるみる、大きく、長くなりました。そして、紙で作ったお花の上を、くるくるまわりながら、
「そんなでたらめを、子供に教えてはいかん。そんなばかばかしいことを!」と、どなりたてました。そういうろう人形のようすは、つばの広い帽子をかぶったお役人にそっくりです。それに、顔の黄色いところも、おこりっぽいところも、ほんとうによく似ています。ところが、紙で作ったお花が、ろう人形の細い足をぶつと、すぐまたちぢこまって、もとどおりのちっぽけなろう人形にもどってしまいました。
ほんとうに、なんておかしいんでしょう! イーダちゃんは、思わず、ふき出してしまいました。
謝肉祭のむちは、なおも踊りつづけました。ですから、お役人はいやでも、いっしょに踊らなければなりません。大きく長くなって、いばってみても、大きな黒い帽子をかぶった、ちっぽけな黄色いろう人形にもどってみても、なんの役にもたちません。このようすを見ていたほかのお花たちが、かわって、謝肉祭のむちにたのんでやりました。なかでも、お人形のベッドに寝ていたお花たちが、いっしょうけんめいたのんでやったのです。それで、謝肉祭のむちも、やっと、踊るのをやめにしました。
そのとき、引出しの中で、トントンと、強くたたく音がしました。そこには、イーダちゃんのお人形のソフィーが、たくさんのおもちゃといっしょに寝ていたのです。煙出し人形が、さっそく、テーブルのはしまでかけていって、腹ばいになって、引出しをほんのちょっとあけました。すると、ソフィーは立ちあがって、びっくりしたような顔で、きょろきょろ見まわしました。
「ああら、舞踏会ね。どうして、あたしには、だれも話してくれなかったの」と、ソフィーは言いました。
「わしと踊ってくださらんかね?」と、煙出し人形がたずねました。
「ふん。おまえさんと踊ったら、さぞかしすてきでしょうよ」
ソフィーは、こう言うなり、くるりと背中を向けてしまいました。そして、引出しの上に腰をおろして、お花たちのだれかが、自分のところにやってきて、ダンスのお相手をおねがいします、と言うだろうと思って、待っていました。ところが、だれもやってこないのです。そこで、オホン、オホンと、せきばらいをしてみました。それでも、やっぱり、だれひとり、きてはくれません。見ると、煙出し人形は、ひとりで踊っていました。けれども、どうしてどうして、なかなかうまいものでした。
ソフィーは、どのお花も、自分のほうを見てくれないような気がしましたので、思いきって、引出しから床の上に、ドシンと、飛びおりました。大きな音がしました。今度は、お花というお花が、すぐにかけよってきて、ソフィーのまわりをとりまいて、
「どこか、おけがはありませんか?」と、口々にたずねました。みんなは、たいそうやさしくいたわってくれました。わけても、ソフィーのベッドに寝ていたお花たちは、親切にしてくれました。けれども、ソフィーは、どこもけがしてはいませんでした。イーダちゃんのお花たちは、
「きれいなベッドを貸してくださって、ありがとう」と言って、なにかとやさしくしてくれました。そして、お月さまの光がいっぱいさしこんでいる部屋のまんなかへ、ソフィーを連れていって、いっしょにダンスをはじめました。そうすると、ほかのお花たちも、みんなそばへよってきて、ソフィーをとりまいて輪をつくりました。さあ、こうなると、ソフィーは、うれしくてたまりません。
「あなたたち、もっとあたしのベッドに寝ていてもいいのよ。あたしは、引出しの中で眠ってかまわないんだから」と、言いました。
けれども、お花たちは言いました。
「まあ、ご親切にありがとう。でも、あたしたち、もうそんなに長くは生きていられませんわ。あしたになれば、死んでしまいます。どうか、イーダさんに言ってくださいな。あたしたちを、お庭にある、カナリアのお墓のそばにうめてくださいって。そうすれば、あたしたち、夏にはまた大きくなって、今よりも、もっときれいになりますわ」
「いいえ、死んじゃいけないわ」と、ソフィーは言って、お花たちにキスをしました。
すると、そのときです。広間のドアがさっとあいて、美しいお花たちが、それはそれはたくさん、踊りながらはいってきました。いったい、どこから来たのでしょうか。イーダちゃんには、さっぱりわかりません。きっと、みんな、王さまのお城から来たのでしょう。いちばん先にはいってきたのは、二つの美しいバラのお花です。頭に、小さな金のかんむりをかぶっていました。これは、王さまとお妃さまです。おつぎは、見るもかわいらしいアラセイトウとカーネーションです。あちらへもこちらへも、おじぎをしました。
今度は音楽隊です。大きなケシの花と、シャクヤクの花が、顔をまっかにして、エンドウのさやを吹きならしていました。青いフウリンソウと、小さな白いマツユキソウとが、まるで、鈴でも持っているように、チリンチリンと音をたてながらはいってきました。ほんとうにゆかいな音楽です。そのあとから、まだまだたくさんのお花がはいってきました。そして、みんなでいっしょに、ダンスをしました。青いスミレの花や、赤いサクラソウも、ヒナギクやスズランも、やってきました。みんなは、おたがいにキスをしあいました。そのありさまは、なんともいえないほどかわいらしいものでした。
そのうちに、とうとうお花たちは、「おやすみなさい」と、言いあいました。そこで、イーダちゃんも、そっと、自分のベッドの中へもどって、いま見たことを、のこらず夢に見ました。
あくる朝、イーダちゃんは、起きるとすぐに、テーブルのところへ行ってみました。お花たちが、ゆうべ置いたとおりになっているかどうか、見ようと思ったのです。小さなベッドのカーテンを引きあけました。と、たしかに、お花たちはみんな、そこに寝ています。けれども、きのうよりは、ずっとしおれています。ソフィーも、イーダちゃんが入れておいた引出しの中に、ちゃんと寝ています。でも、ずいぶん眠たそうな顔をしています。
「おまえ、なにか、あたしに言うことがあるんじゃない?」と、イーダちゃんはたずねました。ところが、ソフィーときたら、ひどくぼんやりしていて、ひとことも言わないのです。
「いけない子ねえ。みんなが、いっしょにダンスをしてくれたじゃないの」
こう言うと、イーダちゃんは、きれいな鳥の絵がかいてある、紙でできた、かわいい箱を取り出しました。そして、その箱をあけて、中に死んだお花たちを入れました。
「これを、あなたたちのきれいなお棺にしてあげるわね。いまに、ノルウェーの、いとこのおにいさんたちがきたら、手伝ってもらって、お庭にうめてあげてよ。そのかわり、あなたたち、夏になったら、また大きくなって、今よりもっときれいになってちょうだいね」と、イーダちゃんは言いました。
ノルウェーのいとこのおにいさんたちというのは、ヨナスとアドルフといって、元気のいい、ふたりの男の子でした。ふたりは、おとうさまから、あたらしい石弓を一つずつ買ってもらいましたので、それをイーダちゃんに見せに、持ってきました。イーダちゃんは、ふたりに、死んだ、かわいそうなお花たちのことを話しました。それから、みんなは、かわいそうなお花のお葬式をしてやってもいいというおゆるしをいただきました。
ふたりの男の子が、石弓を肩にかついで、先に立ってすすみました。そのあとから、イーダちゃんが、きれいな箱に死んだお花たちを入れて、ついていきました。みんなで、お庭のすみに、小さな穴をほりました。イーダちゃんは、お花たちにキスをして、それから、箱に入れたまま、土の中にうめました。あいにく、お葬式のときにうつ、鉄砲も大砲もありません。そこで、アドルフとヨナスとが、お墓の上で石弓を引きました。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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こまとまりが、ほかのおもちゃのあいだにまじって、同じ引出しの中にはいっていました。あるとき、こまが、まりにむかって言いました。
「ねえ、おんなじ引出しの中にいるんだから、ぼくのいいなずけになってくれない?」
けれども、まりは、モロッコがわの着物を着ていて、自分では、じょうひんなお嬢さんのつもりでいましたから、そんな申し出には返事もしませんでした。
そのつぎの日、おもちゃの持ち主の小さな男の子がきました。男の子は、こまに赤い色や、黄色い色をぬりつけて、そのまんなかに、しんちゅうのくぎを一本、うちこみました。こまが、ブンブンまわりだすと、ほんとうにきれいに見えました。
「ぼくを見てよ」と、こまは、まりに言いました。「ねえ、今度は、どう? いいなずけにならない? ぼくたち、とても似合ってるもの。きみがはねて、ぼくが踊る。きっと、ぼくたちふたりは、だれよりもしあわせになれるよ」
「まあ、そうかしら」と、まりが言いました。「でも、よくって。あたしのおとうさんとおかあさんは、モロッコがわのスリッパだったのよ。それに、あたしのからだの中には、コルクがはいっているのよ」
「そんなこといや、ぼくだって、マホガニーの木でできているんだよ」と、こまが言いました。「それも、市長さんが、ろくろ台を持っているもんだから、自分で、ぼくを作ってくれたんだよ。とっても、ごきげんでね」
「そうお。でも、ほんと?」と、まりが言いました。
「もし、これがうそだったら、ぼく、もう、ひもで打ってもらえなくったって、しかたがないよ」と、こまは答えました。
「あなた、ずいぶんお口がうまいのね」と、まりは言いました。「でも、だめだわ。あたし、ツバメさんと、はんぶん、婚約したのもおんなじなのよ。だって、あたしが高くはねあがると、そのたびに、ツバメさんたら、巣の中から頭を出して、『どうなの? どうなの?』ってきくんですもの。それで、あたし、心の中で、『ええ、いいわ』って言ってしまったの。だから、はんぶん婚約したようなものでしょ。でも、あなたのことは、けっして忘れないわ。あたし、お約束してよ」
「うん、それだけでもいいや」と、こまは言いました。そして、ふたりの話は、それきり、おわってしまいました。
あくる日、まりは、外へ連れていかれました。こまが見ていると、まりは、鳥のように、空高くはねあがりました。しまいには、見えないくらい、高くはねあがりましたが、でも、そのたびに、もどってきました。そして、地面にさわったかと思うと、すぐまた、高く飛びあがるのでした。そんなに高くはねあがるのは、まりが、そうしたいと、あこがれていたからかもしれません。でなければ、からだの中に、コルクがはいっていたためかもしれません。けれども、九回めに飛びあがったとき、まりは、どこかへ行ってしまって、それなりもどってきませんでした。男の子は、いっしょうけんめいさがしましたが、どうしても見つかりませんでした。
「あのまりちゃんが、どこに行ったか、ぼくは、ちゃあんと知っている」と、こまは、ため息をついて、言いました。「ツバメくんの巣の中にいるのさ。ツバメくんと結婚してね」
こまは、そう思えば思うほど、ますます、まりに心をひかれていくのでした。まりをお嫁さんにもらうことができなかっただけに、いっそう、恋しさがましてきました。まりがほかの人と結婚したって、そんなことは、なんのかかわりもありません。
こまは、あいかわらずブンブンうなりながら、踊りまわりました。そのあいだも、心の中で思っているのは、いつもまりのことばかりでした。こまの頭の中に浮んでくる、まりのすがたは、ますます美しいものになっていきました。
こうして、幾年も、たちました。――ですから、今ではもう、ふるい、ふるい、恋の物語になってしまったわけです。
そして、こまも、もう、若くはありません。――ある日のこと、こまは、からだじゅうに、金をぬってもらいました。こんなにきれいになったことは、今までにもありません。今では金のこまです。こまは、ビューン、ビューン、うなっては、はねあがりました。そのありさまは、まったくすばらしいものでした。ところが、とつぜん、あんまり高くはねあがったものですから、それきりどこかへ行ってしまいました。
みんなは、さがしに、さがしました。地下室までおりていって、さがしましたが、どうしても見つかりません。
どこへ行ってしまったのでしょう?
こまは、ごみ箱の中に、飛びこんだのです。そこには、いろんなものがありました。キャベツのしんだの、ごみだの、といからおちてきたじゃりだのが。
「こいつはまた、すてきなところだ。ここじゃ、ぼくのからだにぬってある金も、すぐ、はげちまうな。だけどまあ、なんて、きたならしいやつらのところへ、きたもんだ!」
こまは、こう言いながら、葉をむきとられた、細長いキャベツのしんと、ふるリンゴみたいな、まるい、へんてこな物のほうを、横目でみました。ところが、それは、リンゴではありません。それこそ、年をとって、かわりはてた、まりの姿だったのです。まりは、幾年ものあいだ、といの中にはいっていたものですから、からだの中に水がはいりこんで、すっかり、ふくれあがっていたのでした。
「あら、うれしいこと。お話し相手になるような、仲間がきてくれたわ」と、まりは言って、金をぬった、こまをながめました。「あたし、ほんとうは、若い女の人の手で、ぬっていただいてね、モロッコがわの着物を着ているのよ。からだの中には、コルクもはいっているの。でも、だれにも、そんなふうには見えないでしょうねえ。あたし、もうすこしで、ツバメさんと結婚するところだったんですけど、あいにくと、といの中に落っこちて、そこに、五年もいましたの。それで、こんなに、水でふくれてしまったんですわ。そりゃあねえ、若い娘にとっては、ずいぶん長い年月でしたわ!」
けれども、こまは、なんにも言いませんでした。心の中では、むかしの恋人のことを思っているのでした。でも、話を聞いているうちに、これが、あのときのまりだということが、だんだん、はっきりしてきました。
そのとき、女中がやってきて、ごみ箱をひっくりかえしました。そして、
「あら、こんなところに、金のこまがあるわ」と、言いました。
こうして、こまは、また、お部屋の中にもどって、名誉をとりもどしました。けれども、まりのほうは、それからどうなったか、わかりません。こまも、むかしの恋のことについては、それきりなにも言いませんでした。どんなに好きな人でも、五年ものあいだ、といの中にいて、水ですっかりふくれあがってしまっては、恋もなにもおしまいです。おまけに、ごみ箱の中で会ったのでは、いくらむかしの恋人でも、とてもわかるものではありません。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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家じゅうの人たちは、なんと言ったでしょうか? まずさいしょに、マリーちゃんの言ったことを聞きましょう。
その日は、マリーちゃんのお誕生日でした。マリーちゃんにとっては、いちばん楽しい日のような気がしました。小さなお友だちが、大ぜいあそびにきました。マリーちゃんは、いちばんきれいな着物を着ました。その着物は、いまでは神さまのところにいらっしゃるおばあさまから、いただいたものでした。おばあさまは、明るい美しい天国にいらっしゃるまえに、自分でこの着物をたって、ぬってくださったのです。
マリーちゃんのお部屋の机の上は、いろんな贈り物で、ピカピカかがやいていました。たとえば、この上もなくかわいらしいお台所。それには、ほんとのお台所にいるものが、のこらずついていました。それから、お人形。このお人形は、おなかを押すと、目をくるくるまわして、キューッ、と、いいました。そのほか、すてきにおもしろいお話の書いてある絵本もありました。もっとも、それには、字が読めなければ、だめですけど。
けれども、どんなお話よりももっとすてきなのは、お誕生日をたくさん、むかえることでした。
「ええ、一日一日、生きていくことが、とっても楽しいわ!」と、マリーちゃんは言いました。名づけ親がそれを聞いて、これこそ、いちばん美しい物語だと、言いました。
おとなりの部屋を、ふたりのにいさんが、歩いていました。ふたりとも、大きな子で、ひとりは九つ、もうひとりは十一でした。このふたりも、一日一日が、とっても楽しそうでした。といっても、マリーちゃんのような、小さい子供ではありませんから、その生きかたも、マリーちゃんとはちがっていました。
ふたりは、元気のいい小学生で、学校の成績は、「優」でした。毎日、友だちとふざけて打ちあいをしたり、冬にはスケートをしたり、また夏には自転車を乗りまわしたりしました。それから、騎士城や、引上げ橋や、城内のろうごくの話を読んだり、アフリカ奥地の探検の話を聞いたりしました。
ひとりのにいさんは、自分が大きくならないうちに、なにもかも、発見されてしまうのではないかと思って、心配しました。それで、冒険旅行に出たがっていました。人生がいちばんおもしろい冒険の物語だよ、その中には、自分じしんがはいっているんだから、と、名づけ親は言いました。
この子供たちは、こうして、毎日毎日、部屋のなかで、わいわいさわぎまわっていました。
さて、その上の二階には、この一家からわかれた、家族が住んでいました。そこにも、子供がいました。といっても、もう大きくて、子供とはいえない人たちでした。ひとりの息子は十七で、もうひとりは二十。三番目の人は、それよりももっと年上よ、と、マリーちゃんは言っていました。この息子は二十五で、婚約していました。
三人の息子は、みんな幸福でした。いい両親はありますし、いい着物は着られますし、それに、すぐれた才能にもめぐまれていましたから。みんなは、それぞれ、自分の好きなものになろうと思いました。
「進め! 古い板べいなんか、みんな取りはらってしまえ! 広い世の中を、自由に見わたすんだ。世の中くらい、おもしろいものはないからなあ。名づけ親のおじさんの、おっしゃるとおりさ。人生こそ、いちばん美しい物語なんだ!」
おとうさんとおかあさんは、ふたりとも、かなりの年でした、――もちろん、子供たちより、年上にはちがいありません――ふたりは、口もとに、ほほえみをうかべ、目と心にもほほえみをたたえて、こう言いました。
「若い者は、なんて元気がいいんだろう! 世の中は、みんなが思うようなものではないが、ともかく世の中なんだ。人生というのは、じっさい、ふしぎな、おもしろい物語だよ」
さて、そのもう一つ上の部屋に、――世間では、屋根裏部屋に住むと、天国にすこし近くなったと、よく言いますが、――その屋根裏部屋に、名づけ親が住んでいました。名づけ親は、年こそとっていましたが、気持はたいへん若くて、いつも上きげんでした。そして、長いお話を、たくさん知っていました。この人は世界じゅうを旅行していました。それで、この人の部屋には、いろんな国の美しいものが、いっぱい飾ってありました。
天井から床まで、何枚もの絵がかけてあり、窓には、赤と黄色のガラスがいくつもはまっていました。その窓ガラスをとおして外を見ると、空が灰色にくもっているときでも、世の中ぜんたいが、お日さまに明るく照らされているようでした。
大きなガラス箱の中に、緑の植物が植えてありました。その中の、小さくしきった場所で、キンギョが泳いでいました。キンギョは、なにかあるものを、見つめていました。そのようすは、まるで、ひとに話したくないことを、たくさん知っているようでした。
この部屋は、一年じゅう、冬のあいだでさえも、花のにおいがしていました。だんろでは、火があかあかと燃えていました。そのまえにすわって、ほのおを見つめながら、火がパチパチ燃えるのを聞いているのは、まことに気持のよいものです。
「ほのおが、わしのために、古い思い出を読んでくれる!」と、名づけ親は言いました。マリーちゃんにも、ほのおの中に、いろんなものの姿が見えるような気がしました。
そのすぐそばにある、大きな本棚には、ほんものの本が、ぎっしりつまっていました。名づけ親は、その中の一冊を、よく読んでいました。そしてその本のことを、書物の中の書物だ、と、呼んでいました。それは聖書でした。その中には、全世界の、そして人類ぜんたいの歴史が、お話になって書かれているのです。天地創造の話だとか、洪水の話だとか、いろんな王さまや、また王さまの中の王さまの話などが。
「世の中に起ったことも、これから起ることも、みんな、この本のなかに書かれているんだよ」と、名づけ親は言いました。「たった一冊の本のなかに、かぎりないほどたくさんのことが、書かれているんだよ。まあ、考えてもごらん。人間がお願いしなければならない、あらゆることが、この『主の祈り』のなかに、わずかの言葉で、言いあらわされているんだよ!
これは、めぐみの露だよ。神さまがくださる、なぐさめのしんじゅなのだよ。それは、贈り物として、子供のゆりかごの上におかれ、子供の胸の上におかれる。
小さい子供たちよ、それをだいじにしなさい。大きくなっても、それをなくすのではないよ。そうすれば、道にまようようなことは、けっしてないからね。それは、おまえの心の中を明るく照らし、それによって、おまえはまようことはないのだよ」
そう言う名づけ親の目は、よろこびに明るくかがやきました。この目も、むかし、若いころには、泣いたこともあるのです。
「だが、あれもまた、あれでよかったのだ」と、名づけ親は言いました。「あれは、神さまがためされる時だった。あのころは、なにもかもが、灰色に見えたものだった。
ところが、いまは、わしのまわりにも、わしの心のなかにも、お日さまが光りかがやいている。人間というものは、年をとればとるほど、不幸にせよ、幸福にせよ、神さまがいつもついていてくださること、そして、この人生こそ、いちばん美しい物語だということが、よくわかってくるのだ。これは、神さまだけが、われわれにおあたえくださることができるのだ。そして、これは、永遠につづくのだよ!」
「一日一日、生きていくことが、とっても楽しいわ!」と、マリーちゃんは言いました。
小さい子も、大きい子も、同じことを言いましたし、おとうさんとおかあさんも、言いました。家じゅうの人たちが、そう言いました。けれども、だれよりもさきに、名づけ親がそう言いました。名づけ親は、世の中のことをたくさん知っていて、みんなの中で、いちばん年をとっていました。どんなお話でも、どんな物語でも知っていますよ。その名づけ親が、心の底から、こう言ったのです。
「人生こそ、いちばん美しい物語だよ!」 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "059372",
"作品名": "家じゅうの人たちの言ったこと",
"作品名読み": "いえじゅうのひとたちのいったこと",
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"名": "ハンス・クリスチャン",
"姓読み": "アンデルセン",
"名読み": "ハンス・クリスチャン",
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"名読みソート用": "はんすくりすちやん",
"姓ローマ字": "Andersen",
"名ローマ字": "Hans Christian",
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"生年月日": "1805-04-02",
"没年月日": "1875-08-04",
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"底本名1": "マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集Ⅲ)",
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"底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日",
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"校正に使用した版1": "1982(昭和57)年3月5日22刷",
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むかしむかし、ひとりのおじいさんの詩人がいました。とてもやさしいおじいさんの詩人でした。
ある晩、おじいさんが、家の中にすわっていたときのことでした。表は、すさまじいあらしになりました。雨が、たきのように降ってきましたが、おじいさんの詩人は、部屋の中のだんろのそばで、気持よく暖まっていました。だんろでは、火が赤々と、燃えていました。リンゴが、ジュージュー、おいしそうに焼けていました。
「こんなあらしのとき、外にいるものはかわいそうだなあ。着物も、びしょぬれになってしまうだろうに」と、おじいさんの詩人は言いました。こんなに、心のやさしい人だったのです。
すると、そのときです。戸の外から、
「あけてください。ぼく、びしょぬれで、寒くてたまんないの!」とさけぶ、小さな子供の声が聞えました。子供は、泣きながら、戸をドンドンたたいています。そのあいだも、雨はザーザー降り、窓という窓は、風のためにガタガタ鳴っています。
「おお、かわいそうに!」と、おじいさんの詩人は言って、戸をあけに行きました。
表には、小さな男の子が立っています。見れば、まっぱだかで、雨水が長い金髪から、ぽたぽたと、したたり落ちているではありませんか。おまけに、寒くて、ぶるぶるふるえているのです。もしも家の中へ入れてやらなければ、こんなひどいあらしの中では、死んでしまうにちがいありません。
「おお、かわいそうに!」と、おじいさんの詩人は言って、男の子の手をとりました。「さあ、さあ、中へおいで。暖かくしてあげるよ。ブドウ酒と焼きリンゴもあげような。おまえは、かわいい子だからねえ」
男の子は、ほんとうに、かわいい子でした。目は、明るい、二つのお星さまのように、キラキラしていました。金色の髪の毛からは、まだ雨水がたれてはいましたが、でも、それはそれはきれいにうねっていました。まるで、小さな天使のようでした。ただ、寒さのために、まっさおな顔をして、からだじゅう、ぶるぶるふるえていました。手には、りっぱな弓を持っていましたが、それも、雨のために、びしょびしょになって、だめになっていました。矢にぬってあるきれいな色も、すっかりにじんでしまっていました。
おじいさんの詩人は、だんろの前に腰をおろして、ひざの上に男の子をだきあげました。そして、髪の毛の水をしぼってやったり、ひえきった男の子の手を、自分の手の中で、暖めてやったりしました。それから、あまいブドウ酒も作ってやりました。やがて、男の子は元気をとりもどしました。頬に、赤みがさしてきました。すると、さっそく、床にとびおりて、おじいさんの詩人のまわりを、ぐるぐる踊りはじめました。
「元気な子だねえ」と、おじいさんは言いました。「おまえは、なんという名前だい?」
「ぼく、キューピッドっていうの」と、男の子は答えました。「おじいさん、ぼくを知らない? ほら、そこにあるのが、ぼくの弓。その弓で、ぼく、矢を射るんだよ。あっ、天気がよくなったよ。お月さまも出た」
「だが、おまえの弓は、ぬれて、だめになっているじゃないか」と、おじいさんの詩人は言いました。
「弱っちゃったなあ!」と、男の子は言うと、弓をとりあげて、しらべました。「だいじょうぶ、もう、すっかりかわいてる。どこも、わるくなってないよ。つるだって、ぴいんとしてるよ。ぼく、ためしてみる」
男の子は、弓を引きしぼって、矢をつがえました。そして、やさしいおじいさんの詩人の心臓をねらって、ピューッと、射ました。
「ほうら。ね、おじいさん。ぼくの弓は、だめになっていないよ、ね」
こう言ったかと思うと、男の子は、大声に笑って、どこかへとび出していきました。なんてひどい、いたずらっ子でしょう! こんなやさしいおじいさんの詩人を、弓で射るなんて。暖かい部屋に入れてくれたり、上等のブドウ酒や、すてきな焼きリンゴまで、ごちそうしてくれたおじいさんを、射るなんて!
やさしい詩人は、床の上にたおれて、涙を流しました。ほんとうに、心臓を射ぬかれてしまったのです。おじいさんは、言いました。
「チッ! あのキューピッドというのは、なんといういたずらっ子だ! どれ、よい子供たちに話しておいてやろう。ひどいめに会わされんように、あいつには気をつけて、いっしょにあそばんように、とな」
よい子供たちは、この話を聞くと、女の子も男の子も、みんな、いたずらもののキューピッドに気をつけました。それでも、キューピッドは、たいへんずるくて、りこうでしたから、やっぱり、みんなをだましていました。
学生さんたちが、学校の講義がおわって、出てきますと、キューピッドが、いつのまにか、本を腕にかかえて、いっしょにならんで歩いているのです。おまけに、黒い制服を着こんでいますので、だれにも見わけがつきません。ですから、自分たちの仲間だと思いこんで、腕をくんで歩きます。ところが、そうすると、胸を矢で射られてしまうのです。それから、娘さんたちが、教会のお説教からもどってくるときも、教会の中にいるときも、キューピッドは、いつも、そのうしろにつきまとっているのです。いや、それどころか、いつどんなときにも、人々のあとを追っているのです。
劇場の大きなシャンデリアの中にすわりこんで、明るく燃えあがっていることもあります。そういうときには、人々は、あたりまえのランプだと思っています。ところが、あとになって、そうではなかったことに気がつくのです。そうかと思うと、お城の遊園地の、散歩道を歩きまわっていることもあるのです。いやいや、それどころか、あなたのおとうさんやおかあさんも、胸のまん中を、射られたことだってあるんですよ。おとうさんやおかあさんに、きいてごらんなさい。きっと、おもしろい話を聞かせてもらえますよ。
まったく、このキューピッドというのは、いたずらっ子です。こんな子にかまってはいけませんよ。この子ときたら、だれのあとをも追っているんですからね。なにしろ、年とったおばあさんでさえ、矢を射られたことがあるんですよ。もっとも、それは、ずっとむかしの話で、もう、すんでしまったことですがね。でもおばあさんは、そのことを、けっして忘れはしませんよ。
いやはや、しようのないキューピッドです! でも、あなたには、この子がわかりましたね。では、キューピッドが、すごいいたずらっ子だということを、忘れないでくださいよ。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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絵のない絵本
ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。しかし、それでもわたしは絵かきです。わたしの眼が、わたし自身にそう言い聞かせています。それに、わたしのスケッチや絵を見てくれた人たちは、みんながみんな、そう認めてくれているのです。
わたしは貧しい若者で、たいへんせまい小路の一つに住んでいます。といっても、光がさしてこないというようなことはありません。なにしろ、まわりの屋根ごしに、ずっと遠くの方まで見わたすことができるほど、高いところに住んでいるのですから。この町にきた、さいしょのころは、ひどくせまくるしい気がして、さびしい思いをしたものです。それもそのはず、森やみどりの丘のかわりに、地平線に見えるものといえば、ただ灰色の煙突ばかりなのですからね。おまけに、ここには、友だちひとりいるわけではありませんし、あいさつの声をかけてくれるような顔なじみもなかったのです。
ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。あの故郷の、沼地のそばに生えている、ヤナギの木のあいだから、わたしを見おろしたときと、すこしもかわらない月だったのです。わたしは、自分の手にキスをして、月にむかって投げてやりました。すると、月はまっすぐわたしの部屋の中にさしこんできて、これから外に出かけるときには、まい晩、ちょっとわたしのところをのぞきこもうと、約束してくれました。そのときからというもの、月は、ちゃんとこの約束を守ってくれています。ただ残念なのは、月がわたしのところに、ほんのわずかの間しかいられない、ということです。でも、くるたびごとに、その前の晩か、その晩に見たことを、あれこれと話してくれるのでした。
「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」
そこでわたしは、いく晩もいく晩も、言われたとおりにやってみました。わたしは、わたしなりに、新しい「千一夜物語」を絵であらわすことができるかもしれません。でも、それでは、あまりに数が多すぎます。わたしがここに書きしるすものは、勝手に選びだしたものではなくて、わたしが聞いたとおりの順序にならべたものなのです。すぐれた才能にめぐまれた画家なり、詩人なり、音楽家なりが、もしもこれをやってみようという気があれば、もっとりっぱなものにすることができるにちがいありません。わたしがお見せするものは、ごく大ざっぱに紙の上に書きつけた、ほんの輪郭にすぎません。そしてそのあいだには、わたし自身の考えもまじっているのです。というわけは、月はかならず、まい晩きてくれたわけではありませんし、ときには一つ二つの雲が、わたしと月のあいだにはいりこんでくることもあったからです。
第一夜
「ゆうべ」これは、月が話したとおりの言葉です。「わたしは、インドの澄みきった空気の中をすべって、ガンジス河にわたしの姿をうつしていました。わたしの光は、古いプラタナスの葉が、ちょうどカメの甲のように盛りあがって、茂っている生垣の中に、さしこもうとしていました。
するとそのとき、茂みの中から、カモシカのように身軽で、イブのように美しい、ひとりのインド娘が出てきました。このインド娘は、なにかしら空気のように軽やかでしたが、それでいて、ぴちぴちとした、ゆたかなからだつきをしていました。わたしは、この娘のきゃしゃな皮膚をとおして、考えていることを読みとることができました。とげのあるつる草が、娘の履物を引きさきましたが、そんなことにはかまわずに、娘はいそいで先へ進んでいきました。そのとき、野獣がのどのかわきをうるおして、河から帰ってきましたが、娘を見るとびっくりして、そばをとびすぎていきました。むりもありません。この娘は、火のもえている明りを手に持っていたのです。娘はほのおが消えないように、そのまわりに手をかざしていましたから、わたしはかぼそい指の中の、いきいきとした赤い血を見ることができました。
娘は河に近よって、明りを流れの上におきました。すると、明りは流れにつれて、くだっていきました。ほのおは、いまにも消えそうにちらちらしました。それでも、もえつづけていきました。娘の黒い、きらきらかがやく眼は、長い絹糸のふさのような、まつ毛の奥から、魂のこもった眼つきをして、そのほのおのあとを、じっと見おくっていました。娘は、その明りが、自分の眼に見えるかぎりのあいだ、もえつづけていれば、愛する人はまだ生きている、けれども、もしも消えてしまえば、もうこの世にはいないのだということを、知っていたのです。見れば、明りは、もえながらふるえました。娘の心も、もえあがって、ふるえました。娘は膝まずいて、祈りました。すぐそばの草の中に、ぬらぬらしたヘビがいました。けれども娘は、梵天王と自分の花婿のことしか考えていませんでした。
『あの人は生きている!』と、娘は喜びの声をあげました。すると、山々からこだまが返ってきました。
『あの人は生きている!』」
第二夜
「きのうのことですよ」と、月がわたしに話しました。「わたしは、家にかこまれている、小さな中庭をのぞいていました。見ると、めんどりが一羽、十一羽のひなどりたちといっしょに寝ていました。ところが、そのまわりを、ひとりのきれいな女の子が、はねまわっているのです。めんどりはびっくりして、コッコッコと鳴きながら、羽をひろげて、小さなひなどりたちをかばいました。そこへ女の子の父親が出てきて、女の子をしかりつけました。わたしはそれきり、もうそのことは考えずに、先へすべっていきました。
ところが今夜、それもほんの二、三分前のことですが、わたしは、またおなじ中庭を見おろしていたのです。はじめのうちは、ひっそりとしていましたが、まもなく、あの小さな女の子が出てきて、そっと、とり小屋にしのびよりました。そして、かんぬきをはずして、めんどりとひなどりたちのいるところへ、しのびこみました。にわとりたちは大声でさけびながら、羽をばたばた打って、飛びまわりました。けれども、女の子は、そのあとを追いかけるのです。わたしは壁の穴からのぞいていたので、このありさまが、手に取るようにはっきりと見えました。わたしは、このいけない子に、すっかり腹をたててしまいました。ですから、父親が出てきて、きのうよりももっとひどくしかりつけて、女の子の腕をつかんだときには、ほんとにうれしくなりました。女の子は、頭をうしろへそらせました。すると、青い眼に大粒の涙が光っていました。
『おまえは、ここで何をしているんだ?』と、父親がたずねました。すると、女の子は泣きだしました。
『あたしはね』と、女の子は言いました。『この中へはいって、めんどりにキスをしてやって、きのうのおわびをしようと思ってたの。だけど、おとうさんには、どうしても、そのことが言えなかったのよ!』
それを聞くと、父親は、このむじゃきな、かわいい子のひたいにキスをしてやりました。わたしも、その眼と口にキスをしてやりました」
第三夜
「ここのすぐ近くの、せまい小路で――そこはとてもせまいので、わたしは家の壁にそって、ほんの一分間しか光をすべらせることができません。でもその一分間に、そこに動いている世間を知るのに十分なものを見るのですが――わたしは、ひとりの女を見ました。十六年前には、この女はまだ子供でした。そして、田舎の、古い牧師の家の庭で遊んでいたのでした。バラの生垣は古くなって、もう花ざかりをすぎていましたが、道の外まで生いしげって、長い枝をリンゴの木立の中までのばしていました。まだあちこちに咲きのこっている花もありましたが、花の女王にふさわしいほど美しくはありませんでした。それでも、色もありましたし、香りもありました。しかしわたしには、牧師の小さな娘のほうが、ずっと美しいバラの花のように思われました。その娘は、のびにのびた生垣の下の、足台に腰かけて、厚紙でこしらえた人形の、へこんだ頬にキスをしていました。
それから十年たって、わたしは、その娘をもう一度見ました。こんどは、はなやかな舞踏室にいるのを見たのです。そのときは、ある金持の商人の、美しい花嫁になっていたのでした。わたしは娘の幸福をよろこんで、静かな夜ごとに、たずねてやりました。ああ、それにしても、だれひとりとして、わたしの明るい眼と、わたしのたしかな眼差しとを、考えてくれる者はありません! わたしのバラの花も、牧師の家の庭のバラの花とおなじように、ずんずん若枝をのばしていきました。
日常の生活にも、悲劇があります。今夜、わたしは、その最後の一幕を見たのです。そのせまい小路で、その女は死の病にとりつかれて、寝台の上に横になっていました。ところが、その女の主人は、ただひとりの保護者であるはずなのに、乱暴で、冷酷な悪人だったものですから、その女のふとんをひきはがして、こう言いました。
『起きろ! おまえの顔を見りゃ、だれだっていやんなっちまわあ! さあ、おめかしでもしろ! 金をかせぐんだ! さもなきゃ、表へおっぽりだすぞ! 早いとこ、起きた、起きた!』
『死神が、わたしの胸の中にいるんです!』と、その女は言いました。『ああ、どうか休ませてください!』
それでも、男は女をひきずり起して、顔におけしょうをし、髪にバラの花をさして、窓ぎわにすわらせました。それから、火のもえている明りを、すぐそばへおいて、出ていきました。わたしは、女をじっと見つめていました。女は身動きもしないで、すわっていました。と、手が膝の上に落ちました。風のために窓がはねかえって、窓ガラスが一枚、ガシャンと割れました。けれども、女はじっとすわっていました。カーテンが女のまわりを、ほのおのようにはためきました。女は、もう死んでいたのです。あけはなたれた窓から、死んだ女が、人間のありかたをといていました。牧師の家の庭の、わたしのバラの花が!」
第四夜
「わたしは、今夜、ドイツ喜劇を見てきました」と、月が言いました。「それは、ある小さな町でのことでした。馬小屋が芝居小屋になっていました。つまり、馬をつなぐ仕切りはそのまま残してあって、これをかざりたてて、見物の桟敷にしてあったのです。そして木造のところは、どこもかしこも色とりどりの色紙で張りめぐらしてありました。ひくい天井からは、小さな鉄のシャンデリアがさがっていました。そしてその上には、桶が一つさかさにはめこまれていて、まるで大きな劇場のように、プロンプターのベルが『リーン、リーン』と鳴りひびくのを合図に、その桶の中にシャンデリアが引き上げられるようになっていました。『リーン、リーン』小さな鉄のシャンデリアが、三、四十センチばかり跳ねあがりました。こうして、喜劇が始まることになったのです。
旅行中の、ある若い公爵が、奥方といっしょに、ちょうどこの町を通りかかって、きょうの芝居を見物にきていました。そのため、小屋は人でいっぱいでしたが、ただシャンデリアの下だけは小さな噴火口のようになっていました。そこには、ろうが『ポタリ、ポタリ』と落ちるので、だれもすわる人がなかったのです。わたしは、なにもかもながめました。というわけは、小屋の中がひどくむし暑かったので、壁の小窓という小窓を、あけはなしておかずにはいられなかったからです。そしてどの小窓の外からも、若い男や女が中をのぞきこんでいました。もっとも、中には警官がいて棒でおどしてはいましたが。
オーケストラのすぐそばに、若い公爵夫妻が、二つの古い肘掛いすに腰かけているのが見えました。いつもなら、この席には町長夫妻がすわることになっていたのですが、今夜ばかりは、ほかの町の人たちとおなじように、木のベンチに腰かけなければなりませんでした。
『まあどうでしょう。タカがタカに追われたというものですわね!』と、奥さんたちが小声で話しあっていました。なにもかもが、このために、いっそうお祭らしくなっていました。シャンデリアがおどりあがりました。のぞいている連中は、指をぶたれました。そうしてわたしは――そうです、この月のわたしは、ぜんたいの喜劇をいっしょに見たのです」――
第五夜
「きのう」と、月が言いました。「わたしはそうぞうしいパリを見おろしていました。わたしの眼は、ルーブル宮殿の中のあちこちの部屋の中へ入りこんでいきました。みすぼらしい身なりをした、ひとりの年とったお婆さんが――このお婆さんは貧しい階級の人でした――身分のいやしい番人の後について、がらんとした大きな玉座の間にはいってきました。お婆さんはこの広間を見たかったのです。見ないではいられなかったのです。お婆さんがこの部屋までくるのには、なんどもなんども、ちょっとした贈り物をしたり、言葉をつくして頼みこんだりしたのでした。
お婆さんはやせこけた手を合せて、まるで教会の中にでもいるように、うやうやしくあたりを見まわしました。
『ここだったんだ!』と、お婆さんは言いました。『ここだ!』
こう言って、金の縁飾りのついている、立派なビロードの垂れさがった玉座に近づいて行きました。
『そこだ、そこだ!』とお婆さんは言いました。そして膝をついて、まっかなじゅうたんにキスをしました。――お婆さんは泣いていたと思います。
『これはそのビロードじゃなかったんだよ』と、番人は言いました。そう言う番人の口もとには、微笑がただよいました。
『でも、ここでしたよ!』と、お婆さんは言いました。『こんなふうだったんですもの!』
『こんなだったかもしれないが』と、番人は答えました。『そうじゃないね。窓はたたきこわされ、戸はひっぱがされて、床の上には血が流れていたのさ! ――だがね、あんたは、わたしの孫はフランス国の玉座の上で死んだと、言おうと思えば言えるんだよ!』
『死んだ!』とお婆さんはくりかえしました。――それからは、一言も話さなかったような気がします。ふたりは、まもなくその広間を出て行きました。夕暮の薄明りが消え失せました。そのためわたしの光は、二倍に明るくなって、フランス国の玉座のまわりの立派なビロードの上を照らしました。きみは、そのお婆さんはだれだったと思いますか?――
わたしはきみに一つの物語をしてあげましょう。それは七月革命のときのこと、あの世にも輝かしい勝利の日の夕暮だったのです。一軒一軒の家が城砦となり、一つ一つの窓が堡塁となっていました。民衆はチュイルリー宮へ向って突進しました。女や子供たちまでも、戦う人々の中にまじっていました。人々は宮殿の部屋や広間の中に押し入って行きました。ぼろを着た貧しい小さな男の子がひとり、年上の人たちのあいだで勇敢に戦っていました。しかしそのうちに、あちこちを銃剣でつかれて致命傷を受け、とうとう床の上に倒れました。それは玉座の間での出来事でした。人々は血まみれの男の子をフランス国の玉座の上に横たえて、傷のまわりにビロードを巻きつけました。血潮は王のまっかなじゅうたんの上に流れました。そのありさまはまったく一つの絵でした! 華麗な広間、戦っている人々の群れ!
引裂かれた旗は床の上に落ちていました。三色旗は銃剣の先にはためいていました。そして玉座の上には、青ざめて聖らかな顔をした貧しい男の子が、眼を天へ向けて横たわっていました。手足は死との戦いのために、もうぐったりとしていました。あらわな胸、みすぼらしい着物、そしてその上を半ばおおっている、銀のユリの花のついた、立派なビロードのひだ。この子がまだゆりかごの中にいたころ、そのそばで『この子はフランス国の玉座の上で死ぬだろう!』という予言がなされていたのです。母親の心は、新しいナポレオンを夢みていたのでした。
わたしの光は、その子のお墓の上の不滅花の花輪にキスをしたものです。そして今夜は、年とったお婆さんのひたいにキスをしました。そのときお婆さんは、きみが絵にすることのできる『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』の絵を、夢にみていました」
第六夜
「わたしはウプサラにいました」と、月が言いました。「わたしは作物の育たない畑と、わずかしか草の生えていない大きな平野を見おろしました。わたしはフュリス河に自分の姿を映しました。ちょうどそのとき、蒸気船にびっくりした魚が、葦のあいだに逃げこみました。わたしの下の方を雲が走っていましたが、長い影をオーディンの墓、トールの墓、フレイヤの墓と人々が呼んでいる小高い丘の上に投げていきました。これらの丘の上をおおっている薄い芝生の中には、人々の名前が切りこまれていました。ここには旅行者たちが自分の名前を刻みつけることのできるような記念石もなければ、どこかに自分の姿をえがかせることのできるような岩壁もありません。ですから、ここを訪れる人々は芝生を刈りとらせました。はだの見える地面が、大きな文字や名前となって現われています。そしてそういう文字や名前が、大きな丘の上に張られた一つの網のようになっているのです。いわば一種の不滅です。もっとも、それをまた新しい芝生がおおっていくのですが。
そこに、ひとりの男が立っていました。歌い手でした。男はひろい銀の輪のついた蜜酒のさかずきを飲みほして、一つの名前をつぶやきました。そして風に向って、その名前をだれにももらさないようにと頼みました。ところが、わたしは聞いてしまったのです。わたしはその名前を知っていました。その名前の上には、伯爵の冠がきらめいています。だからこの男は、その名前を大声で言わなかったのです。わたしはほほえみました。この男の上には、詩人の冠がきらめいているではありませんか! エレオノーラ・デステの高貴さはタッソーの名前と結びついています。それからまたわたしは知っています、どこに美のバラが咲くかということを――!」
月がこう言ったとき、一片の雲が通りすぎました。――詩人とバラのあいだには、どんな雲も割りこまないでいてもらいたいものです。
第七夜
「波打ちぎわにそって、カシワの木とブナの木の森がひろがっています。そこはいかにもすがすがしい森で、よい香りがただよっています。春になると、幾百ともしれないナイチンゲールが訪れてきます。この森のすぐ近くに海があります。永遠に姿を変えている海です。そしてこの森と海とのあいだを、広い国道が通っています。馬車がつぎからつぎへと走っています。けれどもわたしは、その後については行きません。わたしの眼は、たいてい一つの点にとまるのです。そこには一つの大きな塚があります。キイチゴの蔓とリンボクが、石の間からのびています。ここに、自然の中の詩があるのです。きみは、人々がこれをどんなふうに考えていると思いますか? そうだ、わたしがそこで、きのうの夕方から夜にかけて聞いたことだけを話してあげましょう。
最初に金持の農夫がふたり、馬車に乗ってやってきました。
『そこらにあるのは、たいした木じゃないか!』と、ひとりが言いました。
『一本あたり、十駄のまきはとれるよ!』と、もうひとりが答えました。
『この冬もきびしい寒さになるぜ。去年は一坪十四ターレルで売ったっけな!』
こう言って、ふたりは通りすぎて行きました。
『ここは道が悪いなあ!』と、べつの馬車で来た人が言いました。
『そりゃあ、あのいまいましい木のためさ!』と、つれの者が答えました。
『なにしろここは、海のほうからしか風が吹いてこないんだからね!』
こう言いながら、このふたりも通りすぎて行きました。駅馬車も通りかかりました。こんなにすばらしい景色のところへ来ても、みんな眠っていました。御者はラッパを吹きならしました。そして心の中では、『おれの吹き方はうまいもんだ。それによ、ここへ来ると、ほんとうにいい音がでる。だが、みんなはどう思っているかな?』と、こんなことばかりを考えていました。こうして、駅馬車も行ってしまいました。
こんどは、ふたりの若者が馬をとばせてやってきました。この血の中には青春とシャンパン酒があるな、とわたしは思いました。このふたりも、口もとに微笑をうかべながら、苔のむした丘と薄暗い茂みのほうをながめました。
『水車屋のクリスチーネといっしょに、ここを散歩したいなあ!』と、ひとりが言いました。
それから、ふたりは駆け去りました。あたりの花は、たいへん強くにおいました。そよ風は静かにまどろみました。海はまるで、深い谷の上にひろがっている空の一部になったかのようでした。
また一台の馬車が通りすぎました。中には六人の客が乗っていました。そのうち四人は眠っていました。五人目の男は、自分によく似合うはずの、新しい夏服のことを考えていました。六人目の男は、御者のほうへからだを乗りだして、あそこに積み重ねてある石には、なにか特別のことでもあるのかとたずねました。
『いいや』と、御者は言いました。『ただ、石が積み重ねてあるだけでさあ。だが、あっちの木のほうとなると、特別のことがありますて!』
『どうしてだい?』
『ええ、特別のことがありますとも! 旦那、冬になって、雪が深くつもりますってえと、何もかも一面に平らになってしまいまさ。そんなとき、あっしの目印になるのが、あの木でしてね、あいつを頼りにして行くからこそ、海にもはまりこまねえですむってもんでさ。だからね、あいつは特別なんですよ!』――こう言って、走り去りました。
そこへ、ひとりの画家がやってきました。その眼はきらめきました。一言も物を言いませんでした。画家は口笛を吹きました。ナイチンゲールが歌いはじめました。一羽また一羽と、だんだん高く。
『だまれ!』と、画家はどなって、すべての色と濃淡とを非常にくわしくかきとめました。『青、薄紫、濃褐色!』これはすばらしい絵になるでしょう! 画家は、鏡がものの姿をうつすように、それをうつしとったのです。そしてそうしながら、ロッシーニの行進曲を口笛で吹いていました。
最後にやってきたのは貧しい女の子でした。女の子は塚のそばで休んで、荷物をおろしました。美しい青白い顔を森のほうへ向けて、そこからひびいてくる物音に耳をかたむけました。海のかなたの大空を見上げたとき、女の子の眼はきらきらと輝きました。両手が合されました。『主の祈り』をとなえたように思われます。この子は自分でも、自分自身の中を流れている感情がわかりませんでした。しかし、わたしは知っています。長い年月がたつうちには、この瞬間とまわりの自然とが、画家がきまった絵具でえがきだしたよりもずっと美しく、さらにいっそう忠実に、この子の思い出のうちにときおり生きかえってくるだろうということを。わたしの光は、暁の光が女の子のひたいにキスをするまで、この子の後について行きました!」
第八夜
重い雲が空一面にたれこめて、月はまったく姿を現わしませんでした。わたしは二重のさびしい思いにかられながら、わたしの小部屋の中に立って、いつも月が輝き出てくるあたりの空をながめていました。わたしの思いは広くかけめぐりました。そして、毎晩あんなに美しい話を聞かせてくれたり、すばらしい絵を見せてくれたりした、偉大な友だちのことに思い及びました。
そうです、いままでにこの月の体験しなかったことがあるでしょうか! ノアの大洪水のときにも、その水の上を帆走ったのです。そして、ちょうどいまわたしにほほえみかけているのと同じように、箱船の上にほほえみかけて、やがて花咲き出ようとする新しい世界の慰めをもたらしたのです。イスラエルの人民が泣きぬれてバビロンの河辺に立ったとき、あの月は竪琴のかかっているヤナギの木のあいだから、悲しげにそれをのぞいたこともあるのです。ロメオが露台の上によじのぼって、まことの愛の接吻が天使の思いのように天へとのぼって行ったとき、まるい月は黒い糸杉のあいだに半ばかくれて、澄みきった空に浮んでいたこともあるのです。また、セント・ヘレナの島に幽閉された英雄が、荒寥たる岩頭に立って、胸に雄志を抱きながら大海原をながめやっている姿を見たこともあるのです。
そうです、月にとって話せないようなことが何かあるでしょうか! この世界の生活は、月にとっては一つのおとぎばなしなのです。なつかしい友よ、今夜わたしはきみの姿を見ません。きみの訪問の記念に、どんな絵をもかくことができません。――こうしてわたしが、夢想にふけりながら雲の中を見上げますと、そこが明るくなりました。それは一すじの月の光でした。けれども、その光はすぐまた消えてしまいました。黒い雲がすべって行ったのです。しかし、それこそ挨拶でした。月がわたしに送ってくれた、やさしい晩の挨拶だったのです。
第九夜
空気はまた澄みわたりました。幾晩か、たっていました。月は上弦になっていました。わたしはふたたびスケッチをしようという考えを起しました。――月の話してくれたことをお聞きください。
「わたしはグリーンランドの東海岸まで、北極鳥と、泳いでいるクジラの後を追って行きました。氷と雲とにおおわれた裸の岩山が谷をとりまいていました。ヤナギとコケモモが咲きそろい、よい香りのするセンオウは甘い匂いをひろげていました。わたしの光は弱く、わたしのまるい顔も、茎からもぎとられて何週間も水の上をただよっているスイレンの葉のように、青ざめていました。北極光の冠が、もえさかっていました。その光の輪は広くて、光の線は渦巻く火柱のように大空ぜんたいにひろがって、緑と紅とにきらめいていました。
この地方に住んでいる人たちが踊りと娯楽のために集まっていましたが、この美しさを見ても、ふだん見なれているために、だれひとり驚く者はありませんでした。この人たちは、『死人の魂は、海象の頭といっしょに踊らせておけばいい』という、この人たちなりの信仰に従って考えていたのです。心も、眼も、歌と踊りにばかり向けられていました。輪になったまん中に、手太鼓を持ったひとりのグリーンランド人が毛皮も着ないで立っていて、海豹捕りの歌の音頭をとっていました。すると合唱隊は『エイア、エイア、ア!』とそれに応じました。そうして、白い毛皮を着て、まるい輪をつくって跳ねまわりました。そのありさまは、まるで北極熊の舞踏会のようでした。眼と頭が、思いきりはげしく動いていました。
そのうちに、裁判と判決が始まりました。仲違いをしている人たちが前に歩みでて、まず恥ずかしめを受けた者が相手の悪いことを即興の歌にして、大胆にあざけって言いたてました。こうしたことはみんな、太鼓に合せて踊っている最中に行われるのです。訴えられたほうの者も、同じようにずる賢くそれに答えます。すると、集まっている人たちが笑いさざめきながら、ふたりのあいだに判決をくだすのでした。岩山はとどろき、氷塊がくずれ落ちました。落下する大きな塊りが、途中でこなごなにくだけ散りました。それはグリーンランドらしい、美しい夏の夜でした。
そこから百歩ばかり離れたところに、入口のひらいた、皮のテントがあって、その中にひとりの病人がねていました。その暖かい血の中にはまだ生命が流れていました。でも、もうこの男は死ななければなりませんでした。自分でもそう思っていましたし、まわりの者もみんなそう思っていたのです。ですから、その男の妻は、後になって死人のからだにさわらないでもいいように、夫のからだのまわりに皮の衣をしっかりと縫いつけて、たずねました。
『あんたは、あの岩の上の固い雪の中に埋めてもらいたいの? それならわたしは、そこをあんたのカヤックとあんたの矢で飾ってあげるよ。アンゲコックがその上を踊ってくれるだろうよ。それとも、海の中へ沈めてもらいたい?』
『海の中へ』と、男はささやいて、悲しげな微笑を浮べながら、うなずきました。
『あそこは気持のいい夏のテントだからね』と、妻は言いました。『あそこなら海豹も何千となく跳びはねているし、足もとには海象がねむっているんだもの。漁はたしかで、おもしろいにちがいないわ!』
それから、子供たちは泣き悲しみながら、窓に張ってあった皮を引きちぎりました。こうして瀕死の病人を海へ、大波のうねっている海へ、連れだそうというのです。その海こそは、生きているあいだはこの男に食べ物を与え、いまは、死んでから後の安息を与えるのです。墓標となるのは、夜となく昼となくたえず変化しながら、ただよっている氷山です。その氷塊の上では海豹がまどろみ、海つばめはその上を飛びこえて行くのです」
第十夜
「わたしはひとりの老嬢を知っていました」と、月が言いました。「この人は冬になると、いつも黄色いしゅすの外套を着ていましたが、それはきまって新しいものでした。それがこの人にとっての、ただ一つの流行だったのです。夏には、いつも同じ麦わら帽子をかぶっていました。そして、同じ青灰色の着物をきていたような気がします。
この人は通りをへだてた向いにいる、ひとりの年とった女友だちのところへ出かけて行くだけでした。けれども、その友だちも死んでしまいましたので、去年はそれさえもしませんでした。わたしの老嬢はいつもひとりぽっちで、窓の中がわで立ち働いていました。そこには夏じゅう美しい花が咲き、冬には毛織帽子の上にきれいなタガラシがさしてありました。ところが先月は、この人はもう窓ぎわにすわっていませんでした。でも、まだ生きてはいたのです。わたしには、それがよくわかっているのです。というのは、この人があの女友だちとよく話していた大旅行に出かけるのを、わたしはまだ見ていなかったからです。
『そうよ』と、そのとき、この人は言っていました。『わたしはいつか死んだら、一生のうちにしたよりももっと大きな旅行をするのよ。ここから六マイル離れたところに、わたしの家の墓地があるわ。そこへわたしは運ばれていって、親類の人たちといっしょに眠るのよ』
ゆうべ、その家の前に一台の車がとまりました。人々は一つの棺を運びだしました。それでわたしは、あの人が死んだことを知りました。人々は棺のまわりにわらをかけました。それから、車は動きだしました。そこには、去年一度も家から出たことのない老嬢が、静かに眠っていました。
車はまるで楽しい旅にでも出かけるように、すばらしい勢いで町から出て行きました。国道に出ると、いっそう早くなりました。御者は二、三度そっとうしろを振り向きました。もしかしたらあの人が、黄色いしゅすの外套を着て、棺の上にすわっていはしないかと、心配しているようでした。そのため御者はめちゃめちゃに馬に鞭をあてたり、手綱をぐっと引きしぼったりしました。それで、馬はふうふう泡をふきだしていました。馬は若くて元気でした。ウサギが一ぴき、道を横ぎりました。馬はまっしぐらに走って行きました。もの静かな老嬢は、生きているときは、年がら年じゅう家の中の同じ場所だけをゆっくりと動きまわっていましたのに、死んだいまとなって、このひろびろとした国道を真一文字に走って行くのでした。
わらのむしろで包んであった棺が跳ね上がって、道の上に落っこちました。ところが、馬と御者と車とは、そんなことにはかまわずに、荒れ狂ったように駆け去ってしまいました。ヒバリが歌いながら野から舞いあがって、棺の上のほうで朝の歌をさえずりました。それから、棺の上にとまって、くちばしでむしろをつつきました。そのようすは、まるでさなぎを裂きやぶろうとでもしているようでした。それからヒバリは、ふたたび歌いながら、大空に舞い上がりました。そしてわたしは赤い朝雲のうしろに引きさがったのです」
第十一夜
「婚礼の祝宴がありました」と、月が話しました。「歌がうたわれ、健康を祝ってさかずきがあげられました。すべてが豊かで、はなやかでした。お客たちも帰っていきました。もう真夜中をすぎていました。母親たちは花婿と花嫁にキスをしました。わたしは、花婿花嫁がふたりだけになったのを見ました。けれども、カーテンがほとんどすっかり引かれていて、ランプがこの楽しい部屋を照らしていました。
『みんな帰ってくれてありがたい!』と、花婿は言って、花嫁の両手と唇にキスをしました。花嫁はほほえみ、そして泣きました。蓮の花が流れる水の上に休らうように、ふるえながら花婿の胸に頭をもたせて、そしてふたりはやさしい幸福な言葉をささやきあいました。『ぐっすりおやすみ』と、花婿は言いました。花嫁はカーテンをわきへ引きよせました。
『まあ、なんてきれいなお月さまなんでしょう!』と、花嫁が言いました。『ごらんなさいな、あんなに静かで、あんなに明るいわ!』それからランプを消しました。楽しい部屋の中はまっくらになりました。しかしわたしの光は、花婿の眼が輝いていたように、輝いていました。――女性よ、詩人が生命の神秘をうたうときには、その竪琴にキスをなさい!」
第十二夜
「わたしはポンペーの一つの光景をきみに話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしは『墓場通り』といわれている郊外にいました。そこには美しい記念碑がいくつか立っています。そのむかし狂喜した若者たちが、ひたいにバラの花を巻いて、美しいライスの姉妹たちと踊ったところです。いま、そこは死んだように静まりかえっていました。ナポリに勤務しているドイツ兵が警備にあたっていて、トランプやさいころ遊びをやっていました。
外国人の一団が警備兵につきそわれて、山の向うから町の中へはいってきました。この人たちは、わたしの照り輝く光の中で、墓の中からよみがえった都市を見ようと思ったのです。そこでわたしは、広い熔岩をしきつめた街路にのこっている車輪の跡を見せてやりました。それからまた、戸口に書いてある名前や、昔のままにかかっている看板を見せてやったりしました。その人たちは、小さい中庭では貝がらで飾られた噴水受けの水盤を見ました。しかし、いまは水も噴き上がってはいませんでした。また金属製の犬が戸口の番をしている色あざやかな部屋々々からも、歌声一つひびいてはきませんでした。
それは死の都でした。ただベスビオの山だけは、あいもかわらず永遠の讃歌をとどろかしていました。その一つ一つの詩句を、人間は新しい爆発と呼んでいるのです。わたしたちはビーナスの神殿に行きました。それはきらきら光るまっ白な大理石でできていました。広い階段の前に高い祭壇があって、円柱のあいだに生えているしだれヤナギはいきいきとしていました。空気はすきとおって碧色をしていました。背景にはベスビオの山が黒々とそびえていて、そこから噴きでる火は笠松の幹のように立ちのぼっていました。煙の雲が夜の静けさの中に照らしだされて、笠松のこずえのように、血のように赤くひろがっていました。
この一団の中にひとりの歌姫がいました。この歌姫はほんとうにすぐれた声楽家で、わたしはヨーロッパの大都会でこの人がほめそやされているのを見たことがあります。人々が悲劇の劇場に近づいたとき、みんなは円形劇場の石の段の上にすわりました。こうして数千年前と同じように、ふたたびこの劇場のわずかな場所が人々に占められたのです。舞台はまだ昔のままになっていました。壁を塗った側面と、背景に二つのアーチがあって、そこから以前の時代と同じ装飾が見えました。つまりそれは自然そのもののことで、ソレントとアマルフィのあいだの山々です。
歌姫はたわむれに古代の舞台に上がって歌いました。この場所が霊感を与えたのです。わたしは思わずも、鼻息あらく、たてがみをなびかせつつ走り去るアラビアの野馬を思いださずにはいられませんでした。歌姫の歌には、ちょうどそれと同じ軽やかさと確かさとがありました。またわたしは、ゴルゴタの丘の十字架の下で苦しみ悩む母親のことを思わずにはいられませんでした。ちょうどそれと同じ心にしみ入る、深い苦痛が現われていました。そしてあたりには、数千年の昔と同じように、ふたたび拍手と歓呼の声がひびきわたりました。
『しあわせな人! すばらしい才能にめぐまれた人!』と、みんなは歓声をあげました。
三分後には舞台は空になりました。すべてが去りました。もう物音一つ聞えなくなりました。あの一団は歩み去ったのです。しかし、廃墟はあいもかわらず立っていました。これからもなお数百年のあいだ、このままに立ちつづけることでしょう。そしてこの瞬間の喝采のことも、美しい歌姫のことも、その歌声やほほえみのことも、だれひとり知る者もなく、忘れられ、過ぎ去ってしまうのです。わたし自身にとっても、この一時はすでに消え去った思い出なのです」
第十三夜
「わたしはある編集者の窓をのぞきこみました」と、月が言いました。「そこはドイツのどこかでした。その部屋には、りっぱな家具と、たくさんの書物と、乱雑に積みかさねた新聞がありました。若い男が幾人もいました。編集長自身は大きな机のそばに立っていました。二冊の小さい本が、いずれも若い作家の書いたものですが、それが批評されることになっていました。
『この一冊はぼくに送ってよこしたものなんだが』と、編集長は言いました。『ぼくはまだ読んでいない。だが、きれいな装幀だね。内容はきみたちどう思う?』
『ええ』と、ひとりが言いました。この人自身詩人でした。『とてもいいですよ。すこし長たらしくてだらだらしていますが、まあなんといっても若い人ですからね。詩句にしたって、もうすこし直すこともできるでしょう。思想はたいへん穏健です。むろん、ごくありふれた考え方ですけども。しかし、どう言うべきでしょう? 何か新しいものを見つけようったって、いつも見つかるわけじゃないんですから、ほめてやっていいと思います。といったところで、この男が詩人としてりっぱなものになろうなどとは、ぼくもけっして思ってはいません。ともかく知識もあり、すぐれた東洋学者でもあり、またたいへん穏健な批評をする人なんです。ぼくの“家庭生活についての随想録”にりっぱな批評を書いたのは、この男なんですよ。若い人に対しては寛大でいてやりたいものです』
『いや、あれはまったくの愚物ですよ』と、この部屋にいたもうひとりの紳士が言いました。『詩では凡庸ということぐらい悪いことはありませんよ。それにあの男ときたら、一歩も凡庸以上に出ていないんですからね』
『かわいそうなやつ!』と、第三の男が言いました。『しかもこの男の叔母さんは、この男のことを喜びとしているんです。その叔母さんていうのは、編集長さん、あなたのこのあいだの翻訳にあんなに大勢の予約者を集めてくれた人なんですよ――』
『ああ、あの親切な婦人ね! うん、ぼくはこの本をごく簡単に批評することにしたよ。疑う余地なき才能! 歓迎すべき天賦の素質! 詩の園に咲いた一輪の花! 装幀もいい、などとね。ところで、もう一つの本はどうだろう! あの著者は、ぼくにも買わせようという腹らしい。――評判がいいよ。あの男は天才をもっているんだね。きみたち、そう思わないかね?』
『ええ、みんなはそう言いたててますね』と、さっきの詩人が言いました。『だけど、すこし粗雑ですよ。コンマの打ち方なんか、あまりにも天才的すぎますね』
『あの男はこきおろしてやって、ちっとは腹をたてさせたほうがためになりますよ。さもなきゃ、のぼせあがってしまいますからね』
『しかし、それは不当です』と、第四の男が大声に言いました。『そんな小さい欠点ばかりをかぞえたてないで、いいものを喜びましょうよ。しかもここには、それがたくさんあるんです。まったく、あの男は衆をぬきんでていますよ』
『とんでもない! もしあの男がほんとうの天才だとすれば、そのくらいの鋭い非難にだって耐えることができるさ。あの男を個人的にほめる者はいくらでもある。われわれはあの男を慢心させないようにしようじゃないか!』
『疑う余地なき才能!』と、編集長は書きました。『だれにもありがちの不注意。この著者もまた不幸な詩句を書くことは、二十五ページに見いだされる。そこには二つの母音重複がある。古人についてさらに研究されんことを切望する、云々』
わたしはそこを立ち去りました」と、月は言いました。「それから、その叔母さんの家の窓をのぞいてみました。そこには評判のいいおとなしい詩人が、招待されたすべての客から賞讃されてすわっていました。この人は幸せでした。
わたしはもうひとりの詩人を、粗雑な詩人をさがしました。この人もまた、ひとりの後援者のところに集まった大勢の人々の中にいました。そこでは、もうひとりの詩人の本が話題にのぼっていました。
『わたしはあなたの本も読みましょう』と、後援者が言いました。『しかし正直に言うと、あなたも知っての通り、わたしは自分の思っていることをなんでも言ってしまう人間ですが、こんどの本に対してはそんなに期待していませんよ。あなたはあまりに粗雑すぎる! 空想的すぎる――といっても、あなたが人間としてきわめて尊敬すべき人であることは、わたしも認めています』
ひとりの若い娘が片隅にすわって、本を読んでいました。
――天才のほまれはどろにまみるれど、
凡庸のわざは空高くかかげらる!――
『こは古き語り草なれど、
なおつねに新たなり!』」
第十四夜
月が話しました。「森の道にそって、二軒の農家があります。戸口は低く、窓は上と下とについています。あたりにはサンザシやヘビノボラズが生えています。屋根は苔でおおわれていて、黄色い花やイワレンゲが咲いています。小さい庭にはキャベツとばれいしょがあるだけですが、生垣にはニワトコが花をいっぱいに咲かせています。
その下に、ひとりの小さい女の子がすわっていました。その子は鳶色の眼で、二軒の家のあいだに立っている古いカシワの木をじっと見つめていました。この木は枯れた高い幹を持っているのですが、その上の方は鋸でひき切られていました。そこにコウノトリが巣をつくっていました。ちょうどいまコウノトリがその上に立って、くちばしをガチャガチャやっていました。
ひとりの小さい男の子が出てきて、女の子のそばに並びました。このふたりは兄妹だったのです。
『何を見てるんだい?』と、男の子はききました。
『コウノトリを見てるのよ』と、女の子が言いました。『おとなりのおばさんがね、コウノトリが今夜あたしたちに小さい弟か妹を連れてきてくれるって言ったの。だからあたし、コウノトリが来るのを見ようと思って、気をつけてるのよ』
『コウノトリなんて、なんにも持ってきやしないさ』と、男の子が言いました。『いいかい、おとなりのおばさんは、ぼくにもおんなじことを言ったけど、そう言ったとき笑ってたんだ。それでぼく、おばさんに、きっとですかって、きいたのさ。――だけどおばさんは返事ができなかったんだぜ。だからぼくには、ちゃんとわかっちゃったんだ。コウノトリの話なんて、ぼくたち子供にほんとうらしく思わせるだけのことさ!』
『だけど、そんなら赤ちゃんはどこから来るの?』と、女の子はたずねました。
『神さまが連れてきてくださるのさ』と、男の子は言いました。『神さまは外套の下に入れて連れていらっしゃるんだよ。だけども、人間は神さまの姿を見ることができない。だから、神さまが赤ん坊を連れていらっしゃるのも、ぼくたちには見えないのさ』
その瞬間、ニワトコの木の枝の中でザワザワという音がしました。子供たちは両手を合せて、互いに顔を見合せました。たしかに神さまが子供を連れてきたのです。――ふたりは手を取り合いました。家の戸があきました。それはおとなりのおばさんでした。
『さあ、はいってらっしゃい』と、おばさんは言いました。『コウノトリが何を持ってきてくれたかごらんなさい。ちっちゃな弟さんよ!』すると、子供たちはうなずきました。ふたりとも、その弟が来たことを、もうちゃんと知っていたのです」
第十五夜
「わたしはリューネブルクの荒野の上をすべって行きました」と月が言いました。「道ばたに小屋が一軒、ぽつんと立っていました。葉の散り落ちた藪が二つ三つ、そのすぐそばにありました。そこでは、どこからか迷いこんできたナイチンゲールが歌をうたっていました。けれども、ナイチンゲールは夜の寒さのために死ななければなりません。わたしが聞いたのは、そのナイチンゲールのこの世での最後の歌だったのです。
暁の光が輝きました。旅人の一隊がやってきました。それは外国へ移住して行く農夫の一家でした。船でアメリカへ渡ろうとして、ブレーメンかハンブルクへ行くところだったのです。この人たちはアメリカへ行けば、幸運が、夢みている幸運が、花を開くものと思っていたのでした。女たちは小さい子供を背中に背負っていました。いくらか大きい子供たちはそのそばを跳びはねていました。やせこけた一頭の馬が、わずかばかりの家具をのせた車を引いていました。
つめたい風が吹いてきました。それで小さい女の子は、母親のそばにぐっとからだをすり寄せました。母親は、かけはじめたわたしのまるい月の輪を見上げながら、故郷でなめてきたひどい苦労のことを思いうかべたり、払うことのできなかった重い税金のことを考えたりしていました。それは、この一行のだれもが考えていることでした。だから赤々と輝く暁の光は、ふたたび訪れてくるであろう幸運の太陽の福音のように思われたのです。いまにも死にそうなナイチンゲールの歌声を聞いても、それは悪い予言者ではなく、幸運の告知者のように聞えたのです。風がヒューヒューと鳴っていました。ですから人々には、ナイチンゲールのうたう歌がわかりませんでした。
『安らかに海を渡れ! 長い船路のために、おまえは持てるすべてのものを支払った。貧しくよるべなく、おまえはおまえのカナーンの地を踏むだろう。おまえはみずからを売り、妻を売り、子供を売らねばならない。だが、長く苦しむことはない! 香り高い広い葉かげに、死の女神がすわっている。その歓迎のキスは、おまえの血の中に死の熱病を吹きこむのだ。ゆけよ、ゆけ、盛りあがる大波を越えて!』
旅人の一行は、喜んでナイチンゲールの歌に聞きいりました。というのは、その歌がやがて来る幸福をうたっているように思われたからです。薄雲のあいだから日が輝いてきました。農夫たちは荒野を横切って教会へ行きました。黒い着物を着て、頭を厚い白い麻布でつつんだ女たちの姿は、教会の中の古い絵からおりたってきたのではないかと思われました。このあたりを取り巻いているものは、ひろびろとした荒寥たる環境ばかりでした。乾からびた褐色のヒースと、うす黒く焦げた芝草が、白い砂洲のあいだに見えるだけでした。女たちは讃美歌の本を持って、教会のほうへ行きました。ああ、祈れよ! 盛りあがる大波のかなたの墓場へさすらい行く人々のために祈れよ!」
第十六夜
「わたしはひとりのプルチネッラを知っています」と、月が言いました。「見物人はこの男の姿を見ると、大声にはやしたてます。この男の動作は一つ一つがこっけいで、小屋じゅうをわあわあと笑わせるのです。けれどもそれは、わざと笑わせようとしているわけではなく、この男の生れつきによるのです。この男は、ほかの男の子たちといっしょに駆けまわっていた小さいころから、もうプルチネッラでした。自然がこの男をそういうふうにつくっていたのです。つまり、背中に一つと胸に一つ、こぶをしょわされていたのです。ところが内面的なもの、精神的なものとなると、じつに豊かな天分を与えられていました。だれひとり、この男のように深い感情と精神のしなやかな弾力性を持っている者はありませんでした。
劇場がこの男の理想の世界でした。もしもすらりとした美しい姿をしていたなら、この男はどのような舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたことでしょう。英雄的なもの、偉大なものが、この男の魂にはみちみちていたのでした。でもそれにもかかわらず、プルチネッラにならなければならなかったのです。苦痛や憂鬱さえもがこの男の深刻な顔にこっけいな生真面目さを加えて、お気に入りの役者に手をたたく大勢の見物人の笑いをひき起すのです。
美しいコロンビーナはこの男に対してやさしく親切でした。でもアルレッキーノと結婚したいと思っていました。もしもこの『美女と野獣』とが結婚したとすれば、じっさい、あまりにもこっけいなことになったでしょう。プルチネッラがすっかり不機嫌になっているときでも、コロンビーナだけはこの男をほほえませることのできる、いや大笑いをさせることのできるただひとりの人でした。最初のうちはコロンビーナもこの男といっしょに憂鬱になっていましたが、やがていくらか落ちつき、最後には冗談ばかりを言いました。
『あたし、あんたに何が欠けているか知ってるわ』と、コロンビーナは言いました。『それは恋愛なのよ』
それを聞くと、プルチネッラは笑いださずにはいられませんでした。
『ぼくと恋愛だって!』と、この男は叫びました。『そいつはさぞかし愉快だろうな! 見物人は夢中になって騒ぎたてるだろうよ!』
『そうよ、恋愛よ!』と、コロンビーナはつづけて言いました。そしてふざけた情熱をこめて、つけ加えました。『あんたが恋しているのは、このあたしよ!』
そうです、恋愛と関係のないことがわかっているときには、こんなことが言えるものなのです。すると、プルチネッラは笑いころげて飛び上がりました。こうして憂鬱もふっとんでしまいました。けれども、コロンビーナは真実のことを言ったのです。プルチネッラはコロンビーナを愛していました。しかも、芸術における崇高なもの、偉大なものを愛するのと同じように、コロンビーナを高く愛していたのです。コロンビーナの婚礼の日には、プルチネッラはいちばん楽しそうな人物でした。しかし夜になると、プルチネッラは泣きました。もしも見物人がそのゆがんだ顔を見たならば、手をたたいて喜んだことでしょう。
ついこのあいだ、コロンビーナが死にました。葬式の日には、アルレッキーノは舞台に出なくてもいいことになりました。この男は悲しみに打ち沈んだ男やもめなんですから。そこで監督は、美しいコロンビーナと陽気なアルレッキーノが出なくても見物人を失望させないように、何かほんとうに愉快なものを上演しなければなりませんでした。そのため、プルチネッラはいつもの二倍もおかしく振舞わなければならなかったのです。プルチネッラは心に絶望を感じながらも、踊ったり跳ねたりしました。そして拍手喝采を受けました。
『すばらしいぞ! じつにすばらしい!』
プルチネッラはふたたび呼び出されました。ああ、プルチネッラは、ほんとうに測りしれない価値のある男でした!
ゆうべ芝居が終ってから、この小さな化物はただひとり町を出て、さびしい墓地のほうへさまよって行きました。コロンビーナの墓の上の花輪は、もうすっかりしおれていました。プルチネッラはそこに腰をおろしました。そのありさまは絵になるものでした。手はあごの下にあて、眼はわたしのほうに向けていました。まるで一つの記念像のようでした。墓の上のプルチネッラ、それはまことに珍しいこっけいなものです。もしも見物人がこのお気に入りの役者を見たならば、きっとさわぎたてたことでしょう。
『すばらしいぞプルチネッラ、すばらしいぞ、じつにすばらしい!』」
第十七夜
月が話してくれたことを聞いてください。「わたしは幼年学校の生徒が士官になって、はじめてりっぱな制服を着たのを見たことがあります。舞踏会の衣裳をつけた若い娘や、宴会服を着て楽しそうにしている公爵の若い花嫁を見たこともあります。けれどもどんな喜びも、わたしが今夜見たひとりの子供、四つになる小さい女の子の喜びには、とうていくらべることができません。
その子は新しい青色の着物と新しいバラ色の帽子をもらって、いまそのすばらしい晴れ着を着たところでした。みんなが明りを求めて呼んでいました。窓からさしこむ月の光だけでは十分ではないので、もっと明るい光で照らさなければならなかったのです。そこには小さい女の子が人形のように、腕を心配そうに着物からはなし、指を一本一本ひろく開いて、かたくなって立っていました。ああ、その眼と顔ぜんたいとが、どんなに喜びに輝いていたことでしょう!
『あしたは、その着物をきて、おもてへ行ってもいいのよ』と、母親が言いました。女の子は帽子を見上げたり、着物を見おろしたりしながら、嬉しそうにほほえみました。
『お母さん!』と、女の子は言いました。『あたしがこんなすてきな着物を着ているのを見たら、犬たちなんて思うかしら!』」
第十八夜
「わたしは」と、月が言いました。「きみにポンペーのことを話してあげたことがありますが、あれはいきいきとした都市がたくさん並んでいる中で、さらしものにされている都市の死骸です。けれどもわたしは、それよりももっと珍しい、もう一つの都市を知っています。それは都市の死骸ではなくて、都市の幽霊です。
噴水が大理石の水盤の中でぴちゃぴちゃ音をたてているところではどこでも、わたしはその水に浮んでいる都市のおとぎばなしを聞いているような気がします。たしかに、噴水の水はそれを物語っているにちがいありません。打寄せる岸辺の波はそれを歌っているにちがいありません。海のおもてには、しばしば霧がたちこめます。それは寡婦のベールです。海の花婿は死にました。その城とその都市とは、いまや御陵となっているのです。
きみはこの都市を知っていますか? その通りには車のころがる音も、馬のひづめの音も聞えたことがありません。そこには魚が泳いでいて、黒いゴンドラが幽霊のように緑の水の上を走って行きます。わたしは」と、月はなおも語りつづけました。「きみにその都市の中でいちばん大きな広場を見せてあげましょう。そうすれば、きみはまるでお伽の都市に来たのかと思うでしょう。広い敷石のあいだには草が生えています。夜が明けはじめると、人なれた鳩が何千ともなく、離れて立っている高い塔のまわりを飛びまわります。
きみは三方からアーケードに取りかこまれています。そこには長いキセルをもったトルコ人がじっとすわっています。美しいギリシャの少年が円柱によりかかって、昔の威力を物語る戦勝記念標の高い旗竿を見上げています。旗は喪章のように垂れさがっています。ひとりの娘がそこで休んでいます。水のはいった重い桶を下に置いていました。桶をかついできた棒は肩の上にのせたまま、戦勝柱に身をもたせています。
いまきみの眼の前に見えるのは妖精の城ではなくて、教会です。金めっきをした円屋根とそのまわりの金の球が、わたしの光を受けて、きらきらと輝いています。その上のほうにあるりっぱな青銅の馬は、おとぎばなしの中の青銅の馬のように、旅をしてきました。はじめここへやってきて、それから行ってしまい、そうしてまた戻ってきたのです。きみには壁や窓の色とりどりの美しさが見えますか? まるで天才が子供の言うなりになって、この珍しい寺院の装飾をしたのではないかと思われます。
きみにはあの円柱の上の翼のある獅子が見えますか? 金はいまもかわらず光っていますが、翼はしばられています。獅子は死んでいるのです。なぜならば、海の王が死んでいるからです。大きな会堂の中はからっぽです。むかし高価な絵がかかっていたところも、いまでは裸の壁がむきだしになっています。浮浪者がアーチの下で眠っています。かつては、この廊下には身分の高い貴族しか足を踏み入れることができなかったものです。
深い井戸からか、それとも溜息の橋のそばの牢獄からか、一つの溜息が聞えてきます。そのむかしには、色あざやかなゴンドラの上でタンバリンの音がひびき、婚約の指輪が輝かしい総督の船ブーチントロから海の女王アドリアへ投げこまれたのです。アドリアよ、おまえの身を霧の中につつみなさい! 寡婦のベールをもって、おまえの胸をおおいなさい! そしてそれを、おまえの花婿の御陵の上に、幽霊のような大理石の都ベネチアの上にかけなさい!」
第十九夜
「わたしはある大きな劇場を見おろしました」と、月が言いました。「その劇場は見物人でいっぱいでした。というのは、新しい俳優が初舞台をふむことになっていたからです。わたしの光は壁にある小さな窓の上をすべって行きました。すると、化粧をした一つの顔がひたいを窓ガラスに押しつけていました。それがその晩の主人公だったのです。騎士らしいひげが、あごのまわりにちぢれていましたが、その男の眼には涙がたまっていました。それもそのはず、人々から口笛でののしられて、舞台を引き下がってきたばかりだったのです。もっとも、ののしられても仕方がありません。あわれな男です! 才能のない者は芸術の世界では辛抱されるわけにはいかないのです。
この男は物事を深く感じもしましたし、感激をもって芸術を愛しもしました。けれども、芸術のほうではこの男を愛してくれませんでした。――舞台監督の鳴らすベルが鳴りひびきました。――大胆に勇気凜然と主人公登場、と役割書には書いてありました――この男は、いま自分をあざけり笑った見物人の前に出なければなりませんでした。――
この芝居が終ったとき、わたしはひとりの男がマントにくるまって、階段をこっそり降りて行くのを見ました。それはほかならぬ、さんざんにやっつけられたその晩の騎士でした。道具方の男たちは、ひそひそ話しあっていました。わたしはこの罪人のあとについて、この男の家の部屋までのぼって行きました。
首をつるのは見ぐるしい死に方だ。そうかといって、毒薬はいつも手もとにありはしない。わたしはこの男がその両方のことを考えていたのを知っています。わたしはこの男が青白い顔を鏡にうつしてみて、それから眼を半ば閉じるのを見ました。こうして、死体となってからもきれいに見えるかどうかをためしているのでした。人間は非常な不幸におちいっても、極度に見栄をはることがあるものです。この男は死を考えました。自殺を考えました。そして、自分自身のために泣いたように思います。――はげしく泣きました。人間は思いきり泣きつくしてしまうと、自殺などはしないものです。
そのときから、まる一年たちました。とある小さな劇場で、みじめな旅まわりの一座が喜劇を上演しました。わたしはふたたびあの見おぼえのある顔を、化粧した頬とちぢれたひげとを見ました。この男はまたわたしを見上げて微笑しました。――けれども一分とはたたないうちに、口笛でののしられて舞台から追いだされてきたのでした。みすぼらしい劇場で、なさけない見物人のためにののしられてきたのです!
今夜、一台のみすぼらしい葬儀車が町の門から出て行きました。後にはひとりの人もついては行きませんでした。それは自殺者だったのです。口笛で舞台から追いだされた、あの化粧をしたわれわれの主人公だったのです。車を走らせている御者がただひとりそばにいるだけで、ほかにはだれもついていませんでした。月のほかにはだれも。墓地の塀の近くの片隅に、自殺者は埋められました。そこには、やがていらくさがはびこることでしょう。墓掘りの男はほかの墓から抜き取ったいばらや雑草を、そこに投げすてることでしょう」
第二十夜
「ローマから、わたしは来ました」と、月が言いました。「あの都のまん中にある七つの丘の一つに、皇帝宮の廃墟があります。野生のイチジクが壁の裂目から生えでて、広い灰緑色の葉で壁の素肌をおおっています。砂利の積みかさなったあいだで、ろばが緑の月桂樹の垣の上を歩いて、やせたアザミを喜んで食べています。かつては、ここからローマの鷲たちが飛び出して、『来た、見た、勝った』と言ったものです。それがいまでは、こわれた二つの大理石の円柱のあいだに粘土でこしらえた小さなみすぼらしい家を通って、入口がついているのです。ブドウの蔓がかたむいた窓の上に、葬式の花輪のようにまつわりさがっています。
ひとりの老婆が小さい孫娘といっしょにそこに住んでいて、いまこの皇帝宮を支配しています。そしてよそから来る人たちに、ここに埋もれている宝を見せているのです。りっぱな玉座の間には、ただ裸の壁が残っているだけで、黒い糸杉がむかし玉座のあったところをその長い影でさし示しています。土がこわれた床の上に、うず高くつもっています。いまはこの皇帝宮の娘である小さい少女が、夕べの鐘の鳴りひびくころ、よくそこの低い小さな椅子に腰かけています。すぐそばにある扉の鍵穴を、この子は露台と呼んでいます。その穴からのぞくと、ローマの半分を、聖ペテロ寺院の大きな円屋根までも見わたすことができるのです。
今夜も、そこはいつものように静かでした。そして下のほうに、わたしの輝く光をいっぱいに受けて、この小さい少女が出てきました。頭の上には水のはいった古代風の粘土のかめをのせていました。見ればはだしで、短いスカートも、小さいシュミーズの袖もきれていました。わたしはその子の美しいまるい肩と、黒い眼と、まっ黒なつやつやした髪の毛にキスをしてやりました。少女は家の前の階段をのぼってきました。階段は急で、石壁のかけらやこわれた円柱頭などでできていました。
五色のトカゲがびっくりして少女の足もとをかけて行きましたが、少女はすこしも驚きませんでした。そして早くも手をのばして、戸の呼びりんを鳴らそうとしました。ウサギの前足が一つ、紐にゆわえつけられてさがっていました。これがいまの皇帝宮の、呼びりんの引手なのです。
少女はちょっと手をとめました。何を考えたのでしょうか。きっと、あの下の礼拝堂にある、金と銀との着物をきた、美しい子供姿のイエスのことでも考えていたのでしょう。いま礼拝堂では、銀のランプが輝き、小さいお友だちがこの子もよく知っている歌をうたいはじめていました。でも、ほんとうに何を考えていたのか、わたしにはわかりません。
少女はまた動きました。そして、何かにつまずきました。粘土のかめが頭から落ちて、溝の掘れている大理石の敷石の上で二つにくだけてしまいました。少女はわっと泣きだしました。皇帝宮の美しい娘は、みすぼらしいこわれた粘土のかめのために泣きました。はだしのままそこに立って、泣いていました。もう皇帝宮の呼びりんの引手の紐を引くだけの元気もありませんでした」
第二十一夜
二週間以上も月は出ませんでしたが、いままたわたしは月を見ました。ゆるやかにのぼって行く雲の上に、月はまるく明るく輝いていました。月がわたしに話してくれたことをお聞きください。
「アフリカのフェザン地方のある町から、わたしは隊商の後について行きました。砂漠の手前にある岩塩平原の一つで、隊商は立ちどまりました。そこは氷の表面のようにきらきら光っていて、わずかのところだけ軽い流砂でおおわれていました。いちばん年上の男は腰帯に水筒を下げ、頭のそばにはパン種のはいらないパンをいれた袋をもっていましたが、この男が杖で砂の上に正方形をえがいて、その中にコーランの中の言葉を二つ三つ書きました。隊商はみんな、この聖められたところを通って進んで行きました。
太陽の子であるひとりの若い商人が、物思いにふけりながら、荒い鼻息をたてている白い馬に乗っていました。この男が太陽の子であることは、その眼と美しい姿とで、わたしにはすぐわかりました。この男は美しい若い妻のことでも考えていたのでしょうか? 毛皮と高価な肩掛けで飾られたラクダが、この男の妻を、美しい花嫁を乗せて、町の城壁のまわりを歩いたのは、たった二日前のことだったのです。太鼓や袋笛が鳴りわたりました。女たちは歌いました。そしてラクダのまわりには、喜びの砲声が鳴りひびきました。花婿はいちばんたくさん、いちばん強く鉄砲を打ちました。そしていまは――いまその男は、隊商といっしょに砂漠を通って行くのです。
わたしは幾晩も隊商の後について行きました。そして、発育の悪いシュロの木にかこまれた泉のほとりで、この人たちが休むのを見ました。人々は倒れたラクダの胸にナイフを突きさして、その肉を火であぶりました。わたしの光は燃えている砂を冷やしました。またわたしの光は、大きな砂海の中の死んだ島ともいうべき黒い岩の塊りを人々に見せてやりました。この人たちは、人の通ったことのない道でも敵の種族に出会いませんでした。嵐も起りませんでした。旅行く人々を死にたやす砂柱も、この隊商の上にはまき起りませんでした。家では、美しい妻が夫や父のために祈っていました。
『あの人たちは死んだのでしょうか?』と、わたしの金色の半月にむかって、美しい妻はたずねました。『あの人たちは死んだのでしょうか?』と、わたしのこうこうと輝く月の輪にむかってたずねました。
いまはもう、砂漠は隊商の後になりました。今夜は高いシュロの木の下にすわっています。そこでは鶴が長い翼をひろげて飛びまわり、ペリカン鳥はミモザの枝から人々を見おろしています。生い茂った草藪が、象の重たい足に踏みつけられています。黒人の群れがずっと奥地にある市場から帰ってきます。黒い髪の毛のまわりに銅のボタンをつけて、あい色のスカートをはいた女たちが、重い荷をつんだ牡牛を追っています。その荷物の上には、裸の黒い子供が眠っています。ひとりの黒人は買ってきたライオンの子を綱で引いています。こうした人たちが隊商に近づいているのです。あの若い商人は身動き一つしないで、黙ってすわっています。心に思っているのは美しい妻のことです。この黒人の国にいながら、砂漠のかなたの匂い高い、まっ白な花のことを夢みているのです。商人は頭をあげます――!」そのとき、一つの雲が月をおおいました。それから、また一つの雲がかかりました。わたしはその晩はもう、それ以上何も聞きませんでした。
第二十二夜
「わたしは小さい女の子が泣いているのを見ました」と、月が言いました。「その子は世の中が意地悪いのを泣いていたのです。この女の子はとても美しいお人形をもらいました。それは、ほんとうにかわいい、きれいなお人形でした。もちろん、この世の中で不幸な目にあうように生れてきたわけではありません。ところが、この小さい女の子の兄さんの、大きい男の子たちがお人形をひったくって、庭の高い木の上にのせると、そのまま逃げて行ってしまったのです。
小さい女の子はお人形のところまで行くこともできないし、お人形をおろしてやることもできません。それで、泣いていたのです。お人形もたしかにいっしょに泣いていました。両腕を緑の枝のあいだからのばして、いかにも悲しそうなようすをしていましたもの。そうだわ、これがママのよくおっしゃる世の中の災難てものなんだわ。ああ、かわいそうなお人形!
あたりは、もう薄暗くなりはじめました。もうじき夜になってしまいます。お人形は今夜一晩じゅう、おもての木の上に、ひとりぽっちですわっていなければならないのでしょうか? いやいや、そんなことは、女の子にとっては思ってみるだけでもたまらないことです。
『あたし、あんたのそばにいてあげるわね』と、女の子は言いました。といっても、そんな勇気があるわけではありません。早くも、高いとんがり帽子をかぶった小さい小人の妖魔が茂みの中からのぞいているのが、はっきり見えるような気がするのです。おまけに、向うの暗い道では、ひょろ長の幽霊が踊りをおどっていて、それがだんだんこっちへ近づいてくるではありませんか。そして両手をお人形ののっている木のほうへのばして、笑ったり、指さしたりしているのです。ああ、小さい女の子はこわくてこわくてたまりません。
『でも、なんにも悪いことをしていなければ』と、女の子は考えてみました。『悪ものだって、なんにもすることなんかできやしないわ。でもあたし、何か悪いことしたかしら?』そうして、いろいろと思いだしているうちに、
『ああ、そうだっけ』と、女の子は言いました。『あたし、足に赤いきれをつけてた、かわいそうなアヒルを笑ったことがあったわ。あんなおかしなかっこうをして足をひきずるんですもの、あたし笑っちゃったんだわ。だけど、生き物を笑うなんていけないことだわね』こう言いながら、女の子はお人形のほうを見上げました。
『あんた、生き物を笑ったことがある?』と、ききました。すると、お人形は頭を振ったように見えました」
第二十三夜
「わたしはチロルを見おろしました」と、月は話しました。「わたしは黒々としたもみの木に、くっきりとした長い影を岩の上へ投げかけさせました。わたしは幼子イエスを肩にのせた聖クリストファの画像をながめました。その絵は、このあたりの家々の壁に地面から屋根まで届くくらい、大きくかいてありました。聖フロリアンは燃えあがっている家に水をそそいでいました。キリストは血まみれになって、道ばたの十字架にかかっていました。これは新しい時代の人々にとっては古い画像です。でもわたしは、それらが建てられるのを見てきました。一つ、また一つと、建てられるのを見てきたのです。
山腹の高いところに、ちょうどツバメの巣のように、尼僧院が一つぽつんと立っています。ふたりの姉妹が上の塔の中に立って、鐘を鳴らしていました。ふたりともまだ年若く、そのためふたりの眼は山々をこえて、はるかかなたの世間のほうへ飛んで行きました。旅行馬車が一台、下の国道を走っていました。馬車の角笛が鳴りわたりました。すると、あわれな尼僧たちは同じ思いにかられて、眼を下の馬車にじっとそそぎました。若い妹の眼には涙がたまっていました。――やがて、角笛のひびきはだんだん弱くなっていきました。そしてそのたえだえの音を、尼僧院の鐘がかき消してしまいました。――」
第二十四夜
月が話したことを聞いてください。
「いまからもう何年も前のことです。このコペンハーゲンで、わたしはあるみすぼらしい部屋の中を窓ごしにのぞきこんだことがあります。父親と母親は眠っていましたが、小さい息子はまだ眠ってはいませんでした。そのとき、寝台のまわりの花模様のついているサラサのカーテンが動いて、そこから子供の顔が外をのぞくのが見えました。
わたしは最初、その子はボルンホルム製の部屋時計を見ているんだろうと思いました。その時計は赤や緑でたいへんきれいに塗ってありました。そして上にはカッコウがとまっていて、下には重い鉛のおもりが垂れ下がっていました。ぴかぴか光るしんちゅう板の振子があっちこっちに揺れ動いて、コットン、コットンいっていました。
ところが、その子が見ていたのはこの時計ではありませんでした。そうです、この子が見ていたのは、母親の紡車だったのです。それは時計の真下に置いてありました。その紡車こそ、この子が家じゅうで一番好きなものだったのです。でも、それにさわることはできません。なぜって、ちょっとでもさわろうものなら、すぐに指先をぱんとたたかれるのですから。でも、母親が糸をつむいでいる間じゅう、この子はいつまでもそこにすわって、ぶんぶんいう紡錘と、ぐるぐるまわる車とをながめているのでした。そしてそれをながめながら、自分だけの思いにふけるのです。ああ、ぼくにもこの紡車でつむぐことができたらなあ!
父親も母親も眠っていました。男の子はふたりのほうを見ました。そして紡車をながめました。それからすぐに、かわいらしい素足が一つ寝床から出てきました。またもう一つが出てきました。こうして小さな脚が二本現われました。コトリ! 男の子は床の上に立ちました。男の子はもう一度振り向いて、父親と母親が眠っているかどうかをたしかめました。たしかに、ふたりとも眠っています。そこで、小さな短い寝巻のまま、ぬき足さし足こっそりと紡車のところへしのびよって、つむぎはじめました。糸は紡錘から飛び、車はすばらしい早さでまわりました。
わたしはその子のブロンドの髪の毛と水色の眼にキスをしてやりました。それはほんとにかわいらしい光景でした。そのとき、母親が眼をさましました。カーテンが動いて、母親が外をのぞきました。そして、小人の妖精か、さもなければ、ほかの小さな精霊が来ているのではないかと思いました。
『あらまあ!』母親はこう言いながら、こわごわ夫の脇腹をつつきました。父親は眼をあけると、手でこすりこすり、一心に働いている小さい少年のほうをながめました。
『あれはベルテルじゃないか』と、父親は言いました。
それから、わたしの眼はそのみすぼらしい部屋を後にして、べつのところへ向いました。なぜなら、わたしはとても広いところを見まわしているのですから。その同じ瞬間に、わたしは大理石の神々が立っているバチカン宮の広間を見ていました。わたしはラオコーンの群像を照らしました。すると、石が溜息をするように思われました。わたしは美の女神ミューズの胸に、そっとキスをしました。すると、その胸が高まるような気がしました。
けれども、わたしの光はナイルの群像のところに、あの巨大な神のところに、いちばん長くとどまっていました。その巨大な神はスフィンクスに身をもたせて、まるで移り行く年月のことを考えてでもいるかのように、物思いにしずんで、夢みるように横たわっていました。小さい愛の神のアモールたちは、そのまわりでワニとたわむれていました。豊饒の角の中にはごく小さいアモールがひとり、腕を組んですわっていました。そして、おごそかな顔をした大きな河の神を見ていました。このアモールは、あの紡車のそばにいた小さい男の子にそっくりの姿をしていました。顔かたちもおんなじでした。
ここには、小さな大理石の子供がまるで生きているように、かわいらしく立っていました。けれどもその子が大理石の中からとびだして以来、年の車はもう千回以上もまわっているのです。あのみすぼらしい部屋の中の男の子が紡車をまわしたと同じ数だけ、もっと大きな年の車もぶんぶんとまわったのです。そしてこの世紀が、このような大理石の神々をつくりだす日まで、さらにさらにまわりつづけていくのです。
いいですね、これはみんな幾年も前のことですよ。ところできのう」と、月は語りつづけました。「わたしはシェラン島の東海岸にある、どこかの入江を見おろしていました。そこには美しい森や、小高い丘や、赤い壁をめぐらした古いお屋敷などがあって、外堀には白鳥が泳いでいます。そして、りんご園のあいだに教会の立っている小さな田舎町があります。
たくさんの小舟が、それぞれたいまつをつけて、静かな水のおもてをすべって行きました。しかし、たいまつをつけていたからといって、それはウナギを捕るためではありません。いや、それどころか、あたりのようすからしてお祭のようでした!
音楽が鳴りひびき、歌がうたわれました。一そうの小舟のまん中には、今夜みんなが敬意を表わしている人が立っていました。それは大きなマントにくるまった、背の高い、がっしりした男で、青い眼と長い白い髪の毛を持っていました。わたしはこの人を知っていました。そしてすぐさまわたしは、ナイルの群像やあらゆる大理石の神々のあるバチカン宮のことを思い浮べました。それといっしょに、あの小さなみすぼらしい部屋のことも思いだしました。あの小さいベルテルが短い寝巻のまますわって、糸をつむいでいたのは、たしかグレンネ街だったと思います。時の車はぐるぐるまわりました。新しい神々が、大理石の中から立ちあがったのです。――小舟の中から、ばんざいの声がひびきました。
『ベルテル・トルワルセンばんざい!』――」
第二十五夜
「わたしはきみにフランクフルトの、ある光景を話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしはそこで特に一つの建物をながめました。といっても、それはゲーテの生れた家でもなく、古い議事堂でもありません。その議事堂の格子窓からは、そのむかし皇帝の戴冠式のときにあぶり肉にされて、人々のご馳走にされた、角のついたままの牡牛の頭蓋骨が、いまもなお突きでているのですが、しかし、わたしがながめていたのはそんなものではなくて、せまいユダヤ人街の入口の角のところにある、緑色に塗られた、みすぼらしい平民の家だったのです。それはロスチャイルドの家でした。
わたしは開いている戸口から中をのぞいてみました。階段のところには、あかあかと明りがついていました。そこには下男たちが重そうな銀の燭台に火のともっているろうそくを持って、立っていました。そして、轎に乗ったまま階段を運ばれてきた、ひとりの年とった婦人に向って、ていねいにおじぎをしていました。この家の主人は帽子もかぶらず立っていて、この老婦人の手にうやうやしくキスをしました。
老婦人はこの人の母親だったのです。老婦人は息子と召使たちに親しげにうなずいてみせました。それから、人々は老婦人を狭い暗い小路の中の、とある小さな家へ運んで行きました。そこにこの老婦人は住んでいました。そこで子供たちを生んだのです。そしてそこから、子供たちの幸福が花のように咲きいでたのです。もしもいま、わたしが人からいやしまれているこの小路と小さい家とを見捨てたなら、幸福もまた息子たちを見捨てるだろう、というのが、この老婦人の信念だったのです。――」
月はこれ以上話してくれませんでした。今夜の月の訪れはあまりに短いものでした。しかしわたしは、人からいやしまれているその狭い小路に住む年とった婦人のことを考えてみました。このひとがたったひとこと言いさえすれば、テームズ河のほとりに光りかがやく家が立つのです。たったひとこと言いさえすれば、ナポリの入江近くに別荘が立つのです。
『もしもわたしが、息子たちの幸福が咲きいでたこの小さい家を見捨てたなら、幸福も息子たちを見捨てるだろう!』――それは迷信です。でもそれは、人がこの話を知り、その絵を見るときに、それを理解するためには、「母親」という二つの文字をその下に書いておきさえすればいいといった類いの迷信です。
第二十六夜
「きのうの夜明けのことでした」これは月自身が言った言葉です。「大きな町の煙突は、まだどれも煙をはいていませんでした。それでもわたしが見ていたのは、その煙突だったのです。と、とつぜん、その煙突の一つから、小さい頭が出てきました。つづいて上半身が現われて、両腕を煙突のふちにかけました。
『ばんざい!』それは小さい煙突そうじの小僧でした。生れてはじめて煙突の中をてっぺんまでのぼってきて、頭を外につき出したのでした。
『ばんざい!』そうです、そのとおりです。たしかにこれは、狭苦しい管や小さい煖炉の中を這いずりまわるのとは、いささかわけが違っていました。そよ風がすがすがしく吹いていました。町じゅうが緑の森のあたりまで見わたせました。ちょうど太陽がのぼりました。まるく大きく、太陽は小僧の顔を照らしました。その顔はじつにみごとに煤でまっ黒になっていましたが、嬉しさにかがやいていました。
『さあ、おいらは、町じゅうのものに見えるんだ!』と、小僧は言いました。『お月さまにだって、おいらが見えるんだ。お日さまにだってよ! ばんざい!』こう言いながら、小僧はほうきを打振りました」
第二十七夜
「ゆうべ、わたしは中国のある町を見おろしました」と、月が言いました。「わたしの光は街路をつくっている、長いはだかの土塀を照らしました。あちこちに門がありましたが、どれもしまっていました。なぜかといいますと、中国人は外の世界のことなんか、ちっとも気にとめていないからです。厚いよろい戸が、家の土塀のうしろの窓をおおっていました。ただお寺だけから、弱い光が窓ガラスをとおしてかすかに射していました。
わたしは中をのぞいてみました。すると、色とりどりの華やかさが眼にうつりました。床から天井まで、まばゆいほどの色彩と金めっきをほどこした絵がかかっていました。それはこの下界における仏たちの所業をえがいたものでした。一つ一つの厨子の中には仏像が立っていましたが、色どりゆたかな幕や垂れ下がった旗のためにほとんど隠れていました。そしてどの仏の前にも――それはみんな錫でつくってあります――小さい祭壇があって、そこには聖い水と、花と、火のともっているろうそくとがありました。けれどもお寺の中のいちばん高いところには、最高の御仏である仏陀が聖なる絹の黄衣を身にまとって立っていました。
祭壇の足もとに、ひとりの生きた人間の姿が、ひとりの若い僧侶が、すわっていました。この僧侶は祈っているようすでしたが、そのお祈りのさいちゅうに何か物思いにしずんでいるようでした。それは、たしかに一つの罪でした。というのは、その頬は熱くほてり、頭は深く深く垂れ下がっていたからです! あわれなスイ・ホン!
この男は街の長い土塀のうしろの、どの家の前にもある小さい花壇で働く自分の姿でも夢みていたものでしょうか。そしてその仕事のほうが、お寺の中でろうそくの番をするよりも、ずっと好きだったのではないでしょうか。それとも、ご馳走のたくさん並んでいる食卓について、一皿ごとに銀の紙で口もとをふきたいものだと望んでいたのでしょうか。それともまた、この男の罪が非常に大きなもので、もしもそれを口にでもしようものなら、極楽が死の刑をもってこの男を罰しなければならないといったようなものだったのでしょうか。あるいはまた、その思いは野蛮人の船とともにその故郷の、はるかにへだたったイギリスへでも飛んで行ったのでしょうか。いやいや、この男の思いはそんなに遠くまで飛びはしませんでした。けれどもそれは、熱い青春の血だけが産みだすことのできるような罪深いものでした。このお寺の中の仏陀をはじめ多くの仏像の前では罪深いものだったのです。
わたしは、この男の思いがどこにあったかを知っています。この町のはずれの、平たい敷石をしいた屋根の上に――そこの欄干は瀬戸物でできているように見えます――白い大きな風鈴草をさした、きれいな花瓶が置いてありましたが、そのそばに美しいペーが、細いいたずらっぽい眼と、ふくよかな唇と、それは小さな足をしてすわっていました。靴のために足はしめつけられていましたが、心はもっともっと強くしめつけられているのでした。娘がきゃしゃな美しい腕を上げますと、しゅすがさらさらと音をたてました。
娘の前にはガラス鉢が置いてあって、金魚が四ひきはいっていました。娘はうるしをぬった、色どり美しい箸で、水の中をそっとかきまわしていました。何か物思いにしずんでいましたので、ほんとうに、ほんとうにゆっくりとかきまわしていました。ああ、金魚はなんて豊かな金色の着物を着ているのだろう、そしてガラス鉢の中でなんてのどかに暮しながら、たくさんの餌をもらっているのだろう、でも、もしも自由になれたら、そしたらどんなに幸福だろう、と、きっとこんなことを思っていたのでしょう。ほんとうに、この美しいペーにはそれがよくわかっていたのです。ペーの思いは家からさまよいでました。そしてお寺へと向いました。けれどもそれは、仏のためではありません。あわれなペー! あわれなスイ・ホン! 現世でのふたりの思いは、めぐりあいました。しかしわたしの冷たい光は、大天使の剣のように、このふたりのあいだに横たわっていました!」――
第二十八夜
「海は凪いでいました」と、月が言いました。「水は、わたしが帆走っていた澄みきった空気のように、透きとおっていました。わたしは海面よりもずっと下に生えている珍しい植物を見ることができました。それらは森の中の巨木のように、幾尋もある茎をわたしのほうへさし上げていました。魚がその頂の上を泳いで行きました。
空高く野の白鳥の群れが飛んでいました。その中の一羽は翼の力がおとろえて、だんだん下へ沈んで行きました。その眼はしだいに遠ざかって行く空の旅行隊の後を追っていましたが、翼をひろくひろげて、ちょうどしゃぼん玉が静かな空気の中を沈んで行くように、沈んで行きました。やがて水面に触れました。頭をそらして翼のあいだにつっこむと、おだやかな湖に浮ぶ白い蓮の花のように、静かに横たわっていました。
やがて風が吹いてきて、きらきら輝く水のおもてに波をたたせました。すると、水のおもては、まるでエーテルのようにきらめいて、大きな広い波となってうねりました。そのとき、白鳥が頭を上げました。きらきら光る水が、青い火のように白鳥の胸や背を洗って飛び散りました。暁の光が赤い雲を照らしました。白鳥は元気を取り戻して立ち上がると、のぼりくる太陽のほうへ、空の旅行隊の飛び去った青みがかった岸辺をめざして飛んで行きました。ただひとり胸に憧れをいだいて飛んで行きました。青い、ふくれあがる波をこえて、ひとりさびしく飛んで行きました」――
第二十九夜
「きみにスウェーデンの光景をもう一つ話してあげましょう」と、月が言いました。「薄暗いもみの木の森のあいだ、ロクセン湖の陰気な岸辺近くに、古いブレタの僧院があります。わたしの光は壁の格子をとおって、広い円天井の部屋へすべりこんで行きました。その部屋では、王たちが大きな石の棺の中でまどろんでいるのです。その棺の上の壁には、この世における栄華をあらわすもののように、一つの王冠が人目をひいています。けれども、それは木でこしらえてあって、それに色彩をほどこし、金めっきをしたものなのです。そしてそれは、壁に打ちこまれた一本の木釘で、しっかりととめられています。その金めっきをした木は虫に食いあらされています。クモが王冠から棺まで網を張りめぐらしています。これは、人間の悲しみと同じように、はかない喪章の旗です! 王たちは、なんて静かにまどろんでいるのでしょう!
わたしはあの人たちのことをはっきりと覚えています! あんなにも力強く、あんなにも決然と喜びや悲しみを語った、口もとにただよう大胆な微笑が、いまもなお眼に浮んできます。蒸気船が魔法のかたつむりのように山々のあいだをぬってきますと、ときおり旅人が会堂へやってきます。そしてこの円天井のお墓の部屋を訪れて、王たちの名前をたずねます。でもその人の耳には、王たちの名前は忘れられたもの、死んだものとしてひびくのです。その人は虫の食った王冠を見上げてほほえみます。そしてその人が本当に敬虔な心の持主であれば、そのほほえみの中には哀愁の色がただよいます。まどろみなさい、死者たちよ! 月はきみたちのことを覚えています。月は夜、もみの木の王冠のかかっている、きみたちの静かな王国へ、冷やかな光を送ってあげます!――」
第三十夜
「国道のすぐそばに」と、月が話しました。「一軒の旅館があります。そしてその真向いに、大きな馬車小屋があります。小屋の屋根はちょうど葺いたばかりでした。わたしは桷のあいだと開いている天井窓から、そのうす気味悪い小屋の中をのぞいてみました。七面鳥が梁の上で眠っていました。鞍はからっぽの秣桶の中に入れて、休まされていました。
小屋のまん中には、旅行馬車が一台置いてありました。その持主はまだぐっすりと寝こんでいましたが、馬はもう水を飲まされていました。御者は道のりの半分以上もよく眠ってきたのに、――それはわたしがいちばんよく知っていますが――まだ手足をのばしていました。下男部屋への戸は開いていましたが、寝床はまるでひっくり返されたかと思われるようなありさまでした。ろうそくは床の上に置いてあって、燭台の中に深く燃え落ちていました。
風が冷たく小屋の中を吹きぬけていました。時刻は真夜中というよりは、もう明け方近いころでした。向うの馬屋の床の上には、旅まわりの音楽師の一家が眠っていました。たぶん、父親と母親は瓶の中の燃えつくような雫を夢にみていたものでしょう。青白い小さな女の子は眼の中の燃えるような雫を夢にみていました。竪琴は頭のそばに置いてあり、犬は足もとに横たわっていました。――」
第三十一夜
「ある小さい田舎町でのことでした」と、月が言いました。「わたしはそれを去年見ました。しかし、まあ、そんなことはどうでもいいのです。ともかく、わたしははっきりと見たのです。今夜わたしはそのことを新聞で読みましたが、これはそんなにはっきりとはしていませんでした。
宿屋の下の部屋に熊使いがすわって、夕飯を食べていました。熊は家の外のまき小屋のうしろにつながれていました。このあわれな熊は、見るからに恐ろしそうなようすをしていましたが、まだ一度も人に害を加えたことはありませんでした。上の屋根裏部屋では、わたしの明るい光を受けて、三人の小さい子供が遊んでいました。いちばん上の子はせいぜい六つぐらいで、いちばん下の子は二つをこしてはいませんでした。
『バタン、バタン』と階段を上ってくるものがありました。いったい、だれでしょう? 戸がガタンと開きました――それは熊でした。あの大きな、毛むくじゃらの熊ではありませんか! 熊は下の中庭に立っているのがたいくつになったのです。そして、階段を上る道を見つけたのでした。わたしはそれをのこらず見ていました!」と、月が言いました。「子供たちはこの大きな毛むくじゃらの動物を見るとびっくりぎょうてんして、めいめい隅っこへ這いこみました。けれども、熊は三人ともみんな見つけてしまいました。そうして鼻でくんくん嗅ぎまわりました。でも、べつに悪いことはなんにもしませんでした。
『これはきっと大きい犬だ』子供たちはそう思ったものですから、熊をなでてやりました。熊はごろりと床の上に横になりました。いちばん小さい男の子はその上をころげまわって遊びました。その子のちぢれた金髪の頭は、熊の濃い黒い毛皮の中にかくれました。こんどは、いちばん大きい子が太鼓を持ちだして、ドンドンたたきました。すると、熊は二本の後足で立ちあがって、踊りだしました。それはほんとにおもしろいありさまでした!
子供たちは、めいめい鉄砲をかつぎました。熊も一つもらいました。そして、それをちゃんとかつぎました。これは、子供たちの見つけたすばらしい仲間です! それからみんなは、『一、二、一、二!』と行進しました。
そのとき、戸に手をかけたものがありました。戸が開きました。それは子供たちの母親でした。その瞬間の母親のようすといったら、まったく、きみに見せてあげたいものでした。物も言えない驚き、石灰のような青白い顔、半ば開いた口、じっと見すえた眼、そうしたようすはほんとにきみに見せてあげたいものでした。ところがいちばん小さい男の子は、心から嬉しそうにうなずいてみせました。そして、この子なりの言葉で大声に叫びました。
『ぼくたち、兵隊ごっこちているだけよ!』
そこへ熊使いがやってきました」
第三十二夜
寒い風がぴゅうぴゅう吹いていました。雲が飛び去って行きました。月はただときおり見えるだけでした。
「静かな大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています」と、月は言いました。「大きな影が地上を走って行くのが見えます。
このあいだ、わたしは牢獄の建物を見おろしました。窓をしめた一台の馬車が、その前でとまりました。ひとりの囚人が連れだされることになっていたのです。わたしの光は格子のはまっている窓から壁のところまで押し入って行きました。囚人はこの世の別れに、何か二、三行壁にきざみつけました。しかしこの男の書いたのは言葉ではありません。一つのメロディーでした。この場所ですごした最後の夜に、心の底からほとばしり出た一つのメロディーだったのです。戸が開きました。囚人は外へ連れだされました。そのとき、わたしのまるい月の輪をふりあおぎました。――
雲がわたしたちのあいだを走りました。まるで、わたしがこの男の顔を見てはならないように、そしてまた、この男がわたしの顔を見てはならないとでもいうかのようでした。男は馬車に乗りました。馬車の戸がしめられました。むちがヒューッと鳴りました。馬はこんもりとした森の中へ駆けこんで行きました。そこでは、わたしの光は後を追って行くことができません。けれども、わたしは牢獄の格子の中をのぞいてみました。わたしの光は、あの男の最後の別れである、壁にきざまれたメロディーの上をすべって行きました。言葉の力の及ばないところでは、音の調べがものを言うものです。――
しかし、ただきれぎれの音譜しか、わたしの光は照らすことができませんでした。その大部分は、わたしにとってはいつまでも暗闇の中に残されることでしょう。あの男の書いたのは死の讃歌だったのでしょうか? 喜びの歓声だったのでしょうか? あの男は死のもとへ行ったのでしょうか、それとも、愛人に抱かれるために行ったのでしょうか? 月の光は人間が書くものをさえ、ことごとく読んでいるわけではありません。
ひろびろとした大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています。大きな影が地上を走って行くのが見えます!」
第三十三夜
「わたしは子供が大好きです」と、月が言いました。「小さい子は、ことにおもしろいものです。子供たちがわたしのことなんかちっとも考えていないときにも、わたしはカーテンや窓わくのあいだから、たびたび部屋の中をのぞいています。子供たちがひとりで、やっとこ着物をぬごうとしているのを見るのはとっても愉快です。最初に、裸の小さいまるい肩が着物の中から出てきて、そのつぎに腕がするっと抜けでてきます。それから、靴下を脱ぐところも見ます。白くて固い、かわいらしい小さな脚が現われてきます。ほんとにキスをしてやりたいような足です。そしてわたしは、ほんとうにその足にキスをしてやるのです!」と、月が言いました。
「今夜わたしは、どうしてもこのことを話さずにはいられません。今夜わたしは、一つの窓をのぞきこみました。向い側に家がないので、その窓にはカーテンがおろしてありませんでした。そこには子供たちが、姉妹や兄弟たちがみんな集まっているのが見えました。その中にひとりの小さい女の子がいました。この子はやっと四つになったばかりでしたが、それでもほかの子供たちと同じように、『主の祈り』をとなえることができました。そのため母親は、毎晩その子の寝床のそばにすわって、その子が『主の祈り』をとなえるのを聞いてやるのでした。そのあとで、その子はキスをしてもらうのです。そして母親はその子が眠りつくまで、そばにいてやります。でも小さい眼は閉じたかとおもうと、すぐに眠ってしまいます。
今夜は、上のふたりの子がすこしあばれていました。ひとりは長い白い寝巻を着て、片足でピョンピョン跳ねまわりました。もうひとりは、ほかの子供たちの着物をみんな自分のからだに巻きつけて、椅子の上に立ちあがり、ぼくは活人画だぞ、みんなであててみろ、と言いました。三番目と四番目の子は、おもちゃをきちんと引出しの中へ入れました。もっともこれは、そうしなくてはいけないことですけども。母親はいちばん小さい子の寝床のそばにすわって、いまこの小さい子が『主の祈り』をとなえるから、みんな静かになさい、と言いました。
わたしはランプごしにのぞきこんでいました」と、月が言いました。「四つになる女の子は寝床の中で、白いきれいなシーツの中に寝ていました。そして小さい両手を合せて、たいそうまじめくさった顔をしていました。いましも『主の祈り』を声高にとなえているところだったのです。
『あら、それは何なの?』母親はこう言って、お祈りの途中でさえぎりました。『おまえはきょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ってから、ほかにも何か言ったのね。お母さんにはよく聞えなかったけど、それは何? お母さんに言ってごらんなさい!』――すると、女の子は黙ったまま、困りきった顔をして母親を見ていました。
『きょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ったあとで、おまえはなんて言ったの?』
『お母さん、怒らないでね』と、小さな女の子は言いました。『あたし、お祈りしたのよ。パンにバターもたくさんつけてくださいまし、ってね!』」
解説
矢崎源九郎
アンデルセンといえば、おそらくその名を知らない者はないといってもよいであろう。ことに童話詩人としての彼の名前は、われわれにとってはなつかしい響きを持っているのである。しかし彼は単に童話を書いたばかりではない。小説に戯曲に詩に旅行記に、じつに多方面にわたって筆をふるっている。なかんずく、イタリアの美しい自然を背景として美少年アントーニオと歌姫アヌンチアータとの悲恋を描いた『即興詩人』のごときは忘れがたい作品の一つであるといえよう。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen ――われわれはいつのまにかアンデルセンと呼びなれているが、これはわが国独特の呼び方であろう。いったいに外国の発音をカナで書き表わすことは不可能であるが、デンマーク流の発音はアナスン、アネルセンに近い――は一八〇五年四月二日に豊かな伝説と古い民謡とに恵まれているデンマークのオーデンセという町に生れた。生れ故郷のオーデンセは、ブナの木の林のあいだに麦やウマゴヤシの畑がかぎりなく続いているフューン島という美しい緑の島にあった。父は貧しい靴職人であったが、折にふれて幼いアンデルセンにおとぎばなしや物語などを読んで聞かせた。文学への興味はこのころの父の感化によって芽生えたといってもよい。母は働く一方の女で学問はなかったが、深い信仰心を持っていた。このふたりのもとに、幼いころはともかくも幸せな日々を送ることができたのである。しかし、十一歳のときに父を失うに及んで、この幸福の夢もはかなく消え去ってしまった。母は仕立屋の職人にしたいという希望を持っていたが、アンデルセンみずからは舞台に立つことを望んで、十四歳のときただひとり首都のコペンハーゲンをめざして旅立った。このときから彼にとって新しい世界が開かれるとともに、茨の道がはじまったのである。すなわち都に出るには出たものの、何もかもが彼の希望に反してしまった。俳優として舞台に立つこともかなえられず、持って生れた美声を頼りに志望した声楽家にもなることができないままに、いくどか絶望のどん底におちいった。しかし幸いなことにも、一生の恩人であるコリンに見いだされたのはこのような失意のときであった。それまでは学校教育もろくに受けておらず、物を書くのにも綴りがまちがいだらけというありさまであったが、このコリンの助力のおかげで学校へも行けるようになったのである。
アンデルセンは一生のあいだ旅から旅へとさすらって歩いた。旅こそは彼から切り離すことのできないものであった。一八三一年に初めて国外への旅行を行い、つづいて一八三三年にはドイツ、フランスをへてイタリアへの旅にのぼった。このときの旅行のあいだに、その印象をもととして書いたのが『即興詩人 Improvisatoren』(一八三五年)であって、この作によって初めて彼の名は国の内外に認められるようになった。『ただのバイオリン弾き Kun en Spilmand』とか、ここに訳出した『絵のない絵本 Billedbog uden Billeder』や、『スウェーデンにて I Sverige』、『わが生涯の物語 Mit Livs Eventyr』をはじめ、彼のほとんどすべての作品はこのとき以後のものである。童話についても同様、『即興詩人』が出版されてから二、三カ月後にはじめて第一集が出、それから一八七五年八月四日に永眠するまでに百五、六十にも及ぶ多数の童話が書かれたのである。
『絵のない絵本』は、一八三九年から四〇年ごろを中心にアンデルセンの創作意欲の最も盛んなときに書かれたものである。初めて本になったのは一八三九年十二月二十日で、(表紙の日付は一八四〇年となっている)そのときはわずかに二十夜を含むごく小さい本であった。この二十夜のうち五編はすでに一八三六年に文学誌『イリス(虹の女神)』第二号上に発表されている。たとえば同誌に掲載されている『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』というのは第五夜の物語である。一八四〇年にはさらに数夜が発表されたが、一八四四年の第二版においてようやく三十一夜を包括するにいたった。第三十二夜と第三十三夜は一八四八年に初めて公にされたものである。したがって一冊のまとまった本として現在のように三十三夜全部を含んだのは、一八五四年に発行された第三版が最初である。初版から三版までに多くの歳月が流れているのは、この本がデンマークにおいてはあまり問題にされなかったためであろう。つまり、この本も『即興詩人』の場合と同様、本国におけるよりもむしろドイツや英国などにおいて評判となったのである。
『絵のない絵本』はこのように小さいにもかかわらず、きわめて多彩な素材を含んでいる。その大部分がアンデルセンみずからの体験や印象にもとづいていることはいうまでもない。すなわち、第五夜は一八三三年のパリ滞在中の体験から、第六夜は一八三七年のスウェーデン旅行の印象をもととして書かれたものである。第十五夜のリューネブルク、第二十五夜のフランクフルトには一八三三、四年に訪れている。一八三三年から三四年にかけてのイタリア旅行の印象は第十二夜、第十八夜、第二十夜などにあらわれている。なかでも、暗い北欧生れのアンデルセンがあこがれてやまなかった明るい南の国イタリアは、この本においても最も多く描かれているのである。
また一方においては空想の翼に乗って、遠くインドをはじめ、グリーンランドやアフリカ、中国にまでも思いを馳せている。それらは第一夜、第九夜、第二十一夜、第二十七夜となってあらわれている。そのほか子供についての話は六つほどあるが、それを描くのにあたたかい優しい感情をもって、しかも明るいユーモアを忘れていないところはいかにも童話詩人らしい。さらにまた諧謔にあふれたもの、あるいは苦悩にみちたものもあり、人生の一断面のスケッチもある。小さい本ながら、まことに盛りだくさんである。しかもこの本は、月が絵かきに物語る話という形を取ってはいるものの、その特徴とするところは絵画の素材を与えるための、眼まぐるしいばかりの場面の展開にあるのではない。一つ一つの短い物語の底に流れる、絵を絶した浪漫的香りも高い詩情こそその生命なのである。
翻訳のテキストとしてはコペンハーゲンの Gyldendal 書店から一九四三年に発行されている H.C.Andersens Romaner og Rejseskildringer(小説、旅行記集)の第四巻に収められている Billedbog uden Billeder を用いた。ただ、年少の読者にも読みやすいように、改行を多くしたことを一言おことわりしておく。(一九五二年六月二十六日) | 底本:「絵のない絵本」新潮文庫、新潮社
1952(昭和27)年8月15日発行
1987(昭和62)年12月5日66刷改版
2005(平成17)年8月10日99刷
※底本巻末の注は省略しました。ただし、第一夜「梵天王《ぼんてんおう》」、第五夜「堡塁《ほうるい》」、第三十夜「桷《たるき》」の三語のルビは巻末注より本文に追加しました。
入力:sogo
校正:諸富千英子
2018年3月26日作成
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家の中は、ふかい悲しみで、いっぱいでした。心の中も、悲しみで、いっぱいでした。四つになる、いちばん下の男の子が、死んだのです。この子は、ひとり息子でした。おとうさんと、おかあさんにとっては、大きなよろこびであり、また、これから先の希望でもあったのです。
この子には、ねえさんがふたり、ありました。上のねえさんは、ちょうどこの年、堅信礼を、受けることになっていました。ふたりとも、おとなしくて、かわいらしい娘たちでした。けれども、死んだ子供というものは、だれにとっても、いちばんかわいいものです。それに、この子は末っ子で、ひとり息子だったのです。ほんとうに、悲しい、つらいことでした。
ねえさんたちは、若い心をいためて、悲しみました。おとうさんとおかあさんが、なげき悲しんでいるのを見ると、いっそう悲しくなりました。おとうさんは、深くうなだれていました。おかあさんは、大きな悲しみにうちまかされていました。
おかあさんは、夜も昼も、病気の坊やにつききりで、看病したり、だいてやったりしたものでした。おかあさんは、この子が、自分の一部だということを、はっきりと感じました。坊やが死んで、お棺に入れられ、お墓の中にうめられるなどということは、おかあさんにとっては、どうしても考えることができませんでした。神さまだって、まさか、この子をお取りあげになるようなことはなさるまい、と、おかあさんは思ったのです。それなのに、その坊やが、とうとう、死んでしまったのです。おかあさんは、あまりの悲しさに、われを忘れてこう言いました。
「神さまは、ごぞんじないのですね。神さまは、なさけを知らないしもべを、この世におつかわしになったのです。なさけしらずのしもべたちは、自分かってなふるまいをして母親の祈りを、聞いてはくれないのです」
おかあさんは、悲しみのあまり、神さまを見うしなってしまいました。すると、暗い考えが、死の考えが、しのびよってきました。人間は、土の中で土にかえり、それとともに、すべてはおわってしまう、という、永遠の死の考えです。こういう考えにつきまとわれては、もう、なに一つ、たよるべきものもありません。おかあさんは、底しれない絶望のふちへ、深く深くしずんでいきました。
いちばん苦しいときには、おかあさんは、泣くことさえできませんでした。もう、娘たちのことも、考えませんでした。おとうさんの涙が、自分のひたいの上に落ちてきても、目をあげて、おとうさんを見ようともしませんでした。おかあさんは、死んだ坊やのことばかり思いつづけていたのです。いまのおかあさんは、ただひとえに、坊やの思い出を、坊やの言ったむじゃきな言葉を、一つ一つ、呼びもどそうとするために生きているようなものでした。
いよいよ、お葬式の日がきました。それまでというもの、おかあさんは、一晩も眠ったことがありませんでした。その日の明けがた、おかあさんは、くたびれすぎて、つい、うとうとしました。そのあいだに、みんなは、坊やのお棺を、離れの部屋に運んでいって、そこで、ふたを打ちつけました。もちろん、それは、くぎを打つ音が、おかあさんに聞えないように、というためだったのです。
おかあさんは、目をさますといっしょに、起きあがって、坊やを見ようとしました。すると、おとうさんが、涙を浮べて、言いました。
「もう、ふたをしてしまったよ。一度は、そうしなければならないのだ」
「神さまが、わたしに、こんなにつらくなさるのなら」と、おかあさんはさけびました。「人間が、よくなるはずはありません」
おかあさんは、わっと、涙にかきくれました。
坊やのお棺は、お墓に運ばれました。希望をうしなったおかあさんは、娘のそばにすわって、ただぼんやりと、娘のほうを見ていました。でも、ほんとうに見ているのではありません。心の中で考えていることは、もう、のこった家族のことではありませんでした。おかあさんは、ただ、悲しみに身をまかせきっていました。ちょうど、かいとかじとをうしなった小船が、荒海にもてあそばれるように、おかあさんは、悲しみにもてあそばれていました。
こうして、お葬式の日はすぎました。それからは、おも苦しく悲しい日が、幾日も幾日もつづきました。家の人たちは、みんな、悲しみにしずんで、うるんだ目と、くもったまなざしとで、おかあさんを見つめるばかりでした。おかあさんをなぐさめようとしても、そんな言葉には、耳をもかたむけようとしないのです。それに、家の人たちにしても、いったい、どんななぐさめの言葉を言うことができたでしょう。みんなの心は、あまりにも悲しすぎて、なぐさめの言葉を口にすることもできなかったのです。
おかあさんは、まるで、眠りというものを、忘れてしまったようでした。しかも、その眠りだけが、おかあさんのからだを強くし、おかあさんの心の中に、平和を呼びもどすことのできる、いちばんいいお友だちでしたのに。
おかあさんは、みんなにすすめられて、ようやく、寝床に横になりました。そして、まるで眠っている人のように、じっと横になっていました。
ある晩のことです。おとうさんは、おかあさんのね息を、しばらく、うかがっていました。今夜は、おかあさんは、気持よく、ぐっすりと眠っているようです。そこで、おとうさんは、両手を合せて、お祈りをすますと、自分も横になって、すぐに、ぐっすりと寝こんでしまいました。ですから、そのあとで、おかあさんが寝床から起き出して、着物を着、そっと、家をぬけ出していったのには、すこしも気がつきませんでした。
いま、おかあさんが、行こうとしているところは、おかあさんが、夜となく昼となく、思いつづけているところ、つまり、かわいい坊やのはいっているお墓だったのです。おかあさんは、家の庭を通りぬけて、畑へ出ました。畑からは、町の外側を通っている、細い道が、墓地まで通じています。おかあさんは、だれにも見られませんでした。おかあさんのほうでも、だれの姿をも見かけませんでした。
その晩は、お星さまのキラキラかがやいている、美しい夜でした。やっと、九月になったばかりで、空気はまだおだやかでした。
おかあさんは、墓地にはいって、小さなお墓のそばへ行きました。そのお墓は、かおりのよい、一つの大きな花たばのように見えました。おかあさんは、そこにすわって、顔をお墓に近づけました。まるで、あつい地面の中に、かわいらしい坊やの姿が見えるはずだとでもいうようです。すると、坊やのほほえみが、ありありと思い出されてきました。病気の床に寝ていたときでさえも、坊やが見せた、あのかわいらしい目つき。あの目つきは、とうてい忘れられるものでありません。それから、おかあさんが、寝ている坊やの上に、からだをかがめて、自分では動かすことのできなくなった、小さな手をとってやると、坊やの目は、あんなにも、ものを言いたそうに、かがやいたではありませんか。
いま、おかあさんは、坊やの寝床のそばにすわっていたときと、同じような気持で、お墓のそばにすわっていました。でも、あのときとはちがって、いまは、涙がとめどもなくあふれ出て、お墓の上に流れおちました。
「おまえは、子供のところへおりていきたいのだね」という声が、すぐそばでしました。その声は、はっきりと、低くひびいて、おかあさんの心の中までも、しみ入りました。
目をあげて見ると、そばに、大きな喪服を着た人が立っています。ずきんを、まぶかにかぶっていますが、その下から顔も見えました。きびしい顔つきですが、いかにも、たよりになりそうです。その目は、若者の目のように、かがやいていました。
「坊やのところへ!」と、おかあさんは答えました。その声には、絶望しきって、お願いするひびきが、こもっていました。
「わしについてくる勇気があるかな」と、その人は、たずねました。「わしは、死神だが」
そこで、おかあさんは、はいというように、うなずいてみせました。
と、とつぜん、空の星という星が、満月のようにかがやきはじめました。お墓の上の花も、色とりどりの美しさにかがやきました。地面が風にゆれるうすぎぬのように、静かに、静かにしずんでいきました。おかあさんもしずんでいきました。そのとき、死神は、黒いマントを、おかあさんのまわりにひろげました。あたりは、まっ暗な夜になりました。それは、死のやみ夜でした。おかあさんは、墓ほりのシャベルでも、とどかないくらい、深いところまでしずんでいきました。墓地は、頭の上のほうに、ちょうど天井みたいに横たわっていました。
マントのはしが、わきへのけられました。見ると、おかあさんは、いつのまにか、気持のよい広々とした、りっぱな広間の中にきています。まわりにはぼんやりと、うす明りがさしています。
気がついてみると、目の前に、死んだ坊やがいるではありませんか。その瞬間、おかあさんは、坊やをしっかりと胸にだきしめました。坊やはおかあさんに、かわいらしくほほえみかけました。見れば、前よりも、ずっと大きくなっています。おかあさんは、思わず大きな声を出しました。でも、その声は、すこしもひびきませんでした。なぜなら、美しいふくよかな音楽が、おかあさんのすぐそばで鳴ったかと思うと、今度は、ずっと遠くで、それからまた近くで、というふうに、たえず鳴りひびいていたからです。おかあさんは、いままでに、こんなにも楽しい音楽を聞いたことがありませんでした。その音楽は、この広間を大きな永遠の国からへだてている、まっ黒な、あついとばりのむこうから、ひびいてくるのでした。
「大好きなおかあさん! ぼくのおかあさん!」と、いう坊やの声がしました。それこそ、かたときも忘れたことのない、かわいい坊やの声です。
おかあさんは、かぎりない幸福を感じて、坊やにキスの雨をふらせました。すると、坊やは、まっ黒なとばりのほうを指さして、言いました。
「地の上は、こんなにきれいじゃないねえ。ごらんよ、おかあさん。みんな見えるでしょ。あれは、幸福というものだよ」
けれども、おかあさんには、なんにも見えません。坊やが、指さしたところにも、まっ暗な暗やみのほかは、なんにも見えないのです。おかあさんは、この世の目でもって、ものを見ていたのでした。神さまが、おそばへお召しになった、坊やのようには、ものを見ることができなかったのです。それでも、音楽だけは聞えました。でも、信じなければならない言葉は、ひとことも聞えなかったのです。
「おかあさん。ぼくは、いまは、とぶこともできるんだよ」と、坊やは言いました。「元気のいい子たちといっしょに、みんなで、神さまのところへとんでいくの。ぼく、とっても行きたいんだけど、でも、おかあさんが、いまみたいに泣くと、おかあさんのところから、離れることができなくなっちゃうんだよ。
でも、ぼく、神さまのところへ、とっても、とっても行きたいの。行ってもいいでしょ。おかあさんだって、もうじき、ぼくのところへ来るんだものね」
「いいえ、いいえ、ここにいておくれ。ここにいておくれ!」と、おかあさんは言いました。「ほんの、もうすこしのあいだだけでも。もう一度だけでいいから、おまえの顔を見せておくれ。キスをさせておくれ。おかあさんの腕に、しっかりとだかれておくれ」
おかあさんは、坊やにキスをして、しっかりとだきしめました。
そのとき、上のほうから、おかあさんの名前を呼ぶ声が、聞えてきました。その声には、悲しいひびきがこもっていました。いったい、それは、なんだったのでしょうか?
「ほら、おかあさん」と、坊やは言いました。「おとうさんが、ああして、おかあさんを呼んでるじゃないの」
それから、すこしすると、今度は、深いため息が聞えてきました。なんだか、すすり泣いている、子供の口からもれてくるようです。
「ああ、ねえさんたちだ」と、坊やが言いました。「おかあさん。ねえさんたちのこと、忘れちゃいないね」
言われて、おかあさんは、この世にのこしてきた人たちのことを、思い出しました。と、きゅうに、心配になってきました。前のほうを見ると、人のかげが、ひっきりなしに、ふわふわと通りすぎていきます。なかには、たしかに見おぼえのある、かげも、いくつかあります。そういうかげは、死の広間を、ふわふわと通りすぎて、黒いとばりのほうへ行き、そこで姿を消しました。
「もしかしたら、おとうさんと、娘たちが来たのかしら。いいえ、そんなことはないわ。だって、みんなの呼び声や、ため息は、まだ上のほうから聞えるもの」
おかあさんは、死んだ坊やのために、もうすこしで、みんなのことを忘れてしまうところでした。
「おかあさん、いま、天国の鐘が鳴っているよ」と、坊やは言いました。「おかあさん、いま、お日さまが、のぼってくるよ」
そのとき、一すじの強い光が、おかあさんのほうに流れてきました。――坊やはいなくなりました。おかあさんのからだは、だんだん、上へ上へと、ひきあげられていきました。――
と、きゅうに、寒くなりました。頭をあげてみると、おかあさんは、墓地の中の坊やのお墓の上に、たおれているではありませんか。神さまは、夢の中で、おかあさんの足のささえとなり、おかあさんの考えの光となってくださったのです。おかあさんは、すぐに、ひざまずいて、お祈りをしました。
「ああ、神さま! 永遠の魂を、かってに、わたくしのそばに、引きとめようとしましたことを、どうか、おゆるしくださいませ。そしてまた、わたくしには、生きている人たちへの、義務がありましたのに、それを忘れましたことも、どうか、おゆるしくださいませ」
こう、お祈りをしますと、おかあさんの心は、すっかり軽くなったような気がしました。
そのとき、お日さまがあらわれました。一羽の小鳥が、頭の上で、さえずりはじめました。
やがて、教会の鐘が、朝のお祈りのために鳴り出しました。あたりは、こうごうしい気分でいっぱいになりました。おかあさんの心の中も、こうごうしい気持で、いっぱいになりました。おかあさんは、神さまを知ることができました。義務をも、知ることができました。いまは、あこがれで、胸をいっぱいにふくらませて、いそいで家にかえりました。
おかあさんは、寝ているおとうさんの上に、身をかがめました。おとうさんは、おかあさんのま心こめた暖かいキスで、目をさましました。ふたりは、心を開いて、胸にしまっていることを話しあいました。おかあさんは、一家の主婦として、強く、やさしくなりました。おかあさんの唇からは、なぐさめの泉が、わき出ました。
「神さまのみ心が、いつも、いちばんよいものです」
すると、おとうさんがたずねました。
「おまえは、いったいどこで、それほどの力と、それほどの心のなぐさめを、きゅうに、もらってきたんだね?」
おかあさんは、おとうさんにキスをし、それから、娘たちにもキスをして、こう言いました。
「神さまからいただきましたの。お墓の中の、坊やのおかげで」 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年1月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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あつい国ぐにでは、お日さまが、やきつくように強く照りつけます。そこではたれでも、マホガニ色に、赤黒くやけます。どうして、そのなかでも、ごくあつい国では、ほんものの黒んぼ色にやけてしまうのです。
ところが、こんど、寒い北の国から、ひとりの学者が、そういうあつい国へ、そんなつもりではなく出てきました。この人は国にいるじぶんの気で、こちらにきても、ついそこらをぶらつくことができるつもりでいました。でもさっそく、その考えはかえて、この人も、この国のせけんなみに、やはりじっとしていなければなりませんでした。どこの家も、それは、窓も戸も、まる一日しめきりで、中にいる人は、ねているのか、どこかよそへ出ているとしかおもえないようでした。この人の下宿している高いたてもののつづきのせまい通りは、おまけに朝から晩まで、日がかんかんてりつけるようなぐあいにできていて、これはまったくたまらないことでした。
さて、さむい国からきた学者は、年は若いし、りこうな人でしたが、でもまる一日、にえたぎっているおかまの中にすわっているようで、これにはまったくよわりきって、げっそりやせてしまいました。その影までが、ちぢこまって、国にいたじぶんから見ると、ずっと小さくなりましたが、お日さまには、影までいじめつけられたのです。――で、やっと晩になって、お日さまが沈むと、人も影もはじめていきをふき返すようでした。さて、あかりがへやのなかにはいってくると、さっそく影はずんずんのびて、天井までつきぬけるほどたかくなります。それはまったく見ているとおもしろいようでした。影は元気をとりかえすつもりか、のびられるだけたかく、せいのびするように見えました。学者は、露台へ出ると、のびをひとつしました。きれいな大空の上に、星が出てきて、やっと生きかえったようにおもいました。町じゅうのバルコニにも――あつい国ぐにでは、窓ごとにバルコニがついているのですが、――みんなが新しい空気をすいに出てきました。
いくらマホガニ色にやけることにはなれても、すずむだけはすずまずにはいられません。すると上も下もにぎやかになってきました。まずくつやと仕立屋が、それから町じゅうの人が、下の往来に出てきました。それから、いすとテーブルがもち出されて、ろうそくが、それは千本という数ものろうそくがともされます。話をするものもあれば、うたうものもあり、ぶらぶらあるくものもあります。馬車が通ります。ろばがきます。チリンチリン、鈴をつけているのです。死人が讃美歌に送られておはかにはいります。不良どもは往来でとんぼをきります。お寺のかねがなりわたります。いやはや、どこもここも、大にぎやかなことでした。ただ、れいの外国から来た学者のすまいの、ちょうどまん前のたてものだけは、いたってしずかでしたが、やはり住んでいる人はあるようで、バルコニには花がおいてありました。それがやきつくような日の下で、美しく咲いているところを見ると、水をやるものがなければ、そうはいかないはずですから、たれか人がいるにはちがいありません。晩方になるとその戸は半びらきにあきました。けれど、うちの中はとにかく、おもてにむいたへやだけはまっくらで、そのくせずっと奥のへやからは、おんがくがきこえました。外国の学者は、このおんがくを、じつにいいものだとおもっていました。でも、それはこの人だけの想像でそうおもっていたのかも知れません。だってこの学者は、日さえぎらぎら照らなければ、そのほかはこのあつい国のものを、なにによらず、すばらしいとおもっていたからです。下宿の主人にきいてみても、前の家をたれが借りているのか知りませんでした。なにしろ、にんげんの姿をみたことがないというのです。さて音楽についていえば、この下宿の主人には、それはとても、たいくつせんばんなものにおもわれていました。
主人がいうには、「どうもだれかあの家に人がいて、どうやってもひきこなせないひとつの曲を、始終いじくりまわしているのですね、――それはいつもおなじ曲なのです。『どうでも弾きこなす』といういきごみらしいが、いつまでひいていても、ものにはならないのですよ。」
ある晩夜中に、この外国の学者は、ふと目をさましました。バルコニの戸をあけはなしたまま、ついそこにねむってしまったのです。すると風がきて、はなの先のカーテンを吹き上げました。そのとたん、ふしぎな光が、すぐ前の家のバルコニから、さしこんできたようにおもわれました。そこにあるのこらずの花が、じつにきれいな色をしたほのおのように、かがやいて見え、その花のまん中に、美しいすらりとした姿の少女が立っていましたが、この人のからだから、ふしぎな光がさしてくるようにおもわれました。学者はひどく目がくらくらするようでしたが、むりやり大きい目をあけると、それでやっと目がさめました。あわててベッドからとびおりて、そうっと、カーテンのうしろへはいっていきました。けれど少女の姿はなく、光も消えていて、花もべつだんかがやいてもいず、ただいつものようにきれいに咲いているだけでした。戸は半開きになっていて、なかから音楽が、いかにもやさしく、いかにもあまくうつくしく、ほれぼれと引きこまれるような音にきこえていました。これこそまったく魔法のようなわざでした。たれがそこに住まっているのでしょう。いったい、どこが入口なのでしょう。なぜといって、下の往来にむかったほうは、店つづきで、どうもそこを通って、中へはいけないようになっていました。
ある晩、外国の学者は、バルコニに出ていました。すぐうしろのへやには、あかりがかんかんしていました。ですから、この人の影が、むこうがわの家のかべにうつるのは、まず、あたりまえの話でした。そう、そこで影は、ちょうどむこうのバルコニの花と花のあいだに、すわっていることになりました。そして、この学者がからだを動かすといっしょに、影も動きました。
そのとき、この学者はいいました。
「どうもこうしていると、わたしの影だけが、むこうの家にひとり生きて住んでいるような気がする。ほらあの通り、ぎょうぎよく、花のあいだにじっとこしをおろしている。戸は半分あいているだけだが、影はなかなかりこうものだから、ずんずん、中へはいっていって、そこらをよく見てまわって、帰ってきて、見たとおりを話してくれるにちがいない。そうだ、ぼくの影法師、おまえはそんなふうにして、一働きしてきてもらいたいものだ。」と、学者は、じょうだんにいいました。「どうかうまくするりとはいって見てもらいたい。さあどうだ、いってくれるかい。」こういって、学者は影に、あごでうなずきますと、影もうなずきかえしました。「さあ、いっておいで。だが鉄砲玉のお使はごめんだよ。」
そこで、学者は立ちあがりました。すると、影も、むこうの家のバルコニで立ちあがりました。それから、学者がうしろをむくと、影がそれといっしょに、うしろむきになってむこうの家の半開きにした戸の中へ、すっとはいっていったところを、たれかみていたら、そこまでみとどけたはずでした。しかし学者は、そのままずっとへやへはいって、長いカーテンをおろしてしまいました。
そのあくる朝、学者は喫茶店へ、新聞をよみに出かけました。
それでひなたへ出ますと、「おや、どうした。」と、この人はいいました。「はて、おれには影がないぞ。するとほんとうに、ゆうべ影のやつ、出かけていって、あれなりかえってこないのだな。いまいましいことになった。」
さあ、学者はむしゃくしゃしてきました。でも、それは影がなくなったためというよりは、影*をなくした男のお話のあるのを知っているからです。寒い国ぐにの人たちは、たれもその話を知っていました。ですから学者が国へかえって、じぶんのじっさい出あった話をしても、きっとそれは人まねだといってしまわれるでしょう。そんなことをいわれるわけはない。だから、この話はまるでしないでおこうと、おもいました。これはいかにももっともな考えでした。
*ドイツのシャミソー作小説「影をなくした男」のこと。
その晩、学者は、またバルコニに出ていました。まうしろにあかりをつけておきました。それは影というものは、いつも主人を光の前に立てて、そのかげにいたがるものだということを知っていたからですが、どうも、やはりさそいだせませんでした。ちぢんでみたり、せいのびしてみたりしましたが、やはりかげはありません。まるであらわれてこないのです。
「えへん、えへん。」知らせてみてもいっこうだめでした。どうもごうはらなことでした。
けれど、さすがに熱い国です。どんなものでも、じつに成長がはやいので、一週間ばかり間をおいてひなたへ出てみますと、あたらしい影が、足の先から生えて大きくなりかけているので、すっかりうれしくなりました。してみる、と影の根が残っていたものとみえます。それで三週間もたつと、もうかなりな影になり、いよいよ北の国にかえるじぶんには、とちゅう旅の間にも、ずんずん成長して、しまいには、あんまり長すぎもし、大きすぎもして、もう半分でたくさんだとおもうくらいになりました。
こうして学者は国へかえると、この世の中にある真実なこと、善いこと、美しいことについて本を書きました。さてその後、日が立って、月がたって、いくねんかすぎました。
ある晩、へやの中にいますと、そっと、こつこつ、戸をたたくものがありました。
「おはいりなさい。」と、学者はいいましたが、たれもはいってくるものはありません。そこで戸をあけますと、すぐ目の前に、それはじつに、とほうもなくやせた男が、ひょろりと立っていたので、すっかりおどろいてしまいました。そのくせ男は、みたところ、なかなかりっぱな、品のいい身なりで、いかさま身分のある人にちがいありません。
「しつれいながら、どなたでございましょうか。」と、学者はたずねました。
「いや、ごもっともで。」と、そのりっぱな客人はいいました。「たぶんごしょうちでしょう。なにしろこのとおり、からだができましてね。おいおい肉がつき、衣服も身にそったというわけです。あなたはおそらく、ゆめにもわたしが、このような安らかなきょうぐうにいようと、お考えになったことはありますまいな。あなた、ごじぶんのむかしの影法師をお見忘れですか。そう、あなたはわたしがまたかえってこようなどとは、むろんお考えにならなかったでしょう。あなたにおわかれしてから、ばんじひじょうにこうつごうに運びましてね。わたしはどの点より見ても、しごく有福になったのです。お給金を払いもどして、一本だちの人間にしていただこうとおもえば、いつでもそのくらいのことはできるのですよ。」
こういって、その男は、とけいにつけた高価なかぎたばを、がちゃがちゃと鳴らし、首のまわりにかけた、どっしりおもい金ぐさりのあいだに、手をつっこみました。その指には、一ぽんのこらず、ダイヤモンドの指輪がきらきら光っていました。しかも、それはみんなほんものです。
「いやはや、これはいったい、どうしたということだ。」と、学者はいいました。
「さようさ、まず世間並のことではありませんな。」と、影はいいました。「でもあなただって世間並のほうじゃありませんよ。ごぞんじの通り、わたしはこどもの時から、ずっとあなたの足あとについてあるいてきました。そしてあなたが、わたしが十分大きくなって、もうひとりで世間あるきができるとお考えになったとき、さっそくわたしはじぶんの道をいくことにしました。わたしはおよそかがやかしいきょうぐうに身をおくようになりましたが、でもやはり、あなたがおなくなりにならないまえにぜひもういちどお目にかかりたい、いわば、あこがれのようなものをいだいていました。あなたも、いずれお死ににならなければならないでしょうし、わたしも故郷忘じがたしで、このへんをもういちど見ておきたいとおもったのです。――あなたがもうひとつ、ほかの影法師をおやといになったことも、わたしは知っています。その影法師になり、またあなたになり、なにがしか借があれば、お支払いしましょうか。どうぞごえんりょなくおっしゃってください。」
「でもきみ、それはほんとうなのかい。」と、学者はいいました。「どうもまったくふしぎだよ。じぶんのむかしの影法師が、にんげんになって、またかえってくるなんて、おもいもつかんことだ。」
「なにほどお支払したらいいか、おっしゃっていただきたい。」と、影はいいました。「なにしろ、わたしは人に借をのこしておくのが、きらいな性分でして。」
「なんだってそんなことをいうんだ。」と、学者はいいました。「このばあい、貸借なんて問題のありようはずがないさ。ほかのにんげんどうよう、きみは自由だよ。きみの幸運にたいして、わたしはひじょうに、よろこんでいる。きゅう友、まあ、かけたまえ。そしてそのご、どういうことがあったか、あちらのあつい国ぐにで、ことに、あのむこうがわの家で、君の見たことはなにか、そんなことをすこし話してくれたまえ。」
「はあ、お話し申しましょう。」と、影はいって、こしをおろしました。「ところで、あなたにもお約束ねがいたいのですが、この町のどこぞで、わたしに出あったばあい、だれにも、わたしがむかしあなたの影法師であったということは、けっして話さないことにしてください。わたしは結婚しようと考えているのです。一家をやしなうぐらい、今ではなんでもないのですから。」
「それは安心したまえ。」と、学者はいいました。「きみの素性がなんであるか、だれにもいうものではない。このとおり手をさしのべて約束する。ひとりの男にひとつのことば。男子に二言なし。」
「ひとつの影にひとつのことば。影に二言なし。」と、影もいいました。影としては、こういわなければなりますまい。
さて、影がいかにもにんげんになりきっていたのは、まったく、おどろくべきことでした。上も下もすっかり黒ずくめで、それがとてもじょうとうのきれで、その上にエナメルのくつをはき、押しつぶすと、てんじょうと縁鍔だけになるぼうしをかぶっていました。そのほかとけいの飾金具、首にかけた金鎖や、ダイヤモンドのゆびわなど、すでにごしょうちのとおりですから申しません。じっさい、影は、すばらしくいい身なりをしていました。どうやら影が人間らしくとりつくろっていられたのも、まったくその身なりのおかげでした。
「ではお話し申しましょう。」と、影はいって、エナメルのくつをはいた足をのばすと、学者の足もとに、むく犬のようにうずくまっているしんまいの影の腕に、力いっぱいふんづけるように、それをのせました。これはわざと尊大ぶってしたことか、たぶん、しんまいの影を、永劫じぶんに頭のあがらぬものにしておくつもりか、どちらかなのでしょう。でも横になった影は、そばでよく話が聞きたいので、ごくおとなしく、じっとしていました。この影も、いつかこんなふうに自由になって、主人風が吹かされようか、それを知りたいとおもっていました。
「れいのむこうがわの家には、だれが住んでいたかご存じですか。」と、影はいいました。「そこに住んでいたのは、すべてのものの中で一ばん美しいものでした。あれは詩でしたよ。わたしはあの家に三週間もとまっていましたが、その間にまるで三千年もそこでくらして、昔の人の書いたものつくったもののこらず読みつくしたかとおもうほど、急になにかがしっかりしてきました。なにしろそれはお話するとおり、まちがいのないことなんでして、わたしはなんでも見て、なんでも知っていますよ。」
「詩だったか。」と、学者はさけびました。「そうだろう、そうだろう。――詩はどうかすると隠者のように大都会に住んでいる。うん、詩だったか。そうだ、わたしも、ほんのちらりとその姿を見たには見たが、眠りが目ぶたをふさいでしまったのさ、詩はバルコニに立っていて、まるで極光のように光っていた。話しておくれ。話しておくれ。おまえは、バルコニの上に立っていた、戸をぬけて中へはいっていった、そしてそれから――。」
「入口のへやに入りました。」と、影はいいました。「あなたはいつもじっとこしをかけてそこのへやのほうを見ていましたね。あそこには、あかりというものがなく、まあうすあかりといった感じでした。でもそのうしろの戸はあいていて、それから順じゅんにへやと広間のならんだずっと奥まで見とおせたのですが、そこはまひるのようにあかるくて、かりにわたしがいきなりその女のひとのすぐそばまでいったとしたら、そこのおびただしい光にうたれて、死んでしまったことでしょう。ところがわたしは考え深く、ゆっくりかまえていたのです。人はだれでもこうありたいものですよ。」
「すると、おまえはなにを見たのだね。」と、学者はたずねました。
「なにもかも見てしまったのです。それをあなたにお話しましょう。ところで――これはなにもわたしがこうまんにかまえるわけではないのですが、しかし――自由人として、またわたしの所有する知識にたいしても――まあ、そうとうたかい今の身分やきょうぐうのことは申しますまいが――どうかおまえよばわりだけは、やめていただきたいものですな。」
「やあ、これは失策でした。」と、学者はいいました。「昔の習慣は、あらためにくいものでしてね。――いや、おっしゃるとおりだ。よろしい、よく気をつけましょう。ところで、あなたのごらんになったことを、のこらずお話しねがいたいのだが。」
「話しますとも。」と、影はいいました。「なにしろ、なにもかも見て知っているのですから。」
「ではいちばんおくの広間はどんなようすでしたか。」と、学者はいいました。「若葉の森の中にでもいるようでしたか。神聖な教会の中にでもはいったようでしたか。高い山の上に立って、星あかりの空を見るようでしたか。」
「なにもかも、そこにはありましたよ。」と、影はいいました。「もっとも、すっかりその中にはいって見たわけではないのです。わたしはいちばんてまえの、うすあかるいへやに、じっとしていたのですが、それがこの上もないよいぐあいで、なにもかも見、なにもかも知ったのです。わたしは入口のへやで、いわば、詩の大庭にいたわけです。」
「だが、なにをそこで見ましたか。太古の神がみのこらずが、その大きな広間をとおっていきましたか。古代の英雄が、そこで戦っていましたか。かわいらしいこどもたちが、そこであそびたわむれていて、その見た夢の話でもしていましたか。」
「わたしは申しますが、わたしはそのへやにいたのですよ。ですから、そこで見るべきものは、すべてわたしが見たということはおわかりでしょう。かりにあなたがそこにやってこられたとすれば、もうそれなり人間ではいられないところでしたろう。だが、わたしは人間になったのですよ。それと同時に、わたしはじぶんのおくのおくにかくれた本性もわかり、じぶんの天分もわかり、じぶんが詩と近親の関係にあることも知りました。まだあなたのおそばにいたころ、わたしはそんなことは考えませんでした。ですが、あなたもごしょうちでしょう、太陽があがるとき、また太陽が沈むとき、いつもきまって、わたしはすばらしく大きくなりましたね。月の光のなかでは、わたしはあなた自身よりも、かえってはっきりとみえたくらいでした。そのころは、じぶんの本性がよくわかってはいなかったのです。けれど詩の入口で、それがはじめてあきらかになったのです。――わたしは人間になりました。――一人前になって、わたしはまたかえっていったのですが、もうその時は、あなたはあつい国のどこにもおいでがなかった。さて、人間になってみると、わたしは前のようなかっこうであるくのが恥かしくなりました。くつもないし、着物もないし、すべて人間を人間らしくみせる装飾品がたりないのです。わたしはかくれました。まったく、あなただから打ちあけていうのですよ。けっして本に書いていただきたくないが、わたしは菓子売女の前掛の下にかくれたのです。その女は、どんなに大きなものがかけこんだか、まるで気もつきませんでした。晩になってはじめて、わたしは外へ出ました。月の光の中を、わたしは往来じゅうかけまわりました。わたしは長ながとかべにからだをのばしますと、とても気持よく背中をくすぐられるようでした。わたしは高くなったり低くなったり、かけずりまわって、一ばん高い窓から広間の中をのぞき込んだり、また屋根の上からだれものぞけないところをのぞきこんで、だれも見たこともないこと、見てはいけないことまで見ました。つまりそれはつまらない世界でした。もしも人間であるということが、なにかいいことのようにおもわれていなかったなら、わたしは人間なんかにはならなかったでしょう。わたしは妻や夫や両親や、かわいらしい天使のようなこどもたちの間にも、まさかとおもわれるようなことが、行われているのを見ました。――またわたしは、」と、影はいいました。「人間が知ってならぬことで、そのくせ知れれば知りたいだろうと思うことを、たとえば、近所の人たちのしている悪事なども見ました。そのとおりしんぶんに書いたら、どんなにか読者にうけることでしょうが、わたしはじかにかんけいのある当のその人だけに手紙をやりました。だから、わたしがいく先ざきの町では、大恐慌をおこしていました。教授たちは、わたしを教授にしてくれましたし、仕立屋はわたしに新しい着物をくれました。それで、わたしはりっぱな身なりをしているのでさ。造幣所長はわたしのために、金貨を鋳てくれました それから婦人たちは、わたしの男ぶりをほめてくれました。まあ、そういうわけで、わたしはごらんのとおりのにんげんになったのです。しかし、もうおいとましましょう。名刺をおいていきます。ひなたがわに住んでいます。雨ふりの日はいつも在宅です。」
こういって、影は出ていきました。
「なにしろこれはめずらしいことだ。」と、学者はいいました。
年月がたちました。すると、影はまたやってきました。
「やあ、その後いかがです。」と、影はたずねました。
「やあ。」と。学者はいいました。「わたしは真善美についてかいています。けれどだれもそんなことに耳をかたむけてはくれないので、わたしはまったく絶望していますよ。なにしろこれはわたしにはだいじなことなので。」
「わたしにはいっそうなんでもないですね。」と、影はいいました。「わたしはこのとおり肥えてあぶらぎっています。まあそうなるように心がけねばならん。そうだ、あなたはまだ世間がわかっていないのだ。そんなことをしていると病気になりますよ。旅をするんですな。わたしは、この夏旅行をやりますが、いっしょにいかがです。わたしも道づれをひとりほしいところだ。あなたはわたしの影になって同行してください。あなたを同伴することは、ひじょうに、ゆかいなことにちがいない。旅費はわたしが持ちますよ。」
「どうもそれはすこしひどいな。」と、学者はいいました。
「それは考えようしだいです。」と、影はいいました。「旅行すれば、あなたはまたずっとじょうぶになりますよ。わたしの影になってくだされば、旅中一切、あなたは一文いらずですよ。」
「そりゃひどすぎる。」と、学者はいいました。
「しかしそれが世間ですよ。」と、影はいいました。「どこまでいってもやはりそうでしょう。」
こういって影はいってしまいました。そののちも学者はいっこう運よくはなりません。悲しみと、なやみにせめつけられ、真善美についてなにをいったところで、おおくの人には、牝牛にばらの花をくれたようなものでした。――とうとう学者は、ほんとうに病気になってしまいました。「まあ、あなたは影のようだ。」と、人にいわれて、学者はぞっとしました。このことではべつのいみを考えていたからです。
「それはどうしても温泉に行くほかありますまい。」と、影はまたたずねてきて、こういいました。
「ほかにしようがないのです。昔のおなじみがいに、わたしがつれていってあげましょう。旅費はわたしが出しますから、そのかわりあなたは旅行記をかいて、道みちわたしをたのしませてください。わたしは温泉にいこうとおもうのです。とうぜん生えなければならないひげが生えないのは、これも病気なんでしょう。にんげん、ひげがなければね。まあよく思案して、わたしのいうとおりにおしなさい。道づれになって旅行するのですね。」
こうしてふたりは旅に出ました。影がいまは主人で、もとの主人がいまは影でした。ふたりはいっしょに馬車を走らせたり、馬にのったり、あるときは、そのときの太陽の位置しだいで並んだり、前になったり、後になったりしました。影はいつも、つとめていちだん上に立つように心がけていました。そういうことを学者はたいして気にしません。この人はたいへん心の善良な、またなみはずれておだやかなやさしい人でした。それですから、ある日、学者は、影にこんなことをいいました。
「われわれはおたがいに、こうして旅の道づれになったのであるし、またこどもの時からいっしょにそだったなかでもあるのだから、ひとつ、きょうだいのさかずきをくみかわして、おれ、おまえで行こうじゃないか。それでいっそう親密にもなれよう。」
「きみのいうことにも一理はある。」と、いまでは本式に主人になりすました影がいいました。「だいぶ親切に卒直にいってくれられたのだから、わたしも、やはりしんせつに卒直にいこう。きみも学者だから、いかに生まれた天性がふしぎなものだかごぞんじだろう。人によっては、ねずみ色の紙をつかめば、病気になるという者がある。ガラス板の上を釘で引っかくと、骨のずいまで身ぶるいがくるという者もある。さいしょきみの下に使われていたときも、わたしはきみに、おまえといわれると、やはりおなじ感じがして、いわば地面におしふせられるようにおもったものだ。これはただ感情の上のことで、べつだん尊大ぶるわけではないのだが。どうもわたしは、きみがわたしのことをおまえというのを、許すわけにいかないのだ。けれどもわたしのほうからは、むしろ、きみをおまえと呼びたいのだ。それで、ともかく、きみののぞみもなかば達せられるわけだ。」
それからは、影は、いぜんの主人を、「おまえ」と呼びました。
「とにかくこれはひどい話だ。」と、学者はおもいました。「わたしのほうからは、あなたといわなければならないのに、あいつのほうからは、きみとか、おまえとかと呼ばれるんだから。」と、そうはおもいましたが、こうなっては、いやでもがまんしなければなりませんでした。
そこでふたりは温泉場にやってきました。そこにはたくさん外国人もきていましたが、そのなかにある国のおそろしく美しい王女が、ひとりまじっていました。その人の病気というのは、なんでもあまり物がはっきりするどく見えるので、そのためひどく落ちつかないで困るということでした。で、さっそく王女は、この新来の客人が、ほかのれんじゅうとはまったくかわっていることに気がつきました。
「あの人はひげをはやすためにきたということだが、わたしの見るところでは、ほんとうのわけは、じぶんの影がうつせないところにあるらしいわ。」
そこで王女は、好奇心がうごいたので、遊歩場であうとさっそく、この外国紳士に、話しかけました。なにしろ王さまのおひめさまともなれば、たいして人にえんりょする必要はありませんでした。そこで、王女はいいました。
「あなたの病気って、ごじぶんの影がささないからなんでしょう。」
「どうも殿下には、もうだいぶおよろしいほうに拝察いたされますな。」と、影はこたえました。
「殿下には、なにかがあまりはっきりお目に入るのが、ご病気だということにしょうちいたしておりますが、もうそれならばとうにご全快です。どうして、わたくしには、世にもふしぎな影があるのでしてね。それでは、いつもわたくしといっしょにあるいております人物が、お目にとまらないのでございますか。およそほかの者は普通の影ですましているのですが、どうもわたくしはそれがきらいなのです。よく召使の仕着に、じぶんの着料よりもじょうとうな布をもちいるものがありますが、わたくしもじぶんの影を人間にしたててあるのです。いや、そのうえ、ごらんの通り、そこへさらに、ひとつの影をすら、つけてやってあるのです。ずいぶん費用のかかることですが、どうも一風かわったことが好きな性分なのでしてね。」
「そうかしら。」と、王女はおもいました。「わたしほんとうによくなったのかも知れないわ。なにしろこの温泉は、どこよりも一ばんいい温泉よ。ここの水には、いまどきまったくたいした利目があるわ。でも、わたしこの温泉を立っていこうとはおもわない。このごろやっと、ここがおもしろくなりかけたのだもの。あの外国人、ずいぶんわたし気に入ったわ。ただあの人、ひげが生えないといいわ。なぜといって、そうすると、またかえっていってしまうでしょうから。」
その晩、大きな舞踏室で、王女は影とダンスしました。王女も身が軽いのに、でも影はもっともっと身軽で、こんなに身の軽い人をあいてに、王女はまだおどったことはありませんでした。王女は影に、じぶんがどこからきたか話しました。影はその国を知っていました。影はそこにいたことがあったのです。もっともそれは、王女のるすのときでした。影はお城の窓を下からも上からものぞいて見ましたし、あのこと、このこと、いろいろ見ていました。そこで、影は王女の問に答えたり、おやと思わせるようなことを、ほのめかしたりすることができました。それで王女は世界じゅうに、この人ほど賢い人はないと考えました。なによりもその知識に、たいした尊敬をもつようになりました。ですから、またいっしょにダンスしたとき、王女は、すっかり影が好きになってしまいました。それを影はまたじゅうぶんに見ぬくことができました。というわけは、王女はしじゅう穴のあくほど影を見つめていたからです。それからもういちどおどったときに、王女はあやうく恋をうちあけようとしたくらいですが、考えぶかい娘でしたから、生まれた国のことや、じぶんの治める王国のこと、いつかはじぶんが上に立つはずの人民たちのことをおもって、えんりょしたのです。
「賢い人だとおもうわ。」王女は、腹の中で考えました。「それはいいわ、それからダンスがとてもすてきだわ。それもまたいいわ。だがあの方、いったい深い学問がおありかしら、これはどうしてだいじです。どうしてもためしてみなければならない。」
そこで王女は、影に、そろそろと、およそむずかしい問題をもちかけ始めました。それは王女自身にも答えられそうもないものでした。で、影もだいぶみょうな顔になりました。
「この問題にお答えがおできにならないの。」と、王女はいいました
「そのくらい、こどものころからならっております。」と、影はいいました。「あのとびらのところにいるわたしの影にだって、つい造作なくできましょうよ。」
「あなたの影にですって。」と、王女はいいました。「それは、まあずいぶんおめずらしいわ。」
「かならずできるとは、うけあえませんがね。」と、影はいいました。「長年わたしのそばについていて、いろいろと、聞きかじっておりますから、たぶんこたえられるとおもいます。――たぶん、だいじょうぶだとおもいます。しかし、ご注意もうしあげますが、どうか女王殿下、かれはにんげんとおもわれることを、たいそうとくいにいたしておりますから、かれをじょうきげんにいたしておきますには――またじゅうぶんに答えさせますには、ぜひそういたさせる必要がございますので――それにはじゅうぶん、にんげんらしくとりあつかってやらねばならないのでございまして。」
「けっこうです。」と。王女はいいました。
そこで、王女は戸口にいる学者の所まで出かけていって、太陽や月やにんげんの内部と外部のことで語りあいました。そして学者は、いかにもはっきりと、りっぱに答えました。
「こんなかしこい影を持っていらっしゃるなんて、なんというえらい方だろう。」と、王女は考えました。「あのような人をおっとにえらんだならば、わたしの人民のためにも、王国のためにも、まったく幸福なことにそういない。――わたし、そうしよう。」
そこで王女と影とは、さっそくおたがいに意見がいっちしました。でも帰国するまでは、たれにもけっしてこのことを知らせないことにしました。
「これはだれにも、わたしの影にも申しません。」と、この影はいいました。それにはじぶんだけのおもわくもありました。
やがてふたりは、王女のじぶんのうちでもあるし、また王女として治めてもいる国へやって来ました。
「ところで、おまえ。」と、影は学者にいいました。「いよいよわたしもまあ人なみに、この通り幸福にもなり、勢力もついたのだから、おまえにもなにかとくべつなことをしてあげたいと思う。おまえには、ずっとお城の中に住んで、わたしのそばにいてもらうのだ。いっしょの王室馬車に乗せてやって、年金十万ターレル払うことにする。そのかわり、だれからも、おまえは影法師と呼ばれていなければならない。また、かりにも、もとはにんげんであったなぞといってはならない。それから、一年に一回、わたしが、バルコニのひなたに出て、みんなに姿を見せているとき、いかにも影らしく、わたしのあしもとに寝ていなければならない。じつをいうと、わたしは王女と結婚するのだ。今晩がその結婚式だ。」
「いや、それはしかしひどすぎる。」と、学者はいいました。「それは困る。それだけはごめんです。それではこの国じゅうの人民をはじめ、王女まであざむくことになる。わたしはみんないってしまう。にんげんはわたしで、きみはただの影法師が、にんげんの着物を着ているにすぎないことを。」
「だれがそんなことを信じるものか。」と、影はいいました。「わからぬことをいうなら、番兵を呼ぶだけだ。」と、影はいいました。
「わたしはすぐ王女のところへいく。」と、学者はいいました。
「いや、わたしがさきに行くよ。」と、影がいいました。「そして、おまえをろうやにいれてやるよ。」
で、その通りになりました。それは、王女のお婿さまになる人のいうことに、むろん、番兵たちは従ったからです。
「あなたはふるえていらっしゃいますね。」と、影がはいって来たとき、王女はいいました。
「なにかあったのですの。こんばん結婚式をあげようというのに、ご病気ではこまりますわ。」
「どうもこんなおそろしいめにあったことはありません。」と、影はいいました。「まあどうです――かわいそうに、まったくあんな影法師の頭には、しょい切れない重荷でした――いやはやどうです。わたしの影法師は気が狂ってしまったのです。かれはじぶんがにんげんで、そして、わたしが――まあ――どうです――わたしが、かれの影法師だと考えているのですよ。」
「まあ、おそろしいことね。」と、王女はいいました。「でもろうやにいれてあるでしょうね。」
「もちろんです。どうも正気にはもどらないのじゃないかと心配しています。」
「まあ、かわいそうな影法師ですこと。」と、王女はさけびました。「ずいぶん不幸ですわ。それをはかない命から自由にしてやるほうが、ほんとうの功徳というものでしょうね。わたしの考えでは、どうやらそれは、そのままそっと片づけてしまうのが、なによりのようですわ。」
「それはいかにもつらいことです。なにぶん忠義な召使でしたから。」こう影はいって、ためいきをつくようなふうをしました。
「りっぱなお気性ですわ。」と王女はいいました。その晩、町じゅうあかりがついて、ドーン、ドーン、とお祝の大砲がなりひびきました。それから兵隊は捧げ銃しました。結婚式がおこなわれたのです。王女と影とは、バルコニに姿をあらわして、人民たちにあいさつをたまわり、もういちど人民たちから万歳の声をあびました。
学者は、まるでこのさわぎを聞かなかった、というわけは、そのまえ、もうとうに死刑にされていたからです。 | 底本:「新訳 アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※表題は底本では、「影《かげ》」となっています。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のある段落の下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
入力:大久保ゆう
校正:小岩聖子
2020年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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ごほうびの賞が、一つ出ました。いいえ、ほんとうは二つです。小さい賞と大きい賞の二つです。いちばん早いものが、この賞をもらえます。といっても、それは一回きりの競走で、早かったものがもらえるのではありません。一年じゅうをとおして、いちばん早く走ったものがもらえるのです。
「ぼくは、一等賞をもらった」と、ウサギが言いました。「審判官の中に、親類や親しい友だちが、まじっているときには、よくよく注意して、正しくきめるようにしなければいけない。カタツムリくんは二等賞をもらったが、ぼくに言わせれば、これは、どうもばかにされたようで、おもしろくない」
「いや、そんなことはないよ」と、さくのくいが、きっぱりと、言いました。このくいは、賞をあたえるときに、その場にいあわせた人です。「熱心さと、親切ということも、考えに入れなくてはならんからね。尊敬すべき、二、三の人たちも、そう言っていた。もちろん、ぼくも同じ考えだった。たしかに、カタツムリくんは、戸のしきいをこえるのに、半年もかかっている。だが、それでも、カタツムリくんとしては、せいいっぱい、いそいだわけで、そのために、ももの骨まで折ってしまった。カタツムリくんは、ただただ、走ることだけを考えて生きてきた。しかも、自分の家をせおって、走ったんだよ。――じつに、感心なことじゃないか。だからこそカタツムリくんは、二等賞をもらったんだよ」
「ぼくのことも、考えてもらいたかったですね」と、ツバメが、口を出しました。「まず、とぶことと、くるりと回ることについては、ぼくより早いものは、いないはずですからね。それに、ぼくは、どんなところへもとんでいっているんですよ。遠い、遠いところまで!」
「そのとおり。それが、かえって、きみの不幸なんだよ」と、さくのくいが、言いました。「きみは、あんまりとびまわりすぎるよ。寒くなりはじめると、いつもきまって、この国からどこかへ行ってしまう。きみは、自分の生れた国を愛するという、気持を持っていない。それで、きみは、考えにいれてもらえなかったんだよ」
「じゃあ、もしぼくが、沼の中に、一冬じゅうじっとしていて、ずうっと眠っていたとしたら、そしたら、ぼくも考えてもらえるんですか?」と、ツバメはたずねました。
「もし、沼のおかみさんが、たしかに、『きみは、一冬の半分を、この生れた国で眠ってすごした』と書いてくれるんなら、きみも考えてもらえるよ」
「ぼくには、一等賞をもらう、ねうちがあったんだ。二等賞をもらうべきじゃない」と、カタツムリが言い出しました。
「ぼくは、ちゃあんと知ってるよ。ウサギくんが早く走るのは、おくびょうだからなんだ。あの人は、危険が近づいたと思うと、むがむちゅうで走りだすんだ。ぼくは、ちがう。ぼくは走ることを、一生の仕事にしてきたんだ。あんまり、仕事にむちゅうになりすぎて、このとおり、かたわものになってしまったくらいだ。もし、だれかが一等賞をもらうとすれば、それはこのぼくのほかにはない。――
しかし、そんなことで、ぼくは、けんかをしたくはない。そういうことは、だいきらいだから」
こう言って、カタツムリは、つばを、ぺっとはきました。
「賞は、どちらも公平に考えられて、あたえられたものだ。すくなくとも、それをえらんだときの、わたしの投票は、公平なものだった。これだけは、はっきりと言える」と、年とった森の測量標が言いました。この人も、審判官のひとりだったのです。「わしは、仕事をするとき、いつも順序正しく、計算したうえで、よく考えてする。名誉なことに、わしはこれまで、すでに七回、賞をあたえるのに立ちあってきた。だが、一度も、わしの考えどおりになったことはない。
わしは、ものをわけあたえるときには、あるきまったところから、はじめるようにしている。この場合、一等賞にたいしては、アルファベットのはじめのほうからかぞえていく。二等賞には、反対に、終りのほうからかぞえていくのだ。
さて、よいかな。よく注意して、聞いていてくれたまえ。アルファベットを、最初のAからかぞえていくと、八番めの文字はHとなる。つまり、ウサギ(Hare)くんの、かしら文字のHだ。そこで、わしは、ウサギくんを一等賞ときめたのだ。つぎに、おしまいのほうからかぞえる。八番めの文字はSだ。そこで、カタツムリ(Snegl)くんを二等賞ときめたのだ。
こういうわけだから、このつぎのときは、一等賞はI、二等賞はR、ということになる。
なんにしても、ものごとには、順序というものがなくてはいかん。かならず、よりどころになるものが、必要なのだ」
「ぼくが、もし、審判官でなかったら、自分自身に投票していたよ」と、ラバが言い出しました。
この人も、審判官だったのです。「ただ、早く走るということだけでなく、ほかのことも、考えにいれなければいけない。たとえば、どのくらいのものをひっぱることができるか、といったふうに、どんな性質を持っているかをも、考えるべきだ。しかし、今度は、それをとくべつ強く、言いはりはしなかったよ。ウサギくんの、頭のいい逃げかたにしてもね。なにしろ、ウサギくんときたら、さっとわきにとびこんで、うまく人間をごまかして、自分のかくれているところから、とんでもないほうへ、行かせてしまうんだから。
いや、そんなことではなく、大ぜいの人が、注意しているものがある。しかも、それは、じっさい、見のがしてはならないものだ。つまり、美しさといわれているものさ。そこに、ぼくは目をむけた。ぼくは、かっこうよくのびた、ウサギくんの美しい耳を見た。じつに、長くて、見ているうちに、ぼくは、心から楽しくなった。まるで、小さいときの、ぼく自身を見ているような気持さえした。そこで、ぼくは、ウサギくんに投票したんだよ」
「まあ、お静かに」と、ハエが言いました。「いや、いや、わたしは、なにも、おしゃべりをしようというのではありません。ただ、ちょっと、お耳に入れておきたいことがあるんです。
いいですか。わたしは、一度も二度も、ウサギさんを追いこしたことがあるんですよ。ついこのあいだも、いちばん若いウサギさんの、あと足を折ってしまったんですよ。そのとき、わたしは、汽車のいちばん先頭を走る、機関車の上に乗っかっていました。じつは、ときどき、そうするんですがね。だって、自分の早さを知るのには、そうするのが、いちばんですからね。
だいぶ前から、若いウサギさんが、機関車の前を走っていました。ウサギさんのほうでは、わたしがいるのには、気づいていなかったようです。とうとうしまいに、ウサギさんは、わきへ、よけなければならなくなりました。ところがそのひょうしに、機関車のために、あと足を折られてしまったんです。もちろん、わたしが機関車の上にいたからですがね。ウサギさんは、そこにたおれたままでいました。わたしは、ずんずんさきへ走っていきました。
これだけ言えば、わたしがウサギさんに勝ったことは、はっきりしているでしょう。だからといって、わたしは、賞をくれとは、いいませんがね」
「あたしは、こう思うわ」と、野バラは、心の中で考えました。でも、口に出しては言いませんでした。野バラの性質では、心に思っていることを、なんでも言ってしまうのが、いやだったのです。でも、この場合は、言ったほうがよかったでしょう。
「あたしは、こう思うわ。お日さまの光こそ、名誉の一等賞をもらうべきだわ。それから、二等賞も、いっしょにね。
お日さまの光は、お日さまからあたしたちのところまで、はかることもできないほどの、遠い遠い距離を、あっというまに、とんでくるんですもの。それに、その光はとっても強いから、その光で自然のすべてのものが、目をさますんですもの。それから、美しさも持っているわ。だからこそ、あたしたちバラの花は、きれいな、赤い色にそまって、よいにおいを出すようになるんだわ。
それなのに、えらい審判官たちは、それにはちっとも、気がついていない。もしもあたしがお日さまの光だったら、ひとりひとりに、うんと光をあてて、日射病にしてやるのに。でも、それだけなら、ただ気が狂うだけね。そんなことをしなくったって、どうせみんな、狂ってしまうでしょうもの。だから、あたしは、なんにも言わないでいましょう」
野バラは、なおも考えました。
「森の中の平和! 美しい花にあふれ、すがすがしいかおりにみちた美しさ! 伝説に生き、歌に生きるよろこび! でも、お日さまの光は、あたしたちのだれよりも、長く長く生きのこるのだわ!」
「一等賞は、なんだね?」と、ミミズがたずねました。いままで眠りこんでいたのですが、やっといま、はい出してきたのです。
「キャベツ畑に、自由に、出入りできることだよ」と、ラバが言いました。「この賞は、ぼくが言い出したものなんだよ。ウサギくんは、その賞をもらわなければならんし、また、もらうべきだよ。なにしろぼくは、よく考え、よく仕事をする審判官として、賞をもらうもののために、いっしょうけんめい考えたんだからね。だから、ウサギくんのことは、もうだいじょうぶ。
カタツムリくんのほうは、石垣の上にすわって、コケやお日さまの光をなめてもよい、ということになったんだ。それに、近いうちには、かけっこの審判官のひとりにも、えらばれることになっている。かけっこの早いカタツムリくんのような人が、審判官の仲間に加わるということは、まったくいいことさ。
ぼくは、はっきりと言っておくが、これからさきを、たいへん楽しみにしている。なにしろ、はじまりが、こんなにすばらしいんだからねえ」 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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あるところに、ひとりのりっぱな紳士がいました。この紳士は靴ぬぎと、それにくしを一つ、持っていました。これが、この人の持物のぜんぶだったのです。そのかわり、この紳士は、世界でいちばんきれいなカラーを持っていました。これから、わたしたちが聞くお話は、このカラーについてのお話なんですよ。
さて、カラーは年ごろになりましたので、ぼつぼつ、結婚したいと思いました。すると、あるとき、ぐうぜん、せんたくものの中で、靴下どめに出会いました。
「これは、これは!」と、カラーは言いました。「いままでわたしは、あなたのようにすらりとして、じようひんで、しかも、しとやかで、きれいなかたを、見たことがありません。お名前をうかがわせていただけませんか?」
「申しあげられませんわ」と、靴下どめは言いました。
「どちらにおすまいですか?」と、カラーはたずねました。
けれども、靴下どめは、ひどくはずかしがりやだったものですから、そんなことに答えるのは、なんだかおかしな気がしました。
「あなたは、きっと、帯なんですね」と、カラーは言いました。「それも、着物の下にしめる帯なんでしょう。あなたが、じっさいの役にも立ち、飾りにもなるくらいのことは、ぼくにだって、ちゃあんとわかりますよ。かわいいお嬢さん!」
「あたしに話しかけないでください」と、靴下どめは言いました。「あなたにお話するきっかけをあげたつもりはありませんわ」
「とんでもない、あなたのようにおきれいならば」と、カラーは言いました。「きっかけなんて、じゅうぶんありますよ」
「あんまり、そばへ寄らないでくださいな」と、靴下どめは言いました。「あなたって、ずいぶん、ずうずうしそうですもの」
「ぼくは、これでもりっぱな紳士ですよ」と、カラーは言いました。「ぼくは、靴ぬぎや、くしを、持っているんですからね」
といっても、これは、ほんとうのことではありません。靴ぬぎや、くしを持っているのは、カラーのご主人なんですからね。カラーは、ほらをふいたのでした。
「そばへ来ないでください」と、靴下どめは言いました。「あたし、こういうことに、なれていないんですもの」
「気取りやめ」と、カラーは言いました。
そのとき、カラーはせんたくものの中から取り出されました。そして、のりをつけられて、椅子の上で日にあてられました。それから、アイロン台の上に寝かされました。すると、そこへ、あついアイロンがやってきました。
「奥さん!」と、カラーは言いました。「かわいい未亡人の奥さん。ぼくは、すっかりあつくなりましたよ。もう、見ちがえるようになりました。しわもなくなって、こんなにきれいになりました。おまけに、焼け穴までこしらえてくれましたね。うう、あつい!――ぼくはあなたに、結婚を申しこみますよ」
「ふん、ぼろきれのくせに!」と、アイロンは言って、カラーの上を、いばって通っていきました。それというのも、このアイロンは、ものすごくうぬぼれがつよくて、自分では汽車をひっぱる機関車のようなつもりでいたからです。
「ぼろきれのくせに!」と、アイロンは言いました。
カラーのへりが、すこしすりきれました。そこで、今度は、紙きりばさみがやってきて、そのすりきれたところを切りとろうとしました。
「おや、おや!」と、カラーは言いました。「あなたは、たしかに、一流の踊り子ですね。まあ、なんて、足がよくのびるんでしょう。こんなに美しいものは、まだ一度も見たことがありません。どんな人にだって、あなたのまねはできませんよ」
「そんなことくらい、知っててよ」と、はさみは言いました。
「あなたは、伯爵夫人になったって、りっぱなものですよ」と、カラーは言いました。「ぼくの持っているのは、りっぱな紳士と、靴ぬぎと、くしだけです。これに、伯爵領がありさえすれば、いいんですがねえ」
「あら、結婚を申しこんでるのね」と、はさみは言いました。はさみは、すっかりおこってしまったので、そのいきおいで、つい、大きく切りすぎてしまいました。こうして、とうとう、カラーは、おはらいばこになってしまいました。
「さてと、こうなったら、くしにでも、結婚を申しこむか。――かわいいお嬢さん! あなたの歯は、なんてきれいにならんでいるんでしょう!」と、カラーは言いました。「あなたは、いままでに、婚約ということをお考えになったことはありませんか?」
「もちろん、ありますわ」と、くしは言いました。「だって、もう、靴ぬぎさんと婚約しているんですもの」
「婚約しているって!」と、カラーは言いました。これで、もう、結婚を申しこむ相手は、ひとりもありません。そこで、カラーは、結婚のことをけいべつするようになりました。
長い年月がたちました。とうとう、カラーは、製糸工場の箱の中へやってきました。そこには、ぼろがたくさん集まっていました。でも、上等のものは上等のもの、下等のものは下等のもの、というふうに、べつべつに別れて集まっていました。みんなは、話すことをいっぱい持っていました。なかでも、カラーは、いちばんたくさん持っていました。なぜって、カラーはたいへんなほらふきだったんですからね。
「ぼくには、恋人が山ほどいたもんさ」と、カラーは言いました。「おかげで、ぼくは、おちついていることもできやしなかった。これでもぼくは、りっぱな紳士だったんだぜ。ちゃあんと、のりつけをした紳士さ。それに、ぼくは、一度も使ったことのない、靴ぬぎと、くしまで、持っていたんだよ。――あのころのぼくを、みんなに見せたかったなあ。きちんとたたまれて、横になっていた、あのころのぼくをさ。
それはそうと、さいしょの恋人のことは、忘れられないもんだね。あのひとは、とってもじょうひんで、やさしくって、きれいな帯だったっけ。ぼくのために、せんたくおけの中まで、とびこんできたもんさ。そうそう、未亡人もいたよ。あの人は、すっかりあつくなっちゃったが、ぼくはほったらかしておいた。黒くなるまでね。
そのつぎが、一流の踊り子さ。この女のおかげで、ぼくは傷をうけちまってね、これ、このとおり、そのあとが、いまでものこっているしまつさ。まったく、気のつよい女だったよ。すると、今度は、ぼく自身のくしまでが、ぼくを恋しちまってね。その恋の苦しさのために、すっかり歯がぬけちまったよ。こんな話なら、いくらでもあるよ。
しかし、ぼくが、いちばんわるいことをしたと思っているのは、あの靴下どめ、――いや、せんたくおけの中までとびこんできた、あの帯のことだよ。これには、ぼくも良心の苦しみをおぼえているんだ。考えてみれば、いま、ぼくが白い紙になるのも、しかたがないかもしれない」
そして、カラーはそのとおりになりました。ほかのぼろたちも、みんな白い紙になりました。
ところが、カラーのなった白い紙というのが、どうでしょう。いま、わたしたちが見ている白い紙、このお話の印刷されている、白い紙なんです。というのも、カラーは、あとになって、ありもしないことまで、とんでもないほらをふいたからなんです。
わたしたちは、このことをよくおぼえておいて、そんなことをしないように、気をつけましょう。なぜならばですよ、このわたしたちにしたって、いつかは、ぼろ箱の中にはいって、白い紙にされないともかぎりませんからね。それも、自分の話を、ごくごくないしょのことまでも印刷されて、あっちこっち話しまわらなければならないともかぎらないんですから。ちょうど、このカラーのようにですよ。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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ある小さな村の、いちばんはずれの家に、コウノトリの巣がありました。コウノトリのおかあさんは、巣の中で、四羽の小さなひな鳥たちのそばにすわっていました。ひな鳥たちは、小さな黒いくちばしのある頭を、巣の中からつき出していました。このひな鳥たちのくちばしは、まだ赤くなっていなかったのです。
そこからすこし離れた屋根の頂きに、コウノトリのおとうさんが、からだをまっすぐ起して、かたくなって立っていました。おとうさんは、かたほうの足を、からだの下に高く上げていました。こうして、見張りに立っているあいだは、すこしぐらい、つらい目にもあわなくては、と思ったからでした。おとうさんは、木でほってあるのかと思われるほど、じっと立っていました。
「巣のそばに、見張りを立たせておくんだから、家内のやつは、ずいぶんえらそうに見えるだろうな」と、コウノトリのおとうさんは考えました。「このおれが、あれのご主人だなどとは、だれも知るまいよ。きっと、ここに立っているように、言いつけられているんだと、思うだろうさ。それにしても、ずいぶんだいたんだろうが!」こうして、コウノトリのおとうさんは、なおも、片足で立ちつづけていました。
下の通りでは、大ぜいの子供たちがあそんでいました。そのうちに、コウノトリを見つけると、その中のいちばんわんぱくな子が、むかしからある、コウノトリの歌をうたいだしました。すると、それにつづいて、みんなもいっしょにうたいだしました。けれども、はじめにうたった子がおぼえていただけを、みんなは、ついてうたっているのでした。
コウノトリよ、コウノトリ、
とんでお帰り、おまえのうちへ
おまえのかみさん、巣の中で
四羽の子供を寝かしてる。
一番めはつるされる、
二番めはあぶられよ。
三番めは焼き殺されて、
四番めはぬすまれよ!
「ねえ、あの男の子たちが、あんなことをうたっているよ」と、コウノトリの小さな子供たちは、言いました。「ぼくたち、つるされたり、焼き殺されたりするんだってさ」
「あんなこと、気にしないでおいで」と、コウノトリのおかあさんは、言いました。「聞かないでいらっしゃい。なんでもないんだからね」
けれども、男の子たちは、なおもうたいつづけて、コウノトリのほうを指さしました。中にひとりだけ、ペーテルという男の子は、動物をからかうのはいけないことだと言って、仲間にはいろうとしませんでした。コウノトリのおかあさんは、ひな鳥たちをなぐさめて、こう言いました。「心配しなくてもいいんだよ。ほら、ごらん。おとうさんは、あんなにおちついて、じっと立っていらっしゃるじゃないの。おまけに、片足でね」
「ぼくたち、とってもこわい!」ひな鳥たちは、こう言って、頭を巣のおくへひっこめました。
つぎの日も、男の子たちが、またあそびに集まってきました。コウノトリを見ると、きのうと同じように、うたいはじめました。
一番めはつるされる、
二番めはあぶられよ!
「ぼくたち、つるされたり、焼き殺されたりするの?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。
「いいえ、そんなことはありませんとも!」と、おかあさんは言いました。「おまえたちは、もう、とぶことをおぼえなければいけません。おかあさんが、おけいこさせてあげますよ。そしたら、あたしたち、みんなで草原へとんでいって、カエルをたずねてやりましょう。カエルたちはね、水の中からあたしたちにおじぎをして、コアックス、コアックス! って、うたうんですよ。それから、あたしたちはそのカエルを食べてしまうの。ほんとに、そりゃあ楽しいことですよ!」
「そうして、それからは?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。
「それから、この国じゅうにいるコウノトリが、みんな集まって、秋の大演習がはじまるんですよ。そのときは、みんな、うまくとばなければいけませんよ。それは、とってもだいじなことなんですからね。だってね、いいかい、とべないものは、大将さんに、くちばしでつつき殺されてしまうんですもの。だから、おけいこがはじまったら、よくおぼえるようにするんですよ」
「じゃあ、やっぱり、あの男の子たちが言ってたように、ぼくたち、殺されるんだね。ねえ、ほら、また言ってるよ」
「おかあさんの言うことを、よくお聞き! あんな男の子たちの言うことは、聞くんじゃありません!」と、コウノトリのおかあさんは、言いました。「その大演習がおわったら、あたしたちはね、いくつもいくつも山や森をこえて、ここからずっと遠くの、暖かいお国へとんでいくんです。そうやって、エジプトというお国へ、あたしたちは行くのよ。そこには、三角の形をした、石のお家があるの。先がとがっていて、雲の上にまで高くつきでているのよ。このお家は、ピラミッドといってね、コウノトリなんかには、とても想像がつかないほど、古くからあるものなのよ。それから、大きな川もあるわ。その川の水があふれると、そのお国はどろ沼になってしまうの。そしたら、そのどろ沼の中を歩きまわって、カエルを食べるのよ」
「うわあ、すごい!」と、ひな鳥たちは、口をそろえて言いました。
「そうですとも。とってもすてきよ! 一日じゅう、食べることのほかには、なんにもしないんですもの。そっちではね、あたしたちが、そんなに楽しく暮しているのに、このお国では、木に青い葉っぱが一枚もなくなってしまうのよ。ここはほんとに寒くってね、雲はこなごなにこおって、白い小さなぼろきれみたいになって、落ちてくるんですよ」おかあさんの言っているのは、雪のことだったのです。けれども、これよりうまくは、説明することができませんでした。
「じゃあ、あのいたずらっ子たちも、こなごなにこおってしまうの?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。
「いいえ、あの子たちは、こなごなにこおって、くだけたりはしませんよ。でも、まあ、そうなったもおんなじで、みんな、暗いお部屋の中にひっこんで、じっと、ちぢこまっていなければならないの。それなのに、おまえたちは、きれいなお花が咲いて、暖かいお日さまのかがやいている、よそのお国をとびまわっていることができるんですよ」
やがて、幾日か、たちました。ひな鳥たちは、もうずいぶん大きくなったので、巣の中で立ちあがって、遠くまで見まわすことができるようになりました。コウノトリのおとうさんは、毎日毎日、おいしいカエルや、小さなヘビや、そのほか、見つけることのできたごちそうを、かたっぱしから持ってきてくれました。それから、おとうさんは、子供たちに、いろんな芸当をやってみせました。そのようすは、ほんとにゆかいでした。頭をうしろへそらせて、しっぽの上においてみせたり、小さなガラガラのように、くちばしで鳴いてみせたりするのです。それから、いろんなお話もして聞かせました。それは、ぜんぶ沼のお話でした。
「さあ、おまえたちは、とぶおけいこをしなきゃいけませんよ」と、ある日、コウノトリのおかあさんが、言いました。そこで、四羽のひな鳥たちは、屋根の頂に出なければなりませんでした。まあ、なんて、よろよろ、よろめいたことでしょう! みんなは、羽で、からだのつりあいをとっていたのですが、そうしていても、いまにもころがり落ちそうでした。
「いいかい、おかあさんをごらん」と、おかあさんが言いました。「こんなふうに頭をあげて。足は、こんなふうにおろすんですよ。一、二! 一、二! これができたら、世の中へ出てもだいじょうぶよ」それから、おかあさんは、いくらかとんでみせました。つづいて、子供たちもぶきっちょに、ちょっとはねあがりましたが、バタッと、たおれてしまいました。まだ、からだが重すぎたのです。
「ぼく、とぶのはいやだよ」一羽のひな鳥は、こう言って、巣の中へはいこんでしまいました。「暖かい国へなんか、行かなくったっていいや!」
「じゃあ、おまえは、冬がきたら、ここで、こごえ死んでもいいの? あの男の子たちがやってきて、おまえをつるして、あぶって、焼き殺してしまってもいいの? なら、おかあさんが、男の子たちを呼んできてあげましょう」
「いやだ、いやだ」と、そのコウノトリの子供は言って、ほかのひな鳥たちと同じように、また、屋根の上をはねまわりました。三日めには、すこしでしたけれども、みんなは、ほんとうにとぶことができるようになりました。こうなると、もう自分たちも、空に浮ぶことができるだろう、と思いました。それで、みんなはじっと浮んでいようとしましたが、すぐに、バタッと、落っこちてしまいました。ですから、また、あわてて羽を動かさなければなりませんでした。
そのとき、男の子たちが下の通りへ集まってきて、またうたいだしました。
「コウノトリよ、コウノトリ、とんでお帰り、おまえのうちへ!」
「ぼくたち、とびおりてって、あの子たちの目玉を、くりぬいてやっちゃいけない?」と、ひな鳥たちは言いました。
「いけません。ほうっておきなさい」と、おかあさんは言いました。「おかあさんの言うことだけ聞いていれば、いいんですよ。そのほうが、ずっとだいじなことなんですよ。一、二、三! さあ、右へまわって! 一、二、三! 今度は、えんとつを左のほうへまわって! ――ほうら、ずいぶんじょうずにできたじゃないの。いちばんおしまいの羽ばたきは、とってもきれいに、うまくできましたよ。じゃ、あしたは、おかあさんといっしょに、沼へ行かせてあげましょうね。そこへは、りっぱなコウノトリの家のひとたちが、幾人も、子供たちを連れてきているんですよ。だから、その中で、おかあさんの子が、いちばんりっぱなことを、見せてちょうだいね。からだをまっすぐ起して! そうすりゃ、とってもりっぱに見えて、ひとからもうやまわれるんですよ!」
「だけど、あのいたずらっ子たちに、しかえしをしてやっちゃいけないの?」と、コウノトリの子供たちは、たずねました。
「どなりたいように、どならせておきなさい。おまえたちは、雲の上まで高くとび上がって、ピラミッドのお国へとんでいくんでしょう。そのときはね、あの男の子たちは寒くって、ぶるぶるふるえているんですよ。それに、青い葉っぱも、おいしいリンゴも、なに一つないんですよ」
「でも、ぼくたち、しかえしをしてやろうね」と、子供たちは、たがいにささやきあいました。それから、またおけいこをつづけました。
通りに集まる男の子たちの中で、いつもあのわる口の歌をうたっているよくない子は、いつか、いちばんさいしょにうたいはじめた、あの男の子でした。その子は、まだほんの小さな子で、六つより上には見えませんでした。でも、コウノトリの子供たちにしてみれば、その子は自分たちのおかあさんや、おとうさんよりも、ずっとずっと大きいのですから、年は百ぐらいだろうと思っていました。むりもありません。コウノトリの子供たちに、人間の子供や、おとなの人の年が、どうしてわかるはずがありましょう。
コウノトリの子供たちが、しかえしをしてやろうというのは、この男の子にたいしてだったのです。だって、この子がいちばんさいしょにうたいだしたのですし、それに、いつもきまって、歌の仲間にはいっていたのですから。コウノトリの子供たちは、心からおこっていました。そして、大きくなるにつれて、だんだん、がまんができなくなりました。それで、とうとう、おかあさんも、しかえしをしてもいい、と、約束しなければならなくなってしまいました。でも、この国をたっていく、さいごの日まで、してはいけない、と、言い聞かせたのでした。
「それよりも、今度の大演習のときに、おまえたちがどんなにやれるか、まずさきに、それを見ましょうよ。もし、おまえたちがうまくできなければ、大将さんがくちばしで、おまえたちの胸をつつくんですよ。そうすりゃ、あの男の子たちの言ったことが、すくなくとも一つは、ほんとうになるじゃないの。さあ、どうなるかしらね」
「わかりました。見ていてよ!」と、コウノトリの子供たちは言って、それからは、ほんとうにいっしょうけんめい、おけいこをしました。こうして、毎日毎日、おけいこをしたおかげで、とうとう、みんなは、軽がるときれいにとぶことができるようになりました。ほんとに、楽しいことでした。
やがて、秋になりました。コウノトリたちは、このわたしたちの国へ冬がきているあいだ、暖かい国へとんでいくために、みんな集まってきました。それは、たいへんな演習でした! コウノトリたちは、どのくらいとべるかをためすために、いくつもいくつも、森や村の上をとばなければなりませんでした。なにしろ、これからさき、長い長い旅をしなければならないのですからね。あのコウノトリの子供たちは、たいそうみごとにやってのけましたので、ごほうびに、「カエルとヘビ」という、優等賞をいただきました。それは、いちばんよい点だったのです。そして、このいちばんよい点をもらったものは、カエルとヘビを食べてもいいことになっていました。ですから、このコウノトリの子供たちも、それを食べました。
「さあ、今度は、しかえしだ!」と、みんなは言いました。
「そうですとも!」と、コウノトリのおかあさんは、言いました。「おかあさんがね、いま頭の中で考えたことは、とってもすてきなことなんですよ。おかあさんは、ちっちゃな人間の赤ちゃんたちのいる、お池のあるところを知っているの。人間の赤ちゃんたちはね、コウノトリが行って、おとうさんやおかあさんのところへ連れていってあげるまで、そこに寝ているんですよ。かわいらしい、ちっちゃな赤ちゃんたちは、そういうふうに、そこに寝ていて、大きくなってからは、もう二度と見ることのない、楽しい夢を見ているのよ。おとうさんやおかあさんは、だれでも、そういうちっちゃな赤ちゃんをほしがっているし、子供たちは子供たちで、みんな、妹や弟をほしがっているんですよ。さあ、あたしたちは、みんなでそのお池へとんでいって、わる口の歌をうたわなかった子や、コウノトリをからかったりしなかった子のところへ、かわいらしい赤ちゃんをひとりずつ、連れていってやりましょうね。みんな、いい子なんですから」
「でも、あの子には? ほら、さいしょに歌をうたいはじめた、あのいじわるの、いたずらっ子には?」と、若いコウノトリたちは、さけびました。「あの子にはどうするの?」
「そのお池には、死んだ夢を見ている、死んだ赤ちゃんもいるのよ。だから、あの子のところへは、その死んだ赤ちゃんを連れていってやりましょう。あたしたちが死んだ弟を連れていけば、あの子は、きっと泣き出しますよ。けれど、あのいい子にはね、おまえたちも、きっと忘れてはいないでしょう、ほら、『動物をからかうのは、いけないことだ』と、言ったあの子ね、あの子のところへは、弟と妹を連れていってやりましょう。それから、あのいい子はペーテルという名前だから、おまえたちもみんな、ペーテルという名前にしてあげましょうね」
こうして、おかあさんの言ったとおりになりました。それから、コウノトリは、みんなペーテルという名前になりました。こういうわけで、いまでも、コウノトリは、ペーテルと呼ばれているんですよ。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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この国でいちばん大きな青い葉といえば、それは、スカンポの葉にちがいありません。その葉を取って、子供がおなかの上につければ、ちょうど前掛けのようになります。それから、頭の上にのせると、雨が降っているときには、雨がさのかわりになります。この葉は、なにしろ、ものすごく大きいのですから。
スカンポというのは、一本だけで生えているということはありません。一本生えているところには、きまって、幾つも幾つも生えているものです。そのありさまは、たいへんきれいです。そして、この美しい葉は、カタツムリの大好きな食べ物なのです。むかし、身分の高い人たちが、よいお料理につかった、大きな白いカタツムリは、スカンポの葉を食べて、「フン、こいつはうまいぞ」と、言ったものでした。なぜって、カタツムリは、ほんとうにおいしいと思ったからです。カタツムリは、スカンポの葉を食べて生きていました。ですから、スカンポの種が、畑にまかれたのです。
さて、古いお屋敷がありました。お屋敷の人たちは、もう、カタツムリを食べなくなっていました。カタツムリは、すっかり死にたえてしまったのです。ところが、スカンポのほうは、死にたえるどころか、ふえにふえて、道という道、花壇という花壇にまで、ひろがっていました。もう、どうしようもありません。まるで、スカンポの森のようなありさまです。ただ、あっちこっちに、リンゴの木とスモモの木が立っているだけでした。その木でもなかったなら、ここが庭だったと思うことは、とてもできなかったでしょう。まったく、どこもかしこもスカンポばかりなのです。――
そこに、ずいぶん年をとったカタツムリが、二ひきだけ生きのこって、住んでいました。
このカタツムリたちは、自分たちの年がいくつか知りませんでした。けれども、自分たちは、もとはもっと大ぜいだったことや、よその国から来た一家の者だったことや、自分たちと仲間のために、このスカンポの森が植えられたことなどは、よくおぼえていました。このカタツムリたちは、森の外へ出たことは、一度もありませんでした。でも、外の世界には、お屋敷というものがあることは、ちゃんと知っていました。そして、そのお屋敷で、みんなが料理されて、まっ黒になって、それから、銀のお皿にのせられることも、よく知っていました。しかし、それからどうなるのか、その先のことは知りませんでした。それに、料理されて、銀のお皿にのせられることが、いったいどういうことなのか、このカタツムリたちには考えもつかなかったのです。それにしても、すばらしくて、しかもりっぱなことにちがいない、とは思っていました。コガネムシや、ヒキガエルや、ミミズにきいてみても、だれひとり、説明してくれることはできませんでした。もちろん、だれも料理されたり、銀のお皿にのせられたりした者はないのですから、むりもないわけです。
年とった、白いカタツムリたちは、自分たちが世界でいちばんとうといものだということを、よく知っていました。なぜって、この森は、自分たちのためにあるのですし、また、お屋敷にしても、自分たちが料理されて、銀のお皿にのせられるために、あるのですからね。
さて、このカタツムリたちは、ふたりきりで、たいへんしあわせに暮していました。ただ、子供がなかったので、小さな、ふつうのカタツムリを連れてきて、その子を自分たちの子供として、育てていました。ところが、その子ときたら、さっぱり大きくなりません。それもそのはず、ふつうのカタツムリなんですからね。しかし、ふたりの年よりは、ことにおかあさんのほうは、つまり、カタツムリのおかあさんですがね、そのおかあさんのほうは、その子の大きくなっていくのが、はっきりわかるような気がしました。それで、おとうさんにむかって、もし見ているだけで、この子の大きくなっていくのがわからないのなら、この子のカタツムリのからにさわってみてください、と言いました。おとうさんがさわってみると、たしかに、おかあさんの言うとおりだ、と思いました。
ある日のこと、雨がひどく降ってきました。
「まあ、どうだい。スカンポの葉がドンドン、バラバラと、たいこのような、すごい音を立てているじゃないか!」と、カタツムリのおとうさんが言いました。
「雨のしずくも、落ちてきますよ!」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「まっすぐ、くきをつたって、流れてきますよ。今に、ここもぬれちまいますね。でも、わたしゃ、うれしいですよ、こんないい家が、わたしたちにはあるんですし、あの子にもちゃんと、自分の家があるんですからね。たしかに、わたしたちは、ほかのどんな生き物よりも、めぐまれているんですね。やっぱし、わたしたちは、この世界の主人なんですよ。生れたときから、こうして家を持っているんですし、おまけに、スカンポの森まで、わたしたちのために植えられているんですもの。――それはそうと、この森がどこまでつづいていて、森の外にはどんなものがあるか、見たいですねえ!」
「森の外には、なんにもありゃしない」と、カタツムリのおとうさんは言いました。「わしらのとこよりいいところなんて、どこにもあるはずがない。わしには、これ以上望むことはない」
「そうですね」と、おかあさんは言いました。「でも、わたしは、一度お屋敷へ行ってみたいんです。そうして、お料理されて、銀のお皿にのせてもらいたいと思いますよ。わたしたちのご先祖は、みんな、そうされたんですって。きっと、なにか特別のことなんですよ」
「お屋敷はこわれてしまったかもしれんよ」と、カタツムリのおとうさんは言いました。「さもなきゃ、スカンポの森がその上までしげっていて、中の人たちが、出られんようになってしまっているさ。どっちにしても、あわてることはない。だが、おまえは、いつも、おっそろしくせっかちだよ。だから、あの子までが、せっかちになりだしたんだ。あの子は、もう三日も、くきをはいあがっていくじゃないか。あれをみると、わしは頭がぐらぐらする!」
「そんなに、がみがみ言わなくたって、いいじゃありませんか」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「あの子は、とっても気をつけて、はってるんですよ。ほんとに、あの子はわたしたちの楽しみですよ。ほかに、わたしたち年よりには、生きてゆく楽しみってものがないんですからね。だけど、あなた、ぼつぼつ、あの子に嫁をさがしてやりませんか? このスカンポの森のずっと奥には、わたしたちの仲間がいるんじゃないでしょうか?」
「黒いカタツムリならいるだろうな」と、年よりのカタツムリは言いました。「家のない、黒いカタツムリならな。だが、あの連中は、いやしいくせに、うぬぼれが強いんだ。ひとつ、アリさんにたのんでみようじゃないか。あのひとたちは、さもいそがしそうに、あっちこっちを走りまわっているから、きっと、あの子にぴったりの嫁さんを知ってるだろう」
「いちばんきれいなひとを知ってますよ」と、アリたちが言いました。「ただ、うまくいきますかどうか。なにしろ、そのひとは、女王さまなんですからね!」
「そんなことはかまいませんよ」と、年よりのカタツムリたちは言いました。「そのひとには、家はありますかね?」
「お城がありますよ」と、アリたちは言いました。「七百も廊下のある、すばらしくりっぱな、アリのお城ですよ」
「ありがとうございます」と、カタツムリのおかあさんは言いました。「ですけど、うちの息子は、アリの塚へやるわけにはいきません。あなたがたが、もうそのほかに、いい話をご存じないのなら、白ブヨさんにお願いすることにしましょう。あのひとたちは、降っても照っても、あっちこっちを飛びまわっていて、スカンポの森のことなら、中のことでも外のことでも、よく知っていますから」
「ちょうどいいお嫁さんがいますよ」と、ブヨたちは言いました。「人間の足で、ここから百歩ぐらい離れたところに、スグリの茂みがあるんですが、その上に、家を持った、小さなカタツムリの娘がいるんですよ。そのひとは、ひとりっきりなんですが、もうそろそろ、お嫁に行くころです。人間の足で、たった百歩ばかりのところですよ」
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こうして、ふたりは、その小さなカタツムリの娘を迎えにいきました。娘は、ここまで来るのに八日もかかりましたが、でも、それでよかったのです。なぜって、そのために、この娘が同じカタツムリの仲間であることが、はっきりわかったのですからね。
それから、結婚式があげられました。六ぴきのホタルが、いっしょうけんめい光ってくれました。そのほかは、なにもかも、ごく静かに行われました。というのは、年よりのカタツムリたちは、お酒を飲んだり、大さわぎをするのがきらいだったからです。しかし、カタツムリのおかあさんは、すてきなお話をしました。おとうさんのほうは、すっかり感動してしまって、ろくにお話もできなかったのです。それからふたりは、若い者たちに、スカンポの森をみんなゆずり渡して、しょっちゅう口にしていることを、言い聞かせました。つまり、ここは世界じゅうでいちばんいいところだということや、ふたりが正直にまじめに暮して、子供たちがふえたらば、ふたりも子供たちも、いつかはお屋敷へ行って、まっ黒に料理され、銀のお皿にのせてもらえるようになるだろう、ということなどを話して聞かせました。
話がおわると、年よりのふたりは、めいめいの家の中へもぐりこんで、それからは、二度と出てきませんでした。そのまま、ふたりは眠ってしまったのです。若いカタツムリの夫婦は、スカンポの森をおさめました。そして、子供も大ぜい生れました。しかし、料理されることもなければ、銀のお皿にのせられることもありませんでした。それで、みんなは、お屋敷はこわれてしまい、世の中の人たちは、みんな死んでしまったのだ、ということにきめました。そして、だれひとり、それに反対する者がなかったのですから、それは、ほんとうのことにちがいありません。
雨はスカンポの葉をたたいて、たいこの音楽を聞かせてくれました。お日さまはキラキラかがやいて、スカンポの森を、美しい色にそめてくれました。みんなは、たいへんしあわせでした。そして、一家の者は、みんなしあわせでした。ほんとうに、そうだったのです。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "060067",
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一 お話のはじまり
コペンハーゲンで、そこの東通の、王立新市場からとおくない一軒の家は、たいそうおおぜいのお客でにぎわっていました。人と人とのおつきあいでは、ときおりこちらからお客をしておけば、そのうち、こちらもお客によばれるといったものでしてね。お客の半分はとうにカルタ卓にむかっていました。あとの半分は、主人役の奥さんから、今しがた出た、
「さあ、こんどはなにがはじまりしましょうね。」というごあいさつが、どんな結果になってあらわれるかと、手ぐすねひいて、待っているのです。もうずいぶんお客さま同士の話がはずむだけはずんでいました。そういう話のなかには、中世紀時代の話もでました。あるひとりは、あの時代は今の時代にくらべては、くらべものにならないほどよかったと主張しました。じっさい司法参事官のクナップ氏などは、この主張にとても熱心で、さっそく主人役の奥さんを身方につけてしまったほどでした。そうしてこのふたりは*エールステッドが年報誌上にかいた古近代論の、現代びいきな説にたいして、やかましい攻撃をはじめかけたくらいです。司法参事官の説にしたがえば、デンマルクの**ハンス王時代といえば、人間はじまって以来、いちばんりっぱな、幸福な時代であったというのでした。
*デンマルクの名高い物理学者(一七七七―一八五一)。
**ヨハン二世(一四八一―一五一三)。選挙侯エルンスト・フォン・ザクセンのむすめクリスティーネと婚。ノルウェイ・スエーデン王を兼ねた。
さて会話は、こんなことで、賛否こもごも花が咲いて、あいだに配達の夕刊がとどいたので、ちょっと話がとぎれたぐらいのことでした。でも、新聞にはべつだんおもしろいこともありませんでしたから、話はそれなりまたつづきました。で、わたしたちはちょっと表の控間へはいってみましょう。そこにはがいとうと、つえと、かさと、くつの上にはうわおいぐつが一足置いてありました。みるとふたりの婦人が卓のまえにすわっていました。ひとりはまだ若い婦人ですが、ひとりは年をとっていました。ちょっとみると、お客のなかのお年よりのお嬢さん、または未亡人の奥さんのお迎えに来て、待っている女中かとおもうでしょう。でもよくみると、ふたりとも、ただの女中などでないということはわかりました。それにはふたりともきゃしゃすぎる手をしていましたし、ようすでも、ものごしでも、りっぱすぎていましたが、着物のしたて方にしても、ずいぶんかわっていました。ほんとうは、このふたりは妖女だったのです。若いほうは幸福の女神でこそありませんが、そのおそばづかえのそのまた召使のひとりで、ちょいとしたちいさな幸福のおくりものをはこぶ役をつとめているのです。年をとったほうは、だいぶむずかしい顔をしていました。これは心配の妖女でした。このほうはいつもごじしん堂堂と、どこへでも乗り込んでいってしごとをします。すると、やはりそれがいちばんうまくいくことを知ってました。
ふたりはおたがいに、きょうどこでなにをして来たか話し合っていました。幸福の女神のおそばづかえのそのまた召使は、ほんのふたつ三つごくつまらないことをして来ました。たとえば買い立ての帽子が夕立にあうところを助けてやったり、ある正直な男に無名の篤志家からほどこし物をもらってやったり、まあそんなことでした。しかし、そのあとで、もうひとつ、話しのこしていたことは、いくらかかわったことであったのです。
「まあついでだからいいますがね。」と、幸福のおそばづかえのそのまた召使は話しました。「きょうはわたしの誕生日なのですよ。それでそのお祝いに、ご主人からうわおいぐつを一足あずけられました。そしてそれを人間のなかまにやってくれというのです。そのうわおいぐつにはひとつの徳があって、それをはいたものはたちまち、だれでもじぶんがいちばん住んでみたいとおもう時代なり場所なりへ、はこんで行ってもらえて、その時代なり場所なりについて、のぞんでいたことがさっそくにかなうのです。そういうわけで、人間もどうやら、この世の中ながら幸福になれるのでしょう。」
こういうと心配の妖女が、
「いや、お待ちなさいよ。そのうわおいぐつをはいた人は、きっとずいぶんふしあわせになるでしょうよ。そしてまた、はやくそれをぬぎたいとあせるようになるでしょうよ。」といいました。
「まあそこまではおもわなくても。」と、もうひとりがふふくらしくいいました。「さあ、それでは幸福のうわおいぐつを、ここの戸口におきますよ。だれかがまちがってひっかけていって、いやでも、すぐと幸福な人間になるでしょう。」
どうです。これがふたりの女の話でした。
二 参事官はどうしたか
もうだいぶ夜がふけていました。司法参事官クナップ氏は、ハンス王時代のことに心をとられながら、うちへかえろうとしました。ところで運命の神さまは、この人がじぶんのとまちがえて、幸福のうわおいぐつをはくように取りはからってしまいました。そこで参事官がなんの気なしにそれをはいたまま東通へ出ますと、もうすぐと、うわおいぐつの効能があらわれて、クナップ氏はたちまち三百五十年前のハンス王時代にまでひきもどされてしまいました。さっそくに参事官は往来のぬかるみのなかへ、両足つっこんでしまいました。なぜならその時代はもちろん昔のことで、石をしいた歩道なんて、ひとつだってあるはずがないのです。
「やれやれ、これはえらいぞ、いやはや、なんというきたない町だ。」と参事官がいいました。「どうして歩道をみんな、なくしてしまったのだろう。街灯をみんな消してしまったのだろう。」
月はまだそう高くはのぼっていませんでしたし、おまけに空気はかなり重たくて、なんということなしに、そこらの物がくらやみのなかへとろけ出しているようにおもわれました。次の横町の角には、うすぐらい灯明がひとつ、聖母のお像のまえにさがっていましたが、そのあかりはまるでないのも同様でした。すぐその下にたって、仰いでみてやっと、聖母と神子の彩色した像が分かるくらいでした。
「これはきっと美術品を売る家なのだな。日がくれたのに看板をひっこめるを忘れているのだ。」と、参事官はおもいました。
むかしの服装をした人がふたり、すぐそばを通っていきました。
「おや、なんというふうをしているのだ。仮装舞踏会からかえって来た人たちかな。」と、参事官は、ひとりごとをいいました。
ふとだしぬけに、太皷と笛の音がきこえて、たいまつがあかあかかがやき出しました。参事官はびっくりしてたちどまりますと、そのとき奇妙な行列が鼻のさきを通っていきました。まっさきには皷手の一隊が、いかにもおもしろそうに太皷を打ちながら進んで来ました。そのあとには、長い弓と石弓をかついだ随兵がつづきました。この行列のなかでいちばんえらそうな人は坊さんの殿様でした。びっくりした参事官は、いったいこれはいつごろの風をしているので、このすいきょうらしい仮装行列をやってあるく人はたれなのだろう、といって、行列のなかの人にたずねました。
「シェランの大僧正さまです。」と、たれかがこたえました。
「大僧正のおもいつきだと、とんでもないことだ。」と、参事官はため息をついてあたまを振りました。そんな大僧正なんてあるものか。ひとりで不服をとなえながら、右も左もみかえらずに、参事官はずんずん東通をとおりぬけて、高橋広場にでました。ところが宮城広場へ出る大きな橋がみつかりません。やっとあさい小川をみつけてその岸に出ました。そのうち小舟にのってやって来るふたりの船頭らしい若者にであいました。
「島へ渡りなさるのかな。」と、船頭はいいました。
「島へ渡るかって。」と、参事官はおうむ返しにこたえました。なにしろ、この人はまた、じぶんが今、いつの時代に居るのか、はっきり知らなかったのです。
「わたしは、クリスティアンス ハウンから小市場通へいくのだよ。」
こういうと、こんどはむこうがおどろいて顔をみました。
「ぜんたい橋はどこになっているのだ。」と参事官はいいました。「第一ここにあかりをつけておかないなんてけしからんじゃないか。それにこのへんはまるで沼の中をあるくようなひどいぬかるみだな。」
こんなふうに話しても、話せば話すほど船頭にはよけいわからなくなりました。
「どうもおまえたちの*ボルンホルムことばは、さっぱりわからんぞ。」と、参事官はかんしゃくをおこしてどなりつけました。そして背中をむけてどんどんあるきだしました。
*バルティック海上の島。島の方言がかわっていた。
しかしいくらあるいても、参事は橋をみつけることはできませんでした。らんかんらしいものはまるでありませんでした。
「どうもこのへんは実にひどい所だ。」と、参事官はいいました。じぶんのいる時代を、この晩ほどなさけなくおもったことはありませんでした。「まあこのぶんでは、辻馬車をやとうのがいちばんよさそうだ。」と、参事官はおもいました。そういったところで、さて、どこにその辻馬車があるでしょうか。それは一台だってみあたりそうにはありませんでした。
「これではやはり、王立新市場までもどるほうがいいだろう。あそこならたくさん馬車も来ているだろう。そうでもしないと、とてもクリスティアンス ハウンまでかえることなどできそうもない。」
そこで、またもどって、東通のほうへあるきだしました。そしてほとんどそこを通りぬけようとしたときに、たかだかと月がのぼりました。
「おや、なんとおもって足場みたいなものをここに建てたのだ。」
東門をみつけて、参事官はこうさけびました。そのころ東通のはずれに、門があったのです。
とにかく、出口をさがして、そこをとおりぬけると、今の王立新市場のある通へでました。けれどそれはただのだだっ広い草原でした。二三軒みすぼらしいオランダ船の船員のとまる下宿の木小屋が、そのむこう岸に建っていて、オランダッ原ともよばれていた所です。
「おれはしんきろうをみているのか知らん。それとも酔っぱらっているのじゃないか知ら。」と、参事は泣き声をだしました。「とにかくありゃあなんだ。」
もうどうしても、病気にかかっているにちがいない、そうおもい込んで、また引っかえしました。往来をとぼとぼあるきあるき、なおよくそこらの家のようすをみると、たいていの家は木組の小屋で、なかにはわら屋根の家もありました。
「いや、どうもへんな気分でしょうがない。」と、参事官はため息をつきました。「しかしおれは、ほんの一杯ポンスを飲んだだけだが、それがうまくおさまらないとみえる。それに、時候はずれのむしざけをだしたりなんかして、まったくくいあわせがわるかった。もういちどもどっていって、主人の代理公使夫人に小言をいって来ようかしらん。いや、それもばからしいようだ。それにまだ起きているかどうかわからない。」
そういいながら、その家の方角をさがしましたが、どうしてもみつかりませんでした。
「どうもひどいことだ。東通がまるでわからなくなった。一軒の店もみえはしない。みすぼらしいたおれかけの小屋がみえるだけだ。これではまるでリョースキレか、リンステッドへでもいったようだ。ああ、おれは病気だぞ。遠慮をしているところでない。だが、いったい代理公使の家はどこなんだろう。どうしてももうもととはちがっている。しかもなかには人がまだ起きている。――どうしてもおれは病気だ。」
そのとき参事官は、一軒戸のあいている家の前へ出ました。すきまからあかりが往来へさしていました。これはそのころの安宿で、半分居酒屋のようなものでした。ところで、そのなかはホルシュタイン風の百姓家の台所といったていさいでした。なかにはおおぜいの人間が、船乗や、コペンハーゲンの町人や二三人の本読もまじって、みんなビールのジョッキをひかえて、むちゅうになってしゃべっていて、はいって来た客にはいっこう気がつかないようでした。
参事官はお客をむかえにたったおかみさんにいいました。「お気のどくですが、わたしは非常にぐあいがわるいのです。クリスティアンスハウンまで、辻馬車をやとってはもらえませんか。」
おかみさんは、参事官の顔をうさんらしくみて首をふりました。それからドイツ語で話しかけました。参事官はそれで、おかみさんがデンマルク語を知らないことがわかったので、こんどはドイツ語で同じ註文をくり返しました。その言葉と服装から、おかみさんは、この客をてっきり外国人だとおもい込みました。で、気分のわるそうなようすをみると、さっそく水をジョッキに一杯ついでもって来ました。水はなんだかしょっぱいへんな味がしました。そのくせ外の噴井戸から汲んで来たのです。
参事官は両手であたまをおさえて、ふかいためいきをつきながら、いまし方つづいておこった奇妙なことを、あれこれとおもいめぐらしていました。
「それはきょうの*『ダーエン』ですか。」と、参事官は、おかみさんがもっていきかけた大きな紙をみて、ほんのおせじにききました。
*コペンハーゲン発行の夕刊新聞。一八〇五―四三。
お上さんは、なにを客がいうのだかわかりませんでしたから、だまってその紙を渡しました。それはむかし、キョルンの町にあらわれたふしぎな空中現象をかいた一枚の木版刷でした。
「こりゃなかなか古い。」と参事官は、あんがいな掘り出しもので、おおきに愉快になりました。
「おまえさん、このめずらしい刷物をどうして手に入れたのだね。こりゃなかなかおもしろいものだよ。もっとも話はまるっきりおとぎばなしだがね。今日では、これに類した空中現象は、北極光をみあやまったものだということになつている。おそらく電気の作用でおこるものらしい。」
すると参事官のすぐそばにすわって、この話をきいた人たちが、びっくりしてその顔をながめました。そして、そのうちのひとりは、たち上がって、うやうやしく帽子をぬいで、ひどくしかつめらしく「先生、どうも、あなたはたいそうな学者でおいでになりますな。」といいました。
「いやはや、どういたしまして。」と、参事官は答えました。「ついだれでも知っているはずのことをふたことみこと、お話しただけですよ。」
「けんそんは美徳で。」とその男はラテン語まじりにいいました。「もっともお説にたいして、わたくしは異説をさしはさむものであります。しかしながら、わたくしの批判はしばらく保留いたしましよう。」
「失礼ながら、あなたはどなたですか。」と、参事官がたずねました。
「わたくしは聖書得業士でして。」と、その男が答えました。
その答で参事官は十分でした。その人の称号と服装はそれによくつりあっていました。多分、これは村の老先生というやつにちがいない。よくユラン(ユットランド)地方でみかけるかわりものだと参事官はおもいました。
「ここはいかにも学者清談の郷ではありませんな。」と、その男はつづけていいだしました。「しかしどうかまげてお話しください。あなたはむろん、古書はふかくご渉猟でしょうな。」
「はい、はい、それはな。」と、参事官は受けて、「わたしも有益な古書を読むことは大好きですが、とうせつの本もずいぶん読みます。ただ困るのは『その日、その日の話』というやつで、わざわざ本でよまないでも、毎日のことで飽き飽きしますよ。」
「『その日、その日の話』といいますと。」と、得業士はふしんそうにききました。
「いや、わたしのいうのは、このごろはやる新作の小説のことですよ。」
「ははあ。」と、得業士はにっこりしながら、「あれもなかなか気のきいたものでして、宮中ではずいぶん読まれていますよ。*王様はとりわけ、アーサー王と円卓の騎士の話を書いた、イフヴェンとゴーディアンの物語を好いていられます。それでご家来の人達とあの話をして興がっていられます。」
*デンマルクの詩人ホルベルのデンマルク国史物語に、ハンス王が寵臣のオットー ルードとアーサー王君臣の交りについてとんち問答した話がかいてある。なお、「その日その日の物語」は、文士ハイベルの母のかきのこした身の上話。
「それはまだ読んでいません。」と、参事官はいいました。「ハイベルが出した新刊の本にちがいありませんね。」
「いや、ハイベルではありません。ゴットフレト フォン ゲーメンが出したのです。」と、学士は答えました。
「へへえ、その人は作者ですか。」と、参事官がたずねました。「ゴットフレト フォン ゲーメンといえば、すいぶん古い名まえですね。あれはなんでも、ハンス王時代、デンマルクで印刷業をはじめた人ではありませんか。」
「そうですとも。この国でははじめての印刷屋さんですよ。」と、学士が答えました。
ここまではどうにかうまくいきました。こんどは町人のひとりが、三年まえ流行した伝染病の話をしだしました。ただそれは一四八四年の話でした。参事官はそれを一八三〇年代はやったコレラの話をしているのだとおもいました。そこで会話は、どうにかつじつまがあいました。一四九〇年の海賊戦争もつい近頃のことでしたから、これも話題にのぼらずにいませんでした。で、イギリスの海賊船が、やはり同じ波止場か船をりゃくだつしていった、とその男は話しました。ところで、*一八〇一年の事件をよく知っている参事官は、進んでその話に調子をあわせて、イギリス人に攻撃をしかけました。これだけはまずよかったが、そのあとの話はそううまくばつがあいませんでした。ひとつひとつに話がくいちがいました。学士先生は気のどくなほどなにも知りませんでした。参事官のごくかるく口にしたことまでが、いかにもでたらめな、気ちがいじみた話にきこえました。そうなると、ふたりはだまって顔ばかりみあわせました。いよいよいけないとなると、学士はいくらか相手にわからせることができるかとおもって、ラテン語で話しましたけれど、いっこう役には立ちませんでした。
*一八〇一年四月二日英艦の攻撃事件。
「あなた、ご気分はどうですね。」と、おかみさんはいって、参事官のそでをひっぱりました。
ここではじめて、参事官はわれにかえりました。話でむちゅうになっているあいだは、これまでのことをいっさい忘れていたのです。
「やあ、たいへん、わたしはどこにいるのだ。」と、参事官はいって、それをおもいだしたとたん、くらくらとなったようでした。
「さあ、クラレットをやろうよ。蜜酒に、ブレーメン・ビールだ。」と、客のひとりがさけびました。
「どうです、いっしょにやりたまえ。」
ふたりの給仕のむすめがはいって来ました。そのひとりは*ふた色の染分け帽子をかぶって来ました。ふたりはお酒をついでまわって、おじぎをしました。参事官はからだじゅうぞっとさむけがするようにおもいました。
*ハンス王時代下等な酌女のしるし。
「やあ、こりゃなんだ。こりゃなんだ。」と、参事官はさけびました。けれども、いやでもいっしょに飲まなければなりませんでした。客どもはごくたくみにこの紳士をあつかいました。参事官はがっかりしきっていました。たれか、「あの男酔っぱらっているよ。」といったものがありましたが、そのことばをうそだとおこるどころではありません。どうぞ、ドロシュケ(辻馬車)を一台たのむといったのが精いっぱいでした。ところがみんなはそれをロシア語でも話しているのかとおもいました。
参事官は、これまでこんな下等な乱暴ななかまにはいったことはありませんでした。
「これではまるで、デンマルクの国が、異教国の昔にかえったようだ。こんなおそろしい目にあったことははじめてだぞ。」と、参事官はおもいました。しかしそのときふとおもいついて、参事官はテーブルの下にもぐりこんで、そこから戸口の所まではい出そうとしました。そのとおりうまくやって、ちょうど出口までいったところを、ほかの者にみつけられました。みんなは参事官の足をとって引きもどしました。そのとき大仕合わせなことには、うわおおいぐつがすっぽりぬけました。――それでいっさいの魔法が消えてなくなりました。
そのとき参事官ははっきりと、すぐ目のまえに、街灯がひとつ、かんかんともっていて、そのうしろに大きな建物の立っているのをみつけました。そこらじゅうみまわしても、おなじみのあるものばかりでした。それは、今の世の中で毎日みているとおりの東通でした。参事官は玄関の戸に足をむけて腹ンばいになっていたのです。すぐむこうには町の夜番が、すわって寝込んでいました。
「やあたいへん、おれは往来で寝て、夢をみていたのか。」と、参事官はさけびました。「なるほど、これは東通だわい。どうもなにかが、かんかんあかるくって、にぎやかだな。それにしてもいっぱいのポンスのききめはじつにおそろしい。」
それから二分ののち参事官は、ゆうゆうと辻馬車のなかにすわって、クリスティアンス ハウンのじぶんの家のほうへはこばれていきました。参事官はいましがたさんざんおそろしい目や心配な目にあったことをおもいだすと、今の世の中には、それはいろいろわるいことはあっても、ついさっきもっていかれた昔の時代よりはずっとましだということをさとりました。どうですね、参事官は、もののわかったひとでしょう。
三 夜番のぼうけん
「おやおや、あすこにうわおいぐつが一足ころがっている。」と夜番はいいました。「きっとむこうの二階にいる中尉さんの物にちがいない。すぐ門口にころがっているから。」
正直な夜番は、ベルをならして、うわおいぐつを持主にわたそうとおもいました。二階にはまだあかりがついていました。けれど、うちのなかのほかの人たちまでおどろかすのも気のどくだとおもったので、そのままにしておきました。
「だが、こういうものをはいたら、ずいぶん温かいだろうな。」と、夜番はひとりごとをいいました。「なんて上等なやわらかい革がつかってあるのだろう。」うわおいぐつはぴったり夜番の足にあいました。「どうも、世の中はおかしなものだ。いまごろ中尉さんは、あの温かい寝床のなかで横になっていればいられるはすなのだ。ところが、そうでない。へやのなかをいったり来たり、あるいている。ありゃしあわせなお人さな。おかみさんもこどももなくて、毎晩、夜会にでかけていく。おれがあの人だったらずいぶんしあわせな人間だろうな。」
夜番がこういって、こころのねがいを口にだしますと、はいていたうわおいぐつはみるみる効能をあらわして、夜番のたましいはするすると中尉のからだとこころのなかへ運んで持っていかれました。
そこで夜番は、二階のへやにはいって、ちいさなばら色の紙を指のまたにはさんで持ちました。それには詩が、中尉君自作の詩が書いてありました。それはどんな人だって、一生にいちどは心のなかを歌にうたいたい気持になるおりがあるもので、そういうとき、おもったとおりを紙に書けば、詩になります。そこで紙にはこう書いてありました。
「ああ、金持でありたいな。」
「ああ、金持でありたいな。」おれはたびたびそうおもった。
やっと二尺のがきのとき、おれはいろんな望をおこした。
ああ、金持でありたいな――そうして士官になろうとした、
サーベルさげて、軍服すがたに、負革かけて。
時節がくると、おれも士官になりすました。
さてはや、いっこう金はできない。なさけないやつ。
全能の神さま、お助けください。
ある晩、元気で浮かれていると、
ちいさい女の子がキスしてくれた、
おとぎ歌なら、持ちあわせは山ほど、
そのくせ金にはいつでも貧乏――
こどもは歌さえあればかまわぬ。
歌なら、山ほど、金には、いつもなさけないやつ。
全能の神さま、ごらんのとおり。
「ああ、金持でありたいな。」おいのりがこうきこえだす。
こどもはみるみるむすめになった、
りこうで、きれいで、心もやさしいむすめになった。
ああ、分らせたい、おれの心のうちにある――
それこそ大したおとぎ話を――むすめがやさしい心をみせりゃ。
だが金はなし、口には出せぬ。なさけないやつ。
全能の神さま、おこころしだいに。
ああ、せめてかわりに、休息と慰安、それでもほしい。
そうすりゃなにも心の悩み、紙にかくにもあたらない。
おれの心をささげたおまえだ、わかってもくれよ。
若いおもい出つづった歌だ、読んでもくれよ。
だめだ、やっぱりこのままくらい夜にささげてしまうがましか。
未来はやみだ、いやはやなさけないやつめ。
全能の神さま、おめぐみください。
そうです、人は恋をしているときこんな詩をつくります。でも用心ぶかい人は、そんなものを印刷したりしないものです。中尉と恋と貧乏、これが三角の形です。それとも幸福のさいころのこわれた半かけとでもいいましようか。それを中尉はつくづくおもっていました。そこで、窓わくにあたまをおしつけて、ふかいため息ばかりついていました。
「あすこの往来にねている貧しい夜番のほうが、おれよりはずっと幸福だ。あの男にはおれのおもっているような不足というものがない。家もあり、かみさんもあり、こどももあって、あの男のかなしいことには泣いてくれ、うれしいことには喜んでくれる。ああ、おれはいっそあの男と代ることができたら、今よりずっと幸福になれるのだがな。あの男はおれよりずっと幸福なのだからな。」
中尉がこうひとりごとをいうと、そのしゅんかん、夜番はまたもとの夜番になりました。なぜなら幸福のうわおいぐつのおかげで、夜番のたましいは中尉のからだを借りたのですけれど、その中尉は、夜番よりもいっそう不平家で、おれはもとの夜番になりたいとのぞんだのでした。そこで、そのおのぞみどおり、夜番はまた夜番になってしまったのです。
「いやな夢だった。」と、夜番はいいました。「が、ずいぶんばかばかしかった。おれはむこう二階の中尉さんになったようにおもったが、まるで愉快でもなんでもなかった。息のつまるほどほおずりしようとまちかまえていてくれる、かみさんやこどものいることを忘れてなるものか。」
夜番はまたすわって、こくりこくりやっていました。夢がまだはっきりはなれずにいました。うわおいぐつはまだ足にはまっていました。そのとき流れ星がひとつ、空をすべって落ちました。
「ほう、星がとんだ。」と、夜番はいいました。「だが、いくらとんでも、あとにはたくさん星がのこっている。どうかして、もう少し星のそばによってみたいものだ。とりわけ月の正体をみてみたいものだ。あれだけはどんなことがあっても、ただの星とちがって、手の下からすべって消えていくということはないからな。うちのかみさんがせんたく物をしてやっている学生の話では、おれたちは死ぬと、星から星へとぶのだそうだ。それはうそだが、しかしずいぶんおもしろい話だとおもう。どうかしておれも星の世界までちょいととんでいくくふうはないかしら、すると、からだぐらいはこの段段のうえにのこしていってもいい。」
ところで、この世の中には、おたがい口にだしていうことをつつしまなければならないことがずいぶんあるものです。取りわけ足に幸福のうわおいぐつなんかはいているときは、たれだって、よけい注意がかんじんです。まあそのとき、夜番の身の上に、どんなことがおこったとおもいますか。
たれしも知っている限りでは、蒸気の物をはこぶ力の早いことはわかっています。それは鉄道でもためしてみたことだし、海の上を汽船でとおってみてもわかります。ところが蒸気の速力などは、光がはこぶ早さにくらべれば、なまけものがのそのそ歩いているか、かたつむりがむずむずはっているようなものです。それは第一流の競走者の千九百万倍もはやく走ります。電気となるともっと早いのです。死ぬというのは電気で心臓を撃たれることなので、その電気のつばさにのって、からだをはなれた魂はとんで行きます。太陽の光は、二千万マイル以上の旅を、八分と二、三秒ですませてしまいます。ところで電気の早飛脚によれば、たましいは、太陽と同じ道のりを、もっと少い時間でとんでいってしまいます。天体と天体とのあいだを往きかいするのは、同じ町のなかで知っている同士が、いやもっと近く、ついお隣同士が往きかいするのと大してちがったことではありません。でも、この下界では心臓を電気にうたれると、からだがはたらかなくなる危険があります。ただこの夜番のように、幸福のうわおいぐつをはいているときだけは、べつでした。
なん秒かで、夜番は五万二千マイルの道をいって、月の世界までとびました。それは、地の上の世界とはちがった、ずっと軽い材料でできていました。そしていわば降りだしたばかりの雪のようにふわふわしています。夜番は例の*メードレル博士の月世界大地図で、あなた方もおなじみの、かずしれず環なりに取りまわした山のひとつにくだりました。山が輪になってめぐっている内がわに、切っ立てになったはち形のくぼみが、なんマイルもふかく掘れていました。その堀の底に町があって、そのようすはちょっというと、卵の白味を、水を入れたコップに落したというおもむきですが、いかにも、さわってみると、まるで卵の白味のように、ぶよぶよやわらかで、人間の世界と同じような塔や、円屋根のお堂や、帆のかたちした露台が、薄い空気のなかに、すきとおって浮いていました。さて人間の住む地球は、大きな赤黒い火の玉のように、あたまの上の空にぶら下がっていました。
*ドイツの天文学者
夜番はまもなく、たくさんの生きものにであいました。それはたぶん月の世界の「人間」なのでしょうが、そのようすはわたしたちとはすっかりちがっていました。(**偽ヘルシェルが、作り出したものよりも、ずっとたしかな想像でこしらえられていて、一列にならばせて、画にかいたら、こりゃあうつくしいアラビヤ模様だというでしょう。)この人たちもやはり言葉を話しましたが、夜番のたましいにそれがわかろうとは、たれだっておもわなかったでしょう。(ところがそれが、わかったのだからふしぎですが、人間のたましいには、おもいの外の働きがあるのです。そのびっくりするような芝居めいた才能は、夢の中でもはたらくとおりでしょう。そこでは知合のたれかれがでて来て、いかにもその気性をあらわした、めいめい特有の声で話します。それは目がさめてのちまねようにもまねられないものです。どうしてたましいは、もうなん年もおもいだしもしずにいた人たちを、わたしたちの所へつれてくるのでしょう。それは、わたしたちのたましいのなかへ、いきなりと、ごくこまかいくせまでももってあらわれてきます。まったく、わたしたちのたましいのもつ記憶はおそろしいようですね。それはどんな罪でも、どんなわるいかんがえでも、そのままあらわしてみせます。こうなると、わたしたちの心にうかんで、くちびるにのぼったかぎりの、どんなくだらない言葉でも、そののこらずの明細がきができそうなことです。)
**ドイツで出版された月世界のうそ話。括弧内の文は原本になく、アメリカ版による。
そこで夜番のたましいは、月の世界の人たちの言棄をずいぶんよくときました。その人たちはこの地球の話をして、そこはいったい人間が住めるところかしらとうたぐっていました。なんでも地球は空気が重たすぎて、感じのこまかい月の人にはとても住めまいといいはりました。その人たちは、月の世界だけに人間が住んでいるとおもっているのです。なぜなら、古くからの世界人が住んでいる、ほんとうの世界といったら、月のほかにはないというのです。(この人たちはまた政治の話もしていました。)
それはそれとして、またもとの東通へくだっていって、そこに夜番のたましいがおき去りにして来たからだは、どうしたかみてみましょう。
夜番は、階段の上で息がなくなってねていました。明星をあたまにつけたやりは、手からころげ落ちて、その目はぼんやりと月の世界をながめていました。夜番のからだは、そのほうへあこがれてでていった正直なたましいのゆくえをながめていたのです。
「こら夜番、なん時か。」と、往来の男がたずねました。ところが返事のできない夜番でありました。そこでこの男は、ごく軽く夜番の鼻をつつきますと、夜番はからだの平均を失って、ながながと地びたにたおれて、死んでしまいました。鼻をつついた男は、びっくりしたのしないのではありません。夜番が死んだまま生きかえらないのです。さっそく知らせる、相談がはじまる、明くる朝、死体は病院にはこばれました。
ところで、月の世界へあそびにでかけたたましいが、そこへひょっこり帰って来て、東通に残したからだを、ありったけの心あたりを探してみて、みつけなかったら、かなりおもしろいことになるでしょう。たぶんたましいはまず第一に警察へでかけるでしょう。それから人事調査所へもいくでしょう。そしてなくなった品物のゆくえについて捜索がはじまるでしょう。それから、やっと、病院までたずねていくことになるかも知れませんが、でも安心してよろしい。たましいはじぶんの身じんまくをするのは、この上なくきようです。まのぬけているのはからだです。
さて申し上げたとおり、夜番のからだは病院へはこばれました。そうして清潔室に入れられました。死体をきよめるについて、もちろん第一にすることは、うわおいぐつをぬがせることでした。そこで、いやでもたましいはかえってこないわけにはいきません。で、さっそくたましいはからだへもどって来ました。すると、みるみる死骸に気息がでて来ました。夜番は、これこそ一生に一どの恐しい夜であったと白状しました。もうグロシェン銀貨なん枚もらっても、二どとこんなおもいはしたくないといいました。しかし今となれば、いっさい、すんだことでした。
その日、すぐと、夜番は、病院をでることをゆるされました。けれど、うわおいぐつは、それなり病院にのこっていました。
四 一大事 朗読会の番組 世にもめずらしい旅
コペンハーゲンに生まれたものなら、たれでもその町のフレデリク病院の入口がどんなようすか知っているはずです。でもこの話を読む人のなかには、コペンハーゲン生まれでない人もあるでしょうから、まずそれについて、かんたんなお話をしておかなくてはなりますまい。
さて、その病院と往来とのあいだにはかなり高いさくがあって、ふとい鉄の棒が、まあ、ずいぶんやせこけた志願助手ででもあったらむりにもぬけられそうな、というくらいの間をおいて並んでいました。それで、ここからぬけてちょっとしたそとの用事がたせるというわけでした。ただからだのなかで、いちばんむずかしいのはあたまでした。そこでよくあるとおり、ここでも小あたまがなによりのしあわせということになるのでした。まずこのくらいで、前口上はたくさんでしょう。
さて、若いひとりの志願助手がありました。からだのことだけでいうと、大あたまの男でしたが、これが、ちょうどその晩、宿直に当っていました。雨もざんざん降っていました。しかし、このふたつのさわりにはかまわず、この人はぜひそとへでる用がありました。それもほんの十五分ばかりのことだ、門番にたのんで門をあけてもらうまでもなかろう、ついさくをくぐってもでられそうだからとおもいました。ふとみると夜番のおいていったうわおいぐつがそこにありました。これが幸福のうわおいぐつであろうとはしりませんでした。こういう雨降りの日には、くっきょうなものがあったとおもって、それをくつの上にはきました。ところで、はたしてさくはくぐることができるものかどうか、今までは、ついそれをためしてみたことがないのです、そこでさくのまえにたちました、
「どうかあたまがそとにでますように。」と、助手はいいました。するとたちまち、いったいずいぶんのさいづちあたまなのが、わけなくすっぽりでました。そのくらい、うわぐつは心えていました。ところで、こんどはからだをださなければならないのに、そこでぐっとつまってしまいました。
「こりゃ肥りすぎているわい。どうもあたまが一番始末がわるそうだとおもったのだが。でるのはだめか。」と、助手はいいました。
そこで、いそいであたまをひっこめようとしました。けれども、うまくいきませんでした。どうやら動くのは首だけで、しかしそれきりでした。はじめはぷりぷりしてみました。そのうちがっかりして、零下何度のごきげんになってしまいました。幸福のうわおいぐつは、この人をこんななさけないめにあわせたのです。しかも、ふしあわせと、ああどうか自由になりたいとひとこということをおもいつかずにいました。そういう代りに、むやみとじれて、がたがたやりました、でもいっこう動けません。雨はしぶきをたててながれました。往来には人ッ子ひとり通りません。門のベルにはせいがとどきません。どうしてぬけだしましょう。こうなると、まずあしたの朝まで、そこにそのままたっているということになりそうです。そこで、みんながみつけてかじ屋を呼びにやってくれて、鉄の格子をやすりで切ってだすというところでしょう。だがそういうしごとは、ちょっくりはこぶものではありません。すぐまえの青建物の貧民学校から、総出でくる、すぐそばの海員地区からも、つながってくる、このお仕置台に首をはさまれている、さらし物の見物で、去年竜舌蘭の大輪が咲いたときのさわぎとはまたちがった、大へんな人だかりになるでしょう。
「うう、苦しい。血があたまに上るようだ。おれは気がちがう。――そうだ、もう気がちがいかけている。ああ、どうかして自由になりたい、それだけでもういいんだ。」
これはもう少し早くいえばよかったことでした。こうおもったとおり口にだしたとたん、あたまは自由になりました。幸福のうわおいぐつのおそろしいきき目にびっくりして、助手はむちゅうでうちへかけ込みました。
しかし、これでいっさいすんだとおもってはいけません。これからもっとたいへんなことになるのです。
その晩はそれですぎて、次の日も無事に暮れました。たれもうわおいぐつを取りにくるものはありませんでした。
その日の夕、カニケ街の小さな朗読会の催しがあるはずでした。小屋はぎっしりつまっていました。朗読会の番組のなかに、新作の詩がありました。それをわたしたちもききましょう。さて、その題は、
おばあさんの目がね
ぼくのおばあちゃん、名代のもの知り、
「昔の世」ならばさっそく火あぶり、
あったことなら、なんでも知ってて、
その上、来年のことまでわかって、
四十年さきまでみとおしの神わざ、
そのくせ、それをいうのがきらい、
ねえ、来年はどうなりますか、
なにかかわったことでもないか、
お国の大事か、ぼくの身の上、
やっぱり、おばあちゃん、なんにもいわない、
それでもせがむと、おいおいごきげん、
はじめのがんばり、いつものとおりさ、
もうひと押しだ、かわいい孫だ、
ぼくのたのみをきかずにいようか。
「ではいっぺんならかなえてあげる」
やっと承知で目がねを貸した。
「さて、どこなりとおおぜいひとの
あつまるなかへでかけていって
ごったかえしを、目がねでのぞくと、
とたんに、それこそカルタの札の
うらないみたいに、なんでも分かる
さきのさきまで、手にとるように。」
おれいもそこそこ、みたいがさきで、
すぐかけだしたが、さてどこへいく。
長町通か、あそこはさむい、
東堤か、ペッ、くされ沼
それでは、芝居か、こりゃおもいつき、
出しものもよし――お客は大入。
――そこでまかり出た今夜の催し、
おばばの目がねをまずこうかけて、
さあながめます――お逃けなさるな――
ほんに、皆さま、カルタの札で
未来のうらない、あたればなぐさみ――
ではよろしいか。ご返事ないのは承知のしるし。
さて、ご好意のお礼ごころに、
目がねでみたこと申しあける。
では、皆さまの、じぶんのお国の、未来のひみつ、
カルタのおもてに読みとりまする。
(目がねをかける)
ははん、なるほど、いや、わらわせる。
珍妙ふしぎ、お目にかけたい。
カルタの殿方、ずらりとならんで、
お行儀のいい、ハートのご婦人。
そちらに黒いは、クラブにスペード
――ひと目にずんずん、ほら、みえてくる――
スペードの嬢ちゃま、ダイヤのジャックに、
どうやらないしょのうち明け話で、
みているこっちが酔うよなありさま。
そちらはたいしたお金持そうな――
よその国からお客がたえない。
だが、つまらない――どうでもよいこと。
では、政治向。おまちなさいよ――新聞種だ――
のちほどゆっくり読んだらわかるさ。
ここでしゃべると、業務の妨害、
晩のごはんのたのしみなくなる。
そんならお芝居――初演の新作。おこのみ流行。
いけない、これは――支配人とけんかだ。
そこでじぶんの身の上のこと、
たれしもこれが、いちばん気になる。
それはみえます――だがまあいえない、
いずれそのときにゃ、しぜんと分かる。
ここにはいるひと、たれがいちばんしあわせものか。
いちばんしあわせもの。そりゃあ、まあ、わかります。
さようさ、それは――いや、まあ、ごえんりょ申しましょう。
こりゃあ、がっかりなさる方がおおかろう。
では、どなたがいちばん長生きなさるか、
こちらの殿方か、あちらの奥さまか、
いや、こんなこと申さば、なおさらごめいわく。
すると、これか――いや、だめだ――あれか――だめだな、
さあ、あれもと――どうしていいか、さっぱりわからん。
なにしろ、どなたかのごきげんにさわります。
いっそ、皆さまのお心のなか、
それなら目がねも見とおしだ。
皆さん、かんがえていますね。いや、なにかのぞんでおいでかな。
くだらなすぎるというように。
きさま、あんまりばかばかしいぞ、
くだらぬおしゃべりもうやめろ、
それが一致のごいけんならば
はいはいやめます、だまります。
この詩の朗読はなかなかりっぱなできで、演者は面目をほどこしました。見物のなかには、れいの病院の志願助手が、ゆうべの大事件はけろりと忘れたような顔をしてまじっていました。たれも取りにくるものがないので、うわおいぐつは相変らずはいたままでした。それになにしろ往来は道がひどいのでこれはとんだちょうほうでした。
この詩を助手はおもしろいとおもいました。なによりもそのおもいつきが心をひきました。そういう目がねがあったらさぞいいだろう。じょうずにつかうと、その目がねで、ひとの心のなかをみとおすことができるわけだ。これは来年のことを今みるよりも、もっとおもしろいことだとかんがえました。なぜなら、さきのことはさきになれば分かるが、ひとの心なんてめったに分かるものではないのです。
「そこで、おれはまずいちばんまえの紳士貴女諸君の列をながめることにする。――いきなり、あの人たちの胸のなかにとびこんだらどうだろう。まあ窓だな、店をひろげたようにいろいろな物がならんでいるだろう。どんなにおれの目は、その店のなかをきょろきょろすることだろう。きっと、あすこの奥さんの所は大きな小間物屋にはいったようだろう。こちらのほうはきっと店がからっぽだろう。だいぶそうじがとどかないな。だがたしかな品物をうる店だってありそうなものだ。やれやれ。」と、助手はため息をつきながら、またかんがえつづけました。「なんでもたしかな品ばかり売るという店があるのだか、そこにはあいにくもう店番がいる。それがきずさ。こちらの店もあちらの店も「だんな、どうぞおはいりください」といいたそうだ。そこでかわいらしい「かんがえ」の精のようなものになって、あの人たちの胸のなかをのぞきまわってみてやりたい。」
ほら、うわおいぐつにはもうこれだけで通じました。たちまち助手はからだがちぢくれ上がって、一ばんまえがわの見物の心から心へ実にふしぎな旅行をはじめることになりました。まっさきにはいっていったのは、ある奥さまの心で、整形外科の手術室にはいりこんだようにおもいました。これはお医者さまが、かたわな人のよぶんな肉を切りとって、からだのかっこうをよくしてくれる所をいうのです。そのへやには、かたわな手足のギプス型が壁に立てかけてありました。ただちがうのは整形病院では、ギプス型を患者がはいってくるたんびにとるのですが、この心のなかでは、人がでていったあとで型をとって、保存されることでした。ここにあるのは女のお友だちの型で。そのからだと心の欠点がそのままここに保存されていました。
すぐまた、ほかの女のなかにはいっていきました。しかし、これは大きな神神しいお寺のようにおもわれました。無垢の白はとが、高い聖壇の上をとんでいました。よっぽどひざをついて拝みたいとおもったくらいでした。しかし、すぐと次の心のなかにはいっていかなければなりませんでした。でも、まだオルガンの音がきこえていました。そうしてじぶんがまえよりもいい、別の人間になったようにおもわれました。いばって次の聖堂にはいる資格が、できたように感じました。それは貧しい屋根裏のへやのかたちであらわれて、なかには病人のおかあさんがねていました。けれどあいた窓からは神さまのお日さまの光が温かくさしこみましたうつくしいばらの花が、屋根の上の小さな木箱のなかから、がてんがてんしていました。空色した二羽の小鳥が、こどもらしいよろこびのうたを歌っていました。そのなかで、病人のおかあさんは、むすめのために、神さまのおめぐみを祈っていました。
それから、肉でいっぱいつまった肉屋の店を、四つんばいになってはいあるきました。ここは肉ばかりでした。どこまでいっても、肉のほかなにもありませんでした。これはお金持のりっぱな紳士の心でした。おそらく、この人の名まえは紳士録にのっているでしょう。
こんどはその紳士の奥さまの心のなかにはいりました。その心は、古い荒れはてたはと小屋でした。ごていしゅの像がほんの風見のにわとり代りにつかわれていました。その風見は、小屋の戸にくっついていて、ごていしゅの風見がくるりくるりするとおりに、あいたりとじたりしました。
それからつぎには、ローゼンボルのお城でみるような鏡の間にでました。でもこの鏡は、うそらしいほど大きくみせるようにできていました。床のまんなかには、達頼喇嘛のように、その持主のつまらない「わたし」が、じぶんでじぶんの家の大きいのにあきれながらすわっていました。
それからこんどは、針がいっぱいつんつんつッたっている、せまい針箱のなかにはこばれました。これはきっと年をとっておよめにいけないむすめの心にちがいないとおもいました。けれど、じつはそうではありません。たくさん勲章をぶら下げている若い士官の心でした。しかし、世間ではこの人を才と情のかねそなわった人物だといっていました。
あわれな助手は、列のいちばんおしまいの人の心からぬけだしたとき、すっかりあたまがへんになっていて、まるでかんがえがまとまりませんでした。やたらとはげしいもうぞうが、じぶんといっしょにかけずりまわったのだとおもいました。
「やれやれ、おどろいた。」と、助手はため息をつきました。「おれはどうも気ちがいになるうまれつきらしい。それに、ここは、むやみと暑い。血があたまにのぼるわけさ。」
そこで、ふとゆうべの、病院の鉄さくにあたまをはさまれた大事件をおもいだしました。
「きっとあのとき病気にかかったにちがいない。」と、助手はおもいました。「すぐどうかしなければならない。ロシア風呂がきくかも知れない。ならば一等上のたなにねたいものだ。」
するともう、さっそくに蒸風呂のいちばん上のたなにねていました。ところで、着物を着たなり、長ぐつも、うわおいぐつもそのままでねていました。天井からあついしずくが、ぽた、ぽた、顔に落ちて来ました。
「うわあ。」と、とんきょうにさけんで、こんどは灌水浴をするつもりで下へおりました。
湯番は着物を着こんだ男がとびだしたのをみてびっくりして、大きなさけび声をたてました。
でも、そういうなかで、助手は、湯番の耳に、
「なあにかけをしているのだよ。」と、ささやくだけの余裕がありました。さて、へやにかえってさっそくにしたことは、首にひとつ、背中にひとつ、大きなスペイン発泡膏をはることでした。これでからだのなかの気ちがいじみた毒気を吸いとろうというわけです。
明くる朝、助手は、赤ただれたせなかをしていました。これが幸福のうわおいぐつからさずけてもらった御利益のいっさいでした。
五 書記の変化
さて、わたしたちがまだ忘れずにいたあの夜番は、そのうち、じぶんがみつけて、病院までもはいていったうわおいぐつのことをおもいだしました。そこで、とってかえりましたが、むこう二階の中尉にも、町のたれかれにきいても、持主は、わかりませんでしたから、警察へとどけました。
「これはわたしのうわおいぐつにそっくりだ。」と、この拾得物をみた書記君のひとりがいって、じぶんのと並べてみました。「どうして、くつ屋でもこれをみわけるのはむずかしかろう。」
「書記さん。」と、そのとき小使が書類をもってはいって来ました。
書記はふりむいてその男と話をしていました。話がすむと、またうわおいぐつのほうへむかいましたが、もうそのときは、右か左かじぶんのがわからなくなってしまいました。
「しめっているほうがわたしのにちがいない。」と、書記君はおもいました。でも、これはかんがえちがいでした。なぜなら、そのほうが幸福のうわおいぐつだったのです。だって警察のお役人だって、まちがわないとはかぎらないでしょう。で、すましてそれをはいて、書類をかくしにつッこみました。それからあとは小わきにかかえました。これを内へかえって読んで、コピイ(副本)をつくらなければならないのです。ところで、その日は日曜の朝で、いいお天気でした。ひとつ、フレデリクスベルグへでもぶらぶらでてみるかな、とかんがえて、そちらに足をむけました。
さて、この青年ぐらい、おとなしい、堅人はめったにありません。すこしばかりの散歩を、この人がするのは、さんせいですよ。ながく腰をかけ通していたあとで、きっとからだにいいでしょう。はじめのうち、この人もただぽかんとしてあるいていました。そこで、うわおいぐつも魔法をつかう機会がありませんでした。
公園の並木道にはいると、書記はふとお友だちの、若い詩人にであいました。詩人は、あしたから旅にでかけるところだと話しました。
「じゃあ、もうでかけるのかい。」と、書記はうらやましそうにいいました。「なんて幸福な自由な身の上だろう。いつどこへでも、好きなところへとんでいけるのだ。われわれと来ては、足にくさりをつけられているのだからね。」
「だが、そのくさりはパンの木にゆいつけてあるのだろう。」と、詩人はいいました。「そのかわりくらしの心配はいらないのだ。年をとれば、恩給がもらえるしな。」
「やはりなんといっても、きみのほうがいいくらしをしているよ。」と、書記がいいました。「うちにすわって詩を書いているというのは、楽しみにちがいない。それで世間からはもてはやされる。おれはおれだでやっていける。まあ、きみ、いちどためしにやってみたまえ。こまごました役所のしごとに首をつっこんでいるということが、どんなことだかわかるから。」
詩人はあたまをふりました。書記も同様にあたまをふりました。てんでにじぶんじぶんの意見をいい張って、そのままふたりは別れました。
「どうも詩人というものはきみょうななかまだな。」と、書記はおもいました。「わたしもああいう人間の心持になってみたいものだ。じぶんで詩人になってみたいものだ。わたしなら、むろん、あの連中のように泣言をならべはしないぞ……ああ、詩人にとってなんてすばらしい春だろう。あんなにも空気は澄み、雲はあくまでうつくしい。わか葉の緑にかおりただよう。そうだ、もうなん年にも、このしゅんかんのような気持をわたしは知らなかった。」
これで、もうこの書記は、さっそく、詩人になっていたことがわかります。べつだん目につくほどのことはありません。いったい詩人とほかの人間とでは、うまれつきからまるでちがっているようにかんがえるのは、ばかげたことです。ただの人で詩人と名のっているたいていの人間よりも、もっと詩人らしい気質の人がいくらもあるのです。ただまあ詩人となれば、おもったこと感じたことをよくおぼえていて、それをはっきりと、言葉に書きあらわすだけの天分がある、そこらがちがうところです。でも、世間なみの気質から詩人の天分にうつるというのは、やはり大きなかわり方にちがいないので、それをいま、この書記君がしているのです。
「なんとすばらしい匂だ。」と、書記はいいました。「ローネおばさんのすみれの花をおもい出させる。そう、あれはわたしのこどものじぶんだった。はてね、ながいあいだおもいだしもしずにいたのだがな。いいおばさんだったなあ。おばさんは取引所のうしろに住んでいた。いつも木の枝か青いわか枝をだいじそうに水にさして、どんな冬の寒いときでも、あたたかいへやのなかにおいた。ほっこりとすみれが花をひらいているわきで、わたしは凍った窓ガラスに火であつくした銅貨をおしつけて、すきみの穴をこしらえたものだ。あれはおもしろい見物だった。そとの掘割には船が氷にとじられていた。乗組はみんなどこかへいっていて、からすが一羽のこってかあかあないていた。やがて春風がそよそよ吹きそめると、なにかが生き生きして来た。にぎやかな歌とさけび声のなかに、氷がこわされる。船にタールがぬられて、帆綱のしたくができると、やがて知らない国へこぎ出していってしまう。でも、わたしはいつまでもここにのこっている。年がら年じゅう警察のいすに腰をかけて、ひとが外国行の旅券を受け取っていくのをながめている、これがわたしの持ってうまれた運なのだ。うん、うん、どうも。」
こうおもって、書記はふかいため息をつきましたが。ふと、気がついて、
「はて、おかしいぞ。わたしは、いったいどうしたというのだろう。いつもこんなふうに、かんがえたり感じたりしたことはなかったのに。きっと心のなかに春風が吹き込んだのかな。なにかやるせないようで、そのくせいい気持だ。」
こうおもいながらなにげなくかくしのなかの紙に手をふれました。「いけない。これがせっかくのかんがえをほかにむけさせるのだ。」書記はそういいながらはじめの一枚にふと目をさらしますと、それはこう読まれました。「『ジグブリット夫人、五幕新作悲劇』おやおや、これはなんだ。しかもこれはわたしの手だぞ。わたしはいつこんな悲劇なんて書いたろう。軽喜歌劇散歩道の陰謀 一名懺悔祈祷日。はてね、どこでこんなものをもらったろう。たれかいたずらに、かくしに入れたかな。おやおや、ここに手紙があるぞ。」
いかにもそれは劇場の支配人から来たものでした。あなたのお作は上場いたしかねますと、それもいっこう礼をつくさない書きぶりで書いてありました。
「ふん、ふん。」こう書記はつぶやきながら、腰掛に腰をおろしました。なにか心がおどって、生きかえったようで、気分がやさしくなりました。ついすぐそばの花をひとつ手につみました。それはつまらない、ちいさなひなぎくの花でした。植物学者が、なんべんも、なんべんも、お講義を重ねて、やっと説明することを、この花はほんの一分間に話してくれました。それはじぶんの生いたちの昔話もしました。お日さまの光がやわらかな花びらをひらかせ、いい匂を立たせてくださる話もしました。そのとき、書記は、「いのちのたたかい」ということを、ふとおもいました。これもやはりわたしたちの心を動かすものでした。
空気と光は花と仲よしでした。それでも光がよけいすきなので、いつも光のほうへ、花は顔をむけました。ただ光が消えてしまったとき、花は花びらをまるめて、空気に抱かれながら眠りました。
「わたしを飾ってくれるのは、光ですよ。」と、花はいいました。
「でも、空気はおまえに息をさせてくれるだろう。」と、詩人の声がささやきました。
すると、すぐそばに、ひとりの男の子が、溝川の上を棒でたたいていました。にごった水のしずくが緑の枝の上にはねあがりました。すると、書記はそのしずくといっしょにたかく投げあげられたなん万という目にみえないちいさい生き物のことをおもいました。それは、からだの大きさの割合からすると、ちょうどわたしたちが雲の上まで高く投げられたと同じようなものでしょうか。そんなことを書記はおもいながら、だんだんかわっていくじぶんをおかしく感じました。
「どうも眠って夢をみているのだな。だが、ふしぎなことにはちがいない。そんなにまざまざ夢をみていて、しかも夢のなかで、それが夢だと知っているのだからな。どうかして夢にみたことをのこらず、あくる日目がさめてもおぼえていられたらいいだろう。どうもいつもとちがって、気分がみょうにうかれている。なにをみてもはっきりわかるし、生き生きとものをかんじている。でも、あしたになっておもいだしたら、ずいぶんばかげているにちがいない。せんにもよくあったことだ。夢のなかでいろいろと賢いことやりっぱなことをいったり、きいたりするものだ。それは地の下の小人の金のようなものだ。それを受けとったときには、たくさんできれいな金にみえるが、あかるい所でみると、石ころか枯ッ葉になってしまう。やれ、やれ。」
書記は、さもつまらなそうにため息をついて、枝から枝へ、愉快そうにとびまわって、ちいちいさえずっている小鳥をながめました。
「小鳥はわたしよりずっとよくくらしている。とぶということは、なにしろたいしたわざだ。つばさをそなえてうまれたものはしあわせだ。そうだな。わたしがもしなにか人間でないものに変れるならかわいいひばりになりたいものだ。」
こういうが早いか、書記の服のせなかに、両そでがびったりくっついて、つばさになりました。着物は羽根になり、うわおいぐつはつめになりました。書記はじぶんのずんずん変っていくすがたをはっきりみながら、心のなかでわらいました。「なるほど、これでいよいよ夢をみていることがわかる。だが、わたしはまだこんなおもいきってばかげた夢をみたことはないぞ。」こういって、ひばりになった書記は、みどりの枝のなかをとびまわってうたいました。
もう、その歌に詩はありません。詩人の気質はなくなってしまったのです。このうわおいぐつは、なんでもものごとをつきつめてするひとのように、一│時にひとつのことしかできません。詩人になりたいというと、詩人になりました。こんどは小鳥になりたいというと、小鳥になりました。とたんに詩人の心は消えました。
「こいつは実におもしろいぞ。」と、書記はとびながら、なおかんがえつづけました。「わたしは昼間、役所につとめて、石のように堅い椅子に腰をかけて、おもしろくないといって、およそこの上ない法律書類のなかに首をつッこんでいる。夜になると夢をみて、ひばりになって、フレデリクスベルグ公園の木のなかをとびまわる。こりゃあ、りっぱに大衆喜劇の種になる。」
そこで、書記のひばりは草のなかに舞いおりて、ほうぼうに首をむけて、草の茎をくちばしでつつきました。それはいまのじぶんの大きさにくらべては、北アフリカのしゅろの枝ほどもありそうでした。
すると、だしぬけにまわりがまっ暗やみになってしまいました。なにか大きなものが、上からかぶさって来たようにおもわれました。これはニュウボデルから来た船員のこどもが、大きな帽子を小鳥の上に投げかけたものでした。やがて下からぬっと手がはいって来て、書記のひばりのせなかとつばさをひどくしめつけたので、おもわずぴいぴい鳴きました。そして、びっくりした大きな声で「このわんぱく小僧め、おれは警察のお役人だぞ。」とどなりました。けれどもこどもには、ただぴいぴいときこえるだけでした。そこでこの男の子は鳥のくちばしをたたいて、つかんだままほうぼうあるきまわりました。
やがて、並木道で、男の子はほかのふたりのこどもに出あいました。身分をいう人間の社会では、いい所のこどもというのですが、学校では精紳がものをいうので、ごく下の級に入れられていました。このこどもたちが、シリング銀貨二、三枚で小鳥を買いました。そこで、ひばりの書記は、またコペンハーゲンのゴーテルス通のある家へつれてこられることになりました。
「夢だからいいようなものだが。」と、書記はいいました。「さもなければ、おれはほんとうにおこってしまう。はじめに詩人で、こんどはひばりか。しかもわたしを小鳥にかえたのは、詩人の気質がそうしたのだよ。それがこどもらの手につかまれるようになっては、いかにもなさけない。このおしまいは、いったいどうなるつもりか、見当がつかない。」
やがて、こどもたちはひばりをたいそうりっぱなおへやにつれこみました。ふとったにこにこした奥さまが、こどもたちをむかえました。この子たちのおかあさまでしたろう。けれども、このおかあさまは、ひばりのことを「下等な野そだちの鳥」とよんで、そんなものをうちのなかへ入れることをなかなかしょうちしてくれません。やっとたのんで、ではきょう一日だけということで許してもらえました。で、ひばりは窓のわきにある、からッぽなかごのなかに入れられなければなりませんでした。「おうむちゃん、きっと、うれしがるでしょうよ。」と、奥さまはいって、上のきれいなしんちゅうのかごのなかの輪で、お上品ぶってゆらゆらしている大きなおうむにわらいかけました。
「きょうはおうむちゃんのお誕生日だったねえ。」と、奥さまはあまやかすようにいいました。「だから、このちっぽけな野そだちの鳥もお祝をいいに来たのだろうよ。」
おうむちゃんはこれにひとことも返事をしませんでした。ただお上品ぶってゆらゆらしていました。すると、去年の夏、あたたかい南の国のかんばしい林のなかから、ここへつれてこられた、かわいらしいカナリヤが、たかい声で歌をうたいはじめました。
「やかましいよ。」と、奥さまはいいました。そうして白いハンケチを鳥かごにかけてしまいました。
「ぴい、ぴい。」と、カナリヤはため息をつきました。「おそろしい雪おろしになって来たぞ。」こういってため息をつきながら、だまってしまいました。
書記は、いや、奥さまのおっしゃる下等な野そだちの鳥は、カナリヤのすぐそばのちいさなかごに入れられました。おうむからもそう遠くはなれてはいませんでした。このおうむちゃんのしゃべれる人間のせりふはたったひとつきり、それは、「まあ、人になることですよ。」というので、それがずいぶんとぼけてきこえるときがありました。そのほかに、ぎゃあぎゃあいうことは、カナリヤの歌と同様、人間がきいてもまるでわけがわかりませんでした。ただ書記だけは、やはり小鳥のなかまにはいったので、いうことはよくわかりました。
「わたしはみどりのしゅろの木や、白い花の咲くあんずの木の下をとんでいたのだ。」と、カナリヤがうたいました。「わたしは男のきょうだいや女のきょうだいたちと、きれいな花の咲いた上や、鏡のようにあかるいみどりの上をとんでいたのだ。みずうみの底には、やはり草や木が、ゆらゆらゆられていた。それからずいぶん、ながいお話をたくさんしてくれるきれいなおうむさんにもあった。」
「ありゃ野そだちの鳥よ。」と、おうむがこたえました。「あれらはなにも教育がないのだ。まあ人になることですよ。おまえ、なぜわらわない。奥さんやお客さんたちがわらったら、おまえもわらう。娯楽に趣味をもたないのは欠点です。まあ人になることですよ。」
「おまえさん、おぼえているでしょう。花の咲いた木の下に、天幕を張って、ダンスをしたかわいらしいむすめたちのことを、野に生えた草のなかに、あまい実がなって、つめたい汁の流れていたことを。」
「うん、そりゃ、おぼえている。」と、おうむがこたえました。「だが、ここのお内で、ぼくはもっといいくらしをしているのだ。ごちそうはあるし、だいじに扱われている。この上ののぞみはないのさ。まあ、人になることですよ。きみは詩人のたましいとかいうやつをもっている。ぼくはなんでも深い知識ととんちをもっている。きみは天才はあるが、思慮がないよ。持ってうまれた高調子で、とんきょうにやりだす、すぐ上からふろしきをかぶされてしまうのさ。そこはぼくになるとちがう。どうしてそんな安ッぽいのじゃない。この大きなくちばしだけでも、威厳があるからな。しかもこのくちばしで、とんちをふりまいて人をうれしがらせる。まあ、人になることですよ。」
「ああ、わがなつかしき、花さく熱帯の故国よ。」とカナリヤがうたいました。「わたしはあのみどりしたたる木立と、鏡のような水に枝が影をうつしている静かな入江をほめたたえよう。『沙漠の泉の木』が茂って、そこにうつくしくかがやくきょうだいの鳥たちのよろこびをほめたたえよう。」
「さあ、たのむから、もうそんななさけない声を出すのはよしておくれ。」と、おうむがいいました。
「なにかわらえるようなことをうたっておくれ。わらいはいとも高尚な心のしるしだ。犬や馬がわらえるかね。どうだ。どうして、あれらはなくだけです。わらいは人にだけ与えられたものだ。ほッほッほ。」
こうおうむはわらってみせて、「まあ、人になることですよ。」とむすびました。
「もし、もし、そこに灰色しているデンマルクの小鳥さん。」と、カナリヤがひばりに声をかけました。「きみもやはり囚人になったんだな。なるほど、きみの国の森は寒いだろう。だが、そこにはまだ自由がある。とびだせ。とびだせ。きみのかごの戸はしめるのを忘れている。上の窓はあいているぞ。逃げろ、逃げろ。」
カナリヤがこういうと、書記はついそれにのって、すうとかどをとびだしました。そのとたん、となりのへやの、半分あいた戸がぎいと鳴ると、みどり色した火のような目の飼いねこがしのんで来ました。そうして、いきなりひばりを追っかけようとしました、カナリヤはかごのなかをとびまわりました。おうむもつばさをばさばさやって「まあ、人になることですよ。」とさけびました。書記は、もう死ぬほどおどろいて、窓から屋根へ往来へとにげました。とうとうくたびれて、すこし休まなければならなくなりました。
すると、むこうがわの家が、住み心地のよさそうなようすをしていました。窓がひとつあけてあったので、そこからつういととび込むと、そこはじぶんのへやの書斎でした。ひばりはそこのつくえの上にとびおりました。
「まあ、人になることですよ。」と、ひばりはついおうむの口まねをしていいました。そのとたんに、書記にもどりました。ただつくえの上にのっかっていました。
「やれ、やれおどろいた。」と、書記はいいました。「どうしてこんな所にのっかっているのだろう。しかもひどく寝込んでしまって、なにしろおちつかない夢だった。しまいまで、くだらないことばかりで、じょうだんにもほどがある。」
六 うわおいぐつのさずけてくれたいちばんいい事
明くる日、朝早く、書記君まだ寝床にはいっていますと、戸をこつこつやる音がきこえました。それはおなじ階でおとなり同士の若い神学生で、はいって来てこういいました。
「きみのうわおいぐつを貸してくれたまえ。」と、学生はいいました。「庭はひどくしめっているけれど、日はかんかん照っている。おりていって、一服やりたいとおもうのだよ。」
学生にうわおいぐつをはいて、まもなく庭へおりました。庭にはすももの木となしの木がありました。これだけのちょっとした庭でも、都のなかではどうして大したねうちです。
学生は庭の小みちをあちこちあるきまわりました。まだやっと六時で、往来には郵便馬車のラッパがきこえました。
「ああ、旅行。旅行。」と、学生はさけびました。「これこそ、この世のいちばん大きな幸福だ。これこそぼくの希望のいちばんたかい目標だ。旅に出てこそぼくのこの不安な気持が落ちつく、だが、ずっととおくではなければなるまい。うつくしいスウィスがみたい。イタリアへいきたい――」
いや、うわおいぐつがさっそくしるしをみせてくれたことは有りがたいことでした。さもないと、じぶんにしても、他人のわたしたちにしても、始末のわるい遠方までとんでいってしまうところでした。さて、学生は旅行の途中です。スウィスのまんなかで、急行馬車に、ほかの八人の相客といっしょにつめこまれていました。頭痛がして、首がだるくて、足は血が下がってふくれた上をきゅうくつな長ぐつでしめつけられていました。眠っているとも、さめているともつかず、うとうとゆられていました。右のかくしには信用手形を入れ、左のかくしには、旅券を入れていました。ルイドール金貨が胸の小さな革紙入にぬい入れてありました。うとうとするとこのだいじな品物のうちどれかをなくした夢をみました。それで、熱のたかいときのように、ひょいととびあがりました。そうしてすぐと手を動かして、右から左へ三角をこしらえて、それから胸にさわってまだなくさずに持っているかどうかみました。こうもりがさと帽子とステッキは、あたまの上の網のなかでゆれてぶら下がっていて、せっかくのすばらしいそとの景色をみるじゃまをしていました。でも、その下からのぞいてみるだけでして、そのかわり学生は心のなかで、詩人とまあいってもいいでしょう、わたしたち知っているさる人が、スウィスで作って、そのまままだ印刷されずにいる詩をうたっていました。
さなり、ここに心ゆくかぎりの美はひらかれ
モンブランの山天そそる姿をあらわす。
嚢中のかくもすみやかに空しからずば、はや
あわれ、いつまでもこの景にむかいいたらまし。
みるかぎりの自然に、大きく、おごそかで、うすぐらくもみえました。もみの木の林が、高い山の上で、草やぶかなんぞのようにみえました。山のいただきは雲霧にかくれてみえませんでした。やがて雪が降りはじめて、風がつめたく吹いて来ました。
「おお、寒い。」と、学生はため息をつきました。「これがアルプスのむこうがわであったらいいな。あちらはいつも夏景色で、その上、この信用手形でお金が取れるのだろうが。金の心配で、せっかくのスウィスも十分に楽しめない。どうかはやくむこうへいきたいなあ。」
こういうと、もう学生は山のむこうがわのイタリアのまんなかの、フィレンツェとローマのあいだに来ていました。トラジメーネのみずうみは、夕ばえのなかで、暗いあい色の山にかこまれながら、金色のほのおのようにかがやいていました。ここは昔、ハンニバルがフラミウスをやぶったところで、そこにぶどうのつるが、みどりの指をやさしくからみあっていました。かわいらしい半裸体のこどもらが、道ばたの香り高い月桂樹の林のなかで、まっ黒なぶたの群を飼っていました。もしこの景色をそのまま画にかいてみせることができたら、たれだって「ああ、すばらしいイタリア。」とさけばずにはいられないでしょう。けれどもさしあたり神学生も、おなじウェッツラ(四輪馬車)にのりあわせた旅の道づれも、それをくちびるにのせたものはありませんでした。
毒のあるはえやあぶが、なん千となく、むれて馬車のなかへとびこんで来ました。みんな気ちがいのように、ミルテの枝をふりまわしましたが、はえはへいきで刺しました。馬車の客は、ひとりだってさされて顔のはれあがらないものはありませんでした。かわいそうな馬は腐れ肉でもあるかのようにはえのたかるままになっていました。たまにぎょ者がおりて、いっぱいたかっている虫をはらいのけると、そのときだけいくらかほっとしました。いま、日は沈みかけました。みじかい、あいだですが、氷のような冷やかさが万物にしみとおって、それはどうにもこころよいものではありません。でも、まわりの山や雲が、むかしの画にあるような、それはうつくしいみどり色の調子をたたえて、いかにもあかるくすみとおって――まあなんでも、じぶんでいってみることで、書いたものをよむだけではわかりません。まったくたとえようのないけしきです。この旅行者たちたれもやはりそうおもいました。でも――胃の腑はからになっていましたし、からだも疲れきっていました。ただもう今夜のとまり、それだけがたれしもの心のねがいでした。さてどうそれがなるのか。うつくしい自然よりも、そのほうへたれの心もむかっていました。
道は、かんらんの林のなかを通っていきました。学生は、故郷にいて、節だらけのやなぎの木のあいだをぬけて行くときのような気もちでした。やがてそこにさびしい宿屋をみつけました。足なえのこじきがひとかたまり、そこの入口に陣取っていました。なかでいちばんす早いやつでも、ききんの惣領息子が丁年になったような顔をしています。そのほかは、めくらかいざりかどちらかでしたから、両手ではいまわるか、指の腐れおちた手をあわせていました。これはまったくみじめがぼろにくるまって出て来た有様でした。*「エチェレンツア・ミゼラビリ」と、こじきはため息まじりにかたわな手をさしだしました。なにしろこの宿屋のおかみさんからして、はだしでくしを入れないぼやぼやのあたまに、よごれくさったブルーズ一枚でお客を迎えました。戸はひもでくくりつけてありました。へやのゆかは煉瓦が半分くずれた上を掘りかえしたようなていさいでした。こうもりが天井の下をとびまわって、へやのなかから、むっとくさいにおいがしました――。
*旦那さま、かわいそうなものでございます。
「そうだ、いっそ食卓はうまやのなかにもちだすがいい。」と、旅人のひとりがいいました。「まだしもあそこなら息ができそうだ。」
窓はあけはなされました。そうすればすこしはすずしい風がはいってくるかとおもったのです。ところが風よりももっとす早く、かったいぼうの手がでて来て、相変らず「ミゼラビリ・エチェレンツア」と鼻をならしつづけました。壁のうえにはたくさん楽書がしてありましたが、その半分は*「ベルラ・イタリア」にはんたいなことばばかりでした。
*イタリアよいとこ。
夕飯がでました。それはこしょうと、ぷんとくさい脂で味をつけた水っぽいスープとでした。そのくさい脂がサラダのおもな味でした。かびくさい卵と、鶏冠の焼いたのが一とうのごちそうでした。ぶどう酒までがへんな味がしました。それはたまらないまぜものがしてありました。
夜になると、旅かばんをならべて戸に寄せかけました。ほかのもののねているあいだ、旅人のひとりが交代で起きて夜番をすることになりました。そこで神学生がまずその役にあたりました。ああ、なんてむんむすることか。暑さに息がふさがるようでした。蚊がぶん、ぶん、とんで来て刺しました。おもての「ミゼラビリ」は夢のなかでも泣きつづけていました。
「そりゃ旅行もけっこうなものさ。」と、神学生はいいました。「人間に肉体というものがなければな。からだは休ましておいて、心だけとびあるくことができたらいいさ。どこへいってもぼくは心をおされるよう不満にであう。ぼくののぞんでいたのは、現在の境遇より少しはいいものなのだ。そうだ、もう少しいいもの、いちばんいいものだ。だが、それはどこにある。それはなんだ。心のそこには求めているものがなにかよくわかっている。わたしは幸福を目あてにしたいのだ。すべてのもののなかでいちばん幸福なものをね。」
すると、いうがはやいか、学生は、もうじぶんの内へかえっていました、長い、白いカーテンが窓からさがっていました。そうしてへやのまんなかに、黒い棺がおいてありました。そのなかで、学生は死んで、しずかに眠っていたのでした。のぞみははたされたのです――肉体は休息して、精神だけが自由に旅をしていました。「いまだ墓にいらざるまえ、なにびとも幸福というを得ず。」とは、ギリシアの賢人ソロンの言葉でした。ここにそのことばが新しく証明されたわけです。
すべて、しかばねは不死不滅のスフィンクスです。いま目のまえの黒い棺のなかにあるスフィンクスも、死ぬつい三日まえ書いた、次のことばでそのこたえをあたえているのです。
いかめしい死よ、おまえの沈黙は恐怖をさそう。
おまえの地上にのこす痕跡は寺の墓場だけなのか。
たましいは*ヤコブのはしごを見ることはないのか。
墓場の草となるほかに復活の道はないのか。
この上なく深いかなしみをも世間はしばしばみすごしている。
おまえは孤独のまま最後の道をたどっていく。
しかもこの世にあって心の荷う義務はいやが上に重い、
それは棺の壁をおす土よりも重いのだ。
* ヤコブがみたという地上と天国をつなぐはしご(創世記二八ノ一二)
ふたつの姿がへやのなかでちらちら動いていました。わたしたちはふたりとも知っています。それは心配の妖女と、幸福の女神の召使でした。ふたりは死人の上にのぞきこみました。
心配がいいました。「ごらん、おまえさんのうわおいぐつがどんな幸福をさずけたでしょう。」
「でも、とにかくここに寝ている男には、ながい善福をさずけたではありませんか。」と、よろこびがこたえました。
「まあ、どうして。」と、心配がいいました。「この人はじぶんで出て行ったので、まだ召されたわけではなかったのですよ。この人の精神はまだ強さが足りないので、当然掘り起さなければならないはずの宝を掘り起さずにしまいました。わたしはこの人に好いことをしてやりましょう。」
こういって、心配は学生の足のうわおいぐつをぬがしてやりました。すると、死の眠がおしまいになって、学生は目をさまして立ちあがりました。心配の姿は消えました。それといっしょにうわおいぐつも消えてなくなりました。――きっと心配が、そののちそれをじぶんの物にして、もっているのでしょう。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
※疑問箇所の確認にあたっては、「アンデルセン童話集2 一本足の兵隊」冨山房百科文庫、冨山房、1938(昭和13)年12月10日発行を参照しました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
2009年9月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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みなさん、よくごぞんじのように、シナでは、皇帝はシナ人で、またそのおそばづかえのひとたちも、シナ人です。
さて、このお話は、だいぶ昔のことなのですがそれだけに、たれもわすれてしまわないうち、きいておくねうちもあろうというものです。
ところで、そのシナの皇帝の御殿というのは、どこもかしこも、みごとな、せとものずくめでして、それこそ、世界一きらびやかなものでした。
なにしろ、とても大したお金をかけて、ぜいたくにできているかわり、こわれやすくて、うっかりさわると、あぶないので、よほどきをつけてそのそばをとおらなければなりません。御苑にはまた、およそめずらしい、かわり種の花ばかりさいていました。なかでもうつくしい花には、そばをとおるものが、いやでもそれにきのつくように、りりりといいねになるぎんのすずがつけてありました。ほんとうに、皇帝の御苑は、なにからなにまでじょうずにくふうがこらしてあって、それに、はてしなくひろいので、おかかえの庭作でも、いったいどこがさかいなのか、よくはわからないくらいでした。なんでもかまわずどこまでもあるいて行くと、りっぱな林にでました。そこはたかい木立があって、そのむこうに、ふかいみずうみをたたえていました。林をではずれるとすぐ水で、そこまで木のえだがのびているみぎわちかく、帆をかけたまま、大きなふねをこぎよせることもできました。
さて、この林のなかに、うつくしいこえでうたう、一羽のさよなきどりがすんでいましたが、そのなきごえがいかにもいいので、日びのいとなみにおわれているまずしい漁師ですらも、晩、網をあげにでていって、ふと、このことりのうたが耳にはいると、ついたちどまって、ききほれてしまいました。
「どうもたまらない。なんていいこえなんだ。」と、漁師はいいましたが、やがてしごとにかかると、それなり、さよなきどりのこともわすれていました。でもつぎの晩、さよなきどりのうたっているところへ、漁師がまた網にでてきました。そうして、またおなじことをいいました。
「どうもたまらない、なんていいこえなんだ。」
せかいじゅうのくにぐにから、旅行者が皇帝のみやこにやってきました。そうして、皇帝の御殿と御苑のりっぱなのにかんしんしましたが、やはり、このさよなきどりのうたをきくと、口をそろえて、
「どうもこれがいっとうだな。」といいました。で、旅行者たちは、国にかえりますと、まずことりのはなしをしました。学者たちは、その都と御殿と御苑のことをいろいろと本にかきました。でもさよなきどりのことはけっして忘れないどころか、この国いちばんはこれだときめてしまいました。それから、詩のつくれるひとたちは、深いみずうみのほとりの林にうたう、さよなきどりのことばかりを、この上ないうつくしい詩につくりました。
こういう本は、世界じゅうひろまって、やがてそのなかの二三冊は、皇帝のお手もとにとどきました。皇帝は金のいすにこしをかけて、なんべんもなんべんもおよみになって、いちいちわが意をえたりというように、うなずかれました。ごじぶんの都や御殿や御苑のことを、うつくしい筆でしるしているのをよむのは、なるほどたのしいことでした。
「さはいえど、なお、さよなきどりこそ、こよなきものなれ。」と、そのあとにしかし、ちゃんとかいてありました。
「はてな。」と、皇帝は首をおかしげになりました。「さよなきどりというか。そんな鳥のいることはとんとしらなかった。そんな鳥がこの帝国のうちに、しかも、この庭うちにすんでいるというのか。ついきいたこともなかったわい。それほどのものを、本でよんではじめてしるとは、いったいどうしたことだ。」
そこで皇帝は、さっそく侍従長をおめしになりました。この役人は、たいそう、かくしきばった男で、みぶんの下のものが、おそるおそるはなしかけたり、または、ものでもたずねても、ただ「ペ」とこたえるだけでした。ただしこの「ペ」というのに、べつだんのいみはないのです。
「この本でみると、ここにさよなきどりというふしぎな鳥がいることになっているが。」と、皇帝はおたずねになりました。「しかもそれがわが大帝国内で、これが第一等のものだとしている。それをどうして、いままでわたしにいわなかったのであるか。」
「わたくしもまだ、そのようなもののあることは、うけたまわったことがございません。」と、侍従長はいいました。「ついぞまだ、宮中へすいさんいたしたこともございません。」
「こんばん、さっそく、そのさよなきどりとやらをつれてまいって、わがめんぜんでうたわせてみせよ。」と、皇帝はおっしゃいました。「みすみす、じぶんがもっていて、世界じゅうそれをしっているのに、かんじんのわたしが、しらないではすまされまい。」
「ついぞはや、これまでききおよばないことでございます。」と、侍従長は申しました。「さっそくたずねてみまする。みつけてまいりまする。」
さて、そうはおこたえ申しあげたものの、どこへいって、それをみつけたものでしょう。侍従長は御殿じゅうの階段を上ったり下りたり、廊下や広間のこらずかけぬけました。でもたれにあってきいても、さよなきどりのはなしなんか、きいたというものはありません。そこで侍従長は、また皇帝のごぜんにかけもどってきて、さよなきどりのことは、本をかきましたものの、かってなつくりばなしにちがいありませんと申しました。
「おそれながら陛下、すべて書物にかいてありますことを、そのままお用いになってはなりません。あれはこしらえごとでございます。いわば、妖術魔法のるいでございます。」
「いや、しかし、わたしがこの鳥のことをよんだ本というのは、」と、皇帝はおっしゃいました。「叡聖文武なる日本皇帝よりおくられたもので、それにうそいつわりの書いてあろうはずはないぞ。わたしはぜひとも、さよなきどりのこえをきく。どうあっても、こんばんつれてまいれ。かれはわたしの第一のきにいりであるぞ。それゆえ、そのとおり、とりはからわぬにおいては、この宮中につかえるたれかれのこらず、夕食ののち、横ッ腹をふむことにいたすから、さようこころえよ。」
「チン ペ。」と、侍従長は申しました。それからまた、ありったけの階段を上ったり下りたり、廊下や広間をのこらずかけぬけました。御殿の役人たちも、たれでも横ッ腹をふみにじられたくはないので、そのはんぶんは、いっしょになって、かけまわりました。そこで、世界じゅうがしっていて、御殿にいるひとたちだけがしらない、ふしぎな、さよなきどりのそうさくが、はじまりました。
とうとうおしまいに、役人たちのつかまえたのは、お台所の下ばたらきのしがないむすめでした。そのむすめは、こういいました、
「まあ、さよなきどりですって、わたしはよくしっておりますわ。ええ、なんていいこえでうたうでしょう。まいばん、わたくしは、びょうきでねている、かわいそうなかあさんのところへ、ごちそうのおあまりを、いただいてもっていくことにしておりますの。かあさんは、湖水のふちに、すんでいましてね、そこからわたしがかえってくるとき、くたびれて、林のなかでやすんでいますと、さよなきどりの歌がきこえます。きいているうち、まるでかあさんに、ほおずりしてもらうようなきもちになりましてね、つい涙がでてくるのでございます。」
「これこれ、女中。」と、侍従長はいいました。「おまえに、お台所でしっかりした役をつけてやって、おかみがお食事をめしあがるところを、おがめるようにしてあげる。そのかわり、そのさよなきどりのいるところへ、あんないしてもらいたい。あの鳥は、さっそく、こんばん、ごぜんにめされるのでな。」
そこでみんな、そのむすめについて、さよなきどりがいつもうたうという、林のなかへはいって行きました。御殿のお役人が、はんぶんまで、いっしょについていきました。みんながぞろぞろ、ならんであるいて行きますと、いっぴきのめうしが、もうと、なきだしました。
「やあ。」と、わかい小姓がいいました。「これでわかったよ。ちいさないきものにしては、どうもめずらしくしっかりしたこえだ。あれなら、たしかもうせん、きいたことがあるぞ。」
「いいえ、あれはめうしが、うなっているのよ。」と、お台所の下ばたらきむすめがいいました。
「鳥のところまでは、まだなかなかですわ。」
こんどはかえるが、ぬまの中で、けろけろとなきはじめました。
「りっぱなこえだ。」と、皇室づきの説教師がいいました。「これ、どこかに、さよなきどりのこえをききつけましたぞ。まるでお寺のちいさなかねがなるようじゃ。」
「いいえ、あれはかえるでございますわ。」と、お台所むすめはいいました。「でも、ここまでくれは、もうじき鳥もきこえるでしょう。」
こういっているとき、ちょうどさよなきどりが、なきはじめました。
「ああ、あれです。」と、むすめはいいました。「ほら、あすこに、とまっているでしょう。」
こういって、このむすめは、むこうの枝にとまっている、灰色したことりを、ゆびさしました。
「はてね。」と、侍従長はいいました。「あんなようすをしているとは、おもいもよらなかったよ。なんてつまらない鳥なんだ。われわれ高貴のものが、おおぜいそばにきたのにおじて、羽根のいろもなくしてしまったにちがいない。」
「さよなきどりちゃん。」と、お台所むすめは、大きなこえで、いいました。「陛下さまが、ぜひごぜんで、うたわせて、ききたいとおっしゃるのよ。」
「それはけっこうこの上なしです。」と、さよなきどりはいいました。そうして、さっそくうたいだしましたが、そのこえのよさといったらありません。
「まるで玻璃鐘の音じゃな。」と、侍従長はいいました。「あのちいさなのどが、よくもうごくものだ。どうもいままであれをきいていなかったのがふしぎだ。あれなら宮中でも、上上のお首尾じゃろう。」
「陛下さまのごぜんですから、もういちどうたうことにいたしましょうか。」と、さよなきどりはいいましたが、それは、皇帝ごじしんそこの場にきておいでになることと、おもっていたからでした。
「いや、あっぱれなる小歌手、さよなきどりくん。」と、侍従長はいいました。「こんばん、宮中のえんかいに、君を招待するのは、大いによろこばしいことです。君は、かならずそのうつくしいこえで、わが叡聖文武なる皇帝陛下を、うっとりとさせられることでござろう。」
「わたしのうたは、林の青葉の中できいていただくのに、かぎるのですがね。」と、さよなきどりはいいました。でも、ぜひにという陛下のおのぞみだときいて、いそいそついていきました。
御殿はうつくしく、かざりたてられました。せとものでできているかべも、ゆかも、何千とない金のランプのひかりで、きらきらかがやいていました。れいの、りりり、りりりとなるうつくしい花は、のこらずお廊下のところにならべられました。そこを、人びとがあちこちとはしりまわると、そのあおりかぜで、のこらずのすずがなりひびいて、じぶんのこえもきこえないほどでした。
皇帝のおでましになる大ひろまのまん中に、金のとまり木がおかれました。それにあのさよなきどりがとまることになっていました。宮中の役人たちのこらず、そこにならびました。あのお台所の下ばたらきむすめも、いまではせいしきに、宮中づきのごぜん部係にとりたてられたので、ひろ間のとびらのうしろにたつことをゆるされました。みんな大礼服のはれすがたで、いっせいに、陛下がえしゃくなさった灰いろのことりに目をむけました。
さて、さよなきどりは、まことにすばらしくうたってのけたので、皇帝のお目にはなみだが、みるみるあふれてきて、それがほおをつたわって、ながれおちたほどでした。するとさよなきどりは、なおといっそういいこえで、それは、人びとのこころのおくそこに、じいんとしみいるように、うたいました。陛下は、たいそう、およろこびになって、さよなきどりのくびに、ごじぶんの、金のうわぐつをかけてやろうとおっしゃいました。しかし、さよなきどりは、ありがとうございますが、もうじゅうぶんに、ごほうびは、いただいておりますといいました。
「わたくしは、陛下のお目になみだのやどったところを、はいけんいたしました。もうそれだけで、わたくしには、それがなによりもけっこうなたからでございます。皇帝の涙というものは、かくべつなちからをもっております。神かけて、もうそれが身にあまるごほうびでございます。」
こういって、そのとき、さよなきどりは、またもこえをはりあげて、あまい、たのしいうたをうたいました。
「まあ、ついぞおぼえのない、いかにもやさしくなでさすられるようなかんじでございますわ。」と、まわりにたった貴婦人たちがいいました。それからというもの、このご婦人たちは、ひとからはなしかけられると、まず口に水をふくんで、わざとぐぐとやって、それで、さよなきどりになったつもりでいました。とうとう、すえずえの、べっとうとか、おはしたというひとたちまでが、この鳥には、すっかりかんしんしたと、いいだしました。
この連中をまんぞくさせることは、この世の中でおよそむずかしいことでしたから、これはたいしたことでした。つまり、さよなきどりは、ほんとうに、うまくやってのけたわけでした。
さて、さよなきどりは、それなり宮中にとめられることになりました。じぶん用のとりかごをいただいて、まいにち、ひる二どと、よるいちどとだけ、外出をゆるされました。でかけるときには、十二人のめしつかいがひとりひとり、とりのあしにむすびつけたきぬいとを、しっかりもって、おともをして行きました。こんなふうにしてでかけたのでは、いっこうにおもしろいはずがありませんでした。
このめずらしいさよなきどりのことは、みやこじゅうのひょうばんになりました。そうして、ふたりであえば、そのひとりが、
「*さよ。」と、いうと、あいては、「なき。」とこたえます。
*デンマークの原語では「ナデル(小夜)」。「ガール(啼鳥)」。「ガール」にはおばかさんの意味もある。
それから、ふたりはほっとためいきをついて、それでおたがい、わけがわかっていました。いや、物売のこどもまでが、十一人も、さよなきどりという名をつけられたくらいです。でも、そのうちのひとりとして、ふしらしいもののうたえるのどでは、ありませんでした。――
ところで、ある日、皇帝のおてもとに、大きな小包がとどきました。その包のうわがきに、「さよなきどり。」と、ありました。
「さあ、わが国の有名なことりのことを書いたしょもつが、またきたわい。」
皇帝はこうおっしゃいましたが、こんどは、本ではなくて、はこにはいった、ちいさなさいく物でした。それはほんものにみまがうこしらえものの、さよなきどりでしたが、ダイヤモンドだの、ルビイだの、サファイヤだのの宝石が、ちりばめてありました。ねじをまくと、さっそく、このさいく物の鳥は、ほんものの鳥のうたうとおりを、ひとふしうたいました。そうして、上したに尾をうごかすと、金や、銀が、きらきらひかりました。首のまわりに、ちいさなリボンがいわえつけてあって、それに、
「日本皇帝のさよなきどり、中華皇帝のそれにはおよびもつかぬ、おはずかしきものながら。」と、書いてありました。
「これはたいしたものだ。」と、みんなはいいました。そうして、このさいく物のことりをはこんできたものは、さっそく、帝室さよなきどり献上使、というしょうごうをたまわりました。
「いっしょになかしたら、さぞおもしろい二部合唱がきけるだろう。」
そこで、ふたつのさよなきどりは、いっしょにうたうことになりました。でも、これはうまくいきませんでした。それは、ほんもののさよなきどりは、かってに、じぶんのふしでうたって行きましたし、さいく物のことりは、ワルツのふしでやったからでした。
「いや、これはさいく物のことりがわるいのではございません。」と、宮内楽師長がいいました。「どうしてふしはたしかなもので、わたくしどもの流儀にまったくかなっております。」
そこで、こんどは、さいく物のことりだけがうたいました。ほんもののとおなじようにうまくやって、しかもちょいとみたところでは、ほんものよりは、ずっときれいでした。それはまるで腕輪か、胸にとめるピンのように、ぴかぴかひかっていました。
さいく物のことりは、おなじところを三十三回も、うたいましたが、くたびれたようすもありませんでした。みんなはそれでも、もういちどはじめから、ききなおしたいようでしたが、皇帝は、いきているさよなきどりにも、なにかうたわせようじゃないかと、おっしゃいました。――ところが、それはどこへいったのでしょう。たれひとりとして、ほんもののさよなきどりが、あいていたまどからとびだして、もとのみどりの森にかえっていったことに、気づいたものは、ありませんでした。
「いったい、これはどうしたというわけなのか。」と、皇帝はおっしゃいました。ところが、御殿の人たちは、ほんもののさよなきどりのことを、わるくいって、あのさよなきどりのやつ、ずいぶん恩しらずだといいました。
「なあに、こちらには、世界一上等の鳥がいるのだ。」と、みんないいました。
そこで、さいく物のことりが、またうたわせられることになりました。これで三十四回おなじうたをきくわけになったのですが、それでもなかなか、ふしがむずかしいので、たれにもよくおぼえることができませんでした。で、楽師長は、よけいこのとりをほめちぎって、これはまったく、ほんもののさよなきどりにくらべて、つくりといい、たくさんのみごとなダイヤモンド飾りといい、ことさら、なかのしかけといったら、どうして、ほんものよりはずっとりっぱなものだといいきりました。
「なぜと申しまするに、みなさま、とりわけ陛下におかせられまして、ごらんのとおり、ほんもののさよなきどりにいたしますると、つぎになにをうたいだすか、まえもって、はかりしることができません。しかるに、このさいくどりにおきましては、すべてがはっきりきまっております。かならずそうなって、かわることがございません。これはこうだと、せつめいができます。なかをあけて、どうワルツがいれてあるか、それがうたいすすんで、歌がつぎからつぎへとうつって行きますぐあいを、人民ども、だれのあたまにもはいるように、しめしてみせることが、できるのでございます――。」
「まったくご同感であります。」と、みんなはいいました。
そこで、楽師長は、さっそく、つぎの日曜日には、ひろく人民たちに、ことり拝観をゆるされるようにねがいました。ついでにうたもきかせるようにと、皇帝はおめいじになりました。そんなわけでたれもそのうたをきくことになって、まるでお茶によったようによろこんでしまいました。このお茶にようということは、シナ人のくせでした。そこでみんな、「おお。」と、いったのち、人さしゆびをたかくさし上げて、うなずきました。けれども、ほんもののさよなきどりをきいたことのある、れいのびんぼう漁師は、
「なかなかいいこえでうたうし、ふしもにているが、どうも、なんだかものたりないな。」といいました。
ほんもののさよなきどりは、都の土地からも、国からもおわれてしまいました。
さいくどりは、皇帝のお寝台ちかく、絹のふとんの上に、すわることにきまりました。この鳥に贈られて来た黄金と宝石が、のこらず、鳥のまわりにならべ立てられました。鳥は、「帝室御夜詰歌手長」の栄職をたまわり、左側第一位の高位にものぼりました。たいせつなしんぞうが、このがわにあるというので、皇帝は、左がわをことにおもんぜられました。するとしんぞうは、皇帝でもやはり左がわにあるとみえますね。それから、れいの楽師長は、さいくどりについて、二十五巻もある本をかきました。さて、この本は、ずいぶん学者ぶってもいて、それに、とてもしちむずかしい漢語がいっぱい、つかってありました。そのくせたれも、それをよんでよくわかったといっていましたが、それはたれもばかものだとおもわれた上、横ッ腹をふまれるのがいやだからでした。
そうこうしているうちに、まる一年たちました。皇帝も、宮中のお役人たちも、みんなほかのシナ人たちも、そのさいくどりの歌の、クルック、クルック、という、こまかいふしまわしのところまでのこらずおぼえこんでしまいました。ところでそのためよけい、この鳥がみんなをよろこばせたというわけは、たれもいっしょになって、その歌をうたうことができたからで、またほんとうに、そのとおりやっていました。往来をあるいているこどもたちまでが、
「チチチ、クルック、クルック、クルック」と、うたうと、皇帝もそれについておうたいになりました。――いや、もうまったくうれしいことでした。
ところがあるばん、さいくどりに、せいいっぱいうまくうたわせて、皇帝はね床の中でそれをきいておいでになるうち、いきなり、鳥のおなかの中で、ぶすっという音がして、なにかはぜたようでした。つづいて、がらがらがらと、のこらずのはぐるまが、からまわりにまわって、やがて、ぶつんと音楽はとまってしまいました。
皇帝はすぐとね床をとびおきて、侍医をおめしになりました。でも、それがなんの役にたつでしょう。そこで時計屋をよびにやりました。で、時計屋がきて、あれかこれかと、わけをきいたり、しらべたりしたあげく、どうにか、さいくどりのこしょうだけは、なおりました。でも、時計屋は、なにしろ、かんじんな軸うけが、すっかりすりへっているのに、それをあたらしくとりかえて、音楽をもとどおりはっきりきかせるくふうがつかないから、せいぜい、たいせつにあつかっていただくほかはないと、いいました。これはまことにかなしいことでした。もう一年にたったいちどだけ、うたわせることになったのですが、それさえ、おおすぎるというのです。でもそのとき、楽師長は、れいの小むずかしいことばばかりならべた、みじかいえんぜつをして、なにも、これまでとかわったところはないと、いいましたが、なるほど、歌は、これまでとかわったところは、ありませんでした。
さて、それから五年たちましたが、こんどこそはほんとうに、国じゅうの大きなかなしみがやってきました。じんみんたちが、こころからしたっていた皇帝が、こんど、ごびょうきにかかられて、もうながいことはあるまいという、うわさがたちました。あたらしい皇帝も、もうかわりにえらばれていました。じんみんたちは往来にあつまって、れいの侍従長に、皇帝さまは、どんなごようだいでございますかと、たずねました。するとこのひとは、いつものように「ペ」といって、あたまをふりました。
ひえこおった青いかおをして、皇帝は、うつくしくかざりたてた、大きなおねだいに、よこになっておいでになりました。宮中の役人たちは、もう皇帝は、おなくなりになったと、おもって、われがちに、あたらしい皇帝のところへ、おいわいのことばを、申しあげに出かけていきました。その下のめし使のおとこたちも、そここことかけまわって、そのことでしゃべりあいました。めし使の女たちもあつまって、さかんなお茶の会をやっていました。広間にも、廊下にも、のこらず、ぬのがしかれているので、なんの足音もきこえず、御殿の中はまったく、しんかんとしていました。
けれども陛下は、まだおかくれになったというわけではなく、やせほそり、色は青ざめながら、ながいびろうどのとばりをたれて、どっしりとおもい金のふさのさがった、きらびやかなしんだいの上にやすんでおいでになりました。高いところにあるまどが、あけてあって、そこからさしこむ月のひかりが、陛下とそのそばにおかれた、さいくもののさよなきどりを、てらしていました。
おかわいそうに、皇帝は、まるでなにかが、むねの上にのってでもいるように、いきをすることもむずかしいようすでした。陛下が目をみひらいて、ごらんになると、おむねの上には、死神が、皇帝の金のかんむりをかぶり、片手には皇帝のけんを、片手に皇帝のうつくしいはたをもって、すわっていました。そうして、りっぱなびろうどのとばりの、ひだのあいだには、ずらりと、みなれない、いくつものくびがならんで、のぞきこんでいました。ひどくみにくいかおつきをしているものもありましたが、いたっておとなしやかなものも、ありました。これらのくびは、みんな、この皇帝のこれまでなさった、よいおこないや、わるいおこないで、いま、死神がそのしんぞうの上にすわったというので、みんなきて、ながめているというわけでした。
「このことを、おぼえているか。」
「こんなことも、やったろう。」
と、かわるがわる、そのくびが、ささやきました。それから、つづいて、がやがやしゃべりたてるので、皇帝のひたいからは、ひやあせが、ながれました。
「わたしは、そんなことは、しらないぞ。」と、皇帝は、おっしゃいました。
「音楽をやってくれ、音楽を。たいこでも、がんがんたたいて、あのこえの、きこえないようにしてくれ。」と、陛下はおさけびになりました。けれども、くびはかまわず、なおもはなしつづけました。そうして死神は、くびのいったことには、どんなことでも、シナ人らしくうなずいてみせました。
「音楽をやってくれ、音楽を。小さいうつくしい金のことりよ。うたってくれ。まあうたってくれ。おまえには、こがねもやった。宝石もあたえた。わたしのうわぐつすら、くびのまわりに、かけてやったではないか。さあ、うたってくれ。うたってくれ。」と、陛下はおさけびになりました。
ところが、そのことりは、じっとしていました。あいにく、たれも、ねじをまいてやるものがなかったので、このことりは、うたうことができなかったのでございます。
死神はなおも大きな、うつろな目で、皇帝をじろじろみつめていました。そしてあたりは、まったくおそろしいほど、しいんとしていました。
そのとき、きゅうにまどのとこから、この上もないかわいらしいうたが、きこえてきました。それは、まどのそとの枝にとまった、あの小さな、ほんもののさよなきどりがうたったものでした。さよなきどりは、皇帝がご病気だときいて、なぐさめてあげるために、げんきをつけてあげるために、歌をうたいに、やってきたのでした。さよなきどりが、うたうにつれて、あやしいまぼろしは、だんだん影がうすれて行きました。血は皇帝のおからだの中を、とっとっとまわりだしました。死神さえ、耳をとめて、そのうたをきいて、こういいました。
「もっとうたってくれ、さよなきどりや。もっとうたってくれ。」
「はい。そのかわり、あなたは、そのこがねづくりのけんをくれますか。そのりっぱなはたをくれますか。皇帝のかんむりをくださいますか。」
そこで死神は、うたをひとつうたってもらうたんびに、かわりに、三つのたからを、ひとつずつやりました。
さよなきどりは、ずんずんうたいつづけました。そして、まっしろなばらの花が咲いて、にわとこの花がにおい、青あおした草が、いきのこっている人たちのなみだでしめっているはかばのことをうたいました。きいているうち、死神はふと、じぶんの庭がみたくなったものですから、まどのところから、白いつめたい霧になって、ふわりふわり出ていきました。
「ありがとう、ありがとう。」と、皇帝はおっしゃいました。「天国のことりよ、わたしはよくおまえをおぼえているぞ。わたしはおまえを、この国からおいだしてしまったが、それでもおまえは、わたしのねどこから、いやなつみのまぼろしを、歌でけしてくれた。わたしのしんぞうに、とりついた死神を、おいはらってくれた。そのほうびには、なにをあげたものであろうか。」
「そのごほうびなら、もういただいております。わたくしがはじめて、ごぜんでうたいましたとき、陛下には、なみだをおながしになりました。わたくしは、けっしてあれをわすれはいたしません。あのおなみだこそ、歌をうたうものの、こころをよろこばす、宝石でございます。なにはとにかく、おやすみあそばせ。そうして、またおげんきに、お丈夫におなりなさいまし。なにかひとつ、うたってさしあげましょう。」
そこで、さよなきどりは、うたいだしました。――それをききながら、皇帝は、こころもちよく、ぐっすりと、おやすみになりました。まあ、どんなにそのねむりは、やすらかに、こころのやすまる力をもつものでしたろう。
皇帝はまた、げんきがでて、すっかりご丈夫になって、目をおさましになったとき、お日さまは、まどのところから、さしこんでいました。おそばづきの人たちは、陛下がおかくれになったこととおもって、ひとりもまだ、かえってきていませんでした。ただ、さよなきどりだけは、やはりおそばにつきそって、歌をうたっていました。
「おまえは、いつもわたしのそばにいてくれなければいけない。」と、皇帝はおっしゃいました。「おまえのすきなときだけ、うたってくれればいいぞ。こんなさいくどりなどは、こなごなに、たたきこわしてしまおう。」
「そんなことを、なすってはいけません。」と、さよなきどりはいいました。「そのことりも、ずいぶんながらくおやくにたちました。いままでどおりに、おいておやりなさいまし。わたくしは、御殿の中に、巣をつくって、すむわけには、まいりませんが、わたくしがきたいとおもうとき、いつでもこさせていただきましょう。そうしますと、わたくしは晩になりまして、あのまどのわきの枝に、とまります。そして、陛下のおこころがたのしくもなり、また、おこころぶかくなりますように、歌をうたって、おきかせ申しましょう。そうです、わたくしは、幸福なひとたちのことをも、くろうしている人たちのことをも、うたいましょう。あなたのお身のまわりにかくれておりますわるいこと、よいこと、なにくれとなくうたいましょう。まずしい漁師のやどへも、お百姓のやねへも、陛下から、またこのお宮から、とおくはなれてすまっておりますひとたちの所へも、この小さな歌うたいどりは、とんで行くのでございます。わたくしは、陛下のおかんむりよりは、もっと陛下のお心がすきでございます。もっとも王冠は王冠で、またべつに、なにか神聖とでも申したいにおいが、いたさないでもございません。――ではまた、いずれまいって歌をうたってさしあげましょう。――ただここにひとつおやくそくしていただきたいことがございますが――。」
――「どんなことでも。」と、皇帝はおっしゃりながら、たちあがって、ごじぶんで皇帝のお服をめして、金のかざりでおもくなっている剱を、むねにおつけになりました。
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こういって、さよなきどりは、とんでいきました。
おつきの人たちは、そのとき、おかくれになった陛下のおすがたを、おがむつもりで、はいってきましたが――おや、っと、そのまま棒だちに立ちすくみました。そのとき皇帝はおっしゃいました。
「みなのもの、おはよう。」 | 底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年6月15日作成
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あるとき、二十五人すずの兵隊がありました。二十五人そろってきょうだいでした。なぜならみんなおなじ一本の古いすずのさじからうまれたからです。みんな銃剣をかついで、まっすぐにまえをにらめていました。みんな赤と青の、それはすばらしい軍服を着ていました。ねかされていた箱のふたがあいて、この兵隊たちが、はじめてこの世の中できいたことばは、
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この子はさっそく兵隊をつくえの上にならべました。それはおたがい生きうつしににていましたが、なかで、ひとりが少しちがっていました。その兵隊は一本足でした。こしらえるときいちばんおしまいにまわったので、足一本だけすずがたりなくなっていました。でも、この兵隊は、ほかの二本足の兵隊同様、しっかりと、片足で立っていました。しかも、かわったお話がこの一本足の兵隊にあったのですよ。
兵隊のならんだつくえの上には、ほかにもたくさんおもちゃがのっていました、でもそのなかで、いちばん目をひいたのはボール紙でこしらえたきれいなお城でした。そのちいさなお窓からは、なかの広間がのぞけました。お城のまえには、二、三本木が立っていて、みずうみのつもりのちいさな鏡をとりまいていました。ろうざいくのはくちょうが、上でおよいでいて、そこに影をうつしていました。それはどれもみんなかわゆくできていましたが、でもそのなかで、いちばんかわいらしかったのは、ひらかれているお城の戸口のまんなかに立っているちいさいむすめでした。むすめはやはりボール紙を切りぬいたものでしたが、それこそすずしそうなモスリンのスカートをつけて、ちいさな細い青リボンを肩にゆいつけているのが、ちょうど肩掛のようにみえました。リボンのまんなかには、その子の顔ぜんたいぐらいあるぴかぴかの金ぱくがついていました。このちいさなむすめは両腕をまえへのばしていました。それは踊ッ子だからです。それから片足をずいぶん高く上げているので、すずの兵隊には、その足のさきがまるでみえないくらいでした。それで、この子もやはり片足ないのだろうとおもっていました。
「あの子はちょうどおれのおかみさんにいいな。」と、兵隊はおもいました。「でも、身分がよすぎるかな。あのむすめはお城に住んでいるのに、おれはたったひとつの箱のなかに、しかも二十五人いっしよにほうりこまれているのだ。これではとてもせまくて、あの子に来てもらっても、いるところがありはしない。でも、どうかして近づきにだけはなりたいものだ。」
そこで兵隊は、つくえの上にのっているかぎタバコ箱のうしろへ、ごろりとあおむけにひっくりかえりました。そうしてそこからみると、かわいらしいむすめのすがたがらくに見えました。むすめは相かわらずひっくりかえりもしずに、片足でつり合いをとっていました。
やがて晩になると、ほかのすずの兵隊は、のこらず箱のなかへ入れられて、このうちの人たちもみんなねにいきました。さあ、それからがおもちゃたちのあそび時間で、「訪問ごっこ」だの、「戦争ごっこ」だの、「舞踏会」だのがはじまるのです。すずの兵隊たちは、箱のなかでがらがらいいだして、なかまにはいろうとしましたが、ふたをあけることができませんでした。くるみ割はとんぼ返りをうちますし、石筆は石盤の上をおもしろそうにかけまわりました。それはえらいさわぎになったので、とうとうカナリヤまでが目をさまして、いっしょにお話をはじめました。それがそっくり歌になっていました。ただいつまでも、じっとしてひとつ場所をうごかなかったのは、一本足のすずの兵隊と、踊ッ子のむすめだけでした。むすめは片足のつまさきでまっすぐに立って、両手をまえにひろげていました。すると、兵隊もまけずに、片足でしっかりと立っていて、しかもちっともむすめから目をはなそうとしませんでした。
するうち、大時計が十二時を打ちました。
「ぱん。」いきなりかぎタバコ箱のふたがはね上がりました。
でもなかにはいっていたのは、かぎタバコではありません。それは黒い小鬼でした。そら、よくあるバネじかけのびっくり箱だったのです。
「おいすずの兵隊、すこし目をほかへやれよ。」と、その小鬼がいいました。
でも一本足の兵隊はきこえないふうをしていました。
「よしあしたまで待ってろ」と、小鬼はいいました。
さて明くる朝になってこどもたちが起きてくると、一本足の兵隊は、窓のうえに立たされました。ところでそれは黒い小鬼のしわざであったか、風が吹きこんで来たためであったか、だしぬけに窓がばたんとあいて、一本足の兵隊は、三階からまっさかさまに下へおちました。どうもこれはひどいめにあうものです。兵隊は、片足をまっすぐに空にむけ、軍帽と銃剣を下にしたまま、敷石のあいだにはさまってしまいました。
女中と男の子は、すぐとさがしにおりて来ました。けれども、つい足でふんづけるまでにしながらみつけることができませんでした。もし兵隊が大きな声で「ここですよう。」とどなったら、みつけたかも知れなかったのです。けれども兵隊は、軍服の手まえ、大きな声でよんだりなんかしてはみっともないとおもいました。
するうち雨が降りだしました。雨しずくがだんだん大きくなって、とうとうほんとうのどしゃ降りになりました。雨が上がったとき、ふたり町のこどもがでて来ました。
「おい、ごらんよ。すずの兵隊がいるよ。舟にのせてやろう。」と、そのひとりがいいました。そこでふたりは、新聞で紙のお舟をつくりました。そしてすずの兵隊をのせました。兵隊は新聞のお舟にのったまま、みぞのなかをながされていきました。ふたりのこどもはいっしょについてかけながら手をたたきました。やあ、たいへん。みぞのなかはなんてえらい波が立つのでしょう、流の早いといったらありません。なにしろ大雨のあとでした。紙の小舟は、上下にゆられて、ときどきくるくるはげしくまわりますと、すずの兵隊はさすがにふるえました。でも、やはりしっかりと立って、顔色ひとつ変えず、銃剣肩に、まっすぐにまえをにらんでいました。
いきなりお舟は、長い下水の橋の下へはいっていきました。それで、箱のなかにはいっていたときと同様、まっ暗になりました。
「いったい、おれはどこへいくのだ。」と、兵隊はおもいました。「そうだ、そうだ。これは小鬼のやつのしわざなのだ。いやはや、なさけない。あのかわいいむすめが、いっしょにのっていてくれるなら、この二倍もくらくても、ちっともこまりはしないのだが。」
こうおもっているところへ、ふと下水の橋の下に住む大きなどぶねずみがでて来ました。
「おい、通行証はあるか。」と、ねずみはいいました。「通行証を出してみせろ。」
でも、すずの兵隊は、だんまりで、よけいしっかりと銃剣をかついでいました。お舟はずんずん流れていきました。ねすみはあとから追いかけて来ました。
うッふ、ねずみはきいきい歯ぎしりして、わらくずや木切れに、どんなによびかけたことでしょう。「あいつをおさえろ。あいつをおさえろ。あいつは通行税をはらわない。通行証もみせやしない。」
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でももうとまろうにもとまれないほど近くまで来ていました。舟は、兵隊をのせたまま、押し流されました。すずの兵隊は、でも一生けんめいつッぱりかえっていて、それこそまぶたひとつ動かしたとはいえません。お舟は三四ど、くるくるとまわって、舟べりまでいっぱい水がはいりました。もう沈むほかはありません。すずの兵隊は首まで水につかっていました。お舟はだんだん深く深く沈んでいって、新聞紙はいよいよぐすぐすにくずれて来ました。もう水は兵隊のあたまをこしてしまいました。そのとき兵隊は、かわいらしい踊ッ子のことをおもいだして、もう二どとあうこともできないとかんがえていました。すると兵隊の耳にこういう歌がきこえました。――
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ちょうどそのとき新聞紙がやぶれて、すずの兵隊は水のなかへ落ち込みました。――ところが、そのとたん、大きなおさかなが来て、ぱっくりのんでしまいました。
まあ、そのおさかなのおなかのなかの暗いこと。そこは下水の橋下よりももっとまっ暗でした。それになかのせま苦しいといったらありません。でもすずの兵隊はしっかりと立って、銑剣肩につッぱりかえっていました。
おさかなはあっちこっちとおよぎまわりました。それはさんざん、めちゃくちゃに動きまわったあと、きゅうにしずかになりました。ふと、稲妻のようなものが、さしこんで来ました。かんかんあかるいひる中でした。たれかが大きな声で、
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おさかなは、つかまえられて、魚市場へ売られて、買われて、台所へはこばれて、料理番の女中が大きなほうちょうで、おなかをさいたのです。女中は、そのとき兵隊を両手でつかんでおへやへ持っていきますと、みんなは、おさかなのおなかのなかの旅をして来ためずらしい勇士をみたがってさわいでいました。でもすずの兵隊はちっともとくいらしくはありませんでした。みんなは兵隊をつくえの上にのせました。すると――どうでしょう、世の中にはずいぶんな奇妙なことがあるものですね。すずの兵隊は、もといたそのへやへまたつれてこられたのです。兵隊はやはりせんの男の子にあいました。おなじおもちゃがそのうえにのっていました。かわいい踊ッ子のいるきれいなお城もありました。むすめはやはり片足でからだをささえて、片足を空にむけていました。この子もやはりしっかり者のなかまなのでした。これがすっかりすずの兵隊のこころをうごかしました。で、もう少しですずの涙をながすところでした。でも、そんなことは男のすることではありません。兵隊はむすめをじっとみました。むすめも兵隊の顔をみました。けれどおたがいになんにもものはいいませんでした。
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そうして、あくる日女中が、灰をかきだしますと、兵隊はちいさなすずのハート形になっていました。けれども踊ッ子のほうは、金ぱくだけがのこって、それは炭のようにまっくろにこげていました。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
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あるところに、二十五人のすずの兵隊さんがいました。この兵隊さんたちは、みんな兄弟でした。なぜって、みんなは、一本の古いすずのさじをとかして作られていましたから。
どの兵隊さんも、鉄砲をかついで、まっすぐ前をむいていました。着ている赤と青の軍服は、たいへんきれいでした。兵隊さんたちは、一つの箱の中に寝ていたのですが、そのふたがあけられたとき、この世の中でいちばん先に耳にしたのは、「すずの兵隊さんだ」という言葉でした。
そうさけんだのは、小さな男の子で、うれしさのあまり、手をたたいていました。その子は、誕生日のお祝いに、すずの兵隊さんたちをもらったのです。
男の子は、さっそく、兵隊さんたちを、テーブルの上にならべました。見ると、どの兵隊さんも、とてもよく似ていて、まるでそっくりです。ところが、中にひとりだけ、すこし変ったのがいました。
かわいそうに、その兵隊さんは、足が一本しかありません。それというのも、この兵隊さんは、いちばんおしまいに作られたものですから、そのときには、もうすずが足りなくなっていたというわけです。でも、その兵隊さんは、一本足でも、ほかの二本足の兵隊さんたちに負けないくらい、しっかりと立っていました。
では、この一本足の兵隊さんについて、これからおもしろいお話をしてあげましょう。
兵隊さんたちのいるテーブルの上には、ほかにもまだ、いろんなおもちゃがおいてありました。いちばん目につくのは、紙でつくった、きれいなお城でした。小さな窓からは、中の広間も見えます。お城の前には、小さな木が、何本か立っていました。その植えこみにかこまれて、小さな鏡がありました。これは池のつもりなのです。池の上には、ろうでできたハクチョウが、幾羽もあそんでいて、そのまっ白な姿が、池の上に美しくうつっていました。なにもかも、ほんとうにかわいらしく見えました。
でも、なんといっても、いちばんかわいらしいのは、開いたお城の門のところに立っている、小さな娘さんでした。やっぱり、この娘さんも、紙で作られてはいましたが、でもスカートなどは、それはそれはきれいなリンネルを使って、こしらえてありました。肩には、小さな、細い、青いリボンが、ショールのようにひらひらしていました。リボンのまんなかには、娘さんの顔くらいもある、大きな金モールのかざりがキラキラ光っていました。
小さな娘さんは、両腕をぐっと高くのばしていました。つまり、この娘さんは、踊り子だったのです。かたほうの足も、ずいぶん高くあげていました。この足が、一本足の兵隊さんには見えませんでした。それで、兵隊さんは、この娘さんも、きっと、ぼくと同じように、かた足しかないんだな、と思いました。
「あの人は、ぼくのお嫁さんにちょうどいいや」と、兵隊さんは考えました。「だけど、あの人は、ちょいとりっぱすぎるかな。なにしろ、ああして、お城に住んでいるっていうのに、ぼくときたら、こんな箱しかないんだからなあ。それも、ぼくひとりのものじゃなくて、二十五人も仲間がいっしょにいるんだもの。こんなところにゃ、あの人なんか住めそうもない。でも、お友だちくらいにでもなれりゃいいがなあ」
兵隊さんは、そのテーブルの上にあった、かぎたばこの箱のうしろに、ごろりと横になりました。そうしていれば、小さな美しい女の人が、よく見えたからです。その女の人は、うまくつりあいをとりながら、やっぱり、かた足で立っていました。
やがて、夜がふけました。ほかのすずの兵隊さんたちは、みんな、箱の中へ帰りました。うちの人たちも、寝床にはいりました。
すると、こんどは、おもちゃたちのあそぶ時間になりました。みんなは、お客さまごっこだの、戦争ごっこだの、舞踏会だのをはじめました。
すずの兵隊さんたちも、いっしょにあそびたくなって、箱の中で、しきりにガチャガチャやりました。けれども、どうしても、ふたをあけることができません。そのあいだにも、だんだん、にぎやかになりました。くるみわりがトンボ返りをうつかと思うと、石筆は石盤の上をはねまわります。ますますたいへんなさわぎになりました。とうとう、カナリアまでも目をさまして、みんなといっしょにおしゃべりをはじめました。もっとも、カナリアは、歌をうたっているのでしたけれど。
こんなさわぎの中でも、自分のいる場所を、ちっとも動かないものが、ふたりだけいました。あの一本足のすずの兵隊さんと、小さな踊り子です。娘さんは、あいもかわらず、つまさきでまっすぐ立って両腕を高く高くあげていました。兵隊さんも同じように、一本足でしっかり立っていましたが、目だけは、ほんのちょっとも、娘さんからはなしませんでした。
そのうちに、時計が十二時をうちました。とたんに、かぎたばこの箱のふたが、ポンとあきました。ところが、どうでしょう。中には、たばこははいっていなくて、そのかわりに、ちっぽけな黒おにがはいっていました。じつは、これは、しかけのしてある、おもちゃのびっくり箱だったのです。
「おい、すずの兵隊」と、その小おには言いました。「そんなに、いつまでもながめているなよ」
けれども、すずの兵隊さんは、なんにも聞えないようなふりをしていました。
「ふん、あしたの朝まで待つがいい」と、小おには言いました。
つぎの朝になりました。子供たちが起きてきて、すずの兵隊さんを、窓のところへ置きました。
すると、どうしたというのでしょう。あのいやらしい小おにのしたことか、それとも、すきま風のしたことか、それはわかりませんが、きゅうに窓がパタンとあいて、兵隊さんは、四階から下の道へ、まっさかさまに落ちていったのです。おそろしい速さです。一本足を上にむけ、軍帽を下にして、とうとう、往来のしき石のあいだに、剣のついた鉄砲の先をつっこんでしまいました。
すぐに、女中といっしょに、あの小さな男の子がおりてきて、さがしはじめました。ふたりは、もうすこしでふみつけそうになるくらい、兵隊さんのすぐそばまできたのですが、それでも、見つけることはできませんでした。もしも兵隊さんが、「ここですよ」とよびさえすれば、きっと見つかったでしょう。ところが、兵隊さんのほうは、軍服を着ているのだから、大きな声を出してさけんだりするのはみっともない、と思ったのです。
そのうちに、雨が降りだしました。はじめは、ぽつりぽつりと降っていましたが、だんだんひどくなって、とうとう、大つぶの雨になりました。
やがて、雨があがると、いたずら小僧がふたり、そこへやってきました。
「おい、見ろよ」と、ひとりが言いました。「あんなとこに、すずの兵隊が落っこちてるぞ。ボートに乗っけてやろうぜ」
そこで、ふたりは、新聞紙でボートをつくり、そのまんなかにすずの兵隊さんを乗せて、どぶに流しました。いたずら小僧どもは、そのそばを走りながら、手をたたいてよろこびました。
おやまあ、なんというひどい波でしょう! なんという速い流れでしょう! さっきの雨のために、どぶの水がふえて、流れはすっかり速くなっているのです。紙のボートは、はげしくゆれて、ときには、目がまわるほど、くるくるとまわります。そのたびに、すずの兵隊さんは、ぶるぶるふるえました。けれども、しっかりと立って、顔色ひとつかえずに、鉄砲をかついで、まっすぐ前を見つめていました。
きゅうに、ボートが、長いどぶ板の下にはいりました。とてもとても暗くて、まるで、あの箱の中にはいったときとおんなじです。
「いったい、ぼくは、どこへ行くんだろう?」と、兵隊さんは思いました。「そうだ、そうだ。こんなになったのも、きっと、あの小おにのやつのせいだ。ああ、せめて、あの小さな娘さんが、このボートに乗っていてくれたらなあ。そうすりゃ、この倍くらい暗くったって、平気なんだがなあ」
このとき、どぶ板の下に住んでいる大きなドブネズミが、姿をあらわしました。
「おい、ここを通る切符を持ってるか?」と、ドブネズミがたずねました。「おい、切符を持ってるかったら」
けれども、すずの兵隊さんは、だまりこくったまま、ただ、鉄砲を、かたくかたくにぎりしめました。ボートは、どんどん流れていきます。ドブネズミは、かんかんにおこって、あとを追いかけました。うわあ、歯をギリギリいわせて、木のきれっぱしや、わらにむかってどなっています。
「そいつをとめてくれえ! そいつをとめてくれえ! ここを通るのに、金もはらわなきゃ、切符も見せなかったんだ」
ところが、流れは、ますますはげしくなるばかりです。もう、どぶ板のむこうのはしに、明るいお日さまの光が、さしているのが見えてきました。ところが、たいへん。それといっしょに、どんなに勇ましい人でもふるえあがってしまいそうな、ゴーゴーいう音が聞えてきたのです。いったい、なんでしょう。それは、どぶの水が、どぶ板のおしまいのところで、大きな掘割りに落ちこんでいる音だったのです。あぶないこと、このうえもありません。なにしろ、わたしたち人間が、大きな滝にむかって流れていくのと同じことなのですからね。
ボートは、もう、すぐそのそばまで来ました。とめたくても、とめることもできません。いよいよ、ボートはどぶ板の外へ出ました。かわいそうに、すずの兵隊さんは、むがむちゅうで、からだをかたくしていました。でも、目をぱちぱちなんか、けっしてしませんよ。
ボートは、三、四回、くるくるとまわりました。もう、水はボートのふちまできています。いよいよ、沈むほかはありません。すずの兵隊さんは、首のところまで水につかりました。ボートは、ずんずん沈んでいきます。ボートの紙も、だんだんゆるんできました。とうとう、水は兵隊さんの頭の上までかぶさりました。――
そのとき、兵隊さんは、もう二度と見ることのできない、あのかわいらしい、小さな踊り子のことを思い出しました。すると、すずの兵隊さんの耳もとに、こんな歌が聞えてきました。
さようなら、さようなら、兵隊さん。
あなたは、死ななきゃならないのよ。
そのとき、ボートの紙がさけて、すずの兵隊さんは、水の中へ落ちました。と、その瞬間、大きなさかながおよいできたかと思うと、ぱっくり、兵隊さんをのみこんでしまいました。
おやまあ、さかなのおなかの中って、なんて暗いんでしょう! さっきのどぶ板の下なんかとは、くらべものになりません。おまけに、せまくるしくってたまりません。それでも、すずの兵隊さんはしっかりしていました。あいもかわらず、鉄砲をかついで、じっと横になっていました。――
それから、さかなは、しばらくおよぎまわっていましたが、きゅうに、ひどくあばれだしました。そのあげく、とうとう、動かなくなりました。そのうちに、いなずまのようなものが、ピカリと光りました。とたんに、明るい光がさしこんできました。そして、だれかが、
「あら、すずの兵隊さんだわ」と、大きな声でさけびました。
つまり、このさかなは、漁師につかまって、市場に持っていかれ、そこでお客に買われて、そうして、この台所にきたというわけなのです。そして、いま女中が大きなほうちょうで、このさかなのおなかを切ったところだったのです。
女中は、兵隊さんのからだのまんなかを、二本の指でつまんで、部屋に持っていきました。みんなは、さかなのおなかの中にはいって、あちこち旅をしてきた、このめずらしい人を見たがりました。でも、すずの兵隊さんは、そんなことを自慢したりはしません。
みんなは、すずの兵隊さんを、テーブルの上にのせました。すると、――おやおや、世の中には、ほんとうにふしぎなことがあるものですね。兵隊さんは、もといた部屋にもどってきていたのです。おなじみの子供たちの顔も見えます。テーブルの上にあるおもちゃも、おんなじです。それから、かわいらしい小さな踊り子のいる、あの美しいお城もあります。娘さんは、あいかわらず、かた足で立っていて、もう一方の足を高くあげていました。この娘さんも、ほんとうにしっかりしています。これを見ると、すずの兵隊さんはすっかり感心して、もうすこしで、すずの涙をこぼしそうになりました。だけど、涙をこぼすなんて、いくじがない、と思いました。
兵隊さんは、娘さんを見つめました。娘さんも、兵隊さんを見つめました。でも、ふたりとも、なんにも言いませんでした。
とつぜん、小さな男の子のひとりが、すずの兵隊さんをつかんだかと思うと、いきなり、ストーブの中へ投げこみました。どう考えても、そんなことをされるようなわけはありません。ですから、これも、きっと、あの箱の中の小おにのしわざなのでしょう。
すずの兵隊さんは、ほのおにあかあかと照らされて、おそろしい熱さを感じました。けれども、その熱さは、ほんとうの火のための熱なのか、それとも、心の中に燃えている愛のための熱なのか、はっきりわかりませんでした。美しい色は、もう、すっかり落ちてしまいました。それは、旅の途中でなくなったのか、それとも、深い悲しみのためにきえたのか、だれにもわかりません。
兵隊さんは、小さな娘さんを見つめていました。娘さんも、兵隊さんを見つめていました。そして、兵隊さんは、自分のからだがとけていくのを感じました。それでも、やっぱり、鉄砲をかついだまま、しっかりと立っているのでした。
そのとき、とつぜん、ドアがあいて、風がさっと吹きこんできました。踊り子は、まるで空気の精のように、ひらひらと吹きとばされて、ストーブの中のすずの兵隊さんのところへ飛んできました。と思うまもなく、あっというまに、めらめらと燃えあがって、消えてしまいました。もうそのときには、すずの兵隊さんもすっかりとけて、一つのかたまりになっていました。
あくる朝、女中がストーブの灰をかきだすと、兵隊さんは、小さなハート形の、すずのかたまりになっていました。踊り子のほうは、金モールのかざりだけがのこっていましたが、それも、まっ黒こげになっていました。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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むかしむかし、あるところに、ひとりの商人がいました。この人は、たいへんなお金持で、町の大通りをすっかりと、そのうえ小さな横町までも、銀貨でぎっしりと、しきつめることができるくらい、お金を持っていました。けれども、そんなことはしませんでした。もっとそれとはちがった、お金の使い方を知っていたのです。つまり、一シリング出せば、一ターレルもどってくる、というようなやり方です。この人は、そういうりこうな商人でした。――そのうちに、この人は死にました。
息子は、そのお金をみんな、もらいました。そして、毎日毎日、楽しくくらしていました。毎晩、仮装舞踏会へ出かけたり、お金の札でたこをこしらえたり、海へ行けば、石のかわりに、金貨で水切りをしてあそんだりしました。こんなふうでは、お金がいくらあったところで、すぐになくなってしまいます。ほんとにそのとおりで、どんどんなくなっていきました。しまいには、とうとう、四シリングだけになってしまいました。着るものといえば、スリッパが一足と、古い寝巻が一つあるだけです。
こうなると、友だちもだれひとり、相手にしてくれるものはありません。だって、これでは、大通りをいっしょに歩いても、はずかしくてやりきれませんからね。でも、なかに、親切な友だちがひとりいて、その友だちが、古いトランクを送ってよこして、
「荷物でも入れたまえ」と、言ってくれました。ほんとうに、なんといっていいかわからないほど、ありがたいことでした。といっても、このトランクにつめるようなものは、なんにもありません。そこで、自分が、その中にすわりました。
ところで、これはまた、まことにふしぎなトランクでした。錠をおせば、このトランクは、たちまちとびだすしかけになっていたのでした。ですから、この息子が錠をおすと、トランクは息子を乗せたなり、ヒューッ、と、えんとつの中をつきぬけて、高く高く雲の上までとびあがってしまったのです。そして、なおも、さきへさきへと、とんでいきました。
ところが、そのうちに、トランクの底のほうで、ミシミシいう音がしてきました。商人の息子は、トランクがこわれてしまうのではないかと、びくびくしました。そんなことにでもなれば、きっと、みごとなトンボ返りをやってのけるでしょうからね。こりゃあたまらん!
ところが、そうこうしているうちに、トルコ人の国へやってきました。息子は、トランクを森の中の枯れ葉の下にかくしておいて、町へ出かけました。寝巻に、スリッパという姿で。なぜって、トルコ人はだれもかれも、息子と同じように、寝巻を着て、スリッパをはいて、歩いていましたから。そのうちに、赤ん坊をだいた乳母に、出会いました。
「もし、トルコの乳母さん!」と、商人の息子は言いました。「あの町のすぐそばの、ほら、あんな高いところに窓のある、大きなお城は、いったい、どういうお城ですか?」
「あそこには、王さまのお姫さまが、住んでいらっしゃるんですよ」と、乳母は言いました。「じつはね、お姫さまは、お好きな人のために、たいそうふしあわせになるという、予言があるんです、ですから、王さまとお妃さまがいらっしゃる時でなければ、だれも、お姫さまのところへ行くことができないんですよ」
「ありがとう」と、商人の息子は言いました。それから、森の中へもどって、トランクの中にはいりました。そうして、お城の屋根の上へとんでいって、窓からお姫さまの部屋の中へもぐりこみました。
お姫さまは、長椅子に横になって、眠っていました。見れば、たいへん美しい方でしたので、商人の息子は、どうしてもキスをしないではいられなくなりました。お姫さまは、目をさまして、びっくりぎょうてんしました。でも、息子が、ぼくはトルコの神さまで、いま空をとんできたところです、と、言うと、お姫さまは安心しました。
そこで、ふたりは、ならんで腰をおろしました。息子は、お姫さまの目についてお話をしました。お姫さまの目は、なによりも美しい、黒い湖で、そこには、考えが人魚のように泳いでいます、と、ほめました。つづいて、息子は、お姫さまのひたいについてお話をしました。お姫さまのひたいは、このうえもなく美しい広間や絵を持った、雪の山です、と、ほめたたえました。それから、かわいい、小さな赤ちゃんを連れてくる、コウノトリについてのお話もしました。
どれもこれも、ほんとうにすてきなお話でした。それから、息子は、お姫さまに結婚してください、と、言いました。すると、お姫さまは、すぐに、はい、と、答えました。
「では、今度の土曜日に、ここへ来てくださいませね」と、お姫さまは言いました。「そのときには、王さまとお妃さまとが、あたしのところへおいでになって、お茶を召しあがりますの。あたしがトルコの神さまと結婚するということを、おふたりがお聞きになれば、きっと、ずいぶんご自慢になさるでしょう。でもね、そのときも、ほんとにおもしろいお話をしてくださいませね。おとうさまも、おかあさまも、とってもお話がお好きなんですのよ。おかあさまは、道徳的な、じょうひんなお話がお好きですわ。だけど、おとうさまは、聞いている人が、ふきだしてしまうような、おかしいお話がお好きですの」
「ええ、それでは、結婚の贈り物には、お話だけを持ってくることにします」と、息子は言いました。
それから、ふたりは、別れました。その別れぎわに、お姫さまは息子に、金貨のちりばめてある、サーベルをおくりました。これは、息子にとって、とくべつ役に立ちました。
さて、息子はとんで帰りました。そして、新しい寝巻を買い、森の中にすわって、お話を考えました。そのお話は、土曜日までに、作りあげなければなりません。ところが、いざ考えはじめてみると、どうしてどうして、やさしいことではありませんでした。
それでも、息子はどうにか、お話をつくりあげました。こうして、土曜日になりました。
王さま、お妃さま、それに宮廷じゅうの人々が、お姫さまのところでお茶を飲みながら、息子の来るのを、今か今かと待っていました。息子は、たいそうていねいに、むかえられました。
「では、お話をしてください」と、お妃さまが言いました。「深い意味があって、ためになるようなお話をね」
「だが、笑いださずにはいられんようなのをな」と、王さまが言いました。
「よろしゅうございます」と、息子は言って、話しはじめました。ひとつ、みんなで、このお話を聞くことにしましょう。
「むかしむかし、一たばのマッチがありました。このマッチたちは、家がらがよかったものですから、それを、たいそう自慢にしていました。その、もとの木というのは、マッチの小さなじく木が生れてきた、大きなマツの木のことなのです。それは、森の中の、大きな古い木でした。このマッチたちは、いま、たなの上で、火打箱と古い鉄なべとのあいだに横になって、自分たちの若いころのことを話していました。
『そう、ぼくたちが、緑の枝の上にいたときは』と、マッチたちは言いました。『ぼくたちは、ほんとうに、緑の枝の上にいたんですよ。あのころは、毎朝毎晩、ダイヤモンドのお茶がありました。もっとも、それは、露のことですがね。お日さまが照っているときは、一日じゅう、お日さまの光をあびていましたよ。小鳥たちは、みんな、いろんな話を聞かせてくれましたっけ。それに、ぼくたちはお金持でしたよ。なにしろ、かつよう樹たちなんかは、夏のあいだしか、着物を着ていられないんですが、ぼくたちの家族ときたら、夏でも冬でも、緑の着物を、ずっと着ていることができたんですからね。
ところが、そこへ木こりがやってきたんで、大革命が起ったってわけですよ。それで、ぼくたちの家族は、ちりぢりばらばらになってしまったんです。いちばんの本家は、船のメインマストになりました。その船は、世界じゅうを航海しようと思えば、航海できるくらい、りっぱな船なんですよ。ほかの枝も、それぞれ、別の地位につきました。ところでぼくたちは、こうして、下の階級の、一般の人たちのために、火をつけてあげる役目を持っているんです。まあ、こういうようなわけで、ぼくたちみたいな上の階級の人間が、こんな台所にやってきたんですよ』
『ぼくは、そんなのとは、ずいぶんちがってるよ』と、マッチたちのそばにいた、鉄なべが言いました。『ぼくは、世の中に生れてくると、すぐっから、何度もみがかれたり、煮られたりしたんだよ。ぼくは、長持ちするようにと、そればっかり、心にかけているんだ。ほんとのことを言えば、この家では、ぼくが第一番のものさ。ぼくのたった一つの楽しみは、御飯のあとで、気持よくさっぱりとなって、たなの上にすわり、仲間の者とおもしろいおしゃべりをすることだよ。けれど、手おけくんだけは、ときどき中庭へおりていくから、別としても、ぼくたちはいつも、家の中でばかり暮している。ぼくたちにあたらしいニュースを持ってきてくれるのは、市場に行く手かごくんだけなんだ。ただ、このひとは、政治とか人民のことを話しだすと、ひどく過激になってしまうがね。まったくのところ、ついこのあいだも、年とったつぼが、その話を聞くと、びっくりして、ころがり落ちて、こなごなになってしまったしまつだよ。あのひとは、危険な考えをもった人だ!』
『おまえさんは、すこし、しゃべりすぎるよ』と、火打箱が言いました。そして、火打がねを火打石に打ちつけたので、火花がとび散りました。『ひと晩を、ゆかいにすごそうじゃありませんか?』
『それがいい。じゃ、だれが、いちばんじょうひんか、それについて話しましょうよ』と、マッチたちが言いました。
『いいえ、あたしは、自分のことを話すのなんか、いやですわ』と、土なべが言いました。『どうでしょう、それよりも今夜は、なにか、よきょうでもなさっては! あたしが、はじめに、なにかお話ししましょう。みなさん、ご経験になったことですわ。それなら、みなさん、よくご存じのことですし、たいへんおもしろいと思いますの。バルト海のほとりの、デンマークの、ブナの木の森のそばに――』
『すばらしいはじまりだなあ!』と、お皿たちが、口をそろえて言いました。『これは、きっと大好きなお話になるよ』
『で、あたしは、ある静かな家庭で、若いころをすごしました。その家では、家具はきれいにみがかれて、床はていねいに洗われておりました。そしてカーテンは、二週間めごとに、あたらしい、きれいなのに、取りかえられたものです』
『きみの話は、なんておもしろいんだろう!』と、ほうきが言いました。『話しているのが、女のひとだってことは、すぐわかるよ。話を聞いてると、どことなく、清らかなものがある』
『まったく、だれでもそう思うよ』と、手おけが言いました。そして、うれしくなって、ちょっとはねあがったものですから、床の上に、ピシャッと、水がこぼれました。
土なべは話しつづけました。そして、終りのほうも、はじまりと同じように、すてきでした。
お皿たちは、みんなよろこんで、ガチャガチャ言いました。ほうきは、砂穴から緑のパセリを持ってきて、それで花輪のように、土なべをかざりました。こんなことをすれば、ほかのものたちを怒らせることはわかりきっていたのですが、おなかの中で、『きょう、ぼくがあのひとを飾ってあげれば、あしたは、あのひとがぼくを飾ってくれるだろう』と、こんなふうに、ほうきは考えたのです。
『じゃ、あたしは踊りましょう!』と、火ばしが言って、踊りだしました。おや、おや! どうして、あんなに片足を高く上げることができるのでしょう。むこうのすみにあった、古い椅子カバーが、それを見ると、思わず、ほころびてしまいました。『あたしも、花輪で飾っていただけるの?』と、火ばしは言いました。そして、そのとおりに、飾ってもらいました。
『まったく、つまらん連中ばっかりだ!』と、マッチたちは思いました。
今度は、お茶わかしが、歌をうたう番になりました。ところが、お茶わかしは、あたしは、いま、かぜをひいていますし、それに、煮たっている時でなければうたえません、と、申しました。でも、それは、ただおじょうひんぶって、そう言っているだけでした。つまり、ちゃんとご主人たちのいるテーブルの上でなければ、うたいたくなかったのです。
窓のところに、女中さんが字を書くとき、いつも使っている、古ペンがすわっていました。このペンについては、とくべつ取りたてて言うこともありませんでしたが、ただ、インキつぼの中に深くひたっていました。そして、それを、自慢に思っていました。
『お茶わかしさんが歌をうたいたくないのなら、それでもいいじゃありませんか。おもてのかごの中には、歌をうたえるナイチンゲールがおりますよ。といっても、あのひとは教育はないんですがね、でも、まあ、今夜は、わる口を言うのはよしましょうよ!』
『それは、だんぜん、いけないと思うわ』と、湯わかしが言いました。このひとは、台所の歌い手で、それに、お茶わかしとは腹ちがいの姉妹だったのです。『あたしたちの仲間でもない、あんなよその鳥の歌を聞くなんて! そんなこと、愛国的といえるでしょうか? 市場へ行く手かごさんに、きめていただきたいわ!』
『じつに、ふゆかいだ!』と、市場へ行く手かごが、言いました。『ぼくが、どんなにふゆかいか、だれにも想像できないでしょう。いったい、これが、今夜をおもしろくすごす、正しいやり方なんですかね? もっと家の中を、きれいに、きちんとしておくほうが、ほんとうじゃないですかね? みんな、それぞれ、自分の場所に帰るべきでしょう。ひとつ、ぼくが指図をすることにします。そうすれば、すこしはよくなるでしょう』
『そうだ、ひとさわぎ、やらかしましょう!』と、みんなが、口々に言いました。そのとたんに、ドアがあきました。女中さんがはいってきたので、みんなはしーんとして、だれひとり口をきくものはありませんでした。しかし、そこにいるおなべたちは、みんながみんな、心の中で、自分にできる力や、自分がどんなにじょうひんかということを、考えているのでした。
『そうだ、わたしがそのつもりになっていたら』と、みんなは思いました。『きっと、おもしろい晩になっていたろうに!』
女中さんがマッチを取って、火をつけました。――おやまあ、マッチはパッと火花を散らして、明るく燃えあがったではありませんか。
『さあ、これでわかったろう』と、マッチたちは心に思いました。『ぼくたちが、第一番のものだってことが! なんて、ぼくたちは、かがやいているんだろう! なんという明るさだろう!』――
こうして、マッチたちは燃えきってしまいました」
「すてきなお話でしたわ」と、お妃さまは言いました。「まるで、お台所のマッチたちのそばにいるような気がしましたわ。ようございます。娘は、おまえにあげましょう」
「よろしい」と、王さまが言いました。「月曜日に、娘はおまえにやることにしよう」ふたりとも、商人の息子のことを、「おまえ」と言いましたが、この息子がもう家族のひとりになったようなつもりで、そう呼んだのです。
こうして、婚礼の式がきまりました。そして、その前の晩は、町じゅうに、あかあかと、明りがともされました。みんなは、おいしいパンやビスケットを、ほしいだけもらいました。子供たちは、つまさきで立ちあがって、ばんざい、とさけんだり、指を口にあてて、口笛をふいたりしました。ふつうでは、とても見られない、それはそれはすばらしいありさまでした。
「うん、そうだ。ぼくもなにかやってみるか」と、商人の息子は考えました。そこで、打上げ花火やら、かんしゃく玉やら、そのほか、花火という花火を買いこんで、それをトランクの中に入れて、空へとびあがりました。
ポン、ポン! と、花火は空高くあがって、大きな音をたてて、爆発しました。
それを見ると、トルコ人たちは、みんなびっくりして、スリッパが耳のあたりまでとぶほど、はねあがりました。いままで、こんなにすごい空の光景を見たことがなかったのです。これで、お姫さまをもらう人が、トルコの神さまだということは、だれにもよくわかりました。
商人の息子は、トランクに乗って、また森の中へもどってきましたが、すぐに考えました。「ひとつ、町へ出かけていって、みんながどんなうわさをしているか、聞いてこよう」息子がそうしたいと思ったのも、まったくむりもない話です。
いや、ところが、人々の話というのはどうでしょう! 聞く人ごとに、めいめい、ちがったふうに見ていたのです。それでも、すばらしかったということだけは、だれの目にも、同じようにうつっていました。
「わたしはトルコの神さまを見ました」と、ひとりが言いました。「神さまの目は、キラキラ光る星のようでした。ひげは、まるで、あわだつ水のようでしたよ」
「神さまは、火のマントを着て、とんでいましたよ」と、ほかの者が言いました。「きれいなきれいな、かわいい天使さまたちが、マントのひだの間から、のぞいていましたっけ」
ほんとに、耳にはいるのは、すばらしいことばかりでした。おまけに、つぎの日は婚礼の日ときています。
商人の息子は、トランクの中へはいって、やすもうと思いながら、森へ帰ってきました。――ところが、どうしたというのでしょう! トランクは? トランクはどこでしょう? それは燃えてしまったのです。花火の火の子が、一つのこっていて、それから火がついて、トランクは灰になってしまったのです。こうなっては、もうとぶことができません。花嫁さんのところへ、ゆくこともできません。
花嫁さんは、一日じゅう、屋根の上に出て、待っていました。いまでも、まだ待っているのです。ところで、商人の息子のほうは、世界じゅうを歩きまわって、お話をしています。でも、あのマッチたちのお話をした時のように、おもしろい話はひとつもありません。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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かわいそうなヨハンネスは、おとうさんがひどくわずらって、きょうあすも知れないほどでしたから、もうかなしみのなかにしずみきっていました。せまいへやのなかには、ふたりのほかに人もいません。テーブルの上のランプは、いまにも消えそうにまばたきしていて、よるももうだいぶふけていました。
「ヨハンネスや、おまえはいいむすこだった。」と、病人のおとうさんはいいました。「だから、世の中へでても、神さまがきっと、なにかをよくしてくださるよ。」
そういって、やさしい目でじっとみながら、ふかいため息をひとつつくと、それなり息をひきとりました。それはまるでねむっているようでした。でも、ヨハンネスは泣かずにいられません、この子はもう、この世の中に、父親もなければ、母親もないし、男のきょうだいも、女のきょうだいもないのです。かわいそうなヨハンネス。ヨハンネスは、寝台のまえにひざをついて、死んだおとうさんの手にほおずりして、しょっぱい涙をとめどなくながしていました。そのうち、いつか目がくっついて、寝台のかたい脚にあたまをおしつけたなり、ぐっすり寝こんでしまいました。
寝ているうちに、ヨハンネスは、ふしぎな夢をみました。お日さまとお月さまとがおりて来て*礼拝をするところをみました。それから、なくなったおとうさんが、またげんきで、たっしゃで、いつもほんとうにうれしいときするようなわらい声をきかせました。ながい、うつくしい髪の毛の上に、金のかんむりをかぶったうつくしいむすめが、ヨハンネスに手をさしのべました。するとおとうさんが「ごらん、なんといいおよめさんをおまえはもらったのだろう。これこそ世界じゅうふたりとないうつくしいひとだ。」といいました。おや、とおもうとたん、ヨハンネスは目がさめました。うつくしい夢はかげもかたちもなくて、おとうさんは死んで、つめたくなって、寝台にねていました。たれひとりそこにはいません。なんてかわいそうなヨハンネス。
*ヨセフまたひとつ夢をみてこれをその兄弟に述べていいけるは我また夢をみたるに日と月と十一の星われを拝せりと。(創世記三七ノ九)
次の週に、死人はお墓の下にうまりました。ヨハンネスはぴったり棺につきそって行きました。これなりもう、あれほどやさしくしてくださったおとうさんの顔をみることはできなくなるのです。棺の上にばらばら土のかたまりの落ちていく音を、ヨハンネスはききました。いよいよおしまいに、棺の片はしがちらっとみえました。そのせつな、ひとすくい土がかかると、それもふさがってしまいました。みているうち、いまにも胸がちぎれそうに、かなしみがこみあげて来ました。まわりでうたうさんび歌がいかにもうつくしくきこえました。きくうちヨハンネスは、目のなかに涙がわきだして来ました。で、泣きたいだけ泣くと、かえって心持がはっきりして来ました。お日さまが、みどりぶかい木立の上に晴ればれとかがやいて、それは「ヨハンネス、そんなにかなしんでばかりいることはないよ。まあ、青青とうつくしい空をごらん。おまえのとうさんも、あの高い所にいて、どうかこのさきおまえがいつもしあわせでいられるよう、神さまにおねがいしているところなのだよ。」と、いっているようでした。「ああ、ぼく、あくまでいい人になろう。」と、ヨハンネスはいいました。「そうすれば、また天国でおとうさんにあうことになるし、あえたら、どんなにたのしいことだろう。そのときは、どんなにたくさん、話すことがあるだろう、そうして、おとうさんからも、ずいぶんいろいろのことをおしえてもらえるだろう。天国のりっぱな所もたくさんみせてもらえるだろう。それは生きているとき、地の上の話を、たんとおとうさんはしてくださったものだった。ああ、それはどんなにたのしいことになるだろうな。」
ヨハンネスは、こうはっきりとじぶんにむかっていってみて、ついほほえましくなりました。そのそばから、涙はまたほほをつたわってながれました。あたまの上で小鳥たちが、とちの木の木立のなかから、ぴいちくち、ぴいちくちさえずっていました。小鳥たちはおとむらいに来ていながら、こんなにたのしそうにしているのは、この死んだ人が、いまではたかい天国にのぼっていて、じぶんたちのよりももっとうつくしい、もっと大きいつばさがはえていることや、この世で心がけのよかったおかげで、あちらへいっても、神さまのおめぐみをうけて、いまではしあわせにくらしていることをよく知っているからでした。この小鳥たちが、緑ぶかい木立をはなれて、とおくの世界へとび立っていくところを、ヨハンネスはみおくって、じぶんもいっしょにとんでいきたくなりました。
けれども、さしあたりまず、大きな木の十字架を切って、それをおとうさんのお墓に立てなければなりません。さて、夕がた、それをもっていきますと、どうでしょう、お墓にはまあるく砂が盛ってあって、きれいな花でかざられていました。それはよその知らない人がしてくれたのです。なくなったおとうさんはいい人でしたから、ひとにもずいぶん好かれていました。
さて、あくる日朝はやく、ヨハンネスは、わずかなものを包にまとめ、のこった財産の五十ターレルと二、三枚のシリング銀貨とを、しっかり腰につけました。これだけであてもなしに世の中へ出て行こうというのです。いよいよ出かけるまえ、まず墓地へいって、おとうさんのお墓におまいりして、主のお祈をとなえてから、こういいました。
「おとうさん、さよなら。ぼくは、いつまでもいい人間でいたいとおもいます。ですから、神さまが、幸福にしてくださるように、たのんでください。」
ヨハンネスがこれからでていこうという野には、のこらずの花があたたかなお日さまの光をあびて、いきいきと、美しい色に咲いていました。そうして、風のふくままに、それが、がってんがってんしていました。「みどりの国へよくいらっしゃいましたね、ここはずいぶんきれいでしょう。」といっているようでした。けれど、ヨハンネスは、もういちどふりかえって、ふるいお寺におなごりをおしみました。このお寺で、ヨハンネスはこどものとき洗礼をうけました。日曜日にはきまって、おとうさんにつれられていって、おつとめをしたり、さんび歌をうたったりしました。そのとき、ふと、たかい塔の窓の所に、お寺の*小魔が、あかいとんがり頭巾をかぶって立っているのがみえました。小魔は目のなかに日がさしこむので、ひじをまげてひたいにかざしているところでした。ヨハンネスはかるくあたまをさげて、さよならのかわりにしました、小魔は赤い頭巾をふったり胸に手をあてたり、いくどもいくども、**投げキッスしてみせました。それは、ヨハンネスのためにかずかす幸福のあるように、とりわけ、たのしい旅のつづくようにいのってくれる、まごころのこもったものでした。
*家魔。善魔で矮魔の一種。ニース(Nis)。人間の家のなかに住み、こどもの姿で顔は老人。ねずみ色の服に赤い先の尖った帽子をかぶる。お寺にはこの仲間が必ずひとりずついて塔の上に住み、鐘をたたいたりするという。
**じぶんの手にせっぷんしてみせて、はなれている相手にむかってその手をなげる形。
ヨハンネスは、これから、大きなにぎやかな世間へでたら、どんなにたくさん、おもしろいことがみられるだろうとおもいました。それで、足にまかせて、どこまでも、これまでついぞ来たこともない遠くまで、ずんずんあるいて行きました。通っていく所の名も知りません。出あうひとの顔も知りません。まったくよその土地に来てしまっていました。
はじめての晩は、野ッ原の、枯草を積んだ上にねなければなりませんでした。ほかに寝床といってはなかったのです。でも、それがとても寝ごこちがよくて、王さまだってこれほどけっこうな寝床にはお休みにはなるまいとおもいました。ひろい野中に小川がちょろちょろながれていて、枯草の山があって、あたまの上には青空がひろがっていて、なるほどりっぱな寝べやにちがいありません。赤い花、白い花があいだに点点と咲いているみどりの草原は、じゅうたんの敷物でした。にわとこのくさむらとのばらの垣が、おへやの花たばでした。洗面所のかわりには、小川が水晶のようなきれいな水をながしてくれましたし、そこにはあしがこっくり、おじぎしながら、おやすみ、おはようをいってくれました。お月さまは、おそろしく大きなランプを、たかい青天井の上で、かんかんともしてくださいましたが、この火がカーテンにもえつく気づかいはありません。これならヨハンネスもすっかり安心してねられます。それでぐっすり寝こんで、やっと目をさますと、お日さまはもうとうにのぼって、小鳥たちが、まわりで声をそろえてうたっていました。
「おはよう。おはよう。まだ起きないの。」
お寺では、かんかん、鐘がなっていました。ちょうど日曜日でした。近所のひとたちが、お説教をききに、ぞろぞろでかけていきます。ヨハンネスも、そのあとからついていって、さんび歌のなかまにまじって、神さまのお言葉をききました。するうち、こどものとき、洗礼をうけたり、おとうさんにつれられて、さんび歌をいっしょにうたった、おなじみぶかいお寺に来ているようにおもいました。
お寺のそとの墓地には、たくさんお墓がならんでいて、なかには高い草のなかにうずまっているものもありました。それをみると、ヨハンネスは、おとうさんのお墓も草むしりして、お花をあげるものがなければ、やがてこんなふうになるのだとおもいました。そこで、べったりすわって、草をぬいてやったり、よろけている十字架をまっすぐにしてやったり、風でふきとんでいる花環をもとのお墓の所へおいてやったりしました。そんなことをしながら、ヨハンネスはかんがえました。
「たぶん、おとうさんのお墓にも、たれかが、おなじことをしておいてくれるでしょう、ぼくにできないかわりに。」
墓地の門そとに、ひとり、年よりのこじきがいて、よぼよぼ、松葉づえにすがっていました。ヨハンネスは、もっていたシリング銀貨をやってしまいました。それですっかりたのしくなり、げんきになって、またひろい世の中へでていきました。
夕方、たいへんいやなお天気になりました。どこか宿をさがそうとおもっていそぐうち、夜になりました。でもどうやら、小山の上にぽっつり立っているちいさなお寺にたどりつきました。しあわせと、おもての戸があいていたので、そっとそこからはいりました。そうして、あらしのやむまでそこにいることにしました。
「どこかすみっこにかけさせてもらおう。」と、ヨハンネスはいって、なかにはいっていきました。
「なにしろひどくくたびれている、すこし休まずにはいられない。」
こういって、ヨハンネスはそこにどたんとすわって、両手をくみあわせて、晩のお祈をいいました。こうして、いつか知らないまに寝込んで、夢をみていました。そのあいだに、そとでは、かみなりがなったり、いなづまが走ったりしていました。
やっと目がさめてみると、もう真夜中で、あらしはとうにやんで、お月さまが、窓からかんかん、ヨハンネスのねている所までさし込んでいました。ふとみると、本堂のまんなかに、死んだ人を入れた棺が、ふたをあけたまま置いてありました。まだお葬式がすんでいなかったのです。ヨハンネスは正しい心の子でしたから、ちっとも死人をこわいとはおもいません。それに死人がなにもわるいことをするはずのないことはよくわかっていました。生きているわるいひとたちこそよくないことをするのです。ところへ、ちょうど、そういう生きているわるい人間のなかまがふたり、死人のすぐわきに来て立ちました。この死人はまだ埋葬がすまないので、お寺にあずけておいてあったのです。それをそっと棺のなかに休ませておこうとはしずに、お寺のそとへほうりだしてやろうという、よくないたくらみをしに来たのです。死んだ人を、きのどくなことですよ。
「なんだって、そんなことをするのです。」と、ヨハンネスは声をかけました。「ひどい、わるいことです。エスさまのお名にかけて、どうぞそっとしてあげておいてください。」
「くそ、よけいなことをいうない。」と、そのふたりの男はこわい顔をしました。「こいつはおれたちをいっぱいはめたんだ。おれたちから金を借りて、かえさないまま、こんどはおまけにおッ死んでしまやがったんだ。おかげで、おれたちの手には、びた一文かえりやしない。だからかたきをとってやるのだ。寺のそとへ、犬ッころのようにほうりだしてやるのだ。」
「ぼく、五十ターレル、お金があります。」と、ヨハンネスはいいました、「これがもらったありったけの財産ですが、そっくりあなた方に上げましょう。そのかわり、けっしてそのかわいそうな死人のひとをいじめないと、はっきり約束してください。なあに、お金なんかなくってもかまわない。ぼくは手足はたっしゃでつよい、それにしじゅう神さまが守っていてくださるとおもうから。」
「そうか。」と、そのにくらしい男どもはいいました。「きさま、ほんとうにその金をはらうなら、おれたちもけっして手だしはしないさ、安心しているがいい。」
こういって、ふたりは、ヨハンネスのだしたお金をうけとって、この子のお人よしなのを大わらいにわらったのち、どこかへ出て行きました。でも、ヨハンネスは死人を、またちゃんと棺のなかへおさめてやって、両手を組ませてやりました。さて、さよならをいうと、こんどもすっかりあかるい、いい心持になって、大きな森のなかへはいっていきました。
森のなかをあるきながらみまわすと、月あかりが木立をすけてちらちらしているなかに、かわいらしい妖女たちのおもしろそうにあそんでいるのが目にはいりました。妖女たちはへいきでいました。それは、いま方はいって来たヨハンネスが、やさしい、いい人間だということをよく知っているからでした。わるい人間だけには、妖女のすがたがみたくとも見えないのです。まあ、かわいらしいといって、ほんとうに、指だけのせいもない妖女もいましたが、それぞれながい金いろの髪の毛を、金のくしですいていました。ふたりずつ組になって、木の葉や、たかい草の上にむすんだ大きな露の玉の上でぎったんばったんしていました。ときどきこの露の玉がころがりだすと、のっているふたりもいっしょにころげて、ながい草のじくのあいだでとまります。すると、ほかのちいさいなかまに、わらい声とときの声がおこりました。それはずいぶんおもしろいことでした、そのうち、みんな歌をうたいだしましたが、きいているうち、ヨハンネスは、こどものじぶんおぼえた歌を、はっきりおもいだしました。銀のかんむりをあたまにのせた大きなまだらぐもが、こちらの垣からむこうの垣へ、ながいつり橋や御殿を網で張りわたすことになりました。さて、そのうえにきれいな露がおちると、あかるいお月さまの光のなかでガラスのようにきらきらしました。こんなことがそれからそれとつづいているうち、お日さまがおのぼりになりました。すると、妖女たちは、花のつぼみのなかにはい込みました。朝の風が、つり橋やお城をつかむと、それなり大きなくもの網になって、空の上にとびました。
さて、ヨハンネスがいよいよ森を出ぬけようとしたとき、しっかりした男の声で、うしろからよびとめるものがありました。
「もしもし、ご同行、どこまで旅をしなさる。」
「あてもなくひろい世間へ。」と、ヨハンネスはいいました。「父親もなし、母親もなし、たよりのないわかものです。でも神さまは、きっと守ってくださるでしょう。」
「わたしも、あてもなく世間へでていくところだ。」と、その知らないひとはいいました。「ひとつ、ふたりでなかまになりましょうか。」
「ええ、そうしましょう。」と、ヨハンネスもいいました。そこで、ふたりは、いっしょに出かけました。じき、ふたりは仲よしになりました。なぜといって、ふたりともいい人たちだったからです。ただ、ヨハンネスは、この知らない道づれが、じぶんよりもはるかはるかかしこい人だということに、気がつきました。この人は世界じゅうたいていあるいていて、なんだって話せないことはないくらいでした。
お日さまが、もうすいぶんたかくのぼったので、ふたりは大きな木の下に腰をおろして、朝の食事にかかかりました。そこへ、ひとりのおばあさんがあるいて来ました。いやはや、ずいぶんなおばあさん、まるではうように腰をまげてあるいて、やっとしゅもくづえにすがっていました。それでも、森でひろいあつめたたきぎをひとたば、せなかにのせていました。前掛が胸でからげてあって、ヨハンネスがふとみると*しだの木のじくにやなぎの枝をはめた大きいむちが三本、そこからとびだしていました。で、ふたりのいるまえをよろよろするうち、片足すべらしてころぶとたん、きゃあとたかい声をたてました。きのどくに、このおばあさん、足をくじいたのですね。
*しだの木は魔法の木。しだの木のむちに、やなぎの枝の柄をはめる。
ヨハンネスはそのとき、ふたりでおばあさんをかかえて、住居までおくっていってやろうといいました。道づれの知らない人は、はいのうをあけて、小箱をだして、いや、このなかにこうやくがはいっている、これをつければ、すぐと足のきずがなおって、もとどおりになるから、ひとりでうちへかえれて、足をくじいたことなぞないようになるといいました。そして、そのかわりに、といっても、なあに、その前掛にくるんでいる三本のむちをもらうだけでいいのだがね、といいました。
「とんだ高い薬代だの。」と、おばあさんはいって、なぜかみょうに、あたまをふりました。
それで、なかなか、このむちを手ばなしたがらないようすでしたが、くじいた足のままそこにたおれていることも、ずいぶんらくではないので、とうとう、むちをゆずることになりました。そのかわり、ほんのちょっぴりくすりをなすったばかりで、このおばあさん、すぐぴんと足が立って、まえよりもたっしゃに、しゃんしゃんあるいていきました。これはまさしく、このこうやくのききめでした。でも、それだけに、薬屋などでめったに手にはいるものではありません。
「そんなむちみたいなもの、なんにするんです。」と、ヨハンネスは、そこで旅なかまにたずねました。
「どうして、三本ともけっこうな草ぼうきさ。」と、相手はいいました。「こんなものをほしがるのは、わたしもとんだかわりものさね。」
さて、それからまた、しばらくの道のりを行きました。
「やあ、いけない、空がくもって来ますよ。」と、ヨハンネスはいいました。「ほら、むくむく、きみのわるい雲がでて来ましたよ。」
「いんや。」と、旅なかまはいいました。「あれは雲ではない。山さ。どうしてりっぱな大山さ。のぼると雲よりもたかくなって、澄んだ空気のなかに立つことになる。そこへいくと、どんなにすばらしいか。あしたは、もうずいぶんとおい世界に行っていることになるよ。」
でも、そこまでは、こちらでながめたほど近くはありませんでした。まる一日たっぷりあるいて、やっと山のふもとにつきました。見あげると、まっくろな森が空にむかってつっ立っていて、町ほどもありそうな大きな岩がならんでいました。それへのぼろうというのは、どうしてひととおりやふたとおり骨の折れるしごとではなさそうです。そこで、ヨハンネスと旅なかまは、ひと晩、ふもとの宿屋にとまって、ゆっくり休んで、あしたの山のぼりのげんきをやしなうことにしました。
さて、その宿屋の下のへやの、大きな酒場には、おおぜい人があつまっていました。人形芝居をもって旅まわりしている男が来て、ちょうどそこへ小さい舞台をしかけたところでした。みんなはそれをとりまいて、幕のあくのを待つさいちゅうでした。ところで、いちばんまえの席は、ふとった肉屋のおやじが、ひとりでせんりょうしていましたが、それがまた最上の席でもあったでしょう。しかも大きなブルドッグが、それがまあなんとにくらしい、くいつきそうな顔をしていたでしょう。そやつが主人のわきに座をかまえて、いっぱし人間なみに、大きな目をひからしていました。
そのうち、芝居がはじまりましたが、それは王さまと女王さまの出てくる、なかなかおもしろい喜劇でした。ふたりの陛下は、びろうどの玉座に腰をかけて、どうしてなかなかの衣裳もちでしたから、金のかんむりをかぶって、ながいすそを着物のうしろにひいていました。ガラスの目玉をはめて、大きなうわひげをはやした、それはかわいらしいでくのぼうが、どの戸口にも立っていて、しめたり、あけたり、おへやのなかにすずしい風のはいるようにしていました。どうもなかなかおもしろい喜劇で、いい気ばらしになりました。そのうち、人形の女王さまは立ち上がって、ゆかの上をそろそろあるきだしました。そのときまあ、れいのブルドッグが、いったい、なんとおもったのでしょうか、それをまた主人がおさえもしなかったものですから、いきなり、舞台にとびだして来て、おやというまもなく、女王さまのかぼそい腰をぱっくりかみました。とたん、「がりッがりッ」という音がきこえました。いやはや、おそろしいことでした。
かわいそうに、人形つかいの男はすっかりしょげて、女王さまの人形をかかえて、おろおろしていました。それは一座のなかでも、いちばんきりょうよしの人形でしたのに、にくにくしいブルドッグのために、あたまをかみきられてしまったのですからね。けれども、みんな見物が散ってしまったあと、ヨハンネスといっしょにみに来ていた旅なかまが、こんども、そのきずをなおしてやろうといいだしました。そこで、れいの小箱をあけて、おばあさんのくじいた足を立たせてやったあのこうやくを、人形にぬってやりました。人形は、こうやくをぬってもらうと、さっそくきずがきれいになおって、おまけに、じぶんで手足までたっしやにうごかせるようになりました。もう糸であやつることもいらなくなりました。人形はまるで、生きた人のようでした。ただ口がきけないだけです。人形芝居の親方は、どんなによろこんだでしょう。人形つかいがつかわないでも、この人形は勝手にじぶんでおどれるのです。これは、ほかの人形にまねのならないことでした。
夜中になって、宿屋にいた人たちがのこらず寝しずまろうというとき、どこかでしくしくすすり泣く声がして、いつまでもやまないものですから、みんな気にして起きあがって、いったい、たれが泣いているのか見ようとしました。それがどうも人形芝居の舞台のほうらしいので、親方がすぐ行ってみますと、でくのぼうは、王さまはじめのこらずの近衛兵がかさなりあって、そこにころがっていました。いまし方かなしそうにしくしくやっていたのは、このガラス目だまをきょとんとさせている人形なかまであったのです。それは、女王さまとおなじように、ちよっぴり、こうやくをぬってもらって、じぶんで勝手にうごけるようになりたいというのです。すると、女王さまもそばで、べったりひざをついて、そのりっぱな金かんむりをたかくささげながら「どうぞ、わたくしからこのかんむりをおとりあげください、そのかわり、夫にも、家来たちにも、どうぞお薬をぬっていただけますように。」といのりました。そうきいて、この人形芝居の親方は、きのどくに、人形たちが、ふびんでふびんでついいっしょに泣きだしました。親方はそこで、旅なかまにたのんで、あすの晩の興行のあがりをのこらずさしあげます。どうぞ、せめて四つでも五つでも、なかできりょうよしな人形にだけでも、こうやくを塗ってやってはもらえますまいかと、くれぐれたのみました。ところで、旅なかまは、ほかのものは一切いらない、わたしのほしいのは、そのおまえさんの腰につるしている剱だけだといいました。そうして、剱を手に入れると、六つの人形のこらずにこうやくをぬってやりました。すると人形たちは、さっそくおどりだしました。しかもその踊のうまいこと、そこにみていたむすめたちが、生きている人間のむすめたちのこらずが、すぐといっしょにおどりださずにはいられないくらいでした。するうち、御者と料理番のむすめも、つながっておどりだしました。給仕人もへや女中も、おどりだしました。お客たちも、いっしょにおどりだしました。とうとう十能と火ばしまでが、組になっておどりだしました。でも、このひと組は、はじめひとはねはねると、すぐところんでしまいました。いやもう、ひと晩じゅう、にぎやかで、たのしかったことといったら。
つぎの朝、ヨハンネスは旅なかまとつれ立って、みんなからわかれて行きました。高い山にかかって、大きなもみの林を通っていきました。山道をずんずんのぼるうちに、いつかお寺の塔が、ずっと目のしたになって、おしまいにはそれが、いちめんみどりのなかにぽっつりとただひとつ、赤いいちごの実をおいたようにみえました。もうなん里もなん里もさきの、ついいったことのない遠方までがみはらせました。――このすばらしい世界に、こんなにもいろいろとうつくしいものを、いちどに見るなんということを、ヨハンネスは、これまでに知りませんでした。お日さまは、さわやかに晴れた青空の上からあたたかく照りかがやいて、峰と峰とのあいだから、りょうしの吹く角笛が、いかにもおもしろく、たのしくきこえました。きいているうちにもう、うれし涙が目のなかにあふれだしてくると、ヨハンネスは、おもわずさけばずにはいられませんでした。
「おお、ありがたい神さま、こんないいことをわたしたちにしてくださって、この世界にあるかぎりのすばらしいものを、惜しまずみせてくださいますあなたに、まごころのせっぷんをささげさせてください。」
旅なかまも、やはり、手を組んだまま、そこに立って、あたたかなお日さまの光をあびているふもとの森や町をながめました。ちょうどそのときふと、あたまの上で、なんともめずらしく、かわいらしい声がしました。ふたりがあおむいてみると、大きいまっ白なはくちょうが一羽、空の上に舞っていました。そのうたう声はいかにもうつくしくて、ほかの鳥のうたうのとまるでちがっていました。でも、その歌が、だんだんによわって来たとき、鳥はがっくりうなだれました。そうして、それは、ごくものしずかに、ふたりの足もとに落ちて来ました。このうつくしい鳥は死んで、そこに横たわっているのです。
「こりゃあ、そろってみごとなつばさだ。」と、旅なかまはいいました。「どうだ、このまっ白で大きいこと、この鳥のつばさぐらいになると、ずいぶんの金高だ、これは、わたしがもらっておこう。みたまえ、剱をもらって来て、いいことをしたろうがね。」
こういって、旅なかまは、ただひとうち、死んだはくちょうのつばさを切りおとして、それをじぶんのものにしました。
さて、ふたりは山を越えて、またむこうへなん里もなん里も旅をつづけていくうちに、とうとう、大きな町のみえる所に来ました。その町にはなん百とない塔がならんで、お日さまの光のなかで、銀のようにきらきらしていました。町のまんなかには、りっぱな大理石のお城があって、赤い金で屋根が葺けていました。これが王さまのお住居でした。
ヨハンネスと旅なかまとは、すぐ町にはいろうとはしないで、町の入口で宿をとりました。ここで旅のあかをおとしておいて、さっぱりしたようすになって、町の往来をあるこうというのです。宿屋のていしゅの話では、王さまという人は、心のやさしい、それはいいひとで、ついぞ人民に非道をはたらいたことはありません。ところがその王さまのむすめというのが、やれやれ、なさけないことにひどいわるもののお姫さまだというのです。きりょうがすばらしくよくて、世にはこんなにもしとやかな人があるものかとおもうほどですが、それがなんになるでしょう、このお姫さまがいけない魔法つかいで、もうそのおかげで、なんどとなくりっぱな王子が、いのちをなくしました。――それはたれでもお姫さまに結婚を申しこむおゆるしが出ていて、それは王子であろうとこじきであろうと、たれでもかまわない、というのですが、そのかわり、お姫さまのおもっている三つのことをたずねられたら、それをそっくりあてなければならないのです。そのかわり、あたればお姫さまをおよめにして、おとうさまの王さまのおかくれになったあとでは、けっこうこの国の王さまにもなれる。けれどもその三つともあたらなければ、首をしめられるか、切られるかしなければなりません。このうつくしいお姫さまが、こんなにもひどい、わるものなのでした。おとうさまの老王さまも、そのことでは、ずいぶんつらがっておいでなのですが、そんなむごたらしいことをするなととめるわけにいかないというのは、いつかお姫さまのむこえらみについては、けっして口だししないといいだされたため、お姫さまはなんでもじぶんのしたいままにしてよいことになっているからです。それで、あとから、あとから、ほうぼうの国の王子が代る代るやつて来て、なぞをときそこなっては、首をしめられたり、切られたりしました。そのくせ、まえもっていいきかされていることですから、なにも申込をしなければいいのですが、やはりお姫さまをおよめにたれもしたがりました。お年よりの王さまは、かさねがさねこういうかなしい不幸なことのおこるのを、心ぐるしくおもって、年に一日、日をきめて、のこらずの兵隊をあつめて、ともども神さまのまえにひれ伏して、どうか王女が善心にかえるようにとせつないおいのりをなさるのですが、をなさるのですが、お姫さまはどうしてもそれをあらためようとはしないのです。この町で年よりの女たちが、ブランデイをのむにも、黒くしてのむのは、それほどかなしがっている心のしょうこをみせるつもりでしょう。まあ、そんなことよりほかにしょうがないのですよ。
「いやな王女だなあ。」と、ヨハンネスはいいました。「そんなのこそ、ほんとうにむちでもくらわしたら、ちっとはよくなるかもしれない。わたしがそのお年よりの王さまだったら、とうにひどくこらしめてやるところなのに。」
そのとき、そとで、町の人たちが、万歳万歳とさけぶ声がしました。ちようど王女のお通りなのです。なるほど、王女はじつに目のさめるようなうつくしさで、このお姫さまがわるい人間だということをわすれさせるほどでしたから、ついたれも万歳をさけばずにはいられなかったのです。十二人のきれいな少女がおそろいの白絹の服で、手に手に金のチューリップをささげてもち、まっ黒な馬にのって、両わきにしたがいました。王女ご自身は、雪とみまがうような白馬に、ダイヤモンドとルビイのかざりをつけてのっていました。お召の乗馬服は、純金の糸を織ったものでした、手にもったむちは、お日さまの光のようにきらきらしました。あたまにのせた金のかんむりは、大空のちいさな星をちりばめたようですし、そのマントはなん千とないちょちょうのはねをあつめて、縫いあわせたものでした。そのくせ、そんなにしてかざり立てたのこらずの衣裳も、王女みずからのうつくしさにはおよびませんでした。
ヨハンネスは、王女をみたせつな、顔いちめんかっと赤くほてって、ただひとしずくの血のしたたりのようになりました。もうひと言もものがいえなくなりました。まあ、この王女は、おとうさんのなくなった晩、ヨハンネスが夢でみた、あの金のかんむりのうつくしいむすめにそっくりなのです。あんまりうつくしいので、いやおうなしに、いきなり大好きにさせられてしまいました。この人が、じぶんのかけたなぞが、そのとおりにとけないといって、ひとの首をしめたり、きらせたりするわるい魔法つかいの女だなんて、そんなはずがあるものか。「たれでも、それは、この上ないみじめなこじきでも、お姫さまに結婚を申し込むことはかまわないということだ。よし、ぼくもお城へでかけよう。
「どうしたっていかずにはいられないもの。」
ところでみんなは、口をそろえて、そんなまねはしないがいい、ほかのものと同様、うきめをみるにきまっているといいました。
旅なかまも、やはり、おもいとまるようにいいきかせました。でも、ヨハンネスは、大じょうぶ、うまくやってみせますといって、くつと上着のちりをはらって、顔と手足をあらって、みごとな金髪にくしを入れました。それからひとりで町へでていって、お城の門まで来ました。
「おはいり。」ヨハンネスが戸をたたくと、なかで、お年よりの王さまがおこたえになりました。――ヨハンネスがあけてはいると、ゆったりした朝着のすがたに、縫いとりした上ぐつをはいた王さまが、出ておいでになりました。王冠をあたまにのせて、王しゃくを片手にもって、王さまのしるしの地球儀の珠を、もうひとつの手にのせていました。
「ちょっとお待ちよ。」と、王さまはいって、ヨハンネスに手をおだしになるために、珠を小わきにおかかえになりました。ところが、結婚申込に来た客だとわかると、王さまはさっそく泣きだして、しゃくも珠も、ゆかの上にころがしたなり、朝着のそでで、涙をおふきになるしまつでした。おきのどくな老王さま。
「それは、およし。」と、王さまはおっしゃいました。「「ほかのもの同様、いいことはないよ。では、おまえにみせるものがある。」
そこで、王さまは、ヨハンネスを、王女の遊園につれていきました。なるほどすごい有様です。どの木にもどの木にも、三人、四人と、よその国の王さまのむすこたちが、ころされてぶら下がっていました。王女に結婚を申し込んで、もちだしたなぞをいいあてることができなかった人たちです。風がふくたんびに、死人の骨がからから鳴りました。それを、小鳥たちもこわがって、この遊園には寄りつきません。花という花は、人間の骨にいわいつけてありました。植木ばちには、人間のしゃりッ骨が、うらめしそうに歯をむきだしていました。まったく、これが王さまのお姫さまの遊園とはうけとれない、ふうがわりのものでした。
「ほらね、このとおりだ。」お年よりの王さまは、おっしゃいました。「いずれおまえも、ここにならんでいる人たちとそっくりおなじ身の上になるのだから、これだけはどうかやめておくれ。わたしになさけないおもいをさせないでおくれ。わしは心ぐるしくてならないのだからな。」
ヨハンネスは、この心のいいお年よりの王さまのお手にせっぷんしました。そうして、わたくしはうつくしいお姫さまを心のそこからしたっています。きっと、うまくいくつもりですといいました。
そういっているとき、当のお姫さまが、侍女たちのこらず引きつれて、馬にのったまま、お城の中庭へのり込んで来ました。そこで、王さまも、ヨハンネスもそこへいってあいさつしました。お姫さまはそれこそあでやかに、ヨハンネスに手をさし出しました。それで、よけい好きになりました。世間の人たちがうわさするように、このひとがそんなわるい魔法つかいの女なぞであるわけがありません。それから、みんなそろって広間へあがると、かわいいお小姓たちが、くだもののお砂糖漬だの、くるみのこしょう入りのお菓子だのをだしました。でも、王さまはかなしくて、なんにもお口に入れるどころではなく、それに、くるみのこしょう入お菓子はかたくて、お年よりには歯が立ちませんでした。
さて、ヨハンネスは、そのあくる日、またあらためてお城へくることになりました。そこに審判官と評定官のこらずがあつまって、問答をきくことになっていました。はじめの日うまく通れば、そのあくる日また来られます。でも、これまでは、もう最初の日からうまくいったためしがないのです。そうなれば、いやでもいのちひとつふいにしなくてはなりません。
ヨハンネスは、いったいどうなるかなんのという心配はしません。ただもううきうきと、うつくしいお姫さまのことばかりかんがえていました。そうしておめぐみぶかい神さまが、きっとたすけてくださるとかたく信じていました。ではどういうふうにといっても、それはわかりません。そんなことはかんがえないほうがいいとおもっていました。そこで、宿へかえる道道も、往来をおどりおどりくると、旅なかまが待ちかまえていました。
ヨハンネスは、王女がやさしくもてなしてくれたこと、いかにもうつくしいひとだということ、それからそれととめどなく話しました。あしたはいよいよお城へでかけて、みごとになぞをいいあてて、運だめしをするのだといって、もうそればかり待ちこがれていました。
けれども、旅なかまは、かぶりをふって、うかない顔をしていました。
「わたしは、とてもきみを好いているのだ。」と、旅なかまはいいました。「だから、おたがいこれからもながくいっしょにいたいとおもうのに、これなりおわかれにならなくてはならない。ヨハンネス、きみはきのどくなひとだよ。わたしは泣きたくてならないが、こうしているのも今夜かぎりだろうから、せっかくのきみのたのしみをさまたげるでもない。愉快にしていようよ。大いに愉快にね。泣くことなら、あす、きみのでていったあとで、存分に泣けるからな。」
お姫さまのところへ、あたらしい結婚の申し込み手がやって来たことを、もうさっそく町じゅうの人たちが知っていました。それで、たれも大きなかなしみにおそわれました。芝居は木戸をしめたままです。お菓子屋さんたちは申しあわせたように、小ぶたのお砂糖人形を黒い、喪のリボンで巻きました。王さまは、お寺で坊さんたちにまじって、神さまにお祈をささげました。どこもかしこもしめっぽいことでした。それはどうせ、ヨハンネスだけに、これまでのひとたちとちがったいい目が出ようとは、たれにもおもえなかったからでした。
その夕方、旅なかまは、大きなはちにいっぱい、くだもののお酒のポンスをこしらえて来て、それでは大いに愉快にやって、ひとつ王女殿下の健康をいわって乾杯しようといいました。ところが、ヨハンネスは、コップに二はいのむと、もうすっかりねむくなって、目をあけていることができなくなり、そのままぐっすり寝込んでしまいました。旅なかまは、ヨハンネスをそっといすからだき上げて寝床に入れました。夜がふけて、そとはまっくらやみになりました。旅なかまは、れいのはくちょうから切りとった二枚の大きなつばさを、しっかりと、肩にいわいつけました。そうして、あのころんで足をくじいたおばあさんからもらった三本のむちのなかの、いちばんながいのをかくしにつっこむと、窓をあけて、町の丘から、お城のほうへ、ひらひらとんでいきました。それから王女の寝べやの窓下に来て、そっと片すみにしのんでいました。
町はひっそりしていました。ちょうど時計は十二時十五分まえをうったところです。ふと窓があいたとおもうと、王女はながい白マントの上に、まっ黒なつばさをつけて、ひらりと舞い上がりました。町の空をつっきって、むこうの大きな山のほうへとんでいきました。ところで、旅なかまは、王女に気づかれないように、からだをみえなくしておいて、そのあとを追いながら、王女をむちでうちました。うたれるそばから、ひどく血がでました。ほほう、たいへんな空の旅があったものですね。風が王女のマントを、それこそ大きな舟の帆のように、いっぱいにふくらませて行く上から、ほんのりとお月さまの光がすけてみえました。
「おお、ひどいあられだ、ひどいあられだ。」
王女は、むちのあたるたんびにこういいました。なに、ぶたれるのはあたりまえです。それでもやっと山まで来て、とんとん戸をたたきましたとたんに、ごろごろひどいかみなりの音がして、山はぱっくり口をあきました。王女はなかへはいりました。旅なかまもつづいてはいりました。でも、姿がみえなくしてあるので、たれも気がつきません。ふたりがながい廊下をとおっていくと、両側の壁が奇妙にきらきら光りました。それは、なん千とない火ぐもが、壁の上をぐるぐるかけまわって、火花のように光るためでした。それから、金と銀でつくってある大広間にはいりました。そこには、ひまわりぐらい大きい赤と青の花が、壁できらきらしていました。でもその花をつむことはできません。というのは、その花のじくがきみのわるい毒へびで、花というのも、その大きな口からはきだすほのおだからです。天井には、いちめん、ほたるが光っているし、空いろのこうもりが、うすいつばさをばたばたさせていました。じつになんともいえないかわったありさまでした。ゆかのまん中に、王さまのすわるいすがひとつすえてあって、これを四頭の馬のがい骨が背中にのせていました。その馬具はまっ赤な火ぐもでした。さて、そのいすは、乳いろしたガラスで、座ぶとんというのも、ちいさな黒ねずみがかたまって、しっぽをかみあっているものでした。いすの上に、ばらいろのくもの巣でおった天蓋がつるしてあって、それにとてもきれいなみどり色したかわいいはえが、宝石をちりばめたようにのっていました。ところで、王冠をかぶって、王しゃくをかまえて、にくらしい顔で、王さまのいすにじいさんの魔法つかいが、むんずと座をかまえていました。魔法つかいはそのとき、王女のひたいにせっぷんすると、すぐわきのりっぱないすにかけさせました。やがて音楽がはじまりました。大きな黒こおろぎが、ハーモニカをふいて、ふくろうが太鼓のかわりに、はねでおなかをたたきました。それは、とぼけた音楽でした。かわいらしい、豆粒のような小鬼どもは、ずきんに鬼火をつけて、広間のなかをおどりまわりました。こんなにみんないても、たれにも旅なかまの姿はみえませんでしたから、そっと王さまのいすのうしろに立ってて、なにもかもみたりきいたりしました。さて、そこへひとかど、もったいらしく気どって、魔法御殿のお役人や女官たちが、しゃなりしゃなり出て来ました。でも正しくもののみえる目でみますと、すぐとばけの皮があらわれました。それはほうきの柄にキャベツのがん首をすげたばけもので、それが縫いとりした衣裳を着せてもらって、魔法つかいの魔法で、息を吹き込んでもらって、動いているだけでした。どのみち、こけおどかしにしていたことで、なにがどうだってかまったことはありません。
しばらくダンスがあったあとで、王女は魔法つかいに、あたらしく、結婚の申し込み手の来たことを話しました。それで、あしたの朝お城へやってくるが、相手をためすには、なにを心におもっていることにしようか、相談をかけました。
「よろしい、おききなさいよ。」と、魔法つかいはいいました。「まあ、なんでもごくたやすいことをかんがえるのさ。すると、かえって、わからないものだ。そう、じぶんのくつのことでもかんがえるのだなあ。それならまずあたるまい。それで首をきらせてしまう。ところで、あすの晩くるとき、その男の目だまをもってくることを、わすれないようにな。久しぶりでたべたいから。」
王女は、ていねいにあたまをさげて、目だまはわすれずにもって来ますといいました。魔法つかいが山をあけてやりますと、王女はお城へとんでかえりました。でも、旅なかまはどこまでもあとについていって、したたかむちでぶちました。王女は、あられがひどい、ひどいとこぼし、こぼし、一生けんめいにげて、やっと寝べやの窓から、なかへはいりました。旅なかまも、それなり宿のほうへとんでかえっていきますと、ヨハンネスは、まだねむったままでしたから、そっとつばさをぬいで、じぶんも床にはいりました。なにしろ、ずいぶんつかれていたでしょうからね。
さて、あくる日まだくらいうちから、ヨハンネスは目をさましました。旅なかまもいっしょに起きて、じつにゆうべはふしぎで、お姫さまと、それからお姫さまのくつの夢をみたという話をして、だから、ためしに、お姫さま、あなたはごじぶんのくつことをおもって、それをきこうとなさるのでしょうといってごらん、といいました、これは、山で魔法つかいのいったことばを、そっくりきいていっているだけなのですが、そんなことはおくびにもださず、ただ、王女がじぶんのくつのことをかんがえていやしないか、きいてみよとだけいったのです。
「ぼくにしてみれば、なにをどうこたえるのもおなじです。」と、ヨハンネスはいいました。「たぶんあなたが夢でごらんになったとおりでしょう。それはいつだって、やさしい神さまが、守っていてくださるとおもって、安心しているのですからね。けれど、おわかれのごあいさつだけはしておきましょうよ。答をまちがえれば、もう、二どとおめにかかれないんですから。」
そこで、ふたりはせっぷんしあいました。やがて、ヨハンネスは、町へでて、お城にはいって行きました。大広間には、もういっぱい人があつまっていました。審判官はよりかかりのあるいすに、からだをうずめて、ふんわりと鳥のわた毛を入れたまくらを、あたまにかっていました。なにしろこのひとたちは、たくさんにものをかんがえなくてはならないのでしてね。そのとき、お年よりの王さまは立ち上がって、白いハンカチを目におあてになりました。するうち、お姫さまがはいって来ました。きのうみたよりまた一だん立ちまさってうつくしく、一同にむかって、にこやかにあいさつしました。でも、ヨハンネスには、わざわざ手をさしのべて、「あら、おはようございます。」といいました。
さて、ヨハンネスがいよいよ、お姫さまのかんがえていることをあてるだんになりました。まあ、そのとき、お姫さまは、なんという人なつこい目で、ヨハンネスをみたことでしょう。ところが、ヨハンネスの口から、ただひとこと「くつ」とでたとき、お姫さまの顔はさっとかわって、白墨ように白くなりました。そうして、からだじゅう、がたがたふるえていました。けれどもう、どうにもなりません。みごと、ヨハンネスはいいあてたのですもの。
ほほう、ほほう。お年よりの王さまは、どんなにうれしかったでしょう。あんまりうれしいので、みごとなとんぼをひとつ、王さまはきっておみせになりました。すると、みんなもうれしがって手をたたいて、王さまと、それから、はじめてみごとにいいあてたヨハンネスを、はやし立てました。
旅なかまも、まずうまくいったときいて、ほっとしました。ヨハンネスは、でも、手をあわせて、神さまにお礼をいいました。そして、神さまは、あとの二どもきっと守ってくださるにちがいないとおもいました。さて、あくる日もつづいてためされることになっていました。
その晩も、ゆうべのようにすぎました。ヨハンネスがねむっているあいだに、旅なかまは、王女のあとについて、山までとぶ道道、こんどはむちも二本もちだして来て、まえよりもひどく王女をぶちました。旅なかまはたれにも見られないで、なにもかも耳に入れて来ました。王女は、あしたは手袋のことをかんがえるはずでしたから、そのとおりをまた、夢にみたようにして、ヨハンネスに話しました。ヨハンネスはこんどもまちがいなくいいあてたので、お城のなかはよろこびの声があふれました。王さまがはじめしておみせになったように、こんどは御殿じゅうが、そろってとんぼをきりました。そのなかで王女は、ソファに横になったなり、ただひとことも物をいいませんでした。さて、こうなると、三どめも、みごとヨハンネスにいいあてられるかどうか、なにごともそれしだいということになりました。それさえうまくいけば、うつくしいお姫さまをいただいた上、お年よりの王さまのおなくなりなったあとは、そっくり王国をゆずられることになるのです。そのかわり、やりそこなうと、いのちをとられたうえ、魔法つかいが、きれいな青い目だまをぺろりとたべてしまうでしょう。
その晩も、ヨハンネスは、はやくから寝床にはいって、晩のお祈をあげて、それですっかり安心してねむりました。ところが、旅なかまは、ねむるどころではありません。れいのつばさをせなかにいわいつけて、剱を腰につるして、むちも三本ともからだにつけて、それから、お城へとんでいきました。
そとは、目も鼻もわからないやみ夜でした。おまけにひどいあらしで、屋根の石かわらはけしとぶし、女王の遊園のがい骨のぶら下がっている木も、風であしのようにくなくなにまがりました。もうしきりなし稲光がして、かみなりがごろごろ、ひと晩じゅうやめないつもりらしく、鳴りつづけました。やがて、窓がぱあっとあいて、王女は、とびだしました。その顔は「死」のように青ざめていましたが、このひどいお天気を、それでもまだ荒れかたが足りないといいたそうにしていました。王女の白マントは風にあおられて、空のなかを舞いながら、大きな舟の帆のように、くるりくるりまくれ上がりました。ところで、旅なかまは、れいの三本のむちで、びしびしと、それこそ地びたにぽたりぽたり、血のしずくがしたたりおちるほどぶちましたから、もうあぶなく途中でとべなくなるところでした。でもどうにかこうにか、山までたどりつきました。
「どうもひどいあられでしたの。」と、王女はいいました。「こんなおてんきにそとへでたのははじめて。」
「その代り、こんどは、よすぎてこまることもあるさ。」と、魔法つかいはいいました。
王女はそのとき、二どまでうまくいいあてられたことを話して、あしたまたうまくやられて、いよいよヨハンネスが勝ちときまると、もう二度と山へは来られないし、魔法もつかえなくなるというので、すっかりしょげかえっていました。
「こんどこそはあたらないよ。」と、魔法つかいはいいました。「なにかその男のとてもかんがえつかないことをおもいつこう。万一、これがあたるようなら、その男はわしよりずっとえらい魔法つかいにちがいなかろう。だが、まあ愉快にやろうよ。」
そういって、魔法つかいは、王女の両手をとって、ちょうどそのへやにいた小鬼や鬼火などと輪をつくって、いっしょにおどりました。すると、壁の赤ぐもまでが、上へ下へとおもしろそうにとびまわって、それはまるで火花が火の子をとばしているようにみえました。ふくろうは太鼓をたたくし、こおろぎは口ぶえをふく、黒きりぎりすは、ハーモニカをならしました。どうしてなかなかにぎやかな舞踏会でした。
みんなが、たっぷりおどりぬいてしまうと、王女は、もうここらでかえりましょう、お城が大さわぎになるからといいました。そこで、魔法つかいは、せめて途中までいっしょにいられるように、そこまで送っていくといいました。
そこで、ふたりは、ひゅうひゅう、ひどいあらしのふくなかへとびだした。旅なかまは、ここぞと三本のむちで、ふたりのせなかもくだけよとばかり、したたかぶちのめしました。さすがの魔法つかいも、これほどはげしいあられ空に、そとへでたのははじめてでした。さて、お城ちかくまで来たとき、いよいよわかれぎわに、魔法つかいは王女の耳のはたに口を寄せて、
「わしのあたまをかんがえてこらん。」といいました。けれども、旅なかまは、それすらのこらず耳にしまい込んでしまいました。そうして、王女が窓からすべりこむ、魔法つかいが引っかえそうとするとたん、ぎゅッと魔法つかいのながい黒ひげをつかむがはやいか、剱をひきぬいて、そのにくらしい顔をした首を、肩のつけ根からずばりと切りおとしました。まるで、相手にこちらの顔をみるすきさえあたえなかったのです。さて、その首のないむくろは、みずうみの魚に投げてやりましたが、首だけは、水でよくあらって、絹のハンケチにしっかりくるんで、宿までかかえて、もってかえって、ゆっくり床に休んで寝ました。
そのあくる朝、旅なかまは、ヨハンネスに、ハンケチの包をさずけて、王女が、いよいよじぶんのかんがえているものはなにかといって問いかけるまで、けっして、むすび目をほどいてはいけないといいました。
お城の大広間には、ぎっしり人がつまって、それはまるで、だいこんをいっしょにして、たばにくくったようでした。評定官は、れいのとおり、ながながといすによりかかって、やわらかなまくらをあたまにあてがっていました。老王さまは、すっかり、あたらしいお召ものに着かえて、金のかんむりもしゃくも、ぴかぴかみがき立てて、いかめしいごようすでした。それにひきかえ、お姫さまのほうは、もうひどく青い顔をして、おとむらいにでもいくような、黒ずくめの服でした。
「なにを、わたしはかんがえていますか。」
王女は、ヨハンネスにたずねました。
すぐ、ヨハンネスは、ハンケチのむすび目をほどきました。すると、いきなり、魔法つかいの首が、目にはいったので、たれよりもまずじぶんがぎょっとしました。あんまり、すごいものをみせられて、みんなもがたがたふるえだしました。そのなかで、王女はひとり、石像のようにじいんとすわり込んだなり、ひとこともものがいえませんでした。それでも、やっと立ち上がって、ヨハンネスに手をさしのべました。なにしろ、みごとにいいあてられてしまったのです。王女は、もう、たれの顔をみようともしないで、大きなため息ばかりついていました。
「さあ、あなたは、わたしの夫です。今晩、式をあげましょう。」
「そうしてくれると、わしもうれしい。」と、お年よりの王さまはいいました。「ぜひ、そういうことにしよう。」
みんなは、万歳をとなえました。近衛の兵隊は、音楽をやって、町じゅうねりあるきました。お寺の鐘は鳴りだしますし、お菓子屋のおかみさんたちは、お砂糖人形の黒い喪のリボンをどけました。どこにもここにも、たいへんなよろこびが、大水のようにあふれました。三頭の牛のおなかに、小がもやにわとりをつめたまま、丸焼にしたものを、市場のまん中にもちだして、たれでも、ひと切れずつ、切ってとっていけるようにしました。噴水からは、とびきり上等のぶどう酒がふきだしていました。パン屋で一シリングの堅パンひとつ買うと、大きなビスケットを六つ、しかも乾ぶどうのはいったのを、お景物にくれました。
晩になると、町じゅうあかりがつきました。兵隊はどんどん祝砲を放しますし、男の子たちはかんしゃく玉をぱんぱんいわせました。お城では、のんだり、たべたり、祝杯をぶつけあったり、はねまわったり、紳士も、うつくしい令嬢たちも、組になって、ダンスをして、そのうたう歌が遠方まできこえて来ました。
ダンス輪おどり大すきな
みんなきれいなむすめたち、
まわるよまわるよ糸車。
くるりくるりと踊り子むすめ、
おどれよ、はねろよ、いつまでも、
くつのかかとのぬけるまで。
さて、ご婚礼はすませたものの、お姫さまは、まだ、もとの魔法つかいのままでしたから、ヨハンネスをまるでなんともおもっていませんでした。そこで、旅なかまは心配して、れいのはくちょうのつばさから三本のはねをぬきとって、それと、ほんのちよっぴり、くすりの水を入れた小びんをヨハンネスにさずけました。そうして、おしえていうのには、水をいっぱいみたした大きなたらいを、お姫さまの寝台のまえにおく、お姫さまが、知らずに寝台へ上がるところを、うしろからちょいと突けばお姫さまは水のなかにおちる。たらいの水には、前もって、三本の羽をうかして、くすりの水を二、三滴たらしておいて、その水に三どまで、お姫さまをつけて、さて、引き上げると、魔法の力がきれいにはなれて、それからは、ヨハンネスをだいじにおもうようになるだろうというのです。
ヨハンネスは、おしえられたとおりにしました。王女は水に落ちたとき、きゃっとたかいさけび声を立てたとおもうと、ほのおのような目をした、大きな、黒いはくちょうになって、おさえられている手の下で、ばさばさやりました。二どめに、水からでてくると、黒いはくちょうはもう白くなっていて、首のまわりに、黒い輪が、二つ三つのこっているだけでした。ヨハンネスは、心をこめて神さまにお祈をささげながら、三ど、はくちょうに水をあびせました。そのとたん、はくちょうはうつくしいお姫さまにかわりました。お姫さまは、まえよりもなおなおうつくしくなって、きれいな目にいっぱい涙をうかべながら、魔法をといてくれたお礼をのべました。
その次の朝、老王さまは、御殿じゅうの役人のこらずをひきつれて出ておいでになりました。そこで、お祝をいいにくるひとたちが、その日はおそくまで、あとからあとからつづきました。いちばんおしまいに来たのは、旅なかまでしたが、もうすっかり旅じたくで、つえをついて、はいのうをしょっていました。ヨハンネスは、その顔をみると、なんどもなんどもほおずりして、もうどうか旅なんかしないで、このままここにいてください。こんなしあわせな身分になったのも、もとはみんなあなたのおかげなのだからといいました。けれども、旅なかまは、かぶりをふって、でも、あくまでやさしい、人なつこいちょうしでいいました。
「いいや、いいや、わたしのかえっていく時が来たのだ。わたしはほんの借をかえしただけだ。きみはおぼえていますか、いつか、わるものどものためにひどいはずかしめを受けようとした死人のことを。あのとききみは、持っていたもののこらず、わるものどもにやって、その死人をしずかに墓のなかに休ませてくれましたね。その死人が、わたしなのですよ。」
こういうがはやいか、旅なかまの姿は消えました。
さて、ご婚礼のおいわいは、まるひと月もつづきました。ヨハンネスと王女とは、もうおたがいに、心のそこから好きあっていました。老王さまは、もう毎日、たのしい日を送っておいでになりました。かわいらしいお孫さんたちを、かわるがわるおひざの上にのせて、かってにはねまわらせたり、しゃくをおもちゃにしてあそばせたりなさいました。ヨハンネスはかわりに、王さまになって、王国のこらずおさめることになりました。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
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かわいそうに、ヨハンネスは、たいそう悲しんでいました。むりもありません。おとうさんが重い病気で、もう、たすかるのぞみがなかったのですからね。この小さな部屋には、ヨハンネスとおとうさんのほかには、だれもいませんでした。テーブルの上のランプは、いまにも、燃えきってしまいそうでした。もう、夜もすっかりふけていました。
「おまえはいい子だったね、ヨハンネス」と、病気のおとうさんは言いました。「世の中へ出ても、きっと、神さまがたすけてくださるよ」
こう言って、おとうさんは思いつめた目つきで、やさしくヨハンネスを見つめました。それから、深い息をつくと、それなり死んでしまいました。見たところでは、まるで、眠っているとしか見えません。
ヨハンネスは、わっと泣き出しました。いまは、この世の中に、おとうさん・おかあさんもいなければ、ねえさんや妹も、にいさんや、弟も、だれひとりいないのです。ああ、かわいそうなヨハンネス! ベッドの前にひざをついて、死んだおとうさんの手にキスをしました。そして、さめざめと泣いて、あつい涙をたくさん流しました。けれども、そうしているうちに、いつのまにか、両方の目がふさがって、とうとう、ベッドのかたい足に、頭をもたせかけたまま、眠りこんでしまいました。
すると、ヨハンネスは、ふしぎな夢を見ました。夢の中では、お日さまとお月さまとが、自分におじぎをするのです。それから、おとうさんが、またもとのように、元気になっているのです。そして、何かうれしいときによく笑う、あの、いつもの、おとうさんの笑い声が聞えるのです。長い、きれいな髪の毛に、金のかんむりをかぶった、美しい少女が、ヨハンネスに手をさしのべました。すると、おとうさんが、
「すばらしいお嫁さんをもらったもんだな。世界一きれいだよ」と言いました。
そのとたんに、目がさめて、楽しかった夢は、消えうせてしまいました。おとうさんは、やっぱり死んでいて、ベッドの中につめたく、横たわっています。あたりを見まわしても、ほかには、だれひとりいません。ああ、かわいそうなヨハンネス!
つぎの週に、お葬式をしました。ヨハンネスは、お棺のすぐうしろについていきました。あんなに自分をかわいがってくれた、大好きなおとうさんの顔を見るのも、いよいよ、きょうかぎりです。やがて、人々がお棺の上に、土を投げかける音がしました。でも、まだ、お棺のいちばんはしは見えています。けれども、シャベルで、土をもう一すくいして投げかけると、それも見えなくなりました。ヨハンネスは、悲しくて悲しくてたまりません。あんまり悲しいので、いまにも、胸がはりさけそうでした。
お墓のまわりで、みんなが讃美歌をうたいはじめました。その歌が、心の中までしみとおるようにひびきましたので、ヨハンネスの目には、涙がうかんできました。ヨハンネスは泣きました。でも、泣いたために、かえって、悲しみが、いくらかまぎれました。
お日さまが、緑の木々を、明るく照らしていました。まるで、こんなふうに、言っているようでした。
「そんなに悲しんではいけないよ、ヨハンネス。まあ、ごらん。お空があんなにきれいに、青々としているだろう。あの上に、いま、おまえのおとうさんはいるのだよ。そうして、おまえがいつもしあわせでいられるようにと、神さまにお願いをしているのだよ」
「ぼくは、いつまでも、よい人でいます」と、ヨハンネスは言いました。
「そうして、いつかは、天国のおとうさんのところへ行きます。ああ、おとうさんに、また会えたら、どんなにうれしいでしょう。ぼくには、おとうさんにお話ししてあげることが、いっぱいあるんです。おとうさんも、きっとまた、この世の中に生きていたときと同じように、ぼくにいろんなものを見せてくださったり、天国のすばらしいことを、たくさんお話ししてくださるでしょう。ああ、そうなったら、どんなにうれしいかしれません」
ヨハンネスは、そのときのありさまを、心の中に思いうかべてみました。すると、涙がまだ、頬をつたわり落ちているというのに、思わず知らず、にっこりとほほえみました。小鳥たちは、トチノキのこずえにとまって、ピーチク、ピーチク、さえずっていました。お葬式にきているのに、小鳥たちがこんなにうれしそうにしていたのには、ちゃんと、わけがあったのです。というのも、小鳥たちは、死んだおとうさんが、いまは天国で、自分たちの羽よりも、ずっと大きなつばさを持っているということや、また、おとうさんはこの世の中でよいことをした人でしたから、いまではしあわせになっているということを、すっかり知っていたからです。
ヨハンネスは、小鳥たちが、緑の木々を離れて、遠い世界へとんでいくのを見ると、自分もいっしょにとんでいきたくなりました。でも、それよりさきに、おとうさんのお墓の上に立てるように、大きな木の十字架をつくりました。ヨハンネスは、夕方、それを持って、お墓へ行きました。ところが、どうでしょう。お墓には、きれいに砂がもってあって、そのうえ、花まで飾ってあるではありませんか。これは、よその人たちが、しておいてくれたのです。というのは、死んだおとうさんは、みんなにたいそう好かれていたからでした。
あくる朝早く、ヨハンネスは、小さなつつみをこしらえました。そして、おとうさんの、のこしてくれた五十ターレルと、いくつかのシリング銀貨を、みんな、帯の中へしまいこみました。いよいよ、これから、広い世の中へ出ていこうというのです。でも、出かけるまえに、まず、おとうさんのお墓におまいりして、「主の祈り」をとなえました。そして、こう言いました。
「おとうさん、さようなら。ぼくは、いつまでもよい人間でいますよ。だから、ぼくがしあわせになれるように、神さまにお願いしてくださいね」
ヨハンネスが野原を歩いていくと、どの花もどの花も、暖かなお日さまの光をあびて、それはそれは美しく、いきいきとしていました。風にゆられながら、みんなは、うなずいてみせました。そのようすは、まるで、「よく来ましたね。ここは青々としていて、きれいでしょう」と言っているようでした。
ヨハンネスは、もう一度、うしろをふりむいて、古い教会にお別れをつげました。この教会で、ヨハンネスは、赤んぼうのとき、洗礼をうけたのです。日曜日ごとに、いつも、おとうさんといっしょに、この教会へ行っては、讃美歌をうたったものでした。
そのとき、ふと見ると、塔のてっぺんの小窓のところに、赤いとんがり帽子をかぶった、小さな教会の妖精が立っていました。妖精は、お日さまの光が目にあたらないように、手をひたいにかざしています。ヨハンネスは、さようなら、というつもりで、妖精にむかって頭をさげました。すると、ちっぽけな妖精のほうでも、赤い帽子をふったり、手を胸にあてて、幾度も幾度も、キスを投げたりしてくれました。こうして、ヨハンネスがしあわせでいるように、そしてまた、楽しい旅をすることができるように、願っていることを、見せようとしたのです。
大きな、すばらしい世の中へ出ていったら、さぞかし、たくさんの、美しいものが見られるだろうなあ、と、ヨハンネスは思いました。そこで、さきへさきへと、ずんずん歩いていきました。とうとう、今までに一度も来たことのない、遠いところまで来てしまいました。通りすぎる町も、見たことがありませんし、出会う人たちも、だれひとり見知った人はいません。もう、ヨハンネスは、遠い、よその国へ来てしまったのです。
さいしょの晩は、野原のまん中の、かれ草の山の上で、眠りました。それよりほかには、寝床がなかったのです。けれども、この寝床は、とってもすてきでした。どんな王さまだって、こんなすてきな、寝床はもっていらっしゃらないだろう、と、ヨハンネスは思いました。
小川の流れている、広い広い野原、かれ草の山、見わたすかぎり広がっている青い空。なんとすばらしい寝室ではありませんか。赤だの白だの、小さな花の咲いている、緑の草原は、しきものです。ニワトコの茂みと、野バラの生垣は、花たばです。顔をあらうのには、きれいな、つめたい水の流れている小川がありました。そこでは、アシがおじぎをして、「おやすみ」とか、「おはよう」と言っていました。お月さまは、青い天井に高くかかっている、大きな大きなランプです。このランプなら、カーテンを燃やす心配はありません。ですから、ヨハンネスは、安心して、眠ることができました。そして、ほんとうにぐっすりと眠ったので、あくる朝、目がさめたときには、もうお日さまが高くのぼって、小鳥たちがまわりで歌をうたっていました。
「おはよう、おはよう。まだ起きないの?」
鐘の音が、教会からひびいてきました。きょうは、ちょうど、日曜日だったのです。人々はお説教を聞きに、教会へ行きました。ヨハンネスも、みんなのあとからついていって、いっしょに讃美歌をうたい、神さまのお言葉を聞きました。そうしていると、小さいときに洗礼をうけて、それからもたびたび、おとうさんといっしょに讃美歌をうたった、あのなつかしい教会にいるような気がしてなりませんでした。
教会のうらの墓地には、ずいぶんたくさんのお墓がありました。中には、草がぼうぼうに生えているお墓も、いくつかありました。それを見ると、ヨハンネスは、おとうさんのお墓を思い出しました。おとうさんのお墓も、いつかは、こんなふうになってしまうかもしれません。だって、いまは、自分で草をとったり、おそうじをしてあげることができないのですから。
そこで、ヨハンネスは、地べたにすわりこんで、草をぬいたり、たおれている木の十字架を立てなおしたり、風のためにお墓から吹きとばされた花輪を、もとのところへおいたりしました。心の中では、「もしかしたら、だれかが、おとうさんのお墓を、こういうようにしてくれるかもしれない。ぼくには、いま、自分でしてあげることができないんだもの」と思っていました。
墓地の門の前に、ひとりの年とったこじきが、松葉杖にすがって、立っていました。ヨハンネスは、持っていたシリング銀貨を、のこらずやりました。それから、気もはればれとして、元気よく、また広い世の中へと歩いていきました。
夕方から、おそろしくひどい天気になりました。ヨハンネスは、どこかにとまるところはないかと思って、いそいで歩いていきました。ところが、まもなく、まっ暗になってしまいました。それでも、やっとのことで、丘の上にたった一つ、ぽつんと立っているお堂に、たどりつきました。ありがたいことに、とびらが、すこしあいていました。ヨハンネスは、そこから中にはいって、あらしがやむまで、ここで待つことにしました。
「このすみっこに、腰かけるとしよう」と、ヨハンネスは言いました。「すっかりくたびれちゃった。すこし、休まなくちゃいけない」
こう言いながら、ヨハンネスは、そこにひざまずき、手を合せて、夜のお祈りをとなえました。それから、いつのまにか、眠りこんで、夢を見ていました。外では、そのあいだも、いなずまがピカピカ光り、かみなりがゴロゴロ鳴っていました。
ヨハンネスが、目をさましたときは、もう、ま夜中でした。あらしは、とっくにすぎさっていて、お月さまが、窓から、ヨハンネスのところまで、明るくさしこんでいました。お堂のまん中に、ふたのしてない、お棺がおいてあって、その中に、死んだ人がはいっていました。この人は、まだお葬式をしてもらっていなかったのです。
ヨハンネスは、それを見ても、心の正しい子供でしたから、ちっともこわくはありませんでした。それに、死んだ人は、なんにもわるいことはしないということも、よく知っていました。わたしたちにめいわくをかけたりするのは、生きている、わるい人たちだけなのですからね。ところが、そういうよくない、生きている人間がふたり、死んだ人のお棺のそばに立っていました。このふたりは、ほんとうによくないことをしようとしていました。死んだ、このかわいそうな人を、お棺の中に、そっと寝かしておかないで、お堂の外へほうり出してしまおうとしていたのです。
「どうして、そんなことをするんですか?」と、ヨハンネスはたずねました。「わるいことじゃありませんか。その人を、どうかそこに、休ませておいてあげてください」
「ばかやろう」と、ふたりのひどい男は、言いました。「こいつは、おれたちをだましたんだぞ。おれたちから、金をかりておきゃあがって、返しもしねえうちに、死んじまやがったんだ。おれたちにゃ、一円だってはいりゃしねえ。だから、そのかたきをとってやろうってのよ。こいつを、イヌみたいに、お堂の外へおっぽり出しちまうんだ」
「ぼくには、五十ターレルしかありませんが」と、ヨハンネスは言いました。「でもこれは、おとうさんがのこしてくれた、お金のぜんぶなんです。もしおじさんたちが、そのかわいそうな死んだ人を、そっとしておいてあげると、約束してくださるんなら、このお金をあげましょう。ぼくは、お金がなくったって、平気です。ぼくには、こんなにじょうぶで、強い手足があるんですもの。それに、神さまは、いつだって、ぼくをたすけてくださるんです」
「ふん、そうか。おめえが、こいつの借りをはらおうってんなら、おれたちゃ、なんにもしねえよ。約束すらあ」と、そのひどい男たちは言って、ヨハンネスの出したお金をうけとると、こいつは、なんて人のいいこぞうだ、と、笑いながら、行ってしまいました。
ヨハンネスは、死んだ人を、お棺の中にもう一度ちゃんと寝かせて、手をくみあわせてやりました。それから、さようならをいって、心も楽しく、大きな森の中を、ずんずん歩いていきました。
あたりを見ると、木の枝のあいだからもれてくる、お月さまの光の中で、かわいらしい、小さな妖精たちが、いかにも楽しそうに、あそんでいます。妖精たちは、ヨハンネスがやさしい、よい子供だということを知っていましたので、さわいだり、逃げたりしないで、そのままあそんでいました。妖精の姿を見ることができないのは、わるい人たちだけなんですよ。
妖精たちの中には、指の大きさくらいしかないのもいました。みんな、長い金色の髪の毛を、金のくしでかきあげていました。見れば、小人たちは、ふたりずつに別れて、木の葉や、高い草の上にたまっている、大きな露のしずくの上で、玉乗りあそびをしていました。ときどき、しずくがころがり落ちると、その上に乗っている小人たちも、長い草のくきのあいだに、ころがり落ちました。すると、ほかの小人たちは、きゃっきゃっと笑って、大さわぎをしました。なんて、おもしろおかしいんでしょう! 妖精たちは、歌もうたいました。それは、ヨハンネスが小さいころにおぼえた、美しい歌でした。
銀のかんむりをかぶった、きれいな大きいクモが、生垣から生垣へとわたり歩いて、長いつり橋をかけたり、御殿をつくったりしていました。その上にきれいな露がおりて、それが、明るいお月さまの光をうけると、まるで、光りかがやく水晶のように見えました。こうして、お日さまがのぼるまで、みんなは、楽しくあそびつづけました。けれども、お日さまがのぼるといっしょに、小さな妖精たちは、花のつぼみの中にはいってしまいました。橋だの、御殿だのは、風に吹かれて、大きなクモの巣のように、空にとび散りました。
ヨハンネスが、ちょうど森から出たときです。うしろのほうから、大きな声で、
「おーい、旅の人。どこへ行くのかね?」とさけぶ、男の声が聞えました。
「広い世の中へ!」と、ヨハンネスは答えました。「ぼくは、おとうさんもおかあさんもない、あわれなものなんです。でも、神さまが、きっと、たすけてくださるんです」
「わたしも、広い世の中へ出たいんだよ」と、その知らない男は言いました。「どうだね、ふたりで仲間になって、行かないかね?」
「ええ、いいですよ」と、ヨハンネスは言いました。それから、ふたりは、いっしょに歩いていきました。ふたりとも、よい人たちでしたから、すぐに、仲よしになりました。けれども、ヨハンネスは、旅の仲間が、自分よりもずっとりこうなのに、すぐ気がつきました。この人は、いままでに、ほとんど世界じゅうを歩きまわっていて、なんでも知っているのです。
お日さまは、もう、高くのぼっていました。そこで、ふたりは、とある大きな木の下に、腰をおろして、朝御飯を食べようとしました。
すると、そこへ、ひとりのおばあさんがやってきました。見れば、まあ、なんという年よりでしょう! それこそ、もうよぼよぼで、腰もすっかりまがっているのです。それでも、おばあさんは、杖にすがって、背中には、森の中で集めてきた、まきを一たば、しょっていました。前にからげた前かけの中からは、シダとヤナギの枝でつくった、大きなむちが三本、のぞいていました。
おばあさんは、ふたりのそばまで来たとき、つるりと足をすべらせて、ころびました。いたいっ、と、おばあさんは、大きな声をあげました。むりもありません。ころんだ拍子に、片方の足をくじいてしまったのですもの。ほんとうに、気の毒なおばあさんです。
「ふたりで、このおばあさんを、うちまで連れていってあげましょうよ」と、すぐに、ヨハンネスが言い出しました。ところが、旅の仲間は、はいのうを開いて、小さな箱をとり出しました。そして、こう言うのです。
「この中に、こうやくがはいっているんだよ。これをおばあさんの足にぬってやれば、すぐになおるんだよ。そうすれば、おばあさんは、もとのように元気になって、ひとりで歩いて帰れるんだよ」それから、おばあさんにむかって、言いました。「おばあさん、足をなおしてあげるかわりに、その前掛けの中にある、三本のむちをくださいよ」
「そりゃ、高すぎますよ」と、おばあさんは言って、みょうなふうに頭をふりました。そのむちは、どうしても、やりたくなかったのです。そうかといって、足をくじいたまま、こうしてたおれているのも、いやです。それで、おばあさんは、しかたなく、そのむちをわたすことにしました。
おばあさんは、くじいた足に、こうやくをぬってもらうと、すぐに立ちあがって、前よりも元気に歩いていきました。もちろん、そうなったのも、こうやくのおかげです。といっても、このこうやくは、どこのくすり屋ででも、買えるというわけのものではありません。
「そんなむちを、どうするんですか?」と、ヨハンネスは旅の仲間にたずねました。
「これで、きれいな花たばが三つできるよ」と、旅の仲間は言いました。「わたしは、こういうものが好きでね。かわりものだからさ」
それから、ふたりは、また、かなり歩いていきました。
「あっ、天気がわるくなってきますよ」と、ヨハンネスは、言いながら、むこうの空を指さしました。「あんなにおそろしい黒雲が、むくむくと出てきましたよ」
「いやいや、あれは雲じゃない。山だよ。しかも、山も山、大きな、りっぱな山なんだよ。てっぺんにのぼれば、雲の上に出て、すがすがしい空気がすえるんだ。まったくすばらしいよ。あしたは、きっと、あの山をこえて、もっとさきの広い世の中へ、行ってるだろう」と、旅の仲間は言いました。山は、見かけほど近くはありませんでした。ふたりが、山のふもとまで行くのに、まる一日かかってしまいました。山には、黒々とした森が、空にむかって、まっすぐつき立っていました。それから、町くらいもありそうな、ものすごく大きな岩もありました。こんな山をのぼるのは、さぞかし、骨がおれるにちがいありません。そこで、ヨハンネスと旅の仲間は、まず、宿屋にはいりました。ここで、ゆっくり休んで、あしたの山のぼりのために、元気をつけておこうと思ったのです。
宿屋の一階にある大きな酒場には、大ぜいの人が集まっていました。それというのも、人形芝居をする男が来ていたからです。ちょうどいま、人形つかいが、小さな舞台をこしらえおわったところでした。みんなは、芝居を見物しようとして、ぐるりと、そのまわりに、腰をおろしていました。いちばん前の、しかもいちばんいい席には、でっぷりとした、肉屋の親方が、腰かけていました。おとなりには、親方の大きなブルドッグがすわって、みんなと同じように、目玉をぐりぐりやっていました。おまけに、いまにもかみつきそうな顔をして。
さて、芝居がはじまりました。王さまとお妃さまの出てくる、おもしろい芝居でした。おふたりは、頭に金のかんむりをかぶり、長いすそをうしろにひいて、それは美しい玉座に腰をおろしていました。おふたりは、たいへんなお金持でしたから、こんなりっぱなかっこうをしていることができたのです。ガラスの目をした、大きな八の字ひげのある、すてきにかわいらしい木の人形が、ドアというドアのところに立っていました。そして、あたらしい空気を部屋の中に入れるために、ドアをあけたり、しめたりしていました。
芝居のすじは、たいそうおもしろいもので、悲しいところなどは、すこしもありませんでした。ところが、お妃さまが立ちあがって、床を歩こうとしたときです。あの大きなブルドッグめは、いったい、なにを考えたというのでしょう。ふとった肉屋の親方がおさえなかったものですから、いきなり、舞台の上にとびあがって、お妃さまのほっそりした腰に、がぶりとかみついたのです。メリメリッという音がしました。いやはや、なんともおそろしいことです!
かわいそうに、人形つかいは、びっくりぎょうてん。こわれたお妃さまのことを、心からなげき悲しみました。なぜって、このお妃さまは、この人の持っている人形の中で、いちばんきれいな人形なのでしたから。それなのに、いま、このにくらしいブルドッグめが、頭をかみ切ってしまったのです。
ところが、人々が、みんな行ってしまうと、ヨハンネスの旅の仲間が、その人形を、もとのようになおしてあげましょう、と言い出しました。そして、あの小さな箱をとり出して、人形にこうやくをぬってやりました。そら、前にも、かわいそうなおばあさんが足をくじいたとき、ぬって、なおしてやった、あのこうやくですよ。
それをぬったとたんに、人形は、もとどおりになりました。いやいや、それどころか、今度は、ひとりで、手足を動かすことができるようにさえなりました。これなら、もう、だれも、糸であやつってやる必要はありません。この人形は、ただ話すことができないだけで、あとは、生きている人間と、なんのかわりもなくなりました。人形芝居の親方は、心からよろこびました。だって、そうでしょう。この人形は、ひとりで踊れるんですからね。もうこれからは、手で持っていなくてもいいわけです。こんなまねのできる人形は、ほかにはありません。
やがて、夜がふけました。宿屋の人たちは、みんな、寝床にはいりました。すると、どこかで、だれかが、深いため息をついています。しかも、そのため息が、いつまでもいつまでもつづくのです。そこで、みんなは、もう一度起きあがって、だれだろうと、見に行きました。人形芝居の親方は、どうも、そのため息が、自分の小さな舞台のほうから、聞えてくるような気がしました。そこで、行ってみると、木の人形たちは、王さまをはじめ、王さまをまもっている兵隊たちまで、みんなかさなりあって、横になっています。この人形たちが、大きなガラスの目で、どこともなく、じいっと見つめながら、あんなあわれなため息をついているのでした。なぜって、みんなも、お妃さまと同じように、ちょっとこうやくをぬってもらって、ひとりで動くことができるようになりたかったのです。
お妃さまは、すぐにひざをついて、りっぱな金のかんむりを高くささげながら、
「これをさしあげますから、どうか、わたしの夫と家来たちに、くすりをぬってやってくださいませ」と、たのみました。
それを聞くと、この芝居の舞台と、ぜんぶの人形を持っている男は、かわいそうになって、思わず、涙ぐみました。この人は、心の底から、人形たちがかわいそうになったのです。そこで、さっそく、旅の仲間にむかって、
「四つか五つでけっこうですから、この中のいちばんきれいな人形に、くすりをぬってやってください。そうすれば、あしたの晩、芝居をやって、もうけたお金は、のこらず、あなたにさしあげます」と、申し出ました。
ところが、旅の仲間は、
「あなたが腰にさげている、そのサーベルをください。ほかには、なんにもいりません」と、答えました。そして、サーベルをもらうと、旅の仲間は、六つの人形にこうやくをぬってやりました。すると、人形たちは、みるみるうちに、踊り出しました。その踊りのかわいらしいことといったら、人間の娘たちまでが、それを見ていた、ほんとうの人間の娘たちまでが、いっしょに踊りだしたくらいです。すると、今度は、御者と料理女も踊り出しました。つづいて、下男と女中たちも、見ていたお客さんたちも、みんな踊りはじめました。そればかりではありません。じゅうのうと、火ばしまでも、踊り出したのです。けれども、じゅうのうと、火ばしは、さいしょに一はねしたとたんに、ひっくりかえってしまいました。いやもう、なんともいえない、ゆかいな晩でした。――
あくる朝、ヨハンネスと旅の仲間は、みんなに別れをつげて、高い山をのぼりはじめました。大きなモミの木の森を通って、ずいぶん高くのぼっていきました。やがて、下のほうに見える教会の塔は、いちめんの緑にかこまれて、小さな赤いイチゴのようになりました。山の上からは、まだ行ったこともない、何マイルも何マイルも遠くのほうまで、見わたすことができました。こんなに美しい世界の、こんなにたくさんのすばらしいものを、いっぺんに見たことは、まだ一度もありませんでした。
お日さまは、すがすがしい青い空から、それはそれは暖かく照っていました。かりゅうどたちが、山の中で吹いている角笛のひびきも、聞えてきました。その音色は、たとえようもないほど美しくて、心にしみ入るようでした。ヨハンネスの目には、ひとりでに、よろこびの涙が浮んできました。そして、思わず知らず、こう言いました。
「ああ、おなさけ深い神さま。ぼくは、あなたにお礼のキスをいたします。あなたは、ぼくたちみんなに、こんなに親切で、この世の中の、ありとあらゆる美しいものをくださったんですもの」
旅の仲間も、手をあわせて、立っていました。そして、暖かなお日さまの光をあびながら、森や町をながめわたしていました。
そのとき、頭の上で、びっくりするほど美しい声がしました。見ると、大きな白いハクチョウが一羽、空をとんでいます。姿が美しいばかりか、そのうたう歌声は、いままで、どんな鳥からも聞いたことがないくらいでした。ところが、その歌声が、だんだん弱ってきました。と思っているうちに、ハクチョウは頭をたれて、ゆっくりと、ふたりの足もとに落ちてきました。そして、それなり、この美しい鳥は死んでしまいました。
「この鳥のつばさは、こんなに白くて大きいし、それに、こんなにきれいだから、二枚そろっていれば、きっと、お金になる。これを持っていこう。それそれ、サーベルをもらっておいたのが、こんなとき、役にたつだろう」と、旅の仲間は言いながら、死んだハクチョウのつばさを二枚、さっと切り落して、それを持っていきました。
ふたりは、それからも山をこえて、何マイルも何マイルも旅をつづけました。とうとう、大きな町が、むこうのほうに見えてきました。何百という、たくさんの塔が、お日さまの光をあびて、銀のようにかがやいています。町のまん中には、赤い金の屋根をいただいた、りっぱな大理石の御殿がありました。そこに、この国の王さまが住んでいたのです。
ヨハンネスと旅の仲間は、すぐに、町の中へはいっていかないで、町はずれの、とある宿屋によりました。町中を歩くとき、きちんとしたかっこうでいられるように、ここで身なりをととのえておこうと思ったのです。宿屋の主人は、ふたりにむかって、こんな話をしました。
「この国の王さまは、たいへんおやさしい、よい方で、どんな人をも苦しめるようなことはなさいません。それなのに、お嬢さまといったら、ほんとになさけない話ですが、それはひどいお姫さまなんですよ。おきれいなことは、たしかに、おきれいです。お姫さまくらいお美しくて、人の心をまよわすような方は、どこにもいませんでしょう。でも、そんなことが、なんになりましょう。と申しますのも、お姫さまは、ほんとうは、たちのわるい魔女なんですからね。りっぱな王子さまがたが、大ぜい命をなくされたのも、みんな、この方のためなんです。
お姫さまには、どんな人が結婚を申しこんでも、さしつかえないことになっています。その人が、王子さまであっても、たとえ、こじきであっても、そんなことはかまいません。だれでもよろしいのです。ただ、その人は、お姫さまのお出しになる三つのなぞを、うまくとかなければなりません。もし、うまくとければ、お姫さまをお嫁さんにして、お姫さまのおとうさまが、おなくなりになったあとは、この国の王さまになれるというわけです。しかし、なぞがうまくとけない場合は、たいへんでして、その人は、その場で首をくくられるか、切られるかしてしまうのです。お姫さまは、お美しいのに、こんなにもひどい方なんですよ。
お年よりの王さまは、このことを、たいそう悲しんでいらっしゃいます。けれども、そんなひどいことをしてはいけないと、お姫さまにおっしゃれないわけがあるんです。じつは、王さまは、以前に、
『おまえのところへ結婚を申しこんでくるものについては、なにも口を出さんことにする。おまえの好きなようにしなさい』と、お姫さまにおっしゃったことがあるものですからね。
王子さまが、方々からおいでになって、お姫さまをもらおうと思って、なぞをとこうとなさいます。けれども、そのたびに、いつもうまくいかないで、首をくくられるか、切られるかしてしまうんです。むろん、そんなときには、町の人たちは、前もって王子さまがたに、結婚の申しこみをするのはおよしなさいと、とめはするんですがね。
お年よりの王さまは、たびたび、こういう悲しい出来事が起るのを、心からなげいていらっしゃいます。年に一度は、かならず、兵隊たちといっしょに、一日じゅう、神さまのまえにひざまずいて、
『姫が、どうか、よい人間になってくれますように』と、お祈りをなさいます。
しかし、そうなさっても、やっぱりお姫さまは、もとのままで、少しもおかわりになりません。町のおばあさんたちは、ブランデーを飲むときには、まず、まっ黒にしてから飲みます。そのくらい、みんなは、悲しんでいるんですよ。しかし、それ以上は、どうすることもできないのです」
「ひどいお姫さまだなあ!」と、ヨハンネスは言いました。「そんなお姫さまこそ、ほんとうに、むちで打ってやるといい。そうすれば、すこしはよくなるかもしれない。もしぼくが、お年よりの王さまだったら、うんと、ひどいめにあわせてやるんだがなあ!」
そのとき、おもてで、人々が、ばんざい、ばんざい、とさけぶ声が、聞えてきました。見れば、お姫さまのお通りです。なるほど、お姫さまは、たいそう美しい方です。そのため、だれもかれもが、お姫さまがひどい方であることも忘れて、ばんざい、ばんざい、とさけんでいるのでした。
白い絹の着物を着た、十二人の美しい少女たちが、手に金のチューリップを持ち、まっ黒なウマに乗って、おそばにしたがっていました。お姫さまはと見れば、ダイヤモンドとルビーで、キラキラとかざりたてた、雪のようにまっ白なウマに乗っていました。お姫さまの乗馬服は、金の糸で織ってありました。手に持っているむちは、お日さまの光のようにさえ思われました。頭にいただいている金のかんむりは、まるで、夜空にきらめく星のようでした。がいとうは、何千もの、きれいなチョウの羽を集めて、ぬいあわせたものでした。それでも、お姫さまのほうが、こんな着物よりも、まだまだずっと美しかったのです。
ヨハンネスは、お姫さまを一目見たとたん、まるで顔から血がしたたっているように、まっかになりました。ひとことも、口をきくことができません。このお姫さまこそ、おとうさんが死んだ晩に見た、夢の中の、あの、金のかんむりをかぶった、美しい少女にそっくりです。お姫さまがあんまり美しいので、ヨハンネスは、たちまち、大好きになりました。みんなの話だと、このお姫さまは、なぞをうまくとくことのできない人たちの、首をくくらせたり、切らせたりする、わるい魔女だということです。でも、そんなことは、うそにちがいない、と、ヨハンネスは心に思いました。
「そうだ。だれでも、お姫さまに結婚の申しこみをすることができるという話だ。たとえ、どんなに貧しいこじきでも。よし、ぼくも、これから御殿へ出かけよう。だって、もう、じっとしてはいられないもの」と、ヨハンネスは言いました。
「そんなことは、およしなさい。きっと、ほかの人たちと、同じようなめに会いますよ」と、みんなは、口をそろえて言って聞かせました。旅の仲間も、あきらめるようにすすめました。けれども、ヨハンネスは、
「ぜったいに、うまくいきます」と言って、靴や着物にブラシをかけたり、顔や手をあらって、きれいなブロンドの髪の毛に、くしを入れたりしました。それから、たったひとりで、町の中へはいって、御殿をさして行きました。
ヨハンネスが、御殿のとびらを、トントンとたたくと、お年をとった王さまが、「おはいり」と、言いました。――ヨハンネスがとびらをあけると、お年よりの王さまが、長いガウンを着、ししゅうをしたスリッパをはいて、出てきました。頭には金のかんむりをいただいて、片手に、しゃくを持ち、もう一方の手には、金のたからの玉を持っていました。
「ちょっとお待ち」と、王さまは言って、金の玉をわきの下にかかえてから、ヨハンネスに手をさし出しました。けれども、ヨハンネスが、ぼくは、お姫さまに結婚の申しこみをしにきました、と言うのを聞くと、はらはらと涙をこぼして、思わず、しゃくも金の玉も、床に落してしまいました。それから、ガウンで目の涙をふきました。なんという、お気の毒な、お年よりの王さまでしょう。
「それだけはよしなさい」と、王さまは言いました。「おまえも、ほかのものたちと同じように、ひどいめに会いますぞ。まあ、これを見てごらん」
こう言って、王さまは、ヨハンネスを、お姫さまの庭に連れていきました。見れば、身の毛もよだつような、おそろしい光景です!
木という木には、お姫さまに結婚を申しこんで、なぞを、うまくとくことのできなかった王子が、三人、四人と、つるされているのです。風が吹いてくるたびに、がいこつが、カタカタと鳴っているではありませんか。小鳥たちさえも、こわがって、この庭の中へは、はいってこようとしないのです。花は、どれもこれも、人間の骨にゆわえつけてあります。植木ばちには、人間の頭の骨が植わっていて、歯をむき出しています。ほんとうに、なんということでしょう。これが、お姫さまの庭なんですからね。
「わかったかね」と、お年よりの王さまは言いました。「おまえも、ここにいるほかの人たちと、同じめに会うことになるのだよ。だから、どうか、やめておくれ。おまえに、もしものことがあったら、わしは、ますます悲しくなって、いっそう不幸になるのだよ」
ヨハンネスは、やさしいお年よりの王さまの手にキスをして、言いました。
「だいじょうぶ、うまくいきますよ。ぼくは、美しいお姫さまが大好きなのです」
そのとき、お姫さまが、侍女たちを連れて、ウマに乗って、中庭へはいってきました。王さまとヨハンネスは、お姫さまをむかえて、あいさつしました。お姫さまは、ほんとうに美しい方です。いま、ヨハンネスにむかって、やさしく手をさしのべました。ヨハンネスは、前よりももっと、お姫さまが好きになりました。このお姫さまが、みんなの言うように、たちのわるい魔女だとは、どうしても考えられません。
みんなは、広間へはいりました。小姓たちが、砂糖づけのくだものだの、コショウのはいったクルミ菓子だのを持ってきました。しかし、お年よりの王さまは、悲しすぎて、なんにも食べることができませんでした。もっとも、クルミ菓子は、お年よりの王さまにとっては、すこしかたすぎましたがね。
ヨハンネスは、あくる朝、もう一度、御殿へ来るように言われました。そのときには、裁判官と顧問官が、みんな集まって、ヨハンネスがどんな答えをするか、聞くわけなのです。うまくなぞがとければ、あと、もう二度、御殿へ来ることになっていました。といっても、いままでのところでは、さいしょのときに、なぞがとけたものは、ひとりもありませんでした。第一回めで、みんな、命をなくしてしまったのです。
ヨハンネスは、自分がどうなるかということなどは、まるで考えてもみませんでした。それどころか、心から楽しそうに、いまはただ、美しいお姫さまのことばかり考えているのでした。そして、神さまが、きっとおたすけくださるものと、思っていました。でも、どういうふうにして、助けてくださるのかということは、さっぱりわからないのです。そこで、そのことは、考えないことにしました。ヨハンネスは、大通りを、小おどりしながら、旅の仲間の待っている宿屋に帰っていきました。
ヨハンネスは、お姫さまがとっても親切にしてくれたことや、びっくりするほど美しい方だったということを、くりかえしくりかえし、話しました。そして、あしたが待ち遠しくてなりませんでした。あしたは、いよいよ、御殿へ行って、なぞをといて、自分の運をためすのです。
ところが、旅の仲間は、頭をふって、いかにも悲しそうなようすで、言うのでした。
「わたしは、おまえさんが大好きだよ。だから、もっといっしょにいたいんだが、ああ、もう、別れなければならないのか。
かわいそうなヨハンネスさん。わたしは、泣きたいよ。だが、今夜は、きっと、ふたりでいっしょにすごす、さいごの晩になるんだから、おまえさんのよろこびをぶちこわしたくはない。ゆかいに、うんと楽しくすごそうよ。あした、おまえさんが出かけてしまったら、思いきり泣けるんだからね」
町の人たちは、すぐに、だれかがまた、お姫さまに結婚を申しこんだことを知りました。それで、町じゅうが、深い悲しみにつつまれました。芝居小屋はしまってしまうし、菓子屋のおかみさんたちは、砂糖菓子の子ブタに、黒い喪章をまきつけました。王さまと牧師さんたちは、教会でひざまずいて、神さまにお祈りをしました。ほんとうに、どこもかしこも、悲しみでいっぱいでした。むりもありません。ヨハンネスが、いままでの人たちよりも、うまくやるだろうとは、だれにも考えられませんでしたからね。
夕方になると、旅の仲間は、大きなはちに、ポンスをいっぱい、作りました。そして、ヨハンネスにむかって、
「さあ、ゆかいにやろうよ。お姫さまのために、かんぱいしようじゃないか」と、言いました。
ヨハンネスは、ポンスを二はい飲むと、どうにも眠たくなって、目をあけていることができなくなりました。そして、とうとう、眠りこんでしまいました。旅の仲間は、ヨハンネスを椅子から、そっとだきあげて、ベッドの中に寝かしてやりました。
やがて、夜がふけて、あたりはまっ暗になりました。すると、旅の仲間は、ハクチョウから切りとってきた、あの大きな二つのつばさをとり出して、自分の肩に、しっかりとゆわえつけました。それから、いつか、足をくじいたおばあさんからもらった、三本のむちの中で、いちばん大きいのを、ポケットに入れました。それから、旅の仲間は、窓をあけて、御殿をさして、町の上をとんでいきました。御殿につくと、お姫さまの寝室の窓のすぐ下のすみっこに、ちぢこまってかくれました。
町じゅうが、しーんと、しずまりかえっていました。時計が、十二時十五分前をうちました。と、窓があいて、お姫さまが、長いまっ白ながいとうを着て、大きな黒いつばさをつけて、とび出しました。お姫さまは、町をこえて、大きな山のほうへむかって、とんでいきました。旅の仲間は、自分のからだが、よそから見えないようにしていました。それで、お姫さまには見つからずに、すぐそのあとを追いかけて、お姫さまのからだを、むちで打ちました。打ったところからは、血が流れ出ました。ああ、なんとおそろしい空の旅でしょう! 風のために、お姫さまのがいとうはあおられて、まるで、大きな帆のように、あっちへもこっちへもひろがりました。それをすかして、お月さまの光が、ぼんやり見えました。
「まあ、ひどいあられだこと! ひどいあられだこと!」と、お姫さまは、むちで打たれるたびに言いました。
でも、お姫さまは、むちで打たれるくらい、しかたがありません。それでも、とうとう、山につきました。山につくと、お姫さまは、トントンと山をたたきました。すると、かみなりの鳴るような、すさまじい音がして、山がさっと開きました。
お姫さまは、中へはいっていきました。旅の仲間も、すぐあとにつづいて、はいりました。よそからは、からだが見えないようにしていましたから、だれも、旅の仲間に気がついたものはありませんでした。お姫さまと、旅の仲間は、大きな、長い廊下を通っていきました。廊下のかべは、ふしぎな光をはなっていました。それもそのはず、何千とも知れない光グモが、かべをはいあがったり、おりたりして、火のように光っていたからです。
やがて、ふたりは、金と銀とでつくられた、大きな広間に出ました。ヒマワリほどもある、赤や青の大きな花が、かべにかがやいていました。けれども、この花をつむことは、だれにもできません。なぜなら、くきと見えたのは、じつは、見るもおそろしい、毒のあるヘビでしたし、また、花と思われたのは、そのヘビの口からはき出すほのおだったのです。天井では、ホタルがピカリピカリと光り、空色のコウモリが、うすいつばさを、バタバタうっていました。そのありさまは、なんともいいようのない、ふしぎな光景でした。
広間のまん中に、玉座がありましたが、それは、四つのウマのがいこつの上にのっていました。くつわは、まっかな火のクモでできていました。玉座はといえば、乳色のガラスでできていました。クッションは、たがいにしっぽをかみあっている、小さな黒ネズミたちです。玉座の上には、バラのように赤いクモの巣の、天がいがありました。それには、見るもかわいらしい、小さな緑のハエがちりばめてあって、宝石のようにキラキラしていました。
その玉座には、ひとりの年とった魔法使いが、みにくい頭にかんむりをかぶり、手には、しゃくを持って、すわっていました。魔法使いは、お姫さまのひたいにキスをして、自分のそばのりっぱな椅子に、腰をおろさせました。
やがて、音楽がはじまりました。大きな黒いキリギリスが、ハーモニカを吹き鳴らしました。フクロウは、たいこがないので、かわりに、自分のおなかをたたきました。なんておかしなコンサートでしょう。ちっぽけな黒い小人が、ずきんに鬼火をつけて、広間の中を踊りまわりました。
そうしているあいだも、旅の仲間の姿は、だれにも見えませんでした。ほんとうは、玉座のすぐうしろに立っていて、なにもかも、のこらず見たり、聞いたりしていたのでした。
そのうちに、宮中の役人たちが出てきました。見れば、たいそうきれいで、じょうひんなようすをしています。しかし、ほんとうにものを見ることができる人ならば、その役人たちがなんであるか、すぐにわかるはずです。
じつは、この役人たちは、ほうきのえに、キャベツの頭が、くっついているだけだったのです。魔法使いが、それに命をふきこんで、ししゅうをした着物をきせてやっていたのです。けれども、そんなことは、どうだってかまいません。ただ、にぎやかに飾りたてるためのものだったのですから。
それからも、踊りは、しばらくつづきました。そのあとで、お姫さまは魔法使いに、またあたらしく、結婚を申しこみに来た人のあることを話しました。そして、
「あしたの朝、その人が御殿へ来たら、どんなことを心に思っていて、たずねてみましょうか?」と、ききました。
「いいかい。おまえに、いいことを教えてやろう」と、魔法使いは言いました。「なにか、ごくやさしいことを考えていなさい。そういうことは、あんがい思いつかんもんでな。そうだ、おまえの靴のことでも考えていなさい。まず、あたりっこないね。そうしたら、すぐ首を切らせなさい。だが、あすの晩、わしのところへ来るときには、忘れずに、そいつの目玉を持ってくるんじゃよ。もう、目玉が食いたくてたまらんからのう」
「はい、目玉は、忘れずに持ってまいります」と、お姫さまは、ていねいにおじぎをして、言いました。魔法使いが山を開いてやると、お姫さまは、御殿を目ざして、とんで帰りました。旅の仲間も、すぐそのあとを追いかけて、お姫さまをむちで、打って打って、打ちのめしました。なんてひどいあられなんだろう、と、お姫さまは、深いため息をつきつき、大いそぎでとんで帰って、窓から寝室の中へはいりこみました。
いっぽう、旅の仲間は、ヨハンネスがまだ眠っている宿屋にとんで帰りました。つばさをはずすと、くたびれきっていましたので、すぐに寝床にはいりました。
あくる朝、ヨハンネスは、ずいぶん早くから目をさましました。旅の仲間も起きあがって、こんなことを言いました。
「ゆうべは、みょうな夢を見ましたよ。それが、お姫さまと、お姫さまの靴の夢なんでね。だから、ヨハンネスさんや、『お姫さまは、ご自分の靴のことを、考えていらっしゃるんじゃありませんか』と、きいてごらんなさいよ」
もちろん、これは、旅の仲間が、山の魔法使いから、自分の耳で、じかに聞いたことなのです。しかし、ヨハンネスには、そのことは、なんにも言いませんでした。
「ぼくは、なんて言うか、まだきめてないんです」と、ヨハンネスは言いました。
「あなたが夢でごらんになったことは、きっと、ほんとうのことにちがいありません。だって、ぼくは、神さまが、きっと助けてくださると信じているんですもの。だけど、あなたともお別れですね。もしも、ぼくがやりそこなったら、もうこれっきり、お会いできないんですからね」
そこで、ふたりは、キスをしあいました。それから、ヨハンネスは、町へはいって、御殿をさして行きました。
大きな広間は、人でいっぱいでした。裁判官たちは、ひじかけ椅子に腰かけて、頭のうしろに、カモのやわらかいわた毛のつまったふとんをあてていました。それというのも、この人たちは、いろんなことを、どっさり考えなければなりませんからね。
お年よりの王さまは、立ちあがって、白いハンカチで、目の涙をふきました。まもなく、お姫さまがはいってきました。きょうはまた、お姫さまは、きのうよりもずっと美しく見えます。そして、そこにいる人々に、あいそよくあいさつしてから、ヨハンネスに手をさし出して、「おはようございます」と、言いました。
いよいよ、ヨハンネスは、お姫さまが何を考えているか、言いあてることになりました。お姫さまは、やさしくやさしく、ヨハンネスを見つめました。ところが、たったひとこと、「くつ」という言葉が、ヨハンネスの口から出ると、お姫さまの顔の色は、たちまち、雪のようにまっ白になって、からだじゅうが、ぶるぶるふるえだしました。もう、どうすることもできません。ヨハンネスは、みごとに言いあてたのです。
「みごとじゃ。よくやったのう!」お年よりの王さまは、どんなによろこんだことでしょう。あんまりうれしすぎて、つい、トンボ返りをうちました。それを見ていた人たちは、だれもかれも、王さまと、それから、はじめてうまく言いあてたヨハンネスとにむかって、さかんに拍手を送りました。
旅の仲間も、うまくいったことを聞いて、たいそうよろこびました。ヨハンネスは、すぐに手をあわせて、神さまにお礼を申しあげました。神さまは、これからの二回も、きっと助けてくださるでしょう。つぎの日も、また、なぞをとくことになっていました。
その晩も、ゆうべとそっくり同じでした。ヨハンネスが眠ってしまうと、旅の仲間は、お姫さまのあとを追いかけて、山までとんでいくあいだじゅう、ゆうべよりももっと強く、むちでお姫さまを打ちました。今夜は、はじめから、むちを二本持っていったのです。そして、やっぱり、だれにも姿を見られずに、なにからなにまで、のこらず聞いてしまいました。今度は、お姫さまは、手袋のことを考えることになりました。そこで、旅の仲間は、またそれを夢で見たことにして、ヨハンネスに話してやりました。ですから、ヨハンネスは今度も、うまく言いあてることができました。
御殿では、みんな大よろこびです。役人たちは、きのう、王さまがなさったように、きょうは、みんなで、トンボ返りをうちました。けれども、お姫さまだけは、ソファに横になったきり、口をきこうともしませんでした。
さあ、ヨハンネスは、はたして、三度めも、うまく言いあてることができるでしょうか。もしもうまくいけば、美しいお姫さまをもらうばかりか、お年よりの王さまがなくなったあとは、この国ぜんぶを受けつぐことになるのです。そのかわり、もしもしくじれば、命をなくしてしまうのです。おまけに、美しい青い目を、あの魔法使いに食べられてしまうのです。
その晩も、ヨハンネスは、早く寝床にはいって、夜のお祈りをとなえました。それから、ぐっすりと眠りました。いっぽう、旅の仲間は、背中につばさをゆわえつけ、腰にサーベルをさげて、そして今夜は、むちを三本とも持って、御殿をさしてとんでいきました。
今夜は、まっ暗やみでした。おまけに、ひどいあらしになりました。屋根のかわらは吹きとばされ、がいこつのぶらさがっている庭の木々は、風が吹くたびに、アシのようにゆれ動きました。いなずまは、ひっきりなしにピカピカ光り、かみなりは一晩じゅう、ゴロゴロ鳴りつづけました。
そのうちに、窓があいて、お姫さまがとび出しました。見れば、顔の色は、死んだ人のように青ざめています。けれども、このくらいのあらしなら、まだたいしたことはない、といった顔つきで、このすさまじいあらしをも、鼻さきで笑っていました。お姫さまの白いがいとうは、風に吹かれて、大きな船の帆のように、空にパタパタひるがえりました。旅の仲間は、三本のむちで、お姫さまを打ちのめしました。血がぼたぼた地面にしたたり落ちました。お姫さまは、やっとの思いでとんでいきました。それでも、どうにか、山にたどりつきました。
「ひどいあられが降って、おそろしいあらしですわ」と、お姫さまは言いました。「こんなお天気に外へ出たことは、いままで一度もありません」
「なあに、いいことだって、たんとあるだろうさ」と、魔法使いは言いました。
お姫さまは魔法使いに、ヨハンネスが二度めも、ちゃんと言いあてたことを話しました。そして、
「もし、あしたも、うまく言いあてれば、あの男の勝ちになって、あたしは、あなたのところへ来られなくなりますし、いままでのように、魔法を使うこともできなくなります」と、言って、たいそう悲しみました。
「今度こそ、言いあてさせるものか。よし、そいつの思いもおよばないことを考え出してやろう。それでも、だめなら、そいつは、わしよりえらい魔法使いにちがいない。まあ、そりゃあそうとして、ゆかいにさわごうじゃないか」と、魔法使いは言って、お姫さまの手をとりました。それから、ふたりは、広間にいる小人や鬼火たちといっしょに、ぐるぐる踊りまわりました。赤いクモも、元気よく、かべをとびあがったり、とびおりたりしました。ですから、火の花が、火花を散らしているように見えました。フクロウはたいこをたたき、コオロギは口笛を吹き、黒いキリギリスはハーモニカを吹き鳴らしました。いやはや、じつにゆかいな舞踏会です!
それから、みんなは、さんざん踊りぬきました。もうぼつぼつ、お姫さまは、御殿へ帰らなければなりません。このくらいで帰らないと、御殿の人たちが、お姫さまのいないのに、気がついてしまいます。
「御殿まで送っていってやるよ。そうすれば、そのあいだだけでも、いっしょにいられるからね」と、魔法使いが言いました。
そこで、ふたりは、すさまじいあらしの中へ、とび出していきました。旅の仲間は、ふたりの背中を、三本のむちで、力いっぱい、打ちのめしました。さすがの魔法使いも、こんなにひどくあられの降る中を、とんだことはありませんでした。御殿の上まで来ると、魔法使いは、お姫さまに別れをつげて、
「わしの頭のことを考えていなさい」と、そっと、ささやきました。それでも、旅の仲間には、その声が、はっきりと聞きとれました。
お姫さまは、窓からそっと、寝室の中へすべりこみました。魔法使いのほうは、ひき返そうとしました。ところが、そのときです。旅の仲間は、魔法使いの長い、まっ黒なひげをつかんだかと思うと、いきなりサーベルを引きぬいて、そのみにくい頭を、首のつけ根のところから、切り落してしまいました。とうとう、魔法使いは、一度も、旅の仲間の姿を見ることができませんでした。旅の仲間は、魔法使いのからだを、湖の中へほうりこんで、さかなのえさにしました。頭だけは、水でよくあらってから、絹のハンカチにつつんで、宿屋に持って帰りました。それから、寝床にはいって眠りました。
あくる朝、旅の仲間は、ヨハンネスにハンカチのつつみをわたしながら、
「お姫さまが、『あたしは、なにを考えていますか?』と、きくまでは、このつつみをほどいてはいけませんよ」と、言いました。
御殿の大きな広間には、大ぜいの人たちが、ぎっしりつめかけていました。まるで、赤ダイコンをたばにしたみたいなありさまです。顧問官たちは、椅子に腰かけて、やわらかなふとんを頭のうしろにあてていました。お年よりの王さまは、あたらしい着物を着ていました。金のかんむりと、しゃくとは、ピカピカにみがいてあって、たいそうりっぱに見えました。ところが、お姫さまはというと、顔の色はすっかり青ざめています。しかも、お葬式に出かけるときのような、まっ黒な着物を着ているのです。
「あたしは、いま、なにを考えていますか?」と、お姫さまは、ヨハンネスにたずねました。
そこで、ヨハンネスは、ハンカチのつつみをほどきました。ところが、どうでしょう。ほどいたとたん、だれよりもさきに、自分のほうがびっくりしてしまいました。なにしろ、おそろしい魔法使いの首が、ころがり出たんですからね。あまりのものすごさに、だれもかれもが、ふるえあがりました。お姫さまは、石の像のように、じっとしたまま、ひとことも口をきくことができません。それでも、とうとう、立ちあがって、ヨハンネスに手をさし出しました。とにかく、ヨハンネスは、ぴたりと言いあててしまったのですからね。
お姫さまは、だれの顔も見ないで、深いため息をつきながら、言いました。
「あたしは、あなたの奥さまになりますわ。今夜、結婚式をあげましょう」
「よかった、よかった。では、そういうことにいたそう」と、お年よりの王さまは言いました。
人々は、ばんざい、ばんざい、とさけびました。軍楽隊は、音楽をかなでながら、通りを行進しました。教会の鐘が鳴りわたりました。菓子屋のおかみさんたちは、砂糖菓子の子ブタから、黒い喪章を、またはずしました。いまは、町じゅうに、よろこびがみちあふれていましたから。
おなかにカモとニワトリをつめて、まる焼きにしたウシが、三頭も、広場のまん中に持ち出されました。だれでも、それを一きれずつ、切りとっていいのです。ふんすいからは、すばらしくおいしいブドウ酒がほとばしり出ました。パン屋で一シリングのパンを買うと、大きなこむぎパンを六つも、おまけにくれました。それも、ほしブドウ入りの、上等のこむぎパンをです。
夜になると、町じゅうにイルミネーションがつきました。兵隊たちは、お祝いの大砲をうちました。子供たちは、かんしゃく玉を鳴らしてあそびました。御殿では、にぎやかな宴会が開かれて、食べたり、飲んだり、かんぱいしたり、とんだり、はねたりで、たいへんな騒ぎです。おじょうひんな紳士がたと、美しいお嬢さんたちが、ひとりのこらず、手をとりあってダンスをしました。みんなのうたう声は、遠くのほうまで聞えました。
そうら、そらそら、きれいなむすめ、
みんなでそろって、踊ろうよ。
さあさ、たいこを鳴らしておくれ。
かわいい、この子よ、くるっとまわれ。
トントントンと、踊ろうよ、
靴のかかとのとれるまで。
けれども、お姫さまは、まだ、魔女のままでした。ですから、ヨハンネスが、ちっとも好きになれません。旅の仲間は、それに気がつきました。そこで、ハクチョウのつばさからぬきとった、三枚の羽と、水ぐすりの少しはいっている小さなびんとを、ヨハンネスにわたして、こう言いました。
「水をいっぱい入れた大きなたらいを、花嫁さんのベッドのそばに、置いておかせなさい。そして、お姫さまがベッドにはいろうとしたら、ちょっと押してごらん。そうすれば、お姫さまは水の中へ落ちるから。
そこでだね、水の中には、前もって、羽と、水ぐすりとを入れておいて、その中にお姫さまを、三度ほど、しずめなさい。そうすれば、魔法の力がとけて、お姫さまは、おまえさんが好きになるよ」
ヨハンネスは、旅の仲間の言うとおりにしました。お姫さまは、水の中につけられると、大声にさけびたてました。けれども、みるみるうちに、大きな黒いハクチョウになって、目をぎらぎらさせながら、ヨハンネスの手の下で、もがきはじめました。二度めに水から出てきたときには、黒いハクチョウは、もう、まっ白になっていました。ただ、首のまわりにだけ、黒い輪がついていました。ヨハンネスは、まごころこめて、神さまにお祈りをしながら、もう一度ハクチョウを水につけました。と、その瞬間、ハクチョウは、世にも美しいお姫さまの姿にかわったではありませんか。お姫さまは、前よりも、ずっとずっときれいでした。そして、美しい目に、涙をいっぱいためて、
「魔法をといてくださって、ありがとうございました」と、ヨハンネスにお礼を言いました。
あくる朝、お年よりの王さまは、ご家来をみんな連れてきました。お祝いを申しあげに来る人たちは、いつまでもいつまでもつづきました。いちばんおしまいに、旅の仲間が来ました。見れば、手に杖を持ち、背中にはいのうをしょっています。ヨハンネスは、くりかえしくりかえしキスをして、
「どこへも行かないでください。いつまでも、ぼくといっしょにいてください。だって、ぼくが、こんなにしあわせになれたのも、みんな、あなたのおかげなんですから」と、言いました。
ところが、旅の仲間は、頭をふって、しずかに、やさしく言いました。
「いやいや、わたしの時はおわったのだよ。わたしは、おまえさんに、かりていたものを返しただけなのさ。おまえさん、いつか、死んだ男を、わるいやつらが、ひどいめに会わそうとしていたのを、おぼえているかね。あのとき、おまえさんは、持っているものをみんな、そいつらにやって、死んだ男がお墓の中で、しずかに休むことができるようにしてやったね。その死んだ男が、じつは、このわたしなんだよ」
こう言いおわると、旅の仲間の姿は消えてしまいました。――
ご婚礼のお祝いは、まる一月もつづきました。ヨハンネスとお姫さまは、おたがいに心から愛しあいました。お年よりの王さまは、それからのちも、それはそれは楽しい日々をすごしました。かわいらしい、小さなお孫さんたちを、ひざの上であそばせたり、しゃくをおもちゃにさせたりしました。いっぽう、ヨハンネスは、この国じゅうの王さまになっていました。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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(クリスマスのお話)
ひろいひろい海にむかった、きゅうな海岸の上に、森があります。その森の中に、それはそれは年とった、一本のカシワの木が立っていました。年は、ちょうど、三百六十五になります。でも、こんなに長い年月も、この木にとっては、わたしたち人間の、三百六十五日ぐらいにしかあたりません。
わたしたちは、昼のあいだは起きていて、夜になると眠ります。眠っているときに、夢を見ます。ところが、木は、ちがいます。木は、一年のうち、春と夏と秋のあいだは起きていて、冬になってはじめて、眠るのです。冬が、木の眠るときなのです。ですから、冬は、春・夏・秋という、長い長い昼のあとにくる、夜みたいなものです。
夏の暑い日には、よく、カゲロウが、この木のこずえのまわりを、とびまわります。カゲロウは、いかにも楽しそうに、ふわふわダンスを踊ります。それから、この小さな生きものは、カシワの木の大きな、みずみずしい葉の上にとまって、ちょっと休みます。そういうときには、心から幸福を感じています。
すると、カシワの木は、いつも、こう言いました。
「かわいそうなおちびさん。たった一日が、おまえにとっての一生とはねえ。なんとみじかい命だろう! まったくもって、悲しいことだなあ!」
「悲しいことですって?」と、そのたびに、カゲロウは言いました。「それは、どういうことなの? なにもかもが、こんなに、たとえようもないほど明るくて、暖かくて、美しいじゃありませんか。あたしは、とってもしあわせなのよ!」
「だが、たった一日だけ。それで、なにもかもが、おしまいじゃないか」
「おしまい?」と、カゲロウは言いました。「なにがおしまいなの? あなたも、おしまいになる?」
「いいや。わしは、おそらく、おまえの何千倍も生きるだろうよ。それに、わしの一日というのは、一年の、春・夏・秋・冬ぜんぶにあたるのだ。とても長くて、おまえには、かぞえることはできんだろうよ」
「そうね。だって、あなたのおっしゃることが、わかりませんもの。あなたは、あたしの、何千倍も、生きているんですのね。でも、あたしだって、一瞬間の何千倍も生きて、楽しく、しあわせに、くらしますわ。あなたが死ぬと、この世の美しいものは、みんな、なくなってしまいますの?」
「とんでもない」と、カシワの木は、答えました。「それは、長くつづくよ。わしなどが考えることもできんくらい、いつまでも、かぎりなくつづくのだよ」
「それなら、あなたの一生も、あたしたちの一生と、たいしてかわらないわ。ただ、かぞえかたが、ちがうだけですもの」
こう言うとカゲロウは、また、空にはねあがって、ダンスをしました。カゲロウは、まるで、ビロードと、しゃでできているような、自分のうすい、きれいな羽を、うれしく思いました。暖かい空気の中で、心からよろこびました。
あたりは、クローバの畑や、生垣の野バラや、ニワトコや、スイカズラのかおりで、いっぱいですし、クルマバソウや、黄花のクリンソウや、野生のオランダハッカソウなどのにおいも、ぷんぷんしています。あんまり、においが強いので、カゲロウは、なんだか、ちょっと酔ったような気がしました。
長くて、美しい一日でした。よろこびと、あまい気持でいっぱいの一日でした。
お日さまが沈みました。カゲロウは、昼のあいだの、いろいろな楽しみのために、ぐったりと、つかれを感じました。でも、それは、気持のよいくたびれでした。もう、羽が、いうことを聞いてくれません。カゲロウは、ゆれている、やわらかな草のくきの上に、そっととまりました。ほんのちょっと、頭をこっくりこっくりさせていたかと思うと、すぐやすらかな眠りに、ついてしまいました。こうして、カゲロウは死んだのです。
「かわいそうになあ、小さなカゲロウさん!」と、カシワの木は、言いました。「あっというまの、みじかい命だったねえ」
夏のあいだじゅう、くる日も、くる日も、カゲロウは、同じダンスをしました。カシワの木と、同じことを話しあっては、同じことを答えあいました。そして、カゲロウは、いつも、同じ眠りにつくのでした。親のカゲロウも、子供のカゲロウも、孫のカゲロウも、みんな、同じことをくりかえしました。どのカゲロウも、同じように幸福で、同じように楽しんでいました。
カシワの木は、春の朝も、夏の昼間も、秋の夕方も、ずっと、目をさましていました。いよいよ、眠るときが、近づいてきました。やがて、夜の冬がやってくるのです。
もう、あらしが、うたいはじめましたよ。
「おやすみ、おやすみ。木の葉が散るよ。木の葉が散るよ。おれたちが、むしりとってやるよ。むしりとってやるよ。
さあさあ、お眠り。おれたちが、歌をうたって、眠らせてやるよ。ゆすぶって、眠らせてやるよ。
どうだい。古い枝も、気持よさそうにしているよ。うれしくって、ギシギシいってるだろう。
ぐっすり、お眠り。ぐっすり、お眠り。おまえの、三百六十五日めの夜だよ。おまえはまだ、ほんとうは、一つの赤んぼうだよ。
ぐっすり、お眠り。雲が、雪を降らせてくれるよ。それは、やわらかい寝床になるよ。おまえの足もとをつつむ、暖かい、掛けぶとんになるよ。
ぐっすり、眠って、楽しい夢をごらん」
そこで、カシワの木は、からだから、葉っぱの着物をのこらず、ぬいでしまいました。こうして、長い冬のあいだを、ゆっくり、休むことにしたのです。そのあいだに、夢もみました。カシワの木の見る夢も、人間の夢と同じに、いつもきまって、それまでに、自分の身に起ったことばかりでした。
このカシワの木にしても、一度は、小さいときがありました。いやいや、それどころか、ほんの小さなドングリを、ゆりかごにしていたこともありました。人間がかぞえたところでは、この木は、もう、四百年近くも、生きていました。森の中で、いちばん大きくて、いちばんりっぱな木なのです。木の頂は、ほかの木よりもずっとずっと、高くそびえていました。海のはるかおきのほうからも、はっきりと見えましたので、船の目じるしになりました。けれども、カシワの木のほうでは、大ぜいの人が、自分を目じるしとしてさがしていようとは、夢にも知りませんでした。
高い、緑のこずえには、野バトが巣をつくり、カッコウが歌をうたいました。
秋になって、葉が打ちのばされた銅板のようになると、わたり鳥もとんできました。わたり鳥たちは、海をこえて、とんでいくまえに、まずここで、ひと休みすることにしていました。
けれども、いまは冬です。カシワの木は、葉っぱをすっかりおとして、立っていました。ですから、枝が、どんなに、まがりくねってのびているかが、はっきりとわかりました。大ガラスや小ガラスが、とんできました。カラスたちは、かわるがわる、枝にとまっては、
「また、いやなときがはじまるねえ。まったく、冬のあいだは、食べものをさがすのがたいへんだよ」と、話しあいました。
この木が、いちばん美しい夢を見たのは、きよらかなクリスマスの晩でした。では、わたしたちも、その話を聞くことにしましょう。
きょうは、お祭りだな、と、カシワの木は、はっきりと感じました。気のせいか、近所の町の教会の、鐘という鐘が鳴っているようです。それに、おだやかで、暖かくて、まるで、すばらしい夏の日のようです。
カシワの木は、生き生きとした、緑のこずえを、力づよくのばしました。お日さまの光が、葉と、枝のあいだに、ちらちらたわむれています。空気は、草や、やぶのにおいで、いっぱいです。色とりどりのチョウが、おにごっこをして、あそんでいます。カゲロウは、ダンスをしています。まるで、なにもかもが、ただ、ダンスをして、楽しむために生きているようでした。
長い長い年月のあいだには、この木には、さまざまのことが起りました。いろいろなことも、見てきました。そうしたことが、まるで、お祭りの行列のように、つぎからつぎへと、目のまえを通りすぎていきました。
むかしの騎士と貴婦人たちが、ウマに乗って、森を通っていきます。帽子には羽かざりをつけ、手にはタカをとまらせています。狩りの角笛がひびきわたり、イヌがワンワンほえたてました。
今度は、敵の兵士たちがあらわれました。きらびやかな服装をして、ぴかぴかの武器を持っています。やりだの、ほこやりだのを、手に手に持っているのです。兵士たちは、テントをはったり、かたづけたりしました。かがり火も、どんどんたきました。カシワの木の、ひろがった枝の下で、歌をうたい、それから眠りました。
今度は、恋人たちが、お月さまの光をあびて、静かな幸福につつまれて、出会っています。ふたりは、自分たちの名前の、さいしょの文字を、緑がかった、灰色のみきに、ほりつけました。
それから、だいぶたちました。あるとき、旅をして歩く、陽気な職人たちが、ことや、たてごとを、この木の枝に、かけたことがありました。それは、いまもまだ、そのまま、かかっていて、美しい音をひびかせています。
野バトは、まるで、この木が心に感じていることを話そうとでもするように、クークー鳴きました。カッコウは、この木が、これからさき、まだまだ、たくさんの夏の日をすごさなければならないことを、うたいました。
そのとき、カシワの木は、あたらしい命が、からだじゅうを流れるような気がしました。下のほうの、一ばんほそい根から、上のほうの、一ばん高い枝まで、そうして、葉のさきざきまでも、流れるような気がしたのです。それにつれて、なんだか、からだが、ぐんぐん、のびていくような気がしました。根のさきの感じでは、たしかに、地べたの中にさえ、命と暖かみが、あるようです。力もついてきたような気がしました。カシワの木は、ますます大きくなっていきました。みきは、すくすく伸びて、どこまでもどこまでも伸びていきます。こずえは、ますますしげって、どんどんひろがり、しかも、ぐんぐん高くなっていきます。――
木が大きくなるにつれて、幸福な気持も高まってきました。このまま、どんどん大きくなって、しまいには、光りかがやく、暖かいお日さまのところまでとどきたい、という、楽しいあこがれも、おこってきました。
いよいよ、カシワの木は、雲の上よりも高く、そびえたちました。雲は、まるで、黒いわたり鳥のむれか、大きな、白いハクチョウのむれのように、下のほうを流れています。
カシワの木の葉は、まるで、一枚一枚が、目をもっているように、どんなものをも見ることができました。お星さまは、昼間でも、はっきりと見えました。とっても大きく、きらきら光っています。お星さまの一つ一つが、それはそれはやさしい、すみきった目のように、キラキラ光っているのです。それを見ると、カシワの木は、ふと、見おぼえのある、やさしい目を思い出しました。子供たちの目や、木の下で会っていた恋人たちの目です。
ほんとうに楽しい、幸福にみちた瞬間でした。でも、こうしたよろこびを感じながらも、カシワの木は、こんなことを願いました。下に見える、森じゅうの木や、やぶや、草や、花が、みんな、わしと同じように大きくなって、このすばらしいかがやきを見て、いっしょに楽しむことができたならなあ、と。
ありとあらゆるすばらしい夢を見ていながらも、この堂々としたカシワの木は、まだ、ほんとうに幸福にはなりきっていなかったのです。カシワの木は、まわりのすべてのものが、小さなものも、大きなものも、みんな、自分といっしょに、よろこびを感じないうちは、満足できなかったのです。こういう心からの思いをこめて、カシワの木は、枝や葉を、ぶるぶるっとふるわせました。ちょうど、人間が、胸をふるわすようにです。
カシワの木のこずえは、なにか、たりないものをさがそうとするように、しきりに、身を動かしました。
ふと、うしろを見ると、クルマバソウのにおいが、ぷーんとしてきました。つづいて、スイカズラとスミレのにおいが、それよりも、もっと強くしてきました。カッコウは、なんだか、自分の気持にこたえて、うたってくれているようです。
おや、森の緑の頂が、いつのまにか、雲の上まで、顔を出してきました。見れば、下のほうから、ほかの木も、自分と同じように、ぐんぐん大きくのびています。やぶも草も、高く高く、のびあがってきます。なかには、大いそぎで、のびようとして、地べたから、根までひきぬいてしまったものさえありますよ。なかでも、いちばん早く大きくなってきたのが、シラカバです。シラカバは、ほっそりとしたみきを、白いいなずまのように、ぴちぴちとのばしてきました。枝は、まるで、緑色のしゃか、旗のように、波うって、ひろがりました。
こうして、森ぜんたいが、大きくなってきました。かっしょくの、わた毛のはえたアシまでも、いっしょにのびてきました。小鳥たちも、あとを追って、歌をうたいました。草のくきは、長い、緑色の、絹のリボンのように、ゆれていました。そのくきの上には、バッタがすわって、羽で、すねの骨をうっては、音楽をかなでていました。
コガネムシやミツバチは、ブンブンうなり、小鳥という小鳥は、歌をうたいました。なにもかもが、歌とよろこびにみちあふれました。それは、天までとどくかとさえ思われました。
「しかし、あの水ぎわの、小さな、青い花も、いっしょに、大きくなってこなければいかんな」と、カシワの木は言いました。「それに、あの赤いフウリンソウや、それから、小さなヒナギクもだ」
じっさい、カシワの木は、なにもかも、自分といっしょに、大きくならせたかったのです。
「わたしたちは、いっしょよ。わたしたちは、いっしょよ」と、うたう声が、そのとき、聞えてきました。
「それにしても、去年の夏の、美しいクルマバソウは、どうしたろう。――そうそう、その前の年には、ここは、スズランが花ざかりだった。――それから、野生のリンゴの木も、ほんとうに、きれいな花を咲かせていた。――ああ、何年も何年ものあいだ、この森を美しくかざったものが、――みんな、いままで生きていたら、ここに、いま、いっしょにいられるだろうになあ!」
「わたしたちは、いっしょよ。わたしたちは、いっしょよ」という歌声が、今度は、さっきよりも高いところから、聞えてきました。いつのまにか、そんなところまで、高くとんできたようです。
「いや、これは、とても、信じられないほどの美しさだ!」と、年とったカシワの木は、よろこびの声をあげました。「わしは、なにもかも、持っているのだ。小さいものも、大きいものも。忘れたものは、一つもない。世の中に、これほどの幸福が、あるだろうか、考えられるだろうか」
「神さまの天国では、ありますよ。考えられますよ」という声が、ひびいてきました。
カシワの木は、なおも、ずんずん大きくなっていきました。とうとう、地べたから、根が離れました。
「これ以上、うれしいことは、ないぞ」と、カシワの木は言いました。
「もう、わしをしばりつけるものは、なにもない。これから、この上ない高いところへ、光とかがやきの中へ、とんでいくことができるのだ。しかも、わしの愛するものは、みんな、いっしょなのだ。小さいものも、大きいものも。みんな、いっしょなのだ」
「みんな、いっしょに」
これが、カシワの木の夢だったのです。
ところが、こうして、カシワの木が夢を見ているあいだに、すさまじいあらしが、きよらかなクリスマス前夜に、海をも、陸をも、あらしまわっていたのです。海は、山のような大波を、岸にむかって、たたきつけました。カシワの木は、メリメリッとさけて、根こそぎにされてしまいました。ちょうど、根が、地べたから離れる夢を見ていた瞬間にです。カシワの木は、地べたに、どっとたおれました。この木の、三百六十五年という一生は、カゲロウにとっての一日と、同じことでした。
クリスマスの朝になりました。お日さまがのぼったときには、あらしは、もう、すぎさっていました。教会の鐘という鐘が、おごそかに鳴りました。どの家のえんとつからも、貧乏なお百姓さんの家の、ちっぽけなえんとつからさえも、ちょうど、ドルイド教徒のさいだんからのぼる煙のように、かんしゃをこめた、ささげものの煙が、うす青く立ちのぼりました。
海は、だんだんにしずまってきました。おきの、大きな船には、クリスマスをお祝いする、色とりどりの旗がかかげられて、美しく風にはためいていました。この船は、ゆうべの、はげしいあらしにも、負けなかったのです。
「あの木が見えないぞ、年とったカシワの木が! おれたちの目じるしだったのになあ」と、水夫たちは、言いました。「ゆうべのあらしで、たおれたんだ。あの木のかわりになりそうなものは、なにかあるかな。なんにもないなあ!」
カシワの木は、海べで、雪のふとんの上に、長々と、横になっていました。でも、いま、みじかいけれども、こんなに心のこもった言葉を、お別れにうけたのです。
船の上からは、讃美歌が聞えてきました。クリスマスのよろこびをうたい、キリストによる人間の魂のすくいと、かぎりない命とをたたえる讃美歌です。
うたえ、高らかに、世の人よ。
ハレルヤ。主は生まれたまいぬ。
このよろこびぞ、たぐいなし。
ハレルヤ、ハレルヤ。
なつかしい讃美歌は、空にひびきわたりました。船の上の人たちは、みんな、この歌をうたい、お祈りをしたおかげで、魂が高められたように感じました。ちょうど、クリスマスの前夜に、年とったカシワの木が、さいごの、いちばん美しい夢のなかで、高められていったようにです。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "059322",
"作品名": "年とったカシワの木のさいごの夢",
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あるとき、ノミと、バッタと、とび人形(注)が、われわれの中で、だれがいちばん高くとべるか、ひとつ、ためしてみようじゃないか、と言いました。そこで、さっそく、世界じゅうの人々に招待状を出して、このすばらしいとびくらべを見たいと思う人は、だれでも、呼んであげることにしました。
さて、いよいよ、この三人の高とびの選手たちが、そろって部屋の中にはいってきました。
「では、いちばん高くとんだものに、わしの娘をやることにしよう」と、王さまが言いました。「せっかく、高くとんでも、ほうびがなにもないのでは、かわいそうだからのう」
ノミが、いちばんさきに出てきました。ノミは、礼儀作法をちゃんと心得ていて、あっちへもこっちへも、ていねいにおじぎをしました。むりもありません。ノミのからだの中には、お嬢さんの血が流れているのですからね。それに、ノミがいつもおつきあいしているのは、人間ばかりですしね。これも、忘れてはならない、たいせつなことです。
二番めに、バッタが出てきました。ノミよりも、ずっと重たそうなからだつきをしていましたが、それでも、からだの動かしかたなどは、なかなかじょうずなものでした。そして、緑色の制服を着ていましたが、これは生れたときから、身につけているものでした。それに、自分で話しているところによると、なんでも、エジプトという国の、たいへん古い家がらの生れだそうで、その国ではみんなからたいそう尊敬されている、ということでした。でも、ほんとうのところ、このバッタは、おもての原っぱから連れてこられて、三階だての、トランプの家の中に入れられたのです。そのトランプの家というのは、トランプのカードの絵のあるほうを、内側へむけて、作ったものでした。戸や窓もちゃんとついていて、ちょうど、ハートの女王のからだのところにありました。
「ぼくがうたいますとね」と、バッタは言いました。「じつは、この国で生れたコオロギが、十六ぴきいるんですが、その連中ときたら、小さいときから、ピーピー鳴いているのに、いまになっても、まだトランプの家に入れてもらえないものですから、ぼくがうたうのを聞くたびに、しゃくにさわって、まえよりも、もっともっとやせてしまうんですよ」
こうして、ノミとバッタのふたりは、自分たちが、どういうものであるかを、かわるがわる、しゃべりたてました。そして準備もじゅうぶんにして、自分こそ、お姫さまをお嫁さんにもらうことができるものと、思いこんでいました。
とび人形は、なんにも言いませんでした。でも、かえって、それだけ考えぶかいのだと、人々は言いました。それから、イヌは、ただにおいをかいだだけで、このとび人形は生れがいいと、うけあいました。また、だまってばかりいるので、そのごほうびに、勲章を三つもいただいた年よりの顧問官は、このとび人形はたしかに予言の力をもっております、と申したてました。その背中を見れば、ことしの冬はおだやかなのか、それとも、きびしいのか、そういうことも、わかるというのです。だけど、そんなことは、こよみを書く人の背中を見たって、とてもわかるものではないんですがね。
「そうか、わしは、なにも言わんでおこう」と、年とった王さまは言いました。「だが、わしには、自分のやりかたもあるし、自分の考えもあるのじゃ」
いよいよ、とびくらべが、はじまりました。
ノミは、あんまり高くはねあがったものですから、どこへ行ったのやら、だれにもわかりませんでした。ですから、みんなは、ちっともとびはしなかった、と言いはりました。でも、それでは、ずいぶんひどいですね。
バッタは、その半分くらいしか、とびませんでした。ところが、ぐあいのわるいことに、ちょうど王さまの顔にぶつかってしまったので、王さまは、
「これは、けしからん」と、言いました。
とび人形は、長いあいだ、じっとして、静かに考えこんでいました。それで、とうとうしまいには、みんなも、こいつはとぶことができないんだろう、と思うようになりました。
「気持でも、わるくなったのでなければいいが」と、イヌは言って、またそばへよって、においをかぎました。と、そのとたんに、パン、と、とび人形がはねあがりました。ちょっとななめにとんで、低い金の椅子に腰かけていたお姫さまの、ひざにとびこみました。
そのとき、王さまが言いました。
「いちばん高くとぶということは、つまり、わしの娘のところまで、とびあがるということじゃ。そこが、なかなかだいじなところだ。しかし、それを思いつくのには頭がいる。ところが、いま見ていると、このとび人形は、頭のあることを見せてくれた。頭に骨があるというわけじゃ」
こういうわけで、とび人形は、お姫さまをいただきました。
「なんてったって、ぼくがいちばん高くとんだんだ」と、ノミは言いました。「だが、そんなことは、もうどうだっていいや。お姫さまには、木の切れっぱしと、マツやにのついたガチョウの骨でもやっておきゃいいのさ。なんてったって、ぼくがいちばん高くとんだんだ。だけど、世の中でみとめてもらうのには、だれにでも見える、からだがいるんだなあ!」
その後、ノミは、外国に行って、軍隊にはいりましたが、人の話では、戦死したということです。
バッタは、外のみぞの中にすわって、世の中ってもののことを、じっと考えていました。そして、ノミと同じように、
「からだがいる! からだがいる!」と、言いました。そして、この虫だけがもっている、独特の、悲しげな歌をうたいました。いましているお話は、その歌からかりてきたものなのです。といっても、このお話は、こんなふうに印刷されてはいますけれども、うそかもしれませんよ。
(注)とび人形というのは、原書では、とびガチョウとなっています。つまり、ガチョウの骨で作ってある子供のおもちゃのことで、それにさわると、とびあがるしかけになっています。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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中国という国では、みなさんもごぞんじのことと思いますが、皇帝は中国人です。それから、おそばにつかえている人たちも、みんな中国人です。さて、これからするお話は、もう今からずっとむかしにあったことですけれど、それだけに、かえって今お話しておくほうがいいと思うのです。なぜって、そうでもしておかなければ、忘れられてしまいますからね。
皇帝の住んでいる御殿は、世界でいちばんりっぱな御殿でした。なにもかもが、りっぱな瀬戸物で作られていました。それには、ずいぶんお金がかかっていました。ただ、とってもこわれやすいので、うっかり、さわりでもすれば、たいへんです。ですから、みんなは、よく気をつけなければなりません。
お庭には、世にもめずらしい花が咲きみだれていました。なかでも、いちばん美しい花には、銀の鈴がゆわえつけてありました。その鈴は、たいそうよい音をたてて、リンリンと鳴りましたので、そのそばを通るときには、だれでも、つい、花のほうに気をとられるほどでした。
ほんとうに、皇帝のお庭にあるものは、なにもかもが、さまざまの工夫をこらしてありました。おまけに、そのお庭の広いことといったら、おどろいてしまいます。お庭の手入れをする植木屋でさえも、いったい、どこがお庭のおわりなのか、見当もつかないくらいだったのです。そのお庭をどんどん歩いて行くと、このうえもなく美しい森に出ました。そこには、高い木々がしげっていて、深い湖がいくつもありました。森は、青々とした深い湖の岸までつづいていて、木々の枝は水の上までひろがっていました。大きな船でも、帆をはったまま、その下を通ることができました。
さて、その枝に、一羽のナイチンゲールが住んでいました。その歌声は、ほんとうにすばらしいものでした。ですから、仕事にいそがしい、貧しい漁師でさえも、夜、網をうちにでて、ナイチンゲールの歌声を耳にすると、思わず仕事の手をやすめてはじっと聞きいったものでした。
「ああ、なんというきれいな声だ!」と、漁師は言いました。けれども、また仕事にかからねばなりません。それで、鳥のことは、それなり忘れてしまいました。けれども、またつぎの晩、漁にでかけて、ナイチンゲールの歌を聞くと、漁師はまた同じように言うのでした。
「ああ、まったく、なんというきれいな声だ!」
世界じゅうの国々から、旅行者が皇帝の都にやってきました。みんなは、御殿とお庭を見ると、そのすばらしさに、ただただおどろきました。ところが、ナイチンゲールの歌声を聞くと、
「ああ、これこそ、いちばんだ」と、口々に言いました。
旅行者たちは、自分の国へ帰ると、さっそく、そのことを人に話しました。学者たちは、皇帝の都と、御殿と、お庭とについて、幾冊も幾冊も、本を書きました。もちろん、ナイチンゲールのことを、忘れるようなことはありません。それどころか、ナイチンゲールは、いちばんすぐれたものとされました。詩をつくることのできる人たちは、あの深い湖のほとりの森に住んでいるナイチンゲールについて、それはそれは美しい詩をつくりました。
こういう本は、世界じゅうにひろまりました。ですから、そのうちのいくつかは、しぜんと皇帝の手にもはいりました。皇帝は、自分の金の椅子に腰かけて、何度も何度も、くりかえし読みました。そして、ひっきりなしにうなずきました。それもそのはず、自分の都や、御殿や、お庭のことが、美しく書かれているのを読むのは、うれしいことにちがいありませんからね。
「しかし、なんといっても、ナイチンゲールが、いちばんすぐれている」と、そこには書いてありました。
「これは、なんじゃ?」と、皇帝は言いました。「ナイチンゲールじゃと? そのような鳥は、知らんわい! そんな鳥が、このわしの国にいるんじゃと? おまけに、わしの庭にいるそうじゃが。はて、わしは、まだ聞いたこともないが。本を読んで、はじめて知ったというわけか」
そこで、皇帝は、侍従を呼びました。この侍従は、たいそう身分の高い人でしたので、自分より位の低いものが、こわごわ話しかけたり、なにかたずねたりしても、ただ、「プー!」と答えるだけでした。むろん、この返事には、なんの意味もありません。
「わが国に、世にもめずらしい鳥がおるそうじゃな。ナイチンゲールとか、申すそうじゃが」と、皇帝は言いました。「なんでも、わが大帝国の中で、いちばんすぐれたものだということじゃ。なぜ今まで、わしに、そのことを、ひとことも申さなかったのか」
「わたくしは、今までに、そのようなもののことを、聞いたことがございません」と、侍従は申しました。「今日まで、そのようなものが、宮中に、まかりでたことはございません」
「今夜にも、さっそく、そのものを連れてまいって、わしの前でうたわせてみよ」と、皇帝は言いました。「世界じゅうのものが、知っておるというのに、わしだけが、自分のもっているものを知らんとは、あきれかえった話じゃ」
「わたくしは、いままでに、そのようなもののことを、聞いたこともございません」と、侍従は言いました。「ですが、かならず、そのものをさがしだし、見つけてまいります」
でも、いったい、どこへいったら、見つかるのでしょう? 侍従は、階段という階段を、あがったり、おりたり、広間をかけぬけたり、廊下を走りまわったりしました。しかし、だれに出会っても、ナイチンゲールのことを聞いたという人はひとりもいないのです。それで、侍従は、また、皇帝のところへかけもどって、「おそらくそれは、本を書いた人たちの作り話にちがいございません」と、申しあげました。
「陛下が、書物に書かれておりますことを、すべて、お信じになりませぬよう、お願い申しあげます。なかには、いろいろの作りごともございますし、また、妖術などといわれておりますようなものもございますので」
「だが、わしが読んだという本は」と、皇帝は言いました。「りっぱな、日本の天皇より、送られてきたものじゃ。それゆえ、うそいつわりの、書いてあろうはずがない。わしは、ぜがひでも、ナイチンゲールのうたうのを聞きたい。どうあっても、今夜、ナイチンゲールをここへ連れてまいれ。なにをおいても、いちばんかわいがってやるぞ。しかし、もしも連れてまいらぬときは、よいか、宮中の役人どもは、夕食のあとで、ひとりのこらず、腹をぶつことにいたすぞ」
「チン、ペー!」
と、侍従は言って、またまた、階段をあがったり、おりたり、広間をかけぬけたり、廊下を走りまわったりしました。すると、宮中のお役人の半分もの人たちが、いっしょになってかけずりまわりました。だれだって、おなかをぶたれるのはいやですからね。こうして、世界じゅうの人々が知っているのに、宮中の人たちだけが知らない、ふしぎなナイチンゲールの捜索がはじまったのです。
とうとうしまいに、みんなは、台所で働いている、貧しい小娘に出会いました。ところが、娘はこう言いました。
「ああ、ナイチンゲールのことでございますか。それなら、あたし、よく知っておりますわ。はい、ほんとに、じょうずにうたいます。
毎晩、あたしはおゆるしをいただきまして、かわいそうな、病気の母のところへ、お食事ののこりものを、すこしばかり持ってまいりますの。母は、浜べに住んでいるのでございます。あたしが、御殿へもどってまいりますとき、つかれて、森の中で休んでおりますと、ナイチンゲールの歌声が、聞えてくるのでございます。それを聞いておりますと、思わず、涙が浮んでまいります。まるで、母が、あたしにキスをしてくれるような気持がいたしますの」
「これ、これ、娘」と、侍従が言いました。「わしたちを、そのナイチンゲールのところへ、連れていってくれ。そのかわり、わしは、おまえを、お台所の役人にしてやろう。そのうえ、皇帝さまが、お食事をめしあがるところも、見られるようにしてやろう。というのは、皇帝さまが、今夜ナイチンゲールを連れてくるようにと、おっしゃっておいでなのでな」
それから、みんなで、ナイチンゲールがいつも歌をうたっているという、森へでかけました。宮中のお役人も、半分ほどの人たちが、ぞろぞろとついていきました。こうして、みんなが、いさんで歩いて行くと、一ぴきのめウシが鳴きはじめました。
「ああ、あれだ!」と、小姓たちが言いました。「やっと、見つかったぞ。だが、あんなちっぽけな動物なのに、ずいぶん力強い声を出すんだなあ。だけど、あれなら、前にも、たしかに聞いたことがあるぞ」
「いいえ、あの声は、めウシでございます」と、お台所の小娘が言いました。「その場所までは、まだまだ、かなりございます」
今度は、沼の中でカエルが鳴きました。
「なるほど、すばらしい! おお、聞える、聞える。まるで、お寺の小さな鐘が、鳴っているようだの」と、宮中づきの中国人の坊さんが言いました。
「いいえ、いいえ、あれは、カエルでございます」と、お台所の小娘は言いました。「ですが、もうじき、聞えると思います」
やがて、ナイチンゲールが鳴きはじめました。
「あれでございます」と、小娘が言いました。「お聞きください! お聞きください! そら、そら、あそこにおりますわ」
こう言いながら、娘は、上のほうの枝にとまっている、小さな灰色の鳥を指さしました。
「これは、おどろいたな」と、侍従が言いました。「あんなものとは、思いもよらなかった。ふつうのつまらん鳥と、すこしもかわらんではないか。さては、こんなに大ぜい、えらい人たちがきたものだから、鳥のやつ、色をうしなってしまったんだな」
「かわいいナイチンゲールさん!」と、お台所の小娘は、大きな声で呼びかけました。「あたしたちの、おめぐみぶかい皇帝さまが、あなたに歌をうたってもらいたい、とおっしゃってるのよ」
「このうえもない、しあわせでございます」
ナイチンゲールは、こう言って、なんともいえない、きれいな声でうたいました。
「まるで、ガラスの鈴が鳴るようではないか!」と、侍従が言いました。「あの小さなのどを見なさい。なんとまあ、よく動くではないか。わしたちが、今まで、これを聞いたことがないというのは、まったくふしぎなくらいだ。しかし、これなら、宮中でも、きっとうまくやるだろう」
「もう一度、皇帝さまに、うたってさしあげましょうか?」
ナイチンゲールは、皇帝もそこにいるものと思ってこう言いました。
「これは、これは、すばらしいナイチンゲールどの!」と、侍従は言いました。「今夜、あなたを、宮中の宴会におまねきするのは、わしにとって大きなよろこびです。宮中へまいりましたら、あなたの美しい声で、どうか、皇帝陛下のみ心を、おなぐさめ申しあげてください」
「わたくしの歌は、このみどりの森の中で聞いていただくのが、いちばんよいのでございます」と、ナイチンゲールは言いました。けれども、皇帝がお望みになっていると聞いたので、よろこんで、いっしょについていきました。
御殿の中は、きらびやかにかざりつけられました。瀬戸物でできているかべや床は、幾千もの金のランプの光で、キラキラとかがやきました。ほんとうに、鈴のような音をたてて鳴る、このうえもなく美しい花々が、いくつもいくつも廊下におかれました。そこを、人々が走りまわったり、風が吹きこんできたりすると、どの花も、いっせいにリンリンと鳴りましたので、人の話も聞えないくらいでした。
皇帝のいる、大きな広間のまんなかに、金のとまり木がおかれました。そこに、ナイチンゲールがとまることになっていたのです。この広間に、宮中のお役人が、ひとりのこらず集まりました。お台所の小娘も、とびらのうしろに立っていてよいという、おゆるしをいただきました。なにしろ、いまでは、この小娘も、「宮中お料理人」という、名前をいただいているのですからね。だれもかれもが、いちばんりっぱな服を着ていました。みんなは、小さな灰色の鳥のほうを、じっと見ていました。そのとき、皇帝が、鳥にむかってうなずいてみせました。
すると、ナイチンゲールが、それはそれは美しい声でうたいはじめました。みるみるうちに、皇帝の目には涙が浮んできて、やがて、頬をつたわって流れおちました。すると、ナイチンゲールは、ますますきれいな声でうたいました。それは、人の心の奥底まで、しみとおるほどでした。皇帝は、心からよろこんで、自分の金のスリッパを、ナイチンゲールの首にかけてやるように、と言いました。ところが、ナイチンゲールは、お礼を申しあげて、ごほうびは、もうじゅうぶんいただきました、と申しました。
「わたくしは、皇帝陛下のお目に、涙が浮びましたのを、お見うけいたしました。それこそ、わたくしにとりましては、なににもまさる、宝でございます。皇帝陛下の涙には、ふしぎな力があるのでございます。ほんとうに、ごほうびは、それでじゅうぶんでございます」
そう言うと、またまた、人の心をうっとりさせる、美しい、あまい声で、うたいました。
「まあ、なんて、かわいらしいおせじを言うのでしょう!」と、まわりにいた貴婦人たちが言いました。それからというもの、この婦人たちは、だれかに話しかけられると、口の中に水をふくんで、のどをコロコロ言わせました。こうして、自分たちも、ナイチンゲールになったような気でいるのでした。
いや、侍従や侍女たちまでも、満足しているようすをあらわしました。だけど、このことは、たいへんなことなのですよ。なぜって、この人たちを満足させるなどということは、とてもとてもむずかしいことだったのですから。こういうわけで、ナイチンゲールは、ほんとうに、大成功をおさめました。
ナイチンゲールは、宮中にとどまることになりました。自分の鳥かごも、いただきました。そして、昼には二度、夜には一度、毎日、散歩にでかけるおゆるしもいただきました。でも、散歩に行くときにも、十二人の召使がおともについていくのです。おまけに、召使たちは絹のリボンをナイチンゲールの足にゆわえつけて、それをしっかりと持っているのです。こんなふうでは、散歩にでかけたところで、ちっとも楽しいはずがありません。
町じゅうの人たちは、よるとさわると、このふしぎな鳥のうわさをしあいました。ふたりの人が、道で出会うと、きまって、そのひとりが、「ナイチン――」と言いました。すると、もうひとりは、そのあとをうけて、「ゲール」と答えました。そして、ふたりは、ほっとため息をつくのでした。これで、ふたりには、おたがいの気持が、よくわかったのです。また、そればかりではありません。食料品屋の子供などは、十一人までもが、ナイチンゲールという名前をつけてもらいました。もっとも、名前ばかりはいくらよくっても、声のいい子はひとりもいませんでしたがね。
ある日のこと、大きなつつみが、皇帝の手もとへ届きました。見ると、つつみの上には、「ナイチンゲール」と書いてあります。
「また、この有名な鳥のことを書いた、新しい本がきたようじゃな」と、皇帝は言いました。
けれども、それは本ではありませんでした。箱の中にはいっていたのは、小さな置物です。見れば、ほんとうによくできていて、生きているほんものにそっくりの、ナイチンゲールでした。そのうえ、からだじゅうに、ダイヤモンドや、ルビーや、サファイヤがちりばめてありました。このつくりものの鳥は、ねじをまけば、ほんものの鳥がうたう歌の一つをうたいました。そして、歌をうたいながら、尾を上下にふりうごかすので、そのたびに、金や、銀が、ピカピカ光りました。首のまわりに、小さなリボンがさがっていて、それには、
「日本のナイチンゲールの皇帝は、中国のナイチンゲールの皇帝にくらべると、見おとりがします」と、書いてありました。
「これはすばらしい!」と、みんながみんな、申しました。そして、このつくりものの鳥を持ってきた男は、さっそく、「宮中ナイチンゲール持参人」という名前をいただきました。
「では、二羽の鳥をいっしょにうたわせてみよう。そうすれば、きっと、すばらしい二重唱になるだろう」
こうして、二羽の鳥が、いっしょにうたうことになりました。ところが、さっぱり、うまくいきません。ほんもののナイチンゲールは、自分かってにうたいますし、いっぽう、つくりものの鳥は、ワルツしかうたわないのですから。
「この鳥には、なんの罪もございません」と、楽長が申しました。「ことに、拍子も正しゅうございますし、わたくしの流儀にも、ぴったりあっております」
そこで、つくりものの鳥が、ひとりでうたうことになりました。――つくりものの鳥は、ほんもののナイチンゲールと同じように、みごとに成功しました。いや、見たところでは、かえって、ほんものよりもずっと美しく見えました。まるで、腕輪か、ブローチのように、キラキラかがやいたからです。
つくりものの鳥は、同じ一つの歌を、三十三回もうたわされました。しかし、それでも、つかれるということはありませんでした。人々は、またはじめから聞きたいと申しましたが、皇帝は、今度は、生きているナイチンゲールにも、なにかうたわせよう、と言いました。――ところが、あの鳥は、どこにいるのでしょう? すがたが見えないではありませんか。いつのまにか、あいている窓から飛びだして、みどりの森へ帰っていってしまったのです。けれども、それには、だれも気がつかなかったのです。
「いやはや、なんたることじゃ!」と、皇帝は言いました。
宮中の人たちは、口々に、ナイチンゲールのことをわるくいって、「なんという、恩しらずの鳥だ」と言いました。「だが、わたしたちのところには、いちばんいい鳥がいる」と、人々は言いました。
こうして、つくりものの鳥は、またまた、うたわされることになりました。これで、もう、三十四回目です。うたう歌は、いつも同じなのですが、まだだれも、その歌をすっかりおぼえることができませんでした。そんなにも、むずかしい歌だったのです。そんなわけで、楽長はこの鳥をほめちぎりました。「たしかに、この鳥はほんもののナイチンゲールよりもすぐれています。たとえば、着ているものにしても、たくさんの美しいダイヤモンドにしても、そればかりか、からだの中にしても、まちがいなくすぐれています」と。
「と申しますのは、陛下、および、皆々さま。ほんもののナイチンゲールの場合には、どんな歌が飛びだしてまいりますやら、わたくしどもには、見当もつきません。ところが、つくりものの鳥の場合には、なんでも、きちんときまっております。しかも、いつも、きまったとおりであって、それとちがったようになることは、けっしてございません。
わたくしどもは、それを説明することができるのでございます。中を開きまして、人間がどのような工夫をこらしたかを、だれにでも見せることができるのでございます。たとえば、ワルツはどんなふうにはいっているか、そして、どんなふうに動くか、そしてまた、どの曲のあとに、どの曲がつづいてくるか、ということなども、明らかにすることができるのでございます」
「わたくしも、そう思います」と、みんなは、口々に言いました。楽長は、つぎの日曜日に、この鳥を国民に見せてもよい、というおゆるしをいただきました。
「では、歌も聞かせてやるがよい」と、皇帝は言いました。
人々は、その歌を聞くと、まるで、お茶に酔ったように、とても楽しくなりました。この、お茶に酔うというのは、まったく中国式なのです。みんなは、「オー!」と言って、「つまみぐい」と呼んでいる人さし指を空にむけてうなずきました。けれども、ほんもののナイチンゲールのうたうのを聞いたことのある、あの貧しい漁師たちだけは、こう言いました。
「たしかにいい声だし、姿もよく似ている。だが、なんとなく、ものたりないな。それがなんだかは、わからないが」
ほんもののナイチンゲールは、とうとう、この国から追い出されてしまいました。
つくりものの鳥は、皇帝の寝床のすぐそばに、絹のふとんをいただいて、その上にいることになりました。あっちこっちから送られてきた、金だの、宝石だのが、そのまわりに置かれました。つくりものの鳥は、「皇帝のご寝室づき歌手」という、名前をいただき、位は左側第一位にのぼりました。皇帝は、心臓のある左側のほうが、右側よりもすぐれていると、思っていたからです。やっぱり、皇帝でも、心臓は左側にありますからね。
楽長は、つくりものの鳥について、二十五冊も本を書きました。その本はたいへん学問的で、たいそう長く、おまけに、とんでもなくむずかしい中国の言葉で書いてありました。けれども、みんなはそれを読んで、よくわかった、と言いました。なぜって、そう言わなければ、ばかものあつかいされて、おなかをぶたれてしまいますからね。
こうして、まる一年たちました。いまでは、皇帝も、宮中の人たちも、そのほかの中国人たちも、みんな、このつくりものの鳥のうたう歌なら、どんな小さな節でも、すっかりそらでおぼえてしまいました。それだからこそ、みんなはこの鳥を、いちばんすばらしいものに思いました。みんなは、いっしょに、うたうこともできるようになりました。そして、じっさい、いっしょにうたいました。通りの子供たちまで、「チ、チ、チ! クルック、クルック、クルック!」と、うたいました。皇帝も、いっしょになって、うたいました。――ほんとうに、またとない、楽しいことでした。
ところが、ある晩のことです。つくりものの鳥が、いつものようにじょうずに歌をうたい、皇帝が寝床の中にはいって、それを聞いていますと、きゅうに、鳥のからだの中で、「プスッ」という音がしました。そして、なにかが、はねとびました。と、たちまち、歯車という歯車が、「ブルルル!」と、からまわりをして、音楽が、はたとやんでしまったではありませんか。
皇帝は、すぐさま寝床からはねおきて、お医者さまを呼びました。でも、お医者さまに何ができましょう! そこで、今度は、時計屋を呼んでこさせました。時計屋は、いろいろとたずねたり、しらべたりしてから、どうにか、もとのようになおしました。ところが、
「これは、たいせつにしていただかなくてはこまります。拝見いたしますと、心棒がすっかりすりへっておりますが、と言って、音楽がうまく鳴るように、新しい心棒を入れかえることはできないのでございますから」ということでした。
さあ、なんという悲しいことがふってわいたのでしょう! これからは、つくりものの鳥の歌を、一年にたった一度しか聞くことができなくなったのです。おまけに、それさえも、きびしくいえば、まだまだ多すぎるというのです。けれども、楽長がむずかしい言葉で、短い演説をして、これは以前と同じようによろしい、と申しました。たしかに、そう言われてみれば、前と同じように、よいものでした。
いつのまにか、五年の年月がたちました。今度は、国じゅうが、ほんとうに大きな悲しみにつつまれました。国民は、だれもが皇帝を心からしたっていましたが、その皇帝が病気になって、ひとのうわさでは、もうそんなに長くはなかろう、ということなのです。もう、新しい皇帝もえらばれていました。人々は、おもての通りに出て、皇帝のおぐあいはいかがですか、と、侍従にたずねました。
「プー!」と、侍従は言って、頭をふりました。
皇帝は、大きな美しい寝床の中に、つめたく青ざめて、やすんでいました。宮中の人たちは、もうおなくなりになったものと思って、みんな、新しい皇帝にごあいさつするために、かけていってしまいました。おつきの召使たちも、さっさと、出ていって、皇帝のことをおしゃべりしていました。女官たちはといえば、にぎやかなお茶の会を開いていました。まわりの広間や廊下には、足音がしないように、じゅうたんがしきつめてありました。そのため、あたりは、それはそれはひっそりとして、静まりかえっていました。
ところが、皇帝は、まだなくなったのではありません。からだをこわばらせながら、青ざめた顔をして、まわりに長いビロードのカーテンと、おもたい金のふさのたれさがっている、りっぱな寝床の中に、じっと寝ていました。そのずっと上のところに、窓が一つあいていて、そこから、お月さまの光がさしこんで、皇帝と、つくりものの鳥とを照らしていました。
気の毒な皇帝は、もうほとんど、息をすることもできませんでした。まるで、何かが、胸の上にのっているような気がしました。そこで、目をあけてみると、胸の上に死神がのっているではありませんか。死神は、頭に皇帝の金のかんむりをかぶって、片手に皇帝の金のつるぎを持ち、もういっぽうの手に皇帝の美しい旗を持っていました。まわりの、大きなビロードのカーテンのひだからは、あやしげな顔が、幾つも幾つも、のぞいていました。なかには、ものすごくみにくい顔もありましたが、なごやかな、やさしい顔も見えました。それらは、皇帝が今までにやってきた、わるい行いと、よい行いだったのです。いま、死神が皇帝の胸の上にのりましたので、みんなは、皇帝をながめていたのです。
「これを、おぼえていますか?」と、そうした顔は、つぎつぎにささやきました。「これを、おぼえていますか?」
こうして、あやしげなものたちが、いろいろなことをしゃべりだしたので、とうとう、皇帝のひたいから汗が流れだしました。
「そんなことは、なにも知らん」と、皇帝は言いました。
「音楽だ! 音楽だ! 大きな中国だいこをたたけ!」と、大きな声で言いました。「このものどもの言うことが、なにも聞えんようにしてくれ」
けれども、あやしげな顔は、なおも、しゃべりつづけました。死神はとみれば、まるで中国人そっくりに、いちいち、みんなの言うことにうなずいているのです。
「音楽だ! 音楽だ!」と、皇帝はさけびました。「これ、かわいい、やさしい金の鳥よ。どうか、うたってくれ! うたってくれ! わしはおまえに、金も、宝石も、やったではないか。わしの手で、おまえの首のまわりに、金のスリッパもかけてやったではないか。さあ、うたってくれ! うたってくれ!」
それでも、鳥は、やっぱり、だまったままでした。ねじをまいてくれる人が、だれもいないのです。ねじをまかなければ、うたうはずがありません。死神はあいかわらず、大きなからっぽの目で、皇帝をじっと見つめていました。あたりはひっそりとして、気味のわるいほど静まりかえっていました。
と、そのときです。窓のすぐそばから、それはそれは美しい歌が聞えてきました。それは、生きている、あの小さなナイチンゲールでした。たったいま、外の木の枝に飛んできて、うたいはじめたところでした。ナイチンゲールは、皇帝がご病気だと聞いて、それでは、歌をうたって、なぐさめと、希望とをあたえてあげようと、飛んできたのでした。ナイチンゲールがうたうにつれて、あやしいもののかげは、だんだん、うすくなっていきました。そればかりではありません。皇帝の弱りきったからだの中を、血がいきおいよく、ぐんぐんめぐりはじめました。死神さえも、きれいな歌声にじっと耳をかたむけて、聞きいりました。そして、しまいには、
「もっとつづけろ、小さなナイチンゲール! もっとつづけろ!」と、言いました。
「ええ、うたいましょう。でもそのかわり、わたしに、そのりっぱな金のつるぎをください。その美しい旗をください。それから、その皇帝のかんむりをください」
死神はナイチンゲールが歌をうたうたびに、宝物を一つずつ、わたしました。ナイチンゲールは、どんどんうたいつづけました。それは、まっ白なバラの花が咲き、ニワトコの花がよいにおいを放ち、青々とした草が、あとに生きのこった人々の涙でぬれる、静かな墓地の歌でした。それを聞くと、死神は、自分の庭がこいしくなって、つめたい白い霧のように、ふわふわと、窓から出ていってしまいました。
「ありがとうよ! ありがとうよ!」と、皇帝は言いました。「天使のような、かわいい小鳥よ。わしはおまえを、よく知っているぞ。おまえをこの国から追いだしたのは、このわしじゃ。それなのに、おまえは歌をうたって、あのわるいやつどもを、わしの寝床から追いだしてくれ、わしの胸から死神を追いはらってくれた。おまえに、どういうお礼をしたらよいかな?」
「ごほうびは、もう、いただきました」と、ナイチンゲールは言いました。「わたくしが、はじめて歌をうたいましたとき、陛下のお目には涙があふれました。あのことを、わたくしはけっして忘れはいたしません。それこそ、うたうものの心をよろこばす、なによりの宝なのでございます。――でも、いまは、もう、お休みくださいませ。そうして、元気に、じょうぶに、おなりくださいませ。では、わたくしが、歌をうたってお聞かせいたしましょう」
そして、ナイチンゲールはうたいだしました。――皇帝は、すやすやと眠りました。それは、ほんとうにやすらかな、気持のよい眠りでした。
お日さまの光が、窓からさしこんできて、皇帝を照らすころ、皇帝は、すっかり元気になって、目をさましました。見れば、おそばのものたちは、まだだれひとり、もどってきてはおりません。みんながみんな、皇帝はもうおなくなりになったものと、思いこんでいたのです。でも、ナイチンゲールだけは、ずっとそばにいて、歌をうたいつづけていました。
「おまえは、これからは、いつも、わしのそばにいておくれ」と、皇帝は言いました。「おまえは、うたいたいときにだけ、うたってくれればよいのだ。このつくりものの鳥などは、こなごなに、くだいてくれよう」
「そんなことは、なさらないでくださいませ」と、ナイチンゲールは申しました。「あの鳥も、できるだけのことはしてまいったのでございます。いままでのように、おそばにお置きくださいませ。わたくしは、御殿に巣をつくって、住むことはできません。でも、わたくしの好きなときに、こさせていただきとうございます。
そうすれば、わたくしは、夕方、窓のそばの、あの枝にとまりまして、陛下がおよろこびになりますように、そしてまた、お考えが深くなりますように、歌をうたってお聞かせいたしましょう。わたくしは、しあわせな人たちのことも、苦しんでいる人たちのことも、うたいましょう。また、陛下のまわりにかくされている、わるいことや、よいことについても、うたいましょう。歌をうたう小鳥は、貧しい漁師や、農家の屋根の上をも飛びまわりますし、陛下や、この御殿からはなれた、遠いところにいる人たちのところへも、飛んでいくのでございます。
わたくしは、陛下のかんむりよりも、お心のほうが好きなのでございます。と申しましても、陛下のかんむりのまわりには、なにか、神々しいもののかおりが、ただよってはおりますが。――
わたくしは、またまいりまして、陛下に歌をお聞かせいたします。――ですが、一つだけ、わたくしに、お約束をしてくださいませ」
「なんでもいたす!」と、皇帝は言って、自分で皇帝の着物を着て立ちました。それから、金でできている、おもたいつるぎを胸にあてて、ちかいました。
「では、一つだけ、お願いしておきます。陛下に、なにもかも申しあげる小鳥がおりますことを、どなたにもおっしゃらないでくださいませ。そうしますれば、いっそう、うまくまいりますでしょう」
こう言って、ナイチンゲールは飛んでいきました。
召使たちが、おなくなりになった皇帝を見に、はいってきました。――や、や、みんなは、びっくりぎょうてんして、そこに立ちどまってしまいました。すると、皇帝が言いました。
「おはよう!」 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年1月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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いかにも楽しそうな顔つきをした、かなりの年の人が、汽船に乗っていました。もし、ほんとうにその顔つきどおりとすれば、この人は、この世の中で、いちばんしあわせな人にちがいありません。じっさい、この人は、自分で、そう言っていましたよ。わたしは、それを、この人自身の口から、ちょくせつ聞いたのです。
この人は、デンマーク人でした。つまり、わたしと同じ国の人で、旅まわりの芝居の監督だったのです。この人は、一座のものを、いつもみんな、引きつれていました。それは、大きな箱の中にはいっていました。というのも、この人は人形つかいだったからです。この人の話によると、生れたときから陽気だったそうですが、それが、ある工科大学の学生によって清められ、そのおかげで、ほんとうにしあわせになったということです。
わたしには、この人の言う意味が、すぐにはわかりませんでしたが、まもなく、この人は、その話をすっかり説明してくれました。これが、そのお話です。
あれはスラゲルセの町でしたよ、と、この人は、話しはじめました。わたしは、駅舎で芝居をやっていたんです。芝居小屋もすばらしいし、お客さんもすばらしい人たちでした。といっても、おばあさんが二、三人いたほかは、みんな堅信礼もすんでいない、小さなお客さんたちでしたがね。
するとそこへ、黒い服を着た、学生らしい人がきて、腰かけました。その人は、おもしろそうなところになると、かならず笑って、手をたたいてくれました。こういう人は、ほんとにめずらしいお客さんなんですよ。そこで、わたしは、この人がどういう人か、知りたくなりました。人に聞いてみると、地方の人たちを教えるために、つかわされてきている、工科大学の学生だということでした。
わたしの芝居は八時におしまいになりました。だって、子どもたちは、早く寝なければいけませんでしょう。わたしたちは、お客さまのつごうを考えなければなりませんからね。九時になると、学生は講義と実験をはじめました。今度は、わたしが聞き手にまわりました。
しかし、講義を聞いたり、実験を見たりしているうちに、なんだか、とてもふしぎな気持になりましたよ。たいていのことは、わたしの頭をすどおりしてしまいましたが、これだけは、いやでも考えさせられましたね――われわれ人間が、こういうことを考えだすことができるとすれば、われわれは、地の中にうめられるまでに、もっと長生きできてもいいはずだが、とね。
あの学生のやったことは、ほんの小さな奇蹟にすぎませんでしたが、なにもかもが、すらすらといって、まるで、自然に行われているようでした。モーゼや預言者の時代であったら、あの工科大学の学生は、国の賢者のひとりとなったにちがいありません。それが、もし中世の時代だったら、おそらく、火あぶりにされたでしょうよ。
その晩、わたしは一晩じゅう、眠れませんでした。つぎの晩にも、わたしが芝居をやっていると、その学生は、また見にきてくれました。で、わたしは、すっかりうれしくなりました。わたしは、ある役者から、こんな話を聞いたことがあります。その役者が、恋人の役をやるときには、お客の中の、ただひとりの女の人のことだけを、心に思い浮べて、その人のために役を演じて、ほかのことは、小屋からなにから、いっさい忘れてしまうというのです。わたしにとっては、この工科大学の学生が、その「女の人」になったのです。この学生のためにのみ、わたしは、芝居をして見せることになったのです。
芝居がおわると、人形たちはみんな、舞台に呼びだされました。そして、わたしは、工科大学の学生からブドウ酒を一ぱい、ごちそうになりました。学生はわたしの芝居について話し、いっぽうわたしは、学生の学問について話しました。あのとき、わたしたちは、おたがいに、たいへん楽しく話しあったように思います。
それにしても、あのとき、学生の言った言葉は、今もなお、わたしの頭にこびりついています。というのは、その話の中には、学生自身でも、説明できないようなことが、たくさんありましたからね。たとえば、一片の鉄がコイルの中を通ると磁石になるといったことがらも、その一つです。ほんとに、これはどういうわけでしょうか? 霊気が、それに働きかけるのです。しかし、その霊気は、どこから来るのでしょう? わたしの考えでは、この世の中の人間についても、同じではないか、という気がしますね。神さまは、人間を時のコイルの中を通過させます。そうすると、霊気が働きかけて、ナポレオンのような人や、ルーテルのような人や、あるいはまた、それと似たような人が、できあがるのです。
「全世界は、奇蹟の連続ですよ」と、学生は言いました。「ところが、われわれは、それになれすぎているものだから、あたりまえのことのように思っているんです」
それから、学生はいろいろと話したり、説明したりしてくれました。で、とうとう、わたしは、すっかり目を開かれたようになりました。そこで、わたしは、もしこんなに年をとっていなければ、すぐにでも工科大学へはいって、この世の中のことを、いろいろと調べてみたいんだが、まあ、それができないにしても、わたしはもっともしあわせな人間のひとりだと、正直に白状しました。
「もっともしあわせな人間のひとりですって!」と、学生は、ひとことひとことを、味わうように言いました。「あなたは、ほんとうにしあわせなんですか?」と、学生はたずねました。
「ええ」と、わたしは答えました。「わたしはしあわせですよ。わたしが、一座のものを連れていけば、どこの町でも、大かんげいをしてくれます。といっても、もちろんわたしにも、一つの願いがありますがね。それが、ときどき、ばけものか、夢にあらわれる悪魔のように、わたしにおそいかかってきて、わたしの上きげんを、めちゃめちゃにしてしまいます。つまり、その願いというのは、生きた人間の一座の、ほんとうの人間社会の、劇場監督になることなんです」
「それでは、あなたは、人形が命を持つことを、望んでいらっしゃるんですね。人形たちが、ほんとうの役者になることを望んでいらっしゃるんですね」と、学生は言いました。「そして、あなた自身が監督になれば、それであなたは、完全に幸福になると、信じていらっしゃるんですか?」
学生はそれを信じませんでしたが、わたしは信じました。わたしたちは、さらにそのことについて、いろいろと話しあい、とうとう、意見もほとんど一致しました。そこで、わたしたちは、グラスをかちあわせて、かんぱいしました。ブドウ酒はたいへん上等なものでしたが、その中には、なにか魔法のくすりでも、はいっていたんでしょうよ。なぜって、いつもなら、いい気持になって、酔ってしまうのですが、このときは、そうではなくて、逆に、わたしの目は、はっきりとしてきたんです。
と、きゅうに、部屋の中に太陽がさしこんできたように、明るくなりました。その光は、工科大学の学生の顔から、さしているのです。思わず、わたしは、永遠の若さで、地上を歩きまわっていたという、大昔の神さまたちを、思わずにはいられませんでした。わたしが、そのことを言うと、学生はほほえみました。わたしは、この学生こそ、姿をかえた神さまか、そうでなければ、神さまの家族のものにちがいない、と、ちかってもいいとさえ、思ったほどでした。――ところが、ほんとうに、そうだったんですよ――わたしのいちばんの願いが、かなえられたんです。人形たちが生きて、わたしは生きた、ほんとうの人間の一座の、監督になったんです。
わたしたちは、お祝いのかんぱいをしました。学生は、わたしの人形を一つのこらず、木の箱につめて、それを、わたしの背中にしばりつけました。そして、わたしを、ドスンと、コイルの中に入れました。そのとき、ドスンと落ちた音が、いまでも、わたしの耳に聞えてきますよ。わたしは、床の上に横たわりました。これは、ほんとうの話ですよ。すると、一座のものが、みんな箱から飛びだしてきました。つまり、霊気が、みんなの上に働きかけたってわけです。人形という人形が、すばらしい芸術家になりました。みんながみんな、自分で、そう言うんです。そして、このわたしは、監督になったんです。
第一回めの上演の準備は、もうすっかりできあがりました。ところが、一座のものがひとりのこらず、なにか、わたしに話したいことがあるというんです。お客さんもおんなじです。踊り子は、自分が片足で立たないと劇場はつぶれてしまう。なにしろ、自分は舞踊界の大家なんだから、それにふさわしいように、待遇してもらいたい、と、言いだしました。すると、皇后の役をやった人形は舞台の外でも、皇后としてあつかってもらいたい、そうでないと、へたになってしまうから、と、言いました。
また、手紙を持って登場する役の人形は、一座の中でいちばんの色男役のつもりで、もったいぶっていました。なぜって、芸術の世界では、小さいものも、大きいものと同じように重要なのだから、と、この男は言いたてました。いっぽう、主人公役は、自分が出るときは、いつも幕切れのまえでなければこまる、なぜなら、お客さんはそこで拍手するのだから、と、言いました。それから、プリマドンナは、自分が出るときは、赤い照明にしてもらいたい、それが、自分にはよく似合うのだから、と言いました――そして、青い照明ではいやだ、と言うのです。
みんなのうるさいことといったら、まるで、ハエがびんの中で、ブンブンいっているようでした。しかも、このわたしは、そのびんの中にいなければならないんですよ。なにしろ、監督ですからね。息はつまりそうになるし、頭はくらくらしてくる、わたしはこの上もなくみじめな人間になってしまいました。今までに見たこともないような、とんでもない種類の人間の中にはいってしまったのです。わたしは、もう一度みんなを箱の中に入れてしまいたい、と思いました。もうどんなことがあっても、監督にはなるまい、と思いました。わたしは、みんなにむかって、正直に、きみたちは、なんのかんのと言ったって、けっきょくは、人形にすぎないじゃないか、と、言ってやりました。すると、みんなは、いきなり、わたしに打ってかかりました。
気がついてみると、わたしは、自分の部屋のベッドに寝ていました。わたしが、どんなふうにして、そこへもどってきたかは、工科大学の学生は知っていたにちがいありません。けれども、わたしはなんにも知りませんでした。月の光が、床の上にさしこんでいました。そこには、人形の箱がひっくりかえっていて、人形たちは、大きいのも小さいのも一つのこらず、つまり、わたしの商売道具がみんな、ほうり出されていました。わたしは、のろのろせず、すぐさま、ベッドから飛びだしました。すると、みんなは、箱の中にはいっていきました。ある者は頭のほうから、ある者は足のほうから、というぐあいに。わたしは、ふたをして、その箱の上に、どっかと、腰をおろしました。そのときのようすは、絵にでもかいておきたいようでしたよ。あなたには想像できますか。わたしには、今もなお目に見えるようですよ。
「さあ、おまえたちは、そこにはいっているんだよ」と、わたしは言いました。「わたしは、もう、おまえたちが、血と肉を持つようになることを、願わないよ」
わたしは、たいへん気が楽になりました。わたしは、この世で、もっともしあわせな人間になりました。あの工科大学の学生が、わたしの心を清めてくれたのです。わたしは、なんともいえない幸福な気持にひたっているうちに、箱にこしかけたまま、いつのまにか、寝こんでしまいました。そして、朝になっても、――いや、ほんとうは、もう、お昼になっていました。びっくりするほど、寝坊をしてしまったものです――わたしは、まだ箱の上に腰かけていました。あいかわらず、しあわせな気持でした。なにしろ、前から胸にいだいていた、あのたった一つの願いが、ばかばかしいものであるということを、知ったのですから。わたしは、工科大学の学生のことをたずねてみました。すると、あの学生は、まるでギリシャやローマの神さまたちのように、もう、消えうせてしまっているのでした。このときからというもの、わたしは、世にもしあわせな人間なんですよ。幸福な監督なんです。わたしの一座のものは、りくつをこねません。お客さんも、おんなじです。みんな、心の底からよろこんでくれています。
わたしは、自分の芝居を、自由に組み立てることができます。いろんな芝居から、自分の好きな、いちばんいいところを、取ってきても、だれひとり、腹をたてる者もありません。大きな劇場では、今は見むきもされませんが、三十年前にはお客をひきつけて、涙を流させた、というような作品を、わたしは取りあげて、小さいお客さんたちに、やってみせるのです。そうすると、小さいお客さんたちは、むかし、おとうさんやおかあさんが泣いたように、泣いてくれるのです。わたしは、「ヨハンナ・モンフォーコン」や「ダイヴェケ」を上演します。でも、ちぢめてですよ。というのは、小さいお客さんたちは、長たらしい愛のおしゃべりなんか、きらいですからね。あの人たちが好きなのは、不幸です。それも、てっとり早いのが、好きなんです。
わたしは、今までにデンマークを、すみからすみまで旅してまわりました。そして、あらゆる人を知り、またわたしも、あらゆる人に知られました。いま、わたしはスウェーデンに行くところです。もしスウェーデンでも、運がよくて、お金をたくさんもうけたら、わたしはスカンジナビア会にはいるつもりです。でも、もうけなければ、はいりませんよ。この話は、あなたが同じ国のかただから、申しあげるのです。
そして、同じ国の人間であるわたしは、この話を、さっそくそのまま、お伝えしたわけです。ただお話ししたいばっかりにね。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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はるか、沖合へでてみますと、海の水は、およそうつくしいやぐるまぎくの花びらのように青くて、あくまですきとおったガラスのように澄みきっています。でも、そこは、ふかいのなんのといって、どんなにながく綱をおろしても底にとどかないというくらいふかいのです。お寺の塔を、いったい、いくつかさねて積み上げたら、水の上までとどくというのでしょうか。そういうふかい海の底に、海のおとめたち――人魚のなかまは住んでいるのです。
ところで、海の底なんて、ただ、からからな砂地があるだけだろうと、そうきめてしまってはいけません。どうして、そこには、世にもめずらしい木や草がたくさんしげっていて、そのじくや葉のしなやかなことといったら、ほんのかすかに水がゆらいだのにも、いっしょにゆれて、まるで生きものがうごいているようです。ちいさいのも、おおきいのも、いろんなおさかなが、その枝と枝とのなかをつうい、つういとくぐりぬけて行くところは、地の上で、鳥たちが、空をとびまわるのとかわりはありません。この海の底をずっと底まで行ったところに、海の人魚の王さまが御殿をかまえています。その御殿の壁は、さんごでできていて、ほそながく、さきのとがった窓は、すきとおったこはくの窓でした。屋根は貝がらでふけていて、海の水がさしひきするにつれて、貝のふたは、ひとりでにあいたりしまったりします。これはなかなかうつくしいみものでした。なぜといって、一枚一枚の貝がらには、それひとつでも女王さまのかんむりのりっぱなそうしょくになるような、大きな真珠がはめてあるのでしたからね。
ところで、この御殿のあるじの王さまは、もうなが年のやもめぐらしで、そのかわり、年とったおかあさまが、いっさい、うちのことを引きうけておいでになりました。このおかあさまは、りこうな方でしたけれど、いちだんたかい身分をほこりたさに、しっぽにつける飾りのかきをごじぶんだけは十二もつけて、そのほかはどんな家柄のものでも、六つから上つけることをおゆるしになりませんでした。――そんなことをべつにすれば、たんとほめられてよい方でした。とりわけ、お孫さんにあたるひいさまたちのおせわをよくなさいました。それはみんなで六人、そろってきれいなひいさんたちでしたが、なかでもいちばん下のひいさまが、たれよりもきりょうよしで、はだはばらの花びらのようにすきとおって、きめがこまかく、目はふかいふかい海のようにまっ青でした。ただほかのひいさまたちとおなじように、足というものがなくて、そこがおさかなの尾になっていました。
ながいまる一日、ひいさまたちは、海の底の御殿の、大広間であそびました。そとの壁からは、生きた花が咲きだしていました。大きなこはくの窓をあけると、おさかながつういとはいって来ます。それはわたしたちが窓をあけると、つばめがとび込んでくるのに似ています。ただ、おさかなは、すぐと、ひいさまたちの所まで泳いで行って、その手からえさをとってたべて、なでいたわってもらいました。
御殿のそとには、大きな花園があって、はでにまっ赤な木や、くらいあい色の木がしげっていました。その木の実は金のようにかがやいて、花はほのおのようにもえながら、しじゅうじくや葉をゆらゆらさせていました。海の底は、地面からしてもうこまかい砂でしたが、それは硫黄の火のように青く光りました。そこでは、なにもかも、ふしぎな、青い光につつまれているので、それはふかい海の底にいるというよりも、なにか宙に浮いていて、上にも下にも青空をみているようでした。海のないでいるときには、お日さまが仰げました。それはむらさきの花のようで、そのうてなからながれだす光が、海の底いちめんひろがるようにおもわれました。
ひいさまたちは、めいめい、花園のなかに、ちいさい花壇をもっていて、そこでは、すき自由に、掘りかえすことも植えかえることもできました。ひとりのひいさまは、花壇を、くじらの形につくりました。するともうひとりは、じぶんのは、かわいい人魚に似せたほうがいいとおもいました。ところが、いちばん下のひいさまは、それをまんまるく、そっくりお日さまのかたちにこしらえて、お日さまとおなじようにまっ赤に光る花ばかりを咲かせました。このひいさまはひとりちがって、ふしぎとものしずかな、かんがえぶかい子でした。ほかのおねえさまたちが、難船した船からとって来ためずらしい品物をならべたててよろこんでいるとき、このひいさまだけは、うつくしい大理石の像をひとつとって来て、大空のお日さまの色に似た、ばら色の花の下に、それをおいただけでした。それはまっ白にすきとおる石をきざんだ、かわいらしい少年の像で、難破して海の底にしずんだ船のなかにあったものでした。この像のわきに、ひいさまは、ばら色したしだれやなぎを植えました。それがうつくしくそだって、そのみずみずしい枝が像をこして、むこうの赤い砂地の上までたれました。そこに濃いむらさきの影ができて、枝といっしょにゆれました。それはまるで、こずえのさきと根とがからみあって、たわむれているようにみえました。
このひいさまにとつて、海の上にある人間の世界の話をきくほど、おおきなよろこびはありません。おばあさまにせがむと、船のことや、町のことや、人間やけもののことや、知っていらっしゃることはなにもかも話してくださいました。とりわけ、ひいさまにとってめずらしくおもわれたのは、海の底ではついないことなのに、地の上では、お花がにおっているということでした。それと、森がみどり色していて、その森のこずえのなかに、おさかなが、高い、かわいらしい声で歌がうたえて、それがきくひとの耳をたのしくするということでした。その、おばあさまがおさかなとおっしゃったのは、小鳥のことでした。だって、ひいさまたちは、小鳥というものをみたことがないのですもの、そういって話さなければわからないでしょう。
「まあ、あなたたち、十五になったらね。」と、おばあさまはいいました。「そのときは、海の上へ浮かび出ていいおゆるしをあげますよ。そうすれば、岩に腰をかけて、お月さまの光にひたることもできるし、大きな船のとおるところもみられるし、森や町だってみられるようになるよ。」
来年は、いちばん上のおねえさまが、十五になるわけでした。でも、ほかのおねえさまたちは――そう、めいめい、一年ずつ年がちがっていましたから、いちばん下のひいさまが、海の底からあがっていって、わたしたちの世界のようすをみることになるまでには、まる五年も待たなければなりません。でも、ひとりがいけば、ほかのひとたちに、はじめていった日みたこと、そのなかでいちばんうつくしいとおもったことを、かえって来て話す約束ができました。なぜなら、おばあさまのお話だけでは、どうも物たりなくて、ひいさまたちの知りたいとおもうことが、だんだんおおくなって来ましたからね。
そのなかでも、いちばん下のひいさまは、あいにく、いちばんながく待たなくてはならないし、ものしずかな、かんがえぶかい子でしたから、それだけたれよりもふかくこのことをおもいつづけました。いく晩もいく晩も、ひいさまは、あいている窓ぎわに、じっと立ったまま、くらいあい色した水のなかで、おさかながひれやしっぽをうごかして、およぎまわっているのをすかしてみていました。お月さまと星もみえました。それはごくよわく光っているだけでしたが、でも水をすかしてみるので、おかでわたしたちの目にみえるよりは、ずっと大きくみえました。ときおり、なにかまっ黒な影のようなものが、光をさえぎりました。それが、くじらがあたまの上をおよいでとおるのか、またはおおぜい人をのせた船の影だということは、ひいさまにもわかっていました。この船の人たちも、はるか海の底に人魚のひいさまがいて、その白い手を、船のほうへさしのべていようとは、さすがにおもいもつかなかったでしょう。
さて、いちばん上のひいさまも、十五になりました。いよいよ、海の上に出られることになりました。
このおねえさまがかえって来ると、山ほどもおみやげの話がありましたが、でも、なかでいちばんよかったのは、波のしずかな遠浅の海に横になりながら、すぐそばの海ぞいの大きな町をみていたことであったといいます。そこでは、町のあかりが、なん百とない星の光のようにかがやいていましたし、音楽もきこえるし、車や人の通るとよめきも耳にはいりました。お寺のまるい塔と、とがった塔のならんでいるのが見えたし、そこから、鐘の音もきこえて来ました。でも、そこへ上がっていくことはできませんから、ただなにくれと、そういうものへのあこがれで、胸をいっぱいにしてかえって来たということでした。
まあ、いちばん下のひいさまは、この話をどんなに夢中できいたことでしょう。それからというもの、あいた窓ぎわに立って、くらい色の水をすかして上を仰ぐたんびに、このひいさまは、いろいろの物音ととよめきのする、その大きな町のことをかんがえました。するうち、そこのお寺の鐘の音が、つい海の底までも、ひびいてくるようにおもいました。
そのあくる年、二ばんめのおねえさまが、海の上へあがって行って、好きな所へおよいでいっていい、おゆるしがでました。このおねえさまが、浮き上がると、そのときちょうどお日さまが沈みましたが、これこそいちばんうつくしいとおもったものでした。大空がいちめん金をちらしたようにみえて、その光をうつした雲のきれいだったこと、とてもそれを書きあらわすことばはないといいました。くれないに、またむらさきに、それがあたまの上をすうすう通ってながれていきました。けれども、その雲よりももっとはやく、野のはくちょうのむれが、それはながい、白いうすものが空にただようように、しずんで行く夕日を追って、波の上をとんでいきました。このおねえさまも、これについてまけずにおよいでいきましたが、そのうち、お日さまはまったくしずんで、ばら色の光は、海の上からも、雲の上からも消えていきました。
また次の年には、三ばんめのおねえさまが上がっていきました。このおねえさまは、たれよりもむこうみずな子でしたから、大きな川が海にながれだしている、そこの川口をさかのぼっておよいでいってみました。そこにはぶどうのつるにおおわれたうつくしいみどりの丘がみえました。むかしのお城や荘園が、みごとに茂った森のなかからちらちらしていました。いろんな鳥のうたいかわす声も聞きました。するうちお日さまが、照りつけて来たので、ほてった顔をひやすために、たびたび水にもぐらなくてはなりませんでした。水がよどんでちいさな入江になった所で、かわいい人間のこどもたちのかたまって、あそんでいるのに出あいました。まるはだかで、かけまわって、ぼちゃぼちゃ水をはねかしました。いっしょにあそぼうとすると、みんなおどろいて逃げていってしまいました。するとそこへ、ちいさな、まっ黒な動物がでて来ました。これは犬でしたが、犬なんて、みたことはなかったし、いきなり、はげしくほえかかって来たので、こわくなって、またひろい海へおよいでもどりました。でも、あのうつくしい森もみどりの丘も、それから、おさかなのしっぽももっていないくせに、水におよげるかわいらしいこどもたちのことをも、このひいさまは、いつまでもわすれることができませんでした。
さて、四ばんめのおねえさまは、それほどむこうみずではありませんでしたから、そこで、ひろい大海のまんなかに居ずくまったままでしたが、でもそこがどこよりもいちばんうつくしかったと話しました。もうぐるりいちめん、なんマイルと先の知れないとおくまで見はらせて、あたまの上の青空は、とほうもなく大きなガラス鐘のようなものでした。船というものもみました。でも、それはただ遠くにはなれていて、まるでかもめのようにみえていました。それからおどけもののいるかが、とんぼがえりしたり、大きなくじらが鼻のあなから、しおをふきだして、そのへんいちめんに、なん百とない噴水がふきだしたようでした。
こんどは、五ばんめのおねえさまの番になりました。このひいさまは、おたん生日が、ちょうど冬のあいだでしたので、ほかのおねえさまたちのみなかったものをみました。海はふかいみどり色をたたえて、その上に、氷の山がまわりをとりまいて浮いていました。そのひとつびとつが白く光って、まるで真珠の山のようでしたが、それも人間の建てたお寺の塔よりもずっと高いものだつたといいました。それがまたきみょうともふしぎともいいようのないかたちをして、どれもダイヤモンドのようにちかちかかがやいていました。このおねえさまは、そのなかのいちばん大きい山に腰をかけて、そのながい髪の毛を風のなぶるままにさせていますと、そのまわりに寄って来た帆船の船頭は、みんなおどろいて、船をかえしました。でも、夕方になると空は雲でつつまれて、かみなりが鳴ったり、いなづまが走ったり、まっ黒な波が大きな氷の山を高くつき上げて、いなづまのつよい光にあてました。のこらずの船が帆をおろして、そこには、おそれとおののきとがたかまっていました。けれども、人魚のむすめは、へいきで、ちかちか光る氷の山の上に腰をのせたまま、かがやく海の上に、いなづま形に射かける稲光の青い色をながめていました。
さて、こうして、おねえさまたちは、めいめいに、はじめて海の上へ浮かんで出てみた当座こそ、まのあたりみた、めずらしいもの、うつくしいものに心をうばわれました。けれども、いまは一人まえのむすめになって、いつどこへでも好きかってにいかれるとなると、もうそれも心をひかなくなりました。またうちがこいしくなって来て、やがて、ひと月もすると、やはり海の底ほどけしきのいい所はどこにもないし、うちほどけっこうな住居はないわ、といいあうようになりました。
もういく晩も、夕方になると、五人のおねえさまたちは、おたがい手を組んで、つながって、水の上へあがっていきました。みんな、どんな人間もおよばないうつくしい声をもっていました。あらしが来かけると、やがて船はしずむほかないことが分かっていますから、みんなして船のそばへおよいでいって、やさしい歌をうたってやりました。海の底がどんなにうつくしいか、だから船人たちはしずむことをそんなにこわがるにはおよばない、そううたってやるのです。でも、そのことばは、人間には分かりません。それをやはりあらしの音だとおもっていました。それにまた、しずんでいくひとたちが、しずみながら海の底をみるなんて、そんなうまいわけにはいかないのです。なぜなら、船がしずむと、それなり船人はおぼれてしまいます。そうして、しかばねになって、人魚の王さまの御殿へはこばれてくるのですもの。
きょうだいたちが、こうして手をつないで、夕方、水の上へあがっていくとき、いちばん下のひいさまだけは、いつもひとりぼっちあとにのこっていました。そうしてみんなのあとをみおくっていると、なんだか泣かずにいられない気持になりました。けれども、海おとめには、涙というものがないのです。そのため、よけい、せつないおもいをしました。
「ああ、あたし、どうかしてはやく十五になりたいあ。」と、このひいさまはいいました。「あたしにはわかっている。あの上の世界でも、そこにうちをつくって住んでいる人間でも、あたしきっと好きになれるでしょう。」
するうち、とうとう、ひいさまも十五になりました。
「さあ、いよいよ、あなたも、わたしの手をはなれるのだよ。」と、ごいんきょのおばあさまがおっしゃいました。「では、いらっしゃい、おねえさまたちとおなじように、あなたにもおつくりをしてあげるから。」
こういって、おばあさまは、白ゆりの花かんむりを、ひいさまの髪にかけました。でも、その花びらというのが、一枚一枚、真珠を半分にしたものでした。それからまだおばあさまは、八つまで、大きなかきを、ひいさまのしっぽにすいつかせて、それを高貴な身分のしるしにしました。
「そんなことをおさせになって、あたし、いたいわ。」と、ひいさまはいいました。
「身分だけにかざるのです。すこしはがまんしなければね。」と、おばあさまは、おっしゃいました。ああ、こんなかざりものなんか、どんなにふり捨てたかったでしょう。おもたい花かんむりなんか、どんなにほうりだしたかったでしょう、ひいさまは、花壇に咲いている赤い花のほうが、はるかよく似合うことはわかっていました。でも、いまさら、それをどうすることもてきません。
「いってまいります。」と、ひいさまはいって、それはかるく、ふんわりと、まるであわのように、水の上へのぼっていきました。
ひいさまが、海の上にはじめて顔をだしたとき、ちょうどお日さまはしずんだところでした。でもどの雲もまだ、ばら色にも金色にもかがやいていました。そうして、ほの赤い空に、よいの明星が、それはうつくしくきらきら光っていました。空気はなごやかに澄んでいて、海はすっかりないでいました。そこに三本マストの大きな船が横たわっていました。そよとも風がないので、一本だけに帆が上げてあって、それをとりまいて、水夫たちが、帆綱や帆げたに腰をおろしていました。
そのうち、音楽と唱歌の声がして来ました。やがて夕やみがせまってくると、なん百とない色がわりのランプに火がともって、それは各国の国旗が、風になびいているように見えました。人魚のひいさまは、その船室の窓の所までずんずんおよいでいきました。波にゆり上げられるたんびに、ひいさまは、水晶のようにすきとおった窓ガラスをすかして、なかをのぞくことができました。そこには、おおぜい、晴着を着かざった人がいました、でも、そのなかで目立ってひとりうつくしいのは、大きな黒目をしたわかい王子でした。王子はまだ満十六歳より上にはなっていません。ちょうどきょうがおたん生日で、このとおりさかんなお祝をしているしだいでした。水夫たちは、甲板でおどっていました。そこへ、わかい王子がでてくると、なん百とない花火が打ち上げられて、これがひるまのようにかがやいたので、ひいさまはびっくりして、いったん水のなかにしずみました。けれどまたすぐ首をだすと、もうまるで大空の星が、いちどにおちかかってくるようにおもわれました。こんな花火なんというものを、まだみたことはありませんでした。大きなお日さまがいくつもいくつも、しゅうしゅういいながらまわりました。すばらしくきれいな火魚が青い中空にはね上がりました。そうして、それがみんな鏡のようにたいらな海の上にうつりました。それよりか船の上はとてもあかるくて、甲板の上の帆綱が、ごくほそいのまで一本一本わかるくらいだ、とみんなはいっていました。でも、まあ、わかい王子のほんとうにりっぱなこと。王子はたれとも握手をかわして、にぎやかに、またにこやかにわらっていました。そのあいだも、音楽は、この晴れがましい夜室にひびきつづけました。
夜がふけていきました。それでも、人魚のひいさまは、船からも、そこのうつくしい王子からも、目をはなそうとはしませんでした。色ランプは、とうに消され、花火ももう上がらなくなりました。祝砲もとどろかなくなりました。ただ、海の底で、ぶつぶつごそごそ、ささやくような音がしていました。ひいさまは、やはり水の上にのっかって、上に下にゆられながら、船室のなかをのぞこうとしていました。でも、船はだんだんはやくなり、帆は一枚一枚はられました。するうち、波が高くなって来て、大きな黒雲がわきだしました。遠くでいなづまが、光りはじめました。やれやれ、おそろしいあらしになりそうです。それで水夫たちはおどろいて、帆をまき上げました。大きな船は、荒れる海の上をゆられゆられ、とぶように走りました。うしおが大きな黒山のようにたかくなって、マストの上にのしかかろうとしました。けれど、船は高い波と波のあいだを、はくちょうのようにふかくくぐるかとおもうと、またもりあがる高潮の上につき上げられてでて来ました。これは海おとめの身にすると、なかなかおもしろい見ものでしたが、船の人たちはどうしてそれどころではありません。船はぎいぎいがたがた鳴りました。さしもがんじょうな船板も、ひどく横腹を当てられて曲りました。マストはまんなかからぽっきりと、まるであしかなんぞのようにもろく折れました。船は横たおしになって、うしおがどどっと、所かまわず船にながれ込みました。ここではじめて、人魚のひいさまも、船の人たちの身の上のあぶないことが分かりました。そればかりかじぶんも、水の上におしながされた船のはりや板きれにぶつからない用心しなければなりませんでした。ふと一時、すみをながしたようなやみ夜になって、まるでものがみえなくなりました。するうち、いなびかりがしはじめるとまたあかるくなって、船の上のようすが手にとるようにわかりました。みんなどうにかして助かろうとしてあがいていました。わかい王子のすがたを、ひいさまはさがしもとめて、それがちらりと目にはいったとたん、船がふたつにわれて、王子も海のそこふかくしずんでいきました。はじめのうち、ひいさまはこれで王子がじぶんの所へ来てくれるとおもって、すっかりたのしくなりました。でも、すぐと、水のなかでは、人間が生きていけないことをおもいだしました。そうすると、この王子も死んで、おとうさまの御殿にいきつくほかはないとおもいました。まあ、この人を死なせるなんて、とんでもないことです。そこで、波のうえにただようはりや板きれをかきわけかきわけ、万一、ぶつかってつぶされることなぞわすれて、夢中でおよいでいきました。で、いったん水のそこふかくしずんで、またたかく波のあいだに浮きあがったりして、やっと、わかい王子の所までおよいでいけましたが、王子は、もうとうに荒れくるう海のなかで、およぐ力がなくなっていて、うつくしい目もとじていました。人魚のひいさまが、そこへ来てくれなかったら、それなり死ぬところだったでしょう。ひいさまは、王子のあたまを水の上にたかくささげて、あとは、波が、じぶんと王子とを、好きな所へはこぶままにまかせました。
そのあけがた、ひどいあらしもやみました。船のものは、木ッぱひときれのこってはいませんでした。お日さまが、まっかにかがやきながら、たかだかと海のうえにおのぼりになりますと、それといっしょに、王子のほおにもさっと血の気がさしてきたようにおもわれました。でも、目はとじたままでした。人魚のひいさまは、王子のたかい、りっぱなひたいにほおをつけて、ぬれた髪の毛をかき上げました。こうして見ると、海のそこの、あのかわいい花壇にすえた大理石の像に似ていました。ひいさまは、もういっぺんほおづけして、どうかいのちのありますようにとねがっていました。たかい、青い山山のいただきに、ふんわり雪がつもって、きらきら光っているのが、ちょうどはくちょうが寝ているようでした。そのふもとの浜ぞいには、みどりみどりした、うつくしい森がしげっていて、森をうしろに、お寺か、修道院かよくわからないながら、建物がひとつ立っていました。レモンとオレンジの木が、そこの園にしげっていて、門の前には、せいのたかいしゅろの木が立っていました。海の水はそこで、ちいさな入江をつくっていて、それは鏡のようにたいらなまま、ずっとふかく、すのところまで入りこんでいて、そこにまっしろに、こまかい砂が、もり上がっていました。ひいさまは、王子をだいてそこまでおよいでいって、ことに、あたまの所をたかくして、砂の上にねかせました。これはあたたかいお日さまの光のよくあたるようにという、やさしい心づかいからでした。
そのとき、そこの大きな白い建てもののなかから、鐘がなりだしました。そうして、その園をとおって、わかい少女たちがおおぜい、そこへでて来ました。そこで、人魚のひいさまは、ずっとうしろの水の上に、いくつか岩の突き出ている所までおよいでいって、その陰にかくれました。たれにも顔のみえないように、髪の毛にも胸にも、海のあわをかぶりました。こうしてきのどくな王子のそばへ、たれがまずやってくるか、気をつけてみていました。
もうまもなく、ひとりのわかいむすめが、そこへ来ました。むすめはたいへんおどろいたようでしたが、ほんのちょっとのあいだで、すぐとほかの人たちをつれて来ました。人魚のひいさまがみていますと、王子はとうとういのちをとりとめたらしく、まわりをとりまいているひとたちに、にんまりほほえみかけました。けれど、ひいさまのほうへは笑顔をみせませんでした。ひいさまにたすけてもらったことも、王子はまるで知りませんでした。ひいさまは、ずいぶんかなしくおもいました。そのうち、王子は、大きな建てもののなかへはこばれていってしまうと、ひいさまも、せつないおもいをしながら水にしずんで、そのまま、おとうさまの御殿へかえっていきました。
いったいに、いつもものしずかな、ふかくおもい込むたちのひいさまでしたけれど、これからは、それがよけいひどくなりました。おねえさまたちは、この妹が、海の上ではじめてみて来たものがなんであったか、たずねましたが、ちょっぴりともその話はしませんでした。
晩に、朝に、いくたびとなく、このひいさまは、王子をおいて来た浜ちかく上がっていってみました。園のくだものが実のって、やがてもがれるのもみました。山山のいただきに、雪の消えるのもみました。けれども、ひいさまは、もう王子のすがたをみることはありませんでした。そうして、そのたんびに、いつもよけいせつないおもいでかえって来ました。こうなると、ただひとつのたのしみは、れいのちいさな花壇のなかで、うつくしい王子に似た大理石の像に、両腕をかけることでした。けれども花壇の花にはもうかまわなくなりました。それは、路のうえまで茂りほうだいしげって、そのながくのびたじくや葉を、あたりの木の枝に、所かまわずからみつけましたから、そこらはどこも、おぐらくなっていました。
とうとう、いつまでもこうしているのが、ひいさまにはたえられなくなりました。それで、ひとりのおねえさまにうちあけますと、やがて、ほかのおねえさまたちの耳にもはいりました。でも、このひいさまたちと、そのほかに二、三人の、海おとめたちのほかたれ知るものはなく、そのおとめたちも、ただごく仲のいいお友だちのあいだでその話をしただけでした。ところで、そのお友だちのうちに、ひとり、王子を知っているむすめがありました。それから、あの晩、船の上でお祝のあったこともみていました。そのむすめは、王子がどこから来たひとで、その王国がどこにあるかということまで知っていました。
「さあ、いってみましょうよ。」と、おねえさまたちは、いちばん下のちいさい妹をさそいました。そうして、おたがい腕を肩にかけて、ながい列を組んで、海の上にうき上がりました。そこは王子の御殿のあるときいた所でした。
その御殿は、クリーム色に光をもった石で建てたものでしたが、そこのいくつかある大理石の階段のうち、ひとつはすぐと海へおりるようになっていました。平屋根の上には、一だんたかく、金めっきしたりっぱな円屋根がそびえていました。建物のぐるりをかこむ円柱のあいだに、いくつもいくつも大理石の像が、生きた人のようにならんでいました。たかい窓にはめ込んだあかるいガラスをすかすと、なかのりっぱな広間がみえました。その広間の壁には、高価な絹のとばりや壁かけがかかっていました。壁という壁は、名作の画でかざられていて、みるひとの目をたのしませました。こういう広間のいくつかあるなかの、いちばんの大広間のまんなかに、大きな噴水がふきだしていて、そのしぶきは、ガラスの円天井まで上がっていましたが、その天井からは、お日さまがさしこんで、噴水の水と大水盤のなかにういている、うつくしい水草の上にきらきらしていました。
こうして王子のすみかがわかると、それからは、もう夕方から夜にかけて、毎晩のように、そこの水の上に、妹のひいさまはでてみました。もうほかの人魚たちのいきえない丘ちかくの所までも、およいでいきました。ついには、せまい水道のなかにまでくぐって、そのながい影を水の上に投げている大理石の露台の下までもいってみました。そこにじいっといて、みあげると、わかい王子が、じぶんひとりいるつもりで、あかるいお月さまの光のなかに立っていました。
夕方、たびたび、王子はうつくしいヨットに帆をはって、音楽をのせて、風に旗を吹きなびかせながら、海の上を走らせるところを、ひいさまは見ました。ひいさまは、それを青青としげったあしの葉のあいだからすきみしました。すると風が来て、ひいさまの銀いろしたながいヴェールをひらひらさせました。たまにそれを見たものは、はくちょうがつばさをひろげたのだとおもいました。
夜な夜な、船にかがりをたいて、りょうに出るりょうしたちからも、ひいさまはたびたび、わかい王子のいいうわさをききました。そうして、そんなにもほめものになっているひとが波の上に死にかけてただよっているところを、じぶんがすくったのだとおもってうれしくなりました。それから、あのとき、あの方のおつむりは、なんておだやかにあたしの胸のうえにのっていたことかしら、それをあたしはどんなに心をこめて、ほおずりしてあげたことかしらとおもっていました。そのくせ、王子のほうでは、むろんそういうことをまるで知りませんでした。つい、夢にすらみてはくれないのです。
だんだんに、だんだんに、人間というものが、とうとくおもわれて来ました。だんだんに、だんだんに、どうぞして人間のなかまにはいっていきたいと、ねがうようになりました。人間の世界は、人魚の世界にくらべて、はるかに大きくおもわれました。人間は、船にのって海の上をとびかけることもできますし、雲よりもたかい山にのぼることもできました。人間のいる国ぐにには森も畑もあって、それは人魚の目のとどかないとおくまではてしなくひろがっていました。そこで、このひいさまの知りたいことは山ほどあっても、おねえさまたちのちからでは、そののこらずにこたえることはできません。ですから、おばあさまにうかがうことにしました。このあばあさまはさすがに、上の世界のことをずっとよく知っておいでになりました。上の世界というのは、このおばあさまが、まことにうまく、海の上の国ぐにに名づけたものでした。
「ねえ、おばあさま、人間は、水におぼれさえしなければね、」と、ひいさまはたずねました。「それはいつまででも生きられるのでしょう。あたしたち海のそこのもののようには死なないのでしょう。」
「どうしてさ。」と、おばあさまは、おっしゃいました。「人間だって、やはり死ぬのですよ。わたしたちよりも、かえって寿命はみじかいくらいです。わたしたちは三百年まで生きられます。ただ、いったん、それがおわると、それなり、水の上のあわになって、おたがいむつまじくして来たひとたちのなかに、お墓ひとつのこしては行けません。わたしたちには、死なないたましいというものがないのだよ。またの世にうまれかわるということがないのだよ。いわば、あのみどり色したあしのようなもので、いちど刈りとられると、もう二どと青くなることがない。そこへいくと、人間にはたましいというものがあって、それがいつまででも生きている、からだが土にかえってしまったあとでも、たましいは生きている。それが、澄んだ大空の上にのぼって、あのきらきら光るお星さまの所へまでものぼって行くのです。ちょうど、わたしたちが、海の上にうき上がって、人間の国をながめるように、人間のたましいは、わたしたちにとても見られない、知らない神さまのお国へうかび上がっていくのです。」
「なぜ、あたしたち、死なないたましいをさずからなかったの。」と、人魚のひいさまは、かなしそうにいいました。「あたし、なん百年の寿命なんてみんなやってしまってもいいわ。そのかわり、たった一日でも人間になれて、死んだあとで、その天国とやらの世界へのぼるしあわせをわけてもらえるならね。」
「まあ、そんなことをおもうものではないよ。」と、おばあさまはおっしゃいました。「わたしたちは、あの上の世界の人間なんかより、ずっとしあわせだし、ずっといいものなのだからね。」
「でも、あたし、やはり死んであわになって、海の上にういて、もう波の音楽もきかれないし、もうきれいな花もみられないし、赤いお日さまもみられなくなるのですもの。どうにかして、ながいいのちのたましいを、さずかるくふうってないものかしら。」
「それはあるまいよ。」と、おばあさまはいいました。「だがね、こういうことはあるそうだよ。ここにひとり人間があってね、あなたひとりが好きになる。そう、その人間にとっては、あなたというものが、おとうさまやおかあさまよりもいいものになるのだね。そうして、それこそありったけのまごころとなさけで、あなたひとりのことをおもってくれる。そこで、お坊さまが来て、その人間の右の手をあなたの右の手にのせて、この世も、ながいながいのちの世もかわらない、かたい約束を立てさせる。そうなると、その人間のたましいがあなたのからだのなかにながれこんで、その人間のしあわせを分けてもらえることになる。しかも、その人間はあなたにたましいを分けても、じぶんのたましいはやはりなくさずにもっているというのさ。だが、そんなことはけっしてありっこないよ。だって、この海のそこの世界でなによりうつくしいものにしているおさかなのしっぽを、地の上ではみにくいものにしているというのだもの。それだけのよしあしすら、むこうはわからないものだから、むりに二本、ぶきような、つっかい棒みたいなものを、かわりにつかって、それに足という名をつけて、それでいいつもりでいるのだよ。」
そういわれて、人魚のひいさまも、いまさらため息しながら、じぶんのおさかなの尾にいじらしくながめ入りました。
「さあ、陽気になりましょう。」と、おばあさまはいいました。「せっかくさずかることになっている三百年の寿命です。そのあいだは、好きにおどってはねてくらすことさ。それだけでもずいぶんながい一生ですよ。それだけに、あとはきれいさっぱり、安心して休めるというものだ。今夜は宮中舞踏会をやりましょう。」
さて、この舞踏会が、なるほど、地の上の世界では見られないごうかなものでした。大きな舞踏の間の壁と天井とは、あつぼったい、そのくせ、よくすきとおったガラスで張りめぐらされていました。ばら色や草みどり色した大きな貝がらが、なん百としれず、四方の壁にかけつらねてあって、そのひとつひとつに、青いほのおの火がともっていました。それが広間をくまなくてらした上、壁のそとへながれだす光が、すっかり海をあかるくしました。ですから、大も小もなく、それこそかぞえきれないほどのさかなが、ガラスの壁にむかっておよいでくるのが、手にとるようにみえました。うろこをむらさき紅の色に光らせてくるのもありました。銀と金の色にかがやいてくるものもありました。――ちょうど、広間のまん中のところを、ひとすじ、大きくゆるやかな海のながれがつらぬいている、その上で、男の人魚たちと女の人魚たちとが、人魚だけのもっているやさしい歌のふしでおどっていました。こんなうつくしい歌声が、地の上の人間にあるでしょうか。あのいちばん下の人魚のひいさまは、そのなかでも、たれおよぶもののないうつくしい声でうたいました。みんないちどに手をたたいて、その歌をほめそやしました。そのせつな、さすがにこのひいさまも心がうかれました。それは、地の上はもちろん、海のなかにもまたふたりとないうつくしい声を、じぶんがもっていることが分かったからでした。でも、すぐとまた、上の世界のことをかんがえるいつものくせに引きこまれました。あのうつくしい王子のことをわすれることはできませんし、あのひととおなじに、死なないたましいをもっていないことが心をくるしめました。そこで、こっそり、ひいさまは、おとうさまの御殿をぬけだしました。そうして、たれもそこで、歌って、陽気にうかれているまに、しぶんひとり、れいのちいさい花壇のなかに、しょんぼりすわっていました。そのとき、ひとこえ角笛のひびきが、海の水をわたって来ました。その音をききながら、ひいさまはおもいました。
「まあ、いまごろ、あの方きっと、帆船をはしらせていらっしゃるのね。ほんとうに、おとうさまよりもおかあさまよりももっと好きなあの方が、しじゅうあたしのこころからはなれないあの方が、そのお手にあたしの一生の幸福をささげようとねがっているあの方が、あそこにいらっしゃるのね。あたし、どうぞして、死なないたましいが手にはいるものなら、どんなことでもしてみるわ。そうだ、おねえさまたちが、御殿でおどっていらっしゃるうち、あたし、海の魔女の所へ行ってみよう。いつもはずいぶんこわいのだけれど、でもきっと、あの女なら相談相手になって、いいちえをかしてくれるでしょう。」
そこで、人魚のひいさまは、花園をでて、ぶつぶつあわ立つうず巻の流れのなかへむかっていきました。このうず巻のむこうに、魔女のすまいがありました。こんな道をとおるのははじめてのことでした。そこには花も咲いていず、藻草も生えていません。ただむきだしな灰いろの砂地が、うずのながれの所までつづいていて、そのながれはうなりを立てて、水車の車輪のようにくるりくるりまわっていました。そうして、このうず巻のなかにはいってくるものは、なんでもつかまえて、こなごなにくだいて、ふかいふちに引きこみました。このはげしいうずのながれの、しかもまん中をとおって行くほかに海の魔女の領分にはいる道はありませんし、それも、ながいあいだ、ぶつぶつ煮えて、あわだっているどろ沼をわたって行くよりほかに道はないのです。この沼を、じぶんのすくも田という名で魔女はよんでいました。これを行きつくした奥に、きみのわるい森が茂っていて、そのなかに魔女の住居はありました。その森のなかの木立もやぶも、半分は動物、半分は植物というさんご虫なかまで、それはいわば、百あたまのあるへびが、地のなかから、にょろにょろわき出ているようなものでした。その一本一本の枝が、ながい、ねばねばした腕で、くなくなと、さなだ虫のような指が出ていました。そうして下の根もとから枝のずっとさきまで、ふしぶしが自由にうごきました。ですから、海のなかで手につかめるものは、なんでもつかんで、しっかりとそれにからみついて放そうとはしません。人魚のひいさまは、すっかりおびえて、そのまえに立ちすくみました。もうおそろしくて、心臓がどきどき波をうって、なんべんもそこから引きかえそうとおもいました。でもまた王子のことと、人間のたましいのことをおもうと、勇気がでました。ひいさまは、そこでまず、うるさくまつわるながい髪の毛を、しっかりあたまにまきつけて、さんご虫につかまらないようにしました。それから、両手を胸の上で重ねて、おさかなが水のなかをつういとつっきるように、いやらしいさんご虫どもが、くなくなした指と腕とをのばそうとしているなかをつっきって行きました。まあ、このいやな虫は、みると、そのひとつひとつが、そのつかんだものを、まるでつよい鉄の帯でしめつけるように、そのなん百とないちいさな腕で、ぎりぎりつかまえていました。海でおぼれて、このふかい底までしずんだ人間が、白骨になって、さんご虫の腕のあいだにちらちらみえていました。船のかいや箱のようなものまでも、さんご虫はしっかりつかまえていました。おかの動物のがい骨もありましたが、人魚のむすめがひとり、つかまってしめころされているのが、なかでもおそろしいことにおもわれました。
やがて、ひいさまは、森のなかの広場のぬるぬるすべる沼のような所へ来ました。そこには脂ぶとりにふとった水へびが、くねくねといやらしい白茶けた腹をみせていました。この沼のまんなかに、難船した人たちの白骨でできた家がありました。その家に、海の魔女はすわっていて、一ぴきのひきがえるに、口うつしでたべさせているところでしたが、そのようすは、人間がカナリヤのひなにお砂糖をつつかせるのに似ていました。あのいやらしく、肥ぶとりした水へびを、魔女はまた、うちのひよっ子と名をつけて、じぶんのぶよぶよ大きな胸の上で、かってにのたくらせていました。
「ご用むきはわかっているよ。」と、海の魔女はいいました。「ばかなことかんがえているね。だが、まあ、したいようにするほかはあるまい、そのかわり、べっぴんのおひいさん、その男ではさぞつらいめをみることだろうよ。おまえさん。そのおさかなのしっぽなんかどけて、かわりに二本のつっかい棒をくっつけて、人間のようなかっこうであるきたいのだろう。それでわかい王子をつって、ついでに死なないたましいまで、手に入れようってのだろう。」
こういって、魔女はとんきょうな声をたてて、うすきみわるくわらいました。そのひびきで、かえるもへびも、ころころところげおちて、のたくりまわっていました。
「おまえさん、ちょうどいいときに来なすったよ。」と、魔女はいいました。「あしたの朝、日が出てしまうと、もうそのあとでは、また一年まわってくるまで、どうにもしてあげられないところだったよ。では、くすりを調合してあげるから、それをもって、日の出る前、おかの所までおよいでいって、岸に上がって、それをのむのだよ。すると、おまえさんのそのしっぽが消えてなくなって、人間がかわいい足と、名をつけているものにちぢまる。だが、ずいぶん痛かろうよ。それはちょうど、するどいつるぎを、からだにつッこまれるようだろうよ。さて、出あったものは、たれだって、おまえさんのことを、こんなきれいな人間のむすめを見たことがないというだろう。おまえさんが浮くようにかるく足をはこぶところは、人間の踊り子にまねもできまい。ただ、ひと足ごとに、おまえさん、するどい刄物をふむようで、いまにも血がながれるかとおもうほどだろうよ。それをみんながまんするつもりなら、相談にのって上げる。」
「ええ、しますわ。」と、人魚のひいさまは、声をふるわせていいました。そうして、王子のことと、それから、死なないたましいのことを、しっかりとおもっていました。
「でも、おぼえておいで。」と、魔女はいいました。「おまえさんは、いちど人間のかたちをうけると、もう二どと人魚にはなれないのだよ。海のなかをくぐって、きょうだいたちのところへも、おとうさんの御殿へもかえることはできないし、それから王子の愛情にしても、もうおまえさんのためには、おとうさんのこともおかあさんのこともわすれて、あけてもくれてもおまえさんのことばかりを、かんがえていて、もうこの上は、お坊さんにたのんで、王子とおまえさんとふたりの手をつないで、晴れてめおととよばせることにするほかない、というところまでいかなければ、やはり、死なないたましいは、おまえさんのものにはならないのだよ。それがもしかちがって、王子がほかの女と結婚するようなことになると、もうそのあくる朝、お前さんの心臓はやぶれて、おまえさんはあわになって海の上にうくのだよ。」
「かまいません。」と、人魚のひいさまはいいました。けれど、その顔は死人のように青ざめていました。
「ところで、おまえさん、お礼もたっぷりもらわなきゃならないよ。」と、魔女はいいました。「どうして、わたしののぞむお礼は、お軽少なことではないよ。おまえさんは、この海の底で、だれひとりおよぶもののないうつくしい声をもっておいでだね。その声で、たぶん、王子をまよわそうとおもっているのだろう。ところが、その声をわたしはもらいたいのだよ。そのおまえさんのもっているいちばんいいものを、わたしのだいじな秘薬とひきかえにしようというのさ。なにしろそのくすりには、わたしだって、じぶんの血をまぜなくてはならないのだからね。それで、くすりにも、もろ刄のつるぎのようなするどいききめがあらわれようというものさ。」
「でも、あたし、声をあげてしまったら、」と、ひいさまは、いいました。「あとになにがのこるのでしょう。」
「なあに、まだ、そのうつくしいすがたが、」と、魔女はいいました。「それから、そのかるい、うくようなあるきつきが、それから、そのものをいう目があるさ。それだけで、りっぱに人間のこころをたぶらかすことはできようというものだ。はてね、勇気がなくなったかね。さあ、その舌をお出し、それを代金にはらってもらう。そのかわり、よくきくくすりをさし上げるよ。」
「ええ、そうしてください。」と、人魚のひいさまはいいました。そこで、魔女は、おなべを火にかけて、魔法ののみぐすりを煮はじめました。
「ものをきれいにするのは、いいことさ。」と、魔女はいって、へびをくるくるとむすびこぶにまるめて、それでおなべをみがきました。それからじぶんの胸をひっかいて、黒い血をだして、そのなかへたらしこみました。その湯気が、なんともいえないふしぎなきみのわるい形で、むくむくと立って、身の毛もよだつようでした。
魔女はしじゅうそれからそれと、なにくれとおなべのなかへ投げ込んでいました。やがて、ぼこぼこ煮え立ってくると、それが*わにの泣き声に似た音を立てました。とうとう、のみぐすりが煮え上がりましたが、それはただ、すみ切った水のようにみえました。
*わにはこどもの泣声に似た声をだしておびきよせるという西洋中世のいいつたえがある。
「さあ、できましたよ。」と、魔女はいいました。
そこで、のみぐすりをわたして、代りにひいさまの舌を切りました。もうこれで、ものもいえず、歌もうたえない、おしになったのです。
「もしか、かえりみちに、森のなかをとおって、さんご虫どもにつかまりそうになったらね。」と、魔女はいいました。「このくすりをたった一てきでいい、たらしておやり、そうすると、やつら、腕も指もばらばらになってとんでしまう。」
けれど人魚のひいさまは、そんなことをしないでもすみました。さんご虫は、ひいさんの手のなかで、星のようにきらきらするのみぐすりをみただけで、おじけて引っこみました、それで、苦もなく、森もぬけ、すくも田もとおって、うずまきの流れもくぐってかえりました。
そこに、おとうさまの御殿がみえました。大きな舞踏の間も、もうあかりが消えていました。きっともう、みんな寝たのでしょう。けれど、ひいさまも、いまはもうおしでしたし、このまま、ながいおわかれをしようというところでしたから、おねえさまたちを、さがしにはいっていこうとはしませんでした。もう、せつなくて、胸がはりさけるようでした。そっと、花園にはいって、おねえさまたちの花壇から、めいあいに、ひとつずつ花をつみとって、御殿のほうへ、指で、もうなんべんとしれないほど、おわかれのキッスをなげたのち、くらいあい色の海をぬけて、上へ上がっていきました。
ひいさまが、王子のお城をみつけて、そこのりっぱな階段を上がっていったとき、お日さまはまだのぼっていませんでした。お月さまだけが、うつくしくさえていました。人魚のひいさまは、やきつくように、つんとつよいくすりをのみました。すると、きゃしゃなふしぶしに、するどいもろ刄のつるぎを、きりきり突きとおされたようにかんじて、それなり気がとおくなり、死んだようになってたおれました。やがて、お日さまの光が、海の上にかがやきだしたとき、ひいさまは目がさめました。とたんに、切りさかれるような痛みをかんじました。けれど、もうそのとき、すぐ目のまえには、うつくしいわかい王子が立っていました。王子は、うるしのような黒い目でじっとひいさまをみつめていました。はっとして、ひいさまは目を伏せました。すると、あのおさかなのしっぽは、きれいになくなっていて、わかいむすめだけしかないような、それはそれはかわいらしい、まっ白な二本の足とかわっているのが、目にはいりました。でも、まるっきり、からだをおおうものがないので、ひいさまは、ふっさりとこくながい髪の毛で、それをかくしました。王子はそのとき、いったい、あなたはたれかどこから来たのかといって、たずねました。ひいさまは、王子の顔を、やさしく、でも、あくまでかなしそうに、そのこいあい色の目でみあげました。もう、口をききたくもきけないのです。そこで、王子はひいさまの手をとって、お城のなかへつれていきました。なるほど、魔女があらかじめいいきかせていたように、ひいさまは、ひと足ごとに、とがった針か、するどい刄ものの上をふんであるくようでしたが、いさんで、それをこらえました。王子の手にすがって、ひいさまは、それこそシャボン玉のようにかるく上がっていきました。すると、王子もおつきの人たちもみんな、ひいさまのしなやかな、かるい足どりをふしぎそうに見ました。
さて、ひいさまは、絹とモスリンの高価な着物をいただいて着ました。お城のなかでは、たれひとりおよぶもののないうつくしさでした。けれど、おしで、歌をうたうことも、ものをいうこともできません。絹に金のぬいとりした着物を着かざったうつくしい女のどれいたちがでて来て、王子と、王子のご両親の王さま、お妃さまのご前で歌をうたいました。そのなかでひとり、たれよりもひときわじょうずによくうたう女があったので、王子は手をたたいてやって、そのほうへにっこりわらいかけました。でも、人魚のひいさまは、じぶんなら、はるかずっといい声でうたえるのにとおもって、かなしくなりました。そこで、
「ああ、王子さまのおそばに来たいばかりに、あたしは、みらいえいごう、声をひとにやってしまったのです。せめて、それがおわかりになったらね。」と、ひいさまはおもっていました。
こんどは、女のどれいたちが、それはけっこうな音楽にあわせて、しとやかに、かるい足どりで、おどりました。すると、人魚のひいさまも、うつくしい白い腕をあげて、つま先立ちして、たれにもまねのならないかるい身のこなしで、ゆかの上をすべるようにおどりあるきました。ひとつひとつ、しぐさをかさねるにしたがって、この人魚のひいさまの世にないうつくしさが、いよいよ目に立ちました。その目のはたらきは、どれいたちの女の歌とくらべものにならない、ふかいいみを、見る人びとのこころに語っていました。
そこにいた人たちは、たれも、酔ったようになっていました。とりわけ、王子は、ひいさまの名を「かわいいひろいむすめさん」とつけてよろこんでいました。ひいさまは、いくらでもおどりつづけました。そのくせ地に足がふれるたんびに、するどい刄ものの上をふむようでした。王子は、いつまでもじぶんの所にいるようにといって、すぐじぶんのへやのまえの、びろうどのしとねにねることをゆるしました。
王子は、ひいさまを馬にのせてつれてあるけるように、男のお小姓の着る服をこしらえてやりました。ふたりは、いいにおいのする森のなかを、馬であるきました。すると、みどりのこい木の枝が、ふたりの肩にさわったり、小鳥たちが、みすみずしい葉かげで歌をうたいました。ひいさまは、王子について、たかい山にものぼりました。そんなとき、きゃしゃな足から血がながれて、ほかのひとたちの目につくほどになっても、ひいさまはわらっていました。そうして、どこまでも王子にくっついていって、雲が、よその国へわたっていく鳥のむれのように、とんでいるところを、はるか目のしたにながめました。
うちで、王子のお城のなかにいるとき、夜な夜な、ほかのひとたちのねむっているあいだに、ひいさまは、大理石の階段のうえに出ました。そうして、もえるような足を、つめたい海の水にひたしました。そうしているうち、はるか下の海のそこの、わかれて来たひとたちのことが、こころにうかんで来ました。
そういう夜のつづいているとき、ある晩、夜ぶかく、人魚のおねえさまたちが、手をつなぎあってでて来ました。波のうえにうきながら、おねえさまたちは、かなしそうにうたいました。ひいさまが手まねきして知らせると、むこうでもみつけて、あちらでは、みんな、どんなにさびしがっているか話してきかせました。それからは、毎晩のように、このおねえさまたちはでて来ました。いちどなどは、もう何年とないひさしい前から、海の上にでておいでにならなかつたおばあさまの姿を、とおくでみつけました。かんむりをおつむりにのせたおとうさまの人魚の王さまも、ごいっしょのようでした。おばあさまも、おとうさまも、ひいさまのほうへ手をさしのべましたが、おねえさまたちのようには、おもいきっておか近くへ寄りませんでした。
日がたつにつれて、王子はだんだん人魚のひいさまが好きになりました。王子は、心のすなおな、かわいいこどもをかわいがるように、ひいさまをかわいがりました。けれど、このひいさまを、お妃がしようなんということは、まるっきりこころにうかんだことがありません。でも、ひいさまとしては、どうしても王子のおよめにしていただかなければ、もう死なないたましいのさずかるみちはありません。そうして、王子がほかのお妃をむかえた次の朝、海のあわになってきえなければなりませんでした。
「わたくしを、だれよりもいちばんかわいいとはおおもいにならなくて。」と、王子が人魚のひいさまを腕にかかえて、そのうつくしいひたえにほおをよせるとき、ひいさまの目は、そうたずねているようにみえました。
「そうとも、いちばんかわいいとも。」と、王子はいいました。「だって、おまえはだれよりもいちばんやさしい心をもっているし、いちばん、ぼくをだいじにしてつかえてくれる。それに、ぼくがいつかあったことがあって、それなりもう二どとはあえまいとおもうむすめによく似ているのだよ。ぼくはあるとき、船にのって、難破したことがあった、波がぼくを、あるとうといお寺のちかくの浜にうち上げてくれた。そのお寺にはおおぜい、わかいむすめたちが、おつとめしていた。そのなかでいちばんわかい子が、ぼくを浜でみつけて、いのちをたすけてくれた。ぼくは、その子を二どみただけだった。その子だけが、ぼくのこの世の中で好きだとおもったただひとりのむすめだった。ところで、おまえがそのむすめに生きうつしなのだ。あまり似ているので、ぼくの心にのこっていたせんのむすめのすがたが、いまではどうやらとおくにおしのけられそうだ。そのむすめは、とうといお寺につかえているむすめだから、ぼくの幸運の神さまが、その子のかわりに、おまえをぼくのところへよこしてくれたのだ。いつまでもいっしょにいようね。」――
「ああ、あの方は、あの方のおいのちをたすけてあげたのは、このあたしだということをお知りにならないのね。」と、人魚のひいさまはおもいました。「あたし、あの方をかかえて海の上を、お寺のある森の所まではこんであげたのだわ。あたし、そのとき、あわのかげにかくれて、たれかひとは来ないかみていたのだわ。あの方が、あたしよりもっと好きだとおっしゃるそのうつくしいむすめも、みて知っている。」と、ここまでかんがえて、人魚のひいさまは、ふかいため息をしました。人魚は泣きたくも泣けないのです。「でも、そのむすめさんは、とうといお寺につかえている身だから、世の中へでてくることはないと、あの方はおっしゃった。おふたりのあうことはきっともうないのね。あたしはこうしてあの方のおそばにいる。まいにち、あの方のお顔をみている。あたし、あの方をよくいたわってあげよう。あの方にやさしくしよう、あたしのいのちを、あの方にささげよう。」
ところが、そのうちに、王子がいよいよ結婚することになった、おとなりの王国のきれいなお姫さまをお妃にむかえることになった、といううわさが立ちました。そのために、王子さまは、りっぱな船を一そう、おしたてさせになったともいいました。
こんどの王子の旅行は、おもてむき、おとなりの王国を見学にいかれるということになっているけれど、じつは王さまのお姫さまにあいにいくのだということでした。たくさんのおともの人数もきまっていました。でも、人魚のひいさまは、つむりをふって、にっこりしていました。
王子の心は、たれよりもよく、このひいさまに分かっているはずでした。
「ぼくは旅をしなければならないよ。」と、王子は人魚のひいさまにいいました。「きれいな王女のお姫さまにあいにいくのさ。おとうさまとおかあさまのおのぞみでね。だが、ぜひともそのお姫さまをぼくのおよめにもらって来いというのではないよ。だが、ぼくはそのお姫さまが好きにはなれまいよ。おまえがそれにそっくりだといった、あのお寺のきれいなむすめには似ていないだろうからね。そのうち、どうしてもおよめえらびをしなければならなくなったら、ぼくはいっそおまえをえらぶよ。口はきけないかわり、ものをいう目をもっている、ひろいむすめのおまえをね。」
こういって、王子は、ひいさまのあかいくちびるにくちをつけました。それからながい髪の毛をいじって、その胸に顔をおしつけました。それだけでもうひいさまのこころには、人間にうまれた幸福と、死なないたましいのことが、夢のようにうかびました。
「でも、おしのひろいむすめさんは、海をこわがりはしないだろうね。」と、王子はいいました。そのとき、ふたりは、おとなりの王さまの国へ行くはずのりっぱな船の上にいました。それから王子に、海のしけとなぎのこと、海のそこのふしぎな魚のこと、そこで潜水夫のみて来ていることなどを、なにくれと話しました。でも、話のなかで、ひいさまはついほほえみかけました。そうでしょう、海のそこのことなら、たれがなんといったって、このひいさまにかなうものはないでしょうから。
月のいい晩で、舵の所に立っている舵とりひとりのこして、船のなかの人たちはみんな寝しずまっていました。人魚のひいさまは、船のへりに腰をかけて、澄んだ水のなかを、じっとながめていました。おとうさまの御殿が、そこにみえているようにおもわれました。御殿のいちばんの高殿には、おつむりに銀のかんむりをのせたおばあさまが立っていらしって、はやいうしおの流れをすかして、じいっとこちらの船の竜骨をみ上げておいでになるようです。するうち、おねえさまたちが、波の上に出て来ました。そうして、かなしそうな顔で、こちらをみて、その白い手を、せつなそうにこすりました。
ひいさまは、おねえさまたちにあいずして、にっこりわらいかけて、こちらは不足なくしあわせにしている話をしようとすると、そこへ、船のボーイがふしんらしく寄って来たので、おねえさまたちは水にもぐりました。それで、ボーイも、いま、ちらと白いものがみえたのは、海のあわであったかとおもって、それなりにしてしまいました。
そのあくる朝、船はおとなりの王さまの国の、きらびやかな都の港にはいっていきました。町のお寺の鐘が、いっせいに鳴りだしました。そこここのたかい塔で、大らっぱを吹きたてました。そのなかで兵隊が、旗を立てて、銃剣をひからせて行列しました。
さて、それからは、まいにち、なにかしらお祝ごとの催しがありました。舞踏会だの、宴会だの、それからそれとつづきました。でも王さまのお姫さまは、まだすがたをみせません。うわさでは、どこかとおい所の、あるとうといお寺にあずけられていて、そこで王妃たるべき人のいっさいの道を、修めておいでになるということでした。するうち、そのお姫さまもやっとおかえりになりました。
人魚のひいさまも、いったいどんなにうつくしいのか、はやくそのひとをみたいものだと、気にかかっていましたが、いまみて、いかにも人がらの優美なのに、かんしんしずにはいられませんでした。はだはうつくしく透きとおるようですし、ながいまっ黒なまつ毛の奥には、ふかい青みをもった、貞実な目がやさしく笑みかけていました。
「あなたでしたよ。」と、王子はいいました。「そう、あなたでした。ぼくが死がいも同様で海岸にうち上げられていたとき、すくってくださったのは。」
こう、王子はいつて、顔をあからめている花よめを、しっかり胸にかかえました。
「ああ、ぼくはあんまり幸福すぎるよ。」と、王子は、人魚のひいさまにいいました。「最上の望みが、しょせん望んでもむだだとあきらめていたそれが、みごとかなったのだもの、おまえ、ぼくの幸福をよろこんでくれるだろう、だっておまえは、どのだれにもまさって、ぼくのことをしんみにおもっていてくれたのだもの。」
こういわれて、人魚のひいさまは、王子の手にくちびるをあてましたが、心臓はいまにもやぶれるかとおもいました。ふたりのご婚礼のあるあくる朝は、このひいさまが死んで、あわになって、海の上にうく日でしたものね。
のこらずのお寺の鐘が、かんかん鳴りわたりました。先ぶれは町じゅう馬をはしらせて、ご婚約のことを知らせました。あるかぎりの祭壇には香油が、もったないような銀のランプのなかでもえていました。坊さんたちが香炉をゆすっているなかで、花よめ花むこは手をとりかわして、大僧正の祝福をうけました。人魚のひいさまは、絹に金糸の晴れの衣裳で、花よめのながいすそをささげてもちました。でも、お祝の音楽もきこえません。儀式も目にうつりません。ひいさまは、うわの空で、いちずに、くらい死の影を追いました。いっさいこの世でなくしてしまったもののことをおもいました。
もうその夕方、花よめ花むこは、船にのって海へ出ました。大砲がなりとどろいて、あるだけの旗がひるがえりました。船のまん中には、王家ご用の金とむらさきの天幕が張れて、うつくしいしとねがしけていました。花よめ花むこが、そこですずしい、しずかなひと夜をおすごしになるはずでした。
帆は風でふくれて、船は、鏡のように平らな海の上を、かるく、なめらかにすべって行きました。くらくなると、さまざまな色ランプがともされて、水夫たちは、甲板にでて、おどけた踊をおどりました。人魚のひいさまも、はじめて海からでて来て、この晩のような華やかな、たのしいありさまを目にみたときのことを、おもいうかべずにはいられませんでした。それで、ひいさまもついなかまにまじって、おどりくるいたくなりました。ひいさまは、それはまるで、つばめが追われて、身をひるがえして逃げるときのような身がるさでおどりまわりました。そのみごとな踊りぶりを、みんなやんやとさわいでほめました。姫にしてもこれほどみごとに踊ったのははじめてです。おどりながら、きゃしゃな足は、するどい刄もので切りさかれるようにかんじました。けれどそれを痛いともおもいません。それよりか、胸を切りさかれる痛みをせつなくおもいました。
王子をみるのも、今夜がかぎりということを、ひいさまは知っていました。このひとのために、ひいさまは、親きょうだいをも、ふるさとの家をも、ふり捨てて来ました。せっかくのうつくしい声もやってしまったうえ、くる日もくる日も、はてしないくるしみにたえて来ました。そのくせ、王子のほうでは、そんなことがあったとは、ゆめおもってはいないのです。ほんとうに、そのひととおなじ空気を吸っていて、ふかい海と星月夜の空をながめるのも、これがさいごの夜になりました。この一夜すぎれば、ものをおもうことも、夢をみることもない、ながいながいやみが、たましいをもたず、ついもつことのできなかった、このひいさまを待っていました。船の上では、でも、たれも陽気にたのしくうかれて、真夜中すぎまでもすごしました。そのなかで、ひいさまは、こころでは、死ぬことをおもいながら、いっしょにわらっておどりました。王子がうつくしい花よめにくちびるをつけると、王女は王子の黒い髪をいじっていました。そうして、手をとりあって、きらびやかな天幕のなかへはいりました。
船の上は、ひっそり人音もなくなりました、ただ、舵とりだけが、あいかわらず、舵をひかえて立っていました。人魚のひいさまは、船のへりにその白い腕をのせて、赤らんでくる東の空をじっとながめていました。そのはじめてのお日さまの光が、じぶんをころすのだ、とひいさまはおもいました。そのときふと、おねえさまたちが、波のなかから出てくるのがみえましたが、たれもひいさまとおなじように、青い顔をしていました。しかも、そのうつくしい髪の毛も、風になびかしてはいませんでした。それはきれいに切りとられていました。
「あたしたち、髪を魔女にやってしまったのよ、あなたをたすけてもらおうとおもってね。なんでもあなたを今夜かぎり死なせたくないのだもの。すると魔女が、ほらこのとおり、短刀をくれましたの。ごらん、ずいぶんよく切れそうでしょう。お日さまののぼらないうち、これで王子の胸をぐさりとやれば、そのあたたかい血が足にかかって、それがひとつになって、おさかなの尾になるの。するち、あんたはまたもとの人魚のむすめになって、海のそこのあたしたちの所にかえれて、このまま死んで塩からい海のあわになるかわりに、このさき三百年生きられるでしょう。さあ、はやくしてね。王子が死ぬかあんたが死ぬか、お日さまののぼるまでに、どちらかにきめなくてはならないのよ。おばあさまは、あまりおなげきになったので、白いお髪がぬけおちておしまいになったわ。あたしたちの髪の毛が魔女のはさみで切りとられてしまったようにね。王子をころして、かえっておいでなさい。早くしてね。ほらもう、あのとおり空に赤みがさして来たわ。もうすぐ、お日さまがおあがりになるわ。すると、いやでも死ななくてはならないのよ。」
こういって、おねえさまたちは、いかにもせつなそうにため息をつくと、波のなかにすがたをかくしました。
人魚のひいさまは、天幕にたれたむらさきのとばりをあけました。うつくしい花よめは、王子の胸にあたまをのせて、休んでいました。ひいさまは、腰をかがめて、王子のうつくしいひたいに、そっとくちびるをつけました。東の空をみると、もうあけ方のあかね色がだんだんはっきりして来ました。ひいさまは、そのとき、するどい短刀のきっさきをじっとみて、その目をふたたび王子の上にうつしました。王子は夢をみながら、花よめの名をよびました。王子のこころのなかには、花よめのことだけしかありません。短刀は、人魚のひいさまの手のなかでふるえました。――でも、そのとき、ひいさまは短刀を波間とおく投げ入れました。投げた所に赤い光がして、そこから血のしずくがふきだしたようにおもわれました。もういちど、ひいさまは、もう半分うつろな目で、王子をみました、そのせつな、身をおどらせて、海のなかへとび込みました。そうしてみるみる、からだがあわになってとけていくようにおもいました。
いま、お日さまは、海の上にのぼりました。その光は、やわらかに、あたたかに、死のようにつめたいあわの上にさしました。人魚のひいさまは、まるで死んで行くような気がしませんでした。あかるいお日さまの方を仰ぎました。すると、空の上に、なん百となく、すきとおるような神神しいもののかたちがみえました。そのすきとおるもののむこうに、船の白い帆や、空のあかい雲をみました。空のその声はそのままに歌のふしでしたが、でもそれはたましいの声で、人間の耳にはきこえません。そのすがたもやはり人間の目ではみえません。それは、つばさがなくても、しぜんとかるいからだで、ふうわり空をただよいながら上がって行くのです。人魚のひいさまも、やはりそれとおなじものになって目にはみえないながら、ただよう気息のようなものが、あわのなかから出て、だんだん空の上へあがって行くのがわかりました。
「どこへ、あたし、いくのでしょうね。」と、人魚のひいさまは、そのときたずねました。その声は、もうそこらにうきただよう気息のなかまらしく、人間の音楽にうつしようのない、たましいのひびきのようになっていました。すると、
「大空のむすめたちのところへね。」と、ほかのただよう気息のなかまがいいました、「人魚のむすめに死なないたましいはありません。人間の愛情をうけないかぎり、それをじぶんのものにすることはできません。かぎりないいのちをうけるには、ほかの力にたよるほかありません。大空のむすめたちもながく生きるたましいをもたないかわり、よい行いによって、じぶんでそれをもつこともできるのです。(あたしたちは、あつい国へいきますが、そこは人間なら、むんむとする熱病の毒気で死ぬような所です。そこへすずしい風をあたしたちはもっていきます。空のなかに花のにおいをふりまいて、ものをさわやかにまたすこやかにする力をはこびます。こうして、三百年のあいだつとめて、あたしたちの力のおよぶかぎりのいい行いをしつくしたあと、死なないたましいをさずかり、人間のながい幸福をわけてもらうことになるのです。お気のどくな人魚のひいさま、あなたもやはりあたしたち同様まごころこめて、おなじ道におつとめになったのね。よくも苦みをおこらえなさったのね。それで、いま、大空の気息の世界へ、ごじぶんを引き上げるまでになったのですよ。あと三百年、よい行いのちからで、やがて死ぬことのないたましいがさずかることになるでしょう。」
そのとき、人魚のひいさまは、神さまのお日さまにむかって、光る手をさしのべて、生まれてはじめての涙を目にかんじました。――そのとき、船の上は、またもがやがやしはじめました。王子と花よめがじぶんをさがしているのを、ひいさまはみました。ふたりは、かなしそうに、わき立つ海のあわをながめました。ひいさまが海にはいってそれがあわになったことを知っているもののようでした。目にはみえないながら、ひいさまは、花よめのひたいにせっぷんをおくって、王子にほほえみかけました。さて、ほかの大空のむすめたちとともども、そらのなかにながれてくるばら色の雲にまぎれて、たかくのぼって行きました。
「すると、三百年たてば、あたしたち、こうしてただよいながら、やがて神さまのお国までものぼって行けるのね。」
「いいえ、そう待たないでも、いけるかもしれませんの。」と、大空のむすめのひとりがささやいてくれました。「目にはみえないけれど、あたしたちは、こどもたちのいるところなら、どの人間の家にもただよっています。そこで毎日、その親たちをよろこばせ、その愛しみをうけているいい子をみつけるたんびに、そのためしのときがみじかくなります。こどもは、いつ、あたしたちがへやのなかへはとんで行くかしらないのです。でも、あたしたちが、いいこどもをみて、ついよろこんでほほえみかけるとき、三百年が一年へります。けれど、そのかわり、いたずらな、またはいけないこどもをみて、かなしみの涙をながさせられると、そのひとしずくのために、あたしたちのためしのときも、一日だけのびることになるのですよ。」 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2005年8月18日作成
2012年5月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "042383",
"作品名": "人魚のひいさま",
"作品名読み": "にんぎょのひいさま",
"ソート用読み": "にんきよのひいさま",
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"原題": "DEN LILLE HAVFRUE",
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"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "新訳アンデルセン童話集第一巻",
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海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。けれども、そのあたりは、とてもとても深いので、どんなに長いいかり綱をおろしても、底まで届くようなことはありません。海の底から、水の面まで届くためには、教会の塔を、いくつもいくつも、積みかさねなければならないでしょう。そういう深いところに、人魚たちは住んでいるのです。
みなさんは、海の底にはただ白い砂地があるばかりで、ほかにはなんにもない、などと思ってはいけません。そこには、たいへんめずらしい木や、草も生えているのです。そのくきや葉は、どれもこれもなよなよしています。ですから、水がほんのちょっとでも動くと、まるで生き物のように、ゆらゆらと動くのです。
それから、この陸の上で、鳥が空をとびまわっているように、水の中では、小さなさかなや大きなさかなが、その枝のあいだをすいすいとおよいでいます。
この海の底のいちばん深いところに、人魚の王さまのお城があるのです。お城のかべは、サンゴでつくられていて、先のとがった高い窓は、よくすきとおったこはくでできています。それから、たくさんの貝がらがあつまって、屋根になっていますが、その貝がらは、海の水が流れてくるたびに、口をあけたりとじたりしています。その美しいことといったら、たとえようもありません。なにしろ、貝がらの一つ一つに、ピカピカ光る真珠がついているのですから。その中の一つだけをとって、女王さまのかんむりにつけても、きっと、りっぱなかざりになるでしょう。
そのお城に住んでいる人魚の王さまは、もう何年も前にお妃さまがなくなってからは、ずっと、ひとりでくらしていました。ですから、お城の中のご用事は、お年をとったおかあさまが、なんでもしているのでした。おかあさまは、かしこい方でしたが、身分のよいことを、たいへんじまんにしていました。ですから、自分のしっぽには、十二もカキをつけているのに、ほかの人たちには、どんなに身分が高くても、六つしかつけることをゆるさなかったのです。でも、このことだけを別にすれば、どんなにほめてあげてもよい方でした。わけても孫むすめの、小さな人魚のお姫さまたちを、それはそれはかわいがっていました。
お姫さまは、みんなで六人いました。そろいもそろって、きれいな方ばかりでしたが、なかでもいちばん下のお姫さまがいちばんきれいでした。はだは、バラの花びらのように、きめがこまやかで美しく、目は、深い深い海の色のように、青くすんでいました。でも、やっぱり、ほかのおねえさまたちと同じように、足がありません。胴のおしまいのところが、しぜんと、さかなのしっぽになっているのでした。
一日じゅう、お姫さまたちは、海の底の、お城の中の大広間であそびました。広間のかべには、生きている花が咲いていました。大きなこはくの窓をあけると、さかなたちがおよいではいってきました。ちょうど、わたしたちが窓をあけると、ツバメがとびこんでくるのと同じように。さかなたちは、小さなお姫さまたちのそばまでおよいできて、手から食べ物をもらったり、なでてもらったりしました。
お城の外には、大きなお庭がありました。お庭には、火のように赤い木や、まっさおな木が生えていました。そういう木々は、くきや葉を、しょっちゅうゆり動かすので、木の実は、金のようにかがやき、花は、燃えるほのおのようにきらめきました。底の地面は、とてもこまかい砂地になっていましたが、いおうのほのおのように、青く光っていました。
こうして、あたりいちめんに、ふしぎな青い光がキラキラとかがやいていましたので、海の底にいるような気がしません。頭の上を見ても、下を見ても、どこもかしこも青い空ばかりで、かえって、空高くに浮んでいるような気がしました。風がやんでいるときには、お日さまを見ることもできました。お日さまは、むらさき色の花のようで、そのうてなから、あたりいちめんに光が流れ出てくるように思われました。
小さなお姫さまたちは、お庭の中に、自分々々の小さい花壇を持っていました。そこでは、自分の好きなように、土をほったり、お花を植えたりすることができました。ひとりのお姫さまは、花壇をクジラの形に作りました。もうひとりのお姫さまは、かわいい人魚の形にしました。ところが、いちばん下のお姫さまは、お日さまのようにまんまるい花壇を作って、お日さまのように、赤くかがやく花だけをうえました。
このいちばん下のお姫さまは、すこしかわっていて、たいへんもの静かな、考え深い子供でした。おねえさまたちが、浅瀬に乗りあげた船からひろってきた、めずらしいものをかざってあそんでいるようなときでも、このお姫さまだけはちがいました。お姫さまは、ずっと上のほうにかがやいているお日さまに似た、バラのように赤い花と、それから、美しい大理石の、たった一つの像だけを、だいじにしていました。その像というのは、すきとおるように白い大理石にほった、美しい少年の像で、あるとき、難破した船から、海の底へしずんできたものだったのです。
お姫さまは、この像のそばに、バラのように赤いシダレヤナギをうえました。ヤナギの木は、いつのまにか美しく、大きくなりました。若々しい枝は、その像の上にかぶさって、先は青い砂地にまでたれさがりました。すると、枝が動くにつれて、そのかげがむらさき色にうつって、ゆらめきました。そのありさまは、まるで、枝の先と根とが、たがいにキスをしようとして、ふざけあっているようでした。
お姫さまたちにとっては、上のほうにある人間の世界のお話を聞くことが、なによりの楽しみでした。お年よりのおばあさまは、船だの町だの、人間だの動物だのについて、知っていることを、なんでも話してくれました。そのお話の中で、お姫さまたちが、なによりもおもしろく、ふしぎに思ったのは、陸の上では、花がよいかおりをして、におっているということでした。むりもありません。海の底にある花には、なんのにおいもないのですからね。それからまた、森はみどりの色をしていて、木の枝と枝とのあいだに、見えたりかくれたりするさかなたちは、美しい、高い声で、楽しい歌をうたうということも、ふしぎに思われました。おばあさまがさかなと言ったのは、じつは、小鳥のことでした。なぜって、そうでも言わなければ、まだ鳥を見たことのないお姫さまたちには、どんなに説明しても、わかるはずがありませんからね。
「おまえたちが、十五になったらね」と、あるとき、おばあさまが言いました。「海の上に浮びあがることをゆるしてあげますよ。そのときには、明るいお月さまの光をあびながら、岩の上に腰をおろして、そばを通っていく大きな船を見たり、森や町をながめたりすることができるんですよ」
つぎの年には、いちばん上のお姫さまが十五になりました。あとのお姫さまたちは、年が一つずつ下でした。ですから、いちばん下のお姫さまが、海の底から浮びあがって、わたしたち人間の世界のありさまを見ることができるようになるまでには、まだまだ五年もありました。
そこで、お姫さまたちは、はじめて海の上に浮びあがった日に見たことや、いちばん美しいと思ったことを、帰ってきたら、妹たちに話そうと、たがいに約束しあいました。なぜって、みんなは、もう、おばあさまのお話だけでは満足できなくなっていましたからね。お姫さまたちが人間の世界について知りたいと思うことは、とてもとてもたくさんあったのです。
とりわけ、いちばん下のお姫さまは、海の上の世界のながめられる日を、だれよりもずっと強く待ちこがれていました。それなのに、いちばん長いあいだ待たなければならないのです。けれども、お姫さまは、もの静かな、考え深い娘でした。幾晩も幾晩も、開かれた窓ぎわに立って、さかなたちがひれやしっぽを動かしながらおよいでいる、まっさおな水をすかして、上のほうをじっとながめていました。すると、お月さまやお星さまも見えました。その光は、すっかり弱くなって、ぼんやりしていましたが、そのかわり、水をとおして見ていますので、お月さまもお星さまも、わたしたちの目にうつるよりは、ずっと大きく見えました。
ときには、黒い雲のようなものが、光をさえぎって、すべっていくこともありました。それは、頭の上をおよいでいくクジラか、でなければ、大ぜいの人間を乗せている船だということは、お姫さまも知っていました。でも、船の中の人たちは、美しい小さな人魚のお姫さまが、海の底に立っていて、白い手を、船のほうへさしのべていようとは、夢にも思わなかったことでしょう。
さて、いちばん上のお姫さまは、十五になったので、海の上に浮びあがってもよいことになりました。
このお姫さまが、海の底に帰ってきたときには、妹たちに話したいと思うことを、それはそれはたくさん持っていました。お姫さまの話によりますと、いちばん美しかったのは、お月さまの明るい晩、静かな海べの砂地に寝ころんで、海岸のすぐ近くにある、大きな町をながめたことでした。その町には、たくさんの光が、何百とも知れない星のようにかがやいていたということです。それから、音楽に耳をかたむけたり、車のひびきや、人々のざわめきを聞くのもすてきなことでしたし、また、たくさんの教会の塔をながめて、鐘の鳴るのを聞くのも楽しかったそうです。いちばん下のお姫さまは、まだまだ、しばらくのあいだ、海の上へ浮びあがっていくことができないだけに、だれよりもいっそうあこがれて聞きいりました。
ああ、いちばん下のお姫さまは、どんなに熱心に、そういうお話に耳をかたむけたことでしょう! それからというものは、夕方になると、あけはなされた窓ぎわに立って、青い水をすかして、上のほうを見あげるのでした。そして、そのたびに、いろいろなもの音のするという、大きな町のことを、心に思ってみるのでした。すると、そんなときには、教会の鐘の音までが、遠い海の底の、自分のところまで、ひびいてくるような気がしてならないのでした。
一年たつと、二番めのお姫さまが、海の上に浮びあがって、どこへでも好きなところへおよいでいってよい、というおゆるしをいただきました。
お姫さまが浮びあがったとき、お日さまがちょうど沈むところでした。そのながめが、このうえもなく美しく思われました。空いちめんが金色にかがやいて、と、これは、お姫さまのお話です。雲の美しいこと、ほんとうに、そのありさまは、言葉などでは言いあらわすことができません。雲は赤く、スミレ色にもえて、頭の上を流れていきました。けれども、その雲よりもずっとずっと速く、ハクチョウの一むれが、長い白いベールのように、一羽、また一羽と、波の上を、今しずもうとしているお日さまのほうにむかって飛んでいきました。お姫さまも、そちらのほうへおよいでいきました。しかし、まもなく、お日さまが沈んでしまうと、バラ色のかがやきは、海の面からも雲の上からも消えてしまいました。
また一年たつと、今度は、三番めのお姫さまが、海の上に浮びあがっていきました。
このお姫さまは、みんなの中で、いちばんだいたんでしたから、海に流れこんでいる、大きな川を、およいでのぼっていきました。やがて、ブドウのつるにおおわれた、美しいみどりの丘が見えてきました。こんもりとした大きな森のあいだには、お城や農園が見えたりかくれたりしています。いろんな鳥がさえずっているのも聞えてきました。お日さまがあまり暑く照りつけるので、何度も何度も水の中にもぐっては、ほてった顔をひやさなくてはなりません。
小さな入り江に来ると、人間の子供たちが、大ぜい集まっていました。みんなまっぱだかで、水の中をピチャピチャはねまわっていました。人魚のお姫さまも、子供たちといっしょにあそびたくなりました。ところが、子供たちのほうでは、びっくりして、逃げていってしまいました。そこへ、小さな黒い動物が一ぴき、やってきました。じつは、それはイヌだったのです。でも、お姫さまは、それまでに、イヌというものを見たことがありません。それに、お姫さまにむかって、イヌがワンワンほえたてたものですから、お姫さまはすっかりこわくなって、また、もとの広々とした海へもどってきました。それにしても、あの美しい森や、みどりの丘や、それから、さかなのしっぽもないのに、水の中をおよぐことのできる、かわいらしい子供たちのことは、けっして忘れることができませんでした。
四番めのお姫さまは、それほどだいたんではありませんでした。ですから、広い広い海のまっただ中に、じっとしていました。それでも、お姫さまの話では、そこがいちばん美しいところだったということです。どちらを向いても、何マイルも先まで見わたすことができました。空は、大きなガラスのまる天井かと思われました。ときどき目にうつる船は、ずっと遠くに、カモメのように見えました。ふざけんぼうのイルカは、トンボ返りをうっていました。そうかと思うと、大きなクジラが、鼻の穴から水を吹きあげていました。そうすると、まわりに、何百ものふんすいができたように見えました。
今度は、五番めのお姫さまの番になりました。お誕生日が、ちょうど冬の最中でしたから、このお姫さまは、おねえさまたちとはちがったものを見ました。海は、すっかりみどり色になっていて、まわりには大きな氷山が浮んでいました。その氷山の一つ一つが、真珠のようにかがやいて、人間のたてた教会の塔よりも、ずっとずっと大きかったと、お姫さまは話しました。おまけに、そういう氷山は、世にもふしぎな形をしていて、ダイヤモンドのようにキラキラかがやいていました。
お姫さまは、いちばん大きな氷山の一つに、腰をおろしました。船の人たちは、お姫さまが、氷山の上にすわって、長い髪の毛を風になびかせているのを見ると、びっくりして、向きをかえて行ってしまいました。
やがて、日がくれかかると、空は雲でおおわれました。いなずまがピカピカ光り、かみなりがゴロゴロ鳴りだしました。黒い海の波に、大きな氷山が、高く持ちあげられ、赤いいなずまに照らしだされて、キラキラ光りました。どの船も、みんな帆をおろして、船の中の人たちは、おそろしさにふるえていました。お姫さまは、波のあいだをただよう氷山の上に静かに腰をおろして、青いいなずまが、ジグザグに、ピカピカ光る海の面にきらめき落ちるのをながめていました。
おねえさまたちは、はじめて海の底から水の上に浮びあがったとき、新しいものを見たり、美しいものを目にして、みんな夢中になってよろこんでいました。けれども、一人前の娘になって、好きなときに、いつでも行けるようになると、いままでほど心をひかれなくなりました。それどころか、かえって、うちが恋しくなりました。一月もたつと、海の底がやっぱりどこよりも美しくて、うちにいるのがいちばんいいと、口々に言うようになりました。
五人のおねえさまたちは、夕方になると、よく手をつないでは、ならんで、海の上に浮びあがっていきました。
お姫さまたちは、どんな人間よりも、美しい、きれいな声をもっていました。あらしがおこって、船が沈みそうになると、その船の前をおよぎながら、それはそれはきれいな声で、海の底がどんなに美しいかをうたいました。そして、船の人たちに、海の底へ沈んでいくのをこわがらないでください、とたのむのでした。けれども、船の人たちには、お姫さまたちのうたう言葉がわかりません。あらしの音だろうぐらいに思いました。それから、その人たちは、美しい海の底を見ることもできません。それもそのはず、船が沈めば、人間はおぼれて、死んでしまうのです。そうしてはじめて、人魚の王さまのお城に行くのですからね。
こうして、夕方、おねえさまたちが、手をとりあって、海の上に浮びあがっていってしまうと、いちばん下の小さなお姫さまは、たったひとり取りのこされて、おねえさまたちのあとを見送るのでした。そんなときには、さびしくって、泣きたいような気がしました。けれども、人魚のお姫さまには、涙というものがありません。涙がないだけに、もっと苦しい、つらい思いをしなければなりませんでした。
「ああ、あたしも、早く十五になれないかしら」と、お姫さまは言いました。「海の上の世界と、そこに家をたてて住んでいるという人間が、きっと好きになれそうだわ」
とうとう、お姫さまも十五になりました。
「もう、おまえも大きくなりました」と、お姫さまにとってはおばあさまにあたる、王さまのおかあさまが言いました。「さあ、おいで。おけしょうをしてあげましょう。おねえさんたちにしてやったようにね」
こう言って、おばあさまは、白ユリの花輪をお姫さまの髪につけてやりました。見ると、その花びらは、一つ一つが、真珠を半分にしたものでした。それから、お姫さまが高い身分であることをあらわすために、お姫さまのしっぽを八つの大きなカキにはさませました。
「あら、いたいっ!」と、人魚のお姫さまは言いました。
「りっぱになるのには、すこしくらい、がまんをしなくてはいけませんよ」と、おばあさまが言いました。
お姫さまは、そんなおかざりなどは、どんなにはらい落してしまいたかったかしれません。重たい花輪なども、取ってしまいたいと思いました。そんなものよりも、お庭に咲いている赤い花のほうが、お姫さまにはずっとよく似合うにきまっています。でも、いまさら、そうしようとも思いません。
「行ってまいります」と、お姫さまは言って、すきとおったあわのように、かろやかに、水の中を上へ上へとのぼっていきました。
お姫さまが海の上に頭を出したとき、ちょうどお日さまが沈みました。けれども、雲という雲は、まだバラ色に、あるいは金色に照りはえていました。うすモモ色の空には、よいの明星が明るく、美しく光っていました。風はおだやかで、空気はすがすがしく、海の面は鏡のように静かでした。
むこうのほうに、三本マストの大きな船が浮んでいました。風がすこしもないので、帆は、たった一つしかあげていません。そのまわりの綱具や、帆げたの上には、水夫たちがすわっていました。船からは、音楽と歌も聞えてきます。そのうちに、夕やみがこくなってくると、色とりどりの、何百ものちょうちんに、火がともされました。そのようすは、まるで万国旗が風にひらひらと、ひるがえっているようでした。
人魚のお姫さまは、船室の窓のすぐそばまでおよいでいきました。からだが波に持ちあげられるたびに、すきとおった窓ガラスを通して、中のようすをのぞくことができました。そこには、きれいに着かざった人たちが、大ぜいいました。なかでも美しく見えたのは、大きな黒い目をした、若い王子でした。年のころは十六ぐらいでしょうか。それより上には見えません。きょうは、この王子の誕生日だったのです。それで、こんなににぎやかに、お祝いの会が開かれているのでした。水夫たちが、甲板で踊りをはじめました。そこへ、若い王子が出てきますと、花火が百いじょうも空高く打ちあげられました。そのため、あたりが、ま昼のように明るくなりました。
人魚のお姫さまは、びっくりぎょうてんして、水の中にもぐりこみました。でも、すぐまた、頭を出してみました。と、どうでしょう。空のお星さまが、みんな、自分のほうへ落ちてくるようです。お姫さまは、こういう花火というものをまだ一度も見たことがなかったのです。大きなお日さまが、いくつもいくつも、シュッ、シュッと音をたてながら、まわりました。すばらしい火のさかなが、青い空に飛びあがりました。そうしたすべてのありさまが、すみきった、静かな海の面にうつりました。
船の上は、あかあかと照らし出されました。人間の姿はもちろんのこと、どんなに細い帆づなでも、一本一本をはっきりと見わけることができました。ああ、それにしても、若い王子は、なんという美しい方でしょう! 王子は、にこにこしながら、人々とあくしゅしていました。そのあいだも、このはなやかな夜空に、音楽はたえず鳴りひびいていました。
夜はふけました。それでも、人魚のお姫さまは、船と、美しい王子から、目をはなすことができませんでした。もう今は、色とりどりのちょうちんの火は消えて、花火も空に上がらなくなりました。お祝いのための大砲の音もとどろきません。けれども、深い海の底では、低くブツブツといううなりがしていました。お姫さまは、あいかわらず、水の上に浮びながら、波のまにまにゆられて、船室の中をのぞいていました。
ところが、船は、きゅうに、今までよりも速く走りだしました。帆が一つ、また一つと、張られました。気がついてみると、波は山のように高くなり、空には黒雲が集まってきて、遠くのほうでは、いなずまがピカピカ光っているではありませんか。ああ、おそろしいあらしがやってきそうです。このありさまに、水夫たちはまた帆をおろしました。大きな船は、あれくるう海の上を、ゆれながらも、矢のように速くつき進んでいます。波は、大きな山のように、黒々ともりあがって、今にもマストをつきたおそうとします。
船は、まるでハクチョウのように、高い波の谷間に沈むかと思うと、すぐまた、塔のような波のてっぺんに持ちあげられました。人魚のお姫さまには、おもしろい航海のように思われました。ところが、船の人たちにしてみれば、それどころではありません。船は、うめくような音をたてて、ミシミシときしりはじめました。大波が船にはげしくぶつかると、そのいきおいで、あつい船板がまがり、海の水が流れこみました。マストは、アシかなにかのように、まんなかから、ポキッと折れてしまいました。船は横にかたむいて、水がどっと船倉へ流れこんできました。
船の中の人たちの命が、あぶなくなりました。人魚のお姫さまも、ようやく、そのことに気がつきました。でも、そうは思っても、お姫さま自身が、海の上をただよっている、船の材木や板切れに、気をつけなくてはなりません。
そのとき、きゅうに、あたりがまっ暗になって、なに一つ見えなくなりました。と、思うまもなく、また、いな光りがして、ぱっと明るくなりました。船の上のものが、またみんな見えました。だれもかれもが、大さわぎをしています。お姫さまは、その中で、あの若い王子の姿をさがしました。と、船がまっ二つにさけたとたん、深い海の中へ、王子の落ちこんでいくのが見えました。
その瞬間、お姫さまは、すっかりうれしくなりました。王子が、海の底の、自分のそばへくるものと思ったからです。けれども、すぐまた、人間は水の中では生きていられない、ということを思い出しました。だから、この王子も死ななければ、おとうさまのお城へは降りていくことができないのだと気がつきました。ああ、王子さまを死なせてはいけない! どうしても死なせてはならない! そう思うと、お姫さまは、自分の身の危険も忘れて、海の上をただよっている材木や板のあいだをかきわけて、王子のほうへおよいでいきました。もし、その材木の一つでも、からだにあたれば、お姫さまは押しつぶされてしまうのです。
お姫さまは、水の中へ深くもぐったり、大きな波のあいだに浮びあがったりしているうちに、とうとう、若い王子のところへおよぎつきました。王子は、もうこれ以上あれくるう海の中をおよぐことはできなくなっていました。手足はつかれきって、もう、しびれはじめていたのです。美しい目は、しっかりととじていました。もしもこのとき、人魚のお姫さまがきてくれなかったなら、きっと死んでしまったことでしょう。お姫さまは、王子の頭を水の上に持ちあげて、どこともなく、波に身をまかせて、ただよっていきました。
明けがた近く、あらしはすぎさりました。船はかげも形もなく、あたりには、切れはし一つ見えません。お日さまがあかあかとのぼって、海の面をキラキラと照らしました。すると、気のせいか、王子の頬にも、血の気がさしてきたように思われました。でも、やっぱり、目はかたくとじたままでした。人魚のお姫さまは、王子の高い、美しいひたいにキスをして、ぬれた髪の毛をなであげてやりました。見れば、王子は、どことなく、海の底の小さな花壇にある、あの大理石の像に似ているような気がします。お姫さまは、もう一度キスをして、王子さまが、どうか生きていてくれますように、と、心の中で祈りました。
やがて、むこうのほうに陸地が見えてきました。高い、青い山々のいただきには、ちょうど、ハクチョウが寝ているようなかっこうで、まっ白い雪がキラキラ光っていました。下の海べには、美しいみどりの森があって、その前に一つの建物が立っていました。それは教会なのか修道院なのか、お姫さまにはよくわかりませんでした。見ると、庭にはレモンやオレンジの木が生えていて、門の前には高いシュロの木が立っています。海は、ここで小さな入り江になっていました。入り江の中はとても静かでしたが、おくの岩のところまでたいそう深くなっていました。その岩のあたりでは、白いこまかい砂が波にあらわれていました。
人魚のお姫さまは、美しい王子をだいて、そこへおよいでいきました。そして、王子を砂の上に寝かせましたが、そのときも王子の頭を高くして、暖かいお日さまの光がよくあたるように、気をつけてあげました。
そのとき、大きな白い建物の中で、鐘が鳴りました。そして、若い娘たちが大ぜい、庭から出てきました。それを見ると、人魚のお姫さまは、そこから離れて、二つ三つ海の面につき出ている、大きな岩のかげまでおよいでいきました。そこで、海のあわを髪の毛や胸にかぶって、だれにも顔を見られないようにしてから、この気の毒な王子のそばに、どんな人がやってくるか、じっと見ていました。
まもなく、ひとりの若い娘が歩いてきました。娘は、王子を見ると、たいそうびっくりしたようでした。でも、すぐにもどっていって、ほかの人たちを呼んできました。人魚のお姫さまが、なおも目を離さずに見ていますと、王子は、とうとう気がついて、まわりにいる人たちにほほえみかけました。けれども、命をたすけてくれた人魚のお姫さまのほうへは、ほほえんでも見せませんでした。考えてみれば、むりもありません。お姫さまに命をたすけてもらったことなどは、夢にも知らないのですからね。でも、お姫さまは、たいそう悲しくなりました。まもなく、王子が大きな建物の中にはこばれていってしまうと、人魚のお姫さまは、悲しみながら水の中へしずんで、おとうさまのお城へもどっていきました。
このお姫さまは、もともと、もの静かで、考え深いたちでしたが、今では、それがもっともっとひどくなりました。
「ねえ、海の上で、どんなものを見てきたの?」と、おねえさまたちはしきりにたずねましたが、お姫さまはなんにも話しませんでした。
それからは、幾晩も幾朝も、お姫さまは、王子と別れた海べに浮びあがっていきました。いつのまにか、庭の木の実が熟してもぎとられていくのを見ました。高い山々の雪が、とけていくのも見ました。それでも、王子の姿は見えません。そのたびに、お姫さまは、前よりもいっそう悲しくなって、うちへ帰っていくのでした。
いまのお姫さまにとっては、自分の小さな花壇の中にすわって、王子に似ている、あの美しい大理石の像を腕にだくことだけが、たった一つのなぐさめとなりました。もう、お姫さまは、花の手入れもしてやりません。ですから、草花は、まるで荒れ野のように、道の上までぼうぼうとおいしげってしまいました。おまけに、長いくきや葉が、木の枝とからみあっているものですから、あたりはまっ暗になりました。
とうとう、人魚のお姫さまは、もうこれ以上がまんができなくなりました。自分の苦しい気持をおねえさまのひとりに、そっと打ちあけました。すると、すぐに、ほかのおねえさまたちにも知れてしまいました。でも、この話を知っているのは、おねえさまたちと、ほかに、二、三人の人魚の娘たちだけでした。みんなは、ごくなかのいい友だちにしか話さなかったからです。ところが、ぐうぜんなことに、その友だちの中に、王子のことを知っている娘がいました。その娘も、いつか船の上で開かれていた、王子の誕生日のお祝いを見ていたのでした。そして、うれしいことに、王子がどこの国の人で、その国はどこにあるのかということまで、知っていました。
「さあ、行きましょう」と、ほかのお姫さまたちが言いました。そして、みんなで、腕と肩とを組んで、長く一列にならんで、王子のお城のあるという海べへ浮びあがっていきました。
そのお城は、つやつやした、うす黄色の石で作られていました。大きな大理石の階段がいくつもあって、その一つは海の中まで降りていました。上には、金色の、すばらしいまる屋根がそびえていました。まる柱が建物のまわりをとりまいていましたが、その柱と柱のあいだには、ほんとうに生きているのではないかと思われるような、大理石の像が立っていました。
高い窓のすきとおったガラスからは、中が見えました。そこには、たとえようもないくらいりっぱな広間がつづいていて、りっぱな絹のカーテンと、じゅうたんとがかかっていました。それに、かべというかべには、大きな絵がいくつもかざってあって、いくら見ていても、あきないくらいでした。いちばん大きな広間のまんなかには、大きなふんすいが、サラサラと音をたてていました。そのしぶきは高く飛びちって、ガラスばりのまる天井まで、届くほどでした。お日さまの光が、ガラスの天井からさしこんできて、水の上や、大きな水盤に浮んでいる美しい水草を、キラキラと照らしていました。
こうして、王子の住んでいるところがわかると、人魚のお姫さまは、それからというものは、夕方から夜にかけて、何度も何度も、その海べへ浮びあがっていきました。そして、ほかの人たちには、とてもまねのできないくらい、陸の近くまでおよいでいきました。それどころか、しまいには、せまい水路をさかのぼって、美しい大理石のテラスの下まで行きました。テラスのかげは、水の面に長くうつっていました。
人魚のお姫さまは、そのテラスの下に身をかくして、若い王子を見あげました。王子のほうでは、ほかにだれかいようとは夢にも知らず、ただひとり、明るいお月さまの光をあびて立っていました。
お姫さまは、王子が音楽をかなでながら、旗をひらひらとなびかせた、美しいボートに乗って、夕方海に出ていくのを、何度もながめました。お姫さまは、みどりのアシのあいだから、そっとのぞいていたのでした。風がそよそよと吹いてきて、お姫さまのしろがね色の、長いベールをひらひらさせると、それを見た人は、ハクチョウがつばさをひろげたのだろうと思いました。
漁師たちが、晩にたいまつをともして、海の上で漁をしながら、若い王子のうわさをしてほめているようなことが、よくありました。お姫さまは、それを聞くたびに、この王子が、いつかあれくるう波にもまれて、いまにも死にかかっていたとき、自分が、その命をたすけてあげたのだと思うと、うれしくてなりませんでした。そして、王子の頭が、自分の胸の上にじっともたれていたことや、王子のひたいに、心をこめてキスをしたことなどを思い出すのでした。でも、王子のほうでは、そんなことはなんにも知らないのです。お姫さまのことなどは、夢にも思ってみたことがありませんでした。
お姫さまは、だんだんに人間をしたうようになりました。ますます、人間の世界へのぼっていって、仲間にはいりたいと思うようになりました。人間の世界は、海の人魚の世界よりも、ずっとずっと大きいように思われました。人間は、海の上を船に乗って走ることができます。雲の上までそびえている、高い山にものぼることができます。それに、人間の住んでいる陸地には、森や畑があって、それが、お姫さまの目の届かないほど遠くまで、どこまでもどこまでもひろがっているのです。
お姫さまの知りたいと思うことは、まだまだたくさんありました。おねえさまたちにきいてみても、だれもみんな答えてくれることはできません。そこで、お姫さまは、お年をとったおばあさまにたずねてみました。おばあさまなら、上の世界のことをよく知っていましたから。上の世界というのは、おばあさまが海の上の陸地につけた、なかなかうまい名前だったのです。
「人間というものは、おぼれて死ななければ、いつまでも生きていられるんでしょうか? 海の底のあたしたちのように、死ぬことはないんですか?」と、人魚のお姫さまはたずねました。
「いいえ、おまえ、人間だって死にますとも」と、おばあさまは言いました。「それに、人間の一生は、かえって、わたしたちの一生よりも短いんだよ。わたしたちは、三百年も生きていられるね。けれども、死んでしまえば、わたしたちはあわになって、海の面に浮いて出てしまうから、海の底のなつかしい人たちのところで、お墓を作ってもらうことができないんだよ。わたしたちは、いつまでたっても、死ぬことのない魂というものもなければ、もう一度生れかわるということもない。わたしたちは、あのみどりの色をした、アシに似ているんだよ。ほら、アシは、一度切りとられれば、もう二度とみどりの葉を出すことができないだろう。
ところが、人間には、いつまでも死なない魂というものがあってね。からだが死んで土になったあとまでも、それは生きのこっているんだよ。そして、その魂は、すんだ空気の中を、キラキラ光っている、きれいなお星さまのところまで、のぼっていくんだよ。わたしたちが、海の上に浮びあがって、人間の国を見るように、人間の魂は、わたしたちがけっして見ることのできない、美しいところへのぼっていくんだよ。そこは天国といって、人間にとっても、前から知ることのできない世界なんだがね」
「どうして、あたしたちには、いつまでたっても死なないという魂がさずかりませんの?」と、人魚のお姫さまは、悲しそうにたずねるのでした。「あたしの生きていられる、何百年という年を、すっかりお返ししてもいいから、そのかわり、たった一日だけでも、人間になりたいわ。そうして、その天国とかいうところへのぼっていきたいわ」
「そんなことを考えちゃいけないよ」と、おばあさまが言いました。「わたしたちは、あの上の世界の人間よりも、ずっとしあわせなんだからね」
「だって、それなら、あたしは死んでしまうと、あわになって、海の上をただよわなくてはならないんでしょう。そうなれば、もう、波の音楽も聞かれないでしょうし、きれいなお花や、まっかなお日さまも見られないんでしょう。ああ、どうにかして、いつまでも死なないという、その魂をさずかることはできないものでしょうか?」
「そんなことをいってもねえ」と、おばあさまが言いました。「でも、たった一つ、こういうことがあるよ。人間の中のだれかが、おまえを好きになって、それこそ、おとうさんよりもおかあさんよりも、おまえのほうが好きになるんだね。心の底からおまえを愛するようになって、牧師さまにお願いをする。すると、牧師さまが、その人の右手をおまえの右手に置きながら、この世でもあの世でも、いついつまでも、ま心はかわりませんと、かたいちかいをたてさせてくださる。そうなってはじめて、その人の魂が、おまえのからだの中につたわって、おまえも人間の幸福を分けてもらえるようになるということだよ。その人は、おまえに魂を分けてくれても、自分の魂は、ちゃんと、もとのように持っているんだって。
でも、そんなことは、起るはずがない。だって、考えてもごらん。この海の底では、美しいと思われているものでも、たとえばだね、おまえの持っている、そのさかなのしっぽにしたって、陸の上にいる人間の目には、みにくく見えるんだからね。人間には、そのねうちがわからないんだよ。だから、そのかわりに、かっこうのわるい、二本のつっかい棒を持たなければならないんだよ。人間は、うまく言いつくろうために、そのつっかい棒のことを、足なんて言っているけどね」
それを聞くと、人魚のお姫さまは、ほっとため息をついて、悲しそうに自分のさかなのしっぽをながめました。
「さあさあ、ゆかいになろうよ」と、おばあさまが言いました。「はねたり踊ったりして、わたしたちの生きていられる三百年のあいだを、楽しく暮そうよ。三百年といえば、ずいぶん長い年月じゃないの。それからあとは、思いのこすこともなく、ゆっくり休むことができるというものさ。そうそう、今夜は、舞踏会を開こうね」
その晩の舞踏会は、陸の上ではとても見られない、美しい、はなやかなものでした。
大きな部屋のかべや天井は、あついけれども、よくすきとおるガラスでできていました。広間のどこを見まわしても、かべというかべには、バラ色や草色の大きな貝がらが、二、三百も列を作ってならんでいました。そして、その貝がらの一つ一つに、青いほのおの燃えている明りがともっていて、広間じゅうを明るく照らしていました。そのうえ、かべをとおして、外のほうまでさしていましたから、まわりの海は青い光で、明るく照らしだされていました。
かぞえきれないほどたくさんのさかなたちが、ガラスのかべのほうにむかっておよいでくるのが見えました。まっかなうろこをキラキラさせているさかなもあれば、金色や銀色のうろこをきらめかせているのもありました。
広間のまんなかを、はばの広い流れが一すじ、サラサラと音をたてて流れていました。その流れの上では、人魚の男や女たちが、美しい人魚の歌をうたいながら、それに合せて踊っていました。そんな美しい声は、とても地上の人間にはありません。わけても、いちばん下のお姫さまは、だれよりも、美しい声でうたいました。みんなは、手をたたいてほめそやしました。お姫さまも、心の中ではうれしく思いました。陸の上にも、海の中にも、自分より美しい声を持っているものがないことを思ったからでした。けれども、すぐまた、上の世界のことを思うのでした。あの美しい王子のこと、王子の持っているような、死ぬことのない魂が、自分にはないという悲しみを、どうしても忘れることができませんでした。
それを思うと、お姫さまはたまらなくなって、おとうさまのお城からこっそり抜けだしました。みんなは、お城の中でにぎやかにうたったり、踊ったりしているというのに、お姫さまだけは、たったひとりで、自分の小さな花壇の中に、悲しみに沈んですわっていました。
そのとき、ふと、角ぶえのひびきが、水の中をつたわって聞えてきました。お姫さまは、はっとして、思いました。
「きっと、いま、あのかたが海の上を、船に乗ってお通りになっているのだわ。おとうさまよりもおかあさまよりももっと好きなあのかたが。あたしがいつも思っているあのかたが。あのかたのお手に、あたしの一生のしあわせをおまかせしてもいいわ。あのかたと死ぬことのない魂とが、あたしのものになるのなら、どんなことでもやってみるわ。おねえさまたちが、おとうさまのお城の中で踊っているあいだに、魔法使いのおばあさんのところへ行ってみよう。あの魔法使いは、今まではこわくてならなかったけど、でも、きっといい知恵をかして、助けてくれるわ」
そこで、人魚のお姫さまは、庭から出て、ゴーゴーとすさまじい音をたてている、うずまきのほうへ行きました。魔法使いは、このうずまきのむこうに住んでいるのです。
人魚のお姫さまは、この道をまだ一度も通ったことがありませんでした。そこには、花も咲いていなければ、海草も生えていません。ただ、なんにもない、灰色の砂地があるばかりです。それが、うずのまいているところまでひろがっていました。そこでは、海の水がゴーゴーと音をたてて、水車のようにうずをまいていました。いったん、その中にまきこまれたが最後、どんなものでも、深い底のほうへひきずりこまれてしまうのでした。どんなものをも、粉々にくだいてしまう、このうずのまんなかを通りぬけていかなければ、魔法使いの国へは行くことができないのです。おまけに、そこまで行くのには、ずいぶん長いあいだ、ブクブクとあわのたっている、あついどろの上を行くほかには道がありません。
このどろのところを、魔法使いは、どろ沼と言っていました。そのむこうに、ふしぎな森があって、そのまんなかに、魔法使いの家があるのです。
森の中の木ややぶは、どれもこれも、はんぶんは動物で、はんぶんは植物のポリプでした。そのありさまは、ちょうど百の頭を持ったヘビが、地から生え出ているようでした。枝はといえば、みんな、ねばねばした長い腕で、まるで、ミミズのようにまがりくねる指を持っていました。そして、根もとから、いちばん先のはしまで、一節一節を動かすことができました。こうしていて、水の中で何かをつかまえようものなら、それがどんなものであろうと、しっかりとまきついて、二度とはなしはしないのです。
人魚のお姫さまは、ここまでやってくると、すっかりこわくなって、立ちすくみました。あまりのおそろしさに、胸はどきどきしています。引きかえそうかとも思いましたが、王子のことや、人間の魂のことなどを思って、また、勇気をふるいおこしました。そこで、まず、ほどけた長い髪の毛を、頭にしっかりと巻きつけて、ポリプにつかまらないようにしました。それから、両手を胸の上にかさねて、さかなが水の中をすいすいとおよぐように、気味のわるいポリプのあいだをすりぬけていきました。そのあいだじゅう、ポリプたちは、腕と指とをお姫さまのほうへ、うねうねと伸ばしていました。
見れば、どのポリプも、つかまえたものを、何百という小さな腕でぎゅっとしめつけているのです。まるで、がんじょうな鉄のひもででもしめつけているようなぐあいに。海で死んで、底深く沈んできた人間が、白骨となって、ポリプの腕のあいだからのぞいていました。船のかいや、箱もしめつけられていました。そうかと思うと、陸の動物の骨も見えました。ほかにもまだ、小さな人魚の娘がひとりつかまって、しめ殺されていました。そのありさまが、お姫さまには、この上もなくおそろしいものに思われました。
やがて、お姫さまは、森の中の、どろどろした広いところへきました。そこには、あぶらぎった、大きなウミヘビがとぐろをまいて、気味のわるい、うす黄色の腹を見せていました。広場のまんなかに、一けんの家が立っていましたが、それは、船が沈んだときに死んだ人間の白骨で、作ったものでした。
その家の中に、魔法使いがいたのです。魔法使いは、ちょうど、人間が小さなカナリアにおさとうをなめさせてやるようなぐあいに、自分の口から、ヒキガエルにえさをやっているところでした。そして、あの見るもいやらしい、ふとったウミヘビを、魔法使いは、「かわいいひなっこや」と呼んで、だぶだぶした大きな胸の上をはいずりまわらせていました。
「おまえさんがなんできたのか、わたしにゃ、ちゃんとわかってるよ」と、魔法使いの女は言いました。「ばかなことはやめておおき。わがままを押し通すと、今にふしあわせになるよ、きれいなお姫さん。おまえさんは、さかなのしっぽを取っちゃって、そのかわり、人間みたいに、歩くときに使う、二本のつっかい棒がほしいんだろ。そうして、若い王子がおまえさんを好きになって、おまえさんは、王子と死ぬことのない魂を手に入れようってつもりだね」
こう言って、魔法使いは、ぞっとするような高い声で笑いました。そのひょうしに、ヒキガエルとウミヘビは下にころがり落ちて、あたりをはいずりまわりました。
「だが、おまえさんは、いいときにきたんだよ」と、魔法使いは言いました。
「あしたになって、おてんとさまがのぼっちまえば、あと一年たたないことにゃ、おまえさんを助けてやるわけにはいかなかったんだよ。
どれ、ひとつ、飲みぐすりをこしらえてやろうかね。おまえさんは、それを持って、おてんとさまののぼらないうちに、陸地におよいでいくんだよ。それから、岸にあがって、くすりをお飲み。そうすりゃ、おまえさんのしっぽはちぢんでしまって、足ってものになるよ。ほら、人間がきれいな足といってる、あれさ。だが、そりゃあ痛いのなんのって。まるで、するどい剣でつきさされるようだよ。
そのかわり、おまえさんを見れば、どんな人間でも、ああ、今までに見たことのないきれいな娘だ、と言うにきまってるよ。おまえさんの歩きかたはじょうひんで、軽そうで、どんな踊り子だって、おまえさんみたいにはいかないさ。だが、歩けば、ひとあしごとに、するどいナイフをふんで、血が出るような思いをするだろうよ。どうだい。それでも、がまんができるというのなら、力をかしてやってもいいよ」
「はい、お願いします」と、人魚のお姫さまは、ふるえる声で言いました。王子のことを思い、死なない魂を手に入れることを、じっと思っていました。
「だが、これだけは忘れちゃいけないよ」と、魔法使いが言いました。「一度、人間の姿になっちまえば、もう二度と、人魚の娘にもどることはできないんだよ。二度と水の中をくぐって、ねえさんたちや、おとうさんのお城へ、もどってはこられないんだよ。それにだね、王子が、おとうさんやおかあさんのことを忘れてしまうほど、おまえさんを好きになって、心の底から、おまえさんのことばかり思うようになり、牧師さんにたのんで、おまえさんたちふたりの手をにぎらせてもらって、夫婦にしてもらわなきゃ、死なない魂は、おまえさんの手には、はいりっこないんだよ。もしも王子が、だれかほかの女とでも結婚しようもんなら、そのつぎの朝には、おまえさんの心臓ははれつして、おまえさんは、水の上のあわとなってしまうんだよ」
「それでもかまいません」と、人魚のお姫さまは言いました。けれども、顔の色は、死人のように青ざめました。
「それから、わたしにはらう代金のことも、忘れちゃこまるよ」と、魔法使いは言いました。「なにしろ、わたしのほしいってのは、ちょっとやそっとのものじゃないからね。おまえさんは、この海の底のだれよりもきれいな声を持っている。その声で王子の心をまよわそうってつもりなんだろうが、じつはその声を、わたしゃもらいたいのさ。
だいじな飲みぐすりをやるんだから、そのかわりに、おまえさんの持っているいちばんいいものを、もらいたいってわけだよ。なにしろ、飲みぐすりが、もろ刃のつるぎのようによくきくようにするためにゃ、わたしゃあ、自分の血を、その中へまぜこまなきゃならないんだからね」
「でも、あなたに、この声をあげてしまったら、あたしには、いったい、何がのこるんでしょう?」と、人魚のお姫さまが言いました。
「おまえさんにゃ、きれいな姿と、軽い、じょうひんな歩きかたと、ものをいう目があるじゃないか。それだけありゃ、人間の心をまよわすことができるってもんさ。
おや、おまえさん、勇気がなくなったかい? さあ、さ、その小さな舌をお出し。くすりのお代に切らせてもらうよ。そのかわり、よくきくくすりはやるからね」
「いいわ、どうぞ」と、人魚のお姫さまは言いました。
魔法使いは、なべを火にかけて、魔法のくすりを作りにかかりました。
「まず、きれいにしてとね」
魔法使いは、こう言って、ヘビをくるくると結んで、それで、なべをみがきました。それがすむと、今度は、自分の胸をひっかいて、黒い血をなべの中にたらしました。すると、そこから湯気が、もうもうとたちのぼって、なんともいえない、気味のわるい形になりました。
そのようすは、まったくおそろしくて、ぞっとするほどでした。魔法使いは、ひっきりなしに、なべの中に新しいものを入れました。やがて、それがよくにたつと、まるで、ワニの鳴くような音をたてました。こうして、とうとう、くすりができあがりました。見ただけでは、まるで、きれいにすんだ水のようでした。
「さてと、できたよ」と、魔法使いは言いました。そして、人魚のお姫さまの舌を切りとりました。これで、お姫さまはおしになってしまいました。もうこれからは、歌もうたえませんし、ものを言うこともできません。
「おまえさんが、これから森の中を帰っていくとき、ポリプどもにつかまりそうになったら」と、魔法使いは言いました。「たった一たらしでいいから、この飲みぐすりをかけてやんなさい。そうすりゃ、やつらの腕や指は、みんな粉々に飛んじまうから」
でも、そんなことをするまでもありませんでした。ポリプたちは、お姫さまの手の中で、くすりがお星さまのようにキラキラ光っているのを見ると、はっとおそれて、からだをひっこめてしまいました。ですから、お姫さまは、なんの苦もなく、森もどろ沼も、はげしいうずまきの中をも通りぬけていきました。
おとうさまのお城が見えてきました。大きな部屋の明りは、もう消えています。みんなは、きっと寝ているのにちがいありません。お姫さまは、みんなのところへ行こうとはしませんでした。今は、ものを言うこともできませんし、それに、きょうかぎり、一生のお別れをしようと思っているのです。お姫さまの心は、悲しみのためにはりさけそうでした。そっとお庭の中にはいっていって、おねえさまたちの花壇から、一つずつ花をつみとりました。そして、お城のほうへ、何度も何度もキスを投げてから、青い海の中を上へ上へとのぼっていきました。
まだ、お日さまののぼらないころ、人魚のお姫さまは、王子のお城を見あげながら、りっぱな大理石の階段の上にのぼりました。お月さまが、美しく、明るくかがやいていました。人魚のお姫さまは、燃えるように強いくすりを飲みました。すると、もろ刃のつるぎで、かぼそいからだをつきさされたような気がしました。たちまち、気が遠くなって、死んだようにその場にたおれました。
やがて、お日さまがキラキラと海の面を照らしました。人魚のお姫さまはようやく気がつきましたが、はげしい痛みをからだに感じました。目をあげて見れば、すぐ前に、あの美しい、若い王子が立っています。王子は、黒い目で、じっと、お姫さまを見つめていました。お姫さまは、思わず、その目をふせました。と、どうでしょう。さかなのしっぽは、いつのまにか消えてしまって、かわいらしい人間の娘しか持っていないような、世にも美しい、小さな白い足が生えているではありませんか。けれども、お姫さまは、なんにも着ていません。はだかでしたので、ゆたかな長い髪の毛で、からだをかくしました。
「あなたは、どういうかたですか? どうしてここへきたのですか?」と、王子はたずねました。
お姫さまは、青い目で、いかにもやさしそうに、でも、たいそう悲しげに、王子を見つめました。なぜって、お姫さまは、口をきくことができないのですから。王子は、お姫さまの手をとって、お城の中へ連れていきました。お姫さまは、ひとあし歩くたびごとに、魔法使いが前に言ったとおり、とがった針か、するどいナイフの上をふんでいるような思いがしました。けれども、このくらいの苦しみはよろこんでがまんしました。王子に手を引かれながら、お姫さまは、水のあわかと思われるほど、たいそうかろやかに、のぼっていきました。その軽々とした、かわいらしいお姫さまの歩きかたに、王子もほかの人たちも、ただただおどろいていました。
お姫さまは、絹やモスリンの、りっぱな着物をいただきました。お城の中で、お姫さまが、だれよりもいちばんきれいでした。でも、かわいそうに、おしだったのです。歌をうたうことも、ものを言うこともできません。絹と金とで着かざった、美しい女のどれいたちが出てきて、王子と、王子のご両親の王さま、お妃さまの前で、歌をうたいました。中のひとりが、ほかのものよりもじょうずにうたいました。すると、王子は手をたたいて、その女のほうへほほえみかけました。それを見ると、人魚のお姫さまはとても悲しくなりました。自分だったら、もっともっとよい声でうたうことができたのに、と思ったのです。そして、心の中で言いました。
「ああ、王子さま、あなたのおそばにいたいために、あたしは、永久に声をすててしまったのです。せめて、それだけでも、わかってくださったら」
やがて、女のどれいたちは、すばらしい音楽に合せて、今度は、美しく、かろやかに踊りました。人魚のお姫さまも、美しい白い腕をあげて、つま先で立ちながら、床の上をすべるように、軽々と踊りました。そんなにみごとに踊ったものは、だれもありません。踊って動くたびごとに、お姫さまの美しさが、いよいよ加わりました。その目は心の中の思いをあらわして、どれいたちの歌よりも、強く強く人の心を打ちました。
人々は、みんな、うっとりと見とれていました。なかでも、王子のよろこびかたはたいへんなもので、「かわいいすて子さん」と呼びました。お姫さまは、足が床にさわるたびごとに、するどいナイフの上をふむような思いをしました。それでも、じっとがまんして、踊りつづけました。
王子はお姫さまに、これからは、いつも自分のそばにいるように、と言いました。そのうえ、お姫さまは、王子の部屋の前にある、ビロードのふとんに寝てもいい、というおゆるしもいただきました。
王子は、お姫さまのために、男の着物を作らせて、ウマに乗っていくおともをさせました。ふたりは、かおりのよい森の中を通っていきました。みどりの枝が肩にふれたり、小さな鳥が若葉のかげでさえずったりしていました。
お姫さまは、王子といっしょに高い山にものぼりました。か弱い足からは、だれの目にもわかるくらい、血がにじみ出ましたが、それでも、お姫さまはただ笑って、どんどん王子のあとについていきました。とうとう、雲の上まで出ました。そこから見ると、下のほうを流れている雲は、遠くの国へ飛んでいく、鳥のむれのように見えました。
王子のお城で、ほかの人たちが夜になって寝てしまうと、お姫さまは、はばの広い大理石の階段をおりて、燃えるような足をつめたい海の水の中にひたして、ひやしました。そんなときには、深い海の底にいる、なつかしい人たちのことが思い出されるのでした。
ある晩のこと、おねえさまたちが、手をつないで、海の上に出てきました。みんなは、波のまにまに浮びながら、ひどく悲しい歌をうたいました。お姫さまが、手まねきすると、おねえさまたちのほうでも、それに気がつきました。
「海の底ではね、あなたがいなくなってから、みんな、とっても悲しんでいるのよ」と、おねえさまたちは話しました。
それからというものは、おねえさまたちは、毎晩たずねてきてくれました。ある晩などは、もう何年も海の上に出てきたことのない、お年よりのおばあさまと、頭にかんむりをかぶった、人魚の王さまの姿までも、ずっと遠くのほうに見えました。おばあさまもおとうさまも、お姫さまのほうへ手をさしのばしました。けれども、おねえさまたちのように、陸の近くまでこようとはしませんでした。
一日ごとに、王子は、お姫さまが好きになりました。といっても、王子は、おとなしい、かわいい子供をかわいがるように、お姫さまをかわいがっていたのです。ですから、お妃にしようなどとは、夢にも思っていませんでした。ところが、お姫さまのほうでは、どうしても、王子のお妃にならなければなりません。さもなければ、死ぬことのない魂を、手に入れることができないのです。いや、それどころか、王子が結婚したつぎの朝には、海の上のあわとなってしまうのです。
王子が人魚のお姫さまを腕にだいて、美しいひたいにキスをすると、お姫さまの目は、
「あたしが、だれよりもかわいいとはお思いになりませんか?」と言っているように思われました。
「うん、おまえがいちばん好きだよ」と、王子は言いました。「だって、おまえは、だれよりもやさしい心を持っていて、ぼくにま心をつくしてくれているんだもの。それに、おまえは、ある若い娘さんに似ているんだよ。その娘さんには、いつか一度会ったことがあるけれど、きっともう、会うことはないだろう。
ぼくが船に乗って、海に出たときのことだよ。乗っていた船は、あらしにあって、沈んだけれど、ぼくは波に打ちあげられて、岸べについた。見ると、その近くには修道院があって、若い娘さんが、何人もおつとめをしていた。その中のいちばん若い娘さんが、岸べに打ちあげられているぼくを見つけて、命を助けてくれたんだよ。そのとき、ぼくは、その娘さんの顔を、二度しか見なかった。でも、ぼくがこの世の中で、いちばん好きに思うのは、ただ、その娘さんだけなんだよ。
だけど、おまえを見ていると、とても、その娘さんによく似ている。だから、ぼくの心の中にある、その娘さんの姿も、押しのけられてしまいそうなくらいだよ。でも、その娘さんは、あの修道院に一生いる人だから、幸福の神さまが、かわりに、おまえをぼくによこしてくださったんだよ。これからは、どんなことがあっても、離れずにいよう」
「ああ、王子さまは、あたしが命を助けてあげたことをごぞんじないんだわ」と、人魚のお姫さまは心の中で思いました。「あたしが、海の上を、修道院のある森のところまで連れていってあげたのに。それから、あたしは、海のあわをかぶって、だれかこないかと見ていたんだわ。そうしたら、きれいな娘さんがきたんだわ。その娘さんを、王子さまは、あたしよりも好いていらっしゃる」
人魚のお姫さまは、深いため息をつきました。けれども、泣くことはできませんでした。
「そのむすめさんは、一生修道院につかえているんだと、王子さまはおっしゃったわ。そうすると、この世の中へは出てこられないんだから、おふたりはもう会えないわけだわ。それにくらべれば、あたしは、こうしておそばにいて、毎日毎日、お顔を見ている。あたしは、王子さまのお世話をしてあげよう。心から王子さまをおしたいしよう。そして、王子さまのためなら、この命もよろこんでささげよう」
ところが、そのうちに、王子は結婚することになりました。おとなりの国の王さまの美しい王女を、お妃にむかえるという、うわさがたちました。そのために、船もたいそう美しくかざりつけられました。王子は、となりの国を見るために、旅に出かけるのだと言われましたが、ほんとうは、その国の王女にお会いになるためだったのです。おともの人たちも、大ぜいついていくことになりました。でも、人魚のお姫さまは、頭をふって、ほほえみました。王子が心の中に考えていることは、だれよりもよく知っていたからです。
「ぼくは、旅に出なければならない」と、王子は、お姫さまに言いました。「美しい王女に会ってこなければならないんだよ。おとうさまやおかあさまが、そうするようにとおっしゃるからね。しかし、その王女を、どうでもお嫁さんにして帰ってくるように、とはおっしゃっていないよ。ぼくが、その王女を好きになんかなれるはずはない。だって、修道院で見た、あの美しい娘さんに似ているはずがないもの。あの娘さんに似ているのは、おまえだけだよ。ぼくが、いつかお嫁さんをえらばなければならないとしたら、いっそのこと、おまえをえらぶよ。ものをいう目をした、口のきけないすて子の、かわいいおまえをね」
こう言って、王子はお姫さまの赤い唇にキスをしました。そして、お姫さまの長い髪の毛をいじりながら、お姫さまの胸に頭をおしあてました。お姫さまの心は、人間のしあわせと、死ぬことのない魂とを、夢に見ているのでした。
「だけど、海はこわくないだろうね、口のきけないすて子さん」
おとなりの国へ出かける、りっぱな船の上に立ったとき、王子はお姫さまに、こう言いました。それから、王子は、あらしのこと、海の静かなときのこと、深いところにいるふしぎなさかなのこと、それから潜水夫が海の中で見る、めずらしいもののことなどを、いろいろと話してやりました。お姫さまはほほえみながら、王子の話を聞いていました。だって、海の底のことなら、お姫さまはだれよりもよく知っていたのですから。
お月さまの明るい晩、かじとりだけが、かじのところに立っていました。ほかの人たちは、みんな、寝しずまっていました。そのとき、お姫さまは船べりにすわって、すみきった水の中をじっと見つめていました。すると、おとうさまのお城が見えたような気がしました。お城のいちばん高いところには、なつかしいおばあさまが頭に銀のかんむりをかぶって、立っていました。おばあさまは、速い水の流れをとおして、船のほうをじっと見あげていました。
そのとき、おねえさまたちが、海の面に浮びあがってきて、お姫さまを悲しそうに見つめながら、もうだめだというように、白い手をもみあわせました。
お姫さまは、おねえさまたちのほうへうなずいて、ほほえみながら、なにもかもがうまくいっていることを話そうとしました。ところがそこへ、船のボーイが近づいてきましたので、おねえさまたちは、水の中へもぐってしまいました。ですから、ボーイは、今なにか白いものを見たような気がしましたが、それはきっと、海のあわだったろうと思いました。
あくる朝、船はおとなりの国の、美しい都にある港にはいりました。教会という教会の鐘が鳴りわたり、高い塔からは、ラッパが吹き鳴らされました。兵士たちは、ひるがえる旗を持ち、きらめく銃剣を持って、立ちならびました。
毎日毎日、宴会がもよおされ、舞踏会だの、いろいろの会が、つぎからつぎへと開かれました。それなのに、この国の王女は、まだ一度も姿を見せたことがありません。なんでも、ずっと遠くの、ある修道院で教育をうけて、王女にふさわしい、いろいろの勉強をしているということでした。とうとう、その王女が帰ってきました。
人魚のお姫さまは、その王女が、どんなに美しいかたか、早く見たいと思っていたのですが、見れば、なるほど、こんなに美しい姿の人は、いままでに見たことがない、というよりほかはありませんでした。はだは、きめがこまやかで、すきとおるような美しさでした。長い黒いまつげの奥には、ま心のこもった青い目が、にこやかにほほえんでいました。
「ああ、あなただ! ぼくが死んだようになって、海べにたおれていたとき、ぼくの命を助けてくださったのは!」と、王子はさけんで、はずかしそうに、顔を赤くしている王女を腕にだきしめました。
それから、今度は、人魚のお姫さまにむかって、言いました。
「ああ、ぼくは、なんてしあわせなんだろう! どんなに願っても、とてもかなえられないと思っていた夢が、かなえられたんだよ。おまえも、ぼくのしあわせをよろこんでくれるだろう。だれよりもいちばん、ぼくのことを思っていてくれたおまえだものね」
人魚のお姫さまは、王子の手にキスをしました。けれども、胸は今にもはりさけそうでした。むりもありません。王子が結婚すれば、そのあくる朝、お姫さまは死んで、海の上のあわとなってしまうのです。
教会という教会の鐘が、鳴りわたりました。お使いのものが、ウマに乗って町の中をかけめぐり、ご婚約のことを知らせました。どこの祭壇でも、りっぱな銀のランプに、よいかおりのする油が燃やされました。牧師さんたちが香炉をふりました。花嫁と花婿はたがいに手をとりあって、僧正さまの祝福をうけました。
人魚のお姫さまは、絹と金とで着かざって、花嫁の長いすそをささげていました。けれども、お祝いの音楽も、耳にはいりません。おごそかな儀式も、目にはうつりません。ただ、死んでからの、暗い暗いやみのことばかりを思っていました。この世でなくしてしまった、すべてのことを思っているのでした。
その日の夕方、花嫁と花婿は船に乗りこみました。大砲がとどろきわたり、たくさんの旗が、風にひるがえりました。船のまんなかには、金とむらさきの、りっぱなテントがはられて、このうえもなく美しいふとんがしかれました。ここで、ふたりが、静かな、すずしい一夜をすごすことになっていたのです。
帆は風をうけて、いっぱいにふくらんでいました。船は、すみきった海の上を、たいしてゆれもせずに、軽々とすべっていきました。
あたりが暗くなると、色とりどりのランプに火がともされ、水夫たちは甲板に出て、楽しそうに踊りはじめました。人魚のお姫さまは、はじめて海の上に浮びあがった晩のことを思い出さずにはいられませんでした。あの晩も、いま目の前に見ているのと同じように、にぎやかによろこびさわいでいるありさまが、目にうつったのでした。お姫さまも、みんなの仲間にはいって、くるくる踊りまわりました。そのありさまは、なにかに追いかけられて、身をひるがえしながら、軽々と飛んでいくツバメのようでした。見ている人々は、みんな、手をたたいてほめそやしました。お姫さまが、こんなにみごとに踊ったことは、今までにもありません。か弱い足は、するどいナイフでつきさされるようでしたが、いまはそれを感じないほどに、心のきずは、もっともっと痛んでいるのでした。
お姫さまには、よくわかっているのです。今夜かぎりで、王子の顔も見られません。この王子のために、お姫さまは家族をすて、家をすてたのです。美しい声もあきらめたのです。くる日もくる日も、かぎりない苦しみをがまんしてきたのです。それなのに、王子のほうでは、そんなことは夢にも知らないのです。王子とおなじ空気をすうのも、深い海をながめるのも、星のきらめく夜空をあおぐのも、今夜かぎりとなりました。考えることのない、夢見ることのない、はてしなくつづくやみの夜だけが、お姫さまを待っているのでした。思えば、お姫さまには魂がありません。得ようとしても、いまとなっては、手に入れることのできないお姫さまなのです。
船の上は、にぎやかなよろこびにみちあふれていました。もう、ま夜中をすぎています。それでも、お姫さまは、ほほえみを浮べながら、踊りつづけるのでした。心の中では、ただ死ぬことだけを思いながら。王子は美しい花嫁にキスをしました。花嫁は、王子の黒い髪の毛をなでました。そして、花嫁と花婿は手に手をとって、りっぱなテントの中にはいって、やすみました。
やがて、船の中は、ひっそりと静かになりました。いまは、かじとりだけが、かじのところに立っているばかりです。人魚のお姫さまは、白い腕を船べりにかけながら、東の空に目をむけて、朝やけをながめていました。お日さまの光がさしてくれば、その最初の光で、お姫さまは死ぬのです。それは、お姫さまにはわかっていました。
と、そのとき、おねえさまたちが、またもや、海の面へ浮びあがってくるのが見えました。おねえさまたちも、お姫さまと同じように青ざめていました。見れば、長い美しい髪の毛が、いつものように風になびいてはおりません。ぶっつりと、根もとから、たち切られているではありませんか。
「あたしたち、魔法使いに、髪の毛をやってしまったのよ。あなたが、今夜、死なないですむように、魔法使いの助けをかりに行ったの。そしたら、ナイフをくれたわ。ほら、これよ。ねえ、よく切れそうでしょう。お日さまがのぼらないうちに、あなたは、これで、王子の心臓をつきささなくてはいけないのよ。王子のあたたかい血が、あなたの足にかかると、足がちぢこまって、また、さかなのしっぽが生えるのよ。だから、また、もとの人魚になれるわけ。そうして、水の中へはいって、あたしたちのところへもどってくれば、死んで、塩からい海のあわになるまで、三百年も生きていられるのよ。
さあ、早く! お日さまののぼらないうちに、王子かあなたか、どちらかひとりが死ななければならないのよ。おばあさまは、あんまり心配なさったものだから、白い髪が、すっかりぬけ落ちてしまったわ。あたしたちの髪の毛が、魔法使いのはさみで切られてしまったのと、そっくりよ。
王子を殺して、帰ってきなさいね! さあ、いそぐのよ! 空が、うっすらと赤くなってきたじゃないの。もうすぐ、お日さまがのぼるわ。そしたら、あなたは死ななければならないのよ」
こう言うと、おねえさまたちは、それはそれは悲しそうに、深いため息をついて、波間に沈みました。
人魚のお姫さまは、テントのむらさき色のたれまくを引きあけました。中では、美しい花嫁が、王子の胸に頭をもたせて眠っています。お姫さまは身をかがめて、王子の美しいひたいにキスをしました。空を見れば、夜あけの空が赤くそまって、だんだん明るくなってきました。お姫さまは、するどいナイフをじっと見つめました。それから、また目を王子にむけました。王子は夢のなかで、花嫁の名前を呼びました。ほかのことは、すっかり忘れて、王子の心は、ただただ花嫁のことでいっぱいだったのです。人魚のお姫さまの手の中で、ナイフがふるえました。――
しかし、その瞬間、お姫さまは、それを遠くの波間に投げすてました。すると、ナイフの落ちたところが、まっかに光って、まるで血のしたたりが、水の中からふき出たように見えました。お姫さまは、なかばかすんできた目を開いて、もう一度王子を見つめました。と、船から身をおどらせて、海の中へ飛びこみました。自分のからだがとけて、あわになっていくのがわかりました。
そのとき、お日さまが海からのぼりました。やわらかい光が、死んだようにつめたい海のあわの上を、あたたかく照らしました。人魚のお姫さまは、すこしも死んだような気がしませんでした。
明るいお日さまをあおぎ見ました。すると、中空に、すきとおった美しいものが、何百となく、ただよっていました。それをすかして、むこうのほうに、船の白い帆と、空の赤い雲が見えました。そのすきとおったものの話す声は、美しい音楽のようでした。といっても、人間の耳には聞えない、まことにふしぎな魂の世界のものでした。その姿も、人間の目では見ることができないものでした。つばさがなくても、からだが軽いために、空中にただよっているのでした。
人魚のお姫さまは、そのものたちと同じように、自分のからだも軽くなって、あわの中からぬけ出て、だんだん上へ上へとのぼっていくのを感じました。
「どなたのところへ行くのでしょうか?」と、お姫さまはたずねました。
その声は、あたりにただよっている、ほかのものたちと同じように、美しく、とうとく、ふしぎにひびきました。それは、とてもこの世の音楽などでは、まねすることもできません。
「空気の娘たちのところへ!」と、みんなが答えました。「人魚の娘には、死ぬことのない魂というものがありませんね。人間に心から愛されなければ、どんなにしても、それを持つことができません。人魚がいつまでも生きていられる命を得るためには、ほかのものの力にたよらなければならないのです。空気の娘たちにも、やっぱり、死ぬことのない魂はありません。けれども、よい行いをすれば、やがてはそれをさずかることができるのです。
あたしたちは、暑い国へ飛んでいきます。そこでは、空気がむし暑くて、毒を持っていますから、そのために人間は死んでしまいます。ですから、そこで、あたしたちはすずしい風を送ってあげるのです。それから、空に花のかおりをふりまいて、だれもが、さっぱりした気分になるように、みんなが元気になるようにしてあげるのです。こうして、三百年のあいだ、あたしたちにできるだけの、よい行いをするようにつとめれば、死ぬことのない魂をさずかって、かぎりない人間のしあわせをもらうことができるのです。
まあ、お気の毒な人魚のお姫さま。あなたも、あたしたちと同じように、ま心をつくして、つとめていらっしゃいましたのね。ずいぶんと苦しみにお会いになったでしょうが、よくがまんしていらっしゃいました。こうして、いまは、空気の精の世界へのぼっていらっしゃったのですよ。さあ、あと三百年、よい行いをなされば、死ぬことのない魂が、あなたにもさずかりますのよ」
人魚のお姫さまは、すきとおった両腕を、神さまのお日さまのほうへ高くさしのべました。そのとき、生れてはじめて、涙が頬をつたわるのをおぼえました。――
船の中が、また、がやがやとさわがしくなりました。見れば、王子が美しい花嫁といっしょに、お姫さまをさがしています。お姫さまが、波の中に身を投げたのを、ふたりは、まるで知ってでもいるように、あわだつ波間を悲しそうに見つめていました。
人の目には見えないけれども、人魚のお姫さまは、花嫁のひたいにそっとキスをして、王子にはほほえみかけました。それから、ほかの空気の娘たちといっしょに、空にただよう美しいバラ色の雲のほうへとのぼっていきました。
「そうすると、三百年たったら、あたしたちも、神さまのお国へ浮んでいけますのね」
「でも、もっと早く行けるかもしれませんよ」と、空気の娘のひとりが、ささやきました。「あたしたちは、人に見られないで、子供のいる人間の家にはいっていくのです。そうして、おとうさんやおかあさんをよろこばせて、おとうさんやおかあさんにかわいがられているよい子供を、毎日見つけるのです。そうすると、神さまがそれをごらんになっていて、あたしたちをおためしになる時を短くしてくださるのです。
その子には、あたしたちが、いつお部屋の中を飛んでいるのかわかりません。でも、そういう子供を見つけると、あたしたちはうれしくなって、つい、にっこりと笑いかけてしまいます。そうすると、すぐに三百年のうちから一年へらしてもらえるのです。けれども、その反対に、おぎょうぎのわるい、よくない子どもを見ると、悲しくなって、思わず泣いてしまいます。そうすると、今度は、涙をこぼすたびごとに、神さまのおためしになる時が、一日ずつのびていくのです」―― | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
※表題は底本では、「人魚の姫《ひめ》」となっています。
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年3月29日作成
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世界じゅうで、眠りの精のオーレ・ルゲイエぐらい、お話をたくさん知っている人はありません!――オーレ・ルゲイエは、ほんとうに、いくらでもお話ができるのですからね。
夜になって、子供たちがまだお行儀よくテーブルにむかっていたり、低い椅子に腰かけたりしているころ、オーレ・ルゲイエがやってきます。オーレ・ルゲイエは、静かに静かに階段を上ってきます。なぜって、靴下しかはいていないのですからね。オーレ・ルゲイエは、そっとドアをあけて、子供たちの目の中に、シュッと、あまいミルクをつぎこみます。でも、ほんの、ほんのちょっぴりですよ。けれど、それだけでも、子供たちは、もう目をあけてはいられなくなるのです。ですから、子供たちには、オーレ・ルゲイエの姿が見えません。
オーレ・ルゲイエは、子供たちのうしろにしのびよって、首のところをそっと吹きます。すると、子供たちの頭が、だんだん重くなってきます。ほんとですよ。でも、べつに害をくわえたわけではありません。だって、オーレ・ルゲイエは、子供たちが大好きなんですから。ただ、子供たちに静かにしていてもらいたい、と思っているだけなのです。それには、子供たちを寝床へ連れていくのがいちばんいいのです。オーレ・ルゲイエは、これからお話を聞かせようと思っているので、子供たちに静かにしていてもらいたいのです。――
さて、子供たちが眠ってしまうと、オーレ・ルゲイエは寝床の上にすわります。見れば、たいへんりっぱな身なりをしています。上着は絹でできています。でも、それがどんな色かは、お話しすることができません。というのも、オーレ・ルゲイエがからだを動かすと、それにつれて、緑にも、赤にも、青にも、キラキラ光るのですから。両腕には、こうもりがさを一本ずつ、かかえています。一本のかさには、絵がかいてあります。それをよい子供たちの上にひろげると、その子供たちは、一晩じゅう、それはそれは楽しいお話を夢に見るのです。もう一本のかさには、なんにもかいてありません。これをお行儀のわるい子供たちの上にひろげると、その子たちは、ばかみたいに眠りこんでしまって、あくる朝目がさめても、なんにも夢を見ていないのです。
ではこれから、オーレ・ルゲイエがヤルマールという小さな男の子のところへ、一週間じゅう毎晩、出かけていって、どんなお話をして聞かせたか、わたしたちもそれを聞くことにしましょう。お話はみんなで七つあります。一週間は、七日ですからね。
月曜日
「さあ、お聞き」オーレ・ルゲイエは、晩になると、ヤルマールを寝床へ連れていって、こう言いました。「今夜は、きれいにかざろうね」
そうすると、植木ばちの中の、花という花が、みんな大きな木になりました。そして、長い枝を、天井の下や、かべの上にのばしました。ですから、部屋全体が、たとえようもないほど美しい、あずまやのようになりました。どの枝にもどの枝にも、花がいっぱい咲いています。しかも、その花の一つ一つが、バラの花よりもきれいで、たいそうよいにおいをはなっているのです。おまけに、それを食べれば、ジャムよりも甘いのです。実は、金のようにキラキラ光っています。そればかりか、ほしブドウではちきれそうな菓子パンまでも、ぶらさがっているのです。ほんとうに、なんてすばらしいのでしょう!
ところがそのとき、ヤルマールの教科書のはいっている机の引出しの中で、なにかがはげしく泣きだしました。
「おや、なんだろう?」と、オーレ・ルゲイエは言いながら、机のところへ行って、引出しをあけてみました。すると、石盤の上で、なにやらさかんに、押し合いへし合いしているではありませんか。それは、こういうわけです。算数の計算のときにまちがった数が、いつのまにか、そこへはいりこんできたため、それを押し出そうとして、数たちが、今にも散らばろうとしているところだったのです。石筆が、ひもにゆわえられたまま、まるで小イヌのように、とんだりはねたりしていました。石筆は、なんとかして計算を助けようとしていたのですが、ちっともうまくいきません。――
と、今度は、ヤルマールの習字帳の中から、とても聞いてはいられないほど、泣きわめく声が聞えてきました。そこで習字帳をあけてみると、どのページにも、全部の大文字が、縦に一列にならんでいました。その大文字のとなりには、小文字が一つずつ、ならんでいました。これはお手本の字です。けれども、またそのそばに、二つ三つ字が書いてありました。これらの字は、自分では、お手本の字に似ているつもりでいました。なにしろ、ヤルマールがお手本の字を見て書いたものだったのですから。ところが、これらの字は、鉛筆で引いた線の上に立っていなければいけないのに、ころんだように、横だおれになっていました。
「ほら、いいかい。こんなふうに、からだを起すんだよ」と、お手本の字が言いました。「ほうら。こんなふうに、いくぶんななめにして、それから、ぐうんとはねるんだぜ」
「ぼくたちだって、そうしたいんだよ」と、ヤルマールの書いた字が言いました。「だけど、できないのさ。ぼくたち、気分がわるいんだもの」
「じゃ、おまえたちは、げざいを飲まなきゃいけないね」と、オーレ・ルゲイエが言いました。
「いやだよ、いやだよ!」と、みんなはさけぶといっしょに、さっと起き上がりました。そのありさまは、見ていておかしいほどでした。
「今夜は、お話はしてあげられないよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「これから、訓練をしなければならないんだよ! 一、二! 一、二!」それから、みんなは訓練をうけました。そうすると、お手本の字のように、元気よく、まっすぐに立ちました。けれども、オーレ・ルゲイエが行ってしまって、つぎの朝、ヤルマールが目をさましたときには、みんなは、やっぱりきのうと同じように、なさけないかっこうをしていました。
火曜日
ヤルマールが寝床にはいったとたん、オーレ・ルゲイエは、小さな魔法の注射器で、部屋の中の、ありとあらゆる家具にさわりはじめました。すると、さわられた家具は、つぎつぎとしゃべりだしました。しかも、みんながみんな、自分のことばかりしゃべりたてました。なかにただひとり、痰壺だけは、だまりこくって立っていました。けれども、心の中では、みんながあんまりうぬぼれが強く、自分のことばかりを考え、自分のことばかりをじまんしていて、おとなしくすみっこに立って、つばをはきかけられているもののことなどは、ちっとも考えてくれないのを、ふんがいしていました。
たんすの上には、一枚の大きな絵が、金ぶちの額に入れられてかかっていました。その絵は風景画でした。大きな年とった木々や、草原に咲いている花や、大きな湖が、かいてありました。湖からは、ひとすじの川が流れでて、森のうしろをめぐり、たくさんのお城のそばを通って、遠くの大海にそそいでいました。
オーレ・ルゲイエは、魔法の注射器でその絵にさわりました。と、たちまち、絵の中の鳥は、歌をうたいはじめ、木々の枝は風にそよぎ、雲は空を流れてゆきました。そして、雲の影が、野原の上にうつってゆくのさえ、見えました。
さて、オーレ・ルゲイエは、小さなヤルマールを、額ぶちのところまで持ちあげてやりました。そこで、ヤルマールは、絵の中の深い草の中に足をふみいれて、そこに立ちました。お日さまが、木々の枝のあいだからヤルマールの頭の上にさしてきました。ヤルマールは湖のほうへかけていって、ちょうどそこにあった、小さなボートに乗りました。ボートは、赤と白とにぬってありました。帆は、銀のように、キラキラ光っていました。ボートは、六羽のハクチョウに引かれていきました。ハクチョウたちは、みんな首のところに黄金の輪をつけ、頭にはきらめく青い星をいただいていました。ボートが緑の森のそばを通ると、森の木々は、盗賊や魔女の話をしてくれました。森の花は、かわいらしい、小さな妖精のことや、チョウから聞いた話をしてくれました。
見るも美しいさかなが、金や銀のうろこをきらめかせながら、ボートのうしろからおよいできました。ときどき、水の上にはね上がっては、ピチャッ、ピチャッと、音をたてました。赤い鳥や青い鳥が、大きいのも小さいのも、長く二列にならんで、ボートのあとから飛んできました。ブヨはダンスをし、コガネムシはぶんぶん歌をうたいました。そして、みんながみんな、ヤルマールのあとについてこようとしました。しかも、みんな、めいめい一つずつのお話を持っててです!
なんというすばらしい船あそびではありませんか! やがて、森が深くなって、うす暗くなりました。と、思うまもなく、すぐまた、お日さまのキラキラ照っている、世にも美しい花園に出ました。花園には、ガラスと大理石でできた、大きな御殿が、いくつも立っていました。そして、御殿の露台には、お姫さまたちが立っていました。しかし、どのお姫さまも、ヤルマールが前にあそんだことのある、よく知っている、小さな女の子たちばかりでした。みんなは、手をさし出しました。見れば、菓子屋のおばさんのところでもめったに売っていないような、すてきにおいしい、小ブタのさとう菓子を持っていました。ヤルマールは通りすぎるときに、その小ブタのさとう菓子のはしをつかみました。けれども、お姫さまがそれをしっかりとにぎっていたので、さとう菓子は二つに割れてしまいました。そして、お姫さまの手には小さいほうが残り、ヤルマールの手には大きいほうが残りました。どの御殿の前にも、小さな王子が番兵に立っていました。みんな、金のサーベルで敬礼しながら、ほしブドウと、すずの兵隊さんを、雨のように降らせてくれました。だからこそ、ほんとの王子というものです!
まもなく、ヤルマールのボートは森の中をぬけました。それから大きな広間のようなところを通ったり、町の中を通りすぎたりしました。そのうちに、ヤルマールがごく小さかったころ、おもりをして、たいそうかわいがってくれた、子もり娘の住んでいる町へ、やってきました。娘はうなずいて手をふりながら、かわいらしい歌をうたいました。その歌は、まえに自分で作って、ヤルマールに送ってくれたものでした。
いとしいわたしのヤルマール、
思うはあなたのことばかり!
かわいい唇、赤い頬、
キスしたことも、忘られぬ。
あなたのさいしょのかたことを
耳にしたのは、このわたし。
だのに、いまは会えないの。
わたしの天使のしあわせを
ひとりわたしは祈りましょう!
すると、鳥も、みんないっしょにうたいだしました。花はくきの上でダンスをし、年とった木々はうなずきました。まるで、オーレ・ルゲイエのお話を、みんなが聞いているようでした。
水曜日
まあまあ、外は、なんというひどい雨でしょう! 眠っていても、ヤルマールには雨の音がよく聞えました。オーレ・ルゲイエが窓をあけると、水が窓わくのところまで届いていました。外には、大きな湖ができています。ところが、りっぱな船が一そう、家の前にきていました。
「ヤルマールや! 船に乗って、旅に出かけよう」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「今夜のうちに、よその国へ行って、あしたの朝は、ここへもどってこられるからね」
そこで、ヤルマールは、さっそく晴着を着て、そのりっぱな船のまんなかに乗りこみました。すると、すぐにお天気がよくなりました。そして、船は通りを走りだしました。教会をぐるっとまわると、大きな広い海に出ました。船は、それから長いあいだ走りつづけました。もう、陸地は、かげも形も見えなくなりました。
コウノトリが、むれをつくって飛んでゆくのが見えました。コウノトリたちは、いま、ふるさとを去って、暖かい国へゆこうというのです。一羽また一羽と、一列になって飛んでいました。みんなは、今までに、とてもとても長いこと飛んできました。ですから、そのうちの一羽は、つかれきって、もうこれ以上つばさを動かして、飛んでいくことができなくなりました。その鳥は、列のいちばんおしまいを飛んでいましたが、そのうちに、みんなからずっと離れてしまいました。そして、とうとうしまいには、つばさをひろげたまま、下へ下へと落ちていきました。二度、三度、つばさをバタバタやりましたが、もう、どうしようもありません。足が、船の帆綱にさわりました。帆の上をすべり落ちて、バタッと、甲板の上に落ちました。
船のボーイがこのコウノトリをつかまえて、ニワトリや、アヒルや、シチメンチョウのはいっている、トリ小屋の中に入れました。あわれなコウノトリは、しょんぼりして、みんなの中に立っていました。
「みなさん、ごらんなさいな!」と、メンドリたちが、いっせいに言いました。
すると、シチメンチョウは、思いきり、ぷうっとふくらんで、おまえはだれだい、とたずねました。アヒルたちはあとずさりして、たがいに押しあいながら、「早く言いな。早く言いな」と、ガアガアさわぎたてました。
そこで、コウノトリは、暖かいアフリカのこと、ピラミッドのこと、砂漠を野ウマのように走るダチョウのこと、などを話しました。しかし、アヒルたちには、コウノトリの言うことがわかりません。それで、たがいに押しあいながら、言いました。「どうだい、みんな、こいつばかだと思うだろう!」
「うん、たしかに、こいつはばかだよ!」シチメンチョウはこう言って、のどをコロコロ鳴らしました。コウノトリは何も言わずに、ただアフリカのことばかりを心に思っていました。
「おまえさんは、きれいな細い足をしているね」と、シチメンチョウは言いました。「五十センチでいくらするんだい?」
すると、アヒルたちは、「ガア、ガア、ガア!」と、ばかにしたように、笑いました。けれども、コウノトリは、なんにも聞えないような顔をしていました。
「いっしょに笑ったらどうだい」と、シチメンチョウは言いました。「ずいぶん、しゃれたつもりなんだからな。それとも、おまえさんには低級すぎたかい。おや、おや! こいつはちっと足りないや! おれたちは、おれたちだけで、ゆかいにやろうぜ!」こう言って、クッ、クッと鳴きました。すると、アヒルたちは、「ガア、ガア、ガア!」とさわぎたてました。こうして、みんながおもしろがっているありさまは、おそろしいほどでした。
けれども、ヤルマールはトリ小屋へ行って、戸をあけて、コウノトリを呼びました。コウノトリは、ヤルマールのあとから甲板にとび出てきました。いまでは、からだも、じゅうぶんに休まりました。コウノトリは、ヤルマールにお礼を言いたそうに、うなずいているみたいでした。それから、つばさをひろげて、暖かい国へむかって飛んでいきました。ニワトリたちはクッ、クッと鳴き、アヒルたちはガアガアおしゃべりをし、シチメンチョウは顔をまっかにしました。
「あした、おまえたちをスープにしてやるぞ」と、ヤルマールは言いました。けれども、やがて目がさめたときには、いつもの小さな寝床の中に寝ていました。それにしても、オーレ・ルゲイエが、ゆうべさせてくれた旅は、ほんとうにふしぎな旅でした!
木曜日
「いいかね」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「こわがっちゃいけないよ。ごらん。ここに、小さなハツカネズミがいるね」こう言いながら、かわいい、ちっちゃなハツカネズミを持った手を、ヤルマールのほうへ差しだしました。「このハツカネズミは、おまえを結婚式に招待しにきたんだよ。ここで、二ひきのハツカネズミが、今夜、結婚することになっているのさ。そのふたりは、おまえのおかあさんの食物部屋の床下に住んでいるんだよ。あそこは、とても住みごこちのいいところなんだって!」
「でもね、ちっちゃなネズミの穴から、どうして床下へはいっていけるの?」と、ヤルマールは聞きました。
「わたしにまかせておけば、大丈夫!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「いま、おまえを小さくしてあげるよ」それから、オーレ・ルゲイエが、あの魔法の注射器でヤルマールのからだにさわると、ヤルマールのからだは、たちまち、どんどん小さくなって、とうとう、指ぐらいの大きさになってしまいました。「もう、すずの兵隊さんの服が、かりられるよ。きっと、似合うだろう! 宴会のときは、軍服を着ていたほうが、スマートに見えるからね」
「うん、そうだね」と、ヤルマールが言ったとたん、もう、このうえなくかわいらしいすずの兵隊さんのように、ちゃんと軍服を着ていました。
「どうか、おかあさまの指ぬきの中に、おすわりくださいませ」と、小さなハツカネズミが言いました。「そうすれば、あたくしが引っぱってまいりますから」
「おや、お嬢さんに、そんなお骨折りをしていただいては、申しわけありません」と、ヤルマールは言いました。こうして、みんなは、ハツカネズミの結婚式へ出かけていきました。
はじめに、みんなは、床下の長い廊下にはいりました。そこは、指ぬきに乗って、やっと通れるくらいの高さでした。くさった木の切れはしのあかりが置いてあるので、廊下じゅうが明るくなっていました。
「ここは、いいにおいが、しやしません?」と、ヤルマールを引っぱっているハツカネズミが言いました。「廊下じゅうに、ベーコンの皮がしいてあるんですのよ。こんなにすてきなことってありませんわ!」
まもなく、みんなは式場へ来ました。右側には、小さなハツカネズミの婦人たちが、ひとりのこらず立っていて、ひそひそ声で話しては、ふざけあっていました。左側にはハツカネズミの紳士たちが立ちならんでいて、前足でひげをなでていました。部屋のまんなかに、花嫁、花婿の姿が見えました。ふたりは、中身をくりぬいたチーズの皮の中に立っていて、みんなの見ている前で、何度も何度もキスをしていました。むりもありません。ふたりはもう婚約しているのですし、それに、いまにも結婚式をあげようというのですからね。
それから、お客さまが、ますますふえてきました。とうとうしまいには、おたがいが、もうすこしで、踏み殺されそうなくらいになりました。そのうえ、花嫁と花婿が戸口に立っていたものですから、だれひとり出ることも、はいることもできません。部屋の中にも、廊下と同じように、ベーコンの皮がしきつめてありました。これが、ご馳走の全部だったのです。デザートには、エンドウマメが一つぶでました。このエンドウマメには、家族の中のひとりが、花嫁と花婿の名前を歯でかみつけておきました。といっても、頭文字だけですがね。こんなところは、ふつうの結婚式とは、まったくかわっていました。
ハツカネズミたちは、口々に、りっぱな結婚式だった、それに、話もなかなかおもしろかった、と言いあいました。
そこで、ヤルマールも家へ帰りました。こうして、ほんとうにじょうひんな宴会に行ってきたのです。ただ、からだをちぢこめて、小さくなって、すずの兵隊さんの軍服を着ていかなければなりませんでしたが。
金曜日
「ちょっと信じられないことだが、おとなの中にも、わたしにそばにいてもらいたい人が、大ぜいいるんだよ」と、オーレ・ルゲイエが言いました。「わけても、なにかわるいことをした人が、そうなんだよ。『やさしい、小さなオーレさん』と、その人たちは、わたしに言う。『ああ、どうしても眠れません。一晩じゅう、こうして横になっていると、今までにやったわるい行いが、みんな目に見えてくるんですよ。ちっぽけな、みにくい魔物の姿になって、寝床のはしにすわり、熱い湯をおれたちにひっかけるんです。どうか、きて、そいつらを追っぱらってください。ぐっすり寝られるように!』こう言って、深いため息をつくんだよ。そしてまた、『お礼はよろこんでしますとも。それじゃ、おやすみなさい、オーレさん! お金は窓のところにありますよ』と、言うのさ。でも、わたしは、お金がほしくて、そんなことをするんじゃないんだよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。
「今夜は、どんなことをするの?」と、ヤルマールはききました。
「そう、どうだね、今夜も、もう一度、結婚式へ行く気があるかい? きのうのとは、もちろんちがうけどね。おまえのねえさんは、ヘルマンという、男のような顔をした大きな人形を持っているだろう。あれがベルタという人形と結婚することになっているんだよ。それに、きょうは、この人形の誕生日だしするから、贈り物も、きっと、うんとたくさんくるよ」
「うん、それなら、ぼくもよく知ってるよ」と、ヤルマールは言いました。「人形たちに新しい着物がいるようになると、いつもねえさんは、誕生日のお祝いか、結婚式をやらせるんだよ。きっと、もう百回ぐらいになるよ」
「そうだよ。今夜が、百一回めの結婚式なんだよ。でも、この百一回がすめば、それで、みんな、おわってしまうのさ。だから、今夜のは、とくべつすばらしいだろうよ。まあ、見てごらん」
そう言われて、ヤルマールがテーブルの上を見ると、そこには、小さな紙の家が立っていて、どの窓にも明りがついていました。そして、家の前には、すずの兵隊さんが、みんな、捧銃をしていました。花嫁と花婿は、床にすわって、テーブルの足によりかかり、なにか物思いにふけっていました。もちろん、それには、それだけのわけがあったのです。オーレ・ルゲイエは、おばあさんの黒いスカートをつけて、坊さんのかわりに、式を行いました。式がすむと、部屋じゅうの家具という家具が、みんなで声をそろえて、鉛筆の作った、美しい歌をうたいました。その歌は、兵隊さんが兵舎に帰るときのラッパの節でした。
歌えや、歌え! この喜び、
われら歌わん、ふたりのために!
見よや、見よ! 顔こわばらせ、楽しげに、
中に立つは、われらの革人形!
ばんざい! ばんざい! 革人形!
われら歌わん、声高らかに!
それから、ふたりは贈り物をもらいました。しかし、食べ物は、みんなことわりました。だって、ふたりは愛情だけで、もういっぱいだったのですから。
「ところで、ぼくたちは、いなかに住むことにしようか、それとも、外国へでも旅行しようか?」と、花婿がたずねました。そして、たくさん旅行をしているツバメと、五度もひなをかえしたことのある、年よりのメンドリに相談してみました。すると、ツバメは、美しい、暖かい国のことを話しました。そこには、大きなブドウの房が、おもたそうにたれさがっていて、気候はじつにおだやかで、山々は、ここではとうてい見られないような、すばらしい色をしていると。
「でも、そこには、わたしたちのところにあるような、青キャベツはないでしょう」と、メンドリが言いました。「わたしは、子供たちといっしょに、いなかで、一夏をすごしたことがあるんですがね。そこには、砂利取り場があって、わたしたちは、その中を歩きまわって、土をかきまわしたものですよ。それから、青キャベツの畑にはいることも、ゆるしてもらいましたよ。ああ、ほんとに青々としていましたっけ。あそこよりいいところなんて、わたしにはとても考えられませんわ!」
「だけど、キャベツなんて、どこのだっておんなじですよ」と、ツバメは言いました。「それに、ここは、ときどき、とてもひどい天気になるじゃありませんか!」
「そうですね、でもそんなことには、みんな、なれてしまっていますよ」と、メンドリは言いました。
「でも、ここは寒くって、氷もはりますよ!」
「そのほうが、キャベツにはいいんですよ」と、メンドリは言いました。「それに、ここも暖かになることだってありますわ。四年前のことですがね、夏が五週間もつづいたんですよ。あのときは、暑くて暑くて、それこそ、息をするのもやっとでしたわ! それからここには、暑い国にいるような、毒をもった動物がいませんよ。どろぼうの心配もありません。この国をどこよりも美しい国だと思わないような人は、わるい人です! そんな人は、この国にいる、ねうちがありません!」こう言うと、メンドリは泣きだしました。「わたしだって、旅行をしたことはありますよ。かごにはいって、十二マイル以上も旅をしてきたんですからね。でも旅行なんて、ちっとも楽しいものじゃありませんわ!」
「そうだわ。ニワトリの奥さんのおっしゃるとおりよ」と、人形のベルタは言いました。「あたし、山の旅行なんていやだわ! だって、登ったり、下りたりするだけなんですもの。ねえ、あたしたちも、砂利取り場の近くへ行きましょうよ。そうして、キャベツ畑を散歩しましょうね」
そして、そのとおりになりました。
土曜日
「さあ、お話してね」ヤルマールは、オーレ・ルゲイエに寝床へ連れていってもらうと、すぐに、こう言いました。
「今夜は、お話しているひまがないんだよ」オーレはこう言って、見るも美しいこうもりがさを、ヤルマールの上にひろげました。
「まあ、この中国人をごらん」
見ると、こうもりがさは、全体が大きな中国のお皿のようで、それには青い木々や、とがった橋の絵が、かいてありました。その橋の上に、小さな中国人が立っていて、こちらにむかってうなずいていました。
「わたしたちは、あしたの朝までに、世界じゅうをきれいにしておかなければならないんだよ」と、オーレは言いました。「あしたは日曜日で、神聖な日だからね。わたしは、これから教会の塔へ行って、教会のこびとの妖精が鐘をみがいて、いい音がでるようにしておいたかどうかを見なければならないし、畑へも行って、風が草や木の葉から、ほこりを吹きはらってくれたかどうかも見なければならないんだよ。でも、いちばん大事な仕事は、空の星をみんな下ろして、みがくことだよ。わたしは、それを前掛けに入れて、持ってくるんだがね、その前に、一つ一つの星に、番号をつけておかなければならないのさ。そして、取り出したあとの穴にも、同じ番号をつけなければならないんだよ。星が帰ってきたときに、ちゃんと、もとの場所へもどれるようにね。もしちがった穴へでもはいってしまうと、ちゃんとすわっていられないから、あとからあとからころがり落ちて、流れ星があんまりたくさんできてしまうからね」
「もしもし、ルゲイエさん!」と、そのとき、ヤルマールの寝ている、上のかべにかかっている、古い肖像画が言いました。「わしはヤルマールの曾祖父です。子供にいろいろ話を聞かせてくださって、あつくお礼を申します。しかし、子供の考えを迷わさないように願いますぞ。空の星は、取り下ろしたり、みがいたりできるものではありませんからな。星というものは、われわれの地球と同じく、天体なのですぞ。そしてまた、それがいいところなんですからな」
「ありがとう、お年よりのひいおじいさま!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「ありがとう! あなたは、一家のお頭です。あなたは『古い』お頭です。しかし、わたしは、あなたよりももっと古いのです。わたしは、むかしの異教徒なのです。ローマ人やギリシャ人は、わたしのことを、『眠りの精』と呼んだものですよ。わたしは、いちばんとうとい家の中へもはいっていきましたし、今でもはいっていきます。わたしは、小さい人とも大きい人とも、おつきあいができるのです! それでは、今夜は、あなたが話をしてやってください!」――
こう言うと、オーレ・ルゲイエは、こうもりがさを持って、行ってしまいました。
「今では、自分の考えを言うこともできんのか!」と、古い肖像画が言いました。
そのときヤルマールは目がさめました。
日曜日
「今晩は!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。すると、ヤルマールはうなずきました。けれども、すぐさまとんで行って、ひいおじいさんの肖像画を、かべのほうへ向けてしまいました。こうしておかないと、またゆうべのように、口を出されて、お話が聞けなくなってしまいますからね。
「さあ、お話を聞かせて。『一つのさやに住んでいる、五つぶの青いエンドウマメの話』や、『メンドリの足に愛をささやいた、オンドリの足の話』や、『あんまり細いので、ぬい針だとうぬぼれている、かがり針の話』なんかをね」
「お話のほかにも、ためになることはたくさんあるよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「ところで、今夜は、ぜひともおまえに見せたいものがあるんだよ。わたしの弟なんだがね、名前は、やっぱりオーレ・ルゲイエだよ。もっとも、弟は、どんな人のところへも、一度しかこないがね。くれば、すぐに、その人をウマに乗せて、お話を聞かせてやる。ところが、そのお話というのは、二つっきり。一つは、だれも思いおよばないような、すばらしく美しいお話、もう一つは、ぞっとするような、恐ろしい、――とても書くことができないような、お話なんだよ」
そこで、オーレ・ルゲイエは、小さなヤルマールを窓のところへだき上げて、言いました。「ほら、あそこに見えるのが、わたしの弟で、もうひとりのオーレ・ルゲイエだよ。人間は、弟のことを、死神とも言っている。だけど、ごらん。絵本だと、骸骨ばかりの、恐ろしい姿にかかれているけれども、そんなふうじゃないね。それどころか、銀のししゅうをした、上着を着ている。まるで、美しい軽騎兵の軍服のようじゃないか! 黒いビロードのマントが、ウマの上でひらひら、ひるがえっている! あれあれ、あんなに速くウマを走らせているよ!」
言われて、ヤルマールがながめると、そのオーレ・ルゲイエがウマを走らせていました。そして、若い者や、年とった者を、ウマに乗せていました。ある者は前に、また、ある者はうしろに乗せました。けれども乗せる前に、オーレ・ルゲイエは、いつもこうたずねました。
「成績表はどんなだね?」
「いい成績です」と、だれもかれもが、言いました。
「よろしい、ちょっと見せたまえ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。
そこで、みんなは、成績表を見せなければなりません。その結果、「秀」と「優」とをもらっていた者は、ウマの前のほうに乗って、楽しいお話を聞かせてもらいます。ところが、「良」と「可」とをもらっていた者は、ウマのうしろのほうにすわって、ぞっとするようなお話を聞かなければならないのです。その人たちは、ふるえながら、泣いていました。ウマからとび下りようとしても、だめなのです。なぜって、みんなはウマに乗せられたとたん、たちまち、根が生えたように、動けなくなってしまうからです。
「だけど、死神って、とってもりっぱなオーレ・ルゲイエだねえ!」と、ヤルマールは言いました。「ぼく、ちっともこわくないよ」
「そう、こわがることなんかないね」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「いい成績表を、もらえるようにしさえすればいいんだよ」
「さよう、これはためになる!」と、ひいおじいさんの肖像画が、つぶやきました。「やっぱり、自分の考えを言えば、役にたつのじゃな!」こう言って、肖像画は満足しました。
みなさん! これが眠りの精のオーレ・ルゲイエのお話です。今夜は、オーレ・ルゲイエが、みなさんに、もっといろいろのお話をしてくれるかもしれませんよ! | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
※表題は底本では、「眠《ねむ》りの精」となっています。
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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ここからは、はるかな国、冬がくるとつばめがとんで行くとおい国に、ひとりの王さまがありました。王さまには十一人のむすこと、エリーザというむすめがありました。十一人の男のきょうだいたちは、みんな王子で、胸に星のしるしをつけ、腰に剣をつるして、学校にかよいました。金のせきばんの上に、ダイヤモンドの石筆で字をかいて、本でよんだことは、そばからあんしょうしました。
この男の子たちが王子だということは、たれにもすぐわかりました。いもうとのエリーザは、鏡ガラスのちいさな腰掛に腰をかけて、ねだんにしたらこの王国の半分ぐらいもねうちのある絵本をみていました。
ああ、このこどもたちはまったくしあわせでした。でもものごとはいつでもおなじようにはいかないものです。
この国のこらずの王さまであったおとうさまは、わるいお妃と結婚なさいました。このお妃がまるでこどもたちをかわいがらないことは、もうはじめてあったその日からわかりました。ご殿じゅうこぞって、たいそうなお祝の宴会がありました。こどもたちは「お客さまごっこ」をしてあそんでいました。でも、いつもしていたように、こどもたちはお菓子や焼きりんごをたくさんいただくことができませんでした。そのかわりにお茶わんのなかに砂を入れて、それをごちそうにしておあそびといいつけられました。
その次の週には、お妃はちいちゃないもうと姫のエリーザを、いなかへ連れていって、お百姓の夫婦にあずけました。そうしてまもなくお妃はかえって来て、こんどは王子たちのことでいろいろありもしないことを、王さまにいいつけました。王さまも、それでもう王子たちをおかまいにならなくなりました。
「どこの世界へでもとんでいって、おまえたち、じぶんでたべていくがいい。」と、わるいお妃はいいました。「声のでない大きな鳥にでもなって、とんでいっておしまい。」
でも、さすがにお妃ののろったほどのひどいことにも、なりませんでした。王子たちは十一羽のみごとな野の白鳥になったのです。きみょうななき声をたてて、このはくちょうたちは、ご殿の窓をぬけて、おにわを越して、森を越して、とんでいってしまいました。
さて、夜のすっかり明けきらないまえ、はくちょうたちは、妹のエリーザが、百姓家のへやのなかで眠っているところへ来ました。ここまできて、はくちょうたちは屋根の上をとびまわって、ながい首をまげて、羽根をばたばたやりました。でも、たれもその声をきいたものもなければ、その姿をみたものもありませんでした。はくちょうたちは、しかたがないので、また、どこまでもとんでいきました。上へ上へと、雲のなかまでとんでいきました。とおくとおく、ひろい世界のはてまでもとんでいきました。やがて、海ばたまでずっとつづいている大きなくろい森のなかまでも、はいっていきました。
かわいそうに、ちいさいエリーザは百姓家のひと間にぽつねんとひとりでいて、ほかになにもおもちゃにするものがありませんでしたから、一枚の青い葉ッぱをおもちゃにしていました。そして、葉のなかに孔をぽつんとあけて、その孔からお日さまをのぞきました。それはおにいさまたちのすんだきれいな目をみるような気がしました。あたたかいお日さまがほおにあたるたんびに、おにいさまたちがこれまでにしてくれた、のこらずのせっぷんをおもい出しました。
きょうもきのうのように、毎日、毎日、すぎていきました。家のぐるりのいけ垣を吹いて、風がとおっていくとき、風はそっとばらにむかってささやきました。
「おまえさんたちよりも、もっときれいなものがあるかしら。」
けれどもばらは首をふって、
「エリーザがいますよ。」とこたえました。
それからこのうちのおばあさんは、日曜日にはエリーザのへやの戸口に立って、さんび歌の本を読みました。そのとき、風は本のページをめくりながら、本にむかって、
「おまえさんたちよりも、もっと信心ぶかいものがあるかしら。」といいました。するとさんび歌の本が、
「エリーザがいますよ。」とこたえました。そうしてばらの花やさんび歌の本のいったことはほんとうのことでした。
このむすめが十五になったとき、またご殿にかえることになっていました。けれどお妃はエリーザのほんとうにうつくしい姿をみると、もうねたましくも、にくらしくもなりました。いっそおにいさんたち同様、野のはくちょうにかえてしまいたいとおもいました。けれども王さまが王女にあいたいというものですから、さすがにすぐとはそれをすることもできずにいました。
朝早く、お妃はお湯にはいりにいきます。お湯殿は大理石でできていて、やわらかなしとねと、それこそ目がさめるようにりっぱな敷物がそなえてありました。そのとき、お妃はどこからか三びき、ひきがえるをつかまえてきて、それをだいて、ほおずりしてやりながら、まずはじめのひきがえるにこういいました。
「エリーザがお湯にはいりに来たら、あたまの上にのっておやり。そうすると、あの子はおまえのようなばかになるだろうよ――。」
それから二ひきめのひきがえるにむかって、こういいました。
「あの子のひたいにのっておやり、そうするとあの子は、おまえのようなみっともない顔になって、もう、おとうさまにだって見分けがつかなくなるだろうよ――。」
それから、三びきめのひきがえるにささやきました。
「あの子の胸の上にのっておやり。そうすると、あの子にわるい性根がうつって、そのためくるしいめにあうだろうよ。」
こういって、お妃は、三びきのひきがえるを、きれいなお湯のなかにはなしますと、お湯は、たちまち、どろんとしたみどり色にかわりました。そこでエリーザをよんで、着物をぬがせて、お湯のなかにはいらせました。エリーザがお湯につかりますと、一ぴきのひきがえるは髪の上にのりました。二ひきめのひきがえるはひたいの上にのりました。三びきめのひきがえるは胸の上にのりました。けれどもエリーザはそれに気がつかないようでした。やがて、エリーザがお湯から上がると、すぐあとにまっかなけしの花が三りん、ぽっかり水の上に浮いていました。このひきがえるどもが、毒虫でなかったなら、そうしてあの魔女の妃がほおずりしておかなかったら、それは赤いばらの花にかわるところでした。でも、毒があっても、ほおずりしておいても、とにかくひきがえるが花になったのは、むすめのあたまやひたいや胸の上にのったおかげでした。このむすめはあんまり心がよすぎて、罪がなさすぎて、とても魔法の力にはおよばなかったのです。
どこまでもいじのわるいお妃は、それをみると、こんどはエリーザのからだをくるみの汁でこすりました。それはこの王女を土色によごすためでした。そうして顔にいやなにおいのする油をぬって、うつくしい髪の毛も、もじゃもじゃにふりみださせました。これでもう、あのかわいらしいエリーザのおもかげは、どこにもみられなくなりました。
ですから、おとうさまは王女をみると、すっかりおどろいてしまいました。そうして、こんなものはむすめではないといいました。もうたれも見分けるものはありません。知っているのは、裏庭にねている犬と、のきのつばめだけでしたが、これはなんにももののいえない、かわいそうな鳥けものどもでした。
そのとき、かわいそうなエリーザは、泣きながら、のこらずいなくなってしまったおにいさまたちのことをかんがえだしました。みるもいたいたしいようすで、エリーザは、お城から、そっとぬけだしました。野といわず、沢といわず、まる一日あるきつづけて、とうとう、大きな森にでました。じぶんでもどこへ行くつもりなのかわかりません。ただもうがっかりしてつかれきって、おにいさまたちのゆくえを知りたいとばかりおもっていました。きっとおにいさまたちも、じぶんと同様に、どこかの世界にほうりだされてしまったのだろう、どうかしてゆくえをさがして、めぐり逢いたいものだとおもいました。
ほんのしばらくいるうちに、森のなかはもうとっぷり暮れて、夜になりました。まるで道がわからなくなってしまったので、エリーザはやわらかな苔の上に横になって、晩のお祈をとなえながら、一本の木の株にあたまを寄せかけました。あたりはしんとしずまりかえって、おだやかな空気につつまれていました。草のなかにも草の上にも、なん百とないほたるが、みどり色の火ににた光をぴかぴかさせていました。ちょいとかるく一本の枝に手をさわっても、この夜ひかる虫は、ながれ星のようにばらばらと落ちて来ました。
ひと晩じゅう、エリーザは、おにいさまたちのことを夢にみました。みんなはまだむかしのとおりのこども同士で、金のせきばんの上にダイヤモンドの石筆で字をかいたり、王国の半分もねうちのあるりっぱな絵本をみたりしていました。でも、せきばんの上にかいているものは、いつもの零や線ではありません。みんながしてきた、りっぱな行いや、みんながみたりおぼえたりしたいろいろのことでした。それから、絵本のなかのものは、なにもかも生きていて、小鳥たちは歌をうたうし、いろんな人が本からぬけてでて来て、エリーザやおにいさまたちと話をしました。でもページをめくるとぬけだしたものは、すぐまたもとへとんでかえっていきますから、こんざつしてさわぐというようなことはありませんでした。
エリーザが目をさましたとき、お日さまは、もうとうに高い空にのぼっていました。でも高い木立が、あたまの上で枝をいっぱいひろげていましたから、それをみることができませんでした。ただ光が金の紗のきれを織るように、上からちらちら落ちて来て、若いみどりの草のにおいがぷんとかおりました。小鳥たちは肩のうえにすれすれにとまるようにしました。水のしゃあしゃあながれる音もきこえました。これはこのへんにたくさんの泉があって、みんな底にきれいな砂のみえているみずうみのなかへながれこんでいくのです。みずうみはふかいやぶにかこまれていましたが、そのうち一箇所に、しかが大きなではいり口をこしらえました。エリーザはそこからぬけて、みずうみのふちまでいきました。みずうみはほんとうにあかるくきれいにすみきっていて、風がやぶや木の枝をふいてうごかさなければ、そこにうつる影は、まるで、みずうみの底にかいてある絵のようにみえました。
そこには一枚一枚の葉が、それはお日さまが上から照っているときでも、かげになっているときでも、おなじようにはっきりとうつって、すんでみえました。
エリーザは水に顔をうつしてみて、びっくりしました。それは土色をしたみにくい顔でした。でも水で手をぬらして、目やひたいをこすりますと、まっ白なはだがまたかがやきだしました。そこで着物をぬいで、きれいな水のなかにはいっていきました。もうこのむすめよりうつくしい王さまのむすめは、この世界にふたりとはありませんでした。それから、また着物を着て、ながい髪の毛をもとのように編んでから、こんどはそこにふきだしている泉のところへいって、手のひらに水をうけてのみました。それからまた、どこへいくというあてもなしに、森のなかをさらに奥ぶかく、さまよいあるきました。エリーザはなつかしいおにいさまたちのことをかんがえました。けっしておみすてにならない神さまのことをおもいました。ほんとうに神さまは、そこへ野生のりんごの木をならせて、空腹をしのがせてくださいました。神さまはエリーザに、なかでもいっぱいなったりんごの実のおもみで、しなっている木をおみせになりました。そこでエリーザはたっぷりおひるをすませて、りんごのしなった枝につっかい棒をかってやりました。それからまた、森のいちばん暗い奥の奥にはいっていきました。それはじつにしずかで、あるいて行くじぶんの足音もきこえるくらいでしたし、足の下で枯れッ葉のかさこそくずれる音もきこえました。一羽の鳥の姿もみえませんでした。ひとすじの日の光も暗い木立のなかからさしこんでは来ませんでした。高い樹の幹が押しあってならんでいて、まえをみると、まるで垣根がいくえにも結ばれているような気がしました。ああ、これこそうまれてまだ知らなかったさびしさでした。
すっかりくらい夜になりました。もう一ぴきのほたるも草のなかに光ってはいませんでした。わびしいおもいでエリーザは横になって眠りました。すると、木木の枝があたまの上で分かれて、そのあいだから、やさしい神さまの目が、空のうえからみておいでになるようにおもいました。そうして、そのおつむりのへんに、またはお腕のあいだから、かわいらしい天使がのぞいているようにおもわれました。
朝になっても、ほんとうに朝になったのか、夢をみているのか、わかりませんでした。エリーザはふた足三足いきますと、むこうからひとりのおばあさんが、かごのなかに木いちごを入れてもってくるのにであいました。
おばあさんは木いちごをふたつ三つだしてくれました。エリーザはおばあさんに、十一人の王子が馬にのって、森のなかを通っていかなかったかとたずねました。
「いいえ。」と、おばあさんがこたえました。「だが、きのう、あたしは十一羽のはくちょうが、めいめいあたまに金のかんむりをのせて、すぐそばの川でおよいでいるところをみましたよ。」
そこで、おばあさんはエリーザをつれて、すこしさきの坂になったところまで案内しました。その坂の下にちいさな川がうねってながれていました。その川のふちには、木立が長い葉のしげった枝と枝とをおたがいにさしかわしていました。しぜんのままにのびただけでは、葉がまざり合うまでになれないところには、木の根が、地のなかから裂けてでて、枝とをからまり合いながら、水の上にたれていました。
エリーザはおばあさんに「さようなら」をいうと、ながれについて、この川口が広い海へながれ出している所まで下っていきました。
大きなすばらしい海が、むすめの目のまえにあらわれました。けれどひとつの帆もそのおもてにみえてはいませんでした。いっそうの小舟もそのうえにうかんではいませんでした。どうしてそれからさきへすすみましょう。王女は、浜のうえに、数しらずころがっている小石をながめました。水がその小石をどれもまるくすりへらしていました。ガラスでも、鉄くずでも、石でも、そこらにあるものは、王女のやわらかな手よりももっとやわらかな水のために、かたちをかえられていました。
「波はあきずに巻きかえっている。それで堅いものでもいつかすべっこくなる。わたしもそのとおりあきずにいつまでもやりましょう。あとからあとからきれいに寄せてくる波よ。おまえにいいことを教えてもらってよ。なんだかいつか、おまえたちのおかげでおにいさまたちのところへつれて行ってもらえるような気がするわ。」
うちよせられた海草の上に、白いはくちょうの羽根が十一枚のこっていました。それをエリーザは花たばにしてあつめました。その羽根の上には、水のしずくがたれていました。それは露の玉か、涙のしずくかわかりません。浜の上はいかにもさびしいものでした。けれど大海のけしきが、いっときもおなじようでなく、しじゅうそれからそれとかわるので、さほどさびしいともかんじませんでした。それは二三時間のあいだに、おだやかな陸にかこまれた内海が一年かかってするよりも、もっとたくさんの変化をみせました。するうち、まっくろな大きな雲がでて来ました。海も「おれだってむずかしい顔をするぞ。」というようにおもわれました。やがて風が吹きだして、波が白い横腹をうえに向けました。でも雲がまっ赤にかがやきだして、風がぴったりとまると、海はばらの花びらのようにみえました。それからまた青くなったり白くなったりしました。でもいかほど海がおだやかにないでも、やはり浜辺にはいつもさざなみがゆれていました。海の水はねむっているこどもの胸のように、やさしくふくれあがりました。
お日さまがちょうどしずもうとしたとき、十一羽の野のはくちょうが、めいめいあたまに金のかんむりをのせて、おかのほうへとんでくるところをエリーザはみました。一羽また一羽と、あとからあとから行儀よくつづいてくるのでそれはただひとすじながくしろい帯をひいてとるようにみえました。そのときエリーザは坂にあがって、そっとやぶかげにかくれました。はくちょうたちは、すぐそのそばへおりて来て、大きな白いつばさをばたばたやりました。いよいよお日さまが海のなかにしずんでしまうと、とたんに、はくちょうの羽根がぱったりおちて、十一人のりっぱな王子たちが、エリーザのおにいさまたちが、そこに立ちました。エリーザはおもわず、あッと大きなさけび声をたてました。それはおにいさまたちはずいぶん、せんとかわっていました。けれど、やはりそれにちがいないことが、すぐとわかったからでした。そこでみんなの腕のなかにとびこんでいって、ひとりひとり、名まえをよびました。王子たちは、そうして王女がまたでて来たのをみて、それはもうせいも高くなり、きりょうもずっとうつくしくなってはいましたけれど、じぶんたちのいもうとということがわかって、いいようもなくうれしくおもいました。みんなは泣いたりわらったりしました、そうして、こんどのおかあさまが、きょうだいのこらずに、どんなにひどいことをしたか、おたがいの話でやがてわかりました。
「ぼくたちきょうだいはね、」と、いちばん上のおにいさまがいいました。「みんな、お日さまが空にでているあいだ、はくちょうになってとびまわるが、お日さまがしずむといっしょに、また人間のかたちにかえるのだよ。だから、しじゅう気をつけて、お日さまがしずむころまでには、どこかに、かならず足を休める場所をみつけておかなければならないのさ。それをしないで、うかうか雲のほうへとんで行けば、たちまち人間とかわって、海の底へしずまなければならないのだよ。わたしたちはここに住んでいるのではない。海のむこうに、ここと同様、きれいな国がある。でもそこまでいく道はとても長くて、ひろい海のうえをわたっていかなければならない。その途中には夜をあかす島もない。ただちいさな岩がひとつ海のなかにつきでているだけだ。でもどうやら、そこにはみんながくっつき合ってすわるだけのひろさはある。海が荒れているときには、波がかぶさってくるが、それでも、その岩のあるのがどのくらいありがたいかしれない。そこでぼくたち、夜だけ、人間のかたちになって明かすのだからね。まったくこの岩でもなかったら、ぼくたちは、好きなふるさとへかえることができないだろう。なにしろ、そこまでいくのは一年のなかでもいちばん長い日を、二日分とばなければならないのだからね。一年にたったいっぺん、ふるさとの国をたずねることがゆるされている。そうして、十一日のあいだここにとどまっていて、この大きな森のうえをとびまわる。まあ、この森のうえから、ぼくたちのうまれたおとうさまの御殿もみえるし、おかあさまのうめられていらっしゃるお寺の塔もみえるというわけさ。――だからこのあたりのものは、やぶでも木立でも、ぼくたちの親類のようにおもわれる。ここでは野馬がこどものじぶんみたとおり草原をはしりまわっている。炭焼までが、ぼくたちがむかし、そのふしにあわせておどったとおりの歌をいまでもうたう。ここにぼくたちのうまれた国があるのだ。どうしてもここへぼくたちは心がひかれるのだ。そうしてここへ来たおかげで、とうとう、かわいいいもうとのおまえをみつけたのだ。もう二日、ぼくたちはここにいることができる。それからまた海をわたってむこうのうつくしい国へいかなければならない。けれどもそこはぼくたちのうまれた国ではないのだ。でもどうしたらおまえをつれていけようね。ぼくたちには船もないし、ボートもないのだからね。」
「どうしたらわたしは、おにいさんたちをたすけて、もとの姿にかえして上けることができるでしょうね。」と、いもうともいいました。こうしてきょうだいは、ひと晩じゅう話をして、ほんの二、三時間うとうとしただけでした。
エリーザはふと、あたまの上ではくちょうの翼がばさばさ鳴る音で目がさめました。きょうだいたちはまた姿を変えられていました。やがてみんなは大きな輪をつくってとんでいきました。けれどもそのなかでひとり、いちばん年下のおにいさまだけが、あとにのこっていました。そのはくちょうは、あたまを、いもうとのひざのうえにのせていました。こうして、まる一日、ふたりはいっしょになっていました。夕方になると、ほかのおにいさまたちがかえって来ました。やがて、お日さまがしずむと、みんなまたあたりまえのすがたにかえりました。
「あしたはここからとんでいって、こんどはまる一年たつまでかえってくることはできない。でもおまえをこのままここへおくことはどうしたってできない。おまえ、わたしたちといっしょに行く勇気があるかい。わたしたち、腕一本でも、おまえをかかえて、この森を越すだけの力はある。だからみんなのつばさを合わせたら、海のうえをはこんでわたれないことはなかろう。」
「ええ、ぜひつれていってください。」と、エリーザはいいました。
そこでひと晩じゅうかかって、みんなしてよくしなうかわやなぎの木の皮と、強いあしとで網を織りました。それは大きくて丈夫にできました。この網のうえにエリーザは横になりました。やがてお日さまがのぼると、おにいさまたちははくちょうのすがたに変って、てんでんくちばしで網のさきをくわえました。そうして、まだすやすやねむっている、かわいいいもうとをのせたまま、雲のうえたかくとんでいきました。ちょうどお日さまの光が顔にあたるものですから、一羽のはくちょうは、いもうとのあたまのうえでとんでやって、その大きなつばさでかげをこしらえてやりました。――
やがてエリーザが目をさましたじぶんには、もうずいぶんとおくへ来ていました。エリーザはまるで夢をみているような気持でした。空を通って、海を越えて、高くはこばれて行くということが、どんなにふしぎにおもわれたことでしょう。すぐそばには、おいしそうにじゅくしたいちごの実をつけたひと枝と、いいかおりのする木の根がひと束おいてありました。それらはあのいちばん年の若いおにいさまが、取って来てくれたものでした。いもうとはそのおにいさまのはくちょうをみつけて、下からにっこり、うれしそうにわらいかけました。あたまの上をとんで、つばさでかげをつくっていてくれているのも、このおにいさまでした。
もうすいぶん高くとんで、はじめ下でみつけた大きな船は、いつか白いかもめのように、ぼっつり水のうえに浮いていました。ひとかたまりの大きな雲が、すぐうしろにぬっとあらわれましたが、それはどこからみても、ほんとうの山でした。その雲の山に、エリーザはじぶんの影や十一羽のはくちょうの影がうつるのをみました。みんな、それこそ見上げるような大きな鳥になってとんでいました。まったくみたこともないすばらしい影でした。でもお日さまがずんずん高くのぼって、雲がずっとうしろに取りのこされると、その影のようにうかんでいる絵が消えてなくなりました。
まる一日、はくちょうたちは、空のなかを、かぶら矢のようにうなってとびつづけました。
でもなにしろ、いもうとひとりつれているのですから、おくれがちで、いつものようにはとべません。するうち、いやなお天気になって来て、夕暮もせまって来ました。エリーザはしずみかけているお日さまをながめて、まだ海のなかにさびしく立っている岩というのが目にはいらないものですから、心配そうな顔をしていました。はくちょうたちがよけいはげしく羽ばたきしはじめたようにおもわれました。ああ、おにいさまたちみんなが、おもいきって早くとぶこともできないのは、エリーザのためだったのです。やがてお日さまがしずむと、みんなは人間にかえって滝のなかに落ちておぼれなければなりません。そのとき、エリーザはこころの底から、お祈のことばをとなえました。でもまだ岩はみつかりません。まっくろな雲がむくむく近よって来ました。やがてそれは大きなきみわるく黒い雲の山になって、まるで、鉛のかたまりがころがってくるようでした。ぴかりぴかり稲妻が、しきりなしに光りだして来ました。
いよいよお日さまが海のきわまで落ちかけて来ました。エリーザの胸は、わなわなふるえました。そのときはくちょうたちは、まっしぐらに、まるで、さかさになって落ちくだるいきおいでおりて行きました。はっとおもうとたん、またふと浮きあがりました。お日さまは、半分もう水の下にかくれました。でも、そのときはじめて目の下に小さい岩をみつけました。それはあざらしというけものはこんなものかとおもわれるほどの大きさで、水のうえにちょっぴり顔をだしていました。お日さまはみるみる沈んでいきました。とうとうそれがほんの星ぐらいにちいさくみえたとき、エリーザの足はしっかりと大地につきました。
お日さまは紙きれが燃えきれて、さいごにのこった火花のようにみえてふと消えてしまいました。おにいさまたちは、手をとりあってエリーザのまわりに立っていました。でも、それだけしか場所はなかったのです。波はたえず岩にぶつかって、しぶきのようにエリーザのあたまにふりそそぎました。空はしっきりなしにあかあかともえる火で光って、ごろごろ、ごろごろ、たえず音がして、かみなりはなりつづきました。でも、きょうだいおたがいにしっかりと手をとりあって、さんび歌をうたいますと、それがなぐさめにもなり、げんきもついて来ました。
明け方のうすあかりでみると、空気はすみきって風もおだやかでした。お日さまがのぼるとすぐ、はくちょうたちはエリーザをつれて、この島をぱっととび立ちました。海はまだすごい波が立っていました。やがて高く舞り上がって、下をみると、紺青の海のうえに立つ白いあわは、なん百万と知れないはくちょうが、水のうえでおよいでいるようでした。
お日さまがいよいよ高く高くのぼったとき、エリーザは目のまえに、山ばかりの国が半分空のうえに浮いているのをみつけました。その山のいただきには、まっしろに光る氷のかたまりがそびえ、そのまんなかに、なんマイルもあろうとおもわれるお城が立っていて、そのまわりにきらびやかな柱がいくつもいくつもならんでいました。エリーザはこれがみんなのいこうとする国なのかとたずねました。けれどはくちょうたちは首をふりました。なぜというにエリーザの今みたのは、しんきろうといってりっぱに見えても、それはたえずかわっている雲のお城で、人のいけるところではなかったのです。なるほどエリーザがみつめているうちに、山も林もお城もくずれてしまって、そのかわりに、こんどは、どれもおなじようなりっぱなお寺が、二十も高い塔やとがった窓をならべていました。なんだかそこからオルガンがひびいてくるような気がしましたが、でもそれは海鳴りの音をききちがえたものでした。やがてお寺のすぐそばまでいきますと、みるみるそれは艦隊になって、海をわたっていきました。でもよくながめると、それもただ海の上を霧がはっているだけでした。そんなふうに、しじゅう目のまえにかわったまぼろしを見ながらとんでいくうちに、とうとう目ざすほんものの国をみつけました。そこには、うつくしい青い山がそびえて、すぎ林が茂って、町もあり、お城もありました。お日さまがまだ高いうちに、大きなほら穴のまえの岩のうえにおりました。そこにはやわらかなみどり色のつる草が、縫いとりした壁かけのようにうつくしくからんでいました。
「さあ、ここで、今夜はおまえもどんな夢をみるだろうね。」と、末のおにいさまがいって、いもうとのねべやをみせてくれました。
「どうか、神さまが夢で、どうしたらおにいさまたちをすくって、もとの姿にかえしてあげられるかおしえてくださるといいのですわ――。」と、いもうとはこたえました。
このかんがえが、しっきりなし、エリーザの心にはたらいていました。それでエリーザは神さまのお助けを熱心にいのりました。それはねむっているあいだもいのりつづけました。するうち、エリーザはたかく空のうえに舞い上がって、しんきろうの雲のお城までもとんでいったようにおもいました。すると、うつくしいかがやくような妖女がひとり、おむかえにでて来ました。ところでその妖女が、あの森のなかでいちごの実をくれて、金のかんむりをあたまにのせたはくちょうの話をしてくれたおばあさんによくにていました。
「おにいさまたちは、もとの姿にもどれるだろうよ。」と、その妖女はいいました。「でも、おまえさんにそこまでの勇気と辛抱があるかい。ほんとうに、水はおまえのきゃしゃな手よりもやわらかだ。けれどもあのとおり石のかたちを変える。でもそれをするには、おまえさんの指がかんじるような痛みをかんじるわけではない。あれには心がない。おまえさんがこらえなければならないような苦しみをうけることもない。だからおまえさん、そら、あたしが手に持っているイラクサをごらん。こういう草はおまえさんが眠っているほら穴のぐるりにもたくさん生えているのだよ。その草と、お寺の墓地に生えているイラクサだけがいまおまえさんの役に立つのだからね。それは、おまえさんの手をひどく刺して、火ぶくれにするほど痛かろうけれど、がまんして摘みとらなければならないだよ。そのイラクサをおまえさんの足で踏みちぎって、それを麻のかわりにして、それでおまえさんは長いそでのついたくさりかたびらを十一枚編まなければならない。そうしてそれを十一羽のはくちょうに投げかければ、それで魔法はやぶれるのだよ。でもよくおぼえておいでなさい。おまえさんがそのしごとをはじめたときから、それができ上がるまで、それはなん年かかろうとも、そのあいだ、ちっとも口をきいてはならないのですよ。おまえきんの口から出たはじめてのことばが、もうすぐおにいさまたちの胸を短刀のかわりにさすだろう。あの人たちのいのちは、おまえさんの舌しだいなのだ。それをみんなしっかりと心にとめておぼえておいでなさいよ。」
こういって、妖女はエリーザの手をイラクサでさわりました。それはもえる火のようにあつかったので、エリーザはびくりとして目がさめました。すると、もう、そとはかんかんあかるいまひるでした。ねむっていたすぐそばに、夢のなかでみたとおなじようなイラクサが生えていました。エリーザはひざをついて、神さまにお礼のお祈をしました。それからほら穴をでて、しごとにかかりました。
エリーザはきゃしゃな手で、いやらしいイラクサのなかをさぐりました。草は火のようにあつく、エリーザの腕をも手首をも、やけどするほどひどく刺しました。けれどもそれでおにいさまたちをすくうことができるなら、よろこんで痛みをこらえようとおもいました。それからつみ取ったイラクサをはだしでふみちぎって、みどり色の麻をそれから取りました。
お日さまがしずむと、おにいさまたちはかえって来ました。いもうとがおしになったのをみて、みんなびっくりしました。これもわるいまま母がかわった魔法をかけたのだろうとおもいました。でも、いもうとの手をみて、じぶんたちのためにしてくれているのだとわかると、末のおにいさまは泣きました。このおにいさまの涙のしずくが落ちると、もう痛みがなくなって、手の上のやけどのあとも消えてしまいました。
エリーザは夜もせっせと仕事にかかっていました。もうおにいさまたちをすくいだすまでは、いっときもおちつけないのです。そのあくる日も一日、はくちょうたちがよそへとんで行っているあいだ、エリーザはひとりぼっちのこっていました。けれどこのごろのように時間の早くたつことはありません。もうくさりかたびらは一枚でき上がりました。こんどは二枚目にかかるところです。
そのとき猟のつの笛が山のなかできこえました。エリーザはおびえてしまいました。そのうちつの笛の音はずんずん近くなって。猟犬のほえる声もきこえました。エリーザはおどおどしながら、ほら穴のなかににげこんで、あつめてとっておいたイラクサをひと束にたばねて、その上に腰をかけていました。
まもなく、大きな犬が一ぴき、やぶのなかからとび出して来ました。それから二ひき、三びきとつづいてとび出して来て、やかましくほえたてました。いったんかけもどってはまたかけ出して来ました。そのすぐあとから、猟のしたくをした武士たちが、のこらずほら穴のまえにいならびました。そのなかでいちばんりっぱなようすをした人が、この国の王さまでした。王さまはエリーザのほうへつかつかとすすんで来ました。王さまはうまれてまだ、こんなうつくしいむすめをみたことがなかったのです。
「かわいらしい子だね。どうしてこんなところへ来ているの。」と、王さまはおたずねになりました。
エリーザは首をふりました。口をきいてはたいへんです。おにいさまたちがすくわれなくなって、おまけにいのちをうしなわなければなりません。そうして、エリーザは両手を前掛の下にかくしました。痛めている手を王さまにみられまいとしたのです。
「わたしといっしょにおいで。」と、王さまはいいました。「おまえはこんなところにいる人ではない。おまえの顔がうつくしいように、心もやさしいむすめだったら、わたしはおまえにびろうどと絹の着物をきせて、金のかんむりをあたまにのせてあげよう。そうして、おまえは世にもりっぱなわたしのお城に住んで、この国の女王になるのだよ。」
こういって、王さまはエリーザを、じぶんの馬のうえにのせました。エリーザは泣いて両手をもみました。けれども王さまはこうおっしゃるだけでした。
「わたしは、ただおまえの幸福をのぞんでいるだけだ。いつかおまえはわたしに礼をいうようになろう。」
それで、じぶんのまえにエリーザをのせたまま、王さまは山のなかを馬でかけていきました。武士たちも、すぐそのあとにつづいてかけていきました。
お日さまがしずんだとき、うつくしい王さまの都が目のまえにあらわれました。お寺や塔がたくさんそこにならんでいました。やがて、王さまはエリーザをつれてお城にかえりました。
そこの高い大理石の大広間には、大きな噴水がふきだしていました。壁と天井には目のさめるような絵がかざってありました。けれども、エリーザににそんなものは目にはいりませんでした。ただ泣いて、泣いて、せつながってばかりいました。そうしてただ、召使の女たちにされるままに、お妃さまの着る服を着せられ、髪に真珠の飾をつけて、やけどだらけの指に絹の手袋をはめました。
エリーザがすっかりりっぱにしたくができて、そこにあらわれますと、それは目のくらむようなうつくしさでしたから、お城の役人たちは、ひとしおていねいにあたまをさげました。そこで王さまは、エリーザをお妃に立てようとしました、そのなかでひとり、この国の坊さまたちのかしらの大僧正が首をふって、このきれいな森のむすめはきっと魔女で、王さまの目をくらまし、心を迷わせているにちがいないとささやきました。
けれども王さまはそのことばには耳をかしませんでした。もうすぐにおいわいの音楽をはじめよとおいいつけになりました。第一等のりっぱなお料理をこしらえさせて、よりぬきのきれいなむすめたちに踊らせました。そうして、エリーザは、香りの高い花園をぬけて、きらびやかな広間に案内されました。けれどもそのくちびるにも その目にも、ほほえみのかげもありませんでした。ただそこには、まるでかなしみの涙ばかりが、世世にうけついで来たままこりかたまって、いつまでもながくはなれないとでもいうようでした。そのとき王さまは、エリーザを休ませるためことに用意させた、そばのちいさいへやの戸を開きました。このへやは、高価なみどり色のかべかけでかざってあって、しかも今までエリーザのいたほら穴とそっくりおなじような作りでした。ゆかの上にはイラクサから紡い麻束がおいてありました。天井にはしあげのすんだくさりかたびらがぶらさがっていました。これはみんな、武士のひとりが、めずらしがって持ちはこんで来たものでした。
「さあ、これでおまえはもとのすまいにかえった夢でもみるがいい。」と、王さまはおっしゃいました。「ほら、これがおまえのしかけていたしごとだ。そこでいま、このうつくしいりっぱなものずくめのなかにいて、むかしのことをかんがえるのもたのしみであろう。」
エリーザはしじゅう心にかかっている、この品じなをみますと、ついほほえみがくちびるにのぼって来て、赤い血がぽおっとほおを染めました。エリーザはおにいさまたちをすくうことを心におもいながら、王さまの手にくちびるをつけました。王さまはエリーザを胸にだき寄せました。そうして、のこらずのお寺の鐘をならさせて、ご婚礼のお祝のあることを知らせました。森から来たおしのむすめは、こうしてこの国の女王になりました。
そのとき大僧正は、王さまに不吉なことばをささやきました。けれどもそれは王さまの心の中へまでははいりませんでした。結婚の式はぶじにあげられることになりました。しかも大僧正みずからの手で金のかんむりをお妃のあたまにのせなければなりませんでした。いじのわるい、にくみの心で、大僧正はわざとあたまに合わないちいさな輪をむりにはめ込んだので、お妃はひたいがいたんでなりませんでした。でも、それよりももっとおもたい輪がお妃の心にくびり込んではなれません。それはおにいさまたちをいたましくおもう心でした。それにくらべては、からだの痛みなどはまるでかんじないくらいでした。ただひと言、ことばを口にだしても、おにいさまたちの命にかかわることでしたから、くちびるはかたくむすんで、あくまでおしをつづけました。でもその目は、やさしい、りっぱな王さまをこのましくおもってみていました。王さまはエリーザのためには、どんなことでもなさいました。それでエリーザも、一日、一日と、日がたつにしたがって、ありったけの心をかたむけて、王さまをだいじにするようになりました。ああ、それを口にだして王さまにうちあけることができたら、そして心のかなしみをかたることができたら、どんなにうれしいことでしょう。けれどいまは、どこまでもおしでいなければなりません。おしのままでいて、しごとをしあげなければなりません。ですから、夜になると、王さまのおそばからそっとぬけ出して、あのほら穴のようにかざりつけた小べやにはいって、くさりかたびらを、一枚一枚編みました。けれどいよいよ七枚めにかかったとき、麻糸がつきてしまいました。
エリーザは、お寺の墓地へいけば、イラクサの生えていることを知っていました。けれどそれには、じぶんでいってつんでこなければならないのです。どうしてそこまででていきましょう。
「ああ、わたしの心にいだく苦しみにくらべては、指の痛みぐらいなんだろう。」と、エリーザはおもいました。「わたしはどうしたってそれをしなければならない。そうすれば神さまのおたすけがきっとあるにちがいない。」
それこそまるでなにか悪事でもくわだてているように、胸をふるわせながら、エリーザは月夜の晩、そっとお庭へぬけだして、長い並木道をとおって、さびしい通をいくつかぬけて、お寺の墓地へでていきました。すると、そこのいちばん大きな墓石の上に、血を吸う女鬼のむれがすわっているのをみつけました。このいやらしい魔物どもは、水でもあびるしたくのように、ぼろぼろの着物をぬいでいました。やがて骨ばった指で、あたらしいお墓にながいつめをかけました。そうして餓鬼のように、死がいのまわりにあつまって、肉をちぎってたべました。エリーザはそのすぐそばをとおっていかなければなりません。すると女鬼どもは、おそろしい目でにらみつけました。けれども心のなかでお祈しながら、エリーザは燃えるイラクサをあつめて、それをもってお城へかえりました。
このときただひとり、エリーザをみていたものがありました。それはれいの大僧正でした。この坊さんは、ほかのひとたちのねむっているときに、ひとり目をさましているのです。そこで今夜のことをみとどけたうえは、いよいよじぶんのかんがえが正しかったとおもいました。こんなことはお妃たるもののすべきことではない。女はたしかに魔女だったのだ。だからああして王さまと人民を迷わしたのだと、かんがえました。
お寺の懺悔座で、大僧正は王さまに、じぶんの見たことと、おもっていることとを話しました。ひどいのろいのことばが、大僧正の口からはきだされると、お寺のなかの昔のお上人たちの像が首をふりました。それがもし口をきいたら、「そうではないぞ、エリーザに罪はないのだぞ。」と、いいたいところでしたろう。けれども大僧正はそれを、まるでちがったいみにとりました。――あべこべに、それこそエリーザに罪のあるしょうこで、その罪をにくめばこそ、あのとおり首をふっているのだとおもいました。そのとき、ふた粒まで大粒の涙が、王さまのほおをこぼれ落ちました。王さまは、はじめて、うたがいの心をもってお城にかえりました。どうして落ちついてねむるどころではありません。はたしてエリーザがそっと起きあがるところをみつけました。それからは毎晩、おなじことをしました。そのたびにそっと、あとをつけていって、エリーザがれいのほら穴のへやに姿をかくしてしまうところをみとどけました。
日一日と、王さまの顔はくらく、くらくなりました。エリーザはそれをみつけて、それがなぜかわけはわかりませんが、心配でなりませんでした。そのうえ、きょうだいたちのことを心のなかでおもって苦しんでいました。エリーザのあつい涙は、お妃の着るびろうどと紫絹の服のうえにながれて、ダイヤモンドのようにかがやいてみえました。そのりっぱなよそおいをみるものは、たれもお妃になりたいとうらやみました。そうこうするうちに、エリーザのしごともいつしかあがっていきました。あとたった一枚のくさりかたびらが出来かけのままでいるだけでした。一本のイラクサももうのこっていませんでした。そこでもういちど、行きおさめにお寺の墓地へいって、ほんのひとつかみの草をぬいてこなければなりません。さすがにエリーザも、ひとりぼっちくらやみのなかをいくことと、あのおそろしい魔物に出あうことをかんがえると、心がおくれました。けれども神さまにたよる信心のかたいように、エリーザの決心はあくまでもかたいものでした。
エリーザはでかけていきました。ところで、王さまと大僧正もそのあとをつけて行きました。ふたりは、エリーザが格子門をぬけて、墓地のなかへ消えていくところをみました。そばへ寄ってみますと、血を吸う魔物どもが、エリーザが見たとおりに墓石のうえにのっていました。王さまはそのなかまにエリーザがいるようにおもって、ぎょっとしました。ついその夕方までも、そのお妃がじぶんの胸にいたことをおもいだしたからです。
「さばきは人民にまかせよう。」と、王さまはいいました。そこで、人民は、「エリーザを火あぶりの刑に処する。」と、いう宣告を下しました。目のさめるようなりっぱな王宮の広間から、くらい、じめじめした穴蔵のろうやへエリーザは押し込められました。風は鉄格子の窓からぴゅうぴゅう吹き込みました。今までのびろうどや絹のかわりに、エリーザのあつめたイラクサの束がほおりこまれました。その上にエリーザはあたまをのせることをゆるされました。エリーザの編んだ、かたいとげで燃えるようなくさりかたびらが、羽根ぶとんと夜着になりました。けれどエリーザにとって、それよりうれしいおくりものはありません。エリーザはまたしごとをつづけながらお祈をしました。そとでは、町の悪太郎どもが、わるくちの歌をうたっていました。たれひとりだって、やさしいことばをかけるものはありませんでした。
ところが、夕方になって、鉄格子のちかくにはくちょうの羽ばたきがきこえました。これはいちばん末のおにいさまでした。おにいさまはいもうとをみつけてくれました。いもうとはうれしまぎれに声をあげて、すすり泣きました。そのくせ、心のなかでは、もうほどなく夜になれば、この世のみおさめだとおもっていました。でも、しごとはもうひといきでしあがります。おにいさまたちはしかもそこへ来ているのです。
大僧正は王さまと約束して、おわりのときまで、エリーザのそばについていることにしました。それで、このときそばへ寄って来て、そのことをいうと、エリーザは首をふって、目つきと身ぶりとで、どうかでていってもらいたいとたのみました。今夜こそしごとをしあげてしまおう。それでなければせっかくいままでにながしたなみだも、苦しみも、ねむらない夜を明かしたことも、みんなむだになってしまうのです。大僧正はいじのわるい、のろいのことばをのこしてでていきました。でもエリーザはじぶんになんの罪もないことを知っていました。そこでかまわずしごとをつづけました。
ちいさなハツカネズミが、ちょろちょろゆかの上をかけまわって、イラクサを足のところまでひいいてきてくれました。エリーザのお手つだいをしてくれるつもりでした。すると、ツグミも窓の格子の所にとまって、ひとばんじゅう、一生けんめい、おもしろい歌をうたって、気をおとさないようにとはげましてくれました。
まだそとは、夜明けまえのうすあかりでした。もう一時間たたなければ、お日さまはのぼらないでしょう。そのとき、十一人のきょうだいは、お城の門のところへ来て、王さまにお目どおりねがいたいとたのみました。けれどもまだ夜があけないのだから、そんなことはできないといわれました。王さまはねむっていらっしゃる、それをおさまたげしてはならないのだというのです。それでもきょうだいはたのんだり、おどかしたりしました。近衛の兵隊がでて来ました。いや、そのうちに王さままででておいでになって、どういうわけかとおたずねになりました。するともう、きょうだいたちの姿はみえませんでした。ただ十一羽の野のはくちょうが、お城の上をとびかけって行きました。
人民たちがのこらず町の門にあつまって来て、魔女の焼きころされるところをみようとひしめきあいました。よぼよぼのやせ馬が一頭、罪人ののる馬車をひいてきました。やがてエリーザはそまつな麻の着物を着せられました。あのうつくしい髪の毛は、きれいな首筋にみだれたまま下がっていました。ほおは死人のように青ざめでいました。くちびるはかすかにうごいていました。そのくせ指はまだみどり色の麻をせっせと編んでいました。いよいよ死刑になりにいく道みちも、やりかけたしごとをやめようとはしませんでした。十枚のくさりかたびらは足の下にありました。いま十一枚目をこしらえているところなのです。人民たちはあつまって来て、口ぐちにあざけりました。
「見ろ、魔女がなにかぶつぶついっている。さんびかの本ももっていやしない。どうして、まだいやな魔法をやっているのだ。あんなもの、ばらばらにひき裂いてしまえ。」
こういって、みんなひしひしとそばへ寄って来て、くさりかたびらを引き裂こうとしました。そのとき、十一羽の野のはくちょうがさあッとまいおりました。馬車のうえにとまって、エリーザをかこんで、つばさをばたばたやりました。すると群衆はおどろいてあとへ引きました。
「あれは天のおさとしだ。きっとあの女には罪はないのだ。」と、おおぜいのものがささやきました。けれど、たれもそれを大きな声ではっきりといいきるものはありませんでした。
そのとき、役人が来て、エリーザの手をおさえました。そこで、エリーザはあわてて、十一枚のくさりかたびらをはくちょうたちのうえになげかけました。すると、すぐ十一人のりっぱな王子が、すっとそこに立ちました。けれどいちばん末のおにいさまだけは片手なくって、そのかわりにはくちょうの羽根をつけていました。それはくさりかたびらの片そでが足りなかったからでした。もうひといきで、みんなでき上がらなかったのです。
「さあ、もうものがいえます。」と、エリーザはいいました。「わたくしに罪はございません。」
すると、いま目の前におこった出来事を見た人民たちはとうといお上人さまのまえでするように、いっせいにうやうやしくあたまを下げました。けれどもエリーザは死んだもののようになって、おにいさまたちの腕にたおれかかりました。これまでの張りつめた心と、ながいあいだの苦しみが、ここでいちどにきいて来たのです。
「そうです。エリーザに罪はありません。」と、いちばんうえのおにいさまがいいました。
そこで、このおにいさまは、これまであったことをのこらず話しました。話しているあいだに、なん百万というばらの花びらがいちどににおいだしたような香りが、ぷんぷん立ちました。仕置柱のまえにつみあげた火あぶりの薪に、一本一本根が生えて、枝がでて、花を咲かせたのでございます。そこには赤いばらの花をいっぱいつけた生垣が、高く大きくゆいまわされて、そのいちばんうえに、星のようにかがやく白い花が一りん吹いていました。その花を王さまはつみとって、エリーザの胸にのせました。するとエリーザはふと目をさまして、心のなかは平和と幸福とでいっぱいになりました。
そのとき、のこらずのお寺の鐘がひとりでに鳴りだしました。小鳥たちがたくさんかたまってとんで来ました。それから、それはどんな王さまもついみたこともないようなさかんなお祝の行列が、お城にむかって練っていきました。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "042384",
"作品名": "野のはくちょう",
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"ソート用読み": "ののはくちよう",
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"原題": "DE VILDE SVANER",
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あるいなかに、古いお屋敷がありました。そのお屋敷には、年をとった地主が住んでいました。地主にはふたりの息子がありましたが、ふたりとも、ものすごくおりこうで、その半分でもたくさんなくらいでした。ふたりは、王さまのお姫さまに結婚を申しこもうと思いました。どうしてそんなことを考えたかというと、じつは、こうなのです。お姫さまは、だれよりもじょうずにお話のできる人をお婿さんにする、と、国じゅうにふれまわらせていたからです。
そこで、ふたりは、一週間のあいだ、いろいろと準備をしました。つまり、それだけしか、ひまがなかったのです。でも、それだけあればたくさんでした。なぜって、ふたりには予備知識というものがあったからです。しかも、この予備知識というものは、いつでも役に立つものなのです。ひとりは、ラテン語の辞書を全部と、町の新聞を三年分、すっかり、そらでおぼえていました。おまけにそれが、前からでも後からでも、自由じざいだったのです。もうひとりは、組合の規則を残らずおぼえていて、組合長ならだれでも知っていなければならないことを、ちゃんと心得ていました。ですから、政治のことなら、だれとでも話すことができるつもりでいました。それに、じょうひんで、手先も器用でしたから、ウマのひきがわにししゅうをすることもできました。
「お姫さまは、わたしがもらう!」と、ふたりとも言いました。おとうさんは、めいめいに、りっぱなウマを一頭ずつやりました。辞書と新聞とをそらでおぼえているほうの息子は、炭のように黒いウマをもらい、組合長のようにりこうで、ししゅうのできる息子は、乳色の白いウマをもらいました。それから、ふたりは口ばたに肝油をぬって、よくすべるようにしました。召使の者はみんな中庭へ出て、ふたりがウマに乗るのを見ていました。
そのとき、三番めの息子が出てきました。じつをいうと、兄弟は三人だったのです。しかし、この三番めの息子を兄弟の中にかぞえる者は、ひとりもありませんでした。というのは、ふたりのにいさんたちのように、いろいろな知識というものを、持っていませんでしたから。そして、この息子は、みんなから、のろまのハンスと呼ばれていました。
「そんないい着物なんか着て、どこへ行くんだ?」と、ハンスがたずねました。
「王さまの御殿へ行って、お姫さまと話をするのさ。たいこを鳴らして、国じゅうにふれまわっていたのを、おまえ、聞かなかったのか?」そう言って、ふたりはハンスにそのことを話してやりました。
「こいつぁあ、たまげた! じゃあ、おれもいっしょに行くべえ」と、のろまのハンスは言いました。にいさんたちは、ハンスを笑って、そのままウマに乗って行ってしまいました。
「とっちゃん、おれにもウマをくだせえ」と、のろまのハンスは大きな声で言いました。「おれも嫁さんをもらいてえ。お姫さまがおれをもらうんなら、おれをもらやあいい。お姫さまがおれをもらわなくったって、おれのほうでお姫さまをもらってやらあ!」
「何をつまらんことを言ってるんだ!」と、おとうさんが言いました。「ウマはやれん。おまえにゃ、話なんぞできっこない! だがな、にいさんたちはりっぱな若者だ!」
「ウマがもらえねえんなら」と、のろまのハンスは言いました。「じゃあ、ヤギに乗ってくよ。あいつはおれのもんだし、それに、あいつだって、おれを乗せて行くぐらいできるさ!」こう言って、ヤギの背中にまたがると、その横っ腹をかかとでけとばして、大通りをいっさんにかけだしました。うわあ! その速いこと、速いこと! 「ここだよお!」と、のろまのハンスはどなりました。それから、あたりに鳴りひびくような大声で、歌をうたいました。
しかし、にいさんたちは黙って、ウマを先に進ませて行きました。ふたりはひとことも言いませんでした。いまはそれどころではありません。お姫さまの前へ出たときに、話そうと思っているうまい思いつきを、はじめから念には念をいれて、考えなおさなければならなかったのです。
「オーイ、オーイ!」と、のろまのハンスがどなりました。「ここだよお! おれが大通りで見つけたものを見てくれ」そう言いながら、途中で見つけてきた、死んだカラスを見せました。
「のろま!」と、ふたりは言いました。「それで、どうしようっていうんだ?」
「お姫さまにあげようと思うだ」
「うん、そうしな」ふたりはそう言って、笑いながら、なおもウマを進めていきました。
「オーイ、オーイ! ここだよお! いま見つけたものを見てくれ。まいんち、大通りで見つかるようなもんじゃあねえ」
そこで、にいさんたちは、またうしろを振り返って、こんどは何だろうと、ながめてみました。「のろま!」と、ふたりは言いました。「古い木靴だな。おまけに、上のほうが取れちゃってるじゃないか! それも、お姫さまにあげるってのかい?」
「そうだよ」と、のろまのハンスが言いました。にいさんたちは笑いながら、どんどんウマを進めていきました。こうして、だいぶ先へ行きました。
「オーイ、オーイ! ここだあ!」と、のろまのハンスがどなりました。「いやどうも、今度は、だんだんひどくなったぞ。オーイ、オーイ! こいつぁあ、すげえ!」
「今度は、何を見つけたんだ?」と、ふたりの兄弟がたずねました。
「ああ!」と、のろまのハンスが言いました。「言うほどのこたあねえ! お姫さま、どんなにうれしがるかしれねえ!」
「チェッ!」と、ふたりの兄弟は言いました。「そりゃあ、どぶから掘り出してきた、どろんこじゃないか」
「うん、そうさ」と、のろまのハンスは言いました。「それに、こりゃあ、いちばんじょうひんなもんよ。手に持ってるわけにもいかねえ」こう言って、ポケットに、ぎゅうぎゅうつめこみました。
しかし、にいさんたちは、できるだけ早くウマを走らせて、たっぷり一時間も先に、町の門のところへ着きました。見れば、そこには、お姫さまに結婚を申しこむ人たちが、着いた順に番号をもらって、ならんでいました。一列に六人ずつ、それこそ腕も動かせないくらい、ぎっしりとならんでいるのでした。けれども、かえって、それでよかったのです。でないと、だれもかれも先になろうとして、おたがいに着物の背中を引きさきっこしていたかもしれませんからね。
その国のほかの人たちは、みんな御殿のまわりに集まって、窓のほうを見上げていました。お姫さまが、結婚を申しこみにやってきた人たちをどんなふうに迎えるか、それを見物していたのです。ところが、どうしたというのでしょう。結婚を申しこむ人たちは、お部屋の中へはいったとたん、きゅうに、なんにも話すことができなくなってしまうのです。
「なんの役にも立たないわ」と、お姫さまは言いました。「おさがり!」
いよいよ、辞書をそらでおぼえている、にいさんの番になりました。ところが、長いあいだ列の中に並んでいたものですから、なにもかもきれいさっぱり、忘れてしまいました。それに、床はぎしぎし鳴りますし、天井は鏡のガラスでつくられているので、自分の姿が、さかさまにうつって見えるしまつです。それから、どの窓のところにも、三人の書記と、ひとりの書記長がいて、ここで話すことを、一つのこらず書き取っていました。そして、すぐにそれが新聞にのって、町かどで二シリングで売られるのです。まったく、恐ろしいことではありませんか。しかも、ストーブの中では、火がかんかんに燃えていて、胴のところがまっかになっているのです!
「このお部屋は、じつに暑うございますね」と、このにいさんは言いました。
「それはね、おとうさまが、きょう、ひな鳥をお焼きになるからよ」と、お姫さまが言いました。
「ヒェー!」この男は、ぼんやり立ちつくしてしまいました。こんな返事をされようとは、思いもしなかったのです。もう、ひとことも言うことができません。だって、そうでしょう。自分では、なにか面白いことを言おうと思っていたのですもの。おや、おや!
「なんの役にも立たないわ」と、お姫さまが言いました。「おさがり!」こうして、この男は、引きさがらなければなりませんでした。今度は、もうひとりのにいさんが、はいってきました。
「ここは、ひどく暑うございますね」と、その男は言いました。
「ええ、きょうはひな鳥を焼くのよ」と、お姫さまが言いました。
「な、な、なんですって?」と、その男が言いましたので、書記たちはみんな、な、な、なんですって、と、書きました。
「なんの役にも立たないわ」と、お姫さまは言いました。「おさがり!」
とうとう、のろまのハンスの番がやってきました。ハンスはヤギの背中にまたがったまま、お部屋の中へはいってきました。「こりゃあまあ、ひでえ暑さですね」と、ハンスが言いました。
「それはね、あたしがひな鳥を焼くからよ」と、お姫さまが言いました。
「そいつぁ、うめえこった!」と、のろまのハンスが言いました。「じゃあ、このカラスも焼いてくれますかね?」
「ああ、いいわよ」と、お姫さまが言いました。「だけど、焼くのに、なにか入れ物を持っておいでかい? あたしには、おなべも、フライパンもないのよ」
「なあに、ちゃんと持ってますだ」と、のろまのハンスが言いました。「すずの手のついた、料理道具があるんでさ」こう言いながら、古い木靴を取り出して、カラスをそのまんなかに入れました。
「まあ、すばらしいお食事だわね!」と、お姫さまが言いました。「でも、ソースはどうしたらいいの?」
「そいつなら、ポケットにありますよ」と、のろまのハンスが言いました。「うんとあるから、ちったあ、むだにしたってかまいませんさ」そう言って、ポケットから、どろをすこしこぼしてみせました。
「いいわよ」と、お姫さまが言いました。「あなたは返事ができるわ! それに、お話もできるから、あたし、あなたを夫にするわ! でもね、あなた、ごぞんじ? あたしたちが今までに言ったり、これから言う言葉は、ぜんぶ書き取られて、あしたの新聞にのるのよ。ごらんなさい、どの窓のところにも、書記が三人と、年とった書記長がひとりいるでしょう。ことに、あの書記長ったら、いちばんいやな人よ。だって、ひとの言うことなんか、なんにもわからないんだから!」こう言って、お姫さまはハンスをこわがらせようとしました。すると、書記たちはへんな声で笑って、床の上にインキのしみをつけてしまいました。
「みんな、りっぱな人たちだ」と、のろまのハンスが言いました。「じゃあ、おれも、書記長さんに、いちばんいいものをあげにゃあなるめえ!」こう言うと、ポケットをひっくりかえして、いきなり、書記長の顔にどろを投げつけました。
「まあ、すてき!」と、お姫さまが言いました。「とてもそんなこと、あたしにはできないわ! でも、そのうちに習いましょう」――
こうして、のろまのハンスは王さまになりました。お姫さまをお妃さまにして、王冠をかぶって、玉座についたのです。ただ、これは、書記長の新聞から見てきたことなんですよ。――ですから、あんまりあてにはできませんがね。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "059996",
"作品名": "のろまのハンス",
"作品名読み": "のろまのハンス",
"ソート用読み": "のろまのはんす",
"副題": "――むかしばなしの再話――",
"副題読み": "――むかしばなしのさいわ――",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓": "アンデルセン",
"名": "ハンス・クリスチャン",
"姓読み": "アンデルセン",
"名読み": "ハンス・クリスチャン",
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"名読みソート用": "はんすくりすちやん",
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"名ローマ字": "Hans Christian",
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"生年月日": "1805-04-02",
"没年月日": "1875-08-04",
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"底本名1": "人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ",
"底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社",
"底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日",
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いまからずっとずっとむかしのこと、ひとりの皇帝がいました。皇帝は、あたらしい、きれいな着物がなによりも好きでした。持っているお金をのこらず着物に使って、いつもいつも、きれいに着かざっていました。皇帝は、自分のあたらしい着物を人に見せたいと思うときのほかは、兵隊のことも、芝居のことも、森へ遠乗りすることも、なにからなにまで、きれいさっぱり忘れているのでした。
とにかく、皇帝は、一日のうち一時間ごとに、ちがった着物に着かえるのです。ですから、よその国ならば、王さまは、会議に出ていらっしゃいます、というところを、この国ではいつも、「皇帝は、衣装部屋にいらっしゃいます」と、言いました。――
皇帝の住んでいる大きな町は、たいへんにぎやかなところでした。毎日毎日、よその国の人たちが大ぜい来ました。
ある日のこと、ふたりのうそつきがやってきました。ふたりは、
「わたしどもは、機織りでして、みなさんの思いもおよばない、美しい織物を織ることができます。それに、その織物は色とがらとが、びっくりするほど美しいばかりではございません。その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかものには、この着物は見えないのでございます」と、言いふらしました。
「ふうん、それはまた、おもしろい着物だな」と、皇帝は考えました。「そのような着物を着れば、この国のどの役人が役目にふさわしくないか、知ることができるわけじゃな。それから、りこうものと、ばかものを見わけることもできるわけだ。そうだ、さっそく、その織物を織らせるとしよう」
そこで、ふたりのうそつきにたっぷりお金をやって、仕事にかかるように言いつけました。
ふたりは、機を二台すえつけて、いかにも働いているようなふりをしました。けれども、ほんとうは、機の上には、なんにもなかったのです。ふたりは、すぐに、
「いちばん上等の絹と、いちばんりっぱな金をください」と、願い出ました。
ところが、絹と金とをもらうと、それをさっさと、自分たちのさいふの中に入れてしまいました。そして、からっぽの機にむかって、夜おそくまで働いていました。
「織物は、もう、どのくらいできたかな」と、皇帝は考えました。
けれども、ばかなものや、自分の役目にふさわしくないものには、それが見えないという話を思い出しますと、ちょっとへんな気持になりました。もちろん、自分はそんなことを気にする必要はないと思っていましたが、それでも、ひとまず、だれかを先にやって、どんなぐあいか見させることにしました。
もうそのころには、町の人たちも、この織物が世にもふしぎな性質を持っていることを知っていました。みんながみんな、おとなりに住んでいるのは、わるい人ではあるまいか、それともばかではなかろうか、知りたいものだと思っていたのです。
「機織りのところへは、あの年とった、正直者の大臣をやることにしよう」と、皇帝は考えました。「あの男なら、織物がどんなぐあいか、いちばんよくわかるにちがいない。頭もいいし、それに、あの男くらい役目にぴったりのものは、まずないからなあ!」
そこで、年とった正直者の大臣は、ふたりのうそつきが、からっぽの機にむかって働いている広間へはいっていきました。
「どうか、神さま!」と、年よりの大臣は、心の中で祈りながら、目を大きくあけました。「や、や、なにも見えんぞ!」
けれども、もちろん、見えない、とは言いませんでした。
「さあ、もっと近よってごらんください。いかがでございましょう。がらもきれいですし、色合いも美しいではございませんか」などと、うそつきどもは、しきりに言いながら、からっぽの機を指さしました。
気の毒に、年よりの大臣は、なおも目を開いて見ましたが、やっぱりなんにも見えません。それもそのはず、機には、なんにもないのですからね。
「これは、たいへんだ!」と、大臣は思いました。「このわしが、ばかだというのか。そんなことは、まだ考えてみたこともない。それにしても、これは人に知られてはならん! このわしが、役目にむかんというのか。こりゃいかん。織物が見えないなどと、うっかり言おうものなら、たいへんだぞ」
「いかがでございましょう。なんともおっしゃっていただけませんが」と、織っていたひとりが言いました。
「おお、みごとじゃ! まことに美しいのう!」と、年とった大臣は言って、めがねでよくながめました。
「このがらといい、色合いといい! さよう、わしはたいへん気に入ったぞ。皇帝に、そう申しあげておこう」
「それは、まことにありがたいことでございます」と、ふたりの機織りは言いました。
それから、色の名前や、めずらしいがらの説明をしました。年とった大臣は、皇帝のところへもどっても、同じことが言えるように、よく気をつけて聞いていました。そして、そのとおりに申しあげました。
さて、うそつきどもは、前よりももっとたくさんのお金と、絹と、金とを願い出ました。そういうものが、反物を織るのに必要だというのです。ところが、それをもらうと、みんな、自分たちのさいふの中へ入れてしまいました。ですから、機の上には、あいかわらず、糸一本はられません。それでも、ふたりは、前と同じように、からっぽの機にむかって、せっせと働きつづけました。
皇帝は、まもなく、今度は、べつの正直なお役人をやって、仕事はどのくらい進んでいるか、織物はもうすぐできあがるか、見させることにしました。このお役人も、大臣とおんなじでした。何度も何度も見なおしましたが、なんにも見えません。からの機のほかには、なにもないのですから、それもむりもない話です。
「いかがでしょう。美しい織物ではございませんか」
ふたりのうそつきは、こう言って、ありもしない美しいがらを指さしながら、説明しました。
「おれが、ばかだなんてはずはない」と、この役人は考えました。「そうすると、このおれは、いまの、ありがたい役目に向いていないというのか。おかしな話だな。だが、人に気づかれんようにしなくてはまずい」
そこで、見えもしない織物をほめて、きれいな色合いも、美しいがらも、すっかり気に入ったと、うけあいました。そして皇帝には、
「はい、まことに、たとえようもないほど美しいものでございます」と、申しあげました。
町の人たちは、寄るとさわると、このすばらしい織物のうわさばかりしていました。
さて、皇帝も、その織物が機にあるうちに、一度見ておきたい、と思いました。そこで、えりぬきのご家来を大ぜい連れて、ずるいうそつきどものところへ行きました。ご家来の中には、前にお使いに行ったことのある、ふたりの年とった、正直者のお役人もまじっていました。うそつきどもは、このときとばかり、いっしょうけんめいに織っていました。けれども、もちろん、一すじの糸もありません。
「まことにすばらしいものではございませんか!」と、正直者のふたりのお役人が言いました。「陛下、ようくごらんくださいませ。なんというよいがら、なんという美しい色合いでございましょう!」
こう言いながら、ふたりは、からの機を指さしました。なぜって、ほかの人たちには、この織物が見えるものと思ったからです。
「や、や、なんとしたことじゃ!」と、皇帝は思いました。「わしには、なんにも見えんわい。こりゃ、えらいことになったぞ。このわしが、ばかだというのか。わしは、皇帝にふさわしくないというのか。わしにとっては、なによりもおそろしいことじゃ」
けれども、口に出しては、こう言いました。
「おお、なるほど。じつにきれいじゃのう! 大いに気に入ったぞ」
こう言って、満足そうにうなずきながら、からっぽの機をよくよくながめました。もちろん、わしには、なにも見えん、などとは言いたくなかったのです。
おともの人たちも、きょろきょろ見まわしましたが、みんな同じこと。なにひとつ見えません。けれども、だれもかれも、皇帝のまねをして、
「たいへんおきれいなものでございます」と、申しました。そして口々に、「近いうちにおこなわれるご行列のときに、このあたらしい、りっぱなお着物をお召しになってはいかがですか」と、すすめました。
「みごとなものでございます! おきれいです! すばらしゅうございます!」
こういう言葉が、人々の口から口へとつたわっていきました。みんながみんな、心から満足しているようすを見せました。
皇帝は、うそつきどものひとりひとりに、ボタン穴にさげる騎士十字勲章をさずけ、また、「御用織物匠」という称号をもあたえました。
うそつきどもは、行列のおこなわれる日の前の晩は、ろうそくを十六本以上もつけて、一晩じゅう起きていました。ふたりが、皇帝のあたらしい着物をしあげようとして、いそがしく働いているようすは、だれの目にもよくわかりました。ふたりは、織物を機から取りあげるようなふりをしたり、大きなはさみで空を切ったり、糸の通っていない針でぬったりしました。そうしてしまいに、
「ようやく、お着物ができあがりました」と、言いました。
皇帝は、身分の高い宮内官を連れて、そこへ行きました。すると、うそつきどもは、なにかを持ちあげようとするように、片方の腕を高くあげて、言いました。
「ごらんくださいませ。これが、おズボンでございます。これが、お上着でございます。これが、おがいとうでございます」などと、さかんに申したてました。「このお着物は、まるでクモの巣のように軽うございます。ですから、お召しになりましても、なにも着ておいでにならないような感じがなさるかもしれません。しかしながら、それこそ、このお着物のすぐれたところでございます」
「さようか」と、宮内官たちは、口をそろえて言いました。けれども、もともと、なにもないのですから、なんにも見えませんでした。
「おそれながら、陛下には、お着物をおぬぎくださいますよう」と、うそつきどもは言いました。「わたくしどもが、この大鏡の前で、あたらしいお着物をお着せ申しあげます」
皇帝が着物をすっかりぬぎますと、うそつきどもは、できあがったことになっている、あたらしい着物を、一枚一枚着せるようなふりをしました。それから、腰のあたりに手をまわして、なにかを結ぶような手つきをしました。つまり、それは、もすそというわけだったのです。皇帝は、鏡の前で、ふりむいてみたり、からだをねじまげてみたりしました。
「ほんとうに、ごりっぱでございます! まことに、よくお似合いでございます!」と、みんなが口々に申しました。「がらといい、色合いといい、なんというけっこうなお着物でございましょう!」――
「みなのものが、お行列のさいに、おさしかけ申しあげる天がいを持ちまして、外でお待ちいたしております」と、式部長が申しあげました。
「よろしい、わしも用意ができたぞ」と、皇帝は言いました。「どうだ、よく似合うかな?」
それから、もう一度、鏡のほうをふりむきました。こうして、自分の着かざった姿を、よくながめているようなふりをしなければならなかったのです。
もすそをささげる役目の侍従たちは、両手を床のほうへのばして、もすそを取りあげるようなふりをしました。こうして、何かをささげているようなかっこうをしながら、歩きだしました。なんにも見えないということを、人に気づかれてはたいへんです。
こうして、皇帝は行列をしたがえて、美しい天がいの下を歩いていきました。往来にいる人々も、窓から見ている人たちも、だれもかれもが口々に言いました。
「まあまあ、皇帝のあたらしいお着物は、たとえようもないじゃないか! お服についているもすそも、なんてりっぱだろう! ほんとうに、よくお似合いだ!」
みんながみんな、なんにも見えないということを、人に気づかれまいとしました。さもなければ、自分の役目にふさわしくないか、とんでもないばかものだということになってしまいますからね。皇帝の着物の中でも、こんなに評判のよいものはありませんでした。
「だけど、なんにも着ていらっしゃらないじゃないの!」と、だしぬけに、小さな子供が言いだしました。
「ちょいと。この罪のない子供の言うことを聞いてやっておくれ」と、その父親が言いました。そして、子供の言った言葉が、それからそれへと、ささやかれていきました。
「なんにも着ていらっしゃらない。あそこの小さな子供が言ってるとさ。なんにも着ていらっしゃらないって!」
「なんにも着ていらっしゃらない!」
とうとうしまいには、町じゅうの人たちが、ひとりのこらず、こうさけびました。これには、皇帝もこまってしまいました。というのは、みんなの言うことのほうが、なんだか、ほんとうのような気がしたからです。しかし、「行列は、いまさら、取りやめるわけにはいかない」と、思いました。
そこで、前よりもいっそう胸をはって、歩いていきました。侍従たちも、ありもしないもすそをささげて歩いていきました。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年12月15日32刷改版
1992(平成4)年4月5日34刷
※表題、副題は底本では、「はだかの王さま(皇帝《こうてい》のあたらしい着物)」となっています。
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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むかし、あるとき、お金持のあきんどがありました。どのくらいお金持だといって、それは町の大通のこらず銀貨で道をこしらえて、そのうえ横町の小路にまでそれをしきつめて、それでもまだあまるほどのお金を持っていました。でも、このあきんどは、そんなことはしません。もっとほかにお金をつかうことをかんがえて、一シリングだせば、一ターレルになってもどってくる工夫をしました。まあ、そんなにかしこいあきんどでしたが――そのうち、このあきんども死にました。
そこで、むすこが、のこらずのお金をもらうことになりました。そうしてたのしくくらしました。毎晩、仮装舞踏会へでかけたり、お札でたこをはってあげたり、小石の代りに、金貨で海の水を打ってあそんだりしました。まあこんなふうにすれば、いくらあっても、お金はさっさとにげていってしまうでしょう。とうとうむすこはたった四シリングの身代になってしまいました。身につけているものといっては、うわぐつ一足と、古どてらのねまきのほかには、なにもありません。こうなると、友だちも、いっしょに往来をあるくことをきまりわるがってまるでよりつかなくなりました。でもなかでひとり、しんせつな友だちがいて、ふるいかばんをひとつくれました。かばんのうえには、「これになにかおつめなさい。」とかいてありました。いやどうもこれはたいへんありがたいことでした。けれど、あいにくなにもつめるものがないので、むすこはじぶんがそのかばんのなかにはいっていました。
ところが、これが、とんだとぼけたかばんでした。錠前をおすといっしょに、空のうえにまい上がるのです。ひゅうッ、さっそく、かばんはひこうをはじめました。ふわりふわり、かばんはむすこをのせたまま、煙突の穴をぬけて、雲をつきぬけて、とおくへとおくへとんでいきました。でも、かばんの底が、みしみしいうたんびに、むすこは、はらはらしました。途中でばらばらになって、空のうえからまっさかさまに木の葉落しということになったら、すばらしいどころではありません。やれやれこわいこと、まあこんなふうにして、むすこは、トルコの国までいきました。そこでかばんを、ひとまず、森の落ち葉のなかにかくして、町へけんぶつにでかけました。けっこう、そのままのなりでね。なぜなら、トルコ人なかまでは、みんながこの男とおなじように、どてらのねまきをひきずって、うわぐつをはいていましたもの。ところで、むすこがきょろきょろしながらあるいていきますと、むこうから、どこかのばあやが、こどもをつれてくるのにであいました。
「ねえもし、トルコのばあやさん。」と、むすこはたずねました。「この町のすぐそとにある大きなお城はどういうお城ですね。ずいぶん高い所に、窓がついていますね。」
「あれは、王さまのお姫さまのおすまいです。」と、ばあやがこたえました。「お姫さまは、お生まれになるさっそく、なんでもたいへん運のわるいおむこさんをおむかえになるという、いやなうらないがでたものですから、そのわるいおむこさんのよりつけないように、王さまとお妃さまがごいっしょにおいでのときのほか、だれもおそばにいけないのでよ。」
「いや、ありがとう。」
むすこはこういって、また森へもどっていきました。そうして、すぐかばんのなかにはいると、そのままお城の屋根のうえへとんでいって、お姫さまのおへやの窓からそっとなかにはいりました。
お姫さまは、ソファのうえで休んでいました。それが、いかにもうつくしいので、むすこはついキスしずには、いられませんでした。それで、お姫さまは目をさまして、たいそうびっくりした顔をしました。
でも、むすこは、こわがることはない、わたしは、トルコの神さまで、空をあるいて、わざわざやって来たのだといいますと、お姫さまはうれしそうににっこりしました。
ふたりはならんで腰をかけて、いろんな話をしました。むすこはまず、お姫さまの目のことを話しました。なんでもそれはこのうえなくきれいな黒い水をたたえた、ふたつのみずうみで、うつくしいかんがえが、海の人魚のように、そのなかでおよぎまわっているというのです。それから、こんどはお姫さまの額のことをいって、それは、このうえなくりっぱな広間と絵のある雪の山だといいました。それから、かわいらしい赤ちゃんをもってくるこうのとりのことを話しました。
そう、どれもなかなかおもしろい話でした。そこで、むすこは、お姫さまに、わたしのおよめさんになってくださいといいました、お姫さまは、すぐ「はい。」とこたえました。「でもこんどいらっしゃるのは土曜日にしていただきますわ。」と、お姫さまはいいました。「その晩は王さまとお妃さまがここへお茶においでになるのですよ。わたしそこでトルコの神さまとご婚礼するのよといって上げたら、おふたりともずいぶん鼻をたかくなさるでしょう。でも、あなた、そのときはせいぜいおもしろいお話をしてあげてくださいましね。両親とも、たいへんお話ずきなのですからね。おかあさまは、教訓のある、高尚なお話が好きですし、おとうさまは、わらえるような、おもしろいお話が好きですわ。」
「ええ、わたしは、お話のほかには、なんにも、ご婚礼のおくりものをもってこないことにしましょう。」と、むすこはいいました。そうして、ふたりはわかれました。でも、わかれぎわに、お姫さまは剣をひとふり、むすこにくれました。それは金貨でおかざりがしてあって、むすこには、たいへんちょうほうなものでした。
そこで、むすこはまたとんでかえっていって、あたらしいどてらを一枚買いました。それから、森のなかにすわって、お話をかんがえました。土曜日までにつくっておかなければならないのですが、それがどうしてよういなことではありませんでした。
さて、どうにかこうにか、お話ができ上がると、もう土曜日でした、
王さまとお妃さまと、のこらずのお役人たちは、お姫さまのところで、お茶の会をして待っていました。むすこは、そこへ、たいそうていねいにむかえられました。
「お話をしてくださるそうでございますね。」と、お妃さまがおっしゃいました。「どうか、おなじくは、いみのふかい、ためになるお話が伺いとうございます。」
「さようさ。だが、ちょっとはわらえるところがあってもいいな。」と、王さまもおっしゃいました。
「かしこまりました。」と、むすこはこたえて、お話をはじめました。そこで、みなさんもよくきくことにしてください――
『さて、あるとき、マッチの束がございました。そのマッチは、なんでもじぶんの生まれのいいことをじまんにしていました。けいずをただすと、もとは大きな赤もみの木で、それがちいさなマッチの軸木にわられて出てきたのですが、とにかく、森のなかにある古い大木ではありました。ところでマッチはいま、ほくち箱とふるい鉄なべのあいだに坐っていました。で、こういうふうに、若いときの話をはじめました。マッチのいうには、「そうだ、わたしたちが、まだみどりの枝のうえにいたときには、いや、じっさい、みどりの枝のうえにいたのだからな。まあ、そのじぶんは毎日、朝と晩に、ダイヤモンドのお茶をのんでいた。それはつまり、露のことだがね。さて、日がでさえすれば、一日のどかにお日さまの光をあびる、そこへ小鳥たちがやって来て、お話をしてきかせてくれたものだ。なんでも、わたしたちがたいそうなお金持だったということはよく分かる。なぜなら、ほかの広い葉の木たちは、夏のあいだだけきものを着るが、わたしたちの一族にかぎって、冬のあいだもずっと、みどりのきものを着つづけていたものな。ところが、ある日、木こりがやってきて 森のなかにえらい革命さわぎをおこした、それで一族は、ちりぢりばらばらになってしまった。でも、宗家のかしらは第一等の船の親柱に任命されたが、その船はいつでも世界じゅう漕ぎまわれるというりっぱな船だ。ほかの枝も、それぞれの職場におちついている。ところで、わたしたちは、いやしい人民どものために、あかりをともしてやるしごとを引きうけた。そういうわけで、こんな台所へ、身分のあるわれわれが来たのも、まあはきだめにつるがおりたというものだ。」
「わたしのうたう歌は、すこし調子がちがっている。」と、マッチのそばにいた鉄なべがいいました。「わたしが世の中に出て来たそもそもから、どのくらい、わたしのおなかで煮たり沸かしたり、そのあとたわしでこすられたか分からない。わたしは徳用でもちのよいことを心がけているので、このうちではいちばんの古参と立てられるようになった。わたしのなによりのたのしみは、食事のあとで、じぶんの居場所におさまって、きれいにみがかれて、なかまのひとたちと、おたがいもののわかった話をしあうことだ。バケツだけは、ときどき裏までつれていかれるが、そのほかのなかまは、いつでもうちのなかでくらしている。わたしたちのなかまで新聞種の提供者は、市場がよいのバスケットだ。ところが、あの男は、政府や人民のことで、だいぶおだやかでない話をする。それで、こないだも、古瓶のじいさんが、びっくりしてたなからころげおちて、こなごなにこわれたくらいだ。あいつは、自由主義だよ、まったく。」
「さあ、きみは、あんまりしゃべりすぎるぞ。」と、ほくち箱が、くちをはさみました。そして、火切石にかねをぶつけたので、ぱっと火花がちりました。
「どうだ、おたがいに、おもしろく、ひと晩すごそうじゃないか。」
「うん、このなかで、だれがいちばん身分たかく生まれてきたか、いいっこしようよ。」と、マッチがいいました。
「いいえ、わたくし、じぶんのことをとやかく申したくはございません。」と、石のスープ入がこたえました。「まあ、それよりか、たのしい夕べのあつまりということにいたしてはどうでございましょう。さっそく、わたくしからはじめますよ。わたくしは、じっさい出あったお話をいたしましょう、まあどなたもけいけんなさるようなことですね。そうすると、たれにもよういにそのばあいがそうぞうされて、おもしろかろうとおもうのでございます。さて、東海は、デンマルク領のぶな林で――」
「いいだしがすてきだわ。この話、きっとみんなおもしろがるわ。」と、お皿たちがいっせいにさけびました。
「さよう、そこのある、おちついた家庭で、わたくしはわかい時代をおくったものでしたよ。そのうちは、道具などがよくみがかれておりましてね。ゆかはそうじがゆきとどいておりますし、カーテンも、二週間ごとに、かけかえるというふうでございました。」
「あなたは、どうもなかなか話じょうずだ。」と、毛ぼうきがいいました。「いかにも話し手が婦人だということがすぐわかるようで、きいていて、なんとなく上品で、きれいな感じがする。」
「そうだ。そんな感じがするよ。」と、バケツがいって、うれしまぎれに、すこしとび上がりました。それで、ゆかのうえに水がはねました。
で、スープ入は話をつづけましたが、おしまいまで、なかなかおもしろくやってのけました。
お皿なかまは、みんなうれしがって、ちゃらちゃらいいました。ほうきは、砂穴からみどり色をしたオランダぜりをみつけてきて、それをスープ入のうえに、花環のようにかけてやりました。それをほかの者がみてやっかむのはわかっていましたが、「きょう、あの子に花をもたしておけば、あしたはこっちにしてくれるだろうよ。」と、そう、ほうきはおもっていました。
「さあ、それではおどるわ。」と、火かきがいって、おどりだしました。ふしぎですね、あの火かきがうまく片足でおどるじゃありませんか。すみっこの古椅子のきれがそれをみて、おなかをきってわらいました。
「どう、わたしも、花環がもらえて。」と、火かきがねだりました、そうして、そのとおりしてもらいました。
「どうも、どいつもこいつも、くだらない奴らだ。」と、マッチはひとりでかんがえていました。
さて、こんどはお茶わかしが、歌をうたう番でした。ところが風をひいているといってことわりました。そうしていずれ、おなかでお茶がにえだしたら、うたえるようになるといいました。けれどこれはわざと気どっていうので、ほんとうは、お茶のテーブルのうえにのって、りっぱなお客さまたちのまえでうたいたかったのです。
窓のところに、一本、ふるい鵞ペンがのっていました。これはしじゅう女中たちのつかっているものでした。このペンにべつだん、これというとりえはないのですが、ただインキの底にどっぷりつかっているというだけで、それをまた大したじまんの種にしていました。
「お茶わかしさんがうたわないというなら、かってにさせたらいいでしょう、おもての鳥かごには、小夜鳴鳥がいて、よくうたいます。これといって教育はないでしょうが、今晩はいっさいそういうことは問わないことにしましょう。」
すると、湯わかしが、
「どうして、そんなことは大はんたいだ。」と、いいだしました。これは、台所きっての歌うたいで、お茶わかしとは、腹がわりの兄さんでした。「外国鳥の歌をきくなんて、とんでもない。そういうことは愛国的だといえようか、市場がよいのバスケット君にはんだんしておもらい申しましょう。」
ところで、バスケットは、おこった声で、
「ぼくは不愉快でたまらん。」といいました。「心のなかでどのくらい不愉快に感じているか、きみたちにはそうぞうもつかんだろう。ぜんたい、これは晩をすごすてきとうな方法でありましょうか。家のなかをきれいに片づけておくほうが、よっぽど気がきいているのではないですか。諸君は、それぞれじぶんたちの場所にかえったらいいでしょう。その上で、ぼくが、あらためて司会をしよう。すこしはかわったものになるだろう。」
「よし、みんなで、さわごうよ。」と、一同がいいました。
そのとき、ふと戸があきました。このうちの女中がはいって来たのです。それでみんなはきゅうにおとなしくなって、がたりともさせなくなりました。でも、おなべのなかまには、ひとりだって、おもしろいあそびをしらないものはありませんでしたし、じぶんたちがどんなになにかができて、どんなにえらいか、とおもわないものはありませんでした。そこで、
「もちろん、おれがやるつもりになれば、きっとずいぶんおもしろい晩にしてみせるのだがなあ。」と、おたがいにかんがえていました。
女中は、マッチをつまんで、火をすりました。――おや、しゅッと音がしたとおもうと、ぱっときもちよくもえ上がったではありませんか。
「どうだ、みんなみろよ。やっぱり、おれはいちばんえらいのだ。よく光るなあ。なんというあかるさだ――」と、こうマッチがおもううち、燃えきってしまいました。』
「まあ、おもしろいお話でございましたこと。」と、そのとき、お妃さまがおっしゃいました。「なんですか、こう、台所のマッチのところへ、たましいがはこばれて行くようにおもいました。それではおまえにむすめはあげることにしますよ。」
「うん、それがいいよ。」と、王さまもおっしゃいました。「それでは、おまえ、むすめは月曜日にもらうことにしたらよかろう。」
まず、こんなわけで、おふたりとももう、うちのものになったつもりで、むすこを、おまえとおよびになりました。
これで、いよいよご婚礼ときまりました。そのまえの晩は、町じゅうに、おいわいのイリュミネーションがつきました。ビスケットやケーキが、人民たちのなかにふんだんにまかれるし、町の少年たちは、往来にあつまって、ばんざいをさけんだり、指をくちびるにあてて、口笛をふいたりしました。なにしろ、すばらしいけいきでした。
「そうだ。おれもお礼になにかしてやろう。」と、あきんどのむすこはおもいました。そこで、流星花火だの、南京花火だの、ありとあらゆる花火を買いこんで、それをかばんに入れて、空のうえにとび上がりました。
ぽん、ぽん、まあ、花火がなんてよく上がることでしょう。なんて、いせいのいい音を立てることでしょう。
トルコ人は、たれもかれも、そのたんびに、うわぐつを耳のところまでけとばして、とび上がりました。
こんなすばらしい空中現象を、これまでたれもみたものはありません。そこで、いよいよ、お姫さまの結婚なさるお相手は、トルコの神さまにまちがいなしということにきまりました。
むすこは、かばんにのったまま、また森へおりていきましたが、「よし、おれはこれから町へ出かけて、みんな、おれのことをどういっているか、きいてこよう。」とかんがえました。なるほど、むすこにしてみれば、そうおもい立ったのも、むりはありません。
さて、どんな話をしていたでしょうか。それはてんでんがちがったことをいって、ちがった見方をしていました。けれども、なにしろたいしたことだと、たれもいっていました。
「わたしは、トルコの神さまをおがんだよ。」と、ひとりがいいました。「目が星のように光って、ひげは、海のあわのように白い。」
「神さまは火のマントを着てとんでいらしった。」と、もうひとりがいいました。「それはかわらしい天使のお子が、ひだのあいだからのぞいていた。」
まったくむすこのきいたことはみんなすばらしいことばかりでした。さて、あくる日はいよいよ結婚式の当日でした。そこで、むすこは、ひとまず森にかえって、かばんのなかでひと休みしようとおもいました。――ところがどうしたということでしょう。かばんは、まる焼けになっていました。かばんのなかにのこっていた花火から火がでて、かばんを灰にしてしまったのです。
むすこはとぶことができません。もうおよめさんのところへいくこともできません。
およめさんは、一日、屋根のうえにたって待ちくらしました。たぶん、いまだに待っているでしょう。けれどむすこはあいかわらずお話をしながら、世界じゅうながれあるいていました、でも、マッチのお話のようなおもしろい話はもうつくれませんでした。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "042385",
"作品名": "ひこうかばん",
"作品名読み": "ひこうかばん",
"ソート用読み": "ひこうかはん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "DEN FLYVENDE KOFFERT",
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"分類番号": "NDC K949",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"名ローマ字": "Hans Christian",
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"底本名1": "新訳アンデルセン童話集第一巻",
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むかしむかし、ひとりの貧しい王子がいました。王子は一つの国をもっていましたが、それはとても小さな国でした。でも、いくら小さいとはいっても、お妃をむかえるのに、ふそくなほどではありませんでした。さて、この王子はお妃をむかえたいと思いました。
それにしても、この王子が皇帝のお姫さまにむかって、「わたくしと結婚してくださいませんか?」などと言うのは、あまりむてっぽうすぎるというものでした。けれども、王子は、思いきって、そうしてみました。なぜって、王子の名前は遠くまで知れわたっていましたし、それに、王子が結婚を申しこめば、よろこんで、はい、と、言いそうなお姫さまは、何百人もいたからです。ところで皇帝のお姫さまは、はい、と、言ったでしょうか?
では、わたしたちは、そのお話を聞くことにしましょう。
王子のおとうさまのお墓の上には、一本のバラの木が生えていました。それは、なんともいえないほど美しいバラの木でした。花は五年めごとにしか咲きませんが、そのときにも、ただ一りんしか咲かないのです。でも、そのにおいのよいことといったら、またとありません。一度そのにおいをかぐと、だれでも、どんないやなことも、心配ごとも、忘れてしまうほどでした。王子はまた、一羽のナイチンゲールを持っていました。このナイチンゲールは、たいへんじょうずに歌をうたうことができました。その小さなのどの中には、美しい節が、いっぱい、つまっているのではないかと思われました。王子は、このバラの花と、ナイチンゲールを、お姫さまにさしあげようと思いました。そこで、さっそく、その二つを大きな銀の入れ物に入れて、お姫さまのところへ持っていかせました。
皇帝は、その贈り物を大きな広間に運びこませて、自分も、あとからついていきました。その広間では、お姫さまが侍女たちと、「お客さまごっこ」をして、あそんでいました。お姫さまたちには、ほかのことは、なんにもできなかったのです。お姫さまは、贈り物のはいっている、大きな入れ物を見ると、大よろこびで手を打ちました。
「かわいらしい小ネコが、はいっていますように!」と、お姫さまは言いました。――ところが、出てきたのは、美しいバラの花でした。
「まあ、なんてきれいに造ってあるのでございましょう!」と、侍女たちが、口々に申しました。
「きれいどころではない!」と、皇帝は言いました。「なんと言ったらいいのか! じつに美しい!」
ところが、お姫さまは、花にさわってみて、もうすこしで泣き出しそうになりました。
「まあ、いやですわ、おとうさま!」と、お姫さまは言いました。「これは造ったお花ではなくって、ほんとのお花ですわ!」
「あら、いやですこと!」と、侍女たちも、口をそろえて言いました。「ほんとのお花でございますわ!」
「さあ、さあ、おこっていないで、もう一つのほうに、何がはいっているか、見ようではないか」と、皇帝は言いました。すると、今度は、ナイチンゲールが出てきました。そして、ナイチンゲールはたいそう美しい声で歌をうたいましたので、だれもこの鳥には、すぐに文句の言いようがありませんでした。
「シュペルブ! シャルマン!(まあ、すてき! うっとりするようですわ!)」侍女たちは、みんなフランス語がしゃべれましたので、フランス語でこう言いました。ひとりが、なにか言いだすと、そのたびに、だんだん大げさになっていきました。
「この鳥のうたうのを聞いておりますと、わたくしには、おかくれなさいました皇后さまの、音楽時計が思い出されます!」と、年とった家来が申しました。「ああ、それ、それ、声も、歌も、まったく、あのとおりでございます!」
「そうじゃな」皇帝はこう言って、まるで小さな子供のように、泣きました。
「でも、ほんとの鳥とは思われませんわ」と、お姫さまが言いました。
「いいえ、ほんとの鳥でございます」と、贈り物を持ってきた、使いの者たちが、言いました。
「それじゃ、そんな鳥、とばせておしまいなさい!」と、お姫さまは言いました。そして、王子が来るのを、どうしても承知しようとはしませんでした。
しかし、こんなことがあったって、王子のほうは平気です。そのくらいのことでは、ひっこんでいません。すぐさま、顔に茶いろや黒のきたない色をぬりつけ、帽子を深くかぶって、御殿の門の戸をたたきました。
「ごめんください、皇帝さま!」と、王子は言いました。「この御殿で、わたくしを使ってくださいませんか?」
「さようか、働きたいと言ってくる者が、ずいぶんいるからのう」と、皇帝は言いました。「だが、ちょっとお待ち。――そう、そう、ブタの番をする者が、だれかひとり入用じゃ。なにしろ、ブタがたくさんいるのでのう!」
そこで、王子は、御殿のブタ飼いにやとわれました。そして、下のブタ小屋のそばに、みすぼらしい小さな部屋を一ついただいて、そこに住むことになりました。
王子は、一日じゅう、そこにすわって、いっしょうけんめい、なにかを作っていました。そして夕方ごろには、もう、かわいらしい、小さなつぼを作りあげていました。つぼのまわりには、鈴がついていました。つぼの中のお湯がわくと、その鈴はたいへん美しい音色をたてて、リンリンと鳴るのです。そして、
ああ、いとしいアウグスチン、
もうおしまいよ、なにもかも!
という、むかしからの、なつかしい節をかなでました。
けれども、このつぼには、もっともっとじょうずなしかけがしてありました。そのつぼの中から立ちのぼる湯気に指をつけると、町じゅうの台所で、いまどんな料理が作られているかを、ここにいながら、たちまち、かぎわけることができるのでした。ね、これはまた、バラの花とは、まったくちがっているでしょう。
さて、お姫さまは侍女たちを連れて、散歩に出かけました。ふと、この節を耳にしますと、立ちどまって、たいそううれしそうな顔をしました。「ああ、いとしいアウグスチン!」というこの節なら、お姫さまも、ピアノでひくことができたからです。もっとも、これだけが、お姫さまにできる、たった一つの節でしたが。それも、一本指でひくのでした。
「あれは、あたしにもひける節よ」と、お姫さまは言いました。「あのブタ飼いは、きっと、学問のある人にちがいないわ。ねえ、あそこへ行って、あの楽器のおねだんをきいてきてちょうだい」
こういうわけで、侍女のひとりが、その中へはいっていかなければならないことになりました。けれども、侍女は、まずその前に、木の上靴にはきかえました。――
「そのつぼは、いくらでゆずっていただけるの?」と、侍女はたずねました。
「お姫さまのキスを十ください」と、ブタ飼いは答えました。
「まあ、とんでもない!」と、侍女は言いました。
「でも、それ以下では、お売りできません」と、ブタ飼いは言いました。
「ね、なんと言って?」と、お姫さまはたずねました。
「とても、あたくしには申しあげられませんわ!」と、侍女は申しました。「だって、あんまりでございますもの!」
「じゃ、そっと言ってちょうだい」そこで、侍女は、お姫さまにそっと申しあげました。
「まあ、なんて失礼なひとなんでしょう!」そう言うと、お姫さまはいそいで歩き出しました。――ところが、ほんのちょっと行ったかと思うと、もうまた、あの鈴が、かわいらしい音をたてて、鳴り出しました。
ああ、いとしいアウグスチン、
もうおしまいよ、なにもかも!
「ねえ」と、お姫さまは言いました。「あたしの侍女たちのキスを十でもいいかって、きいてきてちょうだい」
「いいえ、ごめんこうむります」と、ブタ飼いは言いました。「お姫さまからキスを十いただかなければ、つぼはおゆずりできません」
「なんて、いやなことを言うんでしょう!」と、お姫さまは言いました。「じゃ、だれにも見られないように、みんな、あたしの前に立っていておくれ」
そこで、侍女たちは、お姫さまの前に立ちならんで、スカートのはしをつまんで、ひろげました。そこで、ブタ飼いは、お姫さまからキスを十もらいました。そして、お姫さまは、ブタ飼いからつぼをもらったのです。
さあ、これはおもしろいことになったと、みんなは大よろこびです。夜も昼も、つぼの中のお湯を、チンチンわかせておきました。この町の中なら、ご家来のお屋敷でも、靴屋の家でも、いまその台所で、どんな料理が作られているか、わからないような家は、一けんもありませんでした。侍女たちは、踊りながら、手をたたいてよろこびました。
「あたしたちには、だれが、おいしいスープとパンケーキを食べるのか、ちゃんとわかりますのよ。それから、オートミールとカツレツを食べるのは、だれだかも、みんな知ってますのよ。ほんとに、おもしろいったらありませんわ!」
「ほんとにおもしろうございますわ!」と、侍女の頭が言いました。
「そうね、でも、だまっていなくてはいけませんよ。あたしは、皇帝の娘なんですからね」
「はい、はい、そうでございますとも」と、みんなは、口をそろえて言いました。
あのブタ飼いは、ほんとうは王子なんですが、だれも、そんなことは、夢にも知りません。ただ、ほんとうのブタ飼いとばかり、みんなは思いこんでいました。ところが、このブタ飼いは、一日もむだに日を送るようなことはしません。また、何かやっていましたが、見ると、今度はガラガラを作りました。それを振りまわせば、世の中に知られている曲という曲、ワルツでも、ギャロップでも、ポルカでも、どんな曲でも、鳴らすことができるのでした。
「まあ、すてき!」と、お姫さまは、そこを通りかかって、言いました。「こんな美しい曲は、あたし、まだ聞いたことがないわ。ねえ、あそこへ行って、あの楽器のおねだんをきいてきてちょうだい。でも、もうあたし、キスはいやよ」
「お姫さまのキスを百、いただきたいと申しております」ききに行った侍女が、もどってきて、そう言いました。
「きっと、頭がへんなんだわ」お姫さまは、こう言いすてて、歩き出しました。けれども、ほんのちょっと行くか行かないうちに、また立ちどまりました。
「芸術というものは、すすめてやったり、はげましてやらなければならないわ」と、お姫さまは言いました。「それに、あたしは皇帝の娘ですもの。あの男に、こう言ってちょうだい。あたしは、きのうと同じように、キスを十してあげます。あとは、侍女たちがしてあげますって」
「はい。ですけど、そんなこと、あたしたち、いやでございますわ」と、侍女たちは申しました。
「ばかなことを言うんじゃないよ」と、お姫さまは言いました。あたしだって、キスするのだもの、おまえたちだって、そのくらいのことできるでしょう。そのかわりね、おまえたちには、おいしいものや、お金をあげますよ」
こうして、あの侍女は、またもや、はいっていかなければなりませんでした。
「お姫さまのキスを百!」と、ブタ飼いは言いました。「でないと、わたしのものは、なにもあげません」
「おまえたち、あたしの前に立っておくれ」と、お姫さまは言いました。侍女たちは、みんな、お姫さまの前に立ちならびました。それから、お姫さまは、ブタ飼いにキスをしはじめました。
「あの、下のブタ小屋のところには、あんなに人が集まっているが、いったい、どうしたことじゃ?」そのとき、露台に出てきた皇帝が、言いました。そして、目をこすって、めがねをかけました。「あそこでさわいでいるのは、どうやら侍女たちじゃな。どれ、おりていって、見てやろう!」
こう言って、皇帝はスリッパのかかとを、ぐっと上げました。いつもはいている靴は、かかとをふみつぶしてしまって、スリッパになっていたのです。
おや、おや、皇帝の早いこと、早いこと! たいへんないそぎようでした。
庭におりると、皇帝は、そっと、しのび足で歩きはじめました。侍女たちは、ブタ飼いのもらうキスが、多すぎも少なすぎもしないで、きちんと数だけもらうように、むちゅうになってキスの数をかぞえていましたので、皇帝のおいでになったことには、すこしも気がつきませんでした。皇帝は、のび上がって、ごらんになりました。
「いや、はや、なんたることじゃ!」と、皇帝は、ふたりがキスしているのを見て、言いました。そして、ブタ飼いが、ちょうど八十六回めのキスをもらったときに、かたほうのスリッパで、ふたりの頭を打ちました。
「出ていけ!」と、皇帝は、かんかんにおこって、言いました。
こうして、お姫さまも、ブタ飼いも、とうとう、この国から追い出されてしまいました。
お姫さまは立ちどまって、泣き出しました。ブタ飼いは、ぶつぶつ文句を言っていました。そのうちに、雨がざあざあ降ってきました。
「ああ、あたしは、なんてみじめな人間なんでしょう!」と、お姫さまは言いました。「あの美しい王子さまを、おむかえしておけばよかったのに! ああ、なんてあたしは、ふしあわせなんでしょう!」
そのとき、ブタ飼いは近くにある、木のかげにいって、顔にぬっていた、茶色や黒のきたない色をふきとりました。それから、きたならしい着物をぬぎすてて、今度は、自分の王子の着物を着て、出てきました。さあ、こうなると、目もさめるほどりっぱなものですから、思わず、お姫さまも、王子の前におじぎをしないではいられませんでした。
「ぼくは、あなたをさげすまずにはいられません!」と、王子は言いました。「あなたは、りっぱな王子をむかえようとはなさらなかった! バラの花やナイチンゲールの、ほんとうのねうちも、あなたにはおわかりにならなかった! それなのに、おもちゃなんかのためには、ブタ飼いにまでもキスをなさる! さあ、いまこそ、あなたは、そのばつをお受けになったのです!――」
こう言うと、王子は、自分の国へ帰って、門をしめ、かんぬきをさしてしまいました。ですから、今度は、お姫さまが門の外に立って、うたいました。
ああ、いとしいアウグスチン、
もうおしまいよ、なにもかも! | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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ある、詩人の部屋の中でのお話です。だれかが、詩人の机の上にあるインキつぼを見て、こう言いました。
「こんなインキつぼの中から、ありとあらゆるものが生れてくるんだから、まったくもってふしぎだなあ! 今度は、いったい、なにが出てくるんだろう? いや、ほんとにふしぎなもんさ」
「そうなのよ」と、インキつぼは言いました。「それが、あたしには、どうしてもわからないの。いつも言ってることなんですけどね」と、インキつぼは、鵞ペンだの、そのほか、机の上にのっている、耳の聞えるものたちにむかって、言いました。
「この、あたしの中から、どんなものでも、生れてくるのかと思うと、ほんとにふしぎな気がするわ。ちょっと、信じられないくらいよ。
人間があたしの中から、インキをくみ出そうとするとき、今度は、どんなものが出てくるのか、あたし自身にもわからないの。あたしの中から、たった一しずく、くみ出しさえすれば、それで、半ページは書けるのよ。おまけに、その紙の上には、どんなものだって、書きあらわされるのよ。ほんとに、ふしぎったらないわ!
あたしの中から、詩人のあらゆる作品が生れてくるのよ。読んでいる人が、どこかで見たと思うくらいに、いきいきとえがかれている人物も、しみじみとした感情も、それから、しゃれたユーモアも、美しい自然の描写もよ。といっても、ほんとは、あたし、自然て、なんだか知りませんけどね。だって、自然なんてものは、見たことがないんですもの。だけど、あたしの中にあることだけは、まちがいないわ。
あの、身のかるい、美しい娘たちのむれも、鼻からあわをふいている、荒ウマにまたがった、いさましい騎士たち、ペール・デヴァーや、キルスデン・キマーも、みんな、あたしの中から生れてきたんだし、これからも生れてくるのよ。もちろん、あたし自身が知ってるわけじゃないけど。だいいち、あたし、そんなこと考えてもみなかったわ」
「たしかに、あなたの言うとおりですよ」と、鵞ペンが言いました。
「あなたは、考えてみるということを、なさらない。もしもあなたが、ちょっとでも考えてみるとする。そうすれば、あなたから出てくるものは、ただの液体だということぐらい、すぐわかるはずですからね。あなたが、その液体をくださる。それで、わたしは話をすることができるんですよ。わたしのうちにあるものを、紙の上に見えるようにすることができるんです。つまり、書きおろすというわけなんですよ。
いいですか。書くのは、ペンですからね。これだけは、どんな人間も、うたがいはしませんよ。ところが、詩のこととなると、たいていの人間が、古いインキつぼと同じくらいの考えしか、持っていないんですからねえ」
「まだ、世間のことも、ろくに知らないくせに」と、インキつぼは言いました。「あなたなんか、やっと一週間ばかり、働いただけで、もう半分、すりきれてしまったじゃないの。ご自分では、詩人の気でいるのね。あなたなんて、ただの召使よ。あたしはね、あなたが来るまえに、もうずいぶん、あなたの親類をつかっているのよ。ガチョウ一家のものも、イギリスの工場から来たものもよ。鵞ペンだって、はがねのペンだって、どっちも、よく知ってるわ。そりゃ、たくさん、つかったんですもの。
でも、あの人間がね、そら、あたしのために働いてくれる人間のことよ。あの人間がやってきて、あたしの中からくみ出したものを、書きおろすようになれば、もっともっとたくさん、つかうようになるわ。それにしても、あたしの中から、くみ出されるさいしょのものは、いったい、どんなものになるのかしら」
「ふん、インキだるめ!」と、ペンは言いました。
その晩おそく、詩人は家に帰ってきました。詩人は音楽会に行っていたのです。有名なバイオリンの名人の、すばらしい演奏を聞いて、すっかり心をうたれ、頭の中は、それでいっぱいでした。音楽家が楽器から引き出したのは、ほんとうにおどろくべき音の流れでした。それは、サラサラと音をたてる、水のしずくのようにも、真珠と真珠のふれあう音のようにも聞えました。また、あるときには、小鳥たちが、声を合せてさえずるようにも、聞えました。そうかと思うと、モミの木の森に、あらしがふきすさぶようにも、聞えました。
詩人は、自分の心のすすり泣く声が、聞えるような気がしました。けれども、それは、女の人の美しい声でなければ、とうてい聞くことができないようなメロディーでした。
ただ、バイオリンの弦だけが、鳴っているのではありません。こまも、せんも、共鳴板も、みんな鳴っているようでした。ほんとうに、おどろくべきことでした。曲は、むずかしいものでした。でも、見たところでは、まるで遊んでいるように、弓が弦の上を、あちこちと、動きまわっているだけでした。これなら、だれにでも、まねすることができそうでした。
バイオリンは、ひとりでに鳴り、弓はひとりでに動いて、まるで、この二つだけで、音楽が鳴っているようでした。みんなは、それを演奏し、それに命と、魂とをふきこんでいる、バイオリンの名人のことは、忘れていました。そうです、その名人のことを、みんなは、忘れていたのです。しかし、詩人は、今、その音楽家のことを思い出していました。詩人は、その人の名を口にし、自分の感想を、つぎのように書きしるしました。
「弓とバイオリンとが、自分のことをじまんするとしたら、じつに、ばかげたことだ。しかし、われわれ人間も、たびたび、同じような、あやまちをする。詩人にしても、芸術家にしても、学者にしても、将軍にしてもだ。われわれは、自分をじまんする。――だが、われわれは、みんな、神の演奏なさる楽器にすぎないのだ。神にのみ、さかえあれ! われわれには、だれひとりとして、じまんすべきものは、なにもないのだ」
詩人は、こう書きつけると、比喩として、「名人と楽器」という題をつけました。
「みごとに、やられましたね、奥さん」と、ペンはインキつぼにむかって、ふたりきりになったとき、言いました。「いま詩人が読みあげたのは、わたしの書きおろしたものですが、お聞きになったでしょうな」
「ええ、あたしが、あなたにあげた、書く材料でね」と、インキつぼは言いました。「あれは、あなたのごうまんを、こらしめるための一うちよ。あなたは、自分がからかわれているのも、わからないじゃないの。あたしはね、心の奥底からの一うちを、あなたにさしあげたのよ。あたし、自分の皮肉ぐらい、わかってよ」
「なに、このインキ入れめ!」と、ペンは言いました。
「ふん、この字書き棒!」と、インキつぼも、やりかえしました。
これで、ふたりとも、それぞれに、うまい返事をした気でいました。うまい返事をしたと思うと、気持がすうっとして、ぐっすり眠れるものです。で、ふたりは、眠ってしまいました。
けれども、詩人は眠りませんでした。さまざまの思いが、バイオリンの中から、わき出てくる音のように、あとからあとから、わきおこってきました。ときには真珠のふれあうように、またときには、森に吹きすさぶあらしのように。詩人は、その中に、自分自身の心を感じました。永遠の名人からの光を一すじ、感じました。
永遠の名人にのみ、さかえあれ。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "060153",
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"底本名1": "人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ",
"底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社",
"底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年9月5日48刷",
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「おそろしい話なのよ!」と、一羽のメンドリが言いました。
そこは、町のはずれで、このお話のできごとのあったところとは、なんの関係もない場所でした。
「むこうの、トリ小屋で起った、おそろしい話なのよ。あたし、今夜は、とっても、ひとりでなんか、眠れそうもないわ。でも、あたしたちは、こうやってみんないっしょに、とまり木の上にかたまっているからいいけれど」
それから、メンドリは話しはじめました。すると、ほかのメンドリたちは、毛をさかだて、オンドリたちは、とさかを、だらりとたれました。ほんとにそのとおり!
それでは、はじめから、ちゃんと、お話しすることにしましょう。さて、その出来事のはじまりというのは、町のむこうはずれの、トリ小屋の中で起ったことなのです。
お日さまがしずむと、ニワトリたちは、とまり木に飛びあがりました。その中に一羽、まっ白な羽をした、足の短いメンドリがいました。卵もきちんきちんと、よく生みますし、メンドリとしては、どこからみても申し分のない、りっぱなメンドリでした。このメンドリが、とまり木に飛びあがろうとしながら、自分の羽をくちばしでつついたのです。すると、そのひょうしに、小さな羽が一枚、ぬけおちました。
「あら、羽が一枚ぬけたわ」と、そのメンドリは言いました。「でも、いいわ。あたしは、羽をつつけばつつくほど、きれいになっていくんですもの」
もちろん、これは、じょうだんに言ったことなのです。なぜって、このメンドリは、仲間の中でも、ほがらかなたちだったんですから。それに、さっきもお話ししたとおり、たいへんりっぱなメンドリだったのです。それから、このメンドリは眠ってしまいました。
あたりは、まっ暗でした。メンドリたちは、からだをすりよせて眠っていました。ところが、そのメンドリのおとなりにいたメンドリだけは、まだ眠っていませんでした。このメンドリは、聞いても聞かないようなふりをしていました。だれでも、この世の中を無事に、のんきに、暮していこうと思えば、そんなふりをしなければならないものですがね。けれども、別のおとなりさんに、つい、こう言ってしまいました。
「ねえ、おまえさん。今言ったこと、聞いた? だれって、べつに名前は言わないけどね、この中に、自分をきれいにみせようとして、わざわざ、自分の羽をむしりとるメンドリが、一羽いるのよ。もし、あたしがオンドリだったら、そんなメンドリは、けいべつしてやるわ」
ニワトリたちのいるすぐ上に、フクロウのおかあさんが、だんなさんと子供たちといっしょに、すわっていました。この一家の人たちは、みんな早耳でしたから、いま、おとなりのメンドリが言ったことを、のこらず聞いてしまいました。みんなは、目をまんまるくしました。フクロウのおかあさんは、羽をばたばたさせながら、言いました。
「あんなこと、聞かないほうがいいわ。でも、いま、下で言ったこと、聞いたでしょう。あたしは、この耳でちゃんと聞きましたよ。あなたが元気でいるうちに、いろんなことを聞いておかなくちゃなりませんものね。
あそこにいるニワトリの中には、一羽だけ、いやなメンドリがいるんですよ。メンドリのくせに、自分が、メンドリであることを忘れてしまってね、自分の羽をみんなむしりとって、オンドリの気をひこうっていうんですからね」
「プルネー ギャルド オー ザンファン(子供たちに、気をおつけ)」と、フクロウのおとうさんが、フランス語で言いました。「そんな話は、子供にはよくないからね」
「でも、おむかいの、フクロウさんには話してやりましょう。あの人は、だれとおつきあいしても、評判のいいひとですからね」こう言って、フクロウのおかあさんは飛んでいきました。
「ホー、ホー、ホホー」と、二羽のフクロウは鳴きながら、おむかいの、ハト小屋にいる、ハトにむかって言いました。「お聞きになった? お聞きになった? ホホー。オンドリに見せようとして、羽をみんなむしりとってしまった、メンドリがいるんですって。まだ死にはしないけど、きっとそのうちに、こごえて死んでしまうわ。ホホー」
「どこで? どこで?」と、ハトがクークー鳴きました。
「おむかいの中庭でよ。あたしは、この目で見たもおんなじなの。へんな話をするようだけど、ほんとにそのとおり!」
「おい、聞いてくれよ、聞いてくれよ。ぜったいに、ほんとうの話なんだから」ハトはこう言って、クークー鳴きながら、鳥飼い場へ飛んでいきました。
「一羽のメンドリがね、いや、話によると、二羽だというひともいるけどね。その二羽のメンドリがさ、ほかの仲間とはちがったかっこうをして、オンドリの気をひくために、羽をみんなむしりとっちゃったんだってよ。ずいぶん思いきったことを、やったもんじゃないか。そんなことをすりゃあ、かぜをひいて、熱を出して、死ぬのもあたりまえだよ。二羽とも、死んじまったんだってさ」
「起きろ! 起きろ!」と、オンドリが、大きな声で鳴きながら、板がこいの上に飛びあがりました。まだねむたそうな目つきをしていましたが、それでも、大きな声をはりあげて、鳴きました。
「かわいそうに、三羽のメンドリが、一羽のオンドリを好きになって、そのために、死んだんだとさ。みんな、自分の羽をむしりとってしまったんだ。じつに、なさけない話じゃないか。おれは、自分ひとりの胸にしまっておきたくない。みんなに知らせてやろう」
「みんなに知らせてやろう」と、コウモリは、チーチー鳴き、メンドリはコッコと鳴き、オンドリはコケッコ、コケッコと鳴きました。「みんなに知らせてやろう。みんなに知らせてやろう」
こうして、このお話は、トリ小屋からトリ小屋へとつたわって、とうとうしまいには、そのお話のでた、もとのところへ、もどってきました。そしてそのときには、
「五羽のメンドリがいてね」ということになっていました。「それが、一羽のオンドリを好きになって、だれが、そのために、いちばん気をつかって、やせてしまったかを見せようとしてさ、みんな、自分の羽をむしりとってしまったんだって。それから、血まみれになって、けりっこをしているうちに、とうとう、たおれて死んでしまったんだね。一家の不名誉と、恥辱は、このうえもないし、飼い主にとっても、大きな損害さ」
ところが、あのメンドリは、小さな羽が一枚ぬけおちて、なくなっただけなのですから、まさか、これが、自分の話とは知るはずもありません。それに、このメンドリは、りっぱなメンドリでしたから、こう言いました。
「あたし、そんなメンドリは、けいべつしてやるわ。でも、そういうひとたちって、ずいぶんいるものね。そういうことは、かくしておいてはいけないわ。ひとつ、この話が、新聞にのるようにしてやりましょう。そうすれば、国じゅうにひろまるわ。そのくらいの目にあったって、そのメンドリたちや、家族のものには、しかたがないことだわ」
こうして、このお話は新聞にのりました。それから、本にも印刷されました。ほんとにそのとおり! 小さな一枚の羽が、しまいには、五羽のメンドリになれるんですよ。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "060150",
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"名読み": "ハンス・クリスチャン",
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"名読みソート用": "はんすくりすちやん",
"姓ローマ字": "Andersen",
"名ローマ字": "Hans Christian",
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"生年月日": "1805-04-02",
"没年月日": "1875-08-04",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ",
"底本出版社名1": "新潮文庫、新潮社",
"底本初版発行年1": "1967(昭和42)年12月10日",
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それはそれは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、一年のうちでいちばんおしまいの、おおみそかの晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子もかぶらず、靴もはかないで、とぼとぼと歩いていました。
でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。けれども、そんなものがなんの役に立つでしょう! なぜって、とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものですもの。ですから、とても大きかったわけです。それを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、二台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子に、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。もういっぽうは、男の子がひろって、いまに赤ん坊でも生れたら、ゆりかごに使うんだ、と言いながら、持っていってしまいました。
こういうわけで、いま、この少女は、かわいらしい、はだしの足で、歩いているのでした。その小さな足は、寒さのために、赤く、青くなっていました。古ぼけたエプロンの中には、たくさんのマッチを入れていました。そして、手にも一たば持っていました。きょうは、一日じゅう売り歩いても、だれひとり買ってもくれませんし、一シリングのお金さえ、めぐんでくれる人もありませんでした。おなかはへってしまい、からだは氷のようにひえきって、みるもあわれな、いたいたしい姿をしていました! ああ、かわいそうに!
雪がひらひらと、少女の長いブロンドの髪の毛に、降りかかりました。その髪は、えり首のところに、それはそれは美しく巻いてありました。けれども、いまは、そんな自分の姿のことなんか、とてもかまってはいられません。見れば、窓という窓から、明りが外へさしています。そして、ガチョウの焼肉のおいしそうなにおいが、通りまで、ぷんぷんとにおっています。それもそのはず、きょうはおおみそかの晩ですもの。
「そうだわ。きょうは、おおみそかの晩なんだもの」と少女は思いました。
ちょうど、家が二けん、ならんでいました。一けんの家はひっこんでいて、もう一けんは、それよりいくらか、通りのほうへつき出ていましたが、その間のすみっこに、少女はからだをちぢこめて、うずくまりました。小さな足を、からだの下にひっこめてみましたが、寒さは、ちっともしのげません。それどころか、もっともっと寒くなるばかりです。
それでも、少女は家へ帰ろうとはしませんでした。マッチは一つも売れてはいませんし、お金だって、一シリングももらっていないのですから。このまま家へ帰れば、おとうさんにぶたれるにきまっています。それに、家へ帰ったところで、やっぱり寒いのはおんなじです。屋根はあっても、ただあるというだけです。大きなすきまには、わらや、ぼろきれが、つめてはありますけれど、それでも、風はピューピュー吹きこんでくるのです。
少女の小さな手は、寒さのために、もう死んだようになっていました。ああ、こんなときには、たった一本の小さなマッチでも、どんなにありがたいかしれません! マッチのたばから一本取り出して、それをかべにすりつけて、火をつけさえすれば、つめたい指は暖かくなるのです。
とうとう、少女は一本引きぬきました。「シュッ!」ああ、火花が散って、マッチは燃えつきました。暖かい明るいほのおは、まるで、小さなろうそくの火のようでした。少女は、その上に手をかざしました。それは、ほんとうにふしぎな光でした。なんだか、ピカピカ光るしんちゅうのふたと、しんちゅうの胴のついている、大きな鉄のストーブの前にすわっているような気がしました。まあ、火は、なんてよく燃えるのでしょう! そして、なんて気持よく暖かいのでしょう! ほんとうにふしぎです!
少女は、足も暖めようと思って、のばしました。と、そのとたんに、ほのおは、消えてしまいました。ストーブも、かき消すように見えなくなりました。――少女の手には、燃えつくしたマッチの燃えさしが、のこっているばかりでした。
また、新しいマッチをすりました。マッチは燃えついて、あたりが明るくなりました。光がかべにさすと、かべはベールのようにすきとおって、少女は中の部屋を、すかして見ることができました。部屋の中には、かがやくように白いテーブル・クロスをかけた、食卓があって、りっぱな陶器の食器がならんでいます。しかも、そこには、おなかにスモモやリンゴをつめて焼いたガチョウが、ほかほかと、おいしそうな湯気を立てているではありませんか。けれども、もっとすばらしいことには、そのガチョウが、ぴょいとお皿からとびおりて、背中にフォークやナイフをつきさしたまま、床の上を、よたよたと歩きだしたのです。そして貧しい少女のほうへ、まっすぐにやってくるのです。
と、そのとき、マッチの火が消えてしまいました。あとには、ただ、厚い、つめたいかべが、見えるばかりでした。
少女はもう一本、新しいマッチをつけました。すると、今度は、たとえようもないほど美しいクリスマスツリーの下に、すわっているのでした。それは、この前のクリスマスのときに、お金持の商人の家で、ガラス戸ごしに見たのよりも、ずっと大きくて、ずっとりっぱに飾りたててありました。何千本とも、かぞえきれないほどの、たくさんのろうそくが、緑の枝の上で、燃えていました。そして、商店の飾り窓にならべてあるような、色とりどりの美しい絵が、自分のほうを見おろしているのです。思わず、少女は、両手をそちらのほうへ、高くさしのべました。――
と、そのとき、またもや、マッチの火が消えてしまいました。たくさんのクリスマスの光は、高く高くのぼっていきました。そしてとうとう、明るいお星さまになりました。その中の一つが、空に長い長い光の尾を引いて、落ちていきました。
「ああ、だれかが死んだんだわ」と、少女は言いました。なぜって、いまは、この世にはいませんが、世界じゅうでたったひとりだけ、この子をかわいがってくれていた、年とったおばあさんが、よく、こう言っていたからです。「星が落ちるときにはね、ひとりの人の魂が、神さまのみもとに、のぼっていくんだよ」
少女は、もう一本、マッチをかべにすりつけました。あたりが、ぱっと明るくなりました。その光の中に、あの年とったおばあさんが、いかにもやさしく、いかにも幸福そうに、光りかがやいて立っているのでした。
「おばあさん!」と、少女はさけびました。「ああ、あたしも、いっしょに連れていって! だって、マッチの火が消えちゃえば、おばあさんは行っちゃうんでしょ。さっきの、あったかいストーブや、おいしそうな焼きガチョウや、それから、あの大きくて、すてきなクリスマスツリーみたいに!」
そう言って、少女は、たばの中にのこっているマッチを、大いそぎで、みんな、すりました。こうして、おばあさんを、しっかりと、自分のそばにひきとめておこうとしたのです。マッチは、あかあかと燃えあがって、あたりはま昼よりも、もっと明るくなりました。おばあさんが、このときぐらい、美しく、大きく見えたことはありませんでした。おばあさんは、小さな少女を、腕にだき上げました。ふたりは、光とよろこびにつつまれながら、高く高く、天へとのぼっていきました。もう、少女には、寒いことも、おなかのすくようなことも、こわいこともありません。――ふたりは、神さまのみもとに、召されていったのです!
けれども、寒い寒いあくる朝のこと、あの家のすみっこには、小さな少女が頬を赤くして、口もとにはほほえみを浮べて、うずくまっていました。――ああ、でも、死んでいたのです。古い年のさいごの晩に、つめたく、こごえ死んでしまったのでした。あたらしい年のお日さまがのぼって、小さななきがらの上を、照らしました。少女は、マッチのたばをもったまま、うずくまっていましたが、その中の一たばは、もうほとんど、燃えきっていました。
この子は暖まろうとしたんだね、と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国へのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年12月15日32刷改版
1992(平成4)年4月5日34刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "060191",
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いなかは、ほんとうにすてきでした。夏のことです。コムギは黄色くみのっていますし、カラスムギは青々とのびて、緑の草地には、ほし草が高くつみ上げられていました。そこを、コウノトリが、長い赤い足で歩きまわっては、エジプト語でぺちゃくちゃと、おしゃべりをしていました。コウノトリは、おかあさんから、エジプト語をおそわっていたのでした。
畑と草地のまわりには、大きな森がひろがっていて、その森のまんなかに、深い池がありました。ああ、いなかは、なんてすばらしいのでしょう! そこに、暖かなお日さまの光をあびて、一けんの古いお屋敷がありました。まわりを、深い掘割りにかこまれていて、へいから水ぎわまで、大きな大きなスカンポが、いっぱいしげっていました。スカンポは、とても高くのびていましたから、いちばん大きいスカンポの下では、小さな子供なら、まっすぐ立つこともできるくらいでした。そこは、まるで、森のおく深くみたいに、ぼうぼうとしていました。
ここに、アヒルの巣がありました。巣の中には、一羽のおかあさんのアヒルがすわって、今ちょうど、卵をかえそうとしていました。けれども、かわいい子供は、なかなか生れてきませんし、それに、お友だちもめったに、あそびにきてくれないものですから、今では、もうすっかり、あきあきしていました。ほかのアヒルたちにしてみれば、わざわざ、このおかあさんのところへ上っていって、スカンポの下におとなしくすわって、おしゃべりなんかするよりも、掘割りの中を、かってに泳ぎまわっているほうが、おもしろかったのです。
とうとう、卵が一つ、また一つと、つぎつぎに割れはじめました。ピー、ピー、と、鳴きながら、卵のきみが、むくむくと動き出して、かわいい頭をつき出しました。
「ガー、ガー。おいそぎ、おいそぎ」と、おかあさんアヒルは、言いました。すると、子供たちは、大いそぎで出てきて、緑の葉っぱの下から、四方八方を、きょろきょろ見まわしました。そのようすを見て、おかあさんは、みんなに見たいだけ見せてやりました。なぜって、緑の色は、目のためにいいですからね。
「世の中って、すごく大きいんだなあ!」と、子供たちは、口をそろえて言いました。もちろん、卵の中にいたときとは、まるでちがうのですから、こう言うのも、むりはありません。
「おまえたちは、これが、世の中のぜんぶだとでも思っているのかい?」と、おかあさんアヒルは言いました。「世の中っていうのはね、このお庭のむこうのはしをこえて、まだまだずうっと遠くの、牧師さんの畑のほうまで、ひろがっているんだよ。おかあさんだって、まだ行ったことがないくらいなのさ! ――ええと、これで、みんななんだね」
こう言って、おかあさんアヒルは、立ちあがりました。
「おや、まだみんなじゃないわ。いちばん大きい卵が、まだのこっているね。この卵は、なんて長くかかるんだろう! ほんとに、いやになっちゃうわ」こう言いながら、おかあさんアヒルは、しかたなく、またすわりこみました。
「ちょいと、どんなぐあいかね?」と、そのとき、おばあさんのアヒルが、お見舞いにきて、こうたずねました。
「この卵が、一つだけ、ずいぶんかかりましてねえ!」と、卵をかえしていた、おかあさんアヒルが、言いました。「いつまでたっても、穴があきそうもありませんの。でも、まあ、ほかの子たちを見てやってくださいな。みんな、見たこともないほど、きれいなアヒルの子供たちですわ! おとうさんにそっくりなんですのよ。それだのに、あのしょうのない人ったら、お見舞いにもきてくれないんですの」
「どれ、どれ、その割れないという卵を、わたしに見せてごらん!」と、おばあさんアヒルは、言いました。「こりゃあね、おまえさん、シチメンチョウの卵だよ。わたしも、いつか、だまされたことがあってね。そりゃあ、ひどい目にあったもんさ。生れた子供には、さんざん苦労させられてね。だって、おまえさん、その子ったら、水をこわがるんだからね。いくら、水の中へ入れてやろうと思ったって、だめだったよ。どんなに、わたしががみがみ言って、つっつこうと、食いつこうと、そりゃあ、どうしたって、だめなのさ! ――その卵を見せてごらん。ああ、やっぱり、シチメンチョウの卵だよ! こりゃあ、このままにしておいて、ほかの子供たちに、泳ぎでも教えてやるほうがいいね」
「でも、もうすこし、すわっていてみますわ」と、おかあさんアヒルは、言いました。「せっかく、長いあいだ、こうやってすわっていたんですもの。もうすこし、がまんしてみます」
「まあ、お好きなように」おばあさんアヒルは、こう言って、行ってしまいました。
とうとう、その大きな卵が割れました。ピー、ピー、と、ひよこが鳴きながら、ころがり出てきました。ところが、その子ったら、ずいぶん大きくて、ひどくみっともないかっこうをしています。おかあさんアヒルは、その子をじいっとながめて、言いました。「まあ、とんでもなく大きい子だこと! ほかの子には、似てもいやしない! こりゃあ、ほんとうに、シチメンチョウの子かもしれないよ。まあ、いいわ。すぐわかるんだもの。ひとつ、水のところへ連れてって、つきとばしてやりましょう」
あくる日は、すっかり晴れわたって、とても気持のよいお天気でした。お日さまは、キラキラとかがやいて、緑のスカンポの上を照らしています。おかあさんアヒルは、子供たちをみんな連れて、掘割りにやってきました。パチャーン! と、おかあさんは、まっさきに水の中へとびこんで、「ガー、ガー。さあ、おいそぎ!」と、みんなに言いました。すると、アヒルの子供たちは、一羽ずつ、あとからあとからとびこみました。水が頭の上までかぶさりましたが、みんなは、すぐに浮び上がって、じょうずに泳ぎ出しました。足は、ひとりでに動きました。こうやって、みんなは水の上に浮んでいました。見れば、あのみにくい灰色の子も、いっしょに泳いでいます。
「あら、あの子はシチメンチョウなんかじゃないわ」と、おかあさんアヒルは、言いました。「まあ、まあ、足をとってもじょうずに使っていること! からだも、あんなにまっすぐ起してさ! もう、あたしの子にまちがいないわ。それに、よくよく見れば、やっぱりかわいいもの。ガー、ガー、――さあ、みんな、おかあさんについておいで。おまえたちを、世の中へ連れてってあげるからね。鳥小屋のみなさんにも、ひきあわせてあげるよ。だけど、おかあさんのそばから離れちゃいけないよ。ふまれたりすると、たいへんだからね。それから、ネコに気をおつけ!」
そのうちに、みんなは、鳥小屋につきました。ところが、そこでは、おそろしいさわぎの起っている、まっさいちゅうでした。二けんの家のものが、一つのウナギの頭を取りっこして、けんかをしていたのです。ところが、そのあいだに、ネコが、横から取っていってしまいました。
「いいかい、世の中って、こんなものなんだよ」と、アヒルの子供たちのおかあさんは、言いながら、自分も、くちばしをピチャピチャやりました。ほんとうは、おかあさんも、ウナギの頭がほしかったのです。
「さあ、今度は、足を使うようにしましょうね」と、おかあさんアヒルは、言いました。「みんな、いそいで行けるかしらねえ。いいこと、あそこにいる、アヒルのおばあさんの前へ行ったら、おじぎをするんですよ。あの方は、ここにいるひとたちの中で、いちばん身分の高いひとなんだからね。スペインで生れたひとなんだよ。だから、あんなにふとっていらっしゃるのさ! それから、ほら、足に赤い布をつけているでしょう。きれいで、すてきじゃないの。あれはね、わたしたちアヒルがもらうことのできる、いちばんりっぱな勲章なんだよ! あれをつけているのはね、あのひとがいなくならないようにというためと、動物からも、人間からも、すぐわかるようにというためなんだよ。――
さあ、さあ、いそいで! ――足を内側へ向けるんじゃありませんよ。おぎょうぎのいいアヒルの子は、足をぐっと、外側へ開くんですよ。そら、おとうさんや、おかあさんを見てごらん。いいかい、こんなふうにするのよ。さあ、今度は首をまげて、ガー、と、言ってごらん」
そこで、子供たちはみんな、言われたとおりにしました。ほかのアヒルたちが、まわりに集まってきて、みんなをじろじろながめながら、大きな声で言いました。「おい、見ろよ。また、チビが、うんとこさやってきたぞ! おれたちだけじゃ、まだ足りないっていうみたいだ。チェッ、あのアヒルの子は、ありゃあ、なんてやつだ。あんなのはごめんだぜ」――そして、すぐに、一羽のアヒルがとんできて、その子の首すじにかみつきました。
「ほっといてちょうだい」と、おかあさんアヒルは、言いました。「この子は、なんにもしないじゃないの」
「うん。だけど、こいつ、あんまり大きくて、へんてこだもの」と、いま、かみついたアヒルが、言いました。「だから、追っぱらっちゃうんだ」
「かわいい子供さんたちだねえ、おかあさん!」と、足に布をつけている、おばあさんのアヒルが、言いました。「みんな、かわいい子供たちだよ。でも、一羽だけは、べつだがね。かわいそうに。作りかえることができたら、いいのにねえ!」
「そうはまいりませんわ、奥さま!」と、おかあさんアヒルは、言いました。「この子は、かわいらしくは見えませんが、でも気だては、たいへんよいのでございます。それに、泳ぐことも、ほかの子供たちと同じようにできます。いいえ、かえって、すこしじょうずなくらいでございますわ。大きくなれば、もうすこしきれいにもなりましょうし、時がたてば、小さくもなりますでしょう。きっと、卵の中に長くいすぎたものですから、こんなへんな形になってしまいましたのでしょう」こう言って、その子の首すじをつついて、羽をきれいになおしてやりました。
「それに、この子は男の子なんでございますもの」と、おかあさんアヒルは言いました。「ですから、かっこうのわるいなんてことは、どうでもいいことだと思いますわ。きっと、りっぱな強いものになって、生きていってくれるだろうと、思います」
「ほかの子たちは、ほんとうにかわいいね」と、おばあさんアヒルは、言いました。「さあ、さあ、みんな。自分のうちにいるようなつもりで、らくにしておいで。それから、おまえさんたち、ウナギの頭を見つけたら、わたしのところへ持ってきておくれよ。いいかね」――
こう言われたものですから、みんなは、うちにいるように、らくな気持になりました。
けれども、いちばんおしまいに卵から出てきた、みにくいかっこうのアヒルの子だけは、かわいそうに、アヒルの仲間たちばかりか、ニワトリたちからも、かみつかれたり、つつかれたり、ばかにされたりしました。
「こいつ、でかすぎるぞ!」と、みんながみんな、こう言うのです。なかでも、シチメンチョウは、生れつきけづめを持っていたので、皇帝のようなつもりでいたのですが、それだけに、このアヒルの子を見ると、帆に風をいっぱい受けた船のように、からだをぷうっとふくらませて、つかつかと近よってきました。そして、のどをゴロゴロ鳴らしながら、顔をまっかにしました。これを見ると、かわいそうなアヒルの子は、もうどうしたらよいのか、わかりません。自分の姿が、たいそうみにくいために、みんなから、こんなにまでもばかにされるのが、なんともいえないほど悲しくなりました。
さいしょの日は、こんなふうにしてすぎましたが、それからは、だんだんわるくなるばかりです。かわいそうに、アヒルの子は、みんなに追いかけられました。にいさんや、ねえさんたちさえも、やさしくしてくれるどころか、かえっていじわるをして、いつも言うのでした。
「おい、みっともないやつ。おまえなんか、ネコにでもつかまっちまえばいいんだ!」
おかあさんも、
「おまえさえ、どこか遠いところへ行ってくれたらねえ!」と、言いました。ほかのアヒルたちには、かみつかれ、ニワトリたちには、つつきまわされました。鳥にえさをやりにくる娘からは、足でけとばされました。
とうとう、アヒルの子は逃げだして、生垣をとびこえました。すると、やぶの中にいた小鳥たちが、びっくりして、ぱっと舞いあがりました。
「ああ、これも、ぼくがみっともないからなんだなあ!」と、アヒルの子は思って、目をつぶりました。けれども、どんどんさきへ走っていきました。やがて、野ガモの住んでいる、大きな沼地に出ました。アヒルの子は、ここで、一晩ねることにしました。だって、ここまできたら、もうすっかりくたびれていましたし、それに、悲しくってたまらなかったのですもの。
朝になると、野ガモたちはとびたって、あたらしい仲間を見つけました。「きみは、いったい何者だい?」と、みんなは、たずねました。アヒルの子は、あっちへもこっちへも、できるだけていねいにおじぎをしました。
「きみはまた、おっそろしく、みっともないかっこうをしているな」と、野ガモたちは、言いました。「でも、そんなことは、どうだっていいや。ぼくたちの家族のものと結婚しなけりゃ、いいんだ」
かわいそうなアヒルの子は、結婚なんて、夢にも思ってみたことがありません! それどころか、ただ、アシのあいだに休ませてもらって、沼の水をほんのすこし飲ませてもらえば、それだけでよかったのです。
アヒルの子は、そこに二日のあいだ、いました。すると、そこへ、おすのガンが二羽、とんできました。このガンは、卵から出て、まだ、いくらもたっていませんでしたから、すこしむてっぽうすぎました。
「おい、きみ!」と、ガンは言いました。「きみは、なんて、みっともないかっこうをしているんだ! だけど、ぼくは、そのみっともないところが気にいった。どうだい、いっしょに行って、渡り鳥にならないかい? じつは、この近くのもう一つの沼にな、きれいな、かわいい女のガンが二、三羽、住んでいるんだ。むろん、みんなお嬢さんさ。ガー、ガー、って、じょうずにおしゃべりすることもできるんだ。きみが、いくらみっともないかっこうでも、そこへ行けば、幸福をつかむことができるんだぞ」――
「ダーン、ダーン!」と、そのとき、空で鉄砲の音がしました。とたんに、二羽のガンは、アシの中へ、まっさかさまに落ちて、死にました。水が、血の色でまっかにそまりました。
「ダーン、ダーン!」と、また鉄砲の音がしました。すると、ガンのむれが、アシの中から、ぱっととびたちました。つづいて、また鉄砲の音がしました。大じかけの猟が、はじまったのです。かりゅうどたちは、沼のまわりを、ぐるりと取りまいていました。いや、中には、もっと近くまできて、アシの上にのび出ている木の枝に、腰をおろしている者さえ、二、三人ありました。青い煙が、まるで雲のように、うす暗い木々の間をぬけて、遠く水の面にたなびいていました。
沼の中へ、猟犬が、ピシャッ、ピシャッと、とびこんできました。アシは、あっちへもこっちへも、なびきました。かわいそうに、アヒルの子にとっては、なんというおそろしい出来事だったでしょう! アヒルの子は、びっくりぎょうてんしました。思わず、頭をちぢこめて、羽の下にかくしました。
と、ちょうどその瞬間、おそろしく大きなイヌが、すぐ目の前にとび出してきました。舌はだらりと長くたらして、目はぞっとするほど、ギラギラ光っていました。鼻づらを、アヒルの子のほうへぐっと近づけて、するどい歯をむきだしました。――
ところが、どうしたというのでしょう。アヒルの子にはかみつきもしないで、また、ピシャッ、ピシャッと、むこうへもどっていってしまいました。
「ああ、ありがたい!」と、アヒルの子は、ほっとして、言いました。「ぼくが、あんまりみっともないものだから、イヌまでかみつかないんだな」
アヒルの子は、そのまま、じっとしていました。けれど、そのあいだも、ひっきりなしに、鉄砲のたまが、アシの中へとんできて、ザワザワと音をたてました。
お昼すぎになってから、やっと、あたりが静かになりました。けれども、かわいそうなアヒルの子は、すぐには、起きあがる元気もありませんでした。それから、また、だいぶ時間がたってから、やっと、あたりを見まわしました。そして、大いそぎで、沼から逃げ出しました。畑をこえ、草原をこえて、どんどん走っていきました。そのうちに、はげしい風が吹いてきました。そのため、今度は、とっても走りにくくなりました。
夕方ごろ、とあるみすぼらしい、小さな百姓家にたどりつきました。その家は、見るもあわれなありさまで、自分でも、どっちへたおれようとしているのか、わからないようなようすでした。それでも、まだ、とにかく、こうして、立っているのでした。そうしているうちにも、風が、ピューピュー吹きつけてきました。アヒルの子は、たおれないようにするために、風のほうへしっぽを向けて、からだをささえなければなりません。けれども、風は、ますますひどくなるばかりです。そのとき、ふと見ると、入り口の戸のちょうつがいが一つはずれていて、戸が、いくぶん開いています。どうやら、そのすきまから、部屋の中へ、はいっていくことができそうです。そこで、アヒルの子は、さっそく、そこからはいっていきました。
この家には、ひとりのおばあさんが、一ぴきのネコと、一羽のニワトリといっしょに、住んでいました。おばあさんは、このネコのことを、「坊やちゃん」と呼んでいました。「坊やちゃん」は背中をまるくしたり、のどをゴロゴロ鳴らしたりすることができました。そのうえ、火花を散らすこともできました。もっとも、火花を散らすためには、だれかに、毛をさかさにこすってもらわなければなりません。ニワトリは、たいへんかわいらしい、短い足をしているので、おばあさんは、「短い足のコッコちゃん」と、呼んでいました。「短い足のコッコちゃん」は、とってもよい卵を生むので、おばあさんは、まるで、自分の子供みたいに、かわいがっていました。
あくる朝になると、ネコも、ニワトリも、すぐに、いままで見たことのない、アヒルの子がいるのに気がつきました。ネコは、のどをゴロゴロ鳴らし、ニワトリは、コッコと鳴きだしました。
「どうしたんだね?」と、おばあさんは言って、あたりを見まわしました。けれども、おばあさんは、目があんまりよくなかったものですから、このアヒルの子を、どこからか迷いこんできた、ふとったアヒルだと、かんちがいしてしまいました。
「こりゃあ、いいものがはいってきてくれた」と、おばあさんは言いました。「これからは、アヒルの卵も食べられるってわけだもの。だけど、おすのアヒルでなけりゃいいがねえ。まあ、ためしに飼ってみるとしよう」
こういうわけで、アヒルの子は、三週間のあいだ、ためしに飼われることになりました。でも、もちろん、卵は生みませんでした。ところで、この家では、ネコがご主人で、ニワトリが奥さんでした。そして、いつもふたりは、「われわれと世界は!」と、言っていました。なぜって、ふたりは、おたがいが世界のよいはんぶんで、それも、いちばんよいはんぶんだと、思っていたからです。アヒルの子は、これとはちがったふうに考えることもできるような気がしました。でも、ニワトリは、それをみとめてくれませんでした。
「あんたは、卵を生むことができるの?」と、ニワトリはたずねました。
「いいえ」
「じゃあ、だまっていたらどう!」
すると、今度は、ネコが口を出しました。
「おまえは、背中をまるくすることができるかい? のどをゴロゴロ鳴らすことができるかい? それから、火花を散らすことができるかい?」
「いいえ」
「じゃあ、りこうな人たちが話しているときは、だまっているものだよ」
こうして、アヒルの子は、すみっこにひっこんでいましたが、ちっともおもしろくはありません。そうしているうちに、すがすがしい、気持のよい空気と、お日さまの光が、なつかしく思い出されてきて、たまらないほど、水の上を泳ぎたくなってきました。アヒルの子は、とうとう、がまんができなくなって、そのことを、ニワトリの奥さんにうちあけました。
「あんた、何を言うのよ」と、ニワトリの奥さんは、言いました。「なんにもすることがないもんだから、そんなとんでもない気まぐれを起すんだよ。卵でも生むとか、のどでも鳴らすとかしてごらん。そんなばかげた気まぐれは、どっかへとんでっちゃうから」
「でも、水の上を泳ぐのは、すばらしいんですよ」と、アヒルの子は言いました。「頭から水をかぶったり、水の底のほうまでもぐっていったりするのは、とっても楽しいんですもの」
「ふん、さぞかし、楽しいでしょうよ」と、ニワトリの奥さんは、言いました。「あんたは、気でもちがったんだよ。じゃあ、ネコのだんなさんに聞いてごらん。あのひとは、あたしの知っている人の中で、いちばんりこうな方だがね、あのひとに、水の上を泳いだり、もぐったりするのは、お好きですかって、さ! あたしは、自分のことはなんにも言いたかないわ。――あたしたちのご主人のおばあさんにも、聞いてごらん。あのおばあさんよりりこうな人は、世の中にはいないんだよ。あんた、いったい、あのおばあさんが、泳いだり、水を頭からかぶったりするのが好きだとでも、思うの?」
「ぼくの言うことが、あなたがたには、おわかりにならないんです!」と、アヒルの子は、言いました。
「ふん、あたしたちにおまえさんの言うことがわからなければ、いったい、だれにならわかるっていうの? あんた、まさか、ネコのだんなさんや、あのおばあさんよりも、自分のほうがりこうだなんて、言うんじゃないだろうね。まあ、あたしは、別にしたところでさ! あんまり、なまいきなことを言うんじゃないよ! 子供のくせに! そんなことばかり言ってないで、まあ、まあ、ひとが親切にしてくれたことでも、ありがたく思うんだね。
あんたは、こうして暖かい部屋に入れてもらって、あたしたちの仲間に入れてもらったんじゃないか。おまけに、いろんなことまで、教えてもらったんじゃないの! それだのに、あんたはまぬけよ! あたし、あんたなんかとつき合ってると、おもしろかないわ。だけど、さ、ね! あたしはあんたのことを思うからこそ、こんないやなことまで言ってしまうのよ。だから、ほんとのお友だちというものさ。さあ、さあ、これからは、いっしょうけんめいに、卵を生むとか、のどをゴロゴロ鳴らして、火花でも散らすようにするといいわ!」
「でも、ぼくは、外の広い世の中へ、出ていきたいんです!」と、アヒルの子は、言いました。
「それなら、かってにおし!」と、ニワトリの奥さんは、言いました。
そこで、アヒルの子は出ていきました。そして、楽しそうに水の上を泳いだり、水の中にもぐったりしました。けれども、姿がみにくいために、どの動物からも相手にされませんでした。
やがて、秋になりました。森の木の葉は、黄色や茶色になりました。強い風が吹いてくると、木の葉は、くるくると舞いあがりました。高い空のほうは、寒々としていました。雲は、あられや雪をふくんで、どんよりと、たれさがっていました。生垣の上には、カラスがとまって、いかにも寒そうに、カー、カーと、鳴いていました。考えてみただけでも、ぶるぶるっとしそうな寒さです。こんなとき、あのアヒルの子はどうしていたでしょうか。かわいそうに、すっかり弱っていました。
ある夕方、お日さまが、キラキラと美しくかがやいて、しずみました。そのとき、アヒルの子がまだ見たこともないような、美しい大きな鳥のむれが、茂みの中からとびたちました。みんな、からだじゅうが、かがやくようにまっ白で、長い、しなやかな首をしています。それは、ハクチョウたちだったのです。ハクチョウのむれは、ふしぎな声をあげながら、美しい大きなつばさをひろげて、寒いところから暖かい国へいこうと、広い広い海をめがけて、とんでいくところでした。ハクチョウたちは、高く高くのぼって行きました。
それを見ているうちに、みにくいアヒルの子は、なんともいえない、ふしぎな気持になりました。それで、水の中で、車の輪のように、ぐるぐるまわると、首をハクチョウたちのほうへ高くのばして、自分でもびっくりするほどの、大きな、ふしぎな声をあげて、さけびました。ああ、なんという美しい鳥でしょう! あの美しい鳥、幸福な鳥を、アヒルの子は、けっして忘れることができませんでした。
ハクチョウたちの姿が見えなくなると、みにくいアヒルの子は、水の底までもぐっていきました。けれども、もう一度浮びあがったときには、まるで、むがむちゅうになっていました。アヒルの子は、あの美しい鳥がなんという名前なのか知りません。そして、どこへとんでいったのかも知りません。けれども、いままでのどんなものよりも、いちばんなつかしく思われるのです。なんだか、好きで好きでたまらないのです。でも、うらやましいなどとは、すこしも思いませんでした。アヒルの子にしてみれば、あんな美しい姿になろうなんて、どうして願うことができましょう。ただ、ほかのアヒルたちが、自分を仲間に入れてくれさえすれば、それだけで、どんなにうれしいかしれないのです。――ああ、なんてかわいそうな、みにくいアヒルの子でしょう!
いよいよ、冬になりました。ひどい、ひどい寒さです。アヒルの子は、水の面がすっかりこおってしまわないように、ひっきりなしに、泳ぎまわっていなければなりませんでした。けれども、一晩、一晩とたつうちに、泳ぎまわる場所が、だんだんせまくなり、小さくなりました。あたりは、まもなく、ミシミシと音をたてるほど、こおりついてきました。アヒルの子は、氷のために、泳ぐ場所をみんなふさがれてしまわないように、しょっちゅう、足を動かしていなければなりませんでした。でも、とうとうしまいには、くたびれきって、動くこともできなくなり、氷の中にとじこめられてしまいました。
つぎの朝早く、ひとりのお百姓さんが通りかかって、あわれなアヒルの子を見つけました。お百姓さんは、すぐさま、そばへやってきて、木靴で氷をくだいて、家のおかみさんのところへ持って帰りました。こうして、アヒルの子は生きかえりました。
お百姓さんの子どもたちは、大よろこびで、アヒルの子とあそぼうとしました。ところが、アヒルの子のほうは、またいじめられるにちがいないと思って、こわくてこわくてたまりません。で、あんまりびくびくしていたものですから、ミルクつぼの中へとびこんでしまいました。おかげで、ミルクが、部屋じゅうにとび散りました。おかみさんは大声でわめきたてて、両手を高く上げて、打ちあわせました。それで、アヒルの子は、またびっくりしてしまい、今度は、バターの入れてある、たるの中にとびこみました。それから、ムギ粉のおけの中へとびこんで、そのあげく、やっとのことで、とび出してきました。いやはや、たいへんなさわぎです! おかみさんは、きんきんした声でさけびながら、火ばしで、アヒルの子をぶとうとしました。いっぽう、子供たちは子供たちで、アヒルの子をつかまえようとして、ぶつかりっこをしては、笑ったり、わめいたり。いやもう、たいへんなことになりました! ――
ところが、ありがたいことに、戸があけはなしになっていました。それを見るが早いか、アヒルの子は、いま降ったばかりの雪の中の、茂みの中へ、とびこみました。――そして、まるで冬眠でもしているように、そこに、じっとしていました。
さて、このあわれなアヒルの子が、きびしい冬のあいだに、たえしのばなければならなかった、苦しみや、悲しみを、みんなお話ししていれば、あまりにも悲しくなってしまいます。―― ――やがて、いつのまにか、お日さまが、暖かくかがやきはじめました。そのころ、アヒルの子は、まだやっぱり、沼のアシのあいだに、じっとしていました。もう、ヒバリが歌をうたいはじめました。――いよいよ、すてきな春になったのです。
そのとき、アヒルの子は、きゅうに、つばさを羽ばたきました。すると、つばさは前よりも強く空気をうって、からだが、すうっと持ちあがり、らくらくととぶことができました。そして、なにがなんだか、よくわからないうちに、とある大きな庭の中に来ていました。庭には、リンゴの木が美しく花を開き、ニワトコはよいにおいをはなって、長い緑の枝を、静かにうねっている掘割りのほうへ、のばしていました。ああ、ここは、なんて美しいのでしょう! なんて、あたらしい春のかおりに、みちみちているのでしょう!
そのとき、目の前の茂みの中から、三羽の美しい、まっ白なハクチョウが出てきました。ハクチョウたちは羽ばたきながら、水の上をかろやかに、すべるように、泳いできました。アヒルの子は、この美しいハクチョウたちを知っていました。そして、いまその姿を見ると、なんともいえない、ふしぎな、悲しい気持になりました。
「ぼくは、あの美しい、りっぱなハクチョウたちのところへとんでいこう。けれど、ぼくはこんなにみにくいんだから、近よっていったりすれば、きっと殺されてしまうだろう。でも、いいや。どうせ、ぼくなんかは、ほかのアヒルからはいじめられ、ニワトリからはつっつかれ、えさをくれる娘からは、けとばされるんだもの。それに、冬になれば、いろんな悲しいことや、苦しいことを、がまんしなければならないんだもの。それを思えば、ハクチョウたちに殺されるほうが、どんなにいいかしれやしない」こう思って、アヒルの子は水の上にとびおりて、美しいハクチョウたちのほうへ、泳いでいきました。これを見ると、ハクチョウたちは、美しく羽をなびかせながら、近づいてきました。
「さあ、ぼくを殺してください」と、かわいそうなアヒルの子は、言いながら、頭を水の上にたれて、殺されるのを待ちました。――ところが、すみきった水の面には、いったい、何が見えたでしょうか? そこには、自分の姿がうつっていました。けれども、それはみにくくて、みんなにいやがられた、かっこうのわるい、あの灰色の鳥の姿ではありません。それは、美しい一羽のハクチョウではありませんか。
そうです。ハクチョウの卵からかえったものならば、たとえ鳥小屋で生れたにしても、やっぱり、りっぱなハクチョウにちがいないのです。
アヒルの子は、いままでに受けてきた、さまざまの苦しみや、悲しみのことを思うにつけて、いまの幸福を心からうれしく思いました。そして、いまの自分に与えられている幸福や、すばらしさが、いまはじめてわかりました。ほんとうに、なんてしあわせなことでしょう! ――大きなハクチョウたちは、このあたらしいハクチョウのまわりを泳ぎながら、くちばしで羽をなでてくれました。
そのとき、小さな子供たちが二、三人、お庭の中へはいってきました。みんなは、パンくずや、ムギのつぶを、水の中へ投げてくれました。そのうちに、いちばん小さい子が、大声でさけびました。
「あっ、あそこに、あたらしいハクチョウがいるよ!」
すると、ほかの子供たちも、いっしょに、うれしそうな声をあげました。
「ほんとだ。あたらしいハクチョウがきた!」
みんなは、手をたたいて、踊りまわると、おとうさんとおかあさんのところへ駆けていきました。それから、またパンやお菓子を投げこんでくれました。そして、だれもかれもが、言いました。
「あたらしいハクチョウが、いちばんきれいだね。とても若くて、美しいね」
すると、年上のハクチョウたちが、若いハクチョウのまえに頭をさげました。
若いハクチョウは、はずかしさでいっぱいになり、どうしてよいかわからなくなって、頭をつばさの下にかくしました。ハクチョウは、とてもとても幸福でした。でも、すこしも、いばったりはしませんでした。心のすなおなものは、けっして、いばったりはしないものなのです。ハクチョウは、いままで、どんなにみんなから追いかけられたり、ばかにされたりしたかを、思い出しました。けれども、いまは、みんなが、自分のことを、美しい鳥の中でもいちばん美しい、と、言ってくれているのです。ニワトコは、水の上のハクチョウのほうへ枝をさしのべて、頭をさげました。お日さまは、それはそれは暖かく、やさしく照っていました。ハクチョウは、羽を美しくなびかせて、ほっそりとした首をまっすぐに起しました。そして、心の底からよろこんで言いました。
「ぼくがみにくいアヒルの子だったときには、こんなに幸福になれようとは、夢にも思わなかった!」 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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それは田舎の夏のいいお天気の日の事でした。もう黄金色になった小麦や、まだ青い燕麦や、牧場に積み上げられた乾草堆など、みんなきれいな眺めに見える日でした。こうのとりは長い赤い脚で歩きまわりながら、母親から教わった妙な言葉でお喋りをしていました。
麦畑と牧場とは大きな森に囲まれ、その真ん中が深い水溜りになっています。全く、こういう田舎を散歩するのは愉快な事でした。
その中でも殊に日当りのいい場所に、川近く、気持のいい古い百姓家が立っていました。そしてその家からずっと水際の辺りまで、大きな牛蒡の葉が茂っているのです。それは実際ずいぶん丈が高くて、その一番高いのなどは、下に子供がそっくり隠れる事が出来るくらいでした。人気がまるで無くて、全く深い林の中みたいです。この工合のいい隠れ場に一羽の家鴨がその時巣について卵がかえるのを守っていました。けれども、もうだいぶ時間が経っているのに卵はいっこう殻の破れる気配もありませんし、訪ねてくれる仲間もあまりないので、この家鴨は、そろそろ退屈しかけて来ました。他の家鴨達は、こんな、足の滑りそうな土堤を上って、牛蒡の葉の下に坐って、この親家鴨とお喋りするより、川で泳ぎ廻る方がよっぽど面白いのです。
しかし、とうとうやっと一つ、殻が裂け、それから続いて、他のも割れてきて、めいめいの卵から、一羽ずつ生き物が出て来ました。そして小さな頭をあげて、
「ピーピー。」
と、鳴くのでした。
「グワッ、グワッってお言い。」
と、母親が教えました。するとみんな一生懸命、グワッ、グワッと真似をして、それから、あたりの青い大きな葉を見廻すのでした。
「まあ、世界ってずいぶん広いもんだねえ。」
と、子家鴨達は、今まで卵の殻に住んでいた時よりも、あたりがぐっとひろびろしているのを見て驚いて言いました。すると母親は、
「何だね、お前達これだけが全世界だと思ってるのかい。まあそんな事はあっちのお庭を見てからお言いよ。何しろ牧師さんの畑の方まで続いてるって事だからね。だが、私だってまだそんな先きの方までは行った事がないがね。では、もうみんな揃ったろうね。」
と、言いかけて、
「おや! 一番大きいのがまだ割れないでるよ。まあ一体いつまで待たせるんだろうねえ、飽き飽きしちまった。」
そう言って、それでもまた母親は巣に坐りなおしたのでした。
「今日は。御子様はどうかね。」
そう言いながら年とった家鴨がやって来ました。
「今ねえ、あと一つの卵がまだかえらないんですよ。」
と、親家鴨は答えました。
「でもまあ他の子達を見てやって下さい。ずいぶんきりょう好しばかりでしょう? みんあ父親そっくりじゃありませんか。不親切で、ちっとも私達を見に帰って来ない父親ですがね。」
するとおばあさん家鴨が、
「どれ私にその割れない卵を見せて御覧。きっとそりゃ七面鳥の卵だよ。私もいつか頼まれてそんなのをかえした事があるけど、出て来た子達はみんな、どんなに気を揉んで直そうとしても、どうしても水を恐がって仕方がなかった。私あ、うんとガアガア言ってやったけど、からっきし駄目! 何としても水に入れさせる事が出来ないのさ。まあもっとよく見せてさ、うん、うん、こりゃあ間違いなし、七面鳥の卵だよ。悪いことは言わないから、そこに放ったらかしときなさい。そいで早く他の子達に泳ぎでも教えた方がいいよ。」
「でもまあも少しの間ここで温めていようと思いますよ。」
と、母親は言いました。
「こんなにもう今まで長く温めたんですから、も少し我慢するのは何でもありません。」
「そんなら御勝手に。」
そう言い棄てて年寄の家鴨は行ってしまいました。
とうとう、そのうち大きい卵が割れてきました。そして、
「ピーピー。」
と鳴きながら、雛鳥が匐い出してきました。それはばかに大きくて、ぶきりょうでした。母鳥はじっとその子を見つめていましたが、突然、
「まあこの子の大きい事! そしてほかの子とちっとも似てないじゃないか! こりゃあ、ひょっとすると七面鳥かも知れないよ。でも、水に入れる段になりゃ、すぐ見分けがつくから構やしない。」
と、独言を言いました。
翌る日もいいお天気で、お日様が青い牛蒡の葉にきらきら射してきました。そこで母鳥は子供達をぞろぞろ水際に連れて来て、ポシャンと跳び込みました。そして、グワッ、グワッと鳴いてみせました。すると小さい者達も真似して次々に跳び込むのでした。みんないったん水の中に頭がかくれましたが、見る間にまた出て来ます。そしていかにも易々と脚の下に水を掻き分けて、見事に泳ぎ廻るのでした。そしてあのぶきりょうな子家鴨もみんなと一緒に水に入り、一緒に泳いでいました。
「ああ、やっぱり七面鳥じゃなかったんだ。」
と、母親は言いました。
「まあ何て上手に脚を使う事ったら! それにからだもちゃんと真っ直ぐに立ててるしさ。ありゃ間違いなしに私の子さ。よく見りゃ、あれだってまんざら、そう見っともなくないんだ。グワッ、グワッ、さあみんな私に従いてお出で。これから偉い方々のお仲間入りをさせなくちゃ。だからお百姓さんの裏庭の方々に紹介するからね。でもよく気をつけて私の傍を離れちゃいけないよ。踏まれるから。それに何より第一に猫を用心するんだよ。」
さて一同で裏庭に着いてみますと、そこでは今、大騒ぎの真っ最中です。二つの家族で、一つの鰻の頭を奪いあっているのです。そして結局、それは猫にさらわれてしまいました。
「みんな御覧、世間はみんなこんな風なんだよ。」
と、母親は言って聞かせました。自分でもその鰻の頭が欲しかったと見えて、嘴を磨りつけながら、そして、
「さあみんな、脚に気をつけて。それで、行儀正しくやるんだよ。ほら、あっちに見える年とった家鴨さんに上手にお辞儀おし。あの方は誰よりも生れがよくてスペイン種なのさ。だからいい暮しをしておいでなのだ。ほらね、あの方は脚に赤いきれを結えつけておいでだろう。ありゃあ家鴨にとっちゃあ大した名誉なんだよ。つまりあの方を見失わない様にしてみんなが気を配ってる証拠なの。さあさ、そんなに趾を内側に曲げないで。育ちのいい家鴨の子はそのお父さんやお母さんみたいに、ほら、こう足を広くはなしてひろげるもんなのだ。さ、頸を曲げて、グワッって言って御覧。」
家鴨の子達は言われた通りにしました。けれどもほかの家鴨達は、じろっとそっちを見て、こう言うのでした。
「ふん、また一孵り、他の組がやって来たよ、まるで私達じゃまだ足りないか何ぞの様にさ! それにまあ、あの中の一羽は何て妙ちきりんな顔をしてるんだろう。あんなのここに入れてやるもんか。」
そう言ったと思うと、突然一羽跳び出して来て、それの頸のところを噛んだのでした。
「何をなさるんです。」
と、母親はどなりました。
「これは何にも悪い事をした覚えなんか無いじゃありませんか。」
「そうさ。だけどあんまり図体が大き過ぎて、見っともない面してるからよ。」
と、意地悪の家鴨が言い返すのでした。
「だから追い出しちまわなきゃ。」
すると傍から、例の赤いきれを脚につけている年寄家鴨が、
「他の子供さんはずいみんみんなきりょう好しだねえ、あの一羽の他は、みんなね。お母さんがあれだけ、もう少しどうにか善くしたらよさそうなもんだのに。」
と、口を出しました。
「それはとても及びませぬ事で、奥方様。」
と、母親は答えました。
「あれは全くのところ、きりょう好しではございませぬ。しかし誠に善い性質をもっておりますし、泳ぎをさせますと、他の子達くらい、――いやそれよりずっと上手に致します。私の考えますところではあれも日が経ちますにつれて、美しくなりたぶんからだも小さくなる事でございましょう。あれは卵の中にあまり長く入っておりましたせいで、からだつきが普通に出来上らなかったのでございます。」
そう言って母親は子家鴨の頸を撫で、羽を滑かに平らにしてやりました。そして、
「何しろこりゃ男だもの、きりょうなんか大した事じゃないさ。今に強くなって、しっかり自分の身をまもる様になる。」
こんな風に呟いてもみるのでした。
「実際、他の子供衆は立派だよ。」
と、例の身分のいい家鴨はもう一度繰返して、
「まずまず、お前さん方もっとからだをらくになさい。そしてね、鰻の頭を見つけたら、私のところに持って来ておくれ。」
と、附け足したものです。
そこでみんなはくつろいで、気の向いた様にふるまいました。けれども、あの一番おしまいに殻から出た、そしてぶきりょうな顔付きの子家鴨は、他の家鴨やら、その他そこに飼われている鳥達みんなからまで、噛みつかれたり、突きのめされたり、いろいろからかわれたのでした。そしてこんな有様はそれから毎日続いたばかりでなく、日に増しそれがひどくなるのでした。兄弟までこの哀れな子家鴨に無慈悲に辛く当って、
「ほんとに見っともない奴、猫にでもとっ捕った方がいいや。」
などと、いつも悪体をつくのです。母親さえ、しまいには、ああこんな子なら生れない方がよっぽど幸だったと思う様になりました。仲間の家鴨からは突かれ、鶏っ子からは羽でぶたれ、裏庭の鳥達に食物を持って来る娘からは足で蹴られるのです。
堪りかねてその子家鴨は自分の棲家をとび出してしまいました。その途中、柵を越える時、垣の内にいた小鳥がびっくりして飛び立ったものですから、
「ああみんなは僕の顔があんまり変なもんだから、それで僕を怖がったんだな。」
と、思いました。それで彼は目を瞑って、なおも遠く飛んで行きますと、そのうち広い広い沢地の上に来ました。見るとたくさんの野鴨が住んでいます。子家鴨は疲れと悲しみになやまされながらここで一晩を明しました。
朝になって野鴨達は起きてみますと、見知らない者が来ているので目をみはりました。
「一体君はどういう種類の鴨なのかね。」
そう言って子家鴨の周りに集まって来ました。子家鴨はみんなに頭を下げ、出来るだけ恭しい様子をしてみせましたが、そう訊ねられた事に対しては返答が出来ませんでした。野鴨達は彼に向って、
「君はずいぶんみっともない顔をしてるんだねえ。」
と、云い、
「だがね、君が僕達の仲間をお嫁にくれって言いさえしなけりゃ、まあ君の顔つきくらいどんなだって、こっちは構わないよ。」
と、つけ足しました。
可哀そうに! この子家鴨がどうしてお嫁さんを貰う事など考えていたでしょう。彼はただ、蒲の中に寝て、沢地の水を飲むのを許されればたくさんだったのです。こうして二日ばかりこの沢地で暮していますと、そこに二羽の雁がやって来ました。それはまだ卵から出て幾らも日の経たない子雁で、大そうこましゃくれ者でしたが、その一方が子家鴨に向って言うのに、
「君、ちょっと聴き給え。君はずいぶん見っともないね。だから僕達は君が気に入っちまったよ。君も僕達と一緒に渡り鳥にならないかい。ここからそう遠くない処にまだほかの沢地があるがね、そこにやまだ嫁かない雁の娘がいるから、君もお嫁さんを貰うといいや。君は見っともないけど、運はいいかもしれないよ。」
そんなお喋りをしていますと、突然空中でポンポンと音がして、二羽の雁は傷ついて水草の間に落ちて死に、あたりの水は血で赤く染りました。
ポンポン、その音は遠くで涯しなくこだまして、たくさんの雁の群は一せいに蒲の中から飛び立ちました。音はなおも四方八方から絶え間なしに響いて来ます。狩人がこの沢地をとり囲んだのです。中には木の枝に腰かけて、上から水草を覗くのもありました。猟銃から出る青い煙は、暗い木の上を雲の様に立ちのぼりました。そしてそれが水上を渡って向うへ消えたと思うと、幾匹かの猟犬が水草の中に跳び込んで来て、草を踏み折り踏み折り進んで行きました。可哀そうな子家鴨がどれだけびっくりしたか! 彼が羽の下に頭を隠そうとした時、一匹の大きな、怖ろしい犬がすぐ傍を通りました。その顎を大きく開き、舌をだらりと出し、目はきらきら光らせているのです。そして鋭い歯をむき出しながら子家鴨のそばに鼻を突っ込んでみた揚句、それでも彼には触らずにどぶんと水の中に跳び込んでしまいました。
「やれやれ。」
と、子家鴨は吐息をついて、
「僕は見っともなくて全く有難い事だった。犬さえ噛みつかないんだからねえ。」
と、思いました。そしてまだじっとしていますと、猟はなおもその頭の上ではげしく続いて、銃の音が水草を通して響きわたるのでした。あたりがすっかり静まりきったのは、もうその日もだいぶん晩くなってからでしたが、そうなってもまだ哀れな子家鴨は動こうとしませんでした。何時間かじっと坐って様子を見ていましたが、それからあたりを丁寧にもう一遍見廻した後やっと立ち上って、今度は非常な速さで逃げ出しました。畑を越え、牧場を越えて走って行くうち、あたりは暴風雨になって来て、子家鴨の力では、凌いで行けそうもない様子になりました。やがて日暮れ方彼は見すぼらしい小屋の前に来ましたが、それは今にも倒れそうで、ただ、どっち側に倒れようかと迷っているためにばかりまだ倒れずに立っている様な家でした。あらしはますますつのる一方で、子家鴨にはもう一足も行けそうもなくなりました。そこで彼は小屋の前に坐りましたが、見ると、戸の蝶番が一つなくなっていて、そのために戸がきっちり閉っていません。下の方でちょうど子家鴨がやっと身を滑り込ませられるくらい透いでいるので、子家鴨は静かにそこからしのび入り、その晩はそこで暴風雨を避ける事にしました。
この小屋には、一人の女と、一匹の牡猫と、一羽の牝鶏とが住んでいるのでした。猫はこの女御主人から、
「忰や。」
と、呼ばれ、大の御ひいき者でした。それは背中をぐいと高くしたり、喉をごろごろ鳴らしたり逆に撫でられると毛から火の子を出す事まで出来ました。牝鶏はというと、足がばかに短いので
「ちんちくりん。」
と、いう綽名を貰っていましたが、いい卵を生むので、これも女御主人から娘の様に可愛がられているのでした。
さて朝になって、ゆうべ入って来た妙な訪問者はすぐ猫達に見つけられてしまいました。猫はごろごろ喉を鳴らし、牝鶏はクックッ鳴きたてはじめました。
「何だねえ、その騒ぎは。」
と、お婆さんは部屋中見廻して言いましたが、目がぼんやりしているものですから、子家鴨に気がついた時、それを、どこかの家から迷って来た、よくふとった家鴨だと思ってしまいました。
「いいものが来たぞ。」
と、お婆さんは云いました。
「牡家鴨でさえなけりゃいいんだがねえ、そうすりゃ家鴨の卵が手に入るというもんだ。まあ様子を見ててやろう。」
そこで子家鴨は試しに三週間ばかりそこに住む事を許されましたが、卵なんか一つだって、生れる訳はありませんでした。
この家では猫が主人の様にふるまい、牝鶏が主人の様に威張っています。そして何かというと
「我々この世界。」
と、言うのでした。それは自分達が世界の半分ずつだと思っているからなのです。ある日牝鶏は子家鴨に向って、
「お前さん、卵が生めるかね。」
と、尋ねました。
「いいえ。」
「それじゃ何にも口出しなんかする資格はないねえ。」
牝鶏はそう云うのでした。今度は猫の方が、
「お前さん、背中を高くしたり、喉をごろつかせたり、火の子を出したり出来るかい。」
と、訊きます。
「いいえ。」
「それじゃ我々偉い方々が何かものを言う時でも意見を出しちゃいけないぜ。」
こんな風に言われて子家鴨はひとりで滅入りながら部屋の隅っこに小さくなっていました。そのうち、温い日の光や、そよ風が戸の隙間から毎日入る様になり、そうなると、子家鴨はもう水の上を泳ぎたくて泳ぎたくて堪らない気持が湧き出して来て、とうとう牝鶏にうちあけてしまいました。すると、
「ばかな事をお言いでないよ。」
と、牝鶏は一口にけなしつけるのでした。
「お前さん、ほかにする事がないもんだから、ばかげた空想ばっかしする様になるのさ。もし、喉を鳴したり、卵を生んだり出来れば、そんな考えはすぐ通り過ぎちまうんだがね。」
「でも水の上を泳ぎ廻るの、実際愉快なんですよ。」
と、子家鴨は言いかえしました。
「まあ水の中にくぐってごらんなさい、頭の上に水が当る気持のよさったら!」
「気持がいいだって! まあお前さん気でも違ったのかい、誰よりも賢いここの猫さんにでも、女御主人にでも訊いてごらんよ、水の中を泳いだり、頭の上を水が通るのがいい気持だなんておっしゃるかどうか。」
牝鶏は躍気になってそう言うのでした。子家鴨は、
「あなたにゃ僕の気持が分らないんだ。」
と、答えました。
「分らないだって? まあ、そんなばかげた事は考えない方がいいよ。お前さんここに居れば、温かい部屋はあるし、私達からはいろんな事がならえるというもの。私はお前さんのためを思ってそう言って上げるんだがね。とにかく、まあ出来るだけ速く卵を生む事や、喉を鳴す事を覚える様におし。」
「いや、僕はもうどうしてもまた外の世界に出なくちゃいられない。」
「そんなら勝手にするがいいよ。」
そこで子家鴨は小屋を出て行きました。そしてまもなく、泳いだり、潜ったり出来る様な水の辺りに来ましたが、その醜い顔容のために相変らず、他の者達から邪魔にされ、はねつけられてしまいました。そのうち秋が来て、森の木の葉はオレンジ色や黄金色に変って来ました。そして、だんだん冬が近づいて、それが散ると、寒い風がその落葉をつかまえて冷い空中に捲き上げるのでした。霰や雪をもよおす雲は空に低くかかり、大烏は羊歯の上に立って、
「カオカオ。」
と、鳴いています。それは、一目見るだけで寒さに震え上ってしまいそうな様子でした。目に入るものみんな、何もかも、子家鴨にとっては悲しい思いを増すばかりです。
ある夕方の事でした。ちょうどお日様が今、きらきらする雲の間に隠れた後、水草の中から、それはそれはきれいな鳥のたくさんの群が飛び立って来ました。子家鴨は今までにそんな鳥を全く見た事がありませんでした。それは白鳥という鳥で、みんな眩いほど白く羽を輝かせながら、その恰好のいい首を曲げたりしています。そして彼等は、その立派な翼を張り拡げて、この寒い国からもっと暖い国へと海を渡って飛んで行く時は、みんな不思議な声で鳴くのでした。子家鴨はみんなが連れだって、空高くだんだんと昇って行くのを一心に見ているうち、奇妙な心持で胸がいっぱいになってきました。それは思わず自分の身を車か何ぞの様に水の中に投げかけ、飛んで行くみんなの方に向って首をさし伸べ、大きな声で叫びますと、それは我ながらびっくりしたほど奇妙な声が出たのでした。ああ子家鴨にとって、どうしてこんなに美しく、仕合せらしい鳥の事が忘れる事が出来たでしょう! こうしてとうとうみんなの姿が全く見えなくなると、子家鴨は水の中にぽっくり潜り込みました。そしてまた再び浮き上って来ましたが、今はもう、さっきの鳥の不思議な気持にすっかりとらわれて、我を忘れるくらいです。それは、さっきの鳥の名も知らなければ、どこへ飛んで行ったのかも知りませんでしたけれど、生れてから今までに会ったどの鳥に対しても感じた事のない気持を感じさせられたのでした。子家鴨はあのきれいな鳥達を嫉ましく思ったのではありませんでしたけれども、自分もあんなに可愛らしかったらなあとは、しきりに考えました。可哀そうにこの子家鴨だって、もとの家鴨達が少し元気をつける様にしてさえくれれば、どんなに喜んでみんなと一緒に暮したでしょうに!
さて、寒さは日々にひどくなって来ました。子家鴨は水が凍ってしまわない様にと、しょっちゅう、その上を泳ぎ廻っていなければなりませんでした。けれども夜毎々々に、それが泳げる場所は狭くなる一方でした。そして、とうとうそれは固く固く凍ってきて、子家鴨が動くと水の中の氷がめりめり割れる様になったので、子家鴨は、すっかりその場所が氷で、閉ざされてしまわない様力限り脚で水をばちゃばちゃ掻いていなければなりませんでした。そのうちしかしもう全く疲れきってしまい、どうする事も出来ずにぐったりと水の中で凍えてきました。
が、翌朝早く、一人の百姓がそこを通りかかって、この事を見つけたのでした。彼は穿いていた木靴で氷を割り、子家鴨を連れて、妻のところに帰って来ました。温まってくるとこの可哀そうな生き物は息を吹きかえして来ました。けれども子供達がそれと一緒に遊ぼうとしかけると、子家鴨は、みんながまた何か自分にいたずらをするのだと思い込んで、びっくりして跳び立って、ミルクの入っていたお鍋にとび込んでしまいました。それであたりはミルクだらけという始末。おかみさんが思わず手を叩くと、それはなおびっくりして、今度はバタの桶やら粉桶やらに脚を突っ込んで、また匐い出しました。さあ大変な騒ぎです。おかみさんはきいきい言って、火箸でぶとうとするし、子供達もわいわい燥いで、捕えようとするはずみにお互いにぶつかって転んだりしてしまいました。けれども幸いに子家鴨はうまく逃げおおせました。開いていた戸の間から出て、やっと叢の中まで辿り着いたのです。そして新たに降り積った雪の上に全く疲れた身を横たえたのでした。
この子家鴨が苦しい冬の間に出遭った様々な難儀をすっかりお話しした日には、それはずいぶん悲しい物語になるでしょう。が、その冬が過ぎ去ってしまったとき、ある朝、子家鴨は自分が沢地の蒲の中に倒れているのに気がついたのでした。それは、お日様が温く照っているのを見たり、雲雀の歌を聞いたりして、もうあたりがすっかりきれいな春になっているのを知りました。するとこの若い鳥は翼で横腹を摶ってみましたが、それは全くしっかりしていて、彼は空高く昇りはじめました。そしてこの翼はどんどん彼を前へ前へと進めてくれます。で、とうとう、まだ彼が無我夢中でいる間に大きな庭の中に来てしまいました。林檎の木は今いっぱいの花ざかり、香わしい接骨木はビロードの様な芝生の周りを流れる小川の上にその長い緑の枝を垂れています。何もかも、春の初めのみずみずしい色できれいな眺めです。このとき、近くの水草の茂みから三羽の美しい白鳥が、羽をそよがせながら、滑らかな水の上を軽く泳いであらわれて来たのでした。子家鴨はいつかのあの可愛らしい鳥を思い出しました。そしていつかの日よりももっと悲しい気持になってしまいました。
「いっそ僕、あの立派な鳥んとこに飛んでってやろうや。」
と、彼は叫びました。
「そうすりゃあいつ等は、僕がこんなにみっともない癖して自分達の傍に来るなんて失敬だって僕を殺すにちがいない。だけど、その方がいいんだ。家鴨の嘴で突かれたり、牝鶏の羽でぶたれたり、鳥番の女の子に追いかけられるなんかより、どんなにいいかしれやしない。」
こう思ったのです。そこで、子家鴨は急に水面に飛び下り、美しい白鳥の方に、泳いで行きました。すると、向うでは、この新しくやって来た者をちらっと見ると、すぐ翼を拡げて急いで近づいて来ました。
「さあ殺してくれ。」
と、可哀そうな鳥は言って頭を水の上に垂れ、じっと殺されるのを待ち構えました。
が、その時、鳥が自分のすぐ下に澄んでいる水の中に見つけたものは何でしたろう。それこそ自分の姿ではありませんか。けれどもそれがどうでしょう、もう決して今はあのくすぶった灰色の、見るのも厭になる様な前の姿ではないのです。いかにも上品で美しい白鳥なのです。百姓家の裏庭で、家鴨の巣の中に生れようとも、それが白鳥の卵から孵る以上、鳥の生れつきには何のかかわりもないのでした。で、その白鳥は、今となってみると、今まで悲しみや苦しみにさんざん出遭った事が喜ばしい事だったという気持にもなるのでした。そのためにかえって今自分とり囲んでいる幸福を人一倍楽しむ事が出来るからです。御覧なさい。今、この新しく入って来た仲間を歓迎するしるしに、立派な白鳥達がみんな寄って、めいめいの嘴でその頸を撫でているではありませんか。
幾人かの子供がお庭に入って来ました。そして水にパンやお菓子を投げ入れました。
「やっ!」
と、一番小さい子が突然大声を出しました。そして、
「新しく、ちがったのが来てるぜ。」
そう教えたものでしたら、みんなは大喜びで、お父さんやお母さんのところへ、雀躍しながら馳けて行きました。
「ちがった白鳥がいまーす、新しいのが来たんでーす。」
口々にそんな事を叫んで。それからみんなもっとたくさんのパンやお菓子を貰って来て、水に投げ入れました。そして、
「新しいのが一等きれいだね、若くてほんとにいいね。」
と、賞めそやすのでした。それで年の大きい白鳥達まで、この新しい仲間の前でお辞儀をしました。若い白鳥はもうまったく気まりが悪くなって、翼の下に頭を隠してしまいました。彼には一体どうしていいのか分らなかったのです。ただ、こう幸福な気持でいっぱいで、けれども、高慢な心などは塵ほども起しませんでした。
見っともないという理由で馬鹿にされた彼、それが今はどの鳥よりも美しいと云われているのではありませんか。接骨木までが、その枝をこの新しい白鳥の方に垂らし、頭の上ではお日様が輝かしく照りわたっています。新しい白鳥は羽をさらさら鳴らし、細っそりした頸を曲げて、心の底から、
「ああ僕はあの見っともない家鴨だった時、実際こんな仕合せなんか夢にも思わなかったなあ。」
と、叫ぶのでした。 | 底本:「小學生全集第五卷 アンデルゼン童話集」興文社、文藝春秋社
1928(昭和3)年8月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、次の書き換えを行いました。
「或→ある 余り→あまり 一向→いっこう 一旦→いったん 中→うち 彼→か 却って→かえって かも知れない→かもしれない 位→くらい 此処→ここ 此の→この 随分→ずいぶん 直ぐ→すぐ 其処→そこ 其・其の→その 其中→そのうち 大分→だいぶ・だいぶん 沢山→たくさん 唯→ただ 多分→たぶん 為→ため 段々→だんだん 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと て居る→ておる 何→ど 何処→どこ 兎に角→とにかく 程→ほど 益々→ますます 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 余っぽど→よっぽど」
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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町はずれの森の中に、かわいいモミの木が一本、立っていました。そこはとてもすてきな場所で、お日さまもよくあたり、空気もじゅうぶんにありました。まわりには、もっと大きな仲間の、モミの木やマツの木が、たくさん立っていました。
けれども、小さなモミの木は、ただもう、大きくなりたい、大きくなりたいと思って、じりじりしていました。そんなわけで、暖かなお日さまのことや、すがすがしい空気のことなんか、考えてもみなかったのです。農家の子供たちが、野イチゴやキイチゴをつみにきて、そのへんを歩きまわっては、おしゃべりをしても、そんなことは気にもとめませんでした。子供たちは、イチゴをかごにいっぱいつんだり、野イチゴをわらにさしたりすると、よく、小さなモミの木のそばにすわって、言いました。
「ねえ、なんてちっちゃくて、かわいいんだろう!」
ところが、モミの木にしてみれば、そんなことは聞きたくもなかったのです。
つぎの年になると、モミの木は、長い芽だけ、一つ大きくなりました。またそのつぎの年になると、もっと長い芽だけ、また一つ大きくなりました。モミの木からは、毎年毎年新しい芽がでて、のびていきますから、その節の数をかぞえれば、その木が幾つになったかわかるのです。
「ああ、ぼくも、ほかの木とおんなじように、大きかったらなあ!」と、小さなモミの木はため息をつきました。「そうだったら、ぼくは、枝をうんとまわりにひろげて、てっぺんから広い世界をながめることができるんだ! 鳥も、ぼくの枝のあいだに巣をつくるだろうなあ! 風が吹いてくりゃ、ぼくだって、ほかの木とおんなじように、じょうひんにうなずくこともできるんだがなあ!」
明るいお日さまの光も、鳥も、頭の上を朝に晩に流れてゆく赤い雲も、モミの木の心を、すこしもよろこばせてはくれませんでした。
そのうちに、冬になりました。あたりいちめんに、キラキラかがやくまっ白な雪が降りつもりました。すると、ウサギが何度もとび出してきて、この小さな木の上をとびこえて行きました。――ああ、まったくいやになっちまう!――
でも、冬が二度すぎて、三度めの冬になると、この木もずいぶん大きくなりました。ですから、ウサギは、そのまわりを、まわって行かなければならなくなりました。ああ、大きくなる! 大きくなって、年をとるんだ! 世の中に、これほどすてきなことはありゃあしない、と、モミの木は思いました。
秋には、いつもきこりがやってきて、いちばん大きな木を二、三本、切り倒しました。これは、毎年毎年くり返されることです。いまではすっかり大きくなった、この若いモミの木は、それを見ると、ぶるぶるっとふるえました。なにしろ、大きいりっぱな木が、メリメリポキッと、恐ろしい音をたてて、地べたにたおれるんですからね。それから、枝が切り落されると、まるはだかになってしまって、ひょろ長く見えました。こうなれば、もうもとの形なんか、ほとんどわからないくらいです。やがて、車にのせられて、それから、ウマにひかれて、森の外へ運ばれていってしまいました。
いったい、どこへ行くのでしょう? そして、これからどうなるのでしょう?
春になって、ツバメやコウノトリが飛んでくると、モミの木はたずねてみました。「あの木がみんな、どこへ連れていかれたか、あなたがた、知りませんか? 途中で会いませんでしたか?」
ツバメは、なにも知りませんでした。しかし、コウノトリは、なにか考えこんでいるようでした。そして、やがてうなずきながら、こう言いました。「そうだ。きっと、こうだろうよ。ぼくがエジプトから飛んできたとき、新しい船にたくさん出会ったんだよ。船には、りっぱな帆柱があったけど、きっと、それがそうだよ。モミのにおいもしていたしね。みんな、高く高くそびえていたよ! これが、きみに教えられることさ!」
「ああ、海をこえていけるくらい、ぼくも大きかったらなあ! その海ってのは、いったいどんなものですか? どんなものに似ているんですか?」
「そいつを説明しだしたら、とっても長くなっちまうよ」コウノトリはこう言うと、むこうへ行ってしまいました。
「おまえの若さを楽しみなさい」と、お日さまがキラキラかがやきながら言いました。「おまえの若々しい成長を、しあわせに思いなさい。おまえの中にある若い命を楽しみなさい」
すると、風はモミの木にキスをして、露はその上に涙をこぼしました。けれども、モミの木には、なんのことかさっぱりわかりませんでした。
クリスマスのころになると、ずいぶん若い木が、幾本も切りたおされました。その中には、ほんとに小さな若い木もあって、このモミの木ほど大きくもなければ、年もそんなにちがわないものもありました。ところで、モミの木は、ちっとも落着いてはいられません。やっぱり、どこかへ行きたくて、行きたくてならなかったのです。切られた若い木々は、どれもこれも、よりによって、美しい木ばかりでした。そして、いつも枝をつけられたまま、車にのせられました。そして、馬にひかれて、森の外へ運ばれていってしまうのです。
「みんなどこへ行くんだろう?」と、モミの木はたずねました。「ぼくより大きくもないのになあ。それに、ぼくよりずっと小さいのだってあった。どうして、みんな枝をつけたままなんだろう? どこへ行くんだろう?」
「ぼくたちは知ってるよ。ぼくたちは知ってるよ」と、スズメたちがさえずりました。「ぼくたちはね、むこうの町で、窓からのぞいたんだよ。みんなどこへ連れていかれたか、ぼくたちは知ってるよ! とってもとってもりっぱに、きれいになっていたよ。ぼくたち、窓からのぞいてみたんだもの。あったかい部屋のまんなかに植えられて、そりゃあ、きれいなものでかざられていてね、金色にぬったリンゴや、ハチ蜜のはいったお菓子や、おもちゃや、それから、何百っていうろうそくで、きれいにかざられていたよ!」
「で、それから――?」と、モミの木は、枝という枝をふるわせて、聞きました。「それから? ねえ、それからどうなったの?」
「それから先は、ぼくたち見なかったよ。だけど、くらべるものもないくらい、とってもすてきだったよ!」
「ぼくも、そういうすばらしい道を進んでいくようになるだろうか?」と、モミの木は、うれしそうにさけびました。「海の上を行くよりも、このほうがずっといい! ああ、たまらないや! クリスマスだったらいいのになあ! もうぼくだって、こんなに大きくなって、去年連れて行かれた木ぐらいになっているんだもの!――ああ、早く車の上にのりたいなあ! あったかい部屋の中で、きれいに、りっぱになれたらなあ!
だけど、それから――? うん、それからは、もっといいことが、もっときれいなものがくるんだ。そうでなきゃ、ぼくを、そんなにきれいにかざってなんかくれやしないだろう。そうだ、もっと大きなことが、もっとすばらしいことがくるにちがいない――! だけど、何だろう? ああ、苦しい! とてもたまらない! この気持、自分でもよくわからないや」
「こうしてわたしがいるのを、よろこびなさい!」と、空気とお日さまが言いました。「この広い広いところで、おまえの若さを楽しみなさい!」
しかし、モミの木は、すこしもよろこびませんでした。でも、ずんずん大きくなっていきました。冬も夏も、みどりの色をしていました。こいみどりの色をして、立っていたのです。人々はモミの木を見ると、「こりゃあ、きれいな木だ!」と、言いました。
クリスマスのころになると、どの木よりもまっさきに切りたおされました。おのが、からだのしんまで、深くくいいりました。モミの木は、うめき声をあげて、地べたにたおれました。からだがいたくていたくて、気が遠くなりそうでした。とても、しあわせなどとは思えません。かえって、生れ故郷をはなれ、大きくなったこの場所からわかれてゆくのが、悲しくなりました。もうこれっきり、大好きな、なつかしいお友だちや、まわりの小さなやぶや、花にも会うことができないんだ、そればかりか、きっともう鳥にも会えないんだろう、と、モミの木は思いました。こうして、旅に出かけるということは、楽しいものではありませんでした。
モミの木は、どこかの中庭について、ほかの木といっしょに車から下ろされたとき、はじめて、われにかえりました。ちょうどそのとき、そばで人の声がしました。「これがりっぱだ! ほかのは、いらないよ」
そこへ制服を着た召使が、ふたりやってきて、モミの木を、大きな美しい広間の中へ運びこみました。まわりのかべには、肖像画がかかっていました。タイル張りの、大きなストーブのそばには、ライオンのふたのついている、大きな中国の花瓶がありました。それから、ゆり椅子や、絹張りのソファや、大きなテーブルもありました。テーブルの上には、絵本やおもちゃがいっぱいありました。それは、百ターレルの百倍ぐらいもするものでした。――すくなくとも、子供たちは、そう言っていました。
モミの木は、砂のつまった、大きなたるの中に立てられました。でも、それがたるであるとは、だれの目にも見えませんでした。というのは、そのたるのまわりには、みどり色の布がかけられていましたし、おまけに、色とりどりの、大きなじゅうたんの上に置かれていましたから。
ああ、モミの木は、うれしくて、どんなにふるえたことでしょう! それにしても、これから、いったい、どうなるのでしょう?
召使とお嬢さんがきて、モミの木をきれいにかざってくれました。枝の上には、色紙を切りぬいてこしらえた、小さな網の袋がかけられました。見れば、どの袋にも、あまいお菓子がつまっています。それから、金色にぬったリンゴや、クルミがさげられましたが、それらは、まるで、そこになっているようでした。そして、赤や青や白の小さなろうそくが、百以上も、枝のあいだにしっかりとつけられました。ほんとの人間にそっくりのお人形が――モミの木は、いままでに、こんなものを見たことがありませんでした――みどりの枝のあいだでゆれていました。木のいちばんてっぺんには、金箔をつけた、大きな星が一つ、かざられました。それはほんとうに美しく、まったくくらべものもないくらいりっぱなものでした。
「今夜ね」と、みんなは言いました。「今夜は、光りかがやくよ!」
「ああ!」と、モミの木は思いました。「早く、夜になればいいなあ! 早く、ろうそくに火がつけばいいなあ! でも、それから、どうなるんだろう? 森から、ほかの木がここへやってきて、ぼくを見てくれるだろうか? スズメが、窓ガラスのところへとんでくるだろうか? ぼくは、しっかりとここに生えていて、冬も夏も、きれいにかざられているんだろうか?」
まったく、モミの木が、こんなふうに思うのも、むりはありません。しかし、あんまりいろいろなことを、あこがれて考えるものですから、木の皮が、ひどく痛みはじめました。木の皮が痛むというのは、わたしたち人間にとって頭がずきずきするのと同じことです。木にしてみれば、じつにつらいことなのです。
やがて、ろうそくに火がともされました。なんというかがやきでしょう! なんという美しさでしょう! モミの木は、うれしくてうれしくて、枝という枝をふるわせました。すると、ろうそくの一本にみどりの葉がさわって、火がついてしまいました。そのため、すっかりこげてしまいました。
「あら、たいへん!」と、お嬢さんたちはさけんで、いそいで火を消しました。
モミの木は、もう二度とからだをふるわせたりはしませんでした。ああ、まったくおそろしいことでした! それに、自分のからだのおかざりが、なにかなくなりはしないかと、それはそれは心配でした。そして、あたりがあんまり明るいので、すっかりぼんやりしてしまいました。――
と、そのとき、入り口のドアが、さっと両側に開かれました。それといっしょに、子供たちのむれが、モミの木をひっくりかえそうとするような勢いで、どっと、部屋の中へとびこんできました。おとなたちは、そのあとからゆっくりとはいってきました。小さな子供たちは、じっとだまりこんで、立っていました。――しかし、それもほんのちょっとの間で、すぐまた、あたりに鳴りひびくほど、うれしそうな声を出して、はしゃぎました。そして、木のまわりを踊りながら、贈り物を一つ、また一つと、つかみとりました。
「この子たちは、何をしようっていうんだろう?」と、モミの木は考えました。「どんなことが起るんだろう?」やがて、ろうそくは小さくなって、枝のところまで燃えてきました。こうして、だんだん小さくなってくると、順々に火が消されました。それから、子供たちは、木についているものを何でももぎ取っていいという、おゆるしをもらいました。うわあ、子供たちは、モミの木めがけて突進してくるではありませんか。さあ、たいへん。どの枝もどの枝も、みしみしなります。もしも木のてっぺんと金の星とが、天井にしっかりと結びつけられてなかったなら、モミの木は、きっと、たおされてしまったことでしょう。
子供たちは、きれいなおもちゃを持って、踊りまわりました。もうだれひとり、木のほうなどを見るものはありません。ただ、年とったばあやがきて、枝のあいだをのぞきこんでいました。でもそれは、イチジクかリンゴの一つぐらい、忘れて、のこっていやしないかと、ながめていたのです。
「お話! お話!」と、子供たちは大声に言いながら、ふとった、小がらの人を、モミの木のほうへ引っぱってきました。その人は、木のま下に腰をおろして、「こりゃあ、緑の森の中にいるようだね」と、言いました。「これじゃ、この木が、いちばんとくをするというものだ。だが、わたしは一つしかお話をしてあげないよ。おまえたちは、イヴェデ・アヴェデのお話が聞きたいかね? それとも、階段からころがり落ちたのに、王さまになって、お姫さまをもらった、クルンベ・ドゥンベのお話が聞きたいかね?」
「イヴェデ・アヴェデ!」と、さけぶ者もあれば、「クルンベ・ドゥンベ!」と、さけびたてる者もありました。がやがやとさわぎたてて、いやもう、まったくたいへんでした。ただ、モミの木だけは、だまりこんでいました。心の中では、「ぼくは仲間じゃないんだろうか? 何かすることはないんだろうか?」と、考えていました。もちろん、モミの木は仲間でした。しかも、自分のしなければならないことは、もう、すましてしまっていたのです。
ところで、あの小がらの人は、階段からころがり落ちたのに、王さまになって、お姫さまをもらった、クルンベ・ドゥンベのお話をしました。すると、子供たちは、大よろこびで手をたたいて、「もっと話して! もっと話して!」と、さけびました。子供たちは、イヴェデ・アヴェデのお話も聞きたかったのです。でも、このときは、クルンベ・ドゥンベのお話しか聞かせてもらえませんでした。
モミの木は、じっと黙りこんだまま、考えていました。森の中の鳥たちは、いままで一度だって、こんなお話をしてくれたことはありません。「クルンベ・ドゥンベは、階段からころがり落ちたのに、お姫さまをもらったんだ。うん、うん、世の中って、そういうものなんだ」と、モミの木は考えて、このお話をした人は、あんなにいい人なんだから、きっと、これはほんとうのことなんだ、と思いこんでしまいました。「そうだ、そうだ。ぼくだって、もしかしたら、階段からころがり落ちて、お姫さまをもらうようになるかもしれないんだ!」こうして、モミの木は、つぎの日も、ろうそくや、おもちゃや、金の紙や、果物などで、かざってもらえるものと思って、楽しみにしていました。
「あしたは、ぼくはふるえないぞ!」と、モミの木は心に思いました。「ぼくがきれいになったところを見て、うんと楽しもう。あしたもまた、クルンベ・ドゥンベのお話を聞くんだ。それから、イヴェデ・アヴェデのお話も、きっと聞けるだろう」こうして、モミの木は、一晩じゅう、じっと考えこんで立っていました。
あくる朝になると、下男と下女がはいってきました。
「さあ、またかざりつけてくれるんだ!」と、モミの木は思いました。ところが、みんなは、モミの木を部屋の外へ引っぱり出して、階段を上り、とうとう、屋根裏部屋に持っていってしまいました。そして、お日さまの光もさしてこない、うすぐらいすみっこに置いていきました。「こりゃあ、いったい、どういうことなんだ?」と、モミの木は考えました。「いったい、こんなとこで、何をさせようっていうんだろう? それに、こんなとこで、何が聞かせてもらえるんだろう?」
こうして、モミの木は、かべに寄りかかって立ったまま、いつまでもいつまでも考えつづけました。――時間はいくらでもありました。だって、そうしたまま、幾日も幾晩もすぎていったのですもの。だれも、上ってきませんでした。しかし、とうとう、だれかが上ってきました。でも、それは、大きな箱を二つ三つ、すみっこに置くためだったのです。おかげで、モミの木は、すっかりかくれてしまいました。このようすでは、モミの木のことなんか、みんなは忘れてしまったのでしょう。
「外は、いま冬なんだ」と、モミの木は考えました。「地面はかたくて、雪がつもっているもんだから、ぼくを植えることができないんだ。だから、春になるまで、ぼくをここへ置いて、守っていてくれるんだ! それにしても、なんて考え深いんだろう! なんて、みんな親切なんだろう!――だけど、ここがこんなに暗くて、こんなにさびしくなけりゃいいんだけど。――なにしろ、小ウサギ一ぴき、いないんだからなあ!――あの森の中は、楽しかったなあ! 雪がつもると、ウサギがとび出してきたっけ。うん、そう、そう、そしてぼくの頭の上を、とびこえていったっけ。でもあのときは、そんなことは、ちっともうれしくなかったんだ。そりゃあそうと、この屋根裏部屋はおっそろしいほどさびしいなあ!」
そのとき、小さなハツカネズミが一ぴき、チュウ、チュウ、鳴きながら、ちょろちょろ出てきました。そのあとから、小さいのがまた一ぴき、出てきました。二ひきのハツカネズミは、モミの木のそばへよって、においをかいでいましたが、やがて枝のあいだへはいりこみました。
「とっても寒いわ!」と、小さなハツカネズミたちは言いました。「でも、ここは、ほんとにいいとこね。ねえ、お年よりのモミの木さん!」
「ぼくは年よりじゃない!」と、モミの木は言いました。「ぼくなんかより、ずっと年とったのがたくさんいるんだよ」
「あなたは、どこからきたの?」と、ハツカネズミたちがたずねました。「あなたは、どんなことを知っているの?」このハツカネズミたちは、ほんとに聞きたがりやでした。「ねえ、世の中でいちばんきれいなところのお話をしてちょうだい。あなた、そういうところへ行ったことがあるの? こんなすてきな食べ物のあるお部屋へ行ったことはない? チーズがたなにあって、ハムが天井からさがっていて、あぶらろうそくの上で踊りがおどれて、おまけに、はいっていくときはやせていても、出てくるときはふとっている、ねえ、こんなすてきなお部屋はない?」
「そんなとこは知らないね」と、モミの木は言いました。「だけど、森は知ってるよ。お日さまがキラキラかがやいて、鳥が歌をうたっている森のことならね」そして、小さい時のことを、のこらず話してきかせました。小さなハツカネズミたちは、いままでにそんな話を聞いたことがなかったので、夢中になって聞いていました。そして、「まあ、あなたは、ずいぶんいろんなことをごらんになったのね! あなたは、なんてしあわせなんでしょう!」と、言いました。
「ぼくが?」と、モミの木は言って、自分の話したことを考えてみました。「そうだ。あのころが、まったくのところ、ほんとに楽しい時だったんだ!」――それから、お菓子やろうそくでかざってもらった、クリスマス前夜のことを話しました。
「まあ!」と、小さなハツカネズミたちは言いました。「あなたは、なんてしあわせなんでしょう、お年よりのモミの木さん!」
「ぼくは、年よりじゃないったら!」と、モミの木は言いました。「やっとこの冬、森から来たばっかりなんだよ。ぼくは、いま、いちばん元気のいい年ごろなのさ。ただ、すこし大きくなりすぎたけどね」
「ほんとに、お話がお上手だこと!」と、ハツカネズミたちは言いました。つぎの晩には、ハツカネズミたちは、ほかに四ひきの仲間を連れて、モミの木の話を聞きにやってきました。モミの木は話をすればするほど、だんだん、なにもかも、はっきりと思い出してくるのでした。そして、心の中でこう思いました。「それにしても、あのころは、まったく楽しい時だった。だけど、ああいう時が、また来るかもしれない。また来るかもしれないんだ! クルンベ・ドゥンベは、階段からころがり落ちたって、お姫さまをもらったじゃないか。ぼくだって、もしかしたら、お姫さまをもらえるかもしれないんだ」
そうして、モミの木は、あの森の中に生えていた、小さな、かわいらしいシラカバの木を思い出すのでした。モミの木にとっては、そのシラカバの木は、ほんとうに美しいお姫さまのようだったのです。
「クルンベ・ドゥンベっていうのは、だれ?」と、小さなハツカネズミたちがたずねました。そこで、モミの木は、その話をすっかり聞かせてやりました。モミの木は、一つ一つの言葉まで思い出すことができたのです。それを聞くと、小さなハツカネズミたちは、うれしくてたまらなくなって、もうすこしで、モミの木のてっぺんまでとび上がるところでした。
そのつぎの晩になると、もっともっとたくさんのハツカネズミたちがきました。そして日曜日には、二ひきのドブネズミまでもやってきました。ところが、そんな話はおもしろくなんかありゃしない、と、ドブネズミたちは言うのです。そうすると、小さなハツカネズミたちも悲しくなりました。もう、前のようにおもしろいとは、思われなくなったのです。
「おまえさんは、その話がたった一つしかできないのかね?」と、ドブネズミたちがたずねました。
「これ一つだけ!」と、モミの木は答えました。「その話は、ぼくがいちばんしあわせだった晩に聞いたんだよ。でもそのころは、ぼくがどんなにしあわせかってことを、思ってもみなかったんだ」
「じつにばかばかしい話だ! おまえさんは、ベーコンとか、あぶらろうそくとかいうようなものの話は、なんにも知らないのかね? 食物部屋の話なんかも知らないのかい?」
「知らない」と、モミの木は言いました。
「ふん、じゃあ、ごめんよ」ドブネズミたちは、こう言うと、さっさと、自分たちの仲間のところへ帰ってしまいました。
そのうちに、小さなハツカネズミたちも、行ってしまったまま、とうとう、こなくなってしまいました。モミの木はため息をついて、言いました。
「あのすばしっこい小さなハツカネズミたちが、ぼくのまわりにすわって、ぼくの話を聞いてくれたときは、ほんとに楽しかったなあ! でも、それも、もうおしまいさ。――だけど、今度、ここから連れていってもらったら、忘れないで、楽しくなるようにしよう」
しかし、いつ、そうなったでしょうか?――そうです。ある朝のことでした。人々が上ってきて、屋根裏部屋の中をかきまわしはじめました。とうとう箱が動かされて、モミの木が引っぱり出されました。モミの木は、ちょっと荒っぽく床に投げだされましたが、すぐに下男が、お日さまの照っている、階段の方へ引きずっていきました。
「さあ、またぼくの人生がはじまるんだ!」と、モミの木は思いました。モミの木は、すがすがしい空気と、お日さまの光をからだに感じました。――このときは、もう、おもての中庭にいたのです。なにもかも、すっかり変っていました。モミの木は、自分自身をながめることを、まるで忘れてしまって、思わず、まわりのいろいろなものに見とれてしまいました。
この中庭は花園のとなりにありましたが、見れば花園では、いろいろな花が今をさかりと、咲きみだれていました。バラの花は低い垣の上にたれ下がって、すがすがしい、よいにおいを放っていました。ボダイジュの花も、いま、まっさかりでした。ツバメがあたりを飛びまわって、「ピイチク! ピイチク! あたしの夫がきましたわ!」と、うたっていました。けれども、それは、モミの木のことではありませんでした。
「さあ、これから生きるんだ!」と、モミの木は、うれしそうに大きな声を出しました。そして、枝をうんとひろげてみました。ところが、なんということでしょう。枝はみんな、かれてしまって、黄色くなっているのです。モミの木は、雑草やイラクサの生えている、すみっこのほうに横になっていました。金の紙でつくった星が、まだてっぺんについていて、明るいお日さまの光を受けて、キラキラかがやいていました。
中庭では、元気そうな子供たちが二、三人、あそんでいました。それは、クリスマスのときに、モミの木のまわりを踊って、あんなによろこんでいた、子供たちだったのです。その中のいちばん小さな子が走ってきて、金の星をむしり取ってしまいました。
「ねえ、こんなきたない、古ぼけたクリスマスツリーに、まだこんなものがついてたよ!」こう言いながら、その子は、枝をふみつけました。靴の下で、枝がポキポキ鳴りました。
モミの木は、花園に咲きみだれている美しい花、いきいきとした花をながめました。それから、自分自身の姿を振りかえってみて、いっそのこと、あの屋根裏部屋の、うす暗いすみっこにいたほうがましだった、と思いました。そして、森の中ですごした若かったころのこと、楽しかったクリスマス前夜のこと、クルンベ・ドゥンベのお話を、あんなによろこんで聞いていた、小さなハツカネズミたちのことなどを、つぎつぎに思い出すのでした。
「おしまいだ、おしまいだ!」と、かわいそうなモミの木は、言いました。「楽しめるときに、楽しんでおけばよかったなあ! おしまいだ、おしまいだ!」
そのとき、下男がやってきて、モミの木を、小さく切りわってしまいました。こうして、まきのたばができあがりました。やがて、モミの木は、お酒をつくる大きなおかまの下で、まっかに燃え上がりました。モミの木は、深く深くため息をつきました。そして、ため息をつくたびに、なにか、パン、パン、と、小さくはじけるような音がしました。それを聞きつけると、あそんでいた子供たちがかけこんできて、火の前にすわりました。そして、中をのぞいて、「ピッフ! パッフ!」と、大声にさけびました。
モミの木は、深いため息をついてパチパチ音をたてるたびに、森の中の夏の日のことや、キラキラとお星さまのかがやく冬の夜のことを、思い出すのでした。それから、クリスマス前夜のことを、また人から聞かせてもらって、自分も話すことのできた、たった一つのお話、クルンベ・ドゥンベのことを、思い浮べるのでした。――こうしているうちに、とうとう、モミの木は、燃えきってしまいました。
それからまた、男の子たちは、中庭であそびました。見ると、いちばん小さな男の子は、胸に金の星をつけていました。それは、モミの木がいちばんしあわせだった晩に、つけてもらったものです。でも、今は、それもおしまいです。そして、モミの木も、おしまいになりました。それから、このお話もおしまいです。みんなおしまい、おしまい。お話というものは、みんな、こんなふうにおしまいになるものですよ。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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まちそとの森に、いっぽん、とてもかわいらしい、もみの木がありました。そのもみの木は、いいところにはえていて、日あたりはよく、風とおしも十分で、ちかくには、おなかまの大きなもみの木や、はりもみの木が、ぐるりを、とりまいていました。でもこの小さなもみの木は、ただもう大きくなりたいと、そればっかりねがっていました。ですから森のなかであたたかいお日さまの光のあたっていることや、すずしい風の吹くことなどは、なんともおもっていませんでした。また黒いちごや、オランダいちごをつみにきて、そこいらじゅうおもしろそうにかけまわって、べちゃくちゃおしゃべりしている百姓のこどもたちも、気にかからないようでした。こどもたちは、つぼいっぱい、いちごにしてしまうと、そのあとのいちごは、わらでつないで、ほっとして、小さいもみの木のそばに、腰をおろしました。そして
「やあ、ずいぶんかわいいもみの木だなあ。」
と、いいいいしました。けれど、そんなことをいわれるのが、このもみの木は、いやで、いやで、なりませんでした。
つぎの年、もみの木は新芽ひとつだけはっきりのび、そのつぎの年には、つづいてまた芽ひとつだけ大きくなりました。そんなふうで、もみの木の歳は、まいねんふえてゆく節のかずを、かぞえて見ればわかりました。
小さいもみの木は、ためいきをついて、こういいました。
「わたしも、ほかの木のように大きかったら、さぞいいだろうなあ。そうすれば、枝をうんとのばして、たかい梢の上から、ひろい世のなかを、見わたすんだけど。そうなれば、鳥はわたしの枝に巣をかけるだろうし、風がふけば、ほかの木のように、わたしも、おうように、こっくりこっくりしてみせてやるのだがなあ。」
こんなふうでしたから、もみの木は、お日さまの光を見ても、とぶ鳥を見ても、それから、あさゆう、頭の上をすうすうながれていく、ばらいろの雲を見ても、ちっともうれしくありませんでした。
やがて冬になりました。ほうぼう雪が白くつもって、きらきらかがやきました。するとどこからか一ぴきの野うさぎが、まい日のように来て、もみの木のあたまをとびこえとびこえしてあそびました。――ああ、じつにいやだったらありません。――でも、それからのち、ふた冬とおりこすと、もみの木はかなり、せいが高くなりましたから、うさぎはもうただ、そのまわりを、ぴょんぴょん、はねまわっているだけでした。
「ああうれしい。だんだんそだっていって、今に大きな年をとった木になるんだ。世のなかにこんなにすばらしいことはない。」
もみの木は、こんなことを考えていました。
秋になると、いつも木こりがやって来て、いちばん大きい木を二、三本きりだします。これは、まい年のおきまりでした。そのときは、見あげるほど高い木が、どしんという大きな音をたてて、地面の上にたおされました。そして枝をきりおとされ、太いみきのかわをはがれ、まるはだかの、ほそっこいものにされて、とうとう、木だかなんだかわけのわからないものになると、この若いもみの木は、それをみてこわがってふるえました。けれども、それが荷車につまれて、馬にひかれて、森を出ていくとき、もみの木はこうひとりごとをいって、ふしぎがっていました。
みんな、どこへいくんだろう。いったいどうなるんだろう。
春になって、つばめと、こうのとりがとんで来たとき、もみの木はさっそくそのわけをたずねました。
「ねえ、ほんとにどこへつれて行かれたんでしょうね。あなたがた。とちゅうでおあいになりませんでしたか。」
つばめはなんにもしりませんでした。けれどもこうのとりは、しきりとかんがえていました。そしてながいくびを、がってん、がってんさせながら、こういいました。
「そうさね、わたしはしっているとおもうよ。それはね、エジプトからとんでくるとちゅう、あたらしい船にたくさん、わたしは出あったのだが、どの船にもみんな、りっぱなほばしらが立っていた。わたしはきっと、このほばしらが、おまえさんのいうもみの木だとおもうのだよ。だって、それにはもみの木のにおいがしていたもの。そこで、なんべんでも、わたしはおことづけをいいます。大きくなるんだ、大きくなるんだってね。」
「まあ、わたしも、遠い海をこえていけるくらいな、大きい木だったら、さぞいいだろうなあ。けれどこうのとりさん、いったい海ってどんなもの。それはどんなふうに見えるでしょう。」
「そうさな、ちょっとひとくちには、とてもいえないよ。」
こうのとりはこういったまま、どこかへとんでいってしまいました。そのとき、空の上でお日さまの光が、しんせつにこういってくれました。
「わかいあいだが、なによりもいいのだよ。ずんずんのびて、そだっていくわかいときほど、たのしいことはないのだよ。」
すると、風も、もみの木にやさしくせっぷんしてくれました。つゆもはらはらと、しおらしいなみだを、かけてくれました。けれどももみの木には、それかどういうわけかわかりませんでした。
クリスマスがちかくなってくると、わかい木がなんぼんもきりたおされました。なかには、このもみの木よりもわかい小さいのがありましたし、またおない年ぐらいのもありました。ですからもみの木は、じぶんも早くよその世界へでたがって、まいにち、気が気でありませんでした。そういうわかい木たちは、なかでも、ことに枝ぶりの美しい木でしたから、それなりきられて、車につまれて、馬にひかれて、森をでていきました。
「どこへいくんだろう。あの木たちは、みんな、わたしより小さいし、なかにはずっと小さいのもある。それからまた、なんだって、枝をきりおとされないんだろう。いったい、どこへつれていかれるんだろう。」
もみの木は、こういってきくと、そばですずめたちが、さえずっていいました。
「しっているよ、しっているよ、町へいったとき、ぼくたちは、まどからのぞいたから、しっているよ。みんなは、そりゃあすばらしいほど、りっぱになるんだよ。まどからのぞくとね、あたたかいおへやのまんなかに、小さなもみの木は、みんな立っていたよ。金いろのりんごだの、蜜のお菓子だの、おもちゃだの、それから、なん百とも知れないろうそくだので、それはそれは、きれいにかざられていたっけ。」
「で、それから――。」と、もみの木は、のこらずの枝をふるわせながらたずねました。「ねえ、それから、どうしたの。」
「うん、それからどうしたか、ぼくたちはしらないよ。とにかく、あんなきれいなものは、ほかでは見たことがないね。」
「ああ、どうかして、そんなはなばなしい運がめぐってこないかなあ。」と、もみの木は、とんきょうな声をあげました「それこそ白い帆をかけて、とおい海をこえていくよりも、ずっとよさそうだ。ああ、いきたいな。いきたいな。はやく、クリスマスがくればいいなあ。わたしはもう、去年、つれていかれた木とおなじくらい、せいが高くなったし、すっかり大きくそだってしまった。――ああ、どうかして、はやく荷車の上に、つまれるようになればいいなあ、そして、目のさめるように、りっぱになって、あたたかいへやに、すみたいものだなあ。だが、それからは、それからはどうなるだろう。――たぶん、それからは、もっといいことがおこるだろう。もっとおもしろいことに、ぶつかるだろう。もしそうでなければ、そんなにきれいに、わたしたちをかざっておくはずがないもの。きっとなにか、たいしたことがおこるんだろう。すばらしいことが、やってくるんだろう。だがそれはなんだろうなあ。――なんだかわからないが、ただいきたい。ああ、たまらないぞ。もう、じぶんでじぶんがわからないんだ。」
そのときまた、風とお日さまの光とが、やさしく声をかけました。
「わたしたちのなかにいるほうがきらくだよ。このひろびろしたなかで、げんきのいい、わかいときを、十分にたのしむのがいいのだよ。」
けれども、もみの木は、そんなことをきいても、ちっともうれしくありませんでした。
こうして冬が去って、夏もすぎました。もみの木はずんずんそだっていって、いつもいつもいきいきした、みどりの葉をかぶっていました。ですからたれも、このもみの木をみた人で、
「なんてまあきれいな木だろうね。」
と、いわないものはありませんでした。
それで、クリスマスの季節になると、このもみの木は、とうとう、まっさきにきられました。そのとき、おのが、木のしんまできりこんだので、もみの木は、うめきごえを立てて、地の上にたおれました。からだじゅう、ずきずきいたんで、だんだん、気が遠くなりました。かんがえてみると、うれしいどころではありません。じぶんがはじめて芽を出した森の家からはなれるのは、しみじみかなしいことでした。こどものときからおなじみの、ちいさな木や花などにも、それからたぶん小鳥たちにも、もうあえないだろうとおもいました。まったく旅に出るというのは、つらいものにちがいありませんでした。
やっと、しょうきづいて見ると、もみの木は、ほかの木といっしょにわらにくるまれて、どこかのうちのにわのなかにおかれていました。そばではひとりの男がこういっていました。
「この木はすてきだなあ。これいっぽんあればたくさんだ。」
そこへはっぴをきた、ふたりの男がやってきました。そしてもみの木を、りっぱにかざった、大きなへやにはこんでいきました。へやのかべにはいろいろながくが、かかっていました。タイルばりの大きなだんろのそばには、ししのふたのついた、青磁のかめが、おいてありました。そこには、ゆりいすだの、きぬばりのソファだの、それから、すくなくとも、こどもたちのいいぶんどおりだとすると、百円の百倍もするえほんや、おもちゃののっている、大きなテーブルなどがありました。もみの木は、砂がいっぱいはいっている、大きなおけのなかにいれられました。けれど、たれの目にも、それはおけとは見えませんでた。それは青あおした、きれでつつまれて、うつくしい色もようのしきものの上においてありました。まあ、このさき、どんなことになるのかしら、もみの木はぶるぶるふるえていました。召使たちについて、お嬢さんたちも出てきて、もみの木のおかざりを、はじめました。枝にはいろがみをきりこまざいてつくったあみをかけました。そのあみの袋には、どれもボンボンや、キャラメルがいっぱいはいっていました。金紙をかぶせたりんごや、くるみの実が、ほんとうになっているように、ぶらさがりました。それから、青だの、赤だの、白だのの、ろうそくを百本あまり、どの枝にも、どの杖にもしっかりとさしました。まるで人間かと思われるほど、くりくりした目のにんぎょうが、葉と葉のあいだにぶらさがっていました。まあにんぎょうなんて、もみの木は、これまでに見たことがありませんでした。――木のてっぺんには、ぴかぴか光る金紙の星をつけました。こんなにいろいろなものでかざりたてましたから、もみの木は、それこそ、見ちがえるように、りっぱになりました。
「さあ、こんばんよ。」と、その人たちは、みんないっていました。「これでこんばん、あかりがつきます。」
それをきいて、もみの木はかんがえました。
「いいなあ、こんばんからだってねえ。はやくばんになって、あかりがつけばいいなあ。それからどんなことがあるだろう。森からいろいろな木があいにくるかしら。それとも、すずめたちがまどガラスのところへ、とんでくるかしら。もしかしたら、このままここで根がはえて、冬も夏もこうやってかざられたまま、立っているのかもしれない。」
そんなふうに、あれやこれやとかんがえるのも、もっともなことでした。けれども、もみの木はあんまりかんがえつめたので、からだのかわが、いたくなりました。ちょうど、にんげんが、ずつうでくるしむように、木にとっては、このかわのいたいのは、かなりこまるびょうきなのでした。
さて、ろうそくのあかりがつきました。なんというかがやかしさなのでしょう。なんというりっぱさなのでしょう。もみの木は、うれしまぎれに、枝という枝をぶるぶるさせました。そのため、いっぽんのろうそくの火がゆれて、あおい葉にもえうつりました。おかげで、かなりこげました。
「あぶないわ。」と、お嬢さんたちはさけんで、あわてて火をけしました。そこでもみの木は、もうからだをふるわすこともできませんでした。こうなると、それはまったくおそろしいほどでした。もみの木はせっかくのかざりを、ひとつもなくすまいと、しんぱいしました。それに、あんまり明るすぎるので、ただもうぼうっとなりました。――
やがて、両びらきのとびらがさあっとあいて、こどもたちが、まるで、クリスマスの木ごとたたきおとしそうないきおいで、とびこんできました。おとなたちも、そのあとからしずかについてきました。こどもたちは、ほんのちょっとのあいだ、だまって立っていましたが、――たちまち、わあっというさわぎになって、木のまわりをおどりまわりながら、クリスマスのおくりものを、ひとつ、ひとつ、さらっていきました。
「この子たちはなにをするんだろう。なにがはじまるんだろう。」と、もみの木はかんがえました。するうち、枝のところまで、ろうそくは、だんだんともえていきました。そしてひとつずつ消されてしまいました。やがて、木の枝につけてあるものを取ってもいいというおゆるしが出ました。やれやれたいへん、こどもたちは、いきなり木をめがけて、とびつきました。木はみしみしと音を立てました。もみの木のてっぺんにつけてある金紙の星が、うまくてんじょうにしばりつけてなかったら、きっと木は、あおむけにひっくりかえされたことでしょう。
こどもたちは、もぎ取ったりっぱなおもちゃを、てんでんにもって、おどりまわりました。ですからたれひとり、もう木をふりかえって見るものはありませんでした。たったひとり、ばあやが、木につけてあった、いちじくやりんごを、こどもたちがとりのこしていやしないかとおもって、枝のなかに首をさしいれて、のぞきこんだだけでした。
「おはなししてね、おはなししてね。」
こどもたちはそうさけんで、ずんぐりしたひとりの小さい人を、木のところへひっぱっていきました。その人は、木の下に腰をおろしてこういいました。
「よしよし、こうしていれば、みなさんはみどりの森のなかにいるようなものだ。だから、この木もうれしがって、おはなしをきくだろう。だがおはなしはひとつだけだよ。*イウェデ・アウェデのおはなしをしようかね。それとも、だんだんからころげおちたくせに、うまく出世して、王女さまをおよめさんにした、でっくりもっくりさんのおはなしをしようかね。」
*イウエデ、アウエデ、キウエデ、カウエデ―というようにつづくことばあそび。
「イウェデ・アウェデ。」と、五六人のこどもたちはさけびました。するとほかのこどもたちは、「でっくりもっくりさん。」とさけびました。みんながそうやって、くちぐちに、わいわいいいたてるので、がやがや、がやがや、おおさわぎになりました、けれども、もみの木ばかりは、だまってこうおもっていました。
「わたしには、そうだんしてくれないのかしら。わたしは、このおなかまではないのかしら。」
なるほどおなかまにはちがいないのです。けれどももみの木のおやくめは、もうすんでいました。
やがていまの人は、だんだんをころげおちたくせに、出世して、王女さまをおよめさんにした、でっくりもっくりさんのおはなしをしました。おはなしがすむと、こどもたちは、ぱちぱち手をたたいて、
「もひとつして、もひとつして。」と、さけびたてました。こどもたちはイウェデ・アウェデのおはなしもしてもらいたかったのでしたが、でっくりもっくりさんのおはなしだけで、がまんしなければなりませんでした。もみの木はびっくりしたような、それでいて、かんがえこんでいるようなようすをしていました。だって、森の鳥たちは、そんなはなしは、ちっともしてくれませんでしたからね。
「でっくりもっくりさんは、だんだんから、ころげおちたくせに、王女さまを、およめさんにしたとさ。そうだ、そうだ。それが世のなかというものなんだ。」と、もみの木はかんがえました。そしてあんなりっぱな人が、そうはなしたんだから、それはほんとうのことにちがいないと思いました。
「そうだ、そうだ、わたしだって、だんだんからころげおちて、王女さまをおよめさんにもらうかもしれない。」
これで、あしたもまた、あかりをつけてもらって、おもちゃだの、金のくだものだので、かざられるのだと思って、もみの木はぞくぞくしていました。
「あしたはもうふるえないぞ。こんなにりっぱになったのだから、うんとうれしそうな、とくいらしいかおをしていよう。きっとまた、でっくりもっくりさんのおはなしをしてもらえるだろうし、ことによったら、イウェデ・アウェデのおはなしもしてもらえるかもしれない。」
こうしてもみの木は、じっとひと晩じゅうかんがえあかしました。
つぎの朝、召使たちがやってきました。
「ああ、きっともういちど、りっぱにかざりなおしてくれるんだな。」と、もみの木は思いました。けれども、召使たちは、木をへやのそとへ、ひきずっていきました。そして、はしごだんをあがっていって、屋根うらのものおきのうすぐらいすみへ、ほうりあげました。そこにはまるで、お日さまの光がさして来ませんでした。
「どうしたっていうんだろう。こんなところで、なにができるんだろう。こんなところで、はなしをしても、なにがきこえるだろう。」と、もみの木はかんがえました。そしてかべにもたれたまま、いつまでも、あきずに、かんがえつづけていました。――もうずいぶん時間がありました。なにしろ、いく日となく、いく晩となく、すぎて行きましたからね。けれども、たれひとりやっては来ませんでした。それでも、とうとうたれかが上がってきましたが、なにかふたつ三つ大きな箱を、すみのほうへほうりだして行ったばかりでした。おかげで、もみの木は、その箱の下じきになって、かくれてしまいました。まあその木のいることなど、まるで、忘れられてしまったのでしょう。
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「チュウ、チュウ。」
そのとき、ふと、小ねずみがなきながら、ちょろちょろとはいだしてきました。そのあとから、もう一ぴきの、小ねずみが出てきました。ねずみたちは、もみの木のにおいをかいで見て、枝のあいだを、はいまわりました。
「ひどいさむさですねえ。」と、小ねずみたちはいいました。「でもここはずいぶんいいところでしょう。そうはおもいませんか、もみの木のおじいさん。」
「わたしは、そんなおじいさんじゃないぞ。」と、もみの木は少しおこっていいました。「まだまだ、ぼくより、としをとっている木は、たくさんあるよ。」
「あなたはどこからきたの。いろんなことを知っているの。」と、小ねずみたちは、たいへんなにかをききたがっていました。「ねえ、もみの木さん。世のなかで、いちばんすばらしいところのことを、おはなししてください。あなたは、そこからきたんでしょう。そら、たなの上にチーズがのっていたり、てんじょうから、ハムがぶらさがっていたり、あぶらろうそくの上で、おどりをおどったりして、はいるとき、ひょろひょろ、出るとき、むっくりでっくり――、と、いうようなところにいたんでしょう。」
「どうも、そんな所は知らないね。」と、もみの木はいいました。「けれど、森のことならしっているよ。そこではお日さまの光はよくあたるし、鳥がうたをうたっているよ。」
それからもみの木は、じぶんのわかかったときのことを、すっかりはなしました。小ねずみは、これまでに、そんなことをちっともききませんでしたので、めずらしがってきいていました。それからあとでこういいました。
「まあずいぶんいろいろなものを、たくさん見たんですねえ。ずいぶんしあわせだったんですねえ。」
「わたしがかい。」
そういわれて、もみの木は、はじめて、いま、じぶんのはなしたことをかんがえてみました。
「なるほど、そういえばしあわせだったよ。そう、つまりあのじぶんが、わたしもいちばんしあわせだったなあ。」
それから、もみの木は、おいしいおかしや、ろうそくのあかりでかざられた、クリスマスの前の晩のはなしをしました。
「まあ、ずいぶんしあわせだったのね、もみの木のおじいさん。」と、小ねずみがいいました。
「わたしは、そんなにおじいさんではないというのに。」と、もみの木はいいました。「この冬、はじめて森のなかから出てきたばかりだもの。わたしは、今がさかりの年なんだ。ただすこしのっぽにそだちすぎたかもしれない。」
「おじさんのはなしはおもしろいね。」
と、小ねずみがいいました。
つぎの晩にも、小ねずみは、ほかに四ひきのなかまをつれて、話をききにやってきました。もみの木は、話していればいるほど、あれもこれもはっきりおもいだせました。そして、こうかんがえました。
「あのじぶんは、ほんとにしあわせだったけれど、ああいうじだいがまたやってくるだろう。きっとまたやってくるだろう。でっくりもっくりさんは、だんだんからころげおちたくせに、王女さまをおよめさんにもらった。だからわたしだって、たぶん王女さまをおよめさんにするかもしれない。」
それから、もみの木は、森のなかにはえていた、かわいらしい白かばの木のことをおもいだしました。その白かばの木は、ほんとにきれいでしたから、もみの木には、それがうつくしい王女さまのようにおもわれました。
「でっくりもっくりさんて、だれなんですか。」
と、小ねずみたちがたずねました。もみの木は、ひとつもまちがえずに、そのおはなしを、すっかりはなしてやりました。小ねずみたちは、それはそれはうれしがって、もみの木のいちばん高い枝にとびつきそうにしていました。つぎの晩には、もっと、たくさんのねずみたちがきました。にちよう日には二ひきのおやねずみさえ出てきました。けれど、このおやねずみは、そんなはなしは、いっこうおもしろくないといいました。そういわれると、小ねずみたちも、すこし、がっかりしていました。なるほど、それはせんほどおもしろくおもわれませんでしたものね。
「君のしっているお話は、それひとつきりなのかい。」と、おやねずみはいいました。
「ああ、これひとつさ。」と、もみの木はこたえました。「なにしろわたしはうまれていちばんしあわせだった晩に、そのおはなしをきいたのだからね。けれど、そのときは、それがそんなにしあわせだとはしらなかった。」
「ずいぶん、つまらないおはなしだなあ。君は豚のあぶらみとか、あぶらろうそくというようなものはなんにもしらないのかね。たべものやのはなしは、しらないのかね。」
「しらないねえ。」と、もみの木はこたえました。
「そう。じゃあどうもありがとう。」と、おやねずみたちはいって、なかまのところへかえっていきました。とうとう、小ねずみたちもいってしまいました。すると、もみの木は、またひとりぼっちになったので、ためいきをつきながらいいました。
「げんきのいい、小ねずみたちが、わたしをとりまいて、おもしろそうに、はなしをきいてくれたのは、ほんとにゆかいだったなあ。だが、それもおわりさ。でも今にここからはこびだされれば、せいぜいものをたのしくかんがえることだ。」
ところで、いつそんなことになったでしょうか。
なるほど、あくる朝、大勢してがたがた、ものおきをかたづけにきました。そして箱をどけて、もみの木をはこびだしました。それから、かなりらんぼうに床のうえになげだしました。やがてひとりの下男が、それをそのままはしごだんのほうへひきずっていきました。こうしてもみの木は、もういちど、日の目を見ることができました。
「さあ、また生きかえったぞ。」と、もみの木はおもいました。もみの木は、すずしい風に吹かれて、朝のお日さまの光にあたりました。――そこはほんとうに家のそとの、にわのなかでした。いろいろなことが、目まぐるしいほど、はたで、どんどんおこってくるので、もみの木はすっかり、じぶんのことをわすれてしまいました。ぐるりにはたくさん、目につくものがありました。このにわは、すぐ花ぞのにつづいていて、そこには、いろいろの花が、いっばい咲いていました。ほんのりいいにおいのするばらが、ひくいかきねにからんでいましたし、ぼだいじゅも、ちょうど花ざかりでした。つばめたちは、その上をとびまわりながら、さえずっていました。
「びいちくち、ぴいちくち、うちのひとがかえってきましたよ。」
けれどもそれは、もみの木のことではありませんでした。
「さあ、いよいよこれから、わたしは生きるのだぞ。」
と、うれしそうな声をだして、もみの木はおもいきり、枝をいっぱいのばしました。けれど、やれやれかわいそうに、その枝のさきは、がさがさに乾からびて、黄いろくなっていました。そして、じぶんはにわのすみっこで、雑草や、いばらのなかに、ころがされていました。金紙の星はまだあたまのてっぺんについていました。そしてその星は、あかるいお日さまの光で、きらきらかがやいていました。
ところで、そのとき、にわには、あのクリスマスの晩、この木のまわりをとびまわった、けんきのいいこどもたちが、あそんでいました。するとひとり、いちばんちいさい子がかけてきて、いきなり金の星を、もぎとってしまいました。
「ごらんよ。きたない、ふるいもみの木にくっついていたんだよ。」
その子はそうさけびながら、枝をふんづけましたから、枝はくつの下で、ぽきぽき音を立てました。
もみの木は、目のさめるようにうつくしい、花ぞののなかの花をみました。そしてみすぼらしいじぶんのすがたを見まわしてみて、これならいっそ、ものおきのくらいかたすみにほうり出されていたほうが、よかったとおもいました。それからつづいて森のなかにいたときの、わかいじぶんのすがたを、目にうかべました。楽しかったクリスマスの前の晩のことを、おもいだしました。でっくりもっくりさんのおはなしを、うれしそうにきいていた、小ねずみたちのことをおもいだしました。
「もうだめだ、もうだめだ。」と、かわいそうなもみの木はためいきをつきました。「たのしめるときに、たのしんでおけばよかった。もうだめだ。もうだめだ。」
やがて、下男が来て、もみの木を小さくおって、ひとたばの薪につかねてしまいました。それから大きなゆわかしがまの下へつっこまれて、かっかと赤くもえました。もみの木はそのとき、ふかいためいきをつきました。そのためいきは、パチパチ弾丸のはじける音のようでした。ですから、そこらであそんでいるこどもたちは、みんなかけてきて、火のなかをのぞきこみながら、
「パチ、パチ、パチ。」と、まねをしました。
もみの木は、あいかわらず、ふかいためいきのかわりに、パチ、パチいいながら、森のなかの、夏のまひるのことや、星がかがやいている、冬の夜半のことをおもっていました。またクリスマスの前の晩のことや、たったひとつきいて、しかも、そのとおりにおはなしのできるでっくりもっくりさんの、むかしばなしのことを、かんがえていました――するうち、木はもえきってしまいました。
こどもたちは、やはり、にわであそんでいました。そのいちばん小さい子は、金の星をむねの上につけていました。その星は、もみの木が一生のうちで、いちばんたのしかった晩、あたまにつけていたものでした。けれど、いまはそれも、おしまいになりました。もみの木も、そのおはなしも、おしまいになりました。おしまい。おしまい。さて、どんなおはなしも、そうしておしまいになっていくのです。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「ぼくのからだの中で、ミシミシ音がするぞ。まったく、すばらしく寒いや!」と、雪だるまが言いました。「風がピューピュー吹きつけて、まるで命を吹きこんでくれようとしているようだ。だが、あの光ってるやつは、いったい、どこへ行くんだろう? あんなにギラギラにらんでいるぞ!」雪だるまが、そう言っているのは、お日さまのことでした。お日さまは、いまちょうど、しずもうとするところだったのです。「あんなやつが、いくらまばたきさせようったってまばたきなんかするもんか。まだまだこのかけらが、しっかりと目にくっついているんだからな」
雪だるまの目になっているのは、大きな三角の形をした、二枚の屋根がわらのかけらだったのです。口は、古い、こわれた草かきでできていました。ですから、雪だるまには、歯もあったわけです。
この雪だるまは、男の子たちが、うれしそうに、ばんざい、とさけんだのといっしょに、生れてきたのでした。そしてそのとき、そりの鈴の音や、むちの音が、ちょうど挨拶でもするように、雪だるまをむかえてくれました。
お日さまがしずみました。すると、青い空に、まんまるい大きなお月さまが、明るく、美しくのぼりました。
「今度はまた、あんなちがったほうから出てきたぞ」と、雪だるまが言いました。雪だるまは、また出てきたのが、お日さまだと思ったのでした。「でも、いいや。あいつが、ぼくをギラギラにらむのだけは、やめさしてやったぞ。ああして、あんな高いとこにぶらさがって、光ってるんなら光っているがいい。おかげで、ぼくは、自分のからだがよく見えるというもんだ。
さてと、どうしたら、からだを動かすことができるんだろうなあ。それさえわかったらなあ! ああ、なんとかして動いてみたい! もし動くことができたら、ぼくもあの男の子たちのやってたみたいに、氷の上をすべって行くんだけどなあ! だけど、どうして走ったらいいのか、わかりゃしないや」
「ワン! ワン!」そのとき、くさりにつながれている、年とったイヌが、ほえました。このイヌは、いくらか声がしゃがれていました。もっとも、まだ部屋の中に飼われて、ストーブの下に寝ころんでいたときから、そんなふうにしゃがれ声だったのです。「どうしたら走れるか、今に、お日さまが教えてくれるよ。わしはな、去年、おまえの先祖が教わってたのを見たんだし、それから、そのまた前の先祖も、やっぱり、同じように教わってたのを見たんだよ。ワン! ワン! そうして、みんな行っちゃったのさ」
「きみの言うことは、ぼくにはちっともわからないよ」と、雪だるまが言いました。「じゃあ、あんな上のほうにいるものが、ぼくに走り方を教えてくれるのかい?」雪だるまが、そう言っているのは、お月さまのことだったのです。「ほんとうにね、さっき、ぼくがじっと見ていたときは、あいつ、どんどん走っていたよ。だけど、今度はね、またべつのほうから、そっと出てきたんだよ」
「おまえは、なんにも知らないんだね」と、くさりにつながれているイヌが言いました。「それもそうだな。おまえは、ついさっき、作ってもらったばっかりなんだからな。おまえが、いま見ているのは、お月さまというものだよ。さっき見えなくなったのが、お日さまさ。お日さまは、朝になると、また出てきて、堀の中へすべりこむやり方を、きっと、おまえに教えてくれるよ。おや、もうすぐ、天気がかわるぞ。わしは、左の後足でそれがわかるんだ。そこんとこが、ずきずきするもんだからね。きっと、天気ぐあいがかわるよ」
「あのイヌの言うことは、ちっともわからない」と、雪だるまは言いました。「だけど、なんだか、ぼくによくないことを言ってることだけは、わかる。さっき、ぼくをギラギラにらみつけて、しずんでいったのは、たしかお日さまと言ってたが、あれも、ぼくの友だちなんかじゃないようだ。どうも、そんな気がする」
「ワン! ワン!」くさりにつながれているイヌが、ほえました。それから、三べんまわって、自分の小屋にはいって、眠ってしまいました。
やがて、天気ぐあいが、ほんとうにかわってきました。明け方になると、こい、しめっぽい霧が、あたりいちめんに、おおいかかりました。お日さまののぼるすこし前に、風が吹きはじめました。風は氷のようにつめたくて、まるで、骨のずいまでしみとおるようでした。
ところが、お日さまがのぼると、なんというすばらしい景色があらわれたことでしょう! 木という木、やぶというやぶが、みんな霜でおおわれて、まるで、まっ白なサンゴの林のように見えました。どの枝にも、キラキラかがやくまっ白な花が、咲いているのではないかと思われました。数かぎりない、細い、小さな枝は、夏にはたくさんの葉が茂っていたために見えなかったのですが、いまは一つ一つが、はっきりとあらわれているのでした。そのありさまは、まるで、キラキラ光る白いレースもようのようでした。まっ白な光が、一つ一つの枝から流れ出ているようでした。シラカバは、ゆらゆらと風にゆれていました。それは、夏のころ、ほかの木がいきいきとしているように、いま、いきいきとしていました。ほんとうに、なんて美しいのでしょう! とても、ほかのどんなものにもくらべることができません。
やがて、お日さまが、かがやきはじめました。すると、あたりいちめんは、まるでダイヤモンドの粉をふりまかれたように、美しくきらめきました。地面に降りつもった雪の上には、大きなダイヤモンドが、キラキラとかがやいているのでした。でなければ、白い白い雪よりも、もっとまっ白な、数知れない小さな光が燃えているのだと、思うこともできたでしょう。
「まあ、なんてきれいなんでしょう!」若い男といっしょに庭へ出てきた、ひとりの若い娘が、雪だるまのすぐそばに立ちどまって、キラキラ光る木々のほうをながめながら、そう言いました。「夏には、こんな美しい景色はとても見られないわ!」と、娘は、目をかがやかせて、言いました。
「それから、ここにいるこんなやつだって、夏にはとても見られないね」と、若い男は言って、雪だるまを指さしました。「うまくできているじゃないの」
娘はほほえんで、雪だるまのほうにむかって、うなずいてみせました。それから、友だちといっしょに、雪の上を踊るようにして、むこうへ行ってしまいました。すると、まるで澱粉の上でも歩いているように、足の下で、雪がギシギシ鳴りました。
「あのふたりは、だれなの?」と、雪だるまは、くさりにつながれているイヌに、たずねました。「きみは、このお屋敷では、ぼくより古いんだから、あの人たちを知ってるだろう?」
「もちろん、知ってるさ」と、くさりにつながれているイヌが言いました。「あの娘さんは、わしをなでてくださるし、男のひとは骨をくださるんだよ。だから、あのふたりには、かみつかないことにしているのさ」
「だけど、あのふたりは、どういう人たちなんだい?」と、雪だるまはたずねました。
「いいい……いいなずけさ!」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「これから、イヌ小屋へ行って、いっしょに骨をかじろうってのさ。ワン! ワン!」
「あのふたりも、やっぱり、きみとぼくのようなものかい?」と、雪だるまはたずねました。
「ご主人の家のかたにきまってるじゃないか!」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「じっさい、きのう生れてきたばかりのものは、なんにも知らんものさ。おまえを見りゃあ、すぐわかるよ。わしは年をとっているし、いろいろなことを知っている。このお屋敷の人だって、みんな知ってるんだ。それに、今でこそ、こうやって寒いとこに、くさりでつながれているんだが、そんなことのなかった時のことだって、知ってるんだ。ワン! ワン!」
「寒いのは、すてきじゃないか!」と、雪だるまは言いました。「話してくれよ、話してくれよ。だけど、そんなに、くさりをガチャガチャさせないでくれたまえ。からだの中まで、びんびんひびいてくるからね」
「ワン! ワン!」と、くさりにつながれているイヌが、ほえました。「まだそのころは、わしも小イヌだった。ちっちゃくて、かわいかったそうだ。そのころは、お屋敷の中で、ビロードを張った椅子の上に寝かしてもらったり、ご主人のひざの上に抱いてもらったりしたものだよ。そればかりじゃない。口にキスをしていただいたり、ししゅうをしたハンカチで、足をふいていただいたりしたものさ。みんなはわしのことを、『きれいな子』だとか『かわいい、かわいい子』なんて、呼んでくれたんだ。
ところが、そのうちに、わしがあんまり大きくなりすぎたものだから、女中頭のところへやられてしまったんだ。それから、地下室で暮すようになったのさ。そら、おまえの立ってるところから、その中が見えるだろう。わしがご主人だった、その部屋がさ。そこでは、わしがご主人だったんだ。上にいた時より、部屋は小さかったけれど、かえって住みごこちはよかったよ。上にいた時のように、子供たちにこづきまわされたり、引っぱりまわされたりしないですんだんだからね。それに、食べ物だって、前と同じように、いいものがもらえたんだ。いや、かえって、前よりいいくらいだった。
それから、ふとんも、自分のがちゃんとあったし、おまけに、ストーブもあったんだ。このストーブってのは、ことに、いまみたいに寒いときは、世の中でいちばんすてきなものだからなあ! わしがそのストーブの下にはいこむと、すっかりからだがかくれてしまうんだ。ああ、いまでもわしは、そのストーブの夢を見るのさ。ワン! ワン!」
「ストーブって、そんなにきれいかい?」と、雪だるまがたずねました。「じゃあ、ぼくみたいかい?」
「おまえとは、まるで反対さ! それは、炭のようにまっ黒で、長い首と、しんちゅうの胴を持っているんだ! まきを食べるもんだから、口から火をはきだしているのさ。わしらは、そのそばにいなければいけないんだが、その上か、下にいてもいいんだ。そうすると、なんとも言えないほど、いい気持なんだ! おまえの立ってるところから、窓ごしに見えるだろう」
そう言われて、雪だるまがのぞいてみると、そこには、ほんとうにしんちゅうの胴を持った、ピカピカにみがきあげられた、まっ黒なものが立っていました。そして、赤いほのおが、下のほうからかがやいていました。それを見ているうちに、雪だるまは、まったくへんな気持になりました。自分でも、さっぱり、わけがわかりません。なにか、雪だるまの知らないものがやってきたのです。しかし、雪だるまでないほかの人たちには、それがなんだかわかっているのです。
「じゃあ、どうしてきみは、あの女のひとのそばから出て来てしまったんだい?」と、雪だるまは言いました。雪だるまは、ストーブが女のひとにちがいない、と感じたのです。「どうして、そんなにいいところから来たんだね?」
「そうさせられてしまったのさ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「わしは、外へ追い出されて、こんなところにくさりでつながれてしまったんだよ。いちばん下の坊ちゃんが、わしのしゃぶってた骨をけとばしたもんだから、それで、その足にかみついてやったんだ。骨には骨で返せ、と、わしは思ったのさ! ところが、それを、みんなにわるくとられてしまって、その時から、こうして、ここで、くさりにつながれているんだ。わしのいい声も、ひどくなってしまった。どうだい、ずいぶんしゃがれた声だろう。ワン! ワン! これでおしまいだよ」
雪だるまは、もう、イヌの言うことなどを聞いてはいませんでした。ただじっと、地下室にある、女中頭の部屋の中を、のぞきこんでいたのです。そこには、ストーブが、鉄の四本足で立っていました。それは、ちょうど、雪だるまと同じくらいの大きさに見えました。
「ぼくのからだの中が、いやにミシミシいうぞ」と、雪だるまが言いました。「どうしても、あそこへは入っていけないんだろうか? こんなのは、罪のない願いなんだがなあ。罪のない願いというものは、きっとかなえてもらえるものなんだがな。これが、ぼくのいちばんのお願いで、おまけに、たった一つのお願いなんだ。もしこの願いがきいてもらえないとすれば、そりゃあ、まったく不公平というものだ。よし、どうしてもぼくは、窓ガラスをこわしてでも、入っていって、あのストーブによりかかってやろう」
「おまえは、あんなところへ、入っていけやしないよ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「それに、もしおまえが、ストーブのそばになんか行けば、とけて消えちまうよ。ワン! ワン!」
「もう、とけているのもおんなじようなものだ」と、雪だるまは言いました。「ぼくは、まるで切りきざまれているような気持だ」
一日じゅう、雪だるまはそこに立って、窓ごしに部屋の中をのぞきこんでいました。あたりがうす暗くなると、部屋の中は、ますます楽しそうに見えてきて、雪だるまの心は、もっともっとそこにひきつけられました。ストーブからは、たいそうやわらかな光がさしていました。それは、お月さまの光ともちがいますし、お日さまの光ともちがっていました。ほんとうに、それは、ストーブの中に何かがはいっているとき、ストーブだけが出すことのできる光でした。ドアが開かれると、そのたびに、ほのおがさっと外に出てきました。それは、ストーブの持っている、いつものくせだったのです。するとそのほのおは、雪だるまの白い顔にまっかにうつりました。そして、胸の上をも、赤々と照らしだしました。
「ああ、もう、とてもたまらないや」と、雪だるまが言いました。「ああして、舌を出すようすは、ほんとうによく似合っている!」
たいそう長い夜でした。けれども、雪だるまには、そんなに長いとも思われませんでした。雪だるまは、自分の楽しい空想にふけっていたのです。そして、からだはつめたくこおりついて、ミシミシいっていました。
朝になると、地下室の窓には、いちめんに氷が張っていました。そして、雪だるまが心から望んでいる氷の花が、それはそれは美しく、いっぱい咲いていました。でも、そのために、ストーブはかくれてしまいました。窓ガラスの氷は、とけそうもありません。雪だるまは、あのストーブの姿を見ることができませんでした。あたりでは、ミシミシ、パチパチ、音がしています。まったく、雪だるまが心の底からよろこびそうな、霜の多い、きびしい寒さでした。それなのに、雪だるまはちっともよろこびません。ほんとうなら、きっと、しあわせに感じたでしょうし、また、しあわせに感じるはずだったのですが、じつは、すこしもしあわせには思いませんでした。それもそのはず、雪だるまは、ただもうストーブのことばかり考えて、恋しがっていたのですもの。
「雪だるまにとっちゃ、そりゃあ、わるい病気だよ」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「前にわしも、この病気にかかったことがあるが、もう今では、すっかりなおってしまった。ワン! ワン!――おや、天気ぐあいがかわるぞ!」
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ますます暖かくなってきて、雪だるまはとけはじめました。もう、何も言いません。不平もこぼしません。こうなると、いよいよほんものです。
ある朝、雪だるまは、とうとうくずれてしまいました。雪だるまの立っていたところには、ほうきのえのようなものが、つっ立っていました。それをしんにして、子供たちが、雪だるまをこしらえたのでした。
「なるほど、これでやっと、あいつがあんなに、ストーブを恋しがってたわけがわかった」と、くさりにつながれているイヌが、言いました。「雪だるまは、からだの中に、ストーブの火かきを持っていたんだな。それが、あいつのからだの中で、あんなに動いていたんだ。でも、もうおしまいさ。ワン! ワン!」
こうして、寒い冬も、やがてすぎてしまいました。
「ワン! ワン! おしまいだ、おしまいだ!」と、くさりにつながれているイヌが、ほえました。お屋敷では、小さな女の子たちがうたいはじめました。
クルマバソウよ! 青いきれいな芽をお出し!
ヤナギは毛糸の手袋おぬぎ!
カッコウ、ヒバリがきて鳴けば、
楽しい春が、もうきます!
わたしもいっしょにうたいましょ! カッコウ!
やさしいお日さま、はあやくきてよ!
今はもう、雪だるまのことを思い出す人は、だれもありませんでした。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "059997",
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さいしょのお話
鏡と、鏡のかけらのこと
さあ、いいですか、お話をはじめますよ。このお話をおしまいまで聞けば、わたしたちは、いまよりも、もっといろいろなことを知ることになります。それは、こういうわけなのですよ。
あるところに、ひとりのわるいこびとの妖魔がいました。それは妖魔の中でも、いちばんわるいほうのひとりでした。つまり、「悪魔」です。ある日のこと、悪魔は、たいそういいごきげんになっていました。というのは、この悪魔は、まことにふしぎな力をもつ、一枚の鏡をつくったからでした。つまり、その鏡に、よいものや、美しいものがうつると、たちまち、それが小さくなり、ほとんどなんにも見えなくなってしまうのです。ところが、その反対に、役に立たないものとか、みにくいものなどは、はっきりと大きくうつって、しかもそれが、いっそうひどくなるというわけです。たとえようもないほど美しい景色でも、この鏡にうつったがさいご、まるで、煮つめたホウレンソウみたいになってしまうのです。どんなによい人間でも、みにくく見えてしまいます。さもなければ、胴がなくなって、さかさまにうつってしまうのです。顔は、すっかりゆがめられてしまって、見わけることさえできません。そのかわり、そばかすが一つあっても、それが、鼻や口の上までひろがって、はっきりと見えてくるしまつです。
「こいつは、とてつもなくおもしろいや」と、悪魔は言いました。たとえばですよ、なにか信心深い、よい考えが、人の心の中に起ってきたとしますね、すると、鏡の中には、しかめっつらがあらわれてくるのです。こびとの悪魔は、自分のすばらしい発明に、思わず、吹き出してしまいました。悪魔は、妖魔学校の校長をしていましたが、この学校にかよっている生徒たちは、みんな、奇蹟が起った、と、言いふらしました。そして、いまこそはじめて、世の中と、人間のほんとうの姿が見られるのだ、と、口々に言いました。
こうして、みんなが、その鏡をさかんに持ち歩いたものですから、とうとうしまいには、その鏡に、ゆがんでうつらない国も、人間も、なくなってしまいました。そこで、今度は、天までのぼっていって、天使や、神さまをからかってやろうと、とんでもないことを考え出しました。みんなが、鏡を持って、高くのぼっていくと、鏡の中にうつるしかめっつらが、ますますひどくなってきました。そして、鏡をしっかり持っているのが、やっとになりました。みんなは、それでもかまわず、ずんずんのぼっていって、だんだん神さまと天使のところに近づきました。
が、そのとき、鏡は、しかめっつらをしながら、おそろしくふるえだしました。そのため、とうとう、みんなの手から離れて、地上に落っこちてしまいました。そして、何千万、何億万、いやいや、もっとたくさんの、こまかいかけらに、くだけてしまいました。こうして、いままでよりももっと大きな不幸を、世の中にまき散らすことになったのです。というのは、くだけ散ったかけらの中には、やっと砂粒ぐらいの大きさしかないのも、いくつかあったからです。こういうかけらは、広い世の中にとび散りました。そして、それが、人間の目の中にはいると、そこにいすわってしまうのです。そうすると、その人の目は、なにもかもあべこべに見たり、でなければ、物のわるいところばかりを、見てしまうようになるのです。なにしろ、一つ一つの、ほんの小さな鏡のかけらでも、鏡ぜんたいと、同じ力を持っているのですからね。
小さな鏡のかけらは、幾人かの人たちの心の中にさえ、はいりこみました。しかし、そうなると、ほんとうにおそろしいことです。その人の心は、ひとかたまりの氷のようになってしまうのです。また、鏡のかけらの中には、窓ガラスに使われるくらい、大きいのもありました。けれども、この窓から友だちを見ようとしたところで、そんなことは、とてもむりな話です。それから、めがねになった、かけらもあります。けれども、このめがねをかければ、物を正しく見たり、正しくふるまったりすることは、とうていできません。これを見た悪魔は、笑いころげて、もうすこしで、おなかが、破裂してしまいそうになりました。でも、ゆかいでたまりませんでした。まあ、それはともかくとして、外では、まだこの小さなガラスのかけらが、空中を舞っていました。
さあ、それでは、つぎのお話を聞きましょう!
二番めのお話
男の子と女の子
大きな町には、たくさんの家があって、大ぜいの人が住んでいます。ですから、みんながみんな、めいめいの庭を持つだけの場所がありません。それで、たいていの人は、植木ばちに花を植えて、それで満足しなければならないのです。
ちょうどそういうような町に、ふたりの貧しい子供がいました。ふたりは、植木ばちよりもいくらか大きい庭を持っていました。このふたりは、兄妹ではありませんが、まるで、ほんとの兄妹のように仲よしでした。ふたりの両親は、おとなりどうしで、どちらも屋根裏部屋に住んでいました。一方の家の屋根は、おとなりの家の屋根につづいていて、両方ののきを、雨どいがつたっていました。そして、その二つの屋根裏部屋から、小さな窓がむかいあっていて、といを、ひとまたぎしさえすれば、一方の窓からむこうの窓へ行くことができました。
どちらの両親も、窓のそとに大きな木の箱を置いて、その中に、みんなの食べる野菜を植えていました。それから、小さなバラも、一かぶずつ植えていました。バラは、みごとにしげっていました。そして、この箱は、といをまたいで置いてありましたので、箱の両はしが、もうすこしで、むこうの家の窓にとどきそうになっていました。ですから、両側に、いきいきとした、二つの花のかべができているようなぐあいでした。エンドウのつるは、箱の外へたれさがり、バラの木は長い枝を出して、窓のまわりにからみついて、たがいにおじぎをしあっていました。そのありさまは、まるで、緑の葉と花とでできた、がいせん門を見るようでした。箱はずいぶん大きかったし、それに、子供たちは、その上にはいのぼってはいけないと言われていましたから、ふたりはときどき、おかあさんのおゆるしをいただいて、屋根の上に出ました。そして、バラの下に置いてある、小さな椅子に腰かけて楽しくあそびました。
冬になると、こういう楽しみもなくなりました。窓ガラスは、よく、こおりついてしまいました。でも、そんなときには、子供たちは、銅貨をストーブであたためて、その熱い銅貨を、こおりついた窓ガラスに押しあてました。そうすると、そこに、まん丸い、すてきな、のぞき穴ができるのです。両方の窓ののぞき穴からは、やさしい、なごやかな目が、一つずつ、のぞいていました。それは、小さい男の子と、女の子の目でした。男の子はカイ、女の子はゲルダといいました。夏のあいだは、ふたりとも、ひとまたぎで、行ったり、来たりすることができました。ところが、冬になると、たくさんの階段をおりて、それからまた、たくさんの階段をのぼっていかなければなりません。外では、雪が、さかんに降っていました。
「あれは、白いミツバチが、むらがっているんだよ」と、年とったおばあさんが言いました。
「あの中には、ミツバチの女王もいる?」と、小さい男の子がききました。この子は、ほんとうのミツバチの中には女王がいることを、ちゃんと知っていたのです。
「ああ、いるよ」と、おばあさんは言いました。「女王バチはね、ミツバチが、いちばんたくさんむらがっているところを、とんでいるんだよ。みんなの中で、いちばん大きいのが女王バチでね、地面の上にちっともじっとしていないんだよ。黒い雲のほうへ、すぐまたとんでいってしまうのさ。冬の夜には、女王バチは、よく、町の通りをとびまわって、ほうぼうの家の窓からのぞきこむんだよ。そうして、ふしぎなことに、そのまま窓ガラスにこおりついてしまって、まるで、花をくっつけたようになるんだよ」
「うん、ぼく、見たことあるよ」「あたしもよ」と、ふたりの子供は、口々に言いました。そして、ふたりとも、それがほんとうのことだということを知りました。
「雪の女王は、ここへはいってくることができる?」と、小さい女の子がたずねました。
「はいってきたっていいや」と、男の子は言いました。「そしたら、ぼく、あついストーブの上にのせてやるから。そうすりゃ、とけちまうさ」
けれども、おばあさんは、男の子の髪の毛をなでながら、ほかのお話をして聞かせました。
夕方、カイは、部屋の中で着物をぬいでいました。ぬぎかけで、窓ぎわの椅子の上によじのぼって、小さなのぞき穴から外をのぞいてみました。外には、雪のひらが、二つ三つ、ひらひらと舞っていました。その中でいちばん大きいのが、花の箱のふちにのっかりました。と、その雪のひらは、みるみる大きくなって、とうとう、女の人の姿になりました。そのひとが身につけている着物は、とてもうすい、まっ白なしゃでできていましたが、それは、お星さまのようにキラキラする雪のひらを、何百万も集めてつくったものでした。そのひとは、見れば見るほど美しい、ほっそりとしたひとでした。でも、からだは、氷でできていました。キラキラする、まぶしいほどの氷で、できているのでした。それでも、そのひとは生きていました。目は、明るい、二つのお星さまのように、かがやいてはいましたが、おちついた、やすらかなようすは見えませんでした。女のひとは、窓のほうにむかってうなずきながら、手まねきしました。男の子は、ふるえあがって、椅子からとびおりました。なんだか、そのとき、窓の外を、一羽の大きな鳥が、とびさったような気がしました。
あくる日は、霜のおりた、よいお天気になりました。――それから、雪がとけはじめました。――やがて、春になりました。お日さまはキラキラかがやき、緑の草が顔を出し、ツバメは巣をつくりました。そして、窓は、あけはなたれました。小さな子供たちは、ふたたび、高い高い屋根の上の、小さいお庭にすわって、あそびました。
バラの花は、この夏は、たとえようもないほど美しく咲きました。小さな女の子は、讃美歌を一つおぼえました。その中には、バラの花のこともうたってありました。そして、歌の中にバラの花のことが出てくるたびに、女の子は、自分の花のことを思い出しました。女の子は、男の子にうたって聞かせました。そして、男の子も、いっしょにうたいました。
バラの花 かおる谷間に
あおぎまつる おさな子イエスきみ
それから、子供たちは、手を取りあって、バラの花にキスをしました。そして、神さまの明るいお日さまの光をあおいで、まるで、そこにみどり子イエスさまがいらっしゃるように、話しかけました。なんという美しい夏の日でしょう! 家の外で、いきいきとしたバラの花にかこまれているのは、まことに気持のよいものです。バラの花は、いつまでもいつまでも、咲きつづけようとしているようでした。
カイとゲルダは、そこにすわって、動物や鳥の絵本を見ていました。そのとき、教会の大きな塔で、時計がちょうど五時を打ちました。――カイが、こう言いました。
「あ、いたっ! 胸のとこを、なにかに、ちくりとさされたよ。目の中に、なにかはいったんだ!」
小さな女の子は、男の子の首をだきました。男の子は、目をぱちぱちやりました。けれども、なんにも見つかりませんでした。
「もう出てしまったんだろう」と、男の子は言いました。でも、まだ出てしまったのではありません。あの鏡、ほら、あの悪魔の鏡からとび散った、小さなかけらの一つが、とびこんだのです。わたしたちは、まだよくおぼえていますね。あのわるい鏡には、ふしぎな力があって、なんでも大きく美しいものは、小さくみにくく見えるのに、わるい、いやなものは、はっきりと大きくうつって、物のわるいところばかりが、すぐに目につくのでしたね。カイの心臓の中には、そのかけらが一つはいったのです。かわいそうなカイ! カイの心臓は、まもなく、氷のかたまりのようになるでしょう。しかし、いまは、もう、いたくはありません。けれども、やっぱりそれは、まだはいっていたのです。
「どうして泣くんだい?」と、カイはききました。「なんて、へんてこな顔をしてるんだい! ぼくは、もうなんともないんだぜ。チェッ!」それから、すぐまた、きゅうにさけびました。「そこのバラは、虫にくわれてらあ! それからさ、あっちのは、あんなにまがってるよ。きたならしいバラの花だなあ! まるで、植わっている箱みたいだ!」
こう言うと、カイは、はげしく箱をけとばしました。それから、二つのバラの花を、むしりとってしまいました。
「カイちゃん、なにするのよ!」と、女の子はさけびました。カイは、ゲルダがびっくりしたのを見ると、さらに、もう一つのバラの花も、むしってしまいました。そして、かわいらしいゲルダのそばを離れて、自分の家の窓の中にとびこんでしまいました。
それから、ゲルダが絵本を持っていくと、今度は、カイは、そんなのは赤ん坊の見るものだ、と言いました。また、おばあさんがお話をすると、ひっきりなしに、「だって、だって」と言っては、口をはさみました。そればかりではありません。すきさえあれば、すぐに、おばあさんのうしろへまわります。そして、めがねをかけて、おばあさんの話すまねをするのです。しかも、それがとってもうまかったので、みんなは、大笑いをしました。まもなく、カイは、近所じゅうの人たちの話し方も、歩き方も、まねすることができるようになりました。みんなのくせとか、よくないところを、カイは、じょうずにまねすることができました。それを見て、人々は、
「あの子の頭はすばらしい!」と、言いあいました。
けれども、それは、カイの目の中にはいって、心臓の中につきささっている、ガラスのせいだったのです。カイを心の底から好いている、小さなゲルダをさえ、からかうようになったのも、そのためだったのです。
あそびかたも、これまでとは、すっかりかわってきました。なんとなく、頭を働かせるような、あそびになりました。――雪の降りしきっている、ある冬の日のことでした。カイは、大きなレンズを持って、外に出ました。そして、自分の青い上着のすそをひろげて、その上に、雪のひらをつもらせました。
「ゲルダちゃん、このレンズをのぞいてごらん」と、カイは、言いました。見れば、雪のひらの一つ一つが、たいへん大きくなって、美しい花か、六角形のお星さまのようでした。それは、ほんとうに美しいものでした。
「ほら、とってもうまくできてるだろう」と、カイは言いました。「ほんとの花なんかより、ずっとおもしろいじゃないか。みんな、きちんとして、わるいとこなんか、ちっともないんだからね。だけど、とけなきゃいいんだけどなあ!」
それからすこしたつと、カイは大きな手袋をはめ、そりを肩にかついで、出てきました。そして、ゲルダの耳もとにこう言いました。「ぼくはね、みんなのあそんでいる広場で、そりに乗ってもいいって、言われたんだよ」こう言うと、カイは、さっさと、行ってしまいました。
広場では、いせいのいい子供たちが、ときどき、自分たちのそりを、お百姓の車に結びつけては、ずいぶん遠くまで、いっしょに走っていました。そうすると、すばらしく、よく走るのです。こうして、みんなが、いかにも楽しそうにあそんでいると、大きなそりが一台、やってきました。そのそりは、まっ白にぬってありました。なかには、あらい、白い毛皮にくるまって、白い、あらい帽子をかぶった人が、すわっていました。
このそりは、広場を二回、ぐるぐるまわりました。カイは、自分の小さなそりを、すばやく、そのそりに、しっかりと結びつけました。すると、カイのそりも、いっしょに走り出しました。そりは、だんだん早くなりました。またたくうちに、となりの通りへはいりました。そのとき、そりを走らせていた人が、ふりかえって、カイに親しそうに、うなずいてみせました。なんだか、ふたりは、もう前から知っているような気がしました。カイが、自分の小さなそりをほどこうとすると、そのたびに、その人がうなずいてみせるのです。それで、カイは、ついそのまま、また、すわってしまうのでした。
まもなく、ふたりは、町の門を通りぬけました。雪は、ますますはげしく、降ってきました。目の前に手をのばしても、もう見えないくらいになりました。けれども、そりはどんどん走りつづけます。そのとき、カイは、いそいで綱をゆるめて、大きなそりから離れようとしました。しかし、そうしてみたところで、どうにもなりません。カイの小さなそりは、大きいそりに、しっかりと結びつけられているのです。しかも、二つのそりは、風のように早く走っていきます。
カイは、大きな声でさけびました。でも、だれの耳にも聞えません。雪は降りしきっています。そりは、矢のようにとんでいきます。ときどき、そりは、はねあがりましたが、それは堀や生垣をとびこしているようでした。カイは、こわくてたまらなくなって、「主の祈り」をとなえようとしました。ところが、どうしても、大きな九九の表しか思い出すことができないのです。
雪のひらは、だんだん大きくなって、とうとう、大きな白いニワトリのようになりました。そして、それらが両側にとびのくといっしょに、大きなそりがとまりました。すると、そりを走らせていた人が、立ちあがりました。見れば、毛皮も、帽子も、雪でできています。そのひとは、すらりとした、背の高い女のひとでした。かがやくように白い、女のひとでした。このひとこそ、雪の女王だったのです。
「ずいぶん遠くまできたのよ」と、雪の女王は言いました。「おやおや、ふるえているのね。わたしのシロクマの毛皮の中に、おはいりなさい!」女王は、こう言うと、カイを大きなそりに乗せて、自分のそばにすわらせました。そして、毛皮をかけてやりましたが、カイは、まるで雪の吹きだまりの中に、はいったような気がしました。
「まだふるえているの?」と、雪の女王はたずねました。そして、カイのひたいにキスをしました。ああ、しかし、なんというつめたさでしょう! 氷よりも、もっとつめたいのです。そして、それはもう氷のかたまりになりかけていた、カイの心臓の中にしみこみました。カイは、いまにも死にそうな気がしました!――けれども、それはほんの一瞬でした。すぐに、気持がよくなりました。もう、自分の身のまわりのつめたさを、感じなくなったのです。
「ぼくのそり! ぼくのそりを忘れないでね!」カイは、そりのことを、なによりもさきに思い出したのです。そこで、そりは、白いニワトリの一羽にゆわえつけられました。ニワトリは、そりを背中に乗せて、あとからとんできました。雪の女王は、カイにもう一度キスをしました。すると、カイは、小さなゲルダのことも、おばあさんのことも、家のことも、みんな、きれいに忘れてしまいました。
「もう、キスはしてあげないよ」と、雪の女王は言いました。「今度わたしがキスをすると、おまえは死ぬことになるからね」
カイは、雪の女王をながめました。なんという美しさでしょう! これよりもかしこそうな、じょうひんな顔は、思いうかべようとしても、とても思いうかべることはできません。この姿を見れば、いつか、窓の外から、自分のほうへ手まねきした時のように、氷でできているとは、とても思えません。カイの目には、女王は、どこにも欠点のない、美しい人に見えたのです。いまでは、すこしもこわくはありません。
そこでカイは、女王に、自分は暗算ができることを、それも、分数の暗算ができることを話したり、国の平方マイルのことや、「人口はどのくらい?」のことなどを、話したりしました。女王は、しょっちゅう、にこにこして聞いていました。けれども、カイは、自分の知っていることは、まだまだじゅうぶんではないような気がしました。ふと、広い広い大空を見上げました。すると、女王はカイを連れて、空高く黒い雲の上までとんでいきました。あらしが、ものすごい音をたてて、吹きまくっています。まるで、むかしの歌でもうたっているようでした。ふたりは、森をこえ、湖をこえ、海をこえ、陸をこえて、とんでいきました。はるか下のほうでは、寒い風が、ピューピュー吹いていました。オオカミがほえていました。雪がキラキラ光っていました。その上を、黒いカラスが、カーカー鳴きながら、とんでいきました、上のほうには、お月さまが、大きく、明るく、かがやいていました。長い長い冬の夜じゅう、カイは、そのお月さまをながめていました。そして、昼のあいだは、雪の女王の足もとで眠りました。
三番めのお話
魔法を使うおばあさんの花園
お話かわって、カイがいなくなってから、小さなゲルダはどうしたでしょうか? それにしても、カイはどこへ行ってしまったのでしょう?――知っている人は、ひとりもいませんでした。教えてくれる人も、ありませんでした。子供たちの話によれば、カイが、自分の小さなそりを、大きな、りっぱなそりに結びつけて、通りを走りぬけて、町の門から出ていくのを見たというだけです。だれひとりとして、カイがどこにいるのか、知りませんでした。みんなは、涙をながして、悲しみました。ことに、小さなゲルダは、いつまでもいつまでも泣いていました。――こうして、カイは、町のすぐそばを流れている川に落ちて、死んだのだろう、ということになりました。そのため、ほんとうに長い暗い、冬の日が、つづきました。
やがて、暖かいお日さまのかがやく、春になりました。
「カイちゃんは死んでね、どこかへ行ってしまったのよ」と、小さなゲルダは言いました。
「わたしは、そうは思わないよ」と、お日さまは言いました。
「カイちゃんは死んでね、どこかへ行ってしまったのよ」と、ゲルダはツバメに言いました。
「ぼくは、そうは思いませんよ」と、ツバメは答えました。みんなが、こう言うので、小さなゲルダも、しまいには、そうは思わなくなりました。
「あたし、あたらしい、赤い靴をはこうっと」と、ある朝、ゲルダは言いました。「あの靴は、カイちゃんも、まだ見たことがなかったわ。あれをはいて、川へ行って、カイちゃんのことをきいてみよう」
夜が明けたばかりのころでした。ゲルダは、まだ眠っているおばあさんにキスをすると、赤い靴をはいて、たったひとりで、町の門を出て、川へ行きました。
「あなたが、あたしの仲よしを取ってしまったっていうの、ほんとうなの? あなたが、もしカイちゃんをかえしてくれれば、この赤い靴をあげてよ」
と、どうでしょう。ふしぎなことに、なんだか、波が、うなずいたような気がします。そこで、ゲルダは、自分の、だいじなだいじな赤い靴をぬいで、両方とも川の中へ投げこみました。けれども、靴は岸の近くに落ちたものですから、小さい波が、すぐまた、その靴を陸におしかえしてきました。まるで、ゲルダのいちばんだいじなものを取ってしまうのは気の毒だ、と言っているように見えました。だって、そうでしょう。川は、カイを取りはしなかったのですからね。しかし、ゲルダは、靴を遠くまで投げなかったからだと思いました。そこで、アシのあいだにあった、ボートにはいあがって、そのいちばんさきまで行きました。そして、そこから、靴を投げこみました。ところが、このボートは、しっかりつないでありませんでした。ですから、ボートの中で、ゲルダが動いたとたんに、ボートは、するすると岸を離れました。ゲルダも、それに気がつきました。それで、岸に上ろうとして、あわててボートのこっち側のはしまで、もどってきましたが、そのときにはもう、ボートは一メートル以上も、岸から離れていました。そして、そのまま、ぐんぐん早く、すべり出しました。
このありさまに、小さなゲルダはびっくりして、わっと泣き出しました。けれども、スズメたちのほかは、だれにも聞えません。かといって、スズメたちでは、ゲルダを陸に連れもどしてくれることはできません。スズメたちは、ゲルダをなぐさめようとでもするように、岸づたいにとびながら、
「あたしたちは、ここよ。あたしたちは、ここよ」と、さえずりました。
ボートは流れにつれて、くだっていきました。小さなゲルダは、靴下のまま、ボートの中でじっとしていました。小さな赤い靴は、あとから流れてきました。けれども、ボートのほうが早いため、追いつくことはできません。
流れの両岸は、美しい景色でした。きれいな花や、年とった木々や、ヒツジやウシのいる丘が、目にうつりました。けれども、人の姿はさっぱり見えません。
「もしかしたら、この川が、あたしをカイちゃんのところへ連れて行ってくれるのかもしれないわ」と、ゲルダは思いました。そう思うと、いままでよりも、ずっと元気がでてきました。そして、ボートの中に立ちあがって、美しい緑の両岸を、なん時間もながめていました。そのうちに、大きなサクラの園へ、さしかかりました。園の中には、小さな家が一けん、立っていました。そして、赤と青の、ふしぎな窓が見えました。屋根は、ワラでふいてあって、入り口には、木の兵隊さんがふたり、立っていました。そして、舟に乗ってとおる人に、捧げ銃をしていました。
ゲルダは、その兵隊さんたちが生きていると思って、呼びかけました。けれども、兵隊さんたちは、もちろん返事をしませんでした。やがて、川の流れが、ゲルダのボートを岸に近づけてくれたので、兵隊さんたちのそばまできました。
ゲルダは、もっと大きな声を出して、もう一度呼んでみました。すると、家の中から、それはそれは年をとったおばあさんが、撞木杖にすがって、出てきました。おばあさんは、大きな日よけ帽子をかぶっていました。見ると、その帽子には、とてもきれいな花の絵がかいてありました。
「おやまあ、かわいそうに!」と、おばあさんは言いました。「こんなに大きな、流れのはげしい川を、よくもまあ、こんな遠くまで来たもんだ!」おばあさんは、こう言うと、水の中まではいってきて、撞木杖をボートにひっかけて、岸に引きよせてくれました。そして、小さいゲルダを陸にあげてくれました。
ゲルダは、陸にあがれたので、うれしくてなりませんでしたが、この知らないおばあさんは、なんとなく気味わるく思いました。
「さあ、おいで。おまえは、どこの子だね? どうして、ここへ来たんだね? わたしに話してごらん」と、おばあさんは言いました。
そこで、ゲルダはおばあさんに、いままでのことをのこらず話しました。おばあさんは、首をふりながら、「ふん、ふん」と言って、きいていました。ゲルダは、すっかり話してしまうと、カイちゃんを見かけませんでしたか、ときいてみました。すると、おばあさんの言うのには、そんな子はまだここを通らないね、でも、いまにきっとくるだろう、まあ、あんまり悲しまないほうがいいよ、サクランボでも食べたり、花でも見たりしていなさい、ここの花は、どんな絵本よりもきれいなんだよ、それに、その一つ一つが、お話をすることもできるんだよ、と言いました。それから、おばあさんは、ゲルダの手を取って、小さい家の中にはいって、入り口の戸をしめました。
窓は、かなり高いところにありました。窓ガラスは、赤と青と黄色でしたので、お日さまの光がさしてくると、部屋の中は、色さまざまの、ふしぎな光にみたされました。テーブルの上には、いかにもおいしそうな、サクランボがのっていました。ゲルダは、いくら食べてもいいよ、と言われたものですから、好きなだけ食べました。こうして、ゲルダが食べていると、おばあさんは、金のくしでゲルダの髪をすいてくれました。髪の毛は、波形にちぢれて、それはそれは美しく金色に光りました。そして、バラの花のように、まるくて、かわいらしい、ゲルダの小さな顔のまわりに、たれさがりました。
「わたしはね、おまえのような、かわいい女の子が、ほしくてならなかったんだよ!」と、おばあさんは言いました。「ふたりで、仲よくやっていこうじゃないか」
おばあさんがゲルダの髪をとかしているうちに、ゲルダは、だんだん、仲よしのカイのことを忘れていきました。それもそのはず、このおばあさんは、魔法を使うことができたのですからね。といっても、わるい魔法使いではありませんでした。ただ自分のなぐさみのために、ちょっとばかし、魔法を使うだけだったのです。いまも、かわいらしいゲルダを、自分のそばにおいておきたかっただけなのです。おばあさんは、庭へ出ていって、咲きみだれている、バラの木のほうへ、撞木杖をのばしました。すると、あんなにも美しく咲いていたバラの花が、たちまち、黒い土の中へ、消えうせてしまいました。もう、こうなれば、いままでバラの花がどこにあったのか、だれにもわかりません。おばあさんとしては、ゲルダがバラの花を見たら、自分の家のバラの花や、小さなカイのことを思い出して、逃げていきはしないかと、それが心配だったのです。
さて、今度は、おばあさんは、ゲルダを花園へ連れていってくれました。――まあ! そのかおりのよいこと! 美しいこと! なんという、すてきなところでしょう! 花という花が、しかも、春、夏、秋、冬、どの季節もの花が、いまをさかりと、美しく咲きほこっているのです。どんな絵本でも、こんなに色あざやかで、美しいものはありません。ゲルダは、うれしさのあまり、とびあがりました。そして、お日さまが、高いサクラの木のうしろにしずんでしまうまで、むちゅうになって、あそびつづけました。それから、きれいなベッドの中へはいって、青いスミレの花をつめた、赤い絹の掛けぶとんをかけて、眠りました。そして、女王さまがご婚礼の日に見るような、すてきな夢を見ました。
ゲルダは、つぎの日も、暖かいお日さまの光をあびて、花といっしょにあそびました。――こうして、幾日も幾日も、すぎました。ゲルダは、いまでは、どんな花でも知っています。でも、どんなにたくさんの花があっても、なんだか一つ、たりないような気がしてなりません。けれども、それがなんの花かはわからないのです。
ある日のこと、ゲルダは腰をおろして、花の絵のかいてある、おばあさんの日よけ帽子をながめていました。その絵の中で、いちばんきれいなのは、バラの花でした。おばあさんは、庭のバラの花は、のこらず地面の中にかくしてしまいましたが、帽子にかいてあるバラの花だけは、消すのを忘れていたのです。でも、こうしたことは、ちょっとうっかりすると、よくあるものですね。
「あら」と、ゲルダは言いました。「ここには、バラの花がないわ」
こう言うと、花園の中へとびだしていって、いっしょうけんめい、バラの花をさがしました。けれども、いくらさがしても、見つかりません。ゲルダは、とうとう、そこにすわりこんで、泣き出しました。すると、ゲルダの熱い涙が、ちょうど、バラの木のしずんだ地面の上に、はらはらとこぼれ落ちました。と、暖かい涙に土がうるおされたものですから、たちまち、バラの木が芽を出して、大きくなってきました。そして、しずむ前と同じように、それはそれはきれいな花を咲かせました。ゲルダは、それにだきついて、バラの花にキスをしました。と、そのとたんに、家にある美しいバラの花のことを、それといっしょに、小さいカイのことを、思い出しました。
「まあ、あたしったら、どうしてこんなに、ぐずぐずしてしまったんでしょう」と、小さなゲルダは言いました。「カイちゃんをさがさなければならないのに! ――あなたがた、カイちゃんはどこにいるか知らない?」と、ゲルダは、バラの花にたずねました。「カイちゃんは死んで、どこかへ行ってしまったと思う?」
「死んではいませんわ」と、バラの花は言いました。「あたしたちは、いままで地面の下にいたんですのよ。そこには、死んだ人はみんないるんですけど、カイちゃんはいませんでしたわ」
「ありがとう」と、小さなゲルダは言いました。それから、今度は、ほかの花のところへ行って、そのがくをのぞきこんで、たずねました。「あなたたち、カイちゃんがどこにいるか知らない?」
けれども、どの花も、気持よさそうにお日さまの光をあびて、うつらうつらと、自分のおとぎばなしや、お話を夢に見ていました。小さなゲルダは、そういうお話を、それはそれはたくさん聞かされました。そのくせ、カイのことを知っている花は、一つもありませんでした。
では、オニユリは、なんと言ったでしょうか?
「ドン、ドンという、たいこの音が聞えますね。ただ、この二つの音だけですよ。いつまでも、ドン、ドンと。女たちの悲しい歌をお聞きなさい。坊さんたちの、さけび声をお聞きなさい!
インド人の女が、長いまっかな着物を着て、火葬のまきの上に立っています。ほのおが、その女と、死んだ夫のまわりに燃えあがりましたよ。しかし、インド人の女は、そこに集まっている人たちの中の、ひとりの男のことを、心に思っているのです。その男の目は、ほのおよりも熱く燃えています。その男の目のかがやきは、ほのおよりももっと強く、女の心にせまっています。女のからだは、もうすぐ、ほのおのために焼きつくされて、灰になるのです。けれども、心のほのおは、火葬のほのおの中で、死にたえてしまうものなのでしょうか?」
「そんなこと、あたしにはわからないわ」と、小さなゲルダは言いました。
「これが、わたしのお話ですよ」と、オニユリは言いました。
ヒルガオは、なんと言ったでしょうか?
「せまい岩道の上までつきでるように、むかしのお城がそびえています。しげったキヅタが、古びた、赤いかべをはいのぼって、葉を一枚一枚とかさねながら、高い露台のところまで、まつわりついています。その露台には、ひとりの美しいお嬢さんが立っています。お嬢さんは、らんかんから、からだをのり出して、下の道を見おろしています。バラの木にすがすがしく咲いている花も、このお嬢さんほど清らかではありません。風に運ばれてくるリンゴの花も、このお嬢さんのように軽やかではありません。美しい絹の着物が、サラサラと音をたてています。でも、このお嬢さんの待っている人は、来ないのでしょうか?」
「それ、カイちゃんのこと?」と、小さなゲルダはたずねました。
「あたしはね、ただ、あたしのおとぎばなしをお話ししただけよ。あたしの夢なのよ」と、ヒルガオは答えました。
小さいマツユキソウは、なんと言ったでしょうか?
「木と木のあいだに、長い板が綱でつるしてあるわ。ブランコなのよ。かわいらしい女の子がふたり、ブランコしているわ。――着物は、雪のようにまっ白で、帽子には、緑色の、長い、絹のリボンがひらひらしていてよ。――ふたりのにいさんがブランコにのって、腕を綱にまきつけて、からだをささえているわ。だって、片方の手には小さなお皿を持ってるし、もう一方の手にはねんどのパイプを持っているんですもの。そうして、シャボン玉を吹いてるのよ。ブランコがゆれて、シャボン玉が、いろんなきれいな色になって、とんでくわ。いちばんおしまいのシャボン玉は、まだパイプのさきにぶらさがって、風にゆられてるわ。ブランコが動いててよ。シャボン玉みたいに軽そうな、黒い小さなイヌが、後足で立ちあがって、いっしょにブランコに乗ろうとしているわ。ブランコがゆれたので、イヌが落っこちたわ。あらあら、キャンキャンほえて、おこってる! からかわれてるのよ。シャボン玉がこわれたわ。――ゆらゆら揺れるブランコと、ふわふわとんでく水の泡、これがあたしの歌なのよ」
「あなたのお話は、おもしろそうだわ。でも、なんとなく悲しそうにお話しするのね。それに、カイちゃんのことは、なんにも言ってくれないわ。じゃ、ヒヤシンスさんのお話は?」
「美しい三人姉妹がおりました。三人とも、からだが、すきとおるように、ほっそりとしていました。ひとりは赤、ひとりは青、もうひとりはまっ白の着物を着ていました。三人は、お月さまのかがやく明るい晩に、静かな湖の岸べで、手を取りあって、踊りました。けれども、この三人は妖精の娘ではありません。人間の娘たちなのです。あたりには、あまいかおりが、ただよっていました。やがて、娘たちは、森の中へ姿を消しました。かおりは、いっそう強くなりました。――
三つのお棺が、あの美しい娘たちのはいっている三つのお棺が、森の茂みから出て、湖の上を静かにすべってゆきました。ホタルが、そのまわりを、空に浮んでいる小さな明りのように、光りながらとびまわっていました。踊りをおどった娘たちは、眠っているのでしょうか、それとも、死んだのでしょうか? ――花のかおりは、言っています、あれは、娘さんたちのなきがらですよ、と。ゆうべの鐘が、死んだ人たちの上に、悲しげに鳴りひびいています」
「あなたのお話を聞いているうちに、すっかり悲しくなったわ!」と、小さなゲルダは言いました。「あなたのにおいが、ずいぶん強いものだから、あたしもその死んだ娘さんのことを思いうかべてしまうわ。ああ、だけど、カイちゃんはほんとうに死んだのかしら? バラの花は地面の下にしずんだのだけど、カイちゃんは死んではいなかったって言ってるわ!」
「リン、リン」と、ヒヤシンスの鐘が鳴りました。「あたしたちは、カイちゃんのために鳴っているのじゃありませんよ。あたしたちは、そんな人を知りません。ただ、あたしたちの歌をうたっているだけですわ。あたしたちの知っている、たった一つの歌をね」
それから、ゲルダは、つやつやした緑の葉のあいだから、かがやき出ている、タンポポの花のところへ行きました。
「あなたは、小さな明るいお日さまのようね」と、ゲルダは言いました。「どこへ行ったら、あたしのお友だちが見つかるか、あなた知らない?」
すると、タンポポは、それは美しくかがやいて、もう一度ゲルダをながめました。タンポポは、どんな歌をうたったでしょうか? でも、その歌も、カイのことではありませんでした。
「春のはじめのころでした。とある小さい庭に、神さまのお日さまが、暖かく照っていました。お日さまの光は、となりの家の白いかべをつたわって、すべり落ちていました。そのかべのすぐそばに、春のさいしょの黄色い花が咲いていました。そして、暖かいお日さまの光をうけて、キラキラと金色にかがやいていました。年とったおばあさんが、庭の椅子に腰かけていました。そこへ小間使いをしている、貧しい、きれいな孫娘が、ちょっとたずねてきました。娘は、おばあさんにキスをしました。このしあわせなキスには、黄金が、心の黄金がありました。口に黄金、地に黄金、朝の空にも黄金! ほら、これが、わたしのお話ですよ」と、タンポポは言いました。
「ああ、お気の毒な、あたしのおばあさん!」と、ゲルダはため息をついて、言いました。「きっと、あたしに会いたがっていらっしゃるでしょうね。そして、カイちゃんがいなくなった時と同じように、あたしのことを悲しんでいらっしゃるでしょうね。でも、あたし、すぐにおうちに帰ってよ。カイちゃんも、いっしょに連れてね。――お花たちにきいても、だめだわ。みんな、自分の歌ばっかしうたっていて、カイちゃんのことは、ちっとも教えてくれないんですもの」
それから、ゲルダはかわいい着物のすそをからげて、早く走れるようにしました。けれども、スイセンの上をとびこそうとしたとき、スイセンがゲルダの足をうちました。そこで、ゲルダは立ちどまって、細長い黄色い花を見て、「なにか知っているの?」と、たずねながら、スイセンのほうへからだをかがめました。
スイセンは、なんと言ったでしょうか?
「わたしは自分が見えるんですよ。自分を見ることができるんですよ」と、スイセンは言いました。「ああ、わたしは、なんていいにおいなんでしょう! ――上の小さな屋根裏部屋に、かわいらしい踊り子が、衣装を半分だけつけて、立っていますよ。踊り子は、一本足で立ったり、両足で立ったりしています。こうして、世界じゅうをふみつけているのです。でも、まぼろしみたいなものですよ。踊り子は、手に持っている布に、お茶わかしから水をかけます。それはコルセットですけどもね。――きれいにするのは、いいことですよ! 白い着物が、くぎにかかっています。これもお茶わかしの中であらって、屋根の上でかわかしたんですよ。踊り子はこの着物を着て、サフラン色の布を首にまきつけます。そうすると、着物が、いちだんと白くかがやきます。足を高く! ごらんなさい、くきの上に立っている姿を! わたしは、自分が見えるんですよ。自分を見ることができるんですよ」
「そんなこと、どうだっていいわよ」と、ゲルダは言いました。「わざわざ、あたしに話すほどのことじゃないわ」ゲルダは、こう言いすてて、庭のはずれまで走っていきました。
戸はしまっていました。けれども、さびついた掛金をおすと、それがうまくはずれて、戸があきました。そこで、ゲルダは、はだしのまま、広い世の中へかけ出していきました。ゲルダは、三度もあとを振りかえってみましたが、だれも追いかけてくるようすがありません。あんまり走ったので、とうとう、もうそれ以上、走れなくなりました。そこで、そばにあった、大きな石の上に腰をおろしました。
ふと、あたりをながめると、いつのまにか、夏はすぎさって、秋も、もう、終りに近づいているではありませんか。あの美しい花園にいたのでは、それに気がつくわけがありません。あの花園では、いつもいつもお日さまがキラキラとかがやいていて、一年じゅうのあらゆる花が、咲きかおっていたのですからね。
「あらまあ、なんて、ぐずぐずしてしまったんでしょう!」と、小さなゲルダは言いました。「もう、秋になってしまったわ。休んでもいられない!」
そこで、ゲルダは、立ちあがって、また歩いていきました。
ああ、ゲルダの小さな足は、どんなにか傷つき、つかれはてたことでしょう! あたりを見まわしても、目にうつるものは、寒々とした、ものさびしい景色ばかりです。長いヤナギの葉は、すっかり黄色になっていました。露がその葉から、雨のように、したたり落ちていました。葉が一枚、また一枚と、散っていました。リンボクだけが、まだ実をつけていました。でも、その実は、食べてもすっぱいので、おもわず、口をすぼめてしまうほどでした。ああ、目に見えるかぎりの世界は、なんて灰色で、いんうつなのでしょう!
四番めのお話
王子と王女
ゲルダは、また休まなければなりません。ゲルダが腰をおろすと、ちょうどそのむこうの雪の上を、大きなカラスが一羽、ピョンピョンとんでいました。カラスは、やがて立ちどまって、長いこと、ゲルダの顔をながめていました。それから、頭をゆらゆらさせながら、「カー、カー。こんちは、こんちは!」と、言いました。カラスには、これ以上、うまく言えなかったのです。けれども、この小さな女の子が好きになりましたので、こんな広い世の中を、ひとりぽっちで、どこへ行くの、と、ききました。
この「ひとりぽっちで」という言葉は、ゲルダにもよくわかりました。そして、この言葉には、いろんな意味があることを感じました。そこで、ゲルダは、カラスに、自分の身の上を、すっかり話して聞かせました。そして、カイちゃんを見かけませんでしたか、とたずねてみました。
すると、カラスは、おもおもしくうなずいて、こう言いました。
「あれかもしれない。あれかもしれない」
「あら、ほんと?」と、小さなゲルダは、思わず、大きな声を出しました。そして、カラスを思いきり強くだきしめて、キスをしました。
「おちついて! おちついて!」と、カラスは言いました。「ぼくは、あれがカイちゃんだと思うよ。でも、いまは、王女さまのことで頭がいっぱいだから、きみのことは忘れているらしいよ」
「カイちゃんは王女さまのところにいるの?」と、ゲルダはたずねました。
「うん。まあ、お聞き」と、カラスは言いました。「だけど、きみたちの言葉で話すのは、とっても骨がおれるんだよ。きみが、カラスの言葉をわかってくれると、もっとうまく話せるんだけどなあ!」
「でもね、カラスの言葉は、あたし習わなかったのよ」と、ゲルダは言いました。「おばあさんだったら、わかるんだけど。それに、おばあさんは、赤ちゃんの言葉だってわかるのよ。あたしも習っておけばよかったわねえ!」
「いいよ、いいよ」と、カラスは言いました。「できるだけ、うまく話してみるよ。まずいだろうけどね」それから、カラスは、知っていることを話しはじめました。
「いま、ぼくたちのいるこの国に、ひとりの王女さまが住んでいるよ。この方は、ものすごくりこうなひとでね、世界じゅうの、ありとあらゆる新聞を読んで、しかも、それをきれいに忘れてしまうといった、ひとなんだよ。そのくらい、りこうなひとなのさ。王女さまは、さいきん、玉座についたよ。でも、玉座についたところで、ちっともおもしろいものじゃないからね。
あるとき、王女さまはこんな歌を口ずさんだんだよ。それはね、『どうして、わたしは結婚してはいけないの』って歌なのさ。『そうだわ、この歌の言うことは、ほんとだわ』と、王女さまは言って、結婚しようという気になったんだよ。しかし、おむこさんにむかえようという人は、だれかに話しかけられたら、ちゃんと答えることのできる人で、ただじょうひんぶって、立っているだけの人ではいけない、というんだよ。だって、そうだろう、そんな人だと、たいくつだものね。そこで、女官たちをみんな集めて、そのことを話したのさ。その話を聞くと、女官たちは、とってもよろこんで、
『けっこうなことにぞんじます』と、みんな、口をそろえて言ったものさ。『わたくしどもも、このごろ、同じことを考えておりました』ってね。――ぼくの言うことは、一つ一つがほんとうなんだよ!」と、カラスは言いました。「じつを言うと、ぼくには、人間に飼われている、いいなずけがいてね、彼女が御殿の中を自由に歩きまわることができるもんだから、なにもかも、ぼくに話してくれたんだよ」
カラスのいいなずけが、カラスであることは、言うまでもありません。なんでも、自分の仲間をもとめるものですからね。
「そこで、さっそく、ハート形と、王女さまのお名前の頭文字とを、ふちにとった新聞が、でたってわけさ。それを読むと、姿の美しい青年なら、だれでも自由に御殿へ行って、王女さまとお話することができる、そして、だれが聞いていても、気らくに話をし、しかも、いちばんじょうずに話のできた人を、おむこさんにえらぶ、と、こう書いてあるんだよ! ――ほんとだよ、ほんとだよ!」と、カラスは言いました。「ぼくが、ここにすわっているのと同じくらい、たしかなことなんだよ。すると、人々が、どっと押しよせてきた。まったくたいへんな人で、ごったがえすような、ありさまだったよ。ところが、さいしょの日も、つぎの日も、ひとりとして、うまくやってのける者がない。みんな、往来にいるときは、なかなかよくしゃべるのさ。
ところが、御殿の門をくぐって、銀色の服を着た番兵を見たり、階段をのぼって、金ピカのお役人を見たり、キラキラした大広間へ通されたりすると、ぼうっとなってしまうんだよ。こうして、いよいよ、王女さまのいる玉座の前に立つと、王女さまの言ったさいごの言葉をくりかえすのが、やっとになるのさ。でも、王女さまは、自分の言った言葉を、もう一度聞きたいとは思っていやしない。そこへいくと、だれもかれもが、まるで、かぎタバコをおなかにのみこんだようになって、ぼんやりしてしまう、しまつなのさ! みんなは、往来へ出てからはじめて、もとのように、しゃべることができるようになるんだよ。人々の列は、町の門から御殿までつづいたっけ。ぼくも、そこへ行って見たんだよ」と、カラスは言いました。「みんなは、おなかもすくし、のどもかわく。けれども、御殿では、なまぬるい水一ぱい、もらえない。頭のいい連中の中には、バターパンを持っていった者もあるけど、もちろん、となりの人にわけてやったりはしないよ。この連中は、腹の中で、『腹のへったような顔をさせておきゃ、王女さまも、こいつをえらんだりはなさるまい』と考えていたのさ」
「だけど、カイちゃんは? 小さなカイちゃんは?」と、ゲルダは聞きました。「いつ来たの? その大ぜいの中にいたの?」
「まあ、あわてないで。あわてないで。すぐその話になるから。三日めのことだったっけ。小さな男の子が、馬にも乗らず、馬車にも乗らないで、いかにも楽しそうに、御殿をさして歩いてきたんだよ。目は、きみの目のようにかがやいていて、髪の毛は、長くて、きれいだった。だけど、着物はみすぼらしいものだったよ」
「それが、カイちゃんだわ!」と、ゲルダは、うれしそうにさけびました。「ああ、とうとう、見つかったわ!」こう言って、手をたたいてよろこびました。
「その子は、背中に小さいランドセルをしょっていたよ」と、カラスが言いました。
「ちがうわ。それは、きっと、そりよ」と、ゲルダは言いました。「そりをもったまま、どこかへ行ってしまったんですもの」
「そうかもしれないよ」と、カラスは言いました。「ぼくは、よく見たわけじゃないからね。だけど、飼われている、ぼくのいいなずけの話によると、その子は、御殿の門をくぐって、銀色の服を着た番兵を見ても、階段をのぼって、金ピカのお役人にであっても、びくともしなかったってことだよ。そうして、その人たちにうなずいてみせて、『階段の上に立っているのは、たいくつでしょう。ぼくは、奥へ行きますよ』って言ったんだって。広間には、明りが、こうこうとかがやいていてね、顧問官や大臣たちが、はだしで、金のうつわを持って、歩いていたんだよ。そんなだと、だれでも、おごそかな気持になるものさ。すると、その子の靴がものすごく高く鳴ったんだよ。でも、その子は、ちっともこわがらなかったんだってさ」
「カイちゃんにちがいないわ」と、ゲルダは言いました。「カイちゃんには、あたらしい靴があるんですもの。おばあさんのお部屋で、キュッ、キュッ、鳴ってたのよ」
「そう、キュッ、キュッ、鳴ったんだってさ」と、カラスは言いました。「それから、元気よく王女さまの前へ行ったんだよ。王女さまは、つむぎ車ぐらいもある、大きなしんじゅの上に腰かけていてね、そのまわりには、女官たちと貴族たちがひかえていたんだけど、その人たちばかりじゃなく、女官たちの小間使いと、またその小間使いの小間使いや、貴族たちの侍僕と、またその侍僕たちが、ずらっと、ならんでいたんだよ。そして、その侍僕が、また小姓を連れていたのさ。おまけに、入り口の近くに立っている者ほど、いばったようすをしていたんだよ。侍僕の侍僕につかえている小姓なんかは、ふだんは、上靴をはいて歩きまわっているくせに、このときは、顔も見られないくらい、えらそうな顔をして、戸口に立っていたのさ」
「ずいぶん、こわかったでしょうね」と、小さなゲルダは言いました。「それで、カイちゃんは王女さまと結婚したの?」
「ぼくだって、カラスでなけりゃ、王女さまと結婚するよ。たとえ、だれかと婚約していたってね。その人は、ぼくが、カラスの言葉で話すときのように、すらすらと、じょうずに話したそうだよ。ぼくのいいなずけが、そう言ってたもの。その子は、ほがらかで、かわいらしい子供だったんだよ。ほんとうは、王女さまに結婚を申しこむために、御殿へ来たのじゃなくってね、王女さまがかしこいというものだから、ただそれを知りたいと思って、来たんだよ。でも、その結果、その子は王女さまが好きになり、王女さまのほうでも、その子が好きになったというわけさ」
「きっと、そうよ。そのひとが、カイちゃんだわ」と、ゲルダは言いました。「カイちゃんは、とってもりこうなんですもの。分数の暗算だって、できるのよ。――ねえ、あたしを、御殿へ連れてってくれない!」
「うん、口で言うのは、かんたんだがね」と、カラスは言いました。「さてと、どうしたもんかな? そうだ、ぼくのいいなずけに相談してみるとしよう。きっと、いい知恵をかしてくれるよ。なぜかっていうとね、きみのような小さい女の子は、御殿へはいってもいい、という、おゆるしがもらえないんだよ!」
「それなら、だいじょうぶ」と、ゲルダは言いました。「あたしがここへ来たってことを、カイちゃんが聞けば、すぐ出てきて、あたしをむかえてくれるわよ」
「あそこの生垣のそばで、待っててよ」カラスは、こう言うと、頭をふりながら、とんでいきました。
あたりが暗くなってから、カラスは、やっともどってきました。そして、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、言いました。「ぼくのいいなずけが、くれぐれもよろしくって言ってたよ。これは、きみにあげるパンなんだけど、いいなずけが御殿の台所から取ってきてくれたんだよ。台所には、まだたくさんあるよ。きみは、きっと、おなかがへってるだろうからね。
きみが御殿の中へはいるのは、とてもむりだよ。だって、きみは、はだしなんだもの。銀色の服を着た番兵と、金ピカのお役人が、ゆるしてくれっこないよ。でも、そういったからって、泣かなくってもいいんだよ。御殿へは、きっと連れてってあげるからね。ぼくのいいなずけは、寝室へあがる、小さい裏ばしごを知ってるのさ。それに、かぎのありかだって、知ってるんだから」
それから、ふたりは、庭の中へはいって、大きな並木道を歩いていきました。木の葉が、一枚、また一枚と、散っています。そのうちに、御殿の明りが、一つ、また一つと、消えました。そこで、カラスは、ゲルダを連れて、裏門のところへ来ました。門は、いくらかあいていました。
ああ、ゲルダの胸は、心配と、あこがれとで、どんなにどきどきしたことでしょう! まるで、なにかわるいことでも、しようとしているような気持でした。ゲルダは、その人がカイちゃんかどうかを、知りたいと思っているだけなのです。たしかに、その人は、カイちゃんにちがいありません。ゲルダは、カイのかしこそうな目と、長い髪の毛とを、ありありと思いうかべました。そしてまた、ふたりが家のバラの花の下にすわっていた時のように、にこにこ笑っているカイの姿が、目に見えるようでした。カイがゲルダに会ったなら、しかもゲルダが、自分のために、どんなに遠い道を歩いてきたかを聞いたなら、そしてまた、自分が帰らないために、家の人たちが、どんなに悲しんでいるかを知ったなら、カイは、きっと、よろこぶにちがいありません。ああ、そう思うと、こわいようでもあるし、うれしいようでもありました。
やがて、ふたりは、はしご段の上に来ました。小さいランプが、たなの上にともっていました。床のまんなかに、いいなずけのカラスが立っていて、頭をあっちこっちへ動かして、ゲルダをながめました。そこで、ゲルダは、おばあさんから教わっていたように、ていねいにおじぎをしました。
「小さなお嬢さん、あなたのことは、わたしのいいなずけが、とってもほめておりましたわ」と、御殿のカラスが言いました。「あなたの履歴とか申しますものは、ずいぶん悲しいんですのね。――それでは、そのランプを持ってくださいませね。あたしがさきに立って、ご案内しますから。ここからまっすぐ、まいりましょう。もう、だれにも会いませんわ」
「あたしのすぐあとから、なにかが、来るような気がするわ」と、ゲルダは言いました。ほんとに、そのとおりです。なにかが、サッと音を立てて、ゲルダのそばを通りすぎました。それは、影が、かべにうつっていくようでした。たてがみを風になびかせ、やせこけた足をした馬、かりゅうどたちのむれ、馬に乗った紳士に、貴婦人、そういったものの、影でした。
「あれは、ただの夢なんですよ!」と、カラスが言いました。「みんなは、ああして、ご主人の考えを狩りに連れていこうと、むかえにきたんですよ。でも、かえって、つごうがいいですわ。そのほうが、寝ているところを、ずっとよくごらんになれますもの。ですけど、あなたがいまにえらくおなりになったら、あたしたちにお礼をくださるのを、お忘れにならないでね!」
「そんなことは、言うものじゃないよ」と、森のカラスが言いました。
みんなは、さいしょの広間にはいりました。広間のかべには、きれいな花もようのついている、バラ色のしゅすが、はってありました。ここでも、夢は、みんなのそばを、音をたてて通りすぎていきました。ところが、あんまり早くとんでいってしまったものですから、ゲルダの目には、ご主人の姿は見えませんでした。広間は、通りぬけるにつれて、だんだんりっぱになっていきました。ほんとうに、ただただ、あきれてしまうばかりです。
いよいよ、みんなは、寝室へきました。天井は、まるで、大きなシュロの木が、ガラスでできている葉を、それも上等のガラスでできている葉を、ひろげているようでした。床のまんなかにある、くきのような、ふとい、金の柱には、ユリの花かと思われるベッドが二つ、つるしてありました。一つはまっ白で、その中に王女が眠っていました。もう一つは、まっかでした。その中には、ゲルダのさがしているカイが、眠っているはずです。ゲルダが、赤い花びらの一つを、そっとわきへのけると、日にやけた首すじが見えました。――ああ、それはカイです!――ゲルダは、大声でカイの名を呼びながら、ランプをさし出しました。――またもや、夢が、馬に乗って、音をたてながら、この部屋にもどってきました。――その人は、目をさまして、顔をゲルダのほうへむけました。と、―― ――それは、カイではありません。
王子は、首すじのところだけが、カイに似ていたのでした。見れば、若くて、きれいなひとです。そのとき、白いユリの花のベッドから、王女が顔を出して、そこにいるのはだれ、とたずねました。そこで、ゲルダは、泣きじゃくりながら、いままでの物語や、カラスが自分のためにしてくれたことなどを、すっかり話しました。
「まあ、かわいそうに!」と、王子と王女は言いました。それから、カラスをほめてやりました。そして、自分たちは、すこしもおこってはいないけれども、こんなことは、そうたびたびしてはいけないよ、と言い聞かせました。それはともかくとして、二羽のカラスは、ごほうびをいただくことになりました。
「おまえたちは、自由にとびまわりたい?」と、王女はききました。「それとも、宮中ガラスという、ちゃんとした地位について、お台所のこぼれものをみんないただきたい?」
すると、二羽のカラスは、おじぎをして、ちゃんとした地位のほうをお願いしました。つまり、二羽のカラスは、年とってからのことを考えたわけです。そして、
「年よりになっても、らくに暮せるようにしておくのは、よいことでございます」と、言いました。
王子はベッドから起きあがって、ゲルダをそこに寝かせてくれました。ゲルダにとって、これよりうれしいことはありません。ゲルダは、小さな手をあわせました。そして、「人にしても、動物にしても、なんて親切なんでしょう!」と、心に思いました。それから、目をつぶって、ぐっすり眠りました。また、さまざまな夢が、とんではいってきました。こんどは、みんな、かわいらしい天使のように見えます。そして、みんなで、小さなそりを一つ、ひっぱっています。そのそりの上には、カイがすわって、うなずいています。でも、これはみんな、ただの夢にすぎません。ですから、ゲルダが目をさますといっしょに、消えうせてしまいました。
あくる日になると、ゲルダは頭のさきから、つまさきまで、絹とビロードの着物につつんでもらいました。そして、いつまでもこの御殿にいて、楽しく暮すように、とすすめられました。けれども、ゲルダはそれをことわって、小さな馬車と、それをひく馬と、それから、小さな長靴を一そく、いただけませんか、とお願いしました。そうすれば、その馬車に乗って、広い世の中へもう一度カイちゃんをさがしにいってみたいと思います、と申しました。
すると、ゲルダは長靴ばかりか、手をあたためるマフまでも、いただきました。身じたくも、きれいにできあがりました。こうして、いよいよ出かけようというとき、門の前に、なにからなにまで金でできている、あたらしい馬車がとまりました。その馬車には、王子と王女の紋章が、お星さまのようにキラキラ光っていました。御者と下僕と先乗りが、――そうです、先乗りまでがいたんですよ――みんな、金の冠をかぶって、ひかえていました。王子と王女は、ゲルダをたすけて馬車に乗せてくれました。それから、お別れを言って、ゲルダのしあわせを祈ってくれました。
森のカラスは、いまでは結婚していましたが、きょうは、ゲルダを三マイルばかり送ってくれることになりました。カラスは、ゲルダとならんで、すわりました。なぜかというと、カラスは、うしろむきに、馬車へ乗ることができないからです。もう一羽は、門のところに立って、羽をバタバタさせていました。このカラスは送ってきませんでした。それはこういうわけです。ちゃんとした地位についてからは、食べ物があんまりたくさんありすぎるためか、どうにも、頭がいたくてしかたがなかったのです。馬車の内側には、お砂糖のはいったビスケットが、いっぱいつめこんであって、腰掛けの下にも、果物やコショウ入りのお菓子が、はいっていました。
「さようなら、さようなら」と、王子と王女はさけびました。ゲルダは、わっと泣き出しました。カラスも泣きました。――こうして、早くも三マイルばかり、来ました。そこで、カラスも、さようならを言いました。ほんとうに、つらいつらいお別れでした。カラスは、道ばたの木の上にとびあがって、馬車が見えなくなるまで、黒い羽をバタバタさせていました。馬車は、いつまでもいつまでも、明るいお日さまのように、キラキラしていました。
五番めのお話
小さな山賊の娘
馬車は、うす暗い森の中を通っていました。けれども、たいまつの明りのように、キラキラ光っていましたので、それが山賊たちの目にとまりました。それを見ると、山賊たちは、がまんができなくなりました。
「金だぞ! 金だぞ!」と、山賊たちは、口々にさけびながら、馬車をめがけて、どっと、おそいかかりました。馬をつかまえて、先乗りや御者や下僕をうち殺しました。そして、ゲルダを馬車から引きずりおろしました。
「この子は、ふとっていて、かわいい子だわい。クルミの実で、ふとったんだろ」と、山賊のばあさんが、言いました。このばあさんには、長い、こわいひげが生えていて、まゆ毛は、目の上までかぶさっていました。
「こえた小ヒツジみたいに、うまそうじゃ。さてと、どんな味かな」ばあさんは、こう言って、短刀を引きぬきました。それは、よく切れそうにピカピカ光っていて、おそろしさに身の毛もよだつばかりでした。
「あ、いたっ!」と、その瞬間、ばあさんはさけびました。自分の小さな娘に、耳をかみつかれたのです。娘は、ばあさんの背中にぶらさがっていました。この子は乱暴で、手のつけられない子でした。いまも、おもしろがって、こんなことをしたのです。「こいつめ!」と、ばあさんは言いましたが、そのために、ゲルダを殺すことはできませんでした。
「この子は、あたしとあそぶんだもの」と、小さな山賊の娘が言いました。「それに、この子はあたしに、マフときれいな着物をくれるんだよ。そして、あたしの寝床でいっしょに寝るのさ」そして、またもやかみついたものですから、ばあさんは、とびあがって、ぐるぐるまわりをしました。ほかの山賊たちは、そのようすに大笑いをして、「見ろよ、ばあさんが、てめえのがきと踊ってるじゃねえか」と、言いました。
「あたし、あの馬車に乗ろうっと!」と、小さな山賊の娘は言いました。この子は、あまやかされて、育てられたうえに、人いちばい、ごうじょうときています。ですから、いったん言いだしたことは、どこまでも押しとおします。とうとう、ゲルダといっしょに、馬車に乗りこみました。そして、切りかぶや、イバラの茂みを乗りこえ乗りこえ、森のおく深くへ、馬車をずんずん走らせていきました。山賊の娘は、ゲルダと同じくらいの背かっこうでしたが、肩はばがひろいし、はだもこげ茶色で、ゲルダよりもずっと強そうでした。まっ黒な目をしていましたが、どことなく、悲しいようすが見うけられました。娘は、ゲルダのからだをだいて、言いました。
「あたし、おまえがきらいにならないうちは、だれにも殺させやしないよ。おまえは、きっと、王女さまなんだろう?」
「いいえ」と、小さなゲルダは言いました。そして、いままでのことを、のこらず話して聞かせました。それから、自分がどんなにカイちゃんを好きかということも、話しました。
小さな山賊の娘は、まじめな顔をして、ゲルダをじいっと見ていましたが、ちょっとうなずいてから、
「おまえがきらいになったって、だれにも殺させやしないよ。そうなったら、あたしが自分で殺すから!」と、言って、ゲルダの目をふいてやりました。そして、両手を、たいそうやわらかくて、暖かい、きれいなマフの中へ、つっこみました。
やがて、馬車がとまりました。そこは、山賊のお城の中庭でした。お城は、上から下までひびがいって、さけていました。大きいカラスや小さいカラスが、そういうさけ穴からとび出しました。人間のひとりぐらいはのみこめそうな、大きいブルドッグが幾ひきも、高くとびはねていました。しかし、ほえはしませんでした。なぜって、ほえてはいけないと、かたくとめられていたからです。
すすだらけの、古い大きな広間の中では、石だたみの床の上で、火がさかんに燃えていました。煙は天井まで立ちのぼって、出口をさがしていました。大きな大きなおかまの中で、汁が煮えたぎっていました。そして、野ウサギや、家ウサギが、くしざしにされて、火の上でぐるぐるまわされていました。
「おまえはね、今夜は、あたしといっしょに、あたしの小さな動物たちのところで寝るんだよ」と、山賊の娘は言いました。ふたりは、食べ物や飲み物をもらって、すみっこへ行きました。そこには、ワラとふとんが、しいてありました。頭の上の、はりや棒の上には、ハトが百羽ばかり、とまっていました。見たところ、みんな眠っているようでしたが、ふたりが近づくと、ちょっとからだを動かしました。
「これはみんな、あたしのなんだよ」小さな山賊の娘は、こう言うと、いきなり、手近にいた一羽をつかまえました。そして、足をつかんで、ゆすぶったので、ハトは羽をバタバタやりました。「キスしてやんな」娘は、こう言って、そのハトで、ゲルダの頬をうちました。「あっちにいるのが、森のやくざ者だよ」と、娘は話しつづけながら、かべの高いところの穴の前にうちこんである、横木のうしろを指さしました。「あそこにいる、あの二羽が、森のやくざ者なのさ。しっかりとじこめておかないと、すぐとんでっちまうんだよ。それから、ここにいるのが、あたしの古い友だちのベーだよ」こう言うと、一ぴきのトナカイを、角をつかまえて、ひっぱり出してきました。そのトナカイの首には、ピカピカ光る銅の首輪がはめてあって、それでつながれていたのでした。
「こいつも、しっかりしばっておかなくちゃならないんだよ。でないと、すぐに、あたしたちんとこから、とび出していっちまうのさ。毎晩、あたしはよく切れるナイフで、こいつの首をくすぐってやるんだよ。そうすると、こいつ、とってもこわがるから」こう言うと、小さな娘は、かべのさけ目から長いナイフを取り出して、それでトナカイの首すじをなでました。かわいそうに、トナカイは足をバタバタやりました。山賊の娘は、おもしろそうに笑いころげました。それから、ゲルダといっしょに寝床にはいりました。
「あなたは、寝ているあいだも、ナイフを持っているの?」と、ゲルダはききました。そして、ちょっとこわそうに、そのナイフをながめました。
「寝ているときだって、ナイフは持ってるよ」と、小さな山賊の娘は言いました。「なにが起るか、わかったもんじゃないからね。だけど、さっき話してくれたカイちゃんのことを、もう一度話しておくれよ。それから、おまえが、この広い世の中へ、どうして出てきたかってこともね」
そこで、ゲルダは、もう一度はじめから話をしました。すると、森のハトが、上のかごの中でクークー鳴きました。ほかのハトは、眠っていました。小さな山賊の娘は、ゲルダの首のまわりに腕をまきつけて、片手にナイフを持ったまま、いびきをかいて、眠りこんでしまいました。しかし、ゲルダは、目をつぶるどころではありません。これからさき、生きていられるのか、死ななければならないのか、ぜんぜんわからないのです。山賊たちは、火のまわりにすわりこんで、さかんにうたったり、飲んだりしています。ばあさんは、トンボ返りを打っています。ああ、しかし、小さなゲルダにとっては、なんというおそろしい光景だったでしょう!
そのとき、森のハトが言いました。
「クー、クー! ぼくたち、カイちゃんを見たよ。白いニワトリが、カイちゃんのそりを運んでいてね、カイちゃんは雪の女王の車に乗ってたよ。ぼくたちが森の巣の中で寝ていると、森の上をすれすれにとんでいったっけ。そのとき、雪の女王がぼくたち子どもに息を吹きかけたもんだから、ぼくたちふたりのほかは、みんな、こごえ死んじゃったんだよ。クー、クー!」
「あなたたち、そこで、なんて言ってるの?」と、ゲルダは大きな声で言いました。「その雪の女王は、どこへ行ったの? あなたがた、知ってる?」
「きっと、ラップランドだろうよ。あそこは一年じゅう、雪と氷ばっかりだからね。そこにつながれている、トナカイさんにきいてごらん」
「そうですよ、あそこは雪と氷ばかりで、じつにめぐまれた、すばらしい所ですよ!」と、トナカイは言いました。「キラキラ光る大きな谷間を、みんなは自由にとびまわるんです! そこに、雪の女王は夏のテントをはるんですが、女王のほんとうのお城は、北極の近くにあるスピッツベルゲンという島にあるんですよ」
「ああ、カイちゃん、カイちゃん!」と、ゲルダはため息をつきました。
「静かに寝ていなよ」と、山賊の娘が言いました。「でないと、このナイフを横っ腹へつきさすよ」
あくる朝、ゲルダは、森のハトの言ったことを、のこらず山賊の娘に話しました。娘は、たいそうまじめな顔をして、聞いていましたが、やがてうなずいて、こう言いました。「そんなことは、どっちだっていいや。どっちだっていいや。――おまえは、ラップランドがどこにあるか、知ってんの?」と、トナカイにききました。
「わたしよりよく知っている者なんて、まず、ないでしょうね」トナカイは、こう言って、目をかがやかせました。「わたしは、あそこで生れて、大きくなったんですよ。あそこの雪の原を、とびまわったんですよ」
「ねえ、おまえ」と、小さな山賊の娘は、ゲルダにむかって言いました。「男はみんな出かけちまって、いまいるのは、おっかさんだけだろ。おっかさんは、うちにのこってるんだけど、朝飯のとき、大きなびんから酒を飲んで、またちょいと寝こんじまうんだよ。――そしたら、いいことしてやるよ!」こう言うと、娘は寝床からはね起きて、おっかさんの首っ玉にとびつきました。そして、そのひげをひっぱりながら、こう言いました。「あたしの大好きなヤギさん、おはよう!」
すると、おっかさんは、指で、何度も何度も、娘の鼻をはじきましたので、しまいには、鼻が赤く青くなってしまいました。けれども、これは、ただかわいくって、しただけのことなのです。
そのうちに、おっかさんは、びんのお酒を飲んで、寝こんでしまいました。そのようすを見ると、山賊の娘は、トナカイのところへ行って、言いました。「あたしは、もっともっと、おまえをピカピカしたナイフで、くすぐってやりたいんだよ。だってそうすりゃ、とってもおもしろいもの。だけど、いいさ。おまえの綱をほどいて、逃がしてやるから、ラップランドへ行きな。だけど、いっしょうけんめい走って、この女の子を雪の女王のお城へ連れていくんだよ。そこに、この子の友だちがいるんだから。おまえも、この子が話していたとき、聞いてただろ。あんなに大きな声でしゃべってたんだもの。それに、おまえだって、耳をすまして聞いてたんだから」
トナカイは、うれしさのあまり、はねあがりました。山賊の娘は、小さなゲルダを押し上げて、トナカイの背中に乗せてくれました。そして、ゲルダのからだを、しっかりとゆわえつけて、そのうえ、小さな座ぶとんまでもくれました。山賊の娘は、こんなにまでも、いろいろと気をつかってくれたのです。
「どうだっていいや」と、娘は言いました。「これが、おまえの毛の長靴だよ。これから、うんと寒くなるからね。だけど、マフはもらっておくよ。とってもきれいなんだもの。といったって、おまえに寒い思いはさせないから。この、おっかさんの大きな指なし手袋を持ってきな。おまえなら、ひじのとこぐらいまであるだろ。さあ、はめてみな! ――ふうん、手だけ見てると、まるで、あたしのきたないおっかさんみたいだよ」
ゲルダは、うれしさのあまり、泣き出しました。
「めそめそするのは、ごめんだよ」と、小さな山賊の娘は言いました。「それよか、うれしそうな顔でもしな。それから、ここにあるパンを二つと、ハムを一つやるからね。これだけあれば、おなかもすかないだろ」二つとも、トナカイの背中のうしろに、ゆわえつけられました。山賊の娘は、戸をあけて、大きなイヌをみんなおびき入れました。それから、ナイフでトナカイの綱を切って、言いました。「さあ、走ってきな。でも、背中の女の子に気をつけるんだよ」
そこで、ゲルダは、大きな指なし手袋をはめた手を、山賊の娘のほうへのばして、「さようなら!」と言いました。それから、トナカイはかけ出して、やぶや、切りかぶをとびこえ、大きな森をつきぬけ、沼地や草原をこえて、いっさんに走っていきました。オオカミがほえ、カラスが鳴きさけびました。空のほうで、「シュー、シュー!」いう音がしました。まるで、なにかが、赤い火をはいているようでした。
「あれは、わたしの昔なじみの極光ですよ」と、トナカイは言いました。「ごらんなさい、あんなによく光ってますよ」
それから、トナカイは、いままでよりももっと早く、夜も昼も、走りつづけました。パンは、もうすっかり、食べてしまいました。ハムも食べきってしまいました。そのとき、ラップランドにつきました。
六番めのお話
ラップランドのおばあさんとフィンランドの女
トナカイは、とある小さな家の前でとまりました。その家は、たいそうみすぼらしい家でした。屋根が地面についていて、そのうえ、入り口がたいへん低かったので、家の人たちは、腹ばいになって、出入りしなければなりませんでした。家の中には、ラップランドのおばあさんがひとりいるだけで、ほかには、だれの姿も見えませんでした。おばあさんは、魚油ランプのそばに立って、さかなを焼いていました。トナカイは、おばあさんに、ゲルダのことをすっかり話しました。もっとも、それよりもさきに、自分のことを話しました。つまり、自分のことのほうが、ずっとだいじに思われたからです。だいいち、ゲルダは、寒さのために、すっかりまいってしまって、話すこともできないありさまでした。
「おやおや、かわいそうに!」と、ラップランドのおばあさんは言いました。「それなら、まだまだ、ずいぶん行かなきゃならないよ。ここから百マイルいじょうもさきの、フィンマルケンまで行かなきゃだめだね。雪の女王は、いまそこに行っていて、毎晩毎晩、青い火を燃やしているんだから。どれ、紙がないから干ダラにでも、ひとこと書いてあげようか。それを持って、わしの知ってるフィンランドの女のとこへ行くがいい。その女のほうが、わしよりか、くわしく教えてくれるだろうよ」
ゲルダは、火にあたって、暖まりながら、食べたり飲んだりしました。そのあいだに、ラップランドのおばあさんは、干ダラに、ひとことふたこと書いて、それをだいじに持っていくようにと、ゲルダに言いました。それから、またゲルダをトナカイの背中に、しっかりとゆわえてくれました。そこで、トナカイは、いっさんにかけ出しました。空のほうで、「シュー、シュー!」いう音がしました。たとえようもなく美しい、青い極光が、一晩じゅう燃えていました。
そのうちに、とうとう、フィンマルケンに来ました。ふたりは、フィンランドの女の家のえんとつをたたきました。なぜって、この家には戸口がなかったからです。
家の中は、たいそう暑かったので、フィンランドの女は、まるで、はだかのようなかっこうをしていました。このひとは背が低くて、ひどくいんきそうでした。けれども、ゲルダを見ると、すぐに着物をぬがせて、手袋と長靴を取ってくれました。この部屋の中では、こうしていないと、暑すぎてたまらなかったのです。トナカイには、頭の上に氷を一かたまり、のせてやりました。そうしてから、干ダラに書きつけてある手紙を読みました。三度ほど、くりかえして読みました。そして、すっかりそらでおぼえてしまうと、その干ダラを鉄なべの中へ、ほうりこみました。こうすれば、まだまだおいしく食べられるのです。このひとは、どんなものでも、そまつにしないひとでした。
トナカイは、まず自分の話をして、そのあと、小さなゲルダのことを話しました。フィンランドの女は、かしこそうな目をパチパチさせて聞いていましたが、なんとも言いませんでした。
「あなたは、たいへんかしこい方です」と、トナカイは言いました。「あなたは、世界じゅうの風をくくりあわせて、一本のぬい糸にしてしまうことができるんですね。わたしは、ちゃんと知ってますよ。船頭が、その一つの結び目をとくと、追風が吹き、二番めの結び目をとくと、強い風が吹き、三番め、四番めと、といていくと、あらしになって、森の木々もたおれてしまうんですね。ところで、この娘さんに、飲み物をこしらえてやってくれませんか。この娘さんが十二人力になって、雪の女王を負かすことができるような、そういう飲み物をこしらえてやってくれませんか」
「十二人力だって?」と、フィンランドの女は言いました。「さぞ、役に立つだろうよ!」それから、女はたなのところへ行って、ぐるぐるまいた、大きな毛皮を取り出して、それをひろげました。そこには、ふしぎな文字が書いてありました。フィンランドの女はそれを読んでいましたが、読んでいるうちに、ひたいから、汗がぽたぽた落ちはじめました。
しかし、トナカイは、小さいゲルダのために、もう一度熱心にたのみました。ゲルダも、目に涙をいっぱいためて、心からお願いするように、フィンランドの女を見つめました。女は、また目をパチパチやりはじめました。そして、トナカイをすみっこへ連れていって、そこであたらしい氷を頭の上にのせてやりながら、こうささやきました。
「そのカイって子は、たしかに雪の女王のところにいるけどね、いまは、なにもかもが自分の思いどおりになっているものだから、世界じゅうに、こんないいところはないと思っているんだよ。だけど、そんなふうに思っているのはね、ガラスのかけらが、カイの心臓の中につきささって、小さいガラスの粉が、目の中へはいっているためなんだよ。まずさいしょに、それを取り出さなければだめだね。さもないと、その子は、二度と、ちゃんとした人間にはなれないし、いつまでも雪の女王の言うなりに、なっていなければならないんだよ!」
「それじゃ、そういうすべてのものに打ち勝つようなものを、ゲルダさんにやってはいただけませんか?」
「わたしにはね、ゲルダがいま持っている力よりも、大きな力をやることはできないね! いまのゲルダの力がどんなに大きいか、おまえにはわからないの? どんな人間でも、どんな動物でも、ゲルダを助けてやらないではいられないじゃないか。だからこそ、ああして、はだしのまま、こんな世界の遠くまでも、こられたんじゃないか。それが、おまえにはわからないの? あの子の力は、わたしたちから教わったりする必要はないのさ。だって、あの子自身の、心の中にあるんだから。つまり、ゲルダが清らかで、罪のない子供だからなんだよ。それこそ、大きな力なのさ。もしゲルダが、自分で雪の女王のところへ行って、カイのからだから、ガラスのかけらを取り出すことができないようだったら、わたしたちではどうすることもできないね!
ここから二マイルばかり行くと、雪の女王の庭になるから、そこまで、あの子を連れてってやりなさい。雪の中に、赤い実のなっている、大きな茂みがあるから、そのそばに、ゲルダをおろしてきなさい。だけど、いつまでもおしゃべりしてないで、いそいで帰ってくるんだよ!」
こう言って、フィンランドの女は、小さなゲルダをトナカイの上に乗せてくれました。トナカイは、力のかぎり走っていきました。
「あっ、長靴を忘れちゃった! 手袋もだわ!」ゲルダは、はだをもつきさすような、寒さに気がついて、こうさけびました。しかし、トナカイは、立ちどまってはくれません。どんどん走りつづけて、とうとう、赤い実のなっている、大きな茂みのところまで来ました。そこで、トナカイは、ゲルダをおろして、ゲルダの口にキスをしました。そのとき、キラキラ光る大つぶの涙が、トナカイの頬を、はらはらとつたわり落ちました。それから、トナカイは、いま来た道を、大いそぎで引きかえしていきました。こうして、かわいそうなゲルダは、靴もなく、手袋もなく、見わたすかぎり氷の原の、寒い寒いフィンマルケンの、まっただなかに、取りのこされたのです。
ゲルダは、前へ前へと、いっしょうけんめい、かけていきました。と、とつぜん、雪のひらの軍勢が現われてきました。けれども、それは、空から降ってきたのではありません。空は晴れわたっていて、極光がかがやいていました。雪のひらは、地面の上をまっすぐに走ってくるのです。しかも、近づいてくればくるほど、ますます大きくなってくるのです。ゲルダは、いつかレンズで雪のひらを見たとき、それがどんなに大きく、どんなに美しく見えたかを、いまでもはっきりとおぼえていました。でも、ここの雪のひらは、それとはまったくちがって、はるかに大きく、はるかにおそろしいものでした。ここの雪のひらは、生きているのです。それは、雪の女王を守る前衛部隊です。しかも、まことにきみょうな形をしているのです。あるものは、みにくい大きなヤマアラシのように見えます。またあるものは、とぐろをまいて、かま首をもたげている、ヘビのように見えます。またあるものは、毛をさかだてている、ふとった、小グマのように見えます。そのどれもこれもが、まっ白に光っています。どれもこれもが、生きている雪のひらなのです。
そのとき、小さなゲルダは、「主の祈り」をとなえました。寒さがあんまりきびしいので、自分のはく息が、よく見えます。煙のように、口から出ていきます。その息がだんだんこくなって、しまいには、小さな明るい天使の姿になりました。天使たちは、地面にふれるたびに、ずんずん大きくなりました。見れば、ひとりのこらず、頭にはかぶとをかぶり、手にはやりと、たてとを持っています。天使の数は、ますます多くなるばかりです。ゲルダが「主の祈り」をとなえおわったときには、ゲルダのまわりを、天使の軍隊がとりまいていました。天使たちは、やりをふるって、おそろしい雪のひらの軍勢をつきさしましたので、雪のひらは、ちりぢりにとび散ってしまいました。
そこで、ゲルダは安心して、元気よく歩いていきました。天使たちがゲルダの手や足をさすってくれましたから、いままでのような、ひどい寒さは感じなくなりました。こうして、ゲルダは、雪の女王のお城をさして、ずんずん歩いていきました。
ところで、カイは、その後、どうしていることでしょう? ここで、ちょっと、カイのことをお話ししておきましょう。カイは、いまではゲルダのことなどは、すこしも考えていませんでした。ましてや、いま、ゲルダがお城の外にきていようなどとは、夢にも知りませんでした。
七番めのお話
雪の女王のお城で起ったことと、それからのお話
お城のかべは、降りしきる雪でできていて、窓や戸は、身を切るような風でできていました。お城には、大きな広間が百いじょうもありましたが、それは、みんな雪が吹きよせられて、できたものでした。いちばん大きな広間は、なんマイルもなんマイルもひろがっていました。その上を、光の強い極光が、明るく照らしていました。見わたすかぎり、なに一つなく、はてしのないところでした。あたりいちめんの氷がキラキラと光って、それはそれは寒いところでした。ここには、楽しさというものがありません。吹きすさぶあらしの伴奏にあわせて後足で踊り、ちゃんとした礼儀作法を心得ている、北極グマの小さな舞踏会もありません。口や手足を打っての、小さな宴会もありません。白ギツネのお嬢さんたちの、ちょっとしたコーヒーの会も、あるわけではありません。ほんとうに、雪の女王の広間は、がらんとして、だだっぴろい、寒々としたところでした。極光は、きちんきちんと燃えあがっていましたので、それがいちばん高いのはいつかも、また、いちばん低いのはいつかも、よくわかりました。
この、かぎりなく広々とした、雪の大広間のまんなかに、こおった湖が一つありました。湖の面は、なん千万という、小さいかけらにわれていました。けれども、そのかけらの一つ一つが、まったく同じようでしたから、そのぜんたいが、一つのすばらしい美術品のように見えました。雪の女王は、お城にいるときは、いつも、この湖のまんなかにすわっているのです。そして女王は、あたしは理知の鏡にすわっているのです、この鏡は世界じゅうにたった一つしかない、いちばんすぐれた鏡ですよ、と、言っていました。
小さなカイは、寒さのために、まっさおになっていました。いやそれどころか、どす黒くさえなっていました。でも、自分では、それがわからないのです。むりもありません。いまでは、雪の女王がキスをして、カイから寒いという感じを、とってしまっていたのですからね。それに、カイの心臓は、まるで氷のかたまりのように、つめたかったのです。
カイは、とがった、ひらたい氷のかけらを、いくつか引きずってきて、それをいろいろに組みあわせていました。こうして、なにかをつくり出そうというのです。ちょうど、わたしたちが、小さい木切れを、さまざまな形にならべてあそぶ、あの「中国遊び」というのに、似ていました。カイは、いろいろの形にならべてみました。それは、「知恵の遊び」といって、いちばんくふうのいるものでした。カイの目には、こういういろいろの形が、とってもすばらしくて、しかもいちばん意味があるように思われたのです。それもこれも、カイの目の中にはいりこんでいる、ガラスのかけらのしわざなのです! ぜんぶをちゃんとした形にならべると、それは一つの言葉になるのです。ところが、カイがならべたいと思っている言葉だけは、どうしてもうまくならびません。それは、永遠ということばです。そして、雪の女王は、前から、こう言っていました。
「おまえがね、その形をつくりだすことができたら、おまえを自由にしてあげるよ。そのうえ、わたしは全世界とあたらしいスケート靴とを、おまえにあげるよ」
しかし、カイには、それがどうしてもできないのです。
「わたしは、これから、暑い国々へ行ってくるよ!」と、雪の女王は言いました。「そこへ行ったら、黒い鉄なべをのぞいてこよう」――黒い鉄なべと言ったのは、エトナとかベスビオスとか言われている、火をふきだす山のことだったのです。――「わたしは、それをちょっと白くぬってやるんだよ! そうすると、レモンやブドウのために、とってもいいからね」
こう言って、雪の女王はとんでいきました。こうして、カイは、たったひとりのこされて、何マイルも何マイルもある、広々とした、氷の大広間のまんなかにすわっていました。そして、氷のかけらを見つめて、じっと考えこんでいました。しまいには、からだの中がミシミシいうほど、かたくこおりついてきました。それでも、じっとすわっていました。このようすを見れば、だれでも、カイはこごえ死んだのだろう、と思うことでしょう。
ゲルダが大きな門をくぐって、お城の中へはいってきたのは、ちょうどこの時でした。お城の中は、身を切るような風が吹いていました。けれども、ゲルダが「夕べの祈り」をとなえると、吹きまくっていた風も、まるで眠ろうとでもするように、みるみるうちに静まってしまいました。そこで、ゲルダは、寒々とした、なに一つない大広間にはいりました。――と、そこに、カイの姿が見えました。ゲルダには、カイであることが、すぐわかりました。ゲルダは、カイの首にとびついて、しっかりとだきしめながら、さけびました。「カイちゃん! なつかしいカイちゃん! ああ、とうとう見つけたわ!」
ところが、カイはつめたくなって、かたくなったまま、じっと動きません。――と見ると、ゲルダは、熱い涙をはらはらとこぼしました。その涙がカイの胸に落ちて、心臓の中にしみこんでいきました。そして、氷のかたまりをとかして、その中にあった、小さな鏡のかけらを、くいつくしてしまいました。カイはゲルダをながめました。そのとき、ゲルダは讃美歌をうたいました。
バラの花 かおる谷間に
あおぎまつる おさな子イエスきみ!
この歌を聞くといっしょに、カイはわっと泣き出しました。そして、あんまりはげしく泣いたので、とうとう、鏡のかけらが、目からころがりでました。とたんに、カイはゲルダに気がついて、うれしそうな声をあげました。
「ああ、ゲルダちゃん! なつかしいゲルダちゃん! ――きみは長いあいだ、どこへ行ってたの? それで、ぼくはどこにいるんだろう?」こう言いながら、あたりを見まわしました。「ここは、なんて寒いんだろう! なんて広々として、がらんとしたところなんだろう!」
こう言って、カイはゲルダにしがみつきました。ゲルダは、ただただうれしくて、泣いたり、笑ったりしました。そのようすが、あんまりしあわせそうなものですから、氷のかけらまでがうれしくなって、ぐるぐる踊りまわりました。やがて、踊りつかれて、横になりました。ところが、どうでしょう。今度は、あのことばのつづりどおりに、ならんだではありませんか。そら、雪の女王が、うまくできたら、自由にして、全世界とあたらしいスケート靴とをあげると言った、あの言葉があらわれているのです。
ゲルダは、カイの頬にキスをしました。すると、その頬に、赤みがさしてきました。目にキスをしました。すると、ゲルダの目のように、いきいきとしてきました。手と足にキスをしました。すると、カイはすっかり元気になりました。もうこうなれば、雪の女王がいつ帰ってきたって、だいじょうぶです。カイを自由にするという約束の文字が、キラキラかがやく氷のかけらで、いまは、はっきりと書き表わされているのです。
それから、ふたりは手を取りあって、この大きな城から出ました。ふたりは、おばあさんのことや、屋根の上のバラのことを話しました。こうして、ふたりが歩いていくと、風は静まり、お日さまはキラキラと顔を出しました。
赤い実のなっている、茂みのところまでくると、もうそこには、トナカイがきていて、ふたりを待っていました。けれども、今度は、もう一ぴき、若いトナカイもいっしょにいました。見ると、そのトナカイの乳房は、大きくふくらんでいて、ちょうどいま、子供たちに暖かいお乳を飲ませて、その口にキスをしてやっていました。二ひきのトナカイは、ゲルダとカイを乗せて、まっさきにフィンランドの女のところへ連れていきました。ここで、ふたりは、暖かい部屋の中でからだを暖めて、帰り道のことを教わりました。それから、ラップランドのおばあさんのところへ行きました。おばあさんは、ふたりにあたらしい着物をぬってくれたり、そりの用意をしてくれたりしました。
二ひきのトナカイは、そりとならんで走って、国ざかいのところまで送ってくれました。ここまでくると、はじめて、緑の草が大地から顔をのぞかせていました。ここで、ふたりは、トナカイとラップランドのおばあさんに、お別れをしました。「さようなら!」と、みんなは、口々に言いました。
そのうちに、さいしょの小鳥がさえずりはじめました。森には、緑の芽がもえでていました。そのとき、森の中から、ひとりの娘が、りっぱなウマにまたがって、出てきました。そのウマには、ゲルダは見おぼえがあります。――そうです、それは、金の馬車をひいていたウマです。――娘は、キラキラ光る、赤い帽子をかぶり、腰にピストルを二ちょう、さしていました。それは、あの小さな山賊の娘でした。娘は、家にいるのがたいくつになったので、まず北のほうへ行ってみようと思って、やってきたところだったのです。そして、もしそこがおもしろくなければ、今度は、べつの所へ行ってみようと思っていたのでした。娘には、ゲルダがすぐわかりました。ゲルダのほうでも、すぐわかりました。ふたりは、どんなによろこんだかしれません。
「おまえさんは、おもしろいひとだね。ずいぶんあっちこっち、ほっつき歩いたんだろう」と、娘は、カイにむかって言いました。「おまえさんをさがしに、世界のはてまで、行くほどのねうちがあるのかねえ?」
けれども、ゲルダは、娘の頬をなでながら、王子と王女のことをたずねました。
「あの人たちは、外国へ旅行に出かけたよ」と、山賊の娘は言いました。
「じゃ、カラスは?」と、小さなゲルダはききました。
「うん、あのカラスは死んだよ」と、娘は答えました。「おかみさんのカラスは、後家さんになってね、黒い毛糸の切れっぱしを足につけて歩いてるよ。とんでもなくなげき悲しんでるよ。なにもかも、ばかばかしいことばっかしさ! ――だけどおまえさんは、あれからどうしたんだい? で、このひとを、どうやってつかまえたんだい? それを話しておくれよ」
そこで、ゲルダとカイは、いままでのことを、ふたりで、のこらず話しました。
「なるほど、それで、ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、ぺちゃっとね!」と、山賊の娘は言いました。それから、ふたりの手をにぎって、いつかふたりの町を通ることがあったら、きっとたずねていくよ、と約束しました。そして、広い世の中へウマをとばしていきました。
カイとゲルダは、また手を取りあって、歩いていきました。ふたりが行くにつれて、あたりは、花と緑につつまれた、美しい春になりました。やがて、教会の鐘の音が聞えてきました。そして、見おぼえのある、高い塔が見え、大きな町が見えてきました。それは、ふたりの住んでいた町だったのです。
ふたりは、町の中へはいって、おばあさんの家の戸口まで行きました。そして、階段をのぼって、部屋の中にはいりました。部屋の中のようすは、なにもかもむかしのままです。時計は、カチ、カチ、いっていました。時計の針も、まわっていました。けれども、入り口を通ったときに、ふたりは、いつのまにか、自分たちがおとなになっているのに、気がつきました。屋根の雨どいの上に咲いているバラの花が、開かれた窓から、中をのぞいていました。そこに、小さな子供椅子が置いてありました。カイとゲルダは、めいめいの椅子に腰をおろして、手をにぎりあいました。ふたりは、雪の女王のお城の、なに一つない、寒々とした美しさを、おもくるしい夢のように、忘れてしまいました。
おばあさんは、神さまの明るいお日さまの光をあびて、聖書を読んでいました。「もし、なんじら、おさな子のごとくならずば、天国に入ることを得じ!」
カイとゲルダは、たがいに目を見あわせました。そのとき、きゅうに、あの古い讃美歌の意味が、よくわかってきました。
バラの花 かおる谷間に、
あおぎまつる おさな子イエスきみ!
こうして、このふたりは、おとなであって、しかも子供のふたりは、そうです、心の子供たちは、そこにすわっていました。いまは夏でした。暖かい、めぐみゆたかな夏でした。 | 底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※[#ローマ数字3、1-13-23])」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1981(昭和56)年5月30日21刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "059261",
"作品名": "雪の女王",
"作品名読み": "ゆきのじょおう",
"ソート用読み": "ゆきのしよおう",
"副題": "――七つのお話からできている物語――",
"副題読み": "――ななつのおはなしからできているものがたり――",
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第一のお話
鏡とそのかけらのこと
さあ、きいていらっしゃい。はじめますよ。このお話をおしまいまできくと、だんだんなにかがはっきりしてきて、つまり、それがわるい魔法使のお話であったことがわかるのです。この魔法使というのは、なかまでもいちばんいけないやつで、それこそまがいなしの「悪魔」でした。
さて、ある日のこと、この悪魔は、たいそうなごきげんでした。というわけは、それは、鏡をいちめん作りあげたからでしたが、その鏡というのが、どんなけっこうなうつくしいものでも、それにうつると、ほとんどないもどうぜんに、ちぢこまってしまうかわり、くだらない、みっともないようすのものにかぎって、よけいはっきりと、いかにもにくにくしくうつるという、ふしぎなせいしつをもったものでした。どんなうつくしいけしきも、この鏡にうつすと、煮くたらしたほうれんそうのように見え、どんなにりっぱなひとたちも、いやなかっこうになるか、どうたいのない、あたまだけで、さかだちするかしました。顔は見ちがえるほどゆがんでしまい、たった、ひとつぼっちのそばかすでも、鼻や口いっぱいに大きくひろがって、うつりました。
「こりゃおもしろいな。」と、その悪魔はいいました。ここに、たれかが、やさしい、つつましい心をおこしますと、それが鏡には、しかめっつらにうつるので、この魔法使の悪魔は、じぶんながら、こいつはうまい発明だわいと、ついわらいださずには、いられませんでした。
この悪魔は、魔法学校をひらいていましたが、そこにかよっている魔生徒どもは、こんどふしぎなものがあらわれたと、ほうぼうふれまわりました。
さて、この鏡ができたので、はじめて世界や人間のほんとうのすがたがわかるのだと、このれんじゅうはふいちょうしてあるきました。で、ほうぼうへその鏡をもちまわったものですから、とうとうおしまいには、どこの国でも、どの人でも、その鏡にめいめいの、ゆがんだすがたをみないものは、なくなってしまいました。こうなると、図にのった悪魔のでしどもは、天までも昇っていって、天使たちや神さままで、わらいぐさにしようとおもいました。ところで、高く高くのぼって行けば、行くほど、その鏡はよけいひどく、しかめっつらをするので、さすがの悪魔も、おかしくて、もっていられなくなりました。でもかまわず、高く高くとのぼっていって、もう神さまや天使のお住居に近くなりました。すると、鏡はあいかわらず、しかめっつらしながら、はげしくぶるぶるふるえだしたものですから、ついに悪魔どもの手から、地の上へおちて、何千万、何億万、というのではたりない、たいへんな数に、こまかくくだけて、とんでしまいました。ところが、これがため、よけい下界のわざわいになったというわけは、鏡のかけらは、せいぜい砂つぶくらいの大きさしかないのが、世界じゅうにとびちってしまったからで、これが人の目にはいると、そのままそこにこびりついてしまいました。すると、その人たちは、なんでも物をまちがってみたり、ものごとのわるいほうだけをみるようになりました。それは、そのかけらが、どんなちいさなものでも、鏡がもっていたふしぎな力を、そのまま、まだのこしてもっていたからです。なかにはまた、人のしんぞうにはいったものがあって、そのしんぞうを、氷のかけらのように、つめたいものにしてしまいました。そのうちいくまいか大きなかけらもあって、窓ガラスに使われるほどでしたが、そんな窓ガラスのうちから、お友だちをのぞいてみようとしても、まるでだめでした。ほかのかけらで、めがねに用いられたものもありましたが、このめがねをかけて、物を正しく、まちがいのないように見ようとすると、とんださわぎがおこりました。悪魔はこんなことを、たいへんおもしろがって、おなかをゆすぶって、くすぐったがって、わらいました。ところで、ほかにもまだ、こまかいかけらは、空のなかにただよっていました。さあ、これからがお話なのですよ。
第二のお話
男の子と女の子
たくさんの家がたてこんで、おおぜい人がすんでいる大きな町では、たれでも、庭にするだけの、あき地をもつわけにはいきませんでした。ですから、たいてい、植木ばちの花をみて、まんぞくしなければなりませんでした。
そういう町に、ふたりのまずしいこどもがすんでいて、植木ばちよりもいくらか大きな花ぞのをもっていました。そのふたりのこどもは、にいさんでも妹でもありませんでしたが、まるでほんとうのきょうだいのように、仲よくしていました。そのこどもたちの両親は、おむこうどうしで、その住んでいる屋根うらべやは、二軒の家の屋根と屋根とがくっついた所に、むかいあっていました。そのしきりの所には、一本の雨どいがとおっていて、両方から、ひとつずつ、ちいさな窓が、のぞいていました。で、といをひとまたぎしさえすれば、こちらの窓からむこうの窓へいけました。
こどもの親たちは、それぞれ木の箱を窓の外にだして、台所でつかうお野菜をうえておきました。そのほかにちょっとしたばらをひと株うえておいたのが、みごとにそだって、いきおいよくのびていました。ところで親たちのおもいつきで、その箱を、といをまたいで、横にならべておいたので、箱は窓と窓とのあいだで、むこうからこちらへと、つづいて、そっくり、生きのいい花のかべを、ふたつならべたように見えました。えんどう豆のつるは、箱から下のほうにたれさがり、ばらの木は、いきおいよく長い枝をのばして、それがまた、両方の窓にからみついて、おたがいにおじぎをしあっていました。まあ花と青葉でこしらえた、アーチのようなものでした。その箱は、高い所にありましたし、こどもたちは、その上にはいあがってはいけないのをしっていました。そこで、窓から屋根へ出て、ばらの花の下にある、ちいさなこしかけに、こしをかけるおゆるしをいただいて、そこでおもしろそうに、あそびました。
冬になると、そういうあそびもだめになりました。窓はどうかすると、まるっきりこおりついてしまいました。そんなとき、こどもたちは、だんろの上で銅貨をあたためて、こおった窓ガラスに、この銅貨をおしつけました。すると、そこにまるい、まんまるい、きれいなのぞきあなができあがって、このあなのむこうに、両方の窓からひとつずつ、それはそれはうれしそうな、やさしい目がぴかぴか光ります、それがあの男の子と、女の子でした。男の子はカイ、女の子はゲルダといいました。夏のあいだは、ただひとまたぎで、いったりきたりしたものが、冬になると、ふたりのこどもは、いくつも、いくつも、はしごだんを、おりたりあがったりしなければ、なりませんでした。外には、雪がくるくる舞っていました。
「あれはね、白いみつばちがあつまって、とんでいるのだよ。」と、おばあさんがいいました。
「あのなかにも、女王ばちがいるの。」と、男の子はたずねました。この子は、ほんとうのみつばちに、そういうもののいることを、しっていたのです。
「ああ、いるともさ。」と、おばあさんはいいました。「その女王ばちは、いつもたくさんなかまのあつまっているところに、とんでいるのだよ。なかまのなかでも、いちばんからだが大きくて、けっして下にじっとしてはいない。すぐと黒い雲のなかへとんではいってしまう。ま夜中に、いく晩も、いく晩も、女王は町の通から通へとびまわって、窓のところをのぞくのさ。するとふしぎとそこでこおってしまって、窓は花をふきつけたように、見えるのだよ。」
「ああ、それ、みたことがありますよ。」と、こどもたちは、口をそろえて叫びました。そして、すると、これはほんとうの話なのだ、とおもいました。
「雪の女王さまは、うちのなかへもはいってこられるかしら。」と、女の子がたずねました。
「くるといいな。そうすれば、ぼく、それをあたたかいストーブの上にのせてやるよ。すると女王はとろけてしまうだろう。」と、男の子がいいました。
でも、おばあさんは、男の子のかみの毛をなでながら、ほかのお話をしてくれました。
その夕方、カイはうちにいて、着物を半分ぬぎかけながら、ふとおもいついて、窓のそばの、いすの上にあがって、れいのちいさなのぞきあなから、外をながめました。おもてには、ちらちら、こな雪が舞っていましたが、そのなかで大きなかたまりがひとひら、植木箱のはしにおちました。するとみるみるそれは大きくなって、とうとうそれが、まがいのない、わかい、ひとりの女の人になりました。もう何百万という数の、星のように光るこな雪で織った、うすい白い紗の着物を着ていました。やさしい女の姿はしていましたが、氷のからだをしていました。ぎらぎらひかる氷のからだをして、そのくせ生きているのです。その目は、あかるい星をふたつならべたようでしたが、おちつきも休みもない目でした。女は、カイのいる窓のほうに、うなずきながら、手まねぎしました。カイはびっくりして、いすからとびおりてしまいました。すぐそのあとで、大きな鳥が、窓の外をとんだような、けはいがしました。
そのあくる日は、からりとした、霜日よりでした。――それからは、日にまし、雪どけのようきになって、とうとう春が、やってきました。お日さまはあたたかに、照りかがやいて、緑がもえだし、つばめは巣をつくりはじめました。あのむかいあわせの屋根うらべやの窓も、また、あけひろげられて、カイとゲルダとは、アパートのてっぺんの屋根上の雨どいの、ちいさな花ぞので、ことしもあそびました。
この夏は、じつにみごとに、ばらの花がさきました。女の子のゲルダは、ばらのことのうたわれている、さんび歌をしっていました。そして、ばらの花というと、ゲルダはすぐ、じぶんの花ぞののばらのことをかんがえました。ゲルダは、そのさんび歌を、カイにうたってきかせますと、カイもいっしょにうたいました。
「ばらのはな さきてはちりぬ
おさなごエス やがてあおがん」
ふたりのこどもは、手をとりあって、ばらの花にほおずりして、神さまの、みひかりのかがやく、お日さまをながめて、おさなごエスが、そこに、おいでになるかのように、うたいかけました。なんという、楽しい夏の日だったでしょう。いきいきと、いつまでもさくことをやめないようにみえる、ばらの花のにおいと、葉のみどりにつつまれた、この屋根の上は、なんていいところでしたろう。
カイとゲルダは、ならんで掛けて、けものや鳥のかいてある、絵本をみていました。ちょうどそのとき――お寺の、大きな塔の上で、とけいが、五つうちましたが――カイは、ふと、
「あッ、なにかちくりとむねにささったよ。それから、目にもなにかとびこんだようだ。」と、いいました。
あわてて、カイのくびを、ゲルダがかかえると、男の子は目をぱちぱちやりました。でも、目のなかにはなにもみえませんでした。
「じゃあ、とれてしまったのだろう。」と、カイはいいましたが、それは、とれたのではありませんでした。カイの目にはいったのは、れいの鏡から、とびちったかけらでした。そら、おぼえているでしょう。あのいやな、魔法の鏡のかけらで、その鏡にうつすと、大きくていいものも、ちいさく、いやなものに、みえるかわり、いけないわるいものほど、いっそうきわだってわるく見え、なんによらず、物事のあらが、すぐめだって見えるのです。かわいそうに、カイは、しんぞうに、かけらがひとつはいってしまいましたから、まもなく、それは氷のかたまりのように、なるでしょう。それなり、もういたみはしませんけれども、たしかに、しんぞうの中にのこりました。
「なんだってべそをかくんだ。」と、カイはいいました。「そんなみっともない顔をして、ぼくは、もうどうもなってやしないんだよ。」
「チェッ、なんだい。」こんなふうに、カイはふいに、いいだしました。「あのばらは虫がくっているよ。このばらも、ずいぶんへんてこなばらだ。みんなきたならしいばらだな。植わっている箱も箱なら、花も花だ。」
こういって、カイは、足で植木の箱をけとばして、ばらの花をひきちぎってしまいました。
「カイちゃん、あんた、なにをするの。」と、ゲルダはさけびました。
カイは、ゲルダのおどろいた顔をみると、またほかのばらの花を、もぎりだしました。それから、じぶんのうちの窓の中にとびこんで、やさしいゲルダとも、はなれてしまいました。
ゲルダがそのあとで、絵本をもってあそびにきたとき、カイは、そんなもの、かあさんにだっこされている、あかんぼのみるものだ、といいました。また、おばあさまがお話をしても、カイはのべつに「だって、だって。」とばかりいっていました。それどころか、すきをみて、おばあさまのうしろにまわって、目がねをかけて、おばあさまの口まねまで、してみせました。しかも、なかなかじょうずにやったので、みんなはおかしがってわらいました。まもなくカイは、町じゅうの人たちの、身ぶりや口まねでも、できるようになりました。なんでも、ひとくせかわったことや、みっともないことなら、カイはまねすることをおぼえました。
「あの子はきっと、いいあたまなのにちがいない。」と、みんないいましたが、それは、カイの目のなかにはいった鏡のかけらや、しんぞうの奥ふかくささった、鏡のかけらのさせることでした。そんなわけで、カイはまごころをささげて、じぶんをしたってくれるゲルダまでも、いじめだしました。
カイのあそびも、すっかりかわって、ひどくこましゃくれたものになりました。――ある冬の日、こな雪がさかんに舞いくるっているなかで、カイは大きな虫目がねをもって、そとにでました。そして青いうわぎのすそをひろげて、そのうえにふってくる雪をうけました。
「さあ、この目がねのところからのぞいてごらん、ゲルダちゃん。」と、カイはいいました。なるほど、雪のひとひらが、ずっと大きく見えて、みごとにひらいた花か、六角の星のようで、それはまったくうつくしいものでありました。
「ほら、ずいぶんたくみにできているだろう。ほんとうの花なんか見るよりも、ずっとおもしろいよ。かけたところなんか、ひとつだってないものね。きちんと形をくずさずにいるのだよ。ただとけさえしなければね。」と、カイはいいました。
そののちまもなく、カイはあつい手ぶくろをはめて、そりをかついで、やってきました。そしてゲルダにむかって、
「ぼく、ほかのこどもたちのあそんでいる、ひろばのほうへいってもいいと、いわれたのだよ。」と、ささやくと、そのままいってしまいました。
その大きなひろばでは、こどもたちのなかでも、あつかましいのが、そりを、おひゃくしょうたちの馬車の、うしろにいわえつけて、じょうずに馬車といっしょにすべっていました。これは、なかなかおもしろいことでした。こんなことで、こどもたちたれも、むちゅうになってあそんでいると、そこへ、いちだい、大きなそりがやってきました。それは、まっ白にぬってあって、なかにたれだか、そまつな白い毛皮にくるまって、白いそまつなぼうしをかぶった人がのっていました。そのそりは二回ばかり、ひろばをぐるぐるまわりました。そこでカイは、さっそくそれに、じぶんのちいさなそりを、しばりつけて、いっしょにすべっていきました。その大そりは、だんだんはやくすべって、やがて、つぎの大通を、まっすぐに、はしっていきました。そりをはしらせていた人は、くるりとふりかえって、まるでよくカイをしっているように、なれなれしいようすで、うなずきましたので、カイはついそりをとくのをやめてしまいました。こんなぐあいにして、とうとうそりは町の門のそとに、でてしまいました。そのとき、雪が、ひどくふってきたので、カイはじぶんの手のさきもみることができませんでした。それでもかまわず、そりははしっていきました。カイはあせって、しきりとつなをうごかして、その大そりからはなれようとしましたが、小そりはしっかりと大そりにしばりつけられていて、どうにもなりませんでした。ただもう、大そりにひっぱられて、風のようにとんでいきました。カイは大声をあげて、すくいをもとめましたが、たれの耳にも、きこえませんでした。雪はぶっつけるようにふりしきりました。そりは前へ前へと、とんでいきました。ときどき、そりがとびあがるのは、生がきや、おほりの上を、とびこすのでしょうか、カイはまったくふるえあがってしまいました。主のおいのりをしようと思っても、あたまにうかんでくるのは、かけざんの九九ばかりでした。
こな雪のかたまりは、だんだん大きくなって、しまいには、大きな白いにわとりのようになりました。ふとその雪のにわとりが、両がわにとびたちました。とたんに、大そりはとまりました。そりをはしらせていた人が、たちあがったのを見ると、毛皮のがいとうもぼうしも、すっかり雪でできていました。それはすらりと、背の高い、目のくらむようにまっ白な女の人でした。それが雪の女王だったのです。
「ずいぶんよくはしったわね。」と、雪の女王はいいました。「あら、あんた、ふるえているのね。わたしのくまの毛皮におはいり。」
こういいながら女王は、カイをじぶんのそりにいれて、かたわらにすわらせ、カイのからだに、その毛皮をかけてやりました。するとカイは、まるで雪のふきつもったなかに、うずめられたように感じました。
「まださむいの。」と、女王はたずねました。それからカイのひたいに、ほおをつけました。まあ、それは、氷よりももっとつめたい感じでした。そして、もう半分氷のかたまりになりかけていた、カイのしんぞうに、じいんとしみわたりました。カイはこのまま死んでしまうのではないかと、おもいました。――けれど、それもほんのわずかのあいだで、やがてカイは、すっかり、きもちがよくなって、もう身のまわりのさむさなど、いっこう気にならなくなりました。
「ぼくのそりは――ぼくのそりを、わすれちゃいけない。」
カイがまず第一におもいだしたのは、じぶんのそりのことでありました。そのそりは、白いにわとりのうちの一わに、しっかりとむすびつけられました。このにわとりは、そりをせなかにのせて、カイのうしろでとんでいました。雪の女王は、またもういちど、カイにほおずりしました。それで、カイは、もう、かわいらしいゲルダのことも、おばあさまのことも、うちのことも、なにもかも、すっかりわすれてしまいました。
「さあ、もうほおずりはやめましょうね。」と、雪の女王はいいました。「このうえすると、お前を死なせてしまうかもしれないからね。」
カイは女王をみあげました。まあそのうつくしいことといったら。カイは、これだけかしこそうなりっぱな顔がほかにあろうとは、どうしたっておもえませんでした。いつか窓のところにきて、手まねきしてみせたときとちがって、もうこの女王が、氷でできているとは、おもえなくなりました。カイの目には、女王は、申しぶんなくかんぜんで、おそろしいなどとは、感じなくなりました。それでうちとけて、じぶんは分数までも、あんざんで、できることや、じぶんの国が、いく平方マイルあって、どのくらいの人口があるか、しっていることまで、話しました。女王は、しじゅう、にこにこして、それをきいていました。それが、なんだ、しっていることは、それっぱかしかと、いわれたようにおもって、あらためて、ひろいひろい大空をあおぎました。すると、女王はカイをつれて、たかくとびました。高い黒雲の上までも、とんで行きました。あらしはざあざあ、ひゅうひゅう、ふきすさんで、昔の歌でもうたっているようでした。女王とカイは、森や、湖や、海や、陸の上を、とんで行きました。下のほうでは、つめたい風がごうごううなって、おおかみのむれがほえたり、雪がしゃっしゃっときしったりして、その上に、まっくろなからすがカアカアないてとんでいました。しかし、はるか上のほうには、お月さまが、大きくこうこうと、照っていました。このお月さまを、ながいながい冬の夜じゅう、カイはながめてあかしました。ひるになると、カイは女王の足もとでねむりました。
第三のお話
魔法の使える女の花ぞの
ところで、カイが、あれなりかえってこなかったとき、あの女の子のゲルダは、どうしたでしょう。カイはまあどうしたのか、たれもしりませんでした。なんの手がかりもえられませんでした。こどもたちの話でわかったのは、カイがよその大きなそりに、じぶんのそりをむすびつけて、町をはしりまわって、町の門からそとへでていったということだけでした。さて、それからカイがどんなことになってしまったか、たれもしっているものはありませんでした。いくにんもの人のなみだが、この子のために、そそがれました。そして、あのゲルダは、そのうちでも、ひとり、もうながいあいだ、むねのやぶれるほどになきました。――みんなのうわさでは、カイは町のすぐそばを流れている川におちて、おぼれてしまったのだろうということでした。ああ、まったくながいながい、いんきな冬でした。
いま、春はまた、あたたかいお日さまの光とつれだってやってきました。
「カイちゃんは死んでしまったのよ。」と、ゲルダはいいました。
「わたしはそうおもわないね。」と、お日さまがいいました。
「カイちゃんは死んでしまったのよ。」と、ゲルダはつばめにいいました。
「わたしはそうおもいません。」と、つばめたちはこたえました。そこで、おしまいに、ゲルダは、じぶんでも、カイは死んだのではないと、おもうようになりました。
「あたし、あたらしい赤いくつをおろすわ。あれはカイちゃんのまだみなかったくつよ。あれをはいて川へおりていって、カイちゃんのことをきいてみましょう。」と、ゲルダは、ある朝いいました。で、朝はやかったので、ゲルダはまだねむっていたおばあさまに、せっぷんして、赤いくつをはき、たったひとりぼっちで、町の門を出て、川のほうへあるいていきました。
「川さん、あなたが、わたしのすきなおともだちを、とっていってしまったというのは、ほんとうなの。この赤いくつをあげるわ。そのかわり、カイちゃんをかえしてね。」
すると川の水が、よしよしというように、みょうに波だってみえたので、ゲルダはじぶんのもっているもののなかでいちばんすきだった、赤いくつをぬいで、ふたつとも、川のなかになげこみました。ところが、くつは岸の近くにおちたので、さざ波がすぐ、ゲルダの立っているところへ、くつをはこんできてしまいました。まるで川は、ゲルダから、いちばんだいじなものをもらうことをのぞんでいないように見えました。なぜなら、川はカイをかくしてはいなかったからです。けれど、ゲルダは、くつをもっととおくのほうへなげないからいけなかったのだとおもいました。そこで、あしのしげみにうかんでいた小舟にのりました。そして舟のいちばんはしへいって、そこからくつをなげこみました。でも、小舟はしっかりと岸にもやってなかったので、くつをなげるので動かしたひょうしに、岸からすべり出してしまいました。それに気がついて、ゲルダは、いそいでひっかえそうとしましたが、小舟のこちらのはしまでこないうちに、舟は二三尺も岸からはなれて、そのままで、どんどんはやく流れていきました。
そこで、ゲルダは、たいそうびっくりして、なきだしましたが、すずめのほかは、たれもその声をきくものはありませんでした。すずめには、ゲルダをつれかえる力はありませんでした。でも、すずめたちは、岸にそってとびながら、ゲルダをなぐさめるように、
「だいじょうぶ、ぼくたちがいます。」と、なきました。
小舟は、ずんずん流れにはこばれていきました。ゲルダは、足にくつしたをはいただけで、じっと舟のなかにすわったままでいました。ちいさな赤いくつは、うしろのほうで、ふわふわういていましたが、小舟においつくことはできませんでした。小舟のほうが、くつよりも、もっとはやくながれていったからです。
岸は、うつくしいけしきでした。きれいな花がさいていたり、古い木が立っていたり、ところどころ、なだらかな土手には、ひつじやめうしが、あそんでいました。でも、にんげんの姿は見えませんでした。
「ことによると、この川は、わたしを、カイちゃんのところへ、つれていってくれるのかもしれないわ。」と、ゲルダはかんがえました。
それで、だんだんげんきがでてきたので、立ちあがって、ながいあいだ、両方の青あおとうつくしい岸をながめていました。それからゲルダは、大きなさくらんぼばたけのところにきました。そのはたけの中には、ふうがわりな、青や赤の窓のついた、一けんのちいさな家がたっていました。その家はかやぶきで、おもてには、舟で通りすぎる人たちのほうにむいて、木製のふたりのへいたいが、銃剣肩に立っていました。
ゲルダは、それをほんとうのへいたいかとおもって、こえをかけました。しかし、いうまでもなくそのへいたいは、なんのこたえもしませんでした。ゲルダはすぐそのそばまできました。波が小舟を岸のほうにはこんだからです。
ゲルダはもっと大きなこえで、よびかけてみました。すると、その家のなかから、撞木杖にすがった、たいそう年とったおばあさんが出てきました。おばあさんは、目のさめるようにきれいな花をかいた、大きな夏ぼうしをかぶっていました。
「やれやれ、かわいそうに。どうしておまえさんは、そんなに大きな波のたつ上を、こんなとおいところまで流れてきたのだね。」と、おばあさんはいいました。
それからおばあさんは、ざぶりざぶり水の中にはいって、撞木杖で小舟をおさえて、それを陸のほうへひっぱってきて、ゲルダをだきおろしました。ゲルダはまた陸にあがることのできたのをうれしいとおもいました。でも、このみなれないおばあさんは、すこし、こわいようでした。
「さあ、おまえさん、名まえをなんというのだか、またどうして、ここへやってきたのだか、話してごらん。」と、おばあさんはいいました。そこでゲルダは、なにもかも、おばあさんに話しました。おばあさんはうなずきながら、「ふん、ふん。」と、いいました。ゲルダは、すっかり話してしまってから、おばあさんがカイをみかけなかったかどうか、たずねますと、おばあさんは、カイはまだここを通らないが、いずれそのうち、ここを通るかもしれない。まあ、そう、くよくよおもわないで、花をながめたり、さくらんぼをたべたりしておいで。花はどんな絵本のよりも、ずっときれいだし、その花びらの一まい、一まいが、ながいお話をしてくれるだろうからといいました。それからおばあさんは、ゲルダの手をとって、じぶんのちいさな家へつれていって、中から戸にかぎをかけました。
その家の窓は、たいそう高くて、赤いのや、青いのや、黄いろの窓ガラスだったので、お日さまの光はおもしろい色にかわって、きれいに、へやのなかにさしこみました。つくえの上には、とてもおいしいさくらんぼがおいてありました。そしてゲルダは、いくらたべてもいいという、おゆるしがでたものですから、おもうぞんぶんそれをたべました。ゲルダがさくらんぼをたべているあいだに、おばあさんが、金のくしで、ゲルダのかみの毛をすきました。そこで、ゲルダのかみの毛は、ばらの花のような、まるっこくて、かわいらしい顔のまわりで、金色にちりちりまいて、光っていました。
「わたしは長いあいだ、おまえのような、かわいらしい女の子がほしいとおもっていたのだよ。さあこれから、わたしたちといっしょに、なかよくくらそうね。」と、おばあさんはいいました。そしておばあさんが、ゲルダのかみの毛にくしをいれてやっているうちに、ゲルダはだんだん、なかよしのカイのことなどはわすれてしまいました。というのは、このおばあさんは魔法が使えるからでした。けれども、おばあさんは、わるい魔女ではありませんでした。おばあさんはじぶんのたのしみに、ほんのすこし魔法を使うだけで、こんども、それをつかったのは、ゲルダをじぶんの手もとにおきたいためでした。そこで、おばあさんは、庭へ出て、そこのばらの木にむかって、かたっぱしから撞木杖をあてました。すると、いままでうつくしく、さきほこっていたばらの木も、みんな、黒い土の中にしずんでしまったので、もうたれの目にも、どこにいままでばらの木があったか、わからなくなりました。おばあさんは、ゲルダがばらを見て、自分の家のばらのことをかんがえ、カイのことをおもいだして、ここからにげていってしまうといけないとおもったのです。
さて、ゲルダは花ぞのにあんないされました。――そこは、まあなんという、いい香りがあふれていて、目のさめるように、きれいなところでしたろう。花という花は、こぼれるようにさいていました。そこでは、一ねんじゅう花がさいていました。どんな絵本の花だって、これよりうつくしく、これよりにぎやかな色にさいてはいませんでした。ゲルダはおどりあがってよろこびました。そして夕日が、高いさくらの木のむこうにはいってしまうまで、あそびました。それからゲルダは、青いすみれの花がいっぱいつまった、赤い絹のクションのある、きれいなベッドの上で、結婚式の日の女王さまのような、すばらしい夢をむすびました。
そのあくる日、ゲルダは、また、あたたかいお日さまのひかりをあびて、花たちとあそびました。こんなふうにして、いく日もいく日もたちました。ゲルダは花ぞのの花をのこらずしりました。そのくせ、花ぞのの花は、かずこそずいぶんたくさんありましたけれど、ゲルダにとっては、どうもまだなにか、ひといろたりないようにおもわれました。でも、それがなんの花であるか、わかりませんでした。するうちある日、ゲルダはなにげなくすわって、花をかいたおばあさんの夏ぼうしを、ながめていましたが、その花のうちで、いちばんうつくしいのは、ばらの花でした。おばあさんは、ほかのばらの花をみんな見えないように、かくしたくせに、じぶんのぼうしにかいたばらの花を、けすことを、ついわすれていたのでした。まあ手ぬかりということは、たれにでもあるものです。
「あら、ここのお庭には、ばらがないわ。」と、ゲルダはさけびました。
それから、ゲルダは、花ぞのを、いくどもいくども、さがしまわりましたけれども、ばらの花は、ひとつもみつかりませんでした。そこで、ゲルダは、花ぞのにすわってなきました。ところが、なみだが、ちょうどばらがうずめられた場所の上におちました。あたたかいなみだが、しっとりと土をしめらすと、ばらの木は、みるみるしずまない前とおなじように、花をいっぱいつけて、地の上にあらわれてきました。ゲルダはそれをだいて、せっぷんしました。そして、じぶんのうちのばらをおもいだし、それといっしょに、カイのこともおもいだしました。
「まあ、あたし、どうして、こんなところにひきとめられていたのかしら。」と、ゲルダはいいました。「あたし、カイちゃんをさがさなくてはならなかったのだわ――カイちゃん、どこにいるか、しらなくって。あなたは、カイちゃんが死んだとおもって。」と、ゲルダは、ばらにききました。
「カイちゃんは死にはしませんよ。わたしどもは、いままで地のなかにいました。そこには死んだ人はみないましたが、でも、カイちゃんはみえませんでしたよ。」と、ばらの花がこたえました。
「ありがとう。」と、ゲルダはいって、ほかの花のところへいって、ひとつひとつ、うてなのなかをのぞきながらたずねました。「カイちゃんはどこにいるか、しらなくって。」
でも、どの花も、日なたぼっこしながら、じぶんたちのつくったお話や、おとぎばなしのことばかりかんがえていました。ゲルダはいろいろと花にきいてみましたが、どの花もカイのことについては、いっこうにしりませんでした。
ところで、おにゆりは、なんといったでしょう。
「あなたには、たいこの音が、ドンドンというのがきこえますか。あれには、ふたつの音しかないのです。だからドンドンといつでもやっているのです。女たちがうたう、とむらいのうたをおききなさい。また、坊さんのあげる、おいのりをおききなさい。――インド人のやもめは、火葬のたきぎのつまれた上に、ながい赤いマントをまとって立っています。焔がその女と、死んだ夫のしかばねのまわりにたちのぼります。でもインドの女は、ぐるりにあつまった人たちのなかの、生きているひとりの男のことをかんがえているのです。その男の目は焔よりもあつくもえ、その男のやくような目つきは、やがて、女のからだをやきつくして灰にする焔などよりも、もっとはげしく、女の心の中で、もえていたのです。心の焔は、火あぶりのたきぎのなかで、もえつきるものでしょうか。」
「なんのことだか、まるでわからないわ。」と、ゲルダがこたえました。
「わたしの話はそれだけさ。」と、おにゆりはいいました。
ひるがおは、どんなお話をしたでしょう。
「せまい山道のむこうに、昔のさむらいのお城がぼんやりみえます。くずれかかった、赤い石がきのうえには、つたがふかくおいしげって、ろだいのほうへ、ひと葉ひと葉、はいあがっています。ろだいの上には、うつくしいおとめが、らんかんによりかかって、おうらいをみおろしています。どんなばらの花でも、そのおとめほど、みずみずとは枝にさきだしません。どんなりんごの花でも、こんなにかるがるとしたふうに、木から風がはこんでくることはありません。まあ、おとめのうつくしい絹の着物のさらさらなること。
あの人はまだこないのかしら。」
「あの人というのは、カイちゃんのことなの。」と、ゲルダがたずねました。
「わたしは、ただ、わたしのお話をしただけ。わたしの夢をね。」と、ひるがおはこたえました。
かわいい、まつゆきそうは、どんなお話をしたでしょう。
「木と木のあいだに、つなでつるした長い板がさがっています。ぶらんこなの。雪のように白い着物を着て、ぼうしには、ながい、緑色の絹のリボンをまいた、ふたりのかわいらしい女の子が、それにのってゆられています。この女の子たちよりも、大きい男きょうだいが、そのぶらんこに立ってのっています。男の子は、かた手にちいさなお皿をもってるし、かた手には土製のパイプをにぎっているので、からだをささえるために、つなにうでをまきつけています。男の子はシャボンだまをふいているのです。ぶらんこがゆれて、シャボンだまは、いろんなうつくしい色にかわりながらとんで行きます。いちばんおしまいのシャボンだまは、風にゆられながら、まだパイプのところについています。ぶらんこはとぶようにゆれています。あら、シャボンだまのように身のかるい黒犬があと足で立って、のせてもらおうとしています。ぶらんこはゆれる、黒犬はひっくりかえって、ほえているわ。からかわれて、おこっているのね。シャボンだまははじけます。――ゆれるぶらんこ。われてこわれるシャボンだま。――これがわたしの歌なんです。」
「あなたのお話は、とてもおもしろそうね。けれどあなたは、かなしそうに話しているのね。それからあなたは、カイちゃんのことは、なんにも話してくれないのね。」
ヒヤシンスの花は、どんなお話をしたでしょう。
「あるところに、三人の、すきとおるようにうつくしい、きれいな姉いもうとがおりました。なかでいちばん上のむすめの着物は赤く、二ばん目のは水色で、三ばん目のはまっ白でした。きょうだいたちは、手をとりあって、さえた月の光の中で、静かな湖のふちにでて、おどりをおどります。三人とも妖女ではなくて、にんげんでした。そのあたりには、なんとなくあまい、いいにおいがしていました。むすめたちは森のなかにきえました。あまい、いいにおいが、いっそうつよくなりました。すると、その三人のうつくしいむすめをいれた三つのひつぎが、森のしげみから、すうっとあらわれてきて、湖のむこうへわたっていきました。つちぼたるが、そのぐるりを、空に舞っているちいさなともしびのように、ぴかりぴかりしていました。おどりくるっていた三人のむすめたちは、ねむったのでしょうか。死んだのでしょうか。――花のにおいはいいました。あれはなきがらです。ゆうべの鐘がなくなったひとたちをとむらいます。」
「ずいぶんかなしいお話ね。あなたの、そのつよいにおいをかぐと、あたし死んだそのむすめさんたちのことを、おもいださずにはいられませんわ。ああ、カイちゃんは、ほんとうに死んでしまったのかしら。地のなかにはいっていたばらの花は、カイちゃんは死んではいないといってるけれど。」
「チリン、カラン。」と、ヒヤシンスのすずがなりました。「わたしはカイちゃんのために、なっているのではありません。カイちゃんなんて人は、わたしたち、すこしもしりませんもの。わたしたちは、ただ自分のしっているたったひとつの歌を、うたっているだけです。」
それから、ゲルダは、緑の葉のあいだから、あかるくさいている、たんぽぽのところへいきました。
「あなたはまるで、ちいさな、あかるいお日さまね。どこにわたしのおともだちがいるか、しっていたらおしえてくださいな。」と、ゲルダはいいました。
そこで、たんぽぽは、よけいあかるくひかりながら、ゲルダのほうへむきました。どんな歌を、その花がうたったでしょう。その歌も、カイのことではありませんでした。
「ちいさな、なか庭には、春のいちばんはじめの日、うららかなお日さまが、あたたかに照っていました。お日さまの光は、おとなりの家の、まっ白なかべの上から下へ、すべりおちていました。そのそばに、春いちばんはじめにさく、黄色い花が、かがやく光の中に、金のようにさいていました。おばあさんは、いすをそとにだして、こしをかけていました。おばあさんの孫の、かわいそうな女中ぼうこうをしているうつくしい女の子が、おばあさんにあうために、わずかなおひまをもらって、うちへかえってきました。女の子はおばあさんにせっぷんしました。このめぐみおおいせっぷんには金が、こころの金がありました。その口にも金、そのふむ土にも金、そのあさのひとときにも金がありました。これがわたしのつまらないお話です。」と、たんぽぽがいいました。
「まあ、わたしのおばあさまは、どうしていらっしゃるかしら。」と、ゲルダはためいきをつきました。「そうよ。きっとおばあさまは、わたしにあいたがって、かなしがっていらっしゃるわ。カイちゃんのいなくなったとおなじように、しんぱいしていらっしゃるわ。けれど、わたし、じきにカイちゃんをつれて、うちにかえれるでしょう。――もう花たちにいくらたずねてみたってしかたがない。花たち、ただ、自分の歌をうたうだけで、なんにもこたえてくれないのだもの。」
そこでゲルダは、はやくかけられるように、着物をきりりとたくしあげました。けれど、黄ずいせんを、ゲルダがとびこえようとしたとき、それに足がひっかかりました。そこでゲルダはたちどまって、その黄色い、背の高い花にむかってたずねました。
「あんた、カイちゃんのこと、なんかしっているの。」
そしてゲルダは、こごんで、その花の話すことをききました。その花はなんといったでしょう。
「わたし、じぶんがみられるのよ。じぶんがわかるのよ。」と、黄ずいせんはいいました。「ああ、ああ、なんてわたしはいいにおいがするんだろう。屋根うらのちいさなへやに、半はだかの、ちいさなおどりこが立っています。おどりこはかた足で立ったり、両足で立ったりして、まるで世界中をふみつけるように見えます。でも、これはほんの目のまよいです。おどりこは、ちいさな布に、湯わかしから湯をそそぎます。これはコルセットです。――そうです。そうです、せいけつがなによりです。白い上着も、くぎにかけてあります。それもまた、湯わかしの湯であらって、屋根でかわかしたものなのです。おどりこは、その上着をつけて、サフラン色のハンケチをくびにまきました。ですから、上着はよけい白くみえました。ほら、足をあげた。どう、まるでじくの上に立って、うんとふんばった姿は。わたし、じぶんが見えるの。じぶんがわかるの。」
「なにもそんな話、わたしにしなくてもいいじゃないの。そんなこと、どうだって、かまわないわ。」と、ゲルダはいいました。
それでゲルダは、庭のむこうのはしまでかけて行きました。その戸はしまっていましたが、ゲルダがそのさびついたとってを、どんとおしたので、はずれて戸はぱんとひらきました。ゲルダはひろい世界に、はだしのままでとびだしました。ゲルダは、三度もあとをふりかえってみましたが、たれもおっかけてくるものはありませんでした。とうとうゲルダは、もうとてもはしることができなくなったので、大きな石の上にこしをおろしました。そこらをみまわしますと、夏はすぎて、秋がふかくなっていました。お日さまが年中かがやいて、四季の花がたえずさいていた、あのうつくしい花ぞのでは、そんなことはわかりませんでした。
「ああ、どうしましょう。あたし、こんなにおくれてしまって。」と、ゲルダはいいました。「もうとうに秋になっているのね。さあ、ゆっくりしてはいられないわ。」
そしてゲルダは立ちあがって、ずんずんあるきだしました。まあ、ゲルダのかよわい足は、どんなにいたむし、そして、つかれていたことでしょう。どこも冬がれて、わびしいけしきでした。ながいやなぎの葉は、すっかり黄ばんで、きりが雨しずくのように枝からたれていました。ただ、とげのある、こけももだけは、まだ実をむすんでいましたが、こけももはすっぱくて、くちがまがるようでした。ああ、なんてこのひろびろした世界は灰色で、うすぐらくみえたことでしょう。
第四のお話
王子と王女
ゲルダは、またも、やすまなければなりませんでした。ゲルダがやすんでいた場所の、ちょうどむこうの雪の上で、一わの大きなからすが、ぴょんぴょんやっていました。このからすは、しばらくじっとしたなりゲルダをみつめて、あたまをふっていましたが、やがてこういいました。
「カア、カア、こんちは。こんちは。」
からすは、これよりよくは、なにもいうことができませんでしたが、でも、ゲルダをなつかしくおもっていて、このひろい世界で、たったひとりぼっち、どこへいくのだといって、たずねました。この「ひとりぼっち。」ということばを、ゲルダはよくあじわって、しみじみそのことばに、ふかいいみのこもっていることをおもいました。ゲルダはそこでからすに、じぶんの身の上のことをすっかり話してきかせた上、どうかしてカイをみなかったか、たずねました。
するとからすは、ひどくまじめにかんがえこんで、こういいました。
「あれかもしれない。あれかもしれない。」
「え、しってて。」と、ゲルダは大きなこえでいって、からすをらんぼうに、それこそいきのとまるほどせっぷんしました。
「おてやわらかに、おてやわらかに。」と、からすはいいました。「どうも、カイちゃんをしっているような気がします。たぶん、あれがカイちゃんだろうとおもいますよ。けれど、カイちゃんは、王女さまのところにいて、あなたのことなどは、きっとわすれていますよ。」
「カイちゃんは、王女さまのところにいるんですって。」と、ゲルダはききました。
「そうです。まあ、おききなさい。」と、からすはいいました。「どうも、わたしにすると、にんげんのことばで話すのは、たいそうなほねおりです。あなたにからすのことばがわかると、ずっとうまく話せるのだがなあ。」
「まあ、あたし、ならったことがなかったわ。」と、ゲルダはいいました。「でも、うちのおばあさまは、おできになるのよ。あたし、ならっておけばよかった。」
「かまいませんよ。」と、からすはいいました。「まあ、できるだけしてみますから。うまくいけばいいが。」
それからからすは、しっていることを、話しました。
「わたしたちがいまいる国には、たいそうかしこい王女さまがおいでなるのです。なにしろ世界中のしんぶんをのこらず読んで、のこらずまたわすれてしまいます。まあそんなわけで、たいそうりこうなかたなのです。さて、このあいだ、王女さまは玉座におすわりになりました。玉座というものは、せけんでいうほどたのしいものではありません。そこで王女さまは、くちずさみに歌をうたいだしました。その歌は『なぜに、わたしは、むことらぬ』といった歌でした。そこで、『なるほど、それももっともだわ。』と、いうわけで、王女さまはけっこんしようとおもいたちました。でも夫にするなら、ものをたずねても、すぐとこたえるようなのがほしいとおもいました。だって、ただそこにつっ立って、ようすぶっているだけでは、じきにたいくつしてしまいますからね。そこで、王女さまは、女官たち、のこらずおめしになって、このもくろみをお話しになりました。女官たちは、たいそうおもしろくおもいまして、
『それはよいおもいつきでございます。わたくしどもも、ついさきごろ、それとおなじことをかんがえついたしだいです。』などと申しました。
「わたしのいっていることは、ごく、ほんとうのことなのですよ。」と、からすはいって、「わたしには、やさしいいいなずけがあって、その王女さまのお城に、自由にとんでいける、それがわたしにすっかり話してくれたのです。」と、いいそえました。
いうまでもなく、その、いいなずけというのはからすでした。というのは、にたものどうしで、からすはやはり、からすなかまであつまります。
ハートと、王女さまのかしらもじでふちどったしんぶんが、さっそく、はっこうされました。それには、ようすのりっぱな、わかい男は、たれでもお城にきて、王女さまと話すことができる。そしてお城へきても、じぶんのうちにいるように、気やすく、じょうずに話した人を、王女は夫としてえらぶであろうということがかいてありました。
「そうです。そうです。あなたはわたしをだいじょうぶ信じてください。この話は、わたしがここにこうしてすわっているのとどうよう、ほんとうの話なのですから。」と、からすはいいました。
「わかい男の人たちは、むれをつくって、やってきました。そしてたいそう町はこんざつして、たくさんの人が、あっちへいったり、こっちへきたり、いそがしそうにかけずりまわっていました。でもはじめの日も、つぎの日も、ひとりだってうまくやったものはありません。みんなは、お城のそとでこそ、よくしゃべりましたが、いちどお城の門をはいって、銀ずくめのへいたいをみたり、かいだんをのぼって、金ぴかのせいふくをつけたお役人に出あって、あかるい大広間にはいると、とたんにぽうっとなってしまいました。そして、いよいよ王女さまのおいでになる玉座の前に出たときには、たれも王女さまにいわれたことばのしりを、おうむがえしにくりかえすほかありませんでした。王女さまとすれば、なにもじぶんのいったことばを、もういちどいってもらってもしかたがないでしょう。ところが、だれも、ごてんのなかにはいると、かぎたばこでものまされたように、ふらふらで、おうらいへでてきて、やっとわれにかえって、くちがきけるようになる。なにしろ町の門から、お城の門まで、わかいひとたちが、れつをつくってならんでいました。わたしはそれをじぶんで見てきましたよ。」と、からすが、ねんをおしていいました。
「みんなは自分のばんが、なかなかまわってこないので、おなかがすいたり、のどがかわいたりしましたが、ごてんの中では、なまぬるい水いっぱいくれませんでした。なかで気のきいたせんせいたちが、バタパンご持参で、やってきていましたが、それをそばの人にわけようとはしませんでした。このれんじゅうの気では――こいつら、たんとひもじそうな顔をしているがいい。おかげで王女さまも、ごさいようになるまいから――というのでしょう。」
「でも、カイちゃんはどうしたのです。いつカイちゃんはやってきたのです。」と、ゲルダはたずねました。「カイちゃんは、その人たちのなかまにいたのですか。」
「まあまあ、おまちなさい。これから、そろそろ、カイちゃんのことになるのです。ところで、その三日目に、馬にも、馬車にものらないちいさな男の子が、たのしそうにお城のほうへ、あるいていきました。その人の目は、あなたの目のようにかがやいて、りっぱな、長いかみの毛をもっていましたが、着物はぼろぼろにきれていました。」
「それがカイちゃんなのね。ああ、それでは、とうとう、あたし、カイちゃんをみつけたわ。」と、ゲルダはうれしそうにさけんで、手をたたきました。
「その子は、せなかに、ちいさなはいのうをしょっていました。」と、からすがいいました。
「いいえ、きっと、それは、そりよ。」と、ゲルダはいいました。「カイちゃんは、そりといっしょに見えなくなってしまったのですもの。」
「なるほど、そうかもしれません。」と、からすはいいました。「なにしろ、ちょっと見ただけですから。しかし、それは、みんなわたしのやさしいいいなずけからきいたのです。それから、その子はお城の門をはいって、銀の軍服のへいたいをみながら、だんをのぼって、金ぴかのせいふくのお役人の前にでましたが、すこしもまごつきませんでした。それどころか、へいきでえしゃくして、
『かいだんの上に立っているのは、さぞたいくつでしょうね。ではごめんこうむって、わたしは広間にはいらせてもらいましょう。』と、いいました。広間にはあかりがいっぱいついて、枢密顧問官や、身分の高い人たちが、はだしで金の器をはこんであるいていました。そんな中で、たれだって、いやでもおごそかなきもちになるでしょう。ところへ、その子のながぐつは、やけにやかましくギュウ、ギュウなるのですが、いっこうにへいきでした。」
「きっとカイちゃんよ。」と、ゲルダがさけびました。
「だって、あたらしい長ぐつをはいていましたもの。わたし、そのくつがギュウ、ギュウいうのを、おばあさまのへやできいたわ。」
「そう、ほんとうにギュウ、ギュウってなりましたよ。」と、からすはまた話しはじめました。
「さて、その子は、つかつかと、糸車ほどの大きなしんじゅに、こしをかけている、王女さまのご前に進みました。王女さまのぐるりをとりまいて、女官たちがおつきを、そのおつきがまたおつきを、したがえ、侍従がけらいの、またそのけらいをしたがえ、それがまた、めいめい小姓をひきつれて立っていました。しかも、とびらの近くに立っているものほど、いばっているように見えました。しじゅう、うわぐつであるきまわっていた、けらいのけらいの小姓なんか、とてもあおむいて顔が見られないくらいでした。とにかく、戸ぐちのところでいばりかえっているふうは、ちょっと見ものでした。」
「まあ、ずいぶんこわいこと。それでもカイちゃんは、王女さまとけっこんしたのですか。」と、ゲルダはいいました。
「もし、わたしがからすでなかったなら、いまのいいなずけをすてても、王女さまとけっこんしたかもしれません。人のうわさによりますと、その人は、わたしがからすのことばを話すときとどうよう、じょうずに話したということでした。わたしは、そのことを、わたしのいいなずけからきいたのです。どうして、なかなかようすのいい、げんきな子でした。それも王女さまとけっこんするためにきたのではなくて、ただ、王女さまがどのくらいかしこいか知ろうとおもってやってきたのですが、それで王女さまがすきになり、王女さまもまたその子がすきになったというわけです。」
「そう、いよいよ、そのひと、カイちゃんにちがいないわ。カイちゃんは、そりゃりこうで、分数まであんざんでやれますもの――ああ、わたしを、そのお城へつれていってくださらないこと。」と、ゲルダはいいました。
「さあ、くちでいうのはたやすいが、どうしたら、それができるか、むずかしいですよ。」と、からすはいいました。「ところで、まあ、それをどうするか、まあ、わたしのいいなずけにそうだんしてみましょう。きっと、いいちえをかしてくれるかもしれません。なにしろ、あなたのような、ちいさな娘さんが、お城の中にはいることは、ゆるされていないのですからね。」
「いいえ、そのおゆるしならもらえてよ。」と、ゲルダがこたえました。「カイちゃんは、わたしがきたときけば、すぐに出てきて、わたしをいれてくれるでしょう。」
「むこうのかきねのところで、まっていらっしゃい。」と、からすはいって、あたまをふりふりとんでいってしまいました。
そのからすがかえってきたときには、晩もだいぶくらくなっていました。
「すてき、すてき。」と、からすはいいました。「いいなずけが、あなたによろしくとのことでしたよ。さあ、ここに、すこしばかりパンをもってきてあげました。さぞ、おなかがすいたでしょう。いいなずけが、だいどころからもってきたのです。そこにはたくさんまだあるのです。――どうも、お城へはいることは、できそうもありませんよ。なぜといって、あなたはくつをはいていませんから、銀の軍服のへいたいや、金ぴかのせいふくのお役人たちが、ゆるしてくれないでしょうからね、だがそれで泣いてはいけない。きっと、つれて行けるくふうはしますよ。わたしのいいなずけは、王女さまのねまに通じている、ほそい、うらばしごをしっていますし、そのかぎのあるところもしっているのですからね。」
そこで、からすとゲルダとは、お庭をぬけて、木の葉があとからあとからと、ちってくる並木道を通りました。そして、お城のあかりが、じゅんじゅんにきえてしまったとき、からすはすこしあいているうらの戸口へ、ゲルダをつれていきました。
まあ、ゲルダのむねは、こわかったり、うれしかったりで、なんてどきどきしたことでしょう。まるでゲルダは、なにかわるいことでもしているような気がしました。けれど、ゲルダはその人が、カイちゃんであるかどうかをしりたい、いっしんなのです。そうです。それはきっと、カイちゃんにちがいありません。ゲルダは、しみじみとカイちゃんのりこうそうな目つきや、長いかみの毛をおもいだしていました。そして、ふたりがうちにいて、ばらの花のあいだにすわってあそんだとき、カイちゃんがわらったとおりの笑顔が、目にうかびました。そこで、カイちゃんにあって、ながいながい道中をして自分をさがしにやってきたことをきき、あれなりかえらないので、どんなにみんなが、かなしんでいるかしったなら、こうしてきてくれたことを、どんなによろこぶでしょう。まあ、そうおもうと、うれしいし、しんぱいでした。
さて、からすとゲルダとは、かいだんの上にのぼりました。ちいさなランプが、たなの上についていました。そして、ゆか板のまん中のところには、飼いならされた女がらすが、じっとゲルダを見て立っていました。ゲルダはおばあさまからおそわったように、ていねいにおじぎしました。
「かわいいおじょうさん。わたしのいいなずけは、あなたのことを、たいそうほめておりました。」と、そのやさしいからすがいいました。「あなたの、そのごけいれきとやらもうしますのは、ずいぶんおきのどくなのですね。さあ、ランプをおもちください。ごあんないしますわ。このところをまっすぐにまいりましょう。もうだれにもあいませんから。」
「だれか、わたしたちのあとから、ついてくるような気がすることね。」と、なにかがそばをきゅうに通ったときに、ゲルダはいいました。それは、たてがみをふりみだして、ほっそりとした足をもっている馬だの、それから、かりうどだの、馬にのったりっぱな男の人や、女の人だのの、それがみんなかべにうつったかげのように見えました。
「あれは、ほんの夢なのですわ。」と、からすがいいました。「あれらは、それぞれのご主人たちのこころを、りょうにさそいだそうとしてくるのです。つごうのいいことに、あなたは、ねどこの中であのひとたちのお休みのところがよくみられます。そこで、どうか、あなたがりっぱな身分におなりになったのちも、せわになったおれいは、おわすれなくね。」
「それはいうまでもないことだろうよ。」と、森のからすがいいました。
さて、からすとゲルダとは、一ばんはじめの広間にはいっていきました。そこのかべには、花でかざった、ばら色のしゅすが、上から下まで、はりつめられていました。そして、ここにもりょうにさそうさっきの夢は、もうとんで来ていましたが、あまりはやくうごきすぎて、ゲルダはえらい殿さまや貴婦人方を、こんどはみることができませんでした。ひろまから、ひろまへ行くほど、みどとにできていました。ただもうあまりのうつくしさに、まごつくばかりでしたが、そのうち、とうとうねままではいっていきました。そこのてんじょうは、高価なガラスの葉をひろげた、大きなしゅろの木のかたちになっていました。そして、へやのまんなかには、ふたつのベッドが、木のじくにあたる金のふとい柱につりさがっていて、ふたつとも、ゆりの花のようにみえました。そのベッドはひとつは白くて、それには王女がねむっていました。もうひとつのは赤くて、そこにねむっている人こそ、ゲルダのさがすカイちゃんでなくてはならないのです。ゲルダは赤い花びらをひとひら、そっとどけると、そこに日やけしたくびすじが見えました。――ああ、それはカイちゃんでした。
――ゲルダは、カイちゃんの名をこえ高くよびました。ランプをカイちゃんのほうへさしだしました。……夢がまた馬にのって、さわがしくそのへやの中へ、はいってきました。……その人は目をさまして、顔をこちらにむけました。ところが、それはカイちゃんではなかったのです。
いまは王子となったその人は、ただ、くびすじのところが、カイちゃんににていただけでした。でもその王子はわかくて、うつくしい顔をしていました。王女は白いゆりの花ともみえるベッドから、目をぱちくりやって見あげながら、たれがそこにきたのかと、おたずねになりました。そこでゲルダは泣いて、いままでのことや、からすがいろいろにつくしてくれたことなどを、のこらず王子に話しました。
「それは、まあ、かわいそうに。」と、王子と王女とがいいました。そして、からすをおほめになり、じぶんたちはけっして、からすがしたことをおこりはしないが、二どとこんなことをしてくれるな、とおっしゃいました。それでも、からすたちは、ごほうびをいただくことになりました。
「おまえたちは、すきかってに、そとをとびまわっているほうがいいかい。」と、王女はたずねました。「それとも、宮中おかかえのからすとして、台所のおあまりは、なんでもたべることができるし、そういうふうにして、いつまでもごてんにいたいとおもうかい。」
そこで、二わのからすはおじぎをして、自分たちが、としをとってからのことをかんがえると、やはりごてんにおいていただきたいと、ねがいました。そして、
「だれしもいっていますように、さきへいってこまらないように、したいものでございます。」と、いいました。
王子はそのとき、ベッドから出て、ゲルダをそれにねかせ、じぶんは、それなりねようとはしませんでした。ゲルダはちいさな手をくんで、「まあ、なんといういい人や、いいからすたちだろう。」と、おもいました。それから、目をつぶって、すやすやねむりました。すると、また夢がやってきて、こんどは天使のような人たちが、一だいのそりをひいてきました。その上には、カイちゃんが手まねきしていました。けれども、それはただの夢だったので、目をさますと、さっそくきえてしまいました。
あくる日になると、ゲルダはあたまから、足のさきまで、絹やびろうどの着物でつつまれました。そしてこのままお城にとどまっていて、たのしくくらすようにとすすめられました。でも、ゲルダはただ、ちいさな馬車と、それをひくうまと、ちいさな一そくの長ぐつがいただきとうございますと、いいました。それでもういちど、ひろい世界へ、カイちゃんをさがしに出ていきたいのです。
さて、ゲルダは長ぐつばかりでなく、マッフまでもらって、さっぱりと旅のしたくができました。いよいよでかけようというときに、げんかんには、じゅん金のあたらしい馬車が一だいとまりました。王子と王女の紋章が、星のようにひかってついていました。ぎょしゃや、べっとうや、おさきばらいが――そうです、おさきばらいまでが――金の冠をかぶってならんでいました。王子と王女は、ごじぶんで、ゲルダをたすけて馬車にのらせ、ぶじにいってくるようにおっしゃいました。もういまはけっこんをすませた森のからすも、三マイルさきまで、みおくりについてきました。このからすは、うしろむきにのっていられないというので、ゲルダのそばにすわっていました。めすのほうのからすは、羽根をばたばたやりながら、門のところにとまっていました。おくっていかないわけは、あれからずっとごてんづとめで、たくさんにたべものをいただくせいか、ひどく頭痛がしていたからです。その馬車のうちがわは、さとうビスケットでできていて、こしをかけるところは、くだものや、くるみのはいったしょうがパンでできていました。
「さよなら、さよなら。」と、王子と王女がさけびました。するとゲルダは泣きだしました。――からすもまた泣きました。――さて、馬車が三マイル先のところまできたとき、こんどはからすが、さよならをいいました。この上ないかなしいわかれでした。からすはそこの木の上にとびあがって、馬車がいよいよ見えなくなるまで、黒いつばさを、ばたばたやっていました。馬車はお日さまのようにかがやきながら、どこまでもはしりつづけました。
第五のお話
おいはぎのこむすめ
それから、ゲルダのなかまは、くらい森の中を通っていきました。ところが、馬車の光は、たいまつのようにちらちらしていました。それが、おいはぎどもの目にとまって、がまんがならなくさせました。
「やあ、金だぞ、金だぞ。」と、おいはぎたちはさけんで、いちどにとびだしてきました。馬をおさえて、ぎょしゃ、べっとうから、おさきばらいまでころして、ゲルダを馬車からひきずりおろしました。
「こりゃあ、たいそうふとって、かわいらしいむすめだわい。きっと、年中くるみの実ばかりたべていたのだろう。」と、おいはぎばばがいいました。女のくせに、ながい、こわいひげをはやして、まゆげが、目の上までたれさがったばあさんでした。「なにしろそっくり、あぶらののった、こひつじというところだが、さあたべたら、どんな味がするかな。」
そういって、ばあさんは、ぴかぴかするナイフをもちだしました。きれそうにひかって、きみのわるいといったらありません。
「あッ。」
そのとたん、ばあさんはこえをあげました。その女のせなかにぶらさがっていた、こむすめが、なにしろらんぼうなだだっ子で、おもしろがって、いきなり、母親の耳をかんだのです。
「このあまあ、なにょをする。」と、母親はさけびました。おかげで、ゲルダをころす、はなさきをおられました。
「あの子は、あたいといっしょにあそぶのだよ。」と、おいはぎのこむすめは、いいました。
「あの子はマッフや、きれいな着物をあたいにくれて、晩にはいっしょにねるのだよ。」
こういって、その女の子は、もういちど、母親の耳をしたたかにかみました。それで、ばあさんはとびあがって、ぐるぐるまわりしました。おいはぎどもは、みんなわらって、
「見ろ、ばばあが、がきといっしょにおどっているからよ。」と、いいました。
「馬車の中へはいってみようや。」と、おいはぎのこむすめはいいました。
このむすめは、わんぱくにそだって、おまけにごうじょうっぱりでしたから、なんでもしたいとおもうことをしなければ、気がすみませんでした。それで、ゲルダとふたり馬車にのりこんで、きりかぶや、石のでている上を通って、林のおくへ、ふかくはいっていきました。おいはぎのこむすめは、ちょうどゲルダぐらいの大きさでしたが、ずっと、きつそうで、肩つきががっしりしていました。どす黒いはだをして、その目はまっ黒で、なんだかかなしそうに見えました。女の子は、ゲルダのこしのまわりに手をかけて、
「あたい、おまえとけんかしないうちは、あんなやつらに、おまえをころさせやしないことよ。おまえはどこかの王女じゃなくて。」と、いいました。
「いいえ、わたしは王女ではありません。」と、ゲルダはこたえて、いままでにあったできごとや、じぶんがどんなに、すきなカイちゃんのことを思っているか、ということなぞを話しました。
おいはぎのむすめは、しげしげとゲルダを見て、かるくうなずきながら、
「あたいは、おまえとけんかしたって、あのやつらに、おまえをころさせやしないよ。そんなくらいなら、あたい、じぶんでおまえをころしてしまうわ。」と、いいました。
それからむすめは、ゲルダの目をふいてやり、両手をうつくしいマッフにつけてみましたが、それはたいへん、ふっくりして、やわらかでした。
さあ、馬車はとまりました。そこはおいはぎのこもる、お城のひろ庭でした。その山塞は、上から下までひびだらけでした。そのずれたわれ目から、大がらす小がらすがとびまわっていました。大きなブルドッグが、あいてかまわず、にんげんでもくってしまいそうなようすで、高くとびあがりました。でも、けっしてほえませんでした。ほえることはとめられてあったからです。
大きな、煤けたひろまには、煙がもうもうしていて、たき火が、赤あかと石だたみのゆか上でもえていました。煙はてんじょうの下にたちまよって、どこからともなくでていきました。大きなおなべには、スープがにえたって、大うさぎ小うさぎが、あぶりぐしにさして、やかれていました。
「おまえは、こん夜は、あたいや、あたいのちいさなどうぶつといっしょにねるのよ。」と、おいはぎのこむすめがいいました。
ふたりはたべものと、のみものをもらうと、わらや、しきものがしいてある、へやのすみのほうへ行きました。その上には、百ぱよりも、もっとたくさんのはとが、ねむったように、木摺や、とまり木にとまっていましたが、ふたりの女の子がきたときには、ちょっとこちらをむきました。
「みんな、このはと、あたいのものなのよ。」と、おいはぎのこむすめはいって、てばやく、てぢかにいた一わをつかまえて、足をゆすぶったので、はとは、羽根をばたばたやりました。
「せっぷんしておやりよ。」と、いって、おいはぎのこむすめは、それを、ゲルダの顔になげつけました。
「あすこにとまっているのが、森のあばれものさ。」と、そのむすめは、かべにあけたあなに、うちこまれたとまり木を、ゆびさしながら、また話しつづけました。「あれは二わとも森のあばれものさ。しっかり、とじこめておかないと、すぐにげていってしまうの。ここにいるのが、昔からおともだちのベーよ。」
こういって、女の子は、ぴかぴかみがいた、銅のくびわをはめたままつながれている、一ぴきのとなかいを、つのをもってひきだしました。
「これも、しっかりつないでおかないと、にげていってしまうの。だから、あたいはね、まい晩よくきれるナイフで、くびのところをくすぐってやるんだよ。すると、それはびっくりするったらありゃしない。」
そういいながら、女の子はかべのわれめのところから、ながいナイフをとりだして、それをとなかいのくびにあてて、そろそろなでました。かわいそうに、そのけものは、足をどんどんやって、苦しがりました。むすめは、おもしろそうにわらって、それなりゲルダをつれて、ねどこに行きました。
「あなたはねているあいだ、ナイフをはなさないの。」と、ゲルダは、きみわるそうに、それをみました。
「わたい、しょっちゅうナイフをもっているよ。」と、おいはぎのこむすめはこたえました。
「なにがはじまるかわからないからね。それよか、もういちどカイちゃんって子の話をしてくれない、それから、どうしてこのひろい世界に、あてもなくでてきたのか、そのわけを話してくれないか。」
そこで、ゲルダははじめから、それをくりかえしました。森のはとが、頭の上のかごの中でくうくういっていました。ほかのはとはねむっていました。おいはぎのこむすめは、かた手をゲルダのくびにかけて、かた手にはナイフをもったまま、大いびきをかいてねてしまいました。けれども、ゲルダは、目をつぶることもできませんでした。ゲルダは、いったい、じぶんは生かしておかれるのか、ころされるのか、まるでわかりませんでした。
たき火のぐるりをかこんで、おいはぎたちは、お酒をのんだり、歌をうたったりしていました。そのなかで、ばあさんがとんぼをきりました。ちいさな女の子にとっては、そのありさまを見るだけで、こわいことでした。
そのとき、森のはとが、こういいました。
「くう、くう、わたしたち、カイちゃんを見ましたよ。一わの白いめんどりが、カイちゃんのそりをはこんでいました。カイちゃんは雪の女王のそりにのって、わたしたちが、巣にねていると、森のすぐ上を通っていったのですよ。雪の女王は、わたしたち子ばとに、つめたいいきをふきかけて、ころしてしまいました。たすかったのは、わたしたち二わだけ、くう、くう。」
「まあ、なにをそこでいってるの。」と、ゲルダが、つい大きなこえをしました。「その雪の女王さまは、どこへいったのでしょうね。そのさきのこと、なにかしっていて。おしえてよ。」
「たぶん、*ラップランドのほうへいったのでしょうよ。そこには、年中、氷や雪がありますからね。まあ、つながれている、となかいに、きいてごらんなさい。」
*ヨーロッパ洲の極北、スカンジナビア半島の北東部、四〇万平方キロ一帯の寒い土地。遊牧民のラップ人がすむ。
すると、となかいがひきとって、
「そこには年中、氷や雪があって、それはすばらしいみごとなものですよ。」といいました。
「そこでは大きな、きらきら光る谷まを、自由にはしりまわることができますし、雪の女王は、そこに夏のテントをもっています。でも女王のりっぱな本城は、もっと北極のほうの、*スピッツベルゲンという島の上にあるのです。」
*ノルウェーのはるか北、北極海にちかい小島群(一名スヴァルバルド)。
「ああ、カイちゃんは、すきなカイちゃんは。」と、ゲルダはためいきをつきました。
「しずかにしなよ。しないと、ナイフをからだにつきさすよ。」と、おいはぎのこむすめがいいました。
あさになって、ゲルダは、森のはとが話したことを、すっかりおいはぎのこむすめに話しました。するとむすめは、たいそうまじめになって、うなずきながら、
「まあいいや。どっちにしてもおなじことだ。」と、いいました。そして、
「おまえ、ラップランドって、どこにあるのかしってるのかい。」と、むすめは、となかいにたずねました。
「わたしほど、それをよくしっているものがございましょうか。」と、目をかがやかしながら、となかいがこたえました。「わたしはそこで生まれて、そだったのです。わたしはそこで、雪の野原を、はしりまわっていました。」
「ごらん。みんなでかけていってしまうだろう。おっかさんだけがうちにいる。おっかさんは、ずっとうちにのこっているのよ。でもおひるちかくなると、大きなびんからお酒をのんで、すこしのあいだ、ひるねするから、そのとき、おまえにいいことをしてあげようよ。」と、おいはぎのこむすめはゲルダにいいました。
それから女の子は、ぱんと、ねどこからはねおきて、おっかさんのくびのまわりにかじりついて、おっかさんのひげをひっぱりながら、こういいました。
「かわいい、めやぎさん、おはようございます。」
すると、おっかさんは、女の子のはなが赤くなったり紫色になったりするまで、ゆびではじきました。
でもこれは、かわいくてたまらない心からすることでした。
おっかさんが、びんのお酒をのんで、ねてしまったとき、おいはぎのこむすめは、となかいのところへいって、こういいました。
「わたしはもっと、なんべんも、なんべんも、ナイフでおまえを、くすぐってやりたいのだよ。だって、ずいぶんおかしいんだもの、でも、もういいさ。あたい、おまえがラップランドへ行けるように、つなをほどいてにがしてやろう。けれど、おまえはせっせとはしって、この子を、この子のおともだちのいる、雪の女王のごてんへ、つれていかなければいけないよ。おまえ、この子があたいに話していたこと、きいていたろう。とても大きなこえで話したし、おまえも耳をすまして、きいていたのだから。」
となかいはよろこんで、高くはねあがりました。その背中においはぎのこむすめは、ゲルダをのせてやりました。そして用心ぶかく、ゲルダをしっかりいわえつけて、その上、くらのかわりに、ちいさなふとんまで、しいてやりました。
「まあ、どうでもいいや。」と、こむすめはいいました。「そら、おまえの毛皮のながぐつだよ。だんだんさむくなるからね。マッフはきれいだからもらっておくわ。けれど、おまえにさむいおもいはさせないわ。ほら、おっかさんの大きなまる手ぶくろがある。おまえなら、ひじのところまで、ちょうどとどくだろう。まあ、これをはめると、おまえの手が、まるであたいのいやなおっかさんの手のようだよ。」と、むすめはいいました。
ゲルダは、もううれしくて、涙がこぼれました。
「泣くなんて、いやなことだね。」と、おいはぎのこむすめはいいました。「ほんとは、うれしいはずじゃないの。さあ、ここにふたつ、パンのかたまりと、ハムがあるわ。これだけあれば、ひもじいおもいはしないだろう。」
これらの品じなは、となかいの背中のうしろにいわえつけられました。おいはぎのむすめは戸をあけて、大きな犬をだまして、中にいれておいて、それから、よくきれるナイフでつなをきると、となかいにむかっていいました。
「さあ、はしって。そのかわり、その子に、よく気をつけてやってよ。」
そのとき、ゲルダは、大きなまる手ぶくろをはめた両手を、おいはぎのこむすめのほうにさしのばして、「さようなら。」といいました。
とたんに、となかいはかけだしました。木の根、岩かどをとびこえ、大きな森をつきぬけて、沼地や草原もかまわず、いっしょうけんめい、まっしぐらにはしっていきました。おおかみがほえ、わたりがらすがこえをたてました。ひゅッ、ひゅッ、空で、なにか音がしました。それはまるで花火があがったように。
「あれがわたしのなつかしい北極光です。」と、となかいがいいました。「ごらんなさい。なんてよく、かがやいているでしょう。」
それからとなかいは、ひるも夜も、前よりももっとはやくはしって行きました。
パンのかたまりもなくなりました。ハムもたべつくしました。となかいとゲルダとは、ラップランドにつきました。
第六のお話
ラップランドの女とフィンランドの女
ちいさな、そまつなこやの前で、となかいはとまりました。そのこやはたいそうみすぼらしくて、屋根は地面とすれすれのところまでも、おおいかぶさっていました。そして、戸口がたいそうひくくついているものですから、うちの人が出たり、はいったりするときには、はらばいになって、そこをくぐらなければなりませんでした。その家には、たったひとり年とったラップランドの女がいて、鯨油ランプのそばで、おさかなをやいていました。となかいはそのおばあさんに、ゲルダのことをすっかり話してきかせました。でも、その前にじぶんのことをまず話しました。となかいは、じぶんの話のほうが、ゲルダの話よりたいせつだとおもったからでした。
ゲルダはさむさに、ひどくやられていて、口をきくことができませんでした。
「やれやれ、それはかわいそうに。」と、ラップランドの女はいいました。「おまえたちはまだまだ、ずいぶんとおくはしって行かなければならないよ。百マイル以上も北の*フィンマルケンのおくふかくはいらなければならないのだよ。雪の女王はそこにいて、まい晩、青い光を出す花火をもやしているのさ。わたしは紙をもっていないから、干鱈のうえに、てがみをかいてあげよう。これをフィンランドの女のところへもっておいで。その女のほうが、わたしよりもくわしく、なんでも教えてくれるだろうからね。」
*ノルウェーの北端、最低地方。
さてゲルダのからだもあたたまり、たべものやのみものでげんきをつけてもらったとき、ラップランドの女は、干鱈に、ふたことみこと、もんくをかきつけて、それをたいせつにもっていくように、といってだしました。ゲルダは、またとなかいにいわえつけられてでかけました。ひゅッひゅッ、空の上でまたいいました。ひと晩中、この上もなくうつくしい青色をした、極光がもえていました。――さて、こうして、となかいとゲルダとは、フィンマルケンにつきました。そして、フィンランドの女の家のえんとつを、こつこつたたきました。だってその家には、戸口もついていませんでした。
家の中は、たいへんあついので、その女の人は、まるではだか同様でした。せいのひくいむさくるしいようすの女でした。女はすぐに、ゲルダの着物や、手ぶくろや、ながぐつをぬがせました。そうしなければ、とてもあつくて、そこにはいられなかったからです。それから、となかいのあたまの上に、ひとかけ、氷のかたまりを、のせてやりました。そして、ひだらにかきつけてあるもんくを、三べんもくりかえしてよみました。そしてすっかりおぼえこんでしまうと、スープをこしらえる大なべの中へ、たらをなげこみました。そのたらはたべることができたからで、この女の人は、けっしてどんなものでも、むだにはしませんでした。
さて、となかいは、まずじぶんのことを話して、それからゲルダのことを話しました。するとフィンランドの女は、そのりこうそうな目をしばたたいただけで、なにもいいませんでした。
「あなたは、たいそう、かしこくていらっしゃいますね。」と、となかいは、いいました。「わたしはあなたが、いっぽんのより糸で、世界中の風をつなぐことがおできになると、きいております。もしも舟のりが、そのいちばんはじめのむすびめをほどくなら、つごうのいい追風がふきます。二ばんめのむすびめだったら、つよい風がふきます。三ばんめと四ばんめをほどくなら、森ごとふきたおすほどのあらしがふきすさみます。どうか、このむすめさんに、十二人りきがついて、しゅびよく雪の女王にかてますよう、のみものをひとつ、つくってやっていただけませんか。」
「十二人りきかい。さぞ役にたつだろうよ。」と、フィンランドの女はくりかえしていいました。
それから女の人は、たなのところへいって、大きな毛皮のまいたものをもってきてひろげました。それには、ふしぎなもんじがかいてありましたが、フィンランドの女は、ひたいから、あせがたれるまで、それをよみかえしました。
でも、となかいは、かわいいゲルダのために、またいっしょうけんめい、その女の人にたのみました。ゲルダも目に涙をいっぱいためて、おがむように、フィンランドの女を見あげました。女はまた目をしばたたきはじめました。そして、となかいをすみのほうへつれていって、そのあたまにあたらしい氷をのせてやりながら、こうつぶやきました。
「カイって子は、ほんとうに雪の女王のお城にいるのだよ。そして、そこにあるものはなんでも気にいってしまって、世界にこんないいところはないとおもっているんだよ。けれどそれというのも、あれの目のなかには、鏡のかけらがはいっているし、しんぞうのなかにだって、ちいさなかけらがはいっているからなのだよ。だからそんなものを、カイからとりだしてしまわないうちは、あれはけっしてまにんげんになることはできないし、いつまでも雪の女王のいうなりになっていることだろうよ。」
「では、どんなものにも、うちかつことのできる力になるようなものを、ゲルダちゃんにくださるわけにはいかないでしょうか。」
「このむすめに、うまれついてもっている力よりも、大きな力をさずけることは、わたしにはできないことなのだよ。まあ、それはおまえさんにも、あのむすめがいまもっている力が、どんなに大きな力だかわかるだろう。ごらん、どんなにして、いろいろと人間やどうぶつが、あのむすめひとりのためにしてやっているか、どんなにして、はだしのくせに、あのむすめがよくもこんなとおくまでやってこられたか。それだもの、あのむすめは、わたしたちから、力をえようとしてもだめなのだよ。それはあのむすめの心のなかにあるのだよ。それがかわいいむじゃきなこどもだというところにあるのだよ。もし、あのむすめが、自分で雪の女王のところへ、でかけていって、カイからガラスのかけらをとりだすことができないようなら、まして、わたしたちの力におよばないことさ。もうここから二マイルばかりで、雪の女王のお庭の入口になるから、おまえはそこまで、あの女の子をはこんでいって、雪の中で、赤い実をつけてしげっている、大きな木やぶのところに、おろしてくるがいい。それで、もうよけいな口をきかないで、さっさとかえっておいで。」
こういって、フィンランドの女は、ゲルダを、となかいのせなかにのせました。そこで、となかいは、ぜんそくりょくで、はしりだしました。
「ああ、あたしは、長ぐつをおいてきたわ。手ぶくろもおいてきてしまった。」と、ゲルダはさけびました。
とたんに、ゲルダは身をきるようなさむさをかんじました。でも、となかいはけっしてとまろうとはしませんでした。それは赤い実のなった木やぶのところへくるまで、いっさんばしりに、はしりつづけました。そして、そこでゲルダをおろして、くちのところにせっぷんしました。
大つぶの涙が、となかいの頬を流れました。それから、となかいはまた、いっさんばしりに、はしっていってしまいました。かわいそうに、ゲルダは、くつもはかず、手ぶくろもはめずに、氷にとじられた、さびしいフィンマルケンのまっただなかに、ひとりとりのこされて立っていました。
ゲルダは、いっしょうけんめいかけだしました。すると、雪の大軍が、むこうからおしよせてきました。
けれど、その雪は、空からふってくるのではありません。空は極光にてらされて、きらきらかがやいていました。雪は地面の上をまっすぐに走ってきて、ちかくにくればくるほど、形が大きくなりました。ゲルダは、いつか虫めがねでのぞいたとき、雪のひとひらがどんなにか大きくみえたことを、まだおぼえていました。けれども、ここの雪はほんとうに、ずっと大きく、ずっとおそろしくみえました。この雪は生きていました。それは雪の女王の前哨でした。そして、ずいぶんへんてこな形をしていました。大きくてみにくい、やまあらしのようなものもいれば、かまくびをもたげて、とぐろをまいているへびのようなかっこうのもあり、毛のさかさにはえた、ふとった小ぐまににたものもありました。それはみんなまぶしいように、ぎらぎら白くひかりました。これこそ生きた雪の大軍でした。
そこでゲルダは、いつもの主の祈の「われらの父」をとなえました。さむさはとてもひどくて、ゲルダはじぶんのつくいきを見ることができました。それは、口からけむりのようにたちのぼりました。そのいきはだんだんこくなって、やがてちいさい、きゃしゃな天使になりました。それが地びたにつくといっしょに、どんどん大きくなりました。天使たちはみな、かしらにはかぶとをいただき、手には楯とやりをもっていました。天使の数はだんだんふえるばかりでした。そして、ゲルダが主のおいのりをおわったときには、りっぱな天使軍の一たいが、ゲルダのぐるりをとりまいていました。天使たちはやりをふるって、おそろしい雪のへいたいをうちたおすと、みんなちりぢりになってしまいました。そこでゲルダは、ゆうきをだして、げんきよく進んで行くことができました。天使たちは、ゲルダの手と足とをさすりました。するとゲルダは、前ほどさむさを感じなくなって、雪の女王のお城をめがけていそぎました。
ところで、カイは、あののち、どうしていたでしょう。それからまずお話をすすめましょう。カイは、まるでゲルダのことなど、おもってはいませんでした。だから、ゲルダが、雪の女王のごてんまできているなんて、どうして、ゆめにもおもわないことでした。
第七のお話
雪の女王のお城でのできごとと そののちのお話
雪の女王のお城は、はげしくふきたまる雪が、そのままかべになり、窓や戸口は、身をきるような風で、できていました。そこには、百いじょうの広間が、じゅんにならんでいました。それはみんな雪のふきたまったものでした。いちばん大きな広間はなんマイルにもわたっていました。つよい極光がこの広間をもてらしていて、それはただもう、ばか大きく、がらんとしていて、いかにも氷のようにつめたく、ぎらぎらして見えました。たのしみというものの、まるでないところでした。あらしが音楽をかなでて、ほっきょくぐまがあと足で立ちあがって、気どっておどるダンスの会もみられません。わかい白ぎつねの貴婦人のあいだに、ささやかなお茶の会がひらかれることもありません。雪の女王の広間は、ただもうがらんとして、だだっぴろく、そしてさむいばかりでした。極光のもえるのは、まことにきそく正しいので、いつがいちばん高いか、いつがいちばんひくいか、はっきり見ることができました。このはてしなく大きながらんとした雪の広間のまん中に、なん千万という数のかけらにわれてこおった、みずうみがありました。われたかけらは、ひとつひとつおなじ形をして、これがあつまって、りっぱな美術品になっていました。このみずうみのまん中に、お城にいるとき、雪の女王はすわっていました。そしてじぶんは理性の鏡のなかにすわっているのだ、この鏡ほどのものは、世界中さがしてもない、といっていました。
カイはここにいて、さむさのため、まっ青に、というよりは、うす黒くなっていました。それでいて、カイはさむさを感じませんでした。というよりは、雪の女王がせっぷんして、カイのからだから、さむさをすいとってしまったからです。そしてカイのしんぞうは、氷のようになっていました。カイは、たいらな、いく枚かのうすい氷の板を、あっちこっちからはこんできて、いろいろにそれをくみあわせて、なにかつくろうとしていました。まるでわたしたちが、むずかしい漢字をくみ合わせるようでした。カイも、この上なく手のこんだ、みごとな形をつくりあげました。それは氷のちえあそびでした。カイの目には、これらのものの形はこのうえなくりっぱな、この世の中で一ばんたいせつなもののようにみえました。それはカイの目にささった鏡のかけらのせいでした。カイは、形でひとつのことばをかきあらわそうとおもって、のこらずの氷の板をならべてみましたが、自分があらわしたいとおもうことば、すなわち、「永遠」ということばを、どうしてもつくりだすことはできませんでした。でも、女王はいっていました。
「もしおまえに、その形をつくることがわかれば、からだも自由になるよ。そうしたら、わたしは世界ぜんたいと、あたらしいそりぐつを、いっそくあげよう。」
けれども、カイには、それができませんでした。
「これから、わたしは、あたたかい国を、ざっとひとまわりしてこよう。」と、雪の女王はいいました。「ついでにそこの黒なべをのぞいてくる。」黒なべというのは、*エトナとかヴェスヴィオとか、いろんな名の、火をはく山のことでした。「わたしはすこしばかり、それを白くしてやろう。ぶどうやレモンをおいしくするためにいいそうだから。」
*エトナはイタリア半島の南シシリー島の火山。ヴェスヴィオはおなじくナポリ市の東方にある火山。
こういって、雪の女王は、とんでいってしまいました。そしてカイは、たったひとりぼっちで、なんマイルというひろさのある、氷の大広間のなかで、氷の板を見つめて、じっと考えこんでいました。もう、こちこちになって、おなかのなかの氷が、みしりみしりいうかとおもうほど、じっとうごかずにいました。それをみたら、たれも、カイはこおりついたなり、死んでしまったのだとおもったかもしれません。
ちょうどそのとき、ゲルダは大きな門を通って、その大広間にはいってきました。そこには、身をきるような風が、ふきすさんでいましたが、ゲルダが、ゆうべのおいのりをあげると、ねむったように、しずかになってしまいました。そして、ゲルダは、いくつも、いくつも、さむい、がらんとしたひろまをぬけて、――とうとう、カイをみつけました。ゲルダは、カイをおぼえていました。で、いきなりカイのくびすじにとびついて、しっかりだきしめながら、
「カイ、すきなカイ。ああ、あたしとうとう、みつけたわ。」と、さけびました。
けれども、カイは身ゆるぎもしずに、じっとしゃちほこばったなり、つめたくなっていました。そこで、ゲルダは、あつい涙を流して泣きました。それはカイのむねの上におちて、しんぞうのなかにまで、しみこんで行きました。そこにたまった氷をとかして、しんぞうの中の、鏡のかけらをなくなしてしまいました。カイは、ゲルダをみました。ゲルダはうたいました。
ばらのはな さきてはちりぬ
おさな子エス やがてあおがん
すると、カイはわっと泣きだしました。カイが、あまりひどく泣いたものですから、ガラスのとげが、目からぽろりとぬけてでてしまいました。すぐとカイは、ゲルダがわかりました。そして、大よろこびで、こえをあげました。
「やあ、ゲルダちゃん、すきなゲルダちゃん。――いままでどこへいってたの、そしてまた、ぼくはどこにいたんだろう。」こういって、カイは、そこらをみまわしました。「ここは、ずいぶんさむいんだなあ。なんて大きくて、がらんとしているんだろうなあ。」
こういって、カイは、ゲルダに、ひしととりつきました。ゲルダは、うれしまぎれに、泣いたり、わらったりしました。それがあまりたのしそうなので、氷の板きれまでが、はしゃいでおどりだしました。そして、おどりつかれてたおれてしまいました。そのたおれた形が、ひとりでに、ことばをつづっていました。それは、もしカイに、そのことばがつづれたら、カイは自由になれるし、そしてあたらしいそりぐつと、のこらずの世界をやろうと、雪の女王がいった、そのことばでした。
ゲルダは、カイのほおにせっぷんしました。みるみるそれはぽおっと赤くなりました。それからカイの目にもせっぷんしました。すると、それはゲルダの目のように、かがやきだしました。カイの手だの足だのにもせっぷんしました。これで、しっかりしてげんきになりました。もうこうなれば、雪の女王がかえってきても、かまいません。だって、女王が、それができればゆるしてやるといったことばが、ぴかぴかひかる氷のもんじで、はっきりとそこにかかれていたからです。
さて、そこでふたりは手をとりあって、その大きなお城からそとへでました。そして、うちのおばあさんの話だの、屋根の上のばらのことなどを、語りあいました。ふたりが行くさきざきには、風もふかず、お日さまの光がかがやきだしました。そして、赤い実のなった、あの木やぶのあるところにきたとき、そこにもう、となかいがいて、ふたりをまっていました。そのとなかいは、もう一ぴきのわかいとなかいをつれていました。そして、このわかいほうは、ふくれた乳ぶさからふたりのこどもたちに、あたたかいおちちを出してのませてくれて、そのくちの上にせっぷんしました。それから二ひきのとなかいは、カイとゲルダをのせて、まずフィンランドの女のところへ行きました。そこでふたりは、あのあついへやで、じゅうぶんからだをあたためて、うちへかえる道をおしえてもらいました。それからこんどは、ラップランドの女のところへいきました。その女は、ふたりにあたらしい着物をつくってくれたり、そりをそろえてくれたりしました。
となかいと、もう一ぴきのとなかいとは、それなり、ふたりのそりについてはしって、国境までおくってきてくれました。そこでは、はじめて草の緑がもえだしていました。カイとゲルダとは、ここで、二ひきのとなかいと、ラップランドの女とにわかれました。
「さようなら。」と、みんなはいいました。そして、はじめて、小鳥がさえずりだしました。森には、緑の草の芽が、いっぱいにふいていました。
その森の中から、うつくしい馬にのった、わかいむすめが、赤いぴかぴかするぼうしをかぶり、くらにピストルを二ちょうさして、こちらにやってきました。ゲルダはその馬をしっていました。(それは、ゲルダの金の馬車をひっぱった馬であったからです。)そして、このむすめは、れいのおいはぎのこむすめでした。この女の子は、もう、うちにいるのがいやになって、北の国のほうへいってみたいとおもっていました。そしてもし、北の国が気にいらなかったら、どこかほかの国へいってみたいとおもっていました。このむすめは、すぐにゲルダに気がつきました。ゲルダもまた、このむすめをみつけました。そして、もういちどあえたことを、心からよろこびました。
「おまえさん、ぶらつきやのほうでは、たいしたおやぶんさんだよ。」と、そのむすめは、カイにいいました。「おまえさんのために、世界のはてまでもさがしにいってやるだけのねうちが、いったい、あったのかしら。」
けれども、ゲルダは、そのむすめのほおを、かるくさすりながら、王子と王女とは、あののちどうなったかとききました。
「あの人たちは、外国へいってしまったのさ。」と、おいはぎのこむすめがこたえました。
「それで、からすはどうして。」と、ゲルダはたずねました。
「ああ、からすは死んでしまったよ。」と、むすめがいいました。「それでさ、おかみさんがらすも、やもめになって、黒い毛糸の喪章を足につけてね、ないてばかりいるっていうけれど、うわさだけだろう。さあ、こんどは、あれからどんな旅をしたか、どうしてカイちゃんをつかまえたか、話しておくれ。」
そこで、カイとゲルダとは、かわりあって、のこらずの話をしました。
「そこで、よろしく、ちんがらもんがらか、でも、まあうまくいって、よかったわ。」と、むすめはいいました。
そして、ふたりの手をとって、もしふたりのすんでいる町を通ることがあったら、きっとたずねようと、やくそくしました。それから、むすめは馬をとばして、ひろい世界へでて行きました。でも、カイとゲルダとは、手をとりあって、あるいていきました。いくほど、そこらが春めいてきて、花がさいて、青葉がしげりました。お寺の鐘がきこえて、おなじみの高い塔と、大きな町が見えてきました。それこそ、ふたりがすんでいた町でした。そこでふたりは、おばあさまの家の戸口へいって、かいだんをあがって、へやへはいりました。そこではなにもかも、せんとかわっていませんでした。柱どけいが「カッチンカッチン」いって、針がまわっていました。けれど、その戸口をはいるとき、じぶんたちが、いつかもうおとなになっていることに気がつきました。おもての屋根のといの上では、ばらの花がさいて、ひらいた窓から、うちのなかをのぞきこんでいました。そしてそこには、こどものいすがおいてありました。カイとゲルダとは、めいめいのいすにこしをかけて、手をにぎりあいました。ふたりはもう、あの雪の女王のお城のさむい、がらんとした、そうごんなけしきを、ただぼんやりと、おもくるしい夢のようにおもっていました。おばあさまは、神さまの、うららかなお日さまの光をあびながら、「なんじら、もし、おさなごのごとくならずば、天国にいることをえじ。」と、高らかに聖書の一せつをよんでいました。
カイとゲルダとは、おたがいに、目と目を見あわせました。そして、
ばらのはな さきてはちりぬ
おさな子エスやがてあおがん
というさんび歌のいみが、にわかにはっきりとわかってきました。
こうしてふたりは、からだこそ大きくなっても、やはりこどもで、心だけはこどものままで、そこにこしをかけていました。
ちょうど夏でした。あたたかい、みめぐみあふれる夏でした。 | 底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本中、*で示された語句の訳註は、当該語句のあるページの下部に挿入されていますが、このファイルでは当該語句のある段落のあとに、5字下げで挿入しました。
※見出しの字下げは底本通りとしました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年11月22日作成
2014年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "042387",
"作品名": "雪の女王",
"作品名読み": "ゆきのじょおう",
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むかしむかし、心の高ぶった、わるい王さまがいました。この王さまは、わしの力で、世界じゅうの国々をせいふくしてやろう、わしの名前を聞いただけで、あらゆる人間をふるえあがらせてやりたいものだ、と、こんなことばかり考えていました。
王さまは、火と刀を持って、国から国へと進んで行きました。王さまの兵隊たちは、畑の穀物をふみにじり、農家に火をつけました。赤いほのおは、めらめらと燃えあがって、木々の葉を焼きはらいました。あとには、まっ黒こげの枝に、焼けた木の実が、ぶらさがっているばかりでした。
かわいそうに、おかあさんたちは、生れたばかりの、はだかの赤んぼうをかかえて、まだ、ぶすぶすと煙のあがっている、かべのかげにかくれました。ところが、兵隊たちは、すみからすみまで、さがしまわりました。うまく、おかあさんと子供を見つけると、まるで悪魔のように、よろこびました。どんなにわるい悪魔でも、これ以上にひどいことはできなかったでしょう。ところが、王さまときたら、こんなことをしても、あたりまえのことのように平気でいるのでした。
王さまの力は、一日、一日と、強くなりました。王さまの名前を耳にすると、だれもかれもが、ふるえあがりました。王さまのすることは、いつもうまくいきました。占領した町からは、黄金や、たくさんの宝物を、持ってかえってきました。王さまの都には、世界じゅうの宝が、山と積みあげられました。これほどの宝は、どんな都にも見られません。
王さまは、りっぱなお城や、お寺や、アーケードなどを、つぎからつぎへと、たてさせました。そのすばらしいありさまを見た人たちは、みんな口をそろえて、
「なんという、えらい王さまだ」と、ほめそやしました。
もちろん、こういう人たちは、よその国の人たちの受けている、苦しみのことなどは、考えてもみませんでした。焼きはらわれた町から聞えてくるため息や、なげき悲しむ声には、耳をもかたむけなかったのです。
王さまは、黄金の山をながめ、りっぱな建物をながめました。そのたびに、大ぜいの人たちと同じように、こう思いました。
「わしは、なんというえらい王さまだ。しかし、もっともっと、手に入れねばならん。もっともっと、いろいろなものを! わしと同じ力を持っているものが、あってはならん。まして、わし以上の力を持っているものが、あってはならん!」
そこで、またもや、となり近所の国々に、戦争をしかけました。どの国をも、かたっぱしから、せいふくしていきました。王さまは、まけた国の王さまたちを、金のくさりでしばって、自分の車にゆわえつけました。こうして王さまは、町じゅうを、ふんぞりかえって乗りまわしたのです。そればかりではありません。食事のときには、王さまや、おつきの家来たちの足もとに、まけた国の王さまたちを、はわせておきました。そして、パンくずを投げてやっては、それを食べさせたのです。
王さまは、自分の像を、広場や、お城の中に、たてさせました。でも、それだけでは、まだたりません。こんどは、お寺の中の、神さまの聖壇の前にも、たてさせようとしました。けれども、坊さんたちはいいました。
「王さま。あなたは、えらいお方です。しかし、神さまは、もっとおえらいのです。こればかりは、わたしたちにはできません」
「よろしい」と、わるい王さまは言いました。「それでは、わしは、神さまをもせいふくしよう」
こう言うと、心のおごった、ばかな王さまは、空を飛んでいくことのできる、一そうの船を作らせました。その船は、クジャクの尾のように、美しい色をしていました。そして、何千という、目のようなものを持っていました。ところが、その目というのは、じつは、鉄砲をうつための、穴だったのです。
王さまは、船のまんなかにすわって、ただ、ばねを押しさえすればよかったのです。そうすれば、何千というたまが、いっせいに、とび出すしかけになっていたのです。しかも、そのあとには、すぐまた、あたらしいたまが、こめられるようになっていました。
強いワシが、何百羽も、船の前に結びつけられました。いよいよ、船はお日さまめがけて、飛びあがりました。地球は、たちまち、ずっと下のほうになりました。さいしょのうちは、山や森のあるところは、すきおこされた、畑のように見えました。ちょうど、みどり色の草が、ほりかえされた芝土から、頭を出しているようなぐあいです。それから、ひらたい地図みたいになって、やがて、霧と雲の中に、すっかりかくれてしまいました。
ワシたちは、なおもぐんぐん高く、飛んでいきました。
いっぽう、神さまは、かぞえきれないほどたくさんいる天使たちの中から、たったひとりの天使を、おくってよこされました。すると、わるい王さまは、その天使めがけて、何千というたまを、うち出しました。たまは、天使にあたりました。けれども、天使のかがやくつばさにあたったとたん、はねかえって、雨あられのように落ちてきました。そのとき、天使の白いつばさから、血が一しずく、たった一しずく、したたりました。その一しずくの血は、王さまのすわっている、船の上に落ちました。
と、どうでしょう。その血は、火のかたまりのようになりました。しかも、何千キログラムもある、おもたいなまりのようになって、船をおさえつけました。船は、ものすごい速さで、地球めがけて落ちていきました。ワシたちの強いつばさも、うちくだかれてしまいました。
風は、王さまの頭のまわりを、ヒューヒュー、吹きまくりました。雲がむくむくと、まわりにわきあがってきました。しかも、それは、焼きはらわれた町々から、立ちのぼる煙があつまって、できた雲なのです。雲は、いろんな、おそろしい形になりました。何マイルもありそうな、大きなカニの形になって、ものすごいはさみを、王さまのほうへのばしてきます。そうかと思うと、いまにもころがってきそうな岩の形になったり、火をはくリュウの形になったりするのです。
王さまは、はんぶん、死んだようになって、船の中にたおれてしまいました。とうとう、船は、深い森の中に落ちて、しげった木の枝にひっかかりました。
「わしは、神さまをせいふくするのだ」と、王さまは言いました。「前に、そうちかった。いったんちかったことは、かならずやりとげてみせる」
王さまは、今度は、七年もかかって、空を飛ぶための船を作らせました。それから、いちばんかたいはがねで、いなずまをきたえさせました。これで、天国のお城のかべを、うちやぶろうと思ったのです。それから、せいふくした国々から、たくさんの兵隊をかりあつめました。ものすごい、大軍隊が、できあがりました。なにしろ、兵隊がひとりひとりならべば、二、三マイル四方の場所が、兵隊でうずまってしまったのですからね。
まず、大軍隊が、船に乗りこみました。王さまも、自分の船に乗ろうとして、船のそばへあゆみよりました。と、とつぜん、神さまは、ハチのむれを、王さまのところへ、おくってよこされました。といっても、ほんの小さなハチのむれです。ハチたちは、王さまのまわりをブンブン飛びまわって、顔といわず、手といわず、めちゃめちゃに、さしました。
王さまは、かんかんにおこって、刀を引きぬきました。しかし刀をうちふるっても、空を切るばかりで、ハチたちにはすこしもあたりません。そこで、王さまは、
「上等のじゅうたんを持ってこい。わしのからだに、まきつけるんだ」と、家来に言いつけました。じゅうたんを、からだにまいていれば、いくらハチでも、針をつきさすことはできまい、と思ったのです。
家来は、言いつけられたとおりにしました。ところが、一ぴきだけ、じゅうたんのうちがわにとまっていた、ハチがいました。そのハチが、王さまの耳の中にはいこんで、ちくりとさしたのです。と、たちまち、王さまの耳は、火のようにあつくなりました。毒は、頭の中にまではいりこみました。
王さまは、身をもがいて、じゅうたんをふりすてました。着物までも、ひきさきました。やばんで、らんぼうな兵隊たちの前で、王さまは、はだかのまま、踊りまわりました。
兵隊たちは、気が狂った王さまをばかにして、げらげら笑いころげました。なにしろ、神さまの国をせめようとして、たった一ぴきの、小さなハチのために、あっというまに、やっつけられてしまったんですからね。 | 底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※[#ローマ数字1、1-13-21]」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "060151",
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"作品名読み": "わるいおうさま(でんせつ)",
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三両のやせ馬
「馬がほしい、馬がほしい、武士が戦場で、功名するのはただ馬だ。馬ひとつにある。ああ馬がほしい」
川音清兵衛はねごとのように、馬がほしいといいつづけたが、身分は低く、年は若く、それに父の残した借金のために、ひどく貧乏だったので、馬を買うことは、思いもおよばなかった。清兵衛は、毛利輝元の重臣宍戸備前守の家来である。
かれはなぜそんなに馬をほしがったか。それというのは、豊臣秀吉がここ二、三年のうちに、朝鮮征伐を実行するらしかったので、もしそうなると、清兵衛もむろん毛利輝元について出陣せねばならぬ。そのとき、テクテク徒歩で戦場をかけめぐることは、武士たるものの名誉にかかわる、まことに不面目な話だからである。そこで、ひどい工面をして、やっと三両の金をこしらえた清兵衛は、いそいそと、領内の牧場へ馬を買いに出かけた。二、三日たって、かれがひいてかえったのは、まるで、生まれてから一度も物を食ったことがないのかと思うような、ひどいやせ馬だった。
清兵衛は、うれしくてたまらない様子で、これに朝月という名をつけ、もとより、うまやなどなかったので、かたむいた家の玄関に、屋根をさしかけて、そこをこの朝月の小屋にした。友人たちは、骨と皮ばかりの馬を、清兵衛が買ってきたのでおどろいた。
「これは、朝月でなくて、やせ月だ」
そして、
「清兵衛、この名馬はどこで手に入れた」と、からかい半分にきいたりしようものなら、
「ほう、おぬしにもこれが名馬だとわかるか」
清兵衛は得意になって、朝月を見つけた話をきかせたうえ、
「これが三両で手にはいったのだ、たった三両だよ」とつけくわえる。
その様子があまりまじめなので、あきれかえった友だちは、しまいには、ひやかすのをやめたが、いつしか三両でやせ馬を買ったというところから「三両清兵衛」のあだなをつけられてしまった。
清兵衛は、そんなことにはすこしもかまわず、自分は食うものも、食わないようにして、馬にだけ大豆や、大麦などのごちそうを食わせた。朝月は主人清兵衛の心がよくわかったとみえ、そのいうことをききわけた。そして、しだいに肥え太ってきた。このことが、宍戸備前守の耳に入ると、
「清兵衛のような貧乏な者が、馬をもとめたとは、あっぱれな心がけ、武士はそうありたいものだ」
と、さっそくおほめのことばとともに、金五十両をあたえられた。
清兵衛は、この金を頂戴すると、第一に新しいうまやを建てた。そして、自分のすむ家は、屋根がやぶれて雨もりがするので、新築のうまやのすみに、三畳敷きばかりの部屋を作らせて、
「朝月、今日から貴様のところへやっかいになるぞ、よろしくたのむて」
と、ふとんも机も、鎧びつまでもここへもちこんできて、馬糞の臭いのプンプンする中に、平気で毎日毎日寝起きしていた。
「三両清兵衛は、馬のいそうろうになったぞ」
友人たちは笑った。清兵衛はあいかわらず平気なもの。
「朝月。いまに貴様とふたりで、笑ったやつを笑いかえしてやる働きをしてやろうな。そのときにはたのむぞ」
「ウマクやりますとも、ひ、ひん!」
まさかそんなことはいわなかったが、清兵衛のことばがわかったと見えて、朝月は首をたれた。清兵衛は一生懸命になって、朝月を養ったので、その翌年には見ちがえるような駿馬になった。
「おや、おや、あのばけもの馬がりっぱな馬になったぞ」
「さすがに清兵衛は馬を見る目がある。あのやせ馬があんなすばらしいものになろうとは、思えなかった」
「いや、あれほど心を入れて飼えば、駄馬でも名馬にならずにはいまい」
昨日まで笑っていた友だちは、朝月の駿馬ぶりを見て、心からかんぷくしてしまったのであった。
夜うちを知っていななく朝月
このときである。
うわさの朝鮮征伐が、いよいよ事実となってあらわれた。加藤清正、小西行長、毛利輝元らが、朝鮮北方さして、進軍しているうちに冬となった。北朝鮮の寒さには、さすがの日本軍もなやまされ、春の雪どけまで、蔚山に城をきずいて籠城することになった。加藤清正、浅野幸長、それに毛利勢の部将宍戸備前守らがいっしょである。
清兵衛が、残念でたまらなかったのは、まだ一度も、よき敵の首をとらず籠城することであったが、こればかりはどうすることもできなかった。
「朝月、残念だなア」
馬の平首をたたいてなげきながら、毎日備前守受け持ちの工事場へ出て、人夫のさしずをしていた。
城がどうやらできあがったころ、明軍十四万の大兵が京城に到着し、この蔚山城をひともみに、もみ落とそうと軍議していることがわかった。
十二月二十二日の夜半である。蔚山城のうまやの中でも、あいかわらず、清兵衛は愛馬朝月といっしょに、わらの中にもぐってねむっていると、どうしたことか、にわかに朝月が一声いなないて、そこにおいてあった鞍をくわえた。
「どうしたのじゃ朝月、寒いのか」
清兵衛は、そのはなづらをなでていった。うまやの外の広場には、下弦の月が雪を銀に照らしていた。そこにあったむしろを背へかけてやろうとすると、朝月はそれをはね落として、鞍をぐいぐいとひいた。なにか事変の起こるのを感じたらしい様子である。
「おお、そうか、なにか貴様は感じたのだなア」
清兵衛が、朝月に鞍をつけると、静かになったので、
「ははあ、こりゃ、明兵が夜討ちをかけるのを、こいつ、さとったのだな、りこうなやつだ。よし、殿に申しあげよう」
と気がついて、清兵衛は、あたふたと、備前守の寝所の外の戸のところへ立って、
「川音清兵衛、殿にまで申しあげます。拙者の乗馬朝月が、こよい異様にさわぎまして、鞍をかみます。そこで、鞍をつけてやりますと、静かにあいなりました。察するに、なにか異変のあるしらせかとぞんじます」
と、どなった。
「よくぞ知らせた。たったいま軍奉行より、明軍は、すでに三里さきまでおし寄せてまいった、防戦のしたくせよ、と通知がまいったところであった。それを早くもさとったとは、さすがに三両で買った名馬、あっぱれ物の役に立つぞ。清兵衛、そちは急ぎ陣中に防戦のしたくいたせと、どなって歩け」
「はっ」
朝月をほめられて、清兵衛は、うれしくてたまらない。陣中を大声でどなり、眠っている者を起こして歩いて、うまやにかけもどるなり、朝月の平首へかじりつくようにして、
「おい、よく知らせてくれた。やっぱり明兵が、夜討ちをかけるらしいのだ。殿から貴様はほめられたぞ」
清兵衛は、自分のほめられたより、うれしくてならなかった。そして、その鞍の上にひらりと打ちまたがって塀の方へゆくと、月下に鎧の袖をならす味方が、黒々と集まって静まりかえっている。
すわこそ、主君あやうし!
夜明けに間もなかった。月がすッと山のかなたに落ちていったと思うと、林や谷のあたりから、天地もくずれるばかりのときの声が上がって、金鼓、銅鑼の音がとどろきわたった。明軍は月の入りを待っていたのである。うしおのように、柵の外までおしよせてくると、待ちかまえていた日本軍――浅野幸長、太田飛騨守、宍戸備前守以下、各将のひきいる二万の軍兵は、城門サッとおしひらき、まっしぐらに突撃した。不意をおそうつもりだった明軍は、かえって日本軍に不意をうたれたかたちで、
「これは――」
とばかり、おどろきあわて、見ぐるしくも七、八町みだれしりぞき、清水という川のところでやっとふみとどまった。
川音清兵衛、今日こそ手柄をたてんものと、いつも先陣に馬をかけさせていたが、このときうしろの小高い山かげから、ど、ど、どと、山くずれのような地ひびき立てて、大将軍刑玠の指揮する数万の明兵が、昇天の竜の黒雲をまくように、土けむりを立てて、まっさか落としに攻めくだってきた。
「さては伏兵、急ぎ城へ引っ返せ!」
城中から、清正の使者がとんできたときには、日本軍はまったくうしろを断たれ、君臣たがいに散り散りになって、生死も知らぬありさまだった。宍戸備前守は、わずかに八人に守られて、もう討ち死にの覚悟で戦っている。そこへ、かけつけたのは清兵衛で、大声にさけんだ。
「殿、早々、御城へお退きなされませ。拙者と朝月が先登つかまつります。朝月、一期の大事、たのむぞ」
ぴしっと一むちくれて、あとをかこんだ明兵の中にとびこんだ清兵衛は、槍をふるってなぎたてた。朝月は朝月で、近づく敵兵の肩、腕、兜のきらいなくかみついてはふりとばし、また、まわりの敵をけちらしふみにじる。この勢いに、勝ちほこった明兵もおじけ立って、わあッ! と左右に道を開くと、
「殿、この道を、この道を――」
清兵衛は血槍で、そこに開けた道を指してさけんだ。
宍戸備前守は、そこをまっしぐらに城へと馬を走らせた。
悲しい籠城
有名な蔚山籠城の幕は、切って落とされたのである。
明軍は、城の三方をひたひたとおしつつみ、夜となく昼となく、鉄砲をうちかけた。
明軍にかこまれると、すぐに糧食はたたれてしまったが、味方の勇気はくずれなかった。よくかためよく防ぎ戦った。だが難戦苦闘である。柵はやぶられた。石垣のあたりには、敵味方の死者がころがった。鼻をつく鮮血のにおい、いたでに苦しむもののうめきは夜空に風のようにひびいた。
城中には飲む水さえなくなった。
「なにくそッ」
将士は、額から流れて兜のしのびの緒につららになった汗をヒキもぎり、がりがりかんでかわきをとめながら戦った。食うものがすくないので、しかたなく馬をほふってたべねばならなくなった。
「拙者の馬をころすやつがあったら、この腰の刀に物いわせるぞ」
清兵衛はがんばった。そして、日に一度ぐらい渡されるにぎりめしを自分は食わずに馬に食わせたり、また、戦場にころがった明兵の腰から、兵糧をさぐって朝月にあたえた。
「清兵衛の馬をいかしておくのは、もったいないな」
「朝月もやってしまおう」
ある夜、清兵衛が徒歩で、城の外に出ていったのを知った城兵二、三人は、うまやにしのんで、朝月をころして食おうとした。そして、槍をひねってつき殺そうとした、間一髪、
「ヒ、ヒン」
いなないた朝月は、たづなをふり切って、その槍を取った兵の肩さきに、電光石火の早さでかぶりつくと、大地にたたきつけた。それと見てにげ出そうとした一人は、腰をけとばされて息もできずのめってしまった。
それがために、もう、だれもおそれて、朝月を殺して食いたいなどと思う者はなくなった。
「よくやった。よくやっつけた」
清兵衛は、朝月の首をだいてうれしなきにないた。
「朝月、死ぬ時にはいっしょだぞ。よいか、よいか――おお、まだ、水を今日はのませなかったな、待てよ」
清兵衛は、大地にふり積もった雪を、兜の中にかきこみ、火をたくにも薪がなかったので、自分の双手をつっこみ、手のひらのあたたかみでもんで水にとかして、
「朝月、のめよ」
と口もとに持っていってやるのだった。
心なしか朝月の大きな目がしらに、涙が光っているようだった。そしてその水をのんで、長い顔をこすりつけてくる、その顔を静かにさすって、
「朝月、やせたのう」
と、うなだれた。
敵陣へ飯食いに
悲しかったのは、清兵衛ばかりでなかった。城兵たちはみな悲しかった。このままうえ死にするよりも、いっそのこと、はなばなしく戦って討ち死にがしたかった。
「どうだ、おのおの、生きておればひもじいから、飯がくいたくなる。死にさえしたらなんのことはないから、今晩、殿に願って、きって出ようではないか」
「死にさえすりゃ、ひもじくはない。賛成だ」
「拙者も」
「死ね死ね」
「日本武士が朝鮮まできて、うえ死にしたとあっては恥だ。きって出ろ」
「夜討ちをかけて、敵の食物をうばったら、そいつを食って一日生きのび、明日の夜また討って出よう」
夜討ちをかけることに賛成した者は、三百人からあった。その中に、川音清兵衛も加わったのである。五、六人のものは、宍戸備前守の前にかしこまって、
「ただいまから夜討ちをかけ、敵の飯を食ってまいりとうございます」
「なに敵陣へ飯食いにまいるか」
「は、腹いっぱいになってもどってまいります」
こうして夜討ちの準備ができた。丑満ごろになると、三百余騎は城門を開き、明軍の中に突撃した。
まさかとゆだんしていたところを、おそわれた明軍は、日本軍何万かわからないので、ろうばいするところへ、得たりとばかりに、その陣に火をかけた。
「さア、いまだ、首よりもまず飯だ、飯だ!」
清兵衛は、うき足立った敵陣へ、まっしぐらに、朝月をおどりこませ、左右につきふせた敵兵の腰をさぐり、一袋の粟を発見すると、
「朝月、飯だぞ飯だぞ」
と、せわしく食わせて、自分も生の粟をほおばるのだった。
「さア――」
と、朝月に、ふたたびまたがり、乱軍の中にかけこもうとした。
「倭奴、待てッ」
えんえんともえあがる猛火に、三尺の青竜刀をあおく輝かし、ゆくてに立った六尺ゆたかの明兵があった。
「そこどけッ」
清兵衛は粟をくって、元気が出かかったところである。槍をひねってつきふせようとすると、ひらりとそれをはずした明兵は、かわしざまに、その槍の千段まきを、ななめにきり落とした。
「しまったッ」
からりと槍の柄をすてた清兵衛は、大刀をぬきはなって斬りおろせば、明兵は、左の鎧の袖でかちりと受けとめた。傷を負わなかったところをみると、よほどいい鎧であった。これには清兵衛も、いささかおどろいているところへ、すかさず明兵はうちかかってきた。
朝月は高くいなないて、あと足立ちになり、その明兵を前肢の間にだきこもうとする。
「えい」
ぐっとたづなを左手にしめて、清兵衛は二の太刀を討ちおろす。相手はぱっととびのきざま、横にはらった一刀で、清兵衛のひざがしらを一寸ばかりきった。
「あっ!」
中心を失った清兵衛は、もんどり打って馬から落ちた。とたんに二の太刀、
「えい」
と、清兵衛のかぶった椎形の兜の八幡座をきったが兜がよかったので、傷は受けなかったものの、六尺の大男の一げきに、ズーンとこたえ、目はくらくらとくらみ、思わずひざをついたところを、また明兵が一げき加えようとすると、ぱっと空をおどり、その敵におどりかかったのは朝月であった。
「おお」
気をのまれた明兵は、横にとびのいた。そのすきに立ち上がった清兵衛。
「まいれ」
ときりかかった。
朝月は畜生ながら、主人の恩を知っていた。清兵衛が立ち上がったとみて、うれしそうにいななき、明兵のうしろにかけまわって、すきがあらばとびかかろうとする。
「お、お、おッ」
明兵もおどろいた。前後に人馬の敵を受けたので必死。清兵衛は朝月の助太刀に力を得て、
「えいッ」
と、最後の突撃。さアッと太刀を横にうちふると、その太刀さきは、敵の左頬から右眼にかけ、骨をくだいて切りわったので、
「ああッ」
と、明兵はあおむけに、打ちたおれたところを、起こしも立てず、その胸にいなごのように、とびかかった清兵衛は、
「この畜生、畜、畜生――畜……」
とさけびながら、胸板をつづけさまに二太刀さして、
「まだ、まだ、まいらぬか」
と、えぐっていたが、さきほどよりの激戦に、力つきた清兵衛は、敵がたおれたと知って、そのまま、おりかさなって気絶してしまった。
敵のかこみを蹴破って
朝月は、狂気のようになって、いななきながら、その周囲をかけめぐった。そこを通りかかったのは七、八人の明兵で、
「倭奴がたおれている」
「首を斬れ」
と、清兵衛を引き起こそうとするのを見た朝月は、いきなり一人の肩さきをくわえ、空中にほうり上げ、さらに二人をけつぶした。
「わあッ」
「これは竜馬だ」
「生け捕れ」
「殺せ」
明兵は、朝月めがけて、槍や青竜刀をかざしてせまった。人馬一騎討ちのものすごい光景が、どっと、もえあがる火にうき上がったのを見たのは味方であった。
「おお、あれは朝月ではないか」
「清兵衛はどうした」
「馬でも日本の馬だ。明兵にうたせるな」
「心得た」
「朝月――」
と声をかけて、そこへどやどやとかけつけてくる。味方を見た朝月は、いきなり気絶した清兵衛の鎧の胴をくわえ、明兵をけちらして、まっしぐらに、城の門へとかけこんでいった。
「朝月だ」
「清兵衛をくわえているぞ」
「おい、しっかりしろ、清兵衛」
城兵たちは、朝月の口から清兵衛を受け取って、かいほうした。一方では血にまみれた朝月のからだを、ふきとってやる者もあった。朝月は五ヵ所ばかり傷をうけていたが、ただ、清兵衛ばかり気づかいらしく、じっと見ていた。
「う、うーむ」
と、清兵衛は、やがて息をふき返したが、まだ、目はかすんでいたので、そこに朝月のいるのが見えなかった。
「おのおの、かたじけない――だが、朝……朝月はどうなったろう、朝月は――」
「無事だ、ここにいる」
城兵たちは、朝月をそこへひきよせていった。
「おお、朝月」
清兵衛は起きようとすると、朝月は前肢を折って、近々と顔をおしつけるようにした。清兵衛は、その首にとりすがった。この光景を見た城兵たちは、胸をしめつけられて声もなかった。この朝月が、主人清兵衛をくわえて帰ったことをきいた宍戸備前守は、そこへあらわれて、
「朝月は稀代の名馬だ。よくぞ働いてくれた」
と、たいせつな糒をひとにぎり、朝月の口へ入れてやった。ところへ、清兵衛の討ち取った、明兵の馬と着ていた鎧をかついで、味方は引きあげてきた。見るとその鎧は雑兵の着るものではなかった。
「名ある大将分らしい。捕虜を引き出して首実検させて見よ」
こう、備前守はいった。
七、八人の明兵がひき出され、たき火でその馬の主は何人かと、実検させた。すると、一人の捕虜はとび上がってさけんだ。
「これは五十人力といわれた呂州判官にございます」
「なに呂州判官と申すか」
城兵たちも思わずさけんで、顔を見合わせた。
呂州判官とは、日本軍にまできこえた明の豪将、一万の兵を従える呂州判官兵使柯大郎といって、紺地錦の鎧を着ていたのであった。宍戸備前守はじめ、人々は、川音清兵衛のこの戦功を、いまさらのようにおどろいてしまった。
「敵一万の大将を討ち取ったとは、あっぱれな働きである。いそぎ軍奉行の太田飛騨守へ、この旨をとどけ出せ。毛利輝元勢宍戸備前守の臣、川音清兵衛、討ち取ったとな、大声で――大声でいうのじゃぞ」
備前守は清兵衛を、のぞきこむようにしていった。自分の部下からこんな勇士が出たのが、うれしくてたまらなかったからである。
「殿、功は拙者一人のものではありませぬ。こ、この朝月も働きました。このことを、戦功帳に書いていただくことはあいなりませぬか」
清兵衛は、自分の手柄よりも、愛馬朝月の戦功を永久に残しておきたいのである。
「うむ、その方の心のままにいたせ」
「朝月、おゆるしが出たぞ。戦功帳にきさまの名がのるのだ。さあ、いっしょにゆこう――」
朝月はうれしそうにいなないた。
「三両で買った馬も、こうなるとたいしたものだ」
「うらやましいな」
「たとえ千両、万両出した馬でも、主人にやさしい心がなかったら、名馬にならぬ。馬よりも清兵衛のふだんの心がけが、いまさらうらやましくなってきたぞ」
去ってゆく馬と、清兵衛を見て、人々はささやきかわした。
× × × ×
蔚山城のかこみのとけたのは、正月三日で、宇喜多秀家、蜂須賀阿波守、毛利輝元など十余大将が、背後から明の大軍を破った。このとき入城してきた毛利輝元は、重臣宍戸備前守にむかって、
「朝月という名馬が見たいぞ――川音清兵衛をほめてやりたい。これへよべ。これへ馬をひけ」
と、なによりさきにいった。そこへ、やせた清兵衛がやせた朝月をひいてあらわれると、毛利輝元は、籠城の苦しさを思いやって、さすがに目に涙を見せ、
「これへ……これへ……」
やさしくまねいて、みごとな陣太刀一振りを清兵衛にあたえた。
「ありがたきしあわせ。朝月にかわって御礼申し上げます」
こういった清兵衛は、その太刀を朝月の首にかけてやって、そこへかしこまった姿は、いいようのないゆかしいものがあった。
(昭和六年六月号) | 底本:「少年倶楽部名作選 3 少年詩・童謡ほか」講談社
1966(昭和41)年12月17日
底本の親本:「少年倶楽部」講談社
1931(昭和6)年6月号
初出:「少年倶楽部」講談社
1931(昭和6)年6月号
※表題は底本では、「[#1段階小さな文字]三|両《りょう》清兵衛《せいべえ》と[#小さな文字終わり](改行)名馬《めいば》朝月《あさづき》」となっています。
入力:sogo
校正:noriko saito
2021年5月27日作成
2021年7月6日修正
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この犬は名を附けて人に呼ばれたことはない。永い冬の間、何処にどうして居るか、何を食べて居るか、誰も知らぬ。暖かそうな小屋に近づけば、其処に飼われて居る犬が、これも同じように饑渇に困められては居ながら、その家の飼犬だというので高慢らしく追い払う。饑渇に迫られ、犬仲間との交を恋しく思って、時々町に出ると、子供達が石を投げつける。大人も口笛を吹いたり何かして、外の犬を嗾ける。そこでこわごわあちこち歩いた末に、往来の人に打突ったり、垣などに打突ったりして、遂には村はずれまで行って、何処かの空地に逃げ込むより外はない。人の目にかからぬ木立の間を索めて身に受けた創を調べ、この寂しい処で、人を怖れる心と、人を憎む心とを養うより外はない。
たった一度人が彼に憫みを垂れたことがある。それは百姓で、酒屋から家に帰りかかった酔漢であった。この男は目にかかる物を何でも可哀がって、憐れで、ああ人間というものは善いものだ、善い人間が己れのために悪いことをするはずがない、などと口の中で囁く癖があった。この男がたまたま酒でちらつく目にこの醜い犬を見付けて、この犬をさえ、良い犬可哀い犬だと思った。
「シュッチュカ」とその男は叫んだ。これは露西亜で毎に知らぬ犬を呼ぶ名である。「シュッチュカ」、来い来い、何も可怖いことはない。
シュッチュカは行っても好いと思った。そこで尻尾を振って居たが、いよいよ行くというまでに決心がつかなかった。百姓は掌で自分の膝を叩いて、また呼んだ。「来いといったら来い。シュッチュカ奴。馬鹿な奴だ。己れはどうもしやしない。」
そこで犬は小股に歩いて、百姓の側へ行掛かった。しかしその間に百姓の考が少し変って来た。それは今まで自分の良い人だと思った人が、自分に種々迷惑をかけたり、自分を侮辱したりした事があると思い出したのだ、それで心持が悪くなって訳もなく腹を立って来た。シュッチュカは次第に側へ寄って来た。その時百姓は穿いて居る重い長靴を挙げて、犬の腋腹を蹴た。
「ええ。畜生奴、うぬまで己の側へ来やがるか。」犬は悲しげに啼いた。これはさ程痛かったためではないが、余り不意であったために泣いたのだ。さて百姓は蹣跚きながら我家に帰った。永い間女房を擲って居た。そうしてたった一週間前に買って遣った頭に被る新しい巾を引き裂いた。
それからこの犬は人間というものを信用しなくなって、人が呼んで摩ろうとすると、尾を股の間へ挿んで逃げた。時々はまた怒って人間に飛付いて噛もうとしたが、そんな時は大抵杖で撲たれたり、石を投付けられたりして、逃げなければならぬのであった。ある年の冬番人を置いてない明別荘の石段の上の方に居処を占めて、何の報酬も求めないで、番をして居た。夜になると街道に出て声の嗄れるまで吠えた。さて草臥れば、別荘の側へ帰って独で呟くような声を出して居た。
冬の夜は永い。明別荘の黒い窓はさびしげに物音の絶えた、土の凍た庭を見出して居る。その内春になった。春と共に静かであった別荘に賑が来た。別荘の持主は都会から引越して来た。その人々は大人も子供も大人になり掛かった子供も、皆空気と温度と光線とに酔って居る人達で、叫んだり歌を謡ったり笑ったりして居る。
その中でこの犬と初めて近づきになったのは、ふと庭へ走り出た美しい小娘であった。その娘は何でも目に見えるものを皆優しい両手で掻き抱き、自分の胸に押しつけたいと思うような気分で、まず晴れ渡った空を仰いで見て、桜の木の赤味を帯びた枝の方を見て、それから庭の草の上に寝ころんで顔を熱く照らす日に向けて居た。しかしそれも退屈だと見えて、直ぐに飛び上がって手を広げて、赤い唇で春の空気に接吻して「まあ好い心持だ事」といった。
その時何と思ったか、犬は音のしないように娘の側へ這い寄ったと思うと、着物の裾を銜えて引っ張って裂いてしまって、直ぐに声も出さずに、苺の木の茂って居る中へ引っ込んだ。娘は直ぐに別荘に帰って、激した声で叫んだ。「喰付く犬が居るよ。お母あさんも、みんなも、もう庭へ出てはいけません。本当に憎らしい犬だよ」といった。
夜になって犬は人々の寝静まった別荘の側に這い寄って、そうして声を立てずにいつも寝る土の上に寝た。いつもと違って人間の香がする。熱いので明けてある窓からは人の呼吸が静かに漏れる。人は皆な寝て居るのだ。犬は羨ましく思いながら番をして居る。犬は左右の眼で交る交る寝た。そうして何か物音がする度に頭を上げて、燐のように輝く眼を睜いた。種々な物音がする。しかしこの春の夜の物音は何れも心を押し鎮めるような好い物音であった。何とは知らず周囲の草の中で、がさがさ音がして犬の沾れて居る口の端に這い寄るものがある。木の上では睡った鳥の重りで枯枝の落ちる音がする。近い街道では車が軋る。中には重荷を積んだ車のやや劇しい響をさせるのもある。犬の身の辺には新らしい爹児の匂いがする。
この別荘に来た人たちは皆好い人であった。その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い人になって居るのだ。初の内は子供を驚かした犬を逐い出してしまおうという人もあり、中には拳銃で打ち殺そうなどという人もあった。その内に段々夜吠える声に聞き馴れて、しまいには夜が明けると犬のことを思い出して「クサカは何処に居るかしらん」などと話し合うようになった。
このクサカという名がこういう風に初めてこの犬に附けられた。稀には昼間も木立の茂った中にクサカの姿が見える。しかし人が麺包を遣ろうと思って、手を動かすと、その麺包が石ででもあるかのように、犬の姿は直ぐ見えなくなる。その内皆がクサカに馴れた。何時か飼犬のように思って、その人馴れぬ処、物を怖れる処などを冷かすような風になった。そこで一日一日と人間とクサカとを隔てる間が狭くなった。クサカも次第に別荘の人の顔を覚えて、昼食の前半時間位の時になると、木立の間から顔を出して、友情を持った目で座敷の方を見るようになった。その内高等女学校に入学して居るレリヤという娘、これは初めて犬に出会った娘であったが、この娘がいよいよクサカを別荘の人々の近づきにする事になった。
「クサチュカ、私と一しょにおいで」と犬を呼んで来た。「クサチュカ、好い子だね。お砂糖をあげようか。おいでといったらおいでよ」といった。
しかしクサカは来なかった。まだ人間を怖れて居る。レリヤは平手で膝を打って出来るだけ優しい声で呼んだ。それでも来ないので、自分が犬の方へ寄って来た。しかし迂濶に側までは来ない。人間の方でも噛まれてはならぬという虞があるから。
「クサチュカ、どうもするのじゃないよ。お前は可哀い眼付をして居る。お前の鼻梁も中々美しいよ。可哀がって遣るから、もっと此方へおいで」といった。
レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めた詞の通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。
クサカは生れてから、二度目に人間の側へ寄って、どうせられるか、打たれるか、摩られるかと思いながら目を瞑った。しかし今度は摩られた。小さい温い手が怖る怖る毛のおどろになって居る、犬の頭に触れた。次第に馴れて来て、その手が犬の背中を一ぱいに摩って、また指尖で掻くように弄った。
レリヤは別荘の方に向いて、「お母あさんも皆も来て御覧。私今クサカを摩って居るのだから」といった。
子供たち大勢がわやわやいって走り寄った。クサカの方ではやや恐怖心を起して様子を見て居た。クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤りと恨みとが、消えたために、自ら危んだのだ。どの子もどの子も手を出して摩るのだ。摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ摩られるのが、打たれるように苦痛なのであった。
次第にクサカの心持が優しくなった。「クサカ」と名を呼ばれる度に何の心配もなく庭に走り出るようになった。クサカは人の持物になった。クサカは人に仕えるようになった。犬の身にとっては為合者になったのではあるまいか。
この犬は年来主人がなくて饑渇に馴れて居るので、今食物を貰うようになっても余り多くは喰べない。しかしその少しの食物が犬の様子を大相に変えた。今までは処々に捩れて垂れて居て、泥などで汚れて居た毛が綺麗になって、玻璃のように光って来た。この頃は別荘を離れて、街道へ出て見ても、誰も冷かすものはない。ましてや石を投げつけようとするものもない。
しかし犬が気持ちよく思うのはこの時もただ独り居る時だけであった。人に摩られる時はまだ何だか苦痛を覚える。何か己の享けるはずでない事を享けるというような心持であった。クサカはまだ人に諂う事を知らぬ。余所の犬は後脚で立ったり、膝なぞに体を摩り付けたり、嬉しそうに吠えたりするが、クサカはそれが出来ない。
クサカの芸当は精々ごろりと寝て背中を下にして、目を瞑って声を出すより外はない。しかしそれだけでは自分の喜びと、自分の恩に感ずる心とを表わすことが出来ぬと思った。それでふいと思い出したことがある。それは昔余所の犬のするのを見て、今までは永く忘れて居たことであった。クサカはそれをやる気になって、飛びあがって、翻筋斗をして、後脚でくるくる廻って見せた。それも中々手際よくは出来ない。
レリヤはそれを見て吹き出して、「お母あさんも皆も御覧よ。クサカが芸をするよ。クサカもう一反やって御覧。それでいい、それでいい」といった。
人々は馳せ集ってこれを見て笑った。クサカは相変らず翻筋斗をしたり、後脚を軸にしてくるくる廻ったりして居るのだ、しかし誰もこの犬の目に表われて居る哀願するような気色を見るものはない。大人でも子供でも「クサチュカ、またやって御覧」という度に、犬は翻筋斗をしてくるくる廻って、しまいには皆に笑われながら仆れてしまう。
次第にクサカは食物の心配などもないようになった。別荘の女中が毎日時分が来れば食物を持って来る。何時も寝る処に今は威張って寝て、時々は人に摩られに自分から側へ寄るようになった。そうしてクサカは太った。時々は子供たちが森へ連て行く。その時は尾を振って付いて行って、途中で何処か往ってしまう。しかし夜になれば、別荘の人々には外で番をして吠える声が聞えるのである。
その内秋になった。雨の日が続いた。次第に処々の別荘から人が都会へ帰るようになった。
この別荘の中でも評議が初まった。レリヤが、「クサカはどうしましょうね」といった。この娘は両手で膝を擁いて悲しげに点滴の落ちている窓の外を見ているのだ。
母は娘の顔を見て、「レリヤや。何だってそんな行儀の悪い腰の掛けようをして居るのだえ。そうさね。クサカは置いて行くより外あるまいよ」といった。「可哀そうね」とレリヤは眩いた。「可哀そうだって、どうも為様はないじゃありませんか。内には庭はないし。それだといって、家の中へあんなものを連れて這入る訳にいかない事は、お前にだって解ろうじゃありませんか」と母はいった。「可哀そうね」とレリヤは繰り返して居たが、何だか泣きそうな顔になった。
その内別荘へ知らぬ人が来て、荷車の軋る音がした。床の上を重そうな足で踏む響がした。クサカは知らぬ人の顔を怖れ、また何か身の上に不幸の来るらしい感じがするので、小さくなって、庭の隅に行って、木立の隙間から別荘を見て居た。
其処へレリヤは旅行の時に着る着物に着更えて出て来た。その着物は春の頃クサカが喰い裂いた茶色の着物であった。「可哀相にここに居たのかい。こっちへ一しょにおいで」とレリヤがいった。そして犬を連れて街道に出た。街道の傍は穀物を刈った、刈株の残って居る畠であった。所々丘のように高まって居る。また低い木立や草叢がある。暫く行くと道標の杙が立って居て、その側に居酒屋がある。その前に百姓が大勢居る。百姓はこの辺りをうろつく馬鹿者にイリュウシャというものがいるのをつかまえて、からかって居る。
「一銭おくれ」と馬鹿は大儀そうな声でいった。「ふうむ薪でも割ってくれれば好いけれど、手前にはそれも出来まい」と憎げに百姓はいった。馬鹿は卑しい、卑褻な詞で返事をした。
レリヤは、「此処は厭な処だから、もう帰りましょうね」と犬に向かっていって、後ろも見ずに引き返した。
レリヤは皆と別荘を離れて停車場にいって、初めてクサカに暇乞をしなかったことを思い出した。
クサカは別荘の人々の後について停車場まで行って、ぐっしょり沾れて別荘の処に帰って来た。その時クサカは前と変った芸当を一つしたが、それは誰も見る人がなかった。芸当というのは、別荘の側で、後脚で立ち上がって、爪で入口の戸をかりかりと掻いたのであった。最早別荘は空屋になって居る。雨は次第に強くふって来る。秋の夜長の闇が、この辺を掩うてしまう。別荘の周囲が何となく何時もより広いような心持がする。
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(明治四十三年一月) | 底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「森鴎外全集」岩波書店
入力:鈴木修一
校正:松永正敏
2003年8月20日作成
2003年11月7日修正
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一
三日三晩のあいだ、謎のような死の手に身をゆだねていたラザルスが、墓から這い出して自分の家へ帰って来た時には、みんなも暫くは彼を幽霊だと思った。この死からよみがえったということが、やがてラザルスという名前を恐ろしいものにしてしまったのである。
この男が本当に再生した事がわかった時、非常に喜んで彼を取り巻いた連中は、引っ切りなしに接吻してもまだ足りないので、それ食事だ飲み物だ、それ着物だと、何から何までの世話をやいて、自分たちの燃えるような喜びを満足させた。そのお祭り騒ぎのうちに彼は花聟さまのように立派に着飾らせられ、みんなの間に祭り上げられて食事を始めると、一同は感きわまって泣き出した。それから主人公たちは近所の人々を呼び集めて、この奇蹟的な死からよみがえった彼を見せて、もう一度それらの人々とその喜びを倶にした。近所の町や近在からも見識らぬ人たちがたずねて来て、この奇蹟を礼讃して行った。ラザルスの姉妹のマリーとマルタの家は、蜜蜂の巣箱のように賑やかになった。
そういう人達に取っては、ラザルスの顔や態度に新しく現われた変化は、みな重病と最近に体験した種々の感動の跡だと思われていた。ところが、死に依るところの肉体の破壊作用が単に奇蹟的に停止されたというだけのことで、その作用の跡は今も明白に残っていて、その顔や体はまるで薄いガラス越しに見た未完成のスケッチのように醜くなっていた。その顳顬の上や、両眼の下や、両頬の窪みには、濃い紫の死びと色があらわれていた。又その色は彼の長い指にも爪ぎわにもあった。その紫色の斑点は、墓の中でだんだんに濃い紅色になり、やがて黒くなって崩れ出す筈のものであった。墓のなかで脹れあがった唇の皮はところどころに薄い赤い亀裂が出来て、透明な雲母のようにぎらぎらしていた。おまけに、生まれつき頑丈な体は墓の中から出て来ても依然として怪物のような格好をしていた上に、忌にぶくぶくと水ぶくれがして、その体のうちには腐った水がいっぱいに詰まっているように感じられた。墓衣ばかりでなく、彼の体にまでも滲み込んでいた死びとのような強い匂いはすぐに消えてしまい、とても一生涯癒りそうもなかった唇のひびも幸いに塞がったが、例の顔や手のむらさきの斑点はますますひどくなって来た。しかも、埋葬前に彼を棺桶のなかで見たことのある人達には、それも別に気にならなかった。
こういうような肉体の変化と共に、ラザルスの性格にも変化が起こって来たのであるが、そこまではまだ誰も気が付かなかった。墓に埋められる前までのラザルスは快活で、磊落で、いつも大きい声を出して笑ったり、洒落を言ったりするのが好きであった。したがって彼は、神様からもその悪意や暗いところの微塵もないからりとした性質を愛でられていた。ところが、墓から出て来た彼は、生まれ変わったように陰気で無口な人になってしまって、決して自分から冗談などを言わなくなったばかりではなく、相手が軽口を叩いてもにこりともせず、自分がたまに口をきいても、その言葉は極めて平凡普通であった。よんどころない必要に迫られて、心の奥底から無理に引き出すような言葉は、喜怒哀楽とか飢渇とかの本能だけしか現わすことの出来ない動物の声のようであった。無論、こうした言葉は誰でも一生のうちに口にする事もあろうが、人間がそれを口にしたところで、何が心を喜ばせるのか、苦しませるのか、相手に理解させることは出来ないものである。
顔や性格の変化に人々が注目し始めたのは後の事で、かれが燦爛たる黄金や貝類が光っている花聟の盛装を身につけて、友達や親戚の人たちに取り囲まれながら饗宴の席に着いていた時には、まだ誰もそんなことに気が付かなかった。歓喜の声の波は、あるいはさざなみのごとくに、あるいは怒濤のごとくに彼を取り巻き、墓の冷気で冷やかになっている彼の顔の上には温かい愛の眼がそそがれ、一人の友達はその熱情を籠めた手のひらで彼のむらさき色の大きな手を撫でていた。
やがて鼓や笛や、六絃琴や、竪琴で音楽が始まると、マリーとマルタの家はまるで蜂や、蟋蟀や、小鳥の鳴き声で掩われてしまったように賑やかになった。
二
客の一人がふとした粗相でラザルスの顔のベールをはずした途端に、あっと声を立てて、今まで彼に感じていた敬虔な魅力から醒めると、事実がすべての赤裸な醜さのうちに暴露された。その客はまだ本当に我にかえらないうちに、もうその唇には微笑が浮かんで来た。
「むこうで起こった事を、なぜあなたは私たちにお話しなさらないのです。」
この質問に一座の人々はびっくりして、俄かに森となった。かれらはラザルスが三日のあいだ墓のなかで死んでいたということ以外に、別に彼の心身に変わったことなぞはないと思っていたので、ラザルスの顔を見詰めたまま、どうなることかと心配しながらも彼の返事を待っていた。ラザルスはじっと黙っていた。
「あなたは私たちには話したくないのですね。あの世というところは恐ろしいでしょうね。」
こう言ってしまってから、その客は初めて自分にかえった。もしそうでなく、こういう前に我にかえっていたら、その客はこらえ切れない恐怖に息が止まりそうになった瞬間に、こんな質問を発する筈はなかったであろう。不安の念と待ち遠しさを感じながら、一同はラザルスの言葉を待っていたが、彼は依然として俯向いたままで、深い冷たい沈黙をつづけていた。そうして、一同は今更ながらラザルスの顔の不気味な紫色の斑点や、見苦しい水脹れに注目した。ラザルスは食卓ということを忘れてしまったように、その上に彼の紫の瑠璃色の拳を乗せていた。
一同は、待ち構えている彼の返事がそこからでも出てくるように、じーっとラザルスの拳に見入っていた。音楽師たちはそのまま音楽をつづけてはいたが、一座の静寂はかれらの心にまでも喰い入って来て、掻き散らされた焼木杭に水をかけたように、いつとはなしに愉快な音色はその静寂のうちに消えてしまった。笛や羯鼓や竪琴の音も絶えて、七絃琴は糸が切れたように顫えてきこえた。一座ただ沈黙あるのみであった。
「あなたは言いたくないのですか。」
その客は自分のおしゃべりを抑え切れずに、また同じ言葉を繰り返して言ったが、ラザルスの沈黙は依然として続いていた。不気味な紫の瑠璃色の拳も依然として動かなかった。やがて彼は微かに動き出したので、一同は救われたようにほっとした。彼は眼をあげて、疲労と恐怖とに満ちたどんよりとした眼でじっと部屋じゅうを見廻しながら、一同を見た。――死からよみがえったラザルスが――
以上は、彼が墓から出て来てから三日目のことであった。もっともそれまでにも、絶えず人を害するような彼の眼の力を感じた人たちもたくさんあったが、しかもまだ彼の眼の力によって永遠に打ち砕かれた人や、あるいはその眼のうちに「死」と同じように「生」に対する神秘的の反抗力を見いだした者はなく、彼の黒いひとみの奥底にじーっと動かずに横たわっている恐怖の原因を説明することも出来なかった。そうして、この三日の間、ラザルスはいかにも穏かな、質朴な顔をして、何事も隠そうなどという考えは毛頭なかったようであったが、その代りに又、何ひとつ言おうというような意思もなかった。彼はまるで人間界とは没交渉な、ほかの生物かと思われるほどに冷やかな顔をしていた。
多くの迂闊な人たちは往来で彼に近づいても気が付かなかった。そうして、眼も眩むような立派な着物をきて、触れるばかりにのそりのそりと自分のそばを通って行く冷やかな頑丈な男はいったい誰であろうかと、思わずぞっとした。無論、ラザルスが見ている時でも、太陽はかがやき、噴水は静かな音を立てて湧き出で、頭の上の大空は青々と晴れ渡っているのであるが、こういう呪われた顔かたちの彼に取っては、噴水のささやきも耳には入らず、頭の上の青空も目には見えなかった。ある時は慟哭し、また或る時には我とわが髪を引きむしって気違いのように救いを求めたりしていたが、結局は静かに冷然として死のうという考えが、彼の胸に起こって来た。そこで彼はそれから先きの幾年を諸人の見る前に鬱々と暮らして、あたかも樹木が石だらけの乾枯びた土のなかで静かに枯死するように、生色なく、生気なく、しだいに自分のからだを衰弱させて行った。彼を注視している者のうちには、今度こそは本当に死ぬのではないかと気も狂わんばかりに泣くものもあったが、また一方には平気でいる人もあった。
話はまた前に戻って、かの客はまだ執拗く繰り返した。
「そんなにあなたは、あの世で見て来たことを私に話したくないのですか。」
しかしもうその客の声には熱がなく、ラザルスの眼に現われていた恐ろしいほどの灰色の疲れは、彼の顔全体を埃のように掩っていたので、一同はぼんやりとした驚愕を感じながら、この二人を互い違いに見詰めているうちに、かれらはそもそもなんの為にここへ集まって来て、美しい食卓に着いているのか判らなくなって来た。この問答はそのまま沙汰止みになって、お客たちはもう帰宅する時刻だとは思いながら、筋肉にこびりついた懶い疲労にがっかりして、暫くそこに腰を下ろしたままであったが、それでもやがて闇の野に飛ぶ鬼火のように一人一人に散って行った。
音楽師は金を貰ったので再び楽器を手に取ると、悲喜こもごも至るというべき音楽が始まった。音楽師らは俗謡を試みたのであるが、耳を傾けていたお客たちは皆なんとなく恐ろしい気がした。しかもかれらはなぜ音楽師に絃の調子を上げさせたり、頬をはち切れそうにして笛を吹かせたりして、無暗に賑やかな音楽を奏させなければならないのか、なぜそうさせたほうが好いのか、自分たちにもわからなかった。
「なんというくだらない音楽だ。」と、ある者が口を開いたので、音楽師たちはむっとして帰ってしまった。それに続いてお客たちも次々に帰って行った。その頃はもう夜になっていた。
静かな闇に出て、初めてほっと息をつくと、忽ちかれらの眼の前に盛装した墓衣を着て、死人のような紫色の顔をして、かつて見たこともないほどに恐怖の沈滞しているような冷やかな眼をしたラザルスの姿が、物凄い光りのなかに朦朧として浮き上がって来た。かれらは化石したようになって、たがいに遠く離れてたたずんでいると、闇はかれらを押し包んだ。その闇のなかにも三日のあいだ謎のように死んでいた彼の神秘的な幻影はますます明らかに輝き出した。三日間といえば、その間には太陽が三度出てまた沈み、子供らは遊びたわむれ、小川は礫の上をちょろちょろと流れ、旅びとは街道に砂ほこりを立てて往来していたのに、ラザルスは死んでいたのであった。そのラザルスが今や再びかれらのあいだに生きていて、かれらに触れ、かれらを見ているではないか。しかも彼の黒いひとみの奥からは、黒ガラスを通して見るように、未知のあの世が輝いているのであった。
三
今では友達も親戚もみなラザルスから離れてしまったので、誰ひとりとして彼の面倒を見てやる者もなく、彼の家はこの聖都を取り囲んでいる曠原のように荒れ果てて来た。彼の寝床は敷かれたままで、消えた火をつける者とても無くなってしまった。彼の姉妹、マリーもマルタも彼を見捨てて去ったからである。
マルタは自分のいないあかつきには、兄を養い、兄を憫れむ者も無いことを思うと、兄を捨てて去るに忍びなかったので、その後も長い間、兄のために或いは泣き、或いは祈っていたのであるが、ある夜、烈しい風がこの荒野を吹きまくって、屋根の上に掩いかかっているサイプレスの木がひらひらと鳴っている時、彼女は音せぬように着物を着がえて、ひそかに我が家をぬけ出してしまった。ラザルスは突風のために入口の扉が音を立てて開いたのに気が付いたが、起ち上がって出て見ようともせず、自分を棄てて行った妹を捜そうともしなかった。サイプレスの木は夜もすがら彼の頭の上でひゅうひゅうと唸り、扉は冷たい闇のなかで悲しげに煽っていた。
ラザルスは癩病患者のように人々から忌み嫌われたばかりではなく、実際癩病患者が自分たちの歩いていることを人々に警告するために頸に鈴を付けているように、彼の頸にも鈴を付けさせようと提議されたが、夜などに突然その鈴の音が、自分たちの窓の下にでも聞こえたとしたら、どんなに恐ろしいことであろうと、顔を真っ蒼にして言い出した者があったので、その案はまずおやめになった。
自分のからだをなおざりにし始めてから、ラザルスは殆んど餓死せんばかりになっていたが、近所の者は漠然たる一種の恐怖のために彼に食物を運んでやらなかったので、子供たちが代って彼のところへ食物を運んでやっていた。子供らはラザルスを怖がりもしなければ、また往々にして憐れな人たちに仕向けるような悪いたずらをして揶揄いもしなかった。かれらはまったくラザルスには無関心であり、彼もまたかれらに冷淡であったので、別にかれらの黒い巻髪を撫でてやろうともしなければ、無邪気な輝かしいかれらの眼を覗こうともしなかった。時と荒廃とに任せていた彼の住居は崩れかけて来たので、飢えたる山羊どもは彷徨い出て、近所の牧場へ行ってしまった。そうして、音楽師が来たあの楽しい日以来、彼は新しい物も古い物も見境いなく着つづけていたので、花聟の衣裳は磨り切れて艶々しい色も褪せ、荒野の悪い野良犬や尖った茨にその柔らかな布地は引き裂かれてしまった。
昼のあいだ、太陽が情け容赦もなくすべての生物を焼き殺すので、蠍が石の下にもぐり込んで気違いのようになって物を螫したがっている時にでも、ラザルスは太陽のひかりを浴びたまま坐って動かず、灌木のような異様な髯の生えている紫色の顔を仰向けて、熱湯のような日光の流れに身をひたしていた。
世間の人がまだ彼に言葉をかけていた頃、彼は一度こんな風に訊ねられた事があった。
「ラザルス君、気の毒だな。そんなことをしてお天道さまと睨みっくらをしていると、こころもちが好いかね。」
彼は答えた。
「むむ、そうだ。」
ラザルスに言葉をかけた人たちの心では、あの三日間の死の常闇が余りにも深刻であったので、この地上の熱や光りではとても温めることも出来ず、また彼の眼に沁み込んだ、その常闇を払い退けることが出来ないのだと思って、やれやれと溜め息をつきながら行ってしまうのであった。
爛々たる太陽が沈みかけると、ラザルスは荒野の方へ出かけて、まるで一生懸命になって太陽に達しようとでもしているように、夕日にむかって一直線に歩いて行った。彼は常に太陽にむかって真っ直ぐに歩いてゆくのである。そこで、夜になって荒野で何をするのであろうと、そのあとからそっと付いて来た人たちの心には、大きな落陽の真っ赤な夕映を背景にした、大男の黒い影法師がこびり付いて来る上に、暗い夜がだんだんに恐怖と共に迫って来るので、恐ろしさの余りに初めの意気組などはどこへやらで、這々のていで逃げ帰ってしまった。したがって、彼が荒野で何をしていたか判らなかったが、かれらはその黒や赤の幻影を死ぬまで頭のなかに焼き付けられて、あたかも眼に刺をさされた獣が足の先きで夢中に鼻面をこするように、ばかばかしいほど夢中になって眼をこすってみても、ラザルスの怖ろしい幻影はどうしても拭い去ることが出来なかった。
しかし遥かに遠いところに住んでいて、噂を聞くだけで本人を見たことのない人たちは、怖い物見たさの向う見ずの好奇心に駆られて、日光を浴びて坐っているラザルスの所へわざわざ尋ねて来て話しかけるのもあった。そういう時には、ラザルスの顔はいくらか柔和になって、割合いに物凄くなくなって来るのである。こうした第一印象を受けた人には、この聖都の人々はなんという馬鹿ばかり揃っているのであろうと軽蔑するが、さて少しばかり話をして家路につくと、すぐに聖都の人たちはかれらを見付けてこう言うのである。
「見ろよ。あすこへ行く連中は、ラザルスにお眼を止められたくらいだから、おれ達よりも上手の馬鹿者に違いないぜ。」
かれらは気の毒そうに首を振りながら、腕をあげて、帰る人々に挨拶した。
ラザルスの家へは、大胆不敵の勇士が物凄い武器を持ったり、苦労を知らない青年たちが笑ったり歌を唄ったりして来た。笏杖を持った僧侶や、金をじゃら付かせている忙がしそうな商人たちも来た。しかもみな帰る時にはまるで違った人のようになっていた。それらの人たちの心には一様に恐ろしい影が飛びかかって来て、見馴れた古い世界に一つの新しい現象をあたえた。
なおラザルスと話してみたいと思っていた人たちは、こう言って自己の感想を説明していた。
「すべて手に触れ、眼に見える物体は漸次に空虚な、軽い、透明なものに化するもので、謂わば夜の闇に光る影のようなものである。この全宇宙を支持する偉大なる暗黒は、太陽や、月や、星によって駆逐さるることなく、一つの永遠の墓衣のように地球を包み、一人の母のごとくに地球を抱き締めているのである。
その暗黒がすべての物体、鉄や石の中までも沁み込むと、すべての物体の分子は互いの連絡がゆるんで来て、遂には離れ離れになる。そうして又、その暗黒が更に分子の奥底へ沁み込むと、今度は原子が分離して行く。なんとなれば、この宇宙を取り巻いているところの偉大なる空間は、眼に見えるものによって満たされるものでもなく、また太陽や、月や、星に依っても満たされるものでもない。それは何物にも束縛されずに、あらゆるところに沁み込んで、物体から分子を、分子から原子を分裂させて行くのである。
この空間に於いては、空虚なる樹木は倒れはしまいかという杞憂のために、空虚なる根を張っている。寺院も、宮殿も、馬も実在しているが、みな空虚である。人間もこの空間のうちに絶えず動いているが、かれらもまた軽く、空虚なること影の如くである。
なんとなれば、時は虚無であって、すべての物体には始めと同時に終りが接しているのである。建設はなお行なわれているけれども、それと同時に建設者はそれを槌で打ち砕いて行き、次から次へと廃墟となって、再び元の空虚となる。今なお人間は生まれて来るが、それと同時に絶えず葬式の蝋燭は人間の頭上にかがやき、虚無に還元して、その人間と葬式の蝋燭の代りに空間が存在する。
空間と暗黒によって掩い包まれている人間は、永遠の恐怖に面して、絶望に顫えおののいているのである。」
しかしラザルスと言葉を交すことを好まない人たちは、更にいろいろのことを言った。そうして、みな無言のうちに死んでいるのであった。
四
この時代に、ローマにアウレリウスという名高い彫刻家がいた。かれは粘土や大理石や青銅に、神や人間の像を彫刻し、人々はそれらの彫刻を不滅の美として称えていた。しかし彼自身はそれに満足することが出来ず、世には更に美しい何物かが存在しているのであるが、自分はそれを大理石や青銅へ再現することが出来ないのであると主張していた。
「わたしは未だ曾て月の薄い光りを捉えることも出来ず、又は日の光りを思うがままに捉え得なかった。私の大理石には、魂がなく、わたしの美しい青銅には生命がなかった。」と、彼は口癖のように言っていた。そうして、月の晩にはサイプレスの黒い影を踏みながら、彼は自分の白い肉衣を月光にひらめかして見ていたので、道で出逢った彼の親しい人たちは心安立てに笑いながら言った。
「アウレリウスさん。月の光りを集めていなさいますね。なぜ籠を持ってこなかったのです。」
彼も笑いながら自分の両眼を指さして答えた。
「それ、ここに籠がありますよ。この中へ月光と日光とを入れておくのです。」
実際彼のいう通り、それらの光りは彼の眼のうちで輝いていた。しかし古い貴族出の彼は良い妻や子とともに、物質上にはなに不自由なく暮らしていたが、どうしてもその月光や日光を大理石の上に再現させることが出来ないので、自分の刻んだ作品に絶望を感じながら、怏々として楽しまざる日を送っていた。
ラザルスの噂がこの彫刻家の耳にはいった時、彼は妻や友達と相談した上で、死から奇蹟的によみがえった彼に逢うためにユダヤへの長い旅についた。アウレリウスは近頃どことなく疲れ切っているので、この旅行が自分の鈍りかかった神経を鋭くしてくれれば好いがと思ったくらいであったから、ラザルスに付いてのどんな噂にも、彼は驚かなかった。元来、彼自身も死ということについては度々熟考し、あながちそれを好む者ではなかったが、さりとて生を愛着するの余りに、人の物笑いになるような死にざまをする人たちを侮蔑していた。
この世に於いて、人生は美し。
あの世に於いて、死は謎なり。
彼はこう思っていたのである。人間にとって、人生を楽しむと、すべての生きとし生けるものの美に法悦するほど好いことはない。そこで、彼は自分の独自の人生観の真理をラザルスに説得して、その魂をもよみがえらせることに自信ある希望を持っていた。この希望はあながち至難の事ではなさそうであった。すなわちこの解釈し難い異様な噂は、ラザルスについて本当のことを物語っているのではなく、ただ漠然と、ある恐怖に対する警告をなしているに過ぎなかったからであった。
ラザルスはあたかも荒野に沈みかかっている太陽を追おうとして、石の上から起ち上がった時、一人の立派なローマ人がひとりの武装した奴隷に護られながら彼に近づいて来て、朗かな声で呼びかけた。
「ラザルスよ。」
美しい着物や宝石を身に付けたラザルスは、その荘厳な夕日を浴びた深刻な顔をあげた。真っ赤な夕日の光りがローマ人の素顔や頭をも銅の人像のように照り輝かしているのに、ラザルスも気が付いた。すると、彼は素直に再び元の場所にかえって、その弱々しい両眼を伏せた。
「なるほど、お前さんは醜い。可哀そうなラザルスさん。そうして又、お前さんは物凄いですね。死というものは、お前さんがふとしたおりに彼の手に落ちた日だけその手を休めてはいませんでした。しかしお前さんは実に頑丈ですね。一体あの偉大なるシーザーが言ったように、肥った人間には悪意などのあるものではありません。それであるから、なぜ人々がお前さんをそんなに恐れているのか、私には判らないのです。どうでしょう、今夜わたしをお前さんの家へ泊めてくれませんか。もう日が暮れて、私には泊まる処がないのですが……。」と、そのローマ人は金色の鎖をいじりながら静かに言った。
今までに誰ひとりとして、ラザルスを宿のあるじと頼もうとした者はなかった。
「わたしには寝床がありません。」と、ラザルスは言った。
「私はこれでも武士の端くれであったから、坐っていても眠られます。ただ私たちは火さえあれば結構です。」と、ローマ人は答えた。
「わたしの家には火もありません。」
「それでは、暗やみのなかで、友達のように語り明かしましょう。酒のひと壜ぐらいはお持ちでしょうから。」
「わたしには酒もありません。」
ローマ人は笑った。
「なるほど、やっと私にも判りました。なぜお前さんがそんなに暗い顔をして自分の再生を厭うかということが……。酒がないからでしょう。では、まあ仕方がないから、酒なしで語り明かそうではありませんか。話というものはファレルニアンの葡萄酒よりも、よほど人を酔わせると言いますから。」
合図をして、奴隷を遠ざけて、彼はラザルスと二人ぎりになった。そこで再びこのローマの彫刻家は談話を始めたのであったが、太陽が沈んで行くにつれて、彼の言葉にも生気を失って来たらしく、だんだんに力なく、空虚になって、疲労と酒糟に酔ったようにしどろもどろになって、言葉と言葉とのあいだに大空間と大暗黒とを暗示したような黒い割け目を生じた。
「さあ、わたしはお前さんのお客であるから、お前さんはお客に親切にしてくれるでしょうね。客を款待するということは、たとい三日間あの世に行っていた人たちでも当然の義務ですよ。噂によると、三日も墓の中で死んでいたそうですね。墓の中は冷たいに相違ない。そこでその以来、火も酒もなしで暮らすなどという悪い習慣が付いたのですね、私としては大いに火を愛しますね――なにしろ急に暗くなって来ましたからな。お前さんの眉毛と額の線はなかなか面白い線ですね。まるで地震で埋没した不思議な宮殿の廃墟のようですね。しかしなぜお前さんはそんな醜い奇妙な着物を着ているのです。そうそう、私はこの国の花聟たちを見た事があります。その人たちはそんな着物を着ていましたが、別に恐ろしいとも、滑稽とも思いませんでしたが……。お前さんは花聟さんですか。」と、ローマの彫刻家は言った。
太陽は既に消えて、怪物のような黒い影が東の方から走って来た。その影は、あたかも巨人の素足が砂の上を走り出したようでもあった。寒い風の波は背中へまでも吹き込んで来た。
「この暗がりの中だと、さっきよりももっと頑丈な男のように、お前さんは大きく見えますね。お前さんは暗やみを食べて生きているのですか、ラザルスさん。私はほんの小さな火でも得られるなら、もうどんな小さな火でもいいと思いますが……。私はなんとなく寒さを感じて来たのですが、お前さんは毎晩、こんな野蛮な寒い思いをなさるのですか。もしもこんなに暗くなかったら、お前さんが私を眺めているということが判るのですが……。そう、どうも私を見ているような気がしますがね。なぜ私を見つめているのです。しかしお前さんは笑っていますね。」
夜が来て、深い闇が空気を埋めた。
「あしたになって太陽がまた昇ったら、どんなに好いでしょうな。私は、まあ友達などの言うところに依りますと、お前さんも知っている筈の、名の売れた彫刻家です。わたしは創作をします。そうです、まだ実行にまでは行きませんが、私には太陽が要るのです。そうして、その日光を得られれば、私には冷たい大理石に生命をあたえ、響きある青銅を輝く温かい火で鎔すことが出来るのです。――やあ、お前さんの手がわたしに触れましたね。」
「お出でなさい。あなたは私のお客です。」と、ラザルスは言った。
二人は帰路についた。そうして、長い夜は地球を掩い包んだ。
朝になって、もう太陽が高く昇っているのに、主人のアウレリウスが帰って来ないので、奴隷は主人を捜しに行った。彼は主人とラザルスをそれからそれへと尋ねあるいて、最後に燬くが如くにまばゆい日光を正面に受けながら、二人が黙って坐ったままで、上の方を眺めているのを発見した。奴隷は泣き出して叫んだ。
「旦那さま、あなたはどうなすってしまったのです、旦那さま。」
その日に、アウレリウスはローマへ帰るべく出発した。道中も彼は深い考えに沈み、ほとんど物も言わずに、往来の人とか、船とか、すべての事物から、何物をか頭のなかに烙き付けようとでもするように、一々に注目して行った。沖へ出ると、風が起こって来たが、彼は相変わらず甲板の上に残って、どっと押し寄せては沈んでゆく海を熱心に眺めていた。
家に帰り着くと、彼の友達らはアウレリウスの様子が変わっているのに驚いた。しかし彼はその友達らを鎮めながら意味ありげに言った。
「わたしは遂にそれを発見したよ。」
彼はほこりだらけの旅装束のままで、すぐに仕事に没頭した。大理石はアウレリウスの冴えた槌の音をそのままに反響した。彼は長い間、誰をも仕事場へ入れずに、一心不乱に仕事に努めていたが、ある朝彼はいよいよ仕事が出来上がったから、友達の批評家らを呼び集めるようにと家人に言い付けた。彼は真っ紅な亜麻織りに黄金を輝かせた荘厳な衣服にあらためて、かれらを迎えた。
「これがわたしの作品だ。」と、彼は深い物思いに耽りながら言った。
それを見守っていた批評家らの顔は深い悲痛な影に掩われて来た。その作品は、どことなく異様な、今までに見慣れていた線は一つもなく、しかも何か新らしい、変わった観念の暗示をあたえていた。細い曲がった一本の小枝、と言うよりはむしろ小枝に似たある不格好な細長い物体の上に、一人の――まるで形式を無視した、醜い盲人が斜めに身を支えている。その人物たるや、まったく歪んだ、なにかの塊を引き延ばしたとも、或いはたがいに離れようとして徒らに力なくもがいている粗野な断片の集まりとも見えた。唯どう考えても偶然としか思えないのは、この粗野な断片の一つのもとに、一羽の蝶が真に迫って彫ってあって、その透き通るような翼を持った快活な愛らしさ、鋭敏さ、美しさは、まさに飛躍せんとする抑え難き本能に顫えているようであった。
「この見事な蝶はなんのためなんだね、アウレリウス。」と、誰かが躊躇しながら言った。
「おれは知らない。」と、アウレリウスは答えた。
結局、アウレリウスから本心を聞かされないので、彼を一番愛していた友達の一人が断乎として言った。
「これは醜悪だよ、君。壊してしまわなければいかん。槌を貸したまえ。」
その友達は槌でふた撃ち、この怪奇なる盲人を微塵に砕いてしまって、生きているような蝶だけをそのままに残して置いた。
以来、アウレリウスは創作を絶って、大理石にも、青銅にも、また永遠の美の宿っていた彼の霊妙なる作品にも、まったく見向きもしなくなった。彼の友達らは彼に以前のような仕事に対する熱情を喚起させようというので、彼を連れ出して、他の巨匠の作品を見せたりしたが、依然として無関心なるアウレリウスは微笑みながら口をつぐんで、美に就いてのかれらのお談議に耳を傾けてから、いつも疲れた気のなさそうな声で答えた。
「だが、それはみな嘘だ。」
太陽のかがやいている日には、彼は自分の壮大な見事な庭園へ出て、日影のない場所を見つけて、太陽のほうへ顔を向けた。赤や白の蝶が舞いめぐって、酒機嫌の酒森の神のゆがんだ唇からは、水が虹を立てながら大理石の池へ落ちていた。しかしアウレリウスは身動ぎもせずにすわっていた。ずっと遠い、石ばかりの荒野の入口で、熾烈の太陽に直射されながら坐っていたあのラザルスのように――。
五
神聖なるローマ大帝アウガスタス自身がラザルスを召されることになった。皇帝の使臣たちは、婚礼の儀式へ臨むような荘厳な花聟の衣裳をラザルスに着せた。そうして、彼は自分の一生涯をおそらく知らないであろうと思われる花嫁の聟としてこの衣裳を着ていた。それはあたかも古い腐った棺桶に金鍍金をして、新しい灰色の総で飾られたようなものであった。華やかな服装をした皇帝の使臣たちは、ラザルスのうしろから結婚式の行列のように騎馬でつづくと、その先頭では高らかに喇叭を吹き鳴らして、皇帝の使臣のために道を開くように人々に告げ知らせた。しかしラザルスの行く手には誰も立つ者はなかった。彼の生地では、この奇蹟的によみがえった彼の増悪すべき名前を呪っていたので、人々は恐ろしい彼が通るということを知って、みな散りぢりに逃げ出した。真鍮の金属性の音はいたずらに静かな大空にひびいて、荒野のあなたに谺していた。ラザルスは海路を行った。
彼の乗船は非常に豪奢に装飾されていたにも拘らず、かつて地中海の瑠璃色の波に映った船のうちでは最も悼ましい船であった。他の客も大勢乗合わせていたが、寂寞として墓のごとく、傲然とそり返っている船首を叩く波の音は絶望にむせび泣いているようであった。ラザルスは他の人々から離れて、太陽にその顔を向けながら、さざなみの呟きを静かに傾聴していた。水夫や使臣たちは遥か向うで、ぼんやりとした影のように一団をなしていた。もしも雷が鳴り出して、赤い帆に暴風が吹き付けたらば、船はきっと覆ってしまったかも知れない程に、船上の人間たちは、生のために戦う意志もなく、ただ全くぽかんとしていた。そのうちに、ようようのことで二、三人の水夫が船べりへ出て来て、海の洞にひらめく水神の淡紅色の肩か、楯を持った酔いどれの人馬が波を蹴立てて船と競走するのかを見るような気で、透き通る紺碧の海を熱心に見つめた。しかも深い海は依然として荒野の如く、唖のごとくに静まり返っていた。
ラザルスはまったく無頓着に、永遠の都のローマに上陸した。人間の富や、荘厳無比の宮殿を持つローマは、あたかも巨人によって建設されたようなものであったが、ラザルスに取ってはそのまばゆさも、美しさも、洗練された人生の音楽も、結局荒野の風の谺か、沙漠の流砂の響きとしか聞こえなかった。戦車は走り、永劫の都の建設者や協力者の群れは傲然として巷を行き、歌は唄われ、噴水や女は玉のごとくに笑い、酔える哲学者が大道に演説すれば、素面の男は微笑をうかべて聴き、馬の蹄は石の鋪道を蹴立てて走っている。それらの中を一人の頑丈な、陰鬱な大男が沈黙と絶望の冷やかな足取りで歩きながら、こうした人々の心に不快と、忿怒と、なんとはなしに悩ましげな倦怠とを播いて行った。ローマに於いてすら、なお悲痛な顔をしているこのラザルスを見た市民は、驚異の感に打たれて眉をひそめた。二日の後にローマ全市は、彼が奇蹟的によみがえったラザルスであることを知るや、恐れて彼を遠ざけるようになった。
その中には又、自分たちの胆力を試してみようという勇気のある人たちもあらわれて来た。そういう時には、ラザルスはいつも素直に無礼なかれらの招きに応じた。皇帝アウガスタスは国事に追われて、彼を召すのがだんだんに延びていたので、ラザルスは七日のあいだ、他の人々のところへ招かれて行った。
ラザルスが一人の享楽主義者の邸へ招かれたとき、主人公は大いに笑いながら彼を迎えた。
「さあ、一杯やれ、ラザルス君。お前が酒を飲むところを御覧になったら、皇帝も笑わずにはいられまいて。」と、主人は大きい声で言った。
半裸体の酔いどれの女たちはどっと笑って、ラザルスの紫色の手に薔薇の花びらを振りかけた。しかもこの享楽主義者がラザルスの眼をながめたとき、彼の歓楽は永劫に終りをつげてしまった。彼は一滴の酒も口にしないのに、その余生をまったく酔いどれのように送った。そうして、酒がもたらすところの楽しい妄想の代りに、彼は恐ろしい悪夢に絶えずおそわれ、昼夜を分かたずその悪夢の毒気を吸いながら、かの狂暴残忍なローマの先人たちよりも更に物凄い死を遂げた。
ラザルスは又、ある青年と彼の愛人のところへ呼ばれて行った。かれらはたがいに恋の美酒に酔っていたので、その青年はいかにも得意そうに、恋人を固く抱擁しながら、穏かに同情するような口ぶりで言った。
「僕たちを見たまえ、ラザルス君。そうして、僕たちが悦びを一緒に喜んでくれたまえ。この世の中に恋より力強いものがあろうか。」
ラザルスは黙って二人を見た。その以来、この二人の恋人同士は互いに愛し合っていながらも、かれらの心はおのずから楽しまず、さながら荒れ果てた墓地に根をおろしているサイプレスの木が、寥寂たる夕暮れにその頂きを徒らに天へとどかせようとしているかのように、その後半生を陰鬱のうちに送ることとなった。不思議な人生の力に駆られて互いに抱擁し合っても、その接吻にはにがい涙があり、その逸楽には苦痛がまじるので、この若い二人は、自分たちはたしかに人生に従順なる奴隷であり、沈黙と虚無の忍耐強い召使いであると思うようになった。常に和合するかと思えば、また夫婦喧嘩をして、かれらは火花の如くに輝き、火花のごとくに常闇の世界へと消えて行った。
ラザルスは更に又、ある高慢なる賢人の邸へ招かれた。
「わたしはお前が顕わすような恐怖ならば、みな知っている。お前はこのわたしを恐れさせるような事が出来るかな。」と、その賢人は言った。
しかもその賢人は、恐怖の知識というものは恐怖そのものではなく、死の幻影は死そのものではない事をすぐに知った。また賢こさと愚かさとは無限の前には同一である事、何となればそれらの区別はただ人間が勝手に決めたのであって、無限には賢こさも愚かさもないことを識った。したがって、有智と無智、真理と虚説、高貴と卑賤とのあいだの犯すべからざる境界線は消え失せて、ただ無形の思想が空間にただよっているばかりとなってしまった。そこで、その賢人は白髪の頭を掴んで、狂気のように叫んだ。
「わたしには判らない。私には考える力がない。」
こうして、この奇蹟的によみがえった男を、ひと目見ただけで、人生の意義と悦楽とはすべて一朝にして滅びてしまうのである。そこで、この男を皇帝に謁見させることは危険であるから、いっそ彼を亡き者にして窃かに埋めて、皇帝にはその行くえ不明になったと申し上げた方がよかろうという意見が提出された。それがために首斬り刀はすでに研がれ、市民の安寧維持をゆだねられた青年たちが首斬り人を用意した時、あたかも皇帝から明日ラザルスを召すという命令が出たので、この残忍な計画は破壊された。
そこで、ラザルスを亡き者にすることが出来ないまでも、せめては彼の顔から受ける恐ろしい印象を和らげる事ぐらいは出来るであろうという意見で、腕のある画家や、理髪師や、芸術家らを招いて、徹夜の大急ぎでラザルスの髭を刈って巻くやら、絵具でその顔や手の死びと色の斑点を塗り隠すやら、種々の細工が施された。今までの顔に深いみぞを刻んでいた苦悩の皺は、人々に嫌悪の情を起こさせるというので、それもみな塗りつぶされて、そのあとは温良な笑いと快活さとを巧妙な彩筆をもって描くことにした。
ラザルスは例の無関心で、大勢のなすがままに任せていたので、たちまちにして如何にも好く似合った頑丈な、孫の大勢ありそうな好々爺に変わってしまった。ついこの間まで糸を紡ぎながら浮かべていた微笑が、今もその口のほとりに残っているばかりか、その眼のどこかには年寄り独特の穏かさが隠れているように見えた。しかもかれらは婚礼の衣裳までも着換えさせようとはしなかった。又、この世の人間と未知のあの世とを見詰めている、二つの陰鬱な物凄い、鏡のような彼の両眼までも取り換えることは出来なかったのである。
六
ラザルスは宮殿の崇高なるにも、心を動かされなかった。彼に取っては荒野に近い崩れ家も、善美を尽くした石造の宮殿もまったく同様であったので、相変わらず無関心に進み入った。彼の足の下では堅い大理石の床も荒野の砂にひとしく、彼の眼には華美な宮廷服を身にまとった傲慢な人々も、すべて空虚な空気に過ぎなかった。ラザルスがそばを通ると、誰もその顔を正視する者もなかったが、その重い足音がまったく聞こえなくなると、かれらは宮殿の奥深くへだんだんに消えてゆくやや前かがみの老偉丈夫のうしろ姿を穿索するように見送った。死そのもののような彼が過ぎ去ってしまえば、もうこの以上に恐ろしいものはなかった。今までは死せる者のみが死を知り、生ける者のみが人生を知っていて、両者のあいだには何の連絡もないものと考えられていたのであるが、ここに生きながらに死を知っている、謎のような恐るべき人物が現われて来たということは、人々に取って実に呪うべき新知識であった。
「彼はわれわれの神聖なるアウガスタス大帝の命を取るであろう。」と、かれらは心のうちで思った。そうして、奥殿深く進んでゆくラザルスのうしろ姿に呪いの声を浴びせかけた。
皇帝はあらかじめラザルスの人物を知っていたので、そのように謁見の準備を整えておいた。しかも皇帝は勇敢な人物で、自己の優越なる力を意識していたので、死から奇蹟的によみがえった男と生死を争う場合に、臣下の助勢などを求めるのをいさぎよしとしなかった。皇帝はラザルスと二人ぎりで会見した。
「お前の眼をわしの上に向けるな、ラザルス。」と、皇帝はまず命令した。「お前の顔はメドュサの顔のようで、お前に見詰められた者は誰でも石に化すると聞いていたので、わしは石になる前に、まずお前に逢い、お前と話してみたいのだ。」
彼は内心恐れていないでもなかったが、いかにも皇帝らしい口ぶりでこう言い足した。それからラザルスに近寄って、熱心に彼の顔や奇妙な礼服などを調べてみた。彼は鋭い眼力を持っていたにも拘らず、ラザルスの変装に騙されてしまった。
「ほう、お前は別に物凄いような顔をしていないではないか。好いお爺さんだ。もしも恐怖というものがこんなに愉快な、むしろ尊敬すべき風采を具えているならば、われわれに取っては却って悪い事だとも言える。さて、話そうではないか。」
アウガスタスは座に着くと、言葉よりも眼をもってラザルスにむかいながら問答を始めた。
「なぜお前はここへはいって来た時に、わしに挨拶をしなかったのだ。」
「わたしはその必要がないと思いましたからです。」と、ラザルスは平気で答えた。
「お前はクリスト教徒か。」
「いいえ。」
アウガスタスはさこそと言ったようにうなずいた。
「よし、よし。わしもクリスト教徒は嫌いだ。かれらは人生の樹に実がまだいっぱいに生らないうちにその樹をゆすって、四方八方に撒き散らしている。ところで、お前はどういう人間であるのだ。」
ラザルスは眼に見えるほどの努力をして、ようように答えた。
「わたしは死んだのです。」
「それはわしも聞き及んでいる。しかし現在のお前は如何なる人物であるのか。」
ラザルスは黙っていたが、遂にうるさそうな冷淡な調子で、「私は死んだのです。」と、繰り返し言った。
皇帝は最初から思っていたことを言葉にあらわして、はっきりと力強く言った。
「まあ聞け、外国のお客さん。わしの領土は現世の領土であり、わしの人民は生きた人間ばかりで死んだ人間などは一人もいない。したがって、お前はわしの領土では余計な者だ。わしはお前が如何なる者であり、又このローマをいかに考えているかを知らない。しかしお前が嘘を言っているのならば、わしはお前のその嘘を憎む。又、もし本当のことを語っているのならば、わしはお前のその真実をも憎む。わしの胸には生の鼓動を感じ、わしの腕には力を感じ、わしの誇りとする思想は鷲のごとくに空間を看破する。わしの領土のどんな遠い所でも、わしの作った法律の庇護のもとに、人民は生き、働き、そうして享楽している。お前には死と戦っているかれらの叫び声が聞こえないのか。」
アウガスタスはあたかも祈祷でもするように両腕を差し出して、更におごそかに叫んだ。
「幸いあれ。おお、神聖にして且つ偉大なる人生よ。」
ラザルスは沈黙を続けていると、皇帝はますます高潮して来る厳粛の感に堪えないように、なおも言葉をつづけた。
「死の牙から辛うじて救われた、哀れなる人間よ。ローマ人はお前がここに留まることを欲しない。お前は人生に疲労と嫌悪とを吹き込むものだ。お前は田畑の蛆虫のように、歓喜に満ちた穂をいぶかしそうに見詰めながら、絶望と苦悩のよだれを垂らしているのだ。お前の真理はあたかも夜の刺客の手に握られている錆びた剣のようなもので、お前はその剣のために刺客の罪名のもとに死刑に処せらるべきである。しかしその前におまえの眼をわしに覗かせてくれ。おそらくお前の眼を怖れるのは臆病者ばかりで、勇者の胸には却って争闘と勝利に対する渇仰を呼び起こさせるであろう。その時にはお前は恩賞にあずかって、死刑は赦されるであろう。さあ、わしを見ろ。ラザルス。」
アウガスタスも最初は、友達が自分を見ているのかと思った程に、ラザルスの眼は実に柔かで、温良で、たましいを蕩かすようにも感じられたのである。その眼には恐怖など宿っていないのみならず、却ってそこに現われているこころよい安息と博愛とが、皇帝には温和な主婦のごとく、慈愛ふかい姉のごとく母のごとくにさえ感じられた。しかもその眼の力はだんだんに強く迫って来て、嫌がる接吻をむさぼり求めるようなその眼は皇帝の息をふさぎ、その柔かな肉体の表面には鉄の骨があらわれ、その無慈悲な環が刻一刻と締め付けて来て、眼にみえない鈍い冷たい牙が皇帝の胸に触れると、ぬるぬると心臓に喰い入って行った。
「ああ、苦しい。しかしわしを見詰めていろ、ラザルス。見詰めていろ。」と、神聖なるアウガスタスは蒼ざめながら言った。
ラザルスのその眼は、あたかも永遠にあかずの重い扉が徐々にあいて来て、その隙き間から少しずつ永劫の恐怖を吐き出しているようでもあった。二つの影のように、果てしもない空間と底知れぬ暗黒とが現われて、太陽を消し、足もとから大地を奪って、頭の上からは天空を消してしまった。これほどに冷え切って、心を痛くさせるものが又とあるであろうか。
「もっと見ろ。もっと見ろ、ラザルス。」と、皇帝はよろめきながら命じた。
時が静かにとどまって、すべてのものが恐ろしくも終りに近づいて来た。皇帝の座は真っ逆さまになったと思う間もなく崩れ落ちて、アウガスタスの姿は玉座と共に消え失せた。――音もなくローマは破壊されて、その跡には新しい都が建設され、それもまた空間に呑み込まれてしまった。まぼろしの巨人のように、都市も、国家も、国々もみな倒れて、空虚なる闇のうちに消えると、無限の黒い胃嚢が平気でそれらを呑み込んでしまった。
「止めてくれ。」と、皇帝は命令した。
彼の声にはすでに感情を失った響きがあり、その両手も力なく垂れ、突撃的なる暗黒と向う見ずに戦っているうちに、その赫々たる両眼は何物も見えなくなったのである。
「ラザルス。お前はわしの命を奪った。」と、皇帝は気力のない声で言った。
この失望の言葉が彼自身を救った。皇帝は自分が庇護しなければならない人民のことを思い浮かべると、気力を失いかけた心臓に鋭い痛みをおぼえて、それがためにやや意識を取り戻した。
「人民らも死を宣告されている。」と、彼はおぼろげに考えた。無限の暗黒の恐ろしい影――それを思うと恐怖がますます彼に押し掛かって来た。
「沸き立っている生き血を持ち、悲哀と共に偉大なる歓喜を知る心を持つ、破れ易い船のような人民――」と、皇帝は心のうちで叫んだ時、心細さが彼の胸を貫いた。
かくの如く、生と死との両極のあいだにあって反省し、動揺しているうちに、皇帝は次第に生命を回復して来ると、苦痛と歓喜との人生のうちに、空虚なる暗黒と無限の恐怖を防ぐだけの力のある楯のあることに気が付いた。
「ラザルス。お前はわしを殺さなかったな。しかしわしはお前を殺してやろう。去れ。」と、皇帝は断乎として言った。
その夕方、神聖なる皇帝アウガスタスは、いつもになく愉快に食事を取った。しかも時々に手を突っ張ったままで、火の如くに輝いている眼がどんよりと陰って来た。それは彼の足もとに恐怖の波の動くのを感じたからであった。打ち負かされたが、しかも破滅することなく、永遠に時の来たるのを待っている「恐怖」は、皇帝の一生を通じて一つの黒い影――すなわち死のごとくに彼のそばに立っていて、昼間は人生の喜怒哀楽に打ち負かされて姿を見せなかったが、夜になると常に現われた。
次の日、絞首役人は熱鉄でラザルスの両眼をえぐり取って、彼を故国へ追い帰した。神聖なる皇帝アウガスタスも、さすがにラザルスを死刑に処することは出来なかったのである。
ラザルスは故郷の荒野に帰ると、荒野はこころよい風の肌触わりと、輝く太陽の熱とをもって彼を迎えた。彼は昔のままに石の上に坐ると、その粗野な髭むじゃな顔を仰向けた。二つの眼の代りに、二つの黒い穴はぼんやりとした恐怖の表情を示して空を見つめていた。遥かあなたの聖都は休みなしに騒然とどよめいていたが、彼の周囲は荒涼として、唖のごとくに静まり返っていた。奇蹟的に死からよみがえった彼の住居に、誰も近づく者とてはなく、遠い以前から近所の人たちは自分の家を捨てて立ち去ってしまった。
熱鉄によって眼から追い出されたので、彼の呪われたる死の知識は頭蓋骨の奥底にひそんで、そこを隠れ家とした。そうして、あたかもその隠れ家から飛び出して来るように、呪われたる死の知識は無数の、無形の眼を人間に投げかけた。誰ひとりとして敢てラザルスを正視するものはなかった。
夕日がいっそう大きく紅くなって、西の地平線へだんだんに沈みかけると、盲目のラザルスはその後を追ってゆく途中、頑丈ではあったが又いかにも弱々しそうに、いつも石につまずいて倒れた。真っ赤な夕日に映ずる彼の黒いからだと、まっすぐに開いた彼の両手とは、さながら巨大なる十字架のように見えた。
ある日、いつものように夕日を追って行ったままで、ラザルスは遂に帰って来なかった。こうして謎のように死から奇蹟的によみがえった彼が再生の生涯も、終りを告げたのであった。 | 底本:「澁澤龍彦文学館 12 最後の箱」筑摩書房
1991(平成3)年10月25日初版第1刷発行
入力:和井府 清十郎
校正:もりみつじゅんじ、土屋隆
2008年10月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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文吉は操を渋谷に訪うた。無限の喜と楽と望とは彼の胸に漲るのであった。途中一二人の友人を訪問したのはただこれが口実を作るためである。夜は更け途は濘んでいるがそれにも頓着せず文吉は操を訪問したのである。
彼が表門に着いた時の心持と云ったら実に何とも云えなかった。嬉しいのだか悲しいのだか恥しいのだか心臓は早鐘を打つごとく息は荒かった。何んでもその時の状態は三分間も彼の記憶に止まらなかったのである。
彼は門を入って格子戸の方へ進んだが動悸はいよいよ早まり身体はブルブルと顫えた。雨戸は閉って四方は死のごとく静かである。もう寐るのだろうか、イヤそうではない、今ヤット九時を少過ぎたばかりである。それに試験中だから未だ寐ないのには定っている。多分淋しい処だから早くから戸締をしたのだろう。戸を叩こうか、叩いたらきっと開けてくれるには相違ない。しかし彼はこの事をなすことが出来なかった。彼は木像のように息を凝らして突立っている。なぜだろう? なぜ彼は遥々友を訪問して戸を叩くことが出来ないのだろう? 叩いたからと云って咎められるのでもなければ彼が叩こうとする手を止めるのでもない、ただ彼は叩く勇気がないのである。ああ彼は今明日の試験準備に余念ないのであろう。彼は吾が今ここに立っているということは夢想しないのであろう。彼と吾とただ二重の壁に隔たれて万里の外の思をするのである。ああどうしよう、せっかくの望も喜も春の雪と消え失せてしまった。ああこのままここを辞せねばならぬのか。彼の胸には失望と苦痛とが沸き立った。仕方なく彼は踵を返して忍足でここを退った。
井戸端に出ると汗はダラダラと全身に流れて小倉の上服はさも水に浸したようである。彼はホット溜息を洩らすと夏の夜風は軽く赤熱せる彼が顔を甞めた。彼の足は進まなかった。彼は今度は裏から廻ってみたが、やはり雨戸は閉って、ランプの光が微かに闇を漏れるのみであった。モウ最後である。彼の手頼は尽きたのである。彼は決心したらしく傍目も振らずにズンズンと歩き出した。彼は表門を出て坂を下りかけてみたが、先刻は何の苦もなくスラスラと登って来た坂が今度は大分下り難い。彼は二三度踉めいた。半許下りかけたが、彼は何と思ってかハタと立ち止った。行きたくないからである。何か好い方法を考えたからである。前なる通の電柱の先に淋しく瞬いている赤い電燈は、夏の夜の静けさを増すのであった。
彼はここに立って考えているのである。吾は明日帰るではないか、明日帰れば来学期にならないと彼の顔を見ることが出来ないのである。ああどうしよう? 何! こんな処へまで来て逢わずに帰る奴があるものか。吾は弱い、弱いけれどもこんな事が出来なくてどうする? これから少強くなろう。よし今度はぜひ戸を叩こう。勿論這入ったところで面白い話をするでもなければ用があるのでもない、ただ彼の顔を見るばかりだ。それで彼は再踵を返した。今度は勇気天を衝くようで足は軽くて早い。あまり早過ぎたものだからつい門を通り越した。滑稽と云わば云われよう。三四歩戻って彼は表門を這入った。今度はわざと飛石を踏んでバタバタと靴音をさせた。これは手段なのである、自分では手段でありながらも人には知られぬ手段である。彼はこの手段には成功を期したが格子戸の処まで達してもなんらの便もない。モウいくら靴音をさせようと思っても場所がないのである、まさか体操の時のように足踏をする訳にも行かず。ああまたもや失敗した。今度こそは本当に帰らざるを得ないのだ。彼は第二の溜息を突いた。しかし窮すれば策はあるもので、彼はまた一策を案出したのである、それは帰りに一層高く靴音をさせることである。そうすればあるいは室内の人がそれと気が付いて開けてくれるかも知れない。実に窮策である。彼は実行してみた、すると果して内から下女の寐ぼけた声が聞えた、「操様」と云うようである、彼はいささか成功を期したが無益であった。彼は暫時息を殺して立ち止っていた。もし巡査にでも見られた日には盗賊の名を負わされたかも知れない。彼は最後の冒険を試みた――然り冒険である。今度は忍足ではない、彼は堂々と裏へ廻ったが果して光は大きかった、これ実に暗黒洞中の一道の光明――渇虎の清泉――。
「どなたですか」と誰かが縁側で問う。
「僕です」と答えた彼の調子は慄えるのであった。彼は彼なることを知らせんがためにわざと顔を光りの方へ向けつつ「モウ御休みになるのかと思いまして……」。
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主人が勧むるに任せて彼は靴を脱いで上った。主人は座蒲団を勧めたが彼は有難いとも思わないようである。
「試験は御済みになりましたか」と主人は読んでいた雑誌を本立に立てながら聞いた。
「ハイ、今朝までに済みました。で貴公方は?」これは上辺の挨拶に過ぎぬのである。かような会話は固より彼の好むところではない、むしろ厭う方である。彼は単刀直入「操君は居りますか」と聞きたかった。しかも彼はこれが出来ない、力めて己の胸中を相手に知らせまいとする、しかし顔は心の間者でいかに平気を装おうとしても必ず現われるのである。主人は訝しそうに彼の横顔を見詰めていた。
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「どうも今年は格別蒸暑うございますね」と文吉は「操に僕の来たことを知らせたい、しかし知られるのは恥しい」と思いながら答えた。直接知らせないで知って貰うのが彼の希望なのである。操は襖を一枚隔てた室に居る、文吉は頭の中で操の像を描きつつ「モウ知りそうなものだ、彼が来ていることを知りながらも出て来ないのであろうか」と思った。
やがて彼と同室の生徒が入って来た、文吉は何となく喜んでわざと声を高くして「御勉強ですか」と問うた。彼は「ハイ」と答えて自分の室へ帰った、多分僕が来たということを知らせるためだろうと文吉は思った、しこうして喜んだ、がなんらの便もない、彼は居ないのであろうかと疑ってみた、しかし確かに居る、今何か囁いているのを聴いた。彼は確かに居るのだ。しかも彼は知らん顔して澄ましているのであろうか、どうしたのだろう、人間にしてどうしてこんな残酷なことが出来るのだろう実に残酷である。
彼はブルブルと慄えた。彼の身体は熱湯を浴びせかけられたようで息はますます荒く眼は凄みを帯びて来た。主人はいよいよ訝かしげに彼の顔を見詰めていた。彼はモウ居たたまらなくなった。ああ、胸よ裂けよ、血よほとばしれ、身体よ冷えよ、吾は爾のために血を流した、爾は吾に顔をも見せぬのか。
彼が主人の止めるのも聞かないでここを出たのは、十時を少過ぎた頃であった。
彼は失望、悲哀、憤怒のために夢中になり、狂気になって帰途に就いた。薄暗い町の中はヒッソリと寐静まって、憐れな按摩の不調子な笛の音のみ、湿っぽい夏の夜の空気を揺るのであった。
文吉は十一の時に父母に死なれて、隻身世の中の辛酸を甞めた。彼は親戚を有せぬでもなかったが、彼の家の富裕であった時こそ親戚ではあったけれど、一旦彼が零落の身になってから、誰一人彼を省みるものはなかった。彼の身に付き添いたる貧困の神は、彼をして早く浮世を味わしめたのである。彼が十四頃にはすでに大人びて来て、紅なす彼の顔から無邪気の色は褪めてしまった。
彼は聡明の方で、彼の父は彼に小学など教えてはその覚の好いことを無上の喜楽として、時々は貧困の苦痛をも忘れていた。彼が父母に死なれて、後二三年間というものは、東漂西流実に憐なものであった、しかしそのうちにも彼は友人より書籍を借りて読み、順序ある学校教育は受けることが出来なかった。けれども彼の年輩の少年に負は取らなかった。彼は家庭の影響と貧苦の影響とで至って柔和な少年であった、――むしろ弱い少年であった。にも拘わらず彼は非常な野心を抱いていた。何んとかして一度世間を驚かしたい、万世後の人をして吾が名を慕わしめたいというのは、つねに彼の胸に深く潜んで離れないところであった、これがために彼は一層苦んだのである。彼は何の為すところなく死することを恐れた。ここに一道の光明は彼に見われた、それはある高官の世話で東京に留学することになったことである。実に彼の喜は一通でなかった、彼は理想に達するの門を見付けたように雀躍したのである。
彼は早速東京へ出て芝なるある中学の三年に入学した。成績も好い方で皆にも有望の青年視せられた、云わば彼は暗黒より光明に出たようなものである。しかしその実彼は幸福ではなかった、彼は漸く寂寞孤独の念を萠して来た、日々何十人何百人という人に逢うけれども一人も彼に友たる人は無かった、それがために彼は歎いた。泣いた。悲哀の種類多しといえども、友を有せぬほどの悲哀はないとは彼の悲哀観であった。
彼は夢中になって友を探した、けれども彼に来るものは一人もなかった。往々無いでもなかったが一人も彼に満足を与える者はなかった、すなわち彼の胸中を聴いてくれる人はなかった。彼の渇はますます激しく、苦はますますその度を高めるのみである。十六億あまりの人類のうち吾が胸を聴いてくれる人はなきかと彼は歎声を吐いた。かくて彼はますます弱くなり、ますます沈欝になって、話好の彼も漸く口をきかないようになり、人と交わることさえ厭うようになって来たのである。彼は日記帳に彼の胸中を説いて、やっと自慰めたくらいである。彼は断念めようと思った、しかしこれは彼のなし得るところではなかった。そこに無限の苦は存するのだ。かくて二歳は流れた。
今年の一月彼はある運動会で一少年を見た、その時のその少年の顔には愛の色漲り、眼には天使の笑浮んでいた、彼は恍惚として暫く吾を忘れ、彼の胸中に燃ゆる焔に油を注いだのである。この少年は即ち操である。彼はこれこそと思った。
彼は書面もて己の胸中を操に語り、かつ愛を求めた、すると操も己の孤独なること、彼の愛を悟りたること、自分も彼を愛するとのことを書いて送った。文吉がこの書を受けた時の心持は如何であったろうか。文吉は喜んだ、非常に喜んだ、しかし胸中の煩悶は消えない、消えるどころか新しい煩悶は加わったのである。操は至って無口の方である。これを文吉は無上の苦痛としていった。文吉は操が自分を愛してくれないように感じた、いかにも彼には冷淡であるように感じた、彼は操を疑ってもみたが、疑いたくはないので、無理に彼は自分を愛しているものと定めていた。そこに苦痛は存するのである。彼は操を命とまで思っていた。日夜操を思わん時はない、授業中すらも思わざるを得なかった。
彼は思った、彼は苦んだ、思っては苦み苦んでは思う、これ彼の操に逢いし以外の状態である。一月以後の彼の日記には操のことを除くの外は何もなかった。また操の顔を見れば喜ぶのである。これ何が故だろう、何のためだろう、彼自身すらも解らなかった。「我はなぜ彼を愛するのだろう、なぜ彼に愛せられたのだろう、我はなんらの彼に要求すべきものはないのに」とは彼の日記の一節である。彼は操に逢えば、帝王の席にでも出されたように顔も上げられぬ、口も利けぬ、極めて冷淡の風を装うのが常である、彼はまたこの理由をも知らぬ、ただ本能的なのである、それで彼は筆を口に代えた。三日前に彼は指を切って血書を送った。
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彼は無感覚に歩を移しつつ考えているのである。ああ死にたくなった、モウこの世に居たくない、玉川電車の線路か、早十一時――、モウ電車は通うまい、ヨシ汽車がある、轟々たる音一度轟けば我はすでにこの世に居ないのだ。我も自殺を卑んだ一人である、自殺の記事を見てはいつも唾し罵った一人である。しかるに今になっては、我自身が自殺しようとする、妙ではないか。我は大いなる理想を抱いていた、これを遂げることが出来ずに死ぬのは実に残念だ、我れ死んだら老いたる祖父や幼ない妹はいかに歎くであろう、しかしこの瞬間に於いて我が死を止めてくれる者がないから仕方がないのだ。今や死すると生きるとは全く我が力以外にあるのである。
彼は渋谷の踏切さして急いだ。闇の中からピューと汽笛が聞える。こいつ旨いと駆けて来ると黒い人が出て来てガラガラと通行止めた、馬鹿馬鹿しい、死ぬ時までも邪魔の神は付纏う。汽車は無心にゴロゴロと唸りながら過ぎ去った。彼は線路に付いて三間ばかり往って、東の方のレールを枕に仰向けになって次の汽車の来るのを今か今かと待ちつつ、雲間を漏れる星の光りを見詰めていた。ああ十八年間の我が命はこれが終焉なのである、どうぞ死んで後は消えてしまえ、さもなくば無感覚なものとなれ、ああこれが我が最後である小き胸に抱いていた理想は今何処ぞ、ああこれが我が最後である、ああ淋しい、一度でも好いから誰かに抱かれてみたい、ああたった一度でも好いから。星は無情だ。汽車はなぜ来ないのだろう、なぜ早く来て我がこの頭を砕いてくれないのだろう。熱き涙は止めどなく流れるのであった。 | 底本:「〈外地〉の日本語文学選3 朝鮮」新宿書房
1996(平成8)年3月31日第1刷発行
底本の親本:「白金学報 第一九号」
1909(明治42)年12月
初出:「白金学報 第一九号」
1909(明治42)年12月
※底本の編者による脚注は省略しました。
※初出時の署名は「李寳鏡」です。
※「ちょっと顔を※[#「口+陟のつくり+頁」、第3水準1-15-29]《しか》める」の「口」の部分が底本では印刷の汚れで「日」に見えています。
入力:坂本真一
校正:hitsuji
2020年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "053796",
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"初出": "「白金学報 第一九号」1909(明治42)年12月",
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長イモノ
短イモノ
十文字
×
然シ CROSS ニハ油ガツイテイタ
墜落
已ムヲ得ナイ平行
物理的ニ痛クアツタ
(以上平面幾何学)
×
をれんぢ
大砲
匍匐
×
若シ君ガ重症ヲ負フタトシテモ血ヲ流シタトスレバ味気ナイ
おー
沈黙ヲ打撲シテホシイ
沈黙ヲ如何ニ打撲シテ俺ハ洪水ノヨウニ騒乱スベキカ
沈黙ハ沈黙カ
めすヲ持タヌトテ医師デアリ得ナイデアラウカ
天体ヲ引キ裂ケバ音位スルダラウ
俺ノ歩調ハ継続スル
何時迄モ俺ハ屍体デアラントシテ屍体ナラヌコトデアラウカ
1931・6・5 | 底本:「李箱作品集成」作品社
2006(平成18)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会
1931(昭和6)年7月
初出:「朝鮮と建築 第十集第七号」朝鮮建築会
1931(昭和6)年7月
※底本の編者による語注は省略しました。
入力:坂本真一
校正:きゅうり
2018年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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最モ無力ナ男ニナルタメニ私ハ痘痕デアツタ
世ノ一人ノ女性モガ私ヲ顧ルコトハナイ
私ノ怠惰ハ安心デアル
両腕ヲ剪リ私ノ職務ヲ避ケタ
モウ私ニ仕事ヲ云ヒ付ケル者ハナイ
私ノ恐レル支配ハドコニモ見当ラナイ
歴史ハ重荷デアル
世ノ中ヘノ私ノ辞表ノ書方ハ尚更重荷デアル
私ハ私ノ文字ヲ閉ジテシマツタ
図書館カラノ召喚状ガモウ私ニハ読メナイ
私ハモウ世ノ中ニ合ハナイ着物デアル
封墳ヨリモ私ノ義務ハ少ナイ
私ニハナニモノカヲ理解スル苦シミハ完全ニナクナツテイル
私ハ何物ヲモ見ハシナイ
デアレバコソ私ハ何物カラモ身ヘハシマイ
始メテ私ハ完全ナ卑怯者ニナルコトニ成功シタ訳デアル | 底本:「李箱詩集」花神社
2004(平成16)年4月1日初版1刷
底本の親本:「李箱詩全作集」甲寅出版社
1978(昭和53)年5月5日発行
※本文末の蘭明氏による注は省略しました。
入力:坂本真一
校正:hitsuji
2021年9月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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林檎一個が墜ちた。地球は壊れる程迄痛んだ。最後。
最早如何なる精神も発芽しない。 | 底本:「李箱詩集」花神社
2004(平成16)年4月1日初版1刷
底本の親本:「李箱全集 第二巻 詩集」泰成社
1956(昭和31)年
※本文末の蘭明氏による注は省略しました。
入力:坂本真一
校正:hitsuji
2021年11月27日作成
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夏場の市はからきし不景気で、申ツ半時分だと露天の日覆の影もそう長くは延びていない頃だのに、衢は人影もまばらで、熱い陽あしがはすかいに背中を焙るばかりだった。村のものたちはあらかた帰った後で、ただ売れはぐれの薪売りの組がはずれの路傍にうろうろしているばかりだが、石油の一と瓶か乾魚の二三尾も買えばこと足りるこの手合を目当にいつまでも頑張っている手はなかった。しつこくたかってくる蠅と餓鬼共もうるさい。いもがおで左利きの、太物の許生員は、とうとう相棒の趙先達に声をかけた。
――たたもうじゃねえかよ。
――その方が気が利いてるだ。蓬坪の市で思うようにはけたこたあ一度だってありゃしねえ。明日は大和の市じゃで、もりかえしてやるだよ。
――今夜は夜通し道中じゃ。
――月が出るぜ。
銭をじゃらじゃら鳴らせ、売上高の勘定を始めるのを見ると、許生員は𣏾から幅ったい日覆を外し、陳列してあった品物を手繰り寄せた。木綿類の畳物と綢類の巻物で、ぎっしり二た行李に詰った。筵の上には、屑物が雑然と残った。
市廻りの連中は、おおかたみせをあげていた。逸疾く出発して行くのもいた。塩魚売りも、冶師も、飴屋も、生姜売りも、姿は見えなかった。明日は珍富と大和に市が立つ。連中はそのどちらかへ、夜を徹し六七里の夜道をてくらなければならなかった。市場は祭りの跡のようにとり散らかされ、酒屋の前では喧嘩がおっ始まっていたりした。酔痴れている男たちの罵声にまじって、女の啖呵が鋭く裂かれた。市日の騒々しさは、きまって女の啖呵に終るのだった。
――生員。俺に黙ってるだが、気持あ解るだよ。……忠州屋さ。
女の声で、思い出したらしく、趙先達は北叟笑みをもらした。
――画の中の餅さ。役場の連中を、相手じゃ、勝負にならねえ。
――そうばかりもゆくめえ。連中が血道を上げてるのも事実だが、ほら仲間のあの童伊さ、うまくやってるらしいで。
――なに、あの若僧が。小間物ででも釣っただべえ、頼母しい奴だと思ってただに。
――その道ばかりゃあ判んねえ。……思案しねえと、行ってみべえ。俺がおごるだよ。
すすまないのを、跟いて行った。許生員は女にはとんと自信がなかった。いもがおをずうずうしくおしてゆくほどの勇気もなかったが、女の方からもてたためしもなく、忙しいいじけた半生だった。忠州屋のことを、思って見ただけで、いい年して子供のようにぽっとなり、足もとが乱れ、てもなくおびえ竦んでしまう。忠州屋の門をくぐり酒の座席で本当に童伊に出会わした時にはどうしたはずみでか、かっと逆上せてしまった。飯台の上に赭い童顔を載せ、いっぱし女といちゃついているところを見せつけられたから、我慢がならなかった。しゃらくせえ野郎、そのだらしねえ様は何だ、乳臭え小僧のくせに、宵の口から酒喰らいやがって、女とじゃれるなあ、みっともねえ、市廻りの恥曝しだ、それでいておいらの仲間だと言えるかよ。いきなり若者の前に立ちふさがると、頭ごなしに呶鳴りつけた。大きにお世話だと云わぬばかりに、きょとんと見上げる赤い眼にぶっつかると、どうしても頬打を喰わしてやらずにはおれなかった。童伊はさすがにかっとなって立ち上ったが、許生員は構わず言いたいだけを言ってのけた。――どこの何者だかは知んねえが、貴様にもててはたまるべえ、そのはしたねえ恰好見せつけられたら何と思うかよ、商売は堅気に限る、女なんてもっての外だ、失せやがれ。さっさと失せやがれ。
しかし一言も歯向かわず悄らしく出てゆくのをみると、いじらしくなって来た。まだ顔覚えな仲間にすぎない、まめな若者だったのに、こっぴどすぎたかなあ、と何か身につまされて気にかかった。随分勝手だわ、同じ客同志なのに、若いからって息子同様の相手をとらえて意見したり乱暴したりするほうってないわよ。忠州屋は唇を可愛くひんまげ、酒を盛る手つきも荒々しかったが、若えものにゃあその方が薬になるだよと、その場は趙先達がうまくとりつくろってくれた。お前、あいつに首ったけだな、若えのをしゃぶるなあ罪だぜ。ひとしきり敦圉いた後とて度胆も坐ってきた上に、なぜかしらへべれけに酔ってみたい気持もあって、許生員は差される盃は大抵拒まなかった。酔が廻るにつれ、しかし女のことよりは若者のことが一途に気になってきた。儂風情が女を横取りしてどうなるというのだ、愚にもつかないはしたなさを、はげしくきめつけるこころも一方にはあった。だからどれほど経ったか、童伊が息をきらしながら慌てて呼びに来た時には、飲みかけの盃を抛り、われもなくよろめきながら、忠州屋をとび出したのだった。
――生員の驢馬が、綱をきってあばれ出したんだ。
――餓鬼共のいたずらに違いねえ。
驢馬もさることながら、童伊の心掛けが胸にしみて来た。すたこらすたこら衢をぬけて走っていると、とろんとした眼が熱くなりそうだった。
――伝法な野郎共ときたら、全くしまつにおえねえ。
――驢馬を嫐る奴あ、ただではおかねえぞ。
半生を共にしてきた驢馬だった。一つ宿に寝、同じ月を浴び、市から市をてくり廻っているうち、二十年の歳月がめっきり老を齎らしてしまった。すりきれたくしゃくしゃの鬣は、主のそそけた髪にも似て来、しょぼしょぼ濡れている眼は、主のそれと同じくいつも目脂をたたえていた。箒みたいに短くなった尻尾は、蠅をおっ払うため精一杯振ってももう腿には届かなかった。次の道中にそなえるため、すり減った蹄を削り削り何度新しい鉄を嵌め換えたか知れない。だがもう蹄は延びなくなり、すり切れた鉄のすきまからは痛々しく血がにじみ出ていた。匂で主人が判った。いつも訴えるような仰山な嘶き声で迎える。
よし、よし、と赤児でもあやす気持ちで頸筋を撫でてやると、驢馬は鼻をびくつかせながら口をもってきた。水っ洟が顔に散った。許生員は馬煩悩だった。よっぽど悪戯がきいたと見え、汗ばんだ躯がびくびく痙攣りなかなか昂奮のおさまらぬ面持だった。馬勒がとれ、鞍もどこかへ落ちてしまっている。やい、しょうちのならねえ餓鬼共、と許生員は我鳴り立ててもみたが、連中はおおかた散り失せたあとで、数少くとり残されたのが権幕に気圧されあたりから遠のいているだけだった。
――いたずらじゃねえ。雌を見て、ひとりで暴れ出したんだ。
洟っ垂の一人が、不服そうに遠くから呶鳴り返してきた。
――なにこきやがる、黙れ。
――ちがう、ちがうだよ。あばたの許哥め。金僉知の驢馬が行っちまうと、土を蹴ったり、泡をふいたり、気違いみてえに狂い出したんだ。おいら面白がって見ていただけだい。お腹の下をのぞいてみい。
小僧はませた口吻で、躍気になってわめきながら、きゃっきゃっ笑い崩れた。許生員は我知らず、忸怩と顔を赧らめた。あけすけな無遠慮な部分は、まだ踊り狂っている残忍な視線からかばい匿すように、許生員はその前に立ちはだからねばならなかった。
――おいぼれのくせに、いろ気違いだよ、あのけだものめ、
許生員は、はっとなったが、とうとう我慢がならず、みるみる眉をひきつらすと、鞭をふりあげ遮二無二小僧をおっかけた。
――追っかけてみるがええ。左利きが殴れるかい。
韋駄天に走り去る小僧っ子には、おいつきようもなかった。左利きは全く子供にも叶わない。許生員は破れかぶれに鞭を抛ってしまうより外なかった。酔も手伝ってからだが無性に火照り出した。
――ええ加減出発した方がましだよ。奴等を相手じゃきりがねえ。市場の餓鬼共ときたら怖ろしいやつらばかりで、大人よりもませてやがるだでな。
趙先達と童伊は、めいめいの驢馬に鞍をかけ、荷物を載せはじめていた。陽も大分傾いたようだった。
太物の行商を始めてから二十年にもなるが、許生員は滅多に蓬坪の市を逸らしたことはなかった。忠州や堤川あたりの隣郡をうろついたり、遠く嶺南地方にのびたりすることもあるにはあったが、江陵あたりへ仕入れに出掛ける外は、始終一貫郡内を廻り歩いた。五日毎の市の日には月よりも正確に面から面へ渡って来る。郷里が清州だと、誇らしげに言い言いしてはいたが、そこへおちついたためしはない。面から面への美しい山河が、そのまま彼にはなつこい郷里でもあった。小半日もてくって市場のある村にほぼ近づき、ほっとした驢馬が一と声景気よく嘶く時には――殊にそれが晩方で、村の灯がうす闇の中にちらちらでもする頃合だと、いつものことながら許生員はきまって胸を躍らせた。
若い時分には、あくせく稼いで一と身代拵えたこともあったが、邑内に品評会のあった年大尽遊びをしたり博打をうったりして、三日三晩ですっからかんになってしまった。驢馬まで売りとばすところだったが、なついて来るいじらしさにそれだけは歯を喰いしばって思い止った。結局元の木阿弥のまま行商をやり直す外はなかった。驢馬をつれて邑内を逃げ出した時には、お前を売りとばさんでよかった、と道々男泣きに泣きながら、伴侶の背中を敲いたものだった。借金が出来たりすると、もう身代を拵えようなんてことは思いもよらず、いつも一杯一杯で、市から市へ追いやられるばかりだった。
大尽遊びとはいえ、女一匹ものにしたことはない。そっけないつれなさに、わが身の情なさをしみじみ悟らされるばかりで、このからだじゃ生涯縁がないものと、観念しなければならなかった。近しい身内のものとては、前にも後にも一匹の驢馬があるきりだった。
それにしても、たった一つの最初の想出があった。あとにもさきにもない、一度きりの、奇しき縁ではあった。蓬坪に通い出して間もない、うら若い時分のことだったが、それを思い出す時ばかりは、彼も、生甲斐を感じた。
――月夜だっただが、どうしてそねえなことになったか、今考えてもどだい解りゃしねえ。
許生員は今宵もまたそれをほぐし出そうとするのである。趙先達は相棒になって以来、耳にたこの出来るほど聞かされている。またか、またかとこぼすけれども、許生員はてんでとりあわずに繰返すだけは繰返した。
――月の晩にゃ、そういう話に限るだよ。
さすがに趙先達の方を振り返ってはみたが、気の毒がってではない、月のよさに、しみじみ感動してであった。
虧けてはいたが、十五夜を過ぎたばかりの月は柔和な光をふんだんにふり濺いでいた。大和までは七里の道のりで、二つの峠を越え一つの川を渉り、後は原っぱや山路を通らなければならなかったが、道は丁度長いなだらかな山腹にかかっていた。真夜中をすぎた頃おいらしく、静謐けさのさなかで生きもののような月の息づかいが手にとるように聞え、大豆や玉蜀黍の葉っぱが、ひときわ青く透かされた。山腹は一面蕎麦の畑で、咲きはじめたばかりの白い花が、塩をふりかけたように月に噎せた。赤い茎の層が初々しく匂い、驢馬の足どりも軽い。狭い路は一人のほか通さないので、三人は驢馬に乗り、一列に歩いた。鈴の音が颯爽と蕎麦畑の方へ流れてゆく。先頭の許生員の話声は、殿の童伊にはっきりと聞きとれなかったが、彼は彼自身で爽やかな気持に浸ることも出来た。
――市のあった、丁度こねえな晩だったが、宿の土間はむさ苦しゅうてなかなか寝つかれも出来ねえ、とうとう夜中に一人でぬけて川へ水を浴びに行っただ。蓬坪は今もその時分も変りはねえがどこもかしこも蕎麦の畑で、川べりは一面の白い花さ。川原の上で結構宜かっただに、月が明るすぎるだで着物を脱ぎに水車小屋へ這入ったさ。ふしぎなこともあればあるものじゃが、そこで図らずも成書房の娘に出会しただよ。村いっとうの縹緻よしで、評判の娘だっただ。
――運てやつだべ。
そうには違いねえ、と相槌に応じながら、話の先を惜しむかのように、しばらく煙管を吸い続けた。紫の煙が香ばしく夜気に溶け込んだ。
――儂を待ってたわけじゃねえが、外に待つ人があったわけでもねえ。娘は泣いてるだよ。うすうす気はついていただが、成書房はその時分くらしがえろうてほどほど弱ってるらしかっただ。一家のことだで娘にだって屈託のねえはずはねえ。ええとこがあればお嫁にもゆかすのだが、お嫁はてんでいやだときてる、……だが泣いてる女って格別きれいなものじゃ。はじめは驚きもした風だったが、滅入っている時にゃ気持もほぐれ易いもので、じき知合のように話し合っただ。……愉しい怖え夜じゃった。
――堤川とかへずらかったなあ。あくる日だっただな。
――次の市日に行った時にゃ、もう一家はどろんを極めていなくなっただよ。まちは大変な噂で、きっと酒屋へ売られるにきまってると、娘は皆から惜しまれてただ。幾度も堤川の市場をうろついてはみただが、女の姿はさらに見当らねえ、縁の結ばれた夜が、縁の切れ目だっただ。それからというもの蓬坪が好きんなって、半生の間通い続けさ。一生忘れっこはねえ。
――果報者だよ。そねえにうめえ話って、ざらにあるものじゃねえ。大抵つまらねえ女と否応なし一緒んなって、餓鬼共ふやして、考えただけでうんざりする。……だがいつまでも市廻りでくらすのも豪うてな、俺あこの秋までで一先ずきりあげ、どこかへ落着こうかと思うだよ。家のもの共呼び寄せ、小さな店をもつだ。道中はもうこりごりだでな。
――昔の女でも見付け出しゃ、一緒にもなろうが。……儂あ、へたばるまで、この道てくってこの月眺めるだよ。
山腹を過ぎ、道も展けて来たので、殿の童伊も前へ寄って出た。驢馬は横に一列をつくった。
――お前も若えじゃで、うまうやりおるべえ。忠州屋ではついのぼせてあねえなしまつになっただが、悪う思わんどくれよ。
――ど、どうして、かえって有りがてえと思っとるくらいだ。女なんて柄にもねえ、おふくろのことで今一杯なんだ。
許生員の物語でつい考え込んでいた矢先だったので、童伊の口調はいつになく沈んでいた。
――てては、と云われて、胸を裂かれる思いだったが、俺にはそのてておやがねえんだよ。身内のものとては、おふくろ一人っきりだ。
――亡くなっただか。
――始めからねえんだ。
――そねえな莫迦な。
二人の聴手がからからと仰山に笑うと、童伊はくそ真面目に抗弁しなければならなかった。
――恥かしゅうて云うめえと思ったが、本当なんだ。堤川の田舎で月足らずのててなし児を産みおとすと、おふくろは家を追い出されてしまったんだ、妙な話だが、だから今までてておやの顔を見たこともなければ、居処さえも知らずにいる。
峠の麓へさしかかったので、三人は驢馬を下りた。峠は嶮しく、口を開くのも臆劫で、話も途切れた。驢馬はすべりがちで、許生員は喘ぎ喘ぎ幾度も脚を歇めなければならなかった。そこを越える毎に、はっきりと老が感じられた。童伊のような若者が無性に羨しかった。汗が背中をべっとり濡らした。
峠を越すとすぐ川だったが、夏の大水で流失された板橋の跡がまだそのままになっているので、裸で渉らなければならなかった。下衣を脱ぐと帯で背中に括りつけ、半裸の妙な風体で水の中に跳び込んだ。汗を流したやさきではあったが、夜の水は骨を刺した。
――で全体、誰に育てて貰ったんだよ。
――おふくろは仕方なく義父のところへやられて、酒屋を始めたんだ。のんだくれで、ええ義父ではなかった。ものごころがついてからというもの、俺は殴られ通しだった。おふくろも飛ばっちりを喰って、蹴られたり、きられたり、半殺しにされたり、さ。十八の時家をとび出してからというもの、ずっとこの稼業の仲間入りだよ。
――道理でしっかりしてるたあ思っただが、聞いてみりゃ気の毒な身の上じゃな。
流れは深く、腰のところまでつかった。底流も案外に強く、足裏にふれる石ころはすべすべして、今にもさらわれそうだった。驢馬や趙先達は早くも中流を渡りきり岸に近づいていたが、童伊は危っかしい許生員を劬わりがちで、ついおくれなければならなかった。
――おふくろの里は、もとから堤川だったべえか。
――それが違うだよ。何もかもはっきり言ってくれねえから判んねえが、蓬坪とだけは聞いている。
――蓬坪。で、その生みのてておやは、何ていう苗字だよ。
――不覚にも、聞いておらねえ。
そ、そうか、とそそかしく呟きながら眼をしょぼしょぼさせているうち、許生員は粗忽にも足を滑らしてしまった。前につんのめったと思う間に、体ごとさらわれてしまった。踠くだけ無駄で、童伊がいけねえっと近よってきた時には、早くも数間流されていた。着物ごとぬれると、犬ころよりもみじめだった。童伊は水の中で易々と大人をおぶることが出来た。びしょ濡れとはいえ、痩せぎすの体は背中に軽かった。
――こねえにまでして貰ってすまねえ。儂今日はどうかしてるだよ。
――なに、しっかりなせえ。大丈夫だい。
――で、おふくろというなあ、父を探してはおらねえかよ、
――生涯一度会いたいとは云ってるだが。
――いま何処にいる。
――義父とももう別れて、堤川にいるんだが、秋までに蓬坪へ連れてきてやろうと思うんだ。なに、まめに働けば何とかやってける。
――殊勝な心掛けだ。秋までにね。
童伊のたのもしい背中を、骨にしみて温く感じた。川を渡りきった時にはものさびしく、もっとおぶって貰いたい気もした。
――一んちどじばかり踏んで、どうしただよ。生員。
趙先達はとうとう笑いこけてしまった。
――なに、驢馬さ。あいつのこと考えてるうち、うっかり足を辷らしちゃっただ。話さなかっただが、あいつあれでも仔馬産ませやがってな。邑内の江陵屋んとこの雌馬にさ。いつも耳きょとんと欹て、すたこらすたこら駈け歩いて、可愛い奴だ。儂あそいつ見たさに、わざわざ邑内へ廻ることがあるだよ。
――なるほど大した仔馬だ。人間を溺れさすほどの代物なら。
許生員はいい加減しぼって着始めた。歯ががたがた鳴り、胸が震え、無性に寒かったが、心は何となくうきうきとうわつき、軽かった。
――宿のあるところまで急ぐだ、庭に焚火して、一服しながらあたるだよ。驢馬にゃ熱い秣をたらふく喰わしてやる。明日の大和の市がすんだら、堤川行きだでな。
――生員も堤川へ。
――久方振りで行きとうなった。お伴すべえよ、童伊。
驢馬が歩き出すと、童伊の鞭は左手にあった。長い間迂闊であった許生員も、今度ばかりは童伊の左利きを見落すわけにはゆかなかった。
足なみも軽く、鈴がひときわ爽かに鳴り響いた。
月が傾いていた。 | 底本:「〈外地〉の日本語文学選3 朝鮮」新宿書房
1996(平成8)年3月31日第1刷発行
底本の親本:「文学案内」
1937(昭和12)年2月号
初出:「文学案内」
1937(昭和12)年2月号
※底本の編者による脚注は省略しました。
入力:坂本真一
校正:hitsuji
2020年1月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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秋が来る。山風が吹き颪す。欅や榎の葉が虚空へ群がってとびちる。谷川の水が澄みきって落栗が明らかに転びつつ流れてゆく。そうすると毎年私の好奇心が彼の大空へ連なり聳えた山々のふところへ深くもひきつけられる。というのは其の連山のふところにはさまざまの茸が生えていて私の訪うのを待っていて呉れる。この茸は全く人間味を離れて自然の純真な心持を伝え、訪問者をして何時の間にか仙人化してしまう。その仙人化されてゆくところに私は大なる興味をおぼえ、快い笑みを浮べつつ歓喜の心を掻き抱く。私の感受性にうったうる自然の感化は山国生活の最も尊重すべき事の一つである。
で、私は好晴の日を見ては屡々山岳の茸を訪問する。敢て訪問するというのは、毒茸が多くて食すべき大獲物に接し得ないことと、前述の意味に出発点を置くところから狩るというような残忍な語を使用したくないので云う言葉である。茸訪問については屡々私は一人の案内者を伴うことがある。案内者の名を仮に粂吉と呼ぶ。幾春秋山中の日に焦かれた彼の顔は赤銅色を呈している。翁の面のようにも見える。長い眉毛が長寿不老というような語を思わせる。明治十二三年頃買って其の儘用い来ったという陣笠のような猟帽を頭へ戴いて、黒い古紐が面のような顔をキリリと結んでいる。彼の歩みは私のようにせせこましく歩くことなしに緩々と鷹揚な運びである。それでいて私よりも迅い。
先ず、端山の楢や櫟などの生い茂った林からはいり始める。林にはどこにも見るような萓や女郎花、桔梗、萩などの秋草が乱れ咲いて朝露が粒だって葉末にとまっている。落葉がかなり散り敷いて草の葉末にも懸ったりして見える中に、桜落葉は最も早くいたいたしく紅葉したのが其の幹を取り巻いて、一と所ずつ殊に多く濃い色彩を放って見える。そんなところに偶々シメジと呼ぶ白い茸が早く簇生していることがあるので、注意深い眼を見張って桜の幹に片手をかけつつ、くるりと向うへ繞って行く粂吉を見ることがある。私もしばらくの間は必ず一度は粂吉の眼をつけたところへ眼をつけて、彼が通って行くところと余り離れない場所を踏んで登って行くのを常とするのであるが、一二時間の後にはもう自分自身の道を見出して進んでゆきつつあることに気がつく。
草鞋の軽い足どりに蹴返さるる落葉の音が四辺の静かさを破ってひっきりなしに続いてゆく。朝露が裾一尺ばかりを湿して草鞋はだんだん重たくなってくる。朝日がようよう高い東嶺を抜け出て樹々の葉を透してくる。眼前がきらきらして一しきりこれと定めて物を見極めにくくなる。そんな時俄にけたたましい音がして、落葉樹の間から山鳥が飛びあがることがある。彼の羽色は濃い茶褐色で落葉の色に似通っているところから、草叢の間を歩いているときなどは余程近くに在っても中々見定めにくいのであるが、その牡鳥は多くは二尺位もある長々しい尾を持っているので、飛んで行く後ろ影を眺めわたすと、鮮かに他の鳥と区別することが出来る。その長い尾を曳いて両翼を拡げつつ露の中を翔んで行くさまは、非常に迅速であるが又もの静けさの極みである。粂吉は近寄って来て、「今のは大丈夫撃てやしたね」というようなことを言う。今はやめて居るにしても、昔からつい四五年前まで甲斐東方のあらゆる深山幽谷を跋渉し尽した彼は、猟銃をとっては名うての巧者である。眺望の好い場所を択んで先ず一服という。煙草を吸うのである。煙管が二三服吸っている中につまってしまうことなどがある。彼は腰を伸ばして傍らに生い立った萓の茎を抜き取る。滑らかに細長い萓の茎はいいあんばいに煙管の中を通りぬけて苦もなく旧に復し、又彼をして好い工合に煙草を吸わせる。煙草の煙は白い輪を画いて、彼の猟帽の端から頭近くのぞいた楢の葉に砕かれたり、或は薄々と虚空へ消えていったりする。立ち上ってこれから先きの連山に対してあれかこれかと選択する。山国の秋ほどすがすがしく澄みわたることはなかろう。山々峰々が碧瑠璃の虚空へ宛然定規など置いたように劃然と際立って聳えて見える。その一つ一つを選択するのである。すぐに決定する。歩み出すとき、軽々しい足取りが思わず大空の遠い薄雲を眺めさしたり、連峰の肩に鮮かに生い立った老松の影をなつかしいものの限りに見詰めさせたりする。
松林へはいってゆく。そうすると今までもの静かであった四辺が俄に騒々しいような気がして、何となく左顧右眄せしめらるるような気がしてくる。粂吉も連れず一人でそんなところを歩いているとき、不図綺麗な松落葉の積った箇所を見つけ出して緩々と腰かけて憩んで居るときなどその騒々しい気分がよく了解されてくる。多くは極めて幽かな山風が松の梢を渡って行くために起る松籟が耳辺を掠めてゆくのである。そうしたことが知れるとその騒々しさは忽ち静寂な趣に変ってゆく。仰いで大空を蔽う松葉を眺めると、その間に小さな豆のような小禽が囀りながら虫をあさっている。豆のような小禽とはいうものの枳殻の実ほどはある。それに、躯に比較しては長過ぎる二三寸の尾を動かしながら頻りに逆に松の枝へ吊さっては餌をむさぼる。尾に触れ嘴に打たれて、小さな松の皮、古松葉などがはらはらと落ちて来る。そのうちにはどうかすると遠い海嘯のような大きな音をたてる烈しい松籟が押し寄せることがある。彼等は慌しく吹き飛ばさるるように何処ともなく消え去ってしまう。人間によって彼は松毟鳥と名づけられた。
登るともなくだんだん登って行って、ふり返って見ると、何時しか案外高いところへ登って来ていることに気がつく。又一休みしようかなどと思う。そんな時不図傍らを見ると、背を薄黒く染めて地に低く生え立った猪の鼻と呼ぶ茸が、僅に落葉の間から顔を出している。私はその時急速に上体をかがめて近寄り、すぐに手を出したくなるのであるが、じっとその心を制えて一休みすることにする。ポケットから取り出される煙草が火を点けられる。煙草の煙の中から見張る眼に、次ぎ次ぎに茸の親族が見え出してくる。この猪の鼻という茸は単に一本生えているということは尠い、多くは十数本もしくは数十本数百本の夥しきに及ぶことがある。親しげな情を動かして一本一本静かにこれを抜き取ってから、予め用意してきた嚢の中へ入れる。
そうした時もし粂吉と一緒であるならば、私は何時もきまって大きな声をあげて彼を呼ぶ。いい工合にすぐ近傍に彼を見出すときはいいが、どうかすると非常に遠く離れていることがある。その時は二声も三声も呼ぶ。山彦が遥かの峰から応えて、少し後れながら淋しい趣きをそえつつ同じ声をもって来る。時とするとはっきり全く違った応えを送って来ることもある。それは山彦ではない。我等と同じように茸訪問に遊ぶやからが悪戯にするか、もしくは矢張り伴にはぐれたために呼び合う声であることが解る。そんなことで粂吉と離れ離れになって終ったことも屡々あった。どうかするとつい近傍ではありながら、峰の背後などにいたため全く聴きとれないことなどもたまにはある。そうして帰り路に横道から姿を現わして来る粂吉に逢うようなこともある。私の呼ぶ声を聴き得たとき、粂吉は心もち急ぎ足で近寄って来るのを常とする。近寄って来て先ず得物のあったことを讚歎し、自分も落葉に腰をおろして私にも休憩を勧める。
粂吉は、虚空の日を仰いでは時の頃を察するを常とする。それがまた不思議にもよく正確な時刻に合うので、彼が昼飯にしたいと言うときは、私も同意して握飯を取り出して昼飯を済まそうとする。先ず二つに割って食べようとする握飯へ蟻が落ちて来たりすることがある。ふり仰いで見ると、背後の山鼻から生えた老松の枝がさし出して直ぐ頭の上まで来ていることに気がつく。秋の日に照らされて心持ちなまなましい気を失った水筒の水が、握飯を食い終えた喉を下ってゆく。昼飯を終えた眼に静かに見渡すあたりは、ひとしきり風も無く、寂として日影が色濃くすべてのものに沁み入っている。
粂吉は立ち上ってつかつかと岩鼻へ出かけて行く。其処の岩鼻は直下数百尋の渓谷を瞰下する断崖の頂きで岩は一面に微細な青苔に蔽われている。彼は青苔に草鞋をしっかと着け、軽々しく小便を洩らすことなどがある。秋日に散らばり、渓谷へ霧の如く落ち散る小便の色彩は実に美しいものであった。
午過ぎの歩行は午前中に比してひどく疲労を感ぜしめられる。それは既に長距離を歩いて来た為ばかりではない。南方の天空へ廻って来た日輪は、南面の山腹へ対して万遍なくその光を直射しその熱をふりそそぎ、為に山肌に敷かれた松の落葉や、楢、櫟、榛などの落葉がからからに乾からびて、一歩一歩踏んで行く草鞋をややもすると辷らせようとする。一二尺はおろか時によると二三尋も辷り落つることがある。辛うじて木株や松の根方などで踏み止まる。踏み止まるというより其処で支えられるのである。その危険をふせぐために、両足の指先へ力をこめて登って行かねばならぬ。少しく急な傾斜を持つところになると、眼前へあらわれてくる一つ一つの樹幹のうち最も手頃と速断さるるものを掴まえて登って行く。汗がいち早く頸のほとりを湿してくる。次いで額から湧き出でて両頬を伝うて流れ下るようになる。拭っている暇がない。暇がないというよりは寧ろ拭い去る必要を感じない。眼などへ沁み込んで多少刺戟さるることもあるが、それらはやや痛快の感をおぼえつつ登って行くのである。あの頂き、あの楢や栗の生え茂った絶頂へ行って一休しよう、その辺の疎らな松木立の中に猪の鼻か松茸がひそんでいるかもしれないと想う念がぐんぐん力をつけて一層両脚を急がせてくる。絶頂に近くなるにしたがって汗が背を湿すようになる。絶頂と眼ざしたところへ登って行くと案外にも其処は絶頂ではなく、猶幾多のそそりたった峰が左右の空へ連なっていたりする。ともかくも芝草を敷いて休憩することにする。傍らに兎の糞がある。兎の糞は私の山登りする事のなかに見出さるる最も興味をそそるものの一つである。多くは軟かな芝草が茂った中に、数十粒清浄な形影を示してまとまっている。見る眼にものの糞というような感じは更に起らない。小鳥の卵を数多く集めたもののようにも見える。私は、少年の頃屋後の山に遊んで、この兎の糞を見出してものめずらしげにこれを眺めたが、遂に二三粒ずつ拾い取って掌に乗せ、更に親しみの情をそそいだ。そうして結局全部を一つ一つ綺麗に拾い集めて家に持ち帰ったことを今だに覚えている。そうした少年の頃の思い出も、この兎の糞に接するごとにそそられるのである。汗が何時の間にかひき去って背が少し冷々するようになる。あたりの草びらに山風が極めて穏かにおとずれて静寂の微動を見せている。と思うと、遥かの渓底にあたって大木の倒れた響が聞えることなどがある。樵夫が材木を取るのである。一度俄にすさまじく湧き起った響が四山へ轟きわたって、その谺は少時の間あたりにどよめいている。時とすると、そのあたりの杉木立の中に遊んでいた鵯などが、強く短いきれぎれな声をあげて飛び去ることがある。彼の声は如何にも深山幽谷の気分をもたらすに充分である。澄みわたった山中の空を飛び去るところを見ていると、一声鳴いてはついと飛び上り、又一声鳴いては飛び上りつつ翔ってゆく。偶々自分の休んで居る樹間に翔って来ることなどもある。そんなとき、じっと静かにして見ていると、比較的細長い躯を軽々と枝にささえ、用心深い顔をあたりにくばる。落ち残った紅葉の間から躯のこなしを様々にかえる。その中に自分の居ることを発見し、驚愕譬えようがないといった風に慌てて枝を離れて、一声高く鳴き声を山中の気に顫わして矢の如く飛び去ってしまう。彼は鳥類の中でかなり臆病なたぐいの一つである。
私が立って行こうとするとき、草鞋がたわいなく踏み応えのないふかふかしたような地面を踏んだ感じを覚ゆることがある。ふりかえって見るとそれは蟻の塔である。蟻の塔は、よく松の大樹などを伐り倒して材木を取ったあとなどに見らるるものである。秋日が隈なくさす草の間に伐り残した松がところどころ樹っている。その中に軽い土くれと松落葉を集めて洋傘高に盛り上っている。試みに杖などであばいて見ると、その中には山蟻が一杯群をなしている。彼等は決して人間に害を加えようとはしない。食いつきもしなければ刺しもしない。こんな場合嫌悪の感を催すことなしに寧ろいたいけな可憐な感をおぼゆるものである。草鞋の踏みすぎたあとの蟻の塔はずんと凹んで、その凹んだ草鞋のあとは、幾山雨のため数箇月の後には平らめにならされ、軈てまた新たなる蟻の塔が此の無人の境に建設されてゆく。
峰頂を踏んで、躑躅や山吹、茨などの灌木の間を縫うて行くことは、疲労を忘れしめるほどの愉快を感ずるものである。幾春秋の雨露風雪に曝された大峰の頂上は清浄な岩石を露出して、殆ど塵一つとどめない箇所を見出すところがある。多少の風が好晴のおだやかさの中に動いている。どうかして躑躅の根株の間を眺めたりすると、其処に案外沢山のめざましい彼の猪の鼻を見つけ出すようなことがある。いったい茸は、初秋だけ山岳の中合以下に多く、晩秋に赴くにしたがって頂上に近く生えるようになる。そうして晩秋に生まるる茸だけしっかりした形を保って中々腐れようとしない。夏季に生ずる茸はもとより初秋にかけて生ずるものは、質もやや脆くすぐに腐敗し易いのに反し、晩秋の茸は霜を戴いて猶食し得るものが多い。初茸、シメジ、獅子茸の類は初秋のものに属し、椎茸は仲秋(椎茸は総じて秋季に生ずるものにめざましいものは少く、却って春季に生ずるものを尊ぶ)に生じ、松茸、猪の鼻、舞茸、玉茸の類は仲秋から晩秋にかけて多いようである。
峰の茸を採り終えて、さてこんな場合私の眼を欣ばしめるものは、渓谷深く生い立った松の樹幹とそうして其の葉の色彩である。何の支障するものなく自然に極めて自由に生い育った彼は、その樹幹の茶褐色の濃さ、その葉の緑青の濃さ艶々しさ、吹き起る微風と共にあたりに仙気がむらがって見える。時とすると遥かの山肩に居た白雲が次第々々に動き移って、忽ちの間にその展望を没し去ることなどもある。私はいつの間にか白雲中の人となり終っている。身に近い栗の木、榛の木などの幹にも枝にも綿のように垂れ下った猿麻桛がしろじろと見ゆるばかりである。長く下ったものは一尺余りもある。手近の杜松の枝などから毟り取って見ると、すぐに其処へ捨てようと云う気になれない。少くとも暫くの間は手すさびに指へ絡んでみたり掌中へまるめてみたりする。
僅に咫尺を弁じ得る濃い白雲の中を、峰伝いに下っては登り登っては下って行く。四十雀や山陵鳥が餌をあさりながら猿麻桛の垂れ下った樹間に可憐な音をころがしつつ遊んでいる。いたずらに小石や落ち散った木枝などを拾うて擲げつけても、身に当らない限りはさして驚き易く逃げようとはしない。白雲の退き去るにしたがって彼等も晴々しい心になるかして、少しく活溌な身のこなしを見せる。
私は峰伝いに峠路へ下って帰路に就こうとする。峠路で時々炭売の婦たちに出あうことがある。彼女等は一様に誰も皆山袴を穿き、負子に空俵を結びつけてあったり提灯や菅笠などを吊してあったりする。すこやかな面もちをした口に駄菓子などが投げこまれて、もぐもぐと舐りながら峠路を登って来る。一日の仕事を終え帰路につきつつある彼女等は決して急ごうとはしない。のさりのさりと緩やかな歩みを運んで行く。峠を下る頃、全く紅葉し尽した大嶺の南面一帯が、今、沈もうとする秋日の名残を受けて眩しく照り輝いている。日筋が蒼天に流れわたって、ふり仰ぐ真上にあかあかと見渡される。群を抜く鋒杉が見えると思うと茜色に梢を染められ、それがまた非常に鮮かに虚空にうかんで見える。四山の紅葉を振い落そうとするような馬の嘶きが聞えることもある。草刈が曳き後れた馬の嘶きである。時とすると秋天の変り易い天候が忽ちの間に四辺をかき曇らせ、見る見る霧のような小雨を運んで来ることもある。寒冷の気が俄に肌を掠めて来る。路の辺に紅の玉をつけた梅もどきの枝に尾を動かしている鶲は、私の近寄るのも知らぬげに寒さに顫えている。行き逢う駄馬が鬣を振わして雨の滴を顔のあたりへ飛ばせて来ることもある。蕭条たる気が犇々と身に応えてくる。不図行手を眺めると、傍らの林間に白々と濃い煙が細雨の中を騰って行く光景に出遭う。炭売りから帰る婦たちが大樹の下などに集って、焚火に暖をとる為の仕業であることがわかる。私も近寄って仲間に加わることがある。燃えしぶっていた焚火が俄に明るく燃え上り、火焔がすさまじい音と共に濠々と立つ白煙を舐め尽して終う。人の輪が少し後ろへ下って、各々の顔に束の間の歓びの情が溢れて見える。
知らず知らず時が過ぎ去って、樹間を立ち騰る薄煙のあたりに、仄かに輝きそめた夕月が見えたりする。人々は名残惜しい焚火と別れて散り散りに退散する。細雨をくだした秋天がいつの間にか晴れ渡っていたのである。
夕山風が古葉をふるわして樹々の間を掠めてくる。落つるに早い楓、朴、櫨の類は、既に赤裸々の姿をして夕空寒く突き立って見える。彼の蘇子瞻の「霜露既降木葉尽脱 人影在地仰見明日」というような趣きが沁々と味われる。山間の自分の村落に近づくにしたがって、薄い夕闇を透して灯火の影がなつかしい色を放ってちらちらと見え出してくる。そうするといつの間にか人煙を恋いつつある私自身を見出さずに措かれないことに気がつくのである。
(一九一八) | 底本:「花の名随筆10 十月の花」作品社
1999(平成11)年9月10日初版第1刷発行
底本の親本:「飯田蛇笏集成 第六巻 随想」角川書店
1995(平成7)年3月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年11月26日作成
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このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "055132",
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人
ピイタア・ギレイン
マイケル・ギレイン ピイタアの長男、近いうちに結婚しようとしている
パトリック・ギレイン マイケルの弟、十二歳の少年
ブリヂット・ギレイン ピイタアの妻
デリヤ・ケエル マイケルと婚約の女
まずしい老女
近所の人たち
一七九八年、キララに近い農家の内部、ブリヂットは卓に近く立って包をほどきかけている。
ピイタアは炉のわきに腰かけ、パトリック向う側に腰かけている。
ピイタア あの声は何だろう?
パトリック 俺にはなんにも聞えない。(聴く)ああ、きこえる。何か喝采しているようだ。(立って窓にゆき外を見る)何を喝采してるんだろう。だれも見えやしない。
ピイタア 投げっくらしているんじゃないか。
パトリック 今日は投げっくらなんかありゃしない。町の方で喝采しているらしい。
ブリヂット 若い衆たちが何かスポーツをやってるのだろう。ピイタア、こっちへ来てマイケルの婚礼の着物を見て下さい。
ピイタア (自分の椅子を卓の方にずらせて)どうも、たいした着物だ。
ブリヂット あなたがわたしと一着になった時にはこんな着物は持っていませんでしたね、日曜日だってほかの日と同じようにコートも着られなかった。
ピイタア それは本当だ。われわれの子供が婚礼する時こんな着物が着られようとは思いもしなかった。子供の女房をこんなちゃあんとした家に連れて来られようと思いもしなかった。
パトリック (まだ窓のところに立って)往来を年寄の女が歩いて来るよ。ここの家へ来るんだろうか?
ブリヂット だれか近所の人がマイケルの婚礼のことを聞きに来たんだろう。だれだか、お前に分るかい?
パトリック よその土地の人らしい、この家へ来るんじゃない。坂のところで曲がってムルチインと息子たちが羊の毛を切ってる方へ行った(ブリヂットの方へ向いて)こないだの晩四つ角のウイニイが言ってた事を覚えているかい。戦争か何かわるい事が起る前に不思議な女が国じゅう歩きまわるという話を?
ブリヂット ウイニイの話なんぞどうでもいいよ、それより、兄さんに戸を開けておやり。いま帰って来たらしい。
ピイタア デリヤの持参金を無事に持って来たろうな、おれがせっかく取り極めた約束を、向うでまた変えられちゃ困るよ、ずいぶん骨を折って極めた約束だ。
(パトリック戸を開ける、マイケル入る)
ブリヂット 何で手間がとれたのマイケル? さっきからみんなで待っていたんだよ。
マイケル 神父さんとこへ寄って明日結婚さして貰えるように頼んで来た。
ブリヂット 何とかおっしゃったかい?
マイケル 神父さんは非常に良い縁だって言ってた、自分の教区のどの二人を結婚させるよりも俺とデリヤ・ケエルを結婚させるのを喜んでいた。
ピイタア 持参金は貰って来たか?
マイケル ここにある。
(マイケル卓の上に袋をおき向う側に行って煙突の側面に寄りかかる。このあいだ中ブリヂットは着物をしらべて縫目をひっぱって見たりポケットの裏を見たりしていたが、着物を台の上に置く)
ピイタア (立ち上がって袋を取り上げ金を出す)おれはお前のためにうまく取り極めてやったよ、マイケル。ジョン・ケエルおやじはこの金のうち幾らかをまだ手放したくはなかったらしい。はじめての男の子が生まれるまで、この半分だけわしが持っていたいのだが、と云うんだ。そりゃいけない、男の子が生まれても生まれなくても、お前さんの娘を家へ連れて来る前に百ポンドの全部をマイケルに渡して貰わなくちゃと俺が云った。それからおふくろが口をきいて、あの男もとうとう承知した。
ブリヂット お金を手に持ってひどく嬉しそうですねえ。
ピイタア まったくね、俺も俺の女房と一緒になった時、百ポンドでも、二十ポンドでも、貰いたかったよ。
ブリヂット そりゃ、わたしは何も持って来なかったけれど、此処の家だって何もありゃしなかった。わたしがあなたのとこへ来た時あなたが持ってたのは鶏が何羽か、自分でその世話をしていましたね、それから二三匹の羊、それを自分でバリナの市までひっぱって行ったでしょう。(彼女不愉快になって水入を料理台の上に音をさせて置く)わたしが持参金を持って来なかったところで、それだけの物は自分の体で働き出しましたよ、赤ん坊を藁の束の上に寝かしておいて、今そこに立ってるマイケルをね、そして馬鈴薯を掘りましたよ、立派な着物も何も欲しいと云わずにただ働いて来たんですよ。
ピイタア それはそうだよ、ほんとうに。
(ピイタア彼女の手を撫で叩く)
ブリヂット 構わないで下さいよ、わたしは片づけ物をしなくっちゃ、嫁がうちに来る前に。
ピイタア お前はアイルランド中でいちばんの女だよ、だが、金も好いね。(もう一度金をいじりながら腰掛ける)俺は自分の家のなかでこれ程たくさんの金を見ようと思わなかった。これだけあれば我々もたいした事が出来るな。ジェムシイ・デンプシイが死んでから欲しいと思っていたあの十エーカアの田地も手に入れて牧場にすることが出来る。その家畜もバリナの市に出かけて行って買えばいい。デリヤはこの金のうち幾らか自分の小づかいに欲しいとでも云ってたかい、マイケル?
マイケル いいえ、何とも云いません。金のことに就いてはあまり考えていないようで、まるで見むきもしなかった。
ブリヂット それはあたり前だよ。なんだってあの女が金なんぞ見ているものかね、お前というものを見ているんだから、立派な若い男のお前を見ているんだから。お前と一緒になるのをどんなに悦んでるだろう、お前は真面目な好い息子でこの金も無駄に使ったり飲んでしまったりしないで、ちゃあんと役に立てて行けるだろうから。
ピイタア マイケルだってあんまり持参金の事は考えなかったろう、娘がどんな顔をしているか、そればかり考えていたのだろう。
マイケル (卓の方に来る)そりゃ、誰だって綺麗な好い娘に側にいて貰いたいよ、自分と並んで歩いて貰いたいよ。持参金なんてちょっとの間のものだ、女房はいつまでもいるんだから。
パトリック (窓から此方に向き)また下の街ではやしているよ。エニスクローンから馬が来たのを上げているんじゃないかな、馬が上手に泳ぐのを喝采しているんだろう。
マイケル 馬じゃあるまい。何処にも市がないから馬の連れてき場がないよ。町へ行って見て来な、パトリック、何が始まってるんだか。
パトリック (出ようとして戸をあける、暫時入口に立止まる)デリヤは覚えているだろうか、ここの家に来る時おれに猟犬の仔犬を持って来てくれる約束をしたんだが?
マイケル 覚えているよ、だいじょうぶ。
(パトリック出て行く。戸をあけっぱなしにして)
ピイタア 今度はパトリックが財産を探す番だが、あの子はそう容易に手に入れることは出来まい、自分の地所も持っていないんだから。
ブリヂット わたしは時々考えますよ、わたしたちも段々らくになって来るし、ケエルの家もこの区ではずいぶん力になるだろうし、デリヤの叔父さんで牧師もあるし、パトリックをいまに牧師にしてやったらどんなもんですかね、あんなに学校の出来もいいんだから。
ピイタア まあゆっくりだ、ゆっくりだ。お前の頭はいつも計画でいっぱいだね、ブリヂット。
ブリヂット わたしたちはあの子に十分な学問をさせてやれますよ、人の同情で生きてる苦学生みたいに国中歩き廻らせなくともいいんですから。
マイケル まだ喝采している。
(戸口に行きしばらくそこに立っている、片手を眼の上にかざして)
ブリヂット 何か見えるかい?
マイケル 年寄の女がこの路を上がって来る。
ブリヂット 何処の人だろう? 先刻パトリックが見た知らない女じゃないかね。
マイケル とにかく近所の人じゃないらしい、上着を顔にかぶっている。
ブリヂット 何処かの貧乏な女が、わたしたちが婚礼の支度をしているのを聞いて、貰いに来たのかも知れない。
ピイタア 金はしまった方がいいな。何処の知らない人が来ても見られるように出しとく必要はない。
(隅にある大きな函に行き、それを開けて財布を中に入れ錠をいじっている)
マイケル お父さん、そら、そこへ来たよ。(一人の老女ゆっくり窓の外を通る、通るときにマイケルをじっと見る)知らない人にうちへ来て貰いたくないな、おれの婚礼の前夜に。
ブリヂット 戸をおあけ、マイケル、かわいそうな女の人を待たせないで。
(老女入り来る。マイケル彼女の通りみちをあけようとして傍に退いて立つ)
老女 こんちは。
ピイタア こんちは。
老女 好いお家だね。
ピイタア さあさあ、何処ででも、おやすみ。
ブリヂット 火の側にお掛けよ。
老女 (手を温める)そとはひどい風だ。
(マイケル入口から好奇心を以て彼女を見ている。ピイタア卓の方に来る)
ピイタア きょうは遠くから来たのかい?
老女 遠くから、たいへん遠くから来たよ、わたしほど遠いとこを旅をして来たものはどこにもありゃしない、そしてわたしを家に入れてくれない人がいくらもあるよ。丈夫な息子たちを持ってる人で、わたしの知った人があったが、羊の毛を切っていて、わたしの言うことなんぞ聞いてくれないんだ。
ピイタア だれでも、自分の家がないというのは、なさけないことだ。
老女 ほんとうにそうだよ、わたしがまごつき歩いてるのも長いことさ、初めて無宿者になったときから。
ブリヂット そんなに長く放浪をしていてそんなに弱りもしないのは不思議だわねえ。
老女 時々は足が草臥れて手も静かになってしまうけれど、わたしの心の中は静かじゃない。わたしが静かになってるのを人が見ると、年寄になってすっかり働きがなくなったのだと思うかもしれないが、心配が来ればわたしは自分の友だちに話をするよ。
ブリヂット どうした訳で放浪を始めたの?
老女 あんまり大勢の他人が家にはいって来たので。
ブリヂット ほんとうに、お前さんも苦労したらしいね。
老女 ほんとうに、苦労したよ。
ブリヂット 何が苦労の初めだったね?
老女 土地を取られてしまったのだ。
ピイタア たくさんの土地を取られたのかい?
老女 わたしの持っていた美しい緑の野を。
ピイタア (ブリヂットに小声でいう)いつぞやキルグラスの地所から追い出されたというケイシイの後家ででもあるだろうか?
ブリヂット そうじゃありませんよ わたしは一度バリナの市でケイシイの後家さんを見たけど肥った若々しい人でした。
ピイタア (老女に)喝采している声を聞いたかね、丘を上がって来るとき?
老女 むかしわたしの友だちがわたしを訪ねて来た時にいつでも聞いたような声をいま聞いたと思った。(自分ひとりだけに小声でうたい始める)
わたしもあの女と一緒に泣きましょう
髪の黄ろいドノオが死んだ
麻縄を襟かざりに
白いきれを頭に載せて
マイケル (入口から近づく)お前がうたってるのは何の唄だい、おばあさん?
老女 むかしわたしの知ってた男のことをうたっているんだよ。ガルウヱイで絞罪になった黄ろい髪のドノオのことさ。
(うたいつづける、前よりも高い声で)
わたしの髪は巻きもしず結びもしず
お前と一緒に泣きに来ました
畑のあかい土を掘り返して
あの人が自分の畑をたがやしてる姿が見える
石に漆喰つけて
丘のうえに納屋を建ててる姿が見える
おお、その絞首台を倒そうものを
エニスクロオンであったことなら
マイケル その人は何のために死んだんだい?
老女 わたしを愛するために死んだ。わたしを愛するために大勢の人が死んだよ。
ピイタア (ブリヂットにいう)苦労したために気が変になってるんだ。
マイケル その唄が出来たのは古いことかい? その人が死んだのは古いことかい?
老女 古いことじゃない、古いことじゃない。だが、ずうっと昔、わたしを愛するために死んだ人もあったよ。
マイケル それはお前の近所の人たちかい?
老女 わたしの側へおいで、その人たちの話をするから。(マイケル炉のそばに彼女のわきに腰かける)北にはオドウネル家の強い人がいたよ、南にはオサリヷン家の人があったし、それから、海のそばのクロンタアフで生命をおとしたブライアンという人もあった。西にも沢山あったよ、何百年も前に死んだ人たちが。それに明日死のうとする人たちもある。
マイケル 西の方かい、明日人が死ぬのは?
老女 もっと側に、もっとわたしの側にお寄り。
ブリヂット 正気だろうか? それとも、この世の人じゃないのかしら?
ピイタア 自分の言ってることが自分によく分らないんだ、あんまり苦労したり食わずにいたりしたので。
ブリヂット かわいそうに、親切にしてやりましょうよ。
ピイタア 牛乳でも飲ませて麦の菓子を食わしてやれ。
ブリヂット それにもう少し何か添えてやったらどうでしょう、旅費にするように。ペニイかそれともシリング一つでも、家にこんなにお金があるんだろう。
ピイタア そりゃわれわれが余分に持ってるなら惜しみはしないが、持ってるものをどんどん出してゆくと、あの百ポンドも直きにくずすことになるだろう、それは惜しいよ。
ブリヂット たしなみなさいよ、ピイタア。シリングをおやんなさい、あなたの祝福を添えて、それでないとわたしたちの幸運だって逃げていくかもしれない。
(ピイタア函の方に行き一シリング取り出す)
ブリヂット (老女に)おばあさん、牛乳を飲むかい?
老女 食べる物や飲む物は欲しくない。
ピイタア (シリングを出して)すこしだが上げる。
老女 こういう物は欲くない。わたしは銀貨が欲しいんじゃない。
ピイタア 何が欲しいんだ?
老女 誰でもわたしを助けようと思えば、自分自身をわたしにくれなけりゃ、わたしに全部くれなけりゃ。
(ピイタア卓の方に行く、手に載せたシリングを途方にくれたように見つめながら、そして其処に立っていてブリヂットにひそひそ話している)
マイケル そんなに年をとってるのに誰も世話をする人はないのかい、おばあさん?
老女 誰もいない。わたしを愛してくれた人はそんなに大勢あったが、わたしはだれの為にも床の支度はしなかったよ。
マイケル 放浪をしていたら寂しいだろうね、おばあさん?
老女 わたしはいろいろな事を考えていろいろな事を望んでいるよ。
マイケル どんな事をのぞんでいるんだい?
老女 わたしの美しい土地を取り返す希望と、それから、他人を家から追い出そうという希望と。
マイケル どうすればそれが出来る?
老女 わたしを助けてくれるいい友達があるから。わたしを助けようとして今みんなが集まるところだ。わたしはおそれやしない。もしあの人たちが今日負けても明日は勝つだろうから(立ち上る)わたしの友だちに会いに行ってやろう。わたしを助けに来てくれるところだからあの人たちのむかえに行ってやらなければ。近所の人たちを呼び集めて出迎えに行ってやろう。
マイケル 一しょに行って上げよう。
ブリヂット マイケル、お前が迎えに行くのはこの人の友だちじゃないよ、お前はここの家へ来ようとする娘を迎えに行かなくっちゃならないよ。お前の仕事がたくさんあるじゃないか。食べる物も飲む物も家へ取って来てくれなけりゃならないよ。家へ来る娘は空手で来るんじゃないから。お前も空っぽの家へあの人を迎えては済まない。(老女に)おばあさん、あなたは知らないだろうが、うちの息子は明日結婚するのよ。
老女 結婚しようとする男に助けて貰おうとは思いやしないよ。
ピイタア (ブリヂットに)いったい、この人は誰だと思う?
ブリヂット おばあさん、まだお前さんの名を聞かなかったね。
老女 ある人はわたしのことを「かわいそうな老女」と云っている、ある人は「フウリハンの娘のカスリイン」とも言っている。
ピイタア そういう名の人を聞いたことがあるように思う。はてな、誰だったか? だれか俺の子供の時分に知ってた人らしい。いや、いや、思い出した、唄で聞いた名前だ。
老女 (入口に立っていて)この人たちはわたしのために唄が作られたのに驚いている。わたしのために作られた唄は沢山ある。今朝もひよつ風にきこえたようだった。
(うたう)
あんまりみんなで泣くにはおよばぬ
明日お墓を掘る時に
しろいスカアフの騎手をよぶな
明日死人を葬るときに
よその人たちにふるまいするな
明日お通夜をするときも
いのりのために金をやるな
明日死にゆく死人のために
いのりの必要はない、その人たちの為に祈りの必要はない。
マイケル その唄の意味はおれには分らないが、何かおれに出来る事があれば言っておくれ。
ピイタア マイケル、此方へ来なさい。
マイケル だまって。お父さん、あの人のいうことを聞いておいでなさい。
老女 わたしを助けてくれる人たちはつらい仕事をしなくっちゃならないよ。いま赤い頬をしてる人たちも蒼い顔になってしまう。丘も沼も沢も自由に歩きまわっていた人たちは遠くの国にやられてかたい路を歩かせられるだろう。いろんな好い計画は破れ、せっかく金を溜めた人も生きていてその金を使うひまがなく、子供が生まれても誕生祝いの時その子の名をつける父親がいないかも知れない。赤い頬の人たちはわたしの為に蒼い頬になる、それでも、その人たちは十分な報いを受けたと思うだろう。
(老女出て行く、彼女のうたう声が外にきこえる)
いつまでも忘られず
いつまでも生きて
いつまでも口をきく
その人たちの声を国民はいつまでも聞く
ブリヂット (ピイタアに)ピイタア、あの子を御覧なさい、何かに憑かれたような顔をしています。(声を高くして)これを御覧よ、マイケル、婚礼の服を。ずいぶん立派だねえ! いま着て見た方がいいよ、もし明日着て体に合わないと困るから、若い衆たちに笑われちまうよ。これを持ってって、向うの部屋で着てみておくれ。
(彼女マイケルの腕に服を持たせる)
マイケル 何の婚礼の話をしているんだい? あすおれがどんな服を着るって話だい?
ブリヂット あしたお前がデリヤ・ケエルと結婚する時に着る服じゃないか。
マイケル 忘れていた。
(服を見て奥の部屋の方に行こうとする、そとでまた喝采す声がすると立止る)
ピイタア あの声がうちの前まで来た。何が始まったんだろう?
(近所の人たちどやどや入って来るパトリックとデリヤも彼等と一しょにいる)
パトリック 港に船が来ているよ、フランス人がキララに上陸するとこだ!
(ピイタア煙管を口からはなし帽子を取って、立つ。マイケルの腕から婚礼の服がすべり落ちる)
デリヤ マイケル! (マイケル気がつかない)マイケル! (マイケル彼女の方に向く)どうしてあたしを知らない人みたいに見るの?
(彼女マイケルの手をはなしブリヂット彼女のそばに行く)
パトリック 若いものはみんな丘を駈けおりてフランス人と一緒になりに行くよ。
デリヤ マイケルはフランス人と一緒になりに行きやしないでしょう。
ブリヂット (ピイタアに)行くなと云って下さい、ピイタア。
ピイタア 言ったって駄目だ。われわれの言ってることは一言も聞いてやしない。
ブリヂット 何とか言って火の側へ連れてって下さいな。
デリヤ マイケル、マイケル! あたしを捨ててゆきはしないでしょう。フランス人と一緒になりはしないでしょう、あたしたちは結婚するとこじゃありませんか!
(デリヤ腕を彼の身に巻く、マイケル彼女の方に向いてその意に従おうとする)
(家のそとに老女の声がする)
いつまでも口をきく
その人たちの声を国民はいつまでも聞く
(マイケル、デリヤから身を振りはなして暫時入口に立つ、やがて駈け出す、老女の声のあとを追って。ブリヂット静かに泣いているデリヤを自分の腕に抱く)
ピイタア (パトリックの腕に片手をかけて訊く)年よりの女がそこの路を下りてゆくのを見なかったか?
パトリック 見なかった、若い娘が行ったよ。女王のように歩いていた。 | 底本:「近代劇全集 第廿五卷愛蘭土篇」第一書房
1927(昭和2)年11月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:館野浩美
校正:岡村和彦
2019年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "058707",
"作品名": "カスリイン・ニ・フウリハン(一幕)",
"作品名読み": "カスリイン・ニ・フウリハン(ひとまく)",
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"原題": "CATHLEEN NI HOOLIHAN",
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人
マアチン・ブルイン 父
ブリヂット・ブルイン 母
ショオン・ブルイン マアチンの子
メリイ・ブルイン ショオンの妻
神父ハアト
フェヤリイの子供
遠いむかし
アイルランド、スリゴの地、キルマックオエンの領内にあったこと
部屋の右の方に深い凹間がある、凹間の真中に炉。凹間には腰掛とテイブルあり、壁に十字架像がある。炉の火の光で凹間の中が明るい。左手に戸口、戸があいている、その左に腰掛。戸口から森が見える。よるではあるが、月かあるいは夕日の消え残ったうすあかりか樹々のあいだにほのかなひかりがあって、見る人の眼をとおくのぼんやりした不思議な世界にみちびく。マアチンとショオンとブリヂットの三人が凹間のテイブルの側や火の側に腰かけている。古いむかしの服装。その側に神父ハアト腰かけている。僧服をつけて。テイブルの上に食物と酒。
若き妻メリイ戸のそばに立って本を読んでいる。彼女が本から眼をあげて見れば戸口から森の中まで見えるのである。
ブリヂット
夕食の支度に鍋を洗えといいますと
屋根うらからあんな古い本を出して来ました
それから読みつづけております。
神父様、彼女をほかの人たちのように働かせましたら
どんなに苦しがったり泣いたりいたしましょう
わたしのように夜明から起きて縫いものをしたり掃除をしたり
また、あなたのように尊いお器と聖いパンをお持ちになって
あらい夜も馬でお歩きになる、そのようにしろといいましたら
ショオン
お母さん、あなたはやかまし過ぎる
ブリヂット
お前は夫婦だから
彼女の気に逆うまいと思って、彼女の味方ばかりする
マアチン (神父ハアトに向って)
若いものが若い者の味方をするのは当前で
彼女は時々わたしの家内と喧嘩もやります
今はあのとおり古い本に夢中になっていますが
しかしあまりお叱り下さるな、彼女もいまに
木に生えたやぶだまのように静かになりましょう
新婚の夜の月が夜明になりやがて消えて
それを十遍もくり返しているうちには
ハアト
彼等の心は荒い
鳥どもの心と同じように、子供が生れるまでは
ブリヂット
薬缶の湯を入れるでもなし、牛の乳をしぼるではなし
食事の支度の切れをかけたりナイフを並べることもしません
ショオン
お母さん、もし――
マアチン
これには半分しか酒がないよ、ショオン、
行って家にある一ばん良い酒の壜を持って来てくれ
ハアト
いままで彼女が本を読んでるのを見たことはなかったが
何の本だろう
マアチン (ショオンに)
何を待っているのだ
口をあけるとき壜を振ってはいけない
大切な酒だ、気をつけておくれ(ショオン行く)
(神父に向って)
オクリスの岬でスペイン人が難船したことがありました
わたしの若い時のことですが、まだその時の酒が残っています
倅は彼女の悪くいわれるのを聞いていられないと見えます。あの本は
この五十年来、屋根うらに置いてあったのです
わたしの父の話では祖父がそれを書いたのだそうで
牡犢を殺してその皮で本のおもてを拵えたのだそうです――
夕食の支度が出来ました、食べながらお話しましょう
祖父はあの本のために何もよい事は来なかったようです
家のなかは、旅の胡弓ひきや
旅の唄うたいの人たちでいっぱいになりました
そこにあなたの前に焼パンがあります。
むすめや、どんな不思議な事がその本にあるのだい
パンがつめたくなるまで夢中で読んでいるほどの? もしわたしや
わたしのおやじがそんな本を読んだり書いたりしていたらば
わたしが死んだあと、黄ろい金貨のいっぱい詰まった靴足袋を
ショオンやお前に残してやることは出来なかったろう
ハアト
ばからしい夢を頭に入れてはいけないよ
何を読んでいるのだい
メリイ
王女イデーンという
アイルランドの王のむすめが、きょうと同じ
五月祭の前の夜、誰かのうたってる歌の声をききました
王女は覚めてるような眠ってるような気持でその声を追って
フェヤリイの国に行きました
その国はだれも年とったりしかつめらしくなったり真面目になったりしない
だれも年とったりずるくなり賢くなったりしない
だれも年とったり口やかましくなったりしない国なのです
王女はまだ今でもそこにいていつも踊っているそうです
森の露ふかい蔭や
星の歩く山のいただきで
マアチン
その本を捨てるようにむすめにおっしゃって下さい
わたしの祖父はちょうど同じような事をいっていました
それで犬や馬を見分ける眼も持たず
どんななまけ者の若い衆のお世辞にものせられました
あなたのお考えをあれにおっしゃって下さい
ハアト
むすめよ、その本は捨てておしまい
神はわれわれの上に天を大きな翼のようにお拡げなされ
生きて暮してゆく日の小さなくりかえしをお与え下さる
そこに、堕された天使たちが来て罠をかけて
愉快な希望や真実らしい夢で人を釣るのだ
釣られた者の心は誇りにふくらんで
おそれたり喜んだりして神の平和から離れて行く
それは堕されて、涙に目のくもった天使たちの一人であったろう
そのイデーンの心に楽しい言葉でとり入ったのは
むすめよ、わしは心の落ちつかない苛々した
娘たちを見たこともあるが、年つきが過ぎて
かれらも隣近所の人たちと同じようになり、よろこんで
子供たちの世話をしたりバタを拵えたり
婚礼や通夜の噂ばなしをするようになってしまった
人のいのちは夢の赤い輝きから出て
平凡な月日の平凡なひかりの中にはいってゆくのだ
老年がふたたびその赤い輝きを持って来てくれるまで
マアチン
それは本当です――しかしそれが本当だとは、彼女のような若いものには分かりません
ブリヂット
遊んだりなまけたりしているのが
悪いということぐらいは分かる年齢です
マアチン
わたしは彼女をとがめはしません
倅が畑に出ていると彼女はぼんやりしているようです
それと、あるいは家内の口小言に追われて
彼女は自分の夢のなかに隠れるようになったのでしょう
子供たちが夜具の中に暗黒から隠れるように
ブリヂット
彼女は何一つしやしませんわたしが黙っていたらば
マアチン
こういう五月祭の前の夜、フェヤリイの世界の人たちのことを
考えるのは自然かも知れない。それはそうと、むすめよ
祝福の山櫨子の枝があるか
家のなかに幸運が来るようにと
女のひとたちが入口の柱にかける山櫨子の枝は
五月祭の前夜の日がくれては
フェヤリイは新しくよめいりした花嫁でも盗みに来るかも知れない
炉辺で年寄の女たちの話すことは
うそばかりでもあるまいから
ハアト
それは本当のことかも知れない
神がなにかの不思議な目的のために
魔の霊どもにどれだけの力をお許しおきなさるかは
我等には分らない。それがよろしい(メリイに)
むかしからの罪のない習慣は守る方がよろしい
(メリイ・ブルイン山櫨子の枝を腰掛から取り上げて入口の柱の釘にかける。見なれない服装の、不思議なみどり色の衣を着た女の子が森から来てその枝を取る)
メリイ
あの枝を釘にかけるが早く
子供が風のなかから駈けて来て
枝を取っていじっています
夜明の前の水のように青い顔をした子供です
ハアト
どこの子供だろう
マアチン
何処の子でもないでしょう
彼女は時々たれかが通ったように思うのです
風がひと吹き吹いただけでも
メリイ
祝福の山櫨子の枝を取って行ってしまったから
ここの家には幸運は来ないかもしれない
でもわたしはあの人たちに親切にしてやって嬉しい
あの人たちも、やっぱり、神の子供たちでしょう
ハアト
むすめよ、彼等は悪魔の子供たちだよ
彼等は最後の日まで力を持っている
最後の日に神は彼等と大なる戦いをなされて
彼等をこなごなにお砕きなさるだろう
メリイ
神は微笑なさるかも知れません
ハアト
そして神父様、神は天の戸を開けておやりになるかも知れません
悪の天使たちはその戸を見るだけで
無限の平和に打れて亡びるだろう
その天使たちがわれわれの戸を叩く時
いでて彼等と共に行くものはおなじ暴風の中も彼等と共に行かなければならぬ
(瘠せて老人じみた手が柱のかげから出て叩いたり手招きしたりする。それが銀いろの光にはっきり見える。メリイ・ブルイン戸口に行きその光の中に暫らく立っている。マアチン・ブルインは神父の皿に何か盛るのに忙しい。ブリヂット・ブルイン火をいじる)
メリイ (テイブルの方に来る)
だれか外にいてわたしを手招きしています
杯でも持ってるように手をあげて
飲む手つきをします、きっと
何か飲みたいのでしょう
(テイブルから乳を取って戸口に持ってゆく)
ハアト
何処の子でもあるまいとお前がいったその子供だろう
ブリヂット
それでも神父様、この人のいうことは本当かも知れません
一年のうちに二度とはございません
今夜のように悪い晩は
マアチン
何も悪いことが来る筈はない
神父様がうちの屋根の下にいて下さるあいだは
メリイ
みどり色の着物を着た小さい奇妙な年寄の女です
ブリヂット
フェヤリイの人たちも乳と火を貰いに歩くといいます
五月祭の前夜には――それをやった家は災難です
一年のあいだその家はフェヤリイの力の下にあるといいます
マアチン
黙って、黙っていなさい
ブリヂット
彼女は乳をやってしまった
わたしは彼女がこの家に悪いことを持って来るだろうと思っていた
マアチン
どんな人だった
メリイ
言葉も顔つきも異っていました
マアチン
前の週にクロオバア・ヒルに外国の人たちが来たそうだ
その女はその人たちの一人かもしれない
ブリヂット
わたしは恐ろしい
ハアト
十字架があすこにかかっているあいだは
どんなわざわいもここの家には来ない
マアチン
むすめよ、ここに来てわたしの側におかけ
物たりなさの夢は忘れてくれ
わたしはお前に自分の老年を明るくしてもらいたいのだ
その泥炭の燃えてるように明るく。わたしが死ねば
お前はこの辺いちばんの金持になれる、むすめよ
わたしは黄ろい金貨のいっぱい詰まった靴足袋を
誰も見つけ出せないところに隠して持っているのだよ
ブリヂット
お前は綺麗な顔には直ぐだまされる
わたしは物惜しみをしたりけちにしなければならないのか、倅のよめが
いろいろなリボンを頭につけるために
マアチン
腹を立てるな、彼女はまったくいい娘だ
バタはあなたのお手の側に、神父様
むすめよ、運も時も変も
わたしとそこにいるブリヂット婆さんのためにはうまく行ったと思わないか
わたしらはよい田地の百エーカアも持っている
そして火のそばに並んで腰かけている
ありがたい神父さまを自分の友だちにし
お前の顔を見、倅の顔も見ていられる――
あれの皿をお前の皿の側に置いたよ――そら、あれが来た
そしてわれわれがたった一つ不足にしていたものを持って来てくれた
好い酒をたくさん (ショオン登場)火を掻き立ててくれ
燃え上がるように新しい泥炭を入れて
火からうず巻いてのぼる泥炭の煙をながめ
心に満足と智慧を感じる
これが人生の幸福だ、われわれ若いときは
前にだれも蹈んだことのない道を蹈んで見たがるものだ
しかし尊い古い道を愛のなかから
子を思う心の中から見つけ出す、そしてその道を行くのだ
運と時と変とにさよならを言うときまで
(メリイ炉から泥炭の一塊を取り戸口から外に出る、ショオン彼女の後に行き、内にはいって来る彼女と会う)
ショオン
あのうすら寒い森に何しに行ったのだ
樹の幹と幹のあいだに光がある
身ぶるいがするような光が
メリイ
小さな変な年よりが
わたしに手真似をして火が欲しいというんです
煙草を吸うために
ブリヂット
お前は乳と火をやったね
一年じゅうのいちばん悪い晩に、そしてきっと
この悪に家いことを来させるのだろう
結婚前にはお前はなまけもので上品で
頭にリボンをつけて歩き𢌞っていた
そして今――いいえ、神父様、いわせて下さいまし
これは誰の女房にもなれる人ではないんです
ショオン
静かにしないか、お母さん
マアチン
お前は気むずかし過ぎるよ
メリイ
わたしは構いはしません、もしこの家を
一日じゅうにがい言葉ばかり聞かせられる
この家をフェヤリイの力に陥しいれたところで
ブリヂット
お前もよく知ってる筈だ
あの人たちの名を呼び
あの人たちの噂をするだけでも
その家にいろいろな災難の来るということは
メリイ
おいで、フェヤリイよ、このつまらない家からわたしを連れ出しておくれ
わたしの失くしたすっかりの自由をまた持たせておくれ
働きたい時にはたらき遊びたい時に遊ぶ自由を
フェヤリイよ、来てわたしをこのつまらない世界から連れ出しておくれ
わたしはお前たちと一緒に風の上に乗って行きたい
みだれ散る波のうえを駈けあるき
火焔のように山の上でおどりたい
ハアト
お前は自分の言葉の意味が分らないのだ
メリイ
神父様、わたしは四つの言葉にあきあきしました
あんまりこすいあんまり賢い言葉と
あんまりありがたいあんまり真面目すぎる言葉と
海の潮よりもっとにがい言葉と
ねぶたい愛に充ちた、ねぶたい愛とわたしの牢屋の話ばかりする
親切な言葉に、あきあきしました
(ショオン彼女を戸口の左の席につれてゆく)
ショオン
わたしのことを怒らないでおくれ、わたしはたびたび夜中に目をさましていて
お前の美しい頭をかき乱すいろいろな事を考えて見る
うつくしいね――雲みたいにぼやけた髪の毛の下の
ひろい真白なお前の額は
わたしの側におすわり――あの人たちは年をとりすぎているのだ
一度は自分たちも若かったということを忘れている
メリイ
ああ、あなたはこの家の大きな門柱です
そしてわたしは祝福の山櫨子の枝
もし出来ることならわたしは自分をあの柱の上にかけて
この家に幸運を来させたいとおもいます
(腕をショオンの身にかけようとして恥かしそうに神父の方を見て、力なく手を垂れる)
ハアト
むすめよ、その手を持っておやり――ただ愛によって
神は我々を神と家とに結んで下さる
神の平和の届かない荒野の
狂わしい自由と目もくるめく光からわれわれを隔てて下さる
ショオン
この世界がわたしの物であったら、世界もお前にやりたい
静かな炉辺ばかりでなく、その上に
光と自由のすべてのまぶしさも
もしお前が欲しければ、お前にやりたい
メリイ
わたしは世界を持って
それをわたしの両手でこなごなに砕いて
そのくずれて行くのを眺めてあなたが微笑うのを見たい
ショオン
そしたら、わたしは火と露との新しい世界を造りたい
にがい心のものも真面目なものも賢すぎるものもない
お前の邪魔をする醜いものも年とったものもいない世界を
そして空の静かな歓喜に蝋燭を立てつづけて
お前のさびしい顔を照らして見たい
メリイ
あなたのお眼があれば、わたしにはほかの蝋燭は入りません
ショオン
前には、日の線のなかに飛ぶ羽虫も
あかつきの中から吹く微風も
お前の心をだれも知らない夢で充すことが出来た
しかし今は、解きがたい聖い誓いが
気高くつめたいお前の心を永久に
わたしの温い心と交ぜてしまった。日も月も
消えて天が巻物のように巻き去られるときも
お前の白い霊はやっぱりわたしの霊のそばに歩いて行くだろう
(森の中にうたう声する)
マアチン
だれか歌っているようだ。子供のようだ
「さびしい心の人が枯れる」とうたっている
子供がうたうには不思議な歌だ、だが好い声でうたっている
お聞き、お聞き
(戸口に行く)
メリイ
どうかわたしをしっかり抑えていて下さい
今夜わたしは悪いことを言いましたから
声 (うたう)
日の門から風がふく
さびしい心の人に風が吹く
さびしい心の人が枯れる
そのときどこかでフェヤリイがおどる
しろい足を輪に踏み
しろい手を空に振って
老人もうつくしく
かしこいものもたのしく物いう国があると
わらいささやきうたう風をフェヤリイはきく
クラネの蘆がいう
風がわらいささやきうたう時
さびしいこころの人が枯れる
マアチン
自分が幸福だから、わたしはほかの人も幸福にしてやりたい
あの子をそとの寒いとこから内に入れよう
(フェヤリイの子を内に連れて来る)
子供
風と水と青い光に、あたしあきあきしました
マアチン
それももっともだ、夜が来れば
森はさむくて路も分からない
ここにいるがいいよ
子供
ここにいます
あたしがこの温かい小さい家に倦きる時分には
ここに一人出てゆく人がありますよ
マアチン
あの夢のような不思議な話を聞いてやれ
さむくはないかい
子供
あたしあなたの側でやすみましょう
今夜とおい遠い路を駈けて来たの
ブリヂット
お前は美しい子だね
マアチン
お前の髪は濡れている
ブリヂット
お前の冷たい足を温ためて上げよう
マアチン
お前はほんとうに遠い
遠いとこから来たのだろう――お前の美しい顔を
わたしは前に見たことがない――疲れてひもじいだろう
ここにパンと葡萄酒があるよ
子供
おばあさん、何かあまい物はないの
葡萄酒はにがいわ
ブリヂット
蜂蜜がある
(ブリヂットとなりの部屋にゆく)
マアチン
お前は機嫌をとるのがうまいな
お婆さんは機嫌がわるかったよ、お前が来るまで
(ブリヂット蜂蜜を持って戻って来て茶椀に乳を充たす)
ブリヂット
いい家の子供だろう、ごらん
この白い手と綺麗な着物を
わたしは新しい乳をお前に持って来て上げたよ、だがすこしお待ち
火にかけてあたためて上げよう
わたしたち貧乏人にはおいしい物でも
お前のようないい家の子供には気に入るまい
子供
夜明から起きて、火を吹きおこして
お前は手の指の折れるまで働くのね、お婆さん
若い人たちは床にいて夢を見たり希望を持ったりできるけれど
お前は指の折れるまで働くのね
お前の心が年をとっているから
ブリヂット
若いものはなまけものだよ
子供
おじいさん、お前は年の功で利口ねえ
若いものは夢や希望のために溜息をつくけれど
お前は利口ね、お前の心が年をとっているから
(ブリヂット彼女にもっとパンと蜜を与える)
マアチン
珍らしいことだな、こんな若いむすめが
年よりや智慧者を大事がるのは
子供
もう沢山よ、おばあさん
マアチン
ぽっちりしか食べないな! 乳が出来た
(乳を彼女に渡す)
ぽっちりしか飲まないね
子供
靴をはかせて頂戴、おばあさん
あたし食べたから今度は踊りたいの
クラネの湖のそばで蘆も踊っているのよ
蘆も白い波も踊りつかれて眠ってしまうまで
あたしも踊っていたい
(ブリヂット靴をはかせる。子供は踊ろうとして不意に十字架像を見つける。叫んで眼を覆う)
あの黒い十字架の上のいやなものは何
ハアト
お前はたいへん悪いことを言ってるんだよ
あれはわれわれのおん主なのだ
子供
あれを隠して頂戴
ブリヂット
わたしは又怖くなって来た
子供
隠して頂戴
マアチン
それは悪いことだ
ブリヂット
神様を汚すことだよ
子供
あの苦しがってるもの
あれを隠して頂戴
マアチン
この子に教えない親がいけないのだ
ハアト
あれは神の子のお姿だ
子供 (神父にすがりつき)
隠して頂戴、隠して頂戴
マアチン
いけない、いけない
ハアト
お前はそんなに小さくて木の葉のそよぎにも
おどろく鳥のようなものだから
わしはあれを取り下ろしてあげよう
子供
隠して頂戴
見えないような思い出せないようなところに隠して頂戴
(神父ハアト壁から十字架像を取り奥の部屋に持ってゆこうとする)
ハアト
お前もこの土地に来たからには
ありがたい教の道にわしが導いて上げる
お前はそんなに賢いのだからすぐに覚えてしまう (他の人たちに向って)
すべてつぼみのような若いものに対してわれわれは優しくしなければならない
神はカルバリイの悲しみのために
あかつきの星どもの最初の歌をさまたげはなさらなかった
(奥の部屋に十字架を持ってゆく)
子供
ここは平だから踊るのにいい。あたし踊りましょう
(うたう)
日の門から風が吹く
風がさびしい心の人に吹く
さびしい心の人が枯れる
(子供おどる)
メリイ (ショオンに)
今あの子がそばに来た時、床のうえに
ほかの小さい足音がひびくのを聞いたと思います
そして風の中にかすかに音楽が流れて
眼に見えない笛があの子の足に調子をつけてるように思いました
ショオン
わたしにはあの子の足音だけしか聞えない
メリイ
いま聞えます
聖くない霊がここの家のなかで踊っているのです
マアチン
ここへおいで、もしお前がわたしに
神さまのことで勿体ないことをいわないと約束すれば
お前に好いものを上げるよ
子供
ここまで持ってらっしゃいよ、おじいさん
マアチン
倅の嫁にと思ってわたしが町から買って来た
リボンがある――彼女もこれをお前に上げるのを承知するだろう
風が散らばしたその乱れた髪を結ぶのに
子供
あのねえ、あなたはあたしが好き
マアチン
うん、わたしはお前が好きだ
子供
ああ、それでもあなたはこの火の側が好きでしょう。あなたはあたしが好き
ハアト
神がこれほどたくさんに
御自分の無限の若さをお分けなされた一人のひとを
見ることは愛することだ
子供
それでも、あなたは神様も好き
ブリヂット
神を涜している
子供
それから、あなたも、あたしが好き
メリイ
わたしは知らない
子供
あなたはあすこにいるあの若い人が好きなのでしょう
それでも、あたしはあなたを風に乗らせたり
散る波の上を駈けさせたり
火焔のように山の上で踊らせて上げることも出来るのに
メリイ
天使たちと優しい聖者たちの女王さまお守り下さい
何か恐ろしい事が起りそうだ。先刻
あの子は山櫨子の枝を持って行ってしまった
ハアト
お前はあの子のわけの分らない話を怖がっている
あれよりほかに知らないのだよ。小さい人、お前はいくつだい
子供
冬の眠が来る時分はあたしの髪が薄くなって
足もよろよろになるの。木の葉が目をさます時分は
あたしの母が金いろの腕にあたしを抱いてくれますよ
あたしは直きに大人になって結婚します
森や水の霊と。でも誰にも分らないわ
あたしが始めて生れて来た時のことは。あたしは
バリゴオレイの山で眼をまばたきしまばたきしている
あの雄鷲よりもよっぽど年よりらしいの
月の下であの鷲がいちばんの年よりだけれど
ハアト
おお、フェヤリイの仲間か
子供
呼んだ人がいるの
あたしは乳と火を貰いに使をよこすと
また呼ばれたから、来ましたよ
(ショオンとメリイのほかは保護されようとして神父の後に集まる)
ショオン (立つ)
お前はここにいるみんなを従わせたが
まだわたしの眼を惑わして、お前に力を与えるような
物にしろ願望にしろわたしから取ったものはない
わたしがお前をこの家から追い出そう
ハアト
いや、わしが向って見よう
子供
あなたがあの十字架像を取ってしまったから
あたしは強い、あたしが許さなければ
あたしの足が踊ったところ、あたしの指さきの動いたところを
だれも通ることは出来ない
(ショオン彼女に近づこうとして、進むことが出来ない)
マアチン
見ろ、見ろ
何かあれを止めるものがある――そら、手を動かしている
まるでガラスの壁にでもこすりつけているように
ハアト
わしはこの力づよい霊に一人で向おう
おそれなさるな、「父」はわれわれと共にいて下さる
聖なる殉教者たち。罪なき幼児たちも
また甲鎧をつけてひざまずく東方の聖人たちも
死にて三日の後よみがえりたまいし「彼」も
また、ありとあらゆる天使の群も
(子供は長椅子の上のメリイの側に跪き両腕を彼女にかける)
むすめよ、天使と聖徒たちを呼びなさい
子供
花嫁さん、あたしと一しょにおいで
そしてもっと愉快な人たちを見るのよ
しろい腕のヌアラ、鳥の姿のアンガス
さかまく波のフアックラ、それから
西を治めているフィンヷラと
心のゆきたがるあの人たちの国があります
そこでは美しいものに落潮もなく、滅びるものに昇潮も来ない
そこでは智慧が歓びで、「時」が無限の歌なの
あたしがお前に接吻すると世界は消えてゆく
ショオン
そのまぼろしから醒めて――ふさいでおいで
お前の眼と耳を
ハアト
彼女は眼で見、耳で聞かなければならぬ
彼女の霊の選択のみがいま彼女を救うことが出来るのだ
むすめよ、わしの方に来て、わしのそばに立っておいで
この家とこの家に於けるお前のつとめを考えておくれ
子供
ここにいてあたしと一緒においで、花嫁さん
お前があの人のいうことを聞けば、お前もほかの人たちと同じようになるよ
子供をうみ、料理をし、乳をかき𢌞し
バタや鶏や玉子のことで喧嘩をし
やがてしまいには、年をとって口やかましくなり
あすこにうずくまって顫えながら墓を待つようになるよ
ハアト
むすめよ、わしは天への道をお前に教えている
子供
あたしはお前を連れて行って上げるわ、花嫁さん
誰も年をとったり狡猾になったりしない
誰も年をとったり信心ぶかくなったり真面目になったりしない
誰も年をとったり口やかましくなったりしないところへ
そして親切な言葉が人を捕虜にしないところへ
まばたきするとき人の心に飛んで来る
考えごとでもあたしたちはすぐその通りにするのよ
ハアト
十字架の上のお方の愛する御名によって
わしは命令する、メリイ・ブルイン、わしの方においで
子供
お前の心の名によって、あたしは、お前を止める
ハアト
十字架像を取りのけたから
わしが弱いのだ、わしの力がないのだ
もう一度ここへ持って来よう
マアチン (彼にすがりついて)
いけません
ブリヂット
わたしたちを捨てていらしってはいけません
ハアト
おお、わしを放してくれ、取り返しがつかなくなる前に
こんな事にしたのはみんなわしの罪なのだ
(そとに歌の声)
子供
あの人たちの歌がきこえるよ「おいで、花嫁さん
おいで、森と水と青い光へ」とうたっている
メリイ
わたしあなたと一緒にゆく
ハアト
駄目か、おお
子供 (戸口に立って)
お前にまつわる人間の希望は捨てておしまい
風に乗り、波の上をはしり
山の上でおどるあたしたちは
夜あけの露よりもっと身が軽いのだから
メリイ
どうぞ、一しょに連れてって下さい
ショオン
愛するひと、わたしはお前を止めておく
わたしは言葉ばかりではない、お前を抑えるこの腕がある
あらゆるフェヤリイのむれがどんな事をしようと
この腕からお前を放すことは出来まい
メリイ
愛する顔、愛する声
子供
おいで、花嫁さん
メリイ
わたしはいつもあの人たちの世界が好きだった――それでも――それでも
子供
しろい鳥、しろい鳥、あたしと一緒においで、小さい鳥
メリイ
わたしを呼んでいる
子供
あたしと一しょにおいで、小さい鳥
(遠くで踊っている大勢の姿が森に現われる)
メリイ
歌と踊りがきこえる
ショオン
わたしのところにいておくれ
メリイ
わたしはいたいと思うの――それでも――それでも
子供
おいで、金の冠毛の、小さい鳥
メリイ (ごく低い声で)
それでも――
子供
おいで、銀の足の、小さい鳥
(メリイ・ブルイン死ぬ、子供出てゆく)
ショオン
死んでしまった
ブリヂット
その影から離れておしまい、体も魂ももうないのだよ
お前が抱いているのは吹き寄せた木の葉か
彼女の姿に変っている秦皮の樹の幹かもしれない
ハアト
悪い霊はこうして彼等の餌を奪ってゆく
殆ど神の御手の中からさえ
日ごとに彼等の力は強くなり
男も女も古い道を離れてゆく、慢りの心が来て瘠せた拳で心の戸を叩くとき
(家の外に踊っている人たちの姿が見える、そして白い鳥も交っているかも知れない、大勢のうたう歌がきこえる)
日の門から風が吹く
さびしい心の人に風がふく
さびしい心の人が枯れる
そのときどこかでフェヤリイが踊る
しろい足を輪に踏み
しろい手を空に振って
老人もうつくしく
かしこいものもたのしく物いう国があると
笑いささやきうたう風をフェヤリイは聞く
クラネの蘆がいう
風がわらいささやき歌うとき
さびしい心の人が枯れる
――幕―― | 底本:「近代劇全集 第廿五卷愛蘭土篇」第一書房
1927(昭和2)年11月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※「そして神父様、神は天の戸を開けておやりになるかも知れません」がメリイでなくハアトのセリフになっているのは、底本通りです。WB Yeats の原作では、メリイのセリフです。
入力:館野浩美
校正:岡村和彦
2019年1月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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昨日四石ひいたら
奴今日五石ふんづけやがった
今日正直に五石ひいたら
奴 明日は六石積むに違いねい
おら坂へ行ったら
死んだって生きたってかまわねい
すべったふりして
ねころんでやるベイ
そしたら橇がてんぷくして
橇にとっぴしゃがれて
ふんぐたばるべ
おれが口きかないともって
畜生
明日はきっとやってやる
(『弾道』一九三〇年三月号に発表) | 底本:「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」新日本出版社
1987(昭和62)年6月30日初版
初出:「弾道」
1930(昭和5)年3月号
入力:坂本真一
校正:雪森
2016年3月4日作成
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このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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北海道の樺太
「北海道のカラフト」
みんな、そこの長屋をそう呼んでいた、
谷間に並べ建てられたカラフト長屋、一日中ろくすっぽ陽があたらず、
どっちり雪の積んでいる屋根から、
煙突が線香を並べたように突き出ていた、
俺は時々自分の入口を間違い、他家の戸口を開けた、
屋根の煙突の何本目、そいつを数えて這入るのが一番完全であった
「来年の四月頃になれば陽があたりますよ」
古くから此処の長屋に住んでいる工夫の妻がそう言い俺達に聞かしてくれた。
来年の四月、
その四月がとても待ち遠しかった。
八号の一
親父さんは昼番
嬶は夜番
親父さんが帰って来る時嬶は家に居なかった
嬶が帰って来る時親父さんは家に居なかった
仕事から帰って来ると二人は万年床に代る代る寝た
年の暮の三十日の晩、公休で二人共家にいた
僕に遊びに来え来え言うので僕が行くと
親父さんはもう酔うて顔をほてらしていた
「いや、大将
共稼ぎって奴はね……………
今日は久濶で嬶にお目にかかってさ
まるで俺あ色女にでも会ったような気持よ
大将、人間っていうものは、いくつになっても気持はおんなじですぜ」
嬶は下をつんむいた位にして
やっぱりうれしそうな
いくらか気の毒そうな笑いをもらしていた。
十号の七
親父はハッパ場の小頭
子供が大ぜいで、何時でも酒ばかり飲んでいた
或る日針金貸してくれって来たから
たぶん煙突でも吊るに必要なのだと思って貸してやったら
山へ兎ワナかけて、兎を捕ってきては酒の肴にした
借りた針金は忘れてしまったのか
俺達は兎はウマイ話ばかり聞かされていた
それでもお正月には糯米一俵引いて来た
引いて来たはいいが
それからこっち野菜も米も買われない日が
一週間も二週間も続いた
そして毎日餅ばかり噛っていた。
十号の五
或る日瀬戸物のぶちわれる音がした
同時に女のヒステリカルな叫び声が壁を突き抜いた
「ナナナナナントスンベ
こん畜生よオ
たった五つしか無い茶碗三つ壊しやがってよオ」
どすんどすん蹴り飛ばす音がして
「カンニンシテヨオ」の
幼き者の声がした。
八号の三
八号の三は坑内の馬追い
酒精中毒らしい舌は何時でもまわらなかった
袢天も帽子もドロドロにし
馬と一緒に暗い坑内から出てくると
まわらぬ舌を無理にまわして
妻に胸のいらいらをぶちまけていた
酔がまわるに従って、だんだん声が高くなるのが常だった。
「いったい、てめいは、せがれが高等を卒業したらどうするつもりだ?」
「何を毎日酒ばかし食ってけつがって
子供の教育とはよく出来た
わしが男だったら、立派に教育さしてみせら」
「なななんだど 畜生
なまいきぬかすと承知しねいゾ
酒はもとより好きではのまぬ、あわのつらさでやけてのむ。わからんか 畜生、
えへ、金、金だよ、金さえありゃ中学でも大学でも、
一日一円や二円の出面取りが
どうして子供を大学へなんぞやられると思う?
わかったようなわからない生いきぬかすない」
壁一重の対話が夜中まで繰り返され
仲々寝つかれない晩があった。
九号の二
働き盛りの兄貴と親父は失業者
一日を五十銭で働くおっかあと
一日六十銭で働く二番目が稼でいた
「働くのもいらいけれど
遊んでいるのもいろうですわい」
一家七人の鼻の下がかわく日が多かった。
九号の四
人間があまるんだとサ
人間があまっているんだとサ
首になって
今日屋根にのぼり煙突はずしていたが
うよ、うよ子供を引きつれ
雪の中を
何処へどう流れて行ったもんだか
家の子供は僕に言う
「何処へ行くんだべか。」
十号の八
ろくすっぽ会って話したこともないのだが
自分の家の煙突掃除をやると
いつでも屋根づたいにやってき
僕のところの煙突を黙って掃除してくれる
その男は僕に言う
「ボヤを出すと首だからねイ」
九号の七
「この不景気に稼がして貰えるのは有難ていこってすよ
あんたさんの方は公休日にも稼げるからいいですなア」
山の裏手の方から吹いて来た風のような言葉に
僕は返す言葉に当惑した。
八号の二
ムッチリして、ろくに物を言わぬ男がいた
開墾さんにしては少し物のわかった
水と油とどっか色合のちがった
仲間を悪化する者であり、会社の秘密をアバク者なりと会社が彼をきめてしまったのは
彼が自著の詩集を友達にくれたその日からだ
彼は会社から蛇の如く、毛虫の如く嫌われ
会社の犬はうるさく彼をつき纒った
圧迫、更に圧迫
彼はまるで罪人扱いの毎日を送っていた
彼はその悲喜劇の中で
じっと明日を考えていた
彼の布団の下には仲間からの手紙があった
クロポトキンやバクーニンがあった
布団を冠り、コツコツ何かをノートへ記していた
(一九三一年十一月北緯五十度社刊『北緯五十度詩集』に発表) | 底本:「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」新日本出版社
1987(昭和62)年6月30日初版
初出:「北緯五十度詩集」北緯五十度社
1931(昭和6)年11月
入力:坂本真一
校正:雪森
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品名": "炭坑長屋物語",
"作品名読み": "たんこうながやものがたり",
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"原題": "",
"初出": "「北緯五十度詩集」北緯五十度社、1931(昭和6)年11月",
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今日来て見ると、Kさんの書卓の上に、ついぞ見なれぬ褐色のきたない三六版ほどの厚い書物が載っていた。
「先生、それは何です?」と訊くと、
「まあ見たまえ」と、ワイルドの『デ・プロフンディス』や、Kさんの大好きなスウィンバアンやアーサア・シモンズの詩集の下から引出して、僕の手に渡してくれた。見るといかにも古色蒼然たるものだ。全部厚革で、製本はひどく堅牢だ。革はところどころはげたり、すりむけたりしている。縁も煤けている。何だかこう漁師町の娘でも見るような気がする。意外に軽い。
無雑作に開いて見ると、これは聖書だった。細い字が隙間なしに植えてある。まんざら漁師町に関係のないこともないと思って、
「聖書ですね」とKさんを見ると、Kさんのその貴族的な、いかにも旗本の血統を承けているらしいすっきりした顔は、微笑にゆるんで、やや得意の色があった。
「掘出し物だ。ヴィクトリア朝のものじゃない、どうしても百年前のものだね」
「へえ」と今更感心して見る。
「夜店で買ったんだ。初め十銭だって云ったが、こんなもの買う人はありゃしない、五銭に負けろと、とうとう五銭で買って来た。さあ、どうしてあんなところにあったものかなァ」
「へえ、五銭……夜店で」と僕は驚いたような声を出した。この貴族的な詩人が五銭で聖書を買っている光景を眼前に描き出して、何とも云えず面白い気持がした。が、そのすぐあとから、自分が毎日敷島を二つ宛喫うことを思出して、惜しいような気がした。何が惜しいのかわからないが、兎に角惜しいような気がする。
むやみにいじくって見る。何やら古い、尊い香がする。――気が付くと、Kさんの話はいつの間にかどしどしイプセンに進んでいた。イプセンと聖書、イプセンは常に聖書だけは座右を離さなかったというから、これもまんざら関係がないでもないと思う。
Kさんが立って呼鈴を押すと、とんとんとんと、いかにも面白そうに調子よく階段を踏んで、女中さんが現れた。僕がこっそり好きな女中さんで、頬っぺたがまるく、目が人形のようにぱっちりしていて、動作がいかにもはきはきしていて、リズミカルだ、さすがに詩人の家の女中さんだと来る度に感心する。
僕は聖書を書卓の上に置いて、目の前にあった葉巻を一本取上げた。「さあ、葉巻はどうです」と二度ほど勧められて、もう疾くに隔ての取れた間なのに、やっぱり遠慮していたその葉巻だ。女中さんは妙にくすりと云ったような微笑をうかべて僕の手つきを見て、それから若旦那の方を見て、
「あの、御用でございますか?」
「あのね、奥の居間の押入にね、ウィスキイとキュラソオの瓶があった筈だから、あれを持っておいで」
女中さんが大形のウィスキイの瓶と妙な恰好をしたキュラソオの瓶とを盆に載せて持って来た時、Kさんは安楽椅子にずっと反身になって、上靴をつけた片足を膝の上に載せて、肱をもたげて半ば灰になった葉巻を支えながら、壁に掲げたロセッティの受胎告知の絵の方をじっと見ていると、僕も丁度その真似をするように、同じく椅子の上に身を反らして、片足を膝の上に載せたはいいが、恥しながら真黒な足袋の裏を見せて、やっぱり葉巻をささげて、少し首を入口の方へふり向けてロセッティを見ていた。この頗る冥想的な場面に女中さんの紅くふくれた頬が例の階段上の弾奏を先き触れにして現れた、と思うと、いきなりぷっと噴き出した。
「おや、どうした?」とKさんは冥想を破られて言った。
僕は女中さんの顔を見ると、ひどくきまり悪そうに丸い頬を一層紅くして、目を落してしまった。これはきっと僕に何かおかしいところがあったのに違いないと思って、僕もすっかり照れて、ふと手の葉巻を見ると火が消えていた。急いでそれを灰皿につっこんで、僕はまた例の聖書を手に取った、真黒な足袋の裏をあわてて下におろしながら。
どうも僕の様子はまずこの聖書ぐらいは見すぼらしいに違いない。それが立派な旗本で、今は会社の重役の次男なる主人公と同じ貴族的な態度ですまし込んでいたのだ、と思うと、僕は顔が真紅になるような気がした。だが、女中さんの噴き出したのは、ただ何がなしにその場のシテュエーションの然らしめたところだろう、若い女というものは箸が転んでも笑うと云うではないか、尠くともそれは僕に対する嘲笑ではない筈だ、それは彼女の目がよく証明している、などと僕はひとりでしきりに推究した。なお進んでは、此家の主人公がこの白銅一個を以て購い得た古書に無限の価値を見出して賞玩するように、このかわいらしい女中さんも僕の見すぼらしさの中から何等かの価値を見出してくれているかも知れないなどと、例の詩人らしいいい気な自惚れに没頭していると、
「さあ、今日は酒でも飲みながらゆっくり話そう」と云って、Kさんは二つの杯になみなみとウィスキイをついだ。
僕はすぐ酔ってしまった。Kさんのふだんはぼんやりと霞がかかったようにやわらかな顔が、輪廓がはっきりして来て、妙に鋭くなっている。Kさんが酔うといつもこうだ。二人の話は愈々はずみ出した。僕は調子に乗って、象徴詩を罵り始めた。
「僕は詩壇をあやまるものは今の象徴詩だと思います。象徴詩は人間を殺します、一体今の象徴詩などを作るには何も一個の人間であるを要しません、ただ綺麗な言葉をたくさん知っていて、それをいい加減に出鱈目に並べさえすればいいんです。それでいて詩人の本当の人間らしい叫びを説明だなどと貶すのは僭越じゃありませんか。シェレイの『雲雀の歌』などを持って来て、意味ありげな言葉をつなぎ合せて、でっち上げたばかりの自分の象徴詩を弁護しようなんて滑稽じゃありませんか。象徴詩なんて、要するに空虚な詩工には持って来いの隠れ場で、彼等はその中で文字の軽業をやってるだけです」
僕は口がだるくなって止めにした。Kさんは時々「ふむ、ふむ」と受けながら、穏かな微笑を浮べて聞いていたが、「まあそんなに憤慨しなくてもいいよ。つまらないまやかし物は時の審判の前には滅びてしまうのだから。早い話が、基督はいくら十字架にかけられても」と聖書を手に取上げて、「その精神は今日此中に生きているじゃないか。いくら圧迫されても無視されてもいいから、本当の詩を書かなくちゃいけない」と云ってまたそれを下に置いた。僕はこの先輩の声援にすっかりいい気持になって、その聖書をまた手に取ってしきりに引っくり返しながら、いつになく盛んに気焔を挙げた。
帰る時に、僕があまりその聖書を熱心にいじくっていたものだから、
「何なら持って行きたまえ」とKさんは云ってくれたが、僕は、
「いえ、なに」と立上りながら云った。御馳走ではないものだから、Kさんは「遠慮したもうなよ」とまでは勧めなかった。下へおりると、奥の方で賑かな女の人の笑声がした。門を出ようとして、横の方を見ると台所の窓のところから、例の女中さんの顔が此方を覗いていた。僕は玄関に立っている主人に云う風をして、「さようなら」と、一寸彼女の方に頭をさげた、何だか彼女がにっこり笑ったように思われた。僕はひどく愉快な、はしゃいだ気持になって、「Kさんは珍らしいものを見つけたものだな」と心に呟いて、あの聖書のことを考えているつもりでいながら、いつか女中さんのことを考えながら、そのぷっと噴き出したのはどうした訳だったろうと、いろいろな想像を逞しくしながら、本郷三丁目までてくてく歩いた。 | 底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社
1999(平成11)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「生田春月全集 第六巻」新潮社
1931(昭和6)年9月
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
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