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---|---|---|---|---|
「それで、せんぱいの個性は何ですか?」
さっきから聞き飽きた質問を何度もしてくるこの少女の名前は一色いろは。ついさっき手を組んだばかりだ。
「はあ、それ6回目だぞ」
呆れたようにため息をつく
「あのなあ、そもそも個性を聞かれて簡単に答えるやつは馬鹿だけだ」
「何ですかそれ〜!私が馬鹿だって言いたいんですか!」
怒った風に手をグーにして殴ってくる。全く痛くないが鬱陶しい。
「別にそうは言ってないだろ」
その時、炎が上がっているのが目に入る
「おいおい、何だあれ」
「何ですk・・って、何ですかあれ!!」
「わからん、だがヴィランが関わっているのは間違いないだろう」
驚きのあまり口を開いてアホみたいな顔になっている一色を視界の端に捉えて炎の上がっている場所へ向かう
「ここだな」
かなりの人ごみで何が起こっているのか確認できない
「せんぱい、どうやらこの先でヴィランが人質をとっているんですが、その人質の子が個性を使って逃げようと暴れてるらしいです」
「そうか。てか、何でお前そんなこと知ってるの」
「あの人達に聞きました」
一色が指を指す所に男達がいる。そしてこちらを、いやどちらかというと俺を睨んでいる。俺達そういうんじゃないんですけど・・
「便利な個性だな」
「違いますよ、普通に聞いただけです」
なるほど、俺にはできない芸当だ。そうこうしているうちに少しだけ見えるようになってきた。
「何だ、あのヘドロみたいなやつ、あれが今回のヴィランか?」
「そうみたいですね。正直キモいです」
その時の一色の目はマジで引いていた
「それにしても、ヒーローはあんな奴も倒せねえのか。がっかりだな」
「せんぱい、どうしますか?」
「そうだなぁ、俺の仕事を増やす害虫は駆除しようか」
俺はフードをかぶり姿勢を低くして戦闘態勢に入る
「マジですか、ちょっと待ってください。こんな人ごみで戦ったらバレちゃうじゃないですか!」
一色も場所が場所だけに何がバレるとまでは言わない
「知るか、これでもリスクリターンは誰よりも分かっているつもりだ。さっさと殺せば問題はないお前は先に逃げておけ」
その時、緑髪の少年が駈け出す。その姿は確かにここにいるどのヒーローよりもヒーローらしい行動だった。
ヘドロヴィランから爆発頭の少年を助け出そうとしている。が、手がヘドロで滑ってうまくいっていない
「やはり、やるべきだな」
俺がそう決めた時、それは現れた。人々には希望をヴィランには絶望を与える存在。平和の象徴・・・
「オールマイト・・」
誰かがそう呟いた。それが誰なのか、それは分からない。だが、ここにいる人々の気持ちは一つだっただろう。
オールマイトの攻撃で吹き飛ぶヘドロヴィランを見て思わず呟く
「おいおいマジか、バケモンかよ・・」
そのまま、人ごみを離れる。一色がいることを忘れ考える。俺はあのを相手に戦うことができるのかと。y
「・・・ぱい」
善戦はできても圧勝は無理だろう。いや、善戦できるのかすら怪しい。
「・・・んぱい」
あのバケモノと戦うには攻撃を最低限受けないことが重要になってくる。一回でも致命傷を負えば負ける。そうなれば、俺は捕まる。
そんなことになれば、小町は・・・
「せんぱい!!」
「うおっ!」
至近距離で一色が大声を出す。
「何だよ。耳もとで大声を出すな」
「だって、さっきから呼んでいるのに全然反応しないんですもん」
一色が少し怒った風に頬を膨らます。あざとい・・・
「そうか、悪いな少し考え事をしていた」
かなり深く考えていたのだろう。この時、周りへの注意をしていればこちらを見る怪しい視線にも気づけただろうと思ったのは
ことが起こってからだった。
|
やはり俺が本物のヒーローを見るのは間違っている。
|
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10000001#1
| true |
|
※attention※
・某笑顔動画で活躍されているwrwrdさんの二次創作小説です。御本人様との関係は一切ございません。
・容姿、口調、世界観等の捏造や、読者の方との認識の違いがある場合があります。
・読者の方に話しかけるような口調で書かれるページがあります。苦手な方はブラウザバックする事をおすすめします。
・作者は関西住みではありません。そのため関西弁がおかしな所がいくつもあるかと思いますが、温かい目でスルーしていただければ幸いです。
・花の種類等はネット検索で検索したものを使用しています。もしかしたら間違っている
かもしれませんが、あまり気にしないでもらえればありがたいです。
・また、花言葉は今回の話に関係のあるもののみを抜き出しています。他にも色んな花言葉があるので、ここに書かれているものだけではありません。
・この作品は腐向けではありません。ただ、捉え方は人それぞれになってしまうと思います。もしも読み手の方でそのように捉えてしまい不快に思った方はそっと閉じていただければありがたいです。
・晒し行為や荒らし行為はご遠慮願います。
以上を読んだ上で、「大丈夫!」という方は、ルールを守ってご覧下さい。
[newpage]
まさに〝草木も眠る丑三つ時〟という言葉がしっくりくるような深夜帯。
こんな時間だというのに真面目に城門の警備をしていた兵士に関係者であることを証明する証明書を見せ、城の敷地に足を踏み入れる。
重い足を半ば引きずるようにして歩き続け、ようやっとの思いで自分の部屋に辿り着けば、すぐさまベッドに身を投げる。
タイムリミットが迫っている。
その事実は、前から理解はしていた。
だからといって心の準備が出来ていたかと問われれば、俺は迷うことなく「NO」と言葉を返すだろう。
今この瞬間も刻一刻と迫ってくる決断の時を前に、俺は何も出来ていない。
今すぐ行動に起こすなんて勇気はないし、逆らうだなんて選択肢はあって無いようなもの。
「どうしろって言うねん…」
無意識のうちに口から零れたその言葉は、俺が抱きしめていた枕に遮られて誰の耳にも届くことは無かった。
[newpage]
昔から、というより10年ほど前から、私は不思議な夢を見るようになった。
真っ暗な場所に1人で立っていて、少ししてから背後に花の絵が飾られた額縁が現れる夢。
それはまさに〝予知夢〟という言葉がピッタリで。
その夢の中の花が現実で起こる出来事を暗示しているのだ。
最初は私だってそんな事ある筈がないと高を括っていたが、本当に信じ始めたのは、確かその夢を見始めて4,5回目くらいの時だっただろうか。
確かその日の夢も、それまでと同じで暗闇の中に1人立っていた。
またか、と内心面倒になりながらも立ち続けていれば、少しして自分の目の前に同じ軍学校に通う青年が現れたのだ。
それまで人が現れるなんて事は無かった。
動揺しながらも、「どうせ夢なんだから毎回変わりもするだろう」と割り切って、特に気にすることなく動かずにいると、目の前の青年が私の背後を指さした。
何かあるのかと振り返れば、そこには毎度の如く夢に現れる額縁。
中には案の定花の絵が描かれていた。
その花は真っ赤な色をした怪しげもので、当時の私が見た事のない花だった。
もっとよく見てみようと額縁に顔を近付けた所で、ふと視界が暗転して、目が覚めた。
正直、今も昔も、私はそこまで花に詳しいわけではない。
ただ、知らない事があると知りたくなる好奇心には逆らえなかったようで、私は目が覚めるや否や、何故か部屋に置いてあった植物図鑑を本棚から引っ張り出し、夢で見た花を探した。
それによればその花は【彼岸花】という花のようだった。
名前や見た目だけでなく、花言葉や迷信まで頭に詰め込んだのだが、ところで。
その彼岸花の迷信の1つに【彼岸花を家に持ち帰ると火事になる】というものがあったのだが、物騒だなぁという印象が強くてその時は頭に残っていただけだというのに、まさか夢に出てきた青年の家が火事になったのだから笑えない。
まぁそんな事があってから、自分が時々見る夢が予知夢だと理解し始めたのだが。
さて、(元)大学教授である私がなんでこんなに長ったらしく飽きやすい説明を書いたのか。
それにもちゃんとした理由はある。
だって、今現在進行形でこの夢を見ているんだから、説明は必要でしょう?
[newpage]
目を開けばまた暗闇だった。
ココ最近この夢を見ないなと思っていた矢先にこれか。
この夢の中では自由に動けることは知っているが、その実動いても何も無い事も知っているので、ため息を1度だけ吐いて他には何もせずにその場で動かない。
少し時間が経つと、急に目の前に見知った青年が現れた。
紫色のジャージを着て、ゴーグル付きのヘルメットを被った青年の顔は、何故か謎の影で隠されていて見る事が出来ないが、流石に誰なのかは察しがつく。
その彼は私の背後をゆっくりと指さす。
半ば指示ともとれるその行動に従って、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには相も変わらず額縁が。
私は額縁に近付いて描かれた花を眺める。
赤紫色の小さなベル型の花と、赤っぽい3枚の花弁が三角状に開いた花。
どちらも見たことの無い花。
目を覚ましてから忘れないように、しっかり目に焼き付けようと額縁に手を触れて__
_目が覚めた。
視界に映るのは暗闇に浮かぶ額縁ではなく、見覚えのある天井。
いつも額縁に触れようとすると目が覚めるのだ。
またも額縁に触れることが出来なかった残念さは置いておき、急いでベッドから抜け出し本棚から愛用の植物図鑑を取り出す。
夢に出てきた花を見た目のみで探すのは大分神経を使うが、知らない事を知らないままにするのがどうも落ち着かないタチな私からすれば気にもかからない。
植物図鑑を睨み続けること10数分。
漸く見つけた2輪の花。
ベル型の花は【エリカ】、三角状に開いた赤っぽい花は【チグリジア】というらしい。
どちらもこの国の周辺では咲かないものらしく、見た事がないのにも納得がいった。
それにしても…
「【孤独】と、【私を助けて】…か。」
お世辞にも良い意味とは受け取れないそれらの花言葉に、どこか胸騒ぎを覚えながらも、朝から騒がしい足音を響かせる来客を迎える為にタンスからシャツとベストを取り出した。
[newpage]
「エミさんなんか知らへん!?」
恐ろしい勢いで扉を開いた来客が開口一番に言った言葉はそれだった。
まず何の話か分からないし、彼の声が大きいのと、光を反射する明るい金髪のせいで朝から耳と目が痛い。
先程入れたばかりの紅茶を1口飲み、来客を見据える。
今日一番の来客_コネシマさんは、私からすればとても予想外な来客だった。
まず彼がこの時間に起きている事など今まで見たことなど無かったし、何より彼が私の自室を訪れる事自体数少ない。
そんな彼がどうして私の自室を訪れたのか。
彼の様子を見るに、内ゲバもしくはトントンさんの粛清から逃げるためにこの部屋に来た訳でもなさそうだ。(例の数少ない訪問は、どれもそのためだった)
「何の事について言っているかは分かりませんが、とりあえず座って落ち着いてください。」
椅子から立ち上がり、彼の分の紅茶を入れる。
空いた席の前に紅茶を置けば、彼は言葉に従って腰をおろした。
チラリと時計に目を向ければ、表示されている数字は6:35。
やはり彼が起きるには[[rb:些 > いささ]]か早すぎる時間である。
「…で、何か知らないか、でしたか?一体何についての事か教えていただいても?」
紅茶を音を立てずに啜っていた彼に声を掛ければ、カップをソーサーに置くことなく手に持ったまま口を開く。
「ショッピくんの事。なんか、最近ショッピくんの様子がおかしいねん。」
伝えるべき事を伝え終えると、彼は再びカップを口元に運び紅茶を啜り始める。
ショッピさんの事、と言われてまず思い浮かぶのは今日の夢のことである。
夢に現れた彼が指さしていた花は、どちらも悪い意味の花言葉のもの。
何かあるのかもしれないとは思っていたが、まさか本当に何かありそうだとは。
しかし、ここ数日のショッピさんの様子を思い出してみるが、特におかしなところは無かったように思える。
仕事や訓練をしている時も、これと言って目立った点はなくいつも通りだったと思う。
まぁ、そこまできちんと見ていたかと言われると、通りすがった時にチラッと見た程度だが。
「…ショッピさんの事、ですか。正直、私は彼との接点がどちらかと言えば少ない方なので、そこまでおかしな所は思い当たらないですね。」
「そうかぁ…。」
「そういうコネシマさんは、ショッピさんのどの辺りを【変だ】と思ったんですか?」
「うーん…なんやろ、何個かあるんやけど…」
と言って指を折りながら口にしていく。
・食事の時や訓練の時も少しどこか上の空
・考え事をしている事が圧倒的に増えた
・書類のミスが増えた
・最近殺意を感じない
1番最後のはショッピさんだからこその【おかしな点】なのだと思うが、一瞬「それはいい事なのでは?」と思ってしまったのは許して欲しい。
「あ!あと夜に部屋に居らん事が多くなってん!」
「夜に?」
「おん。ここ最近トントンが徹夜付けなせいなんか知らんけど、俺の書類ん中にしょっちゅうショッピくんの書類混ざっててん。んで毎回ショッピくんに渡しに行くんやけど、ここ数日ずっと部屋に居らへんねん。」
「絶対なんかあると思うんやけどなぁ」と続けたコネシマさんの言葉は、右耳から左耳へと受け流される。
_これは絶対に何かある。
それも悪い方向の【何か】である。
何故こうも嫌な予感が的中してしまうのか。
本当に、あの夢を見て良かったと思ったことは1度もない。
ということは、もっと詳しくあの花の花言葉と迷信について調べた方が…
「おーい、エミさーん?」
呼び声に反応していつの間にやら閉じてしまっていた目を開けば、目の前でコネシマさんが手を振っている。
考え込むと周りの音が聞こえなくなるのは悪い癖だ。
少しだけ冷めてしまった紅茶を喉に流し込み、思考を落ち着かせる。
「すいません、少し考え事を。」
「…ふぅん。まぁエミさんは特に知らんって事やねんな。」
「はい、今のところは。」
「そうかぁ…。」
「お役に立てず、すいません。」
「ええねんええねん!急に押し掛けたんは俺の方やし。」
「じゃあ、ありがとうな」と言って部屋を出て行く彼を見送り、残った紅茶を飲み干す。
空になったティーカップをソーサーに置いて、朝食の時間が迫っている事を確認し、急いで片付けを始める。
…さて、ショッピさんの件はどうしようか。
[newpage]
「ほらまだ食べれるやろ?」
「いやアカンて、流石に吐く…」
「えぇーつれへんなぁ…。あ、じゃあシッマの変わりにトントン食う?」
「シッマ食え、頑張れ、俺応援しとるから。」
「お前ぇ…絶対に道連れにしたるからな…」
「…ごちそうさまでした。」
食害を受けている人達を横目に見ながら、目の前に置かれた空になった皿に手を合わせる。
1日というものはあっという間で、今日はショッピさんを観察しようと心に決めていたのに、今日の分の書類仕事や図書室と書庫の整理、部下の手伝いをしていればあっという間に夕飯の時刻になってしまった。
おかげでショッピさんを観察するどころか、夕飯まで1度もショッピさんを見ずに終わってしまった。
食べ終えた自分の分の皿を厨房の食洗機の中に並べる。
食洗機の中には、普段から少食気味なグルッペンさんと大先生とシャオロンさん、そして食べるのが早いひとらんさんとオスマンさんの皿が既に並べられていた。
…そして、普段ならまだ並んでいないはずのショッピさんの皿も。
そこでふと、そういえばここ数日ショッピさんの皿が私よりも早い内に並べられているな、と思う。
以前までは私が食害の餌食にならなければ、大体私の方がショッピさんよりも早く食べ終わっていた。(ショッピさんが食害を受けていた事も[[rb:数数 > しばしば]]あったが、それを抜きにしてだ。)
冷蔵庫から見つけ出した食後のデザートを片手に持ったグルッペンさんとオスマンさんに並んで食堂に戻る。
ショッピさんはまだ食堂から出て行ってはおらず、自分の席に座っていた。
しかしコネシマさんの言った通り、やはりどこか上の空のようで、ゾムさんやコネシマさん、シャオロンさんから話し掛けられてもあまり聞いていない事が多いように見える。
「…なんや、エーミールもショッピくんの事気にしとるんか。」
急に自分のすぐ横からこの組織の中で1番低いであろう声が聞こえ、顔を向ける。
砕けた口調になった我らが総統グルッペンさんは、デザートで御機嫌なようだ。
「今朝シッマが俺の所にショッピくんの事を相談に来てな。様子がおかしいって。」
「おや、グルッペンさんもでしたか。」
「【も】ということはお前もか?」
「えぇ。私が起きたすぐ後に私の部屋を訪ねてきまして。」
「じゃあ多分俺より先にそっち行ったんやな。」
「エーミールも食べるか?」と言いながら、フォークに乗せた1口分のケーキを差し出してくる。
グルッペンさんが甘味を差し出すだなんて珍しい、と思いながらも今は甘味の気分では無いので断っておく。
…グルッペンさん、目に見えて喜ぶのやめましょう?
「あぁ、そうだエーミール。」
「はい?」
「この後部屋に帰った時に追加の書類が置かれているはずなんだが、その中に【誤って】ショッピくんの分の書類が混ざってしまっているらしい。」
「届けに行ってやれ」と言う彼の顔は小さく笑っており、絶対意図的にやっただろうことが伺える。
しかし、書類を振り分けているのは確かトントンさんだったはずだが、もしや彼もグルなのか。
…いや、彼はトンか。
「分かりました。自分の分を終わらせ次第持って行きますわ。」
「すぐには行かないのか?」
「…だって、まだ終わりそうにありませんから。」
苦笑しながらある方向を指さす。
その先には、いまだ食害を続けるゾムさんとその被害を受けるコネシマさん、トントンさん、ショッピさんの姿。
まぁグルッペンさんの事だから、すぐに行かない理由がそれだけではない事くらい分かっているだろうが、別にバレたくない訳でもないし問題は無い。
「では、お先失礼しますね。」
もっきゅもっきゅ、という謎の擬音を発しながらスイーツを食べ続ける総統にそう告げ、席を立つ。
最後に食堂を出る前にショッピさんの方をチラッと確認したが、その表情は死にかけていて、違和感を感じるより以前の時と代わりないように思えた。
自室の扉を開けば、グルッペンさんの言った通り、机の上に小さな書類の山が作られていた。
山は2つに分かれており、片方はそれなりの高さ、もう片方はほとんど高さがない状態で置かれている。
というより、ほとんど高さのない書類は2枚しか置かれていない。
これは流石に意図的としか思えない。
「やっぱり、グルッペンさんは好きになれへんわ…」
自分の他に誰も居ない部屋で1人ため息を吐き、大きな音を立てながら椅子を引く。
この書類はどのくらいで終わるだろうか。
流石にそう掛からないだろう。
早く終わったらあの花達について調べてみようか。
〝予定の時間〟までの時間の潰し方に思いを巡らせながら、机上に置かれた万年筆を手に取った。
_その日の深夜、例の〝予定の時間〟。
ショッピさんは案の定部屋に居なかった。
[newpage]
また暗闇の中に立っていた。
2日連続でこの夢を見るのは初めてだ。
今までとほとんど同じな景色、といっても暗闇。
唯一前回までと違うのは、最初から私の目の前に人が立っている事くらいか。
立っているのは昨日と変わらずショッピさんで、顔はやはり伺えな……
…ん?
よく見てみると、昨日の時点よりも謎の影が隠している部分が小さくなったように思う。
というより確実に小さくなっている。
昨日は顔全体が見えなかったが、今は口元だけは伺えるようになっていた。
その口は真一文字に引き結ばれている。
何かを堪えているようにも、何かを耐えているようにも見える。
「ショッピさ…」
これが自分の夢であり、目の前の彼が本物ではないことくらい分かっている。
それでも何故か声を掛けずには居られなかった。
だがその言葉は、彼の行動によって遮られた。
今までと同じように私の背後を指さす。
結局ここは夢の中。
いつもと同じ流れで進むだけである。
振り返れば紫色のフレームの額縁。
…昨日まで紫のフレームだったか?
考えていても思い出せない事は察せられたので、仕方なく額縁に近付く。
中心には昨日のように2種類の花が描かれている。
そして人によっては気付かないかもしれないほど隅で、1輪の花が枯れていた。
中心に描かれている花のひとつは昨日と同じチグリジア。
もうひとつは紫色の花弁が6枚ついていて、下の部分に長い花筒がついている。
どこで見たかは覚えていないが、この花はどこか見覚えがある。
たしか【クロッカス】という花だったと思う。
隅の花は前回のチグリジアやエリカの時と同様、見た事の無い花だった。
枯れてしまったせいで少しくすんでしまった黄色の花が、蝶に似た形を作っていた。
早く目を覚まして花言葉を調べなければ。
そう思い額縁に手を伸ばし___
「____。」
「…え?」
昨日同様自室のベッドの上で目を覚ます。
最後に背後でショッピさんが何かを言ったようだったが、内容はうまく聞き取れなかった。
なんて言っていたのか考えようとしても、全ては夢の中の出来事。
予想なんて出来っこない。
諦めて、本棚から植物図鑑を抜き出して、記憶に近い花を探し出す。
【エニシダ】。
それが今回枯れてしまっていた花の名前らしい。
枯れていなければ本当に鮮やかな黄色をしている。
そしてもう1つの花はやはり【クロッカス】で間違いないようだった。
クロッカスの花言葉は【焦燥】、エニシダの花言葉は【幸せな家庭】。
珍しくエニシダの花言葉が良い意味のものだったが、それが枯れているということは…
急いでベッドから抜け出し、タンスから着替えを取り出す。
もしもこの予想が当たっていれば、絶対に面倒なことになる。
そうなら今すぐにでも…
早急に着替えを終わらせ、部屋を飛び出す。
こんなに廊下を本気で走ったのはゾムさん達の内ゲバに巻き込まれた時以来だろう。
階段を2段飛ばしで最上階まで駆け上がり、角を曲がる。
途中で兵士がギョッとした表情でこちらを見ていたが、そんなこと気にしている暇はない。
目的の扉の前で乱れた息を整え、丁寧に2回ノックする。
「エーミールです」とだけ伝えれば、中から「入れ」と声がかかった。
重厚な扉を押し開ければ、室内の[[rb:緋 > あか]]と[[rb:蒼 > あお]]の視線が一点に自分に集まる。
二人とも息を切らした私を見て、少し目を丸くしているようだった。
…けどそんなこと知らん。
「…グルッペンさん、お願いがあります。」
[newpage]
「何を躊躇っている!いつまで待たせるつもりだ!」
部屋に入るやいなや飛んでくる怒声。
同じ言葉を何度聞かされたろうか。
まぁ、殴られたり蹴られたりという暴行を加えられないだけマシだろうとは思うが。
「此方は貴様と違って時間が無いのだ!」
「それくらい分かるだろう」と目の前のぶっくりと肥えた男は、苛立ちを隠そうともせずに言い捨てる。
「……承知しております。」
「ならば何故行動に移さない!」
そう言われれば黙るしかない。
何故か、なんてそんなの好きだからに決まっている。
そんなデブの命令1つで動けるほど心は強くない。
男は何も言わない俺に嫌気がさしたのか、はたまた苛立ちが限界を迎えたのか知らないが、俺を見下ろして言葉を吐き捨てた。
「…このままでは埒が明かない。期限は明日までだ。」
「……………………え?」
今なんと言った?
期限が、明日まで??
「ちょ、ちょっと待ってください!期限は今月中までだと先日…!」
「喧しい!こうでもしないと貴様は動かんだろう!!すぐにやらぬ貴様が悪いのだ!」
頭が真っ白になる。
流石にこれは予想外過ぎた。
何か言われたり、もしかしたら暴行を受けるかもしれないとは覚悟していたが、これは流石に唐突すぎる。
「出来なければ…分かっているだろうな?」
しかし、俺に反論なんて出来るはずがない。
グッと手をきつく握りしめながら「はい」と返し、一礼してから部屋を後にした。
1人屋敷の廊下を進む。
時々すれ違うメイドや執事達は、可哀想という顔こそすれど、他に何もしない。
その点を彼らと比べてしまう辺り、やはり俺も大分毒されているのだろう。
今はそれが枷となっているというのに。
それが邪魔だと言うのに。
そのくせ心地が良いのが現実で。
やはり壊す勇気なんて無くて。
頬を伝った涙を無理矢理拭き取った。
何事も無かったかのように何時もの表情で城に戻る。
と、昼間なためか中庭の方で狂犬2人組が水遊びをしてはしゃいで居るのを見つけた。
2人は城門まで聞こえそうなくらい大声で騒いでいて。
あ、トントンさんに注意されてやんの。
なんて心の中で馬鹿にしてみるも、やはりこの光景に安心してしまう自分がいる。
「…心、無ければ良かったのに。」
小さく呟いて、俺の名前を呼ぶ先輩の声を無視して自室に戻った。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
「…あれ?エミさんと大先生は?」
此処の夕食は全員が揃ってから挨拶をするのが決まりとなっているのだが、今日は2席だけ空いていた。
そこで、そういえば今日1日エミさんと大先生を見ていない事を思い出す。
「エミさんと大先生なら、今朝グルッペンの部屋行ってからどっか出掛けてったで。」
「俺すれ違ったんやけど、珍しく大先生がマジな顔しとったから、多分仕事かなんかやろ。」
「そうですか」なんて素っ気ない返事を返してから夕食に向き直る。
カレーを1口口に突っ込む。
…やっぱり、最近何を食べても美味しく感じない。
[newpage]
三日連続同じ夢。
立っている人物も同じ。
唯一違うのは描かれている花だけ。
今回変化したのは中心の花。
やはり変わらないチグリジアと、もう1輪。
真っ赤で幅広く、用語を使うのなら万重咲きと言うのだろうか、そのような咲き方の花。
その花は昔見た事があった。
【ダリア】。
花言葉は_
_【裏切り】。
[newpage]
昼食が終わり、談話室ではスイーツを食べ終えてご満悦だったグルッペンさんがソファに腰掛けて眠っていた。
音を立てないように扉を閉めて周囲を見回すが、他には誰も居ないようだ。
ゆっくりと足音をたてないように気持ち良さそうに眠る彼に近付く。
ここまできたというのに、やはり決心は付かない。
震える指で、ホルスターに入れられた愛銃を撫でる。
決心なんて関係ない。
やらなければならないのだ。
やらなければ…
「やらないのか?」
目の前から聞こえた声に反射的に1歩後ずさる。
ついさっきまで眠っていた_いや、眠った振りをしていた、の方が正しいのだろうか。
彼は腕と足を組んで俺を見つめていた。
「なんで…」
「生憎昔から先を読んだり推理をしたりするのが好きなものでね。」
やっぱりこの人はどう頑張っても殺せない。
有難いようで有難くないその事実に、さっき以上に手が震える。
それでも、やらなければいけない現実は何も変わらない。
震える腕を無理矢理動かして、ホルスターから銃を抜いた。
「…それでお前が後悔しないなら、俺は何も止めないし動きもしない。」
_ただ、1発撃てば誰かしらは反応するだろうな。
「…怖く、無いんですか。」
「この世界に身を落とした時点で、死ぬ覚悟くらい出来ているさ。それに、こんな総統なんて役柄なら尚更な。」
彼はそう言うと、ソファからゆっくり立ち上がり俺の方に近付いて、そして_
_銃を手で掴み、銃口を自分の胸に押し当てた。
「…は?」
「ほら、これで外さないだろ?」
この人の考えている事が分からない。
そんな事をすれば、いくら俺の腕が震えているとはいえ、確実に死ぬのは目に見えている。
彼の蒼が俺を見つめているのが分かる。
ゆっくりと、トリガーに指をかける。
それを理解したのか目の前の彼は蒼を隠した。
知らずのうちに息を止めて、指に力を込めて銃声が___
カチャッ
__響かなかった。
「…は」
声なのか息なのか分からない音が漏れた。
引金を引いたのに銃声は響かないし、目の前の彼は倒れていない。
頭の中が【何故】という言葉でいっぱいになる。
「直前にもっと武器の点検をするんだったな。」
いたずらっ子の様にニヤリと笑う彼の指の間には、1つの銃弾が挟まれていた。
それは間違いなく俺の愛銃の銃弾で。
俺が[[rb:一 > ・]][[rb:発 > ・]][[rb:し >・ ]][[rb:か > ・]][[rb:入 > ・]][[rb:れ > ・]][[rb:て > ・]][[rb:い > ・]][[rb:な > ・]][[rb:か > ・]][[rb:っ > ・]][[rb:た > ・]]銃弾で。
「ショッピさん!!!」
俺の手から銃が滑り落ちるのと、一日ぶりに聞く声が聞こえたのはほぼ同時だった。
声の方向、入口に顔を向ければ昨日一日会うことのなかったエミさんの姿。
エミさんは走って来たのか息が上がっており、壁に手をついて呼吸を整えて、入ってきた時と同じくらいの大きさで叫んだ。
「ショッピさん!これを、見て、ください!」
彼がスーツのポケットから取り出したのは1枚の書類だった。
それには見覚えがあって、いや、見覚えがありすぎて。
「きちんとデブ本人から手渡されましたよ。」
その言葉1つで全てを察した。
そして彼はニコリと優しい笑みを浮かべるとその紙を高々と掲げ、
真っ二つに破り捨てた。
[newpage]
※会話文めっちゃ多め
昼下がりの総統室。
中から聞こえるのはペンを走らせる音ではなく、話し声と時々食器同士がぶつかる音。
本来ならそれを咎めるであろう大天使は、数時間前に徹夜のし過ぎでダウンしていた。
いつもとは少し雰囲気の違う総統室では、茶色の彼と黒の彼が小さなティーパーティーを開いていた。
「んで、やっぱり今回の件も〝視て〟たのか?」
「えぇ、2,3日くらい前から。」
「相も変わらずろくな夢を見ないな。」
「我ながらそう思いますわ。」
「…ところで、結局昨日破り捨てたあの紙はなんだったんだ?」
「あぁ、あれならショッピさんを脅していた男とショッピさんの契約書類ですね。」
「契約?」
「はい。まぁ家族を人質にされて無理矢理書かされた物らしいですけど。」
「ほぅ。よくそんなもの渡してもらえたな。」
「大先生に男の黒い部分調べてもらって、それをあげていったら案外簡単に渡してくれましたよ。」
「…お前って意外と怖いよな。」
「貴方も大概ですよ。」
ふふっと小さく笑った茶色は、紅茶を1口飲み込んだ。
黒色は少しムスッとした表情でケーキを口に運ぶ。
部屋に少しの間だけ沈黙が落ちる。
ふと、黒色が何かを思い出してニヤリと笑った。
「…なぁエーミール。もうすぐ家族に近況報告に行くんやけど、お前も来るか?」
その言葉を聞くや否や先程までの柔らかい表情から一転、急に顔を顰めて紅茶を少し雑に啜った。
「…えぇ、行かせてもらいます。また花でも持って行きましょうか。」
「だからあれはお前は悪くないと言っとるやんけ。」
「それでも私の気が晴れませんので。」
「それで?今度は何の花を持っていくつもりだ?……あぁ、彼岸花でも持って行けばいいんじゃないか?」
「…それは私に対する嫌味ということでよろしいですか?」
「さぁ?」
「……これだから貴方の事は好きになれないんですよ。」
「褒め言葉として受け取っておこう。」
黒色は口の端を吊り上げながら、茶色は黒い笑顔を浮かべながら睨み合う。
先にその状況を壊したのは茶色の方で、大きなため息を吐くとカゴに入れられたマカロンを一つ手に取り口に放り込んだ。
「…そういえば、私は今まで何の花を持って行きましたっけ?」
「ツリガネソウ、オトメギキョウ、イバラだな。」
「…では今回はキンミズヒキにでもしましょうか。」
「お前なぁ…」
「あの件については謝っても謝りきれないので。」
ため息を吐く黒色を見る茶色は、最初と同じ穏やかな笑みを浮かべている。
窓の外からは[[rb:件 > くだん]]の紫色の彼の楽しそうな笑い声が聞こえていた。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
ツリガネソウ…【感謝・後悔】
オトメギキョウ…【感謝・後悔】
イバラ…【後悔】
キンミズヒキ…【謝意・感謝】
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悩みを抱える外資系と教授の不思議な夢のお話<br /><br />登場<br />メイン:教授、外資系 サブ:総統、狂犬(書記長、無能、不人気、脅威はフレーバー程度に)<br /><br />✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼<br /><br />初投稿です。<br />慣れない点も多くありますので、間違っていたりしたらそっと教えていただければありがたいです。<br /><br />終わり方が釈然としない…。<br /><br />※注意※<br /><br />・某笑顔動画で活躍されているwrwrdさんの二次創作小説です。御本人様との関係は一切ございません。<br /><br />・容姿、口調、世界観等の捏造や、読者の方との認識の違いがある場合があります。<br /><br />・読者の方に話しかけるような口調で書かれるページがあります。苦手な方はブラウザバックする事をおすすめします。<br /><br />・作者は関西住みではありません。そのため関西弁がおかしな所がいくつもあるかと思いますが、温かい目でスルーしていただければ幸いです。<br /><br />・花の種類等はネット検索で検索したものを使用しています。もしかしたら間違っている<br />かもしれませんが、あまり気にしないでもらえればありがたいです。<br /><br />・また、花言葉は今回の話に関係のあるもののみを抜き出しています。他にも色んな花言葉があるので、ここに書かれているものだけではありません。<br /><br />・この作品は腐向けではありません。ただ、捉え方は人それぞれになってしまうと思います。もしも読み手の方でそのように捉えてしまい不快に思った方はそっと閉じていただければありがたいです。<br /><br />・晒し行為や荒らし行為はご遠慮願います。<br /><br />至らない点は多くありますが、楽しんでいただければ幸いです。<br /><br />【追記】<br /><br />2018 8/10〜8/16<br />[小説]ルーキーランキング77位<br /><br />【さらに追記】<br />2018 8/11〜8/17<br />[小説]ルーキーランキング62位<br /><br />まさか初投稿作品でランキングに入れるとは思っていませんでした。本当にありがとうございます!
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朧の花は何を語る
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10000103#1
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間桐雁夜はゴミ捨て場に立っていた。
状況と状態を正確に表すならば、路地裏のゴミ捨て場の薄汚れた壁に息も絶え絶えにもたれかかっていた、と言うほうが正しい。
積もったゴミが放つ腐臭と深夜の暗く淀んだ静けさが支配するそこに、ぜいぜいと言う雁夜の荒い呼気だけがやけに響いていた。
月は薄い雲に隠され、代わりに時折思い出したように弱々しく光る古びた街灯がその死人じみた土気色の肌を照らしている。
「…く、そっ…」
ゴホ、ゲホッ、と、湿った咳が何度か続いた後に、何かを撒き散らすような音が落ちる。
舗装のひび割れた地面にじわりと染み込む赤黒い血溜まりの中で、雁夜の身体を蝕む虫――刻印虫がかん高い鳴き声を上げのた打つ。
「と…きッ、おみィ…!」バーサーカーに根こそぎ吸い上げられ、魔力はもはや枯渇しきっている。目は霞み、五月蝿い耳鳴りのせいで周りの音が何も聞こえない。
それでも、左半身を引きずり、目だけは憎悪にギラギラと光らせて、雁夜は夜の路地裏を歩く。
出来ることならば今すぐにでも時臣の所にバーサーカーを送り込みたいが、如何せんそれには魔力が足りない。
今はとにかく体を休めなければ、と、少しでも落ち着ける場所を求め、息も途切れ途切れにただ歩く。
しばらくふらふらと歩き続けていたが、足下に転がる何とも知れない障害物に足を取られ、崩れ落ちるようにゴミ袋の山の中へと倒れ込んだ。
くそっ、と一人悪態を吐き、何とか立ち上がろうと足掻く。
しかし限界以上の力を使い果たし、気力だけで立ち続けていた身体は、今や雁夜の意志通りに動いてはくれない。(――惨めだ)
泣きたくなるような気持ちに、いまだ血の味がする唇を噛む。どうにも上手く事は運ばない。早く時臣を殺して、桜を助けて、葵の笑顔を取り戻したい、だけなのに、どうして自分はこんなゴミ溜めで倒れ伏している?
(これも、ぜんぶ、)
顔を上げることすらも叶わないまま、まるで力の入らない拳を、それでもぎゅう、と握りしめる。
(時臣の、せい、だ、)
そして、間桐雁夜の意識はそこで途切れた。[newpage]雁夜はゴミ捨て場に立っていた。
日はすでに昇っているらしく、顔を上げれば朝特有の、薄ぼんやりとしつつも爽やかな色をした空がビルに切り取られるように広がっている。
遠くからは雀の鳴く軽やかな声や車のエンジン音と振動、雁夜にとっては今や懐かしい人々の日常の喧騒も控えめながら聞こえた。
どうやら意識を失った後このゴミ捨て場で一夜を明かしてしまったらしいということまではすぐに理解できた。
が、
(…なんで俺はここに立ってるんだ?)
ゴミ山に突っ込んでその後意識を失ったのが雁夜の昨夜の最後の記憶だ。しかし、それなら倒れ伏したその体勢のまま目覚めるのが道理のはず。
魔力不足と体力の限界で倒れたというのに、わざわざ体力の消耗が激しい姿勢を取り直した理由がわからない。立ち上がった記憶もない。自分の不可解な行動に首を捻っていると、どこからか規則正しい靴音が聞こえてきた。音が徐々に大きくなって来るのを考えると、どうやらこちらに向かって来ているらしい。
(まずい!)
昨夜も人気の無さそうな道をなるべく選んで通っていたつもりではあったのだが、今も時折聞こえるエンジン音や学生らしきガヤガヤとした談笑の声からして、このビルを抜けた表通りはそこそこ人通りがあるらしいことは想像がついた。
今の自分の醜い姿を一般人に見せることは雁夜の本意ではなかった。見られて怯えられるだけならまだいいが、通報されでもしたら最悪だ。
どうしようかとまごついている間にも靴の音は規則正しく、軽やかに、こちらに近付いてくる。とにかくこの場から離れようと、音とは反対の方向、路地裏の更に奥まった道の方を向きかけた、その時、
「雁夜?」
雁夜は信じられない声を聞いた。[newpage]それは昔、何度か聞いた声だった。雁夜の想い人が会いに行くというので、その付き添いで顔を合わせた時に。
年齢としては自分と同い年位のはずなのに、その声はやけに朗々と威厳があり、周りに染み渡るようだった。最初に彼のことをいけ好かなく思ったのはそこだったかもしれない。
その声が、今聞こえるはずの無い声が、雁夜の背後に投げかけられた。
反射的と言っても良い速度で、振り返る。
「やっぱり雁夜だ。どうしたんだい、こんな所で」
路地裏の暗がりでも分かる蒼い目、深い茶色の緩やかな巻き毛。整った顔には薄らと笑みを湛えて。
あの頃と違うのは、その微笑みが、彼女ではなく自分に向けられている所か。
制服の白いシャツとブレザーは一つとして校則に反していないかのようにきっちりと、しかしそれをまるで彼の為に誂えられたかのように着こなしている。「時、臣」
雁夜の高校時代の記憶そのままの姿で、遠坂時臣はそこに立っていた。
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出来たところまで投下、続くかは未定、下げるかも、まだ雁時未満、おじさんが学生時臣とキャッキャウフフする話(予定)/まさか小説処女をFateに奪われるとは思っていませんでしたビクンビクン それもこれも時臣師がフェアリーなのがいけない。ギル時くださいマボワください雁時くだ!!さい!!来週が怖くて仕方ないけど楽しみでもあるので生きます。はあ愉悦愉悦。※今はほぼ全く無いはずですが続いたらネタバレが激しくなる可能性大、雁時成分を含み出すかもしれない。あと捏造がすごい。そして何より色々拙いですがご容赦を
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夢のあとさき 【腐】
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1000035#1
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一目惚れだった。
真っ直ぐな双眸、通った鼻梁、高い額、唇、肩、腰、腿。美しいという形容が陳腐に思われる。こんなにも惹かれるのに、しかしその凛々しさは容易に近付く事を許さない。他の男はなぜ平静で居られる。衝動を必死に抑えているのか。この私のように。
「ディルムッド・オディナ。一年。武道学部槍術科。」
それが私の想い人であった。
「流石だな。」
「今や君と並んで有名人だ。態々僕に尋ねなくても、適当な女生徒に声を掛けたら聞き出せたよ。」
切嗣は私が礼を告げるより早く踵を返したが、一歩踏み出すなり振り向いて首を傾けた。
「何だ。」
「どうしてこんな事を聞いた。」
「校内の常識を聞いて何がおかしい。」
ディルムッド・オディナ。
オディナ君。
私が彼を知ったのは入学式の日の事だ。
履修登録に向けた調べ物を済ませ図書館を出ると、学内は式を終えた新入生でごった返していた。更にはそれと同数の上級生が部活動の勧誘に励んでおり余りの騒がしさに顔を顰めた事を覚えている。
帰宅するべく校門へ向かう途中、一際密度の高い人集りがあった。大方勧誘の一環としてパフォーマンスが開かれているのだろうと考えたが、集まっているのはチラシを手にした上級生ばかりである。
足を進めながらも怪訝に思い眺めていると不意に人混みが波打ち中から一人の新入生が飛び出してきた。
それがオディナ君その人であり、私は彼の輝く貌に骨抜きにされたのである。
『戦争概論』
武功という箔を欲していた私は、武道学部の提供するこの科目を履修する事を決めた。
門戸の広さを謳っている割に教室は狭く、席は百程度である。別段拘りのない私は入室したドアから一番近い席に腰を下ろした。講義の開始まで数分ある。テキストには既に目を通していたが、見直して悪い事もないだろう。
顔を上げるとオディナ君がいた。
目の前の席に座っているため後頭部しか見えないが、間違いない。入学式のあの日から見かける度に目で追っていた姿である。何という僥倖。オディナ君がこんなに近くに。
漆黒の髪がなぜ眩しいのだろう。癖があって、太くて、指通りは良くなさそうだ。仄かに香る気がしてきた。触れたい。顔を埋めたい。そして覗く項の瑞々しさ。赤子の肌のように滑らかだ。口付けたらミルクの味がするのだろうか。いけない。なんとふしだらな事を考えているのだ。くっ、貴様が私の頭の中を読んでいる事は知れているぞ。わーわーわー。それにしてもオディナ君の瞳は綺麗だ。飴のようにとろりと光って、そんな目で私を見つめないでくれ。そんな目で…目?
「レジュメ、回して頂けますか。」
その形にその声は反則である。
私は卒倒した。
[newpage]
『戦争概論』
五分後に目の前の教室で開始される講義である。私はこれを履修しているが現在入室を渋っている。
先週は想い人の前に酷い醜態を晒してしまった。白目を向いてはいなかったろうか。泡を吹いてはいなかったろうか。散々思い悩んだ挙句、私は一歩を踏み出し教室の引き戸に手を掛ける。こんな逡巡は茶番である。行かなければならない。オディナ君との接点を潰す気など私には毛頭ないのだ。
入室するなり先週自分が陣取っていた席が目に入り、視線はそのまま一つ前の席へ引き移された。そこにオディナ君の姿はなかったが厭でも己の醜態が脳裏に浮かび、私は数段上の席に腰を下ろした。
講義開始まで一分というところで想い人が入室してきた。相も変わらぬ美丈夫である。彼は教室を軽く見回してから先週と同じ席に腰を下ろした。私の席から距離はあるが、同列ではないため顔を拝む事ができる。悪くない。
しかし、次の瞬間だった。
視界の外から内へ、目の前を幾つもの人影が横切っていく。これが日本の忍か等と身構えている内に情報量は視力に敵うまでに落ち着いた。
しかし何たる悲劇、オディナ君の表情が窺えなくなっている。何故だ。何が起きた。
室内を見回して漸く理解した。教室のその一帯にだけ生徒が密集している。オディナ君を中心に女生徒が席を取り直したのだ。
抜かった。影は確かに忍であったが、猛々しきくノ一だったのである。オディナ君の顔が見えない。広い背中も見えない。声だって届かない。資料も手渡されない。
堪え難い損失である。
[newpage]
彼の大きな背中は私の恥など覆い隠してくれるだろう。戦争概論第三回、講義開始十分前。私は彼が前二回続けて座った席のひとつ後ろに腰を下ろした。
果たして彼は私の前の席にやって来た。透かさずカサカサという衣擦れの音と共に辺りから多種の香水が薫ったが、よくそれを認識したと思う程に私の意識は彼に奪われていた。
この距離から彼を拝むのは半月振りである。漆黒の髪、滑らかな項。耳の裏に鼻先を埋めたい。綺麗な綺麗なオディナ君。飴色の瞳も麗し
「お体の具合は如何ですか。」
「コポォ」
「えっ」
「問題ない。先日は迷惑を掛けた。」
断っておくが迷惑を掛けたと言ってもお姫様抱っこで保健センターまで運んで貰った訳ではない。それには教授の呼んだ担架が使われたそうだ。
「いえ、俺は何も。」
いつも遠くから見ていたオディナ君の微笑が私に向けられている。脳が沸騰しそうだ。しかし会話を繋がなくては。何だ、何と返答すれば良い。謝り倒す?開き直る?分からぬ。頼むからまだ背中を向けないでくれ。頼む頼むお願いお願い。
しかし時は無常である。鐘の音と共に講師が入室するとオディナ君は軽く頭を下げてから前に向き直った。
オディナ君と目が合い声を掛けられた。一個人として記憶に残され、会話も叶った。間近で感じる表情も声も私のキャパを超えていた。呼吸をするのがやっとであった。
しかし、それでも足りない。もっと見て、もっと話して。私の名前を呼んでくれ。
講義が終わり態と緩慢に片付けをしていると、先に席を立ったオディナ君は「お大事に」と言い残して去っていった。
優しい彼に私は精一杯の笑顔を向ける。事は叶わなかった。私を見下ろすその姿をただ脳裏に焼き付けていた。
[newpage]
抜かった。
講義開始五分前、私の座るべきその席には先客がいた。
それだけではない。オディナ君の指定席を残して周囲には女生徒が密集している。私の入る隙はない。どうにか奴らを散らせないかと思案したが当然そんな術も権利もない。私は肩を怒らせながら教室の後方に周り、女生徒の壁の死角を探りながら席を取った。
間もなくオディナ君が入室したが、眼前の光景にやはり唖然としていた。空席を取り囲む生徒達の表情は窺えないが一斉に首を捻り彼を見た事は確認できた。
オディナ君は室内を見回してから待ち構える女生徒を背に教室の後方へと足を進めた。良かった。あれに入れば身包みを剥がされても不思議ではない。彼の無事を確信して私は安堵の息を吐いた。
「隣、よろしいですか。」
「」
「?」
「ああ。」
「失礼します。」
何という事でしょう。オディナ君は私の隣の席をチョイスしたのだ。厳密に言うと隣の隣の席であるが、田舎では50m先にお隣さんの家があるそうだから表現に問題はあるまい。
隣から私を見下ろすオディナ君はやはり輝かしかった。自分がどのような表情をしているか分からなくなり慌てて顔を背けたが、拒絶と取られないよう精一杯穏やかな声で肯定した。
「いつもの席は混んでいましたね。」
いつもの、が共有されている事に胸の高鳴りを覚えたのは後に思い返しての事である。この時は指先の震えを隠す事と会話を途切れさせない事に全ての思考を注いでいた。
「いやに女生徒が多かったな。」
「友人と共に授業を受けたいという想いならば、俺にも理解できますが。」
何を意図して言ったのかその場で察する事は出来なかったが、妙に鼓膜を擽られる声に顔を向ける。机上で指を組んだオディナ君は真っ直ぐに私を見つめていて目が合うと穏やかに微笑んだ。
私は気をやるまいと机下で己の膝を殴り続けた。七回目の拳骨で視線を逸らせば良いという事を思い出し、強引に口角を上げて笑み返してから正面に向き直った。
「あ。」
間の抜けた声ですらオディナ君の口から紡がれると胸を焦がす。先刻の今で対面する事は躊躇われたため視線だけをやって相手を窺うと、オディナ君は更に笑みを深めている。
「どうかしたかね。」
「先輩が笑った顔、初めて見ました。」
更に十回膝を殴った。
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ディルケイ。ランサーとケイネスが学生です。後記:タグ追加、ブクマ、評価ありがとうございます!とても嬉しいです!
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全13回の恋・上
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1000078#1
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[chapter:一話]
「お疲れ様でした」
店主に一礼し、バイト先の酒屋を出ると、空は茜色に染まっていた。
今日もよく働いた、と独り言ちながら何度か伸びをして、それから僕は、視界いっぱいに広がる街を眺めた。
なんということはない、どこにでもありそうなこの街は、しかしかつて、その全てを焼き尽くされた。
魔術王による人類史焼却。
世界を滅ぼしかけたその企みは、とある組織によって阻止された。
「…………」
そんな過去などなかったかのように、街は人の営みで溢れていた。
視界に映る商店街には、家路を急ぐ人々の姿が在る。
誰もが皆忙しなく、しかし確かに生きていた。
「…………」
胸の内を、万感の思いが満たす。
確かに自分は、この世界を救ったのだと。
自分たちの手で拒んだ過去であっても、あの日々を忘れることはない。
何もかもが黒焦げになったあの焼け野原を、今でも覚えている。
そこで得た出会いや別れも、何一つ忘れることなく鮮明に記憶している。
――――我が親愛なる、浮世絵師のことも。
「……帰ろう」
僕もまた、街の人たちと同じように家へと急いだ。
愛すべき我が家。
今の自分にとって、帰るべき場所。
バイト先から二十分。
大橋を渡った先にそのアパートは存在する。
「……地震怖いなぁ」
十人中十人がオンボロと言うであろうその外観に苦笑が漏れる。
『嫌になれば引っ越せばいい』とこのアパートへの居住を決めた相方は、住めば都ということで慣れ始めているようだけど、個人的にはもう少し綺麗な所に引っ越したい所存だ。
なにせ大事な、きっと世界で一番大切な人を住まわせるのだから。
……まぁ、今のところ主に予算の都合で引っ越しの予定はないんだけど。
甲斐性なしな自分に半ば呆れながら錆びついた階段を上る。
「ただいまー」
ガチャガチャと鍵を鳴らし、日当たりだけはいい角部屋の扉を開け挨拶をするも返答はまるでない。
いつもの事だ。この程度の声量では彼女の集中力は乱せない。
廊下を通り過ぎ、奥の和室へと向かうと、
「♪~」
――そこには、鼻歌交じりにタブペンを手繰る着物美女の姿があった。
彼女の手元には刑部姫とお揃いの液タブがあり、描かれているのはどうやら最近流行りのアニメキャラのようだ。
おそらくイラストサイトで生配信をしているであろう彼女を、僕は微笑みを浮かべながらじっと見つめ続けていたのだけど。
「んっ、そろそろ一息つくかァ……お」
ぐっと背伸びをし、ふと振り向いた先、彼女は僕を視界に収め、それからふわりと微笑んだ。
「おかえりますたあ殿。今日は早かったじゃねェか」
ごろんと寝転がりながらこちらを見上げる彼女に、僕もまた微笑みを返す。
葛飾応為。
父である北斎と共に召喚され、時にはその身体を貸す事で『北斎』の筆を振るうサーヴァントにして、僕の大事な同居人だ。
「ただいまお栄さん。絵は順調?」
「応ともさ。この『らいぶ』ってのはいいねェ。その場で反応が返ってくるもんだから、毎日書き初めをやってる気分だ」
書き初め、というと僕が彼女と初めて会った時の、寺の境内でやってたアレの事を言っているのだろう。
あんな風に多くの人に見られながら絵を描く事を誰もができるようになったのは、この現代における利点の一つなのかもしれない。
「じゃあ僕は夕飯を作るから。出来上がったら呼ぶね」
「ン……いつも済まねェな、ますたあ殿」
「いいよ、そんな苦じゃないし。あ、今日は大福を買ってきたから後で食べようね」
「また買ってきてくれたのかい?」
「もう飽きちゃった?」
「いや、そういうわけじゃねえが……なんだい、ますたあ殿はおれを甘やかしすぎちゃないか?」
「あー……まぁいいでしょ、別に。気分だよ気分」
不敵な笑みで問いかけてくる彼女に、僕は曖昧に笑う事しかできない。
「さ、絵に戻った戻った。現代のファンがお栄さんを待ってるよ」
「お、おう……」
ぱちりと手を鳴らし彼女を急かした僕は、そのまま和室を後にしようとしたんだけど。
「……ますたあ殿」
「うん?」
振り向いた先、彼女はこちらをじっと見つめていて。
「…………」
「お栄さん?」
「……なんでもねェ。夕食、きっちり作ってくんな」
「あ、うん、任せて。腕によりをかけて作るよ」
「そうかい」
にっ、と笑い、お栄さんは液タブへと視線を戻した。
そうして筆を操り始めた彼女に微笑みを浮かべ、僕はキッチンへと向かった。
世界を救った後、僕はカルデアには残らず日常に帰るという選択をした。
元々、魔術の腕はからっきしだったから、カルデアの研究員として残るというのは少し無理のある話だった。
ダヴィンチちゃんを始めとしたメンバーたちは別れを惜しんでくれたけど、最後には快く送り出してくれた。
『どうか元気で。君に最上の幸福があることを祈るよ』
涙ながらに僕の手を取り、笑顔を見せてくれたダヴィンチちゃんの顔を覚えている。
そうして、僅かな資金と幾つかの魔術礼装を手に、僕はカルデアを出たんだけど……。
「んーっ! 現代のお大福は旨ェなァ!」
夕食と風呂を済ませた後、僕らは卓袱台を囲んでいた。
「昔のも悪くはなかったが、まるで甘味が違う。筆や絵具だけじゃなく菓子にも磨きがかかってんだねェ」
嬉しそうにもぐもぐと大福を頬張る彼女を見て、自然と笑顔になる自分がいる。
少女らしい可憐な振る舞いもまた、彼女の魅力の一つだ。
「にしても、刑部の姫様に教えてもらったあの『液たぶ』ってのはいいねェ。なにせどれだけ絵の具を使ってもタダと来た! 操作はちと難しいが、間違いなく世界一の発明だ」
「お気に召してもらえたようで何よりだよ。あ、甘酒のおかわり要る?」
「当然サ! ますたあ殿もどうだい?」
「じゃあ一杯もらおうかな」
「よしきた!」
差し出した蕎麦猪口に、お栄さんは甘酒をなみなみと注いでくれる。
そして代わる形で僕に甘酒を注がせ、それから彼女は猪口を掲げてきた。
「そら、乾杯だ」
言われるまま、チンと猪口を合わせる。
「甘酒で乾杯なんて初めてしたよ」
「悪かねえだろ?」
にやりと笑い、お栄さんは甘酒を煽る。
「ン……甘酒も旨えと来た。現代ってのは天国かもしれねェなァ」
上機嫌そうに微笑む彼女に、僕は言葉を紡ぐ。
「ふふ、今日はいつにも増して楽しそうだね、お栄さん」
「そりゃあそうさ! 甘酒に大福、それに愛しの……………と、とと様がいるってんだから」
「そっかそっか」
本当にお父さんの事好きなんだなお栄さん。
死後もなお絆で結ばれている父娘なんて、この世界を見渡してもそうはいないだろう。
「な、なんだいとと様。何呆れてんだい。籠にでも閉じ込めちまうよ。……わぷっ!」
「あーあーまた墨を……」
こうして遠慮のない触れ合いができるのも、深い絆ゆえなのだろう。
「ほら、お栄さんこっち向いて」
「こ、子供じゃねェんだからテメエで吹けるサ」
「いいからいいから」
「っ……たくっ、物好きめ……」
ウェットティッシュを手に取った僕に、お栄さんは頬を赤らめながらも大人しく顔を拭かれ続けた。
『マスター!』
カルデアを出た僕を、親愛なる浮世絵師、葛飾応為は慌てて追いかけてきた。
『どうしたのお栄さん? あ、もしかして僕、何かカルデアに忘れ物でもしてた?』
『いや、そうじゃねえ。カルデアを出るんだろ? なら、おれも連れてってくんな』
『え?』
突然の宣言に呆けた声を漏らした僕の眼前、お栄さんは
『せっかくこの世に召喚されたんだ。座とやらに還る前に、一つ本物の画工ってやつになってみたいと思った次第サ』
『な、なるほど……』
彼女は本物の画工となるべく、現界を続ける事で絵を描き続けたいようで。
『でもそれってカルデアでもできるような……』
『っ……細かいところに気づくんじゃねェよウスラトンカチが……』
『え?』
『何でもねェよ! 雪原が広がるここより、ますたあ殿と外に出た方がいろんな景色が見られるとだろ?』
『あー、それは確かに……シミュレーターじゃ満足できないって話だったもんね……』
なるほどと頷く僕にお栄さんはと微笑み、
『ま、なんだ。家事はロクにできねェが、居候の駄賃は絵で払ってやるサ。なんならますたあ殿好みの枕絵だって……』
『いや、そういうのは別にいいよ。気にせずおいで』
『何? そりゃ本当かい?』
『あんまり広い部屋は借りられないと思うけどね』
目を丸くするお栄さんに僕は苦笑して、
『約束してたでしょ。君の絵を、葛飾応為の絵を買うって』
『! ますたあ殿……』
『いつかカルデアに戻ってきた時に買おうと思ってたけど、君が僕についてきてくれるって言うなら……うん、僕はそれを傍で応援するよ』
お栄さん、と僕は彼女の名を呼んで。
『これからもよろしくね。……君が君として完成するよう、僕も目一杯応援するから』
心のままに告げた僕に、
『…………』
しかし、お栄さんは大きく目を見開いたまま固まっていて。
『お栄さん?』
『……本当に物好きだな、ますたあ殿は』
問いかけた先、お栄さんは呆れたように、しかし嬉しそうに笑って。
『そういう事なら、遠慮なく居候させてもらうサ。今後ともよろしくな、ますたあ殿?』
そう言って不敵に微笑んだ彼女と、僕は共同生活をする事になった。
お栄さんと北斎さん、二人と共に生活を始めて、改めて僕は彼女たちの絵に対する熱意を知った。
「まだ寝ないの、お栄さん」
「ああ、キリのいいとこまで進めちまいたい。マスター殿は先に寝ててくんな」
寝室の隣の和室にて。
僕が見守る中、お栄さんは笑みを浮かべながら描き進める。
彼女は時間があれば何かしら絵を描いていた。
家にいる時は液タブで、外出中はタブレットで。
感覚を忘れぬようにと墨絵や水彩画などのアナログ画法も欠かさず行っている。
生涯をかけて絵と向き合い、死後もなおひたむきに画工としての己を磨き上げ続ける彼女の在り方はあまりにもストイックで。
しかしその一方で、彼女はそれを感じさせないある種の軽やかさを持っていた。
絵を描くのが楽しいと、そう全身で伝えてくるような振る舞い。
楽しげに、上機嫌に、からからと快活に笑いながら千里の道を歩む。
その在り方は、僕にとってあまりにも眩しいものだった。
……恋焦がれるようになったのは、一体いつからだろう。
詳しい事は思い出せない。
ただ一つ言える事は、僕はもう彼女にぞっこんだという事だ。
ついつい彼女の好物を土産に買って帰ってしまうくらいに。
家事と仕事を任されても、全く苦に思わない程に。
知られてはいけないのだと思う。
知ればきっと、彼女は僕の元を去ってしまうだろう。
色恋なんてものは、彼女には不要なのだから。
その想いには答えられないと言って、彼女は軽やかに引っ越すのだろう。生前と同じような気楽さで。
だから、この想いは伏せていよう。
これからもずっと、彼女を応援し続けるために。
いつか完成する彼女の絵を一番に買うために。
「…………」
そんな僕の想いを他所に、お栄さんは筆を走らせている。
僕はこの顔が一番好きだ。
そのまっすぐな瞳が何よりも美しいと思えた。
そんなお栄さんの顔を見ながら眠る。
ああ、なんて贅沢な事だろう。
「なんだい、こっちをじっと見て。子守り歌でも歌ってほしいのかい?」
「あぁ、それはいいね。お栄さんの声はとっても綺麗だから」
「っ……なんだいそりゃあ。褒めるなら絵を褒めてくんな」
頬を赤らめながら顔をしかめるお栄さん。
絵を褒められる事には慣れている一方で、自分の事について褒められるのは慣れてないらしい。
そんな所も、僕は可愛いと思う。
言えば彼女は怒るだろうから、きっと言わないけど。
「……おやすみ、お栄さん」
「ン……おやすみ、マスター殿」
こちらに微笑みかけてくれた彼女に、僕はじんわりと胸の奥底が温かくなるのを感じながら眠りの海へと沈んだ。
「……寝たか」
「たくっ、こんな面倒な女を好きだなんて、物好きもいたもんだ」
「いっちょ前に隠してるつもりかもしれねェが、バレバレすぎてこっちが恥ずかしくなってくる。画工の観察眼がなくたって察してただろうサ」
「なんだいとと様。家事くらいできなくたって問題ない?」
「……分かってんだろ、とと様。おれはサーヴァントで、あいつは今を生きる人間だ。おれが引き止めちゃいけねえんだよ」
「じゃあすぐここを出るべき? そりゃあ、まぁ、そうだけどよ……」
「……あぁ、全部あいつが決めるべき事だろうサ。おれがテメエ勝手に決めていい事じゃない」
「とと様に旦那を紹介してもらった時はこんな気持ちにはならなかったのになァ……」
「こいつはおれを否定しない。家事もロクにできねェおれを、にこにこしながら応援してくる」
「それに、おれの絵を買いたいと言ってくれた。北斎ではない、おれの絵を」
「こんなにおれの事を見てくれたのは、とと様以来サ」
「だから、まぁ、なんだ。……憎からず思ってるサ。でなきゃ、わざわざあの快適なカルデアを出てまでついていくわけねェだろ?」
「それをこいつは気づかねェってんだから……たくっ、朴念仁が……」
「あん? 初孫が見たい? 馬鹿、生まれるわけねえだろ」
「ン……そりゃまぁ、欲しくねえ事もねえけど」
「とと様がおれに教えたように、私も子に教えてみたいもんサ。おれととと様と、こいつの3人で」
「たくっ、おっ死んじまった後に初恋をするなんざ、人生分からないものだねェ」
「……可愛い顔で寝てやがる」
「とと様みたいにさらっと口吸いでもできたらよかったのかねェ。なぁ、マスター殿……」
「……添い寝でもしてやりゃ明日驚いてくれるかねェ。どう思う、とと様?」
「いっそ襲え? そりゃあ……おれが無理だ」
「だ、だって、幻滅されるかもしれねェだろ?」
「下手糞だ、って愛想尽かされた日には目も当てらんねェ」
「……そんな奴じゃないって事は分かってるサ。でも……」
「あん? とと様が代わる? 『おれなら問題ない?』」
「……決めた。明日の夕食はたこ焼きにしてもらうサ」
「とと様なんて食われちまえばいいんだ」
「たくっ、スットコドッコイが……」
「いっそますたあ殿が襲ってくれりゃいいんだが……ま、かまわねェか」
「ん、しょっと……ふふ、意外と逞しい腕だね」
「こうして、隣にいられるだけで胸は満たされる」
「あんたといるだけで、おれは幸せサ」
「見てナ、ますたあ殿」
「あんたが生きてるうちに、おれは、葛飾応為は本物の画工になってみせる」
「そしたらぷろぽぉずだってなんだって……」
「……くぅ……」
[chapter:二話]
「ん、んぅ……」
カーテンから漏れた陽光に、ふと目を覚ました。
薄い敷き布団の感触に、自分が今カルデアにいない事を思い出す。
……誰よりも愛おしい浮世絵師と同居してる事も。
思わず顔をほころばせながら、彼女のために朝食を作るべく布団から起き上がろうとして、
「ん……?」
腕が上がらない。
妙な重さに首を傾げながら視線を向けた先、
「お、もうお目覚めかい」
「!?」
そこには、浴衣姿の可憐な美少女がいた。
「おはようますたあ殿」
「あれ!? お栄さん!? なんで!?」
慌てふためく僕に、お栄さんはいつも通りの快活な笑みで、
「なぁに、そこに枕があったから借りただけサ。迷惑だったかい?」
「い、いや、そんなことはないけど……」
間近に迫る想い人に動揺する。
こんなこと初めてだ。
お栄さんもそれなりに茶目っ気がある人だとは思ってたけど、こんな事をするなんて……。
「ひょろっとしてるように見えて、意外と鍛えてるじゃねェか。あぁ、寝心地も悪くなかったサ」
そんな僕を、お栄さんは微笑みを浮かべたままじっと見つめてくる。
う、可愛い……。
彼女の生き様に、その在り方に惹かれているのは事実だけど、それとは別に、単純に美少女なんだよな、お栄さん。
ただでさえ整った容姿にころころと変わる表情が合わさって最強に見えるし、ひとたび微笑みを浮かべれば可憐さが溢れ出し僕が魅了される。
……まずい。これ以上見つめられたら間違いなく赤面する。
いやもうしてる気もするけど真っ赤になる前に退避しなくては!
「そ、それはよかったよ。あ、あはは……」
そんなわけで僕は、慌てて彼女の可愛すぎる顔から視線を逸らした。
そう、視線を。
彼女の顔の真下に。
「…………」
そこには、二つの餅が並んでいた。
ふっくらとした立派な餅は、若干はだけた浴衣からこちらに覗いていて。
その圧倒的な存在感に、思わず僕は目を奪われてしまった。
「ますたあ殿? いったいどこ見て……」
そんな僕の視線をお栄さんはトレースし、
「……どこ見てんだい、ますたあ殿」
頬を赤らめながらこちらを睨みつけた。
「! い、いや、これは違うんだ、僕は……」
「助平なますたあ殿には、こうだ!」
僕の言い分を聞く暇すら許さず、お栄さんは何処からか筆を取り出し、
「あいたっ!」
さらりと宙に描いた逆さ富士で、僕の額を突いた。
「たくっ、助平野郎が……」
「う……ごめんお栄さん……」
「……別に構いやしねェよ。ますたあ殿も男だしな」
申し訳なさで満たされる僕に、お栄さんは呆れたように溜息を吐く。
やってしまった……。
不可抗力とはいえ、お栄さんをそういう目で見てしまうなんて。同居拒否も余裕であり得る失敗だ。
ここは誠意ある対応で信頼を取り戻さなければ……。
「ま、まぁ、なんだ? ますたあ殿も年頃の男子だし、み、見るだけなら少しくらいは……」
「いや、大丈夫。もう絶対、お栄さんをそういう風には見ないから。約束する」
そう、真剣に誓いを立てた僕に、
「……………」
「あ、あれ?」
お栄さんは無言で怒りを示しており。
「なんだい。そりゃ、おれの身体がそそらないって話かい?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「このウスラトンカチが……」
静かに怒りを表明しながら、お栄さんは僕を睨み。
それからもぞもぞと、僕を抱き枕のように抱きしめてきた。
「お、お栄さん!?」
「そんな嫌がらなくたっていいだろ? おれとますたあ殿の仲じゃねェか」
むにゅりと押しつけられる柔らかな餅に慌てふためく僕に、しかしお栄さんはどこか拗ねたような顔で、
「そういう風には見えないんだろ? なら、何も慌てる必要はねェじゃねェか」
言われ、ようやく僕は彼女を傷つけてしまった事に気づいた。
「見ます! いや見えます! すみません嘘つきましたお栄さんはそういう風に見ちゃいますごめんなさい!」
「ヘェ、本人に『助平な目で見てます』って宣言するのかい。ますたあ殿は変態だな」
「変態でいいから離して! お願い!」
「せっかくだ、若い男子の身体ってのを触って観察するのも乙かねェ」
「お栄さんは機会を無駄にしないなぁホント!」
「うるっさいね。そんなにおれにくっつかれるのが嫌なのかい?」
「嫌じゃないけど、その、色々あるから……」
「色々ねェ……」
「……傷つけたのは謝るよ。ごめん。お栄さんは誰から見ても魅力的だと思うよ。その……そういう意味でも」
「そいつは、ますたあ殿もかい?」
「……うん」
「そうかい。……なら、今日の所は許してやるサ」
言って、お栄さんはそっと僕の身体から離れた。
あ、危なかった……あと十秒遅かったら僕のゲイ・ボルグが解放されるところだった……。
抱擁はダメだ。柔らかいし小柄な身体を嫌でも思い知らされるしおまけにいい匂いするし。
またされたらまずいかもなぁ、と不安を抱く僕を他所に、お栄さんは起き上がり、
「さ、さっさと起きておくんなし。朝飯食べたら今日もバリバリ描くよ」
「……了解」
すっかり普段通りになったお栄さんに微笑みを返し、僕も布団から起き上がる。
「おはよう、お栄さん。今日もよろしくね」
「応さ。……おはよう、ますたあ殿」
微笑みかけた僕に、彼女もまたにっと笑みを見せてくれた。
「今日は出かけようかと思うんだけど、どうかな?」
白米に焼き魚、それとお味噌汁の和風な朝食を食べながら問いかけた僕に、お栄さんは笑みを見せた。
「悪くねェな。街に出りゃ、別嬪さんにお目にかかるかもしれねェしな」
「あはは、お栄さん程の人はなかなかいないからあんまり期待しないでね」
「……よくもまぁそんな言葉をやすやすと吐けるな、このボンクラは」
「え?」
「なんでもねェよ。それで? 街に行って何をするんだい?」
「そうだなぁ……まず服屋に行きたいな。お栄さんに洋服を買いたいんだ」
「この着物じゃ不満かい?」
「そんなことは全く。僕は大好きだよ、お栄さんの着物姿」
「そ、そうかい……」
褒められ頬を赤らめるお栄さんを微笑ましく見つめながら、僕は言葉を続ける。
「これから取材のためにも外に出る事が増えると思うんだ。そういう時、着物以外に着ていくものがあったほうがいいかなって」
「なるほどねェ」
「それとランチにも行きたいな。美味しい洋食屋さんがあるらしくて。お栄さんの口に合うといいんだけど」
「洋食も嫌いじゃねェよ。かるであでたらふく食べさせてもらったしナ。『ぴざ』ってやつをまた食べたいねェ」
「それは良かった。じゃあお昼はそこで。あとはお栄さんの画材探しかな。デジタルもいいけど、アナログも描きたいでしょ? だから画材を一式プレゼンしようと思って」
「いいのかい? この前買ってもらった『液たぶ』も高かったんだろ?」
「お栄さんには好きに描いてほしいからね。お気になさらず」
そう告げた僕に、お栄さんは照れ臭そうに微笑んで、
「そうかい。……ありがとナ、ますたあ殿」
「どういたしまして」
彼女に喜んでもらえるなら安いものだ。
喜んでもらえそうでよかった、と頷く僕の眼前、
「なるほど、服に食事に『ぷれぜんと』……ん?」
指折りで今日の予定を確認していた彼女は、ふと首をかしげ、
「ますたあ殿、そりゃ逢瀬ってやつじゃねェか?」
そんな妙な事を問うてきた。
「え? まぁ、そうとも言うのかな? 男女で出かけるわけだし」
逢瀬とはつまりデートの事だ。
哀しいかな、お栄さんは僕の事なんて歯牙にもかけてないだろうからデートって言えるか微妙なラインだけど、まぁ広義の意味ではデートと言えなくも「『そうとも言うのかな』じゃないよこのすっとこどっこい!」ひぇっ。
「たくっ、それならそうと早く言いやがれってんだ!」
「お、お栄さん?」
困惑する僕の眼前、お栄さんはぷりぷりと怒りながらカカカッ、と朝食を平らげ自室である和室へと向かい、
「すぐ支度する。ますたあ殿は玄関で待ってな」
「う、うん……」
僕が頷いたのを確認し、襖を閉じた。
ど、どうしたんだろお栄さん……いきなり怒り出すなんて。
「とと様! 着替えをどこにやったか知らないかい!? 『おれに聞くな』? くっ、とと様に頼ったおれが馬鹿だった!」
頭上に疑問符を浮かべながら、僕は和室から聞こえる騒々しい音を聞いていた。
それから三十分後。
「ま、待たせたナ、ますたあ殿」
玄関先に、お栄さんはやってきた。
「こういう時のために『かるであ』で一着仕立ててもらったんだが、その……似合うかい?」
どこか不安そうに自らの身体をちらちらと見ながら、僕に問いかけてくるお栄さん。
彼女は普段の着物や浴衣ではなく、セーターにスカートといった、現代風の衣服で身を包んでいて。
その……控えめに言って、最高に可愛かった。
「…………」
思わず無言になる僕に、お栄さんは拗ねたような表情で、
「なんだい、似合わねえなら遠慮なく言ってくれりゃあいいだろ?」
「い、いや……似合いすぎて、何も言えなくなったんだ。すごく可愛いよ、お栄さん」
「そ、そうかい……」
頬を赤らめるお栄さん。そんな初心な反応により、彼女の可憐さがより高まる。
すごい……絵に描いて残したくなるくらい可愛い……。
え、僕こんな可愛い子とこれからデートするの? ホントに? ドッキリとかじゃなくて?
テンパる僕を他所に、お栄さんはそっと僕の隣に歩み寄り。
「…………」
きゅっと、僕の手を握ってきた。
「お、お栄さん?」
いよいよ処理能力がパンクした僕を、お栄さんは上目遣いで見つめながら、
「逢瀬ならこうするんだろ? 刑部の姫さんの漫画で読んだ。……嫌なら離すよ」
「う、ううん! 嫌じゃない! ……嬉しいよ、お栄さん」
「……物好きだねェ、ますたあ殿は」
素直に心を告げると、お栄さんは呆れたような、それでいて嬉しそうな声を出し、
「そんじゃまァ、そんな物好きなますたあ殿と一緒に逢瀬と洒落込むとするか!」
いつもの調子で、僕と共に街へと歩き出した。
「……黙ってると、ホントにぬいぐるみにしか見えないね北斎さん」
「あぁ。悪いなますたあ殿。とと様、ついていくって聞かなくて……」
抱きつき人形と成り果てた父親同伴で。
まず最初に向かったのは服屋だった。
「うーん……」
「ナ? だから言ったろますたあ殿。あびげいるはともかく、おれに『ごすろり』は似合わねェよ」
「いや、すごい似合ってるよお栄さん。お栄さん可愛いから何着ても似合っちゃって、今どれ買うかすごい困ってる」
「なんだいそりゃあ……」
頭を悩ませる僕の眼前、試着室ですっかり着せ替え人形と化したお栄さんは頬を赤らめる。その様すら可愛い。
美少女ってすごい。心からそう思う。
「全部買いたいけどさすがにそこまでの予算はなくて……お栄さんはどれか気に入ったやつある?」
「そうさなぁ……ン、こいつは悪くねェな」
「ワンピース? いいね、涼しげで」
「これを着て、海にでも連れてってもらうとするかねぇ」
「海か……富嶽三十六景では海がよく描かれてたけど、お栄さんも海好きなの?」
「あぁ好きさね。あれだけ多彩に在り方を変えるのは海くらいのものサ」
「そっか。お栄さんの海の絵、楽しみにしてるよ」
「……楽しみにしてるのは絵だけかい?」
「え?」
「なんでもねェよ、ウスラトンカチ」
謂れのない罵倒をかまされたものの、僕は無事お栄さんに洋服をプレゼントする事ができた。
「ありがとナ、ますたあ殿。着物の方が着慣れてるが、こういう服も悪くねェ。……いろんな所へ連れてってくんな」
「任せて。僕も楽しみにしてるよ」
微笑みかけてくるお栄さんに笑みを返す。
色んな所に連れてけなんてお栄さんは言う事も可愛いなぁ……。
……あれ? これもしかして次のデートが確約されたようなものでは?
おや? と幸福すぎる現実に思わず疑問符を浮かべる僕の隣、上機嫌そうに僕の手を握っていたお栄さんは、しかし、
「ん? とと様どうした?」
抱きつき人形としてじっとしていた北斎さんに耳を傾けた。
彼はタコ足でそっと方角を指していて。
その先には、
「……北斎さん、そこに行ってもヌードは描けないと思います」
指し示されたランジェリーショップを前に敬語で制止を試みる僕を他所に、お栄さんは思案顔で。
「お栄さん?」
「確かに、洋服を着るときにサラシじゃ窮屈だと思ってたとこだが……」
言いながら、両手でそっと自らの胸を押さえるお栄さん。
なるほど、サラシか。通りで普段よりお山が小さいわけだ。
「そういう事なら買っておいでよ。これから洋服を着る機会も増えるわけだし」
お金も渡すからと背中を押した僕を、しかしお栄さんは上目遣いで見つめ、
「……選んでくれるかい、ますたあ殿?」
「え?」
――――――そんな爆弾発言を投下した。
それから一時間後。
「ン、こいつはうめぇ!」
「そっか……それは何よりだよ……」
焼きたてのピザに目を輝かせるお栄さんに、僕は疲れた笑みを浮かべる事しかできなかった。
あの後僕を待っていたのは甘い拷問だった。
『金を出すのはますたあ殿なんだ、形くらいはますたあ殿の好みに合わせてやろうって話サ』
『すごい対応に困る気遣いだ……』
『あれだけ着せ替え人形にしてくれたんだ。今更下着はダメですなんて通らねェだろ? さっさと降参してくんな。後の予定もつっかえてんだろ?』
『う……』
と、結局押し切られる形でお栄さんの要求を呑んだ僕は彼女に手を引かれる形で下着店へ入店し。
『計測終わったよ、ますたあ殿。さいずはこれだそうだから、選んできてくんな』
『あ、うん。……これ測定間違ってない?』
『? そんな変かい?』
『いや変というか……信じられないというか……』
彼女の豊満さに改めて驚愕し。
『ほぉー? ますたあ殿はこんな下着が好みなのかい。随分と色っぽいねェ』
『い、嫌なら別のを持ってくるよ』
『いや? 悪くねェじゃねえか。そら、ますたあ殿も見てみなよ。ちゃあんと似合ってるかい?』
『うん! すごく似合うと思うよ!』
『目閉じたままで何が見えるってんだい。いいから早く目開けな。でないと……朝みたいに抱きついちまうよ?』
『う……じゃあ、失礼します』
『ン……あんまりジロジロ見るんじゃないよ、いやらしい』
『えっ!?』
お栄さんの横暴に振り回され。
散々疲弊した末に、どうにか一着の下着を買い終えたのだった。
「いやーいいものを選んでもらったよ。ありがとナ、ますたあ殿」
「喜んでもらえて何よりだけど、できれば二度目は経験したくないなぁ……」
「なんだい、眼福じゃなかったのかい?」
「……そりゃまぁ、眼福でしたけど」
「助平め」
「うっ……」
呻く僕に、お栄さんはからからと笑って。
「ま、嬉しいのは本当サ。真剣に選んでくれたようだしナ」
「……君に贈るものだからね。適当なものは選べないよ」
「そうかい。なら、頑張ってくれたますたあ殿には褒美をやらないといけないね」
言って、お栄さんはピザを手に取り、
「そら、口を開けな。手づから食べさせてやるよ」
「え?」
「最近の若い男女は逢瀬の時こうするんだろ? なら、乗っかってやろうじゃねェか」
楽しげに笑うお栄さん。
ここであーんは結構恥ずかしいなぁ。
……まぁ、お栄さんが喜んでくれるならいいか。
「あー……あふっ」
「あっはは、いい声出すねぇますたあ殿!」
「んぐんぐ……もうちょっと冷ました方がよかったかなぁ」
「そうかい? 手間のかかるますたあ殿だね。なら……ふーっ、ふーっ」
「お栄さん? おかわりは要らないよ?」
「もう準備しちまったよ。食べちゃくれないかい?」
「いや、でも……」
さすがにこれ以上は恥ずかしい、とやんわり断ろうとした僕を、しかしお栄さんは甘えるような上目遣いでじっと見つめて。
「それとも、おれに食べさせられるのは嫌かい?」
「……仕方ないなぁ」
「よしきた」
大人しく口を開けた僕に、お栄さんは嬉しそうにピザを突っ込む。
周囲に客に生暖かい目で見られ、羞恥心は限りなく高まっていく。
しかし目の前のお栄さんは無邪気に笑っていて。
「はは、旨いかいますたあ殿? いい食べっぷりでこっちまで嬉しくならァ」
そんなわけで僕は、恥に耐えながらも愛しい彼女の幸福と僕の個人的な幸福を優先した。
嬉し恥ずかしな昼食を終えた後、いよいよ僕らは本日のメインイベントに差し掛かった。
「おぉー……」
所狭しと並んだ画材の数々に、お栄さんは感嘆の声を漏らした。
「こいつぁすげェ。こんなに絵具が揃ってるのを見たのは生まれて初めてサ」
「喜んでもらえてよかったよ。好きに選んでくれていいからね」
「ますたあ殿……あんたが神だったのかい」
「お栄さんが言うと微妙に冗談にならないなぁ……」
そんなわけで、邪神と合一した浮世絵師はうきうきとした様子で店内を物色し始めた。
「見てみな、とと様。水彩絵の具一つ取ってもこんなに種類があるたぁ、やっぱり現代ってのは絵描きの天国さね」
「ますたあ殿もこっちに来ておくんなし。この色、おれたちが生きてた頃はそれはもう高かったんだが、それが今や大福5つ分だ。召喚されてみるもんだねェ」
「筆の質も最高だ。この筆なら、とと様だって男前に描けそうサ。ますたあ殿もいっちょ男前に描いてやろうか?」
いつにも増して弁舌なお栄さん。
そのはしゃぎように、生き生きとした笑顔に僕は目を奪われる。
……ああ、やっぱりいいな、お栄さんは。
絵と関わってる時のお栄さんは本当に眩しい。
溢れんばかりの生命力を発する彼女には、いつかきっと、遠くない未来で彼女は本物に至るであろう事を強く確信させられる。
本物の画工。
そこへ彼女が至った時、僕と彼女の日常は幕を閉じるのだろう。
……辛くはあるけど、その達成を僕は祈り続ける。
彼女の幸福こそが、彼女の悲願こそが、僕が最も追い求めるものなのだから。
「……ありがとナ、ますたあ殿」
「え?」
ふと顔を上げた先、そこにはこちらに微笑みかけるお栄さんがいて。
「こんなにもおれを、おれの絵を大事にしてくれて。あんたのためにも、おれはきっと本物ってやつに至るよ」
「……そっか」
彼女の誓いに、笑みを返す。
「楽しみにしておくよ、お栄さん」
「合点承知の助サ」
笑顔で頷いたお栄さんと共に、僕は画材屋さんで時間を過ごした。
そうして画材を買い込んだ僕らは、夕暮れの河川敷を歩いていた。
「こんなに買ってもらって本当によかったのかい?」
「大丈夫大丈夫。こう見えてお金だけはあるから。むしろ、腕力が足りてよかったよ」
言いながら荷物でいっぱいになった両手を掲げる。
値段はそこまでだったものの、諸々まとめて買ったために画材がかさばってしまった。
無念だ……もし片手が空いてたらお栄さんと手を繋げただろうに。
いや、そんな邪念を神様が見抜いたからこその今なのかもしれない。
デートだ何だと浮かれていたけど、彼女を応援するものとして誠実さを取り戻さないと。
うん、と一人頷いた僕に、お栄さんが笑いかけてくる。
「今日は楽しかったよ、ますたあ殿。逢瀬って奴は初めてだったが、まぁ、悪くなかった。……素敵な下着も選んでもらえたしナ」
「う……」
思わず赤面した僕に彼女はあははと笑い、
「ま、冗談は置いといてだ。……また連れてってくれるかい? こんなおれと、また逢瀬を楽しんでくれるかい?」
何かを期待するような瞳で問うてくる彼女に、僕は言葉を紡ぐ。
「……もちろん。君が喜んでくれるなら、僕は何だってするよ」
「そうかい」
僕の返答に、お栄さんは満足げに頷き。
それからおもむろに僕の肩へ手を乗せ、
「こいつは礼だ」
―――頬に、柔らかな感触が触れた。
「お、お栄さん、今、」
「あっはは! 頬に口吸いされただけで顔が赤らむなんて、ますたあ殿はウブだねェ」
うろたえる僕にお栄さんはからからと笑う。
い、今、キスされたのか僕は!?
お栄さんから!? 頬に!?
あまりにもお茶目すぎるお栄さんの奇行に僕は混乱したものの、
「また誘ってくれよ? ますたあ殿」
そう言って笑うお栄さんを前に、何も言えなくなった。
まったく、お栄さんは本当に……。
これも惚れた弱みかと笑う僕に、夕焼けに染まったお栄さんは笑いかけてくる。
「さ、ますたあ殿。とっとと帰るよ。腹が減っちまった」
「了解」
そうして、二人笑い合い。
僕らはゆっくりと帰路を歩むのだった。
「たくっ、いきなり逢瀬たァますたあ殿は本当に……」
「……楽しそうだったナ、ますたあ殿。ずっとにこにこと笑って。たくっ、おれといるのがそんなに嬉しかったのかね」
「おれは楽しくなかったかって? そりゃまァ……楽しかったサ。おれの服、おれの食べたい物、おれの画材。あれだけ尽くされて楽しくないわけないサ」
「ン……とと様は意地が悪いね。あァ、そうサ。おれは、ますたあ殿が楽しそうだったから楽しかった。服よりも画材よりも、ますたあ殿の嬉しそうな顔が、何より嬉しかったサ」
「あんな気持ち初めてさね……これが、とと様の言う恋心ってやつなのかねェ」
「……口吸いまでしちまって。あれで少しくらいは意識してくれりゃいいんだが」
「『おれにしてはよく頑張った』? 五月蝿いね、冷蔵庫に詰めちまうよ」
「あんな事、やるつもりはなかったサ。ただ、こいつがあんまり幸せそうに笑うもんだから、つい……」
「これが惚れた弱みってやつなのかい? とと様」
「そうかい。そりゃあ難儀な話だナ」
「こいつの両手が塞がっててよかったよ。あのまま手を繋がれてたら、手汗で台無しになってた所サ」
「ハ、頬に口吸いするだけでべらぼうに緊張するなんて、おれもますたあ殿の事を悪く言えねェな」
「あんなに緊張したのは、ますたあ殿についていくと告げた時以来サ」
「おれをこんなにしちまって、責任取ってくれるんだろうナ? ますたあ殿。……なんて、そいつは勝手が過ぎるか」
「さ、今日は店じまいだ。とっとと寝るサ」
「腕借りるよ、ますたあ殿。よっと……」
「ン、今日も可愛い顔で寝てるナ」
「人の気も知らないで、まったく」
「…………」
「ますたあ殿……」
「……っ」
「……やっちまった」
「お、起きてねェよナ?」
「『よくやった』って、とと様は黙ってておくんなし!」
「寝込みを襲うなんて、痴女もいいとこさね」
「頼むから秘密にしといとくれよ、とと様」
「……済まねェなァ、ますたあ殿。あんたの初めて、おれが奪っちまった」
「可哀想に、こんなろくでなしに奪われちまって」
「ますたあ殿が優しいのがいけねェんだ」
「おれなんかを好きになるから」
「あんなに、眩しいくらいに笑うから」
「だから、おれなんかを勘違いさせちまうんだ」
「……ますたあ殿……」
「ん……ちゅ……」
[chapter:三話]
「あれ?」
仕事から帰るなり、僕は首を傾げた。
居間に電気が付いてる。
珍しいな、お栄さんが和室以外にいるなんて。テレビでも見てるのかな。
不思議に思いながら廊下を進んだ先。
「お、愛しのますたあ殿じゃねェか。今日は随分とお早いおかえりだナ。どうだい、帰りの挨拶がてら、ちゅうっと口吸いでもしてやろうか?」
そこには、蛸を思わせる異質な装いをした美少女の姿があった。
「ほ、北斎さん?」
「おう。あんたのさあばんと、葛飾北斎サ」
問いかけた僕に彼、葛飾北斎は頷く。
日本どころか世界でも随一の腕と知名度を誇る浮世絵師にして僕の大事なサーヴァントの一人である彼は、娘と同じ気持ちの良い笑みを僕に向けてきた。
「どうしてお栄さんの身体に……」
「久方ぶりに一杯やりたくなってナ。応為の身体を借りてんだ」
言って、手に持っていた猪口を煽る北斎さん。
見れば、卓袱台にはこの前購入した日本酒の瓶があり、彼が少し早めの晩酌をしていた事が見て取れた。
「っかーッ! 現代ってのは酒も旨ぇなァ! 毎度思うが、こりゃ天国って奴かもしれねェなァ」
旨そうに酒を飲み干した後、北斎さんは僕を見つめながらぽんぽんと己の隣を叩いて、
「さ、ますたあ殿もつったってないで隣に座りナ。一人で酒飲んでてもつまんねェって話だ。少しくらい付き合ってくれたって罰は当たらねェだろ?」
「そういう事なら喜んで。でも、ちょっとだけ待っててください。簡単につまみを作ってきますから」
「おぉ、気が利くじゃねェか。さすがはおれのますたあ殿だ」
「そんな大したものは作れませんけどね」
苦笑した僕に、しかし北斎さんはふるふると首を振る。
「いんや、そういう気遣いこそが旨ェんだ。ありがとナ、ますたあ殿」
「どういたしまして」
人好きにする笑みを浮かべる北斎さんに笑みを返し、僕は台所へと向かう。
「飲んだくれてるおれに文句も言わず、それどころかつまみまで作ってくれるたァ出来た旦那だ。はは、こいつぁお前には少しもったいないかもしれねェなァ。……あっはは、そんな怒るなよ。堪忍しとくれ」
居間では北斎さんが何か言っていたが、よくは聞き取れなかった。
それから二十分後。
「んーっ! このつくね随分と旨ェなァ!」
なんこつ入りつくね焼に、北斎さんは歓喜の声を上げていた。
「このピリッと甘辛い鮪も最高サ! このあぼかどって野菜も濃厚で悪くねェ!」
「喜んでもらえて何よりです」
「いやァ、こいつぁすげェよますたあ殿。嫁に欲しくなってくる」
「そんな大げさな……」
苦笑する僕の眼前、北斎さんはうめぇうめぇとつまみを頬張る。
カルデアにいた頃エミヤに教えてもらった簡単なおつまみ料理だけど、こんなに喜んでもらえて何よりだ。
うんうんと一人頷いていると、不意に北斎さんが顔をしかめた。
「あん? 『おれにも食わせろ』? 駄目だ駄目だ、こりゃ全部ますたあ殿がおれのために作ってくれたんだ。お前は涎垂らして見てな」
いきなり独り芝居じみた振る舞いをする北斎さんに、僕は「あぁ」と内心手を打つ。
「そう言えば北斎さんに乗り移られてる間も、お栄さんの意識はあるんでしたっけ」
「おう、そうサ。ますたあ殿の食べたい食べたいって聞かねェんだよ。ますたあ殿も何か言ってやってくれ」
「あ、あはは……お栄さん、また今度作ってあげるね?」
「あっはっは、よかったなァ応為! 大福でもたらふく作ってもらいな!」
江戸っ子らしく快活に笑う北斎さん。
代わってあげてとお願いした方がいい気もするけど、多分お栄さんが本気で嫌なら無理やりにでも代わっているはずだ。
普段は蛸としてしか生きられない彼に、たまには好きにしてもらいたいと願っているのだろう。
そしてそれは僕も同じだ。
「北斎さん、おかわり注ぎますよ」
「ほんっと気が利くますたあ殿だなァ! 食っちまいたくなるくらいだ!」
にかっと笑いながら僕のお酌を受け、その勢いで一気に煽る。
「ふふ、楽しそうですね、北斎さん」
「そりゃあそうサ! 旨ェ酒に旨ェつまみ、そして隣には愛しのますたあ殿がいる。楽しくねェわけがないサ!」
「ず、随分と気に入られてるんですね、僕」
「おう! おれァ感謝してるんだぜ? ますたあ殿。なにせ親子二人とも面倒見てもらってんだ。何枚絵を贈ったって足りねェくらいだ」
僕と肩を組み、こちらにもたれかかるようにしながら北斎さんは言葉を紡ぐ。
「大変だろ? 家事に仕事に、おまけにこうしておれや応為の相手までさせちまって。こんな世話焼き、生前にはいなかったサ」
「あ、あはは……大変ではありますけど、苦じゃないですよ。北斎さんとこうして話すのも楽しいですし」
なにせ目の前にいるのは世界に名高き絵師その人なのだ。話していて楽しくないわけがない。
「ほぉー、嬉しい事言ってくれるねェますたあ殿。なら、これからも遠慮なく居候させてもらうサ!」
そう言って嬉しそうに笑う北斎さん。
本当に無邪気に笑う人だ。娘さんそっくり。
ただ、その……。
「北斎さん。できれば、その……少し離れていただけると」
「あん? 『でぇと』の時はもっとくっついてたじゃねェか。世話するのはともかく蛸坊主に触れるのは嫌って話かい?」
「いやそういう事ではなくて、近いというか、露出過多というか……」
ううん、と頬を赤らめながら言葉を紡ぐ。
北斎さんに憑りつかれたお栄さんは、より邪神の影響を強く受けた姿へと変貌する。
蛸をモチーフとしたであろうその衣装は、それはそれで可愛らしいものなのだけど。
その……普段と比べて露出度が格段に上がる、青少年にとっては目に毒以上の何物でもない代物なのだ。
肩が丸出しなのは花魁風に着崩したお栄さんと同じなのだけど、胸元や腹、それに背中が凄まじい。スカートの裾から覗く眩しい太ももも威力が高い。
水着でもここまでではないだろうという肌の露出に否応なく赤面してしまう僕に、北斎さんはにやにやと笑って。
「ほぉー、我らがますたあ殿は本当にうぶだねェ」
「すみません……」
「別に謝るこたァねェよ。それよかどうだい? 役得と思って触ってみるかい? 我が娘ながらいいものを持ってると思うんだが」
言って、北斎さんは自らの、いやお栄さんの胸を持ち上げる。
五指に掴まれむにゅりと形を変えるお餅に思わず目を奪われるも、慌てて僕は視線を逸らす。
「け、結構です! そんな事したらお栄さんに絶交されそうですし……」
「ハ、そうかい。別に嫌がりはしねェと思うけどなァ」
「いや怒りますよ絶対。この前だって、胸凝視しちゃったせいで怒らせちゃいましたし」
「ありゃあぽぉずってやつサ。……ますたあ殿が思ってるより、応為はあんたの事を好いてるよ」
静かにそう言って、北斎さんは僕と肩を組むのを止めた。
「応為は、生まれてきた子の中でも特別おれとそっくりな子だった。性格も口調も、隙があれば筆を取るとこから散らかり癖まで一緒だ。あァ、たまらなく可愛かったサ。とと様とと様なんて懐いてくれてサ。可愛くて仕方なかった」
だから、と北斎さんは言葉を続ける。
「人として、幸せになってほしいと思った。絵描きとしての幸せだけでなく、応為が生まれた時の喜びを応為にも味わわせてやりたかった。わざわざ知人に頼ってまで嫁ぎ先を探して、絵にばかり執着していたおれが、珍しく気を利かせてサ。……ま、結局上手くはいかなかったけどナ」
にっと笑う北斎さん。
その話は知っている。
北斎さんの知人の紹介で画家である堤等明の元に嫁入りしたお栄さんは、しかしロクに家事もせず日がな一日絵を描き続けた挙句、旦那の画才を鼻で笑ってしまった事から三下り半を突き付けてしまったという。
「色恋なんてものに興味を示さず、応為はおれとの二人三脚を選んだ。応為には色々と面倒をかけちまったが、あァ、間違いなく悪くねェ人生だったサ。ただ、少しだけ心残りはあった。慣れねェ気遣いで、娘に無理をさせちまった事。それと、娘に人並みの幸せを味わわせられなかった事に」
自嘲気味に笑って。
「そんな娘がナ、ますたあ殿。あんたの隣では生き生きと笑ってんだ」
僕をじっと見つめながら、北斎さんは淡い笑みで言葉を紡いだ。
「談笑に顔をほころばせて、逢瀬に心をときめかせて。『応為として認められたい』、『本物の画工になりたい』なんて夢まで語って。おれといた頃以上に、応為は生き生きとしてる。全部あんたのおかげだ、ますたあ殿」
「そんな、僕は何も……」
「ますたあ殿は、応為の事を誰よりも想ってくれた。家事もロクにしねェ娘を、あんたは慈しみ、その夢の成就を願ってくれた。……あんたになら、娘を任せられる。あんたとなら、応為はきっと人並みの幸せも手に入れられる」
だから、と北斎さんは真剣な目で俺を見て、
「頼む。応為を貰ってくれねェか」
言って、その頭を下げてきた。
お栄さんを、貰ってほしい?
この人は一体何を言っているのだろうか。
「か、顔を上げてください北斎さん。いきなりそんな事言われても、僕……」
慌てる僕に、北斎さんは頭を下げたまま言葉を続ける。
「確かに妻としては駄目の極みだが、少なくとも顔は悪くねェ。身体だって立派なモンを二つも持ってやがる。あとは諸々教え込ませるだけサ」
「いやそういう事を言ってるんじゃないですよ! ……僕の事より、お栄さんの気持ちが先でしょ」
「チッ、分かんねェますたあ殿だな。応為はとっくの昔からますたあ殿に惚れてんだよ。自分の事をありのままに受け入れてくれたますたあ殿にな」
「……もし仮にそうだとしても、やっぱり無理ですよ」
「あん?」
不快そうに疑問符を浮かべる北斎さんに、僕は自嘲気味に笑いながら言葉を紡ぐ。
「だって、僕は凡人だ。世界を救ったなんて言われますけど、あれはあくまで皆がいてくれたからの話で。お栄さんみたいな偉人となんて、とてもじゃないけど釣り合いません」
だから、と僕は否定の言葉を口にしようとして。
「ハッ、なんだァそりゃァ」
しかし、北斎さんに一笑に付された。
「人間とサーヴァントの次は、凡人と偉人と来たか。あっはは! さあばんとがさあばんとならますたあもますたあだなァ!」
「ほ、北斎さん。僕は真面目に……」
「あァそうサ。あんたも応為も馬鹿みたいに真面目に考えやがる。それが間違いってんだ」
「え?」
呆けた声を漏らした僕に、北斎さんはにやりと笑い、それから僕の胡坐の上に対面で座り込んできた。
「ほ、北斎さん、何を……」
「理屈じゃねェんだよ、絵も恋も。描きたいから描く。抱きたいから抱く。技術や手順は二の次だ。想いこそがおれたちを動かす。違うかい?」
「それは……」
北斎さんの言葉に、僕は何も返せない。
凡人だから。偉人だから。
そんな耳触りのいい言葉で蓋をして、僕は僕の想いから目を背けていた。
今の関係が壊れるのが怖くて。
お栄さんと、離れてしまうのが怖くて。
「想いに任せりゃいいのサ。それでしくじったならその時は仕方ねェ。笑って次に行くだけサ」
「……そこまで気前がいいのは北斎さんくらいですよ」
「褒めても何も出ねェよ? 絵くらいは描いてやってもいいけどナ!」
そう言って快活に笑い、それから北斎さんはその身体を、お栄さんの身体を僕に見せつけながら、
「さ、どうだますたあ殿。……おれの身体、抱きたくはなったかい?」
「……いえ、遠慮しておきます」
「……そうかい」
少しだけ肩を落としながら、寂しげな顔をする北斎さん。
そんな彼に、僕は笑みを浮かべて。
「はい。……僕は、お栄さん一筋なので」
はっきりと、言の葉を告げた。
「! ……は、ははっ! そいつは悪い事をしたな!」
北斎さんは一瞬目を丸くした後、花火が咲くように破顔した。
「そうかそうか、応為一筋と来たか! そりゃァおれじゃ駄目に決まってらァ!」
こちらが気持ちよくなる程に爆笑した後、北斎さんは目尻の涙をぬぐいながら言葉を紡ぐ。
「いや、悪かったなァますたあ殿。じゃ、お望み通り代わってやるサ」
「え?」
今、なんて?
呆けた声を漏らした僕の眼前、北斎さんはぼふんと煙に包まれて。
「…………」
次の瞬間、僕の胡坐の上には着物姿のお栄さんが顕現していた。
「お、お栄さん?」
「……何サ」
問いかけた先、お栄さんは不機嫌そうな声を漏らす。
彼女の顔は不自然なほどに赤らんでいて、僕は自らが置かれた状況を急速に理解した。
北斎さんの話があまりにも突拍子もない事だったから失念していた。
先程確認した通り、北斎さんの意識が表出してる時もお栄さんの意識は残ってる。
つまり、僕が北斎さんと話した内容も全て……。
「き、聞いてた?」
「ン……まぁな」
おそるおそる告げられた僕の問いかけに、お栄さんは視線を逸らしながら返す。
「助平なますたあ殿がおれの身体に鼻の下を伸ばしてたのは見たよ」
「いや伸ばしてなかったでしょ!」
ぐぅ、聴覚だけでなく視界も共有してたのか。
なら僕の先程の愚行も全て筒抜けか……。
今更になって恥ずかしくなってきた僕の眼前、お栄さんはそっぽを向きながらしばらく髪をいじいじとしていたが、
「……ン」
やがて、僕の方を向き、ゆっくりとその両腕を広げてみせた。
「お栄さん?」
「抱きたいんだろ」
「え?」
「こういう事には慣れてねェんだ。すぱっと抱いとくれ」
「で、でも、お栄さんはいいの?」
「察しの悪い男さね。嫌ならわざわざとと様と代わるわけねェだろ?」
「う……」
正論に言葉が詰まる。
彼女の身体の主導権はあくまでお栄さんにある。
いくら北斎さんが代わろうとしても、お栄さんが拒否すれば今のようにはなっていなかったはずだ。
いよいよ逃げ道を失った僕に、お栄さんは頬を赤らめながらぶっきらぼうに告げる。
「下手かもしれねェけど、その時は堪忍な」
「……それは大丈夫だよ。その……僕も初めてだから」
「そりゃァいいナ。失敗しても笑い話で済むサ」
苦笑した僕に気持ちのいい笑みを浮かべ、お栄さんは僕の首へと腕を回してくる。
「たっぷり愛してくんな、ますたあ殿。いや……おれの旦那様」
「お栄さん……」
「はは、言ってみたはいいが恥ずかしいもんだねこりゃ」
照れ臭そうに笑うお栄さん。
……いいのだろうか、本当に。
僕のような凡人が、彼女と結ばれてしまって。
「ますたあ殿」
そんな不安を見透かしたように、お栄さんは僕に優しく微笑みかける。
「心配はいらねェよ。おれみたいなロクでもない女に恋するのは、世界中探してもあんたくらいなものサ。だから、遠慮なく食っちまいナ」
「お栄さん……」
彼女の言葉に僕は感極まりそうになりながら、
「……もっと他に言い方なかったの?」
さすがに生々しすぎると文句を付けた僕に、お栄さんはぷりぷり怒る。
「なんだい、実際食っちまうんだろ? 今更無害ぶったって無駄サ」
「それはそうだけども……」
ううむ、と頬を赤らめる僕に、今度はお栄さんが不安そうな顔で問うてくる。
「ますたあ殿こそ、いいのかい? 家事もロクにできない穀潰しを貰っちまって」
「別に家事してもらいたくてお嫁さんが欲しいわけじゃないから」
「か、代わりに夜は任せておくんなし。とと様の枕絵を借りてでもますたあ殿を満足させてやるサ」
「いやそういう事目当てなわけでもないんだけど」
「何サ、おれに奉仕されるのは嫌なのかい?」
「……それはすごく嬉しいけども」
「あははっ、助平なますたあ殿だナ」
快活に笑うお栄さん。
そこにはもう、不安の色はない。
「ますたあ殿」
僕を愛おしげに見つめながら、お栄さんは言葉を紡ぐ。
「あんたといるだけでおれは幸せだ。あんたとなら、きっとおれは本物になれる」
だから、
「これからも、ずっと一緒にいてくれるかい?」
「……もちろん」
彼女の問いに、僕は万感の思いを込めて頷きを返す。
「愛してるよ、お栄さん」
「! ……あぁ」
紡いだ言葉に、彼女はふわりと泣き笑いのような笑みを咲かせて。
「愛してる、ますたあ殿」
そう、噛みしめるように告げて。
そして僕らは、どちらからともなく唇を重ね合った。
「……お。起きたかますたあ殿」
「悪かったね、目覚めた時隣にいなくて。寂しい思いをさせちまったかい?」
「焦げ臭い? あー……」
「朝飯を作ろうとしたんだが、うまくいかないもんだねェ」
「ン、まぁなんだ? 少しは妻として振る舞ってやろうかと思ったんだが、おれにはとんと向いてねェみてェだ」
「餅は餅屋って話サ。遠慮なく笑って……ま、ますたあ殿!? そんな急に抱きしめられたら驚いちまうよ」
「愛おしくなった? なんだいそりゃあ……」
「……別に、嫌だとは言ってねェだろ? 気が済むまで続けりゃいいサ」
「ん、ふふ……あァ、こうしてるのも悪くねェな……」
「そういやますたあ殿。きすとやらは、今朝はしないのかい?」
「現代の夫婦はおはようの時口吸いをするんだろ? 刑部の姫様の本に描いてあったサ」
「昨日あれだけ猛っておいて、今更照れるのは無しサ。まったく、胸が取れちまうかと思ったよ」
「……別にいいサ。それだけますたあ殿がおれに惚れ込んでくれたって証さね。……あァ、悪くなかったよ、ますたあ殿」
「さ、とっととしてくんな。突っ立ってるだけじゃ時間が勿体ねェだろ? 昨日の経験を生かして今日はたっぷりと枕絵を描かねェといけねェんだ、一秒たりとも無駄にはできないサ」
「んっ……」
「……いいもんだナ、ますたあ殿。頬がかぁっと熱くなって、ばくばくと胸が鳴る。質のいい酒でも飲んだみてェだ」
「一杯で満足かい? ますたあ殿が望むなら、何杯だって注いでやるヨ?」
「よしきた。なら、次はおれから……んっ」
「あァ、いい気分だ。こいつァたまらねェ」
「なぁ、ますたあ殿。いっそこのまま、布団の上でまぐわうってのはどうだい?」
「絵は描くサ。ますたあ殿に抱かれながら、思いのままに描いてやるサ」
「いっそおれとますたあ殿の墨で描いてやるのも悪くねェかもなァ。……なんて、冗談だよ冗談。軽蔑したかい、ますたあ殿?」
「……そうかい。本当に物好きだなァ、ますたあ殿は」
「そんなますたあ殿には……んっ」
「……ぷはっ。ロクでもない絵描きをぷれぜんとだ」
「たぁんと召し上がってくれヨ? 旦那様」
「んっ……ますたあ殿は本当に餅が好きだねェ……」
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C94で頒布したお栄さんと同棲する本の試し読み増量版です。<br />北斎の娘、お栄さんこと葛飾応為とイチャイチャする本です。<br />全四話中三話が読めます。四話は温泉旅行に行く話です。<br />メロンブックスととらのあなに委託中ですので気に入った方はぜひ。<br />メロンブックス→ <a href="/jump.php?https%3A%2F%2Fwww.melonbooks.co.jp%2Fdetail%2Fdetail.php%3Fproduct_id%3D382543" target="_blank">https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=382543</a><br />とらのあな→ <a href="/jump.php?https%3A%2F%2Fec.toranoana.jp%2Ftora_r%2Fec%2Fitem%2F040030649918%2F" target="_blank">https://ec.toranoana.jp/tora_r/ec/item/040030649918/</a>
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お栄さんと同棲する本試し読み増量版!
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10000785#1
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明美さんと知り合ったのは、つい最近のことだ。
なんでも志保ちゃんのお姉さんらしく、姉妹揃って大変お美しい。さらに、明美さんと恋人さんが並ぶとまさに美男美女といった様子で、たまにふたりで来店された時はそれはもう目の保養というか映画のワンシーンのように絵になるふたりだった。
そんなある日、明美さんがひとりで来店された日、持ちかけられたのはとんでもない話だった。
「あのね、私お別れするの。秀くんと」
そして結構な時間を電車に揺られ、今そこそこ良いホテルで、私たちはお酒を飲んでいる。
「ごめんね、傷心旅行に付き合ってもらっちゃって…」
「いえ、そんなそんな!」
「そ、それに…本当にいいの?梓ちゃんも、その、彼と…」
「いや、その、私もずっと考えていたことですから」
お酒が回ってきたのか、どこかぼんやりとした意識の中で明美さんの話を聞いていた。
「私の恋人は、私のことなんて好きじゃないの」
「私…昔、………ひどい、怪我をして、彼、ずっとそれに責任を感じてる」
「同情で恋人にしてもらってるの、嫌な女でしょ」
「だからそろそろ、彼のためにも私のためにも…お別れしようと、おもって…」
明美さんがぽつりぽつりとこぼす言葉は、彼への愛で溢れていた。
「梓ちゃんは、どうしてお別れしようと思ったの?彼、あなたのこと、とっても愛しているわ」
ぼんやりとした頭のせいか、どこか夢でも見るような心地だった。
「私、彼のこと、あいしてます、…とっても」
「だから、自分勝手だとは思うんですけど、彼には幸せになって欲しくて」
「彼、お見合いを勧められているんです。だから彼と別れてほしいって…言われて」
「私とお別れすれば、これからもっと彼が幸せになれるはずだから…」
今まで誰にも言えなかった秘密をこぼした時、明美さんはまるでこの世のものとは思えないくらい美しく微笑んだ。綺麗に塗られた優しげなピンク色の口紅がなぜか、やけに色っぽい。流石明美さん。とっても美人さんだ。
「わたしたち、同志ね」
それから元恋人たちへの愚痴なのか愛なのかをこぼしながら、お酒が進む。なんだかやけに今日は酔いが回る。明美さんもどこか幼げな口調で、ふわふわと言葉に音を乗せた。
「さいごに、うわきでも、してみようかしら」
「うわき」
「ほれっぽい、しゅうくんへの、あてつけ」
「じゃあ、わたしは、もてもてな、こいびとへ、あてつけ」
どちらともなく、酔いに任せて唇を重ねた。それから「うわきだー!」「うわき!うわき!」と子供みたいにケタケタひとしきり笑ったあと、ふたりにはちょっと狭いくらいのベッドに沈む。
「だいすき、なのにね、へんなの」
涙に濡れたその声は私のものだったのか、彼女のものだったかまでは覚えていない。
[newpage]
「………ん、っ…?」
苛立ちを隠さない舌打ちに続いて、自分の意思と関係なく持ち上げられた体、のち嗅ぎ慣れた匂い。重たいまぶたを必死にあげると、そこには二日酔いには耐えきれない、いや多分普通の一般人が平常時であっても耐えきれないレベルで私を睨みつける彼がいた。びりびりと鳥肌がたって、眠気は一気に覚めた。
「ひっ…‼︎‼︎」
「…」
彼は何も言わない。けれど、私を抱き上げたまま着実にどこかに歩いて行く。
「え、あ…なっ…なんで…ここに……」
「………なんで、だって?」
あ、やってしまった。地雷踏み抜いた。
「恋人がいきなり別れを切り出してきたら、そりゃあ話を聞きにきますよ。というか、こんな大事なことをメッセージで終わらせようなんて、なに考えてるんですか。あなたの考えてることが、ちっともわからない」
二日酔いの気持ち悪さ含めて、こんな元恋人と迎える朝は最悪すぎる。こんな朝は嫌だ選手権があったら多分、いや入賞するに違いない。というか、本当になんでここにいるのか全く皆目見当もつかないのだ。彼の言う通り確かに恋人にはメッセージを送っておいたはずだ。「お別れしましょう」「今までありがとうございました」「ポアロで店員としてお待ちしています」それに対する彼の返信はなかった。でも既読はついていたから、了承したものだとばかり思っていたけれど。どうやらそうではなかったらしい。
ぐるぐる揺れる腕に中で気持ち悪くなりながら必死に考えていると、少々乱雑に彼の腕から降ろされた。場所は浴槽の中。よかった、ちょっと吐きそうになってたから、ここなら大丈夫だ、なんてわりと真剣に考えていると、まさかの彼も浴槽に入ってきた。え、意味が分からない。ビジネスホテルの浴槽よりは広いものの、大の大人がふたり入るには狭い。というか無理だろうと思っていたら、ぐっと彼が私を軽く持ち上げて、無理やり彼の長い足の間に私が入ることでなんとか浴槽に収まった。この状況、非常にきつきつである。そして、私がもしもうっかりやってしまったら、確実に見られる。流石に私も彼の前で嘔吐するのはすごく気が引ける。というか、絶対に嫌だ。どのくらい嫌かと言うと…と大尉が私の新しいお気に入りワンピースに毛玉を吐いて染みを作った日を考え始めたところで、ぐっと彼の長い腕が伸びる。
「え、わっ…ちょ、…!ぬ、ぬれちゃ…んぶっ‼︎」
そしてシャワーコックを捻った。びちゃびちゃと容赦なく振り続けるシャワーだけでも息をするのが苦しくなるのに、彼の手が私の唇をごしごしと何往復もするものだから、本当に溺れそう。彼の手の動きに合わせてぐらぐらとする頭に、苦しいと訴える肺、覚えのある唾液が溢れ、ひっと喉が引き攣る。それを感じたのかは分からないが、彼の手はぴたりと止まり、シャワーも止まった。だけど、私の吐き気が止まらない。
「………ひ、どい…」
「…浮気した君がよく言う」
「うわき、って…」
「口」
「くち…?」
「口紅、君のじゃないのが、べったり」
ああ、だから浮気。なるほど確かに浮気だ。そうだ浮気しちゃったんだ。と、ぼんやり考えていると、人を殺せそうなくらい怖い顔をした彼がこちらを見据えていた。警察なのに…。
「…なんで」
「…?」
「なんで浮気なんてしたの」
それは、彼と私は本当は一緒になる運命じゃなかったからだ。
彼の整った目鼻立ち、すらりとした長身、かと思いきや鍛え上げられた体、頭も良くて、なんでも出来て、そしてとっても優しい。そんなどれをとっても一級品な彼と平凡な私。別にそんなことで嫉妬する気はないし、彼ってすごい人なんだ!すごい!くらいしか平凡な私には分からないけど、私に彼はもったいない人だというのは流石に気づいていた。
そんな時、聞いてしまったのだ。彼に毎月のように届いているお見合い写真のこと。
一級品の彼にお似合いな、一級品の彼女たち。そして、お願いされたのだ。彼の上司という人から「彼の昇進のために別れてやってほしい」と。何度も何度もお願いされた。風見さんは「相手にしない方がいいですよ」「古い考えです」なんて言っていたけれど、これが彼を思っての行動だというのはすぐに分かった。だから、別れようと思ったのだ。彼のことはもちろん愛している。けれど、彼の障害になってまで彼と一緒にいようとは思わない。彼には幸せになって欲しいし、彼が仕事にどれだけ誇りを持って、信念を持って、生きているかは分かっているつもりだから。
と、まぁそんなこと彼に言えるはずもない。
だって言ったらすっごく怒られそうだし、彼お得意の話術で丸め込まれそうだし、そして何より吐きそうだから!!それはもう気持ち悪くて声を出したら今にも吐きそうなのに、吐けないこの苦しさ!!胃があがって、ねじられ、喉の奥で渦巻いているようなこの感覚!!
「…ま、…っ」
「…」
「ひっ…ぐ……」
「!!??」
涙が溢れる。だってすごく苦しい。吐きたいのに吐けない。流石に彼の前でリバースは避けたい。でも気持ち悪いがずっと続いて、平衡感覚やられたみたいにぐらぐらして、冷たい汗が身体中から吹き出すような感覚。…出して楽になりたい。でも仮にも好きだった人の前で嘔吐なんて絶対に嫌だという女の意地がある。
「あっ…え、な、泣きたいのはこっちですよ…」
「………も、…り」
「え?」
「…もう、っむり……!」
浴槽から飛び出して、トイレに駆け込んだ。自分で言うのもなんだが、火事場の馬鹿力というか、すごい瞬発力だったと思う。彼の制止する手が伸びてくる前に駆け込み、鍵を閉めて、トイレの床にヘタリと座り込んで、ひぃひぃと息をして、どのくらい経っただろうか。こういう死を感じそうな時の時間経過っていまいち体内時計と合わなくなる。なんて、真っ青な自分の顔を鏡で眺める。優しいピンクの口紅が彼に擦られたことによって、とんでもない伸び方をしていた。とりあえず吐き気は治まってきてよかったと未だぐらぐらする体で、口紅をティッシュで落とす。本当に、吐かずにすんで本当に良かった。吐くと、こう、口の中が気持ち悪くなるし、喉がヒリヒリするし、なんて考えながらトイレのドアを開けて、ちらっとバスルームの方を見ると、ガラス張りのドアの向こうに、ザーザーとシャワーに打たれて浴槽に座り込む彼がいた。
な、何故!?
「あ、あの…ふ、ふるや、さ……」
「…」
「か、かぜ、ひいちゃいますよ〜…」
「…」
「もしも〜し…、お〜い」
「…」
というか、そんな滝のようなシャワーに打たれて苦しくないのだろうか。私だったら絶対に苦しいのに、というか現にさっき死ぬほど苦しかったし、まさかとは思うが私がトイレに駆け込んでからずっとそうだとしたら…とまで考えて、慌ててバスルーム駆け込み、シャワーコックを捻った。と思ったら逆に捻ってしまったようで、ただの滝が一瞬ナイアガラの滝になり、慌ててもう一度今度は正しい方向に捻った。
「大丈夫ですか?!い、息はしてますよね?!」
「………だいじょうぶなわけ、ないだろ…」
「とりあえずタオル…!!」
「ずいぶんと、優しくしてくれるんですね…」
わたわたと洗面所からバスタオルを引っ張り、彼の頭に被せようとした瞬間彼が立ち上がり、またもや浴槽の中に引き込まれる。ごつごつ、と彼の膝とか肘とかが痛そうな音をさせながら、半ば無理やり再び私たちは浴槽の中に座り込んだ。「痛くないですか!?」「大丈夫ですか!?」と聞いても、どこか彼は心ここに在らずといったようだ。じんわりと、浴槽に残った冷たい水が服に染み込んで、ぺっとりと太ももに張り付く。
「………どこが」
長い長い沈黙を経て、服が少々びちゃびちゃになってきたぐらいで、彼が口を開いた。
「どこがいやだったの、おれの、なにが、だめなの」
ぽたぽたと零れ落ちる水が、まるで彼の涙みたいだった。
タオルでそっと撫でるように髪を拭うと、またぽたぽたと零れ落ちていく。
「いそがしくて、なかなか、あえないから」
いやいや、仕事に一生懸命なあなたはとっても素敵です。
「きみの、せいかつを、せいげんして、しまうから」
制限なんて、むしろよっぽどいい生活を送らせてもらっていますよ。
「あむろ、みたいに、あいそが、ないから」
安室さんよりあなたの方が人間らしくて好きだって、何度も何度も言ったのに。
「なにが、どこを、なおせば…」
彼の体が震えているのは、冷たい水のせいじゃないってことくらいとっくに分かっている。
「降谷さん」
「…ぜったいに、別れない」
「ふるやさん」
「いやだ。ぜったいに、いやだ」
「あのね、降谷さんは降谷さんでいいんです」
「…おんなじゃないけど」
「男の人でいいんです」
ぎゅっと彼の冷たい身体に腕を回せば、びくっと大きく震えた後、びっくりするくらい強く、締め上げられてるんじゃないかというくらい彼の腕が私の体に強く巻き付いていた。逃がさないと言うように、彼の全身で覆われて、息が苦しくなるくらいだ。そして私の頭に顔をすりつけた彼が、ゆっくりと息をする。さっきまで息の仕方を忘れていたかのように、吸っては吐いて、吸っては吐いてをくり返す。耳をくすぐる彼の息が、どくどくとうるさかった彼の脈拍が、だんだんと落ち着きを取り戻して行くのがわかった。
「私、お仕事を頑張る降谷さんが好きです」
「なら…」
「だから、別れましょう」
その瞬間、ぶちっと何かが切れたような音が聞こえた気がした。
そう、彼とお付き合いを始めてから気がついたのだが、彼は少々いやとってもプライドが高く、そして普段はとっても優しいがキレるととっても雄弁なのだ。
「…梓さんの突拍子もないところが今だけ死ぬほど憎いです。なんで意味がわからないんだけど、俺に分かるようにちゃんと説明して。じゃないと今から浮気相手のいるであろう部屋に突入して、あなたがよくやる泥棒猫ごっこをリアルでやりますよ。リアルですよリアル。こちとらプロですからね、本気でやりますから。演技じゃないですから。部屋ぶっ壊す勢いでヒステリックにやります。彼女に怪我とかさせたくないならさっさと説明してください。多分加減できないので。俺も女性にそんなことしたくはないんですよ、彼女が!あなたの!浮気相手じゃなければね!!!」
「降谷さん物騒!警察なのに!十分ヒステリック!やめてくださいよ!!だ、大体泥棒猫ごっこって、私は大尉の本妻なんだけど運命的に出会ってしまったハロと関係を持ってしまい、それに気が付いたハロの本妻である降谷さんが私の家まで押しかけてくるっていう設定の…」
「その説明じゃないことは分かってますよね!!!」
どうしよう言い逃れできない。求められている説明は浮気の原因。でも、なんて言えばいいのだろうか。彼の上司から別れてほしいと言われて、私もその理由に納得して、それで実行に移しました。キスは一緒に逃げてきた明美さんと酔っ払った勢いでやってしまいました。どうしよう、言葉にするとちょっと、いやかなり馬鹿っぽい。
「…梓さん?」
…でも、私なりにすごくすごく考えて、すごく悩んで、ここまで来たんだけどなぁ。
結局、ここまで来て上手くできなくて彼を傷つけてしまう。私って本当にだめだ。
「…お見合い、きてるでしょ」
「………お見合い?…はっきり言わせてもらいますけど俺は浮気なんてしてませんからね」
「そうじゃなくて、私とじゃ、ふるやさん、昇進に不利だからって…」
「…誰が、そんなこと」
「お仕事、がんばる、あなたが、…すきなんです」
「…」
「ちょっと、でも…あなたが、ちゃんと、ひょうか、してもらえたらって…」
「…梓さん」
「う、うわきだって…ちゅうだけ、よっぱらっちゃって…しちゃった、だけで…」
「それは聞き捨てならない」
「だ、だから…」
「うん。でももういいよ。…怒鳴ってごめんね」
「わかれ…「ない。絶対に」
ぎゅう、と抱きしめる彼の腕が痛い。
「俺のこと考えてくれたんだね。でも、ごめんね、全然嬉しくない」
「…」
「俺のこと考えてくれるなら、これからもそばにいて、ずっといっしょにいて」
「…」
「昇進したって、梓さんじゃない人の待つ家になんて帰りたくないよ」
「…」
「俺のこと、幸せにできるの、梓さんだけだよ」
子どもみたいに泣きじゃくる私の顔にたくさんの口づけを送る彼がどんな顔をしているか、涙で歪む視界では分からない。でも口付けともに彼の言葉が送られるたびに、その言葉が体の中に染み込んでいってしまう。まるで彼に溺れるみたいに。彼のことしか考えられなくなる前に、彼から離れないといけないなんて、思っていたのに。どうやら、彼はそちらがお望みらしい。
「愛してる」
私だって、本当は彼と一緒に居たいから、それならずっと一緒にいよう。
今度は彼が別れを告げるその時までは。
と、いうようなことを言ったら、あなたのそういうリアリストなところがうんたらかんたらとロマンチック降谷さんに浴槽の中ですっごくすっごく怒られた。
そういえば、と彼の説教を聞きながら思う。
明美さんは、彼と本当にお別れしたのだろうか。
だって、私から見たふたりは、お互いを思い合っていたようだったから。
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明美さんが実は生きている設定なのか幽霊設定なのかはあやふやで書きました。恋愛感情はありませんが、梓さんと明美さんがキスをするシーンがあります。また吐きませんがそれを匂わせる表現があります。苦手な方はお控えください。<br />お見合い設定、口調など実際とは異なるかもしれないところがあります。ご了承ください。<br />また勢いに任せて書きたいところだけ描き殴りましたので、内容は薄っぺらいと思います。あと意味不明かもしれません。私が梓さん可愛くてしんどいので、ふる→→→←あずくらいです。梓さんが可愛い、びっくりするほど可愛い、ポアロに通ってずっと梓さんを眺めていたい。にこにこ笑っていてほしい。梓さん幸せになってほしい。
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しあわせなんて人それぞれ
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10000819#1
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いつだっただろう。
自分が歳をとっていないことに気付いたのは。
生まれてから20年とちょっと。
そこで私の時は止まった。
いや、この世界の時は止まった。
私の勤務先の喫茶店に来る男の子はずっと小学一年生で、仲のいい女子高校生達はずっと女子高校生で。
同様に私もずっと20歳ちょっとの人間になっていた。
『まるで不老不死みたい』
そう思った時もあったが、不思議なもので時が止まっても人は生まれる。
代わりに、とでも言うように毎日沢山の人が事件やら交通事故やらテロやらで死んでいく。
つまり、不老ではあるけれど、不死ではないのだ。
周りの人はこの不思議な現象に気付かない。
誰も気付くことは無い。
皆いつも通りの生活をするだけだ。
ならば。
ならば私もいつも通り生きよう。
この現象を止める方法を知らないし、別に止めようとも思わない。
いつも通り喫茶店で働いて、いつも通り小学生や女子高校生と話して、いつも通り家に帰ってご飯食べて寝る。そしていつも通り次の日を迎える。
それで充分だ。
この町で、米花町で生きるには、それで充分だ。
***
「今日から此処、ポアロでバイトをすることになりました。安室透です。本業は探偵をしています。よろしくお願いします。えっと…」
「古谷、古谷玲です。ふるたにと書いて『ふるや』と読みます。」
「えっ?」
「え。」
「あ、いや、知り合いの名前に似ていたものですから、驚いてしまいました。お気になさらず。」
「そうですか。よろしくお願いしますね、安室さん。」
やってきた新しいバイトは金髪碧眼に褐色肌、とても綺麗な顔立ちの人だった。
安室さんのような、新しく『いつも通り』に入ってくる人は今までも沢山いた。その人達は決まって3つのタイプに分かれる。
そのまま『いつも通り』に加わるか、犯罪を犯して捕まってすぐにいなくなるか、死んでいなくなるか、だ。圧倒的に多いのは後の2つ。
目の前にいるこの人はどのタイプだろう。
出来れば最初のタイプの人であって欲しい。
知り合った人が死んでしまったり人を殺したりするのはいくら見ても慣れないものだから。
「古谷さん、どうしましたか?僕の顔に何か…?」
「えっ、あぁ。すみません、ただの考え事です。梓ちゃん、私レジしましょうか?それとも安室さんに教えます?」
「はい!玲さんが教えた方がわかりやすいと思うので、私入りますから、お願いします。」
「わかりました。では安室さん、まずは…」
*
「まぁこんなところですかね。何か分からなかった点は有りますか?」
「いいえ、古谷さんの説明が分かりやすかったので。」
安室さんの飲み込みは早かった。
1度教えたことをすぐにやってのける。
ハイスペックだな、この人。
時計を見ればもう3時。
そろそろ彼らがくる頃か。
「では、そろそろ常連さんが来店される頃ですし、私出ますね。安室さんはどうしますか?休憩しても大丈夫ですよ。」
「僕も出ていいですか?」
「はい。安室さん手際いいし、いいですよ。」
ーカランカラン
あっ来たようだ。
私は入口の方へ行く。
「いらっしゃいませ。おや、今日は毛利さんも一緒ですか。お久しぶりです。」
「おぉ玲ちゃん!久しぶりだな。」
「こんにちは!玲おねえさん!」
「こんにちは、玲さん。」
やってきたのは毛利さん、蘭ちゃん、コナン君の3人だった。皆さんここの常連で、私にもとても優しくしてくれる。
「ご注文は、いつもので?」
「あぁお願いするよ。」
「コナン君は…今日はオレンジジュースかな?」
「え?う、うん!」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
そのまま私は裏へとまわる。
「えぇっと?毛利さんはポアロブレンドで砂糖無し、蘭ちゃんはアイスティーで、コナン君はオレンジジュースっと。」
手際よく注文品を作る。
コナン君って毛利さんとか蘭ちゃんがいる時はオレンジジュースだけど、一人の時はアイスコーヒーなんだ。
まぁ小学一年生が大人の前でアイスコーヒーは気まずいよなぁ。
よし、できた。
「お待たせしました。ポアロブレンド、アイスティー、オレンジジュースです。」
「おぅ、ありがとさん。玲ちゃん、相変わらず細いな。ちゃんと飯食ってるか?」
「はい!毎日沢山食べてますよ。」
「すみませーん、オーダーお願いします。」
「はーい。それでは、ゆっくりしていってくださいね。」
安室さんは…毛利さん達と話している。まぁいいか。さてと、私は自分の仕事に移ろう。
先程注文されたものを作っていく。
と、毛利さん達の声が聞こえてきた。
「何ィ!?弟子にしてくれだと!?」
「どうされました?」
「いやぁ、毛利さんの名推理に自分の未熟さを思い知らされまして、毛利さんに弟子入りしようかと。」
あぁ安室さんって探偵だったっけ。というか、
「名推理ってことは、事件があったんですか…。」
此処で言う事件だと、また誰かが亡くなったんだろうな。そうか…。
「玲おねえさん?」
「あ、すみません。考え事をしてしまいました。」
「だいたい、俺は弟子は取らねぇ主義で…」
「授業料1回につきー…」
安室さんが毛利さんに耳打ちすると、
「採用〜!!」
「「「え。」」」
私、蘭ちゃん、コナン君の目が点になった。安室さんは何を言ったんだろうか。
毛利さんの目がお金になっていた気もするから、余程凄い額が出たのか。
ん?安室さんそんなお金あるのにバイトするんだ。変なものだなぁ。
まぁ毛利さんがいいならいいか。
*
「お疲れ様でした。」
「玲さんお疲れ様でした!」
いつも通りポアロを出て、家に帰る。
「あ、新しいカフェ出来たんだ。どうしようまだ開いてる。…入るか。」
私がポアロで働く理由は沢山ある。そのうちの一つとして、私自身珈琲が好きだからだ。
だから新しい喫茶店とかカフェとかオープンすると入ってしまう。
(この店の珈琲は苦味が深いな。いい味だ。豆は何を使っているんだろう。マンデリンのやつかな。)
なんて、ついつい楽しんでしまう。時が止まってから20年近くこの趣味は変わらない。
「あぁ、美味しかった…。ご馳走様でした。」
今日は色んなことがあった日だったな。家に帰る足取りも軽い。
美味しい珈琲に会えたし、新しいバイトさんも来たし、明日が楽しみだ。
「…眠れない。」
今更効き始めるカフェインに後悔する。これはいつもの事だ。
あの時間に珈琲はまずかったかなぁ。
すっかり目が冴えているので、散歩に出よう。
ついでに飲み物も買ってこようかな。ほっとレモンとかいいかもしれない。鞄持ってくか。
この時間は少し心細いけれど、そこら辺を行って帰ってくれば大丈夫だろう。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
「ん?」
何か声が聞こえる。
いや、声というよりも吐息だ。聞こえる方向を探す。どうやら路地裏の方から聞こえてくるらしい。
「此処…かな。」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、」
案の定そこには人がいた。少し感じる鉄の匂いが鼻をツンとさす。
怪我人、それも軽いものじゃない。
「っはぁ、はぁ、はぁ、あっちに、行ってください…!」
「え、これを見てどこかへ行くのはちょっと人間性を問われる行為というか…うん。今日は本当に色んなことがあるなぁ。」
「何を言ってるん」
「とりあえず、病院に連れて行っても?」
「それ、は、だめ…。」
「では、私の家に運びます。とりあえず応急処置しなきゃなぁ。鞄鞄…っと。」
「…?」
鞄持ってきておいて良かった。
私は荷物の中にある道具を使って応急処置をする。やっぱり傷が大きいな。大出血ではないけど、これ相当痛いよなぁ。よし、止血完了。
「よっ」
「は!?」
よいしょっと。あ、この人見た目細い割に重い。筋肉ついてるのかな。まぁ、持てないわけではないけどさ。
さて、帰るか。
「ちょ、離し、て」
「抵抗するためだけに体力使わないでください。病院連れて行きますよ?」
「離っ、う…」
あぁもう黙って。私は手刀で彼の首をトンっと叩いた。彼は気を失ったようだ。
「もう。素直が一番ですよ。安室さん。」
そのまま家に運んで怪我の状態を見る。これかなり酷い。病院に早く行ってもらわないと。
ヴーヴー…
聞こえてきた携帯のバイブレーションは私のではない。安室さんのだ。
「安室さん?風見…さんから、電話ですよ。って聞こえてないか。出ていいかな、うん。出よう。」
勝手に人の電話に出ることも人間性を問われる行為に入る気がするけど、細かいことはいいや。
『降谷さん!?今何処に』
「もしもし?」
『…誰ですか。』
「あの、安室さんの知り合いの方ですか?」
『何のことでしょう…』
まぁ警戒しますよね。
「あぁ知り合いの方ですね。安室さん怪我してるんです。応急処置はしたつもりですが、流石に病院で看てもらわないとまずいかも知れません。住所を教えますから、来ていただけないでしょか。」
『…今から向かいます。』
「良かった。えっと、住所は…」
暫くしてからインターホンがなった。扉を開ければ三白眼の眼鏡をかけた男性がいた。
この人が風見さん…か。目元に大きなクマがあるし、多分何日か寝てないんだろう。
安室さんを抱えて風見さんに渡す。その様子を見て、風見さんが驚いているように見えるけど、放っておく。
「はい、安室さんです。傷が多く、深い傷から出血もあったようなので、早めに手当を。」
「は、はい。ありがとうございます。あの…すみませんが、貴方も同行して下さい。聞きたいこともありますし…。」
「?大丈夫ですよ。」
そのまま風見さんの車に乗って病院に着いたはいいものの、安室さんが手当されている間、沈黙が続く。まぁ、ちゃんとしてお互い名前も知らないわけだしなぁ。
「えっと、すみません。何か気の利いたことも話せなくて。」
「いえ、大丈夫ですよ。えっと…風見さんであってますか?」
「あぁ、はい。風見裕也と言います。あなたは?」
「古谷玲です。」
「えっ」
「え?」
「あっいや、知人の名前に似ていたので、驚いてしまいました…お気になさらず。」
「ふっふふふ。」
「…?どうされました?」
「すみません、その言い方が安室さんそっくりで、デジャブかと思いました。っふふ。」
「…そう…なんですか。なんだか複雑な気分です。ところで、何故安室さんを見つけた時について、詳しくお聞きしてもいいですか。」
「はい。今日たまたま夜の散歩に出ていたら、路地裏から声が聞こえて、行ってみると安室さんがいました。怪我をされているようだったので、応急処置をしてから家に運びました。えっと、家に運んだのは、安室さんが病院に行きたくないと言っていたからです。彼は駄々っ子なのかと一瞬思いました。」
「んんwwっ失礼。」
「何笑ってるんだ、風見。」
「!?」
「あっ安室さん。お目覚めですか?体調の程はどうですか、もっと休んだ方がいいのでは?ていうかなんでもう歩いてるんですか。」
「古谷さん…。ありがとうございました、おかげで助かりました。少しお話があります。場所を移動しても?」
「問題ありません。」
「では。風見は此処で待っていろ。」
「はい。」
そう言われ連れてこられたのは6畳程の小さな部屋だった。部屋の中にあるのは、椅子、机、ベッドだけだった。
「なんだか取り調べのようですね。あぁでもベッドは無いか。」
思った事をそのまま口に出せば、安室さんは少し驚いたようだったが、すぐに冷たい表情にした。バイト中の顔とは全然違うけれど、こちらの方が何だかしっくりくる。
「それでは、今から聞くことに答えてください。」
「はい。」
「まず、どうしてあの時間に外出していたのですか?」
「仕事帰りに新しいカフェに行って珈琲を飲んだら夜遅くにカフェインが効いてしまい、目が冴えて仕方がなかったので、散歩に出かけていました。」
「僕を連れていった理由は?」
「貴方が病院嫌だと言うから!本当はあの後風見さんから電話が来ていなければ、安室さんが気を失っているうちに連れていきましたけど。」
「…何故僕を助けたのですか?」
「今まで何度も人が死ぬのを見てきました。それは何度見ても慣れないんです。だから、まだ助かるかもしれない人は助けます。絶対に。」
「そうですか…。」
安室さんはなにか考え込んでいる。また真剣な顔だ。本当の安室さんは誰なんだろうか。
「安室さん、こちらから質問しても?」
「答えられる範囲なら。」
「では、2つだけ質問を。本当の貴方は誰ですか?ふるやさん?安室さん?それとも路地裏にいた人ですか?」
「っ!?」
安室さんはすぐさま警戒を見せる。いや、警戒してほしいわけじゃないのだけれど…。
「あぁやっぱりいいです。何となく分かりました。いやぁ一瞬安室さんって解離性同一性障害かなって思ったんですよ。でもなんか違うので、区別は出来てるんですよね。大方警察の人かな、此処警察病院ですし。」
あ、安室さんの凄く驚いてる。驚く顔も整ってるなぁこの人。
「…もう一つの質問は?」
「珈琲は好きですか?」
「は?」
「だから、珈琲は好きですか?」
「え、えぇ。嫌いでは無いですね。」
「okです。それだけは聞いておきたかったんですよね。」
珈琲嫌いな人がポアロで働いているとしたらめっちゃ気まずいしね。
安室さんは依然、唖然としている。
「貴方は一体…」
「私は…ただの喫茶店店員です。」
「…。」
「あ、追加でもう一つ。これ私帰れますかね。」
「…はい。本当は今聞きたいことが増えたんですが、今日は大丈夫です。送っていきます。」
お言葉に甘えて、安室さんに送ってもらう。
車の中で気まずいかなと思っていたけれど、割と早めに安室さんから話しかけてきた。
「古谷さんってお幾つなんですか?」
「女性に年齢を聞きますか、安室さんはなかなか度胸がありますね。まぁ私は気にしませんが。一応25歳のはずです。」
「…一応、というのは?」
「そのままの意味ですね。安室さんはお幾つですか?」
「僕は29歳です。」
「わぁお、若いですね。あ、でも見た目よりは結構いってますね。」
「若いですねって…古谷さんの方が年下じゃないですか。」
「それもまた、一応ですよ。」
「…?そうですか。ただ古谷さんは見た目と中身が一致してないように感じます。大人びている、というか。」
「ふふふっ、いい線行ってますよ。安室さん、バイト初日に危ないことしないでくださいよ?新しいバイトが早々に死んじゃったら、とても悲しいです。あ、そこ左です。」
「…善処します。」
「あと、私の名前が呼ばれる度にちょっと力入ってますね。バレちゃいますよ。もっと気を引き締めてください?」
「!?…本当に貴方は何者なんですか、はぁ。」
「そのコンビニ前で大丈夫です。ありがとうございました。安室さん明日シフト入ってますよね、では明日会いましょう。」
「古谷さん、今日のことは誰にも」
「はい。誰にも言いませんよ。それではおやすみなさい。ポアロのバイトの安室さん。」
「はい。おやすみなさい。気を付けて。」
*
「ただいまー。っと、疲れたぁー…。結局安室さんってなんなんだろう。なんでポアロでバイトなんかしてるんだろうかなぁ…。それ聞いておけば良かったかな…?」
本当に今日は色々なことがあった。明日は普通の日だろうか。いや、明日の安室さんはどんな感じなんだろう。なんだか明日が楽しみになってきた。
カフェインもどこかに飛んでいったようで、眠気がふわりと近付いて来たようだ。
「ふぁぁ…おやすみ、なさい…。」
***
『古谷玲
東都大学医学部卒
その後喫茶店の店員として働く。
父母共に本人が20歳の頃他界。』
「これが、古谷玲の調査です。資料を見る限りらただの一般人かと…。」
部下の風見が資料を渡しながら言う。分かっている、分かっているからこそ分からないんだ。何故彼女はあんなに冷静でいられる?普通混乱するだろう。
一応、という言葉も気になるし…。何か、彼女には何かあるはずなんだ。
「風見、今後古谷玲を尾行しろ。何かおかしな点があればすぐに報告してくれ。」
「了解。」
古谷玲、必ず秘密を暴いてやる。
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あてんそん<br /><br />・これは夢小説です。<br />・夢主は女性、名前もあります。<br />・キャラ崩壊は日常茶飯事<br />・ただの思いつきなので話が甘いです。<br />・ご都合主義、深くは考えないで下さい。<br />・読後の批判はお断りします。<br />・誤字脱字についてはご指摘頂ければ修正します。遅れるのが殆どですが…。<br /><br />それでもいいよ!っていう方はお進み下さい。<br /><br />ーー追記ーー<br /><br />夢主の名前はふるやれいとなっています。<br /><br />ーーーーーー<br /><br />8月17日付けデイリーランキング34位/女子に人気ランキング37位<br /><br />にお邪魔させていただきました。<br />沢山のブクマありがとうございます!!<br /><br />なんかメール来ててまじびっくりしました。凄いね、あんな通知来るんだね。わし初めて知った。
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ループに気付くポアロ店員はいつも通りの生活に満足している。
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ハンカチ一枚分の距離
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